影の宰相
設定のようなもの:能力名『SIN』
すべての人間には潜在的な力、意識があるという。
この世は全て奇跡という必然によって成り立っている。
周りの女に好かれるのも奇跡、男どもに嫉妬されるのも奇跡、大切なあの子が理不尽という自分の認識不足によって死ぬのも奇跡、罪を忘れる為に償おうとするのも奇跡。
全ては絶対的な法則による。
その前に例外なく、唯一の『例外』たり得る『例外』はそれに例外がないということ。
それこそが『天』。
テンカワ=アキトは法の守護者として毀損した『天』であり、それに直結して完璧なる『人』である。
それゆえに『彼ら』は侮蔑と敬意をこめて彼をこう呼称する、『天替』と。
誤解してはいけない、はじめに侮蔑あることを。
『天』を軽侮するゆえに彼らのうちの潜在才能は『神』として具現化し顕在意識の『心』によって操作される。
そしてその『神』によって『心』は『真の実』を得て『身』の健全な成長を得るのだ。そして『身』をよりどころにして『神』は更なる表現を得る。
これらの『三体』を元に起こるのが奇跡であり常に変化を伴う。そして『体力』を元に奇跡を起こす為に変化を働きかける方法を『六用』という。
生きる事も奇跡、死ぬ事も奇跡、だがそれは必然でもある。なぜなら『身』はそう言う風に出来ているのだから。
そして『神』は『心』の正邪に関係なしに働く。正邪など最初からないのだから。
一は混沌でありすべての事物には光と影を伴う。人は光を崇敬するが影を侮蔑する。だが影なき光は幻に過ぎないのだ。
人は『心』に、光影、愛憎、善悪、是非、優劣、強弱、大小、禍福の基準がある。
だがあくまで、あくまであるだけ。
『心』は常に不安定で安定している。『心』は『神』によって救済され断罪される。
それは即ち『心』には天国と地獄が同時にあるということだ・・・問題なのは世界が感じようによってそのどちらにもなることなのである。
シリアスもコメディもダークもすべてあるべし、自分だけの価値観ではかれるほど世界は狭くない。
だが世の中には納得の行かない事や不幸の方が多いわけではない。
そう言う人間の唯一の救いは人ひとりが生きるだけならそれほどの空間の広さが必要ないからだ。
世界がダークに行くのもすべては自分の責任。防ぐ方法は無限だし自分の『神』を使いこなせない、いやそれ以前に『心』が自覚してない人間に問題があるのだ。
神が不幸にさせるのではない、『神』とは自分自身の潜在化にある自己。
矛盾を受け入れよ、『神』など人には過ぎたる代物なのだから。勝利の中にも敗北はあるし、敗北の中にも勝利はある。
確信を持って生きる必要はない。人間に確実に与えられるのは生と死と、その間の時間だけなのだから。
しかしその考え方自体に疑問あり・・・
結局何が強さかなのかはわからないし、何が弱さなのかもわからない
『天替』の聖寵を得た人間とそうでない人間の戦いにするととんでもないことになる。
ナデシコに依存しなければ自分自身を確立できない『天替』が絶対的な暴力をもって
他人の戦いの意味も、目的も、何も理解せずに、自分自身の真実だけで戦うのは弱者を平時に虐げる悪人チックな権力者よりゲゲェー。
理解できないから、嫌いだから、そんなことで他人を暴力的に排斥するのは自分自身を傷つけるのと同義。
傷つけられるのが嫌なのに何でそんなことになるのだろう。
善意は必ずしも善意で帰ってくるわけではないが、悪意は大抵悪意で帰ってくる。
他人を幸福にするという事は誰かを不幸にする事だ。
決して誇るべき事ではない。だが自分は不幸になったからといって他人が幸福になるわけでもないのである。どうでもいい誰かが幸福にはなるが。
護るというのはその対象をよく考える必要がある。彼が護っている弱者が実は最悪の強者にもなりうるのだ。
『神』に比べて『心』が卑小だとどうなるのだろう?
