自分であれ、そして忘れるな、
自らを知るものには悲嘆は無い事を

マシュー・アーノルド

 

 


 
機動戦艦 ナデシコ

MOONLIGHT MILE

 

第一幕 Arc-Light
Ub

集うものたち


 

――X――

 

 

 轟音を立て、蒼い空を飛ぶ飛行機。
 深い青色の機体は、空に溶け込んでいる。
 機体後部に記された国籍表示は日の丸。その下には日本海軍の字が白く描かれている。
 LC-51。
 本田技術研究所が販売する垂直離着陸型のビジネス機であり、日本海軍が基地間の連絡と小規模輸送用に整備した連絡機だった。

 気密状態の良さか、比較的に静かな機内。
 民間用のビジネス機を小改造で使用していた為、軍用としては座り心地の良い座席でテンカワ・アキトは、真新しいダークブルーの1種軍装に包まれた身を預け、まどろんでいた。
 その表情には疲労の色がある。
 足元には僅かばかりの私物、そして着替えの入ったボストン・バックが置かれている。
 今日と云う日は、ネルガルへの出向命令の翌日だった。
 出向を受け入れたアキトに提示された条件、それは出来る限り即座のネルガルへの合流だった。
 早ければ早いほど在り難い。即日であれば報奨金も考慮すると言ったのは、自らをプロジェクト責任者だと説明したゴート・ホーリー。
 理由は、ネルガルの進めていた新型の汎用機動兵器――エステバリスの開発への協力を要請されての事だった。
 実際問題、エステバリスは既に開発の殆どが完了しており、先行量産型機も組み立てが進んでいる状況であったが、顧客からの意見を取り入れる事は重要だと云う意見があったのだ。
 本来であれば開発終了寸前になって何をと、無視される意見ではあったが、発言をしたのが、自らもエステバリス試作機のテストパイロットを務めた事もあったアカツキ・ナガレ、ネルガル会長ともなれば話が違っていた。
 商売先の意見を聞いた製品作り。
 木星蜥蜴の無人機によって苦杯を舐め続けている連合宇宙軍は、多少の齟齬があったとしても、無人機を凌駕出来る機体であれば大量に発注しただろう。
 だがそれだけでは駄目なのだ。
 戦後の商売を見据えた時、安かろう悪かろうで泡銭を稼ぐよりも、多少コストを掛けたとしても確固たる信頼を得られるものを作った方が、最終的には儲かる。
 それが、経営者としてのアカツキの判断だった。
 ネルガル重工の首脳陣を追放し、ネルガル・グループの実権を完全に掌握したアカツキは、ネルガルが今まで持っていた隙間産業(ニッチ)的な雰囲気を一掃してネルガルを新興の成金企業から名実共に揃った大企業へと脱皮させようとして奮闘しており、エステバリス開発への口出しもその一環だった。

 ネルガル側の細かい事情がアキトに知らされた訳では無い。
 だがそれでも、エステバリスの配備が少しでも早まれば、軌道上の仲間達の苦労が軽減される。ディルフィニウムの能力不足には常に泣いて来たのだ。
 ここにエステバリスがあれば。
 そう幾度も思っていた。
 上手く打ち解けられなかったアキトに、親しく語った仲間が四散した時に。
 多くの仲間たちを見送った時に。
 アキトは、自分1人で何かが出来るとは思っていなかった。だが、自分が動く事で仲間達の下へと、現状の劣勢を補い得るものが届くのであれば、矢張り何とかしたい。
 そと思うと、アキトは即座と言ってよい速度で同意していた。
 明日にでも向かいます。
 そう言ったアキトは、実際に、短時間で荷物を纏め上げ、そして教官長のコネもあって日本海軍の連絡機に便乗する段取りを付けたのだった。

 その時アキトは気付かなかった。
 これが、己がこの過去とも言うべき世界へと到って以来初めて行った積極的な行動であった事を。
 回天の時(ターニング・ポイント)
 その事をアキトが自覚したのは、随分先の話であった。

 

 

「少尉、そろそろ着きますよ」

 青みのある灰色の、耐熱型の航空機搭乗員用のツナギを着た日本海軍の伍長がアキトを起こしに来る。
 目的地が見えてきたのだ。
 アキトは堅い合皮製の半長靴、その靴音が近づくと共に目が覚めてはいたが、敢えて気付かぬ振りをして伍長に起されていた。
 何事にも敏感すぎると云う事は面倒なのだ。
 そう思うが故にアキトは、敢えて鈍い振りをしていた。

「あぁ、申し訳ない」

「見えてきましたよ、大神工廠です」

 その声に促される様に外を見るアキト。
 窓から見える其処は、雄大と表現するしかない規模の軍事基地が広がっていた。
 大神工廠。
 九州東北部に建設された大工廠。
 水上艦艇から宇宙戦闘艦まで、200m級の標準的な艦船であれば同時に20隻も建造可能な極東最大の造船工廠は、当然ながらも日本政府が建設し、管理する場所であった。
 だが、同時に北崎と三菱、そしてネルガルも少なからぬ額の投資を行ってもいた。
 これは強大な競争相手達、中国北方有限公司(ノリンコ)やクリムゾンに対する備えと云う側面からであった。
 人件費の面から今だに世界最強の価格競争力を維持しているノリンコと、バリア関連で他者の追従を許さないクリムゾンは、十二分な警戒を行うべき相手だったのだから。

 船体の建造から艤装まで、造船に関わる事を一括して実施する事で生産効率を上げ、同時に3社の間で規格を共通化する事で個艦の建造コストを引き下げる。
 正しく生き残り戦略であった。
 故に、戦時には軍用艦艇を優先して建造する事になるが、平時に於いては民間船舶の建造も行う。
 それが大神工廠だった。

「確かに雄大だ」

 雄大。
 確かにその表現が似つかわしいだろう。
 造船の規模のみならず、専用の飛行場や射爆場まで備えた大神工廠は、日本のものとは見えない程に広大な施設であった。
 無論、施設が巨大なだけでは無い。
 現在の情勢では宝石よりも貴重な、完全充足状態の装甲化された増強連隊戦闘団が1個、防衛任務に貼り付けられていた。
 元から駐留していた日本海軍の根拠地防衛用の陸戦大隊と考えれば、その戦闘力は極一般的な連合地球軍の軽装旅団を遥かに凌駕する規模に達していると言えよう。
 最早、要塞と評しても強ち間違いでは無いと思える基地、それが大神。
 だが同時に、アキトは疑問にも思う。
 確かナデシコの建造は佐世保、それも工廠等では無く、ネルガルの秘密地下ドックで行われていた筈なのだ。
 答えの無い疑問を抱えたままアキトは、大神工廠の偉容を眺めていた。

