戻ってこなかったから、くっついてっちゃいました。

 

〜すれちがいの反抗者〜

あるいは、欲望に素直な者達の物語

by.katana

 

第一話 蜜蜂を襲わんとする花々 


 

イネス・フレサンジュの場合――……

 

 ……あら?

 ええっと……

「あなた達、どちら様かしら?」

「初対面だよ……」 

 気がついたら、私は妙に疲れた人達と一緒に暗い洞穴の中に立っていた。確か、私はアキト君達と一緒にランダムジャンプをしたと思ったのだけれど?

 なんでこんなオッサン達と? 

「悪かったな、オッサンで」

 いつの間にか、口に出してたのね……あら? それにしても、このほこりまみれの人達……どこかで見たような?

 首をかしげ記憶を探ろうとする私の前で、オジサン達は(丁寧な呼び方にしたわよ)汚い事に床に唾を吐き捨てながらとても無念そうに、ある物をののしった。

「くそったれのチューリップが! よりにもよって、ユートピアコロニーを直撃しやがって! 火星で一番の人口密集地なんだぞ!」 

 ……なんですって?

 チューリップによる火星、ユートピアコロニー破壊は、あの第一次火星大戦の話……フクベ提督が行った特攻の結果だったわよね……って、この人達はいつの話をしているの? もう六年は前の話じゃないの……

 ……そう言えば私の格好……これって、私が火星で無人兵器相手に潜伏生活を送っている時の服じゃなかったかしら……間違い無いわね。 他に私がこんなやぼったい土気色の服……と言うか、テンカワ君みたいなマントを着た事はないし……一応、活動しやすい、わが身を護りやすい服を選んでいたのよね。

 そうそう、この洞穴も……本当は洞穴じゃなくて崩れて土が剥き出しになった地下室なんだけど、当時の火星の生き残りはこう言ったところで息を殺しながら生きてたのよね〜〜……

 ……いい加減、現実逃避してる場合じゃないわよね。あっという間に現実に察しがつけれてしまう自分の知性がちょっと憎いわ。

 ……過去に、来ちゃったみたいね……ああ、勘弁して……

 


 

 勘弁して、何て言って頭を抱えてしまったけれど。

 しかしは私はタフだった。

 ほんの三分程度で立ち直った自分にはさすがに呆れてしまうわね……最も、私がボソンジャンプ研究の権威だったからこそ、そして遠い過去――いえ、そんなに遠くはないわよ? おばあちゃんじゃないんだから――に同じく過去遡行したからこそすんなりとなじめたのね。

 ……なにしろ、覚えてはいないけれど、かつては数千年も遡って古代火星人に会ってきたんだから。六年分の遡行なんて、むしろ些細と言えるほどよ。

 ただ、遡った時間のせいでもないでしょうが、今回はやけに特殊なジャンプだった。それは私の服装と、周囲の人間の反応が示している。

 私の服はこの当時に着ていたものだったし、もし私が普通にボソンジャンプしてきたら……いきなり虹色の光から現れた女よ? 怪談のネタになるわ。

 この追い詰められた人達なら、確実に私をリンチにかけようとするでしょうね。でも、彼らは無反応だった。つまり、私は一見しただけなら何の変化も無かったと言う事……

 どうやら、精神だけのジャンプだったようね。初めての事例、とっても興味深いわ。

 アレから私は半分に割れた鏡で自分の姿をまじまじと見つめて、自分の服装と顔をしげしげと眺めてようやく自分が六年分若返っている事に気がついた。ふ……ちょっとどころではなく嬉しい物がこみ上げてくるわ。

 いえ、若返ったと言うのではないわね。正確には、この時代の身体に未来の心と記憶が宿った、と言うべきね。科学者らしくない言い方だけれど、魂、とも言えるのかしら。

 ……なんだか自分が自分に取りついた悪霊のように思えてきたわ。不愉快ね。

 簡潔に説明すると、これは恐らくナノマシンが大きく関係していると考えられるわ。

 時空間移動であるボソンジャンプを統括している、遺跡と呼ばれている超高性能演算機……古代火星人の遺産。

 これはナノマシンに強い影響力を持っている。火星の人間はテラ・フォーミングの一環として、火星の大気に、水に、土に満ち溢れるナノマシンを体内にも持っているわ。

 自動車や飛行機、そしてあのエステバリスやナデシコを動かすのに必要なパイロット、オペレーター用のナノマシン、イメージフィードバックシステム、略称IFSとはまた別に、日常を生きるのに火星ではナノマシンが不可欠。

 世界に満ちるナノマシンが人体にも呼吸や飲食によって自然と入ってきているのね。これが遺跡よりの干渉を受け、火星の人間を、遺跡の開発者、古代火星人と同じようにボソンジャンプ可能なように遺伝子レベルで変質させた。

 これがA級ジャンパーと呼ばれる、私達の事。これは火星に長く住んでいるという事が条件。それもできるだけ子供の頃から、と言うのも付け加えておくわ。

 さらに人為的に手術したのがB級ジャンパーで、こちらはA級ほどには自在にジャンプできない。様々な制約が付く事になるわ。まあ最も、A級ジャンパーだってそれなりに制約はつくんだけど。

 それに加えて、私が開発したC級ジャンパー用ナノマシンと言うのもあるわね。これはA、B級ジャンパーよりも更に制約のつく……と言うよりもほんっきで、ジャンプによって死ぬ事がないだけ、と言うジャンパーにするためのナノマシン。

 本来ジャンパーで無い者がボソンジャンプを行えば、問答無用、単刀直入、死にます。 実際、ナデシコでも木連との戦いの時にそれで死者を出したわ。

 ……ナデシコと、アキト君の中に残る苦い記憶の一つね。それを避けるために、私が開発したのがこのナノマシン。自力でのジャンプも出来ず、ジャンプイメージを遺跡に伝える事の出来ないマシンだけれど、頻繁にボソンジャンプするナデシコでは重宝するわ。

 少なくとも、死の恐怖を一掃する事が出来たもの。IFSのように無針注射で簡単に処置が出来るのも強みね。これはナデシコのクルー全員に処置が義務づけられているわ。

 スバルリョーコとテラサキサユリ。彼女達も一応はジャンパーなんだから、たぶん生きてはいるでしょうけれど……とんでもない所にジャンプしてなければいいわね。

 たとえば、ブラック・サレナと戦闘中のエステの中とか、真空の宇宙とか……シャレにならないもの。

 話を戻せば、このナノマシンに遺跡の干渉があったと推測するわ。まだ断定は出来ないけれど恐らくは、遺跡が未来の私の情報を、ナノマシン経由で過去の私に書き込んだんでしょうね。

 つまり正確な事を言えば、私は『未来のイネス・フレサンジュ』ではなく、『未来を疑似体験したイネス・フレサンジュ』と言う事になるのかしら? いえ、ナノマシンが遺伝子レベルで干渉してきたのだとすれば『過去と未来の融合したイネス・フレサンジュ』になるのね。

 その証拠に、私は二の腕をはしる白い傷跡を見つけた。はっきりと腕をはしる大きな傷跡はこの時代の私にあるはずもない。だってこれは、『火星の後継者』から助け出されたアキト君を治療した時に、脳を駆け巡る痛みに暴れる彼を取り押さえた事でついた傷だもの……

 やはり、融合したと言っていいようね。一番納得がいく展開で良かったわ。

 私はその傷痕をじっと眺めながら、身体も心も傷ついた大切な人を思い返した。彼の絶望に満ちた泣き笑いの顔を……

 傷ついた心。

 壊れた身体。

 失った夢。

 踏みにじられた尊厳。

 砕かれた希望……

 二度とあんな事はさせない……彼の心も癒してみせる……そのためには……やっぱり、彼の隣には私が立つべきよね♪

 そうね、そのためにも、まずはアキト君の所在、私以外の逆行者の確認……これは現状ではいかんともしがたいわね。何しろ戦争中だもの。この時点でアキト君は既に地球に行ってるはずだけど、一応ユートピアコロニーに行ってみる必要はあるかしら。

 ……まあ、それはもう決定ね。元々ナデシコ開発プロジェクトのメンバーはあそこに避難してたんだし。

 となれば、他にやる事は……アキト君を護るために私が出来る事……まずは、私が覚えているだけのデータの文書化ね。手元にディスクの1枚もないのだから、きっと穴だらけになるでしょうけれど……そこは努力でカバーして……特にナノマシンの研究は出来るだけ進めておく必要があるわ!

 私のジャンプが精神だけの物である以上、アキト君も同じジャンプである可能性は高く、さらにそれによって彼の脳を害していた過剰ナノマシンは消える事になるでしょう。しかし、彼のジャンプが肉体も伴った物である可能性も捨てきれない。

 十八歳時のアキト君のナノマシンに悪影響が出る可能性もあるわ。ならば、そんな最悪の事態にも備えて、私は彼の体を癒す手段を模索する。さらに、アキト君が生き残れるように彼を護れるだけの装備も……実際に作れるかどうかはともかくとして、アイディアぐらいが出しておくべきね。さらに何よりも、生き残るという重大事もあるし……

 さて、これは忙しくなるわね!

