助けだされたウィーズは、ラピスにナビされるがままにネルガル施設内の、とある居住区の一角へと向かっていた。
別に逃げ遅れた者がいるというわけではない。
最低限の装備しかアクアたちから受け取っていないウィーズに、武器庫じゃない武器庫として火星の後継者からもノーマークの場所があるとエリナから教えられたのだ。
ラピスのナビゲートとウィーズの勘の良さで何とか見つからずに目的地にまでこれた。
目の前には何の変哲もない居住区の一室。
表札には『ウリバタケ秘密研究所 ネルガル支部』とある。
「ウリバタケさんの私室?」
ウィーズは独りごちる。
ネルガルの施設内は色々と歩きまわっていた彼女であったが、なにやら初めて来たような緊張感がある。
彼女はつばを飲み、その入口に駆け寄った。
入り口のスライドドアには当然ながら鍵がかかっていた。
一瞬焦るが、すぐにラピスから指示が入る。コミュニケをドアの横にある操作盤に接続すると、あっという間にラピスがロックを外してしまった。
部屋の中は暗かった。電気が今も通っているかどうかは分からないが、明かりを付ければ目立ってしまうだろう。
ウィーズは照明のスイッチは入れないことにして、代わりにエリナたちのコミュニケの受信画面を表示し続けることにした。
「エリナ、ここでいいの? なんか変な臭いがするんだけど」
『大丈夫よ。ウリバタケは会社の金でいつも変なもの作ってるの。それが役にも立つから中々とっちめられないんだけどね』
「はぁ……」
シンナー臭――プラモデルの製造用と思われる――に鼻を抑えながら進むウィーズ。
と、そこで何か硬いものを踏んづけたので足元を見る。
視線の先には……ごろごろと複数の人間の腕と脚が転がっていた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」
思わず声が出かかった。
『大丈夫。それはウリバタケの作りかけの等身大フィギュアのパーツ』
「そ、そういう事は先に言って、先にっ」
ラピスの補足に精一杯おさえた声で返すウィーズ。
よく見ると、周りにはラピスの言った等身大フィギュアのパーツがそこかしこにある。
頭部だけとか腕部だけとか、個別のパーツだけが散乱しているさまは夢に出そうだ。
「エリナ、本当にここでいいの?」
『大丈夫よ、多分』
「多分?」
やたらと大丈夫を連呼するエリナたちに一抹の不安を覚えつつもウィーズはあたりを調べ続ける。
積んであったプラモの山を乗り越え、作業場と同化しているメイン端末の横手にそれはあった。
『これね、ラピス?』
『そう、これ』
画面で見ていたエリナがとなりのラピスに確認を取る。
それは縦に長い大きな箱だった。大きさとしては丁度ウィーズくらいの人間がすっぽりと入ってしまえそうなもの。それが5つ。
そこそこには広いであろうこの部屋の4分の1ほどの面積をそれは占めていた。
「で、これがなんなの?」
先程のようにコミュニケをその箱に連結されていたメイン端末に接続しながらウィーズが聞く。
『機動兵器よ』
ウィーズの問いにエリナが答える。
『ウリバタケの部屋に持ち込まれた機材や使い込まれた経費、それにアイツの性格を考えると、実家にいたときに作っていた独立起動タイプの小型機動兵器の亜種だと思うわ。何時もだったらしょっぴくところだけど、今回ばかりはアイツの性癖に感謝するしかないわね』
現在のような乱戦ならコバッタ1体は武装兵士30人分に相当する。それが5体もあれば、しかも予期せぬ位置から現れたとなれば確実に相手は混乱するだろう。
その間隙を縫って攻め進めば、月臣が目指すアルストロメリアのある格納庫まで行けるかもしれない。
ラピスによりフタが開かれたその箱を、期待を持って見ていたウィーズの意識が飛んだのはその時だ。
いや、それは横で見ていたエリナも同じだった。
『「…………」』
一瞬、ここが何処だか忘れて顔を見合わせるウィーズとエリナ。
それは……まぁ……何と言うか、それほどに強烈なインパクトを持つ物体だった。
物体だろう。いちおう人の形を模してはいるが、生物では決して無い。というか三次元でもなかったはずだ。
「……エリナ」
『聞かないで頂戴』
エリナは頭を抱えたくなるのを堪えながら言った。
「これ、なに?」
『聞くなって言ってるでしょ』
2人は呆然とその眼の前の物体を見つめている。その不条理な物体を見つめる彼女らの表情は、困惑と戦慄が綯い交ぜになったような表情だった。
それの形態を一言で表すなら、『等身大ナナコさん』である。
先の跳ねたその髪も、露出の多いピンクのその服も、妙に濃いその目鼻立ちも……全てがゲキガンガー3のヒロインである国分寺ナナコを正確に模していた。
大きなバックパックを背負ってはいるものの、そのやたらめったら細い四肢は、とうてい逆襲の切り札として期待出来そうにない。
ケーン。
ゲキガンガー3の主役である天空ケンの名前を呼びながらその<ナナコもどき>は起動を始める。
都合5回もケーンケーンと鳴りながら起動するその様は、何と言うか、先程までの悲壮感とか決意とかが馬鹿らしくなってくるような感じだ。
<ナナコもどき>たちは胸を強調する不思議なセクシーポーズをとりながらジリジリとウィーズに近寄ってくる。
ふと、馬鹿にされているのかとウィーズは思った。
『こ、こんなモノにネルガルの資金を……』
エリナが呻くように言う。
細っこい足に馬鹿みたいに大きなバックパックではやはり平衡感覚がうまく働いていないのか、<ナナコもどき>のうちの一体がこて、と転んだ。
「……エリナ、信じていいのね、本当に……」
『だから聞かないで頂戴。お願いだから』
……ケーン……
むっくりと起き上がった<ナナコもどき>の目には『痛いの』とでも言いたげに、じわりと涙なんぞが浮かんでいたりもする。
どうやらケーンが鳴き声のようだ。
「芸が細かいわね。何の役に立つのか分からないけど」
『問題ない』
げんなりした様子のウィーズに、ラピスが何事もなかったかのように言った。
『外装と一部AIの仕様が特殊というだけで、スペック的にはコバッタと同程度の出力、装備を有している』
「……マジで?」
『マジで。さらに私が遠隔操作をすればこの<強襲揚陸型ナナコさんU式>は十分な戦力となれる』
「いや、固有名詞とかはホントどうでも良いんだけど」
脱力するウィーズにラピスは淡々と言いながら、完全にコントロールを掌握した強襲揚陸型ナナコさんU式――以下、<ナナコもどき>――を操作してみせた。
もともと、アキトとラピスは神出鬼没の北辰に対する対応策としてギリギリまで場に出さないことで相手にプレッシャーを掛けるという役割を担っている。
そのため直接的な援護を望めない2人からはこれが最も望ましい形の援護となるのだが……
『アキト』
『何だ、ラピス』
想像に反してアホっぽい展開になったことで完全に見に回っていたアキトにラピスが話しかける。
『サポート用として周りの4体は私が操作する。けど月からの操作ではどうしてもタイムラグが生じてしまう。相手の、周りの先を読む経験が必要。だからその内の1体を隊長機としてアキトが操作して』
『俺がか!?』
苦虫を盛大に潰したような顔でアキトは言う。
<ナナコもどき>たちの1体には通信強化用のアンテナのような角と、他との区別のための全体的に赤を基調としたペイントが施されており、なるほど隊長機だと言われれば納得もする。
だがしかし、彼が血反吐を吐いてまで習得してきた技術は、こんな<ナナコもどき>を操作するためでは断じて無い、はずだ。
渋るアキトを見ながら、ラピスは左手首のコミュニケ――時計でもある――をコツコツと叩いて言う。
『アキトのワガママに付き合う余裕はない。いいから早く準備して』
『ワガっ! ……分かったよ』
他に言いようはないのだろうか。
ラピスにうまく反論ができないアキトは仕方無しに指示に従った。
その様子に満足したラピスがウィーズに言う。
『基本的にウィーズにはアキト機に乗って移動してもらう』
「これに私が乗るの?」
『そう。背中からおんぶするように。バックパックに足場がいくつかあるから』
部屋から出ながら説明を続けるラピス。
言われるがままに「よっと」と言って、アキト機の背後にウィーズは飛び乗る。
バックパックの所定の位置に足を引っ掛けて、首の後ろ辺りにある手すりをつかむ。
こんな装備があることから、そもそも人を乗せるためのものだったのではないかと考える。
その証拠に、サワサワといじっていたバックパックから人用の武器がいくつか飛び出してきた。
サイズ的に<ナナコもどき>が使うものかもしれないが、ウィーズとて丸腰のままではいられないのでちょうどいいだろう。
武器を持つとただでさえ片手のウィーズは手がふさがってしまうが、それは倍力機構のあるボディスーツによる膝の締めで何とか対応できるはずだ。
そう結論づけたウィーズはアキト機のバックパックからグレネードランチャーを引っ張り出して構えた。
『……いくぞ』
ウィーズの準備が完了したことを確認すると、アキトは<ナナコもどき>を進ませるためにアクセルを吹かす。
甲高い鉄と鉄の摩擦音。
足裏についたローラーホイールが、路面と激しく火花を散らしながら回る。
足元のグリップを確認するとさらにアクセル。弾けるようにしてアキト機が加速すると、遅れまいとラピスの<ナナコもどき>もそれに追従する。
バーチャルルームを流用させたシステムにより電子変換された五感に、アキトは目を見開いた。