 

 着陸後、誘導員の的確な指示に従って駐機場へと停まったLC-51。
 最初に機体後部の貨物ハッチが開く。
 続いてコクピットの直ぐ後の登場口が開き、扉と兼用の乗降タラップが接地する。
 バック片手のアキトが顔を出し、そして深呼吸。
 肺に流れ込んだ空気には潮気と、それ以上に濃い鋼の匂いが含まれていた。
 アキトは大神が工廠である事を深く実感していた。

「ようこそ大神へ、テンカワ少尉」

 そうタラップの下から声を掛けて来たのはプロスペクターだった。
 黒塗りのセダンの脇に立ち、ニコニコとアキトを見上げてくる。

「すいません、呆っとしてました」

「いやいや、この工廠は大きいですからな。初めて来た方が驚かれるのも当然かと。テンカワ少尉は此処は初めてでは?」

「ええ。宇宙に居ましたから――それから、私はテンカワで良いですよ。これからはあなた方の下に入るのですから」

 正直に言えばこそばゆかったのだ。
 プロスペクターやゴートから敬称を付けて呼ばれるのは。
 それ故の言葉。
 そんな照れた様なアキトの態度に、笑みを浮かべるプロスペクター。

「判りましたよ、テンカワさん」

 

 広い敷地内を走るセダン。
 軍用車輌で無い事は、ナンバーと、ネルガルの標識がフロントガラスの左下に貼り付けてある事で判る。
 その為か、すわり心地は良い。

「話の新型機、此処で開発しているのですか?」

「開発と云うよりも運用試験ですな。ここの射爆場、スケジュールが空いていましたので、試作機を持ち込みまして、はい。連合宇宙軍と、日英米の軍人さんを中心に色々と視察に来ています」

「商売繁盛ですか?」

「物見遊山も大半ですよ。地上用で完全人型は始めてですので」

 ですが、性能を見せれば直ぐに気分は変わるでしょう。
 そう言って笑うプロスペクター。
 無論、未来を知るアキトに疑問は無い。
 だが普通にあれば疑問に思うだろう事が1つあり、それを口にする。

「地上用? 宇宙に行くのでは無かったのですか」

「無論、宇宙へ向かいます。ネルガルが開発した新型機動兵器、エステバリスは地上戦から航宙戦――技術者は0G戦とも言っていますが、全てに対応出来ます」

「1つの機体で?」

「其処は少しばかり仕掛けがありまして。はい。まぁそこら辺は実物を見るまでのお楽しみと云う事で」

「ギミックですか………」

 勿体ぶった言い方。
 だがそれが何であるかをアキトが間違える事は無かった。
 フレーム換装システム。
 エステバリスは、アサルトピットと呼称されるコクピット及びセンサー部を基本とし、様々な状況に特化させた機体構造体を換装する事で全環境に対応する能力を与えられていた。
 地上戦は白兵戦から砲撃戦、果ては空中戦まで対応し、更には無重力下戦まで行えるシステム。
 それは確かに、今までに無い技術的挑戦(アプローチ)ではあったが、同時にアキトは過剰な機能だったのでは無いかとも思っていた。
 自身の経験やその後のエステバリスの発展。
 更には軍人としての経験も考えるに、或いはエステバリスに与えられていた全環境対応能力は技術者の暴走ではなかったかとも思っていた。
 そんな埒も無い事を考えていた事が顔に出たのだろう。
 バックミラーでアキトの顔を見たプロスペクターが口を開いた。

「どうかされましたか?」

 プロスペクターが決して只の事務屋では無い事を改めて認識し、小さく笑うアキト。
 そして応える。  不思議だと思ったと。
 それは、誤魔化しの言葉であると共に、疑問でもあった。

「不思議とは?」

 興味深くアキトを見ているプロスペクター。
 対するアキトの表情は歳相応の若さ、或いは幼さを含んだ笑みがあった。

「そんなネルガルの性格だと、戦艦の建造にも秘密ドックを作りかねないなと思った訳ですよ」

「残念ながらその勘は外れてます。建造は、この大神工廠第3大船渠ですので」

 そこで一旦言葉を切って、秘密を明かす様に小さく付け加える。
 でも本当は、秘密ドックまで作るつもりだったんですよ、と。

「どうして作らなかったんですか?」

 素朴な疑問。
 その回答は極めて単純だった。
 予算が無かった、と。

「まっ、吝嗇(ケチ)と云う訳では無いのですが、そのなんですな。少しばかり大穴がありまして、はい」

「開発が困難だった訳ですか、その戦艦の」

「いやいやまー、色々とですな」

 誤魔化す様に笑うプロスペクター。
 この人物が、誤魔化す気になれば絶対に口を割る気は無い。
 それを知るアキトは、小さく苦笑して追求を切った。
 と云うよりも、ここで口を滑らせて大穴と言った意味を考えるべき、そう思えた。
 余程に穴の原因が腹立たしいのか、或いは情報を告げる意味があったのか。
 少しだけ考え、そして考える事を断ち切った。
 情報が少なすぎて、考えるだけ無意味だと判断したのだった。

 

 ネルガルのセダンが停められている。
 巨大な建物。
 それは大神工廠でも最大規模の400m級船渠であった。
 第3大船渠。
 ネルガルが利用している旨の記載と共に、大きくそう書かれていた。
 その入り口には、工廠内であるにも関わらず迷彩戦闘服(アーバン・カモ)の歩兵が歩哨に立っていた。
 否、歩兵では無い。
 その襟元には交差した銃と錨の記章、それは世界有数の特殊部隊日本海軍特務陸戦隊(S.N.L.F)のシンボルだった。
 その事が、この建物の重要性を示していた。

