ブラックサレナ
〜 テンカワアキト……………
その生涯 〜
第五話 EVIL
翌朝、リョーコはやりきれない気分で目覚めた。
ベッドから起き上がり、ノースリーブのシャツとトランクスのまま洗面所で鏡を覗くと生気が薄れたような顔をしていた。
「最悪だな」
リョーコは顔を荒っぽく洗い、歯を磨いた。
歯ブラシを強く擦らせたためか、歯ブラシの先で頬の内側を突いてしまった。
「あふっ!」
涙目になりながらも、洗顔を済ませると朝食の準備をする。
リョーコはご飯派であるため朝食は白飯で通している。
ご飯とみそ汁、漬け物、卵焼きそして納豆を胃の中に納めるとさらに茶を一杯流し込んだ。
お腹が落ち着くと、シャツを脱ぎ捨て制服に着替える。
リョーコは化粧はしない方なので、着替えが終わると部屋を出て捜査室へと向かった。
「おはようっす」
「おはよう」
「う〜〜っす」
先に出勤していたヒカルとサブロウタが挨拶を返した。
二人は既に事務処理の最中であった。
リョーコは自分の席に着くと、上半身を机に突っ伏す。
「はあぁぁぁぁぁぁ……」
そう深いため息をついた。
「何じゃ、スバル。 朝っぱらから辛気くさいため息をつきおって」
フクベが捜査室に入ってきて、帽子を帽子掛けに掛けながらリョーコに話しかけた。
その姿を見てサブロウタとヒカルが”おはようございます”と声を揃える。
リョーコも敬礼しつつ、同様に挨拶をした。
「おはようさん」
言ってからフクベは席に着くと、机上の書類に目を通し何やら書き込んでいく。
そこにヤマダが入室してきた。
「まったく、ピリピリしやがって!」
ヤマダは自分専用のカップを取りだし、コーヒーをいれる。
そしてブラックのまま一口飲んだ。
「どうしたんだ?」
リョーコが伏したままヤマダに尋ねた。
「どうもこうもないぜ。 キノコ頭がやたらキャンキャン吠えてやがるのさ」
「なんだそりゃ?」
足掛かりとなるはずであった犯人の死亡、これは分署内にもショックを与えた。
分署長以下ムネタケも含めて事後処理に追われているはずである。
そして特に公式発表の是非について話し合われていた。
だが遅々として進んでいない様子でもあった。
「発表するしかないんだけどね」
「まっ、すぐには発表しないだろうな」
ヒカルに対してサブロウタがそれを否定する。
「どうして?」
「発表するしないと言うより、誰が責任を取るかでもめてんだろう」
「ご名答」
サブロウタの推測にヤマダが賛辞の言葉を掛ける。
国際警察はその特権と同様にその責任も大きなものがある。
過失に対する処罰もそれ相応に厳しい。
当然、誰も好んでその罰を受けようとはしない。
それぞれがその擦り付け合いをしているにすぎないのが現状であった。
「んなことしてても、何も始まらねえのにな」
「じゃったら、動かんか」
リョーコがそう呟くと、フクベが直ぐに言い放った。
思わずリョーコはフクベを見る。
「そう思うのなら、お前さん自ら動かんかと言っておるのじゃ」
「しかし……」
「しかし、捜査続行の指示は出ていませんよ」
リョーコが何かを言う前にサブロウタが先にフクベに答えた。
「中止の命令も出ておらんぞ」
「それは……そうですが」
サブロウタは口をつぐむ。
「ボヤボヤしとると身動きがとれんようになるぞ。 そして何より……」
その場の全員がフクベの言葉の続きを待つ。
「これ以上、更に被害者を増やしたいのか?」
フクベの言葉と同時に、リョーコは勢いよく立ち上がると捜査室を飛び出していった。
「おい、スバル待て! 俺も行くぞ!」
ヤマダも飲みかけのカップを置くとリョーコを追いかけ、部屋を飛び出した。
サブロウタとヒカルも立ち上がると、足早に部屋を出ようとする。
「タカスギ。 この際、縄張りなど気にするな。 少年達の保護を最優先にしろ。 責任はわしが持つ」
サブロウタはフクベに敬礼しつつ退出する。
「部長、カッコイイ!」
続いてヒカルはウインクしがらその後を追った。
フクベは戸棚の所まで行き、急須に葉を入れお湯を注いだ。
そして愛用の湯飲み茶碗を茶で満たしていく。
茶の香りが鼻をくすぐった。
「何かを成すのはお前さん達、若者のやることじゃよ。 老兵は支えてやることが精一杯じゃからの」
フクベは茶の表面に映る自分の顔を眺める。
「ふん、我ながら少し年寄り臭いかの」
言いながら入れたての熱い茶を喉に流し込んだ。
それ以後、リョーコ達は目撃証言のあった場所を再度聞き込みに回った。
現場百回の理念はこの時代にも生きている。