車やブラックサレナとは全く速度に対する感覚が違う。
周囲を流れ飛んでゆく光景が妙に生々しい。
自動二輪の感覚に、疾走感も姿勢的にも近かった。
背中にいるウィーズも同じように思っただろう。
ボディスーツに包まれているとはいえ、自分の肉体で風を貫いて駆けるこの爽快感。
『はっ――ははっ!』
意味もなく声が出る。
「ご機嫌ね、アキト君!」
『ああ、こんな乗り心地はそうあるもんじゃない!』
風に髪を乱しながら叫ぶウィーズにアキトも叫び返す。
「それじゃ自称正義の味方の火星の後継者をぶっ飛ばしにいくわよ、ビッグアカラ!」
『誰がビッグアカラだ、誰が!』
「嫌ならミーエ・ミーエでもいいよ?」
『そうじゃないっ。というかゲキガンガーから離れろ!』
「あっはっは! せっかくこんな馬鹿な舞台なんだッ。踊らないと損だよ!」
『もういい! 落ちないように気を付けろよ!』
それだけ言って、アキトはアクセルを踏み込む。
エンジンの出力もそれなりに大きいが、さらに<ナナコもどき>はどんな機体よりも軽いのだ。
弾丸のような加速を示して、5体の<ナナコもどき>は火星の後継者との戦場へ迫った。
白黒ーwhite
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第陸幕 HERO×HERO
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ウィーズの救出に成功し、彼女もアルストロメリアの格納庫へ向けて出撃した。
この情報は衝撃と共にアカツキたちにも伝わった。
特にゴートと共に攻勢に回っていた月臣に与えた影響は絶大なものだった。
ただでさえ前がかりとなっていた気持ちをさらに前傾させ、火の玉のように火星の後継者の軍勢を蹴散らし始めた。
この月臣の働きにより、火星の後継者のネルガル侵攻はにわかに停滞。
ネルガル本社の防衛戦力がじわりじわりとその勢力を戻し始めた。
一方、ネルガル同様に火星の後継者の強襲を受けた連合宇宙軍本部にも新たな動きが見え始めていた。
「秋山くん、ネルガルの方は何とかもちそうかね?」
連合宇宙軍総司令ミスマル・コウイチロウは刻々と変化し続ける戦況モニターを見ながら傍らの同軍少将、秋山源八郎に問いかけた。
「はい。ハマった時の月臣の強さは俺が保証します」
秋山はそこで表情を硬くする。
「むしろ危ないのはこっちでしょう。退路が無くなった分、奴らの士気は背水の陣です」
微妙におかしいことわざはいつものことながら、秋山の声には若干の焦りが見て取れる。
しかしコウイチロウはカイゼル髭を揺らしながらニヤリと笑ってこう言った。
「なに、こちらにも相応の備えはある。ネルガルから出向の傭兵部隊に連絡をとってもらおう」
下士官に指示すると、すぐに反応があった。
傭兵部隊の指揮官がモニターに映ると、コウイチロウは自身のほうが位が上であるにもかかわらず先に会釈をした。
「お久しぶりです、フクベさん」
『ふぉっふぉ。あの鼻垂れ小僧のミスマルが総司令官か。偉くなったものじゃのう』
画面に映った老人――フクベ・ジンはアロハシャツの上に連合宇宙軍提督時代の制服をラフに着崩し、ウクレレ片手にサングラスという出で立ちだった。
とてもコウイチロウが頭を垂れるような人物には見えないのだが、これでも第一次火星会戦で地球側の指揮を取り、一機だけとはいえ初戦でチューリップを落とした英雄とされている。
もっとも、当の本人はそのチューリップがユートピアコロニーに直撃してしまい多くの被害者を生んでしまったことを後悔していたのだが。
ナデシコ乗船時は生真面目な『いかにも』な感じの老提督であったが、火星において生死の境を体験した際に頭のネジが飛んでしまったのか、現在のような妙に浮世離れしたタイプとなってしまった。
「貴方があの……。申し遅れました。俺は秋山源八郎少将であります」
秋山が敬礼しようとしたのをフクベは手を上げて遮る。
『構わん構わん。今じゃただの隠居爺。堅苦しいことはいらんよ。それに実際に前線に立つのは木連の子供たちじゃ』
「―――! それは一体どういうっ」
『お若いの。お前さんも知っているだろう。熱血クーデターの原因となった少年兵たちを中心として作った人材派遣会社。そこが今回の傭兵部隊の派遣元じゃ』
フクベが言っているのは、蜥蜴戦争末期に戦線を立て直すまでの時間稼ぎのために徴兵された、当時14歳から17歳までの徴兵規定年齢に達していない子供たちのことだ。彼らを救うために優人部隊を初めとする有志が立ち上がり、それに呼応する形で少年兵たちも自身の生存のために木連に反旗を翻し、そして自由を獲得したという経緯がある。
彼らはその後、死に物狂いで動き、知恵を絞り、この国を盛り立てていく義務を負った。それが自分が生きることを、自分の信じるものを、他人に押し付ける代価として払うものだと彼らは考えていた。
そのための方法の1つが、件の人材派遣会社なのである。
和平条約締結の折に、少年兵たちの去就はプロパガンダとして大層な報道を受けたのだが、その際に秋山たち連合宇宙軍側の人間がこれ幸いとばかりに連合軍、統合軍、果てはネルガルやクリムゾンなどから寄付を募って作ったのがこの会社だ。
昨今、木連から地球へ移民してきた者が地球の人間と友好的な関係を作れないため没落する被害が取りざたされているが、これはそういった事態を先読みした救済政策の1つと言えた。
彼らは潤沢な予算により組まれた厳しい訓練を経て、各々が自身に適性のある分野のスペシャリストに急速に成長していた。
なにしろ木連では特攻兵にされかかっていたところを切り抜けてきたのだ。
文字通り死ぬ気で頑張っている。
そして彼らを軸に興されたこの会社は、特殊な依頼にも対応すべく彼ら以外にも世界中からあらゆるスペシャリストを集めた国際的人材派遣会社へと成長していた。
フクベは蜥蜴戦争終了後に連合軍からの依頼で彼らを教練する訓練所の責任者として、もっと簡単にいってしまえば専門学校の校長として、その任を担っていた。
彼が手塩にかけて育てた少年兵たちの仕事ぶりはフクベ自身の指揮もあり迅速にして完璧。高額料金にもかかわらず信頼度の高さから依頼は引きも切らない。また、会社という体裁をとっているため、たとえ依頼があってもそれが公序良俗に反するものであると判断したときはその依頼を拒否することも出来たので、総じて少年兵たちの士気も高かった。
彼ら少年兵たちの未来は明るいはずだ。
だからこそ秋山はフクベに異議を唱えた。
「あなた方を含めてもこちらの戦力は火星の後継者の戦力は4分の1以下っ。守るべき子供たちをそんな死闘に投入することなど俺には正しいとは思えんのです!」
軍人としての矜持が言わせた秋山のその言葉に、フクベは鋭い視線を持って返す。
『お前さんに限らず、近頃の者はどうにも若者に過保護すぎる。未来ある子供たちだからこそ、自分たちの未来をつかむために戦うべきだと儂ゃ思うとるんだがのう』
少年兵たちはかつて自由のために命を賭けて戦った。
もし彼らが熱血クーデター当時に立ち上がらなかったら、されるがままに助けられただけという他人に運命を委ねてしまう非常にあやふやな者たちとなってしまっていただろう。
そして戦って得た自由を知らない者たちは、同じような危険がまた降り注いだとしても、やはり同じように助けを待つだけになってしまう。
喜ぶのは彼らを食い物にしようとする者たちだけ。
フクベがいう戦うとはそういう事なのだ。
「秋山くん。そんなに心配しないでも大丈夫だ」
フクベの言葉を理解しつつもそれでもと思ってしまう秋山にコウイチロウが声をかける。
「君や連合軍の若い将校たちは知らないだろうが、フクベ・ジンといえばかつて連合軍で並ぶものがいないとまで言われた人なのだよ」
現代のように戦闘がシステム化され、パターン分析によって戦術が決定されるような戦闘において、わずか一艦の艦長は戦争の勝敗を決める決定的要因とは成り得ない。故に、現代の艦長は士気の昂揚が望めるシンボル、もしくは戦闘員の不満を吸収、解消する役割が求められる。
連合軍随一と喧伝されたフクベ・ジンはこの能力に長けていた。兵に与える安心感、戦闘員の不満を解消するカリスマ、ストレスを吐き出させる術……フクベがその艦にいるだけで兵の士気は高く保たれていた。
だがしかし。
いくらカリスマがあろうとも、そのような目に見えにくい地味な能力だけで取れるほど連合軍随一の看板は安くない。
もう1つあるのだ。フクベの真骨頂が。
それは寡兵による戦闘、特に防衛戦において無類の力を発揮するということである。
連合大学時代から各地の紛争においてまで、こと守ることにかけてはただの一度の失敗もなく他の追随を許さなかった。
唯一の失敗は第一次火星会戦であるが、あの戦争では先に述べたようにフクベはお飾り的な働きしか出来ず、さらに当時は全く未知であったグラヴィティー・ブラストとディストーション・フィールドを装備した木連との戦力差から、ハナから勝ち目など殆ど無い戦いであったのだ。彼を責めるのは少し酷と言えるだろう。
このような実績から、フクベは連合軍の守護者として全軍から一目を置かれていたのだ。
フクベはコウイチロウの言葉に照れくさそうに制帽の向きを直すと、何でもないように言った。
『では火星の後継者を包囲殲滅するとしようかの』
秋山は自分の耳がおかしくなったのかと思った。
自身の4倍を越える敵を包囲する?