 重々しい機械音に、溶接音も混じって響いている。
 第3大船渠では今、急ピッチで船の建造が進められていた。
 未だ基礎構造体が露呈し、第2装甲帯すらも取り付けの終っていない姿であったが、アキトはそれが何であるかを見誤る事は無かった。
 特徴的な二重構造の船体、その下部には2本の重力波制御ブレード部も、まだ殆ど形の出来ていはいないが確認出来る。
 息を呑み、じっとその姿を見る。
 いまだ無骨な姿ではあったが、アキトの目は、その未来の姿をも捉えていた。
 優美にして凶悪な、世界最強と呼ばれるであろうそのフネの姿を。

「どうですか、これがネルガルの総力を上げて建設している次世代の戦艦。貴方に乗っていただくフネ、ナデシコです」

 工事音に負けまいと張り上げられた声、そこに自慢げな響きがある事をアキトは気付いた。
 だがそれも当然だろうと納得する。
 自慢するだけの性能はあるのだ、このナデシコは。
 帰ってきたのだと思うアキト。
 まだ基礎構造体や第2装甲帯が露出した、とても戦闘艦には見えない姿であったが、それはナデシコだったのだ。
 だが同時に、コレは違うと叫ぶ声がある。
 アキトが乗り、そして戦い抜いたフネでは無いのだと。
 寸分違わぬ姿でるが、絶対に違うフネだと。
 その複雑な思いの全て織り込んで溜息をつき、そしてゆっくりと笑う。

「楽しみですね。ですが私はエステバリスの開発に絡んで呼ばれたのでは?」

 世辞を1つ。
 そして疑問を口にする。
 アキトの表情は僅かに強張っていた。
 その事に気づいたプロスペクターは、何故との疑問を抱くが、それを表情に出す事無く応える。

「開発実験隊は射爆場の方に居ます。まぁ此方に来た理由は完成前ですがこれから貴方が命を賭けるフネ、ナデシコを見ておく事も良いかと思いまして、はい」

「確かにそうですね」

 何かを振り切る様に小さく頷いてから、心遣いに感謝を述べるアキト。
 そして小さく笑って呟いた。
 違う、と。
 それは自分を慰める言葉でもあり、そして縛る言葉でもあった。

 

 

――Y――

 

 

 赤を基調として、無意味に派手な装飾の施された部屋。
 壁が柱が扉が、全てが赤い部屋。
 広さは7m四方と、それ程に広くは無い。
 部屋の真ん中には、鮮やかな朱色に染められた丸いテーブルが在った。
 ここは中華料理屋・天鳳。
 横須賀の繁華街中心部から少し離れた場所にある店だった。

「美味いな。見事なエビチリだ。身がプリプリとしている」

 小太りの男、白い背広を着込んだモンティナ・マックス中佐が小皿にとった真っ赤なエビチリを堪能していた。
 否、エビチリだけでは無い。
 大きな丸テーブルの上に並べられた様々な料理を存分に愉しんでいた。
 勢い良く食べている訳では無いが、いつの間にか料理が空になっている。
 そんな食べ方だった。

「アルコールがシュナップで無いのが唯一の残念だがねえ」

 諧謔の響きの乗った言葉と共に老酒の杯を空けたモンティナ。
 そして口元を丁寧にナプキンで拭う。
 満足げな表情。
 それを合図に、同席していた2人の男達も苦笑と共に口を開いた。

「満足したかい?」

 銜え煙草でそう口を開いたのは、張・文飛中佐。
 椅子を下げ、足を組んでいる。

「ああ。中華料理も悪く無いね。特に掃除済みの部屋で食べるのは」

「この店は情報部で管理しているからね。今朝もコーベツ曹長が清掃を確認している。問題は無い」

 そう口にしたのはラフに連合宇宙軍第2種軍装を着込んだアンドレ・スターリン中佐。
 所属は連合宇宙軍調査部。
 そしてコーベツ曹長とはスターリンの腹心、ニコラエビッチ・コーベツの事であった。
 尚、連合宇宙軍調査部は規模こそ小規模ではあったが、小規模ゆえの機動力と組織の柔軟性から高い情報収集能力を持つ組織として知られていた。
 そしてもう1つ。
 キエフ・サーカスの2つ名で知られた特殊行動隊を抱える組織としても知られていた。
 コーベツは、そのキエフ・サーカスの最先任下士官でもあった。

「外部の警戒もだね。今のところ異常は報告されていない」

「なら食後の雑談と洒落込もうか」

 最後の一吸いをゆっくりと吐き出し、男臭く笑う張。
 それが合図だった。

 

 テーブルに上に載せられた紙、紙、紙。
 それは報告書の山だった。
 通信ネットワークの発達によるペーパーレス化が世の趨勢ではあったが、同時に、電子化された情報の保護の困難さから、諜報の世界に於いてはいまだ紙と云う記録媒体はその命脈を保っていた。
 報告書は只の紙では無い。
 この使用に供されている紙は、盗難防止用として位置確認及び非常時自壊用の電子チップが織り込まれた専用紙であった。

「ドイツの方は馬鹿正直に乗ってきた。多少は鼻薬でもと思って居たがその必要すらも無かった」

 テーブルにはでっぷりと太った、欧州系白人男性の写真が乗っている。
 話題の対象、ヴィクトル・アデナウワーだった。
 写真にはヴィクトルの性格や性癖、勤務態度や対人関係まで詳細に纏められたレポートが添付されていた。

「奴が乗ったフリをしてるって可能性はどうだ?」

 そう口にする張も、自分ででもその可能性が低い事は認識していた。
 情報部が作成したレポートと、そして一度自分でも接した事の経験が、その認識を張に与えていた。

「全てを疑うのが商売の基本だからな」

「確かに、その可能性は捨てきれないね。余りにも簡単に乗って来たから」

 小莫迦にする口調。
 無論、その対象はヴィクトルだ。
 モンティナがヴィクトルに告げた事は、連合宇宙軍内でユーラシア連合派に与していない人材をドイツ系を中心に纏め上げ、ユーラシア連合に参加したいと云う事が1つ。
 そしてもう1つはドイツを、ヴィクトルを中心にした連合宇宙軍の改編計画であった。
 おかしな話では無い。
 今現在のヴィクトルの職務は、連合宇宙軍1等監査官。
 背広組とも呼ばれる文官、その中枢の側の人間であったから、連合宇宙軍改編の中心に居ても問題は無い。

