機動戦艦ナデシコ

The prince of darkness episode AKITO













闇夜に包まれる秩父山中に光が生まれ、その中から真紅の機動兵器が現れる。
それは地球に長距離ボソンジャンプしてきた夜天光。

六人衆たちが控える目前に着地する。

開く胸部のコクピット。

甲冑のようなパイロットスーツを着た、赤い義眼の男が姿をみせる。


「決行は明日」


北辰の言葉に、安堵交じりの歓声を上げる六人衆。


「隊長のただいまのジャンプが、その証拠ですな」


ようやく長距離ボソンジャンプを使えるようになったという証拠。
これなくして、火星の後継者の目標達成はありえない。
それがようやく間に合ったのだ。
もし間に合わなければ、『サクヤ』での敗退の報を受けることとなっただろう。
それほど際どいタイミングだったのだ。


「各ポイントの綿密なるデータの収集が今こそ役に立つ」

「我らのこの後の任務は」
「高みの見物」

「いや・・・・・・。我らは我らの本来の任務に戻るまで」


それは誘拐と暗殺。
ここに至ってそれをするターゲットは限られている。


「では・・・・・・」


アキトをターゲットとすることを知り、六人衆たちに緊張が奔る。
何しろ先のアマテラスでは、同僚であった水煙を倒されている。
新たな人員を補充したが、その戦闘力は以前よりも低いのだ。

簡単にはいかないだろうというのが共通の認識だった。




「人形と試験体・・・・・・」


北辰の脳裏に金色の瞳を持つ少女の姿が浮かび上がる。


(人形・・・・・・いや、あの男が名前を与えたのだったな。たしか・・・・・・)



「ラピス」














そこはネルガル会長室の隣にあるプライベートルーム。
日の光が差し込み、朝の訪れを告げている。

ベッドには長い黒髪を有した男。
軽いいびきを掻きながら、心地よさそうに寝ている。

だが、その眠りも終わりが近づいていた。

彼の安眠を妨げたのはドアの開く音。


「・・・ん・・・・・・」


近づいてくる気配を感じ、左目のまぶただけこじ開ける。
その目に映るのは、黒いマントを羽織った男。


「もうちょっと寝ていていいぞ、アカツキ」

「・・・・・・いや、起きるよ」


盛大なあくびをしながら上半身を起こすアカツキ。
長い髪が整っておらず、落ち武者のようにも見える。

「おはよう、テンカワ君。昨日はよく眠れたかい?」

髪をかき上げながらアキトに問う。


「いや・・・・・・。今日のことを思うと・・・・・・どうしてもな」


まったく眠れなかったことを告白するアキト。
一晩中、ラピスの寝顔を見ながら、その薄桃色の髪を撫でて過ごした。
その寝顔が"彼女"に重なる度、罪悪感と自分の弱さを自覚しながら・・・・・・。

「こういう時は、お前が羨ましくなる」

アキトが羨むのはアカツキの豪胆さ、或いは気楽さといったもの。
どちらにせよ、自分には持てないものだと知っている。
それは器の大きさの違いなのだろうかとも思う。

「僕だってぐっすり寝たって訳じゃないよ」

アカツキは夜遅くまで火星の後継者の情報を吟味していた。
眠ったのは3時を過ぎてからだ。



ベッドから離れると、コップに水を入れて、渇いたノドを潤すアカツキ。
"君もどうだい?"と促すが、アキトは首を横に振った。





「聞いてると思うけど、統合軍はターミナルコロニー『サクヤ』での戦闘に敗北した」

「ああ・・・・・・」

火星の後継者と統合軍の戦力差は一目瞭然。
まともに戦えば統合軍の勝利は動かなかったハズだ。
それを覆したということは、火星の後継者たちはボソンジャンプをモノにしたということを意味している。


(長距離ボソンジャンプを使えるなら、アイツも来るのだろうな・・・・・・)


「けどまあ、火星の後継者もかなりの損害を被ったらしい。
ボソンジャンプの投入は、戦闘開始後かなり経過してからだ。
だいぶギリギリだったみたいだね、向こうも」

「今の動きは?」

「僕が寝る前の時点では、火星の後継者は『サクヤ』を放棄して、火星に戦力を集めていた。
統合軍も大慌てで第二陣を編成していたし、今頃は討伐に出征しているだろうね」


それは地球が手薄になったということ。
草壁の計画通りに事は動いている。


「いよいよか・・・・・・」

「多分・・・・・・今日だろうね」


この劇が終局を迎える日。
それが今日であろうと推測する。

今までの行動のすべてが、今日、結果として示される。


「願わくば、僕たちにとって望ましい結末であって欲しいものだけどね」





「行くのかい?」

「ああ」


視線を交わすアキトとアカツキ。
はっきりと言葉にすることはなかったが、彼らの間には確かな友誼が存在していた。

計画が終わりを迎えるまでは、もう顔を合わすことはない。
下手をすれば、これが今生の別れとなるだろう。
もっとも、一つ間違えば永遠の別れとなるのは、今までも同様であったのだが。