あ然とする秋山にフクベは安心させるように笑う。
『なに、古代ローマだろうと現代だろうと、包囲戦の基本は変わらんさ。如何に効率よく撃って走って囲むかじゃ』
簡単なように言うが、それは地形を理解して、彼我戦力を考慮に入れて、そして最善の一手を最良のタイミングで打ち続けなければならない。
だが長年、苦楽を共にした連合軍本部の地形なら手に取るように分かる。
3年かけて育て上げた少年兵たちのことは、まるで自身の孫のようにその詳細を把握している。
敵である火星の後継者においてもその主戦力は元統合軍の兵士たちだ。全くの未知というわけではない。
そして連合軍を、地球を、子供たちを守るために寡兵を率いた時、フクベの能力はその真価を発揮する。
『機動兵器をボソンジャンプさせられたら、もうどうにもならん。そうなる前に歩兵だけはどうにかするとしようかの』
「ご武運を祈ります」
『お前さんたちも死ぬなよ。死ぬのは老いぼれの後にな。順番じゃ』
コウイチロウの言葉にそう応えるとフクベは通信を切った。
この後、彼は数倍の戦力を相手に味方の被害を最小限に抑えながら互角以上の戦いを繰り広げていくこととなる。
それはフクベ自身の能力や潤沢な予算による恵まれた装備と高い士気を誇る少年兵たちの力だけではなかった。
以前ゴートが指摘していた『士官不足』がここでも響いていたのだ。
火星の後継者は兵力こそ多いが、指揮系統に難がある。特に部隊を指揮する士官の数が圧倒的に不足している。だからこそ、複雑な部隊運用を行うことができず、真正面から数を頼みに攻めてきているのである。
むろん火星の後継者にも歴戦の強者が数多くいるが、これから始まるフクベとの一戦では指揮官の統率力の差ゆえに武勇を発揮し切ることが出来なかった。
後世、『史上最強の校長先生』として語り継がれるフクベ・ジンはこのとき齢80歳。
老いたりといえど、その力のピークはまさに今であった。
NSS――ネルガル・シークレット・サービス――施設。
ネルガル本社の敷地内に建てられた、NSS隊員の住居から各種装備の格納庫、多様な訓練場まで完備された広大な施設の一角を、今、ウィーズたちは猛烈な速さで疾走していた。
V字編隊で突っ走る<ナナコもどき>たちを確認すると味方のNSS隊員も敵の火星の後継者も皆一様に鳩が散弾銃食らったような顔で固まるのだが、次の瞬間には、その<ナナコもどき>たちから発射されるゴム弾、催涙スプレー、スタンガン、スタングレネードの乱れ撃ちという広域殲滅型アタックでまとめて吹き飛ばされていた。殺傷能力が低いためウィーズもその点は安心していたが、一瞬で殺されるのと命だけは助かって苦しめられるのとどちらが人道的なのかは、彼女にも判断がつかなかった。
「あ、あれはウリバタケが造っていた小型機動兵器かっ!?」
NSSの1人が避難しながらも驚きの声を上げると、間髪入れずに戦闘中だった火星の後継者から質問が飛ぶ。
「何がどーなってるっ。説明しろネルガル!」
「知らねーよ、こっちも混乱してんだよ!」
「ウリバタケって誰だ!? 何でナナコさんを模した機動兵器があるんだ!? 無差別攻撃の意味があるんか!?」
「だから知らねーっつってんだろうがァ!!」
叫ぶことで混乱を抑えようとする双方に声だけ通信で繋げたラピスが答える。
『これは<強襲揚陸型ナナコさんU式>。ネルガル技術班のウリバタケがネルガルの資金を横領して創り上げた趣味の一品。ウリバタケはこの後、懲罰委員会にかけられることが決定している』
「んな事は聞いてねェっ!」
『ウリバタケいわく、この<強襲揚陸型ナナコさんU式>を創り上げるために掛かった費用は……』
「聞きたいことはそうじゃなくって……、ああもうっ! 果たせよォ、説明責任があるだろうがァ!!」
持って行きようのない怒りを地団駄を踏むことで表す火星の後継者たちにウィーズがにこやかに言う。
「細かいことは気にしない気にしない♪ ナナコさんにやられるならアンタたちも本望っしょ!」
言いながら、先頭の<ナナコもどき>におんぶされるように跨っている彼女が、何とか耐え切った一団に対してトドメとばかりに催涙ガスを充満したグレネードランチャーをぶっ放した。
反撃しようにもどうやら<ナナコもどき>たちは簡易版のディストーション・フィールドまで実装しているらしく、さらにそれを5枚重ねで掛けているものだから生じっかな攻撃ではフィールドを軽減させることすらできない。
なんとも言えない怨嗟の声を背にしながらウィーズを乗せた<ナナコもどき>たちは爆走を続けていた。
エリナからの指示ではアルストロメリアの確保が最優先事項であったが、それだけではとても今の状況をひっくり返すことなど出来ない。
月臣たちも攻勢に出てアルストロメリアのある格納庫へ向かっていると聞いた。
ならば、機動兵器操縦に長けている月臣たちを援護することが自分たちの役目だろうとアキトは言った。
異論はなかった。
そのため、彼女たちは格納庫を目指しながらも派手に暴れて注意をこちらに引き付け、かつ、火星の後継者の戦線を真っ二つにしてやろうと最激戦地をひた走っていた。
そんな彼らに前方の火星の後継者たちから怒号が飛ぶ。
「貴様らァ! 戦うにしても最低限、相手に敬意を払った戦い方をせんかァ!!」
分隊長であろう。歴戦の猛者のような、その男の叫びにウィーズはつい、さもありなんと頷いてしまう。
けれど彼女の足元、アキト機からも反対に怒号が飛ぶ。
『やかましいッ! こっちは既にヤケクソなんだよ!!』
言いつつ、彼らにも情け容赦ない人道的非殺傷アタックを敢行する。
また死屍累々の山か、とウィーズは苦笑いを浮かべたが、何と彼らは無傷で立ちはだかり続けていた。
急ぎながらも対応を施してきたのであろう。簡易性のガスマスクと耐電装備を身に纏いながら火星の後継者たちはニヤリと笑う。
「珍妙な装備と不意をつく動きでここまで戦線を引っ掻き回したことは褒めてやる! しかしこの『戦場』で『敵』である我らに傷ひとつ負わせずに生かしておくとは何たる侮辱だ! その生命で報いを受けろォ!!」
号令一閃。
横一列に配置された一隊が手に持つ対DF搭載兵器用重火器を一斉発射しようとしたところで、<ナナコもどき>たちも動きを止めて同じように横に広がった。
「……なんのつもりだ?」
―――ケーン。ケンケンケーン。
頭の痛くなるような意匠の<ナナコもどき>たちは、手を胸の前で組んで妙な鳴き声でじりじりと近づいてくる。
人によってはそれは祈っているようにも見えるのだが……
「ば、馬鹿にしとるのか!」
火星の後継者の1人が喚いてトリガーを引こうとする。
すると―――
―――ケンっ!
びくり、と<ナナコもどき>たちは体を震わせ、一歩退いた。
「ぬぉっ!?」
火星の後継者は驚きの声を上げるが、それがまた威嚇的に響いたのか、<ナナコもどき>たちは更にズザっと怯えるように後方に退いた。
「…………え?」
予想外の反応に火星の後継者たちは再度まじまじと<ナナコもどき>たちを眺めると……そのヘンテコな物体はなにやら訴えかけるような目で彼らを見つめている。
「う………」
<ナナコもどき>たちは無言で首を小さくかしげ、火星の後継者たちを見つめている。
光沢処理されたいくつもの無駄に輝く大きな瞳に涙らしきものまで浮かべて、震えながら悲しそうな視線を送ってくる。
『いぢめるの? ねぇ、いちめるの?』
―――と言わんばかりに。
「何をしている? さっさと撃ち殺せ!!」
分隊長が後方から命じる。
「ううっ……」
その火星の後継者は呻いて、銃を構えたまま居心地悪そうに身じろぎした。
「ぶ、分隊長―――」
「なんだ?」
後方の分隊長が困惑気味に応じる。
「自分には、自分にはアレを撃つことなどできませんっ……!」
「アホかあっ!!」
「……ホント、アホよね」
ガスマスクを床に叩きつけながら怒鳴る分隊長に呆れながらにツッコミの声が上がったのはその時だ。
―――!!
