2001年2月12日だらだら開始
虚空の夷
羽音
闇の中、息を殺し、深く、ただ深層へ沈みつつ、体内を雪解けの水がかすめていくような感覚にひたる。
温かい両目だけは、その感覚を享受できないままで。
どこにいるのかといえば照明の消えた小さな予備制御室で、暗闇の中で息を潜め、あるプログラムを送るためセキュリティの解除をしている。黒いバイザーの通常よりも解像度を高く設定した暗視モードには簡単なコンソールや年代もののモニターが静かに佇んでいる姿が浮きあがっている。
(あの子らなら、一瞬で終わらせるんだろうが)
と何回目なのかもわらない逡巡を巡らす。一瞬、口元に細い笑みがあらわれただろうか。細かい仕事の連続に神経が疲れてきているのを感じる。不確かな見取り図を元にこの場所へ移動するため、どれだけの精神力が必要だったことか。そんなことを考えながら、バイザーに映るウインドウの表示を気にしつつ確実に操作をこなしていく。
右手のグローブに隠されたイメージ・フィードバック・システム(IFS)は思考を変換しモノを操作する「画期的だが一般には人気の無い」ものだ。その理由は簡単で、人体に多量のナノマシンの注入が必要であり、またIFSを利用し操作できるものがまだ限られているためでもある。値も張る。右手の甲にはその存在を表すタトゥ状のものが現れる。そのタトゥは、IFS使用時に淡く発光する。ナノマシンがまるで生きていることを気づかせようとするかのように。
彼はそれを使用して、腰にある薄いウエストパックのなかのコンピューターを操りラインの確認をしつつ操査する、廊下にある監視カメラの映像のチェックも忘れずに行っている。
作業に勢いがついてきたな、そう感じ始めたころにはすべて終わり、約束の時間が近づいていることを知らせる表示が現れていた。
その表示が現れた瞬間、意識しないうちに背筋が伸び、弛み始めていた緊張感が締まり、忘れようのない悲しみが流れているのを確認した。
(四つ目だ。内偵の成果を終わらせる。)
暗視機能をスタンバイモードに移行しつつ、男はそっと、時が訪れるのを待ち始めた。
両脇の林道に設置された監視カメラが映し出す八つの映像を、ある製薬会社の研究所にある小さな一室で、若いが目の鋭い保安要員とその隣でだるそうな顔で年配の<俺>が眺めている。
薄暗い一本道の路肩に停まった派手なワゴン車。この夜中にこんなところに停まっていれば誰が見ても何をしているのか予想がつく。だいたいこの車、毎週のように金曜の夜に現れてはおそろいのような危険な服を着た男女がうろつき、いつだったかは似たような車やオートバイが集まって騒いでいた。
会話は無い。自分と若造は年が違うし、第一このどっからかきたのかわからない若造のもつ緊張感には飽き飽きしていた。まじめ、といえばそうだがとっつき難い。一年前、同僚の多くがほかに転勤となり、この元軍人の若造たちが配属され保安設備に大幅な改善がなされた。しかし、この規模の保安体制なら統合されているべき監視室がいくつかに分かれていたし、統御する指令室は記憶が確かなら元第一会議室で(現在第一会議室は存在せず)、とって付けであることはすぐにわかった。まあ、コーヒーが大幅に美味くなったが。おそらく相当に大事な研究がこの研究施設で行われていると予想された。
企業スパイの存在。
自分が残ったのは、高校生のころ柔道で活躍したこと、従軍経験があり実戦経験(平和維持活動)のあることが原因と考えられる。先の大戦において実戦経験者は相当数発生しているが、自分のような年配者は、その初期に多くが戦死したそうだ。よって戦後の軍では、若い高級幹部が多いと聞く。そうであるならこの若造たちの中には出世競争に敗れ民間に転職した者達もいるだろう。人事部はそのまとめ役のように自分を考えたのだろう。責任ややりがいを感じる前に、つまらないことになったもんだ、と感じたのを覚えている。
「あっ」
と若造が声を漏らした。なんだろうと、たるんだ意識のなかモニターに目をやると一台の重々しげなトラックが幹線道路を左折し、この一本道に進入してきていた。若造が声を上げた理由はすぐにわかった。簡単なデコレーションが施されていたが、どこかで見たことのあるシルエット、そうだ軍用の輸送トラックだ、と思い当たった。
「保安司令室、こちら交通路監視係、一台の不信なトラックが近づいている。軍用トラックのようだ。予定にあるか」
と若造がいつの間にか受話器を取っていた。
≪待て・・・、いや搬入の予定は無い≫
仮眠のためではないか。そういぶかしんでいると例のワゴン車の横を通り過ぎた。こいつは・・・おかしい。隣では若造が受話器を片手にモニターを見つめている。オープンにした回線の向こう側では映像をまわせとか、正面警備室に連絡、とか聞こえる。司令室では自分と同じ光景を目にしていることだろう。
≪車止めの使用を許可する≫
「了解」
と短く答えて右手で捕まえたマウスをクリックする。車止めといっているが、こいつは軍用車も止めるだろう(カタログと説明書には確かにそうあった)大きな牙だ。何の勧告も無くタイヤを八つ裂きにされるのはさぞ驚くだろう。既にそこは私道だ。勧告の仕様もない。と考えていると、作動エラーの表示が軽い警告音とともに現れる。
「車止めが作動しない」
≪どうゆうことだ≫
こっちが聞きたいよ。と、応答する前に
≪正面入り口、車止めに異常が起こった、手動で起こせ≫
≪了解≫
オープンにした状況を伝える回線が徐々に騒がしくなってくる。デコトラが不意に加速した。こっちの会話を聞いていたかのように都合よく。そして、いつの間にかあのワゴンが追従している。受話器を取る。
「不信車両が増えた。ワゴンが一台!」
≪車止めまだか!≫
≪現在操作中・・・です≫
重いハンドル(カタログには無く説明書にはあった)を回しているのだろう。きつそうな声が響いてきた。
「正面ゲートすべて降ろしますか?」と問うと、
≪許可する。警備班は正面駐車場、ならびに正面玄関フロアに集合。1級警備体制、警報鳴らせ!≫
