序幕-The End Of The Future Vol:6

 

愛さないくらいなら、生きていないほうが宜しい。

ヘンリー・ドラモンド

 

 


 
機動戦艦 ナデシコ

MOONLIGHT MILE

 

序幕

The End Of The Future(6)


 

――]――

 

 

 機動兵器の個体防御火器として搭載されたレーザーの一閃、それで決着は着いていた。
 やや下向きに撃ち掃われた科学の焔がシノノメの両足を焼き払ったのだ。
 冗談の様に軽い音を立て、崩れ落ちる様に倒れるシノノメ。
 そしてアキトも又、力尽きた様に片膝をついていた。
 闘いの最中では心理戦の面からもダメージは何も無いかの様に振舞ってはいたアキトだが、肉体の損耗から来る虚脱感や疲労感と無縁である訳では無かったのだ。
 荒々しく肩で息をしながら、左太腿の傷を抑える。
 左太腿の傷は血管に深刻なダメージが及んでいなかったらしく、出血の勢いは衰えつつあった。
 そんなアキトの左頬に小さな刺激が走った。
 穏行モードに設定しておいた通信機が、着信を知らせて来たのだ。
 その刺激のパターンからイネスやエリナ、ラピスと云った設定済みの相手からの通信で無い事が判るが、それが誰であるのかアキトには回線を開くまでも無く判った。
 先程も繋げ、極めて状況を優位に進める為の実務的な会話をした相手。
 本来不可能な、外部からのブラックサレナHaの制御を行った相手。
 そもそも、強烈なジャミングの施されている現状で、それも閉鎖回路に無理矢理に割り込んできた相手。
 苦笑が洩れる。
 本来、この回線はユーチャリスとの専用回線なのだ。にも関わらず割り込んでこれると云うのは相手が持つ電子操作技術が並大抵では無い証拠だ。
 ならば1人しか居ない。
 否、他に誰が居ると云うのか。
 だからアキトはパイロットスーツ左手首のコントローラーを操って通信回線を開くと共に、その名を小さく呼んだ。

「ルリちゃん?」

 小さな呟き。
 それを、パイロットスーツの喉元に組み込まれた骨振動集音型のマイクが拾って相手に伝えた。
 反応は迅速の一言。即座にアキトの眼前にウィンドウが展開した。
 無論、そこにはホシノ・ルリの姿があった。

『お久しぶりですアキトさん』

 開口と同時に、ペコリと頭を下げるルリ。
 ルリらしい一見しただけでは無愛想にも見える、だが礼儀正しく可愛いと言ってよい仕草。
 そして頭を上げたルリは、じっとアキトを見る。
 特徴的な金色の瞳。
 そこに浮かんだ強い意志の光がアキトに、ルリの顔つきを大人びて見せていた。
 強い懐かしさを感じるアキト。
 アキトが正面からルリを見たのは本当に久方ぶりだったのだから。
 今回の<ネノクニ>殲滅戦のブリーフィングですらアキトは、様々な理屈を付けて出席せず、別の場所から、それも黒地に赤く“サウンド・オンリー”と表示したウィンドウ越しに参加にしていたのだ。
 アキトが咎人だからと云う訳では無い。
 行った行為自体にアキトは、苦悩はしても後悔の念を抱いては無い。
 更に法的に見ても、コロニー襲撃等に関しては解決済みであり、アキトが司法に追われている訳でも無い。
 胸を張ってとまでは言わないが、それでも十分に日の下を歩ける立場なのだアキトは。
 にも関わらずアキトは直通回線を開かなかったので、2人の視線が合う事など起きる筈も無かった。
 逃げていた。
 そう言うべきだろう。
 ユリカと同様にルリも又、アキトにとっては過去の象徴であったのだから。

 結局、アキトとルリが直接顔を逢わせたのは<火星の後継者>蜂起時の一度だけ、墓地にてルリ誘拐を図った<火星の後継者>の暗殺部隊と交戦した時以来だった。
 無言で見詰め合う2人。

沈黙

 様々な思いから、互いに只見詰め合い、なかなかに最初の一言を口に出せなかった。
 それを破ったのは、新しい着信――ラピスからの通信だった。

『アキト、傷が酷い。動かないで、今から治癒用ナノマシンを活性化させる』

 ルリのウィンドウに割り込む様に、出たラピスのウィンドウ。
 その様子は、何時もよりも慌てた風であった。
 そんなラピスにアキトは、傷はそれ程に深く無いのだがと訝しく思う反面、いや、ラピスは心配性だからなとも納得していた。

「ああすまないラピス。頼む」

 小さな、本当に小さな笑みと共に口を開いたアキト。
 それをラピスは、まるで世界で最高の宝物を貰った様に味わう。
 そして一言、口を開く。

『まかせて』

 アキトの体に走る光の線。
 それと共に頬と太腿の傷口がみるみるふさがっていく。
 無論、完治する訳では無いが、それでもアキトの状態は随分と良くなっていく。
 全てを委ね、目を閉じているアキト。
 そんなラピスとの絆を感じさせるアキトの姿に、ルリは己の内側に黒い焔が揺らめくのを感じた。
 嫉妬。
 それが独占欲から出た酷く幼い感情である事もルリは自覚してはいたが、それで全てが納得出来る訳では無かった。
 感情とは、そもそも理屈でねじ伏せられるものでは無いのだから。
 故にルリは、己が居たい場所、したい事をしているラピスの事がとても嫌いだった。
 今、アキトを支えている事を邪魔しようとは思わない。
 それはアキトの邪魔をする事と一緒だから。
 だからルリは我慢する。
 我慢して、合理的に割り込む機会を作る為に動く。
 具体的には、遺跡研究区画の完全な掌握に務め、そして研究区画をアキトが襲う原因となった単語、ユリカのコード“Sleeping Beauty”を調べたのだ。
 区画の掌握自体は簡単だった。
 只の管理用電算機など、ルリにとっては瞬きをする程度の時間で支配出来るのだから。
 だがその電算機の中にはユリカの事は勿論、遺跡の研究に関する詳細も保存されては居なかった。

『アキトさん』

 

 

 気がついたら倒れてた。
 天井が遠く感じる。
 畜生。
 最悪の気分だ。
 どれくらい最悪かってのは言葉にし辛れぇな。
 ああ、そうだ俺と同じ立場になりゃぁ判らねぇだろうな。
 脇腹を蹴飛ばされた痛みで目を開けてみりゃぁ、眼前に黒光りする大口径リボルバーの銃口を突きつけられるってのはなかなかに無ぇ経験だからな。
 畜生。

 

 銃口を揺らす事無くシノノメに向けたアキトがゆっくりと口を開いた。

「俺の声は聞こえるか?」

 確認。
 その声にシノノメは顎を小さく動かして応える。
 息が少し荒い。
 だが意識がはっきりとすると共に、身についた習性からか無意識にシノノメの視線は己の身の状況の確認に走る。
 もっとも、身に受けた衝撃の大きさから、その動きは鈍いものであった。
 シノノメは体の状態を把握、両足が膝から下が無い事を確認し、武器であった現代木連刀大魔刃が遠くへと捨てられているのを確認すると共に、1つ大きく溜息をついた。
 諦める様に、そして、まるで安堵する様に。
 溜息を痛み故にと誤解したアキトは、幾許かの憐憫を込めて口を開く。

「痛いか? 正直に答えれば慈悲をやっても良い」

 慈悲、それは口を割る事で痛みに苦しむ時間を減らしてやろうという事。
 その意味を間違える事無く理解したシノノメは内心、笑う。
 そんなものよりも時間が欲しいと。
 自分が仕掛けた罠、その口が閉じきる為の時間が。
 否。
 罠自体は既に発動している。
 発動させている。
 口が閉じる迄の時間も少ない。
 今、シノノメが慈悲を乞うても、大勢に影響は無い。
 影響は無いのだが、それでもアキトが罠に気付く時間が遅くなれば成るほど、罠に対処出来る時間は短くなるのだから考えるまでも無い。
 消し炭となって消えた両足の痛みが、慈悲と云う言葉をこれ以上無い程に甘美な響きに感じさせているが、その衝動に身を任せるには、今までに払った罠の代価が大きすぎた。
 シノノメは、自分の命令で命を捨てさせた部下達の事を忘れられる様な機会主義の徒では無かったのだから。
 だからシノノメは深呼吸をすると、自分から口を開いた。
 少しでも時間を稼ぐ為に。

「何が聞きたいテンカワ・アキト」

「1つだけだ。Sleeping Beautyに関してな」

「生体型遺跡制御システムか……見ての…通りだ」

 その言葉に、アキトは周囲を確認する。
 何も見えない。
 色々と機械的なものは見えるが、かつてアキトが幾つも襲った<火星の後継者>秘匿研究施設の様な生体――人間をどうこうとする様な設備を見つける事は出来ない。
 此処に在るのは全て機械的な開発向けの機材だと、研究機材に詳しくないアキトでも判った。
 もっともそれが罠、或いは隠蔽されているのか迄は流石に判らなかったが。