いつも通りの軽口で送ろうと思うアカツキ。
だが、先に口を開いたのはアキトのほうだった。


「俺は、ネルガルは嫌いだったが・・・・・・」


いったん台詞を切って身を翻すアキト。
自分の顔を見られたくなかったからだ。

そしてゆっくりと歩き出す。


「お前は嫌いじゃなかったよ」


アキトはそう言って部屋を出て行く。

その背中が見えなくなると、アカツキも照れた顔で呟いた。





「僕もだよ・・・・・・」















蝉の鳴く声が響く墓地。
そこを訪れるのは喪服を着たルリとミナト。

墓地に足を踏み入れた時、二人の動きが止まった。
イネス・フレサンジュの墓の前に、漆黒のマントとバイザーをかけた男がたたずんでいるのを目にしたからだ。
顔の半分がバイザーで隠されているが、ボサボサの髪の毛は認識できる。

「アキト・・・・・・君?」

呆然と呟くミナト。


「今日が・・・・・・三回忌でしたよね」





イネスの墓の前にしゃがむルリ。
両手を合わせて哀悼を捧げる。



「早く気づくべきでした」

手を合わせたままそう言うルリ。

「えっ?」

「あの頃、死んだり行方不明になったのは、アキトさんや艦長、イネスさんだけではなかった。
ボソンジャンプのA級ランク。
目的地のイメージを遺跡に伝えることができる人、ナビゲーター。
みんな、火星の後継者に誘拐されてたんですね・・・・・・」

「誘拐?」


「この二年余りアキトさんたちに何が起こっていたか、私は知りません」

「知らないほうがいい・・・・・・」

「私も知りたくありません。
・・・・・・でも・・・・どうして・・・」

(せめて・・・・・・)

「どうして教えてくれなかったんですか?生きていることを・・・・・・」

(せめてそれだけでも知っていれば、私は・・・・・・)

ルリはすべてを投げ出して、アキトの元に駆けつけただろう。
だが、それがわかるから、アキトはルリに教えなかったのだ。
彼女をこちらの世界に引き込みたくなかったから。


彼女に最後の別れを告げるなら、本当のことは言えない。
しばしの沈黙の後、アキトは突き放す言葉を紡ぐ。


「教える必要がなかったから・・・・・・」

「・・・・・・そうですか」


寂しそうに響くルリの言葉。
ルリの想いを知っているもどかしさも相まって、感情を昂ぶらせるミナト。
気が付けば、我知らず手を振るっていた。

ミナトの右手はアキトの頬を捉え、乾いた音が墓地に響く。


「アンタなんてこと言うのよ!
それでよくあの時、この子を引き取るなんて言えたわね!?」


それはアキトとユリカが結婚する時のこと。
結婚する二人のことを鑑みて、ルリをミスマル家に戻したり、ミナトが引き取るという話も当然出てきた。
だが、アキトが必死になって、自分がルリを引き取ると主張したのだ。
最後まで頑として譲らず、自分の意見を通しきった。

