虚空の夷
視界へ入ってきたのは、暗い紫色の空とそこに広がるオーロラで
耳に感じる感触や鼻腔を通して香るのは、懐かしい草の匂いで
顔を傾けると、鋭角な葉の先が目の前で風に揺れ、空の色を映して白い斑が眩しかった。
軽い体を起こすと、ずっと先まで丘々のうねりが連なり、所々でさざなみのように草が震えている。
腰に巻かれた一本の白い腕に目をとめ、辿れば、紫にかげる白い布に包まった蒼白い女の横顔見て取れ
「いっしょになったんだ」
そう思い出していると、風に女の髪が浮かび上がり、横顔は幼いころの輪郭か昨日の輪郭かおぼつかなくなる。
確かなことは、たまらなく恋しいものでなければならないことで
右手を近づけ、その横顔を触れようと、露に濡れた髪を撫でようと、手を近づけ
あることに気付いた。
優しく、額から彼女の鼻頂までをなぞり、頬の柔らかさを感じ、顎の裏側を知りたいのだが
自分の細った手では届かない。
だから戸惑い、見比べてみる。どうしても彼女の輪郭がおぼつかない。
疲れて、オレンジに染まった接線を見遣ると、ふと何かが目に入ってきた。
違和感の先には、小さな丘の足元に何か揺れていた。
立ち上がりその場を離れようとすると、雨が降り出し、体をつたう水滴に熱を奪われるが
瞳はそれを捉えて離さないから、仕方なく赴くままに身を任せる。
そこにはすらりとした花が、更に濃い紫の影の中に咲いていて
とにかく、降りしきる雪から護りたくて、
自身の体で囲いました。
薄青い天井がぼんやり見える。大して明るくもないのに頭の裏に響くような刺激が響いている。
どうやら硬いベッドの上に横になっているようだ。眩しさに涙が流れていく。目を開き続けてはいられないので再び閉じた。
なにか、空気の動く気配がした。
「テンカワさん・・・!
気がついたんですね」
「う・・・」
うめく事で返事をするが、一体誰なのかわからない。
水の揺れる音がする。この優しい声の持ち主を思い出そうとするのだが、やはりなかなか見当たらない。微かに軋む音がした。
「今、先生に連絡を入れますね。別の病院にいるので、モニターしてもらっていますから」
普段よりも押さえられた声に聞き覚えがあった。
「ナツノさん?」
「はい? どうしました?」
傍にいる女性がナツノ・リツである事に気付いた途端に、体が沈み込むような安堵感が広がった。
また捕らえられたのではないか、という疑いに怯えていたからだ。
(トラエラレル?)
また捕らえられる。
(一体誰が?)
その引っ掛かりを探っているうちに、徐々に記憶が戻ってきてしまった。
(まだ生きてるのか、あれだけやったのに)
ぼんやり驚いていると、何か脱力した嬉しさを感じていた。
「ナツノさん。俺のせいで誰かに狙われなかったか?」
声が澄んでいることにリツは驚いた。
アキトの方は、その声が一体どれほどの大きさになっているのかが分からなかった。
「・・・いいえ。何も」
別に責任を感じさせて気を煩わせる必要は無いだろう。リツは、今はただ休んでいて欲しかった。
「そう。俺寝てたのか」
「運ばれてから三日目になります」
「三日・・・、捕まってるのか・・・」
「テンカワさんの依頼した情報がネルガルの方を経由して私に届きました。それを内調に渡したら、係長以下二名が捜査情報の漏洩で逮捕され、支援係はその活動を無期限の停止となってしまいましたね。それと、月においてクーデターが起こり大規模な市街戦で麻痺状態です。連合警察は貴方どころではないことになっていますから」
(始めたのか)
目を閉じたままのアキトは、口元に微笑を浮かべる。
リツは、目覚めてからのその穏やかな雰囲気に驚いた。予想外の空気に梳かされたような気分になり、言おうと思って用意していた言葉や行動が飛んでしまう。
「すいません。こんなことになってしまって・・・」
「ここ、ネルガル・シークレットサービス御用たしの療養所なんじゃないか?
森の音がする。ナツノさん、こんな所にいても平気なのか?」
「本当は<別命あるまで自宅にて待機>なんですが・・・。もう、疲れました」
正直な気持だった。
「大丈夫」
「・・・はい」
今にも眠ってしまいそうなほど静かだったが、崩れて沈んだ心には鮮やかだった。
それから20分ほど会話を続けて、それから、何となく立ち上がった。
「わたし、本部に戻ります」
「気をつけて。手伝える事があったら連絡してくれ」
「ふふっ、寝ててくださいね、大人しく。ではまた来ます」
「また泣かせたわね?」
「エリナ?」
「昨日の夜からずっと傍にいてくれたのよ?