新たな証言を求めもしたが、やはり警察相手となると口をつぐむ者も多かった。
そればかりか所轄の警察からも良い顔はされない。
遅々として捜査が進まなかった。
そして数日が過ぎた。
「おかえり〜〜」
捜査室の扉を開けて、リョーコが戻ってきた。
室内にはヒカルだけが残っている。
「どうだった?」
「駄目だ」
リョーコは席に座り、腕組みをしながらヒカルに答える。
「そっか」
「ヤマダやサブは?」
「ん? ああ、まだ捜査を続けてるみたいだよ」
ヒカルはリョーコに茶を入れた湯飲み茶碗を差し出した。
「サンキュー。 そういや、部長は?」
「呼び出しくらってるよ」
「何で?」
「リョーコが原因でしょ」
リョーコは茶を飲みながら頭の中で原因を考える。
しかし思いつくことが有りすぎてどれのことか分からない。
「リョーコ、所轄の刑事を殴ったでしょ」
「あっ」
「それで抗議が来てるんだよ。 そのお叱りを受けに行ったの」
「まじいな」
リョーコは渋い顔になる。
要はリョーコが聞き込み中にもめ事が起こり、止めに来た所轄の刑事と出会し、その時に散々嫌味を言い放たれたのだ。
既に犯人の毒殺は発表済みであったため、更に輪を掛けて言われたためリョーコも我慢できなかったのだ。
だが理由はどうあれ、暴行を行ったのはリョーコであり非はこちらにある。
抗議はもっともな話であった。
フクベに早速迷惑を掛けたことに、さすがにリョーコも表情が曇る。
「部長が戻ってきたら、ちゃんと謝るんだよ」
「ああ」
ヒカルに注意されてるとそこにフクベが戻ってきた。
フクベは黙ってリョーコを一瞥するとそのまま席に着いた。
リョーコに対しては一言も発しない。
「ほら、リョーコ」
「あ……あぁ」
リョーコはフクベの前まで行くと思いっきり頭を下げた。
緑色の髪が風圧で激しく揺れる。
「部長、ご迷惑をお掛けして申し訳有りませんでした!」
頭を下げ、腰を曲げたままでいるリョーコにフクベは何も言わない。
「(あっちゃ〜〜、どうするかな?)」
リョーコは恐る恐る顔を上げるが、フクベはそっぽを向いたままでリョーコを見ていなかった。
それほどに怒り心頭なのかとリョーコは困惑している。
しかし、今はただ謝罪するしかないと考えリョーコは再び頭を下げた。
それでも何も言われないので、リョーコは再び顔を上げると、フクベは笑っていた。
「ぶっ、部長?」
フクベはたった今気付いたように、リョーコに眼を向けた。
「何か言ったか?」
「はっ?」
「あぁ、ちょっと待て」
そう言うとフクベは両耳の穴からイヤホンを取り出す。
それは小型のラジオになっており、そこからは落語が聞こえてきた。
「古い手だが、小言を聞かされる時はこれが一番効くんじゃよ」
どうやらフクベは呼び出されると、耳に装着して出頭したようだ。
「しかし、今回はお前さんが悪い。 次はこうはいかんぞ」
「はい」
「で? どうじゃった?」
「それが……」
「手掛かり無しか」
「すみません」
フクベは両腕を組みながら眼を閉じる。
数秒の時が流れた。
「まずいの」
「……部長?」
太く垂れ下がった白い眉の奥で開かれた眼が厳しい目つきをしている。
フクベは立ち上がり、背後の窓ガラスから外を見る。
サセボの山々と海が眼に映った。
「スバル、とにかくわしらに出来るのは捜査することだけじゃ」
「はい」
リョーコが再び出かけようとすると、そこにコミュニケの通信がもたらされた。
アキトは最後に誘拐された少年の消えたと思われる場所を歩いていた。
その少年こそがアキトがアカツキから依頼された少年だったからである。
最後の目撃証言はサセボシティ郊外の公園であった。
ここからの帰宅途中でその足取りは消えていたのである。
その道をゆっくりと歩いている。
ルリは程近いところに着陸させた漆黒の専用機サレナの中でネット上の情報を集めている。
「ここで誘拐されたのか。 しかし現場捜査は既に警察がやっているだろうし、遺留品を見落とすほど馬鹿でもあるまい」
人通りの少ない道の真ん中でアキトは空を見上げる。
青い空が広がっている。
バイザーが無ければ眼に眩しいほどの晴天であった。
「まいったな。 手詰まりだ」
そもそもアキトとしても調べようが無いのである。
結局は聞き込みのみがアキトに出来ることであった。
アキトは暫く歩いていくと、この辺りの住人なのであろうか主婦と思われる女性が三人ほど立ち話をしていた。
井戸端会議であろう一団の横を通り過ぎる。
「そうそう恐いわよね」
「ほんと、誘拐だけじゃなくて事故でしょ」