 結論と方針が出たからには行動あるのみ! 恐らく彼と……他の三人も私と同じ境遇になっているはずよね。ジャンパーとしてのクラスやナノマシンの性能によって、いろいろ違いは出てくるだろうけれど……

 私は自分と同じように、テンカワアキトを想っているであろう女達の顔を一人一人丁寧に思い出して、心の中で宣戦布告した。

 彼女達には悪いけれど、私は二度も『お兄ちゃん』を諦めるほどには、お人好しではないのよ!

 そうと決まればこんな所に用はない。ナデシコ……いいえ、アキト君が私を迎えに来る前に出来るだけの事はしておかないとね。

 私は臨時の避難所に背を向けながら自慢の頭脳をフル回転させて、『お兄ちゃん』を今度こそ護るために、そして共に生きるために、その方法を模索し始めた。 

「……これね」

 我ながら、『ぐっどあいでぃあ』だわ。私は自分の不可能を可能にする英知に感心し、プラン実行の為に行動を開始した。

 

 ……そう言えば、未来の私の身体、どうなったのかしら。これも研究テーマの一つね。

 


 

ホシノルリの場合――……

 

 ……熱い……

「ふぅ……ああ、ひぐぅ……う、うううぅ……」

 ……とっても、熱いです。手加減も何もなく、全身が内側から煮られているように熱く、苦しいです。私は今、ネルガルの研究所内の病室で高熱にもだえ苦しみながら、必死に白いシーツを握り締めています。

 その手は、私が見慣れているものよりも一回りほど小さいです。

 はい、私縮んじゃいました。

 気がついたのはほんの二日前。アキトさんのジャンプに乱入して、ランダムジャンプにしてしまって、そして気がついたらここにいました。ネルガルのマシンチャイルド研究施設です。

 一体何が起こったのかは大体察しがついています。

 精神だけのボソンジャンプ。今の私は十一歳の少女、ホシノルリです。

 ランダムジャンプって、むちゃくちゃですね……起こした私が言っていい事ではないのでしょうけれど……こんな事が在りうるんでしょうか?

 はっ! いけませんね。今のような事をもし、彼女の側で言ってしまおうものなら……何せ、あの説明好きに加えて、テーマは自分の得意分野、自他共に認める第一人者としての自負もあるのでしょうし。

 絶対に、嬉々として三時間はぶっとおしで『説明』するに決まってます。

 もしイネスさんも同じようにジャンプしているのだとすれば……そばにいなかったのは幸運です。

 でも……アキトさんがそばにいない事は、不幸です。今はどこにいるのでしょうか? 日付を確認してみれば、私が一足早くナデシコに乗艦する半年前。この時期は……アキトさんが地球に来て少したったか、の頃でしたっけ。

 でも、オモイカネに実験の最中、ちょっと頼み込んで地球をくまなく探索しても……アキトさんはいません。

 何故!?

 オモイカネがまだ未完成だから能力が及ばないのでしょうか……? そんなはずはありません。オモイカネは世界最高のAI。現時点でもこの程度の索敵はたやすいです。

 と、言う事は……アキトさんはそもそも地球にいないという事になります……何故!? 歴史が変わっていると言う事はアキトさんも、やはり私と同じく過去へと帰って来たという事なのでしょうが……

 もしや、いまだに火星にいるのか、それとも身を隠しているのか……少なくともこの時期にアキトさんが働いていた雪谷食堂には影も形も在りません。アキトさんの師匠と言うサイゾウさんが一人いるだけです。

 私はアキトさんとリンクしています。一つナノマシンを使ってアキトさんと交信を……とも思ったのですが、ダメです。火星と地球ではさすがに距離の問題が大きすぎるようです……

 ……まさか、アキトさんが過剰ナノマシンによって倒れたという恐ろしい話ではないでしょうね!?  私のように精神だけの帰還とは限らない以上、可能性はあります。

 今の火星の現状ではそんな事になっては、いくらアキトさんでも簡単に御陀仏です。

 私は様々な恐怖の空想に苛まれて一夜を過ごしました。

 アキトさんが倒れ伏し、バッタになぶり殺しにされる夢……ボソンジャンプに失敗し、粒子となって元に戻れない……ユリカさんの言葉に絶望し、自ら命を絶つアキトさん……私の方など見向きもせずに、背を向けて消えていく、黒尽くめの後姿……一晩に何度目を覚ましたのか。

 こんな事はアキトさんとユリカさんが亡くなったと思っていたあの偽装シャトル事故の時でさえありません。あの時は諦めたモノが、ようやく帰って来たと言う事が……そして今再びどこかで消えようとしているのかも、と言う事が……

 胸に抱いた喜びが生んだ心の上昇気流が、眼下に広がる奈落への恐怖を倍増させているのを、私は自覚しました。

「ふう……」

 目がさめた時に真っ先に感じたのは、涙に濡れた自分の頬でした。たった一晩で頬はこけ、十一歳の若さ溢れるはずの肌は張りを失いつつあります。全身を眠れない事による倦怠感が襲います……これではまるで老婆です。

 私は不幸です。アキトさんがいない事が、私を痛めつけています。いえ……目をはなした隙にアキトさんがどうなっているのかわからない……未知への不安ですね。肉体年齢十一、精神年齢十七歳だと言うのに、未来にひたすら不安を抱かなければならないとは。

 その上、さらなる不幸が私に襲い掛かってきました。

 実験の最中、私の健康状態や心理状態を示す一つのグラフが異常値を指し示しました。体温のグラフです。

 その異常はすぐに自分の身体で実感できました。頭はがんがん、目はくらくら、身体はかっか、おなかも痛いです。

 間違いありませんね、お熱です。

 何やら回りでは私とオモイカネのデータを取っていた研究員達が代謝機能がどうの、とかナノマシンの異常、とかアレコレ言ってましたが、私はそんな事はぜんぜん聞いていません。

 なにしろ、すぐにぱったり気絶してしまったんですから。

大丈夫!? ルリ!

 私を心配してくれるのはオモイカネだけですね。

 ――アキトさん……あなたがここにいたら、私を抱きしめてくれますか……? 

 それでもアキトさんの事を考えてしまう自分に少しの誇らしさと、オモイカネへの申し訳の無さを胸に抱き、私は意識を手放しました。

  ほんと、私は不幸です。これがバカばっかに続く第二の決まり文句にならない事を祈るばかりです……

 


 

 やっぱり幸運でした♪ それもこれ以上はないという程に♪ 

 三日目の朝、目覚めると、身体が楽になってます。どうやら峠は超えたようですね……

 ほっと一息つくと、高熱の時には付き物の寝汗を流すべく、シャワーを浴びるためにベッドを降りると……パジャマがぴちぴちになってます。手も足も、研究所配布の子供用パジャマにはとてもではありませんが、収まりきらない長さです。おへそも出てます。

「…………」

 私はしばし無言、ついで脱兎のごとく自室に駆け込み、オモイカネによる厳重ロックの上でバスルームの鏡を覗きこみました、すると。

 私、大きくなってました。胸もありますし、手も大きくなって、足も長くなってます。髪も伸びてました。倦怠感も無く、頬はふっくら、肌の色艶、張りもおーるおっけぇです。

 やりました、私、ホシノルリ・十七歳です♪

 アキトさんはこの当時、十七歳です。私との年齢差はゼロ!

 つまり! 私と恋人になっても、ロリコンという不名誉な烙印がアキトさんに押される事は無いわけです! 

 アキトさん、子供が出来たらテンカワラーメンをお袋の味に入れてほしいんですよね? ええ、喜んで♪ ただし、私の子供の父親は、アキトさん限定ですよ♪ 

 他の人など認めません。ええ、絶対に。ネルガルの陰謀だろうが、ハーリー君の暴走だろうが、火星の後継者の乱暴だろうが、絶対に貞操は護りぬいて見せます。だから、早く迎えに来てくださいね♪

 アキトさんが死んでいるかも、などと縁起の悪い妄想は却下です。アキトさんが私達を見捨てて自殺をするとか、逃亡するとか、それも全部却下、大却下です。

 アキトさんは強いです。死ぬわけありません。

 アキトさんは優しいです。私を見捨てるはずがありません。ここ、ポイントです。

 アキトさんは生きて、ナデシコに乗り込もうとするはずです。間違いありません。百歩譲って、何らかの事情で乗れなかったとしても、それならアキトさんのいる火星に向かって突き進むだけです。

 ……アキトさん。

 あなたがユリカさんに拒絶され、どれほど傷ついたか……どれほどの絶望を胸に抱いたか……たとえ仮面で顔を隠そうと、例え表情をなくそうと、一心同体の私にはわかります。あなたはあの時……泣き出すのを必死にこらえるために心を閉ざす事を忘れていたのだから……

 リンクしていたのが私で良かったです……これがラピスだったら、悲しみに押しつぶされ、心を閉ざしてしまったでしょう。ラピスがその育ちのせいで特別弱く、もろい心の持ち主だと言う事を差し引いても……それほどの絶望を、アキトさんは胸に抱いたのです。

 ユリカさん。

 ナデシコAでの幸せな日々……あなたが常日頃、アキトアキトとあの人の名前を連呼していたのはどうしてなんですか? あの人を追いかけていたのは何故ですか? あの人の事を好きだったからではないんですか?

 アキトは私の王子様って……結局、あなたはアキトさんではなく、子供の頃から作り続けた『王子様』という妄想をアキトさんに押し付けていただけなんですか!? だから、変わってしまったアキトさんを認められないんですか!?

 ……結局あなたは……愛される事を知っていても……愛すると言う事を知らない女性だったんですか? 

