悠久を奏でる地にて・・・
第26話『満月―――――森の申し子―――――』
―――――十二月十三日―――――
エンフィールドの街が赤く染まり、そして徐々に夜の帳に覆われてゆく……
街の住民は安らぎの我が家へと戻り、今日一日の疲れを癒す……
例外は、夜になると開店する特殊な店なのだが、
このエンフィールドに夜の店は、盗賊ギルドが経営する小さなカジノぐらいしかない。
しかし・・・この日だけは、夜に営業する店はカジノだけではなく、もう一つあった。
今、その店から二人の若者が外に出た。
その店の名前は『ジョート・ショップ』……二人の若者とは、アキトとアレフであった。
「まったく。俺だけ今日の昼間は休みだって言うから何かと思ったら…こういうことかよ」
「すまないな、アレフ。夜の仕事にシーラちゃん達を付き合わせるわけには行かないから」
「ま、そりゃそうだ」
肩をすくめてアキトの言葉に同意するアレフ。
夜中に女性達に出歩かせるわけにもいかないし、何より、睡眠不足は美容の天敵なのだ。
もっとも、アキトが頼めば二つ返事で引き受けそうなものだが、アキトもそこまで考えなしではない。
そして、もう一人の相方にアレフを選んだことについても、ちゃんと考えてのことだった。
『基本的に夜行性』だとか、『仲間内唯一の成人男子』である。とかであったが……
「で?一体、夜中にしなけりゃならない依頼ってなんなんだよ」
「アレフも噂に聞いたこと無いか?満月の夜に現れる、金色の狼について」
「ああ。なんでも、満月の夜になると現れる、金色の体毛をもつ狼だろ?
俺も何度か遠吠えだけなら聞いたことがあるぜ。見たことはねぇけどな」
「今日はその狼に会いに行く」
「本気か!なんだってそんな事を……噂の確かめか?」
「そんな下らない事じゃないよ」
「確かに。そんな事しそうなのは、好奇心旺盛なピートぐらいだな」
仲間であるピートは好奇心旺盛で、少しでも不思議なことがあればすぐに確かめようとし、
洞窟や迷宮が見つかったと聞けば、すぐに探検に行こうとするのだ。
その度に、アキトは助けに行ったりして迷惑をかけられているのだが、不思議と憎めない愛嬌がある少年だった。
そんなピートである。満月の夜に出る金色の狼の噂を聞けば、一人でつっぱしってでも探しに行きかねない。
そう考えたアレフなのだが、
「半年前の満月の時、ピートと一緒に探しに行ったよ」
「なに?すでに行っていたのか!?」
「ああ。その時に確認した。確かに、金色の体毛をした狼だったよ」
徐々に上空へと昇っている満月を見ながらそう言うアキト。
しかし、その顔は何かに悩んでいるような、少し辛そうな顔だった。
「……で? その狼をお前は一体どうしたいんだ?」
「―――――!!」
アレフの言葉に少々驚いた顔をするアキト。
『お前は』という言葉がこの仕事、いや、夜の行動がアキトの私用だな?と言っていることに気がついたからだ。
「おいおい、お前とのつき合いも、もう一年近くになるんだぜ?それぐらいはわかるって」
「……そうだな。もうそんなになるんだよな」
「だから、隠さずになんでも言えって」
「最近、街にいくつかの噂が流れている。ちまたを騒がす金色の狼は人狼だってな」
「人狼だぁ?ってアレだろ?満月を見ると人間が凶暴な狼になるってやつ。
確か、奴等の本性は戦闘狂で、戦争時に人間相手に大暴れして、
それを危険に思った一つの国が、人狼全てを殲滅したって聞いたぜ?」
「その事は俺もトリーシャちゃんから聞いた。
それ以降、人狼が人の前に現れたことがないため、絶滅したと言われているらしいな。
しかし、その生き残りがこの街に現れたとすればどうなる?」
「大変だな。人狼の戦闘力は半端じゃないって話だからな。
リカルドが率いる自警団や武器が充実している公安ならいざ知らず、街の一般市民なんか、ひとたまりもねぇぞ」
「そうだな。俺やアレフ達みたいな例外もあるが、ほとんどがそうだろうな」
「じゃぁ、俺達はその人狼が被害を出す前に捕まえるか倒すかしたら良いんだな!」
腰に下げてある刀を握りしめつつ、武者震いするアレフ!
