二機の機動兵器は、凄まじいスピードを見せて宙を舞った。


 ブラックサレナのハンドガンの応酬を、無茶な軌道を描いて避ける夜天光は、反撃するチャンスを得られないまま逃亡しているように見えた。


 しかし、ブラックサレナがそれを許すはずが無い。

 瞬時に高機動モードにチェンジし、夜天光を追いかけるブラックサレナ。瞬く間に、距離は縮まっていく。

 その勢いのまま、最大出力で前方に回り込んだブラックサレナは、流れるように格闘戦モードへチェンジ、イミディエットナイフを引き抜き、正面から殴りつけるような勢いで夜天光に迫った。



『―――おおおおお!』


 この夜天光は、許されないことをした。

 シャクヤクを破壊することで、和平の望みを賭けたムネタケ提督の覚悟を踏みにじり、遂には―――。


 アキトは怒りに我を失っていた。

 彼の怒りは、目の前の機動兵器を破壊するまで、治まることは無い。


 北辰が赤い夜天光に乗っていることは知っている。

 黒い夜天光に乗っている者が、しかし誰であっても構うものか。


 ―――!


 黒い夜天光は、ブラックサレナの接近に何も反応を示さない。いや、そう見せかけているだけなのか、今にも接触しようとした瞬間、機体を反転させてブラックサレナと相対した夜天光の右腕には、ミサイルランチャーが握られていた。撃ち出されたミサイルは、流れる軌道を描いてブラックサレナの進路を遮った。



「北辰!

 貴様―――!」


 黒い夜天光のコックピットで、天河明人は唸り声を上げた。

 彼の自由になるのは、機体の制御のみ。

 右腕及び、ミサイルランチャーのトリガーは、北辰によってコントロールされている。それを止める術は、今の明人には無かった。


 傍目には、ただ夜天光が攻撃したようにしか見えなかっただろう。






機動戦艦ナデシコ
ROSE BLOOD

第25話

著 火真還








「ナデシコに打電しておけ!

 それから―――夜天光からの応答はまだか!?」


「応答、ありません!」


「くっ!

 ……あれが木連のもので無いなどと言った所で、向こうは信じてくれまい。

 全艦に伝えろ! 命令あるまで待機! 勝手な行動は許さんとな!」


「副指令、『ゆめみづき』接舷しました」


「元一朗か!

 よく間に合ってくれたモノだ……!

 分かった、九十九を見舞ってくれ、と伝えてくれ」


「ハイ」


『秋山さん、一体何があったと言うんです?

 白鳥さんは無事なのですか?』


 状況がつかめないまま、困惑しているらしいアララギからの通信に、


「ああ、九十九は大丈夫だ。

 それより、現状維持を徹底しておけ。

 俺たちは今、微妙な位置に立たされているらしい」


『……どういうことです?』


「俺たちが、囮だったと九十九は言っている。

 草壁中将は、この機に乗じて地球連合総本部を直に叩こうとしているのだ」


『なんですと!?』


「だが、月軌道で俺たちを待っていたのは連合艦隊ではなかった。

 見ろ、アララギ!

 シャクヤクは沈んでしまった。

 ナデシコ一隻に、我らが束になって襲いかかろうというのか!?」


『……た、確かに』


「おそらく九十九も同じ気持ちになったのだろうよ。

 戦って、死んだとしても―――木連が勝利を掴むなら、それもまた良かろう。

 だが、現状は違った。

 お前は聞かなかったのか? シャクヤクに乗っていた将校の言葉を。

 地球は、和平の使者を送ってきたのだ。

 それを望んでいたのは―――我々の方ではなかったか……!」


『!!

 ―――了解しました!』


 アララギは、最敬礼で通信を終えた。

 息を吐いて秋山は、自分を見上げているブリッジの兵士を見渡した。


「……どうした?」


「ハ、いえ。

 ……今のお言葉、全艦隊に送信します。

 構いませんか?」


「あ、ああ。

 頼む」


 現状維持という言葉よりは、よほど納得のいく説明をしたのだと、今になって彼は気づいた。

 ―――アララギには済まんが、出来の悪い生徒役になってもらうか。


 そんなことを考えている間に、月臣とユキナがブリッジに飛び込んできた。


「―――源八郎!!

 九十九が居ない! 何処へ行ったんだ!?」


「……なんだと!?」


 月臣の言葉に顔色を失って、秋山はうろたえた。


「秋山さん。

 お兄ちゃん、制服も脱ぎ捨てたままで……」


 着替えを持ってきたのだろう。

 真新しい優人部隊の制服を胸に抱いて、ユキナは瞳を潤ませた。


「白鳥司令の姿を見たものは居ないのか!

 艦内に放送を流せ!」


「ハッ!!」




 ***




「ミナトさん、大丈夫ですか?」


「え、ええ。

 …………」



 『かぐらづき』の状況は、ナデシコにも伝わっている。

 九十九が撃たれたことに呆然とするミナトに、メグミはそれ以上掛ける言葉が見つからない。

 ルリは、その『かぐらづき』からの新たな情報を、モニターに呼び出した。


「『かぐらづき』より通信、来ました。

 ―――艦長」


 通信文に目を通して、ミスマルユリカは頷いた。


「うん。

 ―――敵の狙いが地球連合総本部だって……確定だね。

 元々、木連艦隊の総力でも、地球連合艦隊の戦力を超えることは出来ないことは、向こうもわかってたはず。

 それなのに和平を否定して、ココまで戦いに拘るのは、勝てる勝算があるから。

 それが、こういうことだったんだね―――」





 まだ、シャクヤクと合流をする前のことである。

 木連艦隊が囮であるというのは、考えられない話ではなかったのだ。

 では、その本命は何か―――?


