一騎当千
〜第十幕〜
北の暗雲が、南の空に届くその頃、その下にいる者はいつも通りの生活を送っていた。
宮殿の中庭でも柔らかな太陽の光が降り注いでいる。
アキトはその中でゆったりとした時を過ごしていた。
俺の目の前で、憐麒ちゃんが小喬ちゃんから舞を習っていた。
横には桜蘭ちゃんが俺に茶を準備している。
ほのぼのとした空間だった。
「ご主人様、お茶です」
「ありがとう」
桜蘭ちゃんがお茶を差し出し、俺はそれを礼を言いながら受け取る。
茶を一口含み、その香り味を楽しむ。
芳醇な香りが俺の鼻腔を刺激する。
この世界の食べ物は、何か「いじった」感じがしない。
遺伝子操作されたものや、火星の土で作られたものとは違う。
つまりなんでもおいしいのだ。
素朴というか、力強い味を持っている。
料理人として、本当に驚いたことの一つだった。
それにしてもご主人様か……
桜蘭ちゃんの言葉に俺は苦笑する。
彼女には「その呼び方は…」といってみたのだが、
「これは、私のけじめですから」
と、職業の方顔負けの誇りを持っていて無理だった。
どこでそんな心得を学んだのだろう。
「しかしそれでも」と俺が言い及ぶと涙目になってしまった。
そして、憐麒ちゃんと共に無言に見つめられて…
俺は敗北した。
やはり押しに弱いのだろうな…
だから、俺はその呼び方については気にしないことにした。
ただ最近、違和感がなくなってきている自分が怖いが…
お茶を俺に差出した桜蘭ちゃんは、俺の隣に座り、俺と同じもの――憐麒ちゃんの練習風景を見る。
憐麒ちゃんは一生懸命、稽古に励んでいる。
「…憐麒、頑張ってますね……」
「ああ、見ていても飲み込みが早いのがわかるよ」
俺は桜蘭ちゃんの言葉に相槌をうつ。
憐麒ちゃんの声はあの時と変わっていない……
しかし、表情が徐々に明るくなってきた。
最近では、その体の身振り、手振りで言いたいことがわかるようになった。
その元気いっぱいな仕草を見ると、思わず頬が緩む。
ただ、時たま発する言葉が俺の自爆を引き起こすことが多い……。
憐麒ちゃんは俺の小間使いとしているのだが、ほとんどのことを桜蘭ちゃんがしてしまうので特にすることがなかった。
桜蘭ちゃんはもとよりそのつもりらしく、俺も別に何かをやらせるつもりもなかった。
だから、結構憐麒ちゃんは桜蘭ちゃんが仕事のときは俺の傍にいることが多い。
護衛である陸遜さん、趙雲さんが俺を見失って傍にいないのにも関わらず、憐麒ちゃんは俺の傍にいる。
なぜ、憐麒ちゃんは俺の居場所がわかるのだろう。
この前、俺が抜け出して木陰で眠っていたとき、重みを感じて目を開けた。
そこには俺を枕にして彼女が眠っていた。
気配は感じなかったはずだ……
他にも、知らないうちに背後にいて、俺の服のすそをつかんでいたりした。
俺も修行しなおさなくてはならないのだろうか……
そんな不思議さを彼女は持っていたのだが、
ある時小喬ちゃんが舞を演じていたのを見ていた。
そして何かを感じたのか、その舞をまねている姿が見られた。
そして、それを目撃した小喬ちゃんが……
「舞、したいの?」
と聞いてみたところ。
「(コクコク)」
と、間髪いれず頷き返した。
よって、時間をみては小喬ちゃんに舞を習っていることになっているのである。
「あの子はすごいね……表現がやわらかい。あたしも勉強になるよ」
これは小喬ちゃんの弁。
彼女にそういわせる憐麒ちゃんの才能に俺は驚いている。
憐麒ちゃんの笑顔は戻ってきている。
しかし、心の傷が癒えたわけではない。
俺達の目の前では見せていないが、一人になったときその悲しみに押しつぶされているのだろう。
常に誰かの傍にいようとする行動も納得できる。
そして、桜蘭ちゃんもまたその心の傷を持っているのである。
桜蘭ちゃんは詩吟を大喬さんから習っている。
はじめは文字を習っているところだったのだが、飲み込みが早く、詩について興味を持ち始めたのだ。
忙しい傍らよく励み、時々俺に聞かせてくれる。
二人とも何かに打ち込むことで前に進み、悲しみを乗り越えようとしている。
