死して尚続く
ゴールドアームの感想。
お疲れ様でした。完結、おめでとうございます。
こうしてみて感じましたが、この話に関しては、あまりああだこうだと余計なことを言わず、ただこう言うのが一番だという気がしました。
――あなたは、この話を読み終えたとき、どんな感じがしましたか?――
と。
このお話は論理ではなく、情感のお話です。
ですのであまり細かいこと、ルリがほとんど魔法使いだとか、アキトが壊れきってないだとか、そういうところに突っ込んでも意味がありません。
ただあるがままを、作者の提示した世界をあえて批判なしに肯定し、その上で自分のどんな感情が動かされるのか。
それを感じ取るのが、この物語の正しい読み方だと思います。
小説にはテーマや文学性という要素のほかに、傾向より強い『性向』とでも言うべきものがあります。
私の書いている『再び・時の流れに』などは『エンターテイメント』です。作者としての創作における情熱は、『面白いと感じること』『楽しく思ってもらうこと』に力点が置かれています。そのために作者としては、『読者に違和感を感じさせない』という一点において、明確な努力をする必要があります。
ロジックにはきちんとパスが通り、
登場人物の行動は首尾一貫としていて、
世界は明確な規律の下に動き、
しかし登場人物はそこににある綻びをめざとく見つけ出す。
そういう、『矛盾無き世界』を提示しなければなりません。
こういう話は、もし明らかな矛盾や過ちがあったならば指摘されねばなりませんし、文章表現に違和感を感じるのならば批判されねばなりません。
この場合において作者は『作品世界』の『代弁者』であり、たとえそれを構築したのが作者自身であっても、作り出されたものは同時に作者の手を離れ、独立した存在となるからです。
対して、霞守さんの物語には叙情性が強く出ています。
設定や論理には重きを置かず、IFに対するTHEN、仮定に対する結論、
感じたことを感じたままに綴ったようなお話です。
これが私の誤解でないならば、こういう話には批評という形の分析は要りませんし意味がありません。
読む、感じる。
それは快である/不快である。
これで十分です。
読んでみて情感を揺さぶられたのならば良作ですし、不快を感じたり何も感じなかったのなら駄作です。
そこには論理的解析のはいる余地はありません。
この作品は作者からのメッセージであり、それを読む読者もまた個だからです。
他者とそれを共有する必要はありません。
そういう意味においては、感想が人それぞれになる話だと思います。
これを読んだあなたは、どちらでしたか?
……おそらくは何かを感じたと思います。こんな所にまで目を通していると言うことは。
最後に。
霞守様、お疲れ様でした。
これからも心のままに、作品を書き綴ってください。
こういう話は、歳を取ってしまうと書けなくなりがちなものですので。
ゴールドアームでした。