途端に警報が鳴り響き、館内放送が流れた。一級?と記憶をあさっていると隣の若造がサブマシンガンを取り出しセイフティを確認している。驚いた、そんなものどこにあったのだ、などと考えていると若造はこちらに一瞥をくれ飛び出していった。
呆然としつつ視線を変えた先のモニターには、車止めのない名前だけの警戒ラインを突破し、作動しない正面鉄柵ゲートを尻目に木製の正面ゲートを突き破った<一騎当千>と派手にコンテナに描かれた一台のトラックと、その子分のようにハレンチワゴンが雪崩れ込んできている。そして、昔の日本警察の機動隊のような格好をした武装集団と、おそらく跳弾効果をもつだろう、ダークグレーのコートを着た5人組みが現れていた。
「なぜだ! どうしてすべての機器がスタンバイモードから立ち上がらないのだ」
「見てくれ! こっちの実験データもすべて吸い取られた後だ!」
長大なコンソ−ルを背にしてガラスで仕切られた研究施設の地下実験場では、けたたましい警報の中で徹夜が確定していた研究員たちが白衣や、片方の耳にぶら下がったマスクをヒラつかせて慌てふためいている。立ち尽くすものや怒号を飛ばし指示するもの、真新しいコンソールに非常時様の斧を突き立てる者もいれば、繋がらない受話器で何度も連絡を試みようとしている者もいる。かれらが想像するのは、身の破滅だけだった。そこに三人の保安要員が派手なブーツの足音を響かせて入ってきた。
「連絡が入りました。ここは放棄されます。車両を待機してありますので、急いで脱出を!」
その言葉を聞いた研究員たちにみるみる安堵の表情が広がっていく。「なんてことだ」「助かった」とか「やはりスマトラの後放棄すべきだったのだ」とか口々にいいあい、なかには保安要員の手を両手で握り感謝しているものもいた。しかしほとんどのものは、我先にと非常階段を目指し殺到する。慌てないで、などという決まり文句をいいながら保安要員たちは彼らを先導していった。
何時の間にか警報は鳴り止み、ほどなくして室内はもぬけのカラとなった。
この、案内地図には無い一画に静寂が満ちると非常階段のほうから甲高い銃声と、反響し人とも判らない悲鳴が聞こえた。そしてまた静まり、例の足音を響かせて保安要員たちだけが戻ってきた。彼らは何事も無かったかのようにガラスで隔てられた部屋へ入りその入り口近くにおいてあったバックから爆薬を取り出し仕掛け始める。
突然、一人の保安要員がその場に崩れ落ちた。忍者のような格好をし、黒いバイザーで表情を隠した一人の男が、仲間の視界を掠めた。
突入から20分後・・・。進入してきた機動隊(ふうのもの)により現場の確保が行われている。隊員たちは、無駄のない動きで作業しており、たまに聞こえてくる連続した発射音にはたいして気を使っていない。
「状況はドウだ。」
「確保、予定どおりです。」
と、今入ってきた拡声器を片手に持つ男へ答える。この、いかつい三十代男のいつも隣にいる副長の姿がないところをみると、相手方の逮捕は彼に任せてきたのだろう。部屋の隅に置かれた、三人の自由を奪われた男たちに視線を一瞬送るがすぐにはずし、ガラスで仕切られた一室に入る。扉の前で一瞬躊躇したように隊員たちには見えた。
部屋の中は、小さな棺おけのような形の物が左右対称に並んでいる。奥には円柱型のカプセルが並んで立っている。蛍光灯の鮮烈な照明がわずらわしく感じた。その手前に、やはりその男はいた。
隣に行くと、その男は金属性のカプセルののぞき口から見える光景を眺めていたようだった。
「ご苦労、医療班がすぐに来るデータをくれ」
「はい」
暗いバイザーが邪魔で表情は見えない。手渡された手の平大の小さなディスクが目にはいる。このディスクと同じように無機質な感じをこの男に感じたが、すぐに考え直した。
「なに、助かるさ」
「はい」
この男は、犯罪人だった。
厳密に言えば今もそうで、自分の逮捕すべき男だ。しかし、ちょうど1年半前に突如としてブラックリストの一番上から一番下にその男の名前は下がり、特記事項として、発見した場合は新地球連合警察調査部支援係に報告しそれ以上関与しないこと、支援係にはこの者に対する優先的立場が与えられていることが明記された。つまり自分には報告しかできない。この男が協力者として自分達と共に行動するようにになってからは、逮捕するという使命感も大して気にならなくなっていた。
この男は、連合警察に協力するという取引を行い刑事責任から逃れるというろくでもない情報屋の一種だ。自分は警官であり、この男の断片的な過去を知ったからといってその職務に対する誠実さが失われることは有り得ないが、同情もするし、強力なパートナーでもあるので、正直複雑ではある。しかし、この男はそれほどなじみやすい奴ではないが、どこか優しい奴に思われたので、安堵している部分もある。
急にガラスの向こうが騒がしくなった。目を向けるとそこには医療班が到着し、その後ろにあの支援係の連中があらわれていた。スーツで身を固めた陰険な奴らだが、そのなかに一人若い女性がおりその娘は気に入っていた。
その娘とは同郷であり少ない後輩であったからだ。凛々しい彼女には、できればそんな仕事より表舞台が主な捜査部員に就いてほしい。そんなことを前に話したことがあったのだが「古風な女性保護主義なんですね」と真顔で言われ「先輩として当然の考えだろう」と真顔で返すと「後輩であるからこそ、私はこの重要な任務を志望したのです」とかヌかされた。格闘技を修めているものに特有の締まった体にきれいな唇がよく似合っていて、その唇が無表情に動いていたのを思い出す。まぁ、わかっていたことだが、同郷で後輩なのだ、当然の心配なのである。しかし個人の選択に必要以上に拘るのが無粋である事ぐらい、自分にも解かる。
連中がこっちへ入って来た。さあ、報告しなければ。
「現場確保、ほぼ終了しました。ほぼ完全に鎮圧、それと研究を行っていたとおもわれる連中ですが、9人が死亡、5人が意識不明の重態です」
