死して尚続く
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星野ルリは私の大切な妹です。
アキトの屋台を手伝ったり、三人で川の字になって寝たり、毎日お喋りしたり、平穏な日々をアキトとルリちゃんと暮らしています。
ルリちゃんは幽霊ではないと云うけれど、私にとっては幽霊みたいで、それでも私たちにとって大切な娘です。
有り得ないと思っていた死後の邂逅は、正直死ぬほどびっくりしたけど、怖いような嬉しいような、否。
嬉しかった。
死んだ人に会えるのは普通は有り得ないことです。私とアキトの心配は――ルリちゃんが自分の存在に疑問を持ってしまうこと。生き物としての定義を外れたルリは人ではない。けど意志がある。しかし星野ルリによってただプログラムされた存在だと思われてしまうのが心配。否。違うね。私とアキトがそう思ってしまうのが――。
――怖い。
造りモノだと、ルリちゃんの贋物だと断罪してしまうのが怖い。
けどそれは愚かなことだから。私たち家族に今はないことだから。きっと今後もないことだと思う。だから。
私たちは笑っている。
ナデシコクルーの皆はルリちゃんを拒絶しなかった。死した後に会うと云うのは理解出来ないことだろうけど、オモイカネをナデシコの一員だと想っている皆はルリ――情報によって成り立つ存在――を受け入れてくれた。
けれど、ミナトさんの表情が私には辛かった。
何かを耐えるようで泣きそうで、
何かが悔しいようで笑いそうで、
何かに壊されそうで嬉しそうで、
認めることができないのだ。星野ルリは一人しかいない。彼女の綺麗な死に顔を通夜で見たのだから、一つの命が完結したのだと解っているのだ。
突然現れたルリちゃんに似ているモノに、今はただ、驚くことしか出来なかったのだろう。
ミナトさんはそんな皆よりも一歩先に居て、
私とアキトはそんな皆よりもずっと後ろに居る。
今の私の思考は支離滅裂で、色がぐちゃぐちゃに混じり合って、壊れた硝子を元の形に合わしただけで、ひどく不安定。
だけど私はそれに気付かない。気付きたくないから、アキトと共にまどろみに浸っている。ルリという娘も一緒に。
「暇だねぇ」
「暇ですねぇ」
私とルリちゃんは正座から足を崩してテーブルに突っ伏してたれている。
ルリはテーブルにコテン、と頭を横向きに置き、私は両腕をテーブルに投げ出してたれている。
「ルリちゃ〜ん。アキトどこまで行ったか解る〜?」
私は気怠い声のままルリちゃんに訊いた。
ルリちゃんはマシンチャイルドだからハッキングなどが得意なのだ。どっかにふらりと出掛けたアキトなんか、ちょちょいと見つけ出すことが出来るだろう。
あれ。
今でもマシンチャイルドで良いのかな。矢張り幽霊? でも幽霊と言うとルリちゃんが恐い眼で睨むから言わない。触らぬ神に何とやら。天然って言われるけど、私でも言われて厭なことを人に言わないよ。
「無茶をすれば解ると思いますー」
どことなく気力を感じさせない調子で答えてくれた。
私は顎をテーブルに付けたまま顔を上げてルリを見た。
ルリちゃんは頭をテーブルに乗せたまま、蒼みがかった銀色の髪をテーブルに垂らさないでゆらゆら浮かしてる。う〜ん。なんて不思議な光景なんだろう。
「無茶なの?」
「はい。ハッキングしたりするのは『情報』を扱うので私が均一化されてしまうんです。安定するのに時間が掛かります」
「へぇ〜。大変なんだね〜」
「そうですねー。大変なんです」
情報の均一化とは、矢張り『星野ルリ』を成り立たせるのにあってはならないことなのだろう。
混沌とした情報の海の中に、ぽちゃんと自が混ざり合って、必要な水滴を選別し、汲み上げる。
体という個体が現実世界に在ったなら、掬った情報を脳髄に流し込むことが出来るけど、もし無かったら海に揉まれてなぶられて、一は全になってしまう。
扱う情報の対象が広く大きかったら『星野ルリ』を再び形成するのに時間が掛かって、狭く小さかったら時間はさほど掛からないのだろう。
毎日処理する目の前の生活は割と小さな水たまりで、マシンチャイルドとして処理していたものはとても大きな海なのだ。
けれど処理する情報の対象は、『世界』に起こる事象現象を相手に出来たりするのだから、体が在ったときのルリとどちらが凄いのだろうか? 何故なら肉体という制約がないのだから、制限なしに干渉できるのだ。
しかし、そんなことは関係ない。戦争は終わったのだから目くじら立てることは何もないのだ。
それより今の問題は、