「アキトは私が大好き!」

 この言葉を私は、アキトさんの事を諦めないために……メグミさん、リョーコさん、イネスさん、エリナさん、サユリさん(……改めて列挙すると、とんでもない数ですね……)に負けないように自分を鼓舞する言葉だと思っていました。

 でも……あなたは結局、自分から、

「私はアキトが大好き!」 

 って言った事はありませんでしたね。火星極冠遺跡でアキトさんにせっつかれたのが、一度きりです。

 ジュンさんに対する天然交じりの態度もあんまりと言えばあんまり……アレだけ散々甘えておいて、ジュンさんの気持ちに気がつかないというあたり、無神経と言う言葉さえ通りすぎている気がします。

 あなたは人を愛するという事を知ってましたか……? 現実のアキトさんを見ていましたか……? 私には……もう、あなたにアキトさんを任せる事が出来ません。

 あなたが好きです。でも……だからといって、あの言葉を許す事は出来ません。

 私はアキトさんの家族です。そして……ユリカさん、あなたは過去の家族です。アキトさんとの縁を切ったあなたは、ミスマル閣下と親子仲良くやってください。あなたには閣下がいます。でも……アキトさんにはもう、誰もいません。

 ご両親も、妻も無くしたあの人の側に、私はいつまでも寄り添って生きて見せます。あの人の家族として……そして、女としても!

  

 だって……だって、あの人は大切な人だから!

 

 ぐう。

 ……体が急に成長しました。どうやら栄養は全てそちらに取られたようですね。ホシノルリ、ガス欠です。

 私はご飯を食べるためにまずはシャワーを浴びる事から始めました。アキトさんのためにもお肌は磨かないといけません♪

 

 ……そういえば。私が大きくなったのってやっぱりナノマシンのせいでしょう……って、アキトさんまで年取った挙句やっぱり五感がなくなった、なんて馬鹿げた事は無いでしょうね!?

 ……そんな事をしたら……神でも殺しますよ?

 


 

スバル・リョーコの場合――……

 

「……ふ、ん……ここがサセボドックか……」  

「そう、ここであなたの乗る我がネルガル重工の最新鋭作、戦艦ナデシコが建造されているのです!」  

 潮風を浴びながらドッグの前に佇み感慨にふけるあたしの後ろで、ちょび髭の男、プロスペクタ―が誇らしげに指を立てる。

「……企業秘密なんだろ? そんな大声で言っていいのかよ?」

「……いやいや、これは厳しい。全くもってその通りですな、はい」

 かつてはネルガルシークレットサービスのえらいさんだったり、火星では研究所でもずいぶんと上の方にいたらしい……その当時の詳しい役職は知らないが、今はスカウトマンで、その内ナデシコの会計主任だ。

 ……当時は気がつかなかったが、そういった事情を知ってから改めて見ると、立ち居振舞いに隙が無い。歩き方に……ぶれがないんだよな。これは東洋武術の基本的な歩法だそうだ……日常でも自然出ちまう所が、そしてそれが人に警戒心を出させないよう、極力隠されている所がすごい。

 ……だから前回は気がつかなかったんだ。

 あたしの体術は基本的にパイロットの訓練の一カリキュラムに過ぎない。身体を動かすのが性にあっているので自発的に訓練を積んではいるが、所詮は機動兵器戦で戦うためのカリキュラムの延長だ。白兵戦技は余技に過ぎない。

 つまり、あたしじゃこのオッサンには勝てないだろう、って事だ……もともと戦うつもりも無いけどな。この営業スマイルを見てると、とても強くは見えないからつっかかっていきそうになっちまう。気をつけよ……

 やけにひょうひょうとはしているが、どうせこれも芝居なんだろうな……くえないオッサンだぜ、全く。

 ……あたしが目を覚ました時には、ちょうどその食えないオッサンの顔が目の前にどーんとあったんだもんナ。ごっつい大男を隣に従えて。あの時は思わず何も言えずに固まっちまったぜ。ま、おかげで何も不審に思われずに済んだんだけどもよ。

 ……アレは1ヶ月前、まだあたしがサツキミドリ2号にいた頃の事だった……

 


  

「……といった次第で、あなた方にはこのネルガルの最新鋭宇宙戦艦『ナデシコ』に、エステバリスパイロットとして乗っていただきたいのです」 

 どえ!?

 自分で言うのもなんだが、そこで声をあげなかったのは我ながら偉いと思う。あのボソンジャンプって言う、あたしにはどうにも好きになれない、しかし便利な移動法。テンカワの起こしたあれをルリたちと一緒に乱入して……気がついたらいきなり目の前にはプロスの掲げた電卓。

「お給料はこんな所でいかがでしょう?」

 驚くなって言う方が無理だ。実際、驚きすぎて声が出ない。そのせいで不信に思われずには済んだようだが……

 あたしは硬直したまんま、錆付いた音が立ちそうなぎこちない動きで左右に首を動かした。なぁんか、覚えのある気配が左右を固めていたからな。

「ん? どしたのリョーコ。お給料に不満でも?」

「不満……踏まん……踏まなきゃ殺される、そりゃ踏絵……くくく……」

 ……イズミとヒカル以外にこんな奴がいるわきゃないな……他にもいたらたまらん……

「……いや……そんな事は無いが……」

 口が勝手に動いてるが、頭は真っ白だ。おい、こりゃなんだか覚えのあるシチュエーションじゃないか?

「おお、それは結構。ではスケジュールの打ち合わせに入りましょうか。ネルガルの予定としましては、あなた達にはサツキミドリニ号で0G戦フレーム用の特訓を受けていただき、然る後に火星に向かうナデシコとの合流をしていただく、との事で」

「火星かあ……いくら最新鋭の戦艦って言ったって、一隻っていうのはいくらなんでも無謀過ぎるんじゃないのかなあ?」

「……火星、火星、火星……むうう……」

 うまくシャレを思いつかなかったらしいイズミはほっといて、あたしはとりあえず、状況になじむ事から始めた。

 どうやら今は、プロスにスカウトされている最中らしい。仕事はたった一隻で火星へと向かうナデシコで、エステバリスのパイロット……って、おい!

 こ、これって、まさか……いや、そんなはずはねぇよなあ……ははは、バカらしい。

「で、出港予定日はいつなの? それと合流予定日は?」

「そうですな。建造は順調に終わっていますから、出港は荷を積んで、人員を揃えて……まあ、1ヶ月後の……」

「ナデシコ出港は2196年、11月だ」

 ゴート、西暦まで言うんだな…………

 って、おい! 

「……ふ〜〜ん、でもそれじゃあ、そのナデシコにはサツキミドリに着くまで機動兵器はなし? それってヤバくない?」

「……バッタに襲われてチュッドーン……」 

 んな、アホな話が、現実に……ウッソだろぉ!? 

「いいえ、もちろんその辺はちゃんと考慮してありますよ。サセボに拘留しているナデシコにはちゃんと事前にパイロットが一名……」

 !

「そのパイロット、どんな奴だ!?」

 あたしはもちろん全力でプロスの首を締め上げる! 途中でゴートがつかみかかってきたが、とりあえず膝で顔面にイイのをいれて、黙らせといた。 

「さあ言え、今言え、ぱっと言えェ!」

「え、ええ、名前は……ゴート君、そんな所で寝てないで、名簿をください」

「むう……」

 憮然とした表情でプロスに書類の束を渡すゴートだが、その手がちょっと震えて、顔色も悪い……やりすぎたか?

「……ヤマダジロウ? ……聞いたことないな、こんな奴」

 アキトじゃないのか? あ、そう言えばあいつは飛び入りだったんだ……って事は、今プロスにアキトの事、聞いても無駄か……テンカワ夫妻の線から聞いてみるか? いや、そんな事したら思いっきりネルガルにマークされるな。 

 ……アキト、今お前はどこにいる?

 お前は、あたしの知ってる、傷ついたお前なのか? それともこの時代の、コックを目指すお前のままなのか? あたしは一体……それぞれのお前にどう接すればいいんだ? 

 できれば、あたしはお前は傷ついた……黒い王子だったお前に会いたい。

 それは、お前の心を癒してやりたい、このままお前が消えるなんてあんまりだ、なんて理由だけじゃない……あたしが知ってるお前じゃなければ……今の何も知らない『テンカワアキト』じゃ……あいつの事を四六時中考える時間を過ごした事のあるあたしが口説くのはアンフェアじゃないか、って……いや、それだけじゃなく……あたしは、あたしが愛したテンカワアキトに会いたいだけなんだ……

 ひどく、身勝手な話だ……でも……それでも!

 今度こそ、あいつの背中を護るんだ!

「どうかなさいましたか? 何か契約に異論でも……」

 黙り込んだあたしを見て何か勘違いをするプロス。うるさいぞ! 少し考えさせろ!

 契約に異論? んなモン……いや、待てよ? おお、そうだ、この手があったか!

