機動戦艦ナデシコ
ROSE
BLOOD
第8話
著 火真還
ネルガル本社。その最上階にある会長室。
「ナデシコからの連絡が途絶えた?
本当かい? それは」
まだ三十路にも届いていない、会長と呼ばれるにはあまりに若すぎる男は、その年頃特有の些か軽薄そうな口調で、いかにも驚いたなぁ、という表情を作りながら自分の髪を撫でつけた。左右に別けてセットした長髪が、彼の自慢である。
「火星に着くまでの定時連絡は、特に問題は無かったみたいでしたが、残念ながら」
そんな男の見栄というか、彼が自分の感情を隠すためにそう装うことを熟知している会長秘書は内心、フン、動揺がミエミエよ―――などと思いながらも、事務的にそう告げた。
「はー……、困ったね。スキャパレリ・プロジェクトはB案に移行っと。
コスモスの嫁ぎ先も決まっちゃったワケだ。
……君好みの展開になってきたんじゃない?」
「別に、望んだわけではありませんわよ、会長」
「そうかな?
君なら、望むだけでこの椅子も手に入れられそうだ」
「……そんなこと」
「ま、いいさ。
まだ一応、僕の方が楽しめそうだよ。
―――しばらくは、ね」
「……帰ってくると思います? ナデシコ」
「期待しないわけじゃないけどね。
出来ればお土産もたっぷり、が希望だったんだけどなぁ。
とりあえずは、無事であれば文句は無いよ」
「結構、ロマンチストだったんですね、会長」
それが、8ヶ月前の会話だった。
***
―――何故、俺はこの時代に来たのだろう。
やり直すつもりなどなかった。全てに納得して、俺は死ぬ筈だった。
楽しかった時間も、辛く、空虚だった日々も、すべて自分の時間だった。
誰にも肩代わりできない、俺の記憶。
それなのに今、俺はもう一人の『俺』に干渉している。
どうにも、矛盾しているじゃないか?
何時から俺は、この時間を『今』だと感じるようになった?
ナデシコに乗ったときか?
それとも―――この身体を。フィリスという名を得たときか?
「フィリスさん、起きてください。フィリスさん」
―――フィリス・クロフォード……それが、『私』の名前。
「起きないんですか?
身体レベルでは覚醒してるみたいですけど……寝ぼけてる?」
……私、だと?
「起きてください、お・ね・え・さ・ま?」
俺は、一瞬で覚醒した。無言のまま、ルリの頭をぺしっと叩く。
「……ルリ、冗談にもほどがある」
ちろっと舌を出して、ルリは笑った。
「ごめんなさい、フィリスさん。
一度、言ってみたかったので、機会を狙ってました。
……でも、よく考えると別にお姉さまでもおかしくないですよね?」
……あのな。
大きく溜息を吐いて、体を起こす。
「……そういえば、展望室にジャンプしてないな、俺」
「そうですね……。
もう、A級ジャンパーではない、ということでしょうか」
―――自分の能力。
先天的とはいえ、与えられていたモノを失った喪失感に、しばし身を委ねて。
「そろそろ皆を起こそう。
ここは、戦闘宙域なんだろう?」
「はい」
***
最大音量にした艦内放送用マイクを握り締めて、私は―――。
「やっほー、皆さん朝ですよ」
「うぎゃあああ!」
「み、耳がぁ〜っ!」
くわんくわん。
……つっ、自爆です。ブリッジにも大音量で流れてしまいました。
後ろで耳をふさいでいたフィリスさんが、イジワルな半笑いでこっちを見てます。……恥ずかしいなぁ。
「あ、あれ?
ここ、何処?」
「うー、おはようございます……」
「う、う〜ん」
「むう……」
「おや、眠ってしまってましたか……」
「あれ、ユリカ……艦長は?」
アオイ副長が艦長の姿を探してますが、ブリッジにはいません。
「オモイカネ、艦長の居場所を」
<<ピンポーン!>>
『艦長は展望室です』という表示。
ぴ!
