「ほう?

 珍しいな、お主が暗殺を完遂できぬとは」


 草壁春樹は執筆していた文章から顔を上げた。

 木連上層部―――『れいげつ』で安穏と暮らしている、名前だけの将校に提出する作戦概要と事務報告書類を一先(ひとま)ず中断し、筆を置く。明後日にも白鳥九十九の木連艦隊は『れいげつ』を出発し、地球に向けて侵攻を開始する。全てが順調であるかと思われたが為、もっとも信頼する北辰の失敗の報告は意外でもあった。


「―――かのマシンチャイルドの周囲……ナデシコに、我に匹敵する武士(もののふ)が居りました故」


 何時になく饒舌に、しかし北辰は目を伏せて慎重に言葉を選んだ。

 草壁閣下に要らぬ心象を植え付けてしまっても困る。

 彼等―――特にテンカワアキトは、間違いなく彼の最高の獲物だからだ。


「そうか……侮れぬものよな」


「それは計算外でしたねぇ。

 すいません、北辰さん。僕の調査不足だったみたいで」

 
「…………」


 ヤマサキの軽い口調での謝罪に、沈黙で返す北辰。


「かまわん、それ以上は問わぬ。

 此度のお主の失態、それほど重要でもあるまい。既に白鳥の出陣は目の前に迫っているのだからな」


「それはそうなんですけどね……。

 北辰六人衆、呼び寄せておけばよかったですね。

 六連のテストがもっと早く終わってれば、それも可能だったんですが……。

 ボソンジャンプを使用したということは、あの男を連れて行ったんですよね?」


 頷く。

 しかし、それでは説明には不十分と感じたのか、北辰は草壁に向けて再び口を開いた。


「―――」


 肝心な部分を少し暈(ぼ)かしながら、言葉を選んでの報告。

 直接的な原因がアキトであることは間違いない。しかし、それに関してはあくまで状況を述べ、周囲にあった要因を口にする。

 天河明人を出し抜き、刀を投げいれたあの女―――あれが無ければ、確実に任務はあそこで終わったのだ。その場合は勿論、テンカワ・アキトもこの世には居なかっただろうが……。


「女?」

 
「ほう……お主等を出し抜く女か」


「確か……名をフィリスと。

 歳は16、7。銀の髪に金の瞳。

 ヤマサキの示したマシンチャイルドと酷似しておりましたが、本命がおりました故、捨て置いた娘で……」


「―――はい!?」


 北辰の説明の途中で、ヤマサキは普段の彼からは想像も出来ないほどの驚き振りを見せた。

 聞かされる筈が無い名前。

 ありえない名前。

 いや、既に名前など意味は無い―――が、直前まで頭の隅にも思い浮かばなかった少女を示す言葉。


「フィリス・クロフォード……ですか!?」


「姓までは知らぬ。

 天河明人が執着しておった娘だが、曲者だった」


「あの男がですか。

 ぷ、あはは、はははははは……!」


 突如衝動を堪えきれなかったヤマサキの笑いが空間を支配した。

 あまりの事態に、草壁と北辰は気が違ったかという視線を彼に向ける。

 その視線を感じて、ヤマサキは慌てて笑いを引っ込めた。コホンと咳払いし、マジメな顔を作る。


「いえ、いえ、すいません。

 そうですか……フィリス・クロフォードですか……ぷっ、くっくっくっ、生きてたんですねぇ、彼女。

 いやあ、人生何が起こるか分かりませんな。愉快、愉快―――さて」


「―――これから出るのか?」


 草壁は立ち上がったヤマサキに問うた。

 薄ら笑いを返しながら、彼は頷く。


「説明会が終われば、その足で火星に直行するつもりです。

 どれだけの勇士が志願してくれるかは、白鳥さんの肩に掛かっているわけですが……まあ、楽しみにさせて貰いますよ。

 システムも、そろそろ本格的な起動をしたほうが宜しいでしょうし……頃合でしょう。

 『本番』に備えてアレを火星の遺跡に戻してあげないと、ここの機材ではエネルギーを得るのにも一苦労ですから。

 それと―――天河さんがすこぉしハメを外しているようですから、そろそろ―――」


 茶目っ気を見せて、笑った。


「……ほう。

 まあよい、シンジョウによろしく伝えておいてくれ。

 私も用事が済み次第、火星に向かうとしよう……新たな秩序の幕開けを、知らしめる為にな」


「了解しました」


 詳しくは聞き返すことをせず、草壁は話を打ち切った。

 既に、計画は予想通りに進んでいる。何も―――誰も、彼の未来を妨げる事など、出来る筈が無い。

 それを知ってか、ヤマサキは慇懃に礼をしつつ、退席する。



「…………」


 草壁は、姿を消そうとした北辰を呼び止めた。


「天河明人は用済みか……構わないのだな? 北辰」


「……ヤマサキの策略で死ぬのであれば、それだけの男であったと―――。

 それを乗り越えるならば、我が引導を渡します故」


「……そうか」


 草壁は、北辰が天河明人に拘(こだわ)っている事には気づいていた。

 己に従わぬ男であるとはいえ、彼もまた漢と呼ぶべき者である。

 その末路が―――決して報われる事が無いものだとしても。



 北辰は、黙って頭を垂れた。






 ***






「はいはい、押さないでくださいね、席はまだ余ってますから。

 ―――。

 ああ、そこのお兄さん、出来ればもう少し、あと少しだけ前に詰めて頂けませんかね?

 ええ、ええ、結構ですとも。何も演台に上がれとまでは申しませんよ。

 ―――。

 これはなかなか盛況ですねぇ。私も気合が入ると言うものです。見てくださいこの一張羅。この日のために卸した新品ですよ。

 ―――。

 は、値段ですか? そんな野暮なことを突っ込まないでくださいよ。ホテル備え付けの備品に決まってるじゃないですか。

 ―――。

 え?

