FLAT OUT

(28)






 そこにいるチーム代表、ドライバーの多くは、現場にいないFAの最高権力者を疎ましく思ったのだろう。メディア関係者がいないのをいいことに、呆れたように彼を揶揄する声まで聞こえた。
 だが明人は、すぐに連盟会長の強気な姿勢の根拠を知ることになる。ある中堅チームの代表が、口を開いたのだ。
「彼の言うことは、間違っていない。ルールというものは、守られなければ意味がない」
 チーム・クラウザーの代表、クラウザー氏だった。彼は白い視線に一瞬怯んだが、続けた。
「そうだろう。考えてもみろ。そもそも現在のルールは、我々の同意を得て成立したんだ。それに基づいて、今季のレースの全てが運営されてきた。それを今さら変えてしまっては、これまでの分はどうなるんだ。観客だって、何が起きているのか分からないだろう。私は、ここで強引にルールを変えることの方が、FAと観客に対する不敬だと思う」
 彼の意見は正しい。そして今この場では連盟寄りだと、明人は思った。
「それは分るが、それだけが正しいとも限らないだろう。そもそも、このコースで実地テストしたわけでもないタイヤを、週末の初日に登録しなければならないという現ルールにも問題がある」
 すぐさま言い返したのはバールだった。こういう技術面での会議でドライバーが口を出すことは少ないが、レースを走れるかどうかに関してならば話は別である。
 レーサーは、他の誰よりも走ることに全てを懸けているのだ。走れない自分に、このサーキットで居場所はない。トラック上だけがレーサーの世界である。そして、だからこそ誰よりも自分たちの危険を知っているのである。
「タイヤの登録は初日。それ自体は複数認められているし、決勝で使うタイヤは一日のテストを経た上でその中から一種類が選ばれるんだ。そういう意味では決して不合理ではない。問題は、初日に登録されたタイヤ全てについて安全性が確保されなかったということだ。これは、少なくとも我々チームの責任ではあるまい」
 クラウザー氏の言葉を聞きながら、明人は「まただ」と思った。
 いったい最近の合理化社会の影響か、誰もがすぐに責任の所在がどうたらこうたらと、問題が解決する前から口にする。その在りかなど最初から分かっているだろうに、まるで言質を得て安心しようとするかのように、口々にそれを言うのである。
「それに、我々すべてのチームには、それぞれのスポンサーに最良の結果をもたらす義務がある。これは契約だけではなくて、信頼関係の問題なのだと、私は信じているのだがね」
 彼がこのまま続行したがるのも、明人には何となく分かった。
 現代のFAで、プライベーターがメーカー系チームに勝つ可能性は低い。一番の問題は資金難である。何しろ一つのトップチームが一年間に費やす予算で、ユーロ・マスターズの全チームを二年間、養えてしまうのだ。
 だから、そんなFAで彼らのような後ろ盾のないプライベーターが、上位に食い込むチャンスを最大限に生かそうとするのは、彼らの権利としても当然のことなのである。

 明人は意識して彼の発言もまた正当なものなのだと思おうとしたが、それにしても今は時間がなかった。今晩中に解決せねば、明日のレースはたったの8台で、オーバーテイクも何もない、つまらないレースを披露しなければならなくなるのである。
「お言葉ですが、それは我々チームとスポンサーの間にのみ生じ得る信頼関係です。サーキットに集まった13万の観客に、同じことを言えますか」
 プロスペクターが言った。
「それは………それは、理想論だ。たしかに観客あっての我々だが、その我々とて底なしの財布を持っているわけではない。我々個人の価値観はともかく、チームはそういう立場にあるはずだ。そうじゃないか」
「……ミスター・クラウザーの言葉にも一理ある。正直なところ、我々プライベーターがFAに参戦し続けるにあたっては、スポンサーの顔色が全てなのだ。予選の件だってそうさ。せめて今のように、我々のような遅いマシンも確実にテレビに映るよう配慮してもらわなければ、映らない看板に金をかけるスポンサーはいない」
「ちょっと待ってくれ、今は各チームの台所事情を話し合っているわけじゃない。みんな、タイヤの再登録に関する採決には賛成したじゃないか」
 他のチーム代表やドライバーも加わって、侃々諤々とした議論は止まるところを知らない。
 しかし明人は、おやと思った。タイヤの話はともかく、予選の件というのは初耳だったからだ。
「予選の件って、なんですか」
 小声でプロスペクターに尋ねると、彼は苦笑いを浮かべた。
「予選方式を変更しようという案が出ているんですよ。連盟としては、最終的に予選は1回のみのアタックにしたいらしいのですが」
 それを聞き、明人はますます訝しむばかりである。
「でも……ルールを変えたくないのは連盟でしょう?」
「いえ、彼らはその気になればいつでもルールを変えますよ。二つの条件を満たせばね。彼らの損害にならないこと、そしてFAの利益になること。要するに今回は、後者しか満たせないので、渋っているのです」
 明人は呆れて物も言えなかった。
 なぜそれほど権力にこだわるのだろう。それがFAにとって正しいことならば、例え今、チームの要請を受け入れたって、彼らが権力を失うことはないだろうに。一度生まれた猜疑心がここにも影響を及ぼしてしまっているのだろうか。なんとかして最高のレースを、と訴えているチーム代表やドライバーたちが、腹の内でFAを乗っ取ろうとしているとでも思っているのだろうか。
 しかし同時に明人は、それが全くないとも思えなかった。確かに、前例というものは一つできてしまえば、二度目は簡単である。最初はそんな下心はなくとも、次に同じ状況に立たされれば前例に頼ってしまうというのは、とくに凡例社会でもある現在では、よくあることだ。
 まったく嫌な憤りが、明人の胸中に小さな火をつけた。