その闘志に反応してか、刀の柄に填め込まれている紅玉が仄かに光る!
―――――っと、いきり立ったアレフだが、何かを思いついたのか、首を傾げた。
「アレ?それだと変だな。そんなに凶暴なら、今までアキトが放っておくはずないし…」
可能性としては、アキト一人では敵わない……ということだが、その考えはすぐに否定した。
それなら、自分一人に頼むことなく、仲間全員揃えた方が勝率が上がる。
そもそも、それほどの相手だと、仲間内全員よりも、リカルドや司狼に助けを頼むだろう。
もっとも、アキトが敵わない相手がそうそういるとは思えない。
なにせ、最強の生物と言われる竜に単独で勝つ男なのだから。
となると……
アレフがそこまで考えたとき、脳裏に一つの仮定が閃いた。
「秘密裏の行動に、いざというときそれなりに闘える戦力。そして、お前の人狼へのその態度!
もしかして、助けたいのは街の住民じゃなくて、人狼の方なのか?」
「ああ、その通りだ。訳あって、俺はその人狼を助けたい」
アレフの言葉を肯定するアキト。
常識とは正反対の答えに一瞬呆然としたアレフだが、フッと一笑すると、
「そっか。んじゃ、さっさと行こうぜ。もうすぐ月がでてくる時間だしな」
「理由も聞かないで、俺に協力して良いのか?」
「珍しくアキトが頼んでるんだ。大抵のことならなんでもやってやるよ。
それに、アキトの言うことだ。理由もなくそんな事を言うはずねぇしな」
「……ありがとう、アレフ。後で必ず理由を話す」
「ああ。それよりも、時間は大丈夫なのか?」
すでに顔の半分以上を見せている丸い月を見ながら忠告するアレフ。
その言葉に、アキトは静かに一回頷いた。
「まだ大丈夫だ。が、あいつらよりも先に行く必要がある。急ごう」
そう言って走り出すアキト。
アレフは慌てて走り出し、追い付くと、アキトに疑問をぶつける。
「ところで、あいつらって誰だ?」
「公安と自警団だ。住民の脅威となりかねない人狼を狩るつもりなんだろうな」
「よりにもよって二つ共かよ。けどよ、公安は面倒くさがって出動しねぇんじゃねぇのか?」
「いや、ヴァネッサさんから直接聞いた話だ。今夜、絶対動くらしい。
俺達に仕事を奪われ、モンスターの駆除は自警団が主でやっているからな。
更に、この前の竜退治だ。この街での公安の支持率は下がる一方らしい。だから……」
「ここいらで名誉挽回しておかないと、肩身が狭いってか?