俺はふと横の桜蘭ちゃんをみる。
その顔は妹の様子を喜んでいる。
俺は思った。
彼女達に心から笑える日が訪れますように……
そして、俺は急に呼ばれた。
陸遜さんが俺の所にやってきて、謁見の間に来るように言う。
何のことなのかは、そのとき憐麒ちゃんたちがいたため話せないようだった。
しかし、俺はその雰囲気で悟っていた。
あまりに宮殿内に剣呑な気に包まれているのである。
前の世界、西欧に行ったときに感じたものと同じ。
すなわち戦いの前の雰囲気だった。
俺は謁見の間に案内された。
入ったところで、孫権さんをはじめすべての人物が俺に対して礼をする。
孫権さんは上座から降り、その横で諸将たちと共に並んでいる。
呂蒙さん、甘寧さんといった見知った人もいたが、知らない人物も並んでいた。
「こちらに…」
陸遜さんがそういって俺を上座――君主の席に促す。
そして自信はその右後ろに移動し立った。
その逆側には趙雲さんがいる。
二人は護衛という立場として、俺の後ろに侍しているということだろう。
俺が最後の参加者だったのか、座ったところで孫権さんが一歩前に出てきた。
「アキト様、急にお呼びして申し訳ありません」
そういって、深々と頭を下げる。
いつもと違って、孫権さんは俺を「様」をつけて呼んでいる。
おそらく、公私のけじめをつけているのだろう。
「いや、かまわない」
だから、俺は孫権さんに合わせて、言い方をかえた。
まあこういった命令口調は復讐鬼時代のときに慣れているからな……
それにしても立場のためとはいえ疲れるな。
心の中で嘆息する。
「そうですか、では報告いたします」
孫権さんは報告をしようとした…が、
「言わなくてもわかる。魏が攻めてきたのだろう」
俺は孫権さんの言葉を待たず答える。
この口調になると、微妙に攻撃的になるな…
俺の言葉に、孫権さんをはじめとして諸将からざわめきがもれる。
その驚きにも、俺がなぜ知っているのかということと、魏が攻めてくることの驚きの二種類に分けられるが…。
孫権さんは前者のようだ。
「お分かりでしたか…」
「ああ、宮殿内に殺気があふれてきていたからな」
その言葉にさすがはという顔をする。
が、それはすぐのことだった。
「どういたしますか……」
孫権さんは真剣な顔をして聞いてくる。
この質問。
俺の決断、戦うか降伏するかを聞いているのか。
この国の主として……
俺の決定は決まっている。
「戦うさ」
はっきりと言う。
「殿!しかし、魏の兵力は我らより上です」
しかし、文官らしき者が意見を述べる。
その言葉には恐れというものがこもっていた。
無理もないだろう。
戦争に対して恐れを感じない者はいない。
ただそれを別のもので押さえつけているだけなのだ。
俺がその文官に対し口を開こうとしたそのとき、
「我らの方が地の利と、兵の錬度が勝っている…決して負けてはいない」
一人の武官がその意見に反論をした。
すると、とたんに……
「しかし、民の安全を考えれば…」
「先の赤壁でも勝利をした!」
「あの時とは違う!」
いきなり議論が始まってしまった。
その議論の流れを整理してみると、文官と武官の言い争いといった所だ。
抗戦か降伏…
そのどちらかということである。
どちらも、正論であるといえるものである。
それに互いに信念というものがあるのだろう。
孫権さんは困ったという顔をしている。
呂蒙さんをはじめとして冷静さを失わない人たちは俺の顔を見ている。
お手並み拝見という気持ちがあるのだろう。
こういった議論をまとめるのも上に立つものには必要であるからな…
俺が収束させるのが筋なのは間違いない。
少し息を吐いた後、立ち上がった。
そしてただ一言、
「やめろ」
そう言い放つ。
少し殺気を乗せたせいか、場に沈黙が訪れる。
みんなが俺を注目している。
それを見て、殺気を消して言葉を続ける。
「民の安全を考えて降伏したいということはわかる」
最初に発言した文官に言う。
「しかし、降伏したところで民の安全が保証されるわけでもない。
ただでさえ、先の戦いで疲弊した所を狙ってきているのだから…」
