顔に風を感じた。
触覚が減退して久しい今、これほど敏感に感じる事は有り得ないはずなのに。



サワ、サワ……


草木の臭いを嗅いだ。 
嗅覚も減退して久しい今、この懐かしい臭いをここまで鮮明に感じる事など無い筈なのに。


リーリーリー……


鈴虫の泣き声が聞える。これで彼は確信した。
これは夢なのだと。
そう判断したのと同時に、彼の意識は地の底から這いあがった。

意識が覚醒してまず最初に思った事…、それは疑問だった。
聴覚補助用の補聴器と、視覚補助用のバイザーが無いのだ。

なのに先程の夢と同じ様に鈴虫のさえずる声が聞え、頭上に煌々と輝く月が見える。
「まだ起きていないのか、俺は…?」
だが今感じている感覚は、決して夢などでは無い事は解っていた。
しかし、今自身の身に起きている事は、そうでも思わなければ理解のしようが無かった。


五感が戻っているのである。


「どうなってるんだ!? これは………!!?」
彼は、自身の服装を確認して更に混乱した。
地球で昔コックをしていた時の服装だったのだ。さらに側には、大きな荷物を積んだ一台の
見覚えの有る自転車。
「これは……、ま、まるであの時の…………!!!」
そう呆然と声を出しながら、彼は悟った。

自分は過去に還って来てしまったのだ、と。

「…そ、そんなバカな事が有る訳…。ヘタなSFやSSじゃ無いんだし……」
口ではそう言いながらも、彼は興奮を隠しきれなかった。

やり直せるのである。全てを。

側に捨ててあった東スポを拾い、確認した日付は2196年10月1日。
「ナデシコが出航する日……!」
…やはり過去に戻っていた。

「やり直せる…。全てを……」
うわごとの様にこの言葉を何度も繰り返す。
何度も、何度も…。

彼の心の奥底には、とある願望があった。
もう1度あの頃へ、と言う願いだ。
それが叶った。

彼の心は、これまでの人生の中で最も興奮していた。
初体験の時でも、結婚式の時でも、初めて人を殺した時でもここまでは興奮しなかっただろう。

「そう…、やり直せる…。全てを……。ふっ…、くくく。ははは。あははははは!!!」
彼はまるで狂った様に笑い出した。そして……





「俺はやり直せる!!!!」

彼――テンカワアキトは絶叫した。














何か大切な事を忘れているような気がしないでもないが。











機動戦艦ナデシコ

魔剣士妖精守護者伝

外伝1 その時、アキトは……




アキトは急いだ。ユリカと再会した場所へ。
今日はナデシコが木星蜥蜴の襲撃を受け、初陣を飾った日である。
自惚れでは無く、あの時アキトがナデシコにいなければ、ナデシコは沈んでいたのである。
だから急いだ。

「ハァハァ……。ま、まだ通って…ないよな……」
ユリカとの再会場所に到着したアキトは、興奮と全力疾走で大いに乱れた息を整えながら呟いた。
アキトは目を瞑ってこれからどの様に自身の人生をやり直すか考えた。
そんな考え事――既に妄想の域に達していたが――をしている最中、声が聞えた。


「お、おい! そこをどけええ!!!!」


自身に掛けられたであろうその声が、アキトを思考の海から現実世界に引き上げた。
声が聞えた方向を見ると、およそ自転車とは思えないスピードで此方に突っ込んでくる自転車が見えた。
自転車では有り得ない程のスピードで突っ込んでくる『それ』を、アキトは自転車と認識できなかった。
その為、アキトは避けるのが遅れ……

「チイ! 間に合わん!! 離脱!

撥ねられた。



(あの髪の色は…、ルリちゃん……?)
薄れゆく意識の中で、アキトの目には、自身に突っ込んだ自転車をこいでいた男に抱き抱えられた
自身のかつての義娘にそっくりな少女の姿が入った。

























「ここは……! 痛てててててて」
アキトは目を覚ました。
「アキトさん、気付かれたんですね!」
起き上がったアキトに、瑠璃色の髪をツインテールにした小柄な少女が嬉しそうに駆け寄った。
「え? …ルリちゃん、なのか…?」
一瞬驚き思考を中断してしまったが、アキトはすぐにその事を思い立った。

彼女、ホシノルリも自分と同じく過去に戻っているのだと言う事を。
「ルリちゃん…なんだね?」
アキトは再度確認の為の一言を出した。
「ええ。そうですよアキトさん」
ルリは微笑を浮かべながら、アキトに返事を返した。
…どうやら間違い無いらしい。

「ここは…、ナデシコの医務室かい?」
「正解です。あ、傷の方は大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。」
そう言いながら、アキトは何故自分がナデシコの医務室に居るのかを考えていた。
「山下さんという保安部員の方がナデシコまで連れて来て下さった様です。私に、アキトさんが
医務室に居るという事もその人が教えてくれました」
アキトの疑問に、ルリはまるで全てを見透かした様に答えた。
「…良く解ったね」
「顔に出てましたよ?」

もう少ししたらプロスペクターが来るらしいので、それまでアキトとルリはお互いの状況を報告し合った。
その中で、ルリのそっくりさん(彼女から見たらだが)である山下瑠璃の事も話題に上がった。
自転車に撥ねられた時に目に入ったのはどうやら彼女らしい。