「余程に現状に不満があったらしいね。自分は蔑ろにされている。海洋国家共同体派(シー・マフィア)の陰謀だと吼えていたよ」

 最後に鼻で嗤う。
 蔑ろにされていると叫ぶヴィクトル。
 確かに派閥同士の反目もあるだろう、だがそれ以上に中立であった大多数の人間がヴィクトルを軽んじていた理由は、その態度に原因があった。
 ヴィクトルは無能では無いが、何事に於いても欧州の利権とドイツの利益、そして己の権利を、そして己の能力の高さを声高に叫ぶのだ。
 極論してしまえば面倒な奴であった。
 そして連合宇宙軍の置かれた状況に、そんな面倒な奴の相手をしていられる程の余裕は無かった。
 当然である。
 喪いつつある戦争をひっくり返すのは、生半可な事では無いのだから。
 故にヴィクトルは、自然と無視されてるかたちになっていった。
 最近では、1等監査官と名誉ある地位ではあっても果たすべき仕事など無い、連合宇宙軍本部ビルにて日々を無為に過ごすだけであったのだ。
 それは、己をエリートだと認識していたヴィクトルにとって、耐え難き日々であった。
 モンティナが伸ばした手を簡単に掴んだ理由は、それが原因だった。

 ヴィクトルの意思。
 その根底にあるのは、己に誤った評価を下した人間達を見返してやりたいと云う切なる思いだった。
 それは呆れる程に単純で、悲しい程に純粋な決断。
 だが現実と云うものは、そんな事は個々人の事情は考慮しない、されない。
 特にそれは、政治が絡んだ場合にはそれが顕著になる。
 その事を理解していなかったヴィクトルは、やはり無能者と呼ばれるべきなのかもしれない。

「では、ドイツは問題は無いかね」

「いや、1人だけ注意すべき対象が居るね」

「ヘルガ・アデナウワー?」

 スターリンの問い掛けを否定するモンティナ。
 ヘルガに関してはミスマル・コウイチロウによる接触が予定されており、更には人品次第では同志に迎え入れる事も決まっていた。
 故にヘルガでは無い。
 警戒すべきモンティナが判断する相手。それはヴィクトルの腹心、ニル・ライアーだった。

「恐らくはヴィクトルの部下では無いだろうね。 少し探ったが経歴は、アデナウワー家へ入ってからの事しか明らかになっていない。
 しかもだ。面白いとは思わないか?
 その後直ぐにヴィクトルの執事を命じられているのだから勘繰って下さいと言っている様なものだよ。実に面白い。わざとらしい程に真相の大半は闇の中だ。或いは本家、その裏にまで繋がっている可能性もある」

 実に楽しげなモンティナ。
 アデナウワー家の裏、院と呼ばれる存在。
 それは魂の座とも呼ばれるもの。
 ゼーレ。
 その実体が何であるか知られては居ないが、欧州で諜報活動をした者は等しく感じたてあろう壁。
 それがゼーレであった。
 欧州に於ける秘密結社、或いは有力者の連帯とも推測されている組織。
 もしゼーレが噂どおりの組織であれば、アデナウワー家と繋がっていない筈が無かった。

「今のところ考える必要はないだろうね。情報収集と警戒は当然必要だが。対処はそれが邪魔となった時に行えば良いだろう」

 そう言い切ったのはスターリン。
 言葉に緊張感は無い。
 この対処とは即ち、一切合財の殲滅戦である。
 紳士的で人好きのする雰囲気を持つスターリンではあったが、同時に暴力的なものを簡単に口にし、そして行動出来る人間であった。
 そうでなければ、実働部隊をも伴った情報組織を統括出来るものでは無いのだから。
 否、スターリンだけでは無い。
 この場に居る3人は等しく暴力を、何処かしら硝煙の匂いを漂わせた男たちであった。

「欧州の闇だねえ。素晴らしい。後は戦争の邪魔をしなければ嬉しいのだがねえ」

 唇の端、その肉を歪めて笑うモンティナ。
 対する張も、楽しげに口を開く。

「それは無理だろうな。俺等と彼等の利害は一致しない。残念だがな」

 同意するモンティナ。
 それはとてもとても楽しげな声だった。

 

 欧州連合の絡む事が終わり、他にも幾つかの事が話し合われる。
 不明な動きを見せている中国や、混乱の度合いを強めている米国。
 或いは彷徨いつつある日英。
 特に英国は、政界に於いてリチャード・インテグラルを中心にした親欧州派が勢力を増してきており油断する事は出来ない状態であった。

「日英に関しては梃入れが必要だね。特に英は」

「ハイアームズへの支援だけでは不足か?」

「トーマス・B・ハイアームズか。確かに出色の人物とは聞いているが、暴力沙汰に対応出来るとは思えないのだ」

 英国でも有数の富豪ハイアームズ家の嫡男、トーマスは、同時に政治家でもある。
 甘いマスクと柔らかな物腰。だが同時に実務能力の高い現実主義者、それがトーマス・B・ハイアームズであり、一般には親海洋国派と目されている男であった。
 トーマスは、日米に対して理由無き親近感からでは無く冷徹な計算故に同盟を維持し続ける効果を主張しているのだ。
 日米共に、決して殴られたままで終らせる国では無い。
 そして何よりも、英国の経済システムは欧州よりも日米に協力していた方が効率的な成果を出せるものとなっていた。
 地上では無く、宇宙によって財産を稼ぎ出しているのが英国であり、日米なのだ。
 これに対して欧州らユーラシア連合は、地球の再開発によって国を潤している。
 短期的に英国と欧州、ユーラシア連合との利益が合致していたとしても、それは決して永続的になる事は無いのだ。
 そう冷徹に計算するが故にトーマスは、英国は日米と共にあるべきと言っているのだ。
 欧州からの秋波に酔った気分的な親欧州派が増えつつある英国が、それでも尚、決定的な行動を踏みとどまっている理由、その1人であった。

「その兆候があるのか、モンティ?」

「今回のところはまだだね。だが、ゼーレを考えれば用心は必要だ。影で人を回す様に手配しよう。他はリチャードの情報収集だな。余り手を出しすぎれば話がズレかねない」

 融和派(ジョインスト)にとって英国は敵では無い。
 だが決して味方でも無い。
 そしてそれは、欧州も米国も中国も日本もであった。
 連合宇宙軍を独立した1組織へと変貌させる。その目的にとっては、連合宇宙軍内で権力闘争(パワーゲーム)に明け暮れる列強諸国は障害でしか無かった。
 その意味では海洋国家共同体の権勢衰えている今こそが、連合宇宙軍改革の好機であった。
 米国も日本も自国の事で手一杯。
 そこに、つけ込むべき隙が生まれたのだ。