「ああ聞いた。テンカワ、なぜ生かせなかった」
「地下へのエレベーターに仕掛けられた爆薬の無力化と、上の進入路に配置しようとしていた機銃陣地に手間取った」
「ほぉ・・・見逃したんじゃないのか?」
灰色になり、たいした量もない髪を後ろに流した目の鋭い男が一言付け足した。彼は係長だが、支援係の係長は課長クラスの発言力があり、なおかつ切れ者でしられている彼は凄みがある。ワザとだといいたいのだろう、そいつの一言。
その言葉を聞いてテンカワの雰囲気が一瞬かわる。顔の皮膚が引き締まるのを感じたが、すぐにそれは収まった。
「すまない、俺のミスだ。」
「まあいい、証拠を全て出してから消えろ」
そう言い放つのを聞くと、皆 各々のやるべき事へ散っていった。
「テンカワさん」
一歩出た通路でテンカワアキトに話し掛ける女性がいる。無駄のないうごきに、鋭い目じり、きれいな唇に淡い色のル−ジュを乗せている。美しい黒髪を後ろで結わえ、幾筋かを前に垂らしているその女性を十人が見れば十人とも美人というだろう。彼女は支援係の中で二番目に若く<テンカワ アキト>との連絡など彼に関することの一切を任されている。理由は、彼が女性に対して冷静であり、適度の優しさをもっているからである。その理由は当然知ってのことで、あの男は彼女を当てている。
「今回の協力費です・・・・。いつも完璧とはゆきません、失敗をどれだけ少なく抑えるかが重要です。」
「大事な証人を失った。」
彼女は、特徴のある静かでよく通る話し方。「あいつは言霊をもっている」とよく同僚に噂されている、そんな話し方。
それに対して、静かだが冷たい話し方。「気配がない」とリツは考えている。「死体のよう」とは、彼女の同郷で同じ大学を卒業している先輩の比喩。
それにしても係長の言い方はさすがに堪え切れないものがあったようで、自分達が不甲斐ないせいでこうなっているのにと思っていた。
「仕事を増やしてしまったな。皆、ずっと忙しいのに」
「テンカワさんもここ半年、まともに休んではいないでしょう。良く体を休めてください」
あなたのおかげでずいぶん楽になっているんですよ、と伝えようか迷っていると、
「体は丈夫な方だ、心配は要らない。仕事ができたらあまり遠慮せずいってくれ」
「遠慮したためしはありませんが」
「ああ」
リツは遠慮しているように感じていたのだろうかと考えた。自分の気持ちを知られたような気がしたが、ある企業の調査を元にした彼に関する報告書には、女性の心を極端に計れないことが実例をまじえて丁寧に書かれてあったのを思い出した。
そういえば、旧連合軍の報告書やクーデター後の指名手配の写真を見た時は、年下に見えるほどナイーブそうな男だとおもった。だが目の前にいるこの男の歳が自分と同じことがわかっていても本当に同い年なのかわからなくなる。表情や仕草ではなく、その隠れて見えない感情のためでもあり、おさめているはずの過去への想いのためでもあるのだろう。
今日の会話を考えても最近ではずいぶん気を許してもらっていることを感じている。以前に比べれば天と地ほどの差であるといってもいい。このことは任務でもあるのだが、やはりうれしかった。
「あの子達のことを頼む。」
ポーカーフェイスが信条の仕事ではあるが、考え事をしているときに不意に語られたこと、話された内容があいまって口元が歪んだのを感じた。
「大丈夫です。」
そう気を取り直して答えるのがやっとだった。テンカワ アキトは、「ああ・・・」 とつぶやくと腰にあった小太刀を外し歩き出した。
リツはアキトが通路を曲がるまで見送り、仕事に戻った。
1年と8ヶ月前、火星の後継者を名乗る旧木連派主導のクーデターが失敗に終わり、現在ではその残存勢力との戦闘・交渉や、「いざ鎌倉」的な潜在的危険性のある者達への監視が行われている。クーデター発生時から、木星圏と地球圏の経済格差が顕著になり、現在の木星圏では混乱が広がっている。その問題を解決すべき新地球連合では、足の引っ張り合いや裏切りとも思われるであろう活動が行われおり、連合総会は旧来の対立を再度取り戻し、二分する勢いにある。
そんな中で、先のクーデターの張本人で既に逮捕された草壁元中将への人気が高まったのは当然と言えた。彼の活動を都合よく曲解した人々が生まれ、残存勢力への参加・援助が行われている。これにより、組織の多様化による過激派の出現など、事態は一層深刻化している。旧木連サイドによる交渉も効果がなくなってきている。
この大元の原因を作ったのは、地球側の企業、クリムゾングループによる木星圏への進出である。クリムゾンは先のクーデターにおいて草壁と結託していたのだが、それが表へ出ると直ぐ<だまされ損をした>というようなキャンペーンを行い、解雇者の逮捕者を出しつつも責任を上手く乗り切った。一連の活動を通して、ボソンジャンプなど火星・木星にあったオーバーテクノロジーを利用した様々な技術やそれに付随する実験データを草壁側から獲得し、ライバル関係にある地球圏の企業、ネルガル重工を出し抜くことに成功した。しかし、クーデター後はクリムゾングループへの非難が桎梏となり、結果 減収に陥ると考えたクリムゾンは比較的風当たりの良い木星圏へ電撃的に進出した。これにより、時代文脈に適したシステムを持つクリムゾンの侵入によって、先のトカゲ戦争後、新地球連合が安定を保たせていた経済関係は一気に破綻したのだった。
この混乱のなか、クリムゾングループとつながりをもっていた国々は、その関係を問われ窮地に立たされることになるはずだったのだが、クリムゾン側の上手い立ち回りにより自分たちの危機を回避することが出来た。そして、総会に出席する次級国の中には、逆にこの社会危機に乗じて自国の権利を拡げようとする国々が現れた。
