夢を見ていた。ずっとずっと夢を見ていたかった。
* * *
その時のことを、良く覚えていない。
虚空の躯
暗い。
ふわっと体から意識が遊離している。
何か不思議な気配と共に、ただ自分が存在している……そんな感じ。
――――またか。
そう呟いて、俺は静かに目を開ける。
それは、いつもの夢である。ここ最近、何故か見るようになった夢。
目を開けてもはっきりとは見えず、周囲で蠢いている影がちらついている。
ため息。
耳元で、何かが鳴っている。
気にはなるが、この茫洋とした世界観はたとえ気にしたところで何も変わらない。
だから、俺はただ『有る』という意識のまま、そこにいるだけだ。
この世界を探索するということに、夢である以上必要性はない。重要性もない。
ならば、自身は何も思わずこの何もかもが真っ白な空間で。
それこそ、ちらつく影を探ろうなどとも気にせずに、そこに在ればいい。
そして、また始まる。
何か自分の体に注ぎ込まれるような感じ。
空っぽの器に、何かが満たされていく。
気分は、悪くない。むしろ、それは気持ちが良いものだ。
しかし、感情は不思議とそれに反発する。己の深層部から訴えかける何か。
それは嫌悪感として。心は無論、体にも訴えかけてくる。
その矛盾は、そしてこの世界は、……なんなのだろう。
とりあえず、奇妙ということだった。
耳元で、何かが鳴っている―――
* * *
「アキト!」
不意とも言うべきではない、その声に促されるよう、アキトは目を覚ます。
目の前には、愛くるしい――長い付き合いの彼女がいた。
「………後、10分」
そう言って、布団を被り直す。
「駄目」
否定の声は、非情にもこう告げる。
「だって、すっごく良い天気だもん」
開けられるカーテン。
さし込む光は覚醒を訴えかけるようにアキトの閉じられた瞼に光を通す。
良い天気だからといって、何故起きなくてはならないのか。
布団を被り直して、その光を遮ろうとする。
「ねぇ、アキト。アキトってば」
声は、覚醒を訴えかける。
だが、アキトはこの気持ち良いまどろみに身を委ねようとする。
「ねぇ、起きて……あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。
あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。
あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あきと。あき……」
「ああ〜〜! うるさ〜い!!」
叫び、
「ねぇ、ほら。すっごく良い天気だよ」
そう言って満面に微笑む彼女を見、そして自分の意識が限りなく覚醒していると実感し、ため息をついた。
……そんな朝。
* * *
―――耳鳴りがする。
ふと気がつけば、自分を囲むかのように影法師がちらついている。
何度この夢を見るのだろうか。
今ではすぐに、ああ。これはいつもの夢だと感じられるのだが、現実世界でこれを思い出すことはない。
ただ、奇妙な夢を見たなぁ等と感じられるだけだ。
もっとも、夢とはそういうものではあるが。
時間が、永遠に止まったような世界。
白く塗りつぶされた世界に、ただ影だけがちらついている。
相変わらずの浮遊感。
何かの話し声。
しかし、それは曖昧かつ茫洋としたもので、言葉の意味を汲み取ることはできなかった。
ざわりと、皮膚に何かが触れる感触。
しかし、目を開けたところで近くには何もない。遠巻きに、ただ黒い影が蠢いているだけだ。
もっとも、不快ではない。不快であったのならこれは悪夢だが、そうとも言い切れぬ所が何とも。
奇妙な夢だ―――と、思った。
耳元で、何かが鳴っている。
* * *
〜〜〜♪
まどろみにその音が響く。しっとりしたチャルメラの音だ。
「いらっしゃいませ」
その声にアキトは、はっと覚醒する。
疲れがたまっているのか、うつらうつらしていたようだった。
「ねぎラーメン一つ」
そんなやり取りを交わし、アキトは流れるような動作で、何度も染み付いた一連の動作を繰り出す。
「へい、御待ち」
そんな事を何度も繰り返し、そして日銭を稼ぎ、そしていつもの静寂が訪れる。
「なんか……いいね」
そう言って、静かなため息をつきながら、ユリカがそっとアキトの体へと寄りかかる。
「ゆ……ゆりか?」
「なぁに? アキト」
そんなゆったりとした世界。
耳鳴りがする。
彼女は確かに、そばにいた。
* * *
浮遊した体。
何もない空間へと浮かんでいるそんな感触。
周りには何もない。
影法師がちらついて見えるだけだ。
身動きはとれない。しかし、だからといって苦痛ではない。
ああ……だが、何故かひどい違和感。
まるで、この世界が崩壊してしまうかのようなそんな感じ。
何故かと聞かれれば答えることはできないが、それでも崩壊していくような印象を受けるのはどうしてだろう?