「物騒よね」
「それもひき逃げらしいわよ」
「嫌ねえ」
アキトはその主婦達の話題に何故か興味が引かれた。
「すみません。 そのお話、詳しく聞かせていただけませんか?」
「えっ?」
その主婦達は訝しげな顔をする。
いきなり黒ずくめの男に話しかけられればそれも無理はなかった。
「私、ルポライターをしておりまして、今回の誘拐事件を調べているんですよ。 出来ましたらお話を伺わせて下さい」
アキトがいつも使う手である。
ネルガルのSSと名乗ると、相手に無用の警戒を起こさせるので自分の身分を言う時はそのようにしていた。
ルポライターと名乗る方がその手のTVドラマ等で聞き慣れているせいか、それほど警戒されない。
むしろ面白がって話す人間もいるくらいであった。
この主婦達もその部類の人間のようで、ドラマみたいとあれこれとアキトに教えてくれた。
ひき逃げされたのは、この近くに住んでいるホームレスで、どうやら即死だったようだ。
そしてそのひき逃げされた日が、丁度少年が誘拐された日と同じ日時らしい。
アキトはそれを聞くと、礼を述べてその場を走り去った。
ルリにその旨を連絡して、そのままサレナで待機するように指示した。
そして近辺のホームレスの寝泊まりしそうな所を探し、事情を話して当事者と知り合いがいないか聞き込みをする。
「そう、ありがとう。 これで何か食べてくれ」
アキトはチップを渡し、別の場所へ移動しようとする。
「おい。 アキトじゃないか。 何してるんだ?」
呼ばれた方向を向くとそこにはヤマダとサブロウタが立っていた。
「そっちこそ、何をしてるんだ?」
アキトはヤマダに逆に聞き返した。
「お前と同じかな」
ヤマダはニヤリと笑いながら答える。
アキトは肩をすくめながら微笑み返した。
どうやらヤマダもアキトと同じ主婦達から話を聞いたようだ。
その時にアキトらしい人物にも話したことを知ったのであろう。
「ひき逃げされた奴は誰か分かったのか?」
「ああ、今はその知り合いを捜している」
「そうか、なら一緒だ。 手分けしないか?」
ヤマダはアキトに提案する。
「良いのか? 部外者と組んでも」
「構わないでしょ。 その方が手っ取り早いし」
サブロウタが軽い口調で同意する。
「まっ、そっちが良いなら構わないが」
「なら、決まりだ」
アキト達はお互いの情報を交換し合い、この近辺に目的の人物がいるであろうことを予想した。
そして散開し、定期的に連絡を取り合うことにする。
「じゃあ……俺はこっちに行くからサブ、お前は向こうを頼む」
「了解」
サブロウタは直ぐに走り出し、街並みの中に消えていった。
アキトとヤマダはそれを見送ると、お互いに頷き合いそしてそれぞれ別方向に歩き出した。
ヤマダはその後、何度かホームレスの一団がたむろしているのを発見するが成果は得られなかった。
アキトにしても同じようなもので手掛かりが得られないでいた。
時間ばかりが過ぎ、それぞれに焦りの色が見え始める。
これが唯一の手掛かりと、直感している由縁である。
日も沈み始め、夕暮れとなり辺りも徐々に暗くなり始めていた。
そんな時、サブロウタが一人のホームレスに出会った。
容貌からして五十才前後、紺色の毛糸の帽子に灰色の作業服を着ていた。
「すいません。 ちょっとお聞きしたいんですが」
「………………」
その男は無言のままだ。
サブロウタはもう一度声を掛けるが同じように返される。
「この辺りでひき逃げされた方がいたようなんですが……」
その瞬間、男がビクッと身体を振るわせた。
サブロウタはこの男が何かを知っていると悟る。
「俺、こういう者です」
連合警察の認識証を見せる。
すると男はその認識証を一瞥した後、立ち去ろうとした。
「ちょっ、ちょっと待ってよ! あんた何か知ってるのか?」
「………………」
それでも離れようとするので、サブロウタはその左肩を背後から掴んだ。
「何しやがる! 放さんか!」
男は肩を揺らし、サブロウタの手を振りほどいた。
サブロウタはその男の前に回り込み、正面に立ちふさがる。
「頼む! 何か知っているなら教えてくれ!」
サブロウタが頭を下げ、頼み込む。
男は身体をワナワナと震わせた。
「……今頃」
「えっ?」
「今頃来やがって、遅いんだよ!」
怒りを露わに男はサブロウタの横を通り過ぎようとした。
サブロウタはまたその前に立ちふさがる。
「お願いだ! 何か知っているなら……」
「うるせい! 俺があれほど言ったのに無視しやがったくせに、今更何言ってやがる!」
