指先に神経を集中させ、ラピスは目の前にある料理を箸でつまんで口まで持っていく。
彼女は現在、NSSの食堂でアキトと遅めの昼食をとっていた。
今日のAランチのメニューは中華。青椒牛肉絲に白米、スープ、それと杏仁豆腐のセットである。竹の子とピーマンのシャキシャキとした食感が楽しい。今までは食事とは単なる栄養補給だと考えていたため、こういった楽しみとしての食事とはなかなかに興味深い。アキトが料理人を目指したというのも分かる気がする。この箸という物も慣れると便利だ。なるほど、と無言でこくこくと頷きながらそんなことを考えるラピス。
ふとアキトの方を見ると、彼はラピスを注意深く見つめながら彼女と同じメニューを同じように咀嚼していた。もっとも、別に彼にやましい下心などは微塵もない。感覚共有についてラピスと話し合った結果、平時はできる限り切っておいて、任務や食事の時のみ繋げる事で意見は一致した。と、言うことでアキトは現在、再び食事の喜びをかみ締めているのだが、食感云々はともかく肝心要の味覚がラピスのそれをそのまま共有することになってしまうのだから、メニューも食べるタイミングも全て彼女と同じにしなければならないのである。ラピスは、ともするとおかずの合間にいきなりデザートを口にするような子なので、よほど慎重にならないと今、口の中でおいしく食べている竹の子も妙な甘みを持った不思議体験という名前に変わってしまう。
そんなこんなで、アキトは全神経を食事とラピスに集中しているわけである。ちなみに、この時の熱視線がNSSの隊員に誤解され、ラピスがアキトの幼な妻だというまことしやかな噂が生まれたりして、エリナが彼の元に怒鳴り込んできたりするのだが、それはまた別の話。
ともかく。自分をじろじろと見てくるアキトを若干うざったく感じながら食事をしているラピスの目に、顔見知りが映ったのはその時だ。
「プロス、何読んでるの?」
彼女から2つ離れたテーブルで話しかけられた男、プロスペクターは食事をしていた。彼とはアキト絡みの用件やデータ処理の助っ人任務などで一緒になることが多いので比較的会う頻度は高い。ラピスとしてもことあるごとにお菓子をくれる彼は嫌いではなかった。
もっとも、今のプロスはサンドイッチ片手に何かのファイルを読みふけっている。ファイルで顔が隠れていたために双方共に気付くのが遅れてしまったわけだ。
プロスはラピスに気付くとファイルから目を離してにっこりと彼女に笑いかけた。
「おや、奇遇ですね。こんな時間にこんな所でお会いするなんて」
それからファイルをたたんで、料理を載せたトレーごとラピスたちの前まで移動してくる。
「これはですね、連合軍から送ってもらってる旧木連軍人さんたちの名簿なんですよ」
「何でそんなもの持ってるの?」
「連合宇宙軍所属で現木連指導役の秋山さんとは熱血クーデターの時に仲良くなりまして、ハイ」
つまりは横流しだ。個人情報保護ってどうなってるんだろう。ラピスはぼんやりとそんなことを考える。
「それでその名簿って何?」
「木連軍から統合軍、連合軍に異動できなかった方たちの中から見所のありそうな方たちのリストです」
ラピスは意味が分からずに小首をかしげる。
「つまりですね。終戦によって起こった急激な軍縮で意図せず軍を辞めることになった方はたくさんいます。このご時勢ですから再就職はたいへん難しいでしょう。そんな境遇に嘆いている方々の前にネルガルのスカウトがふらりとですね……」
「……思ったよりこすっからい商売してるね」
「はっはっはっ。いや、これは手厳しい」
「でも、それって合法なの?」
「私たちは存在そのものが非合法なのですよ」
肯定はしないが否定もしない。それ以上は聞くな。全てはその笑顔が物語っている。
「それで良さそうな人はいたの?」
「ぼちぼち、ですね。やはり人格も腕も良好な方は軍に残ってしまっていますし辞めてしまわれた方も既に各分野の専門家となってしまっています。よしんばそのどちらでもないとしてもやはり高い。ですから――――」
そこでいったん区切って商売人の笑みを浮かべる。
