――白い、白い肌は闇の中でも変わらずに美しく、それ自体が光っているようにさえ思える。

 彼女の下肢に口付けた時に震える足が記憶に深く残っている。

 お互いにお互いの肉をむさぼるように喰い合ったのは、決まって倒すべき敵を打ち倒し、殺すべき相手に逃げられた夜だった。

 その度に桃色の髪の少女が自分が捨てられるのではないのかと、黒髪の美女と過ごす一夜の中で怯えに怯えているのを知ってはいても、俺達はお互いの激情を治めるためには互いを深く傷つけあい、抱き合い、口付け合い、癒しあった。

 あいつの紅い髪が焔のように闇に踊るのを幾度見上げた事だろう。

 彼女の引き締まった腹を、幾度なでた事か。

 お互いの胸に顔をうずめて一夜を明かした事は、数え切れない。

 この手は、彼女のしなやかな腰の細さをはっきりと覚えている。

 恨みと憎悪を少女の前で吐き出さないために、俺達はお互いの舌を絡めあって言葉を封じた。

 あいつの舌を肌に感じる事が出来ない事が、残念だった。

 肩に噛み痕をつけた時、あいつの甘い肌を味わえない事が無念だった。

 彼女の泣くような声を、もっと聞きたかった。

 白さを際立たせるためのようにさえ思えるほど淫らに上気した彼女の顔を、はっきりと見たかった。

 ……むさぼりあうだけだった俺達が初めてお互いを与え合ったのは、殺すべき男を殺した次の夜だった。

 度が過ぎるほど激しかった俺達の夜に、穏やかさが初めて生まれた。

 緩やかに……穏やかに……静かに……動きはむしろ少なく、抱きしめあう時間こそが温かい。

 俺のわずかな動きの一つ一つに翻弄される彼女の全てがいとおしかった。

 俺の背中に腕を回して微笑みながら眠る彼女の全てが美しかった。

 暗闇の中で過ごす、二人きりの時間の全てが……嬉しかった。

 おずおずと部屋を訪れた桃色の髪の少女を照れ笑いしながら、あわただしく身支度を整えて迎えた部屋の空気全てが、優しかった。

 ――ただ……彼女と交わした柔らかい口付けの味がわからなかったのが……哀しかった。

     

――漆黒と真紅の抱擁――

 


 

 赤い土で埋め尽くされた、まるで海のように無限に広がる荒野にて――俺は一人ある男を待っている。

 俺のそばには誰もいない、何もない。

 ただ、遥か彼方に真っ黒い巨石……俺が跳躍門という名前で覚えている愛想の無いそれが逆さまに、まるで杭のように突き立っている、それがまるで墓標のように思えた。

 その巨石の下には元々この星最大の都市があったと言う過去を知れば、その印象はますます強まる。

 俺は、俺をここまで運んできてくれた小さなバイク――名前はテン○ロンと書かれている――悪趣味なテントウ虫の柄のそれに寄りかかって、荒涼たる赤い大地を見るとも無く見つめていた。

 そして思う。

 他人から見れば、俺は随分と無茶な事をしていると思われるのだろうな、と。

 無人兵器が跳梁跋扈する赤い大地に、何の武装もせずにバイク一つで、食料と着替えの詰まったバッグだけを肩に担いでたたずむ――まだ少し抵抗があるが……少女一人。 

 そう、ここは地球と、地球の姦計により百年前に木星に追放された移住者達の戦争のあおりを受けた土地……既に人の居住には耐えないほど荒れ果てた、かつてタコのような知的生命体が住んでいると空想されていた、戦火にやつれた赤かった星――木星の軍隊に占領された無人兵器が跳梁跋扈する、火星だった。

 そんな危険な星に一人佇む事は奇行とさえ思われるかもしれないな、と思いつくと思わず唇が綻びてしまう。しかし俺は無茶もしていないし、頭もしっかりとしている。

 ただ、ここに必ず俺の待っている男が訪れる事を……俺は知っているんだ。  

「ふふ……」

 俺は赤い土を含む乾いた風に、それよりも紅い髪を好きなようになびかせながら――アイツの顔を思い出す。あいつと不本意に離れてからはや数ヶ月……俺の感覚でいえば一ヶ月と少し。

 出会ってからは、俺たちの間にいる少女の希望もあって三人ほとんど一緒にいた。その過去を踏まえると、いまさらながらに自分達の離れている時間の長さを思い知る。いまや、あいつはすっかり懐かしい顔の一員になってしまった。

 俺はアイツ――記憶のアルバムの中で特にはっきりと覚えている、俺のたった一人の相棒の顔を思い出す。

 懐かしい……そう思えるほどの長い時間を離れてしまった事に少なからず不満を抱きながら、アルバムをめくっていくと……今度は、異なる顔が幾つも浮かんだ。

 二人の幼馴染の顔。

「舞歌と零夜は――きっと今ごろ怒っているだろう。いや、それとも心配してくれるだろうか、な……?」 

 黒髪を後ろ頭で束ねた年齢について触れてはならない佳人、東舞歌、そして俺と同い年で、一緒に風呂に入ると妙な視線で俺を見る事の多い、黒髪おかっぱで家庭的な少女――紫苑零夜。

 俺にとっては数少ない友人、どちらも一見ならば大した美女、才媛を地でいく二人だ。

 だが、その二人よりも優先させなければならない男がいるのだ……仕方が無いといえば仕方が無い。それに、零夜はともかく、舞歌ならかえって喜ぶんじゃないかと思う。それはそれで迷惑な話ではあるが……

 ふと、背後から突然声が聞こえてきた。

「北斗にもよ・う・や・く春が来たのね♪ しかも敵方の男性だなんて、ドラマチックな相手が現れるだなんて! 千紗、今夜はお赤飯よ、お赤飯!」

「うわわっ!?」

 出たか、妖怪っ!?

「このっ!」

 思わず反射的に、全力で裏拳を放った俺は、一瞬後に青くなった。いや、声の主が死ぬかも、とか言うのではなく……背後には、誰もいなかったからだ。    

 思わずきょろきょろと辺りを見回すが……誰もいない。俺の目に映るのは戦火に焼かれた火星の荒涼とした大地であり、聞こえるのはただ風の音だけだ。

「し、心霊現象か!? 幻聴か!?」

 俺はこれまでに無くうろたえた。あえて名前は出さないが、幽霊というよりも妖怪のような声の主に、とても心当たりがあったために……うむ、改めてこれまでのあいつの所業を省みれば、妖怪でも不思議じゃない。

 説得力はないが納得力はある答えに、ぞっとしない物を感じる俺だが……人をおちょくるためと副官には仕事を押し付けるためならば、全知全能振り絞ってどんな事でも――物理法則を超越するような真似でも――やってのける舞歌に、説明のためならば時間も空間も超越できるイネスに共通する物を感じる俺は、舞歌が俺と同じ方法で火星に現れた可能性を否定しきれない。舞歌は、自分は東舞歌だという一言であらゆる物理法則をしばき倒せる女だ。

 ぞっとしない物を背筋に感じながら、俺は自分が火星に来た手段を思い返す。

 俺が火星に来た手段――それは「バッタにしがみつく」だった。

 バッタとはけして虫の事ではなく、木星に住んでいる、正義の味方ごっこにやたらと凝っている歴史から抹消された恒星の旅人――通称木連が好んで使う悪役のような外見の虫型無人兵器だ。

 大体小型のトラックぐらいの大きさで、ミサイルを主な武装とし、ディストーション・フィールド――空間歪曲場――も備えて身を守る木星の主力兵器。俺はこれの背中に乗って、一人火星に強行したのである。