 声が聞こえにくい? それはいけませんねぇ。

 ―――。

 コン、コン

 これでどうでしょう? あ、オッケーですか、それでは。

 皆さん本日はお忙しいところ、木連技術開発局主催の新型機動兵器の説明会にようこそ御出で下さいました。

 私、本日の司会を務めさせていただきますヤマサキ・ヨシオと申します。

 途中休憩を挟みながらの八時間、よろしくお付き合いください」



 宴会場を思わせる大部屋の和室である。

 演台上で扇子を片手に、ヤマサキは身振り手振りを加えながら説明を始めた。

 当然椅子ではなく、思い思いに座布団に座り、彼の説明に聞き入っている仲間達の後ろで、高杉三郎太はパンフレットに視線を落とした。

 午前中は仕様の説明及び、メンテナンスや模擬戦の映像を視聴、と書かれてある。


 ―――実機見物は午後か。ちっ、そっちが見たかったんだけどな……。


 午後から用事があるのだから仕方が無い。諦めて、三郎太は説明に集中することにした。



 彼らは、木連技術開発局が新しく開発した新型機動兵器、積戸気(ししき)の説明会に招待された、ジンシリーズの操縦経験のある木連の兵士達だった。

 ジンシリーズに代わる、新しいコンセプトに基づいた設計の新型機に興味が湧かない筈が無い。

 真剣に、食い入るように知識を吸収していく兵士達は、時折鋭い質問を投げ掛ける。

 ヤマサキはその都度、懇切丁寧に図式を交えて解説するのであった。






機動戦艦ナデシコ
ROSE BLOOD

第22話

著 火真還







 
「おお、元一朗。

 ―――九十九の姿が見えないんだが、何かあったのか?

 久しぶりに会って、話したいことがあるんだが……」


「お久しぶりです、月臣さん」


 『かんなづき』艦長の秋山源八郎と、副長の高杉三郎太が白鳥宅の前に居た。家の中に誰の姿も見えず、途方に暮れていたらしい。

 二人がナデシコの討伐に出たことを、月臣は知っている。『ゆめみづき』の帰還と入れ違いに、地球についての何の情報も持たない『かんなづき』が発進したのはタッチの差であり、その勝敗の行方について、月臣は一時、気が気ではなかったのだ。ただ、『かんなづき』の帰還後、ナデシコを仕留めたという報告はなく、勝敗が引き分けに終わったという話は聞いていた。


 秋山の知略、見事な采配を知っている月臣にとって、それは朗報である。自分の親友がナデシコを倒し、和平の芽を摘んだとあっては、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。


「ナデシコはどうだった?

 源八郎」


「ああ、どうやら既に噂を聞いたようだな。

 残念ながら、仕留め損ねた。

 ……よほど艦長が優秀なのだろうよ。俺は完全に相手の性能を見極めた上で事に当たったんだが、それでも覆された。

 すばらしい采配だ。立派な漢に違いあるまい」


「……ナデシコの艦長は女の筈だが」


「な、なんだと!?

 というか、何故そんなことまで知ってるんだ、お前が」


「それは―――道端で話すようなことでは無いな。

 九十九には悪いが、家に上がらせてもらおう。勝手知ったる他人の家だ」


「ふむ」



 卓袱台を囲んで来客用の新茶を啜り、月臣からナデシコと交わした話を聞き終えた秋山は、表情を真剣なものにして頷いた。


「……なるほどな。

 和平か……九十九らしい考えだ。悪くは無い。

 地球側が『そちら』に傾いているなら尚更だろう。

 いや、俺たちの現状を考えれば、妥当とも言える」


「ああ」


 三郎太は、ゲキガンガー3のムービーを、何故ナデシコの機動兵器に乗っていたパイロットが、『白鳥九十九に渡してくれ』と言ったのかを理解した。神妙に、風呂敷に包んで持参したそれを、月臣に差し出す。


「月臣さん、これを」


「ん?」


 ずい、と手渡された包みを広げる。中から出てきたムービーのラベルを見て、月臣は目を見張った。


「これは!?」


「今の話でようやく納得しました。

 俺がナデシコのパイロットから貰ったものです……一時は敵の罠かとも思いましたが」


 三郎太の推察に、月臣は苦笑した。


「そうか……アキト君が。

 確か彼の友達がこのディスクを持っているとかで、いつかダビングさせて貰おうと思っていたのだが、まさかお前達に土産として託すとは……」


「これは早急に九十九に報告してやらねばならんな。

 アイツめ、驚くぞ」


 秋山の含み笑いに、しかし月臣は曖昧な笑いしか返せなかった。

 その様子に気づいて、秋山は笑いを引っ込める。


「何かあったのか?」


「ああ。

 数日前から九十九の姿を見なくてな。

 それで、アイツは草壁中将に説得している―――と、思ったのだが」


 月臣はそこで初めて言葉を濁した。


「……どうした?」


「九十九に会えないんだ……。

 とにかく、中将を説得すると言っても時間は掛かるだろうと思っていたが、流石に姿を見せないとなると心配になってな。

 訪ねてみればお前と同じだった。中はもぬけの殻。ユキナの姿もない」


「何、ユキナちゃんもか……!」


「それは……おかしいですね」


 きな臭い雰囲気を感じ取って、秋山は唇をへの字に曲げた。三郎太も驚き、目を見張った。彼らにとっても、白鳥ユキナは妹のようなものである。流石に、表情は険しい。


「一応、探したのだろう?」


「ああ。

 学校に問い合わせてみたし、聞き込みもしてみた。

 ニ、三日前から姿がなかったらしい。学校には休学届が出ていて、九十九の承認もあった。

 ……不審な点はない」


「まさかユキナちゃんが誘拐されたとかじゃないですよね。

 それで、世間体を考えて、その対応に追われているとか」


「だったらココが無人と言うのもおかしいだろう。

 それに、九十九から俺たちに連絡の一つも寄越すはずだ……それで?」


 三郎太の懸念を一蹴して、秋山は月臣に続きを促した。


「いや、そこまでしか判ってないんだ。

 俺も、色々知り合いから情報を探してもらっているが、芳しくない。

 それで何か手がかりでもあればと、ここに来た訳でな」


「そうか。

 ……そういえば三郎太、お前確か新型のパイロット候補生になっていたと聞いたが、どんなことをしてきたんだ?」


「はあ?