「言った?」
「そうだよ! 目の前で連れがひき殺されて、お前等警察に言ったのによう!」
男はサブロウタの胸ぐらを掴み締め上げる。
「わしの格好だけを見てあっさり追い返しやがったくせに!」
サブロウタはその男の迫力に何も言えなかった。
いや、その内容に何も言い返せなかった。
「今更教えてくれだ? ふざけるんじゃねえ!」
男が胸ぐらを掴んだまま強く押すと、サブロウタは尻餅をついて倒れた。
「お前等に話すことなんか、何もねえよ!」
見上げるサブロウタを横目に男は再び歩き出した。
しかしサブロウタは素早く立ち上がると、また男の前に立ちふさがる。
男はサブロウタを睨みつける。
「わしは何も……」
男が言おうとした時、その唇が止まった。
目の前にサブロウタはいなかった。
その姿を追った。
顔を下に向けた。
そこにサブロウタがいた。
サブロウタは頭を下げ地面に両膝と両手を着いていた。
「頼む! あんたの怒りはもっともだ。 あんたの言うとおり何もしなかった俺達警察の怠慢だ」
男はただサブロウタの声を聞いていた。
「だが、今聞けなければもっと沢山の子供達の命に関わるんだ! お願いだ! 教えてくれ! このとおりだ!」
サブロウタは額を地面に着ける。
男は呆然とその光景を見続ける。
連合警察といえば警察組織としてもエリート階級である。
優秀と判断された者だけがその一員となれる。
その一人が自分の前で土下座をしてまで頼み込んでいる。
「兄ちゃん、顔を上げてくれ」
「教えて……くれるのか?」
「ああ……あんたには負けたよ。 わしなんかにそこまでするとはな。 恐れ入ったよ」
サブロウタは立ち上がる。
男は笑みを浮かべながらサブロウタを見る。
「あれは子供が誘拐されたって場所の近くだったかな。 わしは連れと新しい寝床を探していたんだよ」
「それで」
サブロウタは煙草を一本渡した。
男が受け取り口にくわえるとサブロウタは火を付ける。
「すまねえな」
「いいさ」
男は肺深くまで吸うと、ゆっくりと煙を吐いた。
そして指に煙草を挟み、再び話し出した。
「それで歩いていたら、いきなり飛び出して来やがって……」
男の眼に涙が滲む。
「連れがわしを突き飛ばして……そしてわしだけが助かったんだ」
「その車は覚えている?」
「よく覚えているさ! こうなる前は整備工場で働いていたからな。 車種から当たった所まで覚えておる」
「よし、これで……」
「なあ」
「ん?」
「犯人、捕まえてくれるのか?」
「手掛かりにはなる。 何としてでも捕まえるさ」
「頼む。 あいつは良い奴だったんだ」
「任せてくれ」
サブロウタは男から車種とナンバー、そして損傷箇所を聞くとその旨をヤマダに連絡した。
アキトはヤマダからその知らせを受け、詳しく聞くとサレナへと急いだ。
サレナに近づくとハッチが開き、中からルリが顔を出した。
「おかえりなさい」
「ルリちゃん、プロスさんを呼び出してくれ」
「はい」
ルリはシートに座るとアキトが普段やるように手順を踏み、プロスの元へとアクセスする。
そしてアキトもサレナに乗り込む。
空中にプロスペクターの顔が表示されている。
「テンカワさん、申し訳有りません。 まだ消息が掴めておりません」
「プロスさん。 今から言う車を至急探して下さい」
「別件で?」
「いえ、恐らく誘拐した犯人が乗っていた車です」
「これは……私の方が情報で後れをとるとは。 面目有りませんな」
アキトはプロスペクターにサブロウタとヤマダよりもたらされた内容を伝える。
「なるほど、分かりました。 さっそく調査致しましょう」
プロスペクターは手元のキーを打ち出した。
「お願いします」
「それとテンカワさん。 妙な情報を手に入れましたよ」
「それは?」
「誘拐事件以前に公私問わず多数の廃棄施設が買い取られてますな。 それも無差別に」
「そこに連れ込まれたと?」
「可能性はあります。 後、消えたお子さん達はその後全く姿を目撃されておりません。 未だ捕らわれの身か……」
話していたプロスペクターの手が止まった。
モニタの光がプロスペクターの眼鏡に反射している。
プロスペクターはあらゆる所に”目”と”耳”を持っている。
それは人であり、機械でもある。
「テンカワさん、国際警察も舐められとりますな」
「どうしました?」
「お探しの車が発見できましたよ」
「どこです」
「サセボシティ元特B地区医療施設」
「それって……」
「はい、国際警察がかつて使用し、現在は廃棄されている医療施設です」