そのアキトの姿に、ルリを任せようとミナトも思ったものだ。

だからこそ、アキトの今の言葉は許せない。


「謝りなさいアキト君!謝って!」



「この子はねぇ!」



それは言うべきではないこと。
少なくとも自分が言ってはいけないこと。
それを言おうとしている自分に気付くミナト。



「アキト君のことをほんとは・・・・・・!」



だが止められない。
核心の言葉が口を出そうになる。



それを遮ったのは冷たい鉄の塊。


ミナトの鼻先に、黒い手に握られたリボルバーの拳銃が突きつけられていた。


「ア・・・・・・アキト君?」


うろたえるミナトから、視線と拳銃が右にそれていく。



シャリーン



銃口が向けられた先には、赤い義眼の男がいた。


「迂闊なり、テンカワ・アキト。我々と一緒に来てもらおう」


そう言う北辰の後ろから、六人衆たちが姿をみせる。

「な、何あれ?」

ミナトのすぐ横で放たれる拳銃。
六発の小さな鉄の塊を吐き出す。
だがその銃弾は、すべて弾かれた。


「重ねて言う。一緒に来い」

「アキト君?」

「手足の一本は構わん・・・・・・斬!」


その声と共に、六人衆が短刀を構える。
いつでも襲い掛かれる体勢だ。

「あんたたちは関係ない。とっとと逃げろ!」

弾を込めたリボルバーを再び構えながら言うアキト。

「こういう場合、逃げられません」

だが、ルリはこの場を離れることを拒否する。

「そうよねぇ・・・・・・」

やや引きつりながらも同意するミナト。



「女は?」

北辰に聞く六人衆の一人。
アキト以外のターゲットへの対処は、予め決められてはいないからだ。

「殺せ」

短く答える北辰。

「小娘は?」

別の一人が、ルリに対する処置も問う。
ルリも北辰たちにとっては、ついでのことでしかないのだ。

「あやつは捕らえよ。
ラピスと同じく金色の瞳。
人の業にて生み出されし白き妖精・・・・・・。
地球の連中はほとほと遺伝子細工が好きと見える。
汝は我が結社のラボにて、栄光ある研究の礎となるがいい」



シャリーン



ルリの頭に閃くものがあった。

「あなたですね?A級ジャンパーの人たちを誘拐していた実行部隊は」

「そうだ」

事もなげに認める北辰。
この男こそが、アキトの敵なのだと知るルリ。
金色の瞳を鋭くし、北辰を睨む。

「我々は火星の後継者の影・・・・・・。
人にして人の道をはずれたる・・・・・・外道」

「「「「「「すべては新たなる秩序のため!」」」」」」




「ハッハハハハハハ」



突然響く高笑い。
それは北辰たちの唱える新たなる秩序を嘲笑うかのように聞こえた。

北辰たちの後方に白い学ランを着た長髪の男が現れる。

「新たなる秩序、笑止なり。確かに破壊と混沌の果てにこそ、新たなる秩序は生まれる。
それゆえに生みの苦しみを味わうは必然。しかし!草壁に徳なし」

「久しぶりだな、月臣元一朗・・・・・・。
木星を売った裏切り者がよく言う」

「そう・・・・・・。 友を裏切り、木星を裏切り、そして今はネルガルの犬」


墓地のいたるところから、黒いスーツを着て武装した男たちが現れる。
それはネルガルのシークレットサービスであった。

さらにはイネスの墓から巨体の男が出てくる。

「久しぶりだな、ミナト」

そう言ったのはゴート。

「そ、そうねぇ・・・・・・」




「隊長・・・・・・」

大多数によって完全に包囲されている状況。
六人衆にも動揺が生まれている。

「あわてるな」


「テンカワにこだわりすぎたのがアダとなったな」

そう言うのは月臣。

事実、北辰のターゲットはあくまでテンカワ・アキトでありホシノ・ルリではない。
それはこの場でルリの処遇を問うた、北辰たちのやり取りにも現れている。

火星の後継者達は知らないが、ホシノ・ルリがナデシコCを駆れば、驚異的な力を示すだろう。
だが、それも発揮できる状況があってのこと。
火星にいる草壁春樹を攻撃するには、A級ジャンパーが必要不可欠だ。

ホシノ・ルリがナデシコCを駆っても、A級ジャンパーがいなければ、数週間かけて火星まで航行しているうちに、すべてが終わる。
逆にホシノ・ルリがいなくても、A級ジャンパーがいれば、火星への襲撃は可能だ。

ホシノ・ルリとナデシコCが何をしようとも、火星にいることが前提条件となるからには、まずはA級ジャンパーを押さえるのが道理。
自ずとターゲットの優先順位が決まってくる。
無論、この方程式もネルガルが保有するもう一人のA級ジャンパーの存在を知らないから成立しているのだが・・・・・・。




「北辰。ここは死者が眠る穏やかなるべき場所・・・・・・。
おとなしく投降せよ」

「しない場合は?」

「地獄へ行く」

「そうかな?烈風・・・・・・」

北辰の指示によって動き出したのは烈風と呼ばれた男。
左手の小刀を突き出し、月臣に向かって駆けていく。

「しぇあああ!」

狙いは突進からの抜刀術。

交差する瞬間、烈風の抜刀術を交わす月臣。
そのまま烈風の顔面を掴んでいた。


「木連式"抜刀術"は暗殺剣にあらず」

そう言いながら烈風を掴む手に力を込める月臣。
更に向かってくる二人の男に烈風を投げつける。

「うっそぉ〜?」

その常識離れした月臣の力に驚きの声を上げるミナト。
バカなところしか見たことがなかったので、こんなに強いとは思いもしなかったのだ。

「木連式"柔"」




(殺しておらんか・・・・・・)

投げられた烈風を見る北辰。


「邪になりし剣・・・・・・我が柔には勝てん。
北辰!投降しろ!」


(腕は上がっておるが、甘いままだ。
それでは我の相手は務まらん。
やはりヤツこそが・・・・・・)

