機動戦艦ナデシコ
The prince of darkness episode AKITO
「どうだったんだ、会談は?」
ロバート・クリムゾンとの会談を終えたアカツキにアキトが問う。
「まあ、悪くはなかったよ」
イマイチわかりにくい表現をするアカツキ。
あまり興味がないのか、それともアカツキを信用しているのか、アキトもあまり深くは聞かない。
「僕としては、君のほうこそ何か問題起こしてんじゃないかと心配だったよ。
会場にはクリムゾン関係の人間もいるし」
"連れてきておいて言うのもなんだけどね"と肩をすくめるアカツキ。
半ば冗談であるのだが。
ロバートが縁組を示唆した孫娘も来ているのだろうかと視線を彷徨わせるアカツキ。
すぐに遠くのテーブルでこちらを見ている二人の女性を発見した。
(シャロンとアクア・・・・・・ね)
不意に白いドレスを着ている女性がこちら側に手を振ってくる。
最初は自分に向かって振っているのかと思ったアカツキだが、しばらくしてそうでないことに気付く。
それは自分の隣にいる人物に向けられているものであった。
「何かあったのかい?」
「ちょっとな」
さすがのアカツキも、アキトがクリムゾンの孫娘たちとテーブルを挟んで言葉を交わしていたとは想像もしていない。
「そういえば知っているんだったね、アクア・クリムゾンは」
アカツキはナデシコでテニシアン島に行った時の事を思い出す。
強大なジョロに襲われていたアキトとアクアの姿も目撃していたのだ。
事の顛末については噂ながらに聞いていて、好意を抱くはずはないが、逆に憎んだりはしていなかったはずだと推測できる。
ただそれは以前の話だ。
(今のテンカワ君は彼女に対してどう思っているのかな?)
そう思いつつアキトに視線を向けるアカツキ。
アキトはアカツキの意図に気付くと、少し考えてから口を開く。
「クリムゾンは敵だし嫌いだが、直接何かされたわけじゃない。
そういう意味では草壁たち火星の後継者とは違っている。
戦場で敵として出会えば殺すことに何の躊躇いも覚えないが、クリムゾンというだけですべての人を憎んでいるわけでもない。
甘いのかな・・・・・・こういう風に考える俺は?」
アキトにとってクリムゾンは、火星の後継者に援助する敵側の一企業という域を出ていないのだ。
実際的にクリムゾンは火星の後継者に対し、援助という面で多大な貢献をしている。
これを軽んじるのは、戦争で補給を軽視するのに等しい愚かな行為と言っていいかもしれない。
しかしだからといって、それを説いてアキトにクリムゾンを憎ませようとは思わないアカツキ。
「いいんじゃない?
草壁に与した、敵に回ったってだけで全部憎むっていうんじゃ、木星人すべてを滅ぼすまで終わりはしないよ」
草壁が決起した時には、多くの木星人が草壁の元に集うと予測されている。
いや、それどころか地球の非主流国も草壁に賛同する可能性すらある。
木星人だけでなく、地球の人々までも敵となることもありえるのだ。
それらすべてを盲目的に憎み、殺していくのでは救われないとアカツキは思う。
「それに、クリムゾンは僕の敵だからね」
アカツキがロバート・クリムゾンと会見を行っていた時、
月臣は地下の駐車場で、車とこの場を監視する任務に就いていた。
気配を消し、自分が監視すべき空間を睨んでいる月臣。
一見、任務を忠実にこなしているように見える。
だが、彼の心はそこにはなかった。
(俺は・・・・・・どうすればいいのだろう?何をするべきなのだろう?)
