一騎当千
〜第十七幕〜























「………そうか…、劉備さんは義兄弟の契りを交わした人がいたのか」

「…ええ、関羽殿、張飛殿の二人と、桃の木の下で契りを交わしたのです」


アキトの言葉に趙雲は言葉を付け足す。

彼は護衛をしながら、この世の中のことを主に話していた。

彼の主は長江に竿を入れながら言葉に耳を傾けている。

護衛の一人である陸遜は今周りを見ていてこの場にはいない。


「関羽さん…張飛さんか…」

「張飛殿は万夫不当と呼ばれるほどの武勇の持ち主で蜀の五虎将軍の一人でした。

 しかし、部下の不興からその命を散らすこととなりました」


趙雲は悲しそうな顔をする。

つい最近まで顔をあわせていた同僚だったのだ。

思いもひとしおである。

しかも武人として死ねなかった彼を不憫に思ってしまう




その雰囲気を感じ取ったのか、アキトは表情を硬くする。

が、それは知っておかなければいけないことだった。

だから、彼は問うことをやめなかった。


「では、関羽さんは……」


アキトは趙雲の顔をみて問う。

その顔は真剣だった。


「……関羽殿もこの世にはいません」


そこで趙雲は空を見上げる。



空は青く澄み切っている。

鳥が伸び伸びと滑空している様子がわかった。




「……思えば、関羽殿が亡くなった時、蜀がこうなることが決まっていたのかも知れません」




そこで目を瞑り、右手を胸の前で何かに耐えるかのように握り締める。









しばらく、沈黙が続いた後、趙雲は口を開き始めた。


「もともと、先の夷陵の戦いで蜀と呉が争った直接の原因は、関羽殿が呉によって討たれたからなのです。

 『呉と結びて、魏を討つ』これが蜀の方針でした。

 しかし、荊州の領地問題等で対立する可能性はありました。

 関羽殿が亡くなったのはそれが原因ともいえます」


そこで趙雲が言葉を切る。

この話はアキトと二人きりだからこそ話せること、陸遜が今いないために話せるのだ


「そして、義兄弟である関羽殿を討たれた劉備様にとって、呉は許せなかったのです。

 軍師をはじめ私も諌めましたが、聞き入れてはもらえず……

 そのため先の戦闘が起こったのです……」


其処には主を止められなかった後悔があった。

実直ゆえに、忠義の故に自分を責めていた。

そして、彼はそれを耐えていた。


「後はアキト殿の知っての通りです」


その戦闘で蜀軍が壊滅して敗走した。

そしてその途中でアキトが現れた……そして、蜀と呉を併合するに至ったと……


二人はそのまま黙り込んだ。








穏やかな風が吹く…








その沈黙を破ったのは今度はアキトだった。


「……趙雲さん……、劉備さんにとって関羽さんはどんな人だったんだい」


アキトは落ち着いた声で尋ねた。


国のことを考えれば、国力を疲弊させるまで弔い合戦をするべきでない。

魏という敵がいる以上、呉と潰しあいをしてしまってはいけないはずである。


しかし、劉備は君主としてでなく、義兄弟として呉との戦争を選んだ。


そうまでする理由があるのだ。

そしてその理由は、討たれた関羽にあると……



だからアキトは尋ねた……







「そうですね……長くなりますけどよろしいですか?」


趙雲の言葉にアキトは黙って頷く。


「……では、劉備玄徳、関羽雲長……この二人にまつわる話を、私が知っている限りお話しましょう」


そういって趙雲は語り始めた。



……そしてアキトは知った。


関羽雲長という義に生きた人物のことを……





























朝靄が立ち込める中、森はいつもとは変わらない。

ただ、其処には確かに変化があった。


森の所々にほのかに赤い光がこぼれている。

そして、木々をざわめかせる。


緊迫した空気がそこにあった。


「もう、夜が明けたのか……」


趙雲がつぶやいた。

その表情には疲れが浮かんでいる。

無理もないだろう、戦闘のあとそのまま主の捜索に向かっていたのだ。



決して悟られてはいけない極秘の任務



緊張も疲れもピークに達していることは想像に難くない。








夜が明けてきたということもあり大分視界がよくなってきた。

周りには彼の部下達が同じように捜索を続けている。


趙雲は部下に休むようには指示している。

が、兵は休もうとしない。



彼らも主を心配しているのだ。


しかし、彼らも集中力が途切れてきていることがわかった。






「夜が明けて、視界も天候も良くなってきた。

 気合を入れなおして捜索を続けよ!!」