 火星とつながっている跳躍門に、無人兵器の背中に乗って突撃する俺を見た北辰という暗殺者とヤマサキというマッドサイエンティストの唖然とした間抜け面が忘れられない。あの時は遠慮なく高笑いをした物だ。

 そんな俺は、はたから見れば狂気に満ちた自殺志願者にしか見えなかったかもしれない。

 何故なら、木連が好んで使う空間を超越する事の出来る輸送交通機関、跳躍門――別名チューリップに生身の人間が入れば問答無用で死ぬからだ。そのために木連では、戦闘は主に無人兵器を使って行っている。

 まあ、それは木連の人口が少ないという理由もあるんだろうが、現在遺伝子調整を行って跳躍門を通れる人間を作り、『優人部隊』というふざけた物を作ろうとしている。しかし、どうやら、とある事故以来俺はボソンジャンプのB級ジャンパーになったらしい。

 つまり、ディストーションフィールドとチューリップさえあればジャンプは可能――問題はイメージであるが、それはアキトに頼り切っていたので、火星行きのチューリップにバッタで乗り込んだのだ。

 舞歌が同じ手段を取れるとは思えんのだが……

「何しろ舞歌だからな……」   

 どうにも安心の出来ない俺は耳を澄ませる。俺が五感を研ぎ澄ませれば舞歌が例え杖術の達人でも察知できるが、いない。やはり幻聴だったのだろう。

『……あっら〜〜♪ それはどうかしらね?』

 ……っ!!?

 思わずぞっとするが、もちろん幻聴だった。

 真実俺の鼓膜を震わせたのは低めの女の声ではなく、何らかの巨大な質量を備えた物体が空を移動する音――俺にとっては、かつてメインクルーの一人として乗り込んでいた船、ユーチャリスのおかげで馴染み深い音……相転移炉搭載戦艦の大気圏内航行音だった。

「き、来たか……なんだか本当に救助される気分だな……」

 俺の鳶色の目――あいつが、俺以外に持っている女が知り合いではいないから気に入ったと……そう、賞賛とも過去から逃げている自分への自虐の材料にされたともつかない言葉で想いをかたどられた瞳を、轟音の発生源のいるであろう、見当をつけた方角に向ける。

 相転移炉搭載戦艦にとっては暗礁ともいえる大気圏内、しかも敵の勢力圏内でステルス機能も使わずに、大音をたてて純白の風変わりな船体を威風堂々――というか、まるで暴走族のように辺りに自分の存在を宣伝しつつ空を飛ぶ、この火星にいると予測される生き残りを救うという目的で動いている……確か思慕の花言葉を持つ戦艦……

 その名は、ネルガル重工所属機動戦艦ナデシコ――ナデシコなんて名前に思慕、なんていう花言葉を戦艦につけるセンスはさすが民間企業だと、俺はそう思う。

 ……名乗り忘れていた。

 俺の名前は天河北斗。 

 腰まで伸ばした紅い髪が特徴の女。かつてPrince of darknessと呼ばれた男、テンカワアキトの相棒にして、その男と共にボソンジャンプ――俗に言うワープの事故のため時間を超越した、時の流れの逆行者だ。

 


 

 轟音を立てて一直線に飛ぶ戦艦にとっては、人間一人などアリと大して変わるまい。正直に言って、中々見つからないモノとばかり思っていたが、意外な事に随分と早く発見された。なんでも、整備員が異常に騒ぎ立てたのだとか。

 どこの整備員も女に妙に執着し、騒ぎ立てるものなのだろうか? ナデシコにヤマダという男の操るエステで回収された俺は、格納庫にバイクごとエステから飛び降りる。

 その俺に、四方八方からやけにぎらついた視線が向けられた。嬉しくない事に、結構なじみのある視線だ。ついでに、どよめきも。いわゆる、女に餓えた男の視線という奴だ……くそったれめ。

「あなたもナデシコ整備班の歓迎受けちゃったわね……ふふふ……」

 ――やけに暗い雰囲気の、片目を髪で隠した女がいかにも不気味な笑みを浮かべて近づいてきた。思わずハイキックをいれたくなる衝動をこらえながら、俺は同時に、いつの間にか俺を囲んでいる回りの男どもも無視した。

 かつてユーチャリスに乗っていた頃の事を思い出す。俺達の船を担当する整備員達は、ある男の影響で異常に女に餓えていた。

 その当時世話になっていたアカツキという男が言うには、アイドルのコンサートのノリだとか。周りにそれだけの影響を与えた男の名前は……メガネをかけた違法改造屋の――……

「はじめまして、お嬢さん! 俺がこのナデシコ整備班班長、ウリバタケセイヤだ!」

「……………」

 記憶の中と一致する顔の男と『初対面』をする自分になんとも不思議な物を感じる。これが時間逆行者の感覚という奴か。馴染みであるウリバタケとも、この時期、本来ならば出会っていないはずなのだから。

 改めて自分が異常な存在である事を確認しながら、同時にウリバタケの『漢の浪漫』の伝染力を思い知らされる。呆れていいか?

「お嬢さん、お名前は!?」

 ――少し頭が冷めた。俺の知っているウリバタケなら、俺をお嬢さんなどとは死んでも言うまい。殺すからな。

「……俺は北斗。天河北斗」  

「おおっ!? “俺”! リョーコちゃんと同系列か―――っ! あん? て、テンカワ?」

 俺の一人称を聞いて不気味に身悶えるウリバタケら男ども……そして、俺の背後にわざわざ回って人を苛つかせてくれていた陰気女が――確かこいつも未来であった事がある……敵として――一瞬気まずい雰囲気を作り、改まってから俺に恐る恐る聞いてくる。

 ウリバタケの背後の整備員達が顔を突きつけあって年増女達の井戸端会議のようにテンカワ、テンカワとぼそぼそ俺には聞こえないようにつぶやいている。

 聞こえてくる名前の連呼そのものと、込められている感情に苛立ちがこみあげてくる。

「……な、なあ、北斗ちゃん」

「“ちゃん”はよせ」 

 とりあえず、ウリバタケのこめかみに肘をいい角度で入れて訂正させる。けしてお嬢さん呼ばわりされたのが気に入らなかったからではない。

 む、気絶したか? 過去では随分とヤワだな。

「そこの片目女。テンカワの姓がどうかしたのか?」  

「……片目女……片目……固めのゆで卵……ふふふふふ」

 答える気が無いのか? こいつは。拳を振り上げると、ようやくまじめな顔をしたが、こいつがへらへらと笑う時の顔は、先ほどの舞歌の事を思い出して、なんともいやな気分になる。

「……北斗さん、だったわね。あなた、テンカワ君の身内?」

「お前の言うテンカワが誰だか知らんが、俺の知っている限り、俺と深い縁があるテンカワは、アキトという二十歳前後の納まりの悪い髪の男だけだ」  

 俺の言葉に、場が少し緊張した。気絶したウリバタケの存在が場を緊張させたわけではない、念の為。あいつは俺の肘で身体が浮いてしまうほどの一撃を受けて3メートルほど跳んでいったが、整備班長がやられたにもかかわらず、俺には整備班から拍手がきて、ウリバタケには視線しかいかなかったのだから。

「……なら、あなたの知っているテンカワと私達の知っているテンカワはきっと同一人物よ。あなた……彼の家族なの?」

「相棒だ」

 わずかに目を細め、どこか爬虫類じみた雰囲気をかもしだしながら質問する女に、俺は嘘ではないが無愛想な答えを返す。俺の答えに女はますます目を細め、周りの青い制服の連中からは大小さまざまなざわめきが生まれては消えていく。

「……なんだ?」

「ああ、そういえば、まだ自己紹介してなかったわね。私の名前はマキ・イズミよ」  

 目を細めたまま、イズミとやらは俺の質問をはぐらかす。その目は依然として細められており、どうやら俺を観察しているようだ。北辰をトカゲとすれば、この女は蛇だ――どちらにせよ、好きにはなれそうもない。

