機動戦艦ナデシコ
The prince of darkness episode
AKITO
after story
「青」
宇宙の海を泳ぐのは、白い一隻の戦艦。
アオイ・ジュン中佐が艦長を務めるアマリリスは、いくつかの問題から出航が遅れていた。
すぐに追いかけてくることになるであろうが、今はナデシコB単艦である。
南雲たちのナデシコCは、いくつかの場所で観測された。
それらを総合すると、軍施設を迂回する感じで、火星方面へと向かっていると思われた。
そしてナデシコBも、それを追跡するルートを選択していた。
オペレーター席に座るハーリーは、ブリッジから覗く宇宙の景色に見入る。
地上からは見ることの出来ない星々が、自分を迎え入れてくれているように思えた。
宇宙に出るのは、テロリスト、テンカワ・アキト討伐の折以来だ。
その時は、三郎太が艦長代理を務めていた。
秋山源八郎中将によりテンカワ・アキト討伐艦隊が編成され、2週間後に発見、そのまま交戦。
激しい抵抗を見せた謎の黒い機動兵器と白い戦艦を撃破。
これにより、テンカワ・アキト死亡。
世間一般では、そういうことになっている。
その作戦の裏側にあるものを知らされていたのは、コウイチロウをはじめとした片手の指で数えられるだけの者達だけ。
討伐に参加した兵たちにとっては、本気の戦いだった。
ハーリーにもそれは知らされなかったが、彼にはその作戦の本当の目的が偽装であることがわかっていた。
謎の白い戦艦は、数値上は激しい攻撃をしてきたものの、単調で脅威はなかったし、オモイカネ級コンピューターの存在も感知できなかった。
第一、 出港前に"彼女"からメールで教えられていたから。
自分たちは乗っていないのだと。
宇宙軍は、ネルガルと組んで自分たちの兵すら騙し、派手な芝居をやっていたというだけの話。
確かに本気で戦ってみせなければ意味はないし、秘密は最小限の人間だけに留めておくのが最善だろう。
しかし、そんな舞台の役者を押し付けられた側としては、いい面の皮だった。
ルリもいなくなっていて、"僕は何やってんだろうな"と鬱になっていたものだ。
もっとも三郎太は、秋山の指揮下に置かれて嬉しそうにしていたのだが。
それでも、今思い返してみると、そのほうが楽だった。
成功しようが失敗しようが、自分にはさして影響はなかったのだから。
宇宙軍のお偉方とネルガルが慌てて次の手を考えるだけ。
しかし今は違う。
失敗すれば、そのまま自分に跳ね返ってくる。
自分こそが、一番困るのだ。
考えてみれば、これまでは受身の戦いしかやってこなかった。
軍の命令だからだとか、ルリや三郎太も一緒だからだとか、そういう理由でしか戦ったことがなかったのだ。
自分自身の戦い。
そう言えるのは、今回が初めて。
今までとは違う。
そう思うと、この宇宙を彩る星々の顔すら違って見える気がした。
アズも今、この星々を見ているんだろうか?
輝く星に問いかけてみるが、答えは返ってこなかった。
宇宙からブリッジ内に意識を戻すと、スクリーンにはカイゼル髭のオッサンが映し出されていた。
現ナデシコB艦長たるミスマル・ユリカと話をしている。
彼女は彼の娘だということなのだが、全然似ていないと思う。
ただ、あの青く伸びる髪は、誰かを連想させた。
「どういうことですか?」
「物資搬入はネルガルの・・・・・・」
「ですがそれでは時間ロスに・・・・・・」
「追いつけても勝てなければ意味は・・・・・・」
「あ、そこ懐かしい名前・・・・・・」
ユリカとコウイチロウの会話を聞き流しながら、軍の回線に一般回線を紛れ込ませる。
目的は自分宛のメールの受信だ。
公務に紛れて私的なことをやっているという後ろめたさはあるが、ユリカとコウイチロウの会話も段々と軍務とは関係ないことになってきていたので、まあいいかで済ますことにする。
来ていたメールは2通。
一つは両親からのものだ。
両親は血が繋がっているわけではないが、ハーリーを本当の子供のように扱っている。
軍への入隊に関しても、ネルガルや軍政府に逆らえない自分たちを申し訳なく思っていて、いつもハーリーの事を気にかけていた。
ルリの養父母とは大きな違いだ。
そうでなければ、ハーリーは今のような性格にはなっていないのだろうが。
メールを開くと、自分を気遣う言葉が所狭しと記されていた。
無事を願ってくれる父と母。
そんな存在がある自分を幸せに思う。
それと同時に、アズーレには誰かいるのだろうかと心配になった。
そう、自分はアズーレのことを知らないのだ。
自分が施設から引き取られていった後、アズーレも里親をつけてもらえたのか?
いつ、どういう経緯で、火星の後継者と組むことになったのか?