アキトの視線を感じながらそう思う北辰。

(しかしここでは邪魔が多かろう)

「跳躍」


「ボソンジャンプ!?」

(我らの決着の場にて・・・・・・)

「テンカワ・アキト・・・・・・また逢おう」

そう言い残して北辰たちは掻き消えた。


「単独の・・・・・・ボソンジャンプ」



「ヤツラは・・・・・・ユリカを落とした。
草壁の大攻勢も近い。だから・・・・・・」

「だから・・・・・・?」

「君に、渡しておきたいものがある」

アキトは身を翻し歩き出す。
場所を変えようということだ。

ルリもそれを察して後ろを着いていく。

「ちょっとルリルリ?」

驚いてミナトも二人を追い、月臣とゴートもそれに倣った。










アキトが向かった先は、小高い丘のようになっていた。

優しく吹く風。
太陽の光に映える緑。
その中をゆっくりと歩き、登っていく。


手を伸ばせば触れられるアキトの背中。
それを見つめながら、ルリは思う。




想いを伝えたい




でも、アキトさんは昔に戻りたがっているかもしれない。
あの時失った未来を欲しているかもしれない。


アキトさんの望んだ家族・・・・・・。


その時間を再び動かしたいのなら・・・・・・私はただの家族として生きてもいい。
アキトさんが望むなら・・・・・・私はこの気持ちを隠したまま、妹にでも娘にでもなっていい。

たとえ報われることがなくても。


アキトさんさえ、傍にいてくれるのなら・・・・・・。








止まったアキトの背中に、思考を中断させるルリ。

振り返ったアキトの右手には、紙切れが握られていた。
渡したいものがそれであると察して受け取る。

目を通すと、すぐに顔色が変わるルリ。
そのままアキトにつき返す。

「私・・・・・・こんな物貰えません。
それは、アキトさんがユリカさんを取り戻したときに必要なものです」

(私たち家族が再出発するために・・・・・・)


「もう必要ないんだ・・・・・・。
君の知っているテンカワ・アキトは死んだ。
彼の生きた証、受け取って欲しい」

「それ、カッコつけてます」

ルリは受け取ることを拒否する。

見た目の印象とは裏腹に頑固なルリ。
それは親しいものしか知らない彼女の姿。

金色の瞳は、アキトの心を射る。
ルリの声は、アキトの心を揺さぶる。



「違うんだよルリちゃん・・・・・・」



それまでとは口調の違う、優しげなアキトの声。
"カッコつけていた"それまでのアキトではなく、"本当の"アキトの声。


弱い・・・・・・アキトの声。


本当ならば冷たく突き放すべきだった。
だけどもう、想いは抑え切れない。

「やつらの実験で・・・・・・頭ん中かき回されてね。
それからなんだよ・・・・・・」

バイザーに手をかけるアキト。


きっと彼女は同情するだろう。
必要なくなった自分にも、情けをかけてくるだろう。
捨てること、断ち切ることなど出来ないだろう。

これを最後の別れとするならば、それは教えてはならないことだとアキトは知っている。


だが、止まらなかった。


覆っていたバイザーが外れていくと、ルリの姿がぼやけていく。
そこにいるのがわかる程度だ。

「特に味覚がね・・・・・・・駄目なんだよ。
感情が高ぶるとね、ボウッと光るのさ。マンガだろ?」

弱い自分を哂ってしまうアキト。
それは自嘲だが、後悔、悲哀の成分も多分に含まれていた。

「もう・・・・・・君にラーメンを作ってあげることはできない」



呆然としているルリに近づくアキト。
レシピを握らせると、ゆっくりと下がっていく。








(もう・・・・・・家族はいらないんですか?
もう・・・・・・昔に戻る気はないんですか?)

遠ざかっていくアキト見ながら、ルリは心の中で問いかける。

(だったら私は・・・・・・私は貴方の妹でも、娘でもないですよね?
だったら私は・・・・・・私は貴方の"家族"じゃないですよね?)

すがるような瞳でアキトを見るルリ。
アキトは5メートルほど距離を置くと、ジャンプの準備に入っていた。

(だったら私は・・・・・・私は貴方の何ですか?
だったら私は・・・・・・私は貴方の何なんですか?)