 医務室で、ルリ、イネス、ユリカがその可能性について論じていた時、



「地球連合総本部!?」


「はい、木連艦隊が囮だと、艦長は言いましたよね?

 私もそう思います。

 そして、もしそうなら、木連の―――草壁春樹の真の目的は、地球連合総本部に間違いありません」


 きっぱりと、断言する。

 もしそれが本当なら、確かに地球連合は指揮系統を奪われ、戦力を温存したまま敗北するに違いない。

 しかし―――ユリカは信じられない、といった表情で否定した。



「でも……無理でしょ。

 チューリップは、少なくとも連合本部周辺からは既に撤去されてるんだもん。

 ボソンジャンプって、限られた人しか出来ないし。

 木連には、そんな人は居ないよね?」


「居ないと思います。

 でも、そうとしか考えられないんです。

 切り札を隠し持っているとしたら、それは―――」


「ルリちゃん……どういうこと?」


 何時に無く頑なに言い張るルリの姿に、流石にユリカは違和感を隠せなかった。


「……説明してくれる?」


「それでは、説明しましょう」


「イネスさん!」


 ホワイトボードまで持ち出して、イネス・フレサンジュは、回線をオールチャンネルで解放し、ここぞとばかりに説明を開始した。ナデシコ艦内、すべてに筒抜けである。


「そもそも、ボソンジャンプとは。

 A級ジャンパーと呼ばれる人間、つまり―――」


「…………」


 ぱくぱく。


 自分が言うべき台詞を取り上げられて、ルリはなんとなく思った。

 ……まさか、自分が説明する為に、今まで秘密にしてたとか。


「火星を居住可能な惑星にする為に散布されたナノマシン。

 それは普通、人の身体に害はもたらさない。

 そして、火星で生まれた、つまり母親の胎内にあった胎児は、ナノマシンが当たり前に傍にある、そんな環境で過ごすことになる。

 さて、ここで一つの外的要因があったの。

 火星の極冠遺跡―――そこで変質したナノマシンを取り入れた子供は……ある特性を獲得することになった」


「それが、A級ジャンパー……?」


「そ。

 遺跡にイメージを伝達することが出来る人間のことね。

 例えばアキト君、私、そして―――艦長」


「へ!?」


 ユリカの驚きをあっさり無視して、イネスは説明を続けた。


「そして、A級と呼ばれる以上、B級と呼ばれるジャンパーが居ることになる。

 IFSに代表されるナノマシン形成によって、擬似的にジャンパー体質を得ることが出来た人。跳躍に耐えられる人間のこと。これは、白鳥九十九や月臣元一朗によって、既に実現しているわね。

 遺跡にイメージを伝達することは出来なくても、代わりに機械がそれを行えば、ジャンプは出来るということ。だから、小型化はかなり難しく、あのスケールでしか実現は出来なかった。しかも移動距離に制限までついている」



 考え込んで、ユリカは顔を上げた。


「それは分かります。

 だからこそ、B級ジャンパーの跳躍距離で、地球連合本部の奇襲が可能とは思えません」


「そうね。

 でも―――それが可能になる手段は、確かにあったの。

 A級ジャンパーが、B級ジャンパーをサポートする場合よ」



「どういう……ことなんですか?」



「簡単なことなのよ、理屈の上ではね。

 B級ジャンパーの行きたい場所を、A級ジャンパーがナビゲートする。

 遺跡に理解できる形で、B級ジャンパーの言葉を伝達する機械。

 ―――そのA級ジャンパーは、翻訳機になるの」


 その言葉は、酷く聞き慣れない響きで、彼らの耳に残った。

 人が翻訳機になる―――その意味を、まだ完全に理解してはいない。




 ***




 何度目かの着弾の衝撃で、明人は意識を失った。それは、一瞬のことだったのだろう、再び体中をシートに叩きつけられる衝撃で、目を覚ます。機体の状態を示すステータス・パネルは真っ赤に染まり、数え切れないほどの損傷を彼に告げていた。



 ―――このまま、死ぬのか。


 朦朧とした頭で、思う。死を覚悟したことは、一度や二度ではない。それこそ、数え切れないほどの死線を潜り抜けてきたのだから。しかし、ジャンパーである以上、何時もそれは絶対の保険として、彼の精神を支えてきた。それが、今は無い―――。


 結局、ヤマサキと北辰のほうが、一枚上手だったということなのか。

 あの少女を助けられる時間は、自分には与えられなかったのか―――。



 目前に迫ったブラックサレナのハンドガンの銃口を意識しながら、明人は自分の為そうとした―――が、フィリスに伝えられなかったことを、初めて後悔した。躊躇している場合ではなかったのだ。どれだけ彼女が傷つくとしても、言わなければならないことだった。―――彼女がアレと相対する前に。

 今、ここで死にたくない。過去の自分に殺されるほど、惨めなものは無い。何も残せないまま、消えていくことは屈辱以外の何者でもない。

 ―――だが、唯一慰めがあるというなら、それは過去の自分が惨めな未来の自分を知ることなく、止めを刺すことだろう。この世界で、自分の過ごした未来が最早存在しないということは、己が一番良く分かっている。この世界のアキトと自分は、同じ人間であり、別の人間でもあるのだから。

 それは、矛盾した存在だ。

 だとしたら、消えなければならないのは―――自分のほうだった。


 ……しかし。



『―――二人とも、戦いを止めてくれ!

 最早、ここでの戦闘に意味は無いはずだ!』



 突如、ブラックサレナと夜天光の間にボソンアウトしたテツジンは、二機の戦闘行為を止める為に、両手を広げ、その場に止まった。包帯に血を滲ませ、荒い息を吐きながら、九十九はなお夜天光を追い詰めようとするブラックサレナを押し止める。そうしたのは、黒い夜天光に既に戦う意思が見られなかったからだ。


『退いてくれ、白鳥さん!

