惑星間ボソンジャンプ施設計画『ヒサゴプラン』のターミナルコロニー<アマテラス>が火星の後継者の襲撃によって陥落してから、ほぼ48時間が経過した。
 様々な情報が錯綜する中、連合宇宙軍は偶然(・・)アマテラスに査察を行っていた戦艦ナデシコBから、同艦がどさくさでハッキングした火星の後継者の情報を受領。
 その後、連合宇宙軍本部に総司令であるミスマル・コウイチロウを中心とする面々が集結。火星の後継者の蜂起についての対策を練っていた。
 この間の世界情勢を一言で評するなら『パニック』が当てはまるだろうか。
 『熱血クーデター』後初めてとなる大規模な戦闘、その結果としてのアマテラスの壊滅は、瞬く間に全世界に伝わっている。
 主要先進国による『木連人との和平・共存宣言』が正常に機能していないことは、世界中の人々にとって、既に暗黙の了解となっていた。
 木連人に対する差別情報は、宣言の後もたびたびニュースになり、人々の不安をあおり続けてきたのである。
 むしろ地球圏の人間は、木連人たちとの共存を、不承不承ながら受け入れ、意識の外に追いやって新たな日常を構築していたのだ。
 だが、アマテラスを襲ったこの事件は、彼らが見てみぬ振りをしてきた、または被害者となってきた木連人たちの主張を、再び目の前に突きつけた。
 火星の後継者の首魁である草壁春樹はこの蜂起と同時に世界に向けてある宣言をした。
 それは今までネルガルや連合宇宙軍、各国政府が頑なに秘匿し続けてきたボソンジャンプに対する血みどろとも言える技術の簒奪戦の真相だった。
 ボソンジャンプの重要性と危険性、その経済的利益、そしてそれらを遥か昔の核拡散防止条約よろしく、一定の先進諸国と大企業のみで独占しようとしていること。
「新たなる秩序のため、我々はボソンジャンプ技術の粋であるヒサゴプランを獲得する。それが、世界の敵となるとしてもだ」
 草壁春樹の言葉は、苛烈にして無骨で、それでいて聞く者の心を惹きつけた。
 言うまでもなく、彼の宣言は世界を揺るがした。
 だが草壁の―――というより、この演説を画策した火星の後継者の2シンジョウ・アリトモの狙いは、それだけに留まらなかった。この演説には『猛毒』が仕込まれていたのだ。
 草壁は演説で、次の趣旨のことを口にした。
「我ら火星の後継者は、我々の蜂起をサポートしてくれる協力者に対し、相応の見返りを与える用意がある。しかし敵対するものは徹底して潰させてもらう」
 つまり火星の後継者は彼らに味方するものにはヒサゴプランなどにより積み重ねられたボソンジャンプ技術を提供すると公約したのだ。
 ボソンジャンプ技術は魅力的な報酬だが、当然ながらこれは全ての国・企業・組織にとっては賭けとなる。
 だが、経済・軍事の先頭グループに入れない大多数の『その他大勢』にとっては、一発逆転の大チャンスともいえた。
 そして、例えギリギリの賭けになったとしてもそのようなメインストリームに立とうとする者は、少なからず存在する。それも、社会の上層部――人々を指導、あるいは支配する階級であればあるほど、その欲が強い者が多く存在するのだ。
 また、賭けをする必要のない者たちにとっても、先の大戦後のネルガルの凋落ぶりは記憶に新しい。うかつに敵対を表明せずに、出来る限り判断を遅らそうという流れを作った。
 要するに草壁の提案は、万が一にも自分たち以外の全てがまとめて敵に回るという状況を作らせないように、そのような判断を下せる者たちを、直接揺さぶって見せたのだ。まさにシンジョウの思い通りの結果となった。
 各国政府はこの事態に、未だまともな対応を取ることが出来ずにいた。
 そもそも、一定以上の諜報機関を有する国以外は何が起こったのか、正確な情報を得ることすら困難な状況である。
 正確な情報の不在は、事実に数倍する憶測とデマを生む。そして、憶測とデマはさらに数倍の恐怖と恐慌を呼ぶ結果となった。
 火星の後継者はこの隙を突いてボソンジャンプの根幹である火星極冠遺跡を占拠。さらにヒサゴプランコロニー『クシナダ』、『サクヤ』も同時に占拠して立てこもった。
 この間に草壁の主張に同調するものが続々と集結中。その数は現時点で統合軍の3割に達しようとしている。
 ナデシコB艦長ホシノ・ルリの持ち帰ったデータによると、草壁への賛同者は多数。軍人、政治家が多いが、いずれもヒサゴプランの計画立案に携わっていたものばかり。
 結果として地球連合は火星の後継者にヒサゴプランというお膳立てをしてやったという形となる。
 さらに連合の非主流派の国々にも非公式ながら支持の動きが出始めた。幸いというのか、連合宇宙軍からは同調しようにもそもそも人員がもういなかった。
 このような状況下で、統合軍は残る7割の戦力で早急に火星の後継者を鎮圧することを決定した。
 統合軍は面子にかけて自分たちの力でこの騒動を収めようとしていたが、宇宙軍とネルガルも極秘部隊として独立ナデシコ部隊を編成。
 様々な思惑が錯綜する中で、それぞれの戦いが始まろうとしていた。



