 ちなみに、周りの整備員達もなにやら驚いている。

「……おい、もしやあれが伝説のマジモードか?」

「ああ、きっとそうに違いない! ダジャレいわなかったもんな」

 なにやら俺には理解できない……というか、何となくしたくないような匂いをさせる事で盛り上がる連中は無視して、俺はイズミに向き直る。

「それで? この船にアキトはいるのか?」

「……ブリッジに行きましょう。そこでわかるわ」

 イズミは俺の返事を待たずに踵を返した。ついていくしかない事が、なんとも悔しい。北辰がこんな所を見た日には、脳味噌を頭蓋骨から抉り出す以外に恥辱を晴らす方法は見つからない。

 自然、空気に放電のような空気を撒き散らし始めた俺に、イズミが内心で緊張している事が背中を見るだけでわかった。彼女が身体のラインが素直に出るパイロットスーツでいる事も、イズミの内心への俺の理解を手伝ってくれる。

 ……どうでもいいが、こいつは何でウクレレを背中に装備しているんだ? ん? この小さなギターはウクレレというんだったよな?

 ラピスという11歳の少女と一緒に見たテレビに出てきた楽器の記憶を参照しながら、イズミの背中を追いかけて格納庫を出て行く俺の耳に、整備員達の聞き捨てならない言葉が飛び込んできた。

「なあ……彼女、テンカワの相棒って……」

「あのテンカワの相棒……やっぱ、恋人って意味なのか? 人生のパートナー」

「……あのテンカワだぜ? あんな奴にそういう女性がいるのかよ?」

 ……あんな奴、だと? 無神経な言葉は俺だけではなく、目の前の蛇女の方も震わせた。俺はとりあえず声の主がいる方向に適当にその辺にあった何かの部品(強化プラスチック製)を投げつけると、蛇女(別名イズミ)を詰問する。

 たぶん、こいつと俺では身体の震えた意味が違う。

「……この船では俺の相棒に、なにやら妙な噂が流れているようだな?」

「………」   

「答えろ。お前は……お前らは何故あいつに怯える? あのお人よしに」

 わずかに凄みを利かせると、イズミ(呼び名は蛇女)がようやく振り返る。その目には、周囲の男たちと同様に、俺への怯えがわずかに、確かに産まれていた。それ自体はむしろ馴染みのある感情だ、どうという事は無いが……

「……この程度の凄みで怯えるとは……本当にこの船は戦艦か? お前はパイロットか? 遊園地のアトラクションとスタッフだ、と言われても信じられるぞ」

「……っ!」

 屈辱に、しかし彼女はわずかに眉をしかめるだけで何も言わない。怒りや憤怒を感じていないのではなく、表に出さないタイプなんだろう。それはパイロットの素質という事も出来るが、むしろ化かし合いの素質だな。

「――テンカワ君の事は、ブリッジで聞いて。戦闘記録も見る事が出来るから、口で説明するよりもずっといいわ」

「……俺が怖いためではないな。アキトの事を口の端に乗せるだけでもいやなのか? あいつも嫌われたものだ……もしかして、人違いなのか?」 

 こいつが俺の侮蔑に応えなかったのは、つまりそういう事なのだろう。アキトの事が怖いのだ。

「……行きましょう」 

 無言の俺の腹の内が分かったのだろう、イズミはまた足を進める。その背中に、拒絶というよりも恐怖と不信を感じた俺は、やれやれと首を左右に降るのだった。

 まったく……どうやら相当ややこしい事をしてくれたようだな、相棒よ。まあ、俺にとってはこいつらの事などはどうでもいいのだが……

「俺のアクアマリンはどこだ!?」

 後ろ、俺たちのいなくなった格納庫からなにやら凄い大声が聞こえてきたが、まあいい。  

 


 

「発見された生存者、天河北斗さんをお連れしました」  

 イズミが敬礼と共にブリッジ・インすると、いまだにマジ・モードとやらを引きずったイズミが堅苦しい挨拶をして、ブリッジ一同にいぶかしげな顔をさせる。

 俺はそんな日頃の行いがよく分かる女を横に、ブリッジにいる全員を見回した。

 横の方に所在なさげに二人は俺にとって『以前』は懇意にしていた人物――ごつい大男のゴート・ホーリーとチョビ髭メガネのプロスペクター……この頃からナデシコに乗っていたのか。

 続いてはブリッジ下部に座っている三人――二人は確か……誰だっけ?

 確かメグミ・ミナトとハルカ・レイナードだったか? まあいい、俺にとってはその他大勢でしかない二人だ。問題なのは銀の髪をして、こちらには目もくれずに目の前のコンソールを弄くっている無表情な子供――

「私、少女です」

「? ルリルリ、一体どうしたの?」

「いえ、なんとなく」

 ……電子の妖怪、ホシノルリ(クソガキバージョン)だ。 

 そして、俺から見て真正面、ブリッジ最上段に三人。知らない老人が一人と、若いくせに何故だか隣の老人よりも存在感が薄い、今にも昇天しそうな男が一人。別に病弱にも見えんのだが……

 で、最後の一人が――

「あっれぇ♪ テンカワって、アキトとおんなじ♪」

 頭の中にはお花畑が広がっているのが一目でわかる長髪の女が一人、大声を上げながら俺を見る。俺の知っている『以前』と全く変わらない女…… 

「はじめまして! 私がナデシコ艦長、ミスマルユリカで〜〜す! ぶい!」

 ……いい年をした女が初対面の相手にこういう真似をするのは、いかにも頭軽そうだった。俺は一応火星の生き残りと思われているはずだが……苛酷な環境で敵に怯えながら生きてきた相手に、見捨てた立場の地球の人間がこのような真似を、いかにも健康そうな顔をしてするのは神経を逆なですると思うんだが……そうでもないのか?

 俺は改めてブリッジを見回す。彼ら、彼女らの顔には俺という生き残りの存在により、自分たちの行動が無駄にならなかった事への喜びと、艦長ミスマルユリカへの、困った物だ、という言外のメッセージがある。

「――天河北斗。はじめに言っておくが、おそらく、この船に乗っていると聞いた『テンカワアキト』は俺と縁の深い人物だと思う」    

 どうにも馴染めないミスマルの態度に憮然としながらの俺の答えに、ブリッジの全員が一瞬ならず硬直する。なんでもいいが、操船しているハルカ・レイナード(仮名)まで硬直するのは勘弁してほしい。

 ちなみに、おそらくミスマルを例外として一同が硬直した理由は、イズミと同様だろう。

「……さっきから不信に思っていたんだが、何故アキトの名前を出すたびにお前らは緊張する? あいつは一体何をした?」

 ゴートに取り押えられたミスマルが、こっちをにらんでモゴムゴと騒ぐが、多分気にしなくていい事だろう。

「そもそも『アキト』はどこにいる?」

「――彼なら、今単独でユートピアコロニーに向かっているところです」

 ……アキトの生まれ故郷か。

「あんたは?」

 俺の質問に静かな声で答えたチョビ髭男が俺に近づいてきていたのはわかっていたが――俺を警戒しているのだろう、向けられる視線に観察の意図を感じる。

「申し遅れました。私、ナデシコ会計のプロスペクタ―と申します」

 俺はその言葉に苦笑せざるを得なかった。『以前』にこいつと行動を共にした時の見事な働きを思い返せば、経理、会計という職は役不足もいいところだろう。

「おや、なにか?」

「いや? 非戦闘員にしては随分と腕が立つものだと思ってな」     

 にっこりとわざとらしく笑う――ちなみにこれを見た零夜と舞歌はパニックになった。失礼な――そんな俺にプロスは一瞬眉を跳ね上げてから、俺とは対象的な実に見事な営業スマイルを浮かべる。