「・・・・・・・・・・・・」
何か、いつもと違う感触。揺さぶられているかのようなそんな感じ。
だが、何に?
目を開ければいつもの通り、遠巻きに影があるだけ。目の前にはほら、何もない。
だが、それは次第にリアルな感触となり、次第にその真っ白な世界が黒に染められていく。
これは――これは――これは――これは――これは――何だ?
目の前に、何かもやっとした黒い何か。
それが、体を揺さぶっているのだ。
耳鳴りがする。
耳が痛い。
黒いもやは次第に形を整えていく。
―――やめろ。
ひどい嫌悪感。何もかもが、失われてしまうようなひどい危惧感。
声が、ざわざわした声が、ゆっくりと形を持っていく。
「・・・・・・ろ・・・ワ」
と、声は言う。
「・・し・・・ろ・・・・テ・・・」
何か重要な、それでいて聞いてはいけない一言を。
「しっかりしろ! テンカワ!!」
俺は聞いた。
* * *
俺は、その世界で確かに抱いていた。
ここにいる彼女を抱いていた。
そして、気づいてしまった。
そこにいるものの存在を。
それは静かに近づいてきた。
編み笠マントをかぶった男達が、静かに歩いてくる。
俺は彼女を放し、そして対峙する。
彼らは何も言わなかった。
男の一人が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
そして、そのまま何事もなく、流れるかのような動作で。ただ、重い衝撃が。
あの時と同じように。
そして、ゆっくりと世界が遠ざかっていく。
時間にすれば、それは永遠か。それとも一瞬か。
だがしかし、その目の前の白衣の男は静かに微笑みながら、俺を見つめた。
「 ! !?」
何かを、俺は叫んだ。
男は何も答えず、俺を一瞥し、そして傍らの男たちと談笑する。
激昂。
飛び掛ろうとする刹那、そこにあの男が立ちはだかった。
矛先はその男へと向かう。
怒りがふくれあがる。
だが逆に一撃を食らい、俺はそのまま力が抜けていく気分を味わった。
しかし、怒りだけは暴走し、何もかもがメチャクチャになっていくような錯覚を覚える。
怒りは純粋な破壊と、殺意だ。
殺してやる――殺してやる――殺してやる――殺してやる――殺してやる――殺してや――
!……ぁ
頭を叩きつけられ、世界が歪む。
「……乱暴だなぁ。少しは丁寧に扱ってくれよ。彼は、大切な――――」
世界が、ユックリ崩壊していく。
「実験の協力者なんだから」
* * *
「――わかるか?テンカ」
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
* * *
その時のことを。俺は、良く覚えていない。
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後書き
夢はいつか覚めるものなのかもしれませんが、夢に浸っていたいというような時もあるのではないでしょうか?
そんな事を想いながら、ふとこんな話を書いてみました。
代理人の感想
んー、状況が分かりにくいですねぇ。
「火星の後継者のラボから月臣たちに助け出された後、ネルガルの病院で目が覚めるまで夢を見ていたアキト」なのでしょうが、ちょっと読者への説明が不親切。
それが祟って落ちにも力がありません。
後構成も、「聞いてはいけない一言を聞いた」の後にさらに夢の中というか記憶のシーンを(記憶と明示せずに)入れているのでだるく感じます。
もうちょっと練ったほうが良かったですね。