白黒ーwhite & blackー
第四幕 ゲキガンガーみたく格好よく
presented by 鴇















 風が変わった。
 それが、アマテラス襲撃・火星の後継者の蜂起があったあの日以降、ネルガルの幹部たちが共通して感じている、率直な感想だった。
 今までは地下にもぐり続けていたため全体像すら把握できなかった火星の後継者が、ついにその姿を公の舞台に現したのである。確かにその規模は巨大であり、蜂起による同調者を吸収してさらに肥大してはいるが、捉えようとしても捉え切れなかった雲のような存在が、ようやくその実体を露わにしたのだ。
 これまでは相手の数に押されていたが、これからは火星の後継者も統合軍の主力部隊を相手にしなければならない。
 正直、火星の後継者の蜂起はクーデター計画の直前に行われる予定であって、決してこんな中途半端な時期に行うものではなかったはずだ。
 そして火星の後継者のその焦りを生み出したのが、テンカワ・アキトの乾坤一擲のアマテラスコロニー襲撃なのである。彼が執拗にヒサゴプランコロニーを攻め立て、アマテラスへの侵入を成功させたことにより、『ユリカ』の存在を暴かれた火星の後継者は蜂起せざるを得なくなった。
 あまりにも強大な相手に遂に対等の勝負が出来る段階にまで持って来たのだ。
「――火星の後継者用の対クーデター作戦の準備は極めて順調です。火星の後継者も火星極冠遺跡等の防衛のために戦力を振り分けることが出来ないのか、彼らの武装蜂起後は小規模の交戦すらありません。もっとも、その代わり矢面に立たされている統合軍の損害はなかなか惨澹たるものですが」
 手際よく報告するのは、NSS――ネルガル・シークレット・サービス――や他の警備部との仲介・統率を務めているプロスペクターである。報告を受けた会長アカツキは悪くないね、と1つ頷いた。
 2人がいるのは、ネルガル本社敷地内にあるNSS専用施設だ。情報管制室の奥にあるガラスで仕切られただけのスペースである。元は簡易の会議用スペースであったのだが、真っ先に火星の後継者関連の情報に触れられ即座に指示を下すことが出来るため、最近はこの部屋が月臣たちにとっての実質的執務室となっていた。
 アカツキとプロスの他に同席しているのは、会長秘書のエリナ・キンジョウ・ウォンと、NSS実行部の総責任者であるゴート・ホーリー、それとネルガルが秘密裏に造りだした戦艦ナデシコCや機動兵器ブラックサレナなどのメンテナンスを一手に引き受ける整備班班長ウリバタケ・セイヤだ。
 目には見えない大きな力の流れに自分たちが乗っていると確信している今、以前にも増して不眠不休で働き続けているにもかかわらず、彼らの顔も活気と鋭気に満ちている。着々と態勢を整えながら、ひとつの目標を目指して揺ぎ無く邁進していた。
 彼らの最大の目標。
 それこそが、火星の後継者のクーデターという大攻勢を逆手に取った、一大反撃作戦なのだ。
「ウリバタケ君、ナデシコCの整備状況は?」
 アカツキの問いかけにニヤリと笑いウリバタケは答える。
「全てにおいて問題は無え。後はルリちゃんの弟分による最終チェックを待つのみだな」
 ルリちゃんとナデシコCの力に慌てふためく敵さんが眼に浮かぶぜ、と自信満々に語るウリバタケにアカツキは頷くと、次は先ほどから聞き手に徹していたゴートに問いかけた。
「ゴート君、連合宇宙軍に提供する戦力はどうなってる?」
 ゴートは巨躯を屈めるようにひとつ会釈をすると、独特の低い声で話し始める。
「はい。人手不足のNSSと警備部からは出せませんが、民間にいい傭兵部隊がいたので彼らをネルガルが雇い、出向させるという手続きを取りました」
「傭兵? 頼りになるのかい?」
「素性を調べましたが裏切りの可能性は低いかと。また練度は中程度ですが、装備の質と士気が高いです。指揮官の能力も折り紙付きのため戦力的には申し分ないかと」
 いざクーデターが発生した場合、ネルガルはまず自社の防衛に全力を注がねばならない。しかし火星の後継者側は連合宇宙軍総会議場、国際高速通信社、連合第一宇宙港など主要施設を電撃的に一気に攻め落とそうとしてくるだろう。今の連合宇宙軍にはそれらを防ぎきるだけの戦力は無い。そのため大々的に戦力を増強することが出来ないネルガルは、その経済力で戦力を買い、連合宇宙軍に提供するという方向に舵を切ったのである。
「戦力といえば―――」
 ゴートの報告に満足したアカツキは、ふと思いついたようにエリナのほうを向く。
「彼女の様子はどうなってるかい?」
 アカツキの言う彼女とはウィーズのことである。彼は以前、ウィーズに自分たちに協力するよう脅迫じみた提案をしたのだが、手ひどいしっぺ返しを喰らい、どちらにも加担しないという約束で彼女をネルガルに置いている。ラピスが妙に懐くため、彼女の保護者であるエリナがあれこれと世話を焼いているうちに、いつの間にかウィーズと仲が良くなったという経緯がある。
 エリナはアカツキの言葉に肩をすくめながら応える。
「相変わらずよ。どっちを応援して良いか分からないからどっちにも手を貸さないって。嫌われたものね」
「残念だが敵に回られなければ計画に大きな修正は無いよ」
「あー、ウィーズちゃんか。彼女は頑固そうだからなぁ」
「……なんでウリバタケ君がウィーズ君を知っているんだ?」
 さもありなんと頷くウリバタケにアカツキが問うと、彼はあっけらかんと答えた。
「退屈だっつってちょくちょく俺たち整備班の所に遊びに来てるぜ。IFSも持ってたみたいだからエステにも乗っけてやったりしてるしな」
「んなっ!?」
 アカツキはあいた口が塞がらない。味方ではない人間を本拠地で機動兵器に乗せるなんて何を考えているのだろうか。いや、それよりも何故、軟禁されているはずの人間がこうも勝手気ままに動けているのか? アカツキはエリナとプロスに問いただすような視線を向けるが……
「何かするならとっくに仕掛けてるはずよ」
「ボソンジャンプが出来る相手を閉じ込めておこうなんて不毛の極致でしょう」
 と、さらりと受け流されてしまう。
 頭が痛くなるような話だが、実害はこれまでもこれからも無さそうなので何とも言えない。
 しかし何はともあれ……
「対クーデターに関して準備はほぼ整った、ということかい?」
「……ほぼ」
 プロスが答える。
 彼らの間に密度の濃い沈黙が充満する。声にせずとも伝わるいくつもの想いが、狭くは無い部屋に満ちている。
「敵の動きに変化は?」
「目立った動きは特にありません」
「思ったより反応が鈍いな。……現在の世論について火星の後継者側はどう考えているんだ」
 アカツキの懸念はプロスやエリナたちにとっても気になる点だった。
 武装蜂起後、草壁が行った宣言からも分かるように、火星の後継者は世界情勢の全てを無視して一方的に侵略しようとしているわけでは決して無い。むしろ世論を誘導し、利用するような強かさをもっている。その成果として現在の硬直状態があるのだが、まだまだ戦力は統合軍のほうが上である。彼らにとって不利な今の状況を、みすみす手をこまねいてみているとは思えないのだ。
 アカツキはしばし黙考してからゴートに視線を向けた。
「どう見る?」
「敵の内情を予想するには、さすがに情報が足りません。ただ、このままでは火星の後継者は統合軍の力押しには勝てません。その点は確かでしょう」
「何らかの手段は講じてくる、と考えるべきか」
「おそらくは」
 ゴートの意見に、プロスとエリナも同意して頷いた。
 しかし、敵がどう出るかの予測は不確定要素が多い。たとえば、火星の後継者の手元にはボソンジャンプの遺跡ユニットと伝達装置としての『ユリカ』がいる。チューリップを用いない単体ボソンジャンプの実用化に成功しているのならば、その戦力は一気に肥大化するであろう。
「ただ―――」
 と、ゴートが話を続ける。アカツキたちは沈黙を持って先を促した。
「奴等は火星極冠遺跡とヒサゴプランコロニーから動けない。というより、現在の拠点を維持するだけで手一杯のはずです」
 火星の後継者は肥大化し続けているといっても、その多くは火星の後継者の武装蜂起後から加わった新参者。言ってしまえば雑兵である。もちろん実力者も数多く存在するであろうが、それらを見抜き適材適所に振り分ける時間は無い。指揮官が少数しかいない以上、A級ジャンパーの拉致やネルガルもしくは連合宇宙軍に対するテロといった謀略は駆使できても、組織として出来ることは限られてくる。
「組織として明らかに脆弱。今の火星の後継者は『テロリスト』にはなれても『軍隊』にはなれません」
 構成員だけただ増やしても『組織』を肥大化させることは出来ない。それはただ寄り集まった『集団』に過ぎない。兵を手足のように『活かす』体制が出来ていないのだ。
 そして、戦いの規模が世界規模にまで移行した今、戦う主体は『組織』対『組織』が基本となった。それも国家クラスの巨大組織同士という。そのような戦いにおいて、幾ら数が多かろうと、単なる『集団』に出来ることはあまり多くは無い。
 ゴートの冷静な分析にアカツキは1つ頷く。
 そして猛ることも激することもなく淡々と言う。
「この機を逃すつもりはない。彼らが何らかの手を打つ可能性は高いが……、僕らはそれらをねじ伏せて潰す」
 その場にいる全員が、それぞれの思いで、彼の宣言を噛み締めた。
 ついに、と思う者。とうとう、と思う者。だが、誰しもここまで対等の条件で戦えるとは予感していなかったはずだ。戦争の責任を担わされ、戦後復興事業のほとんどから外され、パートナーである連合宇宙軍も弱体化し、泥水をすする思いで耐え続けることおよそ3年半。こちらが消耗しきる前に敵を同じ舞台に、しかもこちらが切り札まで用意した状態で反撃の機会が巡ってこようとは、あの時は誰も考えていなかっただろう。
「英断です、会長」
 プロスがねぎらうように言う。
「ゴートさん、エリナさん、ウリバタケさんは各人への連絡を徹底させてください。各方面の足並みをそろえるには、ある程度時間が掛かるでしょう。特に、今回の作戦は各部隊の綿密な連携が不可欠となるはずです。何しろ、我々はただクーデターを潰すだけでなく、ユリカさんの救出と遺跡ユニットの確保もしないといけませんから」
 火星の後継者の大きな脅威に遺跡ユニットの存在がある。火星の後継者本拠地に核ミサイル等の大規模破壊兵器を撃ち込むことが出来ないのも、これが原因だ。遺跡ユニットがどれほどの強度を保っているのかは分からないが、仮にこちらの攻撃が遺跡ユニットを破壊してしまった場合は、どんなことが起きるのか予測不能なのだ。イネスの話では、遺跡ユニットは一種のタイムマシンのようなもので、これが破壊された場合は現在・過去・未来のボソンジャンプは全てチャラ、なかったことになるらしい。もちろん机上の空論であってこれが正しいとは限らないが、仮にこの理論が正しくなかったとしても影響が大きすぎてとても遺跡を破壊することなど出来ない。
 ネルガルらは火星の後継者の野望を打倒するためには、ただ単にそのクーデターを防ぐだけでなく、遺跡ユニットという人質ならぬ物質(ものじち)を確保しなければならないのだ。言うまでもなく、非常に高度で困難な作戦だ。共闘する全勢力を結集して『数量』を確保するのは最低限として、それ以上に、全勢力で一斉に敵を攻撃しつつ一息に制圧までもっていく『連携』が重要な鍵になるはずだった。
「火星の後継者のクーデター予想日時は次の地球連合総会議が行われる8月20日だ。各人ともそのつもりで最終調整を急いでほしい」
 アカツキは大きく息を吸って、一同にそう告げた。