そう、魏の目的は侵略だ。
侵略である以上、そこに血が流れないことはない。
たとえ降伏して、魏の者が何もしないと約束するとしよう。
それでも、その政治の空白を狙って、多くの賊が跋扈することとなるのだろう。
憐麒ちゃん、桜蘭ちゃんの顔が浮かぶ。
俺は語り始める。
「俺は大切な人を護りたい、自分の周りの人も…
皆も自分の周りの人を護りたいという気持ちは同じはずだ。
降伏したとしたら、その大切な人たちを護れるのか…
国でなく、人を、大切なひとを…」
俺は語った、正直な気持ちを…
戦えば民に被害がでるだろう。
しかし、魏が彼らを護ってくれるわけでない。
相手にも大切なものがいて、そちらを護ろうとするだろう。
「その人を大切だと思うのなら、自分が護るしかない。
俺は民を他人に護ってもらうのではなく自分の力で護りたい。
ならば戦おう、大切な人たちを護るために…」
そこで再び沈黙が降りた。
皆の胸中を俺は知ることはできない。
『…ディア、ブロス俺は間違っているか?』
『ううん、アキト兄らしくていいよ』
『それに合っている、間違っているなんて誰にも決められないよ』
『ありがとう……』
俺は礼を言う。
そのとき空気が動いた。
老人の文官だった。
彼は突然、深々と礼をした。
「殿のお気持ち聞かせていただきました」
礼の後、老人は言葉を紡ぐ。
「殿がそこまでの気持ちを持っているのなら私達も戦いましょう」
「張昭殿!?」
ある文官が老人――張昭さんに驚きの声を上げる。
「大切な人を護る…久しく忘れておりました。
民のためと思い「守る」ことを考えてきましたが、「護る」ことはしませんでしたな」
目をつぶり、張昭さんは言う。
「殿、私達は戦場で戦うことは得意ではありません……お願いいたします。
民を護ってくだされ」
そして深々と頭を下げる。
俺は彼が本当に国、民を大切にしていることがうかがい知れた。
だから、彼に言葉を返す。
「なにも戦うことが「護る」ことじゃない。
そのために自分ができることをする、それが護るということだ」
そこで俺は再び諸将に目を向ける。
「皆、これは護るための戦いだ。だから、俺に力を貸してくれ!」
瞬間、諸将は一斉に臣下の礼をとる。
「我ら、殿のお心に感服いたしました。微力ながら我らの力をお使いください。
魏の輩から我らの民を護りましょうぞ!」
呂蒙さんが真剣な目で俺に向かって言う。諸将も同じ表情だ。
「みんなやってやろうぜ!!!」
甘寧さんが絶叫し、皆が呼応して号を挙げる。
室内が声であふれる。
俺はここまでの状況になるとは思わず、少し圧倒されていた。
その様子を見ながら、陸遜さんが声をかけてきた。
「お見事でした」
「いや、俺の正直な気持ちを言っただけさ」
俺は苦笑しながら返事をする。
「それでいいのです」
陸遜さんは不思議なことに、俺に微笑むのだった。
さて、一体どんな策を用いましょうか…
今は武官を集めて、軍議を行っております。
アキト様の言葉の後、意見は抗戦一色となりました。
そこで正式に決定をし、文官たちは戦争のための準備をしてもらっています。
兵を徴用しますが、アキト様は希望者のみということで集めるように指示しました。
兵力には不安が残りますが、士気は高いものとなるのでまあいいでしょう。
そこで、兵の劣勢を返す策が必要なんですが…
私は軍師として的確な策を出す必要があるのです。
物見の伝令に私は判断材料を求めるために質問をします。
「魏の軍勢の数は?」
「およそ15万、総大将には曹丕自ら率いております」
15万ですか……こちらは10万以下といったところでしょうか。
おそらく参軍として司馬懿がついているでしょうから、半端な策は利きませんね。
しかし、まさか攻めてくるとは思いませんでした。
諸葛亮先生も「司馬懿なら攻めてこない」ということをおっしゃっておられましたし…
私自身も予想していました。
司馬懿が我々の思惑の上をいったということでしょうか。
蜀は南蛮平定のため不在ということで援軍は難しいですね。
まさか司馬懿はここまで見越して攻めてきたのでしょうか?