本当に何も知らない自分がいることに気付く。
ネルガルのデータベースにはおいそれとアクセスできないし、それは違法行為に当たる。
それでも、出港前に調べておくべきだったと後悔した。
もう一通の方。
ノンタイトルのメールだ。
メールにタイトルをつけないのは"あの子"の癖だ。
一般的にはいいことではないのだが、それを彼女に求めても聞き入れようとはしなかった。
一応ウイルスチェックをしてから、メールを開こうとする。
「な〜にやってんだ?」
「うわぁっ?」
突然かけられた声に驚く。
声の主は三郎太だった。
メールの吟味に勤しんでいたハーリーは、接近してきていた三郎太に気付かなかったのだ。
「ノ、ノックくらいしてくださいよっ! だいたい三郎太さんはいつもデリカシーに・・・」
支離滅裂なことを言いながら慌ててウインドウを閉じる。
しかし、その動揺ぶりは隠し切れない。
「おっ? その慌て振りからすると、エッチなサイトでも見てたかぁ?」
「ち、違いますよっ! 三郎太さんと一緒にしないでくださいっ!」
顔を真っ赤にして叫ぶハーリーを見て、三郎太は満足そうに笑った。
自分をからかって遊んでいる。
そのことに気付いたハーリーは、居住まいを正して自分を落ち着ける。
「どういうことになってるんですか?」
まだ通信をしているユリカをチラリと見ながら三郎太に問う。
「ん〜・・・・・・ちょっと寄り道していくことになりそうだな」
「寄り道? どこにです?」
「サツキミドリ4号ってとこ」
「名前からすると、ヒサゴプランのターミナルコロニーじゃないですね」
「そ。ネルガル系のコロニーらしいな。
補給物資の積み込みをするってさ」
準備が不十分であったことはハーリーもわかっている。
アマリリスは出港が遅れ、三郎太は自分の機体すら持っていない状態なのだ。
現在のルートから大きく逸脱せずに補給を受けられるのは、民間のコロニーしかない。
敵は軍施設を避けていて、ナデシコBもそれを追っているのだから。
司令部はそうなることを予測し、予めネルガルに依頼をしていた。
複数のコロニーで補給準備をして待っていてくれているのだ。
それに、アマリリスの追いついてくる時間も稼げる。
色々な面で、意味のある寄港となるだろう。
「じゃあ、船をそっちに・・・」
さっそく艦のオペレートに入ろうとするハーリー。
しかし、三郎太はそれを止める。
「進路の変更は、艦長に指示されてから・・・・・・だろ?」
「別に変わらないでしょ?」
三郎太は、"やれやれ"とため息を吐く。
艦長がユリカに変わっても、もっと簡単にいくと思っていた。
ところが、ハーリーは思った以上に頑なでギクシャクしている。
これは予想外だった。
まあ、だからこそ人間関係は面白いのだが。
ユリカは、"子供なんだからしょうがない"程度に見ているが、さすがにこのままではいけないだろう。
ルリが艦長の時とは違い、今は艦長とオペレーターの信頼関係こそが、この艦の生命線となるのだから。
ルリが艦長の時は、ルリが自らオペレートしていた。
ハーリーの役割は、サポートに過ぎなかった。
だが、今は違う。
オペレートはハーリー一人が行っている。
ルリの時とは違い、艦長の判断が艦にダイレクトに伝わらないのだ。
もっともこれは、ルリの場合が特殊だっただけで、今ある形こそが通常に近いのだが。
ユリカがどのような操艦をしようとしても、それをハーリーが正しく受け止めなければ、望む結果を得られはしない。
ゆえに、艦長とオペレーターの関係がこれでは困るのだ。
ただ、上から強制するようなことはしたくない。
自分から考えるようにしてもらいたい。
三郎太は、そう思う。
三郎太は"ちゃんと命令されてからな"と念を押した後、頭を掻きながら離れて行く。
しかし、その行き先は自分の席のほうではなかった。
「どこ行くんです?」
「デートだよ。中尉と約束してんでな」
三郎太はそう答えながら、ブリッジから出て行った。
「デートって・・・・・・どこで?」
疑問を口にするが、答えてくれる相手はもういなくなっている。
"まあいいか"と思いつつ、再びメールを読もうとウインドウを開く。
「ああ〜っ!?」
驚きの悲鳴をあげるハーリー。
浮かんでいるウインドウを引っ掴み、顔の前まで持ってくる。
しかし距離が変わったところで、何の変化もない。
「なんでっ? どうしてないのっ?」
ウインドウからメールがなくなっていたのだ。
三郎太に声をかけられた時、慌てておかしな処理をしてしまったようで、"あの子"からのメールは消失してしまっていた。
「そりゃ二人の問題・・・・・・だろ?」
「そうも言ってられないのが現状で・・・・・・」
"しょ!"と言いながら、赤いエステバリスからのレールカノンを避ける三郎太。
操っているのはアルストロメリアだ。
暗い宇宙のステージに、白い機体が映えている。
まだ補給されているわけではないが、そのデータはすでにあり、シミュレーションでは使えていた。
レールカノンを持たせ、射撃戦にも対応させている。
リョーコがエステバリスカスタムにレールカノンを持たせたのと同様、本来的な装備ではないのだが。
アルストロメリアが使うボソンジャンプ自体には、リョーコはそれなりに対応できている。
アルストロメリアはボソンジャンプできるとはいえ、ジャンプにはパターンもあるし、ジャンプアウト時にはタイムラグもある。
すばやく動き回る機動兵器を相手にするには、いささか使い勝手が悪い戦法であろう。
ジャンプしたはいいが、その直後の無防備なところを狙われやすいという欠点もある。
高い技量を持つパイロットが相手になると、それは致命的な隙となる。
北辰が戦闘自体にはあまりジャンプを使わなかった理由はそこにもあった。
そしてスバル・リョーコ。
彼女も、高い技量を有するパイロットの一人だった。
ただ、ボソンジャンプする機動兵器に有用性がないかといえばそうではない。
奇襲で相手の虚をつける場合や距離を置き離脱する場合。
また、障害物を越えられるという利点もあり、その用途は幅広い。
特に戦艦のディストーションフィールドに侵入できる点は大きい。
戦艦では、ボソンジャンプのパターンが読めたとしても、機動兵器と違いレスポンスが遅く対応しきれないのだ。