「ああ、不満だね。こんな奴だけじゃ俺達が合流するまでナデシコがちゃんと飛んでるか怪しいもんだ! 俺は出港の時からナデシコに乗る! それが条件だ!」 

 あたしには、艦長みたいな指揮能力も、イネスみたいな智恵も知識も、ルリみたいなナデシコを操るオペレーション能力は無い。はっきり言ってシャクなんだが、女らしさって言うのか? それも、まあ……男ばっかの荒々しい軍隊で生きてたんだもんな……ウェイトレスやって、アイドルやってたサユリ、メグミにはまずおよばないだろ……エリナみたいに政治とかビジネスとか言われても、さっぱりだ。

 あるのはただ、エステを操る事だけ。テンカワが呪う、戦争にしか役立たない腕だ。

 それだってもうテンカワには敵わない。機体の性能だけじゃない、腕もあいつはあたしよりも上だ。つまり、あたしは一番、テンカワの役に立ってるって言える物も、その、魅力も……無いってわけだ……

 アイツが夢としていたコック……あたしの料理の腕前は……いいじゃねぇか! おにぎりだけはまともに作れるんだ、艦長やメグミよりはましでぇ!

 とにかく! それでもあたしはテンカワの背中を護ると……そう、決めたんだ!

 あいつの心を護る! 木連の白鳥、新人の……そして新人のまま逝ったイツキとか言ったパイロット。そして……あたしの知らない所で死んで、あいつの一番深い傷になったガイ、とか言う奴……テンカワがあたしの知っている奴なら、絶対にこいつらを救おうとするはずだ! それを手助けする! テンカワが何も知らないただのコックのままなら、あたしがあいつらを護ってやる! 

 あたしは左右に正面、全部で四対八つの視線を浴びながら、自分で決めた、自分のための決意を胸の内でしっかりと固めた。

 もう、ためらわないように。

 もう、ゆらがないように。

 もう……失わないために……今度こそ!

 そしてあたしは再びナデシコに立って……盆踊りをするピンクのエステバリスを呆然と眺めていた。

「…………」

「…………プロス……なんだ……? ありゃあ……」

 あたしの言葉に呆然と固まっていたプロスの硬直がようやくとけた。お? あそこにいるの、ウリバタケだ。こっちに近づいてくる。

「ウリバタケさん、これは一体何事です!?」  

「どうしたもこうしたもねぇ! いきなり変なのがやってきてエステに乗せろーって……そのまま暴れだしやがった! 確か……ヤマダとかいってたっけか?」

 ウリバタケがいかにも苦々しくバカ(決定)の事を俺達に説明すると、突然コミュニケ・ウィンドウが開いて、どっか暑苦しい男がとんでもないバカ声でわめきやがった。

「違ぁぁぁぁぁぁうっ! 俺の名前はダイゴウジ・ガイ、魂の名だ!」

 こ……こいつか!? こいつがテンカワのトラウマの一つ、ダイゴウジ・ガイって奴なのか!? うわあ、話にゃ聞いてたけど、白鳥そっくり……

「うわははははは! 見たか、キョアック星人! このダイゴウジガイ様が貴様らを必殺ゲキガンフレアで一網打尽にしてやるぜ――ッ!」

 踊りまわるエステと、ウィンドウの中で馬鹿笑いをする暑苦しい男を見ながら……あたしはこの時心から思った。

 テンカワ……友人は選べよ……

 

 そう言えば、こいつがテンカワをゲキガンマニアに引きずり込んだんだよな……やっぱ、こいつ助けんのやめよっかな……

 


 

テラサキサユリの場合――……

 

 すとん。

「きゃあ!?」

 ……び、びっくりした。な、なんで私はいきなり包丁握ってるの!? 危うく指を切ってしまう所だったわ。

「サユリ、なにやってんだい! らしくないねぇ。やっぱり軍艦のウェイトレスって言うのは年頃の女の子には辛かったかい?」

「い、いえホウメイさん、そんな事は……って、ホウメイさん!?」

 私の目の前には、いったいなんだい? 大きな声だして――と顔に書かれている恰幅のいいコック姿の女性……間違いない、ナデシコA、B、C通じて(ちょっと間に空白期間があり)の料理長、ホウメイさんだ……何故!?

「え? え? アキトさんは!? ルリちゃん達は? ここどこ!? ええっと、それからそれから……」 

「おちつきな、サユリ!」

 すかけ〜〜ん! うう、ホウメイさん……年頃の女の子がうろたえてるんですよ! おたまで殴らなくてもいいじゃありませんか! それも、そんな間の抜けた音たてて……まるで私がお馬鹿みたいです。

「……ったく、何をとち狂ってるんだい! ここは発進直前のナデシコの食堂! いるのはあたし、リュウ・ホウメイとあんたのお仲間、ミカコたちだけだよ!」

「ふえ!?」

 ホウメイさん、簡潔な説明ありがとう。とてもわかりやすいです……ってえ! 私達がそろってナデシコ食堂で働いてる!? そんなのナデシコA以来じゃありませんか!

 あ、あう……こっちを不思議そうな顔で見ている皆の顔が、そろってなんだかちょっぴり若い……ま、まさか……まさかよね……

「ほ、ホウメイさん。ちなみに、現在時刻、出来れば西暦もつけてお願いできます?」

「……サユリィ……ホント、どうしちゃったの……? 何かおかしなものつまみ食いした?」

 長年の友人を食い意地張った女みたいに言わないでよ、ミカコ。

「こらこら、ここにはそうそう失敗作なんて置きゃしないよ! サユリが変なのはつまみ食いのせいじゃない!」

 つまみ食いなんてしてませんよ、ホウメイさん。

「ええっと、西暦からだったね。現在西暦2196年11月10日! 時刻は午前8時32分! 今は仕込みの真っ最中だ! どうだい、わかったかい?」  

「え、ええ、どうも……」

 私は呆然としながら、ホウメイさんにお尻を叩かれて再びまな板にむかった。ああ、このナスを切ればいいのね。

「おや、サユリ。あんた錯乱してから急に腕が良くなったんじゃないかい?」

「そ、そうでしょうか?」

 まあ……あなたにアキトさん達と一緒に仕込まれた1年がありますから……それにしても、……錯乱はひどいです、ホウメイさん。  

「ねえねえ、サユリ。と・こ・ろ・で――アキトさんって誰? 女性の名前じゃないわよね」

「あ、それ私も興味ある!」

「サユリが男の人を名前で呼ぶのって、珍しいわよ」

「そうか、サユリが急に変になったのは、妄想にふけっていたからなのね!」

 ……ちなみに、上から順にミカコ、ハルミ、ジュンコ、エリ……私のお仲間、通称および芸名、ホウメイガールズ――もの見高いわ、相変わらず……

「ノーコメント」

 私は芸能人生活で培った鉄壁の護りで口をつぐみながら、今の自分がどうなったのか、認識した。

 ……そう言えば、イネスさんが説明してたわね。ボソンジャンプは空間移動のみならず、時間移動でもあるって……ああ、なんとなく理解できたわ、今の自分が……

 ジャンパー処置、受けといてほんっと、良かった……

 


 

 さて、仕込みは終わって開店まであと二十分足らず。私はしつこくしつこくアキトさんの事を聞いてくる皆から退避、近くの自販機でスポーツドリンクを買って小休憩中です。

 ちなみに、先ほどトイレの鏡で見てみたら、私も若返ってました。これは、ラッキーなのでしょうか? イネスさんやエリナさんなら天にも昇る心地。ルリちゃんなら思わず燃え尽きちゃうかもね。胸、平らになっちゃったし。

 でも、私達の世代では……う〜ん、微妙な所ね。

 ……まあ、そんな事はいいわ。とにもかくにも、これからどうするのかを考えなければ――それにしても、我ながらなじむのが早いわね。ユリカさんあたりなら、

「これも私とアキトの愛が生んだ奇跡なのよ!」

 で、済ませちゃうんでしょうけど、私にこんな適応能力があったとは……自分では常識人のつもりだったのに、あくまでもナデシコ内において、だったのかしら?

 それにしても、ユリカさん、か……アキトさんが、ルリちゃんが必死に歯を食いしばってそれぞれの人生を生き抜いて、特にアキトさんは思いかえすのもおぞましいひどい目にあってて……それでも彼女を助けるために自分をすり減らして……

 その間、彼女は楽しい夢を見ていただけなのよね。

 ……それは彼女の意思ではないし、機械と合体させられて道具にされていたと言う時点でも充分にひどい目に遭ったといえるだろう。遺跡との融合以前にどんな実験をされていたのかもわからないし……

 何も知らない私に彼女をあれこれ言う権利は無いんだろうけど……でも……それでも、あの病院での事は納得がいかないなぁ……

 このままいけば、きっと私はユリカさんに会うだろう。その時に、私は彼女をひっぱたかずにいられる自信はないな。

 ……少し、別の事を考える必要があるわね。まだ頭に血が上ってる。大体、これから会うだろうユリカさんと私の知ってるユリカさんは別なんだし……

 でも、別人じゃない人もいるのよね。

 テンカワアキト、イネス・フレサンジュ、ホシノルリ、スバルリョーコ……この人達はきっと、私の知っている彼女達のはず。だって、あのランダムジャンプ(改めて考えると、本当に無茶したわよね、私)を経験して、この私でさえ生き残ってるんだもの。

 A級、B級ジャンパーであるアキトさん、イネスさん、ルリちゃんが死ぬはずもない。リョーコさんは……ちょっと、不安だけど…… 

 となれば、いずれ皆このナデシコに集うわね。いなくてもいいのも来るけど……あのキノコだけはホウメイさんでも料理できないわね……うん、胞子を蒔かない内に焼却処分決定。

 これはゴートさんにでもやってもらうとして、私は私に出来る事をしましょう。

 私が出来る事……やっぱり、ここは彼をコックに返り咲きさせる事ね。

 悔しいけれど、私は戦闘中の彼には何の干渉も出来ない。背中を守る事も、バックアップもできない私に出来る事は……彼に諦めた夢をもう一度追いかけてほしい。

 彼の心の傷が埋まっているか埋まっていないか。それを知るためのバロメーターの役目が、料理にはあると思う。そして、コックをやっている時に彼の心は癒されるのではないだろうか?