アキトと自分。
アキトにとっての自分。
その答えを見出すことが出来ない。
でも唯一つ、わかることがる。

"家族"でなくなった自分は、アキトの隣にいるべき理由が無い。


傍に・・・・・・いることさえできない。










だったらせめて


想いだけでも









「アキトさん・・・・・・私は・・・・・・」





「ずっと・・・・・・ずっと貴方が好きでした」









それはずっと持ち続けていた想い。
アキトがいなくなってからも変わることがなかった想い。
そしてこれからも、変わることがないだろう想い。







ルリの告白を聞いたアキト。
少し照れた顔をした後、優しく、それでいて寂しそうな微笑を浮かべた。
そしてゆっくりと唇を動かす。



「知ってたよ・・・・・・」



そう、アキトは知っていた。

ずっと傍にいた少女が、自分に好意を寄せていたことを。
そして自分の中にも、彼女への好意が生まれていたことを。

一人になるのが怖かったアキト。
いつも隣にいてくれた少女に惹かれたのは、むしろ必然だったのかもしれない。

だけど、アキトは"家族"を選んだ。
ルリの想いを知っていて、自分の想いに気付いていて、その上で"家族"を選んだ。
今ある"家族"という確かなものを壊すのが怖かったから・・・・・・。



だが、それもこれも、もう取り返しえぬ過去のことだ。
彼女の想いさえ・・・・・・。





知って"いた"

アキトがそう言ったことに気付くルリ。
自分の言葉、自分の想いは、過去のものとして受け取られたのだと。

現在のテンカワ・アキトではなく、過去のテンカワ・アキトへの想いとして・・・・・・。


言葉が足りなかった。
ただそれだけのこと。

たったそれだけで想いは伝わらない。
それが”人間”というものだから。

だが、それで終わりというわけでもない。
もう一度伝えればいい。
正しい言葉を正しく使って。

ルリは想いを込めて、再び口を開こうとする。



しかし彼女には、その時間は与えられない。
アキトは光る粒子に包まれ始めていたからだ。



アキトがこの場からいなくなろうとしていることに気付くルリ。
微笑を返すアキトに向かって走る。
そして必死にその手を伸ばす。


「アキトさん!」


彼女の声に、思わずその手を掴もうとしてしまうアキト。
手に持っていたバイザーを離して手を伸ばす。


近づく二人の手は、互いの心を繋ぐかのように見えた。




しかし、運命は再び二人をすれ違わせる。




僅かのところで、ルリの手は空を切る。

何も・・・・・・掴むことは出来なかった。



「アキト・・・・・・さん・・・・・・」



呆然とアキトの消えた場所を見つめるルリ。
そこには、漆黒のバイザーが残されていた。














アキトとルリの逢瀬を見守り終えると、静かに目を閉じる月臣。
月臣が今日ここに現れたのは、彼なりの目的があるからだ。


「アンタ、今までどこにいたのよ?
ユキナもアンタのこと、心配してたのよ」


心を落ち着けている月臣に声がかかる。
それはルリの様子を見ていたミナトからのものであった。

途端に高鳴る心臓の音。
落ち着かせていた心は、再び乱れる。


(逃げるな!)


自分にそう言い聞かせる月臣。 まぶたを開けて、ミナトの顔を見る。

月臣のただ事ならぬ様子に気付くミナト。
息を飲むと、黙って月臣の言葉を待つ。


今日は驚いてばかりだった彼女。
だが、最大の驚きはこれからだった。


「九十九を撃ったのは・・・・・・俺だ」


「え・・・・・・?」

月臣のその言葉は、ミナトの表情を凍りつかせた。

一瞬、言葉の意味を理解できないミナト。
ただ頭の中に、白い学ランを赤く染めた白鳥九十九の姿が蘇る。


「九十九を殺したのは・・・・・・俺だ」


再び言葉を重ねる月臣。
自らの罪を告白する。


「あなた・・・・・・が?」

凍りついた表情のまま、そう呟く。

それは考えてもみなかったこと。
九十九を殺したのが、親友である月臣だったなどということは。


「そう・・・・・・あなた・・・が・・・・・・」

呆然としたまま確認するように呟くミナト。
まだその事実を受け入れられてはいない。



ミナトは、九十九を殺した人間を知りたいとは思っていなかった。
知れば憎むしかないから。
だから戦争が九十九を殺したことにして、過去の出来事へと追いやっていた。

なのに・・・・・・

「何で・・・・・・何で今になってそんなこと言うのよ?
今更なんで?」

月臣に問うミナト。

「許可が欲しいから」

「許可?」

「敵となった木星人の説得に、アイツの名前を利用する・・・・・・な。
故人の墓を暴くような真似だが、それがもっとも効率のいいやり方だから。
この叛乱を治めるには・・・・・・」



ミナトを見つめたまま返事を待つ月臣。
早鐘のような心臓の鼓動は時間の感覚を狂わせ、わずかな時間も永遠のように感じた。



ミナトの表情は次々と変わる。
驚愕、怒り、悲哀、困惑・・・・・・。
様々な感情がミナトの中を通り過ぎる。
消化しきれない感情は、いまだミナトの表には出てきていない。
それほどに衝撃的だったのだ。