戦艦一隻でも落とすことに成功すれば、高価な機体でも十分お釣りが来る。
現在的に主力機となっているのは当然だろう。
「とにかく歩み寄る機会を作るくらい・・・・・・は!」
「見た目によらず神経細けぇな、オメェは・・・・・・よ!」
会話を続けながら、レールカノンを撃ち合う両者。
射撃と回避を繰り返しながら、互いに距離を詰めるタイミングを計っている。
たいていの場合、先に痺れを切らすのはリョーコの方だ。
今回もそうなった。
やや強引に接近を図り、勝負を決めにくる。
展開としては三郎太の予測どおりで、ここを狙い撃ちたい。
レールカノンを撃ちつくすつもりで、激しい砲弾の雨を浴びせる。
しかし、リョーコの優れた技量が、三郎太の射撃を上回った。
そのフィールドを削ることには成功したものの、エステバリス本体にはダメージを負わせられない。
勢いに乗ったまま迫る赤いエステバリス・カスタム。
その手にはフィールドランサーが握られていた。
いなそうとするアルストロメリアの横をすり抜ける。
その直後、三郎太のシミュレーターのスクリーンには、"負け"の文字がでかでかと躍った。
「あちゃ、おしゃべりに熱中しすぎたっスかね」
「負け惜しみ言ってんじゃねーの。
おら、も一戦いくぞ」
少し苛立ちながらそう言い放つリョーコ。
勝率はリョーコの方が上回っている。
が、それほど明確な差があるわけでもない。
技量から言えば、リョーコの方が明らかに上だ。
IFSや小型機動兵器への搭乗時間、経験の違いは確実にある。
長年、ジンタイプのような大型機動兵器のみを扱ってきた木連軍人であった三郎太には、この道のベテランであるリョーコに対し、追いつけない部分があるのは自然なことだ。
それでもやや均衡した結果になっている。
その最大の要因となっているのは、互いの搭乗している機体の性能差にあった。
三郎太が使用しているのは、ネルガルの新鋭機であるアルストロメリア。
それに対するリョーコは、旧式となっているエステバリス。
すでに基本性能から違っている。
リョーコのエステバリスも改造はしてあるが、それでも新鋭機との差は埋めがたくなっているのだ。
少なからず限界を感じ始めているリョーコだった。
その頃、宇宙軍から強奪されたナデシコCは、ナデシコBの先にいた。
ナデシコ級戦艦ならば、半日で埋められる距離といったところだ。
が、どちらも動いているので、その差は少しずつしか縮まってはいかない。
3隻の木連式戦艦を周囲に引き連れ、悠然と宇宙を進む。
ナデシコCから見て、この位置関係は護衛されているようでもあり、包囲されているようでもあった。
ブリッジの艦長席には、青い髪と金色の瞳を持つ少女が座っている。
身に付けているのは、宇宙軍の上級士官の軍服。
着替えがないか探していて、オモイカネに薦められたのがこれだった。
それは、かつて"電子の妖精"と呼ばれた少女が着ていたものだ。
ただ、似合っているかといえば、そうではない。
ストッキングをはく習慣がないので生足を晒しているし、少し大きめで、どこか服に着せられているといった感じだ。
自分でもそれがわかっているのか、難しい顔でファッション誌を見ている。
その雑誌は、ネルガルの資本で作られた出版社が発行しているものだ。
これも艦内に残されていたものなのだが、勝手に私物化している。
もっとも彼女に言わせれば、この船自体がすでに彼女個人の所有物となっているのだが。
「オモイカネ、お茶」
ファッション誌のページを捲りながらそう言うアズーレ。
すると、30秒もしないうちにブリッジの扉が開き、3機の小型のバッタが姿を現した。
バッタはそれぞれ緑色、青色、桃色の体を持っている。
ナデシコCに運び込まれた小型のバッタには、カラフルな塗装がなされていた。
オモイカネはそれらを操り、艦内の雑務もこなすようになっている。
3機のバッタは、カシャカシャと機械音を立てながら歩いてくる。
先頭の緑バッタは湯気の立つ湯呑を乗せていて、後に続く青色と桃色は、お茶菓子を乗せていた。
艦長席の右側に位置すると、並んで背中に乗せたお茶やお茶菓子を差し出す。
【どうぞ】
銅鐸の描かれたウインドウが現れ、自慢気な鐘の音が鳴り渡った。
アズーレは偉そうに頷くと、右手で湯呑を持ち上げる。
そしてすぐさま口をつけた。
その瞬間、アズーレの眉が僅かにつりあがる。
「熱すぎるわ」
【ゴメン】
「役立たず」
ガガーンという音と、ひび割れた銅鐸の映るウインドウが現れる。
「冗談よ」
アズーレは、クスリと笑うと、さらに悪戯っぽい表情になる。
「ふぅふぅして冷ましなさい」
さらに無理難題を吹っかけてみる。
オモイカネのリアクションが面白いので、退屈しのぎにからかってみようというのだ。
【らじゃ】
「できるの!?」
できないだろうと思って言った注文に、イエスの返答が返ってきて驚く。
思わず身を乗り出すが、その彼女の前には大きなウインドウが開かれた。
【冗談】
楽しそうな鐘の音が鳴り響く。
からかうつもりが、逆にからかわれてしまった。
アズーレは、途端に不機嫌になる。
「主人をからかうとはいい度胸ねっ」
先にからかおうとしたのはアズーレの方だ。
一方的にオモイカネを責めるのは理不尽というものだろう。
が、そんな良識だとかいう言葉は、彼女の辞書には載っていないらしい。
【怒った?】
【ゴメン】
【もうしないから】
アズーレの周囲にオモイカネの謝ってくるウインドウが幾重にも開き、理不尽な暴君を宥める。
オモイカネの謝罪攻勢に気が殺がれたのか、アズーレも"まあいいわ"で済ませた。
そうこうしているうちに少しは冷めてきたのか、湯呑みを傾けお茶を口に含む。
"味はまあまあね"と、気難しいアズーレも満足したようだった。
「・・・・・・」
桃色のバッタに乗っているお茶菓子を取ろうとして、その手が止まった。
湯呑みを緑のバッタに戻すと、席を立ち、桃色のバッタの後ろに回る。
お茶菓子をどけて横に置くと、桃色のバッタを睨みつけた。
「えいっ」
アズーレは、掛け声をかけながら桃色のバッタにピョコンと飛び乗る。
「・・・・・・」
足元のバッタを見るが、何の変化もない。
アズーレは、もう一度飛び跳ね、再びバッタの背中に着地する。
【何やってるの?】
「見てわからないのっ?