モニターに転送……。
展望室の人工芝生に、三人並んで仲良く寝てます。
……しーん。
バンザイの状態で眠りこけている艦長。片足が、アキトさんのお腹に乗っています。
ダラダラと汗を流して、必死で起きようとしているアキトさん。
アキトさんにしがみつくような感じで、こっちも寝ているイネスさん。
「……コメントし辛いものがあるな、アレは」
全員を代弁して、フィリスさんがそう評価しました。
うんうん、と頷く一同。
『な、なに言ってんスか、フィリスさん!!
ほらユリカ、起きろよっ! イネスさんも!』
『うぅ〜ん、ダメだよアキト、私たちマダ……』
『な、何の夢を見てるんだコラッ!
俺を勝手に出演させるな!!』
ゆっさゆっさ。
アキトさんが揺さ振りますが、全然起きようとしません。流石ユリカさん。……いえ、褒めたわけじゃないですが。
「イネスさんは狸寝入りのようですな……口元が笑ってますよ?」
メガネを光らせたプロスさんの指摘に、
『ちょ、起きてるなら離してくださいよイネスさん!』
『もう少しこうして居たかったんだけど。
仕方ないわね』
むくりと起き上がったイネスさんは、白衣の下からスパナを取り出して、予備動作なしで艦長の頭を叩きました。
ゴッ!!
『いたたたたたたあああああ!
頭が痛いよ〜!!』
ごろごろごろごろ!
悶絶し、のた打ち回るユリカさんを眺めやって、
『荒療治が一番よ、この場合』
『……荒療治って、そんな。
イネスさん、何でそんなの持ってるんです?』
『ブラックサレナの解体、手伝ってたから』
『はぁ、なるほど……』
……艦長のことは心配じゃないんですか?
アキトさん。
ようやく回転を止めた艦長が起き上がりました。
『うう、目がチカチカする……』
『さっさと起きないからだろ……』
「艦長、モニターをご覧下さい」
話が進まないことに怖い笑みを浮かべたプロスさんが、艦長を促します。……あ、笑ってるけど、こめかみに血管が浮いてる。
「現在、ナデシコの周囲で木星艦隊と連合宇宙軍が交戦中。
連合艦隊から、"ひっこめ"、"じゃまだ"という、ありがたいメッセージが届いてます」
「あらら」
「仕方ないですよね、地球出るとき無茶しましたもん」
―――印象悪いのは艦長が原因じゃないかな。いえ、声には出しませんけど。
全然、そんなことには思い至らない様子で、ユリカさんは、
「そーゆーことならお言葉に甘えちゃいましょう!
ディストーションフィールド最大で戦闘宙域を離脱、状況を把握します!」
「りょ〜かい、は良いけど、
早く戻ってきた方がいいと思うよ? 艦長。
プロスさんが爆発しないうちにねぇ?」
ミナトさんが苦笑。
他の皆は脂汗を浮かべて見て見ぬ振りをしてます。それほど、今のプロスさんは怖い。
……いや、マジで。
***
―――なんで俺、展望室に居たんだろ?
駆け足でユリカがブリッジに向かい、俺とイネスさんはとりあえず格納庫のほうに向かっていた。
艦内放送は無いけど、パイロットは待機の可能性があるし、イネスさんは俺に話があるみたいだった。
「何処かで会ったこと無いかしら。……ずぅっと昔に」
釈然としない様子で、イネスさんは俺を見ている。
「へ?
いえ、俺が忘れてなければ、初めてだと思うんですけど……」
「そうよねぇ?
どうしてそんなコト思ったのかしら」
首をかしげるイネスさん。
―――意外と、子供っぽいところがあるような気がする。
何歳なのかな?
昔会ったにしたって、こっちがガキじゃあ、記憶に無いのは無理ないし……。
「27歳よ」
「え゛っ?」
「……聞きたそうな顔をしてたから。
違ったかしら?」
「え、あ、ゴメン……」
「謝られてもね」
二人して、曖昧に笑う。
「お、探したんだぜテンカワ。
待機だってよ、ほら、こっち来い!」
リョーコちゃんが俺を見つけて、声をかけてきた。
「待機って、やっぱり出撃するのかな?」
「さあ、オレだって知らねぇけど。
出番はあるかもしれないって、フィリスが言ってたぞ」
「そっか。
じゃ、イネスさん、俺はこれで」
「がんばってね」
ブリッジに向かうイネスさんを見送って、俺とリョーコちゃんは格納庫へ向かった。
「どこまで探しに行ってたんだか……」
「やっぱ出撃だよ〜!