趙雲が兵たちを激励する。

そして、その激励に兵たちも動きを活発にすることで答えた。




その様子に満足して、彼は再び捜索を開始した。






そのとき







「………!!」


彼は覚えのある気を感じた。


森の奥の方からその気は発せられている。

しかもこちらに近づいてきているようだった。


思わず、彼はその方向に向かっていった。

木々を掻き分け、段差を乗り越え向かっていった。



自分の感覚を信じるならば



それは彼が捜していたもの






「アキト様!!」




思わず彼は叫んだ。その声が森に木霊する。




ガサッ



その言葉に反応するように、森の茂みから人影が現れた。

その人影は一人の女性を抱えていた。

黒い衣に身を包んだ人物……



テンカワアキトだった。






















「アキト様!…ご無事でしたか……心配いたしました」


趙雲が安堵の表情で駆け寄ってくる。

息が切れるのも、額の汗も気にしていない。



「趙雲さん!?…どうして……」


一方のアキトは彼がこの場にいることを驚いているようだった。


アキトは自分の捜索が極秘裏で行われていることを知らない。

まだ、彼は自分の重要性を理解できていなかった。


「陸遜殿からお聞きして、捜索していたのです」

「昨晩からずっと!?」


アキトの言葉に彼は頷く。



瞬間、アキトは表情をしかめた。

自分のために無理をしてくれたことに対してすまないという気持ちになったのだ。


だから彼は頭を下げる。


「趙雲さん、みんな…すまない、ありがとう」


その言葉に趙雲以下すべての兵が膝まづいて、胸の前で手を組む。


「いえ、当然のこと……もったいないお言葉です……」


趙雲が返す。







そして彼はアキトの無事を確認でき余裕ができたのか、あることに気づく。


「…それより、その女性は……」


そう、アキトは女性を抱えていたのである。

趙雲はアキトが流されたとしか聞いていなかったため、何故川に流されたのか知らなかった。



女性は眠っているようで意識はないようだ。

彼はあらためてその女性の顔を見た。




「………!!」



彼は大きく目を見開く。

が、それ以上何かをすると言うわけではなかった。

ただ、アキトには瞬間に殺気が発せられたことに気がついた。





「何故、魏の皇妃がこんなところに……?」


趙雲は何かを押し込めるかのようにアキトに尋ねる。

その中でも、女性―甄姫に対する疑念は消えない。


「ああ、実は……」


そこでアキトはこれまでのいきさつを話した。


上流から甄姫が流されてきたこと…

そして彼女を助けるために川に飛び込んだこと…

流されて夜が明けるまで待っていたこと…




「……そうですか」


その話を聞いて趙雲はつぶやく。

そして、アキトを少し非難の混じった目で見る。


「しかし、軽率ですね……」


その言葉にアキトは苦笑するしかなかった。

彼自身も感じていることでもあった。


実際、捜索されていたことを考えるとそれを肌身に染みるものである。




「……すまない……」


ただ、アキトは謝った。

これについてはなんといわれても謝るしかない。


心配をかけた自分が悪いのだ。





その様子をみて趙雲は大きく息を吐く。


「…まあ、いいでしょう…それより早くお戻りになってください。

 極秘とはいえ、勘の良い者はもう気づいているはずです」


そして彼は主を陣へと案内するのだった。



























「もう…朝…か……」


尚香がつぶやいた。

いつの間にか朝になっていたらしい。


「……アキトはまだ戻ってきてないか……」


少し表情を翳らせる。

そう、彼女はアキトの帰りを待っていた。

しかし逢えなかった。


道に迷っているのだろうとはじめは判断していたが、ここまで来るとなんとなく気づいてきた。

アキトが何かあったということを……


もともと彼女は勘の良い人物である。

なんとなく陸遜と兄が何か隠していることがわかった。


しかし、それでも尋ねなかったのは、それが重要なことだと感じていたから。

もし必要なことなら、きっと話すはずなのだ。

それでも黙っているのは自分に知られたくないこと。


そしてそれは今現在ではアキトに関することであるまでわかっていた。



「………アキト……」


そっと呟く。



アキトの顔が見たくなった。










そのとき彼女は何故そんな気分になったのか疑問に思った。


(…私にとってアキトはなんだろう……)