壊そうとしてるのよっ」
彼女としては、踏み潰そうとしてやった行動らしい。
しかしその軽い体重では、バッタはびくともしなかった。
【無理】
【小型でも一応兵器】
ウインドウを見て、"ムムムッ"と眉間にシワを作るアズーレ。
ムキになって何度も飛び跳ねるが、やはり結果は変わらなかった。
肩で息をしながら艦長席に戻るが、その関心はピンク色のバッタから離れてはいない。
「そのバッタ、すぐに廃棄しなさいっ」
【もったいない】
【手足が減る】
「だったら、私に見せないようにしてっ」
【どうして?】
「どうして・・・・・・ですって?」
脳裏に、一人の少女の姿が浮かび上がる。
その少女は、そのバッタと同系統の色の髪を有していた。
アズーレは、奥歯を強くかみ締める。
その金色の瞳には、憎悪の焔が生まれていた。
「その色・・・・・・嫌いなの!」
彼女の瞳に踊るのは、憎悪だけではない。
様々な要素が入り混じっている。
それは複雑すぎて、オモイカネには把握しきれなかった。
オモイカネは、それ以上聞くことはなかった。
アズーレの希望通り、ピンクのバッタを退出させる。
アズーレは、それを見送ると、オモイカネに新たな命令を下す。
「アイツらと回線開いて南雲を呼び出しなさい」
彼女の右手には、さっきまで読んでいたファッション誌が握られていた。
ナデシコBは、昼食時になっていた。
ハーリーは、食堂に入ると三郎太を探す。
一緒に食べるのが習慣だからだ。
三郎太が座っているテーブルを見つけると、すぐに足を向ける。
三郎太が誘ったのか、テーブルにはリョーコの姿もあった。
三郎太とリョーコの前には、昼食は置かれていない。
先に食事を始めず、リョーコと話をしながら待っていてくれたようだ。
ハーリーは"お待たせしました"と三郎太とリョーコに頭を下げる。
三郎太はそれを見ながら、この素直さをミスマル艦長にも向ければいいのにと思った。
一緒に昼食を取りに行き、再び席へと戻る。
ハーリーの隣には三郎太。
その対面にはリョーコの顔が見える。
リョーコと三郎太は、午前中の訓練を話題にしている。
ハーリーは、それを聞きながら、自分にもするべき訓練があることを思い出す。
「三郎太さん。後で訓練お願いします」
「訓練?」
リョーコは、怪訝そうにハーリーと三郎太を見る。
三郎太は"木連式をちょこっとね"と笑うと、ハーリーに向き直った。
「いつ戦闘があるかわかんねぇんだ。ほどほどに・・・・・・な」
横で聞いていたリョーコは、"それなら"とハーリーに語りかける。
「じゃあ代わりに、オレが射撃を教えてやんよ。
反動の少ないのを使えば、負担もそうないだろ?」
"バーン"と銃を撃つ仕草をするリョーコ。
ハーリーの師匠役を買って出る。
まだ仲は浅いが、この軍艦で頑張っている年端もいかない少年に好意的になるのは当然だろう。
「コイツには俺が教えるからいいスよ」
ハーリーではなく、三郎太が勝手に断りを入れる。
ハーリーの師は、あくまで自分だと思っているのかもしれない。
「いい師匠についたほうが、上達も早ぇだろ?」
「俺じゃ役不足だと?」
「そうは言わねぇが、オレのほうが・・・・・・」
「そんなこと、誰が決めたんスか?」
三郎太も引かない。
IFSを使った小型機動兵器の技量ならば、経験の差もあり、リョーコの方が優れていることは認めている。
しかし、自分で撃つ射撃ならば話は別だ。
自分とて、木連時代からしっかり訓練をしてきている。
機動兵器と違い、今も昔も使っているものにそう変わりはないのだ。
ただリョーコも、射撃は特技の一つだ。
負ける気は毛頭ない。
だから、まるで挑発するかのように言う。
「それじゃあ勝負すっか?」
「望むところっスよ。何か賭けます?」
「上等だ」
顔をつき合わせて不敵に笑いあうリョーコと三郎太。
互いに、自分が負けることなど微塵も考えていないように見えた。
「ちょ、ちょっと二人とも・・・・・・」
ハーリーは慌てて止めようとしたが、二人の顔を見てやめた。
ムキになって争っているのではなく、面白くしようという意思の元に動いている。
それがハーリーにもわかったから。
"勝手にしてください"と呟きながら食堂を見渡していると、厨房の近くで、ユリカが立っているのが目に入ってきた。
ユリカは、定食の乗ったトレイを持ったまま、厨房の方をじっと見ている。
"何をやってるんだろう?"と思いつつ眺めていると、三郎太も気付いたようで、ハーリーの疑問を代弁してくれる。
「なにやってんスかね、アレ?」
三郎太に促され、そちらに視線を向けるリョーコ。
ユリカの様子を見て、少し複雑そうな表情を浮かべる。
「・・・・・・探してんのさ」
「デザートとか?」
「今日のは味気ないですもんね」
「ちげーよ!」
「じゃあ何なんです?」
「それは・・・」
リョーコは言いよどむ。
なんだと聞かれたからといって、軽々しく口にできることでもないからだ。
ただ、リョーコにはわかる。
ユリカは、"アイツ"を探しているのだということが。
なぜなら、自分もそうしてしまったから。
たとえ居るわけがないと分かっていても、どうしても厨房を覗いてしまう。
多分、それは理屈ではない。
「ま、何でもいいじゃねぇか・・・・・・」
リョーコは立ち上がると、右手を上げ、彼女の名を叫んだ。
リョーコがユリカを呼び、席を共にすることになった。
ユリカは、ハーリーの対面に座る。
ハーリーは、自分に断りもなくユリカを呼んだことを不満に思ってしまう。
元々ユリカに対して含むものを持っているし、今日は"あの子"からのメールをなくしたりして、ナーバスになっているのだ。
ユリカは、ハーリーの不満げな視線に気付くが、朗らかな笑顔を返した。
さっきまで厨房を見つめている時の憂い顔からは、想像できないほど明るい笑顔だ。
ハーリーは、こんな風に笑える大人を知らない。
「どうっスか、これからも一緒に食事をするってのは?
お互いまだ知らないことも多いし、ここで話でもしながら・・・ってのがいいと思うんスよ」
三郎太の提案に、リョーコとユリカは同意を示す。
が、それで決定との答えは出ない。
皆、ハーリーの意見を待っているようだ。
「お前だって艦長のこと知りたいだろ、ハーリー?」
ユリカと親しくさせようという意図が、露骨に感じられる。
少なくとも、神経過敏になっているハーリーにはそう思えた。
何より、”艦長”という言葉が癇に障るのだ。
そのため、思わずカッとなってしまう。
テーブルを叩きながら立ち上がり、三郎太に噛み付いた。
「三郎太さんはなんとも思わないんですかっ!?