 何ですか、いきなり」



 いきなり秋山から話を振られて、三郎太は驚いた。ユキナ失踪の話をしている最中ではないか。それが何故、自分のパイロット候補の話に替わるのか。記憶を探りながら、三郎太はつい先刻の説明会の様子を思い返した。


「えーと。

 新型機の説明会兼、適性検査ってやつで、それを見てきただけですよ。

 なんでもIFSとかいうものを付けると、その新型機が思うように操れるとか。

 演習映像も見せられたんですが、確かに凄かったです。

 その後、希望者はIFSを処置されて、極秘任務に就いて貰うとか言う話になったんですけど、俺は……この用事があったし、時間的に無理だったんで、今回は辞退してきたんです。

 ―――どうしたんですか? 秋山さん」


 厳しい顔で唸る秋山に、三郎太は口を噤んだ。

 月臣は、秋山の言わんとすることを悟って、その可能性を口にした。


「その話、俺のほうには廻ってこなかった……。

 しかし現実、今の俺たち(木連)に新型を投入する余裕があるのか?

 ……草壁中将は、和平を視野に入れていないと言う事か?」 


「かも知れん……実は俺のほうにも話が廻って来てな。

 近々、地球へ大艦隊を送るとか……アイツの性格から、そんな馬鹿げた話は無いと信じていたんだが―――大当たりだったかもしれん」


「何の話だ?」


 秋山は月臣の疑問には答えず、柱の時計を見上げた。


「政府広報の時間だ。

 ―――俺の推測が、間違いならば良いのだがな……」


 テレビによる、政府からの定時放送が始まる。しかし、今日の放送は、おそらく戦況の報告だけでは済むまい。

 秋山はテレビの電源を入れた。




 ***




「よろしくお願いします、白鳥司令」



「……ああ」



 着慣れた優人部隊の制服を脱ぎ捨て、白地に金の刺繍の入った司令官の軍服に身を包み、白鳥九十九は強張った己の顔を撫ぜた。道化であることは自覚している。月臣たちも、この放送を見ていることだろう。今から自分が行おうとしている演説は、彼らに対する裏切りに等しい。

 しかし、それでも。

 ―――木連の暗部を知り、己と妹の命を握られている以上、彼にそれを拒む道は無いのだ。


 白鳥九十九は、マイクを手にとった。







『我ら木連の全ての戦士達よ。

 自分は優人部隊、白鳥九十九である。

 草壁中将より直々に、艦隊司令の任を承ったことを、ここでお伝えしておく。


 ―――時は来たのだ!


 今こそ地球連合の脆弱な抵抗運動に止(とど)めを刺すべく、木連は大艦隊を持って挑み、戦いに終止符を打たなければならない!

 賢明な者は知っているだろう、我々の命を繋いでくれたプラントは今、永き時の果てにその役目を終えようとしていることを!

 そのことを忘れてはならない!

 過去、我々の先祖が生活を奪われ、大地を追われ、苦しみ、涙してきた事実を!

 現在、この地で平穏を手に入れ、子を産み、社会を作り上げた誇りを!

 そして今こそ、未来を掴む時である!


 自分は地球の戦艦と戦い、そしてある事実に気づいた!

 彼等は、我々木連のことを、知らなかったというのだ……!

 邪悪な地球連合によって我々の友好のメッセージは握りつぶされ、我々は地球人にとって、只の侵略者に成り下がってしまったのである!


 しかしこれは、許される事であろうか! いや、断じて違う! 

 知らなかったでは、済まない問題なのだ!

 無知は、罪である!

 罪人である地球人に、忌まわしき過去の償いをさせねばならない!


 そう、我々は今一度火星を手に入れ、地球に対し、対等の立場を持って宣言しなければならないのだ!


 ―――さあ、共に手を取り、戦って欲しい!

 地球の邪悪を一掃する為、木連の正義を示す為に!

 未来は、諸君らの双肩に掛かっている!』



 内容的には目新しいことを言ったわけではない。

 普段から言われていた危機感、歴史的事実を並べただけの歌い文句である。

 関係者以外知るはずの無い地球側の情報も、九十九の報告書から抜き出して草壁の用意したモノであったが、月臣にそれを気づけというのは酷であった。



「……これは、どういうことだ」


「…………」


「…………」


 テレビが放送した内容―――九十九の演説に、月臣は呆然となった。

 信じられない。

 アイツが……和平を否定した? 馬鹿な、誰よりも熱心だったアイツが。

 目の前の事実を受け入れることが出来ない。

 あり得ないことが起きて、脳がそれを拒否している。裏切られたのかもしれない、という感覚、もしくは猜疑心を受け入れるまで、多大の時間を必要とした。


 沈痛な面持ちの秋山と三郎太。

 もし月臣から和平推奨の話を聞かなければ、二人は九十九の様子を不審には思わなかっただろう。そして、諸手を上げて九十九の応援に廻ったに違いない。


「白鳥さんが心変わりした……と言うことですかね」


 三郎太が口を開くと、月臣は彼を睨みつけた。


「三郎太、言って良いことと悪いことがあるぞ。

 ―――そんな馬鹿な話があってたまるか!

 俺はな、……俺は、別に和平に関しては、肯定でも否定でもなかった。

 それでも、アイツが和平にそこまで拘(こだわ)るなら―――和平を望むなら、その手助けをしてやりたいと思っただけだ。

 判るか?

 俺に一言も無く、あんな手のひらを返したように―――それを信じられるわけがないだろうが!」


「落ち着け、元一朗。

 ……確かにお前は九十九の大親友だ。奴は、お前に相談せず、これだけの決定を下すような男じゃない。

 とにかく、奴を直接問い詰めなければ、話は進まんだろう。

 ―――三郎太、車を廻して来い!」


「は、はい!」


 席を立ち、慌しく三郎太は家を飛び出していった。


「何を……?」


「生放送というわけでは無かろうが、この放送で白鳥九十九の艦隊司令官就任が公になったのは間違いない。

 おそらく直ぐ、取材のために報道陣が詰め掛けるはずだが、軍本部と連絡が取れれば先んじることも不可能ではなかろう。

 お前は穏健派と見られてるからな、今の九十九に近づけないかもしれんが、俺ならガードも厳しくは無いはずだ。一度しか、チャンスは無いかもしれんが」


「……すまん、源八郎」


「何、困った時はお互い様だ」




 ***




 幸い、秋山の立場はまだ、穏健派とは認識されていなかった。

 軍本部からの情報で白鳥九十九の居場所を知った月臣と秋山は、三郎太の運転する公用車でその場に乗りつけることができた。駐車場に車を止めると、若い警備隊の隊員が窓から覗き込んだ。


