死して尚続く家族(ひと)の絆








0+4/



 星野ルリとは何なのだろうか。
 ――私には解らない。

 人形(わたしはアキトに実験場から救い出されたときから生を謳歌し始めた。
 私の命、私の運命。それはアキトの命、アキトの運命に連なるモノである。

 新たなナノマシンに身体を蹂躙されることはなく、
 薬品以外にも咽を通して消化させる食事を知った。
 厭な人たちに物を見る目で視姦されることはなく、
 バイザーを外した優しい眼のアキトが見てくれた。

 ルリとの接点はアキトの存在のみである。

 星野ルリ。元ナデシコAオペレーター。アキトの義妹。享年14才。

 表の記録はこれのみである。
 しかし、続きがある。

 星野ルリの電子脳の『情報』が死した後に肉体という殻を破り、拡散したはずの『情報』は個を形成し、オモイカネとは違った情報集合体として存在した。

 信じられないことだけど、私にも一つ出来るかもしれないことがある。試したことがないから解らないが、電脳空間――マシンチャイルドである私のための空間と言っても過言ではない空間――になら、私も肉体を捨てて閉じこもることが出来るかもしれない。
 だが。
 星野ルリはそれを『世界』でやってのけた。
 器なしで現実世界に干渉し、日常を過ごしたという。

 エリナから聞いた話では、それは幸せそうに見えたそうだ。――表面上は。
 周りから見ていると辛かった、とエリナは言った。停まった時間の中を気付こうとせずに生活している三人の姿は、辛せそうに見えたそうだ。

 人は自分を騙して世界を騙し『しあわせ』を探し歩く。人がきてゆくのは辛いことが沢山あるから、自分だけの真実を信じて歩いている。自の幸せを求めている。
 だから、アキトたちは幸せを求めて。否、幸せに暮らしていた。
 しかし。
 辛そうにも見えた、とエリナは言ったのだ。いろんなことを騙しながら生きてく中に隠されたモノ、その想いの(はこに蓋を被せられた中のモノを一番解っていたのがルリであるというのも見ていて解り、辛かったそうだ。アキトとユリカの綻びに気付いてしまっていたのだ。

 でも、所詮は自でないのだから他人の心を全て理解することなどできはしない。自分の心さえ把握できないのが人なのだから、他人の世界を全て理解することなど無理なのだ。

 真実(ほんとうは彼らは幸せだったのかもしれない、ともエリナは言った。誰にも判らないことなのだと。

 それでも、その生活は崩壊を迎えた。アキトが話さない過去をエリナは教えてくれた。
 新婚旅行が全ての始まり、そこからバラバラと崩れさった。A級ジャンパーの誘拐。それは和平の先駆けを作ったナデシコクルーでさえ例外ではなく、外道によって行われた生活を惨殺する行為。
 けれど。
 私は興味がない。アキトの不幸は悲しむべき事柄だけど、過去を振り返らない。今如何すれば良いか、の方が大切なことだから過去を振り返ることをしないのだ。過去は記録でしかなく、不変のもの。けれど記憶は違う。廃れ改竄し再構成して記憶は成り立っている。曖昧な記憶(過去ならば、現在(いまの方が大切ではないか。そう、私はアキトの側に居られるだけで良い。役に立てるならば、私の存在はアキトの僕となる。盲信だとか言われるかもしれないが、私は。

 アキトの目であり、
 アキトの耳であり、
 アキトの鼻であり、
 アキトの口であり、
 アキトの肌である。

 人は世界に騙され、世界を騙しながら生きている。自の手が届く環境によって自分を形成し成長する。それは様々な思惑が渦巻く中での成長であり、日常を暮らす人を大量生産する儀式。

 その数ある世界の一つ、とても小さな世界の中で生きている私を否定することは許さない。
 学校、会社、地域、人は自の手が届く範囲(世界で暮らしている。知らない異国のことなど関係ない。自分が暮らす身近な世界が全てなのだ。

 私の世界は――、
 世界はアキト――。
 絶対の法であり――、
 不可侵の理であり――、
 私を司るモノなのだ――。

 しかし、私はこの世界を自覚していない。他人に否定されようが、促されようが私にはその者が何を言っているか解らない。

 例えば、病の者は健康を意識する。しかし本当に健康な者は健康を意識することはないのである。健康と言う概念が失われている状態が真の健康なのだ。自己に対しても世界に対してもそれは同じで、自分とは何か世界とは何かと問うているうちは本物ではない。自分とか世界と言うものがすっかりなくなって、初めて自分があり世界があるのである。

 アキトに連なる私の世界は、私が無意識に属している真理である。



 アキトとユリカが攫われたとき、ルリはアパートで留守番をしていた。ミナトから凶報――シャトルが爆破し二人は帰れなくなったこと――を受けて能面となっただろう。ルリにとってアキトとユリカの消失は世界の崩壊と同義なのである。感情を一切表さない機械の顔。そして、ルリは出掛けた。真偽を知るために。

