あいつは……はたして俺の相手となりうるか?
あるいは、欲望に素直な者達の物語
ナデシコ艦内、プロスペクタ―私室にて――……
ああ、聞こえてくる……
またも、あの声が……そう、我が身の奥深くと共鳴する、あの熱き魂の歌が!
って、違う! 違うんです! 私はそうじゃない!
ゆっめが明日をよんでいる〜〜〜♪
はう!
たッましいの叫びさ〜〜〜♪
ぬ、ぬおおおおおおお!
ち、違う! 私は理性と良識の男、ナデシコ会計係のプロスペクタ―! 断じて熱血などとは無縁なんですよ!
がんがんと私は眉間を目の前にあるデスクに幾度となく叩きつけ、目の前にあるウリバタケさんが提出した整備用の様々な予算を記述した書類を血で汚しました。ああ、私は何と言うことを――いえ、まだ修正範囲内ですな。
修正液、修正液……
「はぁ……はぁ……はぁ……ふううぅぅぅう―――……ど、どうやら発作は収まったようですね」
意味もなく心臓を抑えて、息を荒げながらどっかと椅子に座る姿はいつもの私にあるまじき鈍重な姿です。
我ながら、随分と体力を消耗しているようですね……これほどの疲労、ネルガルで受けてきた耐久訓練でもありませんでしたよ。こ、この私の冷徹をもってなる理性がよもやこれ程までに打ち崩されようとは……く……っ!
「まさしく恐るべし、ゲキガンガー……」
「俺を呼んだか!」
どこから出てくるんですか!!?
私の前にどこからともなく――というか、素晴らしくにぎやかに歌声の主が登場しました。ヤマダさん、あなたドアも開けずにどうやって入ってきたんです!!?
「ダイゴウジガイだ! 俺の熱血とゲキガンガーが結びついた時、そこに不可能はない!」
不可能はなくてもいいから物理法則はあってください!
叫ぶ私を無視して、ヤマダさん――機動戦艦ナデシコ専属エステバリスパイロット(骨折中)――はずかずかと私の私室を横断し、私の前に仁王立ちします。何故骨折している足でこのような真似が出来るんでしょうか?
「初めて入ったが随分変わった部屋だな! なんだかバーみたいだぞ!」
「……私の趣味です。ほっといてください」
いちいち叫ばずに入られないパイロットは、私の嘆きなど簡単に無視してまた叫ぶ。
……他のしゃべり方を知らないんでしょうかね、この方は。
「そうだな! まあ、そんな事は確かにどうでもいい事だ! それよりも、一緒にこの秘蔵ビデオを見るぞ、プロス!」
ビ、ビデオですって!?
「い、いえ、けっこうです! 私はお仕事がありますから!」
私は恐怖に身を震わせて机にかじりつきました。ヤマダさんのビデオ――どんな物かは想像がつかせたくなくてもついてしまいます。しかし、もちろんヤマダさんはそんな事は一切気にせずなにやらポーズをつけながら踊っている。
「ゆっめが明日を呼んでいる〜〜! たっましいの叫びさ〜〜!」
こ、この歌は!?
「や、止めてください、ヤマダイゴウジガイ! さん!」
ぬ、ぬうおおお! い、いけません! 何故だか意識が薄れてきましたよ!?
「レッツ・ゲキガイン! レッツ・ゲキガイン!! レッツ! ゲッキガ〜〜イインッ!!!」
はおぉぉぉおぉぉぉおぉぉぉおぉぉぉぉぉうっ!!!
………………
――……………
「レッェェエエッツ! ゲエェキ! ガァアアアインッ!」
私は雄の叫び――雄叫びをあげて、拳を天に向けて突き上げながら立ち上がりました。その拳が『魂の師匠』の顔面にめり込んでいるのはよい子の皆と私だけの秘密です。
しかし、さすがは師匠。ちょっと五十センチばかり浮き上がって、更にきりもみまでしていましたが、華麗に足から着地されました。鰈ではないので泥には塗れず、鼻血と骨折した足の痛みから来る脂汗に塗れているのがチャームポイントです。
まあ、そんな事はこの際どうでもよろしい。今の問題は、師匠の懐からのぞくビデオのパッケージです。正確には、DVDですけどね……DVD――100年も前のソフトを、よくまあ持っている事です。普通の人は写真でしか見た事が無いんじゃないでしょうか?
さすがは師匠!
「して、師匠……今回のお題目は……」
なにやら師匠は私に物言いたげな顔をされていましたが、すぐに己の懐から誇らしげにDVDをとりだしました。十枚以上あるのに、どうやってナデシコの制服の懐に入っていたのかは謎です。
「これだ!」
「おお、これはまさしく……」
師匠がかざしたディスクケースが光を受けて輝きます。ちょっと見え辛いので角度を変えて見る、その表に描かれているのは!
「そう! リアル系でありながら、OPテーマを含めて実に熱血な一作! 根性でマシンを動かし、根性で銃を撃ち、根性と大根性で敵をぶった斬る必殺技を出す! 根性が作品全てを貫くテーマとなっている素晴らしき名作だ! くう〜〜! 燃えるぜぇ!」
パッケージの上では、なんとなく高笑いが得意そうな妖精が水色の虫型ロボットをバックに――美しくにっこりと微笑んでいました。
ふ……確かに燃える一作――さすがは師匠!
ナデシコ、ブリッジにて――……
ビッグ・バリア突破からはや一週間。
ミスマルユリカの艦長復帰は、艦長代理であるアオイジュンの希望もあって、速やかに行われた。彼女自身は自分が艦長に戻るのが当然と思い込んでいたので、その事を欠片も疑問に思わなかったようだが……これまでの戦闘における彼女の行動に、艦内の空気には不安という重い粒子が漂う事となる。ユリカ自身は持ち前の強引グマイウェイな性格をもってそんな空気をものともしなかったが、彼女以外の人間はもちろんそうはいかず、中には率直に、プロスにジュンを正式に艦長にするべきだ、と意見を具申しに行く者さえもいた。
しかし、プロスはそれにうなずくわけには行かなかった。
彼の見立てでは、ジュンはサポートが似合うタイプの男――少なくとも、実戦経験が実質一回だけのルーキーである。普通は誰かベテランの下について新人として経験を積むべきなのだ。
律儀さに支えられた有能さで一度の戦闘指揮を上手くこなしたが、ジュンはなし崩しについてしまった艦長代理という席に、航行目的地に納得していない事も手伝って疲れ始めていた。元より、継続は得意だが切り替えの上手い男ではない。
その意味では、精神的なタフさ――無神経さとも言う――を持っているユリカをプロスは押しているのだ。少なくとも、彼女は火星行きにはけっこう積極的であるのだから。
ジュンが火星を目指す事には納得していないのだから、彼を艦長にする事は避けたい――そういったプロスの言葉に、積極性を持った者達はしぶしぶひきさがった。
プロスは、ジュンの事はともかくとして、ユリカに関してはまだ下心を持っている。
彼女の父親、ミスマルコウイチロウ――連合軍でも重鎮といえる、それ以上に親バカといえる彼とパイプをつないでおく事は重要だ。特に、結局軍との関係が悪くなった以上、連合軍の名門出身であるミスマルの娘は『仲直り』をするためには重要なカードとなりうるのである。
プロスはついつい苦笑する。スカウトの際のユリカの言葉を思い出したからだ。
「お父様の娘じゃない、私が私でいられる場所が、そこにはあると思いますから!」
同じく名門出身のジュンと共に、その彼女を、自分は『ミスマルの娘』として利用しようとしている。
彼女が本当にそう考えているのならば、父親とは異なった分野に生きる道を選ぶべきだとも考えれるが――また、あの親バカならば戦時下において娘が軍人以外の職を選ぶ事を拒否するとは思えない――そうしなかったのは彼女なりの野心の表れか、それとも父親が軍人であり、先祖代々軍人であったからなのか。
ジュンがユリカ不在の間に半分ほど片付けた書類を、残りを片付けるユリカの隣でチェックしながら、プロスは答えの出ない疑問を頭から追い出した。
「うう〜〜……ア〜キ〜ト〜」
「艦長、こちらはもう終わりましたぞ」
答えが出ないといえば――副長は、今の自分の立場にどう答えを出したのだろう?