ふと考え込んでしまった。


最初はその強さに惹かれた。

そして兄、孫策をアキトに感じた。



でもそれだけでないような気がしている。

大喬がアキトと話しているだけでなぜか嫌な気分がした。

まるで、自分のモノがとられてしまったかのように…



こんな経験は初めてだった。



自分の夫だった劉備は、年が離れていたこともあってまるで父のような優しさを持っていた。

その優しさは心地よかった。


しかし、アキトのように「求めたくなる」ものではなかった。



彼といると知らない自分を知ることができる。

まるで自分ではないような…





だから彼の隣に立ちたかった。

お互いに補完しあえるような関係になりたいと思った。

本当の自分を見つけれるような気がしたから…





(でも、私はアキトを知っているの……?)


自分に問いかけてみる。


彼女はアキトを知らない…ただその哀しみは感じることができる。

失い、護れなかったものに対する憧憬を……





(…知りたい……あの人のことを……)



彼女は欲した…ただ欲したのだった。












「…何、ボーとしてるの…」

「きゃあ!」


突然、背後から尚香に声がかけられた。

思索に耽っていた彼女はその声に驚き軽く悲鳴を上げた。



「そんなに驚かなくてもいいじゃない…」


逆にその反応に相手は驚いたようだ。

彼女が振り向くと其処には小喬が立っていた。



「あっ…小喬」

「朝からぼんやりして…」


小喬は仕方ないなといった感じで近づいてくる。


「義姉さんの様子は?」

「もう少しすれば目を覚ますって。大きいのは疲労だけだから…」


大喬は順調に回復しているようだ。

尚香は安堵の表情を浮かべる。


「で?何を考えていたの?」


そこに突然、小喬が問いかけた。


「えっ!」

「アキトのことでしょう?」


驚く彼女を無視して小喬は核心を突く。

そして表情を変える。


「全くどこにいっているのか…まあ道に迷っているわけではなさそうだけど…」


小喬が上空に視線をやりながら言い放つ。


「ねえ、小喬…わかるの?」

「まあ、アキトだけでなく子龍もいないんだから、なにかあったに違いないわ」


尚香の問いに彼女はさも当然のように答える。


「…心配?」


尚香が不安げに尋ねる。

これは自分自身にも問いかけていた。


「心配じゃないといえば嘘になるけど……アキトはこんなところで果てる人物じゃない」


小喬は視線を変えずに答える。


「………」


その言葉に尚香は黙り込む。

自分は小喬のようにアキトを信頼していないのかもしれない…そう感じたからであった。





ポン


そのとき尚香の頭を彼女が軽くたたいた。

吃驚して尚香は小喬を見る。

其処には笑顔があった。


「不安に思うのは当然、ただあたしと尚香とでアキトに対する位置が違うだけ」

「位置…?」


鸚鵡返しに問いかける。


「貴方にとってアキトの存在がかけがえのないものになっているということ…

 不安に思うのはそれだけ大切にしているってことなのよ……

 あたしは信頼しているだけ……」


そう説明してくれたが、尚香にはよくわからなかった。

だから


「……でも小喬はアキトのことを……」

「好きよ………でも、貴方やお姉ちゃんと争ってまではね…」


その言葉に微妙に尚香が安堵の表情を浮かべたのに気づいた。

それを見て小喬は苦笑する。


「まあ、今のところでどうなるかわからないけど……」


そして小さく呟く。


「えっ!何か言った?」

「いいえ、何でも……」


尚香の問いを彼女はごまかす。

どうやら、彼女の気はまぎれたようだった。







その時


「ご報告します!」



一人の兵がやってきて、報告をもたらす。




それは彼女達が待ち望んだもの




「殿がお戻りになられました!!」




主、テンカワアキトの帰還の報せだった。

























アキトの帰還によって、数人が場に集まっていた。

実際、兵たちはまだ警戒に当たっているため、戦勝の雰囲気ではないが…