現在、縮小されつつある連合宇宙軍に所属している 機動戦艦ナデシコC。この艦はいわずと知れた最強艦であり、ネルガル重工の有名艦 初代ナデシコに始まるナデシコ型の最新鋭艦である。この艦の卓越したワンマンオペレーションシステムは、火星に展開していたクーデター部隊を一瞬にして掌握した問答無用の戦績を持つ。これを可能にしたのが、オモイカネと呼ばれるスーパーコンピューターとそれを操るIFS強化体質者である。この時代、人体における遺伝子操作は、地球において起こったある事件が元で禁止されており、それを利用したIFS強化は当然禁止の対象にあたる。
もともとはIFSに対応できる強化体質者の作成から、今の<遺伝子操作を行わないIFSの使用>に発展した。初期の強化体質者は成人後の遺伝子操作であった。この強化体質者の生成が可能になるとその後、ナノマシンの能力向上なども伴いIFSは二つの系統に分かれた。一方は先に述べた遺伝子操作を行わない、普通適格者への発展。もう一方はより強力な強化体質者の育成だった。IFSはネルガル重工の出資により発展してきたが、この強化体質者の育成は表立って行うわけにはいかず、孤児への英才教育などで偽装された。この計画は、火星において殖民がはじまったころに本格化し始め、その結論として受精卵における遺伝子操作が最も強力であり、安全であるとされた。
これによって誕生したのが宇宙軍に所属するホシノ ルリであり、マキビ ハリである。この計画によって失われた人命の数はようとして知れない。
クリムゾンと関係をもった次級国達が目をつけたのがIFS強化体質者である。これを自国の隷下に置けばその発言力、抑止力、現行の情報社会に対する影響力は倍加する。都合の良いことに、クリムゾンは地球における復権と拡大を目指すため、関係諸国の地位向上に手を貸した。そのために手元にある多くの試験データを秘密裏に提供しており、大々的な違法実験が行われ始めたのである。
これに対し、連合警察は新たなる摩擦の芽を摘むために、取締りをいっそう強化している。ネルガル重工はこれに協力し、所属するシークレットサービスに一翼を担わせているが、当然<IFS>を危険視される事で起きるだろう損失をカバーするためという企業としての計算も含まれており、ある不思議な会計士の云う「学ばない状況」が一進一退している。
連合警察が、本来ならば逮捕しなければならない筈のテンカワ アキトに協力を求めた背景は、ここにある。
テンカワアキトは、火星出身のA級ジャンパーである。A級ジャンパーとはC・C(チューリップ クリスタル)を媒介したボソンジャンプを利用し自由に空間を移動できる人物のことである。時間も移動できることが確認されているが、自由に行われた事例は無い。
A級ジャンパーは現在、人口的に作り出すことができない。火星のある一定期間に生まれた火星人達にしか発生しないA級のボソンジャンプナヴィゲイターは、火星の後継者達によりほとんどが拉致され死亡している。現在、火星はジャンパーの体質がどのように形成されるかを調査するために大部分が封鎖されている(封鎖は、ボソンジャンプを使用した反乱を恐れた統合平和維持軍の強行的な意見のためである)。 火星には生命環境を作り、その環境を維持するために多くのナノマシンが活動を続けている。そのナノマシンに秘密があるのは確かなように思われたが、現在の彼らにはA級ジャンパーを生み出す能力は確認されていない。調査の進展により、ネルガルによって行われたC・Cの発掘現場と過去に存在していたユートピアコロニーの位置が注目され、それと関係したナノマシンを介して人体は何らかの影響を受けた、と現段階では考えられている。
テンカワアキトが連合警察に協力しているのは、過去に犯した「罪の意識」だけではなく、自身も火星の後継者に拉致され実験体とされたためであり、妻であった御統ユリカ宇宙軍大佐もA級ジャンパーであったために拉致された経験をもつからだ。そして何より、IFS強化体質者のうち二人と関係がある。
彼は協力する代わりにいくつかの条件を提示している。自分の身元をけして明かさない事など様々だが、その中にはある少女についての条件があった。
名のない少女に、テンカワ ラピスという名前と自分の近親者であるという戸籍を与えること(これはラピスの要望)、地球に六つある連合大学への入学(ラピスには相応の実力があったのでこれを条件にする必要はなかった)を許可することなどがあった。また、彼女が非公認のIFS強化体質者であるため、当分の間は強化体質者であることを隠しておくように要求した。これは彼女を狙う者を減らすためであり、連合警察はこれ以上仕事が増えるのを嫌い即座に了承した。
彼は、件のホシノルリの養父であったり、ネルガルの上層部との関係が噂されたり、クリムゾングループのシャロン女史と知り合いである噂まで存在し、想定される人脈が異常である(妻だった女性の父は連合宇宙軍の現職の総司令、etc…)。そのため、彼は存在しない人物で裏の事情を隠すための隠れ蓑として多くの集団が共有している人物ではないか、と目されており、初代ナデシコのコック兼パイロットを上手く利用したもので、本当の人物はすでに火星の後継者によって殺害されているという考えが有力視されてきた。
が、彼は確かに生存しており、新たな人脈を着々と築きつつある。
草原の夕凪
地球、極東の日本にある小さいが活気のある学園都市 夷弓。この内陸の典型的な盆地に夕影が広がっていく。
<地球連合大学 日本校舎>、威勢のいい文字が校門に刻まれてあり、その近くには半壊した高射砲が身をひそめている。
連合大学は、世界に六つ設立され国籍に関係なくどの大学でも入学できる。しかしその門は狭く、連合傘下の組織を目指す各国の若者が挑戦する難関などというレベルでは考えられない場所である。一般人の大学受験資格保持者、軍人や公務に携わる者、民間企業就職者、最近では旧木連からと多種多様の人材が集まり、厳しい審査を受け、卒業し、連合傘下の組織に就役が決まった者は、当然エリート中のエリートとなり活躍していく。
