一騎当千
〜第四幕〜











天下の中で、益州と呼ばれる地域がある。

周りを山々に囲まれ、正に天然の要害といえる。

その中で、その中心地となっているのは成都である。




蜀の中心である成都、それは蜀の主のいる宮殿のある場所でもある。

しかし、その主の座にいるべき人は遠い空の向こうである。

この宮殿はもちろん多くの人が集まる、武官、文官を含めて……

そして、皇族と呼ばれる人々も存在するのである。













「……諸葛亮殿……今なんと申された?」


その宮殿の一室、皇族の住まう区画で大きな驚愕が生れていた。


「……劉備様は夷陵の地におきまして崩御なさいました……」


諸葛亮は再び事実を淡々と告げる。

その表情からは何の感情も読み取れない。


「……父上が…………そうか……」

「…劉禅様」

「……すまぬ、一人にしてくれないか」


告げられた人物―劉禅はショックを受けたのか、諸葛亮に言った。


「いえ、お伝えしなければならないことはこれだけではございません。

 むしろ、こちらのほうが重要なことなのです」

「父上…皇帝が崩御なされたことよりも重要なことがあるものか!

 諸葛亮殿!貴殿は不忠者か!」


頼みを聞かず、なおも続けて言った諸葛亮のいいように劉禅は声を荒げる。


「お聞きください、これは劉備様の遺言でもあるのです」

「父上の…?」


遺言と聞き、さすがに少し落ち着きを取り戻す劉禅。

だが、その内容を聞くと、驚きを通り越して劉禅は呆けた。


「諸葛亮殿、冗談にしては度が過ぎますぞ

 父上がこの蜀を、一人の青年にゆずったと?」


苦笑しながら、確認するように聞く。


「ええ、劉備様はその死の直前、テンカワアキト様にこの蜀を託しました。

 その場にいた、蜀将をはじめとして、呉の孫権殿も証人としています」


そしてその諸葛亮の答えは、淡々としたものだった。

冗談を言っているとは思えない。

それを感じた劉禅は、自分の顔から血の気を引くのを感じた。


「そしてもうひとつ…。その直後、呉の孫権殿から呉をテンカワアキト様に譲るとも言われました」


諸葛亮はもうひとつの事実を、これもまたこれまでと同じように淡々と述べる。

それがまた、劉禅に無形の圧力を与える。

そこには、やはり何の表情も浮かんではいなかった。










劉禅は混乱していた…一体何が起こったというのだ。

自分の父親が青年に国を譲り、そして敵国の君主も同じ青年に国を譲った。

十にも満たない子供でも言わない、冗談だ…冗談のはずだ。

しかし、そこにある雰囲気が真実であることを感じさせた。





人間、自分の理解できないことがその身に降りかかった場合、

心の平静を得ようと行動する。

このとき、劉禅が選んだ行動は簡単なことだった。

すなわち、自己を守ろうとすること……




「……諸葛亮、私は…私は…どうなるのだ!」


その声は震えていた。

諸葛亮の言が真実ならば、自分は皇族でもなんでもない。

単なる、一個の人間になってしまうのだ。



劉禅は、劉備とは違い、辛さというものを実感したことはない。

父の苦労とは別に劉禅は、その後の道を歩いて来たに過ぎない。

それが突然、道が途切れてしまったのだ…迷子になった子供のようだった。


また、劉禅は辛さを知らない分、不安に対する免疫が少ない。

ただ、彼は不安に敏感だからこそ、自分の弱さ、臆病さを知っていた。

つまり、自分をよく知っているのだ……自分は何もできないのだと

だから、失う恐怖も人一倍だったのだ。





しかし、劉禅にとって、主となる人物がアキトであったことは僥倖であったといえる。

もし、野心のある人物が蜀の皇帝となったら、劉禅は追い詰められ、捨て鉢となっていたのかもしれない。

そして、それは新たな争いを生む、火種となったかもしれないのだ。

これも、アキトの人徳のなせる業なのだろうか









「アキト様は主になることを了承しましたが、その治政については今までどうりに行うように言われました」


諸葛亮はなおも表情を変えずに言った。

その瞬間、劉禅はその震えを止める。


「今までどうり……、そう言ったのだな…諸葛亮?」

「ええ、政治は得意な者がするべきだと、何より、急激な変化は国を混乱させると」


そこまで聞いて、劉禅は安心するように深く息を吐いた。

良かった、ただそれしか思えなかった。



現在の政治体系が変わらないのなら、今までの生活が変わらないのならそれでいい。

もちろん、完全に今までと同じとはいかないが、それでも自分はここにいられるのだ。