しかし、アキトが帰ってきた以上、戦勝の宣言は近い。




それまでの間、アキトは一際大きな天幕の中で尚香をはじめとした武将の訪問を受けていた。

今いるのはアキト、陸遜、孫権、尚香、小喬である。

大喬はまだ床であるし、趙雲は甄姫を医療幕のほうに運んでくれているためこの場にいない。

立場上、甄姫は敵国の皇妃であるため、捕虜として扱いは慎重としなくてはならない。

また監視の意味合いも趙雲の動向にはあった。




その天幕の中は沈黙に包まれて、ただ外の喧騒のみが聞こえてきている。

そして、アキトはその空間の中で居心地が悪い思いをしていた。

理由はアキト本人にもわかっていたことなのだが……




「アキト様……」


その沈黙を破り、音を発したのは陸遜だった。

アキトはその声に彼の顔を見る。

彼の表情はいつもと変わらない冷静な顔だった。

だが、その軍師たる顔の下には多くの感情が眠っている。

ないわけではない、抑えているに過ぎないのである。


「………」


アキトは黙っていた。

彼の研ぎ澄まされた五感が彼の持つ感情を感じていたから…



陸遜がアキトの目の前にやってくる。




そして

目の前で驚くべきことが起こった。


ドガッ



「………ッ!!」

「伯言!!」


陸遜がアキトをその拳で殴ったのだった。

さすがにこの暴挙にその場にいた者が顔色を変える。



アキトは数歩よろめくが倒れることはなかった。

かなりの力が込められた拳だったが、さすがはアキトといえる。


周りが呆気にとられている中、陸遜は跪いて、自ら佩いていた剣をアキトの前においた。

そして、頭を下げる。








自分を斬ってもかまわないという意思表示だった。








自分の主に対して、危害を加えること…

それはいかなることがあっても許されることではない。

それは死罪にも相当することである。

それが仕えるということなのだ…







その場には再び沈黙が訪れる。

それは緊迫に満ちたものだった。



そして静寂を破ったのは今度はアキトだった。


「陸遜さん…すまない……」


小さな、しかししっかりと聞こえる声でアキトは返した。


「いえ、無礼を働いたのは私です…いかなる罰でも受けましょう」


陸遜は態度を崩さない。




「いや、悪いのは俺だ……、心配をかけた」

「いえ、それだけでは私はアキト様を殴ることなどしません」


そこで、陸遜はアキトの目を見る。

其処には強い意志がこめられていた。


「貴方はもうお一人の身ではないのです…

 アキト様に何かあれば……またこの世は…国が…民が……」


陸遜はアキトにわからせたかったのだ。

以前にも集落を助けに行く彼を止めたことがあった。

そのときは彼らしいという気がした。


しかし、それでも彼は自分という存在を軽く見すぎている。

アキトという存在は、陸遜たちだけでなく多くの人々にとっての重要な存在であることを…

そんな彼が自分を軽くみることなど許されないのだ。


もう、魏と対立状態にある今、アキトを失うわけにはいかない。

軍師として、たとえ自分の命を賭してでもわからせなければいけないのだ。


そして、その思いは彼に通じたのだろうか…

沈黙が落ちる

アキトはゆっくりと話し始めた。


「俺は…これからも生き方を変えるつもりはない…それは前にも言った……」


陸遜は何も発しなかった。


「それは、俺らしさ俺であるために必要だったから……」


通じなかったのだろうか…

陸遜は思っていた。



しかし


「でも……」


アキトは突然、膝を着いて陸遜と目線の高さを同じにした。

そして陸遜の目をみて笑う。


「……陸遜さんがいうこともわかる…、だから俺も考えてみる……

 もし、俺がそうしようとしていたのなら言ってほしい

 そして、俺を助けて欲しい」


そう言ってアキトは陸遜の剣を返す。

アキトの言葉は、陸遜の言葉を受け止めるという意味だけでなく、彼を斬らないという意味も含まれていた。


だから


「……ありがとうございます」


陸遜はそう答えたのだった。









その後はアキトにとってある意味大変だった。