「ご苦労様です、秋山さん―――あ、月臣さん、貴方は……!」


 後部座席に座っている男に、若い隊員は言葉を失った。

 既に警備隊にも月臣が穏健派の推進者であることが伝わっていたのだろう。ただ、穏健派が武装テロ集団というわけではない。軍本部は穏健派に対し、情報を規制するだけに止め、表立った騒動を回避していたに過ぎなかった。


「騒ぐつもりは無い。

 すまんが、九十九に会わせてくれ。一度でいいんだ」


「しかし、白鳥司令には誰も近づけるなと―――」


「そこを曲げて、たのむ」



「……元一朗。

 来ていたのか」


 ―――!


 移動のため駐車場に来たのか、警備隊に囲まれた白鳥九十九が姿を見せた。

 月臣の姿を認め、警備隊が九十九の前に出る。


「構わない。

 ……通してやってくれ」


 無言のまま、警備隊は九十九の願いを聞き入れた。

 白鳥九十九と月臣元一朗の間に道が出来る。




「―――本気なのか、九十九。

 俺にあれだけ語った和平への情熱はすべて嘘か?

 お前、草壁中将を説得しに行ったのでは無かったのか?

 俺には一言も無しで、こんな……これが、お前の出した結論か!?」


「……すまん」


 バキッ!!


 元一朗の正拳が九十九の頬を捕らえた。警備隊が止める隙などある筈が無い。北辰が木連の闇に住まう者のトップに位置するように、表の世界なら、白鳥、月臣、秋山の三羽烏がそれに該当するだろうか。それだけの実力者である歴戦の戦士が持つ渾身の一撃に、予想は出来ても避ける気など無かった九十九は、盛大に吹っ飛んだ。

 慌てて警備隊が月臣を拘束する。


「大丈夫ですか、白鳥司令!」


 助け起こそうとする隊員の手をやんわりと断り、立ち上がった九十九は拘束された月臣の前に戻った。口の端が切れたのか、手の甲で血を拭った九十九は、己の襟元についている『ゆめみづき』艦長の証である襟章を毟り取った。


「……酷いな元一朗。いきなりこれか。

 和平は―――俺には、過ぎた夢になってしまったらしい。

 もう、そこには手が届かないんだ。

 だから、―――『ゆめみづき』をお前に託す」


「何を言っている!?

 ……そんなもの、受け取れるわけが」


「……頼む」


「…………」



 黙ったまま、月臣は自分の手の中に収まった襟章を見据えた。

 初めて『ゆめみづき』に乗った時の高揚。

 懐かしいブリッジの喧騒、連帯。過酷な任務の緊張。

 そして、ナデシコとの邂逅。


 それを全て―――捨て去ると言うのか、お前は。

 襟章を握り締め、月臣は怒鳴った。


「見損なったぞ、九十九!

 何故、こんなことを―――」


 次の瞬間、月臣の脳裏を過ぎったのはつい先ほど論じていた、ユキナの事であった。


「……まさか、ユキナが」


 鎮痛だった面持ちの九十九の顔に、あからさまな動揺が走った。

 しかし、彼は慌ててそれを否定した。


「ユキナのことは……大丈夫だ。

 ちゃんと保護してもらっている」


 どう見ても、それが偽りの弁解にしか、月臣には聞こえない。

 ―――それすら、言えないのか。言えない理由があるのか。

 月臣は、九十九が目に見えない何かに囚われてしまったかのような感覚に戸惑った。


「白鳥司令、そろそろ……」


 僅かな沈黙が終わり、九十九は急かされて時計を見た。

 草壁中将と取り交わした約束の時間が迫っている。


「時間がなくなった。

 すまない、元一朗。……行かなくては」


 そう言って九十九は月臣の傍を通り過ぎた。彼を乗せるための公用車は、そこまで迎えに来ている。


「……ユキナは俺が必ず助ける」


「…………」


 背を向けたままの月臣の独白に、白鳥九十九の返事は無かった。

 遠ざかるエンジンの音に振り返り、彼の乗った公用車が駐車場を出て行くのを見送りながら、月臣は僅かな手ごたえを感じていた。

 ―――九十九は、肯定したわけではないが否定もしなかった。



「九十九を殴った時はヒヤヒヤしたぞ、元一朗。

 で、どうだった?」


 二人の様子を公用車の中で様子を見守っていた秋山は、頃合と見て車を降りた。

 そして、その場を動こうとしない月臣に近づく。


「わからん」


「わからんって……おい」


「わからんが、わかったような気がするんだ。

 ―――俺は地球に行く。

 ナデシコに会って、木連からの和平の可能性が無くなったかもしれないことを伝えなければならん。

 ……色々と借りがあるからな。

 そして、直ぐに引き返して……ユキナを見つけ出す」


「―――そうか。

 なら、コイツを連れて行くといい」


「え、俺!?」


 自分を指差して驚く三郎太。

 秋山は不器用なウィンクをしながら、


「コイツ、ナデシコの機動兵器のパイロットと余程因縁めいた出会いをしたのだろうよ。

 去り際もかなり執着しておってな。

 お前のそばに居れば何か変わるかもしれん。ちょうどいい機会だから連れて行ってやれ。

 それに、『ゆめみづき』のクルーが全て、お前を支持してくれるとは限るまい。

 駒は多い方が良いぞ」


「俺は駒ですか……」


 憮然と呟く三郎太に、月臣は苦笑しながら、


「そう言うことなら頼む。

 ―――よし、今日のうちに出発するぞ」


「え、今日?

