零、はじめに
ええと…皆様、愚作「一騎当千」をお読みいただき、ありがとうございます。
話を楽しんでいただけたら幸いと思います。
この度は色々話を聞きまして、「三国志を知っている人が少ない」ことを実感いたしました。
そこで、皆様に三国志を知ってもらえるよう、簡単ながら三国志について説明したく筆をとりました。
これにより、三国志を知ってもらえたら幸いです。
尚、人物表については、別に準備しておりますのでご了承ください。
壱、三国志とは
三国志とはその言葉にある「三国」における中国の歴史物語を言います。
三国とは「魏」「呉」「蜀」の三つの国のことで、実際の歴史上に存在します。
西暦では180年ごろの「黄巾の乱」勃発から、280年の晋による「呉の滅亡」までの百年間の出来事となります。
ちなみに、その100年間は「三国時代」といわれています。
資料上には「三国志」という書物は歴史書として(以下、正史)存在していますが、
それが現在のように庶民に親しめるようになったのは、1000年も後になって羅貫中による「三国志演義」(以下、演義)が世に現れてからといえます。
それにより、三国志は庶民に英雄譚的に広まり、その影響は日本にも伝わりました。
弐、「正史」と「演義」の違い
一般に「三国志」というと多くの人が思うのは「演義」の方といわれます。
「正史」は、蜀、晋の人物である「陳寿(チンジュ)」によって書かれた、三国の人物列伝を中心にした歴史書です。
それは「紀伝体」で書かれ、三国それぞれの皇帝を中心に書かれていました。
「陳寿」自身、魏の元となった晋の人物であるため、内容は魏の記述が多いです。
また、事実のみ淡々と書かれているのが特徴です。
基本的に列伝のみで、物語の流れをつかむには難があります。
日本史でよく聞く「魏志倭人伝」というのは「正史」の「魏書(志)」の一文書です。
一方、「演義」は「羅貫中」によって書かれた編年体の歴史小説です。
このころまでに伝わっている三国時代の口伝をまとめ物語風にしたのが特徴です。
内容は三国の中でも「蜀」を打ち立てた「劉備玄徳」を中心に、「諸葛亮孔明」の活躍が多く書かれており、
実際の史実より、一部フィクションがあり「蜀」寄りの書かれ方をしています。
そのため、多くの人は「蜀=善、魏=悪」という見方をすることがあります、というかそうなるように書かれています。
まあ、歴史よりもその「英雄個人」に対してスポットを当てていることが人気の理由かもしれません。
実はこの「正史」と「演義」の間にはワンクッションがあります。
「正史」が書かれてから100年後、「裴松之(ハイショウシ)」によって注がつき、エピソードが追加されました。
「羅漢中」は彼の注も参考にして「演義」を書いています。
正史と演義の違いは
紀伝体による人物列伝のみの記述に対して、民間伝承を取り入れた編年体の物語であること
曹操(魏)と劉備(蜀)の人物像の違い
事実であるか物語であるか(厳密に言うと「正史」が必ずしも正しいというわけではありませんが)
というところにあるといえます。
ちなみに、紀伝体の「正史」を編年体にした「司馬光(シバコウ)」の「資治通鑑」というのもあります。
その中に三国時代の記述もありますが、これも必ずしもすべて正しいというわけではありません。
結局、人の数だけ「三国志」があるということが言えるのかもしれません。
兎に角、「演義」により庶民に親しまれた「三国志」は以下のような流れとなっています。
私自身「演義」の方に触れていることもあり、そちらをベースに説明させていただきますのであしからず。
まず、後漢末期(180年代前半)の中国大陸の地図を出しときます。
何だこの適当な地図は?(笑)
後漢末期、漢王朝は政治の乱れにより民の不満が鬱積していた。
その状況の中で生じた「黄巾の乱」は国の半分という広範囲で起こった。
漢王朝はその鎮圧に動くが、弱体化した漢王朝はそれを収めることができず、その鎮圧を各地の豪族に命じることとなる。
世乱れれば、傑物現る
この言葉の通り、後に英雄と呼ばれる人物達が現れていきます。
物語は「人」を中心進んでいきます。
「蜀」を打ち立てる「劉備」と、「関羽」「張飛」の三人による「桃園の誓い」
「魏」の礎を創る「治世の能臣、乱世の奸雄」と言われる「曹操」の旗揚げ
「呉」の主となる、江東を治める「孫子」の子孫「孫堅」を始めとした「孫一族」の戦い