弾かれたように声のした方角に振り向いた彼らは、しかし揃って絶句する。
「貴様はッ……!?」
分隊長が呟く。
彼らの横方向、距離にして2〜3歩の位置にウィーズが立っていた。
手には鈍器のように太い特殊警棒。
彼らが<ナナコもどき>に気を取られているうちにジャンプ・ゼロで移動していたのだが、気づいたときにはもう遅い。
「おるゥゥァァァァアアアアッ!!」
マスクも耐電装備も関係ない。
射撃体勢からロクに防御体勢にも移れないまま力任せに殴り飛ばされる火星の後継者たち。
さぞや無念だったに違いない。
彼らは最後の力を振り絞り、本部に『ナナコさんにやられた。ナナコさんにぃ……』とだけ通信をした。
これだけではさすがに意味が分からないだろう。
案の定、それを受け取った火星の後継者司令部では様々な憶測が飛び交い、ハニートラップか何かにやられたのではないかという結論となった。
その結果、相手の女性に気をつけろだとか味方の女性を拘束しろだとか混乱した指示が乱れ飛び、ただでさえ遅れがちな進軍速度は更に遅れることとなった。
そんなこんなで、ウィーズたちの通った後にはなんとも腑に落ちないやられ方をした者たちで溢れかえっていた。
銃撃戦の騒音は、NSS施設内の全体に響いていた。
炎上する建物や銃火の照り返しで、昼だというのに激戦区付近の空が赤らんでいるほどである。
ピリピリとした戦場特有の空気が漂ってくるような気さえした。
しかし、肌がひりつく独特の空気は、月臣にとってはむしろ懐かしい。
月臣の人生は、その大半が戦場であった。木連を出る以前も。そして、木連を出た後も。
「……いいぞ。こちらへの哨戒が減ってきた」
路地に隠れて周囲を窺いながら、月臣は微笑を浮かべる。
ウィーズたちの陽動が功を奏しているのだろう。ただでさえゴート率いるNSS主力部隊に注力している火星の後継者の意識が、更に後方から現れた珍妙な増援によって完全に逸れている。おかげで、ゴートから密かに別働隊として離れた月臣は自由に動きやすくなった。
「……行くか」
気合を入れなおして、月臣は路地から飛び出した。
目指すはアルストロメリアのある格納庫。戦場の音を遠くに聞きながら、月臣はNSSに在籍したこの2年半ですっかり慣れ親しんだ敷地内をひた走る。
単体での別動任務だが、いざ火星の後継者に見つかっても不意を突かれさえしなければ、ある程度の対応は可能であろう。
特に今回は陽動に次ぐ陽動で火星の後継者全体が浮き足立っている節がある。
戦場における経験が豊富な月臣は下手に隠れながら進むのではなく、堂々と道の真中を走り抜けることにした。
……時間がないのはネルガル側も同じなのだ。
火星の後継者が決死の攻撃を仕掛けていることから、アクア・クリムゾンの足止めが成功したことは分かっていた。
しかし何時までも効果のあるものではない。
なによりここで逃げられたら、こちらがジリ貧になるのは結局のところ変わっちゃいない。
ケリを付けるのは一刻でも早いほうが望ましいのだ。
周囲を警戒しながら、なるべく速度は落とさないように走る。
火星の後継者の哨戒に引っかからずにどこまで行けるか。
仮に見つかったとしても―――
「き、貴様何をして……ッ」
小銃を構えた男に呼び止められたのは、目的地である格納庫まで、あと1区画のところだった。
2人組。火星の後継者のメンバーだ。
さすがに全く無警戒というわけではないらしい。
しかし彼らが声をあげる暇もあればこそ。
神速の踏み込みで距離をつぶすと増援を呼ぶ隙を与えずに一瞬で意識を飛ばす。
それで終わりだ。
さすがにこの激戦区で単独行動をするとは向こうも思っていないのか。哨戒が薄い。
しかしお生憎、だ。
ネルガルには生身で一個小隊――状況によっては一個中隊クラスの働きすらする怪物がいるのだ。
その後はうまい具合に哨戒に鉢合わせにならずに格納庫の前まで来れた。
まだ戦火にさらされてはおらず、アルストロメリアも中に鎮座しているはずである。
一応、裏手口から格納庫内に侵入する。
状況がどこまで変わっているか分からないが、アルストロメリアの格納場所はしっかりと頭に入っていた。
ロクに光源もないのだが、月臣は危なげない足取りで格納庫内を奥へ進む。
ところが、
「……なに?」
アルストロメリアのある格納庫へ通じる扉は、開け放たれていた。そこから微かに明かりが漏れている。月臣はとっさに壁に張り付き、息を殺して扉に近づいていく。
入口の横で足を止め、身を隠したまま気配を探る。
物音がするがアルストロメリアはすぐ近くだ。
不意をつけば行けるか?
集中力の密度を高めようとする月臣が、しかし絶句したのはその時だ。
「……ば、馬鹿な」
月臣の瞳には2体の火星の後継者の機動兵器『積尸気』と、彼の愛機であるアルストロメリアが稼動しているのが見て取れた。
高精度センサーか。物音ひとつ立てていない月臣に3体の機動兵器がゆっくりとその顔を向ける。
次いで格納庫内の照明が一斉に灯された。
逃げることすら出来そうもない。
火星の後継者はアルストロメリアの外部スピーカーで月臣に話しかけてきた。
『久しぶりだな、月臣少佐』
「……その声、南雲中佐か?」
観念した月臣が物陰から姿を現しつつ応える。
「よく動かせたな。一応それはネルガルの最新兵器で、それなりにセキュリティもあったはずだが」
『何事にも完璧なものなど無いのだよ。うちの技術士官はその手の裏技に長けていてな』
「ヤマサキ、か」
忌々しそうに呟く月臣に、南雲はコックピットハッチを開けて直接、彼を見据えた。
南雲は筋肉質な偉丈夫で、まるで古武士のような男だった。草壁春樹を崇拝しており、彼の正義のためなら何時でも死ねる。さらに軍人としての戦闘力はすこぶる高い。熱血クーデターのときには、月臣は不意打ちのような形でこの南雲を倒したのだが、出来れば今は会いたくないレベルの相手だった。
南雲とて月臣に恨みがないわけではないのだろうが、しかしそんな事は欠片も見せずに彼はこう切りだしてきた。
「貴様が過去にやったことは忘れる。だから我々の仲間にならんか?」
「―――なっ!?」
目を見開く月臣。しかし南雲はそんな彼を気にせずに話をすすめる。
「何をどうしても平和的な解決など最早できん。それに貴様ほどの武勇をこんな所で失うのは世界にとって大きな損失だ。我々がネルガル・連合軍を相手取って起こす最終戦争に貴様の力は存分に発揮される。だから火星の後継者に来い! 是が非にでも貴様を迎え入れたい! 事ここに至ってはそれが世界平和への最短ルートだと分かるだろう!?」
圧倒的優位からの、それは交渉。
いや、それは交渉ではなく脅迫。
月臣は3体の巨人を見返しながら、しかし躊躇なく応える。
「断る」
「……月臣少佐。その返答がどういう意味を持っているか分かっているはずだが」
一拍。南雲は眉根を寄せて月臣を睨む視線を強くする。
「あえて言おう。貴様の死だ!!」
再度の警告に、月臣は素っ気無く応える。
「もちろん理解している……。だからもう話はいいか? 俺にはやらねばならん仕事があるんだ」
「……残念だ」
南雲は無念そうに目をつぶるとコックピットハッチを閉じた。
閉じながら、号令をかける。
『やれっ! 月臣の存在は危険過ぎるっ!!』
号令一閃。
脇に控えていた積尸気2体が一斉に月臣にハンドガンの銃口を向けて発砲する。
轟音。轟音。轟音。
人間に向けるにはあまりに凶悪な直径48oの弾丸が月臣を襲う。
しかしそれは野菜の皮を剥くのに大型のトマホークを使うようなもの。
月臣はとっさに横っ飛びで回避すると、腰につけた手榴弾を取り出してクイックモーションで投げつける。
手榴弾はマガジン付近で爆発。暴発して積尸気のその右手ごとふっ飛ばした。
積尸気は代わりにイミディエット・ナイフを左手に構える。
『やるな。しかし生身で何が出来るというのだ、月臣元一朗!』
南雲の言葉を知ったことかと言わんばかりに、月臣は何と自分から距離を詰めた。
震脚!
小型ディストーション・フィールドを地面に叩きつけると、月臣はその反動で跳躍し一気にハンドガン装備の積尸気の頭部に貼りつく。
積尸気は頭部の月臣を捕らえようと手を伸ばすが、時に身を翻し、時にフィールドをぶつけることによりそれをよける。
瞬間、ナイフ装備の積尸気が月臣を突こうとするのを確認した。
―――好機!
月臣は繰り出される腕に飛び込むと、そこに横からフィールドを叩き込んでその軌道をそらす。
ナイフはハンドガン装備の積尸気のジェネレーターを貫いた。
バチバチと放電し、沈黙するハンドガン装備の積尸気。
残る巨人は後2体。
それを横目に確認しながら月臣は着地しようとするが、させない。
動きの止まる着地の瞬間を狙って南雲のアルストロメリアが肉薄。
全長6メートルの巨人がサッカーボールよろしく月臣を蹴り抜く。
衝撃!
