深夜となり、格納庫での業務は既に終わっていた。常夜灯が蒼白く辺りを照らしてはいたが、その光は格納庫全体を覆うにはいかにも弱く、影が其処彼処に染みていた。
乱雑に積まれた機材、垂れ下がるクレーン、隅に並べられたフォークリフト。人影の無い中で見るそれらはまるで廃墟に打ち捨てられたもののようで、ただ無闇に広い空間の薄寒さのみを強調している。
そんな無人の格納庫で静かな存在感を放っているのが、数体の人型機動兵器だった。
薄闇の中に浮かび上がる巨人。光の中では人の支配下にあるかに見えたそれらは夜になって本質を露わにするようで、見る者に畏怖を呼び起こさずにはおかない。膨大な力を内に秘め、巨人達は静かに佇んでいる。
瞑目する巨人達の内で、一際目を引く一体がある。
薄暗がりに沈む他の機動兵器と違い、白く塗られたそれは常夜灯の弱い光にもはっきりと輝いて、その存在を明らかにしている。
エステバリスに似たスマートなシルエット。しかしエステバリスのそれより洗練されている。すっきりとした輪郭の中で前腕部装甲の厚みが目立ち、ただ姿の良いだけではない力強さが伝わってくる。
ネルガルがボソンジャンプ時代に対応するべく自信を持って送り出した新型機。アルストロメリアである。
そしてもう一つ、目を引く白があった。目前の機動兵器に比べれば遥かに小さい、しかし良く似た清冽さを感じさせる、それは人だった。
詰襟の白い制服に身を包んだ、長い黒髪の男。月臣である。無人の格納庫で、何を思うのか彼は己の乗機となるアルストロメリアをじっと見上げていた。
と、彼の目の前に突如としてウィンドウが出現した。
「やあ、月臣中佐。こんな深夜に済まないね」
ウィンドウに映る男が、場の雰囲気にそぐわぬ能天気な声で挨拶をする。その男もまた長髪であったが、謹厳な気配を感じさせる制服の男と違って、いかにも軽薄な伊達男のように見えた。
アカツキナガレ。ただの軟派者のように見えるが、これでも世界に冠たる大企業であるネルガルの会長である。
「構わん」
嘗ての階級を用いた呼び掛けを訂正する事無く、月臣は答えた。
アカツキはそれに満足げに頷いてみせた。
「エリナ君がなかなか開放してくれなくて、今の今まで書類の処理に追われてたんだ。彼女も優秀なのはいいけど、もう少し融通を利かせてくれないかなと思うよ」
「貴様が仕事を溜めるからだろう、この道楽会長が」
へらへらと笑いながら愚痴を零してみせるアカツキに、月臣が鋭く突っ込む。
とは言え、彼はアカツキの事を本当にただの道化だと思っているわけではない。戦犯扱いされ統合軍でのシェアを奪わている状況下で、鋭くクリムゾンと草壁との繋がりを察知し陰謀を巡らせているのは、目の前の男なのだ。
その証拠に、軽薄を装いながらも月臣を見る彼の眼差しには、相手を値踏みする冷徹な光が宿っている。
「それで、何の用だ」
「ん、ちょっと情報が入ってね。草壁達の統合軍への侵食は予想以上みたいだよ。艦長はまだ頑張ってるみたいだけど、彼女が陥ち次第彼らは蜂起するだろうね」
「……そうか」
月臣は目を閉じた。
草壁に共鳴する者の気持ちは、月臣にも分からないではなかった。和平と言えば聞こえがいいが、今の木連はただ地球に収奪されるばかり。元々停戦に不満のあった者達が新たな秩序を求めるのは当然だろう。
いや、木連のためを思い熱血革命に加わった同志こそ、現状への憤りは強いのかも知れない。
そんな月臣の思考を裏付けるように、アカツキが続ける。
「熱血革命に参加した若手将校達にも、草壁への賛同者は多い。彼らを受け入れて、草壁も度量を示したって事だろうね」
「ふん、だからと言って導く先が間違っていてはどうしようもあるまい。遺跡に頼った秩序など、所詮は幻に過ぎん」
「そう、だから幻想を砕いて新たな指針を示せば、草壁シンパは切り崩せる。木連軍三羽烏の一人、熱血革命の指導者、月臣中佐の雷名がここで有効になるって訳さ」
アカツキが言ったのは間違いなく皮肉だったが、月臣はそれに反応しなかった。
再び優人部隊の制服を纏った時から、己の果たすべき役割を心得ていたからだ。決意が揺らぐ事は無かった。
「今の俺はネルガルの狗。主人の命令には従うさ」
皮肉に無反応な月臣に、アカツキは微かにつまらなそうな顔をしてみせた。だが月臣は続けて言う。