尚香、小喬に不在のことを責められたのだ。


まあ、二人とも戻ってきて安心したという分のものもあったのだが…

さすがに、甄姫の件については簡単に説明しておいた。


尚香は甄姫についていい顔はしなかったが、孫権、陸遜らは戦略上での利点を計算していた。

なんと言っても魏皇帝の妻なのだ。

戦略的には大きいといえる。


まあ、アキトはわかって彼女を助けたわけではないが…







「甄姫か……なんか、嫌な予感がするのよね……なんとなく…」


これは、尚香の弁

















そして、ある程度警戒が終わり、戦後報告という形で将を天幕に集めた。

諸将が左右に列を成して並ぶ。

戦闘後ということもあり、彼らに疲れの表情があるが、勝ったということもあり表情は明るい。


「さあアキト様、お言葉を……」


陸遜がアキトを促す。

それに彼はああと言って座を立ち諸将を見わたす。


「ああ、みんな…良くやってくれた……この戦いに勝てたのは皆のおかげだ…」


その言葉に嬉しそうな表情をするものもいる。


「特に陸遜さんは策を立ててくれた…」


陸遜が一礼する。

が、次の瞬間アキトは表情を翳らせる。


「だが、何よりの功を挙げた人物はもうこの世にはいない……」


諸将もそれが誰のことを指しているかわかった。

誰よりも危険を犯し、そして戦況を変えた人物。


周魴のことであった。



彼が埋服の毒とならなければ、この石亭に魏軍をおびき寄せることもできなかった。

そして、彼が機をみて行動してくれなければ、この戦いに勝てなかった。



だが、その彼はこの勝利を味わうことなく、功の賞賛を得ることなく世を去った。


「みんな、周魴殿の冥福を祈ってくれ」


そうアキトは言うと目を瞑った。

諸将もそれに倣い目を瞑る。



戦場の常とは言え、仲間を失うということは悲しいことである。

諸将にもその感情が表れているものもいる。





アキトは目を詰むりながら、周魴の言葉を反芻していた。


――この世に平和を――


その言葉…どの時代も願うことは同じ…

皆平和を求めている。

そして戦いの先にあるものを求めて戦っている。

ならば、自分もその平和を手にするために戦わなければいけないのか…



(因果なものだな……この力が平和のために必要とは……)



しかし、人々が望む、それが上に立つものとしての責任…







アキトはそこで目を開けた。

その雰囲気を感じ、諸将も黙祷を終える。



「皆、本当にご苦労だった……」


最後にその言葉で締めたのだった。





















その天幕から少し離れたところに簡易的な柵があり、其処に捕虜が集められていた。

大抵の兵は捕虜にすると食事等で色々手がかかることもある。

そのため、そのまま逃がされることが多い。



しかし、将軍となるとそうするわけには行かない

敵将というのは相手にとって脅威であり、有能な人物なのである。







その柵の中で縄で縛られている人物がいた。

アキトに破れ、そのまま捕らえられた徐公明その人だった。

徐晃は、来るべき時をじっと待っていた。



彼自身武人であり、無様な真似などはするつもりは毛頭なかった。

自分は破れた身である以上、死も受け入れる覚悟はできていた。



「おい…出ろ……」


そこに見張りの兵が彼に声を促し、出るように指示した。

言われるがまま柵の外にでると、そこには見知った人物がいた。


「……趙雲殿……」


そこには趙子龍が彼を待っていた。


「徐晃殿…アキト様がお呼びです……」


彼はただそれを告げ、徐晃を天幕へと案内していった。


(捕虜の処遇についての判断か……)


彼は経験上そう認識していた。

そして、その認識は正しい。

いま彼は彼の処遇をアキトによって決定されるために天幕へ向かっているのだ。




(処遇か……といっても決まっている…)


彼は心の中で呟く。

自分は言うなら敵国の主要な将軍である。

生かしておく理由がない。

それに長年敵対してきたこともある。

感情的に斬首が順当なところだろう。


(とうとう死を迎えるのか……できれば戦場で果てたかった)