ここはナデシコAでもナデシコCでもないっ。
このナデシコBは、"僕たちの船"なんですよっ!?
他人があの席に座るの、笑って受け入れられるんですかっ!?
もう"艦長"のこと忘れちゃったんですかっ!?」
”艦長”とはもちろん、三郎太が言ったユリカではなく、前任者のホシノ・ルリを指していた。
艦長と呼ぶべきなのは、この人ではない。
そう言ったも同然だった。
それはユリカやリョーコの前で言うべきことではなかったのかもしれない。
それでも、言ってしまったからには引っ込みがつかない。
ハーリーは、三郎太を見つめながら答えを待つ。
三郎太も、ハーリーに引き摺られるように、トレードマークとなっている軟派な笑い顔を引っ込めた。
「忘れたりなんかしねぇよ。
"艦長"・・・・・・ホシノ少佐は、俺にとって"大切な昔の仲間"だ」
「昔の?」
「そ。良かったじゃねーか。
これでお前も、ヤキモチ妬いてた"艦長の昔の仲間"ってヤツだ」
「昔だなんて・・・・・・。僕はまだっ」
「それが事実だろ」
「でも・・・・・・」
ハーリーは、下唇を噛みながらテーブルに置いた手に視線を落とした。
しばらくして、まだ食べかけだった昼食のトレイを持ちあげる。
「ハーリー」
三郎太は、ハーリーを呼び止めた。
ハーリーは、歩みを止め、三郎太の言葉を待つ。
ずっと同じ仲間と一緒にいられるわけじゃない。
かつてナデシコAに乗っていたホシノ・ルリ。
彼女は、ナデシコBで、三郎太やハーリーといった新しい仲間を得た。
その時、ナデシコAの仲間は、彼女にとって昔の仲間となった。
それは、ある意味で自然なことだった。
そして時が移ろい、再び別れが訪れた。
かつて、ナデシコAの仲間が"昔の仲間"になったように、ナデシコBでの仲間も"昔の仲間"になった。
それもまた、ある意味で自然なことだった。
遅かれ早かれ別れはあるものなのだ。
それは、三郎太も、リョーコも、そしてユリカも同じ。
皆、出会いと別れを繰り返した末に、今ここにいる。
そしてハーリーもその体験をした。
ただそれだけのこと。
これからも、それを繰り返していく。
昔の仲間を忘れる必要はない。
ただ、新しく得た仲間も大切にしよう。
三郎太はそう思う。
が、彼が言葉にしたのは、ただの一言だけだった。
「この世に永遠なんてないんだ」
それを聞き、ハーリーは少し考える顔をする。
その短い一言に、いろんな意味を込めていることはわかる。
自分で考えてみろと、促していることも。
でも今は、その意味を知りたいとは思わなかった。
ハーリーは軽く頭を下げ、再び歩き出した。
食堂を出て行くハーリーを見送る3人。
不満顔をしているのはリョーコだ。
三郎太がそれに気付き声をかけると、リョーコは三郎太に向き直って口を開いた。
「アキトやルリは俺の仲間だった。
今も、大切な昔の仲間だ。
どれだけ時が経とうと、俺やあいつらが死のうと、たとえ敵になって殺しあうようなことになっても、"大切な昔の仲間"っていう事実は変わんねーよ。
永遠に・・・・・・な」
リョーコの言うように、変わらないものも確かにある。
三郎太自身、木星人であり、今でも木星を愛している。
地球人と木星人。天秤にかければ、やはり木星人の方に傾く。
それはきっと、この先も変わらない。
「こりゃ一本取られたっスね。
んじゃ、永遠に続く今はない・・・・・・っていうことにしときましょうかね」
"それならよし"と頷くリョーコ。
ついっと、ハーリーがいなくなった空の席を見る。
「けどアイツ・・・・・・とてもじゃねぇが、納得したって感じじゃなかったぜ?」
「そりゃそうっスよ。ちょこっと言ったくらいじゃ」
とりあえずは、考える切欠になればそれでいい。
ハーリーも出会いと別れを繰り返し、自分で知る時がくる。
それが三郎太の考えだ。
ただそれは、リョーコからすれば、もどかしいものに感じた。
だいたい、何とかしたいと言っていたのは三郎太なのだ。
ちゃんと言い聞かせるチャンスを自ら見逃すのは合点がいきかねる。
「んじゃ、しっかり言やいいだろ?」
「そりゃね、しっかり言い聞かせりゃアイツはちゃんと理解する。
根は素直だし、頭もいい。よく出来たヤツですからね。
けど、今からそんなんばっかじゃ、いい大人にはなれない・・・・・・」
「いい・・・大人?」
「ちゃんとわかってくれるなら、なれるんじゃないんですか?」
リョーコの跡を継ぎ、今度はユリカが質問する。
素直で頭もいい。
ハーリーはいい少年だ。
その彼が、いい大人になれないというのは、少し信じられないことなのだ。
「アイツの歳、知ってますか?」
「12だと聞いてます」
「そう。まだ小学生と呼ばれる年代なんです」
「アイツは子供なんスよ、まだ。
ま、俺のガキん時より全然マシなんスけど・・・・・・。
ちゃんと自分の未来を考え始めている。
戦いの意味だって理解しようとしている。
けど・・・・・・それでもやっぱりまだ子供なんです。
理解してないことも、経験してないことも、まだまだいっぱいある。
自分で考えて、行動して、そして間違ってみないと、本当にそれでいいのかもわからない。
現実は薄っぺらなドラマじゃないんだし、説教一発カマしただけで、大人になれるわきゃないんですよ。
ただ物分りのいい子供と、諦めのいい大人が将来的に出来るだけで。
自分で間違って・・・傷ついて、傷つけて。
その末に、自分自身で知っていく。
それで初めて、ちゃんとした大人に近づいていくんです。一歩一歩ね」
「大人・・・・・・なんですね」
らしくなく語ったことと、ユリカの尊敬の眼差しを見て、思わず照れ臭くなってしまう三郎太。