「安心しろ。此処にミスマル・ユリカが関わるものは無い………そこの魔女に調べさせれば判る筈だ。
 ここの研究内容の履歴をな………………」

 苦しげにせき込むシノノメ。
 その事は既にルリが調べた内容から判っていた。
 それでも念のため、確認をしたかったのだ。

「罠か」

「そうだよテンカワ・アキト、貴様を誘きだす為のな。プロファイリング通りの愛妻家だな………ははっ、簡単に引っ掛かっりやがった」

 愛妻家(・・・)
 その言葉にアキトは唇を自嘲に歪めた。
 本当の愛妻家ならこんな所には居ない。
 そんな言葉が喉元まで上ったが、実際に口を出たのは別の言葉だった。

「………随分と素直だな」

 それはアキトの正直な感想。
 此処まで幾つもの  それをシノノメは笑って応えた。
 もう必要が無いからだと。

「必要が無い?」

「そうさ………………もう必要が無いから、な……あぁテンカワ・アキト。貴様を此処に追い込めれば、俺の………俺達の勝利だ」

「何?」

 シノノメの唇が苦痛では無く嘲笑の笑みに満たされていた。
 呼吸自体は辛そうだが、それでも口元は笑っていた。
 どう云う事だ。
 その事をアキトが尋ねようとした時、それまで黙って聞いていたルリが声を上げた。
 危険です、と。

『大変ですアキトさん。この施設は自爆シークエンスを行ってます』

「自爆?」

『はい。衛星規模破壊級(AAグレード)レーザー水爆(ノー・ニュークリア・ボム)が研究区画に設置されています。最悪、要塞自体が爆砕します。急いで避難して下さい』

 声こそ荒げて居なかったが、日頃は常に冷静さを揺るがさないルリが、表情を強張らせていた。
 それだけでアキトは状況が逼迫しているのだと悟った。
 そんなアキトの視界の端でシノノメは愉しげに口を歪めていた。

 

 

 ウィンドウ越しに、ナデシコB艦橋の喧騒が聞こえてくる。
 ルリちゃんの連れてきた陸戦隊は、この要塞の深部まで侵出していた様だから大変なのだろう。
 攻撃よりも撤退が難しいと月臣も言っていたしな。
 だが上手くはやっているみたいだ。
 機動兵器が出現したらしい中央管制室他、幾つもの場所で撤退を行っているらしいが大きな被害を受けては居ないらしいから、陸戦隊の連中は相当に錬度が高いのだろう。
 だがそれでもルリちゃんは各部への指示他で忙殺されている。
 仕方が無いだろう。あの子はもう子供じゃない。社会的な責任を持った大人なのだから。
 まぁいい。
 それよりも俺は、俺のすべき事をしよう。

「ラピス」

 それまで回線を繋いだだけで黙っていたラピスの名を呼ぶ。
 ウィンドウ越しに、薄桃色の髪が揺れた。
 それだけであの子は行動するだろう。
 情報の収拾と分析。
 ルリちゃんの調べでは、<火星の後継者>が持つ秘匿基地はこれで最後だと言う。
 だが情報は幾ら収集しても損は無いのだ。
 念の為、俺は此処に残っていて、爆発が近づけばボゾンジャンプをすれば良い。
 そう言えば、疑問を思い出す。
 確かに衛星規模破壊弾となればその威力は尋常では無い。この衛星も含めて近在宙域は無茶苦茶になるだろう。
 だが、A級ボソンジャンパーの俺相手に有効な手段では無い。
 起爆までの時間がどれ程短かろうとも、ジャンプしてしまえば一瞬なのだから。
 その事は、俺たち被験者で散々実験を行ってきたこいつ等が判っていない筈は無い。
 にも関わらず、この様な罠を仕掛けて来た理由は何だ。
 女の余裕は何だ。
 判らない。

「………判らない。そんな顔をしているな、テンカワ・アキト。教えてやろうか、その理由を」

 俺の心を読んだように、女が口を開く。
 気に入らない。
 その余裕に満ちた口調が、表情が。
 そんな気分が表に出たのだろう。
 女は嘲るように、怖い顔をするなと前置きをする様に言った。

「タネは簡単だ………
 出来ないからさ、ここでボゾンジャンプはっ………な
 正確には、此処の連中がボゾンジャンプ研究の途中で、何を間違ったかその妨害手段を発見した………のさ
 はっはっ愉快だ………ろ? 
 詳しい原…理なんざ俺は知らんし、教えるつもり…は…無ぇぞ
 そこの白衣が知ってる筈だ…が、俺が……殺した
 資料もな………壊した………………
 流石の魔女も、壊れた電算機の記憶野から直ぐに………情報は……拾えまい?
 そして……もう…時間は……無い」

 息絶え絶えで、だが愉しそうに言ってくる。
 一緒に死ね、と。
 何とも熱烈なラブコールだ。
 入り口の隔壁が入った後に降りてきた理由も、サレナの足回りが狙われた訳はそこか。
 何とも考えているな。
 だが先ずは試してみよう、ハッタリの可能性もあるのだ。
 試す事は無駄じゃない。
 意識を集中。
 体の中を何かが走る感触。
 これだけはハッキリと判る、ボゾンジャンプに絡んだナノマシンの活性化現象。
 そしてジャンプ先をユーチャリスブリッジにイメージする――否、イメージ出来ない。
 ジャンプインの感触が身体に満ちない。
 そしてなによりジャンプ先のイメージが結べない、跳べない。
 体中に収束していた何かが拡散していく感触、ジャンプ失敗か。
 はっ、見事だよ<火星の後継者>め。
 褒めてやりたくなる。

「どうだ復讐鬼、愉快だろ?」

 女は死相の浮かんだ顔を歪めて愉しそうに笑うと、時間潰しに俺を抱くかなんて言ってくる。
 残り時間は20分程度、イって逝くのも乙だ等と抜かす。
 莫迦な話は別にして、奴は貴重な情報を口にした。
 爆発までの時間だ。
 20分。
 何とも短い時間だ。
 だがそれ故に自分の死が直ぐ隣にあるように思える。
 幾つか、脱出する案は考え付いたが、それをするには、少しばかり色々と足りない。
 避けられぬのだ、死が。
 それを思ったとき、体中から何かが抜け落ちていくのを感じた。
 今まで俺を駆り立てていた何か、衝動が、まるで憑き物が落ちたように抜けていく感触。
 頭が冷えていく。
 何も考えられないし、考えたくも無い。
 死が怖い訳じゃ無い。
 それは今更だ。
 それよりも、心が完全に空っぽになったんだなと思った。
 思えば惰性だったんだ、あの火星の極冠遺跡での決戦以降は。
 只死ななかっただけ。
 死ねなかっただけ。
 それを自覚したとき、俺は自分の四肢から力が抜け落ちていくのを感じた。
 座り込みたい。
 只漫然と、死ぬまでの時間を味わいたいとも思う。
 だがそれを選ぶわけにいかない。
 責任があるのだから。
 己の目的の為に巻き込んだ人々への責任、それを果たさずに享楽に耽って死ぬ事を俺は選ぶつりはない。
 ユーチャリスを、ラピスを呼ぶ。

『アキト』

 直ぐにウィンドウが寄ってくる。
 聞いていたのだろう、表情が硬い。
 悪いな、一緒に居てやる約束だったんだがな。

「状況は判っているなラピス? コード5だ。避難しろ。エリナやイネスに宜しくな」

『…………アキト…………嫌…嫌だアキト。帰ろう………一緒に帰ろうよ』

「出来るならそうしたい。だが、無理だ。俺を助けようとするな。お前が巻き込まれる」

『駄目、今、無人機で要塞攻略チームを組むから待ってて。絶対助けるから』

 気持ちは在り難いが、残り時間を考えれば無理だな。
 そもそも無人機はそんな柔軟な任務には向いていない。
 ラピスのフル制御で動かせばある程度はカバー出来るが、その場合にユーチャリスは<ネノクニ>の近宙域に留まらなければならない。
 <ネノクニ>の自爆に巻き込まれる恐れがある。
 だから駄目だ。

『危険なんて事関係ない。絶対大丈夫だからよアキト。それにエリナもイネスも待ってるんだから。帰らないと怒られるよアキト………………アキト一緒に帰ろう』

「そうだな、あの2人の雷は怖いな。だから――」

『そうだよアキト。だから一緒に帰ろうよアキト』

「――俺の代わりに謝っておいてくれ。有難う、と」

『アキト』

 泣いているラピス。
 こんな表情を見るのは初めてだ。
 昔は人形みたいに感情の起伏が乏しかったのにな。
 俺みたいな奴の側に居た割には素直に育ってるな、エリナやイネスのお陰か。
 あの2人に感謝をしよう。
 これなら、今からも大丈夫だ。
 そう思える。