月臣の身体は広大な格納庫の外壁まで軽々と弾け飛んだ。
「く……あ……」
よろよろと月臣は立ち上がる。
通常なら即死のその攻撃を、回避不可と見るや後ろに飛びつつフィールドを展開して衝撃を吸収し、さらに鍛え抜いた木連式柔の受身で分散して辛うじて戦闘不能になることを免れた。
しかしその瞳に絶望の文字は見当たらない。誰が見たって戦力差は明らかだというのに、その闘志は些かも衰えてはいない。
そんな月臣に油断無く近づきながら、南雲は感嘆の声をあげた。
『大したものだな。その力、草壁閣下の正義に使う気はやはり無いのか?』
「草壁の正義、か……」
ふ、と苦笑いを浮かべながら月臣。
『何が可笑しい』
アルストロメリアを見据えながら心のなかで盛大に溜息をつく。
月臣は正義など存在しないと断言できるほど、大人でも子どもでもなかった。
さりとて万人から認められる正義はあると断言できるほど、純粋でも打算的でもなかった。
しかし彼は知ってもいたのだ。がむしゃらながらも、かつて自分が理想とした生き方に酷似した行動を続ける女の存在を。
そして味わってもしまった。助けを求められたときの嬉しさも。……見捨てられたときの絶望も。
それは性質の悪い麻薬のようなもので、一度覚えてしまったらもう抜けられない。
いや、それは逆か。もともと誰しもが持っていて、いつしか磨耗して無くしてしまったものなのだろう。
馬鹿だと哂われようと、無茶だと止められようと、無謀だと呆れられようと……、その怖さを知った上でなお立ち向かおうとする彼女の姿を、月臣はたしかに美しいと思ってしまった。
だから月臣はこう応えるしか無かった。
「そんなもの、俺には理解できんな」
淡々と述べる月臣の言葉に、物分りの悪い子どもを見るように南雲は眉根を寄せる。
『こちらこそ理解できんな。何が貴様をそこまで掻き立てる』
その言葉に、片頬を持ち上げながら月臣は応える。
「男が張り切ってしまう理由など多くはない。……女だよ」
『なっ!?』
南雲は思わず驚きの声を上げしまう。
それは目の前の男からはまず出てこないと思われていた類の言葉だったのだ。しかし気にすることなく月臣は話を続ける。
「そいつは無関係の者だろうと完全な敵だろうと助けようとするゲキガンガーのように酔狂な女でな。気がついたときにはどうしようもない程に惚れていた。その女がこちらへ向かってきているんだ。格好を、つけるしか無いだろう?」
『……英雄志願か。性質の悪い女に捕まったな。すべてを助けようなどと考えるそいつは、とてもマトモとは言いがたい。軍人だったお前には分かるだろう』
「ああ。みんな最初はゲキガンガーを夢見る子供だった」
『そうだ。けれどただの人間に全てを救うことなど出来はしない。だから優先順位をつけるのだ。出来ることと出来ないことを割り振って。月臣、貴様の言っていることは兵士の考えじゃない。ガキの我侭な思いつきだ』
「そんな事は分かっている。俺はみんなのヒーローになんてなれない。だが―――」
言われずとも月臣もその刃の上を駆け抜けるような生き方のリスクは理解している。
しかし同時にウィーズのその行動理由も知ってしまっているのだ。
普段の彼女からは結びつき難いのだが、彼女は絵物語のヒーローやお姫様に強い憧れを持っている。
冗談のような不幸ばかりの自分を助けてくれるようなヒーローの存在を渇望していた。
だが、当然ながらそんなモノは居やしなかった。彼女の境遇を颯爽と解決してくれるヒーローなどいるわけがなかった。
そしてヒーローを求める気持ちは、何時しかヒーロー自体に憧れるようになっていった。
彼女が他人を助けるとき、それは過去の助けてもらえなかった自身を投影していたのではないかと、月臣は思う。
そんなヒーローの真似事のような生き方を貫き続ける彼女に、同じくヒーローに憧れ続けていた月臣はどうしようもないほどに惚れてしまった。
だから月臣は笑って言う。
「―――だが、惚れた弱みだ。他の何が無理であっても、アイツのヒーローにだけは必ずなる!」
迷いのないその瞳を見据えながら、南雲は長々とため息を付いた。
『……本当に残念だ』
そして話はこれで終わりとアルストロメリアはその歩みをまた進め始めた。
しかし月臣はもう1体の積尸気の足元へと駆け寄っていく。
積尸気にはクリムゾン製機動兵器の操縦方法であるEOS――Easy Operation System――が採用されている。これは学習機能の発達したコンピュータが基本操作を行うというもので、学習コンピュータの成長次第で、新兵でも熟練パイロット並みの動きが可能になるかもしれない優秀なシステムである。身体にナノマシンを注入するIFSに忌避感の強い木連出身の多い火星の後継者には待望のシステムでもあった。
しかし、どんなシステムにも癖はある。
EOS採用機は味方が火線上に存在しているときは、いちいち所定のセーフティを解除しないと火器が使えない仕様となっている。
また対人間用のプログラムはまだ未発達なのか、踏み潰すなりすればいいものを、イチイチ立ち止まって殴りつけてくる習性がある。
その習性を利用して、月臣は正面から積尸気に立ち向かう。
時に手榴弾を目眩ましに、時に小型ディストーションフィールドの反動による移動方法を駆使して、積尸気を盾替わりに2体の死角へもぐり続けるチキンレース。
ただし普通のレースとは違い一度でも追いつかれてしまったら終わりの死のレース。
南雲がいる以上、先程のような同士討ちはもう望めない。
だから月臣は勝機を待った。
ちらりと格納庫の隅を見る。そこは歩兵用装備の倉庫だった。
とにかく動いて動いて動いて……わずかでも隙ができたら、そこへ飛び込む。
そして有効な装備が手に入れば、打撃力も多少は上がるはずだ。
歩兵が人型機動兵器を倒すには、ロケットランチャーやミサイルランチャーのような巨大な熱量が必要となる。
しかしロケットランチャー等の大型武装は、重いし、すぐに弾の補給が必要になる。
戦場を隠密で走り回る今回の任務と相性が悪いのだが、こんなことなら準備くらいはしておくべきだったと悔恨する。
―――変化が起きたのはレース開始から4分後。
断続的なフルアタックの連続。
積尸気は動かなくなった機体からハンドガンを受け取って発砲してくる。
南雲は同士討ちを避けつつも要所要所でヒヤリとする攻撃を仕掛けてくる。
間断のない集中。
ただの一度もしくじれない状況。
心拍数は瞬間的に220を優に超える。
呼吸は不規則になり、ゼハゼハという荒い息の中に、時折ヒューと妙な息が混ざった。
加えて絶えず起こる状況の変化への瞬発的な判断・対応。
生物としての限界ギリギリの挙動を続ける彼の目に、積尸気が膝から崩れ落ちたのが見て取れた。
延々と膝関節に高負荷をかけ続けるよう動き続けた成果が現れたのだ。
途端、月臣はデスレースの輪から飛び出した。
駆けながら、彼はホッとしてもいた。
勝機が生まれた事にではなく。これでまた戦えるという事に。
……それが幾年ぶりかの、戦場での彼の油断。
一瞬早く先読みしたアルストロメリアが脚部キャタピラの爆発的な推進力で回りこむ。
「―――しまっ!」
完全に虚を付かれた。
盾に出来るものはもう無い。
スローモーションでアルストロメリアの動きが目に映る。
俺としたことが……咄嗟にそう思ったが、もはや何も出来ないほどに状況は絶望的だった。
走馬灯のように浮かび出されたのは、見たこともないウィーズの泣き顔。
(嫌だ。こんな所で死ぬわけにはいかないッ!!)