そこで彼は少しため息を吐く、しかしそれほど深刻には考えていなかった。
なぜならどこか安心していたからだ。
自分達の主の存在によって……
「15万のうち、軍の内わけを…」
更に情報を引き出す。
「はっ、曹休の軍を主力として先鋒に徐晃軍、張コウ軍が出ております」
「徐晃、張コウですか?それぞれ襄陽、長安からわざわざ率いてくるとは……本気ですね」
趙雲がその報告に反応する。
「その二人がいるならもちろん張遼も?」
陸遜が趙雲の発言をうけ、物見に質問する。
張文遠、呉にとって苦渋をなめさせられた武将で、
今まで、呉の前線を守ってきた将軍である。
もちろん参加しているに違いないという、確認程度のものだった。
しかし物見からは意外な答えが返ってくる。
「いえ、張遼は従軍しておらず、しかも寿春にもいないということです」
その言葉に陸遜は考え込んだ。
彼が軍にいないというだけでなく、防衛の任についているはずの寿春の地にもいないのである。
陸遜の予想の中に張遼がいないということは想定していなかったのだ。
それはそうだろう。
まさか、魏の誇る名将が一人の人間の警護をしているとは思うまい。
予想しろといっても無理である。
「呂蒙殿、どう思います?」
陸遜は都督である呂蒙に聞いてみた。
彼の判断力は陸遜も信用している。
「張遼の不在は引っかかる……何か裏があると考えていいだろう。
ましてや相手は司馬懿だ。単純なものではないのかも知れん」
呂蒙も陸遜と同じく引っかかっていたようだ。
その言葉に陸遜はそれに対応する手を考えることとなる。
あらゆる相手の可能性を考えて、それの最善策を導き出す。
「すると魏は徐晃、張コウの二人の将軍を呼ぶことで江東だけを攻めると見せかけ、
こちらの兵力を集中させて、別の場所を攻めるという手かもしれません」
「すると、張遼がどこか手薄なところを攻めると…」
「しかし、逆にそれをこちらが読むと見越して、兵力を分散させるということも考えられます」
二つの可能性が彼の口から発せられた。
そこでまた彼は考える。
「相手が司馬懿となると……こちらの行動を見越しているかも知れぬ。
荊州の守りを補強しなければ……」
呂蒙がうなるように言う。
そうなのだ、確定した情報を持っていないため、ベストではなく、ベターな選択しか取れないのである。
「そうですね、では呂蒙殿、甘寧殿、これより荊州方面の守りに向かってください。
そして軍の編成をしてください、あそこは蜀と協力すればどうにかなるでしょう」
「承知した」
「わかったぜ」
陸遜の決断で、二人の将は荊州に向かうこととなった。
たった一人の人間がいないだけで、そして一人の人間の才を危惧するゆえにアキトたちは将の分散というハンデを負ってしまう。
曹丕の意志としては、全力を持って攻めるために将を集め、
ある人間を護衛するために将を残しただけであった。
誰も、司馬懿でさえも意図しなかった効果がここに現われたのだった。
「さて、これで荊州の憂いはなくなったわけだけだが…」
「陸遜さん、何か策はあるのかい?」
アキトが陸遜に尋ねる。
アキトは基本的に策略家ではない。こういった軍略には疎いのだ。
一対多数を相手にすることが多かったため、集団戦闘は向かないのだ。
「策はありますが、それに相手が乗ってくれるかが……」
陸遜は眉根を寄せている。
陸遜が不安に懸念している点は3点ある。
一点は、兵力が少ないこと。
これは、士気の高さと地の利で何とかなる。
二点は、策が通用するかということ
相手が司馬懿である以上、見破られるのを前提として考えなければならない。
三点は、率いる将の不足である
呂蒙、甘寧といった将が荊州に行ったことで指揮能力がある将が足りないのだ。
これを解決しなければならない。
「陸遜さん、あまり深く考え込まずに……」
そこにアキトからの声がかかる。
だが、彼にとっては気楽に考えれることではない。
「しかし……」
「いざとなったら、俺が一人で相手するから……」