「おや、これは買い被りをしていただきまして。私はあくまで一介の中間管理職ですよ。貴女の方こそ……いえ、少し話がずれてしまいましたな。あなたとテンカワさんの関係を伺いたいのですが」

 くくく、俺の事を警戒しているな。まあ、からかうのもこの辺にしておこう。

「俺はアキトの相棒だ。まあ、この船の『アキト』が俺の相棒かはわからんがな。顔写真はあるか? 確認したい」

 ナデシコに乗ってるテンカワアキトは一人しかいないがな。

「ええ、それはもちろん。ルリさん、お願いします」

「了解」

 アキトがらみだというのになんとも無感情な声で答えるのは、俺の知っている身勝手娘と一味違うホシノルリだ。考えてみれば、未来のこいつがラピスにあんな真似をさせて、アキトをランダムジャンプに追い込んだんだよな……

 その際に死にかけた者として、内心では殺気がこみ上げてくるが自重する。こいつは別人なのだから。しかし、その内口実を見つけてどつく事は決めておく。くくく……

「写真、表示します。……? おかしいですね、オモイカネ、空調おかしくありませんか?」

 コンピューターが友達の寂しい小娘はほっといて、俺は目の前に開かれたウィンドウに映る一人の男の顔写真を見る。ぼさぼさ頭の、暗い瞳の持ち主――アジア系の顔は精々二枚目半という所であるが、愛嬌が全く無い代わりに凄惨さの一歩手前の精悍さを感じさせる若い男……

「間違いないな。こいつは俺の相棒、テンカワアキトだ」 

 そう、この暗い――黒より暗い目には覚えがある。

 こいつは間違いなく、俺と共に生き、俺と共に時を遡った我が相棒、テンカワアキトだった。

「そうですか、人違いでなくて実に結構な事です」

「ああ、その通りだな。ところで、こいつの戦闘記録を見せてもらえるという事だが?」

「――なんですと?」

 俺は今はもう格納庫に帰ったイズミが確約したといぶかしがるプロスに教えたが、プロスは渋る。まあ、部外者に戦闘記録を見せるのを渋るのは当然だな。    

「一つ言わせてもらえば、火星の人間は地球に強く不信を抱いているぞ? お前ら、そんな星に何しに来たんだ?」

 突然話を変える俺に一同がいぶかしがる。いや、怒りと屈辱感かな、これは。おかげでゴートの腕も緩んだんだろう、その隙にミスマルが拘束を抜け出す。

「どうしてですか!? なんで地球が嫌われてるんです!? 私達は火星の皆を助けに来たんですよ!?」

「昔、見捨ててな」

 肩をすくめる。考えてみれば、とある説明好きな女に聞かされたこの当時の火星の住民はある意味、木星の人間とよく似ていたのではないだろうか? だとすれば、大した皮肉だ。

「不信の理由は見捨てられた事と、地球の軍隊が弱いからだ。俺にナデシコの戦闘記録を見せろ! 納得のいくものだったら火星の住人として、生き残り達の説得に手を貸してやる」 

「――むう……」

 ウソツキな俺の言葉に、艦長の後ろに控えたナデシコの制服ではなく軍服を来たジイさんが唸る。他の連中は戸惑っているようで、お互いに顔を見合わせている。反発はあるんだろうな、当然。

「どうする? このままでは火星の人間はナデシコには乗らんぞ? 断言する」

「でも! このまま火星にいて潜伏生活を送るよりも私達一緒に来る方が絶対にいいはずです!」

「どこがだ? 地球は火星の住人に、もう既に絶望されているんだ。彼らはこう思っている。また負けるくらいなら、また裏切られるくらいなら……見捨てるくらいならば手など差し伸べるな、とな」  

 木星軍相手にした地球連合軍の敗北、逃走は火星の住人にとってはそれほどショックだったというわけだ。イネスからの聞きかじりを元に話を進める俺は、そんな火星の生き残りに会った事など一度も無いがな。なにしろ、火星に来たのは二日前だ。

 俺の顔に、様々な感情を込めた視線が突き刺さる。そのほとんどは『ナデシコの実力を見くびっている』という過信が多かれ少なかれ見られるが、三つそれぞれに異質な視線が感じられる。

 一つはホシノルリの視線――ほぼ無感情というか、人を実験動物のように観察しているようにも見える。聞いた話によれば、この当時のこいつの周りには、確かこいつを実験動物扱いするような連中しかいなかったそうだから、金目妖怪小娘が俺を観察するようにしか見れないのもそれが理由だろう。

 もう一つはプロスペクター……こいつは俺を警戒している。理由はおそらく、アキトがらみの俺が戦闘記録にこだわりを見せたからなんだろうが、アキトは随分と怪しまれている――もしくは、危険視されているようだ。

 プロスの目の中に何らかの期待を感じた俺は、そう判断した。おそらくは危険視されているのだろう、と。たぶんプロスは俺をきっかけにしてアキトの事、背後関係や目的が少しでもわかる事を期待しているのだ。

 そして、三番目――あるいは最も問題かもしれない感情を、その男は視線に込めている。それは俺への謝罪と自己への苦悩、世界への怒りと嘆き――少なくとも、俺にはそれらが混在した感情のように見える。

 問題の、最も異質な視線の主が一人、口を開いた。

「ルリ君……記録を出してくれ……そうだな、映像も出来れば」

「提督!?」

 ほう、この爺さん……提督だったのか。うん? しかし何でたかが戦艦一隻に提督がいるんだ? 

 俺に資料の閲覧許可を出した謎の提督がこっちに目を向ける。やはりこいつの目には、俺に対する複雑な感情があった。俺個人にではなく、もっと別の……火星人に思い入れでもあるのか?

「――プロス君、そして艦長。我々は火星の現状など何も知らないのだ。そして、彼女が主張するように火星の住人が我々の救助を拒む可能性は充分にある……何しろ、私がいるのだからな……」

「? 何故ですか、フクベ提督――あなたは木星蜥蜴による火星侵略の防衛戦の際に難攻不落といわれたチューリップの破壊を成し遂げた英雄ではないですか! 火星の人々にとって、あなたの存在はナデシコを信頼させる事にはなっても、火星の生き残りが何故貴方を拒むのです!?」

「……ジュン君、珍しく台詞なが〜い」       

 あの老人はフクベ提督。影の薄い男はジュンと言うらしい。これで一応、全員の名前を把握できた。しかし、チューリップの破壊? 

「おい、そこの影の薄い男。チューリップの破壊といったが、そのチューリップとはモニターからも見えるが、あのチューリップの事か?」

 なにやら泣いているジュンとやら――きっとミスマルユリカの発言が気に触ったに違いない――を始めとして、一同が俺の指差すメインモニターに注目する。

「アレのせいで、火星最大の人口を誇るユートピアコロニーは消滅したぞ。それはフクベとやらのせいなのか?」

 一同が唖然とする。知らなかったのか?