ナデシコ・格納庫にて――……
「テンカワ! 話がある!」
副長が、怪我で医務室行きのガイ以外のパイロットの背中に声をかけた時、場所が格納庫であった事も手伝ってか、声をかけられたアキトも含めてジュンは一同の注目を集めた。珍しい事である。
ジュンが珍しくも一同の注目を集めたのは彼がこのような場所に来るのは珍しいという事もあるが、それよりも彼の顔に浮かんでいる表情のせいだった。青年の線の細い面に浮かんでいるのは、副長がパイロットに向けるものではない。誰の目にも明らかな、色に思いつめた男の顔であった。
格納庫にで働いている整備員一同、そしてリョーコは興味津々、もしくは心配そうに二人を見ているが、副長を目の前にしたパイロットの方はむしろ、ようやくきたか、とさえ考えていた。ユリカが帰ってきても来なくても、いずれ彼は自分にユリカとの関係について問いただし、もしくは宣戦布告にさえ来る事になるだろうと、アキトは確信していた。
ユリカが帰ってきてからのドタバタがあったせいだろうが、彼がアキトの下を訪れるのに一週間も間があいた事の方が意外であった……これまで、ユリカとの間に色々とあったのかもしれない。
そのユリカがアキトの元にこの一週間、一度も訪れなかった事が今の意見に信憑性をもたせている。さてはジュンとプロスにそれぞれの用件で引き止められていたのだろう。
そんな事を考えながらも、アキトは自分に四方八方から自分とジュン――主に自分にとげとげしい視線を向けられているのを感じる。思いつめたジュンは感じていないようだが、つまりは、自分達が働いている隣で痴情のもつれなんかしているんじゃねぇ、という整備員一堂の聞こえないが聞こえる正当なる抗議の声だ。
さすがに居心地の悪くなった、最近になって余った生活班の制服――『以前』と同じ黄色い制服を支給されてようやく黒ずくめではなくなった男は、自分を思いつめた顔をして見つめている副長に場所変えを提案したが、答えはけんもほろろ……どうも、場所を変える事で話をそらそうとしている、などと考えているらしい。
そんなつもりは、アキトにはまったくないのだが……
「で……そんな思いつめた顔をしてする話って言うのはなんなんだ?」
「君は……ユリカとはどういう関係なんだ!?」
ジュンは人目もはばからず、叫ぶようにアキトを問い詰める。大声のあまり、整備の喧騒も機械音以外が一斉に静かになる。二人に注目する側になっているリョーコはともかくとしても、アキトは思わず肩をすくめる。なんとも居心地の悪い空気に身じろぎしたくなるが、ジュンの視線はそれを許しそうには無い。
「……どういうと言われてもな……」
このジュンの問いは、アキトにとってはいささか億劫な質問だった。
ユリカとの関係――現時点では、あくまでも久しぶりに再会した音信普通の幼馴染。それだけだ。ユリカの方はいまだに理由がわからないが、彼女なりに随分と気分を盛り上げているし、アキトの方には『かつて』の記憶があるが……ユリカの方はともかく、アキトは、そんな物はお互いの関係を決めるものではないと自覚している。
彼の中では、ミスマルユリカとテンカワユリカは別人であるという想いが、事ある毎に――まるで戒めのように存在している。
「俺たちの関係は、結局幼馴染と言うだけだ。あいつとの間に特別なものは何も無い。副長が誤解するのも、ユリカのあの態度じゃ仕方が無い事なんだろうが、俺はあいつとは十年間全く音沙汰なしの関係だよ」
彼の中にはユリカとの関係が煮え切らない事への苛立ちがあったが、それは面には一切表れずにいる。
その苛立ちが、彼自身が一体ユリカに対してどのようなスタンスでいるべきなのか分からない――つまり、彼自身の中で片付けるべき問題から派生しているからだ。
同じように自分自身の心をもてあましている、思いつめたジュンは、気が付かずにアキトの逃げ道をふさいでいく。
「……それにしては、ユリカのあの態度はおかしすぎる」
「アイツはいつもおかしかったぞ」
アキトは、それだけは何の躊躇もなしに言い切った。素直に感情が面に出ている事から察するに、間違いなく本音だろう……確かに、ユリカの言動は天才を通り越した奇人のそれである。
……そのユリカのどこに惚れたのだ、この男どもは……?
「………」
どれだけユリカが破天荒な行動をとってもめげない男、アオイジュンは……果たして何故だかアキトの言葉にしばし二の句を告げられなくなっていたが、何とか自分を奮い立たせると、気を取り直して再びアキトにくって掛かる。
「け、結局君はユリカの事をどう思っているんだ!?」
「……あいつの事をどう想っているのか、か……」
アキトは自分に向けられる周囲の視線が一気に強まるのを実感して少しこめかみがひきつった。特に、隣からのそれが一番強い。思わずため息をつきたくなるのを自制して、アキトは自分自身のためにも……この問題には一度はっきりと決着をつけておくべきだと、腰を据える――結局、全てはアキトの態度一つで彼らの関係は変わる……はずだ。
ユリカがアキトの意思を考慮するとは思えないのが。
「率直に言って、あいつの事を女として意識する事は無いよ」
意識する事が無い――未来の可能性まで否定するところに少々語気の強すぎる印象があるが、そこにアキト自身と頭に血の上っているジュンは気がついていない。
「ほ、本当にか!?」
気色ばむジュンの目に少し後ろ暗いものを感じながらも、アキトは彼の問いに肯定の答えを出す。
「ああ……大体、俺があいつにいまさらどうやって好意を抱くっていうんだ?」
「え……いや、それは……」
唐突と言えば唐突な返しに、副長の線の細い顔が何故だか周りを見回す。そして整備員の面々と目が合っていまさら顔を赤くする。だから、アキトの物言いがおかしい事に気がつかない。
「俺が、あいつを思う事なんかもうないぞ」
あえて軽い言い方をするアキト、しかし先の言も、今の言葉も、かつてユリカに好意を抱いていたといえ前提の元での言い回しだ。その意味がわかるリョーコが眉をひそめる。
「し、しかしだな!」
「……ジュン。冷静になって、ユリカのこれまでの俺に対する行動を思い返してみるんだ。一体どこに、俺にあいつを想わせるだけのものがあった?」
……腕を組み、足を揃えて至極冷静そうにジュンと相対するアキトの目に、強い感情は見えない。アキトの声に強い意志が感じられないからこそ心強く、ユリカに想う事はないと断言されて余裕が生まれた珍しくも注目を集めている男は、冷静に本来の明晰な頭脳で客観的な事実を導き出そうとする。
「……あれだけユリカに熱烈にラブ・コールをされれば、僕なら泣いて喜んで彼女を受け入れるぞ」
……とても主観的な答えを出した男、その名はアオイジュン。
「……俺はおちょくられているとしか思えないんだが」
アキトの、ちょっと間を置いた発言にジュンとリョーコを除いた聴衆がうんうん、と一斉にうなずく。これにはアキトの方がちょっと引いた。
しかし、実際にユリカの行動は――『今回』も『前回』も変わらず、客観的に見て怖いものさえ感じる。
彼女の思い込みの強さと行いは、二十世紀の終わりごろ流行ったストーカーそのものである。ジュンのように彼女を追いかける人間にはわからないのかもしれないが、もしもアキトのようにユリカに追いかけられる目にあえば、大抵の人間はその内に不気味さと恐ろしささえ感じるだろう。
あの、あまりにも軽すぎる少女趣味の入った言動のせいもあり、艦内の一部には『艦長はテンカワをからかっているんじゃないのか?』という噂も流れている。アキトを追いかけるユリカの目の色が尋常ではないために、その噂は七十五日を待たずに消えてしまったが。
「だ、だが、それなら! そんな君の何がユリカを魅了したって言うんだ?」
「知るか、俺はユリカじゃないぞ。十年以上も前の事なんて覚えてやしないし……むしろ、俺の方が知りたいくらいだ」
これが一番のポイントだ。
アキトは、ユリカがどうして自分を好きになったのかをいまだに知らない。その様な状況で追い掛け回されても――ましてや、彼女が自分を好きだと言うのではなく、自分が彼女を好きだと勝手に決め付けられれば、まず困惑し、人によっては憤りを感じ、からかわれているのではないかと疑い、度が過ぎれば恐怖に変わるだろう。
一体なんでアキトの事を好きになったのかと聞いても、彼女はすぐさま妄走に走って要領を得ない。その上、彼女はアキトの事を名乗るまでほとんど完璧に忘れていたというのに、何故にここまで盛り上がれるのか。
――アキトが初出撃した時、彼女らが危うい目に遭い掛けていた事がよほど印象深かったのか。ちなみに、その彼女の妄走突っ走りのせいで死ぬような目にあったのは、他ならぬアキトである……
「じゃ、じゃあ君にはユリカとその……そういう関係になろうっていう意思は無いんだな!?」
以上の事を、差し障りの無いように未来の記憶を示唆する言い方を避けながら忌憚無く告げるアキトへのジュンの念押し――アキトはリョーコの視線を意識しながらゆっくりとうなずいた。
ジュンの顔がこれまでに無い程嬉しそうに輝く。そんな彼だから、気がつかなかった。アキトがその瞬間に……思いつめた目をしていた事を。
「……い、いいのかよ、アキト」
リョーコは、意気揚々と引き上げるジュンの白い仕官服に飾られた背中を目で追いかける。勝気な眼差しがいつになく不安げに揺らいでいるのは、アキトの顔を見るのが、そこから彼の心を読むのが怖いからだ。
「おお!? 普段勝気な乙女の憂いと不安を感じさせる眼差し! これだ! 俺が求めていたのはこれなんだ――っ!」
整備員一同、特にウリバタケが奇声を上げてリョーコの写真を撮る。どうやら、不安げなリョーコの横顔にクルものがあるらしい。
「……ああ、いいんだ」
アキトはそんな彼らを尻目に、轟然と前を見る。その目は、整備班一同の注目の的であるブラック・サレナに向いている……アキトがかつて、希望の船に乗って呪いをかけて回った折りに駆った、その乗馬。それを見つめる横顔は、例え半透明の仮面に隠されていなくとも内心を察する事は難しかった。
意を決して彼の横顔を見上げるリョーコ。緑の髪の娘には、少年がもって生まれた童顔にもかかわらず十七歳には見えない程に大人びた印象を周りに持たせている事が、哀しかった。
それが、心を隠す事に長けた、という事だと気が付いたからだった。
「……無理しているように見えるぜ」
彼女が察した隠された物に――リョーコのまぶたは重くなり、彼女は顎を引いて目を伏せた。
アキトは何もいわずに身を翻した。生活班に配布される黄色い制服は、視覚効果で人の心を和ませる働きを持っている。少なくとも、生活班の代表であるサユリ達は魅力的な容姿のおかげもあって男性の心をわしづかみにする機能は持っている。しかし、彼の黄色い背中にリョーコは近づきがたいものを感じた。
リョーコはウリバタケ達に向かってスパナを人数分マシンガンのように投擲すると、燕のように軽やかに身を翻してアキトを追いかける。その彼女の足跡を追いかけるように、なにやら赤くて鉄臭い色をした液体が粘っこく流れていくが、そんな事は彼女の知った事じゃあなかった。
女はゆっくりと歩く黒の皇子の背中を簡単に捕まえる事は出来たが、それでも足どりを止める事は出来なかった。声をかける事が、怖かったからだ。
二人の足が、自分達を暗い廊下にまで進める。人気の無い廊下にはプロスの方針でライトはつけられない。相転移エンジンを装備したナデシコでいまさら節電も無いものだが、彼の言うところでは、その油断が無意味な浪費につながる気の緩みであるらしい。