グッドタイミング、リョーコ、アキト君!
ガイ君はもう準備できてるって!」
待っていたらしいイズミさんとヒカルちゃんが俺たちを急かす。
「おう!」
「あれ、俺の機体は……?」
ピンクのエステが四肢をバラバラにされて解体されている。……どーゆーことだよ、コレ。
「お、テンカワ!
お前のはあっちだ!
向こうの奥にあるだろ!」
俺が固まってるのを見て、ウリバタケさんが指差した。
「は、はあ……あれ?
あっちにもピンクのエステ?」
「フィリスちゃんがアレ使えってよ。
ブラックサレナの中身……あれがお前の新しい機体だ」
「あれが、ブラックサレナの!?」
「いや、分解してびっくりしたぜ、イネスさんから聞いてはいたんだが、本当にエステが入ってやがった。
まったく、とんでもねぇ。
俺が知りたかった技術の粋が、次々出てきやがる。だから、な?
絶対、壊すんじゃねぇぞ。壊したら今開発中のリリーちゃんMk3の餌食にしてやるからな」
「は、はは。
なるべく善処します……」
俺は、エステバリスのアサルトピットのシートに、腰をおろした。
どくん。
初めに感じたのは匂い、だ。
その香りは多分、イネスさんの香水。そういえば、初めて会ったとき、この中に居たんだな……。
使い込まれ、所々色が剥げている左手のグリップ。かなり重く設定されている。
IFSインターフェイスに右手を乗せ、コネクト。
IFS接続。システム起動。
『おかえりなさい』
突如、モニターに現れる文字。
どくん、どくん。
―――このエステ、AI搭載なのか……?
『アキト。
機体の調子はどうだ。ウリバタケの話ではさして問題は無いという事だが』
コミュニケに、フィリスさんが着信。
「あ、うん、大丈夫。
―――おかえりなさいって、言われた」
『……そうか。
ただいま、とでも言ってやれ。
機嫌も良くなる』
「機嫌が?
機械なのに……」
『お前のサポートをしてくれるんだ。
感謝の言葉の一つも送ってやるんだな』
「……ただいま、ブラックサレナ。
―――行こうか!」
『了解』
たとえ黒い装甲を纏っていなくても、こいつはブラックサレナだった。
そう感じるだけの何かが、この機体にはある。
電磁カタパルト。
最後の発進になった俺は、滑るように宇宙へ飛び出していった。
***
艦隊戦に巻き込まれて、さっさと逃げたいのは山々でしたが、敵はそう簡単には見逃してはくれないようです。
結局、半径2キロほどの敵は、ナデシコを目標にしたらしく、連合艦隊を無視して向かってきました。
「グラビティブラストの準備は!?」
「出来てるけど……どこを狙ったらいいの?」
360°に展開している敵、敵、敵。
「集束率を下げて、広域放射でお願いします!」
「はいはい」
「エステバリス隊。
分かっているとは思うがナデシコは本調子じゃない。
防御に徹し、ナデシコに群がる敵機動兵器のみ排除。深追いせず、無茶はするな」
『了解……って言いたい所だけど、マズイぜフィリス!
バッタ、パワーアップしてるんじゃねぇか?
フィールドアタックでも前の半分くらいしか落とせねぇ!』
『固いよね〜、ライフルの銃撃じゃ、歯が立たないよ?』
『私はそうでもないけど……確かに一撃じゃ倒せなくなってるわね』
『ゲキガン・フレアのみで行くしかねぇだろ!
見てろっ、俺が蹴散らしてやる!!』
『ガイ!? どこ行く気だよ!!』
『行くぜぇ!
ゲキガン・フレアアアアア!!!!』
ドゴゴゴゴゴゴゴーーーン!!