「……彼は連盟派だったんですか」
 明人はプロスペクターに尋ねた。彼とはもちろん、クラウザー氏のことである。悪いのは彼ではないはずなのに、今度は皆の批判を一身に浴びていた。
「今はそうでしょう。彼のチームは最近、財政が厳しいそうですから。来季の分配金――レースの興行収入から出される我々チームへの還付金ですが――これについて、半ば連盟に脅されているようなものです。ここで連盟に反旗を翻したくない一人でしょうな」
 問題は、このイベントだけに止まらないということだ。とくに巨大メーカーを後ろ盾に持たないプライベートチームは、経費がうなぎ上りのFAでもはや成績を残すことができなくなりつつある。頼みの綱は、やはりFAの金も牛耳る連盟なのだろう。
 明人は、苛立ちを募らせることしかできなかった。


 ちらりと北斗を見ると、彼女は蔑むような目で会議場を見渡していた。だが、何かを口にする気配はない。それはもちろん、デビューして数戦のハリにも言えることだった。彼の場合は、この政治劇の場に口を出すことが出来なかったようだが。
 問題のタイヤを使用するチームの筆頭、ローラン・ミッドランド・レーシングのナオは、会議が始まってからずっと腕を組んで俯いていた。サングラスに隠された彼の目が何を見ているのか、明人にはわからない。そして彼がやっとのことで口を開いたのは、会義が紛糾して定まりもしなくなったときだった。
「モンツァの第1コーナー」
 静かに発せられたその声に、会議場がしんとした。
「こいつは、危険なコーナーだ。ただでさえ狭いシケインに、スタート直後の20台が雪崩れ込む。三分の一がここを抜けられずにリタイヤしたレースもあった」
 明人や北斗を含め、ドライバー達は何も言わなかった。
「あるドライバーがこう言ったんだ。『第1コーナーはあまりに危険すぎる。シケインを通り抜けるまで、追い越しを禁止してはどうか』とね。レースは50周以上あるんだ、その中で全てのマシンが緊迫した接戦を繰り広げられるなら、最初のもっとも激しい争いを自粛しても、観客に報いることはできるのではないか、と」
 チーム代表たちは、心当たりがあるようだった。明人が隣にいた赤月に尋ねようとすると、彼はナオの言う通りだと小さく頷く。おそらくそれは、ごく最近の出来事であるのだろう。
「ドライバーは皆賛成したよ。スタートで前に出る機会が無くなるのはたしかに不利だが、なんたってレースがしたいんだからな。だが、同じようにレースがしたいにも関わらず、違う考えの者もいた。あるチーム代表は記者に、『彼らの考えを尊重する』と言ったんだ。そして『ただ、賛成なら彼は来季のシートを探さなければならなくなる』と付け加えた」
 会議室はますますしんとなった。だが、今度は何人かのチーム代表たちがむっとした顔を見合わせる。
 明人は、ナオの言いたいことがわかった。彼は小さく頭を振って彼らを見渡すと、ふぅと小さく息をついたように見えた。
「今回は、それよりも少しばかり深刻に見える。問題は、第1コーナーだけではないということだ」
「だからどうだと言うんだ。そんなことはここにいる皆がわかっている」
 口を挟んだのは、気の短そうな男である。ナオがローランに移籍する前に所属していた、中堅チームの代表だ。ドライバー解雇もちらつかせたチーム代表とは、彼のことだろうか。明人はそう思った。
「じゃあこれは知っているか。俺たち6チーム側のドライバーは、もし安全なタイヤが用意されないのなら、明日のレースは棄権する。ここにはいないが、リザーブドライバーの了承も得た」
 これには、誰も何も言えなかった。しかし、明人の驚きは少し違う。彼の言ったことは、明人が有利な4チームのドライバーに持ちかけようと思っていた話と同じだったのだ。
 いまさっきナオをかつての仲間とは思えぬ目付きで睨んだ彼は、驚いた顔をして自分のチームのドライバーを見やる。若い二人のドライバーは、ばつが悪そうに視線を逸らせた。
「俺たちはレーサーだ。勝つために、チームを勝利に導くためにこの命を懸けて走ってる。たとえドライバーよりマシンの良し悪しで勝敗が決まっちまうレースでも、俺たちはトラックの上でできる限りのことをしてるんだ。どんなに劣勢だって、負けたくはないからな」
 そう言ってナオはサングラスを外し、周りのチーム代表ひとりひとりを射抜くように睨んだ。
「俺は、自分が何をやってるか、知っている。安全なタイヤがバーストしてクラッシュするなら、諦めるさ。だがね、安全じゃないタイヤでレースをしろと言われて、はいそうします、と言うとでも思うのか?」
 安全じゃないタイヤがどんな事態を引き起こすか、今の技術ならばはっきりと予想できるじゃないか。ナオの言葉は、そう言っていた。