笑いながらアキトは言う。
「さすがにそんなことはさせませんよ、そんなことをしたら尚香様達に何をされるか…」
「違いないですね」
陸遜の言葉に、趙雲も同意する。
よく見ると、諸将たちも頷いている。
彼らもわかっているのだ……彼女達の恐ろしさが……。
アキトはそれを見て苦笑する。
「冗談はさておき、陸遜さん一人で考え込まずに…
これは陸遜さんだけの戦いでなく、俺達の戦いなんだから」
「……そうですね」
陸遜はつぶやく。
そして意を決したように顔を上げた。
「魏軍に対し、埋伏の毒を仕掛け、我らにとって有利な地、ここ石亭におびき寄せます」
陸遜は机の上の地図の一点を指す。
「ここは、道が細く視界も悪いので、寡兵が大軍を相手にするのに適しています。
おそらく砦を作られるでしょうが、それでもこちらが有利な地です」
「となると、どうやっておびき寄せるかだな……」
陸遜の言葉に孫権が答える。
陸遜は机を見つめる諸将たちを見回す。
「そこで埋伏の毒です。石亭までの間にシンヨウがあります。
シンヨウの太守である周魴殿に魏へ降っていただきます」
「そして、おびき寄せると…」
「はい、ただこれは相手が司馬懿となると失敗するかもしれません。
もし失敗した場合は五分五分の戦いとなるかもしれません」
そこで陸遜はアキトを見る。
アキトは真剣な顔をしていた。
諸将もアキトを見る…アキトの決断を待っているのだ。
「わかったそれで行こう。周魴さんにその旨を早馬で」
「はっ!!」
アキトの指示に物見が飛び出していく。
あわただしく走っていった。
確かに一刻を争う。
時間は惜しかった。
「後の問題として、将が足りません」
物見が出ていったのを確認して、陸遜は言う。
彼が懸念する点の一つだ。
「アキト様は軍を率いたことはありませんでしたよね?」
「ああ、基本的に一人だったからな」
「趙雲殿が参加してもまだ足らないのです」
アキトが軍を動かせない以上、後2人以上将が必要である。
陸遜の描く、軍略を実行するには駒が足りないのである。
蜀との戦いの折、将も少なからず失っているのだ。
頭の痛い問題だった。
さすがにこれについては、全員が悩んでいた。
そこに一つの変化が訪れる。
「なら、私達に任せてくれない?」
凛とした声だった。
皆が間の入り口に視線を向けると、そこには尚香、大喬、小喬の三人がいた。
「今は軍議中だぞ!」
孫権さんが叱責するが、三者は特に意に介していないようだった。
それを無視して彼女達は言葉を発す。
「戦というのに私達が呼ばれなかったのを不思議に思ったのよ」
「私達もかつては戦っていましたから」
「将が足りないというなら参加したいと思ってね」
三者がそれぞれ述べる。
孫権は更に言おうとするがその前に声が飛んだ。
「自分から危険なことに参加することはない」
アキトだった。
そこには厳しい言葉、普段見せない姿があった。
その姿に彼女達は少なからず驚く。
「尚香ちゃんの実力は知っている、大喬さん、小喬ちゃんの実力は知らないが、俺は戦場に出てほしくない」
真剣な雰囲気で三人に言い放つ。
「それは、私達が足手まといだから?」
尚香が少し、苛立つように聞く。
アキトは彼女の言葉に首を振る。
そして三者を見据える。
「護りたい人達を危険な戦場に連れて行く人がいるかい?」
ただ、そう言った。
「アキト様……」
思わず大喬の口から彼の名前が漏れる。
三人は確かに心の中に温かさ、彼のいたわりを感じた。
しかし、譲れなかった。
それを知ってしまったのならなおさら……
「私達も護りたいのです……私達の大切な人たちを……」
大喬がアキトの顔を見る……その護りたい人の顔を……
そう、自分達は大切な人を護りたいのだ。
尚香も小喬も気持ちは同じだった。
その場を沈黙が支配する。
その間、アキトと三人は互いの目を見つめていた。
真剣な目だった。
「わかりました」
その沈黙を破ったのは陸遜だった。
「なっ…!陸遜さん!」