それを聞いた時には、特に何も考えずに聞き流したリョーコであるが――無言で前を歩くアキトの背中が消えてなくなりそうにさえ見える今は、プロスの方針が恨めしかった。
男が今、果たしてどんな顔をしているのか。
どうやって声をかければいいのか。
――そして、何よりも、闇の中で黒に飲み込まれつつある彼の背中が、コックのアキトが復讐者のアキトに飲み込まれていくようにしか見えず……その連想が彼女を怖がらせている。
男の過ごした、彼女の知らない数年間が二人の間に溝を生んでいると、リョーコは改めて確認する。
しかし、それでも彼女はおずおずと手を出し、ふらふらとさまよわせ――そして男の背中をつかまえた。
「あ……」
彼女は、自分の伸ばした手が男の背中に届いた事が信じられずに、幾度となく自分達をつなぐ彼女自身の手と男の背中、そして自分の胸とを見比べる。自分達が確かにつながっているのだと確認して……彼女はその現実に返って口を重くしていた.。
いっそ、何か言ってから背中を掴めば、もっとスムーズに会話を始めれたのかもしれないのに……
「アキト……その、俺……」
何を言っていいのか分からないと言う感情を剥き出しにして、たどたどしく言葉をつなげようとするリョーコに、しかし青年はそれ以上の発言を許そうとはしなかった。
「っ痛!」
硬いものと柔らかいものがぶつかる音がリョーコの耳に届く。柔らかいものはアキトに叩きつけられた自分の背中であると、彼女は硬い壁と自分の間からじわじわと産まれる熱を持った痛みで覚った。
「あ、アキト?」
困惑と恐怖が少女の攻撃的な麗貌を覆い尽くす、その半歩手前でアキトは有無を言わさずに女の唇に自分のそれを重ねた。
「!?」
場所は、いつ誰が訪れても不思議ではない、格納庫へと続く暗い廊下であった。シチュエーションが、獅子姫に混乱と羞恥と微かな興奮をもたらし、彼女を暴れさせる。しかし、大人に抱かれた幼児が暴れるような抵抗は逆にアキトの興奮をあおる結果となった。
「あ、アキト! よ、よして……っ!?」
アキトの中の情欲は、ジュンとの会話の間中押さえつけてきた黒く粘ついた心を燃料に燃え上がる。彼は女のタイトスカートに隠された左足を脇に力尽くで抱え上げて、無防備になったリョーコの腰に自分のそれをこすりつけた。
リョーコは腰に感じる固い感触に混乱と羞恥に頭の中がパニックになり、自分の口内をアキトの舌が暴れまわるのに無抵抗だった。
「ひっ!? あ……はぁ……」
アキトはリョーコの舌の感触を楽しみ、彼女のスカートに足を抱え込んでいる方の手をもぐりこませて彼女の聖域に無遠慮に侵入した。
濡れた音が、二箇所でそれぞれの音色を奏でる。
びちゃり、びちゃりと。
ぬちょ、ぬちょと。
「ふ……ふっ……ふう……」
荒い息遣いと、肌と肌、服と服、壁と肉体がこすれ合って空気を退廃的な色合いに染め上げるのを、リョーコは頭のどこかで他人事のように考えていた。
――逆らえない。
リョーコは脳にある感情を司る部分が結論を出すのを他人事のように、理性を司る部分で受け止めていた。自分がこの男とこうなる事を望んでいる――彼女の心が確かにそれを肯定していた。
混乱と羞恥に固くなっていた肢体から、少しづつ力が抜けていく。それはアキトにもはっきりと伝わり、男を調子づかせた。彼の舌と右手が、ますます活発に動き出す。
同時に、キスの間中ずっと彼女の顔を逃がすまいと固定していた左手で、女の引き締まった体のパーツの中で唯一柔らかさが強調されている胸を強くもむ。
……しかし、アキトの手がリョーコの胸に及んだ時、それまで無抵抗であった、むしろすっかり力の抜けた感のあるリョーコの体がビクリと勢いよくはねて、彼女はアキトの唇から逃れると、必死に声を張り上げて叫んだ。
「――やめろぉっ!」
アキトを振りほどいたリョーコが、まるで釣り上げられた魚のように床に転がった。ばっ、と勢いよく、まるで野生の獣のような俊敏さで身を起こしたリョーコだったが、先ほどまで暴力的に彼女を弄んでいた男が、リョーコのよりかかっていた壁とは反対側に背中を預けてこちらを見つめているのに気がつき、力尽きたようにその場にへたり込んだ。
彼女は、何も言わない。
言えば、情けない涙声が出てくる事を彼女自身がわかっていた。それに、男が一体どうして突然すぎるほどに突然、このような暴挙に出たのが理解できなかったし、アキトの動きに慣れを感じた事もなぜか悔しかった。
強く握られた胸の痛みで我に返りアキトを跳ね除けた事は、我ながら大したものだったと想う。そうでなければ、彼女は極めて不本意に男との関係を結んでいただろうから。
「……………」
しばらくの間、リョーコが荒く息をつく。それを、彼女は自分の怒りの焔を大きく育て上げるためのふいごのように感じた。
「なんで……」
声が震えていない事を確認すると、リョーコは一気に男にくって掛かる。その声には本物の怒りがあった。
アキトをにらみつける目が涙に濡れている事が悔しい。それよりもなお悔しいのが、いまだに体が火照り、目の前の男を欲しがっている事だった。
怒りと悔しさと混乱と欲情と悲しみ、全てをごちゃごちゃに混ぜ合わせて、粘土のように固めたものを、彼女は精一杯勢いよくアキトにぶつける。
「なんで、こんな真似をしたんだよ!」
「……聞きたそうにしていた、答えを返しただけさ」
対して、男は平静だった。
言葉の意味を考えるよりもまず先に、リョーコはアキトの声からすまなさも動揺も感じられず、ただ興奮の残り香しか感じられない事にますます憤る。だが、彼女がアキトに腹の底に生まれた物をぶつけようとするよりも、ほんの少しだけ先にアキトの言葉が先に気勢をくじく。
「俺は、お前に欲情した。抱きたいと思った」
「ん、んな!?」
あまりにも率直な物言いに、暗闇にも関わらず彼女は赤くなる。そんな彼女に“女”よりも“少女”としての顔を見て、アキトは自分の中で膨れ上がった欲情がしぼんでいくのを感じた。
何か、自分が空気を勢いよく噴出す風船のような錯覚を感じながらアキトは息をついた。肺から搾り出すそれが彼の欲望も一緒に搾り出す。
リョーコはアキトの吐き出した二酸化炭素の混じったそこに、雄の欲望を感じて身をすくめた。しかし、アキトはもうその意思を持たない。
「……な、なんで、いきなりそんな事言うんだよ……」
彼女にはそのアキトの意思が通じず、身を固くしたまま震える。彼女も、自分の身体が男の欲望を刺激する事は自覚している。しかし、これほど率直に明言された事は無かった。
「だからいっただろう。お前がほしがっている答えだと」
対して、アキトはまた心を隠した。暗闇以外の理由で、リョーコには彼の表情が分からない。
「……俺は、お前を見ていて――抱きたいと思った。ジュンに問い詰められて、苛立ったんだろう、女がほしくなった」
ほしかったのは女であって、スバルリョーコではないと明言された……これが侮辱でなくてなんだというのか!
だが、アキトが糸のように紡いだ続いての言葉に、リョーコの怒りが消し飛んだ。
「……ジュンに問い詰められて気がついたんだ。俺は――本当にユリカを女として見れなくなっていると」
「!?」
「……あいつに答えたのは……全て本音だ。少なくとも、ユリカへの感情は……」
面食らったリョーコは、白くなりかけた頭に無理矢理色を取り戻させてアキトの言葉を吟味する。
『俺が、あいつを思う事なんか……もうないぞ』
リョーコの中に一瞬の狼狽、それよりも長い時間の歓喜と期待、そして疑問が生まれる。
何故、アキトはユリカを愛せなくなったのか。
それは先ほどの暴挙とどういうつながりがあるのか。
アキトは答えを求めるリョーコの顔を見下ろして、ゆっくりと唇から諦念を吐き出す。
「気が入らないんだ」
「え……?」
『気が入らない』を『気に入らない』に勘違いしたリョーコが呆けたように聞き返す。
「……いずれ、ジュンがユリカの事で話をしようとするのは分かっていた。だから、答えはあらかじめ用意しておいた」
この一週間――アキトは考えていた。自分がユリカをどう思っているのか。
「記憶の向こうにいるユリカには……いろいろと思うところはある。いい感情も……悪い想いも。あいつを二年間追いかけた。あいつに、病院で拒絶された。この時代に帰ってきてから一年、彼女の事を思い返せば、様々に胸の奥に滾る想いはあった」
だが――ブリッジで再会してからのユリカには……胸の奥に響く想いも、腹の中に淀む悲しみも、何も刺激されなかったのだ。
「火星でイネスを探した――彼女が見つからなかった時に感じた恐怖。地球でリョーコと再会した時に感じた懐かしさ、ルリに倒れられた時に感じた焦燥、サユリに泣かれた時の困惑……どれにも及ばない。あいつと再会しても、俺の心は平静だった。感情の波が――平坦だったんだ。あったのは、ただ、嫌悪……それだけだ」
恋。
色。
女。
情欲。
肉欲。
……そう言ったものを、アキトは同じ船の中で時間を共有しているユリカに当てはめる事が出来なかった。
それは、テンカワユリカに対する複雑な感情以前に、彼女の好みそうな事や嫌いそうな事、その全てを理解しているからだった。
それは……アンフェアだろう。
彼女との間に、育てあったお互いの理解があるのであればともかく、そうではない――彼だけが知っているという事実が、現実を出来の悪い恋愛アドベンチャーゲームの繰り返しのように思わせ、どこか滑稽で、感情が平坦になる。
のめりこめないのだ。
更には、あの病院での拒絶の記憶が彼とユリカの間に壁を作る。
たとえ嫌われても……だからと言って、こちらが好きでなくなるわけじゃないんだよと、アキトはいつ、何の本で読んだのだったろうか? いずれにせよ、そんなのはただの嘘だと今ならよく分かる。
拒絶されれば、心は冷える――だからこそ、傷つけたい相手を拒絶し、守りたい相手に、受け入れる意思を好きだという言葉で伝えるのだ。
テンカワユリカに拒絶された過去と、ミスマルユリカを目の前に生きている人間だと認識できない現在が、アキトの中から彼女を受け入れる可能性を消去しようとしていた。
「一年間……あいつの事を考えていた。記憶の中のあいつの事を思い出すだけで心が大きく動いた」
アキトはわらった。
何かとは断言できないような黒いものを口元に湛えて。
「……アキト」
リョーコは、そこに自分を責めるものと同時にユリカを責めるものを見た。それは身勝手なものでもあり、当然のものでもあると、彼女は思う。
一度は逃げ出したアキトの選択を責めるべきなのか。
アキトを拒絶したユリカを責めるべきなのか。
「でも今は……感じない。感じないんだ。あいつ当人を前にしたら……それこそ泣き叫んでくってかかるかとさえ思っていたのに、な……」
何も知らずに寝こけていた癖に彼を傷つけたユリカを責めたい、その思いは、リョーコ自身がアキトに抱く負い目と、責めるべき相手が存在しない事に踏み潰されていく。
「アキト……」
慰めの言葉どころか、ただ鸚鵡のように彼の名前を繰り返すだけの自分が無償に、悔しかった。
リョーコとアキトは、メグミによる艦内放送がかかるまで、暗闇の中でお互いの感情をもてあます。
お互いの口に中に残る唾液の味が、腰に重く残った。
ナデシコ、ブリッジにて――……
なんだかどこかでブラックホールが存在しているような気もしますが……はて? なんでそんなおかしな気がするんでしょう?