 融和派、その中核を成す6人の男たちにはそれぞれの思惑があった。
 理想も違っていた。
 だが1つだけ共通するものがあった。
 それをモンティナはこう表現していた。

『人間同士の闘争は面白い。だがその遊びに耽っている間、蜥蜴に一方的に殴られているのはつまらないと思わないか?』

 モンティナの言葉は些か異常に偽悪的表現だが、その意図するものは皆が等しく抱えていた決意。
 それが融和派の基点にあった。

 

 一通りの話し合いは終った。
 持ち込まれた書類で不要なものはその場で処分――自壊させていく。
 殆ど煙を上げる事無く燃え上がり、そして一握りの塵へと変わり果ててゆく書類たち。
 誰も帰ろうとはしない。
 情報が完全に消滅する迄は安心できないのだから。
 用心深い行動。
 それが生残る為の第1歩なのだ。
 故に、小さく燃える焔を前に3人はとりとめもない会話、情報交換で時間を潰していく。

「そう言えば、ジェイコブスンが軍令部の調査会で何て言っているか知ってるかい?」

 ジェイコブスン、ビクター・ジェイコブスン中佐。
 既に准将の階級は剥奪され、元の中佐の階級へと戻っていた。
 そのジェイコブスンが居る調査会とは、表向きは木星蜥蜴の新たに投入した新兵器、ナナフシの研究を行う為の会合であった。
 無論、それだけが目的の訳は無い。
 直接的に、部隊指揮官であったジェイコブスンの責任を追及する査問会が開かれていない理由は、連合宇宙軍の実務面でのトップに原因があった。
 軍令部総長、シェルビー・M・ペンウッド大将。
 名前の通り英国人である。
 だがペンウッドが海洋国派に属していたからでは無い。
 もっと単純で、そして情けない理由であった。
 弱気であり臆病。
 即ち、ペンウッドが海洋国家共同体の機嫌を損ねまいとして、現時点では遠慮をしていたのだった。
 ペンウッドの行動も全面的に悪い訳では無い。
 政治的にみれば、或いは現時点で最良の対応だと言えるかもしれない。
 だが同時に、信賞必罰の原則を考えた場合、ここで対処を誤っては、後々に将兵の戦意に悪い影響を与えるであろう事も確かであった。
 その両面を考えるが故に、スターリンの返事には自然と、苦々しい響きが含まれていた。

「いや、知らないね。あの人物に興味が残っていなかったのもあるが」

「面白えぞ。あの新兵器、マイクロブラックホール砲と推測されるモノを喰らった事に関してだな、“それが判ったからには対処のしようがある”と言ってくれてな」

 笑いを堪えるのに必死だったと付け加える張。
 対するスターリンは眉を跳ねさせると一言、莫迦かと呟いた。
 だが張の話はそこで終らなかった。
 事実上の査問会に於いて、自分の接敵時の情報収集に関する手抜かりを棚に挙げて、情報部の責任を声高に叫んでいると云うのだ。

「正気を疑いたくなるな」

 情報部の責任。
 だが正体不明の相手の何を調べろと言うのであろうか。
 そもそも、戦闘時、威力偵察はおろか極普通の偵察行動すらもしなかった事への弁明としては余りにも足りない。
 或いは、これで十分であると思える辺りがジェイコブスンの限界――では無かった。
 より悪意のある裏側があった。

「いや違うね。責任追及に関してはアレだ、スターリン。君が目的だ。情報部を統括するロシア人が」

 モンティナが解説するジェイコブスンの言葉の意味。
 それは余りにも政治的な行動だった。
 敗北の責任を押し付ける事で、ジェイコブスンは自らの属する海洋国派の更なる勢力拡大を狙った発言だと云う事なのだから。
 そして問題を政治化する事で、自身への追及を緩めさせる狙いもあるのかもしれない。
 そこ迄を解説し、そして最後に一言付け加える。

「困った奴だねえ」

 その一言が、ジェイコブスンに関わる全てを言い表していた。
 無論、困った奴だからと言って野放しにする事は出来ない。
 否。
 これ以上、ジェイコブスンに好き勝手に動かれては情勢が流動化し過ぎてしまうのだ。
 融和派の男たちは、自分たちの相手が無能だとは思って居なかった。
 軍事の基礎的思考として、自分たちよりも優れていると想定していた。
 それ故に、隙を作る訳にはいかない、誰もが口にせずともそう思っていた。
 故に、今後の対処に関して3人は意見を交わすと、更なる積極的な情報収集を行う事を決定した。
 そこまで話し合った時に丁度、不燃盆の上で自壊していた機密紙は完全な灰と化していた。

 行動の時は近い。

 

 

――Z――

 

 

 白み掛かった茶色い表土の露出した不整地。
 疎らに草が生えている。
 そこを黄色を基調に黒を配した警戒色で塗り上げられた人型が走っていた。
 ネルガルの開発した汎用機動兵器、エステバリス。
 正確には先行量産型の陸戦フレーム5号機であった。
 人を模した体。
 その何処其処には様々なマーキングが施され、幾つものアンテナが増設された機体が疾駆している。
 起伏に富んだ地形、其処を飛び跳ねたりぜす的確に遮蔽物を利用して走る。
 時には、その両足に組み込まれたローラーダッシュ機構を利用して走る。
 かなり素早く、そして淀みの無い動作だ。
 そして最後に飛ぶ。
 20m近い距離を一気に跳躍、そして着地する。

「いやはや、凄いものですな。乗り始めて1月にも成らぬのに、見事に扱いこなしています」

 無駄の無い動作。
 それを双眼鏡で眺めているプロスペクター。
 その傍らの、エステバリスの開発技術者が相槌を打つ。

「乗りこなしもですが、その着想、着眼点に勉強になる事が多かったですよ。今走っている5号フレームの改良点、その殆どが彼の発案でしたから」

「まだお若いのに、実戦経験故にでしょうな」

 満足げに頷くプロスペクター。
 そして1つ、技術者に教える。
 商売も上手く行きそうである、と。
 戦車戦力が絶望的に足りない日本国防軍が積極的な興味を示しているのだ。