 後3、4時間ですよ!?」


 すっかり薄暗くなった周囲を見渡して、げんなりとする三郎太。


「時間が無いんだよ。

 木連艦隊と地球連合の衝突前に、事を済ませておきたい」


「……了解です。

 秋山さんはこれからどうするんですか?」


「俺は、木連艦隊に潜り込むつもりだ。

 上申すれば、九十九の乗る旗艦に乗り込めるだろう。

 ……今のアイツには、本当の意味での味方が―――必要だろうからな」


「すまん……迷惑をかける」


「気にするな。

 少しは親友面をさせてくれ」


 笑い飛ばす秋山に、月臣は救われたような気がした。

 自分がやろうとしていることが、木連の総意に反することは分かっている。和平を願う心は、木連の戦士には不要なのかもしれない。兵士が自分勝手な思想に染まれば、軍など機能するはずが無いからだ。
 
 しかし、もしそうだとしても、彼は無知を装ってそれに従うわけにはいかなかった。

 俺には、過ぎた夢になってしまった―――そう洩らした九十九の言葉が、月臣には自分の代わりに成し遂げてくれ、という祈りに聞こえたからだ。

 ―――俺の勝手な思い込みかもしれん。だが、それに賭けてみよう。


「さて、そろそろ俺は行くとするか。

 そっちも頑張れよ」


「ああ」


 九十九を追う秋山と別れ、月臣と三郎太は公用車を『ゆめみづき』に走らせた。


「草壁中将に疑念を抱くなど、昔の俺からは想像も付かなかったな……」


「俺は下っ端ですから、優人部隊への配属の時以外、直接会ったことはないんですよね。

 どんな人なんですか?」


 少し唸ってから、月臣は口を開いた。


「……マジメな人だ。

 正義を信じて、理想を目指す、木連の未来を委ねられる数少ない指導者だと思っていた。

 勿論、そこには和平という手段も含まれていた筈だ。

 ……それが何時の頃からか、変わって来ていたような気がするな。

 曰く、和平では木連は駄目になってしまう。

 勝利によって地球連合との交渉を有利に進めない限り、未来は無いと。

 ……多少の犠牲は覚悟の上と言う奴だ。

 まあ、ナデシコと出会わなければ、俺もその考えに同調していただろうが―――」


「……なるほど」


 流石に今日中とは行かなかったが、未明の朝、辺境哨戒任務を知り合いの同僚から奪い取った月臣は、クルー全員がそろった『ゆめみづき』と共に地球を目指した。




 ***




 赤いフレームのエステバリスは、目の前に立ちふさがる夜天光を前にして、果敢にも正面から斬りかかった。イミディエットブレードを振り回しながら、リョーコは叫ぶ。


「この距離なら、避けれねぇだろっ……!」


「自棄になるな。隙が大きいぞ」


 夜天光の避け方は、異様であった。

 逃げるのではない、むしろ通り過ぎる刃の隙間に入り込むように錯覚させる奇妙な動き。夜天光のスラスターがダンスを踊っているかのようなリズムで機体を誘(いざな)う。風に舞う木の葉のように、規則性、捕らえどころの無さに、何時の間にか翻弄されているリョーコは、錫杖の一振りで右腕を吹き飛ばされていた。


「ちっ!」


 イミディエットブレードが弧を描いて流れるのを追いかけ、左手に持ち替える。しかし、既に悪あがきに過ぎなかった。背後に迫った夜天光に、振り向きざま必殺の突きを放つが、肩の装甲を浅く削ったに過ぎない。逆に錫杖に絡めとられて弾かれる。

 そして更に接近。夜天光はミサイルランチャーを発射し、抵抗する余裕も無いエステバリスは至近距離のミサイルを全身に浴びた。


 ばしゅー。


 訓練室のシミュレーターから、ヨレヨレになったフィリスとリョーコが出てきた。


「だー、疲れたぁ」


「はい、フィリスさん」


「ん」


 銀色の髪を後ろで束ね、Tシャツ一枚、下はスパッツというラフな格好で、フィリスはアキトの差し出したタオルを受け取った。汗が流れ落ちる額を押さえ、熱を帯びた首筋を拭う。

 ヒカルの差し出したタオルを肩に引っ掛け、スポーツドリンクを浴びるように飲むリョーコも、似たような格好だ。


「―――結構、疲れたな。

 一人頭、10戦くらいだったか……ふう」


 幾らGキャンセルしているとはいえ、緊張感や戦闘のストレスが消えるわけではない。

 エアコンの効いているはずのアサルトピットだったが、連戦を重ねていくうちに効きが悪くなった。連続使用で酷使しすぎたせいもあるだろうが、それだけでは無いだろう。なにより、彼らの熱意が温度を物理的に上げている。暑いのが苦手なアカツキは、扇風機の前に陣取って動かないくらいだ。


 これだけ熱心に何をやっているのかと言えば、夜天光クラスの敵を相手にする為の特訓であった。

 初めはフィリスの乗る夜天光にサッパリ歯が立たなかった彼らだったが、かろうじて反応できる程度には慣れて来ている。

 その中でも、やはり顕著なのはガイやリョーコ、アキトといった接近戦に強い連中であった。


 リョーコは自分の評価を訊ねた。


「で、どんなモンかな?

 まだまだなのは分かってるんだけど」


「よく当てた、と褒めてやりたいところだが……無謀すぎるな。

 せめて一太刀―――などと言う考えは捨てた方が良い。命を掛けるには分が悪すぎる。

 フィールドキャンセルされて紙のような装甲のエステじゃ、落としてくださいと言ってるようなものだからな」


「エステじゃ、やっぱ勝てねぇのか……。

 フィリスでも?」


「……そうだな。

 例えば、今の主力装備、ハンドレールガンや威力が高いハンドレールカノンは、銃身が大きすぎる。

 何処を狙っているのかすぐに分かってしまうから、避けられ易い。

 接近戦は、今見せた通りだ。

 つまり、勝ち目は無いと思った方がいい。

 ……ただ、まあ―――夜天光の動きには慣れてきたらしいな。

 少なくとも、避けている間はこっちも当てにくくなった。複数機でのコンビネーションがうまく行けば、ひょっとしたら勝てるかもしれない」


「そうか、へへ」


 照れるリョーコ。



 話が一段落したのを見計らっていたイツキが手を上げた。


「あの、今更な疑問なのかもしれませんけど。

 ―――何故フィリスは正式なエステバリスのパイロットではないんですか?