私、ホシノルリはミナトさん、メグミさん、ゴートさん、ジュンさん、フクベ提督の五人と一緒に、この一週間変わる事の無い真っ黒い宇宙の深遠を見つめながら、首をかしげました。星ばかり見ているから、そんな気がしたんでしょうか?
おかしな錯覚に首を傾げる私。伸びたツインテールがふわふわと頭を揺らします。
「あら? ルリルリ、この航行予定表……三日前に発表されたのより随分早まってない? もうすぐサツキミドリじゃない。予定より二日は早いわよ」
ミナトさんが、目の前に大きくウィンドウを開いて私に聞いてきます。彼女の前に開いたウィンドウにはオモイカネと私が作成した航行日程表が掲示されています。ちなみに制服を少しばかり改造して開かれた胸元には私とメグミさんが少なからず嫉妬の視線を注いでいます。
……そう言えば、最近その部分だけ肌荒れしているような……
「いえ、問題ありませんよ。リョーコさんの要望なんです。食堂と整備班からも希望があります」
「? どういう組み合わせなの、それ」
ミナトさんが面食らうのも無理ないですね。リョーコさんと整備班はともかく、食堂のホウメイさん達まで入ると、ちょっと統一性が感じられません。メグミさんやゴートさん、そしてどういうわけか随分と元気なジュンさんも、こっちに注目してます。
「……ジュンさん、副長なんだから書類いってません?」
「まだユリカのところで止まってると思うよ」
そですか。
にしても、口調から何から、私が知る中でも一番はきはきしてますね。ユリカさんとの間に何かあったんでしょうか?
「それじゃ説……いえ、えと。とにかく」
おたつく私を皆さんが胡乱な目で見ています。仕方ないんですよ、だってあの人は本当にここに現れても不思議じゃない力を持ってるんですから。
「サツキミドリに早くつかないと、ナデシコの機動兵器戦の戦力はずっとブラック・サレナ一機だけなんです。早くサツキミドリで零G戦用フレームを受け取らないと戦術に幅を持たせられません」
「あら? でもルリちゃん。確かこの間のバリアの時――リョーコさんも戦ってたわよ?」
メグミさんがわざわざ挙手をして質問します。この辺は、昔、幼児番組のお姉さんだったキャリアゆえでしょうか?
「いえ、あれはギリギリ空戦フレームでも戦える高度だったんです。成層圏でしたから。でも、今はもう宇宙です……空戦フレームは使えません」
空戦フレームで真空中の戦闘を行うのは機密性の問題でまず無理です。
かつて、ヤマダさんことガイさんが、軍艦二隻をバキュームカーのように吸い込んだチューリップを前にして、彼曰くの『クロス・クラッシュ』を敢行した際、海中にアサルトピットだけで十数分間も沈んでいた事がありましたけど……思いっきり浸水し、ガイさんのギブスで固められた足を濡らしちゃってました。
あの状態でも手柄を誉めたメグミさんが本名で呼んだのに抗議したのは、まさに『人の執念』って奴です。でもまあ、そういう事で真空中の活動は零G戦フレームじゃなけりゃダメなんです。
他のフレームじゃ気密性をウリバタケさんお得意の改造でもしなければ、パイロットはあっという間にお亡くなりのチーンですので、リョーコさんはサツキミドリへの早期到着を提案し、新型フレームをいじれると喜んだウリバタケさん達もリョーコさんの提案を支持しました。
食堂班は、食料――と言うよりも食材の確保が理由です。
「なるほどな。ところで、ミスターはそれを知っているのか?」
「はい、もちろん。補給を早く行える、艦の性能も試せる、と結構乗り気でした」
なんとなく目の色が危なかったですけど。どうかしたんでしょうかね、プロスさん。
「むう、ならば問題はないな」
ネルガル社員としてのスタンスを忘れていませんね、ゴートさん。仕事熱心、いい事です。
でも、私は彼に話していない事があります。サツキミドリへの早期到着――これ、アキトさんの発案です。
私達『帰還者』には一つの命題があります。これはリョーコさんが言い出した事ですが……本来の、私達の過去において死んでしまった人達を守る事。
アキトさんはまだ自分の行動――いえ、存在に迷っている部分があるようですが……ヤマダさんとクロッカス、パンジーのクルーは既に救われてしまいました。
今後、同様にサツキミドリ、火星の生き残り、月面コロニーの民間人、白鳥九十九氏――この人達の存命を目的として、私達は行動します。
リョーコさんはこの『救助活動』を、自分がアキトさんのために出来る最善の行為だと自任しているようです。私もまた、それに手を貸すのは吝かではありません。だから、私達はサツキミドリを無人兵器の襲撃から守るために、ナデシコで急行しているのです。
おぼろげな記憶を参照して――時間的には、前回の大体一日前には到着できます。
……私はハッキングして木星の襲来を教えよう、もしくは警報を鳴らして避難させよう、と提案したのですが、ナデシコAのハッキング能力では少々不安が残ります。
オモイカネもまだまだ、育ちきってませんし……と、いう訳で痕跡を残すような事は無い、といっても専門外の三人には説得力をもちませんでした。もう。
「ルリルリ、何ふてってるの? ほら、サツキミドリへの航路――これでいいのよね?」
「は、はい! おっけいです」
――ミナトさんが心配そうな顔をしてます。ここは一つ安心させとかないと。
「最近、ずっとブリッジで座りっぱなしだったもんね……やっぱり、いくらなんでもルリルリ1人だけでオペレートって言うのは無理があるのよ」
ミナトさん、ごめんなさい。純粋に心配してくれる視線が今はイタイです。
「大丈夫ですよ、オモイカネは賢いですから。今もどんどん成長して、私に楽させてくれてますし」
「そう……でも、顔色悪いわよ? なんていうか、白っぽくて――え? 元々? あら、ごめんなさい」
……ミナトさん。
思わず肩が重くなります。お尻も痛い気がしてきました。
もしかして、本当に疲れているのでしょうか? 身体はもう十七歳なんですけど……ハーリー君とオペレートを分担していたせいでしょうか?
でも、私はこんなに働いてるのに……サユリさんはホウメイさん公認でアキトさんにご飯作りにいってるんですよね。
……この、ふつふつと沸き起こる感情は何でしょうね? サユリさん……アキトさんにご飯作らなくてもいいから、捕虜のイツキさんか、お篭りのユリカさんとプロスさんにでも出前してください!
サツキミドリに無事到着です。
メインモニターに映るサツキミドリは健在、傷一つありません。しかし、油断は出来ません――私の霞がかった記憶の向こうにあるサツキミドリ……結局一分も見る事が出来なかったその巨体は、私達が前回到着した瞬間に破壊されたのですから。
あ、今メグミさんが向こうの管制官と通信してます。やっぱりナンパされているようですね――確かこの直後でしたか、大爆発が起こったのは……
で、メグミさんが断末魔の悲鳴をライブで聞いてしまい、自失してしまった事をきっかけにしてアキトさんと展望室で……格納庫で……
がっでむ! です。まあ、過去の事ですが。
え? 何で私がそんな事を知っているのか? ――いえ、あの……当時、少女らしい好奇心で少しばかり……た、たまたま見えただけです!
と、とにもかくにも今回は問題ないようですね。メグミさんはそつなく通信を終えられて、ナデシコはオモイカネとミナトさんの手でサツキミドリに直進!
メグミさんの艦内通信がサツキミドリに無事入港できた事を報告しました。さすがは本職、耳に心地いい声ですね。
「ふう……」
固いシートが、今回は心地よく私の背中を受け止めてくれました。ミナトさんがポンと、柔らかく背中を叩いてくれます。このような些細な一つ一つの動きが、私に充実と喜び、それを教えてくれるのです。
ああ、これが為すべき事を為したという充実なのですね……
「お疲れさま、ルリルリ♪」
はい、やりました! これでメグミさんイベント回避……いえいえ、サツキミドリ救出です。
これで、あのイツキとかいう女性も連合軍に帰還します。アキトさんに随分と気を引かれておられましたからね、用心に越した事は無いのです。
ネルガル重工所属、機動戦艦ナデシコ入港――
真っ白く奇抜な形をした戦艦がゆっくりと巨体をデッキに休める。その姿は、枝に止まり翼を休める鳳というよりも、シルエットが四足獣に近い事もあるだろうが、女性的な艦名に似合わず、冬眠を始めた熊のようであった。
金属がこすれるいやな音、そして船体を固定する音が、久しぶりにナデシコが触れた空気を大きく震わせる。
船体をロックする音が消えると同時に、ナデシコの売り物である相転移エンジンが停止され、艦の命の火が一気に小さくなる。
それを報として、一斉に作業員が白い船体めがけて駆け寄るのを、暗闇で眺めている影が一つ――……
果たしてどうやってそんな潜伏に都合のいい場所を見つけたのだろう? 人の存在しない真っ暗闇……監視カメラもセンサーも、あらゆる機器の死角……そこに腕を組んで佇む細身の人物がいた。
「……地球初の相転移炉式戦艦、入港か。どうやら、確かに木連の艦を上回っているようだな……形は変だが」
声の主の眼差しはどこかのんびりとしているようにも思えるが、そこには隙と言う物を見つける事が出来ない。それは余裕といえる悠然さだった。影がゆっくりと光の中に出てくる。
「クルーの腕はどうだ?」
口許には不敵な笑みを浮かべて、どこか優しげに、しかし、どこか恐ろしげな……まるで温和な虎のようにも思える表情を浮かべた、それは若い男だった。
長い黒髪を後頭部で髷のように結い、まるで剣道や合気道の胴着のようなシャツ、袴と似ているズボンを履いて、男は悠然と、先ほどまで真空であった空間に身を顕にする。
「……あの船に俺を楽しませてくれる奴がいるか、な……」
『あの船』を見る切れ長の目には敵意も悪意もない。ただ、そこには純然たる期待感のみが湛えられている。
それはどことなく少年を思わせる笑みでありながらも、どこか……触れる者にとって尽きる事のない危険を齎すような……そんなコワイ笑みだった。
どこかで、機械音がなる。
一秒ごとに強まる音は、思慕の花を囲んでオーケストラを奏で始めた。その音色に導かれて、ハーメルンの笛に誘われたネズミのように、赤い眼を輝かせた者たちが闇に蠢いている。
返された砂時計が刻み込む音は、一体彼と彼らに何をさせるだろう?