アキトが驚きの声を上げる。
陸遜はそれを無視してさらに言葉を続ける。
「わが軍にとっては願ってもない申し出ですよ。事実、将が少ない。
彼女達の参加は勝率を上げることはあっても、下げることはありません」
そこまで言って、陸遜さんはアキトの耳元に顔を寄せる。
「アキト様、彼女達の気持ちを察してください」
ただそれだけを言った。
アキトは再び、三人を見る…真剣な目だった。
護りたい…その気持ちがあふれている。
『『アキト兄……』』
ディア、ブロスも呼びかけてくる。
「わかった。でも無茶はしないでくれ…」
そう、答えたのだった。
尚香たちは嬉しさに笑顔を浮かべる。
アキトは喜ぶ彼女達を見ていた。
そして彼は誓うのだった。
彼女達が戦場にでるなら、俺は彼女達を護ろう。
それがアキトの決意……
「ほう?我らに降ると言うのか、周魴とやら?」
「はい、陛下」
曹丕の言葉に男―周魴は答えた。
ここはシンヨウの都市の郊外にある魏軍の陣である。
そこには曹丕と諸将、周魴そして、司馬懿がその場にいた。
曹丕がシンヨウに攻めようというときに、太守である周魴が降伏するということで魏の陣へやってきたのだ。
そして、諸将を集めその処遇を決めていたのである。
「何ゆえに降る?」
曹丕の言葉は疑いにあふれるものだった。
この時期のこと何か策があってのことかも知れない。
疑ってかかっても損はあるまい。
「いえ、魏の兵力は呉のものを上回っております。このまま戦って死んでしまうほど新たな主に義理を感じてはおりませぬから」
「ほう、テンカワアキトにか…」
曹丕は周魴の言葉に反応した。
今回のきっかけである、テンカワアキトへの憎悪。
それが燃えはじめた。
今回の戦は単なる私怨である。
しかしそれを彼はまだ理解していなかった。
「ええ、なんだかわけのわからないうちに呉と蜀の主となってしまいました。
正直、劉備と孫権が何を考えているのか全くわかりませんから」
「ずいぶんな言い方だな」
今、仕えている人物に対しての物言いに曹丕は苦笑する。
見ると、そんな言い方をする周魴に軽蔑の目を送る諸将もいる。
「事実ですから、そんな輩についていくよりも陛下についていくほうが良いと思いまして」
周魴は淡々と述べる。
「そのほうの言いたいことはわかった」
曹丕は頷く。
「陛下、これは虚偽です!惑わされてはなりませぬ!」
そのとき、諸将の中から甄姫が提言する。
見ると多くの者が疑惑の表情を向けている。
至極当然のことである。
「と、言っている者もいるがどうだ……」
曹丕が周魴に問い返す。
自分としては彼がどんな行動をするのかを見てみたかった。
すると、周魴は懐から小刀を取り出した。
瞬間、諸将から殺気が発せられ、周魴を取り押さえようとする。
「早合点するな!!」
その殺気を吹き飛ばすように周魴が叫んだ。
その声は諸将の動きを止めた。
天幕の中は静かになった。
周魴は話し始める。
「本来、疑惑をこの命をもって証明したいところだが、それではこの降伏の意味がない」
そういいながら刃物を自らの頭に持っていく。
そして、その頭に刃をいれる。
鈍い音と共に黒き房が地に落ちる
「そこで、この私の髪を切り落とすことで、その証明と代えたい」
少ししてそこには、頭髪を失った人間がいた。
その様子を曹丕をはじめ、諸将は黙って見守っていた。
周魴は深々と頭を下げる。
「私は陛下をこの天下で選ばれた人間として、ついていきたいと思うのです」
「選ばれた人間…」
周魴の言葉を曹丕がなぞる。
「自らを天の使いだと僭称するテンカワアキトを討ってほしいのです。
そして、それは陛下のみができうることだと信じております」
その言葉の後、沈黙が訪れる。
周魴にとって長い沈黙だった。
自らを決定する沈黙……
周魴は自分の命のことはもとより良かった。
ただ、呉、新たな国のためになんとしても成功させたかった。
周魴に魏に降るように命令が来たのは二日前だった。
その内容はとても重要なものだった。