劉禅の本質は「保」である。

変化を求めず、現状を望む。



正直な話自分が皇帝になることなどは嫌だった。

自分は何もできないと知っているから…皇帝となって人を率いる自信などないから。

嫌なこと避けて、何が悪い。自分が嫌なものは、他人も嫌なのだ。

だから、私は周りの話をそのまま聞いていた…そうすればみんな何も言わないから。



劉禅は、優しい人物である。

自分が弱いゆえに、やさしくされたいと思い、他人に優しくする。

しかし、自分が嫌な思いをしてまで優しくしたくない。

つまり、ある意味残酷な優しさを持った人間だったのである。

平和であれば、横暴ではない劉禅はそこそこ人の意見を聞き、善政を引き、そのまま天寿を全うしただろう。

しかし、この乱世では不適格ともいえる性格であった。





だから劉禅は今回のことを実は喜んでいた。

もちろん父親が死んだことは悲しいのであるが…


自分は皇帝というめんどくさいことをしなくてすむ。

呉と争うこともなくなって、不安の種が消えた。

政治は自分より諸葛亮達に任せればよい方向にしてくれる。

そして、自分の生活は変わらない。


ということである。








「…劉禅様?」


黙り込んだ劉禅に諸葛亮が声をかけた。


「…ああ」


いきなり声をかけられ、劉禅は引き戻された。


「……で、そのテンカワアキト…様はどこに…」

「現在は呉の方に身を寄せています…蜀は劉備様の死で混乱するでしょうから」

「…なるほど」


劉禅は納得する。

となると自分のすることは…


「…諸葛亮殿、国内の治政、貴殿に任せる…。

 それと、父上の国葬の準備と、民に対する報せを…」

「…わかりました。すべて私が計らっておきます」

「すまない。私より貴殿のほうがうまくいくのだから…」


諸葛亮はその言葉をきいて、一礼して部屋を出た。














部屋を出た瞬間、今まで何一つ変わらなかった表情を初めて崩した。


「…やはり、劉備様の言うとおりでしたね…」


軽く息を吐きながら小さくつぶやく


諸葛亮は、劉禅の反応をある程度は予測していた…劉備より聞かされていたのだ。




――おそらく、息子―公嗣は皇帝に対して何の執着を持っていないはずだ

――テンカワ殿に対しては、その立場を保障すれば噛み付くようなことをしないだろう




少し残念な気持ちだった。

劉備の蜀は、その一代限りのものになることが…

そして、劉禅が皇帝になったとしたら起こるであろう、蜀の未来を見た。


「……今はそのようなことを考える必要はないですね…」


が、すぐに振り払った。

そう、やるべきことは多くあるのだ

時間が惜しかった…











後にこの劉禅の選択は、美化されて「政治形態の進化を導く選択」として歴史学者に賞賛される。

アキトの「君臨すれども統治せず」の考え、諸葛亮の政治の改革、劉禅の本質

それが組み合わさった結果だった。

















成都は蜀の中心地である。

益州だけでなく、南方の東南アジア地域の交易の拠点になっているところでもある。

非常に栄えた都市なのである。

本来、そのこともあり活気付いた街を見ることができるはずなのだが……



不思議なことに、いつもの活気をあまり感じることはできない。

いや、その経済活動、人々の往来そのものはいつもとは変わらない。

だが、そこにある表情が違うのである。

理由はわかっていた…






自分達の慕う、君主が亡くなったことを知っているのだ。

たった、一人の、単なる人間がこの都市、いや国に影響を与えているのだ。




だが、すべて絶望につつまれているわけでない。

新たの主の誕生を祝い、呉との合併を喜んでもいるのである。

時間が解決してくれるだろう。






一人の人間がその様子を見ていた。

ゆったりとした衣をまとい、羽扇をその手に持っている。

諸葛亮孔明、その人だった


「……しばらくは蜀のほうは国力の充実……しかありませんね」


彼は誰に言うわけでもなくつぶやく。

しかし、その頭脳は働くことをやめなかった。

その間にも、いくつもの状況を打破する策が浮かんでいき、

それを再び推敲し、除外、構築していく…。


「蜀は天然の要害…守りに重視するならば現状でも守りきることは可能でしょう」


冷静な判断力で状況を分析する。

蜀将も劉備が亡くなったこと、呉との合併などで複雑な思いを持っているものが多い。

その意味でも、しばらくは蜀と呉の将たちをなるべく接触させないほうが上策である。