 俺は―――コイツを許せない!

 コイツは、シャクヤクを……提督を!!』


『気持ちは分かる、テンカワ君。

 だが! ……そんな憎しみで人を殺してはいけない!

 ムネタケ提督も、こんな事を望んでいるものか!』


『そんなこと、何で分かるんだよ……!?』


『提督は、立派だった……!

 俺は、草壁春樹の手の上で踊らされ、無様な姿を晒してしまったが、今また、和平を胸に抱けたのは、提督の信念に心を動かされたからだ!

 今ここで戦うより、やらなければならないことがあるだろう……くっ』


 肩の傷が痛むのか、九十九は身体を折って、声を押し殺した。


『草壁中将を……いや、草壁春樹を止めるんだ、テンカワ君。

 でなければ―――連合を失った地球は、また報復に出るだろう。

 そうなったら―――今度こそ、和平など……望めなく……』


「白鳥さん!」


『提督……申し訳ありません。

 私は―――』


『……立派よ、白鳥司令。

 貴方はちっとも成長しないけどね、テンカワ・アキト。

 ―――勝手に人を、殺さないで頂戴』


『『は!?』』


 モニターに現れたムネタケ提督の顔を見て、九十九とアキトは呆然と呟いた。


『『ゆ、幽霊!?』』


『失礼ね。

 シャクヤクには誰も乗ってなかったのよ。

 こんな危険な任務、ワタシも部下を連れて行くのは忍びないし、一人でシャクヤクに居るのは寂しいから、ナデシコに移ってたの。

 ……聞いてなかったの?』


 ―――知らなかった。

 がっくりと項垂れて、アキトは声にならない脱力感を吐き出した。

 実際は、アキトがフィリス達を助ける為にナデシコを離れた後、シャクヤクと合流した際に提督がナデシコに移動したのだから、伝えられなければ知らなくて当然ではあったのだが。


『そして、ナデシコからシャクヤクを中継して、木連に通信してたわけ。

 まあ、そのお陰で助かったのだけど』


『―――良かった、ムネタケ提督』


 感涙する九十九。


 アキトは、ほっと一安心―――出来なかった。

 ブラックサレナを止める為に現れた九十九のテツジン、その向こうで沈黙していた夜天光の右腕が、再びミサイルランチャーを構えたからだ。



『―――危ないっ!』


 テツジンを押しのけ、ディストーションシールドを張ろうとして、アキトは青くなった。フィールドキャンセルされるミサイルに、幾ら高圧重力の盾でも持ち堪えられる保証は無い。


 しかし、ミサイルは発射されなかった。

 正確には、撃とうとしたミサイルランチャーを右腕ごと、夜天光の左手に握られていた錫杖が破壊したのである。黒い夜天光は、近距離で爆発したミサイルの衝撃に晒されて、弾き飛ばされた。


「……!?」




 ***




『見つけたっ……!

 ポイント18925! 先に行くぜ!!』



 ハンドレールガンを、『赤い夜天光』へ向けるリョーコ機。

 肩を掠った銃弾に、北辰は初めて動揺した。


『―――何だと!?』



『隠密、奇襲、偵察、その他もろもろの必須装備!

 見たか見たか、ウリバタケ謹製、ステルスマントの性能を!!

 うわはははは!!』


 ウリバタケ考案・作成のステルスマントでレーダーを逃れつつ、四方に散っていた彼らエステバリス隊は、小型熱源、不審な信号を発する機動兵器を探す為に、今まで時間を費やしていた。

 黒い夜天光が、只の傀儡に過ぎないと判断した、フィリスの指示である。


 その推測が、ようやく報われた瞬間だった。


 リョーコの示したポイントに、エステバリス隊が集結する。


『ナデシコか……!

 何処までも忌々しい奴等よ』


 リョーコ機に接近する夜天光の背後から、エステバリス2の銃撃が加えられる。

 北辰は、深追いを断念した。


『ちょっとやり方がセコイんじゃないか?

 北辰さんよぉ!!』


 エステバリス2に乗っているのは、高杉三郎太である。


『上手いね〜、サブ君』


『流石、優人部隊ってコトでしょう』


『まだまだーーー!』


 ハンドレールガンで夜天光を牽制するヒカル、イズミの横を通り抜けて、ガイはゲキガンソードを振りかぶった。


『これからだぜ!!』


 錫杖で、それを受ける夜天光。

 火花を散らしながら、夜天光はガイ機の威圧に僅かに押された。



『これ以上、この場を引っ掻き回されるのは勘弁願いたいね。

 ―――お引取り願おうか!』


 この瞬間を狙っていたのだろう。

 アカツキ機が、ハンドレールカノンで射程ギリギリから狙撃。


 ―――命中!