面の皮が分厚いあいつらでも気にするんだな。今さらって言う気もするがな」
きついことを平然と言うアレフに、アキトは苦笑を返すしかなかった。
実際、公安がこの街に設置されてから約一年と半……最初の二、三ヶ月はよかった。
料金は無料。国の厳しい資格試験を突破した選りすぐりのエリート部隊。
聞いただけなら、自警団やジョートショップに頼むよりも確実で、丁寧に思える。
しかし、事実はプライドだけが高く、この街の住民を平気で田舎者と言う者達ばかり。
おまけに仕事は遅く、汚れ仕事…街の清掃などには一切手を貸そうとしない。
それが発覚して以来、徐々に依頼は減り、今ではほとんど依頼はない。
その代わり、ジョートショップの依頼件数はどんどん増えていた。
それも、アキトを初めとする働き手が、親切丁寧に仕事をしているからだ。
日々の積み重ねが、今になって如実に現れているのだ。
「しかし、お前どうやってヴァネッサに聞いたんだ?一応、彼女も公安だろうに」
「この前、さくら亭でアルバイトしていたら酒を飲んでてな、思いっきり愚痴られた」
「そうか…大変だな。色々と……」
その言葉はアキトに向けてなのか、それと、ヴァネッサに向けてなのかは、アレフ自身にしかわからない。
どちらにも……という可能性も高いが。
「それじゃ、今回の相手は公安と自警団か。どっちも厄介だな」
「ああ。公安はともかく、自警団は間違いなく第一部隊…リカルドさんの部隊が出動するはずだからな」
「確かに、あのおっさんも厄介だが…この状況だ、俺には銃を持った公安の方が厄介なんだよ」
通常、『剣と銃』では圧倒的に銃の方が有利である。
それは、人の扱う武器の歴史を見ても明確に記されている。はっきり言って比べる以前の問題だ。
それを覆せるのは、極々一部の尋常ならざる実力者達のみ。
無論、アレフは自他共に認める極々平凡な『常人レベル』の実力者だった。
「自警団の方は、リカルドさんに頼み込んで出動を遅らせてもらっている。
二つを相手にするという事態にはならないと思うが、最悪な場合、アレフに頑張ってもらうしかないな」
「おいおい!お前はどうするんだよ!」
「さっきも行っただろ、最悪の場合だって。その時には俺は人狼が街に来ないように相手をしなくちゃならない。
もっとも、それは最悪に最悪が重なった場合だけどな。用心には用心を重ねたいんだ」
「ただの心配のしすぎだろ?」
「だったら良いんだけど……嫌な予感がする。自慢じゃないが、嫌な予感が外れたことはないんだ」
「自慢しないでくれよ。頼むから……」
「俺だってしたくないさ。でも、最悪な場合は頼む。まともに相手をしなくても良い。時間稼ぎだと思ってくれ」
「そうは言うがよ…」
「今のアレフなら大丈夫だって。この一ヶ月、みっちりソレの練習をしてきたんだろ?」
アキトはアレフの腰に下げてある刀…元・神刀『朱雀』を指差した。
一ヶ月前、アレフとクレアの武器に、宿っていた神の力の残滓があることを知ったアキトが、
共に試行錯誤しながら、その扱い方をみっちりと練習させたのだ。
その甲斐あって、力の制御と二、三個の独自の技を編み出すまでにいたったのだが……
「正直、扱いきれているのかどうかわからねぇんだけどな」
「もっと自信を持ってもいいよ」
「………わかった。けど、期待はずれでも文句を言うなよ?」
「ああ。そんな事にはならないと思うけどな」
「煽てたってなんにもねぇぞ」
「俺の正直な意見だよ」
アキトの言葉に、まいったな……と呟きながら頭を掻くアレフ。
しかし、表情はまんざらでも無さそうだ。何だかんだといっても、アキトに認められて嬉しいのだろう。
それから二人は、口数少なくエンフィールドの北にある『生誕の森』へと向かった。
そして一時間後。
誰よりも先に到着したアキト達は、森の入り口付近に気配を消して隠れていた。
「かなり月も上ったな。そろそろか?」
「ああ、そろそろ彼奴が現れる頃合いだ」
アレフは満月を、アキトは森の奥を見ながら呟いた。
その間にも、満月は少しずつ中天に向かっている。
(―――――の氣を感じる。いつも通り、森の中だけで遊んでくれれば……)
そこまで考えたとき、アキトの張った氣の結界に、大勢の人間が侵入してきた事に気がついた。
氣の大きさ、数からしてその一団が公安維持局だと判断する。
「アレフ、公安が来た」
「なに!?………あれか!」
自分達のいる方向に向かってくる光に目を向けるアレフ。その数ざっと十個ほど。
しかし、アキトの感じた氣の数は二十。半分ほど光をもたずに行動しているらしい。
「どうする?」
「とりあえず、森の中に入らないように警告しよう」
「それで駄目だったら?」
「叩きのめす。先に手を出させてな」
「そう簡単に事が運ぶのか?」
「簡単にいくさ。なにせ、あの三人がいるからな」
一団の真ん中にいるパメラ、ボル、ギャランの三人を見ながら、確信をもって言うアキト。
その意見には、アレフも大いに同感だった。
二人は顔を見合わせて頷くと、公安の連中の前に立ちはだかった。
いきなり立ちふさがった二人に存在に驚いたのか、慌てて光を向ける公安!