もはや何度目になるのかわからないほど繰り返した自問自答。
この自分への問いかけは、既に月臣の生活の一部となっている。
自分自身で世界を見、自分自身で考え、自分自身で道を探す。
それがどれほど難しく、苦しいことか思い知る日々。
以前は自分で考える必要などなかった。
指導者の語る言葉に耳を傾け、その通りに行動すればよかったからだ。
与えられた価値観。
与えられた目標。
与えられた命令。
それに慣らされていた月臣には険しい道しか見えてこない。
さらには罪という名の大きな負債が圧し掛かり、その歩みを重くする。
誰かに道を決めてもらったほうが楽なのだと月臣は知った。
木連の民衆が草壁を支持した理由の一端もそこにあるのだと。
かつて、木連で誰よりも早く自らの価値観を育て、自ら道を作ろうとした男がいた。
その男は復讐を掲げる木連の戦いに疑問を抱き、和平を模索しようとした。
その切欠は酷く個人的な感情から生まれたものではあったが。
その男の歩みを永久に阻んだ月臣は、彼が歩もうとしていた道の険しさを実感している。
これは皮肉なことだろうか。
否
(自業自得・・・・・・か。
そう、俺が母親を殺してしまった娘のことも)
月臣は先日のことを思い出す。
アキトのジャンプで地球に降りる前日の話だ。
その日、月臣はイネスの元を訪れていた。
「ここは医務室じゃないわよ」
怪我をしたと言う月臣に返ってきたイネスの言葉はそれだった。
様々な医療器具が揃っているこの部屋で、だ。
アキトの場合なら、どんな小さな怪我でも全力で治療している。
確かに医務室ではないのだろうが・・・・・・。
取り付く島もないイネスの態度。
だが、月臣は簡単には引き下がらなかった。
怪我というのはただの口実で、本当は別に目的があったからだ。
意を決して口を開く月臣。
消え入りそうな小さな声で、自らの意思を伝える。
「もう一度言ってくれないかしら?」
さっさと追い返そうと思っていたイネスだが、月臣は彼女にとって聞き捨てならないことを口にした。
室温が氷点下にまで下がるのではないかと思われるほどの冷たい声で月臣に言う。
元々負い目を感じている月臣はイネスの殊更冷たい口調にたじろぐが、それでも自分を奮い立たせてもう一度用件を口にする。
「母親を殺された娘の気持ちとはどういうものなのか、教えて欲しい」
ピクンとイネスの形のいい眉がつり上がり、口元には冷笑が浮かぶ。
イネスの脳内には月臣を罵倒し、侮蔑し、精神的に再起不能にしてやるだけの言葉の数々が用意されていく。
だが、それらは未発に終わった。
「お願いします」
月臣がそう言って最敬礼を施したからだ。
冷めたコーヒーを口に含み、少し気持ちを落ち着かせるイネス。
とりあえずは月臣に発言の機会を与えてやる。
月臣は凍傷にかかりそうなイネスの視線を浴びながらも、ポツリポツリと事情を説明していく。
「つまり"母親を殺してしまった娘に、どういう謝罪をすればいいのか"ということね」
イネスの言葉に月臣は頷く。
「博士も・・・・・・その、母親を・・・・・・」
申し訳なさそうな表情で言葉を発する月臣。
イネスも木連に母親を殺されたことを言っているのだ。
「だから私に聞きに来た・・・・・・と?」
イネスも久美も、木連に母親を殺されたという点では確かに同じだ。
久美が何を望むのか知りたければ、同じ体験をしたイネスに聞きに来るというのは間違いではない。
だが
(どういう神経と思考をもってすれば、私に聞きに来るということを実行できるのかしら?)
「非礼は重々に承知している。しかし俺には・・・・・・」
月臣は自分一人で答えを出せるほど、自分の生きてきた人生に自信を持てないでいるのだ。
藁にもすがる気持ちというヤツだ。
「頼む・・・いや、お願いします」
頭を下げる月臣を見ながらイネスは考え込む。
木星人である月臣を嫌悪し、侮蔑してきたが、具体的にどうこうして貰おうとは思っていなかったからだ。
イネスは月臣に頭を下げさせたまま思案を始める。
「こういう時、アニメやドラマなんかじゃ"これ以上悲しむ人を作らないようにして"とか綺麗な答えを出すところなんでしょうね」
皮肉気にそう呟くイネス。
”けれど、それはやっぱり作り物の世界の話でしかないわ”といった感じで月臣を見る。
「今すぐ木星人全部を滅ぼしてきて」
"そう言ったらどうするつもり?"と月臣を覗き込む。
身を固くして生きた彫像と化す月臣。
そんなことを受け入れられるはずがないからだ。
「それができないのならママを生き返らせて」
これにも返答を返せない月臣。
ただただ沈黙するだけだ。
「わかったでしょ?