 ゴートの予想は当たっていた。火星の後継者は、単独ボソンジャンプ技術の確立に成功していたのだ。
 8月19日、統合軍は火星の後継者に対してターミナルコロニー「クシナダ」「サクヤ」攻防戦を展開した。
 開戦当初、圧倒的な大火力の統合軍の前に、火星の後継者の防衛ラインは崩壊し、開戦2時間で損耗率は50%を突破した。
 アマテラスを奪われた元警備主任アズマ准将の獅子奮迅の働きもあり、統合軍第5艦隊により「クシナダ」は瞬く間に奪回された。
 同様の戦力差で「サクヤ」に挑んだ統合軍第3艦隊は、しかし勝手が違った。
 感情的にもなっていた第5艦隊の力押しとは逆に、同艦隊司令官はセオリー通りの攻略戦を展開した。
 それにより火星の後継者の損耗率が50%を越えた段階においても統合軍の損耗率は僅か3%。まさに理想的な展開といえた。
 だが。
 完璧に綺麗に勝利する。その事に拘った司令官の作った時間的猶予。
 これが決定的な敗因となった。
 優勢に進めていた統合軍の懐深くに、突如として火星の後継者の機動兵器『積尸気ししき』がボソンジャンプにより出現したのだ。
 現時点では不可能とされていた小型機動兵器単体による単独ボソンジャンプである。とまどう統合軍を尻目に、火星の後継者はこの奇襲で一度に17隻もの戦艦を撃破して戦況をひっくり返した。
 この火星の後継者跳躍部隊により統合軍第3艦隊は全面敗退。
 クシナダ奪回のために第5艦隊も損耗していたため、統合軍全軍は体勢を立て直すため、転進することを決定。
 両軍共に大きく損耗したターミナルコロニー攻防戦は、こうして終了した。
 火星の後継者がサクヤを獲られたことをもってこの攻防戦は引き分けとする論もあるが、何よりも時間的猶予が欲しかった火星の後継者の実情と、圧倒的戦力差を覆してのこの結果を冷静に鑑みれば、この攻防戦は火星の後継者の大勝利である。
 反火星の後継者勢力としてこれは痛手であるが、しかしそもそも統合軍とロクに連携が取れなかったネルガルとしては想定の範囲内であった。
 あくまでもネルガルの狙いは地球連合総会と火星の極冠遺跡を餌とした包囲戦なのだから。
 そしてネルガルは決戦を前にもう1つ罠を仕掛けた。
 標的は火星の後継者特殊部隊『北辰六人衆』。
 餌は「A級ジャンパー」テンカワ・アキトと「マシンチャイルド」ホシノ・ルリ。
 火星の後継者の人狩りから逃れるために偽装死亡をしたイネス・フレサンジュの三回忌に、2人が墓参りに来るという情報を流したのだ。
 北辰たちの最近の任務はボソンジャンプの各ポイントの綿密なデータ収集だったが、それも火星の後継者側のボソンジャンプ実用化がなった今、元の任務であるA級ジャンパーの拉致に戻るときだろう。
 そこを狙う。
 遂に訪れた北辰を殺す好機に、はやる気持ちを抑えるように装備を整えるアキトの元にウィーズが現れたのはその時だ。
「や、久しぶり」
「……久しぶり…ス」
「アキト君から会いに来るまでこっちから行くつもりは無かったんだけどね」
 何とも言えない笑みを浮かべながらウィーズは親指で後ろを指す。その先には月臣がいた。彼は今回の対北辰戦のメンバーには選ばれていない。
「こいつに会っといて欲しいって言われてね」
「……チ」
 ウィーズの言葉にアキトは露骨に舌打ちをしたが、月臣は気にせずにこう切り出した。
「テンカワ。気持ちは分かるが、気負いすぎだ」
「……月臣にはこの気持ちは分からないさ」
 精神が昂ぶり、ボウっとアキトの体が淡い発光を始めた。体内に巣食うナノマシンが意図せずとも活性化してしまうのだ。
「いや、分かる。俺とて草壁春樹を倒すことだけを考えて地球まで来たのだ」
「だったら黙ってろ」
「……クッ」
「あー、アキト君?」
 ものの30秒で言い負かされてしまった月臣に嘆息しながら、ウィーズが口を挟んだ。
「君は北辰を倒して、それからどうするの?」
「……なんだと」
「勝つにしても負けるにしても、火星の後継者との戦いはもうすぐ終わる。それから先は、どうしようと思ってるの?」
 言葉に詰まるアキトをたっぷり10秒待ってから、ウィーズは話を続けた。
「こんな時代だから時々忘れそうになるけどね、君の長い人生はこの後もまだまだ続くわ。奥さんといちゃついたり、ルリちゃん? って女の子と和解したいんじゃないの?」
「……何が言いたい」
「割に合わないわ。君に復讐なんて似合わないよ」
 ダン、という壁を殴る音。次いでアキトは懐から抜いた拳銃をウィーズにポイントしながら激昂した。
「奴等を許せって!? できるわけ無いだろう! 許せば俺の五感は戻るのか? ユリカは帰ってくるのか!?」
「…………」
「手前勝手な正義感をひけらかすな!! アンタに俺の何がわかる!?」
 目を血走らせ、狂おしいほどのアキトの感情がウィーズの精神を圧迫する。例えるならそれは、何かどろりとしたものが部屋中に充満したかのようである。
 ウィーズの言うとおり、確かにアキトは復讐なんてする柄じゃない。
 だが夢が壊されたら、身内がやられたら、今まで静観決めていた人間も銃を取る。
 笑顔の似合う青年が、この世の全てを憎むような濃厚な殺意をぶつけられる人間になってしまうこともある。よくある話といえばよくある話。
 それは分からないでもない。分からないでもないが、しかし……
「少し昔話をしましょうか」
 言って、ウィーズは奇妙な手袋を右手にはめてからアキトにその手を差し出した。
 不審に思うアキトに、彼女は簡単に説明を加える。
「ウリバタケさんが作ったおもちゃよ。IFSを通してアキト君とラピスちゃんのように思念共有が出来るみたい。口下手な私には丁度いいわ」
「ウリバタケさんが……」
 ウィーズが手を出し続けるので、しぶしぶながらアキトは銃をしまってその手を握った。
 途端、ウィーズの思考がアキトの中に入り込んでくる。ナノマシン単位で繋がったラピスとの思念共有ほど強力なものではないが、頭の中に直接声が響いてくる。まるで頭蓋骨の中に勝手に受信し続けるラジオを置かれたような感覚だ。
「私が子供の頃の話よ。ちょっと記憶がおぼろげになってきてんだけどね」
 ―――それは嘘。思い出さないようにしてるだけ。
「私たちは『疫病神』と呼ばれていたの。災いを運ぶ者って」
 ウィーズたち穢れし者は木連の少数民族だ。火星のテラフォーミング技術者を祖先に持つ彼らは、木連の主流である月独立派の血を引いていないという理由だけで差別、迫害されてきた。特筆すべきことは、彼らがその待遇を甘んじて受け入れていたということである。この迫害は表向きには民族間のイデオロギーの対立の結果ということになっていたが、その中身が政情不安による国民の不満を彼らに逸らすためだということは、少し頭の回る人間なら容易に想像がつく。そしてそこまで考える事が出来たのなら、『穢れし者』が抵抗しなかった理由は政情の安定のため自ら犠牲になったのだということも、想像がついてしまうはずだ。
 初めは単なるストレスの捌け口に過ぎなかったのだが、それでも40年50年と月日が経つにつれて、次第に木連の災厄は全て穢れし者が持ってきたものではないかと思い込まれるようにさえなっていった。
 疑惑は転がりだすと止まらない。
 やがて誰かが死ねば彼女たちのせいになった。何かが壊れれば彼女たちの仕業になった。どんな不幸もその根源は彼女たちとなった。恐れも怒りも憎しみも……弁解の余地も無く彼女たちに叩きつけられた。
「そんなのは私たちのせいじゃないのにね」
 ウィーズはやるせない声で言った。
 彼女がこんな状況でもひねくれずに成長できたのは、両親の教育が良かったからだと思う。
 どれほど過酷な状況にあっても(したた)かに生きていた両親がいたから、そして彼らからの溢れんばかりの愛情があったからこそ、ウィーズは人として当たり前の善良さを失わずにすんだ。
 困難に負けないために力をつけるのよ、が母の口癖だった。
 生きてさえいれば絶対に良い事がある、が父の口癖だった。
 この強い2人のおかげで、ウィーズは劣等感を持たずに、奇跡のように普通の家族として暮らしていた。
「例えどれほど周りから嫌われていても、私のほうからみんなの不幸を祈るようには思えなかったわ。……性格かな?」
 あっけらかんとウィーズは言うが、しかし彼女の手が僅かに震えていることが、アキトには分かった。
「ある日、私たちを差別していた人の家が火事になったの。みんなが見ているしか出来なかったときに、子供だった私は頭から水をかぶってその家の中に入って行ったわ。赤ちゃんが逃げ遅れててね。いま思えば無茶だったけど、何とか助け出すことが出来たわ」
 自分でも誰かを助けることが出来るんだと、ウィーズは誇らしげな気持ちになった。これで皆と少しは仲良くやっていくことが出来るかな。幼い彼女は純粋にそう思った。
 しかし掛けられた言葉は感謝ではなかった。
『何言ってんだよ。元々お前がいたからこんなことが起こったんじゃねえか』
 放火魔、自作自演、詐欺師。
 ……彼女につけられた新しいあだ名だ。
「結局、どれほど頑張っても認められることは無かったわ」
 この直後、彼女は心因性の酷い高熱にうなされる事となった。
 両親が夜遅くまで自分の看病をしていてくれたのをおぼろげながら覚えている。
 2人のために早く回復しようと、ウィーズは折れかかった心を支えなおした。
 回復したら2人に思い切り「ありがとう」と言おうと思っていた。
 しかし、その思いは永遠に叶わなかった。
 それは今まで起こったどの不幸よりも理不尽だったし、突然すぎた。
 玄関をぶち破り、銃を持った軍人が大挙して押し寄せてきた。
 病気で倒れている彼女を汚いもののように見ると、彼女を庇っていた両親を無理矢理連れて行ったのだ。
 朝、熱が下がり周りを見渡したら自分しかいなかった。
 笑えない、笑うしかない、不幸。
 それからの生活は最悪だった。初めのうちこそ良く分からない施設に放り込まれたが、お世辞にもまともな環境とは言えず、2年と経たずに脱走した。
 黒髪黒瞳黄色人種の木連人の中で、金髪蒼瞳白人種の自分。判りやす過ぎる、異物。
 だんだんと彼女の心拍数が早くなってきて、そしてその思念がじわじわと押し寄せてきた。
「両親が死んでからは、正直あまり話すことも無いけれど……」
 ―――それは少し違う。これから先は『いいこと』が本当に何も無いだけ。なんにも。
「普段の孤独な自分がたまらなく感じるの」
 ―――何のために生まれたのか。考えても答えなんか無い。
「気にしないように気にしないように生活してても、ふとした切っ掛けでそれは湧き上がってくるわ」
 ―――どこを向いても忌々しそうな視線が返ってきたことは覚えている。
 ―――思い返せば泣きそうになる。
「私の心の中のどす黒いものが、(せき)を切ったように溢れかえってくるのが判るでしょう?」
 ―――後悔は無いわ。こうするしかないって分かっていたもの。
 ―――でも本当は泣きたいときもたくさんあった。
「思い出そうとすればこうなるのは分かっていたわ」
 ―――お父さん。お母さん。
 ―――もう一度会いたい。もう二度と会えない。
 ―――もっと話していたかった。一緒に何かしたかった。
 ―――つらい。怖い。さみしい。
 ―――誰か私の話を聞いて。
 ―――お願いよ。
 ―――会いたい。会いたい。会いたい。
 ―――気がおかしくなりそう。
 ―――諦めなきゃいけないのに。
 ―――さみしいよ。怖いよ。もう嫌よ。
 ―――なんで私ばかり。
 ―――この姿がいけないの?
 ―――私はやっぱり災厄なの?
 ―――誰か助けて。
 ―――誰か助けて。
 ―――誰か助けて。
 ―――誰か助けて。
 ―――助けて。
 ―――助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて……
「……アキト君。私の頭の中が分かったでしょう?」
 荒れ狂う感情を綺麗に隠して、口元に軽く笑みさえ浮かべて、ウィーズは言った。
 言いながら、握り続けていたアキトの手を離す。
 途端、アキトの頭の中を暴れまわっていたウィーズの思念が掻き消えた。
 ウィーズは離した手をそのまま握り、そしてガツン、と自身の頭に強く打ちつけた。
「っなにを!?」
「こうなると一旦頭を切り替えないといけないわ。自分ではどうしようもないの」
 何でも無いように言うウィーズだが、その息は荒く、震えは体全体に及んでいる。
 アキトを安心させるように笑おうと試みたのだが、ぎこちないそれは返って見る者の心を締め付けた。
「……ウィーズ、さん。アンタはこんな感情をずっと抱え続けていたのか?」
 呻く様に言うアキト。
 痛みすら伴う絶望は、容易に人の精神を死に至らしめる。
 彼女が、例え無関係の人間でも命をかけて救おうとしている理由が、良く分かった。
「孤独ってのはこういうことよ。アキト君はこのまま行くと、例え奥さんを助け出しても自分が許せなくなって幸せを取りこぼすわ。君にはそうなって欲しくないの」
「…………」
「好きな人たちや、社会全体から関わりを断つことがどんなことか、アキト君に伝えたかったの」
 淡々と言うウィーズは、そこでゆっくりとやさしい笑みを作った。
「ラピスちゃんから聞いたわ。アキト君はまだ幸せを求めているって。奥さんやルリちゃん、それにたくさんの仲間を、アキト君自身が求めているわ」
 自分から進んで孤独になる必要なんてない。
 最後にそういってから、踵を返して月臣の方へ帰っていった。
「……ウィ、ウィーズ。俺は……」
「ああもう。月臣のこと責めてたんじゃないんだから、一々うろたえないで良いわよ」
 わたわたと話す月臣にやれやれと返すウィーズ。
 その姿を見ながら、アキトの心はただただ感謝の気持ちで溢れかえっていた。
 あんな酷い絶望を思い出してまで俺の目を覚まそうとしてくれるなんて……。
「ウィーズさん!」
 気がつけばアキトはウィーズを呼び止めていた。
 彼女は首だけ曲げてこちらを向いた。
「全てが終わったら、また話しましょう!」
「おーけー、楽しみにしてるわ!」
 ウィーズは片腕を挙げて笑いながらそう答えると、月臣を連れて行ってしまった。
 アキトは2人の気配が十分に遠くなったことを確認してから、大きく息をついた。
 そして何ともいえない笑みを浮かべる。
 ゆで卵が決して生卵に戻れないように、全ての変化は不可逆。似たものには戻れても同じものには戻れない。
 理由があったとしても、既に火星の後継者やクリムゾンの人間を多数殺してしまったアキトが、以前の彼に完璧に戻れることなんて無い。きっと罪悪感に苛まれる夜や被害者の遺族から糾弾されるときもあるだろう。そしてユリカたちと歩むことを選んでしまえば、その矛先は彼女たちにも向けられるに違いない。それは彼にとって大きな恐怖だった。
 しかし。
 より困難な道を歩いてきた女性がすぐ近くにいたのだ。
 ならば自分にも出来ないはずが無い。
 こんな自分に幸せを諦めるなと言う無責任なお節介焼きを見返すことくらい、しても良いだろう。
「……時間か」
 アキトは手元のコミュニケで現在時刻を確認すると、装備をもう一度確認してから立ち上がった。
 それから3時間後に、対北辰六人衆作戦が開始した。
