残りの十人はそんなアキト達に向かって、背負っていた銃を向ける!
(小銃じゃなくて大型銃か。間違いなく、人狼相手の装備だな)
向けられる銃口をものともせず、逆に銃を分析するアキト。
その実、飛び出す前から、何時でも対応できるように氣を練り上げ、周囲の氣と同調させ始めている。
「いきなり何の用?危うく間違って撃ち殺してしまうところだったわよ」
急に現れたときにはオロオロしていたのに、
出てきたのがアキトとアレフだということを知った途端、強気な発言をするパメラ。
その横には、ボルとギャランもいる。
この三人を中心に隊列を組んでいることから、この一団の指揮を任されてのだろうと、予想がつく。
「いやはや、いきなり出てくると危ないな。この銃の引き金は軽いのだよ」
「その通り。篭められているのは今回の獲物に対しての特殊弾だが、人も簡単に撃ち殺してしまうからね」
口では危ないと言っているが、その顔は、撃ってしまえばよかった!と言わんばかりに歪んでいた。
そんな三人の態度に、アレフはチッと舌打ちし、アキトは軽く溜め息を吐いただけだった。
「その特殊な弾って言うのは『銀』の弾か?」
「その通りだ。それも、君達のような貧乏人は一生持つことのない、稀少の銀『破邪銀』のね」
胸を張って誇らしげに、正確には偉そうにそう言うギャラン。
自分で買ったわけでも、用意したわけでもないのに偉そうな態度は滑稽と言える。
それでも、ギャランが有頂天になるのも仕方がないのかもしれない。
銀といえば、古来より魔に対する武器に使用されるもっとも有名な金属の一つ。
一撃必殺ほどの効果は望めないが、純度が高ければ吸血鬼クラスの大物でも手傷を負わせることが出来る。
だが、銀の中でも更に稀少の銀『破邪銀』は違う。
その名の通り、破邪の銀・・・邪悪なる存在に強力なダメージを負わすことが出来るのだ。
それこそ、吸血鬼でも急所に当たれば、弾丸のような小さな傷で一撃必殺になるほどに。
それほどの力を秘めているだけあって、その価格は同量の金の十数倍……下手をすれば数十倍。
しかし、それ以上の効果のある代物となると、『オリハルコン』等のもはや伝説級のものしかない。
故に、『破邪銀』は一般に出回っている中で、もっとも最高級の対魔用の金属といえる。
「その上、弾丸に対魔用の魔術刻印を刻んであるからな! これで邪悪な存在は一撃だ!!」
「しかし、中身を知っているということは、我らの目的も知っているのだな」
「ああ。その事について頼みがある。出来れば、このまま帰ってくれないか?」
「一体何の話かと思えば…くだらないわね」
ハンッと鼻で笑いながら、アキトを馬鹿にしたような目で見るパメラ。
両隣にいる二人など、相手にするのも馬鹿馬鹿しい。という表情になっていた。
「貴様は自分が言っている意味を理解しているのか?