 人は生きるだけで多くの情報を扱っている。視覚聴覚嗅覚味覚触覚。生きるとは流動する世界に埋もれるということなのだ。
 一定の場所に留まっていた方が処理する『情報』は少なくて済むのに、ルリは動いた。ルリがネルガル本社に来たそうだ。世界に満ちる『情報』はルリを形成するのに不可欠のものであり、ルリをルリでなくする毒薬でもある。移動するだけで存在が危うくなる体なのに、ルリは更に身を削る行為を行ったのである。『情報』を扱うことはルリという『情報』を均一化してしまうことだ。個としての消滅である。
 しかし。
 アカツキ、エリナの前でルリは『世界』を相手に『情報』を取り扱い、二人の居場所を検索したそうだ。まずはアキト。次にユリカ。取り扱う『情報』が大きすぎて二人同時に検索することはできなかった。ルリは自分が消えることを恐怖だと感じていない、と私は思う。世界の楔たるアキトとユリカの方が大切なのだ。
 だが。
 アキトの居場所の検索のみで限界だった。アキトの居場所の『情報』を建造中だったナデシコBのオモイカネへ転送し、ルリは『消えた』。

 『世界』を相手にしたために、ルリを成り立たせている『情報』が『均一化』してしまい、個として存在できなくなってしまったのだ。



 アキトはネルガルのシークレット・サービスに僅か5日後に救われた。ユリカはアキトと違う場所に運ばれたようで、救うことはできなかった。
 アキトはユリカ救出と復讐、ルリの仇のために闇となり、人を殺し殺し殺し――
 ――私を助けてくれた。

 これがエリナから聞いた記されていないルリについての情報である。























 眼が慣れて来た。墨で塗った如き闇に距離感が生まれる。近くの闇。遠くの闇。それら幾つもの闇が、今、層を成して同じ時間の中に在る。
 否。
 時間の概念が希薄なところだ。否否。時間などない。闇に覆われる覆われないは関係なく、変化がない空間とは時間が止まることと同義なのだ。『世界』は移り行くから時間があり、移り行かなければ時間はない。いわんや、時間があるから『世界』に変化があり、時間がなければ『世界』は止まっている。止まっているとは停止であり、『世界』の停止とは『世界の死』である。

 なら、私が居るここはどこなのだろう。私の意識があるのだから、変化があるということである故に、私は死んでいなく、『世界』も死んでいない。

 私の目の前の闇がゆらり、と揺れた。闇の揺らめきなんて解るはずがないのに、闇が揺れたとしか表現できない。
 揺らめいた後に目を閉じた少女が現れた。闇の中にふわりと浮いている。闇の中の筈なのに、少女が立つ足下から波紋が広がっていた。しだいに波紋は小さくなり、なくなった。――閉じられた瞳が開かれた。

 肌理の細かい柔らかな白い肌膚と蒼みがかった銀色の髪、硝子玉の様な綺麗な瞳――私と同じ金色の瞳。

 星野ルリが目の前に居る。

 初めて会ったアキトの大切な人の一人。勿論、イネスやエリナもアキトの大切な人であると思うが、順位を付けるとしたら上位に居る少女だと思う。最上位に位置する天川ユリカの次に大切な者、星野ルリ。人に順位を付けるなんておこがましいかもしれないが、人は差別して生きていくのだから仕方がない。

 差別と言っても悪い意味ばかりではない。違いを見分けると言うことなのだ。その人とあの人の違い。同一に見るのではなく、その人だけのための想い。あの人だけのための想い。しだいに違いが明確になり、自分にとって誰が一番大事かと判ってくるのである。

 アキトは私をどう想ってくれているのだろうか。判らない。そして、どう想っていても良い。道具でも何でも良い。――側に居られれば他に望みなんてない。

 私の世界はアキトなのだ。ただただ其れだけは真実。

 ルリの口から願いが紡がれた。
 その言葉は一言一言に力があり、私の胸の奥底にすぅ、と落ち込み、体中に広 がっていった。



 ――私を、受け取って下さい。



 脳髄に響いたルリの声音。『世界』にばらまかれた『情報』を集めたルリとし ての意志(おもい。思い想いが集まってできた ルリの経験を他者に渡す。複製して与える。

 その行為は自分は人ではなく物であると認めてしまうもの。オモイカネは元か らそう造られていたから自分の情報を複製される事に嫌悪感は感じない。自分が どういう存在であるか把握しているのだ。
 しかし。
 ルリは人だ。人だった。そのルリが自分の情報を複製するという行為は自の手 でクローンを作る事と同じもの。自分ではない自分が存在するのを容認する行為 。

 私と違い、感情を、思い出を、世界を持っているルリには耐え難い行為の筈だ。 しかし。
 その行為すら想い人の為ならば厭わないのだろう。



 ――あの人のために。



 あの人とは、アキトのことだと思う。否。アキトだけではなく、ユリカも含ま れるのかもしれない。

 ルリは少ない言葉で私にアキトを救う手助けを求めてきたのだ。
 私はルリの願いを受け入れた。なぜなら、アキトの為になることならば、私が 拒否する思いなど持つはずがない。