 青い低い空に入道雲が流れる夏の天気。そこかしこから聞こえるセミの声。
 佐世保の町の小高い丘の上にある誰もいない墓地には、不規則な墓石の列がどこまでも続いている。
 沈黙する死者の居所の中で、アキトは1人待ち続けていた。
 衰えた五感にも感じられる湿気の多い真夏の空気。まるで水の中にいるような息苦しささえ感じる。
 目の前にはイネス・フレサンジュの偽の墓。ボソンジャンプの第一人者であり、自らもA級ジャンパーであった彼女は火星の後継者らにその命を狙われていたため、偽装死亡をして、その身を隠していた。
 墓石の表面には彼女の名前と生没年が刻まれている。
 建前上は今日で3回忌となる。長いようにも、短いようにも感じられる、そんな期間。彼女は死んだものとして扱われている。
 彼女も火星の後継者の犠牲者なのだ。
 身体的な損傷こそ無くとも、事情を知らないナデシコの仲間には会えない。世界から賞賛されてしかるべきその頭脳も、披露すべき舞台は無い。天気の良い日にふらりと散歩に行くことすら、出来なくなった。
 もちろんアキトは彼女に感謝している。心身ともに壊れかけた彼を助けられたのは、ひとえにイネスの手腕があればこそだった。そして当初は偽装死亡に否定的だったイネスがその意見を翻したのは、そんなアキトを見てしまったからだった。
 彼女のおかげで再び力を得たアキトは、それを復讐のために使おうとした。ユリカを助けて、火星の後継者を根絶やしに出来れば後はどうでも良かったのだが、しかし……
 我知らず呟くような声がした。
「アキト…君……?」
 墓標の群れの中に、2人の女性が立っていた。
 1人はハルカ・ミナト。栗色の髪をストンと腰まで流している彼女は、元ナデシコの操舵手で、今は地方の高校で教鞭を振るっている。
 そしてもう1人はホシノ・ルリ。通常ではあり得ない、こめかみの上で2つ結いにしている銀色の髪。同じく自然界ではあり得ない泉のように静かな金色の瞳。彼女は元ナデシコのオペレーターであり、蜥蜴戦争後は事実上アキトとユリカの養子となっていたが、2人が火星の後継者に攫われた後は地球連合軍に仕官していた。
 2人とも墓参りに来るために喪服を身にまとっており、ルリは花束を携えていた。
 思わず声を上げたミナトは水桶をもっていたが、驚きのためか、それをその場に落としてしまった。
「今日は……三回忌でしたね」
 あまりのことに身動きの取れないミナトを尻目に、ルリはすたすたと前に進むと、何事も無かったかのように墓参りの作業を進めていった。花を生け、水をやり、線香を置いて……。その様をぼうっと見ていたミナトであったが、我に返るとすぐさま自分もその作業に加わった。
 そして一通りの手順を踏まえた後に、3人はイネスの墓の前で手を合わせていた。
 アキトとミナトの前でしゃがみながら手を合わせるルリ。意図したのかそうでないのか、ルリからはアキトの表情が見えず、またアキトからもルリのそれが見えない、そんな立ち位置。
「早く気付くべきでした……」
 手を合わせたまま、ふとルリが後ろのアキトに話しかけた。
「あの頃、死んだり行方不明になったのは、アキトさんや艦長、イネスさんだけではなかった。ボソンジャンプのA級ランク……目的地のイメージを遺跡に伝えることが出来る人、ナビゲーター……。みんなみんな火星の後継者に誘拐されていたんですね」
「誘拐!?」
 ミナトは驚きの声を上げたが、しかしルリには確信があった。先日、アマテラスでハッキングした火星の後継者のデータ。その中にA級及びB級ジャンパーのリストと、ジャンプ実験の結果報告書があったからだ。結果は先々月末の段階で成功率0%。被験者のほとんどは死亡していたが、しかしアキトとユリカの生存も同時に記載されていた。アマテラスでニアミスをしたルリとアキトであったが、この資料によりその裏が取れたことになるのだ。
「この2年余り、アキトさんたちに何が起こっていたのか、私は知りません」
「知らないほうがいい」
「私も知りたくありません。でも、どうして……、どうして教えてくれなかったんですか? 生きてるって……」
「俺が……」
 言葉は、そこで戸惑うように(よど)んだ。
 本当なら、彼女の言葉に取り合うつもりなど無かった。
 ―――「君の知っているテンカワ・アキトは死んだ」
 そう言うつもりだった。
 そうしなければいけないと考えていた。
 しかし。
 ラピスが、自分はルリたちと一緒にいたいのだという本心に気付かせてくれた。
 ウィーズが、こんな自分でも彼女たちと一緒にいてもいいのだと背中を押してくれた。
 だからアキトは、この言葉が言えるのだ。
「人を殺したからだ。数え切れないほどに。アマテラスのように、今も(・・)殺し続けている」
「それはユリカさんを助けるためじゃないですか?」
「軍人のルリちゃんにこんなことを言うのはアレだけどね、罪は罪だよ。理由があれば許されるなんてことはないし、最初は復讐の気持ちのほうが強かった」
「「―――!」」
 ルリとミナトは弾かれたようにアキトの顔を見るが、アキトはそれを平然と受け止める。
 そしてバイザーを外しながらこう言った。
「奴らの実験で、頭ン中かき回されてね。それからなんだよ……」
 感情の昂ぶりから、アキトの全身に幾何学模様の光の筋が浮かぶ。
 目を見開くルリたちを見ながら、アキトは話を続ける。
「特に味覚がダメでね。感情が昂ぶるとぼうっと光るのさ。マンガだろ?」
「…………」
「ユリカを奪われて、料理人になる夢も断たれて……、俺は銃を手に取ったんだ。俺をこんな風にした奴らを殺して殺して殺して殺した。だからもう会わないと決めていた。死んだと思っているなら、それで良いと思っていた」
「…な、んで……」
 ルリの途切れ途切れの言葉にアキトは困ったような顔をする。
「もし自分の大切な人の命が奪われたとして、その殺人犯が誰かを好きになったり家庭を持ったり、普通の幸せを手に入れてたりしたら、やっぱり許せないだろ」
「そのアキト君がなんで今頃、私たちの前に現れたのかしら?」
 この台詞はミナトのものだ。
 彼女は心の中で嘆息しながらも、しかしどこか安心もしていた。これは自分の知っている不器用なテンカワ・アキトなのだと確信していた。
 思い出すのは、ユリカやユキナたちとネルガルから逃亡していたときのことだ。戦闘ヘリからの攻撃を受けていた自分たちをエステバリスに乗ったアキトが護っていた。ユキナは物騒にも攻撃してくる以上、殺してしまっても良いだろうと言っていた。しかしアキトは頑なに人殺しはダメだと突っぱね続けていた。
 そのときのテンカワ・アキトを、目の前の彼は綺麗にダブらせる。
 見ていれば良く分かる。アキトが人を殺し続けていると言うのは本当なのだろう。ゴートたちのような本当の軍人の雰囲気が、今のアキトにはある。しかし復讐のためだからと言って、何故アキトのような、言ってしまえば五感さえ衰えた人間が矢面に立ち続けているのだろうか。彼はA級ジャンパーとして研究に協力するだけで十分に貢献できるし、ネルガルも本音ではアキトが戦場に出ることは望んでいないのだろう。ユリカを救うのはNSSに任せるのが最良のはずだ。
 おそらくその理由が、アキトが最前線に立ち続ける理由であり、そしてミナトがアキトが変わっていないと思える理由だった。
 自分たちのいたナデシコは、過酷な戦場にばかり送り込まれていたはずなのに、そのクルーは軍人とは呼べない人間ばかりだった。
 それは自分たちが人殺しをしたと言う感覚が無かったからではないかとミナトは思っていた。
 基本的には無人兵器ばかりを相手取っていて、さらにその方法もグラビティー・ブラストなどと言った何キロも離れている相手をボタン1つで潰してしまえるような代物。殺した感触など残りはしない。
 実際に人間対人間で殺し合いを強いられている者たちからすれば、それは多分に甘いのかもしれないが、だからこそナデシコの面子は戦争はいけないという言葉を今でも否定しないでいられた。
 しかし今のアキトにはそれ(・・)が出来なかった。
 不器用で無様なアキトだからこそ、復讐のためだからと人殺しを正当化することなど許せなかった。だからこそアキトは銃を持ち、人体実験で衰えた体に鞭を打ち、自分が殺している(・・・・・)のだと言う生々しい感触をその身に刻み続けているのだろう。
 どんな理由があれ殺人は許されない。
 殺人は絶対にしてはならない。
 だからアキトは殺人者(じぶん)を許せない。
 ……まったく、馬鹿みたいな頑なさだ。
 やるせないミナトに、しかしアキトはこう答えた。
「ある人に……言われたんです。復讐が終わったら、どうするつもりだと」
「アキト君の考えだと……」
「はい。初めはずっとネルガルにいるか、そうでなければ誰も俺を知らないところで野垂れ死のうかと思っていました。だけどそのある人が、俺の未来をこれ以上ないくらいにリアルに教えてくれたんです」
「…………」
「情けないですが、俺はそれで自分の本心に気付かされました」
 我知らずアキトは拳を握る。
 そして告白する。
「許されないだろうけど、俺はユリカやルリちゃんたちと幸せに生きたいんだ、と」
 心の底から引っ張り出したような、そんな呻き。
 生きていたいという本能。
 幸せを求めたいという想い。
 どちらも酷く根源的な、だからこそ覆すことが非常に難しい感情。
 そんなアキトのマントのすそを、いつの間にかルリが掴んでいた。
「大丈夫です。全てを元に、とは出来ませんが、アキトさんがまた普通に生活できる場所を私が作ってみせます」
「ルリちゃん……」
 まっすぐとアキトの目を見ながら宣言するルリ。
 胸焼けするような高揚感が胃の底からせりあがってくる。
 どう反応していいか迷うアキトの手を、ミナトはやさしく笑いながら掴んで、それをルリの頭に乗せてやる。
 そうしてやりながら、こう言ってやった。
「いいんじゃないかな。もしアキト君が白鳥さんを殺した人間だとして―――」
 心当たりがあるアキトはびくりとしたが、特に何も言わなかった。
 ミナトは話を続ける。
「私が敵討ちを誓っていたら。その相手が悟ったような顔で『殺してくれ』なんて言ってきたら、私は納得も満足も出来ないわね。罪悪感がありながらも生きていたいって未練をもっている人じゃなきゃ、敵討ちの意味も無いわ」
「……ミ、ミナトさん」
 思わず聞き返すアキトにミナトは安心させるように笑う。
「だ〜いじょうぶよ。今の私にはユキナもいるし、そんな馬鹿なマネはしないわ」
 アキトも脱力したように笑みを浮かべる。月臣のことは黙っていた方が良いだろうかと判断に迷う。
 が。
 ゴゥ―――と熱風が走った。
 突如、アキトたちの脇で爆発が起こった。
 遂に北辰が来たのかと思ったが、こんな無意味な爆発など北辰の手口ではないし打ち合わせにもない。
 不審に思ったアキトが連絡を取ろうとした瞬間、その顔から一切の表情が剥ぎ取られた。
「な、何だこれは!?」
 アキトたちの目の前にはいる筈のない、ある筈のない光景が広がっていた。
 北辰六人衆ではない、ベージュに赤字で火星を表す占星術記号『♂』がプリントされた制服。
 見間違えるはずもない。
「火星の後継者っ」
 ルリの言葉が正解を言い当てる。
 そう。現在は統合軍との死闘により体勢を立て直しているはずの火星の後継者だ。
 一斉クーデターのターゲットは明日の地球連合総会議のはずなのだ。
 しかし、その火星の後継者の大軍――少なく見積もっても300は下るまい――が完全武装してこちらに迫ってきている。
 先ほどの爆発は周囲に待機していたNSSとの交戦か?
 そこかしこでNSSと火星の後継者の交戦音が響き渡る。
 NSSは北辰を捕らえる為の精鋭が選抜されているのだが、そもそも数が違いすぎる。
 なんとかしてルリとミナトだけでも安全な場所に避難させなくては。
 現状を把握して最善策を取ろうとするアキトに連絡が入ったのはその時だ。
『アキト君、状況を教えてっ!?』
 切羽詰った表情でそう言ってきたのはエリナだった。
 部外者がいる以上、アキトとネルガルとの結びつきがあることは機密とするはずだったのだが、今はそんなことは言っていられなかった。
「予定が狂った。北辰の代わりに火星の後継者が大挙して現れた」
『くっ、そっちもなの!?』
「待て。そっち()だと!」
『ええ、そうよ。落ち着いて聞いて』
 嫌な予感が加速度的に増していく。
 アキトの沈黙により促されたエリナはそこで決定的な情報を告げる。
『火星の後継者がネルガルや地球連合軍に対して一斉クーデターを開始したわ』
 銃撃音がそこかしこで響く中、エリナのソプラノがアキトの耳に木霊(こだま)した。