「暇だねぇ」
「暇ですねぇ」
割と切実な問題だったりする。む〜っ。アキトは結婚式を一ヶ月後に控えたというのに、ふらりと『大切な物を持ってくる』と言う書き置きを残して行ってしまった。私も付いて行きたかったのに何を考えているのだろう。ルリも寝ていた――休眠状態だった――からアキトが外に出るのを気付かなかったらしい。甲斐性なしだよ。アキトぉ。
「ねぇ? ルリちゃん」
私は体を起こして壁に背を預ける。蒼色の髪がさらりと揺れた。
お尻を座布団に置く正座を崩した内股気味な座り方で、片手を膝の上できゅっ、と握り拳を更に締める。
そして唇にもう片方の手の人差し指を添えて小首を傾げた。
アキトと共に借りているこのアパートは結構狭いのだ。アキトは戦争のとき保険に入っていなかったために、借金を沢山してしまった。肩代わりするよ、とアキトに言ったら断られてしまった。けど一緒に暮らせるのだから問題ない。アキトとルリちゃんと一緒で私は嬉しい。
「ふぁい? 何です。ユリカさん」
ルリは私が背を起こしたのに気付いたのか、体を起こして私を見た。
小首をコクンと傾げる仕草は可愛らしいのだが、ふよふよ揺れるツインテールはわざとなのだろうか? 不思議である。
「ルリちゃんは、幸せ?」
平静を装って何気なく訊いてみた。
今まで恐くて聞けなかったことである。
ルリちゃんがアキトに妹としてではなく、少女という詭弁ではなく、女として好意を持っていることを、『星野ルリ』が亡くなってしまってから気が付いた。
『情報』という想いを形に固定したものだから、より深くルリちゃんを見ることが出来たのだ。
故に気付いてしまった。
私はなんて浅はかで自分勝手で愚かだったのだろう。アキトは私を選んでくれた。否。アキトは私を大好き。
好きな
私だったら耐えられなくって逃げ出してしまう。
すごく近くにいるのにアキトは私以外を愛していて、友人としてだけ私を見てくれる。
その差違に私だったら嫉妬して、黒い思いを一滴でもアキトに知られたくないから逃げ出してしまう。
それなのにルリちゃんは笑顔で私とアキトに引き取られてくれた。
他人を引き取るのは、その人の運命を縛ることで、相応の義務が生じる。引き取る者は大抵その人のためと言うけれど、実際は自己満足のためなのだ。
そんな自分勝手な思いを微笑って受け入れ、一番辛い場所にルリちゃんは踏み込んでくれた。
好きな人が自分以外を愛している。絶対に越えられない縛られた境界線は既に施されている。そんな場所で本当に幸せになれるのだろうか。
「ええ。私はアキトさんとユリカさんを好きですから幸せです。私に笑顔を教えてくれたアキトさんを大好きで、私に笑顔を与えてくれたユリカさんを大好きです」
ルリちゃんは穏やかで柔和な笑顔を浮かべてくれた。
――ああ、私は一つのパーツを思考に組み込むことを忘れていた。ルリちゃんが私をどう思っているかだ。状況に対する思いだけではなく、私個人をどう思ってくれるかだ。
嫉妬するのが普通の対応だろう。だけどルリちゃんは私も大好きだと言ってくれた。それが嘘か真か判らないけれど、こんな私を好きだと言ってくれた。
鼻先がつんとして、目頭に熱いものが溢れてくる。心底嬉しいことを言ってくれて、頬を熱いものが伝ってくる。
だけど終わりに。
私が二人を縛っているのではないか心配です、とルリちゃんが睫を震わして、濡れた瞳で言った。言い終わると顔を臥せた。
「ええ!? そんなことないよ。ルリちゃんは大切な家族なんだから迷惑を掛けて掛けられるのは当たり前でしょ。私だっていろいろしちゃっているんだから」
私は溢れる涙を忘れて、慌てて両手をぶんぶん振ってそう言った。
ルリちゃんが言ったことは意外だった。
否。
本当にそうだろうか。ルリちゃんは賢い娘だから、私とアキトの心を知っているのかもしれない。
既に亡くなった『星野ルリ』。
死して生まれた『星野ルリ』。
いくつもある思いが詰まった
それは恐いことだ。一番気付きたくない自分自身は気付かなく、二番目に気付いて欲しくない者に気付かれてしまう。
――ひどく滑稽。故に残酷。
それは私に残酷ではなく、ルリちゃんに残酷。
ルリちゃんは鋭利なナイフでぐさりぐさりと突き刺され、私とアキトは気付かずにルリちゃんを伴ってぬるま湯に浸かる。体を癒すはずの温泉は、傷だらけのルリちゃんを更に苦しめ、かさぶたとならずに決して塞がらない
「そう、ですね」
ルリちゃんは笑みとは思えない悲しそうな笑みを浮かべ、それが私の胸にナイフを突き刺した。ズキリ、と胸が痛む。気付こうとしない罰を責めるように、咎人の私を断罪する。