武人としての願い。

戦場で生き、戦場で逝く…


(いや、満足できる戦いができたことを考えるならば幸せかも知れんな…)


敵国の君主、テンカワアキトとの戦い…

おそらく、天に行けども忘れることはできないだろう。



(テンカワアキト殿か………不思議な御仁だ…)



ふと徐晃は思う。

確か、戦いの決着がついたとき、自分は自害をしようとした。

しかし、それは止められたことは今この場にいることが証明している。

そしてそれを止めることができたのは……一人しかいない。



何故、彼は自分の自害を止めたのだろう。

疑問は尽きない。



だから、彼は斬首されるとしても、そのことだけを聞いておきたいと思った。
















「つれてまいりました…」


諸将が集まる天幕の中に趙雲の声が広がる。


一瞬にして、その場の空気が張り詰めたものとなる。


スッ


そして、天幕の入り口の布が開き、白装束、鎧姿の人物が入ってくる。

その手には縄がかけられている。


そのまま人物―徐晃は天幕の中央、アキトの目の前に案内される。

彼に対して、諸将の中でも敵意を持った視線を放つ者もいる。


徐晃はその視線を感じているはずである。

しかしそれを受け流すかのように、何事もないように堂々としていた。

武人の持つ、精錬とした気を感じることができ、諸将でも感心した目を向けている者もいた。






徐晃はアキトの前で座した。

そして真っ直ぐにアキトを見据えた。





「…どういたしましょう……」


隣で陸遜がアキトに尋ねた。



「徐晃さん……」


アキトが彼に声をかけた。


「…もはや、敵将にかける言葉など何もないのではないか…」


徐晃は一言そういった。


瞬間


「殿!!相手は敵国の将……!即刻切り捨てるべきです!!」


一人の将が突然言い放った。

先ほどから徐晃に対し敵意を放っていた人物である。

おそらく部下や兵を殺された者であるのだろう。


「その通りです!」

「即刻斬首すべきです!!」


その言葉に次々を諸将から斬首の声が発せられる。




「黙れ!!」




その喧騒はたった一言で吹き飛ばされた。

それはアキトの発したものだった。


「しかし…」

「黙れといっているだろう!!」


なおも言いすがる諸将を一喝する。

少し怒気がこもっていたのかも知れない。

さすがにその人物は押し黙る。






「俺は、必要のない死は嫌いだ……いやむしろ死そのものを嫌っている…

 戦争というお互いの命を賭けた戦いならともかく、意味もなく殺しを行うことなど許されることではない」


そう、諸将は感情で斬首を決めていた。


「今の行動はそこら辺にいる賊となんも変わらないものだ!!」


そういって諸将を責める。

諸将の中にはその言葉にはっとしたものもいた。


「俺たちは人々のために戦っている。決して己がために戦っているわけではない

 憎しみを持つなとは言わない……しかしとらわれるな!!」


かつての自分は復讐にとらわれた…しかし復讐の後、残ったものは言いようもない虚無感だった。


「もしそれでも、気がすまないというのなら」


そこでアキトは諸将を見渡す。

そして親指で自分の胸を指した。


「この俺を恨め、皆の大切な者の命を散らさせた俺を、その気持ち俺が受け止めてやる!!」





静寂が落ちる。





「自分を恨め」

この言葉は諸将に衝撃を与えていた。

戦争で命を落とすことの責任を自分が負うということだ。

確かに君主とはすべての人の上に立つもの、だからそれに対してすべての人に責任を持つ。

しかし、戦争の死まで責任を持つというのは想像もしなかった。

こんな人物は初めてだった。




ただ


そこに強い信念を感じた。

そこに底知れぬ器を感じた。




そして、言いようもない高揚感を感じていた。

自分達の矮小さを恥じた。

自分もまた部下や大切なものを死なせた責任があるのだ…



だから、


諸将はその言葉に礼を返すことで応えたのであった。













「さて、すまない……話がそれてしまった」


アキトはそういって何故か徐晃に謝った。