 それは実に「クシナダ」「サクヤ」攻防戦が終了した直後、アキトたちが対北辰六人衆作戦を始める8時間前のことだった。
 攻防戦勝利の余韻に浸る火星の後継者の本拠地、火星極冠遺跡。火星の後継者の参謀役であるシンジョウ・アリトモは緊急に召集した首魁と幹部たちの前で、頭を下げた。
「申し訳ありませんが、計画に大規模な支障が生じました。大勢は決してしまったでしょう」
 召集されたものたちは、全員が鳩が豆鉄砲を食ったように目をぱちくりさせながら固まっていた。
 そうしてから、
 北辰は小さく舌打ちをする。
 南雲は状況についていけず頭から疑問符を浮かべて辺りを見回す。
 苦笑を浮かべながら肩をすくめているのは技術士官であるヤマサキだ。
 ざわざわと千差万別の反応を示す中、首魁・草壁春樹は
「……そうか」
 と重々しく頷いた。
 彼は腕を組みながら椅子に座り黙考していたが、やがてこう切り出した。
「このままではまずいということか」
「はい。さしあたって20ほど対応策を練ってみましたが、どれも抜本的対策とはなりません。当初の計画より大幅な修正が必要となります」
 シンジョウは恐縮しながら答える。
 それを聞いていた草壁は腕組みを解いて、軽く息を吐く。
「仕方あるまいな」
 吐いてから、そう言った。
 これに異を唱えたのは南雲だ。
「お、お待ちください、閣下!」
 南雲はしどろもどろになって、引きつるような大声で抗議する。
「我が軍の戦力は未だに健在! 士気も高く統制されています! 何故そのような判断を下されるのでしょうか!?」
 取り乱す南雲に対して答えたのは、苦笑いを幾分深くしたヤマサキだった。
「それは僕たちが最終的に重要視するもの(・・・・・・・・・・・)が何かによって変わってくるだろうね」
 ヤマサキの言葉にシンジョウも頷いた。
「ヤマサキ博士のおっしゃるとおりです。流石にこのままでは説明が不十分ですので、まずは私の話をお聞きください」
 シンジョウがそう言うと、渋々と南雲は引き下がり、他の幹部たちもそれに従った。
 その様を確認してから、シンジョウは話し始めた。
「ご存知のとおり、先ほど『クシナダ』『サクヤ』攻防戦が終結いたしました。結果は『クシナダ』の防衛失敗と『サクヤ』の防衛成功。特に後者において機動兵器『積尸気ししき』の次元跳躍による奇襲の成功と、その有用性が判明されました。これによりこれまで我々に対する態度を保留していた組織のうち幾つかが積極的支持を表明したようです。この動きはこれからもっと大きくなるでしょう」
 とつとつと新聞記事でも読み上げるようにシンジョウは言う。内容も肯定的なもので、いたって問題はないように聞こえるが……
「しかし」
 と、そこでシンジョウは表情を引き締める。
「しかし、これらの動きが大きくなりその波に我々が乗るための時間が、もう残されてはいないのです」
「そんな馬鹿なっ!」
 幹部の1人が思わず声を荒げたが、シンジョウはそれを鋭い視線で黙らせる。
「思い出してください。本来、我々の計画は全てを水面下で動ききってこそ勝機があったのです。独自の研究により次元跳躍の実用化を達成し、地球連合総会議の直前に蜂起して、奇襲により有無を言わさず要人及び重要拠点を奪取。それにより出来た時間的猶予を使って他勢力と交渉を進める……という計画でした。その予定から戦力の増強も世界を相手にするということを考えれば微々たるものだったといえるでしょう。そのことを考えた場合、今回の攻防戦による戦力の減少、そして何よりアマテラスで蜂起せざるを得なくなったことは痛かったのです。ただでさえ少ない戦力の一翼が完全にもげてしまいました。補充をするにしても、その時間を相手は与えてはくれないでしょう。私がネルガル・連合軍の陣営だったとしたら戦力の減少したこの機に全力をもって火星の後継者を潰しに行きます。そのために奴等は統合軍が撃退される中、援軍の1つも送ろうとせずに静観をしていたのですから」
 シンジョウは静かにそう締めくくった。
 異を唱えるものもいなかった。
 もし、ネルガルのアカツキたちがこの場にいたら漏れなく驚愕し、そして青ざめていたことだろう。何しろ「クシナダ」「サクヤ」攻防戦が終了したのはつい数十分前なのだ。実際、世界に動きがあったとはいえ、それはまだ始まりの始まりに過ぎない。客観的にみてこれから先どのように事態が転ぶのかなど、対火星の後継者作戦を進めているネルガル陣営ですら、とても断言など出来ないタイミングだ。
 にもかかわらず、シンジョウはこの時点で誰よりも早く、「世界のこれから」を見切っていた。
 彼の判断には都合のいい見込みや期待など一切含めていない。冷徹に情報を分析し、常に最悪を想定し、未来の展望を予測している。そうした「現実」を直視するシンジョウの考えは、苛烈とすら評されるものだった。
 参謀の厳しい考えに、南雲は唇をかみ締めながらただ俯いている。
 そんな彼にシンジョウは軽く口元に笑みを浮かべながら
「落ち込むのはまだ早いですよ、南雲殿」
 と、語りかけた。
「これが私が考える我々の現状です。では、これから先はその打開策(・・・・・・・・・・・)です」
 ぴくり、と南雲のみならず幹部たちのそれぞれが反応を示す。ヤマサキは『前置きが長いよ』とぼやいていたが、それも含めてシンジョウは満足して話を続けた。
「説明のとおり、我々はネルガル・連合軍・統合軍の連合に対して正面から戦うことは難しくなりました。勝てる見込みは2割が良い所でしょう。ですが、ここで『発想の転換』をしていただきたいのです。我々の最終目標は既存の政治体制を覆し、草壁閣下を頂点とする新たな体制の構築です。私はそうすることでしか次元跳躍をはじめとする現在の人類にとって危うい技術の一元的安定的管理を行うことはできないと思っています。そのための最短距離をとる計画は、残念ながら破綻したと言えるでしょう。ですが『クシナダ』『サクヤ』攻防戦により戦闘の継続能力こそ失ってしまいましたが、我々の次元跳躍の威力は全世界に十二分にアピールできたともいえます。で、あるならば我々は早急に次の戦略(・・・・・)に移るべきなのです」
 シンジョウの台詞に、幹部連中の多くは息を呑み、そして未だ小揺るぎもしないその意志の強さに感化され獰猛な笑みを浮かべる。
 会議の熱が高まりきったのを受けて、草壁がシンジョウに先を促した。
「具体策を聞こう」
 シンジョウは(うやうや)しく一礼してから話を続ける。
「はい。まずは『サクヤ(・・・)と火星極冠遺跡は放棄します(・・・・・・・・・・・・・)。後ろ髪は引かれますが、要となる遺跡演算ユニットを我々が保有している以上、戦略的価値は無視できるレベルです」
「以前のように地下に潜るということか」
 北辰の問いかけにシンジョウは首を振る。
「厳密には少し違います。これまでは計画の早期達成のために火星極冠遺跡の完全占拠と地球連合総会議からの要人誘拐という固定化された目標がありました。そのため息を潜め機を窺っていましたが、その必要はもうありません。短期決着にこだわる事を止めたいま、我々に『縛り』はもうないのです。主導権はいつだって我々にあるのです(・・・・・・・・・・・・・・・・・)。そこで―――これからはテロリスト化するのが最善かと思われます」
 ほう、と言う声がどこからともなく漏れた。
 テロリストと言うと聞こえは悪いが、圧倒的多数の正規軍に対してゲリラ戦が生まれたように、体制に対する手段としてテロは結局のところ効果的だ。
 ボソンジャンプの実用化に成功した火星の後継者の実情にも合っているといえる。
「本拠地は定めずに幾つかの集団に別れ、時に独自に、時に連動して、徹底的に揺さぶりをかけようと思います。さしあたってネルガル・連合軍・統合軍の連帯を崩すことが最優先課題となるでしょう。統合軍のみならず、ネルガルや連合軍にも我々に賛同してくれる勢力があるはずです。どんな組織であれ一枚岩などというものはありえないのですから。彼らと組んでそれぞれの組織の溝を深くするというのも一考ですが、結局のところは長期戦となってしまうのは否めません。その間にさらに次元跳躍の技術を独自に高めていき、十分なアドバンテージが得られればもう一度大規模な作戦を取ることも可能でしょうが、確実性を考えればやはり時間をかけてじっくりと社会全体の不安をあおるのが効果的かと。幸いにして匿ってもらえる組織には随分と声を掛けていただいているので」
 簡単に言っているが、シンジョウの構想は壮大である。そして、ネルガル陣営としては、まさに悪夢のような手段と言えた。ようやく捕まえた尻尾が、また離れてしまうのである。しかも今度はそう簡単には足取りをつかませない。非常に有効な戦略と言えた。
「苦しんでいる木連の民には、もうしばらく苦労をかけるか」
 草壁はそう呟くが、しかし決してシンジョウの意見に批判を言おうとはしなかった。
 全員の理解があることを確認してから、シンジョウは最後にこう締めくくる。
「それではこれから可及的速やかに能動的撤退戦(・・・・・・)を開始いたします。各人ともに一層の奮戦を期待いたします」
 その言葉を最後に、一同は席を立ち、一斉に持ち場に帰っていった。