それから5分も経たない内に、プロスは医務室にやってきた。

そしてアキトは、『過去』と同じくコックとして雇われる事になった。
『過去』では感じられなかったプロスの交渉術の凄さを、『今回』は感じながら。







そうこうしない内に、敵襲を知らせるサイレンが鳴った。
アキトは無理をしないで、と言うルリの哀願に力強く頷き、まだ痛む体を引き摺って格納庫へと向かおうとした。
しかし途中で、もうエステが囮役で出撃していると言う話を小耳に挟み、その足をブリッジへと向けた。

今ナデシコで動ける機体は、それしか無い事を覚えていたからだ。

流石に、自分が見た事も無いヤクザ顔の若い刑事が、エステを操縦しているとは思っても見なかったが。


そしてヤクザ顔の刑事――山下龍一は、アキトの的確なアドバイスとルリのオペレート(それと妹瑠璃の激励)の
お陰で、辛くも囮役を全うする事が出来た。
機体のあちこちに損傷があるのは仕方が無い事だろう。

























ナデシコ、エステバリス格納庫――――――

戦闘行動が終了した後、龍一が搭乗したエステは、ナデシコ側の誘導により格納庫のハンガーに固定された。
「結構食らってたんだな。全然気付かなかったべ……」
エステのコクピット内で、機体の損傷状況を知らせるモニターを眺めながら龍一は呟いた。
機体からすぐに降りようとは思わなかった
先程の初めての機動兵器戦のお陰で、足の震えが止まらないからだ。
今の呟きも、腰を抜かしかけている自分を誤魔化す為に、無理矢理冷静ぶったに過ぎない。


それに…、外に出られない理由はもう1つあった。


「兄ちゃん、聞いたよ。アンタ素人なんだってな。なのにこうも機体を操って囮役をするたぁ凄ぇぜ!
まるでニュータイプだな」
コクピットの外から話しかけて来る声が聞える。ナデシコ整備班班長、ウリバタケセイヤである。
「あー、と。その、何だ。初めに言っとくけど、別に怒ってる訳じゃねえぞ。
アンタが居なくちゃこの艦はどうなってたか分かんねぇしな」
ウリバタケの言葉に、エステの周囲を取り囲んでナデシコを救ったヒーローの帰還を歓迎しようとしていた
整備班員達も、手を振ったり、口笛を鳴らしたり、スパナを鳴らしたりなどして答えた。

しかし龍一には何の動きも見られなかった。

「おいおい、どうしたんだよ兄ちゃん」
流石にウリバタケも不思議に思って、外部からアサルトピットのハッチを開けた。
そして、其処でようやく龍一が出て来なかった理由を知った。
否、正確には出て来れなかったのだ。
何故なら、龍一の股間は濡れていたからだ。

ウリバタケは、いきなりハッチを開けられて真っ白になってしまった龍一を龍一の肩を叩き、口を開いた。
「……初めて出撃した時は、大抵の奴はそうなるらしいから、気にする事ぁ無えよ。
第一アンタは素人だしな」
「……そう言ってもらえると助かるっス」
「ホレ、これ被って下に居る連中は誤魔化しとくから、部屋に行ってシャワー浴びて来いや。
大丈夫、誰にも言わねぇし、ブリッジとかからの連絡もこっちで適当に誤魔化しとくよ」

「すんません」
龍一は、ウリバタケの気遣いに感激し、静かに頭を下げ、渡された整備班用のツナギを腰に巻きつけ
速やかにその場から立ち去った。























部屋に戻って手早く着替えを済ませた(といってもトランクスとズボンを替えただけだが)
龍一は、シャワーを泣く泣く後回しにしてブリッジへ向かう羽目になった
(この時は急いでいた為瑠璃と同室だとは気付かなかった)。
プロスに呼び出されたからである。

ちなみに先程の醜態を隠蔽する為に、わざわざ(特に股間に重点的に)オーデコロンを
吹き掛けたとかいないとか。

ブリッジから帰ってきて、速攻でシャワーに駈け込んだ事は無論言うまでも無い。



その後は、ブリッジにて先の戦闘についての話があり、龍一、そしてアキトは頼んでも居ないのに
臨時パイロットを勤める羽目になった。
















ナデシコ医務室――――――


プロスペクタ―による一連の追求が終わった後、アキトは再び医務室に戻った。
あの時と変わらないユリカの微笑みを見て、心の枷が外れるのを恐れたから。
そう自分に言い聞かせていた。
だが何の事は無い、還る前と同じ様にユリカの微笑みからただ逃げただけである。

減退著しかった五感が戻った為か、はたまたもう1度刻をやり直せる為なのか、まるで反転するかの様に
性格がナデシコ乗艦当時に戻っていたアキトだが、根本的な所は「黒の王子」であった頃と変わりなかった。


―――俺はユリカに拒絶される事を恐れている!!