何を見せるのだろう。
サツキミドリ、戦艦用ドックにて――……
着艦したナデシコを迎えたのは、大量の物資とパイロットスーツを着た二人の女性だった。
「やっほ〜〜! リョーコ、おっひっさし〜〜!」
「ひさし〜〜……ひさし……ひさし……さだまさ……少し無理があるわね」
「……変わらねぇな、二人とも」
真っ先に艦を降りたリョーコは、一ヶ月強前に別れた友人、栗色の髪のメガネっ娘、アマノヒカルと片目に黒髪がかかる長髪の、独特な雰囲気を纏ったマキ・イズミと引きつった笑顔での再会を果たしていた。
「そー言うリョーコはなんか変わったね」
「うん、そうか?」
リョーコはメガネの友人に指摘され、なんとなく視線の当たった顔を掌でこする。その時、こする掌の向こう側に、にんまりと笑う友人の顔が見えた。久しぶりに嫌な予感と言うものを感じる。
「……男ね」
「どぉわぁっ!?」
背後から耳元でささやかれて悲鳴をあげるリョーコ。振り返れば彼女の想像どおりに、にたり、と笑うイズミが一人。
「な、何を言ってやがる!」
「その艶やかしい頬」
「潤んだ眼差し」
「「そう! これぞまさしく、『恋する乙女の顔』! もしかして、もう乙女じゃないとか?」」
にやけ笑いはどこまでもしつこく、恋する乙女にとっては、まるで足の裏に張り付いた古いガムのようにくっついてくる困った存在だ。
「な、な、な、何を言ってやがる、てめぇらは―――っ!」
彼女らの発言が脳に染み込むのに時間がかかったのは、スバルリョーコという女性の純情さを表す一つの数値であるかもしれない。ついでに、その時間の百分の一の時間を使って、彼女は血圧を上げて暴れだす。
歓声をあげて逃げ回る二人の美女と、追いかける一人の美女の間に、離れていた距離と時間の作る溝は一切なかった。少しはあってほしいとリョーコは思うことがあるくらいに。
「あ〜〜、そろそろよろしいですかな、三人とも」
遠慮がちな咳払いを合図に、まるでまるでビデオの静止画像のように止まる。息の合った事、練習したようにさえ思える。彼女らをとめて見せた強者の名は、プロスペクタ―。
彼は左右に艦長ミスマルユリカ、戦闘オブザーバーのゴート・ホーリーを従えて、彼女らを迎えに、物資の確認をしに来ているが、本来こういった場合でも、艦長が『率いられる』のはおかしな事だ。三人とも、誰も気にしていないようだが……
「実はテンカワさんが、何故だか強行に偵察がしたいと繰り返し主張するもので……どなたかついていってもらいたいんですよ。もちろん、その間にナデシコをおろそかにも出来ませんが……」
「あ? アキトがか。あいつ、相変わらずカタイな〜〜」
リョーコがアキトの意図を正確に察して、少なからず気の緩んでいた自分を恥じた。しかし、その気をもっと緩めようとする悪魔が二人。
「ほほう……テンカワ……アキト君というの」
「男? 男なの? ど〜〜も、パイロットみたいだけど」
「だ―――っ! いちいちうるせぇぞ、てめぇら!」
冷やかしの意図を悟って――というか、否応なく悟らされて――囲まれた側の少女の顔に朱が入る。まるで熱に浮かされているようにさえ見えてしまうが、熱に浮かされているのではなく、実に友達がいのある友人達におちょくられているために顔を赤くしているのは間違いない。
「で? そのテンカワ君って誰? どこにいるの?」
「はいはいは〜〜い! アキトはこのナデシコでも一番のパイロットで、この私の王子……ふがもが……」
突然素っ頓狂に自己主張をするユリカ。彼女はいまだにアキトとの接触がないために、また、サユリ、リョーコを始めとする艦内女性陣が感じたアキトへの好印象を知らない、もしくは無視しているために、いたってのんきにアキトの所有権を主張する。
それを押し留めたのは、すっ、と目を危険な色に細めたスバルリョーコの真正面にいたゴート・ホーリー。危機回避能力を示すのはさすがである。
「なに? あのへんなの」
「士官服を着て、帽子をかぶって……まさか……アレ。艦長さんなの? ねぇ、リョーコ!?」
「……オメーらもあんまり人の事言えね―よ」
……一人先んじて乗艦した親友の言葉に、何故だか二人は勢いだけでは否定しきれない重みを感じ、こめかみにぬるいものが不愉快な流れを作るのを知った。
「では、改めまして。お久しぶりですな、ヒカルさん、イズミさん。私とゴート君は既にご存知の事とは思いますが、改めましてよろしく。そして、こちらの方が――艦長、彼女達が補充パイロットのアマノヒカルさん、マキイズミさん。お二人とも一流のパイロットです」
一流というのは、ナデシコを形成するクルーにとっては必要不可欠な要素である。と、いう事は……かつてコック見習いであったアキトは、『一流のコック……見習い』という事になるんだろうか?
「どうも! 私が艦長のミスマルユリカで〜〜す! ぶい!」
変わらぬ挨拶が繰り返され、イズミとヒカルはおとなしく敬礼を返す。最初は面食らったが、考えてみればガチガチの軍人の下につくよりは、こういう女子高生のようなノリの艦長の下の方が、彼女らとしても、やりやすい。
「はい、では着任の挨拶は済んだという事で、私は物資の確認をさせていただきます。艦長とゴート君はブリッジへどうぞ。スバルさん、お仲間を艦内へ案内してさし上げてくださいますか?」
てきぱきと指示を行うプロスに、全員が従う……しかし、ユリカとゴートは、何のためにここにきたのか? 答えは、怒号のような叫びに教えられた。
「むう!?」
「……な、なんです? 今の」
ブリッジに向かっている途中のユリカとゴートには分からない事であるが――たった今、リョーコ達三人が整備班に自己紹介をしたところであった。プロスは、背後の歓声を耳にしながら、自分の予想通りに三人娘はあそこで随分と時間を取られるだろうと判断し、自分の先見の明を人知れず誇った。
「や〜〜、先に艦長と挨拶させといて本当によかった」
男は一人で訳知り顔でうなずくと、再び物資の確認に舞い戻った。と、顔を上げてもう一度だけ、一人ごちる。
「……この分では、偵察はテンカワさん一人にしていただく事になりそうですな。まあ、強硬に主張しているのが彼だけなのだから、むしろ妥当でしょう」
そうそう、イツキ・カザマさんの身柄も軍に渡しておきませんとねぇ……しかし、パイロット不足のナデシコとしては、彼女のような腕前の持ち主にも、ぜひ火星に同行していただきたいものですし……ふむ。
顎に手を当てて考え込む男に、熱血思想は見当たらず、ただ、その怜悧さが印象を強くしている。
「ここはもしや……私の出番ですか!」
……訂正。彼は充分、血を熱くしている。
「え〜〜! アキト、せっかくユリカ、プロスさんに開放されたのに、どこいくの〜〜!?」
『……ブラック・サレナ専属パイロット、テンカワ アキト。サツキミドリ周辺宙域の偵察を行いたい』
アキトはコミュニケ向こうでぶーたれる幼馴染を無視して、その背後に立つ副長に声をかけた。ジュンならば、この状況でなら自分とユリカを引き離そうとするだろう――そう考えたのであるが、しかし意外や意外、彼も難しい顔をした。
「テンカワ、偵察と言っても、偵察はサツキミドリで行われているだろう? 君がわざわざ行う必要はないぞ」
「そーだよ、アキトはユリカとお話しなきゃダメなんだよ! 艦長命令です、ぷんぷ〜〜ん!」
代々職権乱用娘、本領発揮か? ジュンとアキトが同時にため息をつく。同時に、二段ばかり下でオペレートを行っているルリがあきれて白い目で彼女を見ている……そんな彼女は元電子の妖精。
アキトを追いかけるためにかなり職権乱用をして多くの部下を巻き込んだ、連合軍の看板娘である。
『……とりあえず、そのアホ黙らせろ、ジュン』
ユリカの口は、彼女に対して態度が冷たいアキトに気をよくしたジュンによってふさがれた。どうでもいいが、そんな事をしたらジュンもユリカに好かれないと思うのだが……まあ、正直言ってユリカの友達である事がジュンの苦労の原因八割を占めているのだから、例え彼女に彼が嫌われても問題ないだろう。
『……で、偵察の必要だが……ルリから聞いたが、確か通信士が向こうの管制官にナンパされていたそうだな?』
「え? 私ですか!?」
自分を指差しておたつくのはメグミ・レイナード。彼女のような元々平和的で豊かな人生を歩んでいた人物にとっては、アキトのようにとても非日常的な雰囲気を漂わせた人物の口から自分の話題が出てくる事が、ちょっと怖いようだ。
『……そのような連中がまじめに偵察しているのかどうか、正直心もとない。だから、俺も独自に偵察に行きたい――許可を願う』
「え〜〜? 大丈夫だよ、きっと。だからアキト、そんなとこいないでユリカとお話しようよ〜〜!」
ジュンの手に立派な歯形をつけたユリカが騒ぎ出すが、二人とも相手にしない。
「……まあ、確かにそれはそうかも知れないが――わかった。サツキミドリに対しては、あくまでも宇宙空間での機体テストだと言っておく」
『……無理を言ってすまない。感謝する』
「え〜! ジュン君、なんで私の邪魔するの!? 艦長命令です、アキト! ブリッジに着てユリカとお話するの〜〜!」
頬をリスのように膨らませ、両手をぶんぶんと振り回すのは幼児性の現れである。ゴートがほとほと理解しかねると言った目つきで彼女を見ているのだが、もちろんミスマルユリカの思考に、他人の視線を考慮するなんて文字は一切がない。そんなものがあれば、ジュンはもっと幸せになっている。