感謝しなきゃ」
リツは活躍していた。
運び込まれてからというもの、心配でいてもたってもいられなくなったゴート・ホーリの落ち着きのなさといったら目も当てられないほどで、日に何度か訪れ、一睡もしていなかった事も重なって遂に心配が極まってしまい<ゲキガンガー3の挿入歌>なるものを臥せっているアキトに聞かせようとスピーカーにつなげたのだが、最初の1バースで御用となった。その時、後頭部へキックを叩き込んで御縄にしたのがリツらしい。ゴートはこの場を後にし、現在は任務へ戻っている。
(死んだ山田何とかさんの夢でも見せる気なのかしら、あの男)
エリナは彼女とアキトの関係を知りたかったのだがそんなことを聞く事の出来る雰囲気ではなかった。逆に、今回の倍以上酷い状態を目の当たりにしたことがあったので、その前後に憶えた医学用語などを駆使してリツを励ましてしまい、微妙だった。
目覚めた時に声を掛ける役は自分がやりたかったのだが今更しゃしゃり出るのもどうかと思い、譲った。
「俺、また視覚をおかしくしたのかな。光は感じるんだけど」
アキトの声を聞いたことが無いほど落ち着いているのに気付いた。それにしても、この鈍感は人の気を知らない。
「違うわよ、安心して。一時的なものだから、ゆっくり慣らしていけばいいの」
「つッ・・・、」
直ぐに目を開いたアキトが眩しそうにする。
「ゆっくりって言ってるのに・・・。診断結果・・・、うん、まあ大丈夫だって。二つも穴開けられちゃって死ぬとこだったのよ。心配かけないっていう約束、どこいったのよ」
涙目のアキトを眺めながら独り言のように呟いた苦情。
到底責める気にはなれず、こちらの口調がなだめる様な形になってしまう。
「イネスさんとか、ラピスは?」
「心配ないわ。A級ジャンパーも妖精も無事よ」
そう話すと、エリナはアルミラックの上に置かれている水差しから硝子のコップに水を注ぎ、自分で飲む。
「・・・・両肩がおかしい」
「は・ず・れ・て、腱を痛めたのよ。あんな弾を拳銃で撃ったら、誰でもそうなるわ」
水差しの隣に置かれたリボルバーに目を向ける。そこには鈍い色の頑強な体を横たえていた。
「あれしかなかった。それに、効いた筈だ。北上さんには」
「・・・北上って・・・あの北上?」
「捕らえてないのか?
膝を打ち抜いた憶えがある」
「いいえ。いたらしいけど・・・、まさか膝を撃たれて逃げたっていうの?
信じられないわね、そんなこと」
「じゃあ、当たってないんだろッ・・・!」
「あっ、こら寝てなさい!」
「エリナ、点滴の針抜いてくれ」
「えっ・・・、やーよ。そんなの」
「じゃあ、自分でやる」
「眼も肩もダメなんでしょ。大体、当分安静にしてなきゃいけないんだから・・・」
「・・・・・・。」
アキトがはっきりしない視線でこちらを見つめた。ちょっとの沈黙におされてしまい、引き受けるしかない気分になる。
「わかったわよ、やればいいんでしょ。なに泣いてるのよッ」
エリナはベッドを挟んでアキトの右腕に手を伸ばそうとしたが、当然不安になって反対側へ回ることにする。
アキトの腕を取ると、針によって浮き上がった皮膚と血管が嫌でも目に入ってくる。
「う・・・、肘、ちゃんと伸ばして。こういう時グーに握るんだっけ。・・・握らないわよね」
医学用語は知っていても実際に何かをした事など当然ない。
目を閉じて、大人しく肘を伸ばすアキト。
「素早くたのむ」
「う」
取り敢えず、青いローラーを動かして点滴の流れを止める。空気が血中に入っていいのはどれ位だったか、とか妙な記憶が頭の中を回っていた。
「看護婦呼んだほうが良くないかしら、やっぱり。でも簡単って言えば簡単よね。ガーゼと消毒液が確か・・・、あった。一応、ね。・・・・・い、いくわよ」
「ッ!!
・・・そんな、ゆっくり抜くなって・・・(悶絶)」
せわしなく右膝を立てたり寝かせたりと抗議してくるアキト。
エリナはとっさに両手を放して無実を訴えるが、実際にはどうしたらいいのか解からないだけで、思考が縮こまっている。
しかしそうもしてられないので、臆病になりかけた気持に怒鳴りつける事で対抗する。
「わかったから!!