そしてミナトが答えを出したのは、かなりの時間を要した後だった。



「アタシさぁ、さっきアキト君ひっぱたいちゃったのよね・・・・・・」


真っ赤になっている自分の右手の掌を見るミナト。
ふっと冷やすように息を吹き付けると、そのままひらひらさせる。


「これじゃ痛くてもう叩けないわ」







右はね







心の中でそう付け加えつつ、左の手を閃かせるミナト。
アキトの時をはるかに上回る乾いた音が鳴り響く。


「アタシはそんなこと望まない!そっとしておいて欲しい!」


月臣の襟元を掴んで、睨み付けるミナト。
初めて感情を爆発させる。
涙が溢れそうになっている彼女の瞳は、月臣の心を突き刺した。



そのまま絞め殺しそうな勢いであったが、"けど・・・・・・"と呟くと視線を落とす。


「けどあの人は・・・・・・。
あの人はきっと、あなたのやることを望むんだと思う・・・・・・」

両手で月臣の胸を叩きながらそう言うミナト。
閉じた瞳から涙が溢れ、月臣の白い学ランに薄い染みを作る。

「一緒にいたのは短い間だったけど、そんな人だとわかってるつもりだから・・・・・・」

ミナトは顔を上げ、涙の溢れた瞳で月臣を見る。

「だから・・・・・・やってみせて。
あなたのすべてを賭けてやってみせて」



これが贖罪にはならないことを月臣は知っている。
ミナトが自分を赦したわけではないないことも。

月臣はただ、黙って深く頷いた。












イネス専用の研究室兼診察室。
そこにいるのは金髪の女性と黒髪の少年だ。


「ジャンプによる影響は無いようね。
部屋に戻って待機していてちょうだい」

診察を終えたハーリーに向かってそう言うイネス。

「は、はい!ありがとうございました!」

元気よくお辞儀をするハーリー。
退室すると、あてがわれた部屋に向かった。


見慣れぬ通路をきょろきょろと見ながら歩いていく。



「あれは・・・・・・」

ハーリーは、前方から通路を歩いてくる男と少女を目にする。

近づいてくる二人。

立ち止まり、口をパクパクしながら少女を見つめるハーリー。
だが少女は、彼を一切見ようとはしない。
置物の横を通り過ぎるように、少女と男は歩いていった。

二人が通り過ぎた後、振り返って後姿を見つめるハーリー。
その頬は真っ赤に染まっていた。


「かっ・・・かわいいなぁ・・・・・・」

ハーリーがそう言ったのは、バイザーを無くして視界のほとんどないアキトの手を引き、先導して歩くラピス。

(あの子もマシンチャイルドなのかな?艦長に似てる)

「どこに行くんだろう?」

ハーリーはラピスのことを知りたくて、二人の後をつけていく。



たどり着いた場所は、ついさっきハーリー自身が出てきた部屋だった。










「どうだったのアキト君?」

「イネスさん・・・・・・」

イネスは、バイザーをもてあそびながらアキトに質問する。
”答えないとこのバイザーは渡さない”ということらしい。

アキトはしばらく黙っていたが、観念したのか、それとも聞いて欲しかったのか、素直に口を開いた。

「結局・・・・・・俺には彼女を突き放すことができなかった・・・・・・・。
亡霊は消え去るべきだとわかっているのに、
彼女を悲しませるだけだとわかっているのに・・・・・・俺にはできなかったよ」


アキトは自分の両手を掲げて見やる。
かろうじてそこに何かあるのがわかる程度なのだが、アキトの瞳には、血に塗れた自分の手がはっきりと映し出されていた。


「この手で・・・・・・この血塗られた手で、彼女を抱きしめそうになる自分を抑えるのがやっとだった・・・・・・。
それも最後には・・・・・・」

アキトは手をグッと握ると、目を閉じて自嘲する。


「俺は・・・・・・何一つ貫けない。
俺は・・・・・・なんと弱い男だろう」


(何一つ貫けない・・・・・・でも、せめて・・・)




「ホシノ・ルリを拒絶できなかった・・・・・・か」

イネスは確認するように呟く。

「それが強さだったのか弱さだったのか、
正しかったのか間違っていたのか・・・・・・私にもわからないわ」


"でも"と言いながらアキトを見つめるイネス。


「でも、そんなお兄ちゃんが私は好きよ」


包み込むような優しい笑みをアキトに向ける。
その笑みは、アキトの心をほんの少し和らげた。



「ありがとう・・・・・・アイちゃん」











(ホシノ・ルリ?艦長のこと?)