月臣はせめて小型ディストーションフィールドを展開しようと突っ込んでくるアルストロメリアを睨んだ。
―――その時。
「目標前方! ってーッ!」
号令一閃。
横からの攻撃がアルストロメリアを吹っ飛ばす。
ディストーションフィールドに阻まれ直撃こそしなかったが、その一瞬の隙をついて月臣は窮地を脱する。
「ランチャー!?」
驚きに見開かれた月臣の目に更に衝撃の物体が飛び込んでくる。
5体の<ナナコもどき>だ。
「やあ、月臣!」
先頭の<ナナコもどき>の背に乗ってグレネードランチャーを構えているのはウィーズであった。
慌てて視線を向けると、その脇にアキトとラピスのコミュニケも浮いている。
「待ったー!?」
鮮やかすぎる登場であった。
乗っている珍妙な物体は何だとか、切断された左腕の痛ましさとか、言いたいことはいくらでもあったが、それらを全て吹き飛ばすような彼女の姿だった。
「ウィーズ……」
呟いてから、月臣は自分の頬を叩いた。
ついついニヤリと笑いそうになってしまったからだ。
ヒーローを目指すと言っておきながら、助けられて、しかも嬉しそうに頬を緩めるところなど、間違ってもこの女には見せたくない。
「いや、いま来たところだ」
ともすれば一昔前の恋愛ドラマのようなセリフを返す。
しかし、その流れについていけないのは南雲だった。
『な、何だ貴様はッ!? 何をしに来たッ!? そのナナコさんのバッタものはなんだぁ!?』
「草壁の正義なんてお題目唱えてる奴らに立ち向かうのよ。決まってるじゃない」
南雲の言葉に不敵に笑いながらウィーズが応える。
「悪者よ」
実は彼女は月臣の会話をコミュニケ越しに聞いていたのであるが、今はそれをからかっている時ではない。
事実、よく見ると顔に赤みが帯びていたり後でエリナあたりに言われるんだろうなぁなどと考えていたが、そんな事はおくびにも出さないで彼女は続ける。
「ちなみに月臣がアカラ王子で私がミーエ・ミーエ、足元の子達がビッグアカラよ」
『誰がビッグアカラだ、誰が!』
アキトが異を唱えるが当然それも受け流して横の月臣に言う。
「やるわよ、月臣。出力がモノを言う屋外ならともかく、ここならアルストロメリア相手でも戦えるわ」
「ま、待て! 俺の任務は『アルストロメリアの奪取』だ! 絶対にアレを壊すなよ!」
「はぁ!? 既に動いてるのよ? 無茶言わないでよ!」
「それでも、だ。アルストロメリアの打撃力なくして戦況の好転はありえん」
「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
更に文句を言おうとしたが、月臣に理があるためそれ以上は言えないウィーズ。
仕方なしに覚悟を決める。
「……少しでいいわ。アレの動きを止めて。後は私が何とかする」
「おい、なんとかって―――」
『黙って聞いていれば良い度胸だな』
月臣の言葉を遮ったのは相対する南雲だった。
『月臣、そいつが貴様の言う酔狂な女か?』
「ああ、そうだ」
『生身で機動兵器を相手に任せろだと? やはり性質の悪い女だな。しかもナナコさんを兵器として使うなどと……。その女だけでなく周りの連中も馬鹿ばかりか』
『……なんだと?』
月臣よりもウィーズよりも、南雲の挑発に一番反応したのはアキトだった。
「え、ちょ、アキト君?」
色々溜まっていたのだろう。
上に乗るウィーズの言葉も無視して<ナナコもどきリーダー>の出力をあげる。
『馬鹿にした馬鹿にした馬鹿にした……。俺がどんな気持ちでこれを操作しているかも知らずに……っ』
そして先程の話を無視してアルストロメリアに一直線に突っ走り始める。
『潰してやるっ!』
「いや、それは私を降ろしてからでぇぇぇぇええええあああああっ!!」
ドップラー効果すら発生させながらアキト機が突っ込んでいった。
頭に血が上ったアキトにはウィーズの叫びは届きはしない。
『やはり馬鹿かっ』
対する南雲は慌てず騒がず迎撃態勢を取る。
フィールド最大で体当たりをするつもりなのだろう。小刻みに回避行動を入れながら突っ込んできているが、接近してしまえばそれも見極められる。
南雲はアキト機とのすれ違いざまを狙ってアルストロメリアのクローをブチ込もうとした。
―――しかし。
『何っ!?』
アキト機は急遽、真横に飛んでその激突を回避した。
訳もわからないウィーズの横に若干あわてたラピスのコミュニケが映る。
『ウィーズ大丈夫? 今のは私がアキト機の操作に割り込んだだけ』
「……ラ、ラピスちゃんありがとう」
九死に一生を得たウィーズは涙目でラピスに礼を言うが、その原因に対する怒りが消えたわけではもちろん無い。
キッとアキトを睨んで声を限りにまくし立てる。
「バカじゃないのバカじゃないのバカじゃないの! 機動兵器に真っ向勝負って何考えてるのよっ!?」
『……機動兵器との戦いは度胸が肝だ。素人は黙っててくれ』
「月で操縦してるだけの奴に度胸云々言われたくないわーっ!!」
努めて冷静に答えようとするアキトに対して全力全開のツッコミ。
ここで押さえとかないと次はマジに死ぬ。
ウィーズの中の生存本能がけたたましく警鐘を鳴らしまくっていた。
しかし訳がわからないのは相対する南雲も同じだった。
いきなり逆上したかと思えば敵を前にして横っ飛び。
そのまま味方同士でぎゃあぎゃあと言い争う。
一体何がしたいのか、それは僅かな間であったが、南雲の意識を呆れさせた。
……そして、それは致命的な隙となる。
打撃音! 次いで一瞬の浮遊感。
フィールド越しであったが凄まじい衝撃が足元に起こり、アルストロメリアはその場で尻餅を付いた。
弾かれたように見ると何時の間にか距離を詰めた月臣が拳打の構えのまま残心を取っている。
信じがたいことであるが、足元の2メートルにも満たない男は拳打一発で6メートル800キログラムのアルストロメリアの足元を掻っ捌いて尻餅を付かせたのだ。
ゲキガンガーじゃあるまいしっ! ……あまりのことに認めたくないという気持ちが南雲に生まれたが、そうは思わなかったものがいた。
ウィーズである。
彼女は月臣に対する自身の無茶振りに対して一切の不安を持っていなかった。
月臣が一瞬、視線を飛ばすと、その先にいた彼女が応えるように最高の笑みを浮かべる。
態勢は既に整っていた。
彼女は足元のアキト機に指示を出す。
「さあ、今度はきちんと突撃してよね」
「まかせろ。単騎突撃は俺の十八番だ」
コミュニケの奥で獣じみた笑みを浮かべると、アキトは手元のグリップの脇にあるレバーを親指で弾き上げて、その中に設けられていた赤いボタンを押し込んだ。
エンジンの咆哮が一際高まる。
ウリバタケが面白そうだからと付けたニトロチャージャーだ。亜酸化窒素、いわゆるニトロは空気に混ぜて給気することでエンジンの燃焼効率を爆発的に上げる。過剰な使用はエンジンの耐久力を著しく下げるのだが、それと引換にエンジンの出力は大幅に上昇する。
加速! 加速! 更に加速!!
世界が―――視界が一気に狭まる。
粘体と化してまとわりついてくる空気をぶち破ってウィーズたちは突っ走る。
周囲の全ては一瞬のうちに後方へ置き去りにされ、一発の弾丸となってアルストロメリアへ殺到する。
「ィィいいいいいいいーーーやっはァァああああああっ!!」
叫びながらウィーズは手に持つグレネードランチャーを乱射する。
フィールドを持つアルストロメリアに対して有効打にはならないが、とにかく立ち上がる隙を与えてはならない。
思考する余裕すらも与えない。
アルストロメリアの周囲で爆発が連続する。
だが、ここで先ほど膝関節を破壊した積尸気が再起動を終えて手に持つハンドガンをウィーズたちに放ってきた。
『ちぃ!!』
ブレーキング。同時に無理やり方向転換。
雪の上を滑空するように横滑りしながらもアキトは<ナナコもどき>リーダーを巧みに操作してその向きを変える。
加速についていけずに体内で押し付けられる内臓から嘔吐感がはいあがってくるが、ウィーズはそれに耐えてアルストロメリアを睨みつける。
傍から見ればそれは無謀極まりない行為に見えた。
ただでさえ近づき過ぎたら如何に小柄なウィーズたちであっても被弾する可能性は飛躍的に高まる。
だがウィーズには勝算があった。
それはボソンジャンプの新たな使い方だ。
基本的にボソンジャンプをした場合、ジャンプアウトのポイントで他の物体に鉢合わせてしまうことはない。
これはジャンパーのファジーな入力に対してボソンジャンプの演算ユニットが若干の修正をかけてくれるためであるが、高レベルジャンパーになれば更にジャンプアウトのポイント情報を直感的に把握できるようにもなる。そして最高レベルのジャンパーであるウィーズは空間を把握する感覚も極めて鋭い。
それこそ装甲に覆われて見えないアルストロメリアのコックピット周辺の情報さえも手にとるように分かるほどに。
ウィーズはジャンプフィールドを形成した。
彼女の周りの空間がはじめ玉虫色に発光し、やがてその光は優しげな黄金色に収束する。
それは超高効率稼働するボソンジャンプ演算回路の影。
次元を支配するボソンジャンプの力の片鱗が淡い光となってこちら側に漏れ出てきているのだ。
通常のボソンジャンプをはるかに上回る高度なジャンプを行使する際、その前兆としてこの光は現れる。
再び大加速した<ナナコもどき>リーダーがアルストロメリアに突撃した。
そして。
「ジャンプ・ゼロっ!!」
最接近したウィーズは<ナナコもどき>リーダーを踏み台に飛び上がりながら極小距離のジャンプでアルストロメリアのフィールドを突破する。
次いで、そのフィールドに加速の勢いそのままの<ナナコもどき>リーダーがぶちかましを決めて態勢を更に崩す。
アルストロメリアのコックピットに飛びかかる直前でウィーズは声を限りに叫ぶ。
「ジャンプ・ゼロ―――『浸透移動』ォっ!!」
『ぐっ!?』
掛け声と共にウィーズの姿が消失。
ほぼ同時にアルストロメリアの外部スピーカーから打撃音と南雲のくぐもった声が響く。
それはたっぷり加速の乗ったウィーズの膝蹴りが南雲の顔面にぶち当たったためのものだ。
ジャンプ・ゼロ『浸透移動』。
それはジャンプ・ゼロの副産物であるジャンプアウトのポイント情報を能動的に取り入れるというもの。
距離が近ければ近いほどにそれは正確性を増すのだが、そのため見えないはずのコックピット内の南雲に対して完璧に攻撃を命中させることが出来たのだ。
ウィーズは南雲への攻撃後、すぐさま右手上部の開閉レバーに手を伸ばす。何処に何があるかは、だいたいウリバタケに触らせてもらったときに把握していた。
フィールドが解除され、アルストロメリアのコックピットハッチが開かれる。
外から照明の光が差し込んできたところで、しかし脱出しようとする彼女の腕が南雲に掴まれる。
「うそっ、何でまだ動けるの!?」
「木連軍人をナメるなぁ!!」
態勢の悪さも相まってボディスーツの倍力機構をもってしても覆せない不利が発生。
やられる! ……瞬間的にそう思ったウィーズの顔の横をさらに飛び込んできた者がいた。
月臣だ。
尻餅を付いたアルストロメリアを駆け上りコックピット内に飛び込んでウィーズを拘束する南雲の顔面に渾身の掌底をぶちかます。
ウィーズと南雲と月臣でもみくちゃになるコックピット内。
そんな状況で月臣は自身のIFSをコンソールに叩きつけアクセルを踏み込んだ。
アルストロメリアは尻餅を付いた態勢のまま脚部キャタピラの動力で緊急発進。
コックピット内は慣性によりシートに押し付けられ更にもみくちゃにされる。
しかし一瞬遅れてアルストロメリアの残像を、コンマ1秒前まで彼らがいた空間を銃弾が駆け抜けた。
積尸気のハンドガンだ。
「っの、次から次へと!」
悪態をついて積尸気に対抗しようとしたウィーズの視線の先で、しかし彼女の行動前に爆発が起こる。
戦況を見つめていたラピスの<ナナコもどき>が一斉に砲撃を開始したのだ。
間断なく浴びせられる重連撃。
それは積尸気のフィールドこそ突き抜けられなかったが、その行動を僅かな間であるが防御に専念させた。
そして、その僅かな時間はそのまま決定的な敗因となる。
尻餅を付いたまま前進を続けるアルストロメリアは月臣の巧みな操作で勢いを止めることなくその腰をあげる。
次いでギャリギャリと音を立てながら方向転換。
目の前には動きを封じられた積尸気。
「うぉぉおおおおおっ!!」
気合一閃。
月臣の操作したアルストロメリアは爆発的な加速で接近しながら右手のクローを構える。
そしてすれ違いざまにジェネレーターを強打!