 その報告を受けたとき、アカツキはなかなかそれを信じようとはしなかった。
 あまりの事態に信じたくないという甘い気持ちが働いたのかもしれない。
どういうことだい(・・・・・・・・)……!?」
 軽薄そうな口調とは裏腹な、低く抑えられたアカツキの声は、内に烈火の響きを持って周りの者たちの耳朶を打った。
 画面に映し出された、惨事の光景。逃げ惑う人々。カメラにちらほらと映るのは、火星の後継者のユニフォームだ。
 襲撃されているのはネルガル本社。つまり自分たちの現在地である。
 アカツキは我知らず握りこぶしを作り黙考する。
 一斉蜂起は明日のはずだったのだ。
 それが何故、今日になったのか?
 しかも報告されている敵の数は予想されている数の3倍以上だ。
 とてもではないが耐え切れるものではない。
 何処だ。何処で見逃した?
 確信のない考えが浮かんでは消える。
 ちりちりと脳が空回りをするようなこの感覚。
 焦りだけがじわじわとその意識を侵食していった。
 そのアカツキにさらに思考停止するかのような報告が飛び込む。
「連合軍から連絡です! 火星極冠遺跡もサクヤも防御が解かれています(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)! 連絡によると解除されたのは、およそ10分前。現在、明日の一斉蜂起のために編成した部隊はいずれも騒然となって、こちらに指示を求めています!」
 報告するNSS隊員も、その興奮を隠し切れずにいた。
 アカツキは自分の視界が揺れるのを感じ、慌てて手近なものにしがみついた。プロスが手を貸してくれていたが、そのことに気付く余裕すらもない。
「……極冠遺跡の防御を解除しただって? 馬鹿な……」
 火星の極冠遺跡はボソンジャンプ技術の要だ。ボソンジャンプによる奇襲をてこに既存の政治体制を覆そうとする火星の後継者にとってここは絶対に奪取すべき、かつ、防衛すべき場所だったはずだ。放棄など出来るはずもない。故にその絶対目標の守りが固まったところを一網打尽とすべく、ネルガルと連合軍はナデシコCとナデシコチームを火星に派遣していたのだ。
 なのに今、肝心の火星の後継者たちが極冠遺跡から去ろうとしている。
 何がなんだか分からない。
「アカツキ会長、指示をお願いします!」
 NSS隊員が組織のトップたるアカツキに指示を仰ぐ。彼だけでなく、様々な場所で明日の一斉蜂起のために待機している部隊も彼の指示を待っている。
 しかし、アカツキは血を吐き出すように、こう応えるしかなかった。
「……待機(・・)だ。まだ動くな(・・・・・)っ」
 ネルガルと連合軍は急ピッチで軍備を進めていた。あらゆる部署のあらゆる者たちが来るXデーに、一斉に動き出すはずだった。
 こちらから(・・・・・)攻め入ってくる火星の後継者の横腹に喰らいつくために、全ての物資、人員、手はずはそのために最適化されていたのだ。
 だからこそ、いまは動けない(・・・・・・・)
 今すぐに動ける部署、人員、機材は限られる。一斉に行動しなくては駄目なのだ。一部だけで先走っては求める効果は発揮できない。そしてこれだけ大きな作戦となれば、一度動き出せば止めることも出来ない。チャンスは一度きり。そこまで耐えるしかない。
 苦渋の表情を浮かべるアカツキにプロスが提案する。
「……会長。せめてあなただけでもお逃げください」
「僕にみんなを捨てて逃げろと言うのかっ!?」
「はい。あなたがいなければ後でこちらに風が吹いたときに勝てるものも勝てなくなります」
「……っくそ!」
 プロスの提案を、アカツキは苦渋の表情で受け入れた。
 せめてゴートを護衛としてつけたかったが、あいにく彼もナデシコメンバーとして火星に向かっていた。
 アキトたちのいた墓所も襲撃を受けたみたいだが、待機していたゴートがルリとミナトを回収したという報告を受けていた。
「……火星の後継者は極冠遺跡を捨てたんですか?」
 NSS隊員のこぼれ出た問いに、アカツキとプロスは息を呑んだ。
 彼らの腕が―――ネルガルという大企業を支えクリムゾン、火星の後継者といった組織と向こうを張り続けてきた男たちの腕が、現実を認める恐怖に震えていた。
「もしそうだとしたら―――」
 プロスは掠れた声で、NSS隊員の質問に答えた。
「私たちの負けでしょう」