 背部のスラスターを直撃。

 瞬間張り巡らされた、強固なディストーションフィールドに勢いを殺がれ、爆発こそなかったものの、確実に機動力を奪った筈だ。


『…………』


 コックピットで衝撃に耐えながら、北辰は自分が冷静さを欠いたことにようやく気づいた。天河明人に拘りすぎた結果がこれだ。この茶番を考えついたヤマサキを笑うことなど、とても出来そうに無い。


 このまま、黙って引き下がるか、否か。


『……否。

 忘れておったわ……新しき力をな』



 ―――赤い夜天光が、跳躍した。

 それも、リョーコ機の目の前である。



『―――なっ!?』


『こ、この距離を……!?』


 短距離ボソンジャンプでは到底、移動できない距離だった。



『……っ!』


 イミディエットナイフを引き抜き、構えるリョーコ機を嘲笑うかのように、夜天光は錫杖を振り降ろす。反射的に機体を左に逸らし、斬撃を肩口にずらすことが出来たのは、訓練の賜物だった。以前の彼女だったら、避けることは出来なかったに違いない。

 鈍い音を発して弾け飛んだ右腕を犠牲にして、何とかリョーコは距離を取ろうとスラスターを噴かした。

 1対1では、絶対にコイツには勝てないことは、身に沁みてわかっている。

 ―――それが出来るのは、アレだけだ。


『テンカワ!』


 リョーコ機に止めを刺そうとする夜天光の前に、ブラックサレナはジャンプした。


『―――北辰っ!!!』


『うぬっ……!!』


 瞬時にお互いを認識し、武器を構える二人。


 突き出された錫杖と、十字にクロスさせたイミディエットナイフが凄まじい火花を散らし、高圧で吹き飛ぶが、それで終わりではない。夜天光のミサイルランチャーの狙いがブラックサレナの胴体に照準された瞬間、アキトは左手を正面に構えていた。キャンセルされる重力波と、増幅する重力波が拮抗し、渦を捲いて弾頭をその場に押し止める。


 ―――ィィィイイイイン!!!!


 ディストーションシールドと次元透過弾が僅かな均衡を保った後、その場で大爆発を起こした。


『うわー!?』


『―――!』




 両機は、爆発によって弾き飛ばされた。機体を立て直した北辰は、コックピットの中にアラームが鳴り響いていることに気づく。時間稼ぎとはいえ、天河明人の死を見届けることも、テンカワアキトと決着をつけることも叶わなかったのは腹立たしい。


 しかし、まだチャンスはある―――文字通り、最後のチャンスだが。

 自分達の行いを止める為には、火星に来るしかない。


 それが、草壁閣下の望まぬ結果になるとしても、すでに北辰には関係なかった。

 ここに至るまでの様々な感情が、彼の精神の枷を外している。


 北辰は、撤退を決意した。



『……目的は達した。

 草壁閣下の部隊は、既に地球連合総本部に攻め入ったわ。

 同時に、貴様らの負けは決まったということよ。

 それでも我を倒そうというなら―――テンカワアキト。

 火星で決着をつけよう』


「な……」



『ジャンプ』


 跳躍して、赤い夜天光は姿を消した。




 ***




『正義のため、大義のため、我らの明日のため!

 来るべき新たな秩序の為に!

 諸君らの奮闘に期待している! ―――作戦開始!!』



 拡張された草壁春樹の音声が、スピーカーから流される。

 同時に、各部隊単位で特殊な風体の兵士がいっせいにイメージを開始した。


『目標、地球連合総本部ビル……跳躍!』


『目標、地球連合総本部ビル……跳躍!』


『目標、地球連合総本部、兵士宿舎……跳躍!』


『目標、地球連合総本部、補給倉庫……跳躍!』


『目標、地球連合総本部、駐屯場……跳躍!』


『跳躍!』


『跳躍!』


『跳躍!』



 ―――跳躍。


 静かに、だが今までの常識では考えられなかった速度で、草壁中将の計画は、最終段階へ移っていった。


 その様子に、草壁春樹は―――勝利を確信した。






「反応が無かっただと!?

 そんな言い訳は聞かん!!」


 地球連合総長は、怒鳴って通信を切った。


「―――これが、遺跡の力だと言うのか、宇宙軍参謀長」


「言ったはずですよ、総長。

 ……この相手は、通常の敵ではない、とね。

 火星から我らを追い出し、遺跡を手中に収め、その力を遂に振るったということなのでしょう。

 しかし、木連も一枚板ではなかった。

 和平を願う穏健派は、この情報を私に託した。

 ―――せめてもう少し、決断が早ければ……」


「クッ」


 総長は、言葉に詰まって―――視線を逸らした。



 新型機動兵器を擁する木連の奇襲に、地球連合は悪戯に被害を増やしていた。


 ナデシコからその可能性を示唆されていたため、ムネタケ・ヨシサダ参謀長は突然の襲撃を警戒し、上申していたのだが。

 問題だったのは、その情報がもたらされてすぐ、警備が強化されたわけでは無かったという点だ。連合決議に議題を上げ、決定するまでには、時間があまりにも足りなかったのである。通常配備された本部直轄の機動部隊だけで、相手に出来る数ではない。

 総本部ビルに立てこもる羽目になり、直ぐ外で起こっている戦闘に、将校たちは顔色を無くしている。

 その中で、参謀長は悠然と茶を啜った。


「……何故、そんなに落ち着いているのだ、ムネタケ参謀長。

 十数分後には、彼らはここに踏み込んでくるかもしれん。

 そうなったら、地球連合は敗北することになる。

 貴方は怖くは無いのかね?」


「―――じたばたしても始まらんでしょう。

 それに、援軍が来ないとも限りません」

 
「……援軍、だと?」


 孤立した総本部に辿り着く、もっとも近い駐屯部隊が最短でも1時間掛かる事を参謀長が知らないはずはない。

 総長は、訝しげに問うた。


「何処の部隊だと言うのかね、それは」


「―――あの、ナデシコですよ」


 参謀長はそう言って、ウインクした。





「攻撃が激しいのは何処だ!?」


「北門です! もう、何分も持ちません……!」


「手の空いているものは、居ないのか!」


「このバッテリー残量じゃ、行っただけでアウトです!」


「くそ、最初に狙われたとはな……!

 かなり前から、周到に計画されていたに違いない!」


 配備されていたエステバリス隊は、最初の奇襲で拠点にある重力波発生装置を破壊され、手持ちのバッテリーのみで応戦しなければならなかった。


「総本部ビルだけは、落とさせるわけにはいかん!