「おい」

「うわ!?」

突然後ろから声をかけられて驚くハーリー。
盗み聞きしていたので余計に動揺していた。

「あのっ、そのっ、僕は怪しいものじゃなくて・・・・・・」

そう言いつつも逃げ出そうとするハーリー。
横をすり抜けようとするが、彼の足は宙から浮いていた。


「おめぇ確か・・・・・・ナデシコCに搭乗するってオペレーターか?」

ハーリーを持ち上げながらそう言うのはウリバタケ。
ブラックサレナ、ユーチャリス、ナデシコC。
すべての準備が終わったことを告げるために来ていた。

「そ、そうですっ」


返事を聞くと、暴れるハーリーを小脇に抱えながら部屋に入っていく。



入ってきたウリバタケを見るアキトとイネス。
まずどちらを先に聞くべきなのか悩むところだ。
抱えている少年についてを聞くべきか、それても頬に刻まれている引掻き傷について聞くべきか、を。

アキトたちの視線に気付くと、ポリポリと頭を掻くウリバタケ。

「コイツはそこで拾ったんでぇ」

そう言いながらハーリーを空いている椅子に置く。
それから頬に手を当てると、照れた笑みを浮かべる。


「ま、こっちは愛情の裏返しってヤツだ」





「あ、あのっ、ぼぼ・・・僕はマキビ・ハリっていいますっ。
これでも連合宇宙軍の少尉ですっ。きっ、君わっ!?」

突然、ラピスに向かってそう言い出すハーリー。
彼なりの勇気を総動員させた結果だったのだろう。

「・・・・・・」

だが、ラピスは答えない。

「ほら、ラピス」

アキトがラピスの背中を押と、ようやくハーリーを見る。

「私はラピス・ラズリ」

それだけ言うと、再びハーリーを視線の中から外すラピス。
それは拒絶とも取れる行動なのだが。

「君はどれくらいの力があるの?」

めげずにそう質問するハーリー。

自分の能力は、ルリには遠く及ばなくとも、マシンチャイルドの中では上位に位置していると自負している。
自分の優れたところを誇示して気を引こうとする・・・・・・子供にはよくある行動だ。
それがマシンチャイルドとしての性能に焦点をあてたものでなければだが。
ルリやラピスと違い、豊かな感情を持っているハーリーにしても、マシンチャイルドとしての業からは逃れられないのであろうか?

「ねぇっ?」

再びアキトに背中を押されてから口を開くラピス。
相手にしたくないのか、それとも近い世代への接し方を知らずに戸惑っているだけなのか。
それはアキトにもわからない。

「戦艦の制御なら数隻分は軽い」

「うそっ!?そんなにっ!?」





「マキビ・ハリ君・・・・・・だったかな?」

アキトは呆然としているハーリーに質問する。

「は、はいっ」

我に返って返事をするハーリー。

「君はいくつだ?」

「じゅ、11ですっ」

素直に答えてくれるハーリーに頷くアキト。

「ラピスの友達になってやってくれないか?」

それはハーリー自身が望んでいたこと。
ハーリーは嬉しそうな顔をする。

「よ、喜んでっ」

「ありがとう」

アキトは微笑んでハーリーの頭を撫でる。

「ぼ、僕っ、子供じゃありませんっ」

そう言いつつもハーリーは嫌な気はしなかった。
アキトの微笑みに優しさを感じたからだ。

「そうか・・・・・・すまない。
連合宇宙軍の少尉殿、だもんな。
俺が11の時は、てんで子供だったから・・・・・・。
早く施設を出てコックになることだけを考えていたっけな。
いや、今でも自分の感情でしか動いていない俺は、まだ子供なのかもしれない」

自分を子供だと言えるアキトの態度に、少し自分が恥ずかしくなるハーリー。

「ぼ、僕だってホントは・・・・・・まだ子供です。
僕は・・・・・・好きで軍に入ったわけじゃないです」

そう、マシンチャイルドとはいえ、彼もほんの11歳の子供なのだ。
ルリやラピスと違い感情を豊かに持っていれば、まだ人に甘えたい、友達と遊びたい歳なのだ。
彼はマシンチャイルドであることを誇りに思い、その能力を持って軍に奉職したいと望んだわけではない。
ただ、状況が彼にそれを強要しただけ。

だが、自分を子供だと認めることができたハーリーは、ほんの少し大人になれたのかもしれない。

「そうか・・・・・・」

(ルリちゃんだって、11歳で自分で生き方を選んで、戦艦であるナデシコに乗ったわけじゃないもんな)