当然多くの民族・宗教が入り混じり時にはいさかいの起こることもあるが、校則を尊重することが慣習として定着しており、大半が―――細分化と真因とその時代―――という学生生活標語の一つに行き着く。
厳しい制限があるのかといえばそうともいえず、かなり自由な校風である。だが、進級というものがないために大変厳しい単位取得状況の中に立たされる学生達は、その取得予定単位数と秩序の中で<どこまで連大生としてエンジョイできるか>を追求していく。単位が自分の就役志望に応じて取得できることも合わせて考えれば、学生達は十人十色の学生生活を送ることとなる。
校舎を歩いているひとりの少女がいる。髪の長いもの皆は、後ろでまとめ、制服に身を包んでいる。その少女も同じように黒髪を後ろでまとめている。彼女の地の髪は違う色なのだが、おしゃれではなく他に理由があって黒にしてある。
(頭髪のカラーにはもともと制約がない。これは当然のことで、多くの人種と個人差を考えれば制限など有効ではない。余談だが、このおかげで町の美容室や理容室でのヘアカラーに対するこだわりと腕前はえらく高いものになった。)
その少女は校舎内にある女性寮へと入っていく。全寮制ではないが、女性寮は校地内に、男性寮は郊外に存在する。各人に一室が与えられ、シャワー、トイレつき、食事は食堂において行い、集団浴場もある。多くの有名人が巣立っていった寮はそれぞれ人気が高く、毎年のように抽選が行われ大変な騒ぎとなる。そのためTV中継も珍しくはない。
7階建ての寮の4階にその少女の部屋はある。在室かどうかを知らせるために裏表で色の違う名札が掛けられあり、そこにはラピステンカワと書かれてある。ラピスは部屋に戻り窓をすこし開けると、ベッドにすこしの間横になった。それから支給されるジャージに着替えていると軽快なノックが響いたのでマイクを開く。
「はい」
≪ラピス、帰ってた? 夕食にいこう≫
「はい、すこし待ってください」
そういうと、背の低い小さな茶箪笥から箸箱をとりだし、ドアの外で待っていた年上の二人と食堂へ向かった。
球状で高い天井が広がり、角の丸い長方形のテーブルが散らばる食堂には、時間が時間だったのでたくさんの女子学生が食事をとっていた。
料理は、大学の学生食堂と同じコックが作っているのでかなり評判がいい。ここの食堂は夜間には勉強会が開け、憩いの場として重要な位置にある。
「遂に明日からだよ、進宙訓練」
と食事が始まると何時の間にか終わっているカーナがラピスに向かってキリッと切り出した。
「あー、私あれはとらないと思うなー、絶対」
そのカーナにお茶を注ぎながらマニが答える。ラピスが答えるよりも先に。
「あたし来年も絶対とるよ、選抜」
「なにが楽しいわけ? 軍人なんて死ぬだけよ。せっかく生き残ったんだから。」
「・・・・・・」
「いいじゃん、きっとためになる!」
「宇宙、好きですから」
と、ラピス
「そう!宇宙なのよ、宇宙!突き抜ける星間雲、そしてボソンジャンプ! わかんないかな」
「あーあー、正直に言いなさいよ。このあいだ講演にいらっしゃった葵大佐に熱上げちゃってさー、急に宇宙軍よりになっちゃて。わかりやすーい」
「あ、あんな、優男にほれるわけないじゃない・・・」
「カーナさん、アオイ大佐が好きなのぉ!?」
これは隣のテーブルから故意に張り上げた声。
これにより食堂中いっせいに話題が広まっていき花が咲いてゆく。嬌声が響く。
食事中騒いではいけないことになっているが、良き風習なのか守られたためしがない。それは寮長のほとんどが寮出身の退職者であること、本校からの視察者でさえこの寮の出身者であるため、寮出身の官僚の裏話などを提供し盛り上がることに歯止めがない。これに対し男子寮の方はというと、退役軍人の寮長がほとんどであるため規律を重んじ、寮長につけられるあだ名は仏か鬼か、といった具合である。新入生に対する酒による歓迎など硬派なのりが現在までハバを利かせている貴重な場になっている。
同じ校舎出身の先輩が話題に上るなり、あちらこちらから卒業時の番数や就役先、果ては女性関係の暴露までが始まり展開されていく。その中身のほとんどは事実であるため、本人のあずかり知らないところで彼らの学生生活の断片は生き続ける。
アオイ ジュン に関してはミスマルコウイチロウ大将の娘、ミスマルユリカに振り回されていたことや、初代ナデシコの副長に就任し、現在月の第一機動艦隊旗艦、コスモスの艦長であることなど次々に挙げられた。しかし大方の話題は、ミスマルユリカ大佐の活躍に向かっていき、次期参謀次長か、という噂に及んでいる。
遠くでカーナの怒鳴り声が聞こえる。どうやら食堂の端まで噂を正しに行っているようだ。マニはその方向を見ると、してやったりの顔を隣のテーブルの友達と向け合っている。ラピスはというとただ食事を続けているように見えるが、その耳は絶えずミスマルユリカについての情報を集めているため、食事のスピードが落ちている。そこへ
「ねぇ、ラピス」
何かたくらんだ表情で話し掛けるマニ。
この表情になったら無視しろ―――そうカーナがいっていたのを思い出したが、カーナ自身一度として逃れきったことは無く、ラピスもまたどう逃れればいいのか見当がつかなかった。ただ、覚悟する。
「やっぱりあの写真持っていくの?」
「・・・何の写真ですか?」
原則的に他人の部屋への侵入はご法度であるはずだ。しかしベッド脇にある、あの写真を意図することを察知し、疑問に思いつつ確認しようとする。
「あの男の人の写真だよ,寝顔の写った、あ・れ」
間違いないようだ。
「・・・・・・」
「どうするのかな〜」
「持って行きます」
ことが大げさにならないように慌てず受け答えよう、そう言い聞かせ返答を待つ、が予想に反した慎重な声で
「いい?女性が恋をして当然、恥ずかしいことなんてないの。ラピスにそういう人ができたのは、私も嬉しいの。あの、でもね、歳がね・・・違いすぎると、思うのよ。確かにかっこいいと思うけど、なんかさめてそうだし。変な人だったら一生もののケガになるんだからね。こういうことはカーナじゃなくてわたしに相談しなさいね。まずは・・・」