積尸気はバチバチと放電をしてその動きを止めた。
それで終わりだ。
敵がいなくなったことを確認するとアルストロメリアはその足を止めてコックピット内の南雲を文字通りつまみ出す。
そして南雲を足元においたところで、ようやく一息ついた。
「ふ〜〜、何とかなったね」
「ああ、手強かったな」
ウィーズの言葉にしみじみと同意する月臣。
特に南雲のタフさ加減には参った。
完全にこちらの予想を上回っていた。
「本当にね。さっきは助かったわ、ありがとう」
ウィーズがそう言うと、月臣も同じように言葉を紡ぐ。
「いや。俺の方こそ、あ―――」
ウィーズはニコニコと心待ちにして月臣の言葉を待っていた。
『ありがとう』
彼女にとってその一言は生命を賭けるに値するものなのだから。
しかし、その言葉は紡がれることなく遮られる。
「まだ、まだだぁぁああああっ!!」
ウィーズと月臣の全力攻撃を受けた南雲がもう復活したのだ。
彼はアルストロメリアの足元からこちらを睨みつけている。
その姿に辟易したようにウィーズがつぶやいた。
「……元気いっぱいね、あのお兄さんは」
『降伏しろ、南雲中佐。さすれば殺しはしない』
外部スピーカーから月臣が話しかけると、南雲は激昂した。
「ふざけるなぁあっ! 俺は折れぬ! 認めぬ! どうしても俺を止めたければ俺を殺していけっ!!」
『俺が言えたセリフではないが……良く考えろ、中佐。生命より重いプライドなど無い。中佐がネルガル侵攻の部隊長なのだろう? ならば全軍に降伏を命じてこの戦いをやめてくれ。勝敗は決した。自身の意地のために部下を巻き添えにするなど中佐らしくもない』
「っは、確かに貴様の意見はもっともだ。生き延びるために敢えて汚辱に塗れることも必要だろう。だが―――」
一拍。
南雲は月臣を睨みつけて言う。
「ここで俺達が武器を捨てて、その後の木連の民はどうなるっ!?」
『悪くはしない。草壁と決着をつけた後は俺も木連の復興に尽力する。連合軍も秋山たち木連の人間に寛大だ。皆で力を合わせれば―――』
「―――それが甘いというのだ!」
月臣の言葉尻を遮って南雲が言う。
「未来の為にプライドを捨てるのは恥ではない。軍隊とて時として退却せねばならぬ。しかしここで俺たちが膝を折ることは出来ぬ。それはプライドを売り払うことになるからだ!」
『……どう違うんだ?』
「捨てたプライドは拾って磨けばまた何度でも輝きを取り戻す。しかし売り払ったプライドを取り戻すには対価がいる」
『対価だと?』
「そうだ。俺達が負けを認めたとしても地球人たちの俺たちへの憎悪は、差別はなくならない。しかし貴様らの強力な援助があれば今よりはずっとましな生活になるだろう。そうしてプライドを売り払ってまで手に入れた平穏を手放してまでプライドを買い戻してくれるものがどれだけいる? ……我らが木連の民は未だ弱い。差別されつつもその状況を良しとしてしまうものが後を絶たないだろう。永遠とも言える屈辱か、死ぬまでの闘争か……俺は断固として戦うことを選ぶっ!!」
南雲はアルストロメリアを前に敢然と叫んだ。
月臣は無言。
それは彼自身ありえない話ではないと思っているからだ。
ウィーズと再会した孤児院前での1件。
あれは何も彼女たちだけのことではない。世界中にある木連人が同じような迫害を受けている。
その状況を知っているがゆえに月臣には簡単に反論することができなかった。
しかし……
「ふざっけんじゃないわよっ!」
コックピットハッチを跳ね開けて足元の南雲を直に睨めつけながらウィーズが口を挟んだ。
「差別が何よ! 屈辱が何よ! そんなモン天秤にかけて勝手に決めつけてんじゃないわよ!」
叫びつつも言い足りないのか、彼女はアルストロメリアから飛び降りて南雲の目の前で更に言葉を続けた。
「死ぬまで戦うなんて言ってる奴はね! 生命が大事ってこと忘れて呆気無く死んじゃうのよ! そんな自爆行為に他の人間まで巻き込もうとするんじゃないっ!!」
「だ、誰だお前は!?」
「<穢れし者>のウィーズよ!」
「―――!?」
『穢れし者』。
それは木連の隠匿された歴史。火星のテラフォーミング技術者を祖先に持つ木連の少数民族だ。
彼らは木連の主流である月独立派の血を引いていないという理由だけで差別、迫害されてきた。
特筆すべきことは、彼らがその待遇を甘んじて受け入れていたということである。
この迫害は表向きには民族間のイデオロギーの対立の結果ということになっていたが、その中身が政情不安による国民の不満を彼らに逸らすためだということは、少し頭の回る人間なら容易に想像がつく。
そしてそこまで考える事が出来たのなら、『穢れし者』が抵抗しなかった理由は政情の安定のため自ら犠牲になったのだということも、想像がついてしまうはずだ。
事実、初期の彼らなら抵抗しようと思えばそうすることも出来た。
数がものを言う原始的な時代ならともかく、技術者が大半の彼らなら警備装置に細工をして、逆に自分たちが搾取する側に立つことも出来たのだ。
だが彼らはそうはしなかった。
何故か。
それは、彼らが木連の元月自治区独立派に希望を持っていたからだ。
地球に逆らった彼らはもう地球に戻ることは出来ない。
しかし、だからと言って圧倒的少数の彼らが国を作ろうとしてもタカが知れている。だから彼らは独立派の人々にその希望を託したのだ。
何時か立派な国を作って、地球にけじめとしての謝罪をもらい、そして円満な関係を築いていくという希望を。
……自分たちが憎まれ役を全て、引き受けることで。
「たしかに今の木連人は精神的に弱いかもしれない。でも何で永遠に弱いままだと決め付ける!? 地球人と和解できないままだと決め付ける!?」
迫害されつつも敗者として木連を支え続けてきたという矜持が、南雲の言葉を許さない。
「こちとら100年踏ん張ってきたってのに、たかだか3年苦境に陥ったくらいで諦めてんじゃないわよっ!!」
「黙れっ!」
南雲が言葉を叩きつけた。
「綺麗事をぬかすな! 俺達がどれだけ地球人を殺したと思っている! 地球人が俺たちをどれだけ迫害していると思っている! 貴様らとて、そんな理想を掲げながらも貴様1人を残して死に絶えたではないか! 木連人が同じ道を歩まないとどうして言える!!」
「―――だからそれが諦めだって言ってんのよっ!」
南雲に負けじとウィーズも声を更に張り上げる。
「そりゃ苦労したわよ! ええ、ええ、そりゃちょっとは憎く思ったりブチのめしたりしたいと思ったことだってあったわよ! だからそれがなに? それを話し合いで解決する暇も許さないっての!? そんな今の気持ちだけでその後の自分たちの人生まで分かった気になってんの!? 馬鹿じゃない!?」
「…………っ」
南雲はウィーズのあまりの剣幕に押されてパクパクと口を開閉させるばかりで何も言葉が出てこない。
「アンタみたいな奴がプライドを語るんじゃない! 永遠を語るんじゃない! そんなのはやれるだけのことをやって、それでも足りなかった死ぬ直前にだけ語ればいいもんなのよっ!」
ウィーズは言いつつ一歩前に出る。
気圧されるように南雲が一歩下がる。
「少なくとも私はアンタの見てきた狭い世界なんかに属してないわよ。私を<穢れし者>だと知って手を差し伸べてくれた木連人を知っている。木連人を堂々と友達だと断言できる地球人を知っている。アンタたちはどう? 戦争を避けてネルガルと話しあおうって考えはなかったの? ただ待つだけじゃなくて自分たちから友好を求めようとはしなかったの?」
一拍。
ウィーズは南雲を睨めつけて言う。
「一度敵対したからって、ずっと敵対し続けなければいけないなんて誰が決めた? 何か一つでも過ちを犯したら、何度も犯さなければならないと誰が決めた!?」
それは彼女の祈りにも似た、腹の底から引っ張り出したような叫び。
救いのない人生で救いを求め続けた彼女の願い。
「善人になっちゃいけないと! 幸せを求めちゃいけないと! そんな決まりなんてどこにもないでしょうがっ!!」
それは南雲にだけ届いたものではなかった。
悪役で居続けなければならない決まりなんて無い。
幸せを求めてはいけない決まりなんて無い。
親友を殺してしまった月臣元一朗は、復讐に手を染めたテンカワ・アキトは。
その言葉に救われたような気がした。
「殺すな! 殺させるな! 幸せを求めろ! 夢を語れ! アンタたちが本気なら私だって力を貸すっ!」
「だ、だがお前だけでは―――」
「もちろん私だけじゃない!」
南雲の言葉を遮ってウィーズは続ける。