貴様は『危険極まりない人狼を野放しにしろ』といっているのだぞ」
「……そうは言っていない」
「言っているのも同じだ!それに、我々は危険なことから一般市民を守ってやらねばならないのだ。
この、類い希な才能を天から授かった者の責務としてな!」
「よく言うぜ……」
公安の事情を知っているアレフにとって、公安の言葉は酷く薄っぺらいものにしか聞こえない。
むしろ、住民どころか自分達の立場を守るための言葉に、半ば怒りを通り越して呆れ果ててさえいた。
「この森に人狼が現れて半年近くになるが、今まで一度も街に入ってきたことはない。
更に、人狼が街に対して何らかの被害を出したことはない。
あっても、せいぜい遠吠えによる騒音ぐらいだが、
はっきり言って、これは街中で吠える野良犬の方が大きく響いているから、迷惑と言うほどでもない。
人狼はただ、森の中で駆け回ったりして遊んでいるだけなんだ」
「だから何?今までそうだったからって、これからもそうだとは限らないでしょう?
何かのきっかけで街に入り、住民に襲いかかるかもしれないわよ?
それとも、貴方は被害が起きるまでは手を出すなって言うのかしら?
酷い人ね。街の住民よりも、危険な人狼を庇うなんて……」
「……………」
軽く歯を食いしばりながら黙って話を聞くアキト。なにも言い返せないのだ。
今回、事情はどうあれ、世間一般の目から見れば正しいのは公安なのだ。
逆に、アキトのとっている行動は街を危険にさらす行為。街の住民から非難されても可笑しくない。
パメラ達は、いつもとは逆に、やりこめられるアキトを見て愉悦にひたりながら、更に口を開いた。
「そうだったわね、あなたはよそ者だったわね。だったら街の住民なんて、どうでもいいと思っているんでしょ?」
「そんな事は「巫山戯たこと言ってんじゃねぇぞ!!」
アキトが否定の言葉を、横から響いた怒声が遮る!
皆の視線がそちらを向くと、そこには、刀の切っ先を公安に向けているアレフの姿があった。
「アキトはな、この街に住んでいるみんなと同じに、いや、それ以上にこの街を大切に思ってるんだ!
それは俺だけじゃない、アキトと関わりを持った奴等全員の思いだ!
街の安全云々よりも、自分の保身を第一に考えるお前達と一緒にするんじゃねぇ!!」
「アレフ……」
公安相手にはっきりと言いきるアレフに、心の中で感謝するアキト。
―――――その時!
『ウオォォォーーーーン』
犬……否、狼の遠吠えが、周囲に響き渡った!!
北の森に、それも街の近くに生息する狼はいない。となると、答えは一つ!
「人狼が出たわ!第2班は照明の準備を!!第1班は狙撃の準備を早く!!」
「待て!人狼は―――――」
「出ました!人狼です!!」
隊員の一人が悲鳴混じりの声を張り上げる!
その視線の先には、十数メートルもある木よりも高く跳躍する人の形をした何かがいた!
「第2班!明かりだ!!」
ボルの合図に、後方にいた十人が魔術を使い、夜空に向かって光球を放つ!
放たれた十個の光球は、ある一定の高さまで上がると閃光を放ち、周囲を明るく照らした!
真昼とまではいかないが、それに近いほど明るくなり、周囲の光景がはっきりと見える!
「人狼だ!」
「本当に人狼がいたぞ!!」
一本の木の上に目を向ける公安の隊員達!!
そこには、人と狼の特徴を持つ種族―――――人狼と呼ばれる存在がいた。
魔術の光に照らされ、反射している金色の体毛。
頭部から、背後に生えている、炎のように赤い鬣。
そして何より、生命力あふれんばかりの凄まじいばかりの生命の気配!
アレフは恐ろしいと思う前に、この獣の王が持つ誇り高き姿に、独特の美しさを感じていた。
その人狼だが、暗さに慣れた目で光を直接見たのだろう、右手で目の辺りを押さえていた。
「チャンスよ! しっかりと狙いなさい!!」
パメラの命令に、初めて人狼を見て驚いていた公安の面々は正気を取り戻し、大銃を構える。
そして、弾を装填し、今だ木の上にいる人狼に照準を合わせた!