 後退して、密集陣形をとれ!」


「援軍は……」


「くそ、それまで持ち堪えれるわけ、……」


 絶望的な言葉を飲み込んで、兵士は目の前に突如出現した巨大な機動兵器に見入った。


「な、なんだコイツは!?」



 咄嗟に手にしている銃を向けようとするが、思いとどまる。


 ―――エネルギー残量が回復している!?


 重力波リンクが回復し、目の前のダイデンジンからそれは供給されているのである。

 その事実に、パイロットは困惑した。



『―――第十三独立艦隊ナデシコ所属、イツキ・カザマです。

 大尉、お久しぶりです』


「イツキ……だと?

 その機動兵器に乗っているのは、イツキ君なのか!?」





 『れいげつ』を出て、戻ってくる最中のことである。


「正気ですか?」


「……本気か、と言って欲しかったですけど。

 気の迷いじゃありません。ジャンパー体質にする為のナノマシン、あるんでしょう?」


「あるにはありますが……」


 『ゆめみづき』の中で、月臣はイツキからジャンパー特性を獲得したいという申し出を受けた。

 不可能な話ではない。既にパイロットとしてIFSを獲得しているイツキは、跳躍ナノマシンの摂取による身体改造に、適性はあるだろうから。


「このまま戻っても、満足には戦えないと思うんです。

 跳躍に耐えられる身体じゃないと、相手の動きに対応できませんから」


 跳躍できる小型の新機動兵器が配備されていると予想される以上、彼女の危惧はもっともだと言える。

 熟考して、月臣は頷いた。


「……分かりました。

 有事の際は、格納庫にあるダイデンジンを使ってください。

 お役に立つでしょう」


「ありがとうございます!」


 月臣の過分な申し出に、イツキは頭を下げた。



 そして、木連艦隊の真相を知ったイツキは、ジャンパー体質を得て、単独連合総本部へ直接、帰還したのである。




『はい。

 ナデシコは木連の穏健派と和平を成就する為、単独火星に赴きます。

 それまで、何とか持ち堪えてください』



 内心はどうあれ、イツキ・カザマを人として評価していた大尉は、彼女に言葉に頷いてみせた。



「な、ナデシコか……。

 ―――分かった、信じよう!」





 ***





「―――来やがった!

 お前ら、気ぃ抜くんじゃねぇぞ!?」


「「「うっス!!」」」


 無断でカタパルトから格納庫に飛び込んだ状態のまま、黒い夜天光は衝撃緩和の為のワイヤーに絡まった後、それを数本根元から千切って、壁に激突して止まった。


「やっぱり壊れましたよ、緊急ワイヤー」


「重さがエステと違うからな、止まらんとは思ってたが……仕方ねぇだろ」


 遠巻きに、煙を上げて伏せたままの黒い夜天光を見つめ、手にしてる銃をいつでも撃てるように、彼らは様子を見守った。


 コックピットハッチが開かれた。

 中から黒いバイザーを掛けた男が現れ、デッキに落ちた。

 幸い、機体がうつ伏せになっていた為、それほど高い場所からではなかったが。



 しーん。



 警戒している彼らを尻目に、格納庫に入ってきた二人の子供が近づいていく。


「ラピスちゃん、ハーリー!?

 危ないぞ、お前ら!

 そいつがまだ、敵か味方かも分からないんだからなー!」


「…………」


 無言で、動かない男の顔を覗き込むラピス。

 ハーリーは、一寸立ち止まって、ウリバタケに説明した。



「味方らしいですよ。

 フィリスさんが言ってました」


「はぁ?