この感情は、最早アキトにとって強迫観念に近い物があった。
たとえ失った五感が完治しても、刻を越えるという奇蹟を体験しても、
罪の意識と共にこの観念も消え去る事は無かった。


アキトは思い詰めた表情で医務室のベットに腰掛けた。
何時もなら、当直の医師が居る筈なのだが、今、医務室には誰も居ない。

暫くして、コミュニケの画面が現れてた。
「…ルリちゃんか」
「! ア、アキトさん……」
ルリはアキトに、労いの言葉を掛ける為にコミュニケを開いたのだが、画面に映された
アキトを見て言葉を失った。

雰囲気が「黒い王子」その物だったのだ。

アキトさんは戻ってきた筈、あの時の優しいアキトさんに戻れた筈!――――――
そんな思いがルリの中で渦巻いていた。

アキトは、ルリのそんな思いを見透かすかの様に口を開いた。
「戻れたはずなのにね…。昔の様に振舞うのって、こんなに難しかったけ…?」
「アキトさん…」
ルリはその瞬間、アキトが昔の自分を『演じていた』と言う事に気付いた。

「まぁ…、2年ぶりだからね。ブランクとかもあるし…。じきに慣れるだろうし大丈夫だよ」
アキトは、自分の言葉を聞いて明らかに沈みこんだ表情をしたルリを慰めるかの様に再び口を開いた。
だがルリは見逃さなかった。

そう言って笑いかけたアキトの口元が引き攣っていたのを――――――








「それでルリちゃん、何か用かな?」
これ以上この話題を続けていたら、また追求されるのは目に見えてるので、アキトは強引に話を逸らした。
「あっ…、えっと…。そう。これからの事です。アキトさんは如何なさるおつもりですか?」
強引に話題を変えられて戸惑ったルリだが、元々はこの為にアキトに連絡を入れたのだ。
すぐに当初の話をアキトに振った。
「俺は…、あんな悲劇を繰り返したくない。木連と地球の和平だって、もっと良い方法で結べたかもしれない。
そうすれば、あんな事なんて起こらなかった…」
アキトはここで一旦言葉を切った。
「だから…、身勝手な事だって事は解ってるけど、俺は未来を変えたい。
俺達が還ってくるまえの刻よりも良い形に!」
そう言い切ったアキトに、ルリが紡いだ言葉は言うまでも無く1つだった。
「ええ! 変えましょうアキトさん!」




「そういえば…アキトさん、えと…、ラピスさんでしたっけ? アキトさんと一緒に居た女の子。
あの方も戻って来てますか? ナデシコCのオペレーターをしていたハーリー君…マキビハリ君は
戻って来ていて、覚醒してからすぐに私に連絡をしてくれましたけど……」

ルリは不安げに、アキトと一緒に居たと言うくだりは若干の嫉妬を込めてアキトに尋ねた。


が……


「あの、アキトさん?」


アキトは一向に反応しない。


「あのー、もしも〜し?」


先程の決意を言い切った時そのままの表情で固まっている。


「アキトさ〜ん?」


ルリが目の前で手を振っても何の反応も示さない。




やがて表情の変化があった。
文字通り凍り付いていた表情は、今にも泣き出しそうな表情に変わり、顔色は見る見る内に青くなって逝く。
そして完全に真っ青になった時、ようやく口を開いた。


























「……忘れてた…………………」





















それから暫く後、ハーリーからの通信があった時も、アキトは真っ青のままだった。
ハーリーはその様子に首を捻ったが、ルリはただ飽きれた顔で何も言わなかった。

そしてハーリーは、(アキトにとっては)打ち合せ以上に重要な事柄を伝えた。





ラピスもこの刻に還って来ている事を。





彼女は偶々だが、ハーリーと同じ研究所に居たのだ。
彼も優しい少年である為、年齢も同じである彼女を何かと気にかけてくれている様だった。

アキトは、ラピスの事を気遣ってくれているハーリーに、ただただ「ありがとう」と頭を下げた。

本来ならばこれは自分の役目である筈である。
それなのにその役目を果たす所か、五感が戻った事に感動する余り、綺麗サッパリ彼女の事を
忘れていた自分に言葉では言い表せない程の怒りを感じていた。

「あ、テンカワさん。ラピスとお話しますよね?」

自身に対する怒りの余り、下を向きながら完全に押し黙ってしまったアキトに、ハーリーは
気遣いの為かこう切り出した。
もっともハーリーは、アキトが何故押し黙ってしまったのかなど、全く解っていない。
ただ単に、彼はアキトがラピスの事を気に掛けている故に、押し黙ってしまったのだと思っただけである。
「ラピスー。テンカワさんからの通信だよ〜。」と、コミュニケの画面上のハーリーは
ラピスに向かって話しかけた。


程無くして、ラピスはハーリーと同じコミュニケの画面上に現れた。


「…あきと………?」
画面に現れたラピスは、いつもと全く様子の違うアキトを不安げに見つめる。
それはほんの極僅かな表情の変化だが、誰よりも長くラピスと共に居たアキトには
驚くべき事だった。
「…はーりー。あきとなの……?」
ラピスは、自分を見つめたまま沈黙したしているアキトを見て、ハーリーの服をぎゅっと掴む。


―――彼女のその手は震えていた


(ラピス……。俺は―――)

「そうだよ、ラピス。君が逢いたがっていたテンカワさんだよ」

アキトが沈黙を続ける中、ハーリーは震えるラピスに優しく声を掛ける。
(ハーリー君…)
その光景にルリは驚きを感じた。それは彼女の知らないハーリーの姿だった。
(大人に、成っていってるのね…)

再び暫しの沈黙が訪れる。
が、アキトはこの沈黙の空気を自身から打ち破った。


「ラピス…なんだな………」


「…………うん………」


ラピスの、小さいが確かな返事を聞いて、アキトは堰を切ったように口を開いた。
「ラピス、すまない!!! 謝って済む問題じゃない!! けど、すまない!!!」
アキトは、画面の向こうに居るラピスに土下座をした。
「…えっ?」
これに戸惑ったのはラピスである。彼女は、土下座の何たるかを知ってはいるものの
(彼女からしてみれば)される覚えはまったく無いのだから。