大抵の良心とは長年の闘争によって涵養され平和によって磨耗するのである。
無論闘争の全てに良心があるとは言わない。
だが今現在の良識によって支えていられるもの全て、
闘争によって勝ち得たもの以外のこっていないのも気のせいとは思えない。
『天替』亡き後も闘争は続く。
平和の中にも闘争はあるし、それが戦争かどうかという事だ。
むしろ戦時よりも陰湿なことが行われるかもしれない。だが戦争という手段の表現が出来なくなったことの副作用かもしれないのだ。
『天』という絶対神に価値観などいらない。
あいつは好きだから救済・保護してやろう、あいつは嫌いだから断罪・弾圧してやろう・・・
そういう考えにもこころやさしいアキチョ君は痛みを感じてくれるはずだ!
アキチョの前に主人公最強主義なんてものは唾棄すべきものであるはずなのだ。『天替』の力だけ頂いて責務は放棄・・・
はい、ダーク路線決定(笑)
彼はテレビ版の時点でバランスが取れた人間になったが如何せん宿命に耐え切れるほどの『体力』はなかった。
そう言う彼に巨大な『神』を加えるのには注意が必要のはずなのだ。
影の宰相版アキチョ『アキトC』のようになってしまうから。でも彼ほどハッピネスな人間もいないのもまた事実。
『神』という才能はデカけりゃいいわけではない。即『SIN』になるシチュエーションがあるのだ。
結局何が言いたいかというと『時の流れに』がかなりダークになるのは舞台の巨大さゆえだが全く持って当然だと思う。
自分のやりたいようにやり、言いたい主張を言っているのだ。
それともみんな何処かでアキチョには責任能力がないなどと思っているのだろうか。
彼が好かれる主な理由は人としてあり、嫌われる主な理由は理不尽な『天替』だからだ。
そしてそれでいい、それで。読者は彼に女にモテて、適度にカッコつけて一般社会の敵を(女以外)を一掃してもらえれば感情移入できるのだから。
だがこれだけ言っておく。
だが男にモテナイ理由は作者の趣味に基く陰謀じゃよーーーー!!!!
あれだけ『テンカワスマイル』強力なのだ。だが男も落とせなければ『カザマスマイル』の約半分の威力・・・
危機なのだよ、危機! 『男のロマン』崩壊の危機なのだよ!!!
『主人公総受け』主義者の野望を打ち砕くべきなのだよ!!!
的は・・・じゃなくて敵は北辰にあらず草壁でもない、桜上水中学2年サッカー部『風祭将』だ!!!
彼以上に常識という目からみて悲惨な男はいない。だがそれゆえ彼の『カザマスマイル』は絶大に強力である事が窺われる。
勿論女にもモテルだろう、どう考えてもテンカワ=アキトのそっくりさんだからだ!!!(笑)
万歳大魔王!!! 万歳Action帝國!!!
『時の流れに』に栄光あれーーーー!!!
これに無駄な事は一切書いていない・・・と思う。
そして個人的にテンカワスマイル<カザマスマイルの評価は変わらない・・・
あれほど凄まじき少年は見たことがないからだ。一般人は見ないように。
もっとも『男のロマン』にしろ『主人公総受け』にしろ二次創作上の妄想と言い切ってしまえばそれまでなのですが。
嫌いなものだろうと受け入れよう、存在の全否定は自分自身の否定にしか繋がらないのだから
というかまともに見なければヤヲイは最高のギャグなんだけどね・・・
だが馬鹿馬鹿しさのない圧倒的な構成、真剣切実な世界観、流麗無比のイラスト描写!
・・・そんなヤヲイ見とうない。ある意味では究極のギャグだが、ギャグとして捉え難いよ、魂が篭っている分余計に。
ようやく気付いたが、
何書いてんだろうか私?
・・・所詮自己満足は無恥に始まり無知に終わる。・・・いいんだよ、それで。
代理人の感想
おお、これはまたキツイ(苦笑)。
どれくらいキツイかというと筒井康隆の作品くらい鋭く、キツイ。
読者の抱える不満がぐつぐつと、
読者の心に澱の如く淀むフラストレーションがふつふつと、
そして重圧を掛け続けるストレスがかなり臨界寸前。
・・・・・まあ、二次創作なんてのはそんなものかもしれません。