長々と忠告をはじめる気配なので、説明することにした。
「あの人は、兄です。お付き合いしている人ではなく家族の一人です」
「えっ お兄さん!? あのよく手紙がきている?」
「はい」
なぜ、手紙のことまで知られているのだろう。
思い当たるのはこのあいだラピスの部屋でカーナと勉強会を開いたことで、これを鑑みると密通者は確定された。
「あっ、そうなんだ、ハハハ・・・、そうだよねー、あんなかっこいい人 変態なんかじゃないよねぇ?」
心配しちゃって、とマニが照れているとカーナが顔を真っ赤にして帰ってきた。
「お帰りなさい、恋する女の子」
「・・・これ以上おかしなことを言わないでください」
押し殺した話し方、かなり怒っているようだ。隣のテーブルにいたはずの共犯者達は忽然と消えている。
機嫌を直すために話題を変えよう、そう考えラピスに向かい話し掛ける。
「ラピスもさ、コスモスに乗艦するんでしょう?」
(シマッタ、話題が変わっていない!) テーブルに突っ伏し充電していたカーナがゆうっくりと顔をあげその口を開こうとすると
「いいえ、宇宙軍戦艦ナデシコCに乗船です。今日変更の連絡が届き・・・」
「えっ ナデシコォ?」
(シメタ、カーナは切り替えが早い、逃げ切れる)
「そんな急に変わるのは珍しいね」
「あたしは聞いてないよ」
「はい、コスモスへの定員が急に多くなったせいだと」
「でも、今年の選抜人数、去年と同じくらいだった」
「そういうことって・・・・・・」
二人とも思考は速いのだ。戦闘母艦において20人や30人増えたからといってキャパシティがなくなるのはおかしい。おそらく、コスモスが急な活動に入るのだろう、そう考えた。クーデターの残党掃討戦のために任務についているナデシコcが実習生レベルの見習士官を乗せることは珍しい。しかし、ナデシコCは強力すぎるとみなされ、行動を制限されているという噂もある。最強艦のナデシコCに割り振られるということは、ナデシコCはそれほど危険な任務にはついてない・・・? そう考えると、緊張でがちがちになりながら有能な幹部を集めるために講演を行ったジュンの「是非、コスモスにおいでください」という台詞はスルリと消え去ったことになる。
しかし、ラピスには思い当たる節がある。たぶん乗員名簿を見て自分に気付いたのだろう。ネルガルを通じ<アキトとの関わりはもう無い>と伝わっていたはずだが、やはりまだ可能性を捨ててはいなかったのか。戸籍や住所その他もろもろは気付かれないよう、かなり巧妙に隠してあったはずだ。しかし、今回のコスモス乗艦の際には気付かれるでだろうとは予想していたが・・・・・・、まさか対<火星の後継者>の切り札である超重要機密----ナデシコC----に乗せる強行に出るとは。もしかしたら、単独ボソンジャンプに対応するために改装中の試験戦艦ナデシコB、このテストのために月に出向しているというミスマル大佐が関わっているのかもしれない。これまでに聞いたこの先輩の噂を考えるとこれくらいはやりかねない、そう感じた。
ナデシコ関連の話の後、ちょっとした騒ぎと、壮行会が開かれ、部屋に戻るともう22時だった。明日は横須賀からナデシコに乗る。早めに寝なければ。
ホシノ少佐やミスマル大佐に聞かれる内容は大体想像がつく。アキトのことだろう。
ラピス自身、ここ一年ほどは、二度しかあっておらず、アキトは会うたびに伸びた背のことや性格のことを喜んでいた、鋭く細めた目にはそういう感情が表されていたと思う。
次会えるのはいつになるだろうか。
ラピスからみて、アキトも変わったように思う。
ラピスは超難関の入学試験をパスした少女だが、天才と目される人物が入ってくるこの大学において、それほど目立つことは無く、快適な生活を送っている。ラピスは入寮前に比べ自分はずいぶん変わったと思っていた。そして知り合った人たちもまた自分に負けず劣らず変化している。それは特に寮生に対して顕著であるように思われた。例の二人
マニ・ハニ・ミディは、シンガポール出身の19歳で、飄々と達観しているタイプだった。それほど背は高くないがオリエンタルな目元に人気がある。
カーナ・ルヌミエルは、月生まれでニュージーランド育ちの17歳だが、初めて会ったときはもっと奥ゆかしい静かな性格だった。背が高く、線の細い体つきに渋いブラウンのショートヘアーが似合っている。薄いブルーの瞳。
友人たちはラピスを妹のように受け入れ、ラピスは友人達を頼れる先輩として受け入れた。よく連絡をくれる、ネルガル重工のイネス・フレサンジュ博士や兵器開発部長エリナ・キンジョウ・ウォンからのアドバイスがありがたかった。
アキトはこの寮のことをユリカやジュンに聞いていた。寮へラピスを入れることはすこし強引かと思われる選択だった。なぜなら、ラピスは幼少時から研究施設におかれ、火星の後継者に誘拐された過去を持つため、極度に対人関係の経験が無かったからだ。やはり最初のうちはかなり戸惑っていたのが、周りの変化が目に見える環境であったためなのか、いい方向にラピスを変えている。きっかけは世界政策論の授業で一緒になったマニと会話するようになってからで、彼女を通して一気に交友関係が広がっていき自然に人と人との関係を学んでいる。
ラピスは最近来た手紙の内容を思い出す。アキトによると、宇宙軍の解体が決定し大部分が統合平和維持軍へ組み入れられ、駆逐艦や特務艦、戦艦の一部とその搭載兵器が連合警察の所属になるのだという。
宇宙軍や統合軍は常設されているが、平時の兵数は普通編成(戦時の1/3)機動部隊が二方面分(宇宙軍と統合軍)と、参勤交代と呼ばれる各国(木星圏も含め)が協力して受け持つ火星・コロニーの防衛にあたる統合平和維持軍、それに月を拠点として持つ宇宙軍のパトロール部隊しか置かれない。木星圏の防衛は、旧木連側が一括して行っている(大半が無人システム)。有事の際は、各国にまえもって割り振られた兵力を動員し各方面軍へ配備する。この加える兵力数は3段階に分かれているので、軍事費を気にする国々によりその確定に圧力をかけられることが少なくない。