円を描くように無茶な機動で、ナデシコに群がる敵を撃墜していきます。
確かに、有効な戦法かもしれませんが……。
「ヤマダ機、重力波ビームの限界宙域を高速移動。
……あ」
『『『『あ……』』』』
皆が呆然と見上げる中、モニターにあったヤマダ機を映す光点が消滅。
「……ヤマダ機の重力波リンク、途絶えました」
「あ、あの、死んじゃったんですか?」
「ナデシコから見えなくなっただけよ、メグミちゃん。
とはいっても、重力波ビーム外のエステの活動時間って……いくらだっけ?」
「10分くらいか。
自動的にサバイバルモードに移行するよう警告が出るはずだからな。
3時間は持つだろう……無茶するなと言ったんだが、聞く奴でも無かったな」
小さく溜息を吐いて、フィリスさんは苦笑しました。
***
『あのバカ! 後で殴ってやる!!』
リョーコちゃんはそういいながら、手近な敵をなぎ倒す。
『生きてるかなー、ガイ君』
『死んでなきゃ生きてるわ』
―――本当に、大丈夫なんだろうか?
それにしても、先が見えない。幾ら倒しても、敵の姿は減らない。
そんなときだった。
『ここは危険だ、君達。
ナデシコに戻ったほうがいい』
青いエステバリスが、俺達の戦う宙域に入り込んできた。
小さくモニターに映った初対面の顔は、ニヒルな笑みを浮かべていた。
『ええ? どーゆーことだよ!!』
『リョーコ、引け。
そいつの言っている事は正しい』
フィリスさんが音声のみで通信。
『……あっさり信じてくれるもんだね』
『後ろに戦艦が控えているからな。
助けてくれるんだろう?』
『はは、こりゃあっさり見破られたもんだ。
―――君の名前は?』
『コック兼エステバリス戦闘指揮、フィリス・クロフォード。
お前は?』
『……アカツキナガレ。
コスモスから来た男さ』
***
「広域放射グラビティブラスト、連続発射されています」
―――ナデシコを覆っていた機動兵器が、次々に爆発していきます。ようやく来たようですね。ナデシコ二番艦、コスモスが。
「はえー―――」
「多連装グラビティブラストだと!?」
「いつのまに……」
ゴートさんとプロスさんが驚きを隠しきれない様子でモニターを見上げています。
「あれ、ナデシコ……じゃないわよね?」
『ナデシコ二番艦、コスモスさ。
僕はアカツキナガレ。8ヶ月の航海はどうだったかな?
ナデシコの諸君』
「「「はあ!?」」」
戦闘終了後、コスモス―――ナデシコの整備を行うドックとしての役割を持ちます―――艦内に連結されたナデシコブリッジに、アカツキさんが入ってきました。
「……気づいてなかったのかい?
ナデシコが火星で消息を絶ってから、すぐネルガルは連合軍と和解してね。
ナデシコ級二番艦のコスモスを主軸にして、第四次月奪還作戦を行っているんだよ。
そこに、君達が突然現れたワケさ」
「そーなんですかぁ……」
「チューリップは瞬間移動じゃなく、時間も移動するのね……」
艦長はナルホド顔で、イネスさんは考え込むように、相槌を打ちます。
「か」
「むう……」
仰天しているプロスさんとゴートさんに目配せして黙らせたアカツキさんは、きょろきょろと視線を彷徨わせて。
「……えーと、エステバリスの指揮をやってるフィリスさんっていうのは、誰かな?」
「はあ、フィリスさんならヤマダ機の救出をするとかで、格納庫に行ってますけど」
「そうかい、じゃ―――」
メグミさんにお礼を言って出て行こうとしたアカツキさんは、
「遅れました、今日付けで副操舵士として配属されました、エリナ・キンジョウ・ウォンです。
―――どこに行こうと言うのかしら?
か……アカツキさん」
ブリッジインしたエリナさんに阻まれて、冷や汗を垂らしました。
「いや、ちょっとね。エリナ君」
「まだ話は終わってないんでしょう?