"違うんスよ"と否定しながら、自分の根幹にあるものを自覚する。
「俺がいた木連はね、間違うことができなかったんですよ。
ゲキガンガーが正しい。木連が正しい。そして地球は敵。
画一的な反地球教育によって、その価値観を子供の頃から植えつけられ、それ以外はなかったんス。
まっすぐに正義に生きろ。正しいことを成せ。ただそれだけ・・・・・・。
その社会では、その社会の正しいことしか出来なかった。
間違うことができず、罪の苦さも知らなかった。
ただ、上から押し付けられる価値観を信じていた。
そして・・・・・・そのまま大人になっちまった。
だから火星も・・・・・・そして、そんなだから」
三郎太は、少し申し訳なさそうにユリカを見る。
歪んだ教育で押し付けられた価値観。
それによって生きてきた木星人のために犠牲にされた人間は数多くいる。
目の前にいる女性は、紛れもなくそのうちの一人であった。
「だから、アイツには自分で掴んで欲しいんです。
与えられた、上から押し付けられた価値観ではなく、自分が体験して作り上げた価値観を。
でないと、大戦前の木星人と変わらない」
正しいことばかりを積み重ねるのではなく、もっと間違うことを知って欲しい。
いろんな痛みを覚えて欲しい。
要するに、"もっと馬鹿をしろ"ということだ。
「まあ、決定的にマズイところに行きそうな時には、大人(俺たち)も必要なんでしょうけどね」
「取り返しのつかない間違いだってありますよ。
間違ったら・・・・・・真っ直ぐ生きられなくなることも・・・・・・」
「そんときゃ・・・・・・アイツらしく曲がればいい。
そういう風に生きてきたんでしょ?」
”アンタたちナデシコの人たちも”
そう聞いているのは明らかだった。
ユリカとリョーコは、互いに視線を交わした後、ゆっくりと確認するように頷いた。
南雲は、戦艦"無月"にある私室でアズーレからの通信を受けていた。
アズーレが、多くの木星人に見られるのを嫌がった結果だ。
部屋は、畳張りになっていた。
南雲の性格を反映してのことか、余計なものはほとんどない。
取り立てて目に付くのは、『激我』の文字と、今使っているウインドウだ。
『・・・・・・以上が私からの要求よ。
嫌とは言わせないわ。それが契約なんだから。
いい? さっさと迎えに来なさい』
アズーレは、南雲の返事も聞かずに通信を切った。
南雲は、脱力するかのように下を向き、ため息を吐き出す。
(たしかにそれが契約だが・・・・・・)
アズーレからの要求は、南雲の気持ちを重くするものだった。
しかも高圧的な物言いをするアズーレの相手は、さらに疲労を加速させるのだ。
ピピッとコンピューター音がする。
その音に顔を上げると、一つのファイルが送信されてきていることに気付いた。
(なんだ?)
開いてみると、銅鐸の描かれているウインドウが踊りだす。
南雲は、それをしばらく眺めた後、先程のを大きく上回る深いため息を吐いた。
扉が開き、この艦の艦長でもある石川が姿をみせる。
通信が終わるのを待っていたのだ。
部屋に入ると、肩を落としている南雲に問いかける。
「ナデシコ城のわがまま姫はなんと?」
「わがまま姫が言うのはわがままに決まっている。
なんで俺が・・・・・・」
ふて腐れるように答える。
他の部下には見せられない姿だ。
「困ったものだな。
一般的には好かれないタイプの姫だ」
「ナイトは、そういうお姫様をいたく気に入っているようだがな」
石川は"ナイト?"と一瞬疑問に思うが、すぐにそれがオモイカネの事を指していることに気付く。
周囲に残っているウインドウは、"アズーレになにかあれば、即座に無月を沈める"とのオモイカネからの警告だった。
この警告は、アズーレの指示ではないと南雲たちはわかっている。
アズーレならば、高圧的に自分の名で警告するだろうことを知っているからだ。
アズーレからの要求を話し、共に今後の対応策を検討することにする。
「ナデシコBは?」
「残してきたアンテナからの情報では、ミスマル大佐を艦長にして出港したそうだ。
位置の特定は出来ないが・・・・・・たぶんついてきている」
「すんなり行かせてはくれないか・・・・・・・」
"そうだろうな"と自答しつつ頷く南雲。
あのナデシコCを放っておくはずがないと。
石川も、”仕方ないさ”と同意する。
「まあ、いい女は野郎に尻を追っかけられるもんだ」
「Cは女でBは男か?」
「Aも女だ」
「なんで?」
南雲は、"どう違うんだ?"と石川を見る。
石川は、少し躊躇ったようだが、南雲に答える。
「ポイントの色がAとCは赤で、Bは青だから」
思わず、"はぁ?"と聞き返してしまう南雲。
少し考えて、石川の言わんとしていることを理解した。
つまり、「青が男子で、赤が女子」というわけだ。
「小学生の理論だな」
南雲がそう笑うと、石川は"うっさい"とそっぽを向いた。
しかし、連合のパイロットスーツの色も、そう色分けされている。
そのことを思い出すと、一応は納得した。
そして、自分の気持ちが軽くなっていることに気付く。
ちょっとしたユーモアを持って、自分を笑わせてくれる幼馴染。
それは、昔から変わらない。
「で、お姫様のわがままはどうする?
火星に向かっていることはもう宣伝できただろうし、ここらで一度追っ手を巻くのも手だが?」
「そうだな・・・・・・。
それも兼ねて、臣下の礼を尽くしに行くとするか」
そう言いながら腰を上げる南雲。
「どこへ?」
石川は"行くのはまだ早いだろう?"と南雲に聞く。
「例の機体が完成したそうだ。
気晴らしがてらに、七太郎と慣らしをしてくる」
「例の機体?