因みにルリはその光景に苦笑して、ハーリーはただただ呆然としていた。









アキトが落ち着くまで、暫くの時間を要した。















なお、今後の行動方針についてはスッキリと決まった。
根幹は、アキトの突発的な思い付きだったりするのだが。

「何だか、色々と穴が有る気がするんですけど…」
「そうですね」
「(こくこく)」
「これでも考えたんだよ。色々とね…」
ジト目のマシンチャイルド達に睨まれながら、アキトは冷や汗を掻いていた。



「ラピス」
通信を切る寸前、アキトはラピスに声をかけた。
「これはラピスも解っている事だろうけど、もうあの時の様に話す事は出来ない」
ラピスはこくん、と頷いた。
「お前も気付いている事だが、俺達のリンクはもう切れている」
ラピスはこくん、と頷いて首をかしげた。
「バイザーは…? 目は…見えるの…?」


アキトはかつて、旧木連の過激派の成れの果てである火星の後継者によって行われた
人体実験によって、感覚―――正確には脳の感覚を司る分野に著しい損傷を受けていた。
聴覚や触覚、視覚や嗅覚、そして彼にとって命とも言える
味覚にすら深刻なダメージを受けていた。
聴覚、視覚については、バイザーや補聴器の補助によって何とかなるダメージであったが、
触覚と嗅覚、味覚は文字通り壊滅的な状況だった。
これが、彼を火星の後継者への復讐へと走らせた根本的な原因だった。


「うん。それどころか匂いも判るし……」
アキトは暫しの沈黙の後、言葉を続けた。

「味も、判る。」

「そう…」
「本当ですか、アキトさん!」
「ああ、本当だ」
興奮を隠せない様子のルリに苦笑しつつ、アキトは答えた。
「けど、それでラピスの助けが要らなくなった、なんて事なんか無い。
むしろ、これから更にお前の助けが必要になるんだ」
ここでアキトは、一旦言葉を切った

「これからも、俺を助けてくれないか、ラピス」
ラピスの目を優しく見つめながら、アキトは彼女に『頼んだ』。
無論、ラピスの答えはアキトに言うまでも無く決まっていた。

「…うん」

ルリは、そんなアキトとラピスにちょっと嫉妬しつつ、同時にアキトは何も
変わっていない事に安心していた。


「ラピス、必ずあの男より先にお前を研究所から助け出す! 
だから、さっき決めた事…頼む」
「…うん。あきとを信じる」
アキトはこくこくと頷くラピスに、優しく微笑みかけた。

「それと、ハーリー君」
「え…はいい!」
ハーリーは、アキトにいきなり呼びかけられると言う予想外の事態に
つい上ずった声を出してしまった。
「な…と。何ですか、テンカワさん?」
しかしどうにか落ち着きを取り戻したハーリーは、何だか戸惑った様子でアキトに
聞き返した。彼にとってアキトは、憧れの人の兄であり、ラピスの保護者とも言える存在である。
一言ではとても言い表せない人間であるため、どのような態度をとっていいのか判らないのだ。

「君にしか頼めない事なんだが…」
アキトが次にどの様な言葉を口に出すのか、ハーリーは緊張した。
「ラピスを頼む」
アキトは頭を下げた。
「は、はい。それは勿論です! ですからテンカワさんが頭を下げる必要なんて無いですよ」
ハーリーは全くの予想外の事態に大いに戸惑った。


「ありがとう、ハーリー君」


アキトは、心からの感謝の言葉をハーリーに送った。





















ナデシコ食堂――――――

アキトとルリの予想通り、ムネタケはやはり反乱を起こした。
その為、主要クルー達は食堂に監禁されていた。

「かくして、自由への道は1日にして断たれる、か」

ウリバタケの呟きが漏れる中、アキトはホウメイの試験に受かり、晴れてナデシコのコックとして腕を振るっていた。
(ユリカ…)
注文された麻婆豆腐を調理しながら、かつての妻だった女性とのこの艦に乗船してからの会話を思い出していた。










「アキト、アキトでしょ!!」


自身が山下龍一と言う過去にはいなかった人物と共にブリッジに行き、コック兼パイロットと言う過去と同じ
宙ぶらりんな立場でプロスに雇用された時の、彼女―――ミスマルユリカの言葉だ。

彼女は『過去』である為に何ら変わらず、それ故にアキトに耐え難い心の痛みをもたらした。
そんな彼女に、アキトはただ逃げる事しか出来なかった。

結果、彼女への接し方は『過去』とそう大差無い物となった。










「おお、兄ちゃん。お前さんの料理もなかなかうまいぜ」
龍一がアキトに話し掛けてきたのは、そんな折だった。

「ありがとうございます。あと俺の名前はアキトでいいですよ」
アキトは突然の事で戸惑いながらも、やはり料理を褒められた嬉しさで笑みが零れた。
2年のブランクは彼が予想していたよりは短かったのだ。

「おう。俺も龍一でいいぞ」
龍一は、彼の頭の包帯が自身の所為であると言う事を思い出し、少々引きつった笑みを返していた。
(こんなトコで鉢合わせたぁなー)