主要メンバーは揃っているのかしら、艦長」
「はあ、えーと、フィリスさんとパイロットの皆さんがまだ。
それ以外は全員、ココに居ますけど」
「フィリス……?」
発進当時の名簿にあった主要メンバーには入ってないから、思いつかないみたい。
「エステバリス隊の指揮を担当してもらっている人です。
実に頼もしいお人でして」
プロスさんが説明して納得したのか、
「じゃ、その人には後で説明をしましょう。
―――どうぞ、提督」
エリナさんの説明で、どうやらブリッジ前で待ってた人が入ってきました。
「お久しぶりね、皆さん。
私が提督のムネタケ・サダアキよ」
……しーん。
「だ、誰です?
あの人。私達のこと知ってるみたいですけど」
「えーと、ほら。
確か地球を脱出した時に……あれ?
そういえばあれから見なかったわよね。何時から居なかったのかしら?」
メグミさんとミナトさんがひそひそと。いえ、無理ないんですが。
ムネタケ提督は拳を震わせて―――。
「ま、まあ、私は心が広いから。
多少の無礼は見逃してあげるわ。
もっとも、これからは私の為に誠心誠意働いてもらうけどね」
「「「はあ?」」」
何を言い出すのやら、という顔で皆さん見てますが―――。
「提督には、ナデシコの戦術アドバイスを貰う為に、また乗艦して頂きますので。
ああ、それに、貴方達ナデシコの乗務員は、軍に編入されることになっています」
エリナさんが聞き捨てならないことを続けます。皆、びっくり顔。
「な、なんですと?
しかし、ナデシコの運用はスキャパレリ・プロジェクトに基づくもので、会長のご判断が―――」
プロスさんがアカツキさんを見てそう言いますが、当の本人はしらんぷり。
「その会長の了解を得ているから、私はここにいるのよ?」
「会長の判断ですか。……むむ、それでは」
エリナさんにそういわれて、引き下がるしかありません。
「一応、ネルガルから軍への派遣社員という形を取って頂きます。
お給料や各種手当てはそのまま、ボーナスは倍額なんだから、迷う事は無いでしょう?
その条件で不服なら、この艦を降りていただいてもかまいません」
しーん。
流石に、勝手な言い分というか、言い方が悪いのか、給料が増えるといっても納得はできないみたい。
―――あ。
「フィリスさんと、パイロットの皆さんが入ります」
「ガイは医療室に寝かせた。
多少、疲労がたまってたからな―――おや、お客さんか?」
フィリスさんは、目の前に居る提督に気づいたようです。その口調とは裏腹に、表情は冷酷な微笑を浮かべたまま。
「……性懲りも無く、よくも俺の前に顔を出せたな、ムネタケ」
その瞬間、ブリッジの気温は確かに下がったような気がします。フィリスさんを見て、ムネタケ提督は―――。
「あ、あ、アナタ。
……そう、アナタがエステバリスの戦闘指揮を―――」
「うるさい。しゃべるな。
―――殺すぞ?」
ヒィッ
―――悲鳴を堪え、提督は後退して……無様に尻餅をつきました。フィリスさんの殺気に堪えきれなかったのか、前のお仕置きがまだ糸を引いていたのか、ともかく顎をガクガクさせて後ろに下がろうとしています。
「どんな提督を寄越すかと思えば、お前だったとはな。
やはり軍にはろくなヤツが居ないらしい」
「な―――」
「ちょ、ちょっと貴方。
私の選んだ提督に―――」
エリナさんがフィリスさんを咎めようとして、言葉を飲み込みました。
「……エリナ、邪魔をするな」
相手が知らない筈の名前。それをあっさりと看破されて、戸惑いと困惑、様々な感情が入り混じった表情を浮かべるエリナさん。
「ムネタケ。
貴様の思惑に興味は無いが―――このナデシコを利用しようなどとは、考えないことだ。
心配しなくても、ナデシコはそれなりに戦歴を得るし、貴様は評価される。
だが、その範疇を超えたら―――分かるな?」
がくがく―――。
提督は鼻水を垂らして首肯しました。
「なら、いいだろう。
おめでとう提督。ナデシコはお前を歓迎してやる」
とても歓迎しているようには見えませんでしたが、ともかく。
ナデシコは連合宇宙軍第13独立艦隊として、軍の仕事に携わる事になりそうです。
***
狭い1ルーム。ナデシコの平均的な個室で、四人の男女が密談を交わしている。しかも、電気まで消して。
ネルガル重工、会長。アカツキ・ナガレ。
その会長秘書。エリナ・キンジョウ・ウォン。
そして、プロスペクターと私、イネス・フレサンジュ。
あまり誉められた光景ではないような気がするが、当人は―――私も含めて―――大まじめだった。
「見せたいものって、なんだい?」
「会長のほうからいらっしゃるとは思いませんでしたので、後で送っておこうかと思っておりましたが。
格納庫にあった、エステバリス追加装甲、ブラックサレナは見ていただけましたかな?」
「ああ、見たよ。テンカワ君のやつだろう?