自分がこのできて間もないこの国の命運を左右すると……
テンカワアキトという最近聞くことになった名前。
周魴もアキトの政策を立場上知っていた。
斬新な考えをもち、最近ではその治安を強化させたことは記憶に新しい。
呉と蜀の争いに終止符を打った人物。
蜀との合併は民を喜ばせた。
平和へと近づいているのである。
自分の領民の幸せな顔を周魴は感じていた。
顔も性格も知らない主、だからこそ彼は行動、結果でアキトを評価したのである。
ここでその火を消さしてはいけない。
民を考える主
彼はこの新たな主のため命をかけようと思っていた。
そのために必ず、この埋服の毒を成功させることを決意していた。
「わかった、その心意気…そなたを信用しよう」
沈黙の後、曹丕はそう返した。
「ありがたき幸せ」
周魴は再び頭をたれる。
諸将たちは何かいいたそうだったが、主が決めたことなので特に何も言わなかった。
何より「司馬懿が何も言わなかった」ということもあったのだろう。
ただ、その様子を見守っていたのだった。
一方、曹丕は長く考えていたのはその疑惑を考えていたからではない。
ただ、周魴の言葉によって自らの憎悪に浸っていたに過ぎない。
テンカワアキトに与していた周魴。
その男が、自分を「選ばれた」人間として降ってきた。
テンカワアキトより自分が優れているとして…
たった小さな、取るに足らないことである。
それさえも気になってしまう彼はやはり狂ってきているのかも知れない。
周魴もただ「俺を選んだから」ということで信用したに過ぎない。
曹丕はいまだ妄執の森に迷い込んでいた。
(身に余る欲を持つ者はそれにより身を滅ぼすというのは本当だな…)
司馬懿は心の中で吐き捨てた。
彼にとってこれが相手の策略で、おそらくこの後、周魴が石亭に軍を手引きするだろうと予想をつけていた。
しかし、そこまでわかっていても彼は何も言わなかった。
(私にとってこの戦いの結果など、どちらでもいいこと、むしろ負けてもらったほうが都合が良い)
そう心で笑う。
彼にとってはこの戦が負けとなった時が重要なのだ。
そのとき自分の真の計画が発動する。
だから彼は策略を仕掛けた。
この戦を負けに導くために……
その策とは単純だった。
「沈黙」
それが司馬懿の策……
ただ、何も言わない。
地味で劇的に効果があるものではない。
しかし、その効果はじわじわと魏軍に広がっていった。
毒のように…
(すべては私の掌の上、せいぜい無様に踊ってくれることを期待しているぞ)
分厚い雲が空に広がっている。
雨が近い……
続く
あとがき、もとい言い訳
第十幕です。アキトたちの対応を書いてみました。
結構、難しいものです。
単純に戦闘に移行すればいいのですが、戦争はそれにいたる戦略まで書いていかないと薄くなりますから。
さてアキトはしょっぱなから不利を強いられます。
情報が少ない分、相手の心理を読むのがこの頃の戦争ですが、裏の裏を読みあって、今回の形になっています。
そう考えると、やはりこの頃の一人が与える影響というのが大きかったというのがわかります。
曹丕、徐々におかしくなってきています。
それに司馬懿の計略も進行中です。
次回は「石亭謀略戦」を書いていきます。
そしてそのままある人のエピソードへ移行する予定です。
えー、今回は列伝はなしということで…
徐晃、張コウ、許楮は次回に紹介。
最後に感想を下さった、encyclopedia様、孝也様、影の兄弟様、MUSA様、マフティー様、義嗣様、カイン様、guest4様、ありがとうございました。
それでは……
PS
今度は来週の週末になるかも……
代理人の感想
なんか、こう言う話になると「ああ、三国志だ」と言う気分になったり(笑)。
ごく一部の例外を除くと、帷幕の内に巡らす謀略と血沸き肉踊る戦場ロマン、と言うのが
私の「三国志」にいだくイメージなので。
そういえばモトネタ(三国無双)の方ではこんなシーンはあるんでしょうか?