「うん。そうだよ」
だけど私はその痛みにさえ気付こうとしない。それがルリちゃんを更に苦しめるとは知らずに、停まった時間を進めようとはしない。
ガチャリ、とアパートのノブを回す音がした。扉が開く。
「ただいま〜」
アキトの声が、悲壮な空間を洗い流した。しかし入ったこの青年も、停まった時間を進めようとしない咎人である。
「あ、お帰り〜。アキト」
「お帰りなさい。アキトさん」
私とルリちゃんは偽りない柔らかな笑みを浮かべた。
さっきまでの停まった時間を更に動かないように停止させた空間はなく。
家族の帰宅を喜ぶ妻と妹の柔和な微笑み。
「ああ、ただいま」
アキトも目を細めて口許を緩めた。
アキトは私とルリちゃんの横。つまり私たちのすぐ横ではなくて、テーブルの一角に座った。
「どこに行ってたんですか?」
ルリちゃんが小首を傾げてアキトを見た。蒼銀髪はさらりと揺れず、ふわふわと舞っている。矢っ張り不思議だ。
「ん? これを取りに行ってたんだ」
アキトは片手に持っていたファイルをテーブルの上に置いた。そして一めくり。
「あ、私とアキトだ」
アキトが持って来たのはアルバムだった。電子情報として様々な物が記録される昨今に、写真という味のある紙切れである。
開かれたページに差し込まれた一枚は、子供の頃の私が笑ってアキトの袖を掴んで、アキトは照れてそっぽを向いている写真。雲一つ無い蒼空と広がる緑の大地。火星の草原で撮られた一枚だった。
「ああ、ネルガルに行って親父とお袋が撮ってくれた子供の頃からの画像データを印刷してもらったんだ。あんまり枚数無かったんだけどね」
アキトは子供の頃の写真が恥ずかしいのか、鼻の頭を掻いた。
「どうしたんですか?」
ルリちゃんは何故持って来たのか解らないようで、コテン、と小首を傾げた。
ただ、見るために持って来たのではないと解っているからこそ、その先の訳が解らないのだ。
「写真って、あんまり撮ってなかったろ。だからさ、これからユリカとルリちゃんの、家族の写真をいっぱい撮って行きたいんだ」
アキトは目を細めて柔らかに笑った。優しげな笑みで私とルリちゃんを見てくれる。
でも。
「ルリちゃんは写真に写るの?」
ビギリ、とアキトの笑顔が固まった。つん、と指でつついたらそのままバラバラと崩れてしまいそうな固まりようである。
「――ぷっ」
「「ルリちゃん?」」
ルリちゃんは口許に手を添えて微笑っている。吹き出しそうになるのはアキトがかわいそうじゃないかな、と思う。
「大丈夫ですよ。アキトさんたちが私を見れるのと同じ原理で写真に写れます」
そう言ったルリちゃんの笑顔は今まで見た中で一番素敵な笑みだった。目元には涙を浮かべて、透き通るような笑みだった。
蒼みがかった銀色の髪はさらりと揺れ、硝子玉のような瞳は濡れてきらきらと輝き、白磁器のような頬を桜色に染めた綺麗な笑み。
ああ、こんな綺麗な笑みを見せてくれるならば大丈夫だよね。
私たちはいつまでも今が続いて行くと信じてる。
私たちは互いが大切で、とても大切な家族です。
あとがき
ちょぴり暗くなっていたけど、終わりに救い上げました。だけど状況は変わっていない? あはは、大丈夫でしょう。
それよりも問題なのは、一人称の練習なのに三人称っぽい表記があったこと。 ……何故に? う〜む。難しいなぁ。
難しいと言えば話の展開も難しい(汗) 書き出したら筆は進むのだけど、ルリが死んで、ルリが生きてて、ルリと暮らしているってのは難しい。比較対照が同一人物なのだから、少しの差違でも随分違うように見えるはずなので、アキトとユリカはその差違を気付かないようにしていることにしました。かなり難しい心境なのだろうなぁ。一度その人の葬式を体験してしまったために節目を過ぎてしまっているから、『ルリ』と『ルリ』を同じだとは捉えられないんだと思います。
しかし、同じだと捉えないと『今』が崩れてしまうので、薄氷の上を歩いている状態です。
もっとも辛いことはルリが一番解ってしまっていること。
うぅ。キャラに苦しい思いをさせているなぁ。頑張れよ、と言ってあげたいです。
それでは
代理人の感想
ん〜、前の話で書いたことと同じですね。
ユリカの一人称なら地の文を「〜〜だよ」とか「〜〜じゃないかなぁ」などとしたほうがそれっぽくなるでしょう。
後、ユリカもルリの呼び方はやっぱり「ルリちゃん」でしょうね。
しかし話は凄い惹きつけられるものがある・・・・うーむ。