「……その通りだよ、北斗君。あそこを破壊したのは、私だ。私は英雄と地球では呼ばれていた――しかし、それは敗戦から人々の目をごまかすための情報操作に過ぎん……私は無意味な殺戮者なのだ」 

 一同が俺には大して重いとは思えん重い過去に沈黙する。その隙を狙ったわけでもないだろうが、提督の命令を実行していたホシノルリにより、俺の前に大きくウィンドウが現れた。

 俺の意識はウィンドウに集中したが、俺の無意識はフクベが俺の背中に注ぐ視線に気がついていた。

 苦悩と後悔と絶望と悲嘆、憤怒――向けられるべきでない物を向けられた俺は、なんとも居心地の悪い思いがした。 

 


 

 ナデシコの初陣――それは、テンカワアキトの初陣でもあり、同時に地球の木星への反抗の開始でもあった。しかし、その木星が戦端を開いたきっかけが百年前の、当事者がもう誰も生きてはいない時代に端を発する地球への反抗であるのだから、お互いに情けない事といえば言えるだろう。

 しかも、それはあくまでも口実でしかなく、実際には偏執狂的な主戦派に背中を押されての事なのだから、バカげた戦争だ。

 俺の視線の先では怨恨と、怨恨を口実に、欲望を理由に戦争を開始した馬鹿どもの尖兵を相手に相棒が縦横無尽に暴れまわっている映像が映されている。ピンクという兵器にあるまじき色をした人型機動兵器、エステバリス――

 これを操っているのが我が相棒との事だった。

 発進前に襲われた戦艦――パイロットの負傷により、戦力が整わないという状況下で、一人のつい先ほど雇ったばかりの青年がただ一人、人型ロボット、エステバリスを操り艦を守り抜く――というシチュエーションはまさに見せ場だ。

 しかし、アキトはそれに留まらない。 

 突如現れた謎の青年は、正規の軍隊を蹂躙した無人兵器にたった一機で殲滅してのけた。まさに怪物的な働きだろう。俺の基準ではたいした事ないが。

 問題は、ミスマルユリカの我侭で常時オープンにされたコミュニケ回線から絶えず流され続け、人々の鼓膜を揺るがし、それ以上に心臓の裏側にあるものを震わせるアキトの咆哮だった。

「雄お――オオオォォッォォォオオッ!」

 派手な色をした拳が最後の赤い虫型兵器、ジョロを貫き、地面に拳を杭のように突き刺す。鋼の拳に螺旋を描いて纏わりつき、狼煙となった爆煙が、戦闘の終わった合図だった。

 コミュニケ越しに聞こえてくるアキトの荒い息遣いは殺し合いによる興奮を示し、それだけで隣に餓えた獣がいるように思わせる。なるほど、この映像を一緒に見ている連中の顔が青ざめていた。

 ――メグミだったかいう女に代表されるが、情けない。ナデシコのクルーは元々民間人を集めたという事だが、どうやらそのせいで殺し合いという物にまるで慣れていないのだ。

 ……こいつら、戦艦に乗って何する気だったんだ?

 しかし、ここまでならば賞賛の声も少なくはなかった。なんと言ってもアキトの働きによってナデシコは救われたのだから。ミスマルユリカにしても、アキトの卓絶した技量も憤怒の叫びも無視して、元黒衣の皇子に自分がピンチの時に現れた王子さま、という願望を押し付けていた。

「続いてはビッグ・バリアか……」

 地球を守るバリア衛星、通称ビッグバリア。ここでの戦闘が、アキトがナデシコで恐れられている最大の理由らしい。

『ユリカ、ナデシコを止めるんだ! 今ならまだ間に合う! 地球に戻ろう!』

 うん? 気のせいか、古臭い機動兵器に乗って艦長に投降を勧告する声に聞き覚えがあるような。しかしこのパイロット、艦長ではなく『ミスマルユリカ』に降伏を要求しているな。声の調子から察するに……こいつら、宇宙をまたにかけた痴話ゲンカでもする気か?  

 俺が呆れていると、アキトのエステバリス空戦フレームが発進する。そのアキトに、デルフィ何とかという名前だったはずの機体から通信がコールされる。アキトにも降伏勧告する気か?

『出てきたな! テンカワアキト!』

『………』

 なにやら因縁でもあるのか、デルフィ……デルフィ……何とかはアキトに一騎打ちを申し込む。どうやらナデシコのパイロットはアキト以外戦闘できないらしく、袋叩きにすればすむ事なんだが――さすがに艦の内情は知らない故にこのような行動に出たのか。 

 プロスペクタ―が『経済的側面』とやらから見て賛成するのがかすかに聞こえ、暑苦しい、格納庫で去り際に後ろから聞こえてきたのと同じ声が大声で賛成の意を表明した。

 事態はどんどんと一騎打ちの方向へと進んでいくかと思われたが、対してアキトは――……

『………』

 無言のままライフルを構え、じっと事態の進行を見守っている他の敵機に奇襲をかける! 

『なっ! 何のつもりだ、テンカワアキト!』 

『ナデシコをのっとる側に荷担しておいて、いまさら何もくそもあるか、阿呆』

 ひどく平坦な嘲りを最後に、アキトは次々と敵機が抱えているミサイルに照準をあわせ、ナデシコに向けられるのが本来の役割であったはずのミサイルに、自機の破壊という途方もない役割を与えた。

 成層圏の限りなく薄い空気を精一杯に攪拌する轟音と共に、敵機は次々と爆発を起こしていく。その姿は射撃場のマン・ターゲットよりも無防備に見えた。 

 討つ立場から討たれる立場に一転した彼等は、問題の交渉役を残して次々と消えていく。火炎と爆音が葬送曲となった彼らの死は盛大さでは他に類を見ない。そしてアキトは、軽々と部隊を全て壊滅させてのけたのだ。

 ――アキトの攻撃の間中、ナデシコからはヒステリックな女の悲鳴と男の戦闘中止を求める叫びが絶え間なく聞こえた。しかし、その全てを無視して、アキトは敵部隊を全滅させたのだ。

 人殺し――一言に集約すればそんな罵声が、背後から、目の前の一機だけ残った敵機からもアキトに浴びせられる。

 ――だから……お前ら、戦艦に乗って人殺し以外の何をやる気だ? 大体喧嘩を売っといて、やられたらさもアキトが悪党のように言う……あのパイロットは随分と自分に都合がいい性格のようだな。

『後はお前だけだ……元・副長……』

『ヒィッ!?』

 果たして何ヶ月ぶりに聞くのか、数える気にもなれないほど懐かしさを感じるはずのアキトの声に、俺はしかし不快感を禁じえなかった。

 なんだ? この声全体に一貫して芯となっている虚無は? あいつめ……

『やめて、やめてよ、アキト! ジュン君は私の大事な友達なの! それに――そんなアキト、見たくない! らしくないよ、アキト!』

 ミスマルユリカか、これは。まあ、あれがらしくないアキトだという意見には俺も賛成だ。ただ、俺とミスマルの考えている『らしい』アキト象には大きな隔たりがあるだろうな。

『黙れよ、ミスマルユリカ……何がらしくない、だ? これこそが俺らしいって事だ』 

 声には憤怒、腕には殺意、引き金はあくまでも軽く――アキトの操る青いボディの翼を持つ鋼鉄の兵士は、イカを連想させる真っ白な敵機に次々と、致命傷となる部分を避けてトリガーを引き続けた。

『お前の大事な友達? だからどうした。俺にとってはただの敵だ。

 こんな俺を見たくない? 知った事か、だったら目でも閉じていろ。

 俺らしくない――? 俺の事など何一つ知らない女が、訳知り顔でよくも言う!』 

 ミスマルの言葉一つ一つを律儀に否定し、その一回一回に銃弾によって敵機は体積を小さくしていく。絶え間ない恐怖の悲鳴があちこちから聞こえてきた。これこそなぶり殺しだ。

『どうした? 副長。ナデシコを止めるんだろう、なあ幼馴染にも銃口を向けざるを得ない悲劇の主人公殿? だったら――悲鳴をあげて逃げ回るお前は何なんだろうな、アオイジュン!』