君主が捕虜に謝っている異常な光景であった。


「いや……」


徐晃はそう応えるだけだった。

が、内心アキトに対して驚いていたのだった。




だが


「斬首をしないからといって我は恩を感じはしない…」


徐晃はそう応える。


「……貴方の武を見込んで、アキト様に仕えてくれませんか……」


そんな彼に陸遜が提案をする。

陸遜はアキトがそれを望んでいることを感じていた。

だから尋ねたのだが…


「我を評価してくれるのはありがたい…しかし、我は魏に対する恩ゆえ裏切るようなまねはできぬ!」


徐晃は堂々とその提案を拒否した。

その答えに諸将の中でも彼の評価を上げた。


「我の仕える場は魏のみ…それ以外のところに仕える時とは死した時のみ!!」


そして毅然と言い放った。



その言葉に陸遜は渋い顔をする。

彼の中で戦略上、徐晃将軍が魏に戻ることは好ましくない。

しかし、彼の忠義は陸遜自身大切にしたいという気持ちもある。

決して自陣営に入ることがないというのはこれまでの会話を見て明らかである。


さすがに考えに窮した彼は、アキトの判断に任せようと考えた。

そしてアキトの方を向く。


すると、その視線に気づいたのかアキトが軽く頷いた。






アキトは座を立ち上がり、徐晃の前に来た。

そして関係ない話を始めた。


「徐晃さん……貴方は関羽さんを知っているかい…」


いきなり徐晃に関羽について尋ねたのだった。


「…ああ、良く知っている」


徐晃は何事かを思いながらも、彼のことを思い出しながら答える。


「立派な……敵ながら武人として尊敬していた相手だった……」


徐晃は感慨げに呟く……

何度も刃を合わせた相手でもあり、話したこともある。




「では、関羽さんが一時期曹操さんの下に身を寄せていたことを知っていますか」

「無論…あの頃、かの人物と語ったこともある」


アキトの言葉に懐かしむように答える。

そう魏とは曹丕の父である曹操がその基礎を創り上げた。

もともとは徐晃は曹操に仕えていたのだ。


「そのときの彼の姿を見てどう感じました?」


そしてアキトは三度質問をする。


「そうだな……、関羽殿は劉備殿の奥方を守るため曹操様に身を寄せていた。

 決して曹操様に仕えるのではなく漢王朝に対しての降伏だった」


そう、関羽は劉備が曹操に攻められた時、奥方の命の保証のために曹操、厳密には漢に降ったのだった。


「たとえ離れていても、劉備殿に対する忠義は失うこともなく過ごしていた…」


そのあまりの忠義さに曹操が嫉妬していたのを彼は思い出す。


「そして、劉備殿の行方がわかり、戦場でその恩を返し去っていった…」


途中、五つもの関を破ったという話もあるが、曹操はその彼を見送ったのだ。


「とても清清しく、自らもかくありたいものだと武人として、人間として目標としていた…

 それが我にとっての関羽雲長という人物だ……」


そこまでを彼は語った。

彼にしては饒舌だった…それは関羽に対しての懐かしさ、感慨のためかもしれなかった。


「それが一体何を意味しているのだ…」


そこで今度は徐晃がアキトに問い返す。

徐晃には何故アキトがこのような話をするのか理解できなかった。

それは諸将も同じだったが…


一部、陸遜と孫権のみ、何を意図しているのかを察していた。




アキトは徐晃の前から彼を通り過ぎ、彼の背後に背中向きに立った。

そして


「実はいま、俺たちの陣に甄姫さんを保護している」


アキトはその手の内を見せた。


「何……!!」


その言葉に徐晃が振り向いて見上げるが背中しか見えなかった。


「ただ、重傷を負って上流から流されてきたのを保護しただけだ……」


淡々と事実を言う。


「今は手当てを受けて眠っている……心配しなくても命に関わるほどじゃない」


徐晃の驚きを察知して、安心させるように言う。




その言葉に徐晃は安心をする。

自分が仕えるべき国の重要人物である。

何かあっては一大事であるのだ……。



「一体、甄姫様をどうするつもりなのだ!」


徐晃はアキトに問いかける。

返答如何によっては彼はいかなる状況でも抵抗するつもりでいた。

が、そのアキトの答えは平然たるものだった。