「ラピス、今まで有難う。サヨウナラだ」

『嫌。アキト、嫌。大丈夫、今から助けに行くから………』

 すまんラピス。
 そんなに悲しそうな顔をするな。
 幸せに、な。

「駄目だラピス――ミネルバ」

 ラピスとの別れを惜しみたい気持ちはあるが、何時までもこうしては居られない。
 ミネルバ、ユーチャリスの主管制電算機を呼ぶ。
 その声に、新しいウィンドウが開いた。
 黒地に白抜きの梟を図式化した、ミネルバのウィンドウ。
 ウリバタケの影響で持った茶目っ気だろう、下に赤い【Character Only】の文字。
 ああオマエも今までご苦労だったな。

[はい、艦長]

 ミネルバ。
 これからもラピスを見てやっていてくれよ。

「指揮官テンカワ・アキトはラピス・ラズリを情緒不安定と判断。よって本時刻よりユーチャリスの艦制御権を、ミネルバに移管する。移管期間はユーチャリスが地球圏、ネルガル月面第三造船所(オオガミ−U)への帰還までとする。帰還後の指揮権は、エリナ・キンジョウ・ウォンに移管する。以上、復唱は不要だ」

[了解しました。艦制御権を継承、帰還します。目的地はオオガミU。さようなら艦長]

『駄目。ミネルバ、邪魔しないで。アキト、アキト私を捨てないで。お願い、お願い』

 慟哭の声。
 だが、最早別れねばならないのだ。
 俺の死は丁度良い機会だ。
 ラピスが、ラピス・ラズリと云う1人の独立した人間として生きていく為には。
 乗り越えてくれ。
 その一念を籠めて囁く。
 ありったけの、満腔の感謝を込めて。

「捨てる訳じゃ無い。そんな事は無い………ラピス。これから誰の為では無い、自分の為の、自分の人生を生きるんだ。
 それからミネルバ、お前にも感謝を、有難う。さらばだ、ラピスを頼むぞ」

[努力します艦長、貴方の魂に安らぎを]

 少しだけ洒落たミネルバの台詞、それで終わり。
 ラピスのウィンドウと一緒に、ミネルバのウィンドウが閉じた。
 安らぎか。
 今更、俺には必要では無いな。
 それよりは、こんな形で別れる事となったラピスにこそ、余程に必要だ。

『アキトさん』

 それ迄黙ってたルリちゃんが口を開いた。
 有難う、あの子との別れの時間を与えてくれて。
 そして御免よルリちゃん。
 もう一度君に、身内の死を味わせてしまう不甲斐ない元保護者を赦してくれ。

「聞いての通りだ、急いで撤退するんだ戦隊司令殿(・・・・・)

 出来る限り感情を込めず、最後にルリちゃんの役職を呼ぶ。
 今此処に居るのはテンカワ・アキトの義妹であるホシノ・ルリでは無く、第3特務戦隊司令の座を預かる連合宇宙軍少将待遇大佐のホシノ・ルリであり、その双肩には800名を超える将兵の生命が背負われて居るんだ。
 その事を自覚――思い出せば、責任感の強いルリちゃんが俺を救おうなんて無茶をする筈は無い。
 我ながら卑怯なやり方だとは思うが仕方が無い。
 案の定、ルリちゃんは火の噴きそうな目つきで睨んでくる。
 憎んでもいいよルリちゃん。
 それが君の生きる糧となるならば。

『既に戦隊には撤収命令を出しています。後5分でセラスチウムは離床出来ます。戦隊全艦の安全圏への退避は10分で完了する予定ですね』

「流石だねルリちゃん。じゃぁ此れで最後だね。ユリカにも宜しく言っておいてくれ」

『いえ別に。幕僚団(スタッフ・チーム)が優秀なだけです。それにユリカさんにも優秀な医療スタッフが付けられています。大分順調に回復してきていますからご心配なく』

「そうか。じゃぁサヨナラだな。ルリちゃんも元気でね」

『………1つだけ教えて下さい』

 その金色の眼には強い決意があった。
 何者にも侵せない、意思が。
 いつの間にか、大人になっていたんだな、何とは無しに思う。
 そうだ。
 俺のルリちゃんの保護者であった時間は、もう何年も前に終わってるんだ。
 そして今まで真正面から、ルリちゃんを見ては居なかった。
 馬鹿だな、俺も。
 だから何だって教えたくなった。
 元保護者としてでは無く、人生の僅かばかりの先立つとして。

「何でも、いいよ」

『どうして、どうして戻ってきてくれなかったんですか?』

 その事か。
 戻らなかった理由、か。
 人を殺したから、手が血で汚れたから何て言うつもりは無い。
 殺さねば殺されていたし、何より、そんな事を言ってしまえば軍人はどうなる。
 言葉で解決出来ない事が、言葉で解決しようとしない奴が居るんだ、現実に。
 馬鹿馬鹿しい。
 そうだな、最後だ。
 本音を言うべきなんだろうな。
 俺が抱えた虚無を、虚脱感を。
 今、俺が居る世界を。

 薄れた五感。
 薄闇に身を委ねた様な感覚。
 全てがぼんやりとした世界。
 何もかもが不確実な世界。

「それが全ての原因だったよ、ルリちゃん。
 何もかもが薄かったんだ。
 月臣に武術を学んだことも、エリナたちを抱いたことも。
 味も無かった。
 匂いも無かった。
 肌触りも無かった。
 一つとして確としたものが無かったよ。
 灰色の世界だ。
 痛みや快楽すらも薄く、無味乾燥で無彩色な世界。
 心がね、削られていくんだ。
 自分が其処に居る事すらも、時として不確実になっていくんだ。
 だが、そんな中で唯一戦いだけが、生と死とが隣り合わせの環境が緊張を恐怖を、そして快楽とを与えてくれたんだ。
 復讐に依存しているって、イネスには言われたよ。
 今更、それを否定する気は無い。
 否。
 ソレこそが、この不確実な世界で俺を支えていたんだ。
 彩を与えてくれたんだ」

 それは、復讐と云う名の甘美な――毒。
 一度味わえば、二度とそれを手放す事は出来なかった。

「或いは感覚が残っていたのなら、一目なりとユリカに逢いに行ったかもしれないな。
 抱きしめた身体を感じれたのなら、その声をしっかりと聞けたのなら。
 或いは感覚が残っていたのなら、形振り構わず草壁を殺しにいったかもしれないよ。
 命を奪う感触が感じれるのなら、命乞いの悲鳴と断末魔を聞けたのならば。
 だけどねルリちゃん、今の俺じゃその全てが薄く遠いものにしか見えないんだ。
 不確かな世界で何を感じれば良いのだろうかね。
 残ったのは虚無。
 何も無いからっぽさ………」

 ラピスが五感サポートをしてくれていたが、それでも違和感はあった。
 薄皮一枚を隔てる様な掻痒感。
 だから、その感覚に慣れると共に、サポートは断った。
 もっとも、それが出来たのは火星極冠遺跡での戦いが終わった後だったのは、苦笑するしかないが。

『アキトさん………』

 結局、ユリカの言っていた自分らしくって言葉のはどういう事なんだろうな。
 今更、疑問に感じる時がある。
 自分が自分として居たいのは判る。
 だがその為に他人に自分の意思を強要していいのか、判らない。

 王子様は居なくなり、残ったのは復讐鬼。
 それでもユリカは俺を望むかもしれないし、違うかもしれない。
 いや、そんな甘い事は無いか。
 アイツは何時も前を見ていた、現実が気に喰わなければ、その現実を変える事を考えた。
 ああそうか。
 俺は嫌なのか、今の自分を否定される事が(・・・・・・・・・・・・)
 今に到った経緯を、その戦いを、そして実験体として使い捨てにされた同胞を否定される事が。
 考えれば簡単な理屈だな。
 だがどんなに簡単な事でも、伝えねなければ判らない。
 だから言葉にする。

「人はね、変わるんだよルリちゃん。
 君が成長したように、俺も変質したんだ。
 もうユリカの求めた王子様には戻れない。
 戻りたくない。
 笑えないんだ、あの頃の様には。
 だから、ユリカの元へは帰れなかった。
 それが理由の全てだ」

 それが、テンカワ・アキトの意思。

「判って欲しいなんて言わない。
 此れは俺の我儘だだから。
 それは判ってる、判っているんだよ。
 だけどね、ああそうだ、これが今の自分らしく(・・・・・)なのかもしれないね」

 

 

 漸くアキトが口にした理由、自分らしくある為に。
 他者に押し付けられた自分では無く、本当に自分自身でありたいと云う気持ち。
 それはルリにとって絶対に否定出来ないものだった。
 否。
 否定したく無いと云うのが正解だろう。
 だがしかし、そう思うのであればその事をハッキリと教えてくれても良かったのにと思ったのも、ルリの正直な感想であった。
 個性の強すぎる夫人、義姉たるミスマル・ユリカから、自分を護るために逃げるのであれば、ある程度は判る。
 ルリとてユリカは好きであったが、同時にユリカと云う人間が人の話を都合よく捻じ曲げる達人だと言う認識を好嫌の感情とは別の所で持っているので、アキトの心情は良く判るのだ。
 だが理解は出来ても納得が出来る訳では無かった。
 否、絶対に納得するつもりなど無かった。