ああ・・・・・・あの"ごった煮"か」
ごった煮。
その表現はあまり好ましくないと南雲は思った。
「新型だ。そう言って差し支えないないだけの性能はある」
「予定では、だろ?」
「それをこれから確かめてくるんだ」
さっきまでの暗い表情を消し飛ばして、踊りださんばかりの足取りで部屋を出て行く。
まるで玩具を手に入れたばかりの子供のようだ。
が、男とはいくつになってもそんなものなのかもしれないと石川は思う。
自分だとて、ナデシコCが合流した時には、年甲斐もなく胸が高鳴ったものだ。
あのナデシコに乗ることができるのだと。
もっとも、アズーレが乗艦を許可してはくれないので、ぬか喜びに終わったのだが。
「まあ、この無月も捨てたものではないか・・・・・・」
ハーリーは、ブリッジでウインドウボールを展開している。
ナノマシンの奔流が浮かび上がっているその顔は、真剣そのものだ。
ハーリーは、艦隊戦のシミュレーションを行っていた。
ナデシコBを指揮するのは自分ではない。
それでも、万一の事態はあるかもしれない。
先日、自分一人で戦った時のように。
だから、やれることはやっておきたい。
(それに、あの人が信用できるとは限らないから)
決意を胸に、仮想の敵と向き合っている。
が、あまり状況は良くない。
意気込んで難易度の高いステージを選んでいたのだ。
「そこはもうちょっと距離を置いた方がいいな」
「えっ!? うゎあっ!?」
声のした後ろの方を向くと、ウインドウボールに顔を突っ込んでいるユリカがいた。
驚いて声を上げてしまう。
「ほらほら、艦によってグラビティブラストの有効射程距離が違うじゃない?
だから一番射程距離の長いナデシコCに対しての距離を固定して、他の艦の突出を誘うの。
そしてそこを叩く。
もちろん敵だってやられに来るわけじゃないから、簡単にはいかないけどね」
ハーリーは、ユリカを無視してシミュレーションを続ける。
しかし、ユリカはしつこく口出ししてきた。
「気が散りますっ。黙っててくださいっ」
「え〜、だってユリカ退屈だし」
(そんなの僕の知ったことじゃないですっ)
そうこうしているうちに、シミュレーション内の戦況は明らかに不利になっていった。
(ここまで・・・・・・か)
悔しそうに下唇を噛むと、キッとユリカを睨む。
貴方のせいで負けたんだと。
「そんなに暇ならやってみせてください、貴方が」
言うだけの実力を示してみろということだ。
ルリと比較してみるという意図もあったかもしれない。
ユリカは、そんなハーリーの思惑など知らないかのように、"うんいいよ"と簡単に応えた。
ハーリーは、今やっているシミュレーションを中断して、新しいステージを設定しようとする。
しかしその時、ユリカがそれを制止した。
「このままでいいよ」
「えっ?」
「その代わり、ちゃんと私が言うとおりに動いてね」
ユリカが指示を出し、ハーリーが動かす。
それが最も実戦に即しているのは確かだ。
「こっから逆転だよ」
ユリカは、ハーリーに向かってウインクをしながら、そう言ってのける。
ハーリーは、”勝てるもんか”と思った。
やっぱり、状況を見てない、いい加減な艦長なのだと。
「ウソ・・・・・・」
ハーリーは、"勝ち"というウインドウを呆然と眺める。
信じられないという思いと共に。
ハーリーの知っている艦長、ホシノ・ルリ。
彼女の操艦は、その常人離れした判断と決断の速さから、他者を大きく上回る実力があった。
ただ、その瞬間はわからなくても、後になれば理解できた。
常に冷静な彼女の選択は、あくまで理に基づいてのものであったのだから。
(でも、この人は・・・・・・)
あの手この手と、時折意味不明な行動を織り交ぜながら敵を倒していったユリカの操艦。
それはハーリーの理解の範疇を超えていた。
わかることは、ただただ強いということだけだ。
「でもなんか、プログラム相手だと味気ないよね。
勝った実感が湧かないっていうか・・・・・・」
(これくらい僕だって・・・・・・・僕だって・・・・・・)
意地を張ろうとするが、明らかに無理があると自分でも思ってしまった。
自分もこれから頑張れば強くなれるんだ。
"そう、自分はこれからなんだ"と考え直すと、再び自分のシミュレーションを始める。
しかし、さっきのユリカのシミュレーションが頭に残っていた。
つい真似をしたくなる。
が、そうやすやすと模倣しえるものでもない。
手本にするならば、それこそ理詰めで動くルリの方なのだ。
今までもそうしてきた。
でも、今見たものはインパクトが強くて、自分を放してはくれない。
結局ユリカの幻影に振り回され、あっさりと負けてしまった。
「やられちゃったね〜」
明るくそう言ってくるユリカ。
ハーリーは、なんだか腹が立ってくる。
自分は一生懸命頑張っているのにダメで、何でこんないい加減な人があんなに強いのか、と。
世の中不公平だと。
人はそれを八つ当たりと言うのだが。
ハーリーは口を開ける。
が、大きく息を吐き出すと、硬く口を閉ざした。
負け犬の遠吠えに類するものしか出てきそうになかったからだ。
それではカッコ悪すぎる。
そして、そのままシミュレーションを再開した。
「それにしても暇だよね。
敵さん、襲ってこないし。何でかなぁ?」
ハーリーに相手をしてもらえないユリカは、いかにも退屈ですというかのように呟いた。
これほどの力を見せた人が何言ってるんだ?
ハーリーは、そう思った。
が、これはこれで戦術シミュレーションとは違う。
ユリカが得意とするのは、敵を前にしての戦闘指揮だ。
戦闘でこそ、彼女の戦術的な能力は生きる。
逆に、戦略レベルではあまり考えようとしないのがユリカだ。
ユリカは戦術家であって戦略家ではない。
「南雲という人の目的がどこにあるかはわかりませんが、この時点でナデシコBを狙ってくる理由なんてないですよ。
敵の戦力だって、それほど大きいものじゃないでしょうし。
去年の草壁中将の時もそうでしたが、正面きって連合と戦う戦力なんてあるはずない」
だからこそ、草壁はボソンジャンプという切り札を用意したのだ。
南雲も、ナデシコCを強奪したからといって、それで地球に勝てると思うほどマヌケではないだろう。
奪取時にはあっさりと撤退し、今も逃走しているのだから。
南雲は火星方面へと向かっている。
であれば、やはり遺跡が目的である可能性が高い。
あれには、地球側が掌握していない何かがあるのかもしれない。
だからこそ、いまだブラックボックスと呼ばれているのだ。
ハーリーは、その辺りのことをユリカへと説明した。
それを聞いたユリカは、感心しながら言葉を漏らす。
「子供なのに凄いのね・・・・・・」
子供という言葉に過敏に反応してしまうハーリー。
プイっと視線を外し、目の前のシミュレーションを再開する。
「そういえば、ルリちゃんにも同じこと言ったなぁ」
(えっ!?)