「新しく戦車を量産するのも面倒ですし、それにですね、戦車の大削減を断行させた財務省が、その責任を回避しようと色々と手を回していますから。いやいや、在り難い話ですが」

 苦笑と共に、口を噤むプロスペクター。
 財務省の責任回避――この期に及んでも財務省は、木星蜥蜴に対する戦車の有用性は懐疑的だと唱え続けていたのだ。
 数少ない戦車部隊が、赫々たる戦果を掲げているにも関わらずにである。
 国益よりも省益。
 それは、官僚機構の欠陥であった。
 それ故に財務省のキャリア官僚達は、多少のコスト高騰には目を瞑ってでも他の木星蜥蜴への対応力を揃える事を許容する事を、暗黙のうちに国防省に伝達していた。
 その軍事費を湯水の様に使えた事が、ナナフシに痛打を浴びせた歪曲力場貫通弾頭誘導弾(ペネトレーター)の早期の実用化に繋がったのだ。
 日本が開発に投じた予算は、他の列強諸国が投入した予算、優にその2倍にも達していた。
 他にも、可能性のありそうな研究、その尽くに予算を大盤振る舞いしていた。
 そして財務省と国防省合同の対木星蜥蜴研究委員会の目にネルガル・グループが提唱した新兵器、汎用人型兵器体系(A.R.M.S)――エステバリスが留まったのだ。

「来週には、日本国防省の研究本部からも人が派遣されて来る予定です。美人の技官らしいですから、期待していて下さい」

 

 

 格納庫にエステバリスが収容される。
 様々な技術者が機体に取り付き、チェックを行っていく。
 その最中、胸部コクピットハッチが開いていく。
 出てきたのは灰色を基調とした連合宇宙軍正式採用の、IFS対応パイロットスーツを着込んだ男――アキトだった。
 コクピット前に出されたタラップに飛び移ると、ヘルメットを外して乱暴な仕草で髪に手櫛を掛ける。
 汗が飛ぶ。
 そして深く深呼吸を1つ。

叩音

 それは拍手。
 機体の足元からの音に誘われたアキトの視線、そこに入って来たのはプロスペクターだった。

「いやいやお見事ですな」

 にこやかな笑顔。
 手には、結露しよく冷えた事を主張する缶ジュースの入った袋があった。
 差し入れですと言う。
 その言葉を素直には受け取らないアキト。
 裏があると思っている訳では無い。
 だが、何かを含んでいるとは思っては居た。
 アキトの知るプロスペクターと云う人間は、余り無駄な行為を好んではいなかったのだから。
 何かがあるのだろう。
 自分の用心深さを呆れるように小さく笑ったアキトは、少し待っていて下さいと言ってゆっくりと階段を下りていった。

 

 今、2人が居る場所は大神工廠射爆場の片隅、一寸したラウンジの様な場所だった。
 手元には珈琲。
 アキトとプロスペクターの和やかな、だが本題では無い会話。
 それが変わったのは、アキトが吸いかけの煙草を消した時だった。

「漸くと云うべきかもしれませんが」

 そう前置きしてプロスペクターはナデシコの乗組員、特に艦載機部隊の要員が決まった事をアキトに告げた。
 男性1名と女性4名。
 アキト自身も含めて総勢、6名と云う陣容だった。
 その事に若干の違和感を覚えるアキト。
 かつての記憶よりも数が多いのだ、己自身も含めれば2名も。
 何かが動きつつある。
 変わりつつある。
 ナデシコが建造されている場所が佐世保から大神へと変わっていた事も含めて、その事を強く認識するアキト。
 それは吉兆なのか、それとも凶兆なのか。
 全ては不明。
 だが、だからと言ってアキトは自分から何かを無そうとは思わなかった。

吐息

 それは自然に洩れた溜息。
 面倒だったのだ考えるのが。
 今と云う時間を生き、死線を越えても尚、この時間に対する確たる想いを抱けなかったのだ。
 ただ生きているだけ。
 その事を自認し、否定しないアキト。
 否、否定出来ないアキト。
 約束故に死ねない、だから生きている。
 それは余りにも自棄的な生き方であり、世界に対する拘りが生まれなかったのもそれ故にであった。
 似て非なる過去。
 それで良いでは無いかとアキトは思っていたのだ。

 

 テーブルの上に出される書類。
 一番上に、ナデシコ機動兵器操縦者名簿と記載されていた。
 顔写真も添付されている。
 一番上の履歴書には、にはアマノ・ヒカルの名があった。
 少しだけ興味をそそられたアキトは、名簿に手を伸ばそうとして気付いた。
 プロスペクターが何やら複雑そうな表情をしている事に。

「?」

 小首を傾げたアキト。
 それを切っ掛けに、プロスペクターは口をゆっくりと開いた。

「時間は掛かってしまいましたが、それ故に腕は確かな方に集まってもらったのですが、その、ですね」

 言いよどむプロスペクター。
 額をしきりにハンカチで拭いている。

「オブザーバー、監査官と云う名目で乗り込む事になった方がですね、その何と申しましょう、はい艦載機部隊の教官と云うか隊長にテンカワさんが相応しく無いと主張されまして、はい」

   恐縮しつつも言葉を連ねていくプロスペクター。
 その内容を要約するならば、その監査官氏は、パイロットとしてのアキトの技量に文句は付けないが、同時に、士官(コマンダー)としての教育が未了である事から、そんな人間を部隊指揮官として採用するのは不安であると強く主張し、それにネルガルは折れざるを得なかった――そう云う事であった。

 余りにも真っ当な理由と話の流れに、アキトは苦笑を浮かべる。
 確かにアキトの指揮官能力は不明であるのだから、専門の教育を受けた者を部隊の指揮官に置きたいと言われては否定出来る筈も無い。
 士官技能訓練校生。
 アキトの身分は只の訓練生でしかないのだ。
 実戦経験があり才能のある兵士として認められていたが、指揮官としての能力は全くの未知数であるのだから。

「そう云う訳でして協議の結果、部隊指揮官には今年、正規の士官学校を卒業された方が充たる事となりましたので、はい」

 無論アキトとて、指揮官としての素質があると判断されて訓練校へと推薦されているのだが、専門の教育が終了していなくては、信用される筈も無い。
 特に見ず知らずの人間であれば。
 そう思うとアキトは、その監査官のひととなりがかなり合理的な人間なのだなとの感想を抱いていた。