聞いたからといって実行できるようなものじゃないわ。
きっとその子が望むのもね」
「・・・・・・」
「それに貴方、自分が殺したとわかった娘だけに謝罪すればそれでいいと思っているの?
母を失った子がいるように、子を失った母もまた、きっと存在している。
それらには目を瞑るのかしら?」
「そんなことは・・・・・・」
「まあ逆に貴方一人の責任という訳でもないんでしょうけどね」
「俺は・・・・・・どうしたら・・・・・・」
呻くように呟く月臣。
その姿にイネスはため息を吐く。
(さすがにこれでは可哀想なのかもしれないわね)
これでも月臣はまだマシなほうなのだとイネスは思う。
ほとんどの木星人は、罪の意識の欠片すら持っていないのだから、と。
「元々、貴方が何をしようと関係ないのかもしれないわね。
結局のところ、被害者が加害者を許せない限りは、どんな謝罪も贖罪も自己満足でしかないんだから。
だからアニメのような答えというのも、悪いものじゃないかもしれない。
平和を守る。
これ以上、悲しむ人を作らないようにする。
そんな単純で綺麗事のような答えも・・・・・・ね」
「とりあえずは平和を・・・・・・か」
イネスが言ったように、自分には久美の望むことなどできないのだろうと考える月臣。
だからせめて、彼女が安心して暮らせる平和な世の中を作り、守ろうと思う。
自己満足に過ぎないのだろうが、今はそれしか考え付かないから・・・・・・と。
(だが、それを成すにはどうすればいい?
軍に入って政府が認定する平和の敵と戦えばいいのか?)
それは違うと思う。
(戦うだけでは結局また犠牲と罪を生産していくだけではないのか?
それに政府の敵が、必ずしも平和の敵というわけではないだろう。
政府の敵としか戦えない軍人では木連の時と何ら変わらない)
かつて木連が悪であると定めた地球と戦った月臣。
軍人としては何ら間違ったことをしていない。
政府や軍が定めた敵と戦い、上官の命令に従っていただけなのだから。
言われるままに戦うことを義務付けられている軍人になることは、同じ道を進むことになるのではないと月臣は思うのだ。
(俺はどうして軍人になった?
俺はどうして地球を悪だと思った?
俺はどうして地球の人間を殺して笑っていられたんだ?)
それは根本的な問題。
月臣だけでなく、木星人全員に当てはまる疑問であろう。
(それはきっと・・・・・・)
自分をはじめとする木星人が持つ価値観が原因なのだと思い当たる。
(何がどうであれば俺はそうならなかったんだ?
何がどうであれば木星は地球と戦争しなかったんだ?)
正確で豊富な情報。
多様な思想を認める社会と教育。
それらが必要だったのだと月臣は考える。
(もし俺が、社会の価値観を変革させうる立場に立てれば・・・・・・)
!?
答えが出そうになった時、一つの気配を察知する月臣。
その気配はアカツキたちの車へと近づいていくと、何かを仕掛けようとしている。
気配を消していた月臣には気付いていないようだ。
「そこまでにしてもらおう」
声を発し、相手の行動を制止する月臣。
アキトが見れば"黙って不意打ちしろよ"と思うところだ。
制止を受けた男は即座に月臣に向かって構えを取ろうとするが・・・・・・
「月臣・・・・・・?」
思わぬところで自分の名を呼ばれて驚く月臣。
大きく目を見開いて編み笠を被っている男の顔を確認する。
その男は漆黒の義眼をはめ込み、月臣の記憶とは少し違っていたが
「貴様は・・・・・・ 」
月臣は木星ではよくある一つの名前を口にする。
それは確かに呼ばれた男の名であったが、彼がその名で呼ばれたのは既に過去での話だった。
「懐かしい名で呼んでくれる・・・・・・。
だが、今の俺は水煙。北辰六人衆が一人、水煙だ」
左手を自分の胸に当ててそう主張したのは水煙。
闇に沈む時に既に死んだことになっている闇の部隊の者たち。
過去は捨てているということなのだろう。
「それにしてもお互い死んだ身となっての再会とは・・・・・・皮肉極まるものだな、月臣?」