「構え!撃「させるか!!」
アキトが大地に右の掌を叩きつけるのと同時に、公安の足元の大地から発生した衝撃波が、
大銃を上へとはね上げて照準をずらす!!
その甲斐あってか、放たれた弾丸は狙いを大きくそれ、はるか上空へと飛んでいった。
「貴様!何を―――――」
先程の衝撃がアキトの仕業だと考えたギャランは、文句を言おうとして動きを止めた!
パメラとボルも同様、その場に凍りついたように動きを止めていた。
公安の半数も動きを止めていたが、残り半分は全身に鳥肌を立てて震えている!
『グルルルルルル………』
辺りに響く低い唸り声。
それと共に放たれる野生の獣特有の殺気と怒気。
人狼の放つ『氣』に、人の本能が死を連想させ、身体を完全に竦ませているのだ!
先程の発砲と向けられていた殺気に、人狼が怒ったのだろう。
人狼は木のてっぺんから人間達を睨むと、一旦跳躍し、上空から襲いかかる!
「に、逃げろ!!」
誰が言った言葉かは解らないが、その一言を皮切りに、公安は蜘蛛の子を散らしたように逃げはじめる!
だが、もう遅い。
人狼の並外れたスピードの前には、常人の人間では止まっているのも同然。
振りかぶった右の拳が、公安の一人に向かって振るわれる!
公安職員は、襲いかかるであろう衝撃と死に恐怖し、悲鳴をあげながら目を瞑った!
「う、うわぁぁーーーー!!」
ガシッ!!
「―――――へっ?」
いつまで経ってもこない衝撃の代わりに聞こえた重々しい音に、
公安職員は恐る恐る目を開けてみると、そこには、人狼の拳を受け止めたアキトの姿があった。
『ガァァッ!!』
自分の拳を受け止められたことが気にくわなかったのか、反対の左拳を繰り出す人狼。
アキトは舌打ちしながら、その攻撃を右手で受け止めた。
思わずも、力比べをする体勢になる人狼とアキト。
それを知ってか知らずか、人狼は力押しでアキトを押さえ込もうとする!
そして、アキトもまた氣によって身体能力を向上させて抵抗する!
「あ、あんた……」
「早く下がれ!」
「あ、ありがとう!」
アキトに礼を言いながら逃げる公安職員。
当のアキトと言えば、返事をするどころではなく、人狼との力比べに集中していた。
(なんて力だ! 《氣》だけじゃ負ける!)
人狼の体格は、アキトのおよそ二回りから三回りほど。
だが、人狼の筋力は見た目以上の力を有するらしい。徐々にアキトは押さえこまれている!
『グルルルル………ガァッ!!』
「クッ!!」
更に増す圧力に、アキトは必死に押し返そうとする!
その身体からは、薄い蒼銀の光がこもれ出し始めていた。
力を引き出そうとしたあまり、半ば無意識で昂気を使いはじめているのだろう。
つまり、人狼はそれほどの相手なのだ。
「今よ! あの男もろとも、人狼を撃ちなさい!!」
パメラの言葉にギョッとする公安の面々!
いくらなんでも、他種族である人狼だけならまだしも、同じ人間であるアキトまで撃て!
―――――と命令されれば、常識のある者なら躊躇するだろう。
銃を持った職員―――――先程アキトに助けられた者―――――は、絶句しながらも、命令を拒否する。
「パ、パメラさん! それは!!」
「いいから撃ちなさい! あれは貴い犠牲、気にすることはないわ!」
「し、しかし!」
「ええい、銃を貸しなさい! ボル、ギャラン!」
「わかっている!」
「銃は得意です、一発で仕留めますよ」
三人は近くにいる者から銃を奪うと、人狼とアキトめがけて構えた!
パメラ達の位置からは、人狼とアキトは重なっており、とてもじゃないが人狼だけを狙うのは難しい。
それを解っていてなお、パメラ達はその場から動くことなく、狙いを定めている!
三人は引き金に指をかけ、一気に―――――
「させるかよ!!」
引こうとした瞬間、横からの声と共に衝撃波が襲いかかり、三人を吹き飛ばした!