 場合によってはもっと傷つくかもしれないけれど……そこを何とか、気分良く厨房に立てるように……そもそも厨房に連れてくる事が、私の役目ね!

 今の彼では、食堂にくる事さえ嫌がるだろう。そう考えれば、彼に最も近づきがたいのは、家族であるルリちゃんか、かつての夢の場所に立っている、私なのだ。

 そこをどうやってクリアするのか――これはやっぱり力押しか、泣き落とししかないのかなぁ……ああ、こんな事しか思いつかない自分が……せめて、説得ぐらい出来ない物かしら?

 彼がせめて、そばにいる人達と、笑って食事を出来るように……

 これが私の出来る事。家族としてはルリちゃんに劣るかもしれないけれど、コックとしてのアキトさんと、料理に携わる者として接する事が出来るのは、皆の中ではまず私だけ!

 なにしろ、みんな料理とは無縁の人達ばかりだもの……特に某パイロットなんて……う……あ、アレは料理じゃないわ……思い出しただけで気分が悪く……大体、どうして料理の後始末に化学処理班が出動しなけりゃならないのよ! あううう……イヤな事を思い出した上に、おんなじくらいイヤな事を思いついてしまったわ。生き残っている=この時間軸にいる、だとは限らないのよね……どうか、私の知っているあの人達に、会えますように……

 

 ドゴオオオォォォン…… 

 

「きゃあああああ!?」

 な、何!? いまナデシコが大揺れしたわよ! ああ、ジュースでべとべと……くすん。エプロンにかかったのはまだ幸いだったけど……

 は!? ま、まさか敵襲! もうそんな時期なのね! と言う事は……もう直、アキトさんに会える!

「サユリ、早くこっちに来る! 今の揺れで厨房はしっちゃかめっちゃかだよ。片付け手伝っておくれ!」

「えええ、もうすぐ開店なのに!?」

 あたしは大慌てで厨房に駆け込んだ。 

 

 まさか、これだけやっといて実はドッキリでした〜〜なんていったら……いくら芸能界だからって、限度があるわ。暴れるわよ、私。

 アカツキさんあたりならこの位の事やるわね、きっと。

 


 

そして、ナデシコへ――……

 

「見よ! ひぃぃっさぁつっ!」

 ピンクに塗装されたエステバリスが、それまで踊っていたどこの風習とも知れない珍妙な踊りを止めて、突然雄たけびと共に右の拳を天高く掲げ、伸び上がるようにジャンプした。

「ガァイ! スウッパアアアァァ・アッパアアアァァァァァッ!」

「やかましい!」

 リョーコの赤いエステバリスが、自分の前で騒々しく踊り狂っていたピンクのエステバリスをどついた。足元では、エステの取っ組み合いなんて危ない事をやっているにも関わらず、整備主任のウリバタケが頭を抱えてわめいている。

 いわく。      

「ああああ〜〜〜〜〜! 俺の可愛いエステバリス子ちゃんのお肌に傷があぁぁぁ〜〜〜!」

 だ、そうだ。部下が押さえていなければ、機動兵器の取っ組み合いに乱入しかねない形相である。

「テメェ! いきなり何しやがる!

「それはこっちのセリフだ! いきなり未調整のエステで盆踊りなんか始めやがって、何考えてんだ!」

「ちがぁぁぁう! 盆踊りじゃない! ゲキガン音頭だ!」

「だからなんだぁぁぁぁぁ!」

 ののしりあいつつ取っ組み合う両機を遠くから眺めながら、プロスが計算機片手に青い顔をしている。

「た、頼みますよ、リョーコさん。こんな所でエステが暴れるのに任せておいた日には、一体どれだけ損失が生まれるやら……ああ、想像もしたくありません」

 しかし、プロスは一つ忘れている。ヤマダ「ダイゴウジガイだァァァァァ!」ジロウを取り押さえようとしている相手は、サツキミドリにその名を轟かせる“獅子姫”スバルリョーコだ。

 ……穏便に済ませる気なんかあの娘にゃありゃしねぇ。

「なんだとはなんだ! この俺の胸に燃え盛る熱いゲキガン魂を表現した傑作だぞ!」

 そう叫ぶと――叫ぶ以外に声の出し方を知らない男だ――ガイはエステバリスで片足立ちをした。何やらポーズらしいが、エステバリスでこんな事が出来るとは、大した腕ではある。しかし、両手でバランスを取ったその姿勢は、リョーコにしてみれば挑発しているとしか思えない。

 加えて、正気とは思えない。

「だ――――ッ! もう頭にきた! てめぇはこれでもくらえぇ!」

「あああ、スバルさんおちついてェェェ!」  

「あああああ、俺のエステバリス子ちゃんがこんなつまらない事でスクラップゥゥゥゥゥ!?」

 頭に血を上らせたリョーコが、目の前の激バカを叩きのめすべくエステでボクサー張りの見事なフックを叩きこもうとするが……足元の中年コンビの悲痛な叫びを聞いて、キレがわずかに鈍り、惜しい所でかわされる。

 すっぽ抜けたフックで流れた身体を立てなおすよりも速く、ガイのエステがリョーコのエステに向かって……ポーズを取った。

「……何を考えてんだ、あいつはァ」

 両機の足元で踏まれもせずにいるウリバタケのセリフに、格納庫の一同は全くもって同感だった。

「弱りましたなぁ……実戦でもいちいちポーズなどつけられては、あっという間に屍です」

 そんなプロスの慨嘆などきれいに無視して、ガイは無駄に大きくポーズを取った。もちろん、リョーコはその間に体勢を整えている。

「ふははははは! この俺様にケンカを売るとはバカな奴だ! だが、その度胸に免じて見せてやろう、我が必殺技!」

「……なあ、俺はいつまで待てばいいんだ? ゲキガン男」

 リョーコのエステはガイの長広舌の間、持ち主の心境を表して頭をかいていた。芸が細かい。

「見ぃよぉ! 我が必殺のぉぉぉ! ガァイ! スウゥッパァァァ!

 アッパァァァァァァ!」

「……アホ」

 ガイは天空に向かい飛びあがる竜のように拳を突き上げ、リョーコを狙う! が……事前にいちいちポーズをつけるわ、迫力をつけたいのかやたらに動作が大きいわ……これを食らうのは素人ぐらいだろう。

 もちろん、木連との戦争、火星の後継者事件、南雲率いる火星の後継者残党の決起といった激戦を潜り抜けてきた本物のエース、スバルリョーコがくらうはずもない。

 結果――……

 

 ドゴォォォォォンン――……クテ…… 

 

 こうなる。

「「NOooooooooooooooooo――――――!」」 

 ウリバタケ達の悲鳴を背に、ピンクのエステバリスは絞首刑よろしく格納庫の天井に首だけ突き刺さって揺れていた。リョーコは、その背にライフルを撃ちこみたい衝動を必死に押さえ込んでいた――……

「よ、予算が、予算が……」 

「ああ、俺のエステバリス子ちゃんが、俺のエステバリス子ちゃんが……あああああ……」

 嗚呼、哀れ!

 


 

「なんだい。さっきの揺れは敵じゃなくて味方!?  ……たくとんでもないねぇ。で、もう収まったのかい?」

『ええ、何とか……厨房の方はいかがです? 火の管理は……』

「まあ、そいつはどうにかなったけど……こりゃあ今日は中止だね。少なくとも、昼までは営業できないよ」

『困りましたなぁ――……ヤマダさんにも』

「うちの子達も話を聞いて殺気立ってるよ。そのヤマダとか言うのはどうしてるんだい?」

『はあ、格納庫の天井にめり込んだ際に打撲。回収後、格好つけて飛び降りて右足の単純骨折。次いで整備班の皆さんともう一人のパイロット、スバルリョーコさんにどつかれて現在医務室です』

 厨房をめちゃくちゃにした大揺れの正体、事の次第を聞いて呆れるホウメイ。だが、げっそりとやつれているプロスを見ていると気の毒に思ったのか、話を切り上げる事にした。

「まあ、あんたに言ってもしょうがないか……今回の事は、いい勉強になったと思っとくよ。いざ戦闘って事になったら、これの比じゃないくらいの凄い震動がくるんだろ?」

「(艦内で機動兵器が暴れる以上の事となると、ちょっと想像もつきませんが)……まあ、そうおっしゃってくださると、助かります」

 それでは、と通信を切ろうとするプロス。そこに少女の声が二つ、割り込んできた。

『「ちょっと待ってください!」』

 片方はウェイトレスのテラサキサユリ。そしてもう片方は――……

「……え? ええ? も、もしかして、ルリちゃん!?」

『……一目でわかる、と言う事は……やっぱり『サユリさん』なんですね?』

 ホシノルリ、戸籍年齢十一歳の少女である。しかしてその実体は!