 これだけの技術を持っているのに前線に出ないなんて」


 イツキは、フィリスの実力を身体で味わうことになって初めて、その底知れぬ能力に恐れを抱いた。

 いくらマシンチャイルドが優秀だとしても、シミュレートを齧った程度の人間が、あの夜天光の動きを真似できるという時点で、イツキにとって信じられない事態なのである。エステバリスを試作機から動かしていたプライドが、彼女にはあったからだ。エステバリスの操縦経験は、この中でも一番多く、軍での実績も持っているだけに、彼女のようなスペシャリストがパイロットをしていない現状への疑問もあった。


「だから、まだフィリスちゃんは16だし……あれ?

 イツキちゃん、幾つだっけ?」


「17です。

 テスト機のパイロットを始めたのは14の頃でしたけど」


「何でまた、そんな歳で」


 目を見張るガイ。アカツキが記憶を辿りながら、イツキのプロフィールを思い出す。一度見た女性のプロフィールは絶対に忘れないという特技を、彼は持っているのだ。


「彼女の父親がネルガルのテストパイロットでね。

 その影響だって聞いてたけど―――違ったかな?」


「ええ、そうです。

 ですから、フィリスも16なら、エステバリスの戦闘は可能ではないかと思ったのですが」


「……理屈ではそうかもしれんな。

 俺が乗らない理由は、別に大それたものじゃない。

 出力を絞って動きを制限するなら、Gで潰されることもないしな。

 ただ、戦闘においては、どうしても全力で応対しなければならない場合も出てくるだろう?

 味方のピンチや、制限したままじゃ勝てない相手との戦いとか。

 その時、自分の制限を忘れて限界の機動を行うと、絶対自滅する自信がある。

 高い技術に、身体がついていかないからな。

 まあ、そういうことだ」


「「「ほほう」」」


「なるほど……」


「本音は?」


「面倒くさい」


 アキトの突っ込みにあっさり返して、フィリスはストローを咥えた。冷えたスポーツドリンクをずずっと飲み込む。


 しーん。


 パイロット連中のじとーっとした視線に気づいて、フィリスは口元を引きつらせた。


「……えーと。

 いや、そうじゃなくてだな。

 ……良いじゃないか、ちゃんとこうやって鍛えてやってるわけだし。

 批難されても困るんだが」


「いや、批難はしねぇけど。

 ちょっとガックリきたぜ、今のは」


「流石にね」


「ヤレヤレだぜ」


 茶化すような反応に、フィリスは何かを口にしようとしたが―――。



『木連のゆめみづき、接近中です。

 警戒態勢に移行してください。繰り返します―――』


 メグミの艦内放送に、


「九十九の奴が来たのか?」


「何かあったのかな。

 ……とにかくブリッジに行かないと」


 言いながら、制服を着る為に更衣室に向かうガイとアキト。皆も、それに倣う。


 ―――ユキナが来たわけじゃないのか? くそ、展開が読めん。

 フィリスは舌打ちした。

 今までも、過去と違う状況が無かったわけではない。

 しかし、この状況で九十九が自分達の前に姿を見せるなど。いったい、木連に何があったと言うのだろう。

 ……そんな、自分の知る未来とまったく違う現状に、フィリスは不安を抱いた。




 ***




「お久しぶりっス、月臣さん」


『ああ、そうだな。

 元気そうで何よりだ、テンカワ君』


「こんにちわ、月臣さん」


『フィリスさんも、お変わり無いようで安心しました』


 にこにこーっと微笑むフィリスに、周囲の人間はぎょっとなった。

 それが演技だと言うことは既に教えてもらっていたのだが、あまりの変貌に声も出ない。


「あれ……ほんっっとに演技なんですか?」


「どうなんだろうね……。

 それより、白鳥さんの姿が見えないのが気になるんだけど」


 こそこそ囁きあっているメグミとミナト。


「そういえば、白鳥さんはいっしょに来たんじゃないんですか?

 姿が見えませんけど」


 気を利かせたらしいユリカがそのことを訊ねると、目に見えて月臣の表情が曇った。



『…………』


「?」


 重い沈黙が、流れた。


『すまん!!!』


 突然、頭を下げる月臣の姿に、ナデシコ側は面食らった。


『……残念な報告をしなければならない。

 木連は、大艦隊をもって地球連合への最終決戦を決定した。

 俺たちは、それを覆すことはできなかった。

 おそらく数日後には、地球に迫る木連艦隊と、地球連合は衝突するだろう。

 ―――それは、回避しようが無い』


 一気に、言った。

 沈黙が痛い。月臣は罵られる予想に、身体を緊張させた。



「……あらら」


「え、和平ダメになっちゃったんですか?」
 

「そうみたいねぇ」


「これは困りましたなぁ」


「むう」


 弁明させてもらえば、彼らは彼らなりにショックを受けていた。

 ただ、事の重大さがあまりに特大で唐突だったがために、他に言葉が出なかったのだ。

 そんな中、フィリスは月臣の語った訳を問い質した。


「……それが、白鳥九十九さんの居ない理由ですか?」


 ざわついているブリッジの中、彼女の声はしっかりと彼の耳に届いた。

 いや、少し低めの声で、スローテンポの―――何かを含むような言い方に、月臣は何故か汗が吹き出るのを感じた。


『つ、九十九が木連艦隊の司令官になったのです。

 おそらく、草壁中将に請われたか、脅迫されての事かと。

 アイツの妹、白鳥ユキナと言いますが、彼女が―――』


 人質になっているかもしれないこと。

 その黒幕が、和平を否定した草壁中将ではないかという己の推測。

 木連の事情に詳しいはずが無い彼らに、語ったところで理解できるワケが無かったが―――。

 フィリスは口元を歪め、苦笑を洩らした。


「……先手を打たれたか。

 偽りの和平をぶら下げて、九十九を懐柔する方が手っ取り早いはずなんだが、草壁がそこまで思い切ったことをするとは思わなかったな。

 まさかユキナを人質に使ってくるとは―――」


 その有無を言わせぬ口調に、月臣は言葉を失う。


『―――な、え?

 フィリス……さん?』


 戸惑いの色を隠せない月臣。無理も無い、直前まで彼の知っている少女とは顔つきからして違う。三郎太も、目を丸くしている。


「……そのことを伝える為に、ナデシコまで来たのか?