『では、テンカワアキト! ブラック・サレナ発進する!』
「了解です、アキトさん。お気をつけて」
ブリッジの誰もが、この偵察はアキトの気の回しすぎで。存外気の小さい奴だ、と考えている。しかし、たった一人、本当の理由を知っている電子の妖精は真摯な見送りをして、自分の職分を果たさんとするのだった。
「ところで、リョーコさんは何をしておられるのでしょうね?」
彼女がオモイカネに頼んで教えてもらった結果では、スバルリョーコはスパナを振り回して暴れまわっていた。歓声をあげて逃げ回るアマノヒカル、マキ・イズミの両名を見ただけで何が起こったのかかなり克明に察しがついてしまう自分をちょっと哀しく思いながらも、ルリはため息をついてコミュニケを開いた。
黒い闇の中、呪いの花は世界の溶け込んで飛んでいく。
風のない世界を飛んでいく、その自分に改めて不自然を感じて違和感に頬をゆがめるのは、バイザーと黒いコンバットスーツで完全武装したテンカワアキトだった。
一人宙を飛ぶと言う行為を、これまでもナデシコで何度となく行った事がある。
あの蜥蜴戦争の際に、偵察という目的で幾度となく。しかし、その際には必ず左右がさびしく、背中に恐怖を感じたものであるが、今はそう言った兆候がまったくない。そこに自分が改めて変わったと言う事を自覚させられ、いちいちそう言った事を確認している自分の小心者加減に苦笑を禁じえなくなる。
変わると言っても、これはむしろ当たり前の事だろう。戦場に場慣れする、と言えば聞こえは悪いのかもしれないが、人は必ず変わるものだ。やたらと過去を美化して夏がすがる、この老人のような感性は全く持って困りものだと自重する。
少なくとも、彼には時間を逆行した者の内、この場にいない最後の一人であるイネス・フレサンジュを発見し、地球に連れ帰るまでは鬱になる暇もないのだ――たぶんそれは、幸せなのだろう。
帰還した直後の事を思い出す。
自分はユリカに拒絶された悲しみに浸って、ランダムジャンプに巻き込んだ四人の事を考えもしなかった。
その醜い自分を、彼はいずれ全員揃った彼女らに告白して、裁きを受けなければならない……多分彼女らは許してくれるだろうと言う浅ましい確信を持っている自分を自覚し、胃の腑にかきむしりたくなるような不快感を感じる。
「……………」
黒の皇子はぶるぶると頭を振って、意味のない空想を追い払った。今は仮定の話や自分の内面に意識を傾けるべき時間ではない。
「アスフォデル、ソナー探索モード。『サレナ』ソナー並行利用――」
アキトの命令に従って、ブラック・サレナ――過去に彼や電子の妖精、獅子姫の記憶の中にある物とも大きく異なった漆黒の機体より、球形に電波が発せられる。
それは潜水艦のソナーそのままに、反響を利用しする事で世界を探る。
――戦艦が空を飛ぶようになってから、その行動方式は三次元運動、つまり潜水艦のそれとよく似てきた。しかし、宇宙戦闘に限って、水中と異なるのは、空気どころか水さえもない真空である事で、視界はカメラで治める事も可能――宇宙戦艦運用によってそれらの事実が明示され、宇宙空間独自の『宇宙戦艦戦術』なるものが、戦艦の宇宙進出から求められてきた。
かつてのアキトはその基本的な動きを知らないままで、ここで初めて宇宙を知ったのである。
そう考えれば、未来にして過去でもある時間では既に失われた『サツキミドリ』は、アキトにとってはなかなか感慨深いコロニーである。
かつての自分の無様と言えば無様、滑稽と言えば滑稽。華麗さや重厚さを感じさせる事のなかった、ここでの戦闘を思い返して苦笑しつつ、男はソナーからの結果を待つ。少しずつ移動をしながら……おそらくはチューリップが隠れている事だろうと当たりをつけて、あの巨大跳躍門がサツキミドリのレーダーから潜伏できるような個所を探る。
「――見つけたか。意外と早かったな」
ソナーの反応は、サツキミドリのセンサーの索敵範囲ギリギリの個所で不自然な行動を示す巨大な岩塊の存在を教えている。行動と大きさ、形状、様々なものを合わせた上で、コンピューターが自分の中に記憶されている情報と照らし合わせて、黒の皇子に告げる。
これは、木連のチューリップだと。
「……数は一機……グラビティ・ブラストを使えば、サレナ一機で事足りるな」
アキトはサレナ最大の武装である、背中の小型グラビティ・ブラストを構えた。ナデシコシリーズのものに比べれば、その大きさと、元となる相転移エンジンの出力の問題、土台となるサレナの問題、それらによって、ナデシコシリーズのどれにも及ばない性能となっている。
機動兵器に装備されているという時点で画期的ではあり、現在の状況下でも、狙いさえ間違わなければチューリップを三発以内に破壊できるのは間違いない。テスト以来、実戦では初めて使用するブラック・サレナ最大の武器に、間違えようもない興奮を感じながら、アキトはセンサーの教えるエンゲージ・ポイントに黒い愛機を飛ばした。
星のわずかな光を照り返しながら飛ぶサレナの姿は、花の名を冠される機体としてはその名に反して、華麗さや儚さよりも先に、男性的な重厚さをこそ真っ先に感じさせた。あるいは、その姿に感じるものはパイロットのアキトの内包している感情そのものであるかもしれない。
「――チューリップ発見の報、ナデシコにしておくべきか」
とうとうサレナのメインカメラで目視できる距離にまで近づいたチューリップ。向こうも高速で接近する機体に気が付いたらしく、花が開くと表現するにはそぐわない程に鈍重に、重々しく、まさに門というべき重みを持った動きで開く。アキトは、チューリップの岩としか見えない門扉が開放される重い音を、真空中であるにもかかわらず聞いた気がした。
「――ナデシコ。こちらテンカワ、チューリップを一機発見、現在カトンボ級戦艦を三隻確認。これより交戦する」
アキトは、通信可能領域ギリギリに存在するナデシコに敵機発見の報告をする。それに対して、おそらくはルリとリョーコ以外の面子から無茶だ、出来るわけがない、などと言う報告が返ってくるだろう……そう考えたが、彼の手元のスピーカーから飛び出てきた音声は、彼の想像とは全く異なる形で、彼の命を支えるための空気に強く鋭い波紋を与えた。
『こちらナデシコ! ただいま、木星トカゲと交戦中……なんなの!? エステがのっとられてるの!?』
耳に届いたのは、混乱に満ちたメグミの悲鳴だった。
「さあ! はやくアキトを迎えに行きましょ〜〜!」
「……艦長、積み込み作業をいやに急かすと思ったら、やっぱりそれなのね」
ユリカの命令を受けたそうだし、ハルカミナトがあきれ返った声を隠そうともせずに艦長を見上げた。言動と雰囲気がいかにも軽そうな女に見られがちな彼女であるが、その中身は、一体どうしてこのような格好を好むのだろう、と疑問が抱けてしまうくらいに外見から受ける印象とは正反対の女性である。
そんな彼女にしてみれば、ユリカの態度は率直に言って呆れるべき言動なのだろう。別に彼女に限ってもないが。
「おかげで整備班の皆さんが新しいパイロットさん達を追い掛け回すのをやめましたからね。艦長の行動はよかったと言えばよかったです」
「あれ? ルリルリが艦長かばうのって珍しいわね」
意外や意外の思いを隠そうとして隠し切れないミナトお姉さんである。ルリは別にかばったつもりもないのだが。
「そうでもしなければ、整備員の人達が皆してなかなか積み込み作業してくれませんでしたから」
「あ、そう言えば、格納庫の方から聞こえてきた変な津波みたいな音、ウリバタケさん達の悲鳴だったってホント?」
「ええ、新しく二人の女性が加わったからです」
餓えてるわね〜〜、とはミナト、そしてメグミの感想である。といっても、苦笑にせよ笑っていられるのは人事と思っているからである。さすがに、直にああいうのを見ると、身の危険を感じてスタンガンでも常備せねばならなくなるだろう。
しかし、彼らとてただの奇人ではない。腕だけは一流であるが故に、ただの奇人よりも、ある意味、もっと性質の悪い変人達が揃っている。ナデシコに素早く物資を搬入、ある者は物資――新型エステバリスにほお擦りをしてパイロット三人娘に蹴りを入れられ、またある者は『捕虜のイツキ・カザマを軍に返すのはんた〜〜い!』と旗を振り、肩を組んで歌まで歌いだすと言う、実にバイタリティ溢れる行動をとっている。
何故だか、作業用トラックの上でポーズを取っているのは、ルリ達、ブリッジ女性陣の視線を意識しているからだろうか? コミュニケがつながっているのをどこで知ったのやら、まったく侮れない。
「そういえば、物資の搬入終わったのにプロスさん帰ってきませんね」
「あら、あそこに一機エステが残ってるわよ? まだ搬入終わってないんじゃない?」
まだあったんですか、と眉をひそめるルリ。彼女としては出来るだけ早く搬入を済ませて、この無防備な時間を終わらせたいのだと言うのに……なにしろ、アマノ機、マキ機はともかくとして、ヤマダイゴウジ!機とリョーコ機はアサルトピットにフレームの接続も完了していないのである。ウリバタケさん、いい加減ほお擦り止めてください。
そこで彼女は見つけた。
――エステバリスの頭部、両肩部、そして腕部に張り付く黄色い数体の虫型兵器!