その追加装甲をつけてたエステは。
ウリバタケ君の製造かな、それともドクターの?
なんにせよ、たいしたもんだと思うよ。
それが、どうかしたのかい?」
「……話は長くなるのですが、ドクター」
「あれは、私が造ったものじゃないわ。もちろん、ウリバタケ班長でもない。
1年前―――いえ、8ヶ月のブランク(空白期間)を考えて、1年と9ヶ月くらいかしら。
第一次火星大戦が始まったときには、既に火星に存在していた」
「……はあ?」
「冗談でしょう?
エステはネルガルの機密で、まだ実戦配備もされていない機体だったのよ?
それが火星に、しかも追加装甲なんてものまで。
からかってるんじゃないでしょうね、ドクター」
「それを今から説明してあげるわ。
もっとも簡単な方法でね」
プロスの持つディスクは、部屋に備え付けのコンピュータに吸い込まれ、音声を再生した。
―――会長……アカツキナガレとテンカワアキトの会話。
そして、ナデシコB艦長、ホシノルリと、テンカワアキトの会話。
短いようで長かった再生記録は、唐突に終わった。おそらくボソンジャンプ暴走の為。
「……テンカワアキト……そうか、親父が殺した、CC(チューリップクリスタル)の研究者テンカワ夫妻の、息子。
いったい、『彼』に何が起きたんだ?
何故、『僕』が『彼』に援助を?
ブラックサレナは、僕達ネルガルが造ったとでもいうのかい?」
半信半疑。のどが渇いたのだろう、炭酸ジュースをごくりと飲み、一息吐く。
居心地悪げに口元を引き締め、額に浮かんだ汗を拭う。
「疑うならどうぞ、音声照合にでもなんでもかけてみれば良いわ。
ただ、これが実際に起きたことなら―――」
「ブラックサレナは、ボソンジャンプで過去に飛ばされた……ということ?」
エリナは考えたくも無いような表情をしながら、推測を口にした。
「他に考え様が無いでしょう。
ナデシコがボソンジャンプして、8ヶ月の時間を飛び越えたのは間違いないんだから。
逆に未来から来たというなら、すべて辻褄が合う。
進化したエステバリスと、ボソンジャンプが既に実用化されているという世界。
その鍵を握るのは―――フィリス・クロフォード」
「……彼女が?」
先ほどの剣幕を思い出したのだろう。会長は何とも言えない表情で肩を竦めた。
「彼女はブラックサレナを知っていた。
そのパイロットのことも。
その上、会長とエリナを見たとき、表情が緩んだわ。旧知の友人に会った時のように」
一瞬の表情だった。
私は、それを見逃さなかった。
「じゃあ、彼女の目的はなんなんだい?
この世界で、未来を―――変えようとでもいうのかい?」
「ボソンジャンプの事故だったのよ?
当然、何処に行くのか、何時に行くのかも分からない。
過去に来てしまったのは偶然かもしれない。
だから、迷ったでしょうね。始めは。
過去に干渉するか、しないか。
未来を変えてしまうことは、良いことなのか。
私にだってわからないわ。前例も無いし、過去に戻るなんて……誰が予想できる?」
「未来を知っている、か……」
「冗談じゃないわっ!