「そういう訳でですね、テンカワさん。ネルガルと致しましては貴方に機動部隊指揮官の補佐役をやって頂きたい思いまして、はい。当然この事はわが社の側の失敗でもありますのでお手当ての方は、契約書通りの額を支払いたいと思う訳でして。指揮官手当てをそのまま補佐官手当ての名目で給付する事で折り合いを付けたいのですが如何でしょうか」

 窺うようなプロスペクターの言葉。
 抜く手も見せずにアキトの前に広げられた新しい契約書。
 その挙動にアキトは、何やら必死さが滲み出ている様に感じた。
 だが即座に埒も無いと、その想像を頭を振って追い出す。
 所詮パイロットなどというものは消耗品であり、その相手をするのに機嫌を伺う必要は無い。そう思っていたのだから。
 だが実際には、プロスペクターは必死だった。
 アキトを引留める為に。

「書式、文面、全て前の契約書と同じものですので、サインを頂くだけで結構です、はい」

 プロスペクターから見てアキトは滅多に無い掘り出し物だった。
 能力的には一級。
 人格的にも、覇気は無いものの安定している。
 その覇気の無さが派手さの無い行動に繋がり、それ故に直接の関係者以外には余り評価されていないが故に安く雇える人物、即ち、お買得物件なのだ。
 部隊指揮官用の手当てをもう1つ出すのは余分な出費だが、アキトの能力であれば十分に元が取れると、冷静に判断していたのだ。
 故にプロスペクターは囲い込む様に言葉を操る。

「このテンカワさんの上司と云うか補佐対象の方もまたお綺麗な方でして、はい。当然、妙齢の方ですので、楽しい仕事環境になると思いますよ」

 その言葉と共に、アキトの前に広げられた履歴書。
 そこには連合宇宙軍第1種軍装を着込んだまだ20代前半と思しき女性のバストショット写真が添付されていた。
 きりりとした表情、そして目がなかなかに魅力的な光を放っている。
 襟元には少尉の階級章が輝いていた。
 年齢は17歳。
 履歴書では本人の才能と志望、そして木星蜥蜴との戦争の影響があった為に今年の春に飛び級で士官学校を卒業したとの事が記載されていた。
 イツキ・カザマ
 それがアキトの上司となる人間の名前だった。

 

 

――[――

 

 

 寒々しい程に愛想の無い部屋。
 その真ん中には実用性一点張りの机がポツンと置いてあった。
 机の上には段ボール箱が1個、乗っている。
 中身は写真立てやらファイルバインダー、携帯パソコン等。
 それらが無造作に、そして乱暴に放り込まれていた。

「あーもう、こんな部屋とっとと出ようと思ってたけど、いざ出る事になると、何とも口惜しいわね!」

 甲高い声。
 割合に広いと言える部屋に居るのは1人だけだった。
 小柄な、特徴的な髪型をした男。
 キッチリと連合宇宙軍佐官用の第1種軍装を着込んでは居るが、何処かしら荒れた雰囲気をかもし出していた。
 椅子に腰掛けて足を組み、イライラとそれを揺らしている。
 目つきがかなり悪い。
 機嫌が悪い事は一目瞭然であった。

電子音

 安っぽいとまでは言わないが、余り高価とも思えぬ電子合成音が鳴った。
 それに応じて、男は机の一端を弾く。
 其処が扉の開閉スイッチだった。
 音も無く開く扉。
 そこには、珈琲カップの乗ったお盆を大事に抱えた若者が立っていた。

「中佐、お待たせしました」

「遅いわよ! 何をしてたの珈琲を淹れるだけなのにっ!」

「すいません、給湯室が混んでたもので」

「つっ………」

 何かを言おうとして、そこで口を閉ざす。
 そしてポツリと、良いわよもう。と漏らした。

 芳醇な珈琲の香りが、室内に充満する。
 先程までイライラしていた男――ムネタケ・サダアキ連合宇宙軍中佐は、脱力しきった表情でゆっくりと溜息をつく。
 そして俯いたままに言葉を紡ぐ。

「悪かったわね、当り散らして」

 謝罪の言葉。
 肩を落して、両手でカップを抱えながらムネタケは謝っていた。
 その言葉を若者は小さく首を振って否定する。
 お気持ちは判りますから、と。

「アンタも馬鹿ね、左遷されるゴマすり相手にゴマをすってどうするのよ。相手を良く選びなさい、アタシみたいに馬鹿を見る前にね。ゴマをする相手を良く見抜く事が大事よ」

 乱暴なムネタケの言葉。
 だが其処には、若者を思いやる気持ちが混じっていた。

「フクベ提督ですか………」

 木星蜥蜴と人類が始めて戦火を交えた火星での戦いにて戦果を挙げ、英雄とされている軍人。
 第1艦隊司令官にして人類最強の戦力集団、第1遊撃部隊の司令官だった男。
 それがフクベ・ジン大将。
 にも関わらず、ムネタケはフクベをこき下ろす。

「最初はマトモだと思ったのよ、最初は」

 豪胆にして沈着冷静な、連合宇宙軍の宿将。
 一般の市民から軍人、それも高級士官まで誰もがフクベをそう見ていた。
 だが、その副官として実像をつぶさに眺めたムネタケは、それが虚像だと言い放つ。
 結局は只の格好つけだったと。
 ムネタケは言う。
 自分も有能な士官だとはとても言えないが、それでもフクベよりはマシだと。

「そりゃね、指揮官の基本は決断よ? でもね、それ以外は全て他人にやらせて、自分は何も考えないなんて論外よ、まったく!」

 情報を収集するのも、作戦を立案するのも全て参謀まかせ。
 大まかな指示すらもしない。
 只、参謀団の意見に乗って行動するだけ。
 指導力は発揮しない、或いは出来ない。
 それは、世間に流布する英雄としてのフクベ像からは余りにもかけ離れたものであった。
 楽できると思ったのに。
 普通に聞けば脱力しそうな科白を精一杯、本気で口にするムネタケ。