「デビルエステバリス!!?」
立ち上がって悲鳴をあげるホシノルリと言う人物を、彼等は始めて見た。ついでに言えば、『デビルエステバリス』と今回、最初に言ったのも彼女であり、これ以降しばらくの間、彼女には『ヤマダの同類か?』説がまことしやかに流れる事になる。
「あ、あらら? もしかして、エステがのっとられちゃったの――木星トカゲが!?」
「あれあれ? どうしてバッタとエステバリスの規格が合うんでしょう〜ね?」
「艦長! 今はそんな事を気にしている場合じゃないでしょう!!?」
後々の事を知っている者にとっては、ユリカの疑問の鋭さに驚く事だろう。謎の異星人のはずが、地球製のコンピューターをハッキング出来たという、その事実。
しかし、はっきり言ってバッタのミサイルが今にも無防備なナデシコを襲わんとしている時には、そー言った的確すぎるほど的確な指摘もあまり意味はない。
「エステバリス隊は出撃できないんですか!?」
無理だった。
はっきり言って、趣味人軍団であるウリバタケ率いるナデシコ整備班が、0G戦フレームなどと言うオイシイ物をそう簡単に開放はしない。
戦闘が始まる前に、と言う事で早速分解されてしまっていた。リョーコが止めたので一体だけ残ってはいたが、その一体を出すのと、既に狙いがつけられているバッタのミサイルが発射されるのとどちらが速いかは――考えるまでもない。騒ぐウリバタケらに、例えあの世にいっても、絶対にきっちりと報復をしてやると決めたルリでさえ思わず、神に祈りたくなった。
「……アキトさんっ!」
ルリの一縷の希望。それはボソンジャンプの出来るアキトの存在だ。
しかし――それにはこのデビルエステバリスの存在を彼が知らなければならず、更にジャンプにはC.Cの存在が必要不可欠。アキトが颯爽と登場し彼女を救うというのは率直な言葉で表現すれば、無理である。
しかし、無理を可能にするのが正しいヒーローの姿であった。
「とぉう!」
大喝一声、力感篭った掛け声あげて――人々の目にもとまらぬ一瞬の内に、何者か、一機の機動兵器が宙を駆けてラピッドライフルを掃射し、今にもナデシコに向けてミサイルを開放しようとしたデビルエステバリス(ルリ命名)に痛烈な一撃を加えたのだ!
ちなみに、わざわざ外部用マイクを使ってまで叫ぶ必要はどこにもない。
「赤い機影――リョーコさんですか!?」
赤が彼女のパーソナルカラーであるのはナデシコの誰もが知っている。ルリの大きな金色の瞳は、颯爽と登場してデビルエステバリスをうちのめした謎の機影が間違いなく赤い色をしていた事に気が付いていた。
『ち、違う! 今のは俺じゃねぇぞ!!!』
しかし、否定。コミュニケに映る彼女の後ろには、整備員たちがなにやら右往左往している姿が映るばかり。確かに、彼女はエステバリスに乗ってはいない。では、今察そうと現れてナデシコの危機を救った赤い機動兵器は果たして何者の操る機体なのか。
答えは――艦中央部、グラビティ・ブラストの砲口に真っ白い背中を見せ付けて、何者かが生身で仁王立っていた!
「……って、なんてとこに立ってるんですか!!?」
思わずユリカにツッコミをいれさせた、その行為こそ恐るべし。しかし、その恐ろしさが真価を発揮したのは、ミスマルユリカのツッコミから一秒と立たずにだった。
ナデシコ主砲――機動戦艦ナデシコを地球最新栄冠たら占めている二大最新鋭技術の一つ、グラビティ・ブラストの上に仁王立ちという、とんでもない真似をした何者かに、ナデシコの艦外ライトが一斉に集中する!
「熱血! 疾風!」
そして、人々は見た! ライトに照らされ、今まさにスターのごとく名乗りをあげる何者かの姿!
「男の魂、固く握った拳に込めて!」
握りこまれた拳が天高く突き上げられるのを合図として、あの赤い機動兵器が、まるで見えない糸で吊り上げられた操り人形のごとく下方より現れた! ちなみに重低音の太鼓のような効果音が聞こえ、ドライアイスまでたかれている。
とぉう、と再び掛け声を上げてグラビティ・ブラストから、ディストーション・フィールドブレードの間に下から現れた赤い問題の機体に、謎の怪人物は飛び移る。
その姿を見たゴートが、あの機体はブレードの間にどうやってもぐりこんだのかという事や、何を考えてそんなところに潜り込んだのかという事に悩んだのは、また別のどうでもいい話である。
「私は今、猛っ烈に熱血していますよ―――――ッ!」
真っ白い衣装に身を包んだ何者かが拳で呼んだ謎の赤い機体――それを見た瞬間、なんと沈着冷静の代名詞であるはずのホシノルリが、元々白い顔を更に真っ白にしてしまった。
「あ、赤い……デルフィニウムですね。イツキさんのを改造しちゃったんですか!?」
それは、真っ赤に塗装しなおされたデルフィニウムに八本のマニュピュレーターを装備し、エステバリス用のライフルを三丁持たせた改造機であった。分かりやすくタコそっくりな機体を従えて、男は拳を天に突き上げる!
声を聞けば一体誰だか簡単に分かる、いまだに背中しか見せていない謎の白尽くめ――まるでアキトと対であるかのように背中で主張するその男は――!
プロスペクタ―は熱血超人である。
魂の師、ダイゴウジガイが聖典ゲキガンガーのオープニングテーマを口ずさむ時、彼の頭頂部にある理性回路は休眠し、右脇腹の浪漫回路と対をなす、眉間の熱血回路が輝きだすのだ!
彼の名はプロスペクタ―!
その魂の名をプロスペクトルマン!
彼は火星より舞い降りた、愛と炎と熱血を司る正義のヒーローなのだ!
戦え! プロスペクトルマン!
叫べ! プロスペクトルマン!
眉間に輝く熱血回路に誓い、彼は世のため人のため、木星蜥蜴と戦い続けるのだ!
進め! 熱血超人、プロスペクトルマン!
「世のため人のため、木星蜥蜴の野望を打ち砕くプロスペクトルマン! この熱血の輝きを恐れぬのならば、かかってこぉい!!!」
誕生! 熱血超人プロスペクトルマン!
世界が、静止した。
果たして己が何者であるのか、各人の胸に己の直面した現実への否定したい願望が、自分自身の存在そのものへの疑問を生む。それでも現実から逃げる事は出来ずに、彼と彼女はこの理不尽な現実に、愚直に立ち向かう他はない。
しかし、現実は結構優しかった。
なにやら見覚えがあるようでない、額に指を当てた全く謎の珍ポーズを決めている人物が何者であるのか、どこからともなく懇切丁寧に教えてくれているのだから。
「――メガネをかけたチョビ髭ウルトラマン……?」
オモイカネの表示したコミュニケウィンドウで遂に怪人物、プロスペクトルマンを直視したユリカの感想は、率直だ。どことはいえないが、顔を形成する特徴あるパーツのおかげで、ウルトラマンモドキの着狂みの中身に察しが容易についてしまう。それ以前に名前と声が明確な証拠になっているが。
「――な、なんでこんな……?」
「ヤマダ君の実力、かしらね……」
「ミスタアアァァァァアッ!!?」
ゴート・ホーリーが声の限りに劇画調で叫ぶという実に珍しい事態も、突如現れた謎の超人、プロスペクトルマンの巨大隕石の南極衝突のようなインパクトの前には意味がない。
それほどに、まるでどこかから変身命令を電波で受信しそうなヒーローのもたらした衝撃は大きいのだ。気のせいか、エステバリスに寄生しているバッタさえもどことなく動きがぎこちない。
しかし、プロスペクトルマンはヒーローらしく全ての驚愕を無視して戦端を開いた。今にも通常のデルフィニウムの三倍の速さで動き出しそうな赤く塗装されたプロスペクトルマンの機体――しかし、プロスペクトルマンが乗っていなくともデビルエステバリスに一撃を加えた――に颯爽と飛び乗ると、いまだにギシギシと音をたててゆっくりと身を起こそうとしているデビルエステバリスに一直線に襲いかかる!
「ヒーロー大原則ひと――――つ! ヒーローたるもの、常に必殺技で悪を討ちのめすベーし!」
プロスペクトルマンの大喝一声、高らかに――一体誰に教わったのかがナデシコの全乗員に非常に分かりやすい大原則を披露しながら、赤いデルフィニウムはどこへともなくライフルをしまい、真っ赤に燃える五本のマニュピュレーターを指に見立てて握りこんだ!
元々円筒形のデルフィニウム、人間に例えれば頭部といえる個所を保護するためにライフルを持たないマニュピュレーターで保護しながらエンジン全開で飛んでいく姿は正しくロケットパンチ!
「ナックルモード移行! Pフィスト・ダイバ――――っ!!!」
刮目せよ!
赤い焔の具現は刹那にも満たぬ光の瞬間に変形を遂げ、巨大な一個の拳と化す!
それはそのまま焔の尾を引いて、紅蓮の花を咲かせるべくデビルエステバリスが一機を目指して、一直線に、まさに流星そのものとなって襲いかかる。これは確かにエステバリスの特殊攻撃、ディストーション・フィールドによる高速度攻撃のアレンジだった。
轟音とともに、不意打ちを食らわした相手が立ち直れていない隙を狙ってくらわしたヒーローの一撃は確かにデビルエステバリスにクリーンヒットした。両機はもつれ合って、ナデシコ背面にあるドック出入り口へ突撃し、慌てて開放されたそこから飛び出していく。
ユリカとルリが二人揃ってドック管制官の早業に拍手をしている頃、急に開放されたドックの空気は流れ出し、一人の青年が一人、影のようにどこへともなく消えていったのは、まったくの余談である。
――オモイカネがデビルエステバリス(ルリ命名により、オモイカネもこのように記憶した)の爆発音を確認したのも、やはりこの時である。
一方その頃、未来を知る一人の男はナデシコに新しいヒーローが登場したとは露知らずに一人焦っていた。
デビルエステバリスの登場、彼はここでチューリップを破壊すれば、それは起こらないものと決めてかかっていたのである。しかし、メグミの通信がそんな計算を吹き飛ばす。
焦りと自噴が目を血走らせていくのを自覚し、しかしアキトはそれを抑える事をしようとせずに、暴れ馬のような激情をむしろ開放して、三機の戦艦とそれらが発進させ続けるバッタを相手取っている。
「――邪魔なんだよ、お前達は!」
ぎりり、と歯を噛み締める事が苛立ちを助長させていく、それに気がつきながらも彼の操る黒百合を抑える事が出来ない。激情、それを抑える事が孤独の中では出来ないのか、テンカワアキト。
「るあああぁあああ!」
イミティエッド・ブレードがまた一機のバッタを破壊する。元々サツキミドリを破壊するための戦力を相手取り、一歩も引かない事は驚嘆に値するが、黒の皇子のもたらす破壊はかつての比ではなかった。
――攻撃を焦りが阻害するのならば、防御を阻害しても不思議ではない。
一気にチューリップを破壊しようという大味な攻めを選んだブラック・サレナ、その背後にバッタが数機、音もなく忍び寄る。真空の宇宙を、無人兵器の殺意が疾った。
――やらせませんよ!