それからアキトはプロスペクターに礼を言い、回線を切ると直ぐにヤマダに知らせた。
「何だと! 本当か!」
「ああ」
ヤマダの怒鳴る声がコミュニケを通じて、サレナのコックピット内に響いた。
ルリが思わず肩をすくめる。
「くそ、舐めやがって……」
「俺はこれからそこに向かう。 お前はどうする?」
「言うまでもねえ! サブと一緒に行くぜ!」
「分かった。 現場で会おう」
「よっしゃあ!」
アキトはサレナを飛び立たせる。
黒い飛鳥の如く、天空を翔ていった。
サレナが目的の医療施設に近付くと、その横を国際警察の小型機が並んだ。
それにはヤマダとサブロウタが乗っている。
元医療施設はサセボシティの山間に建てられており、それほど大きな施設ではない。
数年前により規模の大きな施設を建設し、ここは廃棄処分となっていた。
その後ある企業に買い取られており、人手に渡っていた。
企業もプロスペクターに調べてもらったが、名前だけの幽霊企業だった。
アキトが先を譲ると、ヤマダ機は先行して近くの開けた場所に着陸させると、その隣にサレナもその機体を並べる。
この時代になるとエンジンの防音性も向上しており、殆どその音が外部に漏れることはなかった。
辺りは既に暗くなっている。
エンジンを切ると静けさが増した。
ハッチが開きアキトとルリ、ヤマダとサブロウタがそれぞれ降りてくる。
「ここからだと目と鼻の先だ」
ヤマダは言いながら銃のチェックをする。
サブロウタも同様にチェックをする。
アキトはバイザーを外し、辺りを見回す。
周りは木々に囲まれ、機体を隠すには丁度良い場所だった。
山間のせいか少し肌寒く感じられる。
そして白い建物が見ることが出来た。
「スバル達にはさっき連絡しておきましたが、どうします?」
「待ってる余裕は無いな。 先に潜入するぞ」
サブロウタに聞かれてヤマダはそう答えるとアキトも同意した。
「ルリちゃんはここに残ってるんだ」
「えっ、私も……」
アキトは顔を左右に振り、ルリの申し出を拒否する。
「潜入となると危険すぎる」
「そうそう、俺達に任せな」
アキトに続いて当然のようにヤマダもルリに残るように言いながらニヤリと笑った。
ルリは諦めたように頷いた。
「大丈夫だよ、それに後からスバル達も来るだろうからその旨を伝えてくれ」
「分かりました。 でも……気を付けて下さい」
「ああ」
「では、行きますか」
サブロウタが言ってから歩き出すとヤマダもそれに続いた。
アキトはルリに優しく微笑むと施設の方へと身を翻した。
ルリはただ見送ることしかできなかった。
正面の門は開いたままで侵入を阻む物は何もない。
内部の証明は点けられたままで建物からは明かりが漏れている。
「まだいると思うか?」
「そう願いたいですね」
ヤマダとサブロウタが話しているとアキトは先に門をくぐり敷地内に入る。
二人はアキトを追って同じ経路を進んだ。
そして裏側に回り、出入り口を探した。
職員用の扉を見つけると左右にアキトとサブロウタが立ちヤマダがドアノブに手をかける。
ゆっくりと回すとあっさりと扉は開いた。
素早くアキトとサブロウタが中に入り、奥に続く通路に向かって銃を構えるが、中からは何の反応も気配も感じられない。
先頭にヤマダ、サブロウタ、最後にアキトの順番で探索する。
途中、全ての部屋を調べるが誰も見当たらなかった。
「こいつは……」
「遅かった……ですかね?」
ヤマダとサブロウタは少し警戒を解きながら、前後を見回した。
ここまで来て未だ人間の気配は感じられない。
だが雰囲気からしてそれほど前に無人になったとは思えなかった。
「何か手掛かりが残されているかもしれん、しらみつぶしに探していこう」
「はい」
ヤマダとサブロウタがそう話している時、アキトは側にある職員の部屋にいた。
ベッドに机に本棚、極一般に使われる部屋と変わりはない。
静寂な雰囲気がした。
この部屋の使用者は急いでここを後にした様子はなかった。
慌てて立ち去った気配が感じられない。
まるで当然とばかりに事を運んだという感じがするのだ。
「まさか……予定通りと言うことか?」
アキトが机に近づき、一番上の引き出しを開ける。
紙くずが散乱していた。
他の引き出しを開けるが、空になっている。
「アキト」
「ああ、今行く」
廊下にいるヤマダの呼ぶ声にアキトは部屋を出ようとして、机の下に紙切れが落ちているのに気づいた。
それを拾い上げて見ると何か書き込まれたメモであった。
”ヴィクトル氏、済み”
メモにはそう書かれていた。
「誰のことだ?」