現在、火星の後継者 残存部隊の掃討と監視のために、二級配備を示す、<乙種連合兵力>となっている。しかしこの乙種が一年以上も続くのは例のないことで、先の大戦で疲弊している各国において頭の痛い状況となっている。
そこで、もともと縮小・解体が始まっていた宇宙軍の解体が早められることになったのである。
発令される段階によっても違うのだが、最大の甲種運用になると二つの常設軍が存在しているあいだの兵力数は、一つの常設軍の兵力数に比べ1.4倍となっている。甲種運用になるだけでも大変な事なのだ。そこに目をつけた政治家が言い出しっぺで、とんとん拍子でことが進んでいるようだ。これにより世界的な規模で軍縮が起こるのだろうが、前線では戦闘活動が頻発しているにもかかわらず、軍縮と先の見えない戦争が同時進行するという事態になってゆくのであろう。
ラピスは十四歳の少女の当然の疑問として自分の生き方について考える事が多くなり、自分中心の考え方に不安を感じていた。
これまでアキトが示してきたものを、自分で決定することがこれほど辛いものかと思い知った。自分が何をしたいのか 強化体質者ではない自分に何があるのか、強化体質者である自分の否定は不毛なのではないのか・・・・・・
今、自分が進級規定の無い大学にいることに感謝した。とりあえず、上限の6年間はここで暮らせる事が確定している。多くを考えようと思う。
そして自分と似た身の上であるホシノルリたちはどのような考えがあるのか、それを話してみたいと思う。
考え事をしている内にまぶたが重くなってきた。そういえば手紙には、何かあれば迷わず自分を呼ぶことや明日の約束などが書いてあった。
アキトは キット約束を 守ってくれるだろう。
正午近くにアキトは目覚めた。
起きてから、直ぐにシャワーを浴びる。
現在は再開発地区に指定された、倉庫が立ち並ぶ場所。戦前は物資集積地であったが、木連による地球への侵攻が本格化する前に放棄され、この場所は戦場と化した。
こんな場所はルリやアキトを欲している勢力にとってあまりに解かり易い場所だが、いかんせんこの場所は所有者が匿名希望の倉庫とコンテナなどが数多くあり、あまりに混沌としている。そしてそのスジの方でさえ実態を図りきれていない危険地域の一つとなってしまった。
海に一番近い場所にある倉庫がアキトのいる場所だ。屋根まで吹き抜けになった倉庫の壁をつたう階段を登り、内側へ張り出した二階部分にある三十畳ほどの仮事務所に住んでいる。室内はきれいに拭かれてある。シャワーもトイレもあり、冷たい床の上に簡易テントを広げ、そこを寝床としている。水場にある二口ガスコンロは火力が弱い。
海を見わせる窓辺には、細いせとものの花瓶に、何本かの白い花が挿されていて、まぶしく光を映している。
シャワーを終えると、バスタオルですこし短くした髪と体を拭き、黒いTシャツとハーフパンツに着替え、水場に備え付けてあった白い冷蔵庫からミネラルドリンクのボトルと幾種類かの錠剤を取り出し服用する。(薬は、極端に低下した視覚や触覚を補助しているナノマシンに作用し、そのナノマシンによる脳の補修を助ける。実際、アキトの視覚や触覚はほとんど復活している。しかし、味覚に関する補助脳を作り脳の修復を行うナノマシンの開発は遅れている。この先進的医療用ナノマシンの権利のほとんどをネルガルが握っている理由はIFSのノウハウのおかげ。)
留守電をチェックする。
―――どうやら急を要する海賊関係の仕事は入っていないようだ。起きて直ぐにも確認したのだが、不安なのだ。
柔軟運動をしつつ窓際のサンドバックに向かうと、一瞬で間合いをつめ当て身を放つ。パァンッ、と部屋の空気を鋭く震わせた。
一呼吸入れ、部屋の中央に進み一礼する。流れるような動きで正拳、手刀、裏拳、回し蹴りを繰り出し足捌きと体の感覚を確かめていく。
十分ほど動き続けると静かに呼吸を整え、気配を周りの空間に同調していく。心音を聞く。
アラーム音。
左腕から外していたコミュニケが鳴った。ラピスとの約束の時間が近いことを知らせている。
タオルをぬらして体を拭き、白のYシャツとライトグレーのスーツを着た。スチール製の事務用机からリボルバーと一回りちいさいオートマチックを取り出し、弾倉とセイフティを確認する。
すこし迷って黒ぶちのメガネを掛け、部屋を出ようとすると、今度は電話が鳴った。
横須賀にある海上自衛隊の基地に停泊したナデシコCは、いま出航しようとしている。
一週間ほどの休みが与えられた乗組員達は活発に出航確認を行っている。
艦長のホシノルリ少佐や、副長の高杉大尉はこの休みの間、総司令部での会議に連日出席し火星の後継者への対処、増加する海賊行為、宇宙軍の解体について、などの確認を行った。やっと解放されナデシコに戻ると、直ぐに月・火星・木星・四つのコロニーを周る警戒任務につく。
男性乗組員の多くが明るい顔をしているのは、今回連合大学の実習学生を5人受け入れ、5人とも女性であったためだ。
その中にカーナ・ルヌミエルとラピス・テンカワの名がある。
二人部屋の乗組員室では、カーナの複雑な表情が忙しい。
「ふー、あたしまでナデシコかぁ・・・・・・」
と何度目かのため息をつく。そう、カーナもナデシコCに割り振られ念願のコスモス乗艦とはならなかった。その原因となってしまったかもしれないラピスはルリたちのこの所業を恨めしく思っている。
自分に置き換えればアキトと会えなくなる様なものだろう。それだけにカーナの気持ちは理解できた。
そしてもし自分がルリたちなら、消えた男の手がかりを追い当然喰らいつくだろう。やりきれない想いのためラピスまでため息をつく。
突然カーナが格納庫へ行ってみようと言う。ラピスまで浮かない顔をしているのは自分の表情を気にしてのものだろうと思ったからだ。