 幾許かの寂しさと共に見送った、アキトとユリカが新婚旅行で乗ったシャトルが爆発したときの衝撃を、痛みを、悲しさを思う。
 そして葬儀後の誰も居なくなった部屋で、2人の遺影を見上げた時の寂しさを思う。

絞音

 いつの間にかルリの拳は握り締められていた。
 沸々と湧き上がる感情、それは怒り。
 (ハラワタ)の煮えくり返る激情。
 会いに来難いのは判る。
 だが、だからと言って逢いに来た自分に絶対に会おうとはしないとはどういう事だ、と。
 ルリにとってアキトは、初恋の人だった。
 大切な人だった。
 傍に居て欲しかった。
 ずっとずっと一緒に居たかった。
 例え、どんな形であれ。
 或いは、逢えずとも生きている事さえ判っていれば良かった。
 生きてさえ居れば、何時かは逢えると思えるのだから。

 ルリは、人が変わると云う事を否定する積もりも無かった。
 人は環境と経験で変わっていくのだと思っていたので、ありのままを受け入れる、受け入れるべきと思っていた。
 アキトは変わらなくてもいいのだ。
 只生きていてくれさえすれば。
 そして、極稀にでも逢ってくれさえすれば。
 ルリが抱くのは、そんなささやかな想い。
 にも関わらずアキトは、大切な人は勝手に自己完結して終ろうとしている。
 終らせようとしている。
 そんな事、絶対に納得なんてしてやるもんかとの強い決意が、黄金色の瞳に浮かんでいた。

「アキトさんの気持ちは良く判りました。そういう理由では仕方ありませんね」

 聞いただけでは肯定の言葉。
 だが言葉は単語を区切る様に放たれ、そして恐ろしい程に語調は平坦だった。
 ハーリーやボルトマンが恐る恐ると云う風にルリを見ている。
 彼等は知っているのだ。
 こんな口調の時のルリが怒っている事を、それもとても激しく本気で怒っているとの事を。
 ルリが怒る事は滅多に無い。
 常に沈着冷静を旨とし、怒る事など殆ど皆無と言っても良いのだが、余りの理不尽、或いは暴力に対しては敢然と立ち向かい、毅然と怒るのだ。
 全身全霊全力で。
 怒ったルリは沈着冷静で合理的な判断の下、邪魔をするあらゆる障害を粉砕し、立ち塞がる者は誰であろうとも、又、その目的や理由が何であろうとも、万難を排して非道外道の手段を用いてでも完全に無力化した上で排除し、目的へと驀進してゆくのだ。
 それがホシノ・ルリ。
 口の悪い者達が殲滅特急(ジャガーノート)と呼ぶ、そんな激怒状態と成ったルリを止める事は誰にも出来ない。
 その事を最も良く知るのは、テロリストとしてアキトを刑事告訴しようとしていた地球連合統合検察機構の<火星の後継者>事件対策特務班の面々だろう。
 連続コロニー襲撃の主犯として挙げられていたテンカワ・アキトは、法律上の理由だけでは無く、政治的な理由からも、その死が求められていた。
 法律上の理由だけならば様々な措置を行う事で司法取引やら情状酌量による減刑を求める事も出来たが、地球連合の主導権を握る安全保障理事会、その非主流派である中韓仏らユーラシア連合が穏当な解決を困難にした。
 これは、連合宇宙軍にも強い影響力を持つ地球連合主流派の海洋国家共同体への嫌がらせや、その勢力減少、或いは<火星の後継者>へと共感を抱いていたと云う己の過去を糊塗しようと狙った事が原因だった。
 ルリや旧ナデシコに関係していた人間達、或いはネルガルグループによる積極的な働きかけは行われたが、その影響など微々たるものだった。
 そもそも、如何に地球連合主流派と言えども地球連合を専横できる程の力を持つ訳でもなく、更に言えば、主流派にとってテンカワ・アキト(テロリスト)は非主流派と真正面に喧嘩をしてまで護るべき存在では無かったのだから、テンカワ・アキトへの裁判――欠席裁判での死刑判決は必至の状態であった。
 それは大いなる理不尽。
 アキトが罪を犯した事は事実ではあったが、その背景を求める事無く、政治的な理由から極刑を求められる状況。
 故にルリは怒ったのだ。初めて、全身全霊全力で。
 己の居る状況、その全てに対して。
 己が行使できる全ての権限や能力を総動員したのだ。

 ルリの抵抗。
 その第一歩として、検察機構の外堀を埋めた。
 アキトの弾劾を推進していた地球連合非主流派の政治家達を、正道非道を問わぬ様々な手段をもって政界から失脚する様に仕向けたのだ。
 ある国では大不況が発生した。
 ある国では政界全体を巻き込んだ大スキャンダルが発生した。
 ある国では凄まじい政争が発生した。
 凄まじいまでの混乱が生まれ、その結果、誰もアキトの弾劾を進める様な余裕を失ったのだ。
 この他にも、エリナやイネスと連携する事で環境を作り変えた。
 エリナ主導によって、ネルガルが影響力を保有している政治家達を総動員してのロビー活動を行い、又、イネスは遺跡研究の第一人者としての知名度を利用して、良心的科学者の連名と云う形で、アキトを科学の被害者として世間にアピールしたのだ。
 こうやって周囲の、世間の雰囲気をルリは変えた。
 被害者、その生き残りであるテンカワ・アキトは赦されるべきだと。
 その声が大勢となれば、政治家の動きは加速する。
 日頃から世間の人気取りに腐心している政治家達にとって、声を上げる大勢とは取り込むべき相手、有権者であるのだから、この支持を得ることは己の支持基盤を強化する絶好の機会に他ならないのだから。
 多くの政治家が続々とアキトの減刑を主張していった。
 劇的に変化した環境。
 そうなれば、後は内堀にして本丸でもある検察機構だけ。
 だがルリは露骨な圧力を加える事は無かった。
 一部の政治家が独断で圧力を掛けようとした時など、逆に、その動きを潰してすらいた。
 追いつめ過ぎれば、逆に暴走してしまう恐れもあるからだ。
 だから、逃げ道を用意する形で追い込んでいく。
 真綿で首を絞めるように追い込み、そしてルリの用意した回答を自主的に選ぶしかない状況を作り出したのだ。
 ルリがチューリッヒに置かれた検察機構の本部に赴いたのは只の一度だけ。
 懇願するでもなく、命令するでもなく淡々と言葉を紡いだ。
 決めるのは貴方達だ、と。
 その言葉の意図を検察機構側は誤解しなかった。
 それから3日の後、検察機構はアキトに関する刑事告訴に関する宣言を行った。
 官僚的な言い回しをふんだんに盛り込んだ宣言。それは、要約すれば只一言ですむ内容だった。
 全面降伏。
 一部、法治の原則からアキトへの不起訴処置に反対を唱えようとした気骨ある人間も居たが、それもアキトの処分の詳細――不起訴では無く、起訴後の司法取引による恩赦と云う形式が取られる事が判明すると共に、消えていった。
 誰もが一応の納得を見たアキトの処分。
 検察機構側の人間は、その事でルリに一矢報いたと考えていた。
 だがルリの行動を直ぐ傍らで見ていた面々は、知っていた。
 その“一矢報いる”処分の筋道すらも、ルリが筋道を作っていたと言う事を。
 事後の混乱、或いは逆恨みによる報復の発生する可能性を出来る限り削る為の、冷徹な判断だった。

 どれ程に怒ろうとも、決して冷静な判断を曇らせない。
 感情に惑わされない。
 それがルリだった。
 だからこそアキトは気付かなかった。
 己の発言がルリを怒らせた事に。

「でもアキトさん、アキトさんはもう良いんですか?」

『ああ。十分に生きた。もうすべき事も、したい事も無い………』

 ゆっくりと息を吐きながら呟くアキト。
 傷だらけの総身からは、緊張感が抜け落ちていた。
 口元には微笑。
 それは己の死を受け入れた、全てに満足したと思わせる透明な表情だった。
 ルリの眦が跳ねた。
 それをハーリーは泣きそうな顔で、ボルトマンは何かに悟ったような顔で見ていた。
 理由は異なるものの、共にアキトを好ましく思っていないハーリーとボルトマンではあったが、アキトに対する同情が無い訳では無かった。
 それぞれの内心で、それぞれの形で哀悼の意を示した。

『御免よルリちゃん。元気でね』

 謝罪の言葉、だがルリは赦さない。
 赦すつもりは全く無い。
 自分の眼の届く場所で、何とかできる状況なのに勝手に居なくなるなんて理不尽、そんな事は絶対に承知しない。
 その想いを宣言する。

『アキトさん。もう多くは言いません。貴方が呆れるくらい莫迦だって判ってますから。だから私も実力を行使します。貴方が自分の命をもう要らないと言うなら、その残りは私が貰います。ですから私が行くまでは決して死なないで下さい。もし死んでいたら追いかけます。では、時間が勿体無いから今、行きます。待っていてください』

 一方的に宣言したルリは、その白い顔をうっすらと紅く染めてアキトとの回線を閉じていた。

 