「ったく、何だっていうのよ!? アンタたちの会社は世界でも屈指の規模なんじゃないのっ!?」
「そんなこと俺が知るか! とにかくまずは情報を得ることが先決だ!」
 アカツキたちが愕然と戦況分析をしている同時刻において、ウィーズと月臣はNSS施設内を走っていた。
 目の前には完全武装の火星の後継者の部隊。
 4人1組の彼らは、2人を見つけると一斉に銃口を向けてくるが、遅いっ。
 ウィーズたちは瞬きの間に間合いを詰めると、不意をつかれ、ロクに反応できなかった彼らの顎を跳ね上げる。
 それでまず2人の意識が飛んだ。
「わっと」
 背後からのナイフをウィーズはまるで背中に目があるかのようにかわす。
 腕が伸び隙だらけとなったその火星の後継者の腹部に振り向きざま痛烈な蹴りが叩き込まれる。
 何かが弾けるような音が響いた。
 教本にでも載せたいような見事な中段蹴り。
 故に破壊力を生むために最大限利用した下半身が一瞬の硬直をする。
「糞がぁ!」
 今しかないともう1人の火星の後継者は手に持ったナイフをウィーズの背中に向けて突き出した。
 がしり、とその腕が止まる。
 横手から現れた月臣が、左手で、その手首を掴み取っていた。
「なんだ…それ……」
 火星の後継者は目に涙を浮かべながら、けれどもその顔は笑ってしまっていた。
 もう笑うしかなかった。
 全体重を乗せた突進を、左手一本で止められたら、他にどうしようがあるというのだ。
「ま、待ってくれ。もう俺に敵意は…ぎゃぅ!」
 口上は最後まで続かなかった。
 月臣の拳がその顔に叩き込まれていた。
 それで、終わりだ。
「あら、ひどい」
「茶化すな。遊んでいる暇はない」
「それもそうね」
 いつもの調子で話している2人の携帯用端末(コミュニケ)に反応があったのはそのときだ。
 送られてくる情報は絶望的なものだった。
 火星の後継者の不意の襲撃。その規模の大きさ。援軍の送られてくる可能性……。
 全てがこの状態からの逆転が不可能なことを裏づけしていた。
 そして何より……
「……まずいな」
 月臣は顔をしかめて呟いた。
「アルストロメリアは第7ブロックか」
 彼の商売道具は、他の武器類と共にNSSのいくつかのブロックに厳重に保管されていた。
 NSS自体のクーデターを防ぐためのものとして、有事以外は武器の持ち込みは禁止されているのだ。故に今の月臣は武装と呼べるものは小型ディストーションフィールド発生装置くらいしか持っていない。
 ウィーズにいたってはそれすら無い。
 また、防犯のためそれらの保管されている第7ブロックには入れないよう、鍵が掛けられている。簡単な鍵なら力づくで吹き飛ばすことも出来るが、あいにくそのような軟弱な作りはしていない。
 つまり、火星の後継者と戦おうと言うのなら、月臣たちは封鎖されている第7ブロックにまず行かなければならないのだ。素手同然のこの装備で挑むなど、自殺行為に他ならない。
「……どうするの?」
 月臣は問いかけてくるウィーズにしばし考えてから
「C.Cはあと幾つある」
 と問い返した。C.Cはボソンジャンプの引き金となるパーツである。そしてボソンジャンプは極端な言い方をすればワープの一種だ。うまく使えばここから逃げることはもちろん、アルストロメリアの格納庫に跳べばそこから打って出ることも可能となる。火星の後継者はこの奇襲のはじめにNSS施設である社員寮にバッタなどの機動兵器による重爆撃を加えたが、いち早く気付いたウィーズにより同施設内の地下にボソンジャンプにより緊急回避していたのだ。
 月臣の期待する目に、ウィーズはしかし後ろ頭をぽりぽりと掻きながら、申し訳なさそうに答えた。
「もうないよ」
「……はぁ?」
「もう無いって言ってんの! ネルガルからもらったC.Cは全部で3つだけ。1回は試し用で、1回はラピスちゃんにせがまれたから。それで最後の1つをさっき使っちゃったからもう無いのっ!」
 逆切れするようにウィーズは言う。
 月臣はなんで補充を要求しなかったと言いかけたが、それは何とか言いとどめた。
 そんなことをしている状況ではないのだ。
 ではどうしようかと考えたところで、ウィーズが月臣の手を掴んで走り始めた。
「お、おいっ」
「ぼさっとしてんじゃないわよ! 正面からやったって敵いっこないんだからっ。まず逃げるっ。それで体勢立て直して機動兵器の格納庫に突っ込んでっ。反撃できるとしたらそれからでしょうがっ!」
 灯りは非常灯しかなかったが、屋内なので十分に走ることが出来る。正直、道などほとんど見えなかったが、ウィーズが手を引いてずんずんと進んでいくので月臣も何とかその後についていった。
 SS施設のみならず、このネルガルの敷地内にある施設はそのどれもがテロなどの対策として非常に入り組んだ作りとなっている。廊下は行き止まりが多く、階段も一定の場所のものを使わなければ行けない場所が多い。ウィーズは時折立ち止まっていたが、月臣にとってはもう3年も過ごした場所だ。隠密索敵を繰り返しながら、なんとか出口に程近い場所にまで来れた。この出口を出て、しばらく進めば緊急時の集合場所にいける。火星の後継者としても今はネルガルを落とすことに全力を挙げたいだろうから逃げ回る月臣たちを追うのにあまり大規模な戦力は投入してこないだろう。
 だが、相手も馬鹿ではなかった。
「すとっぷ。張られてるわ」
 ウィーズが月臣を止めた。
 見ると出口の周りに6人ほど火星の後継者が張っていた。
「くっ、あと少しだというのに」
「逃げ回るのは慣れたわねぇ」
「お前と一緒にするな。仕方ないが、遠回りするぞ」
 月臣は来た道を引き返し、別の出口から逃げようと考えた。
 だが、引き返して数歩進んだところで、その足が止まった。
 ウィーズが月臣の服を引っ張って物陰にその体を引き倒したのだ。
「この辺にいるはずだ! 探し回れ!」
 ぞわりとした悪寒が腰から頭のてっぺんまで貫いた。すぐ近くを火星の後継者がどたどたと走り抜けて行った。あのまま行っていたら鉢合わせしていただろうし、不意を突いた先ほどと違い、今度は確実に増援を呼ばれていたことだろう。
「ちょっとやばいわね」
「誰かを探している風だったな。会長たちはもう脱出したとあったから、まさか俺たちのことか?」
「ボソンジャンプの実験体と裏切り者の一番星。あり得ない話じゃないわね」
 苦笑いしながらきょろきょろと周りを確認するウィーズが言う。
「いっそ二手に分かれるか?」
「苦し紛れね。それよりも私にいい案があるわ」
「どんなだ」
「そこの出口の周りで私が暴れまわるわ。敵をひきつけるだけひきつけたら、機を見計らって月臣は外へ」
「待て。そんな作戦取れるはずが―――」
「―――いいから聞きなさい」
 ウィーズの言葉尻を抑えようとする月臣をさらに彼女が抑えた。
 まっすぐに月臣を見つめるウィーズの目。
 それがいささか暴走気味の月臣の熱気に水をかける。
「下手に二手になったとして、捕まるのはアンタよ。私は1人ならこれまでずっと逃げ続けてきた。今回だって逃げ切る自信はある。でもアンタは違う。逃げる人間ではなく戦う人間がこの人数相手に逃げ切れるわけが無い。そしていよいよとなったら、捕まる前に玉砕覚悟で特攻して、アンタは死ぬ。そうなったら、誰が火星の後継者を止めるの? ただでさえ計画が狂って劣勢なんでしょ?」
 月臣はぐっと言葉に詰まる。ウィーズの言葉はまったくの図星だった。計画当初よりアルストロメリアの機動力とその機動兵器操縦の腕前から、月臣は地球における対火星の後継者作戦の要の1人となっていた。今ここで彼がいなくなれば、ネルガルはこの作戦の支柱を1つ失うこととなる。
「それに私はこれでも貴重なサンプルなのよ。火星の後継者だってそう簡単には殺したりしないはずだから。その間に助けに来てくれればいいわ」
 よほど自信があるのか、やりきれない月臣にウィーズはにやりと笑いかけた。
 しかし月臣の脳裏には孤独は嫌だと告白したウィーズの姿が思い出される。アキトたちが火星の後継者にどのような扱いを受けたのか、具体的には知らない。だが、それと同じことをウィーズには決してさせたくなかった。
 そんな月臣の苦悩を読み取ったのか、ウィーズはにっこりと笑いながら言った。
「アンタは草壁春樹を倒すんでしょ。それに知らないでしょうけど、私はアンタに借りがあるの。返すのに丁度いい機会だわ」
「馬鹿っ、捕まればどうなるか分からんのだぞ。それに借りがあるのは俺のほうだ。これ以上お前に負担を掛けるわけにはいかんっ」
 月臣は声を押し殺して怒鳴ったが、対するウィーズは静かに首を横に振ると、月臣の手を取ってそれを自身の胸にそっと当てた。
「私はアンタに会って、ようやく自分にも生まれた意味があったんじゃないかって思えるようになったのよ。負担になんて思っちゃいないわ」
 ウィーズの落ち着いた笑みに、月臣は言葉を詰まらせてしまう。
 そう。彼女は本当に感謝しているのだ。
 『ありがとう』
 自分の存在を肯定してくれる、震えるようなその一言に。
「大丈夫。アンタの腕っ節はそれはもう大したものよ。私はそんなアンタを信じてる。ゲキガンガーみたく(・・・・・・・・・)格好よく助けに来てちょうだい」
「だ、駄目だ。俺にはゲキガンガーになる資格なんて無いっ」
「何言ってるのよ。アンタは月からの撤退戦でも熱血クーデターでも最大の功労者だって聞いてるわよ?」
「違うっ。あれは贖罪だ。お、俺が九十九を殺したことに対するっ!」
「……月臣?」
「あいつが居れば蜥蜴戦争はもっと早く終結していたはずなんだ。それなのに俺が踊らされたばっかりに……っ!」
 月臣にとって、かつて憧れたゲキガンガーというヒーローは自分から最も縁の遠い言葉となってしまった。
 仲間殺しという禁忌を犯した自分がその言葉を背負うことは出来ないと思っていた。
 思い出すのは、あの瞬間。友の命を絶った、取り返しのつかないことをしたと悟った、あの瞬間だ。踏み出してはいけない一歩を踏み出して、……踏み出してしまってから初めて、彼はそれに気がついた。
 木連の英雄、白鳥九十九が草壁春樹の策謀により殺されたというのは、秋山源八郎ら熱血クーデターを起こした木連穏健派たちの手により広く流布されていた。
 だが、その暗殺を請け負った者が誰かということには、厳しい箝口令が敷かれてもいた。
 それは月臣がクーデターに参画したため自分たちのイメージ悪化を防ぐということもあっただろうが、同時に親友である秋山が月臣を暗に庇ったためとも言えた。
 その優しさが、しかし月臣には痛かった。
 いっそ誰かに裁いて欲しかった。糾弾され、迫害されることを心のどこかで望んでいた。
 だから彼は木連を抜け、優人部隊の制服を脱ぎ、草壁春樹を倒すことに執着した。
 そうすることでしか、今は亡き白鳥九十九に詫びる術を月臣は思いつかなかった。
 だからあの瞬間、絶望と後悔に苛まれて倒れゆく親友を見下ろしたあの瞬間に、<優人部隊>である月臣元一朗の人生は終わったのだ。
 まるで泣くのを必死で堪えている迷子のような表情。
 ウィーズはそんな月臣の顔を正面から見据えると、
「月臣っ!」
 そう言って、彼の胸倉を掴んで引き寄せる。
 打撃が来ると思い我知らず目を瞑った月臣の頭部には、しかし打撃の代わりに柔らかな感触だけが伝わった。
「……っ……!」
 まったくの想定外の一撃に、月臣の頭は真っ白になって驚いていた。
「……この香りはカップ麺か。もうちょっと良いもの食べなさいよね」
 ウィーズは笑いながら言うと、何でも無いように掴んでいた胸倉をぱっと離す。
「な、な、な、なっ」
「どうよ、少しは落ち着いた?」
 DJがスクラッチするレコードのように同じ語句を繰り返す月臣に、ウィーズは力づけるように笑う。
「アンタの過去に何があったかなんて私は知らない。でも、私にはあの時のアンタがヒーローに見えた。ゲキガンガーのようなね。だからまた(・・)助けてよ」
「―――!」
 月臣は自身のどこかにスイッチが入った気がした。
 それはただの言葉。ただの状況(シチュエーション)
 けれど惚れた女から助けを求められるという魂が揺さぶられるこの展開。
 ……自分には戦うことくらいしか能が無いことは分かっていた。
 九十九を殺し、秋山に慰められ、ずっと自分の無力を噛み締めてきた。
 だけど、心の底ではずっとヒーローになりたかった。助けられるだけでは駄目なのだと狂おしいほどに思っていた。
 身の程を知った過去の自分が封をしたその扉を、開け放つ勢いをウィーズがくれた。
 月臣はウィーズの目を見据えながら話しかけた。
「……ウィーズ。お前は俺に借りがあるといったな。ではお前を助けたら1つ褒美をもらおう」
「私に出来ることなら何でもいいよ」
「よ、よし。俺がお前を助けたら……俺の嫁になれ」
「……は?」
 次はウィーズが意識をすっ飛ばされる番だったらしい。彼女は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で空気が漏れるような返事をする。
 まさかあの歳で初めてだったとか? いや、仮にそうだとしても何段飛ばしの要求してくるの?
 ぽかんとするウィーズとは反対に月臣は至極まじめな顔で言っているのだが、それが逆に何ともいえない滑稽さをかもし出している。
「俺のこれから死ぬまでの人生をお前にやる。だ、だからお前を俺によこせ」
「ぷ、っく、ははははっははあっ」
「笑うなっ、俺は本気で―――」
 月臣の口をもう一度ふさぐ。
 思い立ったら一直線。行けるとこまで突っ走る。
 なるほど。らしい(・・・)わね。
「ぷはっ、おーけーおーけー。それでいいわ。助けてくれたら髪の毛一本、血の一滴までアンタにあげるわ、王子様♪」
「んなっ!?」
 固まる月臣の脇をひょいと抜けると、ウィーズは1人、火星の後継者に切り込んで行った。
 後ろで月臣の叫ぶ声がするが、しかし彼女は振り返らない。
 否、振り返れない。
 口を手で押さえながら疾走する。
 ヤバイ。口のにやけが止まらない。
 予想外すぎた。嫁に来いだなんて、浮かれるにも程がある。
 自分はただ護れればそれで良かったのだ。
 何しろ護れるものの中に自分が何者なのか理解してくれて、そのうえで感謝してくれる人間がいるのだから、それだけで自分にはこの上なく上等なことだったのに。
 あの月臣(バカ)は……。
「だ、誰だ貴様は!?」
 歩いて数歩の距離まで詰めれば流石に気付かれた。
 火星の後継者はウィーズを威嚇したが、彼女は意にも返さずにそのまま距離を詰めると、手近な一人を思い切りぶん殴った。
 それが合図だった。
 他の火星の後継者は反撃するよりも先に増援を呼んでいた。
 すぐさま十重二十重の敵に囲まれたが、それはむしろ望むところである。
「私は穢れし者のウィーズって言うんだけど、誰か私のこと知ってる人いる?」
 ひらひらと手を振りながらウィーズが言うと、敵の一角でばたばたと反応があった。
「ほ、本物だっ。絶対に生け捕りにしろ! 特A級のサンプルだ!」
 指揮官らしき男が口角泡を飛ばしながら指示を出している。
 どうやらウィーズの確保は目標の1つに組み込まれていたらしい。
 明らかに一段強くなった圧力は、もはやここからの脱出が不可能であることを彼女に悟らせる。
 だが、今のウィーズには奇妙な充実感があった。
 自分がここでこうして戦うことが月臣のためになる。こうして一瞬でも長く自分が抗うことが、やはり月臣を一瞬でも長く生かすことに繋がる。
 その実感が確かに自分の中にある。
 ならば、ひたすらに絶望的なこの状況も、決して悪くは無いのだ。
 僅かな対峙の間に、さらに彼女を取り囲む援軍が増えていた。
 少なく見積もっても50人以上。この勢いなら外の見張りまで呼ばれているに違いない。
 おーけー。理想の展開だわ。
 あれだけ本気になってくれていれば、こちらが相手の銃を拾って使ったりしなければ、向こうも極力、銃を使わずに捕らえようとしてくるはずだ。
 時間稼ぎには持ってこいの流れである。
「かかってきなさい。踊ってあげるわ」
 圧倒的な敵兵を前にウィーズは轟然と言い放つ。
 今の彼女は気力に満ちていた。
 なにしろ生まれて初めて受け持つ捕らわれのお姫様役。
 こんな経験はおそらくもう出来ないはずだ。
 興奮するなというほうが無茶な話である。
 もっとも、救助役の王子様をまず無傷で逃がすことが前提条件となっているのだから微妙に間が抜けてもいるのだが。
「ちなみに今の私はちょっと強いわよ。ま、単純に気分の問題なんだけどね」
 言いながら獰猛な笑みを浮かべると、ウィーズは敵陣のど真ん中に切り込んでいった。