「貴方は、艦長を知っているんですか?」

「艦長?」

「ホシノ・ルリ少佐のことです」

”艦長”で”少佐”
どちらも自分の知らないホシノ・ルリ。

後悔にも似た複雑な思いがアキトを支配する。
やはりあの時、冷たく突き放し切っておくべきだったのではないのだろうか、と。


「ああ・・・・・・」

「貴方もナデシコCに乗るんですか?
貴方もその・・・・・・元ナデシコの・・・・・・」

ハーリーは、相手が元ナデシコクルーだからといって嫌うことはない。
既にミナトに逢い、その色眼鏡が歪んでいるものだと気付かされていたからだ。
だが、気にはなる。
特にホシノ・ルリの名を口にしていた目の前のことは。

アキトは静かに首を横に振る。

「どうしてですか?」

「俺には俺の戦いがあるから・・・・・・」

(そして、俺には俺の守り方があるから)

"だから・・・・・・"とハーリーを見つめるアキト。


「彼女のこと、守ってくれ・・・・・・頼む」

アキトが真剣な目を自分に向けてくれたことで、自分を認めてくれたような気がしてハーリーは嬉しかった。
そしてアキトの言った内容が、敬愛する艦長を守るものであるのなら、ハーリーの返答は決まっていた。


「はいっ!」

















「失敗したか・・・・・・」

「申し訳ありませぬ」

草壁の前に片膝をつき、頭を垂れて、作戦失敗の報告と謝罪をする北辰。

「いい。もともと失敗の可能性のほうが高かったのだ。
お前でダメなら、他の誰が行っても同じことだっただろう」

そう言うと、火星の後継者の制服の上着を羽織る草壁。
どこか若返った印象を受ける。

「ヤツは必ず牙を剥いてきましょう。
今度は妖精をつれてくるやも知れませぬ」

それは軽視しえぬだけの戦力となるだろう。
最後にもう一つ妨害してみる予定だが、それも上手くいくとは限らない。

「わかっている。だからこそ、『サクヤ』の戦力もここ火星に集結させてたのだ。
仕掛けてくるのなら、迎え撃つまでだ」

立てかけてあった刀を手に取ると、スッと抜き放つ草壁。
まるでその刀で戦おうとしているかのようだ。

草壁は刀身に映る自分の目を見つめてから、再び鞘に納める。


「ならば、我もこちらで迎撃に当たりましょう」

北辰は立ち上がると、背を向けて退出して行こうとする。

「北辰」

その背中に草壁の声がかかる。

「はっ」

草壁に振り返る北辰。

「まもなくすべての準備が整う。
私の演説と共に、最後の作戦が開始されるだろう。
後はもう・・・・・・流れに任せるだけだ」

”だから”と言って北辰を見る草壁。

「もしも計画が敗れたときは、お前の好きにすればいい」

草壁の言葉を聞く北辰。
しばらく黙って考えていたが、静かに首を横に振る。

「我は常に、自らの意思によって選択してまいりました」

”わかっている”とばかりに頷く草壁。
”しかし”と繋げる。

「だからといって、自分の望みどおりにしてきたわけでもないだろう?」

「・・・・・・」

「決着をつけたいのだろう・・・・・・ヤツと」


草壁の目を見つつ、沈黙する北辰。
最後まで、肯定も否定もしなかった。













アキトはナデシコCを見る。
最終艤装も終え、いつでも出航できる状態だ。

ナデシコCのディストーションブレードは閉じられたままで、細長いフォルムを有している。
張り出したディストーションブレードのままでは、ジャンプフィールドを効率よく張れないためだ。
この状態では"ナデシコ"という感じはしない。
だが戦闘形態をとれば、かつてのナデシコを髣髴させる形となるだろう。



「ナデシコ・・・・・・か」



通路を通ってブリッジへとたどり着くアキト。

艦長席へと向かうと、そのシートに手を添える。
そこからブリッジを見渡し、一つ一つ記憶に残していく。
必要となってくる可能性もあるからだ。

北辰が自分との決着を望んでくるならば問題はないが、あくまで任務の遂行を優先させてくるならば、話は変わってくる。
現在、北辰はA級ジャンパーに近いボソンジャンプを行うことが出来るだろう。
ナデシコCを視認できる場所まで来れば、単独でナデシコCへの侵入を行えるかもしれない。


その時は、自分も・・・・・・。







ブリッジを出て行こうとして、ふと振り返るアキト。
艦長席に”彼女”がいるような気がした。





「守ってみせるよ・・・・・・必ず」





アキトの小さな呟きを、オモイカネだけが聞いていた。




















アキトと仲の悪くないハーリーっていうのも、たまにはあっていいかな・・・と。



 

代理人の感想

ん〜。(笑)

確かに新鮮でしたね、今回のハーリー君。

ラピスへの反応なんか素直すぎるし・・・・いいです、このハーリーくん。w

 

他の諸々含めて、クライマックスへの流れを楽しみにしています。