「ただし、表に出れば話は別だ。俺は木連のために生き、木連のために死ぬ。貴様らの傀儡になるつもりは無い」
白い制服の胸を張り、昂然と言い放つ。そんな月臣を見て、アカツキはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「オーケイ。それ位の覚悟がなくちゃ、此方も駒にする意味が無い」
「後悔することにならなければいいがな」
「さて、どうだろう。どちらにしろ、まずは目の前の問題だ。その、君の後ろのアルストロメリアにも活躍してもらう事になるかも知れない。ちょっと高コストなのがなんだけど、性能は折紙付きだよ。君が乗りこなせるかどうかは別の話だけど。IFSには慣れていないだろうからね」
「これでも元ダイマジンのパイロットだ。舐めるなよ」
言いながら月臣は、ウィンドウの中の男が優秀なエステバリスライダーでもあった事を思い出していた。
そう、あのナデシコで戦ったパイロット。テンカワアキトの元同僚。
「結構。用件はそれだけだよ」
「ああ」
「……あ、ところで一つ訊きたかった事があるんだ。ずっと渋ってたのに、どうして君は表に出る気になったのかな?」
「……」
「そう言えば、テンカワ君に木連式柔を教え始めたのも同じ時期だったね」
「さあな。テンカワの事が気になるか?」
「まあ、彼には働いてもらっているからね」
そう惚けたように呟くアカツキだったが、完全には韜晦しきれずその口元に僅かな苦渋が滲んでいた。
それは、蜥蜴戦争を演出した一人である奸雄の、そしてテロを後押しし多くの命を散らし続ける死の商人の、友を案じる素顔だった。
「テンカワには俺の柔を叩き込んだ。技術と、そして魂を。それが身に付いたかどうかは、奴次第だがな」
「魂ね。流石木連さんは言う事が違う」
揶揄しながらも、アカツキは安堵したように笑ってみせた。そして、僅かな含羞を覗かせて言った。
「感謝するよ」
その一言を最後に、ウィンドウは閉じられた。格納庫は再び静寂に包まれた。
月臣はやるせない思いを抱いた。アカツキに言った事は嘘ではない。しかし、今のアキトは余りにも変わり過ぎている。
もう一度、目の前の白い機動兵器を見上げる。変わらず清冽な雰囲気を漂わせる巨人。
目を凝らせば、その背後に影が見えた。やはり機動兵器。ただし、アルストロメリアよりも一回りは大きい。その影は周囲の薄暗さに紛れるように黒く、それ故に一見しただけでは分からない。まるで亡霊のようだった。
だが一度目にしてしまえば、目を逸らす事は不可能だ。影は常夜灯の僅かな明りを吸い込むように黒く禍々しく、アルストロメリアの白など霞んでしまう。
まず目を引くのは大きく張り出した肩部装甲。余りにも大きすぎて、その下に付いている両腕こそが付属品に思える。翼のようにも見えるその表面には、呪わしく赤い紋様が刻まれている。
肩だけではない。胸部、腰部、脚部。およそ目に付く部分の全ては分厚い装甲に覆われ、元の人型も判然としない。それでいながらそれらの装甲は生物的な流線型に纏められ、不吉な調和が保たれている。
頭部はまるで装甲に埋もれるような形になっており、全高に比して明らかに小さい。しかし装甲の陰に覗くセンサーからは、暗闇に潜む獣のような威圧が放たれている。
後ろに回れば異常な量のスラスター噴射孔、そしてずるりと伸びたテールバインダーが見えるはずだ。
それは他の機動兵器と同じく人型のはずだったが、それよりも地獄に住む生き物に例えた方が正しいように思われた。
機動力と装甲の化け物。
その機動兵器を端的に言い表すならばこうなる。それなりの知識とまともな感覚を持つ人間ならば、この異常な機体から見て取れる設計思想、そこから伝わる気違いじみた執念にうそ寒い思いを抱かずにはいられないだろう。
込められた憎悪が、怨嗟が、辺りの空間に染み出しているようだった。
月臣とて、その気配から逃れられはしなかった。この機体、『ブラックサレナ』を見る度に、息詰まるような感覚に襲われるのだ。
月臣は黙然とその黒い機動兵器を見つめた。
「お前も来たのか」
機動兵器を眺めたまま、唐突に月臣が呟いた。
その呟きは、何時の間にか彼の背後に立っていた男に投げかけられたものだった。
月臣がゆっくりと振り向く。