月臣もクーデターの最中で死んだとされている。
"確かに"と心の中で自嘲交じりの相槌を打つ。
「しかし貴様が北辰の配下とはな・・・・・・」
月臣の心に沸き起こるのは敵意ではなく、かつて技を競ったライバルに対する懐かしさだ。
地球の各所で綿密な調査を行っていた北辰たち闇の部隊。
ボソンジャンプを行うための座標とイメージを確定させるための資料集めだ。
その最中、ネルガル会長の動向を知った北辰はアカツキの暗殺を目論んだのだった。
ただ隊は地球の各所に散らばっているため、即座に差し向けることができたのは水煙だけ。
"やってみる価値はあるか"という程度のものであるが、それがこの二人の再会を演出したことは北辰自身も知らない。
現在の状況から月臣がネルガルに与しているのだとは推測できる水煙。
あまり納得のいく組み合わせとは思えないが、裏切り者の思考など読めるはずがないと切り捨てることにする。
今の水煙にとって気になるのは月臣ではなくあの男のことなのだから。
「なるほど。テンカワのヤツがやけに木連式に精通しているのは、お前が教えていたからなんだな?」
確認するように言う水煙。
「だとすれば・・・・・・どうする?」
「お前がどういうつもりで木星を売ったのかは知らんが、とりあえずはここで始末することにしよう」
向けられる水煙の殺気に、お互い技を競ったあの頃とは違うのだと実感する月臣。
「ふん。テンカワ一人始末できない貴様らにそれができるはずはなかろう。
第一、邪に染まりし剣では我が柔には勝てん!」
"邪に染まりし"と聞いて、あきれた表情を浮かべる水煙。
「まだそんなことを言っているのか?熱血が抜けないヤツだな・・・・・・。
まあ貴様ら優人部隊のような能天気な連中にはお似合いか」
見下したような水煙の言葉。
だが、この心の動きは水煙に特有のものではない。
闇に沈んだものたちは皆、将来を嘱望された俊英であった。
本来、誰からも賞賛と羨望を受ける立場で戦うことを約束されていたものたちということだ。
その彼らが日の当たらない世界で孤独に戦うことになる。
傍目で華々しい戦場に身を置いている者たちを見ながら・・・・・・だ。
表で何も知らずに戦っているものたちよりも世界を知っていると自負し、
無邪気に正義を唱えている国民的英雄たちを蔑まないとやっていけるものではない。
そういう事情が水煙にこの言葉を吐かせたのだ。
もっとも月臣も今は表に別れを告げているのだが。
「だいたい貴様、テンカワより強いつもりか?」
「なんだと!?」
"アイツよりお前のほうが弱いんだよ、勘違いするな"といったニュアンスが月臣に伝わった。
視線を鋭くして水煙を睨む。
「確かにお前のほうが技は切れようし、パワーも上だろう。
だが"強い"のはテンカワ・アキト・・・・・・闇の王子のほうだ」
「何を馬鹿な・・・・・・」
「納得いかないか?」
「当然だ!俺は"柔"を極めた男だぞ!」
月臣はアキトに木連式を教えた師であるし、"柔"を修めた自分への矜持もある。
弟子であるアキトより劣っていると言われても、あり得ないとしか思えないのだ。
「だったら・・・・・・証明してやるよ」
左手に持つ小刀を月臣に向かって突き出し、右手は長刀の柄に添える。
水煙から放たれる殺気は、月臣の肌を焼くように感じられた。
「しぇああ!」
力を溜めた後、弾けるように突進する水煙。
月臣はカウンターを狙うため、体の軸を横にズラせるように構えるが
「!?」
水煙は途中でスピードダウンしその足を止める。
そこは月臣からは間合いの外だが、刀を持つ水煙にとっては間合いの中だ。
「ちぇい!」
水煙の抜刀術。
刀の軌道を予測し、かわしてみせる月臣。
しかし、そこから水煙の懐に踏み込むには距離がありすぎた。
続く斬撃も後退することで凌ぐ。
「ちっ!」
相手から突進してくれればカウンターを狙うところなのだが、用心深さを身につけた水煙は武器のリーチというアドバンテージを手放したりはしなかった。