アキトはそのメモをポケットに入れると部屋を出た。
そして更にアキトは施設内をヤマダとタカスギを伴いながら通路を進む。
暫く歩くと、行き止まりになりその横にやや大きめの左右にスライドする扉が見られた。
アキト達はお互い頷きあうと扉の左右に分かれ、銃を構えるとタカスギが扉を開ける。
中から何の反応もないのでヤマダ、アキト、タカスギの順番で部屋の中へと滑り込んだ。
その中でアキト達三人はその目を見開くこととなった。
ルリはその頃、この施設内の外でアキト達の帰還をジッと暗闇の中で待っていた。
ルリ自身としては直ぐにでも中に入っていきたかったが、敢えてアキトの指示に従うことにしていた。
実際の荒事になると自分は足手まといになることを理解していたからである。
「(……アキトさん、大丈夫かな?)」
アキト達が入っていった扉を見ながら、ルリはどうすることも出来なかった。
アキト達の実力は知ってはいるが、やはり心配にはなる。
しかし自分ではその手助けは出来ない。
故にもどかしさがルリの心を満たしていた。
そのせいで油断していたわけでもないだろうが、背後から肩をポンと軽く叩かれてルリは思わず叫び声を一声あげてしまった。
「バカ、大きな声を出すんじゃねぇよ」
囁くようにルリに話しかけながら、リョーコが隣に片膝を着きつつしゃがんだ。
ルリが”いつの間に?”という目でリョーコを見ていると、それに気付いたのかリョーコは呆れたような顔をルリに返した。
「俺達も一応はプロだぜ」
ルリが納得したような顔をすると、背後からいきなりその両肩を誰かに掴まれた。
またしてもルリは”きゃっ!”と叫び声をあげる。
「リョーコ、あんまりルリルリを脅かしちゃ駄目だよ」
「ヒッ……ヒカルさん」
ルリを脅かしながら、ヒカルが顔を見せた。
ヒカルの接近にルリは全く気付くことが出来なかった。
先程とは違い、一応は周りに気を配ってはいたのである。
それ程にヒカルの気配を消す技術は熟練されている。
連合警察内でもヒカルの背後をとることが出来る人間は極僅かという噂の証明でもあった。
そんな二人のエキスパートに感心しながら、ルリは再び目前の施設を見つめ直す。
「どんな状態だ?」
「アキトさん達が入られて、十分ぐらいになります」
「経過は?」
「静かです、物音一つ聞こえません」
リョーコはルリの返答に少し考えてヒカルに目をやると、ヒカルもリョーコを見ながら頷き返した。
「ドロン……かもね」
「かもしれねぇな」
リョーコの拳がきつく握られる。
「それって」
リョーコとヒカルの言い様にルリは前を見ながら二人に尋ねつつ、自分の考えが正しいのか確認する。
「あぁ、もう逃げられたかもな」
「そうだね」
恐らくその見解は正解だろうと思いつつ、リョーコは静かに立ち上がると、ヒカルもそれに続いた。
ルリはしゃがんだまま二人を見上げているとリョーコはその場を離れだした。
「何にしても行ってみれば分かるだろ」
「そうそう」
「ルリ、お前はそこにいろ」
リョーコはルリにそう言い残すと、施設の入り口へと歩き出すとヒカルもそれに続いた。
ルリは離れていく二人を見ながら、一人覚悟を決めると立ち上がり二人を追いかける。
「まっ、待って下さい。 わ…私も…」
「ジッとしてろと言ったつもりなんだがな」
「でも!」
「自分の身も守れるか分からねえ奴を連れて行く気はねえぜ」
リョーコにジロリと睨まれ、ルリは一瞬気後れするがその目線を外すことはなかった。
金色の瞳に決意の色が現れる。
リョーコはため息を一つついた。
「はあ……分かったよ。 ただし足手まといにはなるなよ」
「はい」
「大丈夫、大丈夫。 私がフォローしてあげるから」
ヒカルがルリの肩を抱きながら明るくリョーコに言った。
「それが一番心配なんだよ」
「あ〜〜っ、ひど〜〜い」
「おら、とっとと行くぞ」
ルリを挟んでリョーコを先頭にして敷地内を進むが、施設内は静かなものであった。
人影どころか人のいる気配が感じられなかった。
リョーコがルリの帯同を許したのもこのせいかもしれない。
三人はアキト達と同じルートで施設内に侵入する。
「本当に誰もいねえみたいだな」
「そうだねぇ、何か張り合い無いけど」
ヒカルはそう言うが、内心二人ともホッとしていたのも事実である。
やはりルリを伴っているのは大きな弊害となる。
リョーコは隣にいるルリを見る。
ルリは何もしゃべらない。
しかし臆しているわけでもなかった。
自分に出来る最低限のことをしているだけなのである。