落ち着くまで、蜀の守りに従事してもらうことにする。

本当なら軍の再編を急ぎたいところだが、その間にある意識がそれを妨害しているのだ。

頭の痛い話だった。

奇しくも、陸遜と同じ危惧を彼もまた感じているのだった。





と、そこでまた考えがうかぶ


「もし、攻めてくるとしたら、荊州を得て戦線が増えた呉の方面……」


荊州を得た呉は、魏に対して二方面に兵を分けることになったのである。

先の蜀呉での戦い――夷陵の戦いで疲弊していると魏が考えたなら攻めてくるはずである。

その上で近いうちに呉に攻めてくるだろうと予想したのである。



おそらく、兵の上では魏が勝る。

しかし、諸葛亮はあまり不安に思ってはいなかった。


「向こうには、陸遜殿がいますし、趙雲将軍もいます……そして…」






「アキト様がいますから……」





風がゆるりと巻いた……
 















俺は宮殿を抜け出して、街を散策し、市場にやってきた。

晴天につつまれ、非常に気持ちが良い。

何より、この人々の喧騒というものが俺を楽しくさせるのである。

しかも、昼前ということもあり、活気は最高潮だ。


「活気もあっていい感じだな…」

『そうだね、アキト兄』

『わたし、こういった市場とか来たことなかったから…』


そうか、ディア達は基本的にブローディアのAIだったから、街とかいったことはないんだったな。

俺と共生しているんだから、いろいろを経験させることもできるな。

今度、どこか連れて行ってやろう。

そう思いながら、市場の通りを歩く…


俺はコックということもあり、市場を見て歩くということが基本的に好きだ。

並んでいる食材を見ながら、頭の中で料理の完成形がいくつも浮かぶ…。


いかん、料理がしたくなってきた…何で厨房に入れてくれないんだろう。


本当なら、楽しいはずなのに俺は少しブルーになっていた。


『まあ、アキト兄、向こうも気を使っているんだから』

『向こうだって、君主に料理させるわけに行かないじゃない…逆に恐れ多いって思ってるんじゃない』


二人が俺をフォローしてくれる…やっぱ俺の家族だ

俺もそれはもちろんわかっている。

わかっているからこそ、歯がゆいということなのだが。


「まあいい、今は市場の様子を楽しもう」


俺は自己完結して、再び歩を進めた。



というところで、俺は市場の端のところで蹲っている老人を見つけた。

周りの人々は気づいていないようだ。

俺は見捨てることもできず、老人のほうに近づいた。

よく見ると、老人は額に汗をにじませながら顔をしかめている。


「どうしたんですか?」


俺はしゃがみこんで老人と顔をあわせた。

こざっぱりした格好であるが、その服装は質の良さを感じさせる。


「…いや、少し足がの…」


老人は、足を手で押さえて、痛みに耐えているようだ。


「足が痛いのですか…ちょっと失礼します」


俺はそういって老人の足を調べる。

軽く動かすと、痛みで老人がうめく…だが、おかげで原因がわかった。


「これは捻挫ですね……骨には異常はないようです」

「…左様ですか…」


俺の診断に老人は少し安心する…もっとひどいものと思っていたようだ。


「でも、捻挫といっても、しっかりと処置しないと大変なことになりますから」


そういって俺は老人にしゃがみながら片ひざをついて背を向ける。


「どうぞ、負ぶさって下さい…医者に連れて行きますから」

「いや、見ず知らずのお方に…」

「そんなこと言わずに…」


老人は躊躇していたようだが、俺の言葉におずおずと負ぶさってくる。

俺は、負ぶさったのを確認するとしっかりと支えて立ち上がった。


「…この辺で、医者とかしっていますか?」


ここまで行動したのはいいが俺は医者を知らない。

仕方なしに老人に聞く。


「…ならば、わしの家に行こう。家なら怪我に詳しいものもいる」

「そうですか、ならいきましょう…案内お願いします」


ということで、俺は老人を負ぶって彼の家に行くことになったのである。










「…おぬしは何か用事があったのではないか」


老人が道すがら俺に聞いてくる。


「…いえ、市場を見て回っていただけですから…」


俺はそれに答える。


「そういえば、わしの名をいっていなかったのう。

 わしは喬玄、この辺では喬国老と呼ばれておる」

「俺はアキトといいます」


俺は正直に名乗った、特に問題はないだろう。


「…驚かんの…」

「何がです?」

「いや、こちらの話じゃ」


ん?よくわからないな…どこか驚くことでもあったのだろうか?