ガードの仕事をするにおいては、身を挺してターゲットを守ることもある。
だから今の月臣の学ランの下には、防弾、防刃のための装備が施されてあり、防御力は高まっている。
だが逆に、それらを装備していない時よりは敏捷性が衰えていた。
簡単には行動不能になるような攻撃を貰わないが、逆に懐へ潜り込むこともできない。
ジリ貧というやつだ。
「はあ・・・・・・、はあ・・・・・・、はあ・・・・・・」
守勢に回ることを余儀なくされ体力を削られていく月臣。
複数の傷を付けられたが、致命傷どころか行動不能になるような攻撃すら受けてはいない。
それだけでも月臣の尋常ならざる技量を証明しているのだが、相手を倒せなければ結果は決まっている。
「所詮今の貴様はその程度だ。
熱血を貫くこともできず、かと言って闇に染まりきることもできない・・・・・・」
実際的には、現在の差を作るほど明確な技量差は月臣と水煙の間に存在していない。
この差を作っているのは彼らの心にある。
水煙は月臣を殺すことに迷いはないが、月臣は同胞と戦うことに躊躇いを覚えている。
それが両者の決定的差だった。
「まあ・・・・・・俺も人のこと言えんだろうが」
闇に沈みながらも、心の底から沸き起こる衝動に身を任せたいと思っている水煙。
確かに月臣のことを哂えはしないのだろう。
「俺はヤツに・・・・・・テンカワ・アキトに勝ちたい!」
水煙はそう言いつつ右目に手を当てる。
「その目・・・・・・まさか?」
「そうよ。ヤツに抉られたのだ」
自分と同等の技量を有する水煙が、アキトにその目を潰され敗れたのだということを理解する月臣。
自分が知っているテンカワ・アキトがすべてではない。
戦場でのテンカワ・アキトの姿を自分は知らないのだと月臣は知った。
「技は俺のほうがテンカワより切れる。パワーも俺のほうが上回っている。
だが"強さ"で俺はヤツに敵わなかった・・・・・・。
今ここで貴様を喰らい、更なる"強さ"を手に入れる。
そして再びヤツに挑むだけの資格があることを・・・・・・証明してみせる!」
水煙が突進から渾身の抜刀術を放つ。
カウンターを狙おうと考える月臣。
だがその一撃は月臣の予想を上回る鋭さを有していた。
カウンター狙いから、とっさにかわそうとするが
ザシュ!
着込んでいた防刃装備が切り裂かれ、その胸に傷が入る。
致命傷にはならなかったが、白い学ランが赤く染まっていく。
「くっ・・・・・・」
「あきらめろ。しょせん貴様も、そして白鳥九十九もその程度の男だったということだ」
「!?」
「我ら闇の者が戦っていたからこそ熱血とやらに興じられていた、ヒーローを気取っていられただけの・・・・・・な」
まるで憐れむかのような表情の水煙。
だがそれは月臣に反発の感情しか沸かせはしない。
いまだ進むべき道を定めていない月臣。
己の犯した罪の深さに、心を迷走させているばかりの自分を滑稽に思う。
だが、それでも譲れないものが確かにある。
「九十九は・・・・・・最後まで自分の正義を信じていただろう。
現在(いま)世の中が変わったからといって、
現在(いま)価値観が変わったからといってアイツを・・・・・・。
アイツを正義を盲信した愚かな男にするわけにはいかない!
せめて俺は・・・・・・俺だけはアイツの生き方を肯定しなければならないんだ!」
自らを奮い立たせる月臣。
「孤独な闇に沈んだ俺たちがどんな気持ちで戦っていたかも知らずに!」
水煙は刀を真横に振る。
それはサイドステップではかわせないため、下に潜るか後方に逃げるしかない。
下に潜って懐に飛び込みたいところだが、水煙の左手に持った小刀がそれを牽制しているかのように見える。
しかし後方に下がっては今までと同じことを繰り返すだけ。
「ええい!」
月臣は勇気を総動員させて下へと潜った。
「ちぇい!」
小刀で突きを放つ水煙。
身を低くして踏み込んでいる月臣には、迎撃してくる小刀をかわす術はない。
顔面に向かってくる小刀に左腕を差し出す月臣。
ザシュ!