その衝撃は熱を含んでいたのか、吹き飛ばされた三人の身体の所々から黒い煙が立ち上っている。
「手前ら!あんまり巫山戯たことやってると、塵も残さず燃やすぞ!」
その衝撃波が飛んできた方向…炎を纏わせた刀を構えたアレフが、パメラ達に向かって怒鳴る。
先程の熱を含んだ衝撃波は、刀の力を使って発生させたのだろう。
アレフはそのまま疾走すると、三人に近づき、持っていた銃を真っ二つに斬り裂き、ただの鉄くずに変える。
「何をする貴様! せっかくのチャンスを!」
「やかましい!!」
相手がアレフだと知るや否や、ボルはすぐさま腰の剣を抜いて斬りかかろうする。
が、それよりも先に、アレフの刀の背がボルの頭を打ち据え、悶絶させる!
パメラとギャランは文句を言おうとしたが、アレフの怒気混じりの視線に沈黙した。
―――――その時!!
『ガアァァァアアアーーーッ!!』
人狼が咆哮を上げながら、一気にアキトを圧倒しようとしていた!
その底力は凄まじく、人狼の身体の筋肉が膨張し、凄まじいほどの闘気が発せられる。
その筋肉の膨張率は凄まじく、まるで体格が一回り大きくなったと錯覚させるほどだ。
人狼の凄まじい筋力からなされる圧力に耐えるアキト。
だが、先に耐えきれなくなったのはアキトの身体ではなく、足下の大地だった。
ピシッ!…ピシピシッ!
細かい亀裂と共に、アキトの足が大地にめりこみ始める!
「アキト!!」
「大丈夫…だっ!!」
アキトは力を抜いて力の拮抗を崩す!
まさか力を抜くとは思ってなかったのか、いきなりのことで体勢を崩す人狼!
その隙を逃さず、アキトは人狼を勢いよく蹴り飛ばした!!
人狼が飛ばされた先…森の中を見ながら、アレフは小走りにアキトに近づいた。
「倒したのか?」
「いや、不意をついて、蹴り飛ばしただけだ。
一緒に軽く氣も叩き込んだからな、多少の時間稼ぎにはなるはずだ」
その時になって、アキトは自分が薄いながらも、昂氣を身に纏っているのに気がついた。
同時に、遠巻きに自分を見ている公安職員一同にも……
いくらなんでも、あの巨躯の人狼と力勝負で引き分けたアキトの異常さに気がつかないはず無い。
もっとも、鍛えられた肉体をもつリカルドならば、精霊魔法による強化をすれば可能かもしれないが…
この状況下、異常な光景を見せられれば、そこまで考える思考能力があるかどうかは怪しい。
そもそも、公安の九割以上が、ジョートショップのアキトを批判的に見ているのだ。
そんな視線の中、アレフはアキトを真っ直ぐに見たまま、話しかける。
「ならどうする?出てくる度に、人狼を森の中に押し込むのか?」
「アレフ」
「そんな事やってたら埒が―――――って、急になんだよ?」
「アレフは…怖くないのか?」
「何がだ?」
「俺の力が……」
アキトは、アレフによく見えるようにと、自分の右手を目の高さまで持ち上げる。
その右手には、蒼銀の光……昂氣を纏ってる。
人間が光を放ち、異常なまでの力を発揮する。にわかには信じられない光景だ。
先程も述べたが、この世界は魔法があるため、強い拒絶感はないが、
魔法をよく知らない世間一般の人間であれば、強い力に恐れるか拒絶するか…だろう。
しかしアレフは、
「ああ、その事か。知ってた」
と、事も無げに言った。その言葉に、目を大きく広げるアキト!