 

――]T――

 

 

 戦闘配置時には無重力状態とされているナデシコBの艦内基幹通路(メインシャフト)
 艦首から艦尾まで、各重要区画の中央部に設置された縦断通路。
 被弾時には医療スペースとしても利用する為だ。
 そこをルリは慣性で飛びながら艦内用の簡易宇宙服を脱ぎ捨てていく。
 腕や脚、或いは胴部。
 手馴れた仕草で、連結を外して放り出していく。
 そして最後に残ったのは、体のラインが出る程に薄手ながらも冷却と排泄管理能力を持った汎用宇宙内服(インナースーツ)だった。
 ほっそりとした脚が、綺麗に床を蹴ってルリの体は更に加速する。
 その表情は少し硬い。
 二度三度とウィンドウを確認すると、1つ頷く。
 そこで格納庫に到着する。
 既に隔壁は開ききっている。
 オモイカネが気を利かして、ルリ到着以前に開放コマンドを送っていたのだ。

堅音

 通路の壁を垂直に蹴って横向きのベクトルを得たルリは、そのままの勢いで格納庫に飛び込む。
 目的はサブロウタの愛機にして、今、ナデシコBに積んでいる唯一のジャンプ対応能力を持った機体、アルストロメリアT-spec。
 位置を把握し、そして進路上の浮遊物の有無を確認してから又、手近な機材を蹴って飛ぶ。
 少なからぬ数の人間が動いている格納庫を、ある意味で裸に近い格好で飛ぶ事にルリは、少しだけ羞恥に頬を赤くしてはいたが、その動きに淀みや躊躇いは無かった。
 アキトの為、その一念だった。
 尚、通常この様にインナースーツで出歩かねば成らない時は、体のラインを隠す為にローブを着込むのだがルリは、直ぐにパイロットスーツに着替えると云う理由から、その時間を惜しんだのだった。
 その事を誰もが理解していた為、ルリの艶姿を眺める様な不埒者は格納庫に居なかった。

 自分は、ある意味で幸運だとルリは思っていた。
 アキトを助けに行けるのだから。
 昔は何も判らない無力な少女だった。
 そして<火星の後継者>が叛乱を起した時は、職責から動けなかった。
 だが今回は違う。
 能力もある。
 意思もある。
 状況も許す。
 誰に憚る事無く助けに行けるのだ。
 事の是非について色々と意見はあるかもしれない。救出作戦を告げたときの艦橋スタッフの表情を思い出し、ルリは思う。
 だがそれでも自分にとっては幸運なのだと思っていた。
 そんなルリのアキト救出の手順は、単純にして明快だった。
 アルストロメリアで、遺跡研究区画に閉じ込められているアキトを開放し、<ネノクニ>を脱出する。
 極めてシンプル。
 只問題は、<ネノクニ>の爆発まで時間が無いと云う事。
 だからアキトを回収後は、謎のボゾンジャンプ妨害システムの範囲外まで脱してボゾンジャンプを行う必要があるのだ。
 ジャンプ自体は問題は無い。
 アキトはジャンパーとして極めて優れた能力を持っているのだから。
 その為に、救出に赴く人間は最低でもジャンプ適応者――B級ジャンパーである必要があった。
 だが、第5次<火星の後継者>討伐部隊に所属しB級ジャンパー資格を有するパイロットで、健在な者は1人も居なかった。
 そもそも連合宇宙軍全体を見ても、所属するB級ジャンパーは100人にも満たない状況なのだ。
 戦略的価値すらも有するB級ジャンパーがこれ程に少ない理由は、ジャンパー資格獲得への遺伝子改造が若干ながらも危険を伴っている事と、そして何よりも<火星の後継者>事件の影響から地球連合内に於いてIFSと同様に感情的に忌避されている事が原因だった。
 その数少ない人材の殆どは、連合宇宙軍総長直轄の第131異界の猟犬(ティンダロス)跳躍中隊に配属されている為、連合宇宙軍軍人でもB級ジャンパーを見た事の無い人間が多い有様であった。
 軍事に造詣が深いと自称する連中が挙って“次世代に於ける決戦戦力”と持て囃すボゾンジャンパーの、これが実情だった。
 故にルリとサブロウタと云う、2名ものB級ジャンパーが配属されている第3特務戦隊は極めて特殊な部隊だった。
 故にルリは己の幸運を噛締めるのだ。
 ジャンパーが居ると言う事。
 そしてそのジャンパーが自分だと言う事。
 これが、ルリがアキトを救出に赴ける理由だった。
 サブロウタの技量をルリが信用しない訳では無い。只、助けたかったのだ自分で。
 そして幸運はもう1つある。
 アルストロメリアだ。
 ボゾンジャンプ対応の最新型機動兵器。
 無論、ボゾンジャンプは通常の機体でも可能ではある。だが通常の機体とボゾンジャンプ対応の機体では一点だけ凄まじい相違点があった。
 それはボゾンジャンプに入るまでの時間だった。
 設計段階からボゾンジャンプへの適応を考慮して開発されたアルストロメリアは、戦闘中にでもボゾンジャンプが可能な様にボゾンジャンプ支援用のシステムが搭載されており、通常型の機体に比べて遥かに短時間でボゾンジャンプが可能なのだ。
 アキト回収後に使える時間の事を考えれば、それは看過し得ない重要な要素であった。
 その機体が、無傷とまでは言わないものの、戦闘以外であれば何とか使用できる状況にあるのだ。
 サブロウタが機体に乗って不在でも駄目だった。
 サブロウタと一緒で、機体が使用不能な程に被害を受けていても駄目だった。
 そして現状。サブロウタは行動不能で、機体は使用可能。
 この状況はルリにとって、信じられない程に幸運な状態であった。

「ホシノ司令!」

 その声に振り向いたルリは、格納庫士官(ハンガー・オフィッサー)が自分の方へと投げたパイロットスーツを確認する。
 白を基調としたパイロットスーツ。
 サブロウタ等、万が一のB級ジャンパー不在時用の予備として作っておいたのは本当に正解だったとルリは思った。
 右手を伸ばして確保。
 それから素早い動作でファスナーを開けると、飛びながら器用に着込んで行く。
 航宙艦乗組員の必須技能としての、宇宙服の素早い着脱。
 将官級以上の高級士官は大抵、その種の訓練へ参加する事は無かったが、ルリはその辺りの訓練にも手を抜いては居なかった。
 その成果が、この手際の良さだった。
 襟を閉め、後襟のコネクターを接続してインナースーツとパイロットスーツを一体化させる。
 それを合図にパイロットスーツの管理用に組み込まれていた電算機が自動起動すると、記録されていた手順通りに冷却システムと生体監視システムを稼動させ、そのまま首から下の気密化を開始する。

電子音

 左手首を基点に小さなウィンドウが展開し、パイロットスーツの機能にもルリの生体状態にも異常無しとの情報をルリに報告してくる。
 その事を横目で確認してルリは、傷付いたアルストロメリアに到着する。
 ルリは機体胸部に設けられていた取っ手を掴んで慣性を打ち消すと、機体の突起を利用してを這い上がる様に操縦槽へと向かう。
 アルストロメリアは、多くの整備兵の努力によってかなり修復されていた。
 脱落しそうな部品を取り外し装備を確認、機体制御プログラムのシステムチェックを行う。
 制御システム関連では、観測機器の欠損等もあって火器管制システム関連は作動不能ではあったが、その他の機能は概ね回復していた。
 機体自体に関しては、戦闘機動は流石に不可能だが、それ以外の全ての行動が可能と成っていた。

「司令!」

 アルストロメリアの操縦槽で最後の確認を行っていたサブロウタが、ルリの名を呼びながら出てくる。
 包帯で固められた左腕を庇いながら出て来たサブロウタは、極めて事務的にアルストロメリアの状態を報告する。
 サブロウタとて、今回のルリが危険を圧してアキトを救いに行くと云う事に思う所が無い訳では無かったが、ルリの決意が堅い――説得が困難だと云う事を理解すると共に、制止する事を止めていた。
 無駄な議論をする事で、ルリの生還率を下げるべきでは無いと判断していたのだ。

「ご苦労様、無理をさせてすいません」

「あーっその、この程度、無理なんて何も無いんすが……ええ、他に言い様がないんすけど……その、司令、御武運を」

 頭を掻きながら困ったような、苦しいような微妙な表情を見せるサブロウタ。
 その内側にあるのは、強い自責の念だった。
 もし自分が無事であれば、代われたのに。
 傷によってアルストロメリアを動かせない訳では無い、サブロウタは自分の状態をそう判断していた。
 只、サブロウタの手当てをした医官が、万が一の可能性を考えて高Gの掛かる機動兵器への搭乗を禁じたのだ。
 本来なら戦闘時故の非常判断として医官の制止程度なら無視するのが常のサブロウタであったが、今回は医官が一枚上手だった。
 一度サブロウタに出し抜かれていた医官が今回、サブロウタの暴走を阻止する為に直接ルリに報告していたのだ。