 ……なんだってぇ?」


 ともあれ、危険ではないらしい、と判断して、ウリバタケはスパナを仕舞って男に近づいた。

 男の腕を引っ張るラピス。彼女の力では持ち上げられないのだろう。少し下がるように言って、ウリバタケは男の顔を覗き込んだ。


「―――おい、アンタ。

 ……大丈夫か!?」


「……ブリッジに……連れて行ってくれないか」


「んなこと言われてもよ」


「―――頼む、ウリバタケ」


「……お前。

 なんで俺の名前―――」


 流石にその声音から、ウリバタケは相手が誰かを本能的に悟っていた。

 しかし―――アキトはまだ、ブラックサレナの中だ。リョーコのアサルトピットを担いで、ナデシコに向かっている。

 ここに居るのが、テンカワアキトであるはずが無い。


「くそ、どーなってんだ」


 そう言いながらも肩を担ぎ、ウリバタケは男を立ち上がらせた。



 ***



 ブリッジ。


 入ってくる二人を、クルーは黙って見守っていた。


 ウリバタケに肩を借りて、天河明人は―――ブリッジに足を踏み入れた。


「…………」


 敬礼して、ユリカは複雑な表情を浮かべた。

 彼とは初対面ではない。いや、その素顔さえ、一度は見ている。


「……一度、二度。

 お会いしましたよね?」


「ああ」


「説明して、もらえませんか?」


「知ってるんだろう? 俺のことは」


 静かに息を吐いて、黒いバイザーを外す。

 クルーは息を呑んだ。

 精悍な、大人びた風貌のテンカワアキトの姿が、そこにあった。



「―――やっぱり、アキトだ」


「アキト君が二人……?」


「……どういうこと?」


「ボソンジャンプは、ただの空間移動じゃない。

 ―――時間移動なのよ。

 ここ以外の時間、何かの拍子で別の時間のテンカワアキトがこの場に現れても不思議ではない。

 もっとも、どうして元の肉体に戻らなかったのか、疑問はあるけど」


 ルリのほうを見ながら、イネスはそう言葉を切った。

 肉体が移動するのも、精神だけが移動するのも、どれほど意味が違うのかは誰にも分からない。しかし、おそらく理由らしいものを持っていた天河明人は、口を開いた。


「俺は、逆行した時、自分の身体に戻ることが出来なかった―――。

 理由はわからない。

 ひょっとしたら、この身体のせいで、この時代の俺とは別人だと遺跡に判断されたのかもしれない。

 もしくは、B級ジャンパーとは違って、A級ジャンパーというのは、ある程度、融通が利くのかもしれない―――過去の自分にもどるか、否かを。

 俺は、戻ることを自分で拒否したのかもしれないな」



 ベッドから抜け出してきたばかりなのだろう。

 パジャマの上に制服を羽織っただけの簡素な姿で、フィリス・クロフォードがアキト他、パイロット連中を従えてブリッジに入ってきた。ブリッジの会話は、艦内に放送されている。その顔は、一様に複雑だった。




「…………」


「…………」


 二人のアキトは、お互いを初めてそれと認識して、視線を交わした。


「色々、聞きたいことはあるんだけど……いいかな」


「当然だろうな。

 ナデシコはこのまま、火星に向かうんだろう?」


 明人はユリカに訊ねた。


「そのつもりだけど……」


 ユリカは、エリナに視線を走らせた。


「10……20分ほど、時間は掛かるけどね」


 肩を竦めて、エリナは肯定した。


 今、ナデシコは三番艦カキツバタと合流しようとしている。

 カキツバタで運搬されてくる補給物資、及びCC。

 そのCCを散布、ナデシコごとボソンジャンプして、火星に向かう為である。

 その作業には、しばらく時間が必要だった。


「準備の間、時間はあるわけだ。

 ―――何が聞きたい?」


「アンタ、本当に……俺なのか?」


 アキトは、目の前に居る男の雰囲気が、あまりに自分とかけ離れていることに、今更のように気づいた。やせ衰え、疲れ果てたような表情を隠す為か、苦笑して、明人はバイザーを掛け直した。あまり、過去の自分と相対するのは、楽しいものではないらしい。


「変わらない人間など居ない。

 まして、A級ジャンパーであれば尚更。

 テンカワアキトという人間は、特にそれが顕著だった」


 まるで自分のことではないかのように。


「言っている意味が、わからない……」


「テンカワアキトは、コックとしてナデシコに乗った。

 流されるままパイロットを兼任し、未熟な腕だったが、蜥蜴戦争とよばれたこの大戦を、生き残ることが出来た。

 ナデシコの皆と共に……」


「未熟って……俺、結構強いつもりだけど。

 フィリスさんに鍛えてもらったし」


「―――フィリス・クロフォードなる人物は、俺のいた歴史には現れなかった」


「「「―――ええ!?」」」


 その言葉の意味を理解するのは、数瞬を要した。

 大体の事情を知ったつもりで居たアカツキ、エリナ達も、驚いて声を上げた。

 逆行した人間としてフィリスを認識していたが、あの時、あの場所に彼女が居て、ボソンジャンプの事故に巻き込まれたかどうかまでは―――分かるはずもない。ブラックサレナを知っているだけで、自分たちを知っているだけで、過去にナデシコに乗っていたことを確信してしまっていたのは、仕方の無いところであった。


 フィリスは皆の視線を受け止めて―――肩を竦め、


「この戦争が始まった頃、フィリス・クロフォードは既に死亡してたんだ。

 クリムゾンに誘拐されたとき、マシンチャイルドの実験でな」


 こちらも自分の事でありながら、既に他人事であるかのように説明する。


「ところが、テンカワアキトが逆行したことで、その事実は変わってしまった。

 フィリス・クロフォード――つまり俺は、テンカワアキトによってクリムゾンの研究所から救い出された。

 だが、テンカワアキトはそこに止まるしかなかった」


「……なんで?

 いっしょに逃げればよかったじゃないか」


「「…………」」


 理由がまったく理解できないアキトに、しかし明人とフィリスは、何も言い返せず沈黙した。



「―――フィリス・クロフォードの居ない世界。

 アキト君はね、自分を鍛え上げてくれる人の居ない世界で、とある事件に巻き込まれたの」


 黙りこんでしまった二人を見かねてか、それともただ説明がしたかったのか。

 イネスは二人に代わって説明を続ける。


「戦争が終わった直接の原因は、全ての火種がボソンジャンプにあると知ったナデシコが、その遺跡を誰の手も届かない場所に捨ててしまったことが発端だった。

 とりあえず、それで地球連合と木連は表面上和解して。

 一安心ってところだったんだけど……裏ではとんでもない事態が、進行していたのね。

 ナデシコの捨てたはずの遺跡を持ち帰り、ボソンジャンプを独自に研究、独占して、新しい秩序を実現させる為に、地球連合総本部を襲撃した事件があった。

 ―――草壁春樹は、その首謀者なの。

 そのときの技術が、翻訳機―――A級ジャンパーを遺跡と融合させて、自分の都合のいい兵士であるB級ジャンパーを、どれだけ離れた場所だろうと、跳ばすことが出来るシステム。