「ですから、一流の腕を持ちながらも素行や性格に問題があるために不遇の扱いを受けている方をリストアップしていただいたというわけです。安くて腕さえ良ければ多少の素行や性格の悪さにも目をつむる。民間企業としては致し方のないところですね」
要はあぶれ者の再利用というわけだ。
ラピスはふうん、と興味なさ気に頷いた。
「まるでナデシコだな」
これはアキトの声である。
ラピスが食べるのを中断したのを確認して、彼も会話に加わってきた。
「ハイ。基本コンセプトは同じですよ。母体が民間人主体か旧木連軍かだけの違いです。あなたが師事している月臣さんも似たようなものですよ」
「月臣が?」
「ええ。あの方の場合はちょっと事情が特殊でしてね。熱血クーデターの時に取り逃がした草壁元中将を追って軍を脱走してまで地球に来たがさぁ大変。情報のコネはないし頼れる当てもない。それでも腕っ節だけは呆れるくらいにあるからモリモリと近場の暴力団体さんたちを潰して歩く」
「無指向性の爆薬のようだな」
「潰した団体は確認できるものだけでシチリアンマフィア2つ、ジャパニーズヤクザ1つ、いかがわしい新興宗教3つ、自称悪の秘密結社1つ、通りすがりの柄の悪い方たち計測不能……」
「なぜそんなところばかり……。木連=クリムゾンの発想はなかったのか」
アキトの呻きにプロスはずずっとコーヒーをすすりながら答える。
「あればもっと効率的に暴力を行使していたでしょう。秋山さんから連絡が入ったのは、身の程知らずにも単身で3000人級の怖いお兄さんたちに喧嘩を売ろうとしていた時点でして」
「まるでゲキガンガーだな」
「アキトと大して違わないよ」
ラピスの呟きをアキトは意図的に無視して話を続ける。
「しかしよくそんな絶妙なタイミングで連絡が来たな。まるで見ていたとしか……」
「見ていたんですよ。あの方が持っている小型ディストーションフィールド発生装置、アレには発信器と盗聴器が仕掛けてありまして。秋山さんは月臣さんが無理をし過ぎないように常に監視していたのでしょう。それではっちゃけ過ぎた月臣さんの手綱を交流の出来た私たちに委ねてくれた、と」
「そんな面倒くさいことするくらいなら、初めから連合軍なりネルガルなりに所属させてしまえば良いのに。目的が草壁との決着なら手段なんて選んでる場合じゃないだろ」
「言って聞くような人ではありませんから。自分から助けを求める状況になるまで待っていたのでしょう。とはいえ、その程度で素直に秋山さんの元に帰るような人なら苦労もしていませんがね。第三者としてのネルガルにお鉢が回ってきたのもそのあたりの考えなんでしょう」
「……悲しいまでに見透かされているな」
「アキトと大して違わないよ」
「む、うるさい。死んだこともない子供が口を挟むな」
「私だって戸籍ないもん」
「まぁ、当社としましても人材交流のパイプが出来たわけですし、月臣さんを引き込むことも出来て万々歳ということですな。では、まだ仕事が残っていますので私はこれで。あ、もちろんこの話はご本人には内密にお願いしますよ」
いつの間にか食べ終わっていたプロスは話はそれでおしまいとばかりに席を立つ。その姿が見えなくなったのを確認してから、ラピスは隣のアキトに話し掛けた。
「今の話、どう思う?」
「人材の話か? それとも月臣?」
「月臣のほう」
「そうだな。クーデターを起こすだけ起こして、事後処理を他人にまる投げというのは、やはり無責任な気がするな。特にそれが自己満足のための行動ならなおさらだ」
「……………………」
アキトと大して違わないよ。ラピスはこの言葉を喉のところでせき止めた。
プロスの言うとおり、どうせ何を言っても聞きはしないのだ。
とりあえず抗議とばかりにアキトが青椒牛肉絲を口に入れたのを見計らって杏仁豆腐を食べてやる。慌てて息を詰まらせ水で流し込むアキトを横目に、杏仁豆腐のほのかな甘みに舌鼓を打ちながら、まぁ、こんな毎日も悪くないかとラピスは肩をすくめるのだった。
……後に火星の後継者の反乱を阻止ししたあと、脱兎のごとく逃げ出したアキトを見て『やっぱりね』と彼女は呟くのだが、それはまだ先の話である。
代理人の感想
・・・・・・本当に台無しだ(褒め言葉)。