「あの子は、妹さんですか?」
「ん? ああ。俺よか遥かに出来良いけどな」
アキトはルリと話をしている『瑠璃』が気になり、龍一に話しかけた。

「不思議ですよね。まさか、ルリちゃんとそっくりだなんて」
「そーでもねーかも。家の方が背高ぇし、血色が良い(と思う)し、あと」
「あと?」
龍一が言葉を切った。
「色々抜けてる」
「って何ですか、それ」
龍一が言った言葉に、アキトは思わず吹き出した。

「仕方がねーのよ。アレでもただの小坊だかんな。ちょっと違うといえば体が弱い事かな?」
「そうなんですか?」
アキトは怪訝に思って聞き返した。
「ああ。病弱なんだよな。よく風邪とかで寝込むな。体育の授業も見学が多いし」
「そうなんですか…」
そう呟いて、アキトは瑠璃を何だか遠い目で見た。
「? どったの?」
「あ、いえ。ただルリちゃん、楽しそうに妹さんの話を聞いてるなって思いまして」
その言葉に龍一は不思議そうな表情を浮かべた。
「楽しい? 普通の事じゃん。俺らもそうだったし、普通のガキなら誰だって……!」
「そうなんですよね、あの子…」
「そっか…」

アキトはハッキリしないその言葉の中に、龍一が勘付いた答えを含ませた。
幸いにも龍一は、その『含み』にも気付いた為、もうその事については聞かない事にした。

「って、お前さん。あの嬢ちゃんと知り合いなんだな」
それはふと気付いた事だった。
「ええ」
しかしアキトはそれ以上答えようとはしなかった。


――このまま軍がナデシコを接収してしまえばもう御役御免。晴れて自由の身!

アキトとの会話が途絶えた後、龍一の脳裏を占拠したのはそんな考えだった。
そもそも、ほぼ無理矢理な形で乗船させられた彼と妹の瑠璃に
とっては、それこそが理想なのである。

が、現実はそんなに甘くなく…と言うより非常識だった。
ヤマダジロウことダイゴウジガイがウリバタケの助力を得て流したアニメ
『熱血ロボ ゲキガンガー3』を見て何やら感化されてしまったナデシコクルーが、ヤマダもといガイを先頭に
艦を占拠した連合宇宙軍に対し反撃に出たのだ。

こうなれば、保安部として雇用された龍一も、動かざるを得なかった。
ヤケクソ気味に「チ○コ頭に天誅じゃ〜〜〜〜」等と叫びつつ、出会う兵士たちを排除していった。








ナデシコ戦闘オブザーバー兼保安部部長ゴート=ホーリーが、艦を占拠している連合兵士達を排除すべく
食堂を出ていったのは、それから間も無くの事だった。

「ほう、これは」
彼は、足元に倒れている連合兵士達を見て軽く頷いた。
彼らが装備していた自動小銃の安全装置が掛かったままだからだ。

(少なくとも、この艦の乗員に危害を加えるつもりは無い訳か)

ゴートは、彼らがあのムネタケの部下である為、それ相応の事態に発展する事を想定していたが
それがどうやら取り越し苦労に終わりそうな為に密かに胸を撫で下ろした。

(しかも、わざとやられた様だな…)

これは別に龍一が、事前に彼らと打ち合わせをしていたと言う訳ではない。
龍一の実力不足に同情してやられたフリをしていた訳でもない。

実際に龍一の実力は大した物だった。
プロスがスカウトの時、即決して雇うと決めたのも納得できる程度にはあった。
(それよりも彼は、龍一の後を追って食堂を出たテンカワアキトの素人とは思えない行動力と身のこなしが気に掛かっていた)

思考を中断して再び倒れている連合兵士達を見やると、彼らは(ゴートにしか見えない様にだが)一斉に口に指を当てていた。
どうやら自分達が気を失っていない事を、他のクルーには黙っていて欲しいらしい。

―――わざとやられる位なら、他のクルーには危害は加えまい。
ゴートはそう考えたが、念には念を、と言う事で食堂に残ったクルーに手早く指示を出して倒れている
連合兵士達を縛り上げた後、艦の各所にいる連合兵士を排除しに向かった。

(この分だと早く終わりそうだな)

はたして事態は、彼の予想通りとなった。



















「…ふう。」
龍一が、ブリッジでセクハラ全開な発言をしてミナトにしばき倒された直後、アキトは『過去』に還って来て
から初めてエステバリスのコクピットに座っていた。
ある意味、自身の体の如く馴染んでいた場所である。
自分がこの空間に居なかった時間は、自身の感覚では極僅か――数日であるのに、アキトは何故だか
このコクピットという場所にひどく懐かしさを感じていた。
(忘れられないんだな…、きっと……)

各部の計器のチェックをしながら、IFSコネクタの感触を確かめる。
と、その時、コクピットの外から声が掛かった。
「おい、兄ちゃん。何かずいぶん緊張してる見てぇだけど、大丈夫か?」
整備班班長のウリバタケである。
「はい。大丈夫です」
アキトは明瞭に答えた。
「ん〜。なら良いんだけどよ。あ、それと今回の出撃は―」
「ゴートさんから聞いています。艦長が戻ってきて、艦のマスターキーを挿すまでの時間稼ぎですよね」
素人である筈のアキトの極めて落ち着いた返答に、ウリバタケは些か面を食らった様子だったが
即座に気を取り直した。
「そこまで落ち着いてんなら大丈夫だろ。ま、手前と艦を守る事だけに集中しろ」