「な、何でそんなに大きくなってるのよ!」 

『ナノマシンの暴走です。私のは、ちょっと特殊なナノマシンですから』

「そ、そんな……ルリちゃん反則よ!」

 銀の髪、金の瞳、白皙の美貌は変わらない……そう、その姿はサユリが知っているのと何も変わらない、十七歳のホシノルリだった。サユリは何度も瞬きをしてコミュニケを伺ったが、変化はない。

『恋路に反則なんてありませんよ、サユリさん。あの人の心を手に入れた者が勝利者なんです』

 サユリの言いたい事を悟ったルリが、冷めた表情ながらも目の中に煮えたぎるアレを湛えてコミュニケ越しに彼女をにらむ。

「……そう……そういう事を言うのね……ルリちゃんも敵なのね……」

『もちろんです。今回こそは、あの人を逃がしたりはしません。年齢差がなくなった分、立場は私の方がずっと有利なんですから』

 もちろんサユリも負けてはいない。ルリの物に勝るとも劣らずのアレを瞳に宿し、ルリの視線を真っ向から受けて立つ。

「そうね……ルリちゃんはアキトさんの『』、なんだものね……そばにいるだけなら有利よね……」

『……一体どこを強調しているんです? ただのお仕事仲間のサユリさん?』

「うふふふふ……最初に異性として意識してもらえるのは、仕事仲間と妹、どっちかしら? アキトさんは倒錯した趣味なんて持ち合わせていなかったと思うけれど」

『ふふふふふふ……それはもちろん、劇的な変化を遂げた私でしょう。あなたの驚きが私の成長振りを物語ってくれてます』

 ――ただいま、彼女らのいるブリッジ及び厨房の体感温度、―20℃……

『おい、お前ら。さっきから聞いてれば、俺を抜きに好き勝手言ってるよな』

 ―30℃突破。冷気発生源、格納庫……

『「リョーコさん!」』 

『おう、俺だ』

 格納庫より獅子姫様の御降臨――……既に勝気さを表す瞳には二人と同じアレが宿っている。

「ここにいると言う事は……」

『そうですか……リョーコさんもそうなんですね……』

『ふふん、まあな。スバルリョーコ、テンカワアキト争奪レースに復帰だ!』

 意気揚揚と胸を張るリョーコ。その彼女のバストショットを撮影しようとした整備員が何時の間にかドライバーを頭から生やしていたのは何故か。全くの謎である。

 もちろん倒れた彼から流れている赤い液体の正体も、謎のベールに包まれている。

『……そうですか、リョーコさん……サブロウタさんは捨てるんですね?』

 パイロットスーツのリョーコのボディラインを妬ましげな視線で見ていたルリがさりげなく爆弾を投下する、がリョーコは小揺るぎもしない。

『サブ? ふん、まぁな。あいつもいい加減不特定多数の女の尻ばっかり追いかけてるもんだから、愛想が尽きたぜ。そこにテンカワのあの一途な所を見せられちゃあな……俺もあんな男に愛されたい、愛したいとは思ったぜ? まあ、元々サブとは付き合ってたわけじゃねーもん。気にはなってたけどな』 

「く……スバルリョーコ最大の弱点、照れがない!?」

『い……いいえ、まだアキトさん当人の前に出れば平然とはしていられないはずです!』

『ふ……ふふん! 先は長いんだ、チャンスだって山ほど転がってるし、自力で引き寄せもする! そんな弱点ごとき、これからきっちり克服してやるぜ! 勝負だ!』 

『「望む所です!」』

 盛り上がる三人。彼らを尻目にプロスとホウメイはこそこそと二人で話し合っていた。別に密談ではなくただ彼女らの雰囲気に圧倒されただけである。

『結局、彼女達は私にどんな用があったんでしょう……?』 

「さあねぇ……察するに、その“アキト”とやらをめぐっているようだけど……内輪の話みたいだからよくわからないね」

 プロスは寂しそうでもあり、私を巻き込まないでくださいよ、と顔に書いているようでもあった。

 彼はナデシコクルーのスカウトの時の方針――『能力は一流、されど人格は問題あり』を後悔し始めていた。

 


 

「……はっ! プロスさんにアキトさんの事が聞けませんでした! ……く……不覚です」 

「る、ルリちゃん? なんだか……キャラクター変わってない?」

 そう言ったのは、元秘書にして現ナデシコ操舵士のハルカミナト。御歳23歳、茶色の髪を腰まで伸ばした色気たっぷりの美女であり、未来においては公私にわたって最も長く強くルリを支えた姉貴分である。

 この時代においても、ルリとの関係は良好にして密接。ルリの工作によってちょっと早めに乗艦した彼女は、既にルリとはずいぶんと仲良くなっていた。ルリの方も積極的にミナトと関わろうとしていたのが、年齢、容姿の変化による差を埋めたようだ。

「こ、こわかったですよぉ、さっきのルリちゃん……通信相手の二人も……」

 ちょっと怯えていたのはお下げにそばかす、美声が特徴の元声優、メグミ・レイナード。ルリにとってはライバルの一人……ルリにとっては、かつてユリカと互角以上にアキトをめぐって勝負したツワモノ、要チェックのライバル候補である。 

 メグミ用に対策を練るルリ、なんだか背筋に冷気を感じるメグミ。そんな彼女達の背後から、カン高い罵声が襲いかかってきた。

「ちょっと、オペレーター! 何、通信使って痴話ゲンカなんてしてるのよ! そー言う事はブリッジの外でおやんなさいよ!」 

 これだけでは誤解をまねくようだが、ヒステリックなオバさんのような喋り方でわめいているのは、ブリッジ内で一際高い所――艦長、及び提督の席に立つ副提督――ムネタケサダアキ。

 呼ばれもしないのにオブザーバーとしてスカウトされた退役中将、フクベ老に勝手にくっついてきた現役軍人のキノコ頭である。つまり、ヒステリックなオバさんではなくヒステリックなオジさんなのだ。

「随分カリカリしてますね、あの軍人さん」

「ああ、なんでも艦長がまだ来てない、遅刻なんだって。ルリちゃん、八つ当たりされて災難ね。でも、気にしちゃダメよ?」

「はい、大丈夫ですよ、ミナトさん」

「うん、よろしい!」

 彼女らの頭上では、無視されたムネタケがキーキーと騒ぎ、何時の間にかブリッジに来ていたナデシコ会計監査役プロスと従軍経験もある戦闘オブザーバー、ゴート・ホーリーが実に迷惑そうな顔をしている。

 ちなみに、一番キノコの手綱を握らなければならないフクベ提督はおいしそうに白髭に隠れた口元に熱々のお茶を運んでいる。ムネタケがうるさくないのだろうか?

 もしかしたら、耳が遠いのかもしれない。

「それでミナトさん、艦長ってどんな人なんでしょうね? カッコいい人だといいなァ」

「あんまり期待しない方がいいわよ〜〜……遅刻してくるくらいだし、艦長って言うくらいだから、かなりのおじさんじゃない?」

「いやいや、そんな事はありません。艦長はまだお若い。連合軍大学で、艦隊戦シュミレーションを無敗、主席で卒業した逸材です。ああ、ちなみに副長は次席です」

 ミナトとメグミの会話に入ってきたのはプロス。どうやらキノコに絡まれるのがイヤで逃げてきたらしい。

「だから、その逸材とやらはどーしてるのよ!」

 追いかけてきた。 

「何度も言いましたが、遅刻です。何しろ二十歳の女性ですからな。身だしなみにでも気を使ってるのかもしれません」

 プロスはいいかげんな気持ちで言ったのだが、ルリは知っている。それが完全な事実だと言う事を。

 制服の着こなし、膨大と言ってもいい荷物の無理やりな詰め込み、ついでに、当然のように溢れ、道に散乱した荷物の回収……それらでてんてこ舞いになっていたのだ……もっぱら、彼女から苦楽の苦を押し付けられ、自分の分の楽は奪われてきた哀れな影の薄い副長が。

 キノコはプロスが事実を言い当てたとは露知らずにますますエキサイト。ひたすら茶を飲みつづけるフクベとちゃっかりお相伴してつまみの羊羹を頂いているゴート以外がいい加減うんざりとして――……ナデシコメインAI、オモイカネがルリより託された危険な命令を実行にうつそうとしたその瞬間――!

 艦内に警報が鳴り響いた。

「あら? これってば何事?」

「演習かしら?」

「いいや、敵襲だ」

 のん気な女性二人の言葉に続いたのは、フクベの小声ながらもどっしりと重みのあるセリフだった。

 ……飲食以外に口を使えたのか、アンタ!