「大丈夫です。私を、そして貴方の機体を信じて下さい」

 サブロウタの苦悩を察するルリは、言葉に笑顔を乗せて行った。
 行ってきます、と。
 その言葉に呼応する様に、プルシャンブルーに染められた操縦槽の耐爆ハッチが閉じていく。
 敬礼を捧げながら機体を蹴り、己の愛機から離れていくサブロウタ。
 拡声器がルリの出撃準備が完了した事を告げる。
 認識し易い様に派手な色で塗装された重厚な装甲の作業用硬式宇宙服を着込んだ発艦士官(カタパルト・オフィッサー)が、両手に誘導灯を持って跳び寄って来る。
 2本の誘導灯に従って、機体を動かすルリ。
 その行き先は、通常の発艦時に使用するリニア・カタパルトでは無かった。
 今回の発艦では艦から初速を得る必要が無い為に、艦側面の貨物搬入口に誘導されているのだ。
 補強材その他で応急修理され継ぎ接ぎだらけとなったアルストロメリアが、一々足元を確認しながら歩んでいく。
 如何に努力家のルリとは云え、流石に機動兵器の操作の技量自体は出来ても上手く操る所までは達していなかった。
 その時、格納庫の脇を走る足場(キャットウォーク)に立っていた、鮮やかな赤色に染められたパイロットスーツを着込んだ女性が、ヘルメットのバイザーを跳ね上げると拡声器無しに大声を張り上げた。

「ルリッ! 気をつけて行ってこいよっ!!」

 戦隊司令であり、少将の階級にあるルリを公衆面前で呼び捨てにしての乱暴な呼びかけ。
 だがそれを誰も咎めず、サブロウタも声の主を苦笑と共に見上げている。
 何故なら声の主は功績を上げて階級を登った叩き上げの士官であり、そしてルリとの強い絆を持っていた女性だから。
 スバル・リョーコ連合宇宙軍大尉。
 第701大鎌を持つ獅子(ライオンズシックルス)機動中隊指揮官にして、連合宇宙軍の誇るウルトラエースの1人。
 だがそんな要素よりも何より、その身に纏う雰囲気が、その種の手荒く漢らしい(・・・・)行動を格好よく魅せさせる人物だった。

「あの莫迦に一発ぶん殴って、それから首に縄つけてでもつれて来い! 俺が許すっ!!
 だから良いかルリ、どんな真似をしてでも生きて帰って来い、いいな? じゃねーと俺がオメーもぶん殴るからなっ!!!」

 思いっきり腕を振り回しながら叫ぶリョーコ。
 何とも乱暴で、理屈の通っていない科白。
 だがその言葉に込められていたリョーコの気持ちは、誤る事無くルリに通じていた。
 だからルリは応える。

『必ず』

 短いだが、真摯な決意の込められた言葉。
 だからリョーコは敬礼を捧げた。
 少しぎこちない動作で歩いていくアルストロメリアに。
 コミカルにも見える挙動、だが誰も笑わない。
 否、それどころか見送る誰もがキッチリと背筋を伸ばして敬礼を捧げて、見送っていた。

 

 

 暗い<ネノクニ>の通路を往くアルストロメリア。
 その挙動は、熟練とまでは言わないものの中々に手馴れたものだった。
 深い蒼色の機体は、極最小の動作で障害物を割け、或いは避けきれぬものは無事な右腕で弾き飛ばしながら突き進んでいく。
 要塞内への侵攻任務とは本来、技量B判定操縦者――極普通に訓練を受けているパイロットが行うには困難な操縦、連合宇宙軍の機動兵器操縦者用教本にてそう判断されている程の行為なのだ。
 にも関わらずそれを、パイロット徽章を最低限維持する程度の時間しか機体に乗っていられないルリは、多少不安定ながらも何とか行えていた。
 それは奇跡ではない。
 偶然でもない。
 行えている理由、それはオモイカネによる機動誘導(ナビゲート)であった。
 ナデシコBの運行を乗組員に預けた事でオモイカネは、その莫大な情報分析能力の全てをアルストロメリアから送られてくる情報の分析の解析、それと状況判断につぎ込んでいたのだ。
 その成果が、操縦槽内に次々と予定コースの書かれたウィンドウとして展開してゆく。
 何処をどう飛ぶか、どのタイミングで噴射し姿勢制御するか。
 或いはどの浮遊物が危険であるか、対処の優先すべき順位はどうか等、重要な情報が大量に提示されている。
 通常の人間ならば、その情報量の処理に追いつけぬであろう規模の量であったが、ルリは違う。
 作られた子供(マシンチャイルド)
 それも情報処理に特化する形で生み出された存在なのだ、この程度の事で処理不能に成る事は無かった。
 ルリならばこそ、助けに行けるのだ。
 常ならば疎ましげに思う事もある己の素性。それが十二分に役立っている事に、ルリは状況の切迫さとは別に、心が沸き立つ事を自覚していた。
 もっとも、その動作は冷静極まりないものではあったが。
 情報から最適と思われるコースを選択し、障害を排除してゆく。
 それと同時に、ルリは討伐部隊指揮官としての仕事もこなしていた。
 それは慌しい発艦であった為に艦内では出来なかった各部への通達やら指示、そして指揮権の引継ぎだった。

「………ええ構いません。戦隊の方をお願いします」

 手早い指示と共に、1つ頭を下げるルリ。
 通信相手は第74任務部隊の司令官、アマミヤ・リューイチロウ准将だった。
 非常時の指揮継承権に於いてルリに次ぐ位置にある指揮官であった。
 状況を説明し、指揮権を委託する。
 特に、言うなれば撤退戦のそれを委託すると云うのはある意味で責任逃れと取られかねない行為ではあったが、リューイチロウはそれを快諾していた。
 ルリの、司令官の思うが儘に動いて下さいと。
 ウィンドウ越しに映るリューイチロウの見た目は少しだけ甘い顔つきをした若手の将官と云った所だが、決して見かけ通りの人物では無かった。
 柔軟にして果断な指揮を執れる指揮官。
 連合宇宙軍で唯一常時即応体制を維持し続けている連合宇宙軍最大の戦力集団、第7機動艦隊の司令官ヘルガ・アデナウワー中将の壊刀として知られた傑物だった。
 本来は中佐として、第7機動艦隊の戦務参謀の任に就くリューイチロウであったが、この任務――部隊派遣をルリから要請されたヘルガが、己の最も信頼する人物を充てたのだ。
 尚、階級に関しては、この任務に就くにあたってヘルガとルリが配慮した事で准将待遇(任務)中佐となっていたのだ。

『ホシノ少将、後はお任せ下さい――下手は打ちませんよ。全部隊、かならず一兵も損なう事無く撤退させてみせます。だから貴方も本懐を果たして下さい』

 快諾した理由。それはリューイチロウも詳細なとまでは言わないものの、ルリとアキトの関係を知っていたからだった。
 人の想い。
 その深さを思うが故にリューイチロウは困難を喜んで受け入れたのだ。
 見事な敬礼を見せるリューイチロウ。
 ルリもまた、色気のある敬礼で応えていた。

 それからルリはハーリーへと細かい指示を出し、後は操縦に集中した。
 アキトのもとへ、一刻も早く駆けつく為に。

 

 

――]U――

 

 

「随分と好かれてるじゃねぇか、復讐鬼」

 挑発する様に口を開いたシノノメ。
 その顔は脂汗で濡れそぼっているが、口調、呼吸共に落ち着いている。
 小康状態になったのだろう。
 もっとも、その顔色は極端に悪く、誰も見逃し得ない死相が浮かんでいたが。
 アキトはシノノメの戯言に付き合う気は無く、只座り込んで溜息を出していた。
 何でこんな事になったのかと考えていた。
 今まで死ぬ事を考えない事は無かった、否、それどころか常に考えてきた事だった。
 それは、如何にしてエリナやイネス、そしてラピス、或いはアカツキ達に迷惑を掛けずに消えるか、と。
 遺体や遺留品等の情報を残さぬ様に消える為にブラックサレナHaは自爆させ、自分は常に携帯している焼夷手榴弾で死体も残さぬ様にする。
 アキトはそれを、それこそ毎日のように考えていた。
 様々な状況を仮定し、確実な自己の消滅方法を考えて居たが、まさかこの様な形で阻止されるのは完全に想定外だった。