 その前に、ユキナを助け出す方が良かったんじゃないのか、月臣。

 こちらには、連絡さえ寄越せば済む話だろう?」


『それは―――』


 ユキナを見つけることができれば、の話である。

 現状、彼女が『保護』されている場所が何処にあるのかさえ、定かではなかった。

 その為、先にナデシコへの謝罪をするべきだと思ったのだ。木連艦隊と地球連合艦隊の決戦が確実である以上、和平の道を断ち切ってしまった九十九の替わりに、その事実をナデシコに伝える必要があった。しかし、確かに彼自身がここに来る理由は無い。ナデシコへの専用回線も聞かされていたのだから、部下にメッセージを送らせれば良かったかもしれない。



 一方で、フィリスは思案していた。

 どうやら木連の事態は、彼女が思っていたほど単純ではなかったらしい。考えてみれば、その兆候は既にあったのだ。ピースランドで北辰が襲ってくるなど、どう考えても展開が早すぎる。そして、まだ脅威とまでは知るはずが無い『マシンチャイルド』を暗殺しようなどと、草壁が考えるだろうか?


 ―――ヤマサキか。奴なら、そう考えるかもしれないが……。


 そこまで至るまでの過程で、彼女は一つの可能性を見出していた。

 木連に居る天河明人ならば、ユキナの所在も知っていておかしくは無い筈なのである。何故なら、北辰と行動を共にしている以上、そうした暗部の事情に通じているだろうから。

 その可能性を確かめるには、直接本人に問い質すしかない。そして、場合によっては無理にでも協力させてユキナの居所を探し出す必要がある。


 月臣に、それを任せられるか?

 いや、それよりも―――。

 フィリスは、天河明人が木連に留まっている『理由』も知りたかった。


「……月臣、草壁派の人間に、黒いバイザーを掛けた男がいるのを知っているか?

 ひょっとしたらヤマサキ・ラボの人間かもしれん。

 草壁私設部隊の北辰と行動を共にしている男だ」


 ―――え?

 と、黒いバイザーの男と直接会ったことのある人々は、フィリスの言葉に耳を疑った。

 フィリスがその男のことを知っていること。

 彼の素性をも知ってると言うこと。……その両方に。



『い、いや!?

 聞いたことは無いが……』


 何故フィリスが木連の内情に詳しいのか? 混乱したまま、首を横に振る月臣。

 横で会話に耳を傾けていた三郎太は、思わず口を開く。


『俺、映像ですが見たことありますよ。

 新型の模擬戦闘の時にちらっと映ってましたから。

 ―――テストパイロットです、多分』


『そうなのか……』


「フィリスさん、それって……」


 アキトの疑問の声に、フィリスは視線を向けただけで短く返す。


「後で話す。

 ―――とにかく、そいつならユキナの居場所を知っているはずだ。

 そして、ユキナを連れてくれば、九十九も草壁に従う理由は無くなる……少なくとも、戦闘を回避できる可能性はある……そうだな? 月臣」


『は、はい。

 それでは、我々は急ぎ―――』


 敬礼し、回線を切ろうとした月臣を、フィリスは手で制した。


「待て。

 ……ユリカ、ナデシコは地球に向かえ。

 ムネタケに連絡して、木連艦隊を迎え撃つ―――いや、万が一に備えて食い止める艦隊を用意させるんだ」


「はあ。

 ……って、フィリスちゃんは?」


 ユリカの問いに、フィリスは不敵な笑みを返した。


「俺は、『ゆめみづき』に同行して木連に行ってくる。

 アイツ等だけでは心もとないんでな。

 木連に潜り込むには丁度いい」


「「「ええー!?」」」


「本気ですか?」



 ルリは後ろを振り返って、フィリスに視線を走らせた。

 言葉を掛ける必要は無い―――が、心配するな、というフィリスの顔に、軽く頷く。


 ―――ユキナさんのコト、お願いします……フィリスお姉さん。


 今は、フィリスに任せるしかない。

 ナデシコに留まっているだけでは、どうしようもない局面であることは、ルリも承知していた。




 なりゆきを見守っていた月臣は、慌てて会話に割り込んだ。


『な、何を言ってるんですか!

 連れて行けるわけがない!

 我々はまだ、敵対関係にあることは否定できないのですから、ナデシコの乗員を預るわけには……!』


 ―――そう。

 未だ、両者の志は同じとは言え、立場は違う。もちろん、ナデシコクルーの乗艦を認めたとしても、それを利用して戦争を優位に導く為の人質にするつもりはまったくなかった。しかし、見方によっては人質と何ら変わらないのである……それを、月臣は嫌った。

 しかし、それで説得できる相手でないことを、月臣は知らなかった。


「嫌だと言っても乗せてもらうぞ。

 こっちにはジャンパーが居るんだから、跳躍でそちらに移る事もできるんだからな。

 ちょっと待ってろ」


『うっ……!』


 月臣に釘を刺して置いて、ブリッジを出ようとするフィリスに、アキトが後を追った。


「俺も行き」


 アキトの言葉を最後まで聞かず、フィリスは拒否した。


「ダメだ。

 木連艦隊が目の前まで来ていることを忘れるな。

 通常の相手ならお前が居なくても問題ないかも知れないが、もし夜天光が出てきたらどうする?

 リョーコ達だけで、食い止めさせるつもりか?」


「う」


 そこまで言われては引き下がるしかない。アキトの足が止まる。

 しかし、フィリスに駆け寄って来たのは、彼だけではなかった。


「なら、私が行きます。

 ―――構いませんよね?」


 突然のイツキの言葉に、フィリスは僅かに躊躇して、しかし肯定した。

 彼女の表情が、言葉とは裏腹に真剣なものだったからだ。木連との因縁は、自分だけのことではないのかもしれない―――イツキが何を考えて同行を申し出たのはわからないが、その思いを無下に否定することは、フィリスには出来なかった。