「アクアはきっと私に力を貸してくれる。月臣がいれば連合軍だって動いてくれる。ネルガルはどう? ―――エリナ?」
言われてすぐにエリナのコミュニケが現れる。
『もちろん信頼の担保は用意してもらうけど、対等な取引なら問題ないわ。相応の利益があるのなら全力で支援してもいいわよ』
エリナの回答にウィーズは破顔した。
大敵ネルガルが自分たちを支援するという。しかもそのネルガルの宿敵クリムゾンと共存したままで。
眼の前で繰り広げられるウィーズの大風呂敷を、南雲は唖然として聞いていた。
そんな南雲に、何時の間にか降りてきてウィーズの横に来た月臣が話しかける。
「中佐の言うとおり、こいつの言う事はガキの我侭な思いつきだ。両手いっぱいに荷物抱えて、端からポロポロと落としてしまって、その落ちたものを拾おうにも両手が塞がっていて動けない。けれどその落ちたものを見捨てることも出来ずにオロオロしている。そんな子供の戯言だ。だが―――」
一拍。
月臣はウィーズの目を見つめた。ウィーズも月臣の瞳を見返した。
強い輝きの宿る双眸だ。
まっすぐで、しなやかで、踏まれても踏まれてもなお太陽を目指す図太い雑草のような、ウィーズという女性を象徴するような瞳だった。
月臣はふっと苦笑いのような仕方ないというような、なんとも言えない笑みを浮かべて続ける。
「そんな奴だからこそ、横で見ていたら手を貸さずにはいられないのだ」
「…………」
月臣の言葉に照れくさそうに頬を掻くウィーズ。
南雲は呆れるようにつぶやく。
「早死にしそうな男になったな」
「構わん。充実しているんだ。……本当にな」
南雲に応えながら月臣はすまなそうに笑う。
それは白鳥九十九を殺害した後の幽鬼のような月臣を知っている南雲には、にわかに信じられないような表情であった。
南雲はそんな2人をしばらく眺めていたが、やがて―――
「……好きにしろ」
と、大きく息を吐いた。
同時に通信機でネルガル侵攻部隊の投降を指示。
ここに対火星の後継者防衛戦はネルガルの勝利により終わった。
コミュニケの向こうでエリナが投降兵の扱いについて注意しているのを横に、アキトがウィーズに話しかけてきた。
『……ウィーズさん』
「ん?」
『さっきは悪かった』
ウィーズは殊勝なこともあるもんだと眉根を持ち上げる。
いや、これはアキトが昔に戻りつつあるのか。
彼女が初めて会った頃の、まだ純朴な青年だった頃のアキトに。
「気にしてないわ。……もう行くの?」
『ああ。ルリちゃんがナデシコCと合流した。ネルガルの策が成った。だから、ここからは俺の戦いだ』
一拍。
意を決してアキトは言う。
『北辰を誘き出して……倒す』
もともと、アキトとラピスは神出鬼没の北辰に対する対応策としてギリギリまで場に出さないことで相手にプレッシャーを掛けるという役割を担っていた。
しかしそれもネルガル防衛、ホシノ・ルリのナデシコC合流により一段落がついた。
だからここから先はアキト個人の、復讐者としての戦い。
これはアカツキたちも了承していた、全くの計画通りの戦い。
アキトの元々の目的の1つなのだから止められるはずもない。
アキト自身もウィーズの願いを知ってはいるが、それでもそう簡単に割り切れなどしない。
何処かで区切りをつけなければ、方向を変えることも出来ない。
「死んじゃダメよ」
それが分かっているのでウィーズも短くそう言った。
アキトは小さく頷くと、それでコミュニケは切れてしまった。
<ナナコもどき>リーダーも完全なオート・モードに切り替わる。
そのコミュニケの残像を眺めていたウィーズに、今度はエリナのコミュニケがつながれた。
『感傷に浸ってるとこ悪いけど、貴方達にはもう一仕事してもらうわよ』
「おっと、そうでした」
火星の後継者の攻撃を受けているのはネルガルだけではない。
ともすればネルガル以上の猛攻を受けているのが連合宇宙軍本部なのだ。
元々ここを援護するために、苦労してアルストロメリアを奪還したのである。
「月臣〜、準備出来てる〜?」
ウィーズがそう聞くと、既にアルストロメリアの簡易チェックを終えた月臣がコックピットから顔を出して彼女に親指を立てる。
仕事が早いことで。
そう言いながらウィーズもアルストロメリアによじ登りコックピットに入った。
そして既に着座していた月臣の懐にちょこんとその身を滑り込ます。
1人乗りだがなんとか乗れないこともない。
「邪魔するわよ」
「う、うむ」
首だけ回して後ろの月臣にウィーズはそう伝える。
言われた月臣は密着状態から伝わってくるウィーズの感触と、ちょうど顔の前に来る彼女の髪の香りにちょっとえらい事になっていたのだが、何とかそれだけ返した。
『連合宇宙軍から援護要請が来ている。制圧部隊に機動兵器が加わっている』
ラピスからの状況報告にウィーズは不敵に笑う。
機動兵器なにするものか。
私の背後にゃモノホンのヒーローがいるのだ。
「私の生命、アンタに預けるわよ」
「任せろ」
「んじゃ行くわよ」
ウィーズが月臣の言葉に満足気に頷くと、彼女の周りに玉虫色のボソンフィールドが形成される。
それはすぐに高効率の金色の光へと変わり、そのまま2人の乗るアルストロメリア全体に広がった。
背後の月臣も初めて見る、ジャンプゼロの瞬間。
周囲の空間を満たす、それは儚くも美しい光の粉の集合。
「目標、連合宇宙軍本部! ―――ジャンプ・ゼロっ!」
ウィーズの言葉に合わせて、月臣は光のなかに飛び込むような錯覚を覚えた。
同時に、彼らの存在が空間を超えて次元を超えて跳躍する。
過去を精算し、未来を決する、どこか懐かしい戦場へと。
後に火星の後継者の反乱として歴史に名を残す、月臣元一朗と草壁春樹との二度目の戦い。
立ち上がるはすべてを救うヒーローに憧れた白き現在の英雄。
対するは全てを捨てて木連を護る黒き過去の英雄。
その第二幕は、こうして切って落とされた。
「ところで私を助けてくれたのはアクアだから、私はアクアのお嫁さんになるのかしら?」
「えっ?」
楽屋裏
俺達の戦いはこれからだ! ご愛読ありがとうございました。
……ごめんなさい、嘘です。いや、何となくそんな感じかな、と思って(オイ
改めまして。どうも、鴇です。
ゲキガン絡みのコメディ書いてるとやっぱり木連って感じになりますね。
ただし等価交換でシリアス度が軒並み持って行かれますが(オイ
前回のあとがきにも書きましたが今回は全体的にギャグ調にしてみました。
アレな新型メカの活躍、アキトの苦悩、梁山泊なフクベ爺さん、優人部隊の制服で潜入捜査をしようとする月臣(マテ、ウィーズの無茶振り啖呵、そしてマトモな思考の南雲さん(だからマテ
いや、プロットでは草壁のただの信奉者としていたのですが、それではあんまりだということで今回の話の流れとなりました。
イメージとしては一歩踏み込んでいない劣化版草壁思考かと(それも大概か
ともあれ苦手なバトルシーンが中心と成ってしまうので何とかコメディ分を入れて読みやすくしてみました。
閑話休題。
これでエピローグを除けば後2回。だいぶ終わりが見えてきました。
ですがちょっと仕事のほうで忙しくなってしまい作成時間がとれなくなってきました。
このままだと更新ペースとか読まれる時の負担とか考えるとちょっとグダグダになりそうです。
と、いうことで、今回のおまけは投げっぱなしチック最終回にしてみました。
ここで止まってもそれはそれで区切りがいいのかも……ごめんなさい、嘘です。ちゃんと最後まで書きます。
少しお時間が空いてしまいますが、できるだけ早く次の愚作で会えることを祈りつつ。
それではまた次回に。ありがとうございました。
>代理人さん
月臣がウィーズ・アクアよりも可愛いのはヒロイン補正がかかっているからですぜ(オイ
<ソードマスターヤマトちっく暫定最終回なおまけ>
おまけ
感想代理人プロフィール
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代理人の感想
月臣強いなぁ。
このレベルの人間がもう一段突き抜けたりしちゃうと、生身でモビルスーツと戦えるようになったりするのかな(ぉ
そしてギャグ回と言うだけあって盛大に吹いたぜ畜生w
色々言いたい事はあるが、つくづく芸が細かいや、ウリバタケwwww
>月臣が可愛いのはヒロイン補正がかかっているから
なるほどなー(ぉ
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