声ではない声が破壊者の頭蓋骨の中を電気信号となって駆け巡る。それが、久しぶりに使われたナノマシンリンクだと気が付いたアキトの背後で、真っ白な戦艦の発射したミサイルによって作り出されたバッタの爆発が、音のない光で黒百合のメタリックブラックの装甲を照らし出す。
『無事ですか、アキトさん!?』
『機動兵器でチューリップの相手? すごい事やろうとしてるわね〜〜』
『アキトアキトアキト――っ!』
サレナのコクピットに、一斉にウィンドウが開く。その時、アキトは既にリンクによってナデシコが無事である事を知って、潮のように焦りが心から引いていくのを自覚していた。そして、ルリと一緒にリンクを使う事を思いつかなかった自分達のアホさ加減を苦笑する。
『待ってて、アキト! そんなチューリップなんて、ナデシコなら一発なんだから!』
ユリカのやる気満々の言葉を聞いて、しかし黒の皇子は首を横に振る。
「いや、必要ない――俺の獲物だ、手を出すな!」
黒百合の四肢に、まるで人間のように力が篭る。それは間違いなく、黒百合を糸なく操る黒の復讐者の心そのものだった。先ほどまで新ヒーローの颯爽たる姿を映し出していたナデシコの各主要ブロックで展開されていたウィンドウが、何か禍禍しさを感じさせる黒百合の姿を映し出す。
IFS――操る者のイメージを読み取るシステムは、確かに黒い何かサレナに貯める手助けになっていた。ぞわり、もごり、と蠢く粘りある感情は、ホシノルリの心に間違いなく伝わっている。興奮して獣のように犬歯を剥き出しにするアキトの攻撃的な雰囲気に呑まれているブリッジの誰も、ルリが寒さをこらえるように腕をさすり、肩を窄めているのに気が付かなかった。
「まさか、テンカワ――独力でチューリップを破壊するつもりか!?」
ゴートがいつもは細い目を無駄に大きく開くのも無理はない。チューリップは、いわば巨大な岩塊――攻撃力こそ無きに等しいが質量は途方も無い。それを機動兵器の火力で破壊するとなれば、可能という言葉を使う事は困難であるはずだった。
しかし、ゴートを始め一同の脳裏にはナデシコ初陣の際の離れ業が浮かぶ。アレが出来るアキトならば……もしや、という思いが一同の脳裏に生まれる。これは、あるいは期待感という高揚であったかもしれない。人ならば誰もが持つ、現実、常識といったものを破壊する事への期待感。
人間が高等知能を手に入れて以来の衝動が自分の中に確かに存在する事実、ナデシコのクルーが気がつく前にバッタがサレナにミサイルを撃つ。
それが人であるならば、生きているのであれば、わざわざ破壊神に触れるという愚挙は犯さなかっただろう――しかし、無人兵器であるが故の恐怖の欠如が引き金を引いてしまったのだ。黒い宇宙に、星ではない光が幾つも生まれ、そして消えていく。
黒百合目指して放たれた、異性人の作り出した武器であるにもかかわらず人類の作り出したものと全く同じ兵器は、確かに宇宙に咲く一輪の百合めがけて襲い掛かった。しかしその全てを武骨で動きづらいはずの黒百合は絶妙のタイミングと速さで円を描いて、いとも容易くかわした!
その動きの無造作とも思える慣れに、一人の青年が眉をひそめる。精悍な面にいぶかしげな表情を浮かべて、サツキミドリのウィンドウの向こうで舞い踊り始めた武骨な巨体を見つめているのだが――彼はアキトの行動に慣れを感じたのだ。
集中砲火を交わす事の慣れ――あの機体のパイロットは多対一の戦いを多く経験し、切り抜けてきたという予測が成り立つ。
黒い髪を旗のようにたなびかせ、その横顔には狼のような精悍さを感じる二十歳前後の若い男は、援護を拒否して単独で戦いを挑んだ黒い戦士の披露し始めた見事な腕前に感嘆の思い、そしてそれ以外に腹の底からわき出す熱い思いを込めた。
「ほう……いい腕前じゃないか、あいつ……」
ブラック・サレナは両手に備えたカノン砲で、常に一撃の下、己に群がる虫どもを焔の燃料にする。敵機との圧倒的な力量差に格納庫のそこかしこから感嘆の声がする。中には、その獰猛さを感じさせる戦い振りに恐怖の声を上げるものさえもいた。
遂に三機の戦艦さえも小型グラビティ・ブラストの一撃で破壊したサレナ――操縦者の腕か、それとも機体の圧倒的な性能ゆえか。整備班の一同とパイロット一同がそれぞれの専門範囲に基づいた結論を出した時、サレナが構えていた小型グラビティ・ブラスト――ウリバタケが目の色を変えて分解したがっているそれを逆手に、まるで忍者刀のように構えた。
銃器を扱うにはどう考えても向いていないその構えに、誰もがいぶかしむ。黒百合が残るチューリップにその構えのままで襲い掛かる姿に、一斉に驚きの声があがった。
ナデシコのクルーが自分の行動に度肝を抜かれているなどという事を想像もせずに、アキトは自分の中にある激しい感情の命じるままに虫を吐き出す岩の花に襲い掛かり、逆手に握ったグラビティ・ブラストの引き金を引く!
「我流・妖刃の二……黒光ーっ!」
その光は黒い。
それ故に光の乏しい大宇宙において姿が隠される――しかし、威力に変わりはない。チューリップに上段から襲い掛かった黒百合の持つグラビティ・ブラストから開放された黒い帯が、まさに剣となって花を刈る! 弾丸ではない、純粋に光であるグラビティ・ブラストのみに可能な突拍子の無い離れ業であった。
常射する重力波を引き連れて、黒百合がチューリップの上を一直線に行進する。
ここに風が渡っていたのであれば、凄まじい轟音がなったであろう事は間違いない。縦割りに一刀両断された岩の花は、内部の亜空間がいかなる作用を起こしたのか大爆発を起こして宇宙の粉塵に仲間入りを果たした。
ナデシコのディストーション・フィールドに弾かれる花の欠片を素直な驚嘆の心で、一同は見つめた。そこには、どこぞの新ヒーローによって麻痺した精神の活性化という目的を無意識に持っていたのかもしれない。
「ほう……これは凄いですな。よもや機動兵器でチューリップの破壊が可能とは……」
「ほえ? ――どしぇえええ!? プ、プロスさん、一体いつからそこにっっっ!!?」
叫ぶユリカに、いつの間にやら彼女の背後に立っていた人物は、さも不思議そうに答える。
「戦闘が始まった時からおりましたが? いや、あの謎の人物といいテンカワさんといい、宇宙では驚くべき事が起こりますな」
「「「「「「「………………」」」」」」
白々しさが感じられない事が白々しい。
ブリッジの沈黙は、雄弁にその意思を語っていた――……
ナデシコ、プロスペクタ―の私室にて――……
暗闇の中、何者かのメガネがきらりと光った。
「さてさて……合言葉はどちらにしましょうかね。『レェェエエエッツ! キチガァアアアインッ!!!』と『レェェエエエッツ! ジンガアァインッ!!!』と……どちらも、もれなくガイの名が入ってるところがポイントですねぇ……ふふふ……やはり、バージョンアップする時に機体の乗換えと共に掛け声も変える……これがベストですか」
するのか、パワーアップ。
「もちろんしますとも。しかし、そこに行き着く前に1クッションとして新しい武器か合体パーツも必要ですね。そして機体乗り換えのためには新しい敵か、エネルギー炉の暴走、これまでにちょこちょこ登場していた謎の人物、マシンが正体を小出しにする、などのイベントが必要です」
……ネルガルシークレットサービスの長、そして現ナデシコ会計プロスペクタ―。
どうやら、着々と真の漢たる浪漫道を極めつつあるらしい。
「さて、どうしたものでしょうか……やはりテンカワさんに……」
左手を顎に当てて悩みながらも、右手はコンピューター以上の速さと正確さで書類を片付けていた。これが正義のヒーローの力か。
――その頃、プロスになにやら見込まれているとは露知らず、黒の皇子は電子の妖精に自分が不在中に起こった事件を教えてもらおうとしていた。
「なあ、ルリ――一体誰がデビルエステバリスを殲滅したんだ? リョーコか?」
「……後で映像記録渡しますので」
ホシノルリ、戸籍年齢と実年齢の一致しない十一歳兼十七歳――最近あまり接点のないアキトとの会話なのに話題が話題ゆえにあまり長話が出来ない事に嘆く、恋する乙女であった。
黒の皇子様は叫びます。
謎の新ヒーローさんも叫びます。
熱血、友情、必殺技。
トドメに名乗り上げと決めポーズ。
男の人って、みんなこうなの?
to be continue.......
復帰第一弾書き直し作!
というほど大した物でもないんですけれど。実は、書き直し前バージョンの時に北斗を出した事への賛否の否の意見にて、彼女の搭乗に否定意見を書かれた方がいまして。
また、それが結構、私個人的には嬉しい意見だったんです。随分拙作を買ってくれている、心動かされるご意見でして。
そういうわけで、書き直しとなりました。北斗登場を喜んでくれていた方、すいません。
彼女の活躍は、今後『夜叉と羅刹と妖精と』の方にしぼります。こうした方がいい物が書けるんじゃないかという私なりの考えです。
さて、新たに登場した青年の正体は――私が以前書いていた未完のオリジナル小説の主人公君です。私なりには結構思い入れのあるキャラクターなので、今後活躍していく事になるかと思いますが、今回は顔見世にもならない登場となりました。
いずれ本格的に登場してもらう事になります。
それでは、いずれの本格復活に向けて! 今回はここで!
代理人の感想
む〜、多くは語りますまい。
不粋ってもんでしょう。
それに、面白くなればどっちでもいいですし(爆)。