 本当に楽しげな含み笑いを隠そうともせずに――アキトの遊びは、プロスが軍との関係をこれ以上拗らせたくはない事を理由に止めるまで、延々と続いた。

『惜しかったな』

 後悔も何もない、いっそ晴れ晴れとしたようにアキトが言う……プロスがアキトを止めれたのは、トドメをさす、まさに寸前だったのだ。

 映像記録に出ていないところでも、例えば軍にナデシコがのっとられた際などのアキトの行動は一貫してこのように凄惨な物だったらしい。

 しかし、生身の戦闘ではまだ本調子が出ていないのか、アキトはナデシコをのっとった軍人全員を半殺しにする程度で留めておいた。

 日常においても、まるで一部の国の学生のような雰囲気を持つナデシコにおいて一人だけ凄惨な空気を纏い、まるで澱みのように佇んでいる。つきまとうミスマルユリカを邪険にし、ビッグバリアの一件を理由に自分にくってかかったブリッジの女達を代表とするクルーには、嘲りを返す。

「お前ら、自分たちに被害があったら、そんなたわごとはけして言えなかったろうな。むしろ、率先して副長リンチにかけようとするんじゃないのか?」

 そして最近になって合流した三人のパイロット――先ほどのマキ・イズミも含まれる個性的な女達にシュミレーションを挑まれれば、これ以上はない程、こてんぱんに叩きのめす。

「……そんなに悪役になりたいのか? 相棒……」

 ため息をつく気にもなれない相棒の行いに、俺はわしわしと髪をかき回して呆れを表現した。

 


 

「で、今は一人ユートピアコロニーに向かったアキトの尻を、ミスマルユリカの駄々で追いかけている、という事か……」 

 ようやく状況を把握した俺は、相棒の内面を察して力が抜けた。

 たぶん、アキトは悪役になりたがっていたのだろう。

 アキトが、俺がこの時代に来たきっかけは、ホシノルリがラピスを使って瀕死のアキトの内面を暴き出したために相棒が逃げ出したがったためだ。ランダムジャンプをしてしまった俺たちは別れ別れにこの時代に現れたが……あいつは俺が死んでしまったとでも思っているのだろうか?

 もしもそうだったら殴ってやると心に誓い、俺の後ろで黙々とナデシコの制御コンピューター、通称オモイカネを操るホシノルリに目を向ける。

 要するに、こいつがアキトの――アキトの主観で醜いと思われていた本音を暴いてしまった事が、相棒の狂態の理由なのだ。

 自分の醜さをさらされた相棒は、自分に向けられるべき視線に蔑みを求めていたに違いない。しかし、初陣以来ナデシコの面々はアキトに賞賛を向ける。あいつの尺度では自分を蔑む事が間違いない、ナデシコのクルーが、だ。

 ナデシコのクルーにとっては全く預かり知らない未来の事件が理由ではあるのだが、それでもアキトには耐えがたかったに違いない。それは俺の背中を複雑な想いを込めた目で、相変わらず見つめ続けるフクベにも通じる心だ。

 フクベは耐え続けた。

 或いは声を大にして、真実を暴露したかったのかもしれない。しかし、士気盛り上がる地球を前にしては、それが出来なかったのか。あるいは、軍に脅しでもかけられたのか、ただ単にそうするだけの気力もわかなかったのか。

 ただいずれにせよ、老人は耐え続けた。しかし、若者が老人ほどに忍耐力に恵まれていない事は世の常だ。

 Prince of darknessの烈気は老人ほどに枯れてはいなかった。あいつは、自分を痛めつける道を選んでしまったのだ。巻き込まれるナデシコのクルーこそ、いい迷惑ではあるのだろう……一応、未来の彼らに責任はあるのだが。

 自虐に身を任せる相棒はクルーに蔑まれるための行動を取り続けた。いいや、あるいはあの時代に残してきたクルーへの恨みに近い怒りを、彼は晴らしているのかもしれない。

「……馬鹿が」

 俺は果たしてどちらのアキトを望んでいるのだろう?

 逆恨みに暴れまわるアキトか。

 それとも、自分を傷つけさせるために人を傷つけるアキトか。

 いずれにせよ、再会した時にどんな事になるのかは簡単に察しがついた。

「? 艦長、ユートピアコロニー近辺で閃光確認。おそらく、戦闘が行われている物と推測されます」

 記録をべて吐き出しきりほっと一息をついたブリッジの空気を、ホシノルリの平坦な報告が一気に緊迫させる。ユートピアコロニー……アキトか!

 俺は他の誰よりも素早く反応し、ブリッジに幾つもある思考回路にホシノ ルリの報告が浸透するよりも早く踵を返した。

 行く先は、一つだった。

 


 

 砲戦フレーム。

 これは火力が売りのフレームである。ミサイル、カノン砲、ライフル、場合によっては爆弾も。通常のフレームが敵機動兵器を相手にする目的で作成されたのに比較して、これは密集した機動兵器や戦艦クラスの敵を相手にするために作成されたフレームといえる。

 さらに、ナデシコから離れて長時間行動をするためのフレームであるという側面もある。エステバリスはナデシコのエネルギーウェーブから離れては内部バッテリーによる短時間の活動しか出来ない――その弱点を埋めるという構想も盛り込まれて作られたのが予備バッテリーを大量に詰め込める砲戦フレームだった。

 アキトが長時間単独行動をするには、このフレーム以外には選べなかったわけである。

 しかし、このフレームには欠点がある。

 大規模の火力を制御するための発射台として、予備バッテリー搭載のために、機体が行動に制限を持つほどにごつくなるしかなかった――つまり、高速起動する敵機を相手取るにはあまり向いていないのが現実なのだ。    

 その現実は、今俺の相棒に容赦なく襲い掛かっていた。 

『くそったれが!』

 ギリギリと歯軋りの音さえ聞こえそうな、悔しげな声を出すのはアキトだ。相棒の乗るエステバリスは既に半壊している。ナデシコ全体、人のいるところならば全域に余すところなく展開されたウィンドウには迅速な移動が厳しい程に破壊されたダークブラウンのエステバリス、もしくはアキトの焦りの色濃い顔が映し出され、クルーの間に驚き、もしくは爽快感が生まれる。

 とりあえず、俺はニヤニヤと笑っている整備員を踏み台にすると、空席の赤いエステバリスに乗り込んでIFSを起動させた。これは、この当時本来の俺にはなかったものだ。

「ちょ、ちょっと待て、誰だてめぇ! 俺のエステ返しやがれ!」

 何となく見覚えのある緑髪の女がエステの足元でわめいているが、構う暇などない! 

『踏み潰されたくなければどけ!』

 俺が威嚇の意味もこめて足を踏み出すと、 騒いでいた女が一目散に逃げ出す。しかし俺はそんな女には目もくれずにカタパルトに急ぎ進む。全身を、背骨の末端から這い上がってくる焦燥が支配しているのを実感する。

 俺の目の前で、相棒を殺そうとしている不届きもの――それは、これまでに見た事がない機体であり、同時に馴染み深い機体。縦横無尽に空を駆け、地面にへばりつくアキト機をあざ笑うかのように腕部からミサイルを放ち、手に持つ錫杖で切り裂く――アキトでなければあっという間に殺されていただろう、見事すぎる腕前を見せているその機体は――

『人型の敵機なんて初めて見ますね。地球のものでしょうか?』

 無感情な子供の声が示すそれは、ずんぐりむっくりとでも言おうか。行為が凶悪であるにもかかわらず、どことなくユーモラスな雰囲気を持った外見の、真紅の機体――それは、かつて俺とアキトが殺した男。

 俺達に共通の最大の敵……蜥蜴のごとき男、北辰の配下、六人衆の愛機……『六連』……真っ赤に塗り直された、角をはやした六連だった!