他にも、「乱世の梟雄」である「董卓」の暴虐とそれに立ち向かう英雄達の合戦
「馬中の赤兎、人中の呂布」と呼ばれた、三国志上最強の武人「呂布」の活躍
漢の格式ある家に生まれ、最も天下に近いと言われながら曹操に敗れた「袁紹」
そして、話は「曹操」が華北(中国の北部)を制圧したころに最高潮を迎えます。
「諸葛亮」の登場、そして「三顧の礼」
劉備と孫権が結び、曹操に対抗した「赤壁の戦い」
赤壁にて勝利を収めた劉備の入蜀。
そして劉備の「蜀」の設立による「三国鼎立」の完成により三国時代を迎えます。
しかし、「劉備」の義兄弟「関羽」の死により、三国のバランスが崩れていきます。
「劉備」が「夷陵」にて起こした弔い合戦、そして敗北。
「劉備」の死
後事を託された「諸葛亮」の戦い
南蛮平定
六回にわたる魏に対する「北伐」
「五丈原の戦い」、そして諸葛亮の死
蜀の滅亡
司馬一族による、魏の滅亡と晋の成立
晋による呉の征服、滅亡
これにより三国志は終わりとなります。
人々は英雄たちに憧れ、彼らを称えました。
特に「演義」の後半は「諸葛亮」が主人公に等しい扱いがされており、その悲劇性に人気も比例して高いものでした。
そのため、「蜀」が敵対していた「魏」が悪役となっています。
「一騎当千」の舞台時(222年)の中国大陸は以下の通り
「一騎当千」では夷陵の戦いにアキトが現れたという設定の下、話が進んでいます
*石亭の戦い、五丈原の戦いは、歴史上ではそれぞれ228年、234年に行われています
さり気に地図中の場所が正確でないかもしれません…(苦笑)
参、日本における「三国志」
日本においては江戸時代に「演義」が伝えられます。
そして近代「演義」を元に、吉川英治による「三国志」が世にでることになりその知名度を上げていきました。
尤も吉川英治は「前半の主人公を曹操、劉備、後半の主人公を諸葛亮」にすることで「正史」と「演義」を融合させたところもありました。
他にも、横山光輝による漫画「三国志」もあり、アニメ化もされたほどでした。
また、NHK教育では人形劇の三国志があり「若き日の島田紳介、松本竜介」による進行が懐かしく思います。
三国志は近年、漫画の「蒼天航路」のように、「正史」の解釈もされた作品も出版されています。
少し毛色は違いますが、本宮ひろ志の「天地を喰らう」や、月刊マガジン連載中の「龍狼伝」も「三国志」をモチーフとした作品となっています。
実は本作品とタイトルが同じ、「一騎当千」という三国志の現代バージョンにした漫画も存在します(笑)
皆さんがご存知の歴史シミュレーションゲームの大手、「KOEI(光栄)」が三国志をモチーフにした作品を多く発売しました。
ゲームの「三国志」は歴史シミュレーションの一舞台として確立していくのでした。
四、「三国志」と「一騎当千」、そして「真三國無双」との関係
それで、愚作「一騎当千」において、元ネタは管理人Benさんの「時の流れに」と「真三國無双2」と説明文にも明記してあります。
では前者は周知のこととして、後者「真三國無双2」については説明しておく必要があると思います。
「真三國無双2」とは上記にでてきた「KOEI」そして「オメガフォース」によって制作された、
PS2ソフトであり、「歴史シミュレーション・アクションゲーム」です。
内容は三国志の英雄を操り、戦場を駆け巡って自軍を勝利に導くというゲームです。
ただ、変わっているのは基本となる設定で、
武将が人外の強さを持っている(笑)
一部、正史と逆らって(登場しないはずの武将の登場など)いるところがある(笑)
戦場に出ることのない女性キャラでプレイすることができる
そして何より
キャラが歳をとらない(爆)
以上の特殊な設定があります。
そのため「一騎当千」でもその設定に準拠しているところもあります。
歴史モノではありますが、シミュレーション(仮想)と受け止めていただければ結構です。
個人的にやってみて損はないゲーム(作品)と思いますので、機会があればやってみることをお勧めします。
五、最後に
さて、これで三国志についてわかってもらえたでしょうか。
自分が確認、認識している範囲のものなので、どこか間違いがあるかもしれません。
できれば、上記に出て来た書籍、作品に触れていただけるとわかっていただけるかと…。
これを読んでいただいた方が、三国志に興味を持つことに願いつつ…
それでは、今度は作品で…
ほたて