 いったい、そのシステムの開発に、幾人のA級ジャンパーが犠牲になったことやら」


 ようやく事情が飲み込めたのか、アキトは顔色を変えた。


「……A級ジャンパーが、犠牲って。

 それって、まさか」


「アキト。

 俺にはそのとき、力が無かった。自分と、大切な人を守る力が。

 この身体はな、奴らの実験のお陰で―――既にボロボロなんだよ。

 その復讐の為に身体を鍛え、ブラックサレナを駆って、怨敵は打ち倒した……が、事故でこの時代に飛ばされてしまった。

 そして、フィリスを助けた時―――もう、自分を跳ばせるだけの力も、残って、なかった。

 ―――くっ……ゲホッ、ゴホッ」


 突如咳き込み、明人は身体を折った。ユリカは慌てて駆け寄る。


「だ、大丈夫!? アキト!!」


 口元に当てた手から血が滴り、床に落ちるのを見て―――イネスは、懐からカプセルを一錠、取り出した。


「抑制剤が切れたのね。

 ……ナノマシンの暴走で、内臓が殆どイカれてしまってるわ。普通ならさっさと医療室に連れて行って絶対安静な状態なわけなんだけど。

 ―――さて、コレが何かわかる?」


「……何、だ?」


「こんなこともあろうかと、フィリスの体液からナノマシンを採取して培養したモノよ。

 ―――当然、抑制ナノマシンも含まれているはず」


 まじまじと、全員がフィリスを見た。

 赤面して、弁明するフィリス。


「体液って言い方は止めろ、イネス。

 只の血液だろう」


「そうだったわね。

 まあ、唾液でも何でも、ナノマシンが含まれていれば良いんだから、問題ないでしょう―――ハイ」


 カプセルを明人の口の中に放り込んで、イネスはそう言った。


 効果は、直ぐに現れた。


 明人の呼吸が穏やかになった。

 もちろんそれで、今まで擦り切れた神経が治るわけではない。感覚がもどる、という事はなかったが、少なくともナノマシンの暴走は抑えられたようだった。穏やかな表情を取り戻して、明人は唸った。



「……凄いな」


「感心する前に、教えて欲しいことが一つだけ、あるの」




 直前の、砕けた様子とは一変して―――イネスは厳しい表情を作った。


「ホシノルリ」


 促されて、ルリはオペレーター席から立ち上がった。

 じっと、明人を見上げる。




「明人さん。

 遺跡に組み込まれてしまった―――翻訳機は、誰なんですか?」



 歴史を繰り返して、それで二度とあれの犠牲者を出したくは無かった。

 しかし、彼女の予想をはるかに越えるスピードで、既に翻訳機にされてしまった人が居る。


 それは、天河明人しか知らない人物なのかもしれない。

 誰にも言わなかったその名前を、今なら聞ける筈だ。




「……さっきの話の続きになるが。

 俺は、フィリスを助けた後―――自分の意志でその場に留まった。

 自分から死ぬことは出来なかった……。

 もう一人、助けなくてはいけない少女がいたからだ」


「まて、―――それは……」


 フィリスは、以前言っていた彼の木連に留まった『都合』とやらが、それなのだということをようやく知った。


 ―――水臭い、言ってくれれば手伝ってやったのに。


 そう言いかけて、しかし口には出せない。



 イネスがため息を吐き出した。


「……言えなかったのね、彼女には」


「その少女の、名前は……まさか」


 ルリは、震える声をおさえることが出来ない。



「翻訳機、か。

 そんな生易しいものじゃない。

 ―――遺跡を、直接操作しているのと同じだ。

 マシンチャイルドと、同じ素質を持っているんだからな」


「…………」


「ようやく納得できたわ。

 ―――翻訳機は、本物の……フィリス・クロフォードなのね」


「なん……だと?」


 フィリスは、一瞬自分が聞き間違えたのかと思った。

 ありえない。

 そんな―――ことは。

 イネスは、辛そうに目を伏せて、真実を口にした。


「マシンチャイルドになったからといって、A級ジャンパーの素質が無くなるわけじゃないのよ」


「……その通りだ、イネス。

 オリジナルのフィリス・クロフォードは、A級ジャンパーだ。

 ナノマシン適合DNAのお陰で、完全に遺跡に適合できる、唯一、只一人の。

 だが、お前は違う。

 お前は、ヤマサキの研究所で―――生まれたんだ」


 それは残酷な宣告なのかも知れない。


 だが……。



 今、言わなければならない事だった。







 ***







 ―――ピ―――ピ―――ピ



 一定の間隔を置いて、規則正しく電子音が、少女の耳を打つ。


 しかし、それが何の意味を持っているのか、理解できない。

 その音の発生する理由がわからない。

 なのに、それが電子音だということはわかる。



 不意に、男の声が耳に届く。



『ヒントはあったんですよ』


『…………』


『DNAレベルでナノマシンと適合する素体。

 その可能性を確かめる為とは言え、オリジナルを使用するなど人道に反します。

 おっと、私がそんなことを言うのは可笑しいですかね』


『―――』


『ハハハハ。

 そのとおりですとも。

 失敗は怖いですからね。

 だから、創ったんですよ、代用品になる、真っ白なノートを。

 ……意味がわかりませんか?』


『…………!』


『ハイ、ご明察。

 流石ですね。テンカワ博士の息子さんであるだけのことはある。

 ―――別に皮肉を言ってるつもりはありませんよ。


 その通りです。

 この少女の名前は、私も知りません。

 姿形が似ているだけの、赤の他人ですよ。

 フィリス・クロフォードの細胞を移植し、貴方のナノマシンで命を与えられ、存在を許された人造の生命。

 私の創り上げた、マシンチャイルドです』


 ―――彼らの会話を、少女は聞いていた。


 聞いていたが、しかしそれが自分の事だとまではわからなかった。

 理解できなかったわけではない。


 彼女は自分が―――少女であることを、知らなかっただけだ。




 ***




 ガシャアアアン!!