途中で、同じ実習生のマキ・アサイを誘う。同部屋のユミカ・オサベは落ち着きたいという理由で断った。彼女は日本の防衛大学校を卒業し、4年間黙々と自衛隊に勤めた後、連大に入学した人で今回の実習生の中で最年長者である。今回唯一の一人部屋となったケリス・シラギは既に部屋にはいなかった。
格納庫では一台のアルストロメリアが点検を受けているところだった。
三人で上のキャットウォークからその様子を眺めていると一人の整備員から声がかかる。
「実習生かい? どうだい、降りてきてみたら」
「はい! ありがとうございます!」
とカーナが嬉しそうに応え走っていく。すこし離れたその後ろを走りながら、確かに切り替えが早くなった、とラピスは思う。
下に降りると、カーナを取り囲んで小さな輪ができていてにぎやかに自己紹介が始まっていた。こちらを振り返るカーナの顔に笑みがある。それをみるとすこし、安心した。近づきお辞儀をする。敬礼よりもいいと思ったからだ。
「ラピス・テンカワです。3週間お世話になります。」
オー、と歓声が起こる。輪の端の方から、お幾つですかーといった質問が飛んでくる。
すかさずその非礼に対し突っ込みが行われ、冗談ではなさそうな悲鳴が聞こえてきた。
それでも、ラピスが声を張り上げその方向へ答えようか迷っていると、前列にいる先ほど声を掛けてきた整備員が驚いた顔をして質問してくる。
「てんかわ? テンカワって苗字なんですか?」
「はい」
めずらしいなぁ、といって同じような顔をした2,3人と顔を合わせている。多分、初代ナデシコにも乗艦していたのだろう。
テンカワという姓に敏感に反応してくる。
全員の前にウインドウが開き時刻が表示された。幼そうな男性の声で
≪出港準備が整いました、総員、配置についてください。実習生の皆さんは第一作戦室に集合です≫
と全艦放送が流れる。整備員達はすぐに、またねーといって皆散っていき、カーナたちも指定された場所に向かい、急いだ。
作戦室には他の二人がすでに集合していた。その前にはこちらの方を見てニコニコしている金髪ロンゲがいる。
指定されてある席へ着席すると自己紹介が始まった。
「全員集合したようだね。俺は高杉サブロウタ、本艦の副長をしている。エー、ナデシコは知っての通り、ワンマンオペレーションで活動してるんで士官が少ない。でも何か不都合が起こったらすぐに俺に言ってくれ。」
と皆を見渡しながら、嬉しそうに説明している。そこにユミカが質問する。
「副長が出航直前にここにいてもよろしいのですか?」
「それはナデシコには優秀な乗組員が多いから心配無用だぜ、ユミカ君」
ファーストネームで呼ばれても、ユミカは表情を崩さない。カーナやケリスならあからさまに嫌な表情をしただろう。
≪サブロウタさんどこ行ってるんでか!すぐブリッジに入ってください!≫
ウインドウが開き、大音量で怒鳴る少年の姿が踊り出る。
「・・・うるっせーなー ハーリー、お前も自己紹介しろよ」
サブロウタの一言で、実習生の前に飛び出したことを知ったハーリーは慌てて話し出す。
≪あっぼっぼく、いえ私はナデシコC、副長補佐マキビハリです。突然失礼しました!よろしくお願いします≫
ハーリーは耳を抑えた6人を前にしてウインドウの向こうで頭を下げているが、あまりの大声に、ユミカでさえ頭を抱えている。
「このうるせーのがナデシコの副長補佐です。彼は艦長のホシノルリ少佐にぞっこんであり、皆さんにはあまり興味が無く失礼が続くと思いますが・・・」
≪ちょっ、何いってるんですか! もとはといえばサブロウタさんが・・・≫
ハーリーは顔を真っ赤にして抗議している。それを見ているカーナやマキ、ケリスは笑い、ユミカは冷めた表情をしている。ラピスは・・・・・二人を眺めている。
「それじゃぁ、ここでブリッジの模様が観覧できるので、何か質問があったらコミュニケで俺か艦長を呼び出してください、気軽に」
そういってサブロウタは作戦室からでていった。入れ違いにウインドウが開く。そこには、艦長服で身を包み優しい表情をした女性がいた。
≪はじめまして、当艦の艦長ホシノルリです。先ほどはハーリー君が失礼しました。これから当艦は月に寄った後に火星に向け出航します。これから三週間、忙しい日々が続きますのでがんばってください。それではまた≫
最後に頭を下げたので皆頭を下げた。ラピスには最初と最後の一言が意地悪く聞こえた。
ナデシコが出航する。
春の静かな海へするする進んでいく。
水煙を上げながらおもむろに空中へ浮上すると、仰角をかけ始めた。
アキトはドッグから離れたとある堤防で、艦船愛好者達のむける望遠レンズと共に一連の進宙を見つめ、
空へ向かって消えたナデシコへ懐かしい敬礼をかざした。
----------------------作者があとがき------------------------
初めて書いたものなんですが、貧乏性を発揮して無駄に長いですね。
脚本を行う人のすごさを感じます。
もしよろしければ感想をいただきたいです。
私の名は考えていません。取り敢えずはhyu−nで。
一部Sazankaという名前で通っていますが。
☆修正しています。01の九月下旬の筈です。
内容、文章共にほとんど変わっていません。
ご報告まで。
His pride was as deep as his sorrow
先に言えってか・・・・・・。
See the moon is going to split in two
管理人の感想
hyu−nさんからの初投稿です!!
綺麗にまとまった文を書かれますね〜
アキトがお抱えの情報屋、そしてラピスは学生ですか。
う〜ん、前向きに生きているラピスがいいですね。
それにユリカも元気そうですし。
次はラピスVSルリですか(ニヤリ)
さてさて、この先はどうなりますか?
凄く楽しみにして待ってます!!
では、hyu-nさん!! 投稿有難うございました!!
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