其処には黒づくめの男が立っていた。顔の上半分を覆い隠す黒いバイザーをつけて、身体には同色のマントを纏っている。街中で見たのならば着ている者の正気を疑いそうな格好だが、蒼白い光の下にあっては奇妙に馴染んで見えた。陰鬱なその佇まいは亡霊、或いは死神を思わせた。
男の傍らには、桜色の髪をした少女が付き従っている。硝子玉のような金の瞳と血の気の無い白い肌。彼女からはまるで生気が感じられず、亡霊の傍にあるのは相応しく感じられる。
「こんな夜更けにどうした」
月臣は二人に話し掛けた。
だが男は答えず、軽く頭を振っただけだった。少女に至っては反応すら見せなかった。
月臣はそんな二人、アキトとラピスを痛ましく思った。
アキトに柔を伝授しはじめてから、多くの、或いは僅かな時が過ぎた。月臣の予想した通り、アキトは強くなった。
繰り返し出撃し、幾度も敗れ、傷を負って逃げ帰ってきた。その度に彼の憎悪と狂気は深まっていった。彼の手は今、数多の人間の血に染まっている。
過去を優しい眼差しで見つめていたアキトは、もう死んでしまったのかも知れない。
「明日、お前達は出るのだろう?」
「ああ、シラヒメだ」
漸くアキトが口を開いた。しかしその声は低く、墓穴から聞こえてくるかのように冷たかった。
「また、コロニーが落ちるな」
月臣の呟きはアキトを責めるものではなく、失われるだろう命を嘆くものでもなかった。ただの確認。
これから起こる惨劇に自分の果たす役割を承知しながら、目的の為にそれを躊躇わない。その意味で、月臣とアキトは同じ立場にあった。
月臣の覚悟をアキトも理解しているのだろう。彼は頷いた。
そして懐から煙草を取り出し、口に咥えた。しゅっ、と音を立て、オイルライターに着火する。
「煙草を喫うのか」
意外だ、と言う風に月臣が言う。ゆっくりと煙を吐き出して、アキトは答えた。
「ホウメイさんには止められていたんだがな」
言いながら、彼の口元が軽く引き攣った。彼はひょっとしたら、笑おうとしたのかもしれなかった。もしそうだとするなら、見る影も無い笑みだった。
だが、笑みには違いない。
「一本もらえるか」
月臣は言った。アキトは暫く沈黙していたが、ややあって頷いた。
差し出されたボックスから月臣は一本を抜き取った。フィルターのついていない紙巻煙草。吸い口を上にし何度か掌に打ち付けて葉を奥に詰め、唇で挟むようにして咥える。
アキトが、月臣の咥えた煙草に火を点けた。ライターの燃える火が、二人の男の顔を赤く照らし出した。
月臣は紫煙を深々と吸い込み、吐き出した。強い香りが鼻に抜ける。口の中に葉の欠片が残るが、そのまま飲み下す。目を閉じると、軽い酩酊感が頭を満たした。
久し振りの煙草は、旨かった。
人気の無い格納庫の中、黒と白の二人が煙草をくゆらす。その側に、人形のような少女じっと佇む。
月臣は、傍らのアキトとラピスを見た。
戦いの中、アキトは無口になった。感情を表に出す事が無くなり、まるで死体のようだ。ラピスも変わった。以前は多少なりとも見せていた自己主張をしなくなり、ただ機械のようにアキトに付き従っている。
視線を上げ、ブラックサレナを見る。
これは、アキトが数多の人血と敗北によって鍛え上げた黒い鎧だ。かつて息づき輝いていた光を葬る棺桶だ。
それでも、月臣は思う。
例え鎧を纏おうとも、心の強さは消えはしない、と。
木連式柔はべた足の技である。両足で大地を踏みしめて初めて、揺るぎない技が生まれる。しなやかに嵐を受け流す柳が、大地に深く根を張るように。
アキトにも、根を張るべき大地があるはずだった。彼がそれを見失っていない事を、鎧の中で彼の光が生きている事を、月臣は強く祈った。
「間章」と題してはいますが、「柔」はこの話で最後です。
以降の結末は劇場版に、更には皆さんの想像にお任せする事になります。
失敗した部分も多々ありますし、公式設定に反する部分もあると思います。
でも、読み終えた後に劇場版を見て、新たな楽しみが湧いてくるような話になっていれば、と思っています。
発表の場を提供し、また掲載の労を取って下さった管理人様と代理人様、感想を下さった方々、そして読んで下さった皆様に、心よりの感謝を述べさせて頂きます。
管理人の感想
蚕棚さんからの投稿です。
え!!これで終わりなんですか?
う〜ん、それはまた残念です。
でも、話の終わり方としては正しいのかもしれませんね。
月臣の思いを、アキトは本当に受け止めて理解していたのか・・・そこが気になります。