 ――俺は、否が応にも気勢が高まるのを感じた。

 


 

 弾丸が切れかけている。 

 アキトが感じた事は、誰よりも、アキトよりも目の前にいる銃弾を使わせた六連のパイロットこそが知っているに違いない。アキトにとって、これ以上の屈辱と怒りはないだろう――最も負けたくない相手に、今まさに敗北しそうになっているのだから……

 目の前にいる敵が北辰その人であるかはわからない。しかし、赤い六連に乗るパイロット、ほかに一体誰がいるというのか! 俺も、既にはじける直前の爆弾だ。

 俺は借り物の紅いエステバリスに、既に装備されていたライフルを構えさせた。狙撃は性格上好きではないが、けして下手ではない。紅いエステバリスはまだ遠くにいるナデシコの、特徴的なシルエットの理由であるディストーション・ブレードの上に膝立ちしてポジションを確保する。

 戦い方から見て悟ったアキトの弾丸切れが俺を焦らせる。しかし、俺もアキトもお互いの危機を幾度と無く救いあった中――だからこその『相棒』なのだ。

 アキト……

『………………北斗?』

 ――アキトが、一瞬だけ六連から意識をそらした。

 心の中で、祈るような思いで呟いた俺の呼びかけが、アキトの元に届く。これがアキトが聞いたという、そして俺が聞いた、声なき呼びかけという奴なのか!?

 まさか届くとは思わなかった――しかし、自分たちの間にはっきりと目に見えないラインがつながったのを感じる。

 俺は、そのラインにしたがって照準を定める。

『なっ……ちょっと待て! おい、お前! いくらなんでもこの距離からじゃあんな飛び回ってる的に当てれるわけねぇ! ラピッドライフルは元々狙撃用じゃないんだ!』

 さっきの緑髪女がなにやら叫んでいるが、集中に入った俺には一切が聞こえない。ただ、自分とエステの境目をなくすためにIFSのリンクレベルを上げる。

 そして、引き金に指をかける。 

 指の感触を感じる――エステバリスで当てる事は生身で当てるよりも遥かに難しい――だからこそ、俺の一撃は慎重を期さなければならない。

『てめぇ! この……本気かよ!』

 はき捨てた言葉を最後に、けたたましかった女が静かになる。俺の邪魔をすべきではないと気がついたんだろう。 

 そして――俺達の間につながったラインに、銃の弾道をのせて……撃つ!

「死ぬなよ、大馬鹿ぁっ!」

 乾いた音がした。

 銃弾は、当てるのが難しいというだけであり、確実に届く――弾道は確かに砲戦フレームのアサルトピットを目指して進んでいく!

『って、テンカワ狙って撃ってどーすんだァァッ!』 

『えええええっぇぇぇっ!!?』 

 おそらくはコンピューターがはじき出したのだろう、俺の攻撃の弾道を読んで、ブリッジがやかましく騒ぎ立てる。おそらく、コンピューターの計算したラインは、はっきりとアキト機のアサルトピットに向かっているに違いない。 

 そして、それはまさに狙い通りだ!

 ライフル――いや、正確にはマシンガンと呼ぶ方がより正しい形状をしている、俺にとっても馴染み深い銃器から飛び出した弾丸がアキトのいるアサルトピットに迫る。

 今にも破壊されようとしている砲戦フレームから通信が来たのは今、この時だ。

『――グッド・ジョブ』

「当然だ、相棒」  

 爆音が火星の空を、アキトの故郷をもう一度揺るがした。

 


 

 轟音が火星の大地を震わせた。

『……あ、アキト? アキトォォオォォォオッ!!?』

 絶叫が、火星の空に木霊した。目の前一杯に広がったウィンドウがうっとうしい。いつかこいつのせいでパイロットに死人が出るんじゃないのか?

 しかし、絶叫は一度きりだった。それ以降は唖然、呆然と言う間抜け面が次々と目の前に並ぶ。こんな美術館がもしもあったなら、開館しても入館者がどれほどいるだろう? 妙な趣味の奴は入り浸りそうだが……

 と、俺の目の前にどうやら衝撃から立ち直ったらしい、どっかで見た顔が現れた。

『てんめぇええぇえぇぇっ! 俺のダチをどうしやがったァァアァァァ!』 

 鼓膜が震え、頭痛さえ起こした。この野郎……

「――白鳥、貴様何を勘違いをしている? 優人部隊の貴様が今の俺の攻撃を見切れなかったとは情けないぞ……そもそもなんで貴様がナデシコに乗ってる?」

 そう、俺の前に現れてくってかかったのはなんと、木星は優人部隊の一員、なんだか随分と暑苦しさを増してはいるが、白鳥九十九という名前の男だった。自称エリート、実質は一人の主戦派軍人の飼われ犬部隊の一員だが、何故こいつがナデシコに……?

『俺の名前はダイゴウジガイだ! 白鳥だかアホウドリだかしらねぇが、妙な名前で呼ぶんじゃねぇ! 俺はバレエなんかとは縁がねぇぞ!』

「……他人の空似か? ああ、だからこんなに暑苦しいのか」

『誰が暑苦しいだ、コラ! てめぇ、アキトを殺した上にこのダイゴウジガイ様をこけにするとはいい度胸だ!』

 ……早とちりはお互い様のようだった。

「……誰がアキトを殺したって言うんだ? ちゃんと向こうを見てから言え」

『何?』

 ガイゴウジダイとやらがきょとん、とする様は思わずウィンドウを強制的に閉じたくなるほどの威力を持っていたが、ともかくこいつを始めとして、愕然としたまま固まっていた一同が爆煙の向こうに意識を向ける。

 そこには――

「ふん……」

 破壊された六連が砲戦フレームの目の前で崩折れている。錫杖を大地にさして体を支える姿は、敗北者だ、と見えない紙を背中に貼り付けられて断言されているようなものだ。真っ赤なボディは肩の辺りが欠け、そこに俺の一撃が命中したと主張する。

 その頭部には砲戦フレームのカノン砲がしっかりと突きつけられている。いかにディストーションフィールドを持っていようとも、これならば一撃の元打ち倒せるはずだ。

「――チェック・メイト」

 気取る俺の横顔に数十本の視線が刺さる。もしも視線に実体化という事ができたのであれば、俺は間違いなくハリネズミのようになっていただろう。彼ら彼女らの顔には何故六連が被弾したのか分からない、と書いてある。

 しかし、実際には別に超常現象が起こったわけではない。種明かしをしてみれば意外と簡単な事で、敵がアキトにトドメ刺そうとした瞬間、アサルトピットに狙いをしぼり襲いかかったその瞬間を見越して、俺は撃ったのだ。俺としては、アキトに当たるかもしれないという射線でも躊躇わずに撃ち、そして六連に命中させた度胸にこそ胸を張りたい。

 俺はウィンドウの向こうにいる連中に向かってにやりと笑みを見せると、即座にアキト達の戦場に参加する。幸い陸戦フレームだったので、ナデシコから素早く両機の元にたどり着けた。 

「――機体を放棄して、降りてきてもらおう」

 オープン回線で降伏を勧告し、共にライフルとカノン砲を突きつけながら、俺達は油断なく六連を囲む。しかし、その絶対絶命の危機にして、六連から通信が送られてきた。なんだ、交渉でもするつもりか?

『あ〜〜! やっぱり北ちゃんだったんだ!』

 !!?

『ひどいよ、北ちゃん。せっかく枝織、楽しく遊んでたのに』

「な……き、貴様……枝織!!?」

 俺の目の前に映ったのは、回線が合わないのか汚く波打った画像の向こうにいる俺とそっくりな女の顔だった。俺と同じ紅い髪、俺と同じ鳶色の目、しかし、俺とは違う丸みを帯びた目つき、無邪気でしまりのない表情……

 間違いない。多少画像の荒さはあるが、それでも間違いない。こいつは枝織だ!