 硬化ガラスが割られ、警報が鳴り響く。しかし、深夜の研究室、内側からバリケードを築いたこの部屋に、警備員が来るまでにはまだ時間がある。
 

 無菌室から少女を抱えて、白衣の男は隣のロッカーに急いだ。


 少女が目を覚ました。


「……ふぁ?」


「起きたか。

 ……名前は?」


「―――あきと。

 てんかわ、あきと」


 少女は、かろうじて記憶していた自分の名前を、口にした。


「……そう、か。

 とりあえず服を着てくれ、そこの―――そうだ、いいぞ。

 ……くっ、はぁ、はぁ、ゲホッ、ゴホッ!」


 男は咳き込んで蹲(うずくま)った。

 床に飛び散った血が黒いのは照明のせいか。

 それとも内臓が逝かれてしまっているからか。じっと血に濡れた手のひらを見下ろし、しかし男は頭を振って、それから目を背けるようにして白衣で拭った。


「マントは……確かここに仕舞ってあったはず……」


 男はマントを探り当て、それを少女に羽織らせる。

 只の黒い布にしか見えないそれは、跳躍装置が内蔵されている特注品だ。

 流石にヤマサキも、まさかこのマントにそんな機能があるとは、気づかなかったようだ。


「?」


 金色の瞳で、不思議そうに彼を見上げる少女を、男はしばしの間、見つめ続けた。



「―――開けなさい、天河君!

 マシンチャイルドをどうするつもりですか!」


 ドンドン、とバリケードの向こう、扉が外側から叩かれる。警備員が体当たりをかましたのか、ドォン、という衝撃とともに、バリケードを構成する机が揺らいだ。

 そして、騒ぎに気づいて急いで駆けつけたらしいヤマサキの緊迫した声が、扉越しに聞こえた。


「逃げ場など、ありませんよ。

 どうするつもりです?」


 うろたえるヤマサキの顔を想像して、明人は笑い出しそうになるのを堪えながら、叫んだ。


「どうもこうもあるか!

 貴様のマシンチャイルドかも知れないが、俺の娘のようなモノだからな!

 好きにはさせんということだ……!」


「な、何を。

 ……ボース粒子反応!?」



 男がマントに触れると、次の瞬間、跳躍門が少女の後ろに構成された。

 幾何学模様を描きながら発光する光を体中に浮かべながら、しかし明人は自分が二人分の質量を転移できるほど、体力が残ってないことを自覚している。それに、もう一人の―――この少女のオリジナルは、彼の知らない場所で、まだ幽閉されているはずだ。それを探し出さない限り、逃げることも、死ぬことも出来ない。

 自分のナノマシンを受け継ぐ少女が、せめてB級ジャンパーの素質を獲得していることを祈りながら、明人はゆっくりと少女の肩を押し出した。


 ―――何処でもいい、ここ以外の、やつらの手の届かない場所へ!!


 それは、永遠の別れかも知れなかった。

 しかし、悲しむことはない。

 目の前に助けられる少女が居るのだ。

 自分の娘と呼んでも差し支えない、マシンチャイルドが。

 ―――彼女をヤマサキの元で、狂気の実験に関わらせたくはない。


 転移していく少女を見送り、明人は足元から崩れ落ちた。



 ガシャアン!!


 間を置かず、背後でバリケードが吹き飛んだ。

 しかし、もう遅い。全てが終わった後だ。


「なんて事を……」


「憶えておくんだな、ヤマサキ。

 貴様がマシンチャイルドを創ると言うなら、何度でも邪魔してやる。

 それが―――」


 力無く、声が途切れる。

 気絶したのか、反応のない天河明人を見下ろしながら、ヤマサキは表情を消して―――静かに話し掛けた。

 聞こえるはずの無い、明人に向けて。



「……良いでしょう。

 諦めますよ、マシンチャイルドは。

 ―――もっと面白そうな研究材料を見つけましたからね。

 A級ジャンパーが、他人を飛ばせるほどの力を持っている……。

 素晴らしいじゃないですか」


 それが、発端だったのか。

 この世界が選んだ道だったのか。


 物語は、終局へ向けて最後の決戦場に舞台を移す。


























後書き(ちょっと長めバージョン


遂に、設定を使い切りました。

……ども、火真還です。


プロローグからずっっっっっと考えてた設定が、コレです。


逆行の最中、ラピスと同じ性質(親みたいなものですからね)の、
助けを求める声を聞いたアキトは、逆行する自分の身体を、
自分の意志で、その場所に出現させました。

しかし、肉体的に限界に達していた為、助けるどころか自分が捕まる始末。

彼の身体から採取されたナノマシンが、自分の研究してきたナノマシンよりも、
二世代ほど進んでいると気づいたヤマサキは、その技術を使って、
フィリスのクローンを作成したわけです。マシンチャイルドとして使う為に。

ま、それをアキトが邪魔したので本編が始まったわけですが。


……我ながら、呆れるような壮大なネタを作ったもんだ。


この話を思いついて、書き始めた当初。

ここまで辿り着けるのは、正直……半々くらいの確率でした。
飽きるか、書き切るか。

まあ、その、なんだ。

……なんとかなるもんだな、と。


解説

ごめん、死んだ方が格好よかったですか? ムネタケ提督。
明人も(以下略

……ここまで来て、主要人物、誰も死んでない事実に驚きつつ。



さあ、次回最終話!!

オリジナル・フィリスを助けることは出来るのか!?

フィリスは、改名を余儀なくされるのか!?


 

代理人の感想

あらまぁ(笑)。

・・・・・まさかとは思うが、ここでカッコよく復活するために隠してたんじゃなかろうな・・・・・。

だとしたら提督もかなり汚染されてたって事ですが(笑)。

 

それはさておき・・・・こりゃわからんわなぁ。

確かに壮大なネタでした。

さて次回、その壮大なネタはちゃんと風呂敷をたたんで終れるのか。乞うご期待!

(つーか私が期待してるわけですが(爆))