そう言ってアキトの肩を叩き、ウリバタケは離れていく。
そこでアキトはとある一つの事に気付いた。
「あの、山下さんなんですけど…。あの人は?」
ウリバタケは頭を掻きながら振り返ると、苦笑しながらこう言った。

「ブリッジで名誉の負傷だとよ」



その後の戦闘は、アキトにとっては肩慣らしにすらならない物だった。
アキトがチューリップの触手を適当にあしらっている内に、ナデシコは機能を回復。
『過去』の時と同じくグラビティーブラストの一撃でチューリップは粉砕され、ナデシコは無事
軍を振り切り大気圏を離脱すべく逃走した。
全ては『過去』のままだった。


…慣熟航行が出来なかった所と、副長が居なくなった事に誰も気付かなかった所まで。






















ナデシコブリッジ――――――

「へー、そうなんだ。美月ちゃんだっけ?面白いわね、その娘」
「はい、そうなんです。それで何時も遅刻しそうになって…」
「で、瑠璃ちゃんが起こしてあげてるんだ。でもこれじゃどっちがお姉さんか解らないね」
「苦労してるんですね、瑠璃さん」
「えへへへ…」

女性同士の華やかな話し声が弾む。
先刻の、ユリカによる地球連合軍総司令部へ喧嘩を売る様な通信の後、ナデシコは軍の追撃から
逃れ大気圏を離脱すべく上昇を続けていた。
艦は既に成層圏近くまで到達し、残る問題はデルフィニウムとビッグバリアのみとなり、そしてそれもまた
大きな問題では無い為に、彼女らは新たに加わったブリッジクルーである山下瑠璃との
お喋り(または質問)をしていた。

ちなみにユリカは振袖を着替えに行った為に、現在ブリッジには居ない。

「しかしまた随分と喧し…、いや賑やかだな」
ゴートは小さく呟いた。
「まー、女3人揃えば姦しいもんスよ。それが4人も揃えばもう騒音ですぜ、ジッサイ」
その呟きが聞いたのか、妹の瑠璃が心配でブリッジに残っていた龍一がゴートに向かってそう言った。
「女ってのは、どうも四六時中喋ってねぇと落ち着かないみたいっすよ」
「しかし、女性が喋らずに四六時中黙っているのは、あまり気持ちの良い構図ではない」
ゴートは表情を一切変える事無く、今日から自身の部下になる男に言葉を返した。

「そうですね。女性のお喋りは職場の花ですよ。度が過ぎなければの話ですが」
二人の遣り取りを聞いていたプロスは、そう言いながら龍一を見た。
「女性が少ない職場に居ると、尚更です」
「はぁ。そんなモンすかね?」
龍一は今一気の無い返事を返した。


「この人がお母さんね。綺麗で優しそうな人ね」
「このボブカットの子が美月ちゃんね。元気そうな所がイメージぴったり」
「で、髪の長い方が纏さんで、アッシュブロンドの方がレナードさんですね」

どうやらミナト、メグミ、ルリの三人は、今は瑠璃が持っていた家族の集合写真を見せて貰っているらしかった。

「それで中央に写っているのがお父さんで、右隣が山下君。左隣のイケメン君が…」
「はい、リオ兄さんです」

ミナトが指した写真の中央部には、一目で親子と解る極道としか思えない面構えをした男性二人と
(恐らく天然の)金髪の美しい白人の少年が写っていた。

「しかし、お父さんと山下君は一目で親子と解るわね。良く似てる」
「俺のヤクザ面は親父譲りなんだよ。ほっといてくれ」
ミナトの言葉に答える様に、龍一は会話に割り込んできた。
「誰もそんな事言って無いわよ。それに、大の男がそんな事を気にしてるなんて、みっとも無いぞ」
そんなミナトに、龍一は押し黙ってしまう。

先程、自身のセクハラ発言が元でミナトにハンマーで殴られてから、どうやら龍一は彼女に対して
苦手意識を持ってしまったらしい。

ミナトの方は、もうそれほど気にはしていない様子だが。

そんな龍一とミナトを他所に、メグミは瑠璃にリオの情報を色々と聞いていた。
「へー、高校一年なんだ。彼女とかは居るの?」
「付き合ってる人ですか? たぶん居なかったと思います」
「そーなんだ。結構モテると思うんだけどなぁ」

メグミは、こんなに美しい少年を見るのは生まれて初めての経験だったので、ただ純粋に興味を持ったのだ。
だが、幼少の時からずっと家族として過ごしてきた瑠璃には、リオが美形だと言われても今一ピン
と来ない(同様に、龍一や父将明が極道面をしていると言われてもピンと来ない)。
故に、この様な言葉を返した。

「えと…、そんなに格好良いんですか、リオ兄様は?」
「勿論だよ。これだけカッコ良くて金髪碧眼で。これで物腰が穏やかだったら、まるで童話の中の王子様だよ」
「あははは…」
夢見る乙女の様なメグミのリオ(の外見)に対する評価に、彼の普段の姿を『妹として』よく
知っている瑠璃は、ただただ乾いた笑いを返すだけだった。