「結構、落ち着いているな」
「私ですか?」
「ああ、慣れてるんだな」
「そうでもないですよ。 やっぱり恐いです」
「それでいいさ」
恐れを知らない者は長生き出来ないのも事実である。
リョーコはルリのそんな一面を見て素直に感心した。
三人は廊下をゆっくりと進んだ。
その内、行き止まりになりアキト達の入った扉を見つけた。
リョーコ達もその中へ入ろうと近付くと、いきなりその扉が開かれた。
そして何者かが中から飛び出してきた。
リョーコとヒカルは素早くその者に向かって銃を構える。
「うっ……ぐぅぅぅ、ぐええぇぇぇぇぇぇ……」
「なっ、何だ?」
「サブロウタ君?」
中から出てきたのはサブロウタであった。
ただ少し様子がおかしい。
飛び出して来たサブロウタは対面の壁に手を付くと胃の内容物を嘔吐していた。
リョーコは一瞬怯むがそのただならぬ様子にサブロウタに近付いた。
「おい、どうしたんだよ」
「……………かよ」
「ん?」
「あんな事があって……いいのかよ」
サブロウタは絞り出すような声でそう呟いた。
リョーコはその胸ぐらを掴んでその顔をこちらに向かした。
ヒカルはルリの隣で事を見守っている。
「おい! サブ! 何があったんだよ!」
「……ちくしょう。 ちくしょう」
リョーコはサブロウタが出てきた扉を見つめる。
開け放たれた扉の向こうには仕切りがしてあり奥までは見通せない。
リョーコはその中に足を踏み入れようとする。
「私も行きます」
ルリもリョーコの後に続こうとした。
リョーコはそれを聞きつつも無言で中に入ろうとした。
「スバル! アマノ! その子をここに入れるな!」
室内からアキトの怒声といってもいいほどの叫び声が響いた。
その声からしても尋常ではないことは明白であった。
リョーコはそのまま足を進める。
継いでルリも追従しようとしたが、その肩をヒカルに掴まれ歩みを止められた。
ルリは振り返りヒカルを見る。
「ヒカルさん」
「駄目だよ。 ルリルリ」
「でも!」
「アキト君がああ言っている。 ルリルリは行かない方がいい」
ルリは一度扉を見て、ヒカルを見る。
「ルリルリは見ない方がいいって、アキト君は言ってるんだよ。 だからここで待ってよう。 ……ね」
ルリは俯きながらもヒカルの言葉に従う。
しかしその表情に不安の色は隠せないでいた。
リョーコが室内に入り、仕切りを越えると二人がいた。
手前にアキトが、そして更に奥にヤマダが立っていた。
しかし二人の姿などリョーコの眼には入らなかった。
そこにはそれを越えるものが存在していた。
壁には何かがぶら下がっている。
一目見れば分かる。
上半身だ。
そう人間の上半身であった。
ただ成人より遙かに小さい。
少年だ、そうその大きさは年端もいかぬ少年のものだ。
だが何処かおかしい。
顔はある。
しかし、眼には眼球が無かった。
リョーコは視線を下に移動させる。
胸が真ん中から開かれていた。
内部が見える。
しかし、空洞だ。
胸骨は取り払われていた。
心臓が無かった。
胃が無かった。
肝臓が無かった。
腎臓が無かった。
肺、腸、いわゆる臓物が失われていた。
リョーコは辺りを見回す。
瓶の中に肉塊が納められている。
眼球、歯、指等々が細かく分類されている。
金属製のテーブルには紅い血が広がっていた。
「何…だよ。 これ……何なんだよ」
リョーコの声は弱々しい。
それが何かは分かる。
分かるが認めたくなかった。
それが探し求めていた少年達ということを認めたくなかった。
最早、人の形を成していないそれが目の前にあることを認めたくなかった。
「スバル」
アキトは振り返り、リョーコの前に進む。
「なあ……教えてくれよ。 これ何だよ。 何なんだよ!!」
「スバル、落ち着け」
「テンカワ! これは何なんだよ!!」
リョーコは叫びながら、アキトの黒いコートの襟元を掴んだ。
その眼には涙が滲んでいた。
犯人を捕らえられなかった悔恨か、少年達を救えなかった懺悔なのか、リョーコの眼からは悲しい涙が溢れていた。
「くそ! くそ! くそ〜〜〜っ!!」
「スバル!」
「ぐっ、うぅぅぅぅ」
アキトはリョーコの腹部に当て身を当てた。
崩れ落ちるリョーコを腕で受け止めると、アキトは左手をリョーコの背中に右手を膝裏に回して抱き上げた。
「ガイ、今夜はつき合ってやる。 後で連絡しろ」
アキトは振り返ることなく、扉へと向かった。
室内に残り立ち尽くすヤマダの手は堅く握られ、革手袋からは紅い血が滲んでいる。
その身体は震えていた。