「しかし、おぬしも物好きじゃのう…」

「よく言われます」


その言葉に俺は苦笑する…よく言われるのだ、お人よしと…


「…こんな、老い先短い老人を助けて…」

「!!…そんなこといわないでください」


いきなり自虐的なことを言い始める老人に驚き声をかける。


「いやいや、もう色々と悲しいことが多くてな。

 この乱世じゃ、色々人が死んでいく…こんな老人が生き残っての」


俺はその言葉を聞いていた…その悲しみを感じたから…。


「大切な人を失ったものを支えることもできん

 こんな老人、生きていても仕方がないのかもしれんの」


寂しげにつぶやく老人に俺は次の瞬間、思わず口が動いていた。


「貴方は大切な人を支えることができていないと思っているかもしれないが、

 その大切な人は、貴方もまた大切な人と思っているはずでしょう。

 そんな貴方が死んでしまったら、残されたその人はより悲しくなってしまう。

 だから、そんな死ぬみたいなことを言わないでください」


これは俺の正直な気持ちだった。

昔、俺は残されるものの気持ちを考えていなかった。

あの頃のユリカやルリちゃん…そして、あの世界で待っている人たちの…。

そのことを考えると、俺は言わずにはいられなかった。


「しかし、わしはその悲しみを見るのは辛いのだ」

「…気持ちはわかります。でも生きている限りそれは救いがある。

 少なくとも前に進もうとしているのなら幸せに向かっているのだと思います

 それを支えてあげるのが役目なんじゃないんですか」

「つまり、本人が歩き出すまで見守れということじゃな」

「…見守るのも、ひとつの支えだと俺は思います」


そこまで言って、しばらく沈黙が降りる。


「…すみません。知ったような口を…俺は貴方の事情を何も知らないのに…」


それを破ったのは俺だった。

そうなのだ、俺は思わず言ってしまったが、それは「余計なお世話」なのかも知れないのだ。


「…いや、そなたの言う通りじゃ…わしがいなくなったら頼るものもいなくなってしまうからのう」


喬国老という老人は、穏やかな雰囲気で言った。

俺は背で負ぶっているため、その表情を見ることはできない。

ただ、その雰囲気は伝わってきた。


「…そなたは、絶望にとらわれても前に進んできたのじゃな、決して諦めずに…」


その言葉に俺は答えなかった。

そうだ、俺はあの世界で、ナデシコで学んだ…そして今もそれを続けているのだ。







「……おっ!ここじゃ、ここじゃ、この建物じゃ」


急に喬国老さんの声に歩みを止め、指し示す建物を見る






『……大きいね……』

『……ああ…』


ディアの言葉にとりあえず相槌を打つ…。

そう、大きかったのだ…俺の視界には建物がひとつしか映っていない。

宮殿ほどとは言わないが、少なくとも市民としては大きすぎる建物だったのだ。

あらためて、この喬国老という人物がすごい人なのではないかと思い始めたのだった。



「おーい!誰かおらぬか!」


喬国老さんが門から家のほうに俺の肩越しに声を上げる。

すると、すぐに小間使いらしきものがやってきた。


「!!…旦那様!!どうなさったのですか?」

「少し、足をくじいてしまってのう…」


あわてる小間使いに安心させるように言った。





その後、数人人が来て、喬国老さんを奥へ連れて行こうとした。

そこで俺の役目が終わったと思い、その場を辞そうとしたのだが…


「いやいや、アキト殿、せめてでもの礼じゃから、茶でもご馳走させてくれまいか…」


この言葉で強引に家に招待されることになったのであった。





一応、茶をご馳走になるだけだったのだが、喬国老さんがなかなか開放してくれなかった。

しばらく話していると、途中、喬国老さんに何かの使いの方がやってきて、席を離れた。

俺は、これを機に帰ろうと思ったのだが、喬国老さんに釘を指されてしまった。

仕方ないので、俺はその家の中庭でも散策することにしたのであった。











しかし、後から考えるとなぜ俺は中庭の散策を選んだのかわからない。

まあ、結果的には有意義なものであったのだからいいのかもしれないが…





とりあえず、今日から明日までの一連の出来事によって

俺は人の縁とは奇なりと感じるのだった。










続く



あとがき、もとい言い訳

すいません。ぜんぜん話が進みません。

本当はこの幕で、目的の人物を出す予定だったのですが…

予定の3分の1で終わってしまいました。

なぜこんなことになったかというと…

意外に劉禅について考えてしまったからなんです。

劉禅は中国の人にとって、最低ランクの人間とされています。

「阿斗(劉禅の幼名)」というと、出来の悪い人間としてたとえられますし。

しかし、彼は生れてくる時代が違っただけなのではないかと思います。

私のイメージでは、劉禅は現代の日本の子供だと思います。

具体的には「シンジ君」なんですよね(ちょっと違うかも)

だから、その点で心理描写をしてみました。


諸葛亮の心理表現が少ないのは、「底の知れない人物」を狙っているからです。

もともと、原作でも思っていることは謎な人ですから。


あと、喬国老が出てきました。

もう次出る人物はわかってますよね。

そうです。あの姉妹です。

噂ではあのキャラのモデルはモー○ング娘の○護・○(伏字だとすべて消える)らしいですが…

まあ、噂は噂ですから(苦笑)


で、今回は主要キャラがでていないため列伝はありません。


それでは、引き続き第五幕をお楽しみください。

 

代理人の感想

ま〜、間違っても劉禅は英傑ではありませんよね(苦笑)。

とはいえ、こういう解釈は新鮮でした。座布団いちまい。