「艦載機で『ゆめみづき』に合流する。

 先に行って準備を」


「はい!」


 駆け出していくイツキを見送り、フィリスは準備のために自室に戻った。




 遊びに来ていたらしいハーリーとラピスの視線を感じながら、北辰の黒い刀を手に取る。


 鞘を半分ほど引き抜き、輝く刀身に己の顔を映して―――フィリスは薄く笑った。

 あの時、ブラックサレナに乗るためにアキトがフィリスに預け、そのままになっていた。

 明人からアキトに渡り、そして今、自分の手の中にある刀は、北辰の愛刀だ。それが偶然なのか必然なのか―――因縁めいた面白さを感じたのは事実である。彼女の手には多少、収まりが悪いのだが、これ以上の得物は他に存在しないだろう。

 刃を仕舞い、続いて天河明人の残した黒のマントを引っ張り出す。

 明人に返す為であったが、場合によっては使うことがあるかもしれない―――自分がそれを使えなかったとしても。


 ―――すまんな、アキト。


 テンカワアキトを連れて行くという選択肢も、一応は考えたのだ。

 A級ジャンパーに距離など関係ない。

 CCか、このマントがあれば、彼にとって距離など問題では無くなるのだから。

 しかし、それでは意味が無いとフィリスは思った。精神的な弱みは、アキトの成長を妨げているような気がする。離れていても、普段と何ら変わらない実力が発揮できるなら、それに越したことはない。その機会としては、又とない好機だった。


「フィリス姉」


「ブリッジの話、聞いてましたけど……行くんですか?」


 ハーリーとラピスが、そんなフィリスの様子に思わず声を掛けた。


「ああ、ルリの言う事をちゃんと聞いて―――仲良くな。

 それほど長い間、留守にするつもりはない」


「ん」


「分かりました」


 大人しく頷くラピスとハーリーの頭を撫で、フィリスは微笑んだ。




 ***




「困った……戦時だという事が分かっているのか? 彼女達は。

 敵艦に同行して人探しを手伝うなどと……普通は考えんぞ」


 艦橋をうろつきながら、月臣はブツブツと呟いた。そんな艦長の姿を目で追いながら、三郎太は感想を述べる。


「今の様子じゃ、普通の人って感じじゃないみたいでしたけどねー……。

 月臣さん、ああいうタイプに弱いんですか?」


「な゛、何を言っている三郎太。

 貴様はあの時のフィリスさんを見てないからそんな事が言えるのだ―――いや、そういう問題ではない!

 今、問題なのは彼女達の事だ!」


「そんなに難しい問題ですかね?」


「大問題だろう!

 彼女等を受け入れるという事は、捕虜とする事に等しいんだぞ?

 例え俺たちにその気がないとしてもだ! 俺は、そう言うのは好かん……!」


 むすーっとした顔で、月臣は言い張る。


「はぁ。

 そーゆーことなら……俺が代わりにあっちに行きますよ。

 それなら、構わないってコトですよね?」


 三郎太の提案に、月臣は不思議そうな顔をして彼を見た。


「……気は確かか?

 お前がナデシコに行ってどうする」


「別に酔狂って訳じゃ無いんですが……。

 俺としても、あっちのパイロットと、もう一度手合わせしたいって思ってましたからね」


 悪びれる事も無く、三郎太は胸の想いを口にした。


「実戦でなくても、話を聞くだけでも愉しそうじゃないですか。

 地球の機動兵器にも、興味はあります」


「そういうものか―――わからんでも無いが、お前がそんな事を考えていたとはな。

 ……確かに秋山には言い出し難い」


 月臣は苦笑した。

 秋山は艦隊戦闘を得意とするが、その為か機動兵器の運用についてはあまり積極的ではない。

 それが、三郎太には面白くなかったのだろう。



「秋山に怒られそうだが……正直、面白い提案だ。

 ―――よし。

 三郎太、ナデシコへ行って来い。そして、自分の目で確かめるんだ。

 俺たちの目指す道の、お前が水先案内人になれ」


「そんな大袈裟な。

 ……そっちこそ急いで下さいよ?

 下手したら俺、ナデシコで本当に捕虜になってしまいますから」


「そうなったら俺も彼女等を捕虜にするさ。

 そして、捕虜交換だ」


「なるほど」



 月臣と三郎太は一頻(ひとしき)り笑った後、敬礼を交わした。







 ***







 力の抜けそうになる膝を叱咤し、踏ん張る。

 広大な『れいげつ』の内部―――その一郭を占める研究施設を見下ろせる丘の上で、明人は流れる汗を拭った。

 肉体を行使した疲労は、確実に自分の命を削っている。

 それでも、諦めるわけにはいかない。


 ……しかし、その意志は、既に限界なのかも知れなかった。




「ここにも居ないか……。

 ―――もう、そんなに時間は無いな……ヤマサキ・ラボの絞込みに時間を食いすぎた。

 くそっ!

 たった一人の少女を救えないのか―――俺は!!」




 顔の表面を流れるように、輝線が走る。


 無駄足となった焦燥が、天河明人を打ちのめす。いや、無駄足とは言え、ここに居ないことが判っただけで収穫はあったのだが―――慰めにもならなかった。

 抑制剤によってナノマシンの活動は一時的に低下していたが、そろそろ活動を始めようとしている。

 その前に、草壁別邸に帰らなければならない。


 ―――残るチャンスは一度か、二度といったところか。

 ヤマサキが居る以上、まだ動きはないはずだが……。



 明人はCCを握り締めて―――跳躍した。


 彼の消えた跡を、風が空しく通り過ぎていった。……初めから、何も無かったかのように。































後書き


最終章突入〜とか言いつつ、仕事が忙しくて今、続き書いて無かったりして(笑


……ども、火真還です。

熱い男たちと暗い陰謀を書いているときはスルスルと書けるんだけどなー。
逆に今は、ギャグに手が廻らん……ネタが尽きたのか!?



解説


月臣熱いなぁ。秋山格好良いなぁ。三郎太オマケ扱いだなぁ。明人死にかけとるなぁ。

……なんでアキトは目立たんのだ?(汗
ああ、フィリスがいるからか……。

久しぶりにそのフィリスがやる気になってます。
この勢いで草壁の野望を蹴散らして欲しいもんです。


 

 

代理人の感想

燃える展開ですねぇ。

もちっと正確に言えば積み上げた薪に火が回り始めた、と言う位の「燃えてきた」って感じですが。

熱くなる熱くなる、もっと熱くなる!

 

ちなみに、今代理人の頭も熱いです。夏風邪で(爆)。