まさか、皆が知っているとは夢にも思っていなかったのだ。
「どうして!?」
「そのどうしてってのは、知っていた事か? それともああいう風にならないことか?」
アレフは右手の親指で後ろ…遠巻きに見ている公安の面々…を指しつつ、逆に質問を返す。
「……両方頼む」
「そうか。んじゃあ、なんで俺が…というか『俺達』が…だな、知っていたのか?というとな、話は簡単だ。
一ヶ月ちょっと前の誘拐事件の後、トリーシャから聞いた。
あくまで、俺達が聞き出したんだ、トリーシャは悪くないからな。怒るなよ?」
「………」
「そもそも、あの事件の時、シャドウってやつ相手にあれだけの大立ち回りやっといて、
俺達が『お前の実力について』まったく知りたがらないって思ったのか?
それで、あの後、トリーシャの様子がおかしいから、みんなで聞きだしたってわけだ。
次に、なんでお前を怖がらないかって言うのはな………」
アレフはアキトに近づくと胸ぐらを掴んで引き寄せると、怒気の篭もった眼光で睨み付ける!
「俺達はな、お前を信頼してるんだよ! この程度のことで離れるわけねぇだろうが!!
それとも何か、お前は俺達をそんなに信用できないのか! それならそうと言え!」
「……すまない」
「一つ、勘違いするなよ。信用できないって言われたからって、俺達が離れると思うな。
信用が出来るまで、何度でも、何回でも努力するからな!
他の奴なんか気にするな。俺達はいつまでも仲間だ。それが、全員の気持ちだ」
アレフはそう言い終えると、言いたいことを言い切った……という表情で、アキトを放した。
「ありがとう、アレフ」
「ああ。だけど、俺だけじゃなくて、みんなにも言えよ」
「わかっている」
「ついでに、同じように怒られることも覚悟しとけよ」
「それは……困ったな」
他の仲間に怒られることを想像したアキトは、本当に困った顔をして頭を掻く。
そんなアキトの表情に、アレフは面白そうに笑う。
「まぁ、それは後の楽しみにおいておくとして」
「楽しみなのか?アレフ」
「とにかく、人狼はどうするつもりなんだ?」
「とりあえず……」
『ガアァァァアアーーーッ!!』
森から飛びだした人狼の繰り出す拳を片手で受け止めるアキト!
その身には、今まで以上に蒼銀の輝きを纏っていた!
「こいつの相手は俺がする。アレフは邪魔が入らないようにしてくれ」
アキトは人狼の拳を掴んだまま、再び蹴りを繰り出す!
人狼はその蹴りを空いていた片手でガードするが、勢いまで殺せず、再び弾き飛ばされた。
仲間に知られた以上、隠す必要はないと判断したのか、遠慮の欠片もなく全力使用している様子だ。
「頼んだぞ!」
「わかった!」
蒼銀の輝きを身に纏ったまま、人狼を追って森の中に突入するアキト。
その直後、金色の影と蒼銀の光の塊が上空へと飛び出し、木々よりも高みで幾度となくぶつかり合う!
そのスピードは尋常ではなく、そこそこ実力のあると自負していたアレフの目でも、
その姿を完全には捕捉できない程だった。
「なんつ〜速さだ」
目まぐるしく繰り広げる擬似的な空中戦を見ながら、我知れず呟くアレフ。
もし、明かりが魔術の光ではなく、太陽だったら、もう少しは見切れるか?と考えたが、すぐに否定した。
今、自分がアキトと人狼の影を視認できるのは、周囲が薄暗いからだ。
漆黒の背景に際立つ蒼銀の光と、魔術の明かりを反射する金色の毛並みがあるからこそ、
このスピードの戦闘でも、かろうじて動く様が見えるのだ……と、なんとなく解ったのだ。
「これ程…いや、これ以上なのか?アキトの実力は……」
アキトの見せる実力の一端に、思わず身体を震わせるアレフ。
それは恐怖からではなく、アキトという目標にしている男の高みを垣間見た、武者震いだったのかも知れない。
その時、背後から聞き覚えのある、そして、今は聞きたくなかった男の声が聞こえた。
(その2へ……)