「ああ、月臣さん。ご無事で何よりです」
 おそらく彼らも命からがら脱出してきたのであろう。ネルガルに3年いる月臣ですら初めて見る、若干の疲れをにじませているプロスはそう言って月臣をねぎらった
「はい。プロス殿もよくご無事で。……会長はどちらに?」
「会長はネルガル・連合軍の各支部との連絡を取りあっている真っ最中です。私たちほどではないにせよ、どちらも現在は混乱の坩堝(るつぼ)といったところでしょう」
「無理もありません。予想を遥かに上回る大部隊の強襲を受けたのですから」
 焦っているところを見られたくは無いが、こうして話している間も月臣はウィーズのことが気になって仕方が無い。彼女のことだからもしかしたら上手く切り抜けているかもしれないが、今はそんな甘い考えを捨てるべきだろう。とにかく一刻も早く、彼女の安全を確保しなければならない。そのためにはネルガルの協力は必要不可欠だった。
「ウィーズが捕まっている可能性があります。もしそうなれば火星の後継者はA級ジャンパーを1枚増やしたことになるでしょう。今なら総力を挙げて突入すれば奪還できるはずです。ご指示をお願いします」
 月臣はプロスの肩を掴まんばかりの勢いでまくし立てたが、プロスは月臣のほうに視線を向けずに、なにやら考え込んでいる。
 そしてゆっくりと視線を上げた。
「ウィーズさんが捕まったかもしれない、と?」
「はい」
「……さきほど他のNSS隊員から若い女性が拉致されていったという目撃情報がありました」
「多分、ウィーズでしょう。俺を逃がすために自分が囮となって……」
 プロスの言葉は半ば予測はしていたものの、いざ聞くとなると下腹を鷲掴みにされたような衝撃が身体中を駆け巡る。
 気を抜けば膝が抜けそうな自分を奮い立たせ、月臣はなんとかそれだけ答えた。
「報告を聞くとかなりの人員を割いていたようですが、彼らは何のために彼女を捕らえたのでしょうか……」
 その瞬間、月臣はプロスの胸倉を掴みたい衝動を必死で抑え、なんとか喉から搾り出すように言葉を繋いだ。
「あいつはおそらく、現存するA級ジャンパーの中で最高の資質を持っています。ボソンジャンプ技術の実験材料とするために捕らえたのでしょう」
 プロスはそんな月臣のうなり声のような話を聞いても、表情1つ変えずにまた黙考を始めた。
 月臣はウィーズを助けに行きたくて堪らない。
 貧乏ゆすりが止まらず、ついにプロスを問い詰めようとしたときだった。
「なにか話がおかしくないでしょうか?」
「なにがですか!?」
 がっ、と思わずプロスの胸倉を月臣は掴んでしまったが、プロスは冷静にそのまま激昂しかねない月臣の腕をやんわりと制した。
「実は私どもは今回の襲撃を受けた直後に火星の後継者がサクヤと火星極冠遺跡を放棄したとの報告を受けました」
「か、火星極冠遺跡もですか!?」
「はい。おそらく火星の後継者が再び地下に潜り長期戦に移行することを決断したためだと思われます」
「馬鹿な……」
「認めたくない気持ちは分かりますが、事実です。この襲撃は地下に潜る前に目障りな障害を排除していこうというものでしょう。正体を一度明かしている以上、今更こそこそする必要などありませんから」
「では敵の量が予想を上回っていたのも」
「はい。本来なら同時攻略すべき連合宇宙軍総会議場、国際高速通信社、連合第一宇宙港などの主要施設に注ぎ込む人員をまとめて送り込んできているのでしょう。連合宇宙軍本部にも同様に大量の部隊が送り込まれてきているはずです」
 一拍。プロスはメガネの位置を直しながら疑問を呈する。
「そしてだからこそおかしいのです。地下に潜り能動的撤退をするのなら、他に潰すべき対象がまだまだあるはずなのです」
「それはあいつがA級ジャンパーだからでしょう。奴等の切り札であるボソンジャンプによる奇襲作戦は諸刃の剣です。実験材料うんぬんを抜きにしても、こちらが同じくジャンプによる奇襲を出来ないようにしたに違いありません」
「それがおかしいのです。何故、火星の後継者はネルガルがウィーズさんの協力を得ていると思ったのでしょうか?」
「何故、ですと? 現にウィーズを手元に置いている以上、そう考えるのが当然ではありませんか!」
「いえ、それでもやはりおかしいんです」
「何がですか!?」
 月臣には分からない。その苛立ちがどうしても声に出る。
「なぜなら、我々が一度もウィーズさんをNSSの部隊に混ぜて矢面に立たせていないからです。彼女ほどの存在を出し惜しみする余力など我々にはありません。それらを鑑みれば火星の後継者もネルガルはウィーズさんと協力関係を結んだのではなく、単に軟禁しているだけだということに気付くはずなのです」
「た、確かに」
「そして彼女の強かさ、頑固さ、一筋縄ではいかないところは彼女を我々よりも長く張っていた火星の後継者のほうが良く知っているはずでしょう。我々も彼女が例え命の危機に瀕したとしても簡単にはなびいてくれない事を身をもって思い知りましたから」
「ま、まさか」
 プロスは少し申し訳無さそうな顔で小さく頷いてから、残念そうに言った。
「はい。ボソンジャンプとはジャンパーの協力の意思が無ければその効果が半減します。そしてウィーズさんが火星の後継者に流れる可能性の低さを考慮した場合、ネルガルが彼女を助ける優先順位は決して高くは無いのです」
 月臣は自身の体がぐらりと傾くのを止められなかった。我知らず呼吸が短く速くなる。
「このようなことを言うのは私としても非常に心苦しいのですが、組織全体のことを考えてください。対火星の後継者のために、ネルガルは既に途方も無い金額を投資し続けています。また、ネルガルとしては火星の後継者との戦いに勝つ以外、今のジリ貧の状態を覆すことは出来ないのです。月臣さんに恨まれることと、ネルガル全体の将来とを天秤に掛けた場合、我々はネルガルの将来を取ります」
 プロスは溜息をついて、静かに言った。
 彼とてウィーズのことは決して嫌いなわけではなかった。むしろあの清廉さは好ましいとさえ思っていた。
 助けられるものなら助けてやりたいとも思う。
 しかし、月臣の言うように彼に兵を預けてしまえば、彼は何も考えずにネルガル本社に居座る火星の後継者へと突進し、ネルガルの戦力のほとんどは―――そこにいる火星の後継者だけを道連れにして壊滅するだろう。
 そしてその後は待ってましたとばかりに他の場所に控えていた火星の後継者の予備戦力により、いよいよもって全てを破壊しつくされ、ネルガルは詰む。
「あ……ま……」
 月臣が意味の繋がらない言葉を紡ぐ。まったく思考が追いついていかなかった。
 蜥蜴戦争時に地球連合軍に包囲され、補給も援軍も出せないと宣告されたときですら、ここまで頭がショートしたことは無かった。
 手も、足も、口も、全てが麻痺して自分が呼吸しているのかさえも怪しく思える。
 今、この瞬間、ウィーズは完全にネルガルから見捨てられたこととなった。彼女は、月臣がネルガルを説得して自分を助けに来てくれるものと信じたからこそ、1人おとりとなって捕まったのだ。
 しかしその結果は、これだった。
 火星の後継者に捕まったA級ジャンパーがどうなるのかは、火を見るよりも明らかだ。
 アキトは五感を奪われ生死の境をさまよった。アキトの妻であるユリカはボソンジャンプのコアユニットに組み込まれ意識すらない。そしてその他の者は……1人残らず実験失敗により死亡した。
 ウィーズの身体は一般人に比べて遥かに頑健であるが、それは実験の苦しみをただ引き伸ばすだけにしかならないだろう。
 そんなことは決してさせられない。
「待っ…て……ください」
 月臣は折れかかった心を無理矢理に支えなおすとそう言った。
「俺が、ウィーズにネルガルに全面的に協力するように説得します。そしてあいつのボソンジャンプを軸にアルストロメリアを奪還して反撃に転じます。だから……!」
 月臣の必死の言葉にも、プロスは目を瞑ったまま首を横に振る。
「月臣さん。あなたは今、ウィーズさんがどちらに捕らわれているのか分かるのですか?」
「―――っそれは!」
 プロスは月臣の進言を却下する。
 打つ手がない以上、もはや自分に出来ることはネルガルを守り抜くことだけだと確信しているからだ。
 博打の様な手は打たない。
 動けない。動き回りたいこの今だからこそ「守る」という最も重く苦しい働きを引き受けるものが必要なのだ。
 その役目は、やはり自分にしか出来ないのだろうと、プロスは決意していた。
 月臣にそのプロスの鋭い視線が突き刺さる。
 もはや彼を言い崩す術が思いつかない。
 そんな折だった。
「失礼します」
 そう言って入って来た者がいた。見覚えがある。NSSの隊員だ。
「先ほど火星の後継者からこのようなものが送り込まれました。危険物ではないようですが……」
 言って、NSS隊員は手に持つ物を差し出す。
 渡されたものはポリエステルの袋に無造作にくるまれており、やや重たかった。
 形状は細長く、感触は妙に柔らかい。
 プロスは受け取ったそれの表と裏をを交互に見たが、差出人も宛名も無かった。
「も、申し訳ありませんが、先に開いてもよろしいでしょうか」
 プロスはそんな月臣の申し出を怪訝そうに聞いていたが、やがて頷くと袋を渡した。
 月臣は礼を言って受け取ると、一度深呼吸をしてから封を開いた。
 中から出て来たのは1通の手紙と、防水処理がされた1枚のデータディスク、そして……
「ば、馬鹿な……」
 ……ぬらりと赤く光るそれは、肘から下で切断され血にまみれた、おそらくウィーズのものと思われる左腕。
 手紙には短く書いてあった。
 ―――次は何処が切り取られるかな?
 手紙の内容は悪意ある挑発だった。こちらが打って出れないことを承知で嘲っている。
 なぜ俺ではないのだ。人を殺してきたのは俺だろう。なあ、神様。
「く…ぅぉおお……っ!」
 月臣はぶつけようのない叫びを搾り出すようにして声に出す。
 ゲキガンガーみたく(・・・・・・・・・)格好よく。
 ウィーズと交わした約束が、月臣の中で再び砕け散りそうになっていた。


















楽屋裏
 俺、この戦争が終わったら○○するんだ(挨拶)
 こんにちは、鴇でございます。フラグって素敵ですよね。
 大丈夫だ、問題ない(何が?
 
 今回は国家社会主義労働錬金術師のシンジョウがネルガル・連合軍を等価交換して木連帝国をつくりに来たという話です(マテ
 相変わらず主人公サイドが酷い目にあっていますね。色々持って行かれました。
 ……割と自業自得なだけな気もしますが(ぉ
 ご覧のとおり今作はウィーズ×月臣を目指してるんですが月臣がアキトみたいに浮気性(嬉しかったからつい、でキスしちゃうのは軽いタイプですよね?)じゃないんで妙にトントン拍子で話が進んでしまいました。
 自分でやっといてなんですが、それじゃつまらないしオリキャラを既存キャラにカップリングさせるのってどうよ? って考えもあったので恋の空間建築士として障害を発生させてみました。
 結果、最後のあたりでエラいことになってしまいましたが(オイ

 閑話休題。
 前回エピローグを除けば後3回なんてのたまいましたが、プロットを文章に起こしたらラスト2回がそれぞれ100kbオーバーとなることが発覚いたしました(爆
 プロットの時点では綺麗に収まるはずだったんですけどねぇ。
 このままだと更新ペースとか読まれる時の負担とか考えるとちょっとグダグダになりそうです。
 と、いうことで、それぞれ2分割して後4回に変更となりました。そういう事で宜しく御願いします。
 できるだけ早く次の愚作で会えることを祈りつつ。
 それではまた次回に。ありがとうございました。










感想代理人プロフィール

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代理人の感想
うおう、ヤバい。展開もやばいけど、火星の後継者が何故ウィーズを最重点目標にしたのかが分からない。
まさか私怨って訳でもあるまいし・・・・うーむ?

しかし、シンジョウ君マジ有能。
シンジョウはシンジョウでも、皇国の魔王様辺りが乗り移ったかのような神算鬼謀ぶり。
原作でこのレベルだったら、多分火星の後継者は負けてなかったなw

>最後の辺りでえらい事に
ムチャシヤガッテ・・・(違)。


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