彼女は何もかも知ってるっていうの!?
未来に起こる全ての出来事を!?」
「それは違うわね。
現に今、私たちは彼女が未来から来た事を知っている。未来は常に変化しつづけるわ。偶然、必然によってね。
彼女が知っている未来は、ある特定の未来でしかない。
逆行者という立場の人間だって、過去に来た地点で『現在』を変える事は出来ても、その結果生じる未来の出来事は幾らでも変わりうる。
それにもう、変わってるはずでしょう?
彼女が望むならね」
「なるほど……そうだね。
もし過去へ来て、どうすれば最良なのか分かるなら、彼女はそうした筈だ。
今まで、僕達の何かが変わったかい?
正体不明の人物から忠告された?
未来を知ってるとか言う狂言師が会いに来たかい?」
「…………」
「つまりは、そういうことさ。
何も変わってない。逆に、目の前には数年先の進化したエステバリスがあり、追加装甲がある。
ネルガルとしては有利になることはあっても、不利になることはないんだ」
「でも、だったら彼女は危険ではないの?
私達の性格だって、見抜いてるんでしょう?
ここで密談してる事だって知ってるかも―――」
「知ってて悪かったな」
―――!!!
何時の間にか、5人目の人物がこの場所に居た。
プロスはメガネを落としそうになり、
会長は飲んでいた炭酸ジュースを噴き出し、
エリナは愕然と口を開けたまま。
私だって驚いたけど、彼らほどひどい失態は犯してない。……と、思う。
「ふぃ、ふぃ、フィリスさん!
何時の間に!?」
メガネのずれを直しながら、プロスは慌てて部屋の照明をつける。
「最初から。
……ああ、お前達が気づかないのは無理ない。気配を消していたからな」
―――気配を消したって……。
「ゲホッ、ゲホッ、ゴホッ!」
指差し、何か言わんとしている会長に、
「気にするな、アカツキ。
ほら」
ハンカチを受け取って、口元をぬぐった会長は、何かを言おうとして―――がっくりと椅子に体を預けた。
「やあ、こいつは参ったな……。
じゃあ、僕が会長って事は―――」
「知りたいか?
この世界で9ヶ月ほど。前の世界で―――5年くらい前からだな」
指折り数えてそう答えたフィリスは、楽しげに会長の肩を叩いた。
「安心しろ、他の奴らには言ってない。
お前の楽しみを奪うほど、俺はひどい奴じゃないぞ?」
「は、ははははは……」
すっかり旧知の仲のよう。
―――さっきまでのシリアスな雰囲気を、完全に吹き飛ばされてしまった。
「もちろん、お前のことだけじゃない。
エリナには世話になったし、イネスにも助けてもらった。
プロスにもな」
「……いったい、どういう―――」
エリナを手で制して。
フィリスは一呼吸置いて、私達を見た。
「未来を、変えたい。
実を言えば、変えたい事はそれほど多いわけじゃないが。
少なくとも、テンカワアキトとその周りに居る人間には、俺が知る未来とは、別のモノを用意してやりたいんだ」
フィリスは、ネルガルを魅了する魔術が使えるらしい。
「その為に、力を貸して欲しい。
ナデシコを守ることは、ネルガルの利益にもなるはずだ。
CCのことも、ボソンジャンプ技術も、俺が知っている事は教える。
クリムゾンが企んでいることもな」
―――それが、魔法の言葉だった。
えーと。
潜伏するとか言っときながら、ノコノコ投稿してしまいました。すいません。
あっさりとネルガルに正体ばらしたというか、ばれて当然というか。……最後、フィリスに勝手に動かれました。
どーしてそういうコトするかなぁ……。
とか思いましたが、作者も暗い陰謀の話は好きではないので、結果オーライ。
一つだけ言い訳を。
ルリが皆を起こす場面ですが、何故しゃべるのを途中で止めなかったのか、とかね。
……突っ込まないでやってください。
代理人の感想
そっちの方が面白いからに決まってるじゃないですか(爆)。>喋るのを途中で
でもみんなを驚かせるタイミングを図ってるフィリスってばおちゃめさん(笑)。