「オペレーター……ホシノ君。地上の様子を調べてもらえるかね」

「了解……サブモニターにマップを出します……木星トカゲの無人兵器――ジョロ及びバッタ、それぞれ五十機前後ずつの襲撃ですね。あ、もう地上部隊壊滅してます。何故だか死者はいないようですけど」

「なぁんですってェ――ちょ、ちょっと、どーすんのよ!」 

 わめき出したのは、敵襲によって命を救われたキノコ。恩知らずにもモニターに映る敵を示す赤い光点に顔を引きつらせている。

「対空砲火よ! ここから地上に向けて、対空砲火で一気に敵をなぎ払うのよ!」 

「……地上部隊はどうするんです? 幸い、民家からは離れているようですが……」

 冷静そうながらも、あきらかに怒っている事がわかるルリの絶対零度の声。キノコが氷キノコになる。いかにもまずそうだ。

「ど……どうせもう全滅してるわよ!」

 それを聞いたミナト。ルリの義憤に同調し、彼女により親しみを感じながらも援護射撃。メグミも同様。

「ふ〜〜ん、さっきルリルリが地上に死者はいないって言ってたけど?」

「あの人、非人道的……あ、いっその事、逃げちゃいましょうよ」

 女性陣の総スカンを食らうキノコ、しかし、オカマなので痛くも痒くもないらしい。

「うるさいわね! とにかく対空砲火よ! 他に手なんてないでしょうが!」

「マスターキーがありません。その手も使えませんよ」

 ミナトさん、もうルリルリですか……ちょっとうれしいですね。などと頭では考えながらも口は別の事を言うルリ。キノコを相手にしていない証拠である。

「マスターキー?」

「クーデターなどのテロ防止のために用意された安全防止作策です。艦長席にマスターキーを収めなければ、艦は戦闘はおろか移動も不可能です。このマスターキーは登録された艦長、そしてネルガル会長にしか扱えません。つまり、艦長が来なければ何も出来ないのです」

「ウッキ―――! だったら艦長はどこなのよ――!」

 ……さっきからプロスが何度も遅刻と言っている。 

「大体、ナデシコは現在地下深くのドッグに停泊中です。ここから地上部隊を殲滅可能な装備は主砲、グラビティ・ブラストしかありませんが、グラビティ・ブラストは艦前面に固定され、そもそもこの状態では上に向ける事が出来ないんです。あなたの作戦はナデシコの構造上の問題で不可能です」

「む、ムキ―――!」

 キノコ、猿に進化。キノコザルという新種が図鑑に載る日が来るかもしれない。

 ブリッジがいい感じにとげとげしてくる、その空気を壊す事は何者にも出来ないか、と思われた。そこへ――……

『お〜〜い……ブリッジ〜〜……迷子保護したぞ〜〜……』

 格納庫、スバルリョーコからの通信が入る。やけに疲れた顔をしているが……

「迷子……ですか? リョーコさん。あ……もしかして……」

『ああ、おーあたりだよ、ルリ……艦長だ』 

 

「「「「「「は?」」」」」」 

 

 あんまりな答えに察しのついてたルリ以外、全員がハトが豆鉄砲を食らったような顔をする。その背後で、空気のぬけるような音がしたが、気づいた者はいなかった。

 ブリッジの全員が注目する中、いかにも天真爛漫! といった感じの士官服を着た長髪の美女がVサインをして、ブリッジ一杯にコミュニケを開いて現れた。

「皆さ――ん!

 私が艦長のミスマルユリカで―――す! ブイ!」

「…………」

「……ホント、馬鹿ばっか」

 ちなみに、彼らの背後には、敬礼をしたまま誰にも気づいてもらえずに固まる、何時の間にか自己紹介を済ませた連合軍大学次席がいた。

 


 

「……艦長。言い訳はあとだ。ブリッジに来たまえ!」

 遅刻の事も迷子の事もぜぇんぜん気にしていません! と言った感じのミスマルユリカ。彼女の見事なブイサインに答えたのはゴート。なかなか精神的にタフな男である。

『え〜っと、迷子になっちゃたんで、場所わかんないです! てへっ♪』

 ……泣かないだけ、幼児の迷子よりはましである。

「……スバル……ブリッジの場所はわかるか? 一つ頼まれてほしい……」

 わめくキノコをよそに最も現実的な判断を下すゴート。有能である。

『あいよ〜〜……おら、行くぜ、艦長!』 

『あ〜〜、ちょっと待ってくださいよ〜〜! あ、あれ? ジュン君どこ?』 

 コミュニケの向こうできょろきょろと首をめぐらすユリカ。ジュン君とやらを探しているらしい。

「……ユリカ……僕ならもうここにいるよ……」

『え〜〜! ジュン君ずるいィ!』

「おや、副長いつの間に!」

 プロスの背後を取り、名のるまで気がつかれないとは、副長恐るべし。

「……さっきからいたんですけど……誰も気がついてくれなくて……」

 ネルガルシークレットサービスのトップ、プロスペクタ―。そしてシークレットサービスの一員にして現戦闘オブザーバーのゴート――この二人の虚を突く事が出来た快挙に涙するナデシコ副長。

 線が細く気弱そうな女顔の青年――どっかのサードチルドレンによく似た特徴の男、その名は戦艦ナデシコ副艦長、アオイジュン。ミスマルユリカの被災者筆頭である。

「こ、これは失礼を。しかし副長、到着予定時刻はすでに二時間は過ぎておりますが……?」 

「う……そ、それはその……」

 引きつるアオイジュン。言っておくが、悪いのは全面的にユリカ一人である。それなのにブリッジの冷たい視線の矢面に立たねばならない……理不尽である。

「超特急でおっ待たせ―――! ブイ!」

 そして現れる災厄の使者(アオイジュン専用)。総じて八対十六本の白い視線などものともせずに、彼女はさわやかに、明るく、全く持って朗らかに笑った。

「……待たされましたな、本当に」  

「まあ、格納庫からブリッジまでの時間、これまで待たされたのと比較すれば確かに超特急だったわね」

「スバル、助かった」

「いいからさっさとマスターキー差し込みなさいよ!」

「艦長、ナデシコの始動だ。早急に指示を」

「……この人が艦長さんなんですか?」  

「ユリカ〜〜、だから一人で勝手に歩くなって何度も」

「「…………」」

 順に、プロス、ミナト、ゴート、キノコ、フクベ、メグミ、ジュン、そして最後の沈黙は白い目のルリとリョーコだ。

「うう……みんながいじめるの、くすん」

「艦長、いじけてる暇があったらさっさとマスターキーを入れてください。このままではナデシコは何も出来ないまま撃沈です」 

 絶対零度の視線と声の主は無論、ルリだ。はっきりいって、非常に怖い。

「は、はい! 了解しました!」

 さすがに迫力に負けたのか、余計な事は言わずにマスターキーを取り出すユリカ。彼女の事だから家に忘れてくる、ぐらい有りかと思ったが、どうやらそこまでは天然も及ばなかったらしい。

「それじゃあ、マスターキーいれちゃいま〜す!」 

 わざわざ一度頭上に掲げてから金色のカギを艦長席に差し込むユリカ。けっこうガイと気が合うかもしれない。ついでに、かなり力一杯に差し込むあたりも。

「……いいのか、あんな音まで立つくらいに差し込んで? 見た目はおもちゃのカギだけど、精密機械なんだろ?」

「……戦艦の始動キーなんだから、丈夫に作ってありはしますが……」

 眉をひそめるリョーコ、いつの間に隣に来たのかと考えるルリの視線の先でマスターキーが音もなく吸い込まれていく。同時にルリの目の前にウィンドウが開き、ナデシコメインAI、オモイカネがナデシコの始動を報告する。

『マスターキー確認。相転移エンジン始動』 

『艦内管制OK』 

『発進準備完了!』

『問題無し!』

『たいへんよく出来ました』

 最後にブリッジ一杯にウィンドウが開き、ナデシコが正常に起動した事を知らせる。同時にキノコが騒ぎ出す。

「さあ、さっさと対空砲火よ!」

 ルリの説明、聞いてなかったのか? 

「脳みそに受け入れる容量がないのかもしれませんね」

「……る、ルリルリ……」

「なんですって、たかがオペレーターの分際で! 私は副提督なのよ! 偉いのよ!」

 十七歳の少女を相手にムキになってわめくオカマ。しかも言ってる事の内容がみっともない。そのキノコの生息地の側で、置物のように座っていた副提督よりもっと偉い提督が再び口を開く。

「艦長の意見はどうかね?」

「ん〜〜、そうですね。海底ゲートを抜けて海中へ発進! その後反転の後浮上して、主砲で敵を殲滅! これでいきましょう」 

「なるほどな」

「確かに、グラビティ・ブラストなら一撃で敵を殲滅する事も可能だ」

 現状では最も妥当だろう作戦を聞いて目に見えてほっとするプロス。どうやら自分の人を見る目にかなりの疑問を感じていたようだ。ユリカの有能さを知って安心している。

「しかし、そのためには敵を集めておく必要があるな」 

「そこで俺の出番か!」

「わ!」

 突然ブリッジにやかましい声が乱入する。何人かは聞き覚えの有る声――ヤマダジロウことダイゴウジガイだ。

「秘密基地を護るために単身敵の前に飛び出すヒーロー! く〜〜〜! 燃えるシチュエーションだぜ――っ!」

「おたく、骨折中だろ」 

 ヤマダに肩を貸してここまでやってきたウリバタケが冷静にツッコむ。彼のせいで余計な仕事が増えたのに助けるとは、気のいいオッサンである。

「ぐぁ〜〜〜ん」

 わざわざ口に出して受けた衝撃を表現するやつも珍しい。

「え? じゃあじゃあ、パイロットは一人もいないんですか?」

「……艦長。俺が着てるのは何なんだ?」

 自分の胸を指すリョーコ。むろん、彼女が着ているのは赤いパイロットスーツだ。

「あ、じゃああなた……お名前、なんて言います?」

「スバル。スバルリョーコだ。囮だろ? やってやるよ、いい肩ならしさ」

 ガイがそれを聞いてぎゃーぎゃーわめいたが、全員無視……できなくて、ゴートが腕を振るう。

「ふん!」

 くて…… 

「おい、気絶なんかされたらおもてえよ、ゴート。俺はこれから発進準備をしねぇといけないんだぜ?」

「む、では俺が担ごう」

 背後からの一撃にのされたガイを見て、似たり寄ったりで喚いていたキノコが黙る。

「それじゃ、いっちょういってくっか!」

「ちょっと待ってください」 

 獅子姫の気合に水をさしたのは、電子の妖精だった。ブリッジ中の注目を浴びながら、彼女はリョーコに耳打ちする。

「リョーコさん、この時です。アキトさんがナデシコに乗ったのは」

「何! ほんとか?」

 前回の歴史では、やはりガイがエステでバカをやり気絶。そこでユリカに両親の死の真相を聞きに来て、そのままプロスに雇われた青年、テンカワアキトがエステバリスに乗って地上に出ようとしたのだ。