人に頼んどいて文句言わないの!!」
半分抜けかかったものがぷらぷらとしていて今にも抜けそうだったが、そのまま抜けるのは血管に負担が大きいような気がした。こわばった手で針先を意識しながら角度を保ってみる。怖いほど可動範囲が広かったが、もう一度触れてみると意外にもすんなり出来そうな気がしてきた。
「もうっ 男の子でしょ!
さっさといくわよ。 ・・・イチ、ニイのぉッ・・・!」
「「 ふう・・・ 」」
「? エリナ? どうした」
動きの無くなってしまったエリナへアキトが声をかける。
エリナは抜いた針を目の前へ持ってきて眺めると、フッと気が遠くなるような感覚を覚えていたのだがアキトの問い掛けによって我に帰る事が出来た。が、やっぱり力が抜けてベッドに手を付いて体を支え、自分を落ち着かせる。
「大丈夫か?」
「・・・ええ」
「・・・、なあ、その格好、何だ?」
「え? あ、これ?
月でクーデターが起きてね、その時ちょうど工場に入ってて、そのまま脱出よ。服は見えるのね」
「ああ、ツナギなのか」
「何だと思ったの?」
「白いから看護服に見えた」
アキトは看護服とか実験用の白衣が気に食わないことをエリナは忘れていた。
「ふーん。そういうのが好きなら着てみてもいいわよ?
丁度いいから借りてこようかしら」
冷静な声と真顔を向け
「患者、死ぬぞ」
と、アキト。
実際に着る気など無く、ちょっとしたサービスのつもり言った台詞を真剣な皮肉で答えられると
(冗談がわからないのかしら、こいつ)
と頭にきてしまう。
アキトが本気になってしまった理由を考えていなかった。
「!!」
軽い感情にまかせてアキトの肩に触れていた。
「あら、ごめんなさい?」
「〜〜〜〜〜〜」
「あ・・・、ほんとに、痛かった?
ごめんなさい・・・」
痛そうな沈黙に、いつの間にかはしゃいでいた自分が嫌になってしまう。
アキトはこれ位のこと許してくれるだろうが、後から後悔するだろうことをしてしまっていた。
一つ気がついたことがあった。ナデシコに乗っていた時も、アキトをネルガルが匿っていた頃もこんな感じでは絶対なかったはずで、お互いこんなふうに接するのは初めてなのかもしれなくて、驚いていた。アキトが穏やかなせいなのかもしれないが、他の別のことが強く脳裏に現われる。
(私もアキトも、随分変わったのかもしれない)そう思う。
そして、確実にまた、アキトはどこかへ行こうとしている。
何か、気丈振舞っていた何かがはずれた。
「ごめん」
「・・・いいけど」
「ごめん。良かった、生きててくれて」
アキトは突然に悲しそうな声を掛けられた為、今になって自分が危険な状態だったことに実感が湧いた。
振り回してばかりだった。
だから、着替えもせずに自分を看に来てくれた事へ感謝しようと思う。
「傍にいてくれたんだろ?
エリナも。ありがとう。」
眩しいふりをして目を閉じて、そっぽを向いて話した。言ってみたものの、予想通り気恥ずかしかった。
不意に暖かさに包まれる。
「・・・いいの。言ったでしょ、私は気長に待つって」
首筋に当てられた額やそっとまわされた腕のせいなのか、それとも聞こえてくる嗚咽のせいなのか、どこかが痛みを訴えていた。
誰かの涙を感じて目を開くと、妙に冴え始めた瞳が鬱陶しかった。
----------あとがき---------
初の前・後編。初のアキト戦闘シーン(詰め込みすぎた)。
最初の辺りにある夢で、
アキトの隣に寝ていた女性は誰を想像されたでしょうか?
ユリカ、ルリ、ラピスに絞られるのでしょうが、
大半はユリカで、
ごく少数がルリなんでしょうか?
気になります。
前回に続き、負けパターンにはまっています。
あー『ボクと魔王』をやる暇がねー(笑)。
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代理人の感想
言われてみればアキトの戦闘シーンは初めてでしたっけ(^^;
いつドンパチ始まってもおかしくない状態だったのにねぇ。
に、しても・・・なんか、あっちもこっちもゴートが壊れ掛けてるな(笑)。
エリナさんやリツも妙に可愛いし、前半のシリアスに比べて後半はほのぼのしてるというか(^^;
夢の女性の事ですが、私はやはりユリカですね。
と、ゆーか他にいないでしょう。