その腕に小刀が食い込む。
だが月臣は止まらなかった。
「おおおおお!」
「何!?」
月臣は小刀が突き刺さった左手を強引に振り上げ水煙の懐へ。
月臣も昔とは違う。
その認識を得た時には、月臣の右掌打が水煙の胸を捉えていた。
片手で大人をも投げ飛ばすほどの並外れた膂力。
飽くなき反復で身に付けた打法。
それらから生み出される最高の一撃。
水煙といえどただではすまない。
「ぐぉ!?」
凄まじい打撃音と共に、はるか後方にあったリムジンにまで吹き飛ばされた。
水煙はふらつきながらも即座に立ち上がろうとする。
一気に距離を詰めて追撃したい月臣。
だが、これまでに蓄積したダメージがそれを阻んだ。
その間に立ち上がり、月臣を牽制する水煙。
再び対峙する形へと戻っていた。
自分の胸に手を当てる水煙。
月臣に攻撃された部分の肋骨は3本折れていた。
「相変わらずの馬鹿力だ。
それでこそ・・・・・・と言いたいところだが」
ペッと唾を吐き捨てる水煙。
赤いものが多く混じっている。
「なぜ喉元に手刀を突き立てなかった?」
今の力を持って水煙が言うことを実行していれば、水煙の命はなかったであろう。
”それが貴様の甘さだ”と月臣を見る水煙。
だが月臣はまったく動じない。
その瞳からは迷いが消えていた。
「木連式は暗殺術に在らず。
殺さずとも相手を止めるだけ業がある」
左手に深手を負いながらも静かに構えを取る月臣。
「殺さん限り、俺は止まらん」
長刀を鞘に納め、抜刀術の構えを取る水煙。
正反対の主張をする、道を違えた二人の木星人。
持論の優位性を証明するには、もはや実力をもってするしかない。
月臣と水煙の間で凄まじい緊張が張り詰めていく。
互いに次の一撃に最後の力を注ぎ込むつもりなのだ。
だが、どちらが正しいかを証明する機会は延期を余儀なくされた。
駐車場へと降りてくるアカツキの安全確保のため、先行してきたネルガルのSSが姿を現したからだ。
「ちぃ!?」
身を翻す水煙。
「ま、待て!」
そうは言うものの、月臣には水煙を追うだけの力は残ってはいなかった。
「テンカワに伝えておけ!
俺の牙はまだ折れちゃいない!
貴様を殺すのはこの水煙だとな!」
「相手は・・・・・・水煙とかいうヤツか」
落ちていた編み笠を見ながらそう言うアキト。
月臣にこれだけの傷を負わせられるのは、闇の部隊でも北辰か水煙だけだ。
そして相手が北辰ならば、月臣は既にこの世に別れを告げているとアキトは考えた。
それゆえに出てきた名がそれだった。
「ヤツから伝言だ。
お前を倒すのは自分だ、とな」
軽く哂うアキト。どうでもいいという感じだ。
アキトには、そんなことよりも気になることがあった。
「殺そうとしたのか?アイツを」
ただ単に水煙をという意味ではない。
同胞である木星人をという意味である。
月臣は首を横に振る。
「俺は・・・・・・できない。
同胞たちを殺すことなど、きっとできない」
月臣は自分の右手を見ながらそう言う。
月臣には、かつて親友を撃った銃がその手に見えているのだろう。
「そうか・・・・・・」
アキトは小さく頷く。
月臣の答えはアキトにしても理解できるものだ。
むしろ"自分は同胞たる木星人と何のわだかまりもなく戦い、そして殺せます"などという答えを出された時こそ信用できなくなっただろう。
「俺はやっぱり木星人なんだ。
お前が火星人であるように・・・・・・な」
月に帰る前、月臣はアキトとアカツキに自分の見つけた道を明かす。
「俺は草壁閣下の決起を全力で阻む。
だがその後、木星は今よりももっと苦しい立場にたつだろう。
その時、木星を地球から守る盾になりたい。
そしてその上で木星と地球の平和を守っていきたい」
月臣は木星だけでなく、地球との平和を口にした。
それは自分が殺してしまった白鳥九十九が望んだ未来を受け継ぐという意味もあるし、
久美が安心して暮らせる平和を守ると意味もあった。
さらには地球側への贖罪の意味もあるのかもしれない。
「立派な考えだ。思わず拍手を送りたくなっちゃうよ」
"けどね"と付け加えるアカツキ。