 ……当時の彼は木星トカゲ恐怖症にかかっており、敵襲を知って逃げ出そうとし……敵のど真ん中に行ってしまった訳である。はっきり言えば、この時の彼はどうかしていた。

 以下の事を説明し、ハテナ顔のクルーを尻目に艦内の索敵をするルリの背に、リョーコの聞き逃せない言葉がかかる。

「でも俺……今日はプロスにナデシコ案内されてずっと一緒にいたけど……アキトに会わなかったぞ?」

「なんですって!?」

 ルリは愕然とし、同時に背筋に冷たい物を感じた。それはリョーコも同じだった。見捨てられる恐怖……それが二人のムネにわきおこり、表情をこわばらせる。

「そんなバカな!」

「え……? あの、ルリちゃん、でいいのかな? 何がバカなの?」

「うるさいです! 少し黙って!」

 一喝してユリカを黙らせると、ルリは艦内の索敵を行う。格納庫――エステバリス、搭乗者:なし。

「…………アキトさん……」

「……俺達が、ここにいるんだぜ? あいつがいないわけ……ないだろ……? 俺だって……ルリだって……サユリだって……イネスだって……ん? イネス!? ああ、アイツがいない!」

「……! 謎は全て、解けましたね……」

 ゆうらりと立ち上がるルリ――そしてその彼女と見詰め合うリョーコ……既に二人は夜叉と化している。

「……そうか……そういう事か……」

「ええ……抜け駆けしましたね? 説明オバさん!」

 アレな二人の前にコミュニケが開いた。食堂より、サユリが登場である。

『ルリちゃん、リョーコさん! イネスさんが抜け駆けしたって本当!?』

 どうやってブリッジの会話――しかも密談の内容を知ったんだ? 恋する乙女と言うのは時に(ナデシコにおいては頻繁に)常識も物理法則も超越する物らしい。

  新たな参加者を得て三人に増加した夜叉達の脳裏には共通して、高笑いをする白衣の金髪美女がいた。ショッキングピンクの液体が詰まった注射器がチャームポイントである。

 イネス・フレサンジュ――A級ジャンパー、ネルガル最高の頭脳、ボソンジャンパーの最高権威、医師……様々な肩書きが彼女にはあるが……とりあえず今の三人にとって重要な事はこの一言。

『四人中、たった一人だけアキトと同じく火星出身の人物』

 自分達三人はここにいる、リョーコでさえここにいる。しかしアキトはいない、イネスもいない。 

 ……これらのキーワードが集まった時、彼女らの頭脳が短絡的にとんでもない結論をくだしても不思議ではない。なにしろ、ここは『恋する乙女』と言うだけで何をあっても不思議ではないナデシコである。

「……火星にいる間に、抜け駆けしたんですね? イネスさん……さてはお二人は故郷の火星にジャンプアウトしたんですね……ジャンプはイメージが全てですから……生まれ故郷を想っても、何の不思議も有りませんし……うふふふふ……」

「はははははっ……はっはははは……」

「ほほほほほほ……」

 ぷっちり。

「リョーコさん、早急に無人兵器の殲滅を要請します! こんな所で手間取っている場合ではありません」

「おお! たまたま側にいただけでアキトを取られてたまるか!」

『その意気よ、リョーコさん! ここで諦めてなるもんですか!』

 作戦内容は囮のはずなんだが、何時の間にか目的は殲滅にすりかわっている。いくら嫉妬をエネルギー源にしたリョーコでも、それは無理だろう……たぶん。

「る、ルリルリも恋する乙女なのね〜〜……」 

 理解は出来ないがとっても怖い怨気に硬直する男性陣、圧倒されて冷や汗混じりにつぶやくミナト、ルリに一喝された時からいじけっぱなしのユリカ……そして、恐怖から二人+コミュニケウィンドウ一つより目をそらし、モニターに映ったマップ上の赤い光点、青い光点の動きに涙目で注目するメグミ……

「あれ?」

 一人だけ、動機にちょっと問題があるとはいえまじめに仕事をしていたメグミが奇妙な事に気がついた。マップ上の、敵を示す光点がどんどんと減っているのである。

「あれ? あれ? ……あ、あの――……このマーク、故障してません?」

「何を言って……なんだ、これは……無人兵器がどんどん減っている……」

 ゴートの言葉通り、地上では100を超えていた無人兵器群が、何時の間にか半分以下になっている。地上マップには既に友軍を示す青い光点は一つもなく、マップは赤一色に染め上げられていたが……それが見る見るうちに消えていく。

「この機体がやっているのか?」

 マップにはもう1種類――所属不明を示す黄色い光点がいつの間にか示されている。ブリッジ全体がアレだったので見逃していたようだ。この大きさ、移動速度……確かにゴートの言う通り機動兵器の物だ。 

 この所属不明機――仮にUnknownとしよう。Unknownが行く所、無人兵器は雲霞のごとくそれに群がり――近づく事も許されず、消滅していく。それはまさに、圧倒的――

 ただの光点を映すに過ぎない戦術マップからも、その凄さがよくわかる。

「これは……一体……?」

 その時、ルリに天恵が閃いた。

「オモイカネ! メインモニターに地上の様子を映して、最優先で!」

『了解、ルリ』

 彼女の指示に従い、オモイカネがメインモニターに地上の様子を映す……ルリは、そして彼女の考えを悟ったリョーコが、サユリが一心に目を凝らしモニターに集中する。他のクルーも、気絶しているヤマダ以外は同様だ。

 彼女達の、祈るような想い……それがブリッジの空気を引き締める。

 緊張、期待、焦燥、恐怖、それらを全て合わせた視線を彼女達はメインモニターに向ける。彼女達の期待を一心に受けるモニターは、人間ならあまりの緊張感に固まってしまう所を、機械ならではの働きで少女達の想いに応えた。

 ブリッジに、どよめきが起こる。  

 メインモニターに映るのは、舞い踊る漆黒の鬼――巨大な肩部装甲、エステバリスよりも確実にふた回りは大きい無骨な巨体、両手に備えたカノン砲、光り輝くメタリックブラックのそのシルエットは――……

 

『「「ブラック・サレナ……」」』

 

 メインモニターに映るブラック・サレナのフェイスのアップ――その赤い眼が輝く。その光の中に少女達は厳しさと、そして間違いなく優しさを感じていた。

 主の心、そのままに。そしてその主とは――……

 

 BS-001−B……パイロット――A.T

 

  オモイカネが知らせる、Unknownのデータ……待ち望んだそれを見たルリの目は、確かに涙に潤んでいた……

 


 

 人の数だけ想いがあって……

 想いの数だけ物語があって……

 そして物語は始まった!

 

to be continue.......


 

 ……長くなりました。全員分を書き分けをするとこうならざるをえない……

 さて、次回はアキトの主観から始まり、彼がナデシコに乗りこみます。

 今回はギャグが、特にイネスさんパートではあんまりふるいませんでした。

 ガイが頑張ってくれましたが……身体を張って。

 やっぱり、アキトが振り回されなければ、ナデシコのギャグは面白くありませんね。

 アキト、君のシリアスは乗艦するまでだ、せいぜい次回は頑張りたまえ♪

 

 拙作に感想くださった皆様、ほぼ全員楽しんでくださったようで嬉しいです。

 中には詩まで送ってくれた方もいました。

 これからもどうぞよろしく。 

 


 

〜オマケ〜

 ちなみにその頃、火星において某説明オバさんが己のあだ名から屈辱的な“オバさん”を取るべく奮闘中であった。

 その研究内容を知る者は誰もいない……

 

 

 

代理人の感想

(ガンダムX後期OP「Resolution」より)

♪壊れやすい妖精だけ〜 何故こんなに〜 いるんだろう〜

♪逆行に吹く流行(かぜ)の色 ルリを壊れに変える〜

♪いつだって本当は壊れ続けていた〜 ただ表に出すこと怖がっていた〜

♪アキトがいるから壊れ始めたルリへ〜 どんな手もためらわないで〜

♪同じ思いあるそのライバルたちを〜 少しづつ蹴散らして行く〜

♪二度と迷わないで(・・・・何を?)

 

思わず歌ってしまいましたが・・・・

壊れましたねぇ、やっぱり。

ブロークン・ルリ健在ナリ。

 

 

・・・・多分、アキトとブロークン・ルリの性別が逆だったら

即刻ルパンダイブかましてることでしょう。

ええ(爆)。

鬼畜王アキト系のSS見てもそれは納得していただけるはずです(爆笑)。