そんな彼女らの様子をルリは横目で捕らえながら、彼女は自分とほぼ同じ顔を持ち、少々身長の高い
少女の家族構成を心の中でまとめた。

(父親に母親。兄が2人に姉2…いや3人。あの写真から見て、この家族はとても幸せそう…)
実際、写真に写っていた山下家の人々は、皆心の底から笑顔を浮かべていた。

(家族…か……)
それはルリにとって奪われて久しい物だった。

あの忌々しい火星の後継者たち。
彼らは、彼女の最も大切な家族たち――父と母を自分から奪い徹底的に蹂躙し、その尊厳を踏みにじった。


結果、母であったユリカは臨終真近の状態で助け出され、父であったアキトは人を捨て、修羅の道に走った。


(けど、この人は…)
自分と同じである。

まだ調べてはいないが、ルリは山下瑠璃が自身のクローン、或いはその逆ではないかと予想していた。
自分の立場を考えれば、それは別段不思議な事では無く、むしろ当然の事だからだ。
ネルガルが心血を注いで造り上げた『マシンチャイルド』の最高傑作である自分のクローンが無い方が不自然なのだ。
いや、この場合は彼女自身ががクローンであろうか?

とにかくルリは、自身のクローンが居る事、そして自身がクローンか否かと言う事にはそれほど
ショックを受けてはいなかった。

ルリがショックを受けたのは、自分にそっくりの少女が、『過去』のこの時代の自分には辞書等で知りえた
知識しか無かった『家族』が居て、当時の自分では想像さえ出来なかった『家族のぬくもり』に包まれた
幸せな生活を送っていたと言う事だった。

確かに山下瑠璃は、自分と違ってIFSのオペレートは未熟以前の腕前だ。彼女は義務教育しか受けて
いないから、幼少より英才教育を受けていた自分とは、学力は天地の差ほど開いている。

だが、それがどうだと言うのだろう。
彼女はそんな事よりも、もっと大切な事を自分より遥かに沢山知っている。
自分が持っていないモノを、彼女は沢山持っている。

そこまで考えて、ルリは自身の心に芽生えたとある感情に気付いた。
(私、瑠璃さんに嫉妬している!?)

―――そんな事は無い。羨ましかったのは事実だけど、今の私にはアキトさん…家族が居る。

ルリは心の中でそう呟いた。








ユリカがブリッジに戻ってきたのは、それから程なくしての事だった。






















ナデシコ食堂――――――

ブリッジが瑠璃(と龍一)の家族の事で盛り上がっている頃、アキトは食堂で料理の仕込みを行っていた。
(懐かしいな、この感覚)
包丁を握り、食材を切っていく。
その何でも無い、本当に何でも無いただの料理の仕込み。
思わず顔に笑みが浮かぶ。

彼は、その何でも無い単純な作業が楽しくて仕方が無かった。

(俺、今料理をしてるんだよな……)
未だにわかに信じがたいこの状況。
だが、彼の胸に優しく在るこの暖かい気持ちは、決して嘘でも幻でもなかった。
この様に料理をしていると、アキトは自分は改めて料理が好きなのだと実感した。

「テンカワさん、だったっけ? とても嬉しそうに料理してる…」
ナデシコ食堂のウエイトレス兼調理補助――通称ホウメイガールズ――のテラサキサユリは
そんなアキトの様子を少し離れた場所から見ていたが、周りの同僚らの視線が気になったのか
少し残念そうにそそくさと自身の仕事に戻った。

そしてそんなアキトの様子を見ていた人間がもう一人居た。

他ならぬホウメイである。

(あの子、中々鍛え甲斐がありそうだね)
ナデシコに乗船して早々、こんないい資質を持った人間に出会えるとは。
ホウメイは、この船に乗船出来た事に感謝した。






















ナデシコブリッジ――――――

食堂での勤務を終えたアキトが、自分の部屋で通信してきたルリと山下兄妹について調べている時だった。
「ア〜キ〜ト〜!!もう!! 幾ら知り合いだからって、ルリちゃんとばっかりお話しして!!
私もアキトとお話しがしたい、したい、したい!!!」

ユリカが乱入してきたのは。

その言動の為、佐世保での初陣、先程の地球連合極東宇宙軍によるシージャックで高騰したユリカの株は、再び下落した。
ブリッジの人間の誰もが少々引きつった笑みを浮かべている時、オモイカネが敵機の確認をし、メグミが
ダイゴウジガイことヤマダジロウが無断で出撃しようとした事を報告した。


「クソッタレ! 何でまた出なきゃならねぇんだ!!」
龍一は、ブリッジから格納庫まで走って移動しながら叫んでいた。
「まぁ、気持ちは解りますけど、それでも乗れる人間が俺達しか居ないから仕方ないですよ。」
途中で合流したアキトは、龍一の叫びにこう答えた。
アキトの言葉通り、今のナデシコではエステバリスに乗れる人間は彼らしか居ない。
(何が悲しくてIFSも付けてない俺が乗らなきゃならねぇんだ…)
この時、龍一は心底佐世保でエステバリスに乗らなければ良かったと後悔していた。

「アキト、お前は怖くないのか?」
龍一は、自分と違って何故か平然とした様子のアキトにそう聞いた。
自分と同じ素人である筈のこの青年が、何故か落ち着きを払っているのか気になったからだ。
「そりゃ、怖いですよ」
アキトは少し震えて見せた。
だが龍一は、それが嘘だと瞬時に見抜いた。

(何者なんだ、コイツ……)