嘆息

 アキトとて人間だ。
 ルリ――他人から必要だと、あそこまで言われたのは正直に言えば嬉しい面もあった。
 それだけ必要とされると云うのは、どんなものであれ楽しい事なのだから。
 だが、だからといってその人に命を掛けて欲しいとは思わない。
 それも又、アキトの正直な感想だった。
 だが、ルリは来ると云う。
 どうすれば良いのか、考えが纏まらなかった。
 それは、ある意味でアキトの限界でもあった。
 <火星の後継者>の蜂起鎮圧後には如何に死ぬか、或いは消えるかを考えてはいても、如何に汚くとも生き残ろうかと考えた事は無かったのだから。
 泥の様な疲労感が爪先から這い上がってくる感覚。
 鈍りつつある頭を左右に振って、気分を入れ替える。
 自分から脱出の為の手段は何も考え付けないのだ、ならばせめてルリちゃんの指示通りには準備をしておこう。
 覚悟を決め、準備を行う事としたアキト。
 だが実際問題として、準備する事など殆ど無かった。
 手狭な操縦槽に潜り込める様にプロテクター他、最早不要な装備を捨てるだけ。
 証拠隠滅や、ブラックサレナHaの機密保持の面では、<ネノクニ>の自爆がある為に考慮する必要は無いのだから簡単なものだった。
 鈍い響きと共にパイロットスーツから取り外された複合素材製のプロテクターや、ボゾンジャンプ支援ユニットが床に散らばっていく。

「生き汚い……な…お互い………」

 ポツリとシノノメが呟いた。
 その目はもうアキトを見ておらず、只虚空を見ていた。
 音でアキトが生残る準備をしている事を察したのだ。

「そうだな………未練は無い、が、望まれればな………………」

「そうか………だが………だが俺としては…一緒に………死んで欲しいな……俺も此処まで頑張ったんだ、ご褒美が………欲しいからな」

 弱々しく咳き込みながら呟いたシノノメ。
 だがその口元には諧謔の歪みが浮かんでいた。
 故にアキトも又、苦笑を浮かべて応える。
 無理だ、と。

「そうかい…残念…だ……………つれない……復讐鬼め………」

「ああそうだ。俺は貴様等の敵だからな。望む事は一切やらん」

 そう言って最後に拳銃を、これだけは丁寧に床へと置く。
 そうして全ての準備を終えたアキトは、ゆっくりした動作でブラックサレナHaの足元に座り込むと深呼吸をした。
 息を吸って吐く。
 只それだけの単純な動作だが、不思議と心を落ち着かせる効果があるのだ。
 足元から上がってくる倦怠感に少しだけ身を預けながらアキトは、右腕に巻いた複合コミュニケで時間を確認する。
 残り時間は10分を切っていた。

「そろそろ、か………」

 その小さな呟きが切っ掛けに成ったか、重い金属を揺るがす音が響きだす。
 入り口。
 重厚な装甲隔壁が軋みだしているのだ。
 閉鎖状態で固定された装甲隔壁は防災以上に内乱対策と云う側面が強かった為に、ロックを解いても自動的に開く様な構造にはなって居なかったのだ。
 それがアキトがこの遺跡から出られなかった理由だった。
 その隔壁がゆっくりと、だが着実に開いてゆく。
 隙間から最初に見えたのは、濃い蒼色――プルシャンブルー。
 アルストロメリアの手、ルリが到着したのだ。
 ルリはアルストロメリアの右腕を、バールの様に器用に操りながら重い隔壁を開いていく。
 最初はゆっくりと。だが段々と加速し、最後は勢い良く開ききる。

重音

 閉ざされていた道が開いた。
 それから先は、あっという間だった。
 アキトもルリも残り時間の短さを理解していたので、無駄口を叩く事無く脱出の準備を行ったのだ。
 尤も、1発だけルリは、アキトの顔を平手で叩いては居たが。
 アルストロメリアの操縦槽内の余分なもの、非常用サバイバルキット等を放り出してもう1人潜り込めるスペースを作る。
 1分にも満たない準備時間。
 そしてアキトはアルストロメリアの操縦槽に潜り込む。
 操縦席に座るのはアキト。
 ルリは、その傍らに立った。
 全ての準備が完了。
 その時だった、シノノメが口を挟んだのは。

「1つ…いいか………復讐鬼………プレゼントが……ある…………」

「何?」

 閉じかかけていた操縦槽のハッチを止め、シノノメを睨むアキト。
 何をしようとしているのか、油断無く周囲の確認もする。
 何も無い。
 両手を腹にあて、呼吸をするだけで精一杯。そんな状況に見える。

「死をなっ!」

 最後の力を振り絞っての叫び。
 それと共にシノノメは、その手に持っていたスイッチを入れた。
 第2非常隔壁緊急閉鎖釦。
 それは、常に部下の叛乱を恐れていた<火星の後継者>残党の指導者達が用意していた、非常対策だった。

轟音

 激しい勢いで閉じる、装甲隔壁とは別に設置されていた非常用隔壁。
 振動が更に続いてゆく。
 この研究区画だけでは無く外の通路でも、幾つもの非常隔壁によって区切られていっているのだ。
 満面の笑みを浮かべたシノノメ。
 達成感があるのだろう、<火星の後継者>にとっては恨み骨髄のアキトとルリの2人を抹殺する機会にめぐり合ったのだ。
 喜ばない方がおかしかった。

「もう逃げられねぇぞ! 此れで貴様等は俺のなか………」

 積年の恨みをぶつけようとするシノノメ。
 だが、その口上が最後まで述べられる事は無かった。

潰音

 アルストロメリアの脚が、シノノメの口を身体ごと押し潰したのだから。
 踵から這い上がってくる感触を無視してアキトは呼ぶ。
 パイロットスーツと常に繋がっているブラックサレナHa、その制御を司る知性体を。

「CAS!」

 開くウィンドウ。
 其処に浮かんだ“何をするんだ?(オーダー・プリーズ)”の文字に、アキトは苦笑も浮かべずに、手早く指示を出す。
 身も心も擦り切れ、生きる意志を手放さんとしていたアキトだが、身体に覚え込ませた訓練の成果で、戦闘に関する限りはまるで自動であるが如く、素早い反応を行えていた。

「目標、入り口隔壁。全力射撃」

 3つの短文(センテンス)による、誤解の余地も無い単純な命令。
 その命令に従ってCASは最高出力モードでブラスターの連続射撃を敢行する。

轟音

 戦艦クラスのディストーションフィールドを、そして側面装甲すらも撃ち抜く事が可能な、ブラックサレナHaのブラスター。
 それを連続して打ち込むのだ。
 凄まじい衝撃と、閃光、そして轟音が発生する。
 揺れるアルストロメリアの操縦槽でルリは、歯を喰いしばって悲鳴こそ上げなかったものの、アキトにひしっと抱きついていた。
 激震から護る為、ルリの細い身を抱きしめたアキトだったが、その目はディスプレイを、非常隔壁に次々と着弾するブラスターの様子のみを見ていた。
 そして一言、告げる。

「射撃中止」

 その言葉で、地獄の業火をも思わせた火力の奔流が止まる。
 撒き上がった爆煙が、空気清浄機の働きで退いていく。
 そして見える非常隔壁。

「ア……っ…アキトさん………」

 ルリの手に込められた力が増すのが、アキトに判った。

「あぁ………」

 焼けて、赤黒く見える非常隔壁は歪み――隙間が発生してはいたが、それはアキトやルリが想像していた程では無かった。

 

 

「もう………駄目ですか………」

 そう言ってルリちゃんは手元のウィンドウを見た。
 其処には残り時間と思しき数字がある。
 今、5分を切った。
 このペースでは、この隔壁一枚を越えるだけで時間切れに成るだろう。
 何だあの隔壁の素材は。
 いや、そんな事はどうでもいい。
 問題は時間が無い事だ。

「アキトさん………」

 ルリちゃんが見上げてくる。
 心なしか、身体が小さく見える。
 表情が暗い。
 駄目だ、諦めちゃ駄目だ。
 畜生。
 何か、何か方法は無いのか。
 俺自身は何時死んでも良いと思っていたが、それにこの子を巻き込みたく無い。
 左手でそっとルリちゃんを抱きしめる。
 手は、手は何か無いか。
 腹立たしい。
 自分が無力なのに耐えられない。
 又俺は同じなのか。
 あの時、ユリカを護れなかった様にルリちゃんを、家族を護れないのか。
 俺の焦燥を知らぬように、ウィンドウの数字は無情に減っていく。

撲音

 腹立たしさに任せて肘掛を撲り、そして口を開く。

「御免よ、ルリちゃん。折角助けに来てもらったのにな……」

 詫びる。
 それしか出来ない。
 何も出来ないのか、俺は。
 無力、俺が何も出来ないのが腹立たしい。
 歯を噛締めたとき、ルリちゃんの手が俺の頬に触れた。

「私が自分で選んだ事です。だから結果はどうでも良いんです。アキトさんに生きていて欲しかったから………だから………」

「だが…俺を助けようとしたばかりに君まで巻き込まれた、本当に御免よ」

「クス。御免よって、そればっかりですね、アキトさんは」

「有難う、ルリちゃん」

 俺が言えた科白は1つだけ、感謝の言葉だ。
 それをルリちゃんは、花が綻ぶ様に笑って受け止めた。
 その笑顔を見たとき、俺は自分の肩から力が抜けるのが自覚出来た。
 もう時間は無い。
 ならば、せめて心穏やかにいこう。
 否、行かせてあげたいのだ、幸薄かったであろうこの子を。