「あまりにも抽象的過ぎる。理想を語るだけじゃ何も為せはしないよ」
月臣は”わかっている”と頷く。
「俺は、同胞たちに色々教えたいことがある。
正義や価値観、それらは一つでないこと。
戦争をすれば、それが何のためであっても無関係な人を犠牲にしてしまうことを。
そして地球側と友好的に生きていける木星人を育てたい」
それが平和を作り、守っていくことに繋がるのだと月臣は考えたのだ。
「教師か政治家にでもなるつもりかい?」
「どっちもどっちだが、俺はより大多数の人間に教えたいと思っている。
次代を担う若者が平和に、自由に育っていける環境を整えることに尽力したいと思っている」
つまりはより広範囲に影響力を持つ政治家、指導者になろうということだ。
悪くないと思うアカツキ。
月臣は自分たちネルガルとも親交があり、それなりのメリットを提示できるのなら、月臣を経済的に支援することもできる。
地球側の政治家と親交を結んでやることもできる。
草壁とクリムゾンが築いている以上のパイプを木星側と繋ぐことができれば、様々な面で少なくない利益をネルガルに生じさせることができるだろう。
ネルガルにとっても悪くない話だ。
あくまで草壁を押さえることができればの話であるが・・・・・・。
アカツキはふと思いつく。
「教師になろうが政治家になろうが、弁舌が重要な役割を占める。
君に誰かの心を動かせる言葉を発することができるのかい?」
「・・・・・・」
武器を使った戦い方は知っていても、舌を駆使して戦う方法は知らない月臣。
軽々に頷くことはできない。
「政治は綺麗事じゃない。政治家も綺麗事だけじゃ済まない。
そしてその上で綺麗事を語らねばらない。
聞かせるべき民衆には、綺麗で正しいことのように主張してみせるのが政治家だ。
内実がどうであれね。
時には死者の名を道具に使うことすらしなければならない。
かつて草壁が死した白鳥九十九を戦意高揚に利用したようにね」
"君にそれができるのかい?"といった意図を込めて月臣を見るアカツキ。
「必要となれば・・・・・・それも」
苦渋に満ちた表情を浮かべるが、それでも月臣の意志は曲がらなかった。
「だったらまず、草壁に賛同する木星人を説得できるだけの弁舌を身に付けたまえ。
どういう内容の言葉を、どのように発すれば彼らを押しとどめられるか考えるんだ。
君の言葉で」
月臣は迷いのない表情で力強く頷いた。
「武器を手にするだけが戦いじゃない・・・・・・か」
月臣が語った言葉を思い出すアキト。
自分とは異なる道を選んだ月臣を素直にスゴイ奴だと思う。
「君には君の戦い方があるさ。目指すものも違うんだしね」
アカツキの言葉に”そうだな・・・・・・”と頷く。
「ところでいいのか?シナリオは作っていたんだろ?
勝手にしゃべられると不味いんじゃないのか?」
火星の後継者の決起を抑える手段の一つとして、”説得”という方法も考えているとアカツキから聞かされていたアキト。
少し気になって聞いてみる。
「台本通りにしかしゃべれない大根役者じゃ、どのみち無理な話だよ。
それに彼が自分で得たものは伊達じゃない。
きっと大丈夫さ。
もちろん、その手のレクチャーはするつもりだけどね」
「時々怖くなるよ、お前が・・・・・・。
お前の目はどこまで見えているんだ?」
アキトから見れば、アカツキは未来を見通す千里眼を持っているかのように思えるのだ。
「明日のことさえ見えてないよ」
ロバート・クリムゾンの言葉を盗用するアカツキ。
だがそれは本心でもあった。
望む明日へ近づける努力を怠れば、あっという間に敗者の立場に立たされる。
頑張れば必ず報われる世界ではない。
だが頑張ることをしなければ、最悪の未来しか待っていない。
アカツキはそのことを理解していた。
今の俺はネルガルの犬に過ぎない。
だがこの戦いが終われば、その時は自分自身の道を歩こう。
そしていつか本当の勇気を得ることができたならば
あの娘に自分の罪を告白しよう。
いつか・・・・・・
月臣には、こういう道を選ばせてみました。
代理人の感想
うむ。
いや、お見事でした。