「馬鹿な! 俺のペルソナの貴様が、何故そこにいる! ――これは一体何の茶番劇だ、北辰!」

『もう、お父様の悪口なんか言うなんて、北ちゃんやっぱり悪い子〜!』

 ……なんで俺がミスマルユリカを嫌いなのかがよく分かった。こいつと、俺がこの世で一、二を争って嫌いなこの女と言動が、雰囲気がそっくりなんだ、あのアマ! 

「答えろ、枝織!」

 こいつ――枝織は、俺の中にいた、肉体を共有していたもう一つの人格だ。反抗的、かつ殺人の技量が自分を追い抜きつつあった俺に恐怖を覚えた北辰が、ヤマサキというイカれた科学者に作らせた自分に盲目的に懐いている、もう一人の俺だ。

 それが、なんでここにいる! 何故俺と肉声で語り合う事が出来るんだ!

『む〜〜! そんな怒ってばっかりの北ちゃんなんて、枝織知らないもん!』

 いきなり、六連の腕が分離する! しかもそれは、グレネードが搭載されている側の腕! 

『べ〜〜だ!』

 ちっ……! エステにもある整備用の分解機構か! 

「待て、枝織!」

 紅いエステが赤い六連を追いかけようとする、しかし、メインカメラが損傷している味方機の存在を認めた。あの損傷では……!

 そして、世界は真っ白に輝いた。

 


 

「ぐ……アキト、無事か?」

 俺の予想通り、枝織の残した文字通りの蜥蜴の尻尾は中に残した全グレネードを使い、ディストーションフィールドに包まれたエステバリスを一瞬とはいえ浮かせるほどの威力を見せた。

 俺は枝織に半壊された砲戦フレームではこの爆発には耐えられないと判断し、とっさにアキト機の盾となってかばった。そのおかげで、煙が晴れた時には枝織は影も形もなかったが、相棒の命には代えられん。

「――おい、アキト? ……通信機が故障したか?」

 俺の前で、砲戦フレームのハッチが開放されて中からパイロットが出てくる。火星の風に身をさらし、黒を基調とした私服で砂の混じった戦場の空気に身を浸す、若い男――

 間違いない、あいつは俺の相棒だ。

 しかしあいつは俺の呼びかけに答えずに、やけに慌てた動作でエステから降りてこちらに駆け寄ってくる。一体どうした? やむなく、俺もあいつと同じようにハッチを開放する。もちろんエステは起動させたまま、レーダーでの索敵は行っているが、もう目の前まで近づいてくるナデシコ以外は反応がない。

 いぶかしがる俺――その俺の目の前に、挙動不審な相棒が現れた。

「よう――久しぶりだな、相棒」

「………」

 俺の呼びかけに答えない、ますます挙動不信な相棒に俺は眉をしかめる。気のせいか、先のナデシコクルーよりも呆然と虚脱しているように見える。 

「どうした? まさか俺が分からんというんじゃあるまいな」

「――……」

「おい……」

 いい加減に――……

「……天河、北斗――」

「っ……なんだ、分かってるじゃないか」

 どうしてこの男は、俺をむせさせるタイミングで口を開く? と、咳ばらいをしながらいささかならず憮然としている俺は、いきなり力強く引き寄せられた。気が付けば、アキトの腕の中で情緒もくそもなく、ただ力任せに抱きしめられている。

「――おい、アキト?」

「……っく……」

 懐かしい匂いに包まれて肩の力が抜けたのはごくわずかな時間……少々息苦しい俺は、抱きしめるアキトの手を叩いて力を緩めるように促すが、その様子はいつまで待ってもこない。さすがに少し苛立つ俺の鼻が、かぎなれない匂いをかいだ。

 鉄の匂いのしない、熱い体液の匂い。

「……お前、泣いてるのか?」

 まさか。

「ぐっ……く……あ、うう……ああ……うううううぅぅぅぅうぃう……」

「………」

 ありえない現実が目の前にあると、人はどう応対すればいいのだろう? 俺の目の前で、顔をくしゃくしゃにしてみっともなく泣きじゃくっているのは、誰なのだろう?

 俺の肩に顔をうずめて泣きじゃくる相棒は、義妹のラピスよりも幼く、フクベよりも疲れ果てて見えた。そして、今の俺がとことんに間抜け面をしているだろう事は想像に難くはなかった。

 俺を抱きしめている男は、かすかにでも力を緩めれば俺が消えてしまうと頑なに信じてこんでいるように、ますます両腕に力を込める。その姿はまるで――……

「――迷子の子供みたいだな、アキト」

「あ……ああぁぁぁぁぁ……っく……う……」

 手を背中に回していなかったな――そんな事がきっかけで俺は我にかえった。    

「……アキト……」

 彼の髪をなでる感触は、相変わらず硬めだった。しかし、俺の頭をなでる手の存在は、顔を伏せているこいつにはっきりと伝わっているに違いない。感覚を、今のこのひと時を共有できている実感が、何よりも嬉しい。

「痛いよ」

 俺の言葉にびくり、と震えてから、慌てて身を離すアキトの顔は、これから怒られる少年だった。その目を覗き込み、俺は涙に虚無が拭われていくのを見て取った。その顔を見ていると、急にイタズラ心がわいてくる。

「ん……」

 ナデシコとの通信はオープンのままだ。おそらく今までのシーン、全ては艦内で公開されているだろう。そして、このシーンも。

『あああああ!』

 俺たちの、キスシーンも。

 夜叉と羅刹は、ようやく重なった時を取り戻した。それを――俺達はお互いの全ての五感で確かめ合った。

 一瞬アキトは面食らったように身体を固くしたが、すぐに応えてきた。お互い、歯を傷めるほどに強く唇を押し付け合い、一転して柔らかく、優しくついばみあってから、貪欲に舌を絡める。

 ――アキトの唇が俺の唇に重なったのは幾度となくあった。しかし、俺の唇がアキトの唇をふさいだのはこれが初めてではないだろうか……?

「ふ……はぁ……」

 お互いの顔を見るために、お互いが目の奥に抱いている想いを見せ合うために絡められた舌を離した事が、少し名残惜しかった。

 俺の手はアキトの背中に回され、俺の頭はアキトの胸におさまり、アキトの手は俺をしっかりと抱きしめ、アキトの顎が俺の目の上にある。

 お互いの存在をしっかりと確かめ合いながら、俺たちは同時に口を開いて胸の内に抱いた想いを言葉にした。

「……ただいま、アキト」

「……お帰り……北斗……っく……そして……俺も――ただいま」

 抱きしめあう俺達を、火星の風が始めて祝福するように優しくなでていく。 

 どれだけ心を烈しく揺らしても、もうアキトの顔に虹色の光は現れない。それが例えようもなく嬉しく、そして同時に一つの戦争の終わりと、俺達の新たな戦争の始まりだと教えていた。

「――……例え、それが何であろうと……俺達はもう……離れはしない、離させはしない」

 そうだ……何があっても……俺達は……

 

 俺達に、別れはない。

 

 それが、時さえも越えて、死をも超えて、もう一度めぐり合えた二人の誓いとなった。

 


 

 これは『夜叉と羅刹と妖精と』の続きです。ちなみに、連載ではなくつながりのある短編って所です。

 この作品を最後に数ヶ月間Actionを、SSそのものを事情ではなれる事になりますので、必ず帰ってくるぞ、というメッセージもこめました。

 またメールも使えなくなりますので、感想は出来ればBBSにお願いします。

 と言っても、そちらも一両日中に返信できなくなるんですけど……たはは……

 きっと、帰ってくるぞ――! 

 

 

 

 

代理人の感想

・・・・・・舞歌さん、素敵だ(爆)。

 

それはともかく、残念ながら届くのが遅れた為にKatanaさんの意図どおり日曜日にアップできませんでした。

よって、現在Katanaさんは感想を見ることができない状態にありますのでご注意下さい。