噛み合わされた歯がギリギリと鳴っている。
その瞳はこの光景を、この惨状をその眼に焼き付けるように瞬き一つしない。
涙が滲み始める。
しかしこの涙はただの涙ではなかった。
私利私欲でこのような行いをする人間に、悪魔のような人間に対する怒りの涙でもあった。
アキトが通路に出ると正面には座り込んだサブロウタが、アキトの右側にはヒカルに肩を抱かれたルリが座っていた。
アキトを確認するとルリは立ち上がり、側に近づいた。
「アキトさん、無事で何よりです。 あの…リョーコさんは?」
「大丈夫だ。 ちょっと気を失っているだけだよ」
「アキト君、出来れば聞きたくないんだけれど、何が……あったの?」
「タカスギ、平気か?」
アキトはヒカルの問いには答えず、サブロウタに声をかける。
サブロウタは微笑みでアキトに返答した。
リョーコを床に座らせ壁に背をもたれさせると、アキトは立ち上がりヒカルを見る。
「アマノ、詳しくはタカスギに聞いてくれ。 それと中にガイが残っている」
「……分かった」
ヒカルはアキトからこの場で聞くことを諦め、リョーコの隣に座る。
リョーコに肩を貸しながら、ヒカルはコミュニケを操作し始める。
「アキト君、行くなら早く行った方がいいよ。 これから署に連絡するから」
「ああ……そうさせてもらう。 行こう、ルリちゃん」
「えっ……あっ、はい」
アキトが歩き出すと、ルリはヒカルとサブロウタに一礼してからアキトの後を追った。
二人の背中が視界から消えたところで、ヒカルはサブロウタに声をかけた。
「ねえ、サブロウタ君。 説明して、何を見たのか」
サブロウタの口が重く開かれた。
アキトとルリは施設を出て並んで歩いていた。
ルリはアキトのただならぬ雰囲気に飲まれそうになりながらもアキトに問いただした。
「何があったんですか?」
アキトは無言のまま歩いている。
「アキトさん!」
ルリの呼び声に立ち止まると夜空を見上げた。
星が輝いている。
この辺りの空気は幾分澄んでいるようだ。
その星の美しさが、何故か空しさをも感じさせる。
「連中が欲しかったのはその身体のみだったんだよ」
ルリの顔が僅かに歪む。
それだけで想像がつくことであった。
「……まさか」
ルリの声が震えていた。
少年達に訪れた運命を悟ったからだ。
アキトは星空からルリに顔を向けて続けた。
「ここは……区分けするための……、その解体所だったのさ」
雨が降っている。
ルリと共にドックの私室に帰る途中、にわかに曇りだした夜空から、先程見た星空がまるで落ちてきたような勢いで降り出していた。
そして今、アキトはヤマダと共に花目子にいた。
私室でアカツキへの報告書を作成している最中に現場検証を終えたヤマダの連絡を受け、ここで落ち合ったのだ。
カウンター席でなく、奥まった場所のテーブルに向かい合って二人は陣取っている。
ボーイが気を利かせてつまみを持って行こうとしたが、イズミがそれを眼で制した。
誰も二人の側に近づかないようにしていたのだ。
「アキト」
「ん?」
「俺は決めたぜ」
アキトはヤマダの言葉の続きを待つ。
「何年掛かろうと、バックで糸を引いてる奴ら共々根刮ぎふん捕まえてやる」
ヤマダは手に持つグラスを一気に煽る。
「必ずな」
言いながらグラスをテーブルに置いた。
「その時は……俺も手を貸そう」
その言葉にヤマダは一瞬だけ微笑み、グラスを再び満たすと正面のアキトに差し出した。
アキトは差し出されたグラスに自らのグラスを軽く当てる。
グラス同士の当たる音が二人の間に響いた。
どこか悲しげな音だった。
つづく
後書き
イジェネクです。
代理人さん、当・た・り。
ご希望に添えて嬉しいです。
まぁ、今回は予想できた方は多いと思います。
事件的には解決されません。
と言うか、今回は以後続く物語の一つのエピソードと御理解下さい。
そんな組織があるぞ、という紹介みたいなものです。
背後関係が判明するのはずっと後のことなのでその時の彼らの活躍をご期待下さい、ということでご勘弁を。
さて、キャラが増えると大変なのは分かってましたがいかがでしたでしょうか?
一応、それぞれに出番を与えたつもりですが上手くいったのかな?
ちと、心配です。
次回も人が多くなりそうです。
未登場な人が出る予定ですので……。
次回をお楽しみに。
代理人の感想
予想的中・・・・まー、当たらないでいい悪い予想まで当たってしまいましたが(苦笑)。
うえっぷ。
まーそれはさておき。
次回登場する人・・・・ミナトさんとかセイヤさんあたりかな?