 狂い始めているのだろうか。明人は思った。
 自分の安全は、自分で確保するものである。自分ではどうにもならないことだけ、他人を頼ったり、或いは手を引くという選択肢もあるだろう。誰もが日常生活の中で自分を守るためにしている判断だ。
 かつてレーサーは、命知らずの鉄砲玉ばかりだった。誰よりも速く走るために、危険を顧みずただひたすらアクセルを踏み続けた。そんな彼らがその命を散らさずに更なる高みへ挑戦できるよう、必死で後押ししたのがチームであり、主宰者である。
 壁にぶつかった時にマシンからドライバーが飛び出さないようシートベルトをつけ、頭をぶつけないようヘルメットを被せ、衝撃を和らげようとマシンの構造を変え――そうして彼らは、自分たちの夢を託したドライバーを、護ってきた。
 ドライバーたちもまた彼らに全幅の信頼を寄せ、彼らの仕事を全て信じて、彼らにトロフィーを持ち帰るために走った。
 チームはドライバーを部品の一つだとは思わなかったし、ドライバーもチームをただの踏み台だとは思わなかった。
 そうでなければならないものだったはずなのに。




 ナオの宣言で、会議はもはや後戻りができなくなっていた。新しいタイヤを連盟に認めさせるか、或いは4チーム8台だけでパレード・レースをするか。前者は観客にいつもどおりのFAを提供し、後者は半世紀以上の長きに渡るFAの歴史に汚点を残すことになるだろう。
 誰もがそのことを理解しているはずだった。頭の固いチーム代表も、その年の分だけFAを見てきたのだ。FAがどうやって育ってきたのか、FAにとって何が大切で何が必要なのか、彼らは知っているのである。
 知らないのは、連盟の会長だけなのだろうか。或いは、そんな彼らをして躊躇させてしまうほど、今のFAは肥大化し、また複雑になりすぎていたのだろうか。

 日はもうずいぶん傾いていて、時計は午後七時を指そうとしていた。しかし明人はそれを見て、まだ三時間か、と思った。それほどまでに、会義はまったく進展を見せなかったのだ。
 と、そのときである。会議室の扉を開けて入ってきた人物がいた。エリナだ。突然の乱入者に人々は驚いて彼女を見る。だが、彼女はそれには目もくれずに一直線に明人の下へと歩み寄ると、小さく囁いて部屋の奥にあった衝立の陰へと明人を引っ張って行ったのである。
 明人は驚くばかりで、唖然としている周囲の人間たちを見やる暇もなかった。しかしそんな明人を捕えたのは、エリナの視線だったのである。
「明人君」
「な、なに?」
 こんなに真剣な表情のエリナも久し振りに見ると、明人は思った。しかし不思議なことに、レースウィーク中のそれと違って、険しさがない。だからだろうか、明人は、彼女の瞳から目を離せなかった。
 すると今度は、エリナの視線の方が揺らいでいることに気付いた。
「明人君、落ち着いて、よく聞いて」
 取り乱さずに、とさらに彼女は念を押す。しかし彼女は、その先を躊躇しているようでもあった。その言葉は、むしろ彼女が自身に言い聞かせているように見えた。
 一方明人も、ここまで言われて何事かと思わないはずがない。衝立の向こうで議論が続けられているのかどうか知らないが、エリナの固い表情に明人はそれをしばらく忘れることができた。
 そしてエリナは、明人にとってみれば長い沈黙のあと、一字一句を噛むようにして、ゆっくりと告げたのである。
「山田君……山田二郎君が、事故で亡くなったわ」
 その言葉に、明人の顔は強張ったのだった。










to be continued...


 

 

感想代理人プロフィール

戻る

 

 

 

 

代理人の感想

ガ・・・・・ガイーッ!?