自分は子供扱いされて怒っているのだ。
すまして無視することで、ささやかな反抗をしている最中なのだ。
でも・・・・・・
チラッと後方を見ると、ユリカは右手の人差し指を口に当てて視線を天井の方へと彷徨わせていた。
その時のことを思い出しているのだろう。
見つめていると、ユリカと目が合う。
ハーリーは慌てて前を向くが、心は後ろを向いたままだった。
(子供の艦長・・・・・・)
想像できない。
できないが、気になる。
いや、できなからこそ、余計に気になってしまうのかもしれない。
シミュレーションには全然気が入らないまま、最低の結果を示した。
しかし、それすらもどうでもよくなっていた。
知りたい。
どうしても知りたい。
艦長席に帰っていこうとするユリカの士官服の裾を掴む。
「お・・・・・・教えてくださいっ!
その・・・艦長・・・いえ、ホシノ少佐のこと」
ユリカは、にっこりと笑った。
自分にしこりを残す原因となったのは、今の艦長と前の艦長。
今の艦長から、前の艦長のことを聞く。
けっこう皮肉屋だったこと。
口癖が"バカばっか"だったこと。
意外と本人もバカなことをしたこと。
話を聞くうちに、わかるようになったことがある。
自分が"艦長"を大切に思っているように、目の前の新しい艦長も、ホシノ・ルリを大切に思っていると。
だってこの人は、まるで自慢するかのように、ホシノ・ルリのことを話すから。
純粋に、楽しそうに、子供のような笑顔で。
自分にとってのホシノ・ルリがいるように、ミスマル・ユリカにとってのホシノ・ルリもいる。
自分だけの"艦長"じゃない。
皆が大切に思っている。
そしてそれは、きっと自然なことなのだと。
そのことを知り、ほんの少し、心のしこりを小さくする。
自分で気付くのではなく、人から言われたものであったなら、余計に反発していたかもしれないが。
自分はまだ、この人を認めたわけじゃない。
認めたわけじゃないけど・・・・・・。
(もう少し、ちゃんとこの人を見てみよう)
ハーリーは右手を差し出す。
もう一度、最初からやり直し。
その意味を込めて、握手を求めたのだった。
さっきまでとは違う表情。
申し訳なさそうで、それでいてどこか恥ずかしそうにしている。
そして差し出された右手。
言葉はないけれど、”よろしくお願いします”と言っているような気がした。
少なくとも、反発の意思を感じはしなかった。
ハーリーのユリカへの見方も少しは変わるかもしれないが、今はまだそれだけのことだ。
これから先は、ユリカ次第。
信頼とは"してもらうもの"じゃない。
"勝ち取るもの"なのだから。
己の行動で示していくしかない。
自らが、信頼に足るべき艦長であることを。
しかし、ユリカは気負った風もない。
なぜなら、それは今までどおりのことなのだから。
ユリカとて、艦長になったから信頼されたわけじゃない。
一朝一夕で信頼を得たわけでもない。
我侭もしたし、失敗もした。
取り返しのつかない間違った選択をしようとしたこともある。
それでも、ナデシコのクルー達から信頼された。
それはユリカが、それだけのことを積み重ねてきたからだ。
だからユリカも、笑顔でその握手に応じる。
ハーリーの手を握るべく、ユリカも右手を差し出した。
「おら、ハーリー!
オレが特訓してやるって言っただろうが!?」
突然、ブリッジにリョーコが乱入して来る。
射撃勝負の結果は引き分けで、三郎太と二人してハーリーに教えることになったらしい。
リョーコは、ユリカと触れ合おうとしていたハーリーの手を横から奪う。
「ちょ、ちょっとリョーコさん!」
「んだよ?」
「ハーリー君は今私と話してるんですっ!」
「知らねーな。こっちが先約だ」
「艦長命令ですっ! 後にしてくださいっ!」
「やだね」
まったく引こうとしないリョーコ。
ユリカとしても、せっかく仲良くなりかけていたところだったので、引くわけにはいかない。
ユリカとリョーコが、ハーリーを取り合う。
始めは言葉で、そして途中からは実力行使で。
ハーリーの体を引っつかみ、自分の下へ引き寄せようとする。
二人の柔らかい胸に挟まれて、ハーリーは窒息しそうだ。
「助けてくださいよ〜っ、三郎太さんっ」
ハーリーは、いつの間にか来ていた三郎太を見付け、助けを請う。
が、三郎太は、ニヤニヤしたまま眺めているだけだ。
「な〜に言ってんだ?
代わってやりたいくらいだっつーの」
「そんな〜」
「今のうちに堪能しとけ。
大人になったらそうそう味わえねぇからな、そんなのは」
三郎太は、”金でも払えば別だが”と心の中で付け加え、自分が通っている店のツケの請求に頭を悩ませたとか、悩ませなかったとか。
とにかく、何とかやっていけそうだと思ったことは確かだった。
今日もメールを書く。
ほんの少し、新しい艦長について知ったこと。
もう少し、ちゃんと前を向いて接していこうと思ったこと。
射撃も習うことになったこと。
これから、サツキミドリ4号へ寄ること。
あったことを色々書いた後、最後に一つ付け加える。
『貰ったメールなくしちゃったから、また送ってくれると嬉しいです』
尚、このとき送信したメールには、ユリカとリョーコの胸に挟まれている映像が添付されていた。
もちろん、オモイカネの悪戯だった。
とりあえず、指示されたとおりに動くくらいはするようになったかな、と。
ちなみにハーリーは、ラッキースケベの素質があるように。
劇場版でもミナトさんの胸に顔を埋めてましたし。
代理人の感想
微笑ましいと言うか未熟と言うか。
まぁ、同じコインの表裏なんでしょうが。
とりあえず少年の未来に(色々な意味で)幸あれ。
というか、この話のハーリー君って主人公でもあるけれど、多分に狂言回しでもあり、触媒でもありますね。
彼とのかかわりを通して他の登場人物から物語を引き出すための存在。
浦沢直樹先生の作風をちょいと思い出しました。