「特に何もしない…怪我が治るまで保護するだけでその後は本人に任せるさ……」

「なっ……?」


その答えに徐晃は呆気に取られる。

陸遜、孫権はその扱いに少し異議を言いたかったが、この場合何か考えがあるものとして何も言わなかった。


「そこでだ……実は徐晃さんに頼みたいことがあって…」


そして次の瞬間、呆けている徐晃に対してアキトが振り向いた。

そこには薄く笑っている顔があった。


「甄姫さんの怪我が治るまで、彼女の護衛をしてほしい……」


そして、アキトは頼んだのだった。

つまり、徐晃に関羽と同じように魏のため甄姫を守る上で降って欲しいと言っているのだ。


そして、アキトは表情を硬くする。


「実情、いくら俺が敵を憎むなといっても感情は納得しないものだ…

 そのとき、甄姫さんを守る義理はないだろう…」


誰が好き好んで敵国の人物を守る必要があるのか、ということだ。

特に末端の人物に行くほどその傾向は強い。


「だから、徐晃さんがその役目をやって欲しい…もちろん監視もつくが…

 拒否することもできる…拒否しても開放を約束する…」


アキトはそこですべての手の内を見せた。


アキトとしては殺したくないというのが一番だった。

しかし、開放するというのは戦略的に避けたいという気持ちもあった。

だから、この方法を選んだのだ。




アキトの提案に徐晃はしばらく言葉を失っていた。



が、突然体が小刻みに揺れはじめた。

そしてその揺れは大きくなり。

次第にその口から笑い声が発せられた。


「……面白い…貴殿にしてやられたようだ」


そう言って徐晃は顔を上げる。

その顔は晴れやかだった。


「…いいだろう、その提案受けよう……しかし…」

「わかっている、貴方は俺たちに降ったわけじゃない…魏の人間として彼女を護衛すればいい…」


アキトも徐晃の言葉を肯定する。


「…では、早速甄姫様の所に案内して欲しい」

「わかった……趙雲さん」


アキトは趙雲に案内するよう指示した。



そして二人は天幕を出て行った。









二人が出て行った後、アキトは諸将に向かって声をかけた。


「陣を引き払い、全軍帰還する!!

 これで、軍議は終了する。皆ご苦労だった!!」

『ハッ!!』


アキトの言葉に全員が敬礼を返す。

そして、あわただしく天幕から去っていった。











こうして石亭で行われた戦闘は終わりを告げた。


魏はこの戦闘により多大な被害をこうむった。

それは数では図れない人的な被害も含む……


しかし、魏はそれでも強大である。






アキト達はただ、戦闘の後のつかの間の休息を得ることしかできない。

言うなら戦いは始まったばかりなのだ。









朝日がやけにまぶしい日だった。












あとがき、もとい言い訳


ということで、第十七幕です。

いやー二週間ぶりとなってしまいました。

そして、徐晃メインといいながらね……

約束破ってばっか……

遅れたのは単純にやる気が起きなかっただけで(苦笑)

その分、今回は過去最高の長さです。

さて徐晃は一応客将としての扱いになります…今後アキトとは絡むけど戦闘参加はまずないでしょう。

ちなみに彼は曹丕の死を知りません……


魏はどんどん人材減ってますね……良くメールで言われます。

一応考えはあるのですが……まだ秘密ということで(笑)


さーて人妻ヒロインレース(爆)もゲートに全員そろったというわけで…

誰がハナを競うのか…


そろそろ、シリアス展開でなくコメディをしていきたいところです……が、無理でしょうな(笑)

次回は曹丕亡き後の魏について書いていこうと思います。



感想を下さった、孝也様、義嗣様、マフティー様、カイン様、翡翠様、感想ありがとうございました。


次回もがんばっていきますので応援よろしくお願いします。

それでは



代理人の感想

ん〜む、徐晃じゃないですが「やられた!」という感じですね。(笑)

こう言う風に意表をつかれるのは楽しい物です。

あと、アキトの決意表明もいいですね。

上に立つ者はやはりこうでないと・・・むしろ時ナデのアキトにも以下略。