 故に小さくこくり、と頷いた。その際に桃色の髪がさらり、と揺れた。



 ――ありがとう。



 そう言ってルリが近付いてくる。水面をすぅ、と滑るように蒼みがかった銀色 の髪の少女が私に近付いて来る。

 しかし。



 ぴくり、と私の肩が震えた。ある予測を思考してしまったが為に、その恐ろし さに心が震えたのだ。

 私がルリの『情報』を受け取ったら、私の存在はどうなってしまうのか。私の 想いは、アキトの側に居たいという私自身の想いはどうなってしまうのだろうか 。

 もしかしたらルリにとって私はルリの『情報』を収める『器』になってしまう のではないか。恐い。それは恐いことだ。私のアキトへの想いを上書きされて、 ルリのアキトへの想いとなってしまう。
 私の意志(おもいを蹂躙する行為となるので はないか。

 ルリは私より人としての意志の強さが強いと思う。アキトへの想いは私が一番 大きいが、人の想いはルリより狭い。私の小さな世界をルリが内包する大きな世 界に押しつぶされてしまうのではないか。

 ルリがふわり、と私の目の前で浮いた。蒼色を纏った幼き妖精。
 私は動くことができない。私の存在が消されてしまうことよりも、アキトの助 けになるのなら、少しでも大きく支えられるのならばそれで良い。私の 意志(おもいよりも、私の存在はアキトの助けになること を欲している。

 例え私の魂魄が喰い潰されても、私の存在を司るすべてのモノがアキトのため になるのなら容認してしまっている。

 私個人が髪の毛が太るような恐怖を感じても、それをささいなことと思う私が いるのだ。

 ふわり、と浮かんだルリが近付いてきた。おでこが付きそうなぐらい近くにに いる。

 触れる触れる触れる。
 私が消されるのか、
 私が残るのか、
 判らない。

 それすら判らないのにもうルリは私の眼の前にいた。否。私の目の前にいると 思っていたルリは既にいなかった。

「あっ。ああっ」

 私は声が零れた。
 入ってくる。ルリの想いが私の中に入ってくる。指先爪先は言うに及ばず、神 経が通っていない髪の毛一本一本にもルリの想いと情報が入ってくる。

 アキトへの恋慕。
 ユリカへの親愛。
 妹へ姉なる想い。



 ――妹?



 私は眉を顰めた。ルリには妹など居ない。記録にはそんな者は居ない。

 ぴくん、と私の身体が跳ねた。



 ――妹って、私?



 そう思考したら肯定するかのように、胸元からじん、と温かなモノが広がって いった。ふわふわとする。ああ、厭なモノではない。アキトが後ろから抱き締め てくれたみたいに胸がぽかぽかしている。

 恐怖はいつの間にかなくなっていた。ルリには私を支配する考えなどなかった みたいだ。ルリの経験と知識と一緒に、意志(おもい も『情報』として直接伝わったから判った。

 眠く、なってきた。闇の中に私の身体が漂っている。暗闇の中で、私はゆっく り瞼を閉じた。

 私はルリの経験と知識を識った私を厭ではない。
 アキトだけの世界が少しだけ広がったけど――別に、良いかな。







0+4/ 終幕









あとがき


 ラピスの回想でシャトル事故の件をこなしてしまったが、ルリを語り部として 書いたら善い話が書けたかもしれない。

 しかしアキト、ユリカ、ルリ、ラピスと順番が決まっていたんですよ。前話で シャトル事故を書いても良かったのですが、それよりも比重の重い話がありまし たからね。制約を付けて書くと苦労します。

 けれどリクエストがあれば番外で書いても良いかな、と思ったり。けれどもこ の物語で感想メールを貰った事ないんですよね。うーむ。面白くないのかな(汗 ) まあシリアスで単話が短くて微妙に濃い話だから仕方ないのかも。

 ――感想メール頂けると嬉しいです。

 大事な場面だけを選択して書いているのですが、勿体なさそうな場面とか多数 ありそうなんですよね。シャトル事故だけではなくアキトの戦闘とか。けど選り すぐりということで。

 次回アキトを語り部にして完結です。

それでは

 






 ゴールドアームの感想。

 うむ、今回はラピスでしたか。
 最初ちょっと判りづらかったですが、まあ仕方ないですね。
 で、感想ですが。

 今回は何も言いません、あえて。
 というのは、この話はたぶん、次で完結するという5話までそろって、初めて一つの話として扱うべき話だと感じたからです。
 終わっていない話、途中の話にその時点で感想をつけるのはある意味野暮で藪蛇な行為です。
 それと、たぶん感想来ないっていうのもそのせいでしょうね。
 人が物語を読んで文字にしたくなるほどの感想を持つのは、おおむね二つの場合です。
 一つは、どうしても続きが気になって仕方のない引きのある話を読んでしまった場合。
 そしてもう一つが、一区切りが付いて胸の中に何かが残った作品です。
 だとしたら、この作品はまだまだ感想をもらえる段階じゃありません。
 きちんと完結させて、感想をもらえる作品を仕上げるよう、頑張ってください。

 ゴールドアームでした。








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