「そう言えばアキトさん、知ってます?」

「何を?」

「私はアキトさんの事が大好きだったんですよ」

 薄々は判ってたよ。
 だがね、応える訳にはいかなかったんだよ、ユリカと結婚もしたしね。
 そんな言葉に出来ないが故の沈黙を肯定と見てか、ルリちゃんは更に言葉を連ねる。

「ユリカさんに敵わないのは判ってました。だから諦めようと思ってました。だからあのシャトルの事故の時は我慢出来ました、だけど………だけど………」

 俺の肩で泣く。
 嗚呼、我慢していたんだね。
 だから撫でてあげる。
 ヘルメット越しだがゆっくりと優しく、その頭を。

「アキトさん」

 涙目で見上げてくる。
 こんな子を助けられない自分が情けないし、恨めしい。

「何だい?」

「もう、今生は諦めました。だから、だからアキトさんの未来を下さい」

 その口元に、昔、ルリちゃんが極偶に冗談を飛ばした時の様にな諧謔の色があった。
 そうだねルリちゃん、どうせなら笑いながら行こう。
 死を避けられえぬとしても、それに背を向けるのだけは勘弁だ。
 惨めに逃げたくは、無い。

「ああ良いとも。そんなもので良ければ幾らでもあげるよ、ルリちゃん」

「約束しましたからね、アキトさん」

「ああ………きっとだ。来世ってものがあれば、その時は必ず、君の傍に居よう」

 戯言じみているが、それで満足出来るなら十分な話だ。
 残り時間は3分、まだまだある。
 時間が永いと思えた、そんな時にCASと繋げていたウィンドウが自己主張をした。

[I have not yet begun to fight!]

「戦いはこれからだ?」

 今更何事かと訝しげな気分で見れば、新しく幾つものウィンドウが開いた。
 各ウィンドウには様々な試案や試算が提示され、そして一番上のウィンドウには、赤く“逃げ出し方(エクソダス・プラン)”の文字が浮かんでいた。

 

 

 CASの提示した脱出方法。
 簡単に言ってそれは、ブラスターで非常隔壁を叩くのではなく遺跡の周辺に打撃を与える事で、ジャンプ妨害システムを破壊乃至は機能不全に陥らせ、その隙を狙ってジャンプを敢行すると云う案であり、それは控えめに言っても乱暴極まりないものだった。
 何処に妨害システムがあるのかも判らず、更には遺跡周辺で大規模破壊を行う事がどの様な事態を引き起こすか判らない。
 そんな状況で行うには余りにも冒険的、博打的な案であった。
 だがアキトとルリはそれを受け入れていた。
 余りにも危険では合ったが、座して死を待つよりはましであり、更には確実な死よりも万が一の生を、共にそう思ったのだから。
 アキトはアルストロメリアを、隔壁の際に移動させる。
 フルパワーのブラスターによる射撃の余波が届くのを、少しでも遅らせようと、無事にジャンプが出来る様にと考えてだった。

「準備はいいかい、ルリちゃん?」

 アキトの問いかけに、ルリは小さく頷いた。
 ルリは今、アキトの膝の上に居た。
 衝撃吸収の為に、そんな事を言ってルリはアキトの上に、正確にはアキトにしがみ付いていたのだ。
 それはもう離さない。離したくないと云うアキトへのルリの悲痛なまでの思い故にだった。
 それを理解したアキトは、左手でルリをしっかりと抱きしめていた。

「覚悟は………何時でも大丈夫です」

「………例えジャンプ出来たとしてもランダムジャンプだ、何処に出るか判らない………帰れないかもしれないよ、ルリちゃん」

「構いません。アキトさんが一緒なら、例えそれがこの世の果て(ポイント・オブ・ノーリターン)であっても………」

「………ああ、ならも何も言わないで良い。ならば行こう」

「はい、アキトさん」

 ルリの微笑。
 それに勇気を貰ったアキトは、裂帛の気合を込めてCASを呼ぶ。

「CAS!」

[Good Luck!!]

 一際巨大な閃光が打ち放たれ、全てが光と化した。

 

 

 <ネノクニ>の爆発は、木星圏からでも観測出来たと云う。
 それは<火星の後継者>に代表される、第一次汎太陽系戦争(マーズ・ウォー)が生み出した混乱の終決の出来事でもあった。
 そして同時に、地球圏の統合政府――地球連邦(フェデレーション・アース)成立へと到る激しい混乱の時代の幕開けでも合った。
 23世紀は統一へ到る時代。
 後の歴史家は西暦2204年を、その産声を上がった年であったと記録していた。
 だが同時にその記録達には、この年以降にテンカワ・アキトとホシノ・ルリの名が記載される事は一切無かった。

 

 

2004 10/10 Ver3.01


<ケイ氏の独り言>

 お疲れ様です皆様、ケイ氏です。
 漸く“The End Of The Futun”が終りました。
 本来はジェットコースタームービーチックに、40kb前後で完成する筈の予定が、トータルで約250kbと云うステキサイズに太った理由はナンなのかと小一時間、自分を問い詰めてみたいデス(お

 まっ、それは兎も角、満を持しての役満(ルリ)VS根性の数え役満(シノノメ)と、かなりテンパッたキャラ達が繰り広げた陰険活劇、如何だったでしょうか。
 このサイズに、読んでくださってる皆様が飽きなければいいのだがと、薄手ライトノベルズ一冊分に達した愚作を呆れながに思ってます。
 と云うか見捨てず最後まで読んで下さった方々、本当に有難う御座います。
 そしてお疲れ様でした。
 読んでくださった方々が、少しでも面白いと思ってくださったら幸いです。
 そして、この次の話(だって、“序章”ですぜ:笑)から本編が漸く動きます。
 つか、代理人さんが書かれていた、オカマも出ます。
 他にも、ケイ氏の特徴“ゴッタ煮”故に、本愚作でチロリと登場したヘルガタンや天宮、他、色々なキャラがゲストで登場し、立場とか能力とかをリストラした上で暴れます。
 お楽しみに………して下さってると、当方、大変に嬉しいです。
 これからも宜しくお願いします。

>追伸
 えー判っちゃ居ると思いますが、この終盤の状況、ルリだから出来た。と云う事じゃありません。
 要は飛び越えれば良かっただけなのでユリカでも可能です。
 つか、どっちかと言うとユリカの方が適任な気もします。
 でもルリがやっちゃいます。
 ええ。  ユリカの敗因は、その時に居なかった事です。
 何でそうなるかと言えば、ケイ氏が捻くれた青年と冷静な幼女と云う組み合わせをこよなく愛するからです(駄目人間宣言(カミングアウト)

 故に敢えて問う。
 他に理由が必要なのか、と。
 応えは(ノー)であり、(ニエット)であり、(ナイン)なのであります。

 後、色々な所が改編してますが、まっ、そこはソレ、我輩の納得できる嘘の為と云う事で(お
 決してお色気分の不足から必然として着替えをする為にとか、羞恥プレイ(;´Д`)ハァハァとかでは無いのです!
 真面目ニ戦闘配置ノ艦内デ、宇宙服ヲ着ナイノハ嘘ダヨナト思ッタ訳ナノデス!!

 

>代理人さん
 伏線に関しては、小細工と云うか連中は歩兵じゃないって事をアキトが把握するとか、そんな小ネタだった訳で(汗
 小ネタとか、仕込みの難しさを思いました。
 後、代理人さんの感想に関して、色々とあるご様子ですが、私と致しましてはもっと辛く、

щ(゚Д゚щ)カモォォォン

 と云う気分ですので、ガンガンやって下さいませ。
 辛口の批評は、自分を向上させるには必要な事だと思っておりますので。
 只、脱字誤字に関しましては、先に謝ります御免なさいm(_ _)m
 いや、気をつけて居るのですが(汗
 えー出来る限りお手を煩わせぬ様に努力致しますので、これからもよろしくお願いいたします。
 では。

 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

序章完結お疲れ様でした。
まぁ、先に謝られてしまったので誤字脱字に関してはおいとくとして感想行きましょうか。(爆)

やっぱりシノノメが最後まで漢らしかったというかクール&タフ、しかしホットと言うか。
対するルリもパワフルでいいですねー。

今回の「ハイパーモード」のようになりふり構わず直進するルリって、実は好きなのですよ。
もちろん二次創作ルリに限らず、パワフルで一直線なキャラは好きなのですが、二次創作におけるルリって散々あくどいことをしているにもかかわらず、作者の贔屓でいい子ちゃんに書かれている事が多いじゃないですか。
だから、こう言う泥をかぶることも厭わず、己の目的に邁進するルリってのが非常に新鮮に映るし、好もしくも見えるんですね。
アクションでは他に293.ウツロさんの「フェアリーダンス」に登場する逆行ルリがクール&タフで好きなんですが、半年くらい止まってるんでもうそろそろ続きが読みたいかなーと。(ぉ

それはさておき、オープニングからするとこれで逆行or平行世界へジャンプという流れになるんだろうと思うのですが・・・オカマも勿論ですが、言及されてないシノノメの再登場にも期待したく思います。
出るんですよね? ね?

>小細工
 あー、なるほど。
難しいもんですね、まったく(苦笑)。