そういえば、アキトはシージャック鎮圧時にも率先して動いていた。
しかも、その時の彼の動きはとても素人とは思えない素晴らしい物だった事も、同時に思い出した。

そう考えると、急にこの自分の隣を走っている青年が、何か得体の知れない不気味な存在に思えてきた。
それは思考ではない。感覚的にそう感じたのだ。


そしてこの感覚は、生まれてこの方今まで外れた事が全く無かった。


「? どうしたんですか?」
アキトは急に押し黙ってしまった龍一に声をかけた。
「あ? いや、何でもね」
そんな龍一の落ち着いた反応を見て、アキトはもう問題無い、と判断した。

―――何かあれば、その時は俺が守ればいい。
―――今は俺にもそれだけの力がある。

龍一の思考に一切勘付く事無く、アキトは決意を新たに格納庫へと急いだ。
そしてそれはまた龍一も同じ。




彼の疑念は、翌日に爆発する事となる。
























ナデシコブリッジ――――――

アキトと馬鹿二人(龍一とヤマダ)のおかげで、全防衛ラインを突破し、ナデシコ副船長アオイジュンを
無事(かどうかは大いに疑問だが)回収出来た翌日、アキトはブリッジで危機に見舞われていた。

「てめえは何者だ? こんだけ腕立つのに、てめえの噂なんざ聞いた事ねぇんだがよ」
昨日生まれた疑念を爆発させた龍一が、アキトの後頭部に銃口を突き付けたのだ。

無論、龍一は何の確証も無しに、この様な蛮行に及んだ訳ではない。
昨日の一件の後、プロスやゴートと話し合った結果である。
保安部長のゴートは、あの操縦技術にかかわらず素性が一切分からず、尚且つ決して面識が無い筈の
ホシノルリと面識があったテンカワアキトと言う青年を危険視していた。
プロスも彼と同様だった(それに彼は、アキトがネルガルと敵対する理由に心当たりがあった)。
プロスとゴートは、アキトの事を獅子身中の虫と認識していたのだ。
その為、龍一のこの行動は、彼等との打ち合わせの結果、とは行かなくても黙認された。

とはいえ、些か度が過ぎているのは事実。
プロスとゴート以外のブリッジクルーからは、相当厳しい非難の視線を浴びせられていた。
だが、龍一はそんな視線に負ける訳にはいかなかった。
それは勿論保安部としての使命感の為であったが、それ以上に妹瑠璃の為であった。

様はこんな素性の知れない男を、妹と一緒の船に乗船させておきたく無いのである。


妹を守る、と言う使命(またはある種の強迫観念)に燃える若者の、暴走気味の行動だった。


そして当のアキトに対する追求は、あまりに厳しい女性クルーの視線にとうとう耐え切れなくなり、それから
逃れる為に、龍一がわざとぶっ飛んだ意見を放って場をぶち壊し不問となってしまった。










「全く貴方は何をやっているんです、山下さん」
「すんません…。けど、女どもの視線が無茶苦茶怖くって…。それから逃げる為に仕方なく………」
「…お気持ちは解ります…」












「正直、スマンかった」
「もう! 兄様、もっとちゃんと頭を下げて! 申し訳ありませんテンカワさん。兄が失礼を働いてしまって…」
その後ブリッジでは、アキトに対して瑠璃に頭を下げさせられる龍一と言う、極めて情けない構図が展開されていた。
「はは…。もういいよ。確かに傍から見れば俺は怪しい人間だからね。お兄さんの行動も仕方ないと思うよ」
アキトはそう言う物の、間も変わらず龍一に対する瑠璃以外の女性ブリッジクルーからの視線は厳しい物があった。


龍一がナデシコ保安部として、また兄として勇み過ぎて行った行動の結果は、この様に多分に屁タレた物となった。























アキトがその日の午後五時(ナデシコ標準時)に脱走者が出た事を知ったのは、ナデシコがサツキミドリに寄航する寸前だった。。
夕食ラッシュ直前の最後の休憩を満喫している時、ルリからのコミュニケ通信が入ったのだ。

それによると、ムネタケらとは別に龍一達も脱走してしまったらしい。
「ムネタケは『過去』と同じだからいいけど、彼等もかい?」
『はい。部屋も完全にもぬけの空でした』
「しかし…、誰にも気付かれずどうやって…?」
『見事に隙を付かれちゃいました』
ルリは苦笑しながら答えた。

別段損害と言えば、シャトルが2機奪われた(ガイは医務室に絶対安静していた)のと、予備のオペレーター
(役立たず)が居なくなった事だけなので、ナデシコ内部でもそれほど大事にはならなかった。

ただアキトとルリからしてみれば、いろんな意味で興味深かったあの兄妹が居なくなった事は、少し寂しい物があった。




その後ナデシコは、何事も無かったかの様にサツキミドリ2号を経た後地球圏を離脱し、一路火星へと進路を進めていく。









なお、山下龍一がもう二度と関わる事が無いだろうと考えていたナデシコに、妹共々再び乗艦するハメになるのは、これより8ヵ月後の事である。







後書き

この話で言いたい事はただ二つ。

@本編1〜3話のアキトは何をしていたか?

A実は屁タレな龍一。



(某弾劾裁判では無いのでボケは無し!)












…約2年ぶりの投稿……。どうせ誰も覚えて無いんだろうなぁ……(つД`)

 

 

 

代理人の感想

子曰く。過ちをあらたむるに憚る事無かれ。

と、言うわけではありませんが、何年間が開いていようと書かないよりは書いた方が数段マシです。

お帰りなさい、核乃介さん。