「でも、参謀団の意見を聞かない司令官よりは………」

「程度問題よ、程度問題」

 一刀両断。
 そしてカップの珈琲を一気に煽る。

「あのボケ参謀長が裏で操ってた事を見抜けなかったのが痛恨事よ、全く。フクベが実力者だと思ってたのに、全く操り人形だったなんてね。あの爺に取り入ろうとしたらキレてアタシの邪魔者扱いするし、オマケに火星で負けた理由は全部アタシに押し付けてくるし」

 そして最後は民間企業への出向よ、もう最低よと文句を漏らし続けるムネタケ。
 命からがら火星から帰ってきて以降、軍令部付無任所参謀として只、無為に過ごし、そして唐突にネルガルへの出向が命じられたのだ。
 ムネタケで無くとも不貞腐れるというものである。
 更にムネタケの情報網によれば、ムネタケとソリのあわなかった第1遊撃部隊の参謀長が、この出向の根回しをしたと云うのだ。
 報復人事。
 或いは八つ当たり。
 余りにも程度の低い行為、ムネタケが不貞腐れない方がおかしかった。

「でも新鋭戦艦の運用監督ですよ、見込まれたって事じゃないですか?」

「これが北崎かクルップOTOの実験戦艦とかだったらアタシも大喜びしていたわよ。だけど相手はネルガルよ?  アンタは知らないかもしれないけど、あそこは技術フリークでね、効率よりも技術投入を優先する様な所があるのよ。ていの良い人身御供よ、アタシは」

 そしてもう1つ、若者には言えぬ理由があった。
 元第1遊撃部隊参謀長は、フクベ提督の腰巾着に成りたかったんだろムネタケは。なら最後まで行かせてやろうじゃないかと公言していたのだ。
 ネルガルは、高齢を理由にその実、火星会戦敗北の責任を取って退役したフクベを艦隊の運用アドバイザーとして雇っていた。
 ムネタケにとって、フクベに余り思うところは無い。
 にも関わらずこの処遇、そう考えればこの程度の不貞腐れで済んでいる。
 そう評すべきだったのかもしれない。

「頑張って下さい中佐」

「当たり前よ。アタシがあんな所で朽ち果ててたまるものですか。なんとしても中央に復帰してやるわ」

 中央。軍令部、軍の中枢へと返り咲く。
 ムネタケは、その為の努力を惜しむつもりは無かった。

「人事面でも色々と言ったしね。監督官としての権限をフルに使って、頑張ってくるわ」

「御武運を」

「ええ、武運でいいわ。幸運はアンタが持ってなさい。もう軍令部じゃアンタはアタシの腰巾着として見られているんだから、アタシが凱旋するまで幸運でもなければ残っちゃ居られないわ。あの参謀長(バカヤロー)とかに鞍替えできたら褒めてあげる。兎に角頑張る事ね」

 

 

 何処かしら薄汚れた雰囲気のある部屋。
 だが同時に、活気はある。
 そこは食堂だった。
 少なからぬ人間が、忙しく食事をしていた。

「えっとぉ、アイツら場所を取っとくって言ってたんだが………」

 短く切りそろえられた翠色の髪が特徴的な女性が、溢れんばかりに食べ物が乗ったトレーを手に歩いていた。
 キョロキョロと周囲を確認しながら。
 少しだけフワフワとして見えるのはこの場所が低重力環境だからだろう。
 此処はL3・スカパ・フロー泊地に浮かべられた軍民共用ステーション、サツキミドリ。
 民間宇宙船用の中継ステーションであると同時に、深宇宙哨戒拠点でもあった。
 否。戦時である今は、哨戒拠点としての性格が強かった。
 宇宙港には小型の哨戒艦が何隻も停泊しており、この食堂ホールの人間も、その半数は連合宇宙軍宇宙勤務者用の軍装、第2種軍装を着込んだものが大半だった。
 蒼色に沈んだ食堂。
 だが今、歩いている翠髪の女性は軍籍にある者では無かった。
 ネルガルのロゴが入った薄灰色のツナギを着て、堂々と歩いていた。

「おぉ〜いリョーコ、此処! 此処!」

 その声の主を探す翠髪の女性――スバル・リョーコは、直ぐに苦笑を浮かべた。
 場所は自分の進行方向の直ぐ先からだった。
 少しだけ、自分が先に発見できなかった事が悔しく、小さく舌打ちをする。
 それから笑って、呼びかけて来た女性、アマノ・ヒカルの真向いに腰を下ろした。

「ワリィ、遅くなった」

「お疲れ。で、ナンだったの呼び出し」

 着席するや猛烈な勢いでフォークを握ったリョーコは、ヒカルの言葉にお預けを命じられた子犬の様な表情で、トレーを見つめながら答える。
 訓練の打ち切りと、地上への降下を。

「ナンで?」

「知るかよ」

 正確には、聞いてはいたのだリョーコも。
 地上に降りてナデシコ機動兵器部隊としての部隊編成を行うとの事を。
 そして部隊としての連携の訓練を行う為、地上に降りてもらうとも聞いては居た。
 だが面倒だったので思い出せないフリをしていた。
 会話するよりも、食事をしたかったのだ。

「0G戦フレームが完成したからかしらね」

 それまで黙っていた女性、艶やかな黒髪を腰の辺りまで伸ばしたマキ・イズミが口を挟む。
 秀麗な顔立ちの女性ではあるが、同時にどうしようも無く寒いギャグを常に口にする人物であるのだが、この時は真面目な表情を見せていた。

「さぁ? つか喰わせろ。腹減った。訳のわかんネェ話を聞かされてたんだ。腹が膨れりゃぁ思い出すかもしれんからな」

 そう宣言してリョーコは盛大にフォークを操り始めた。

 

 

 少女にとって日常とは、常に代わり映えのしないものであった。
 清潔さだけが特徴の部屋で起きる。
 十分に計算された栄養価の食事を摂取し、そして後は一日中実験される。
 場所は色々と変わった。
 実験を見ている相手も変わった。
 だけど少女の日常だけは変わらなかった。
 与えられた道具で与えられた目的を果たす、実験動物(モルモット)
 或いは試験体(テストベット)
 どちらにせよ、その為に生み出されたのだと説明されては是非も無しと、達観していた。
 それがホシノ・ルリ。
 IFS強化体質者、マシンチルドレンとも呼ばれる遺伝子操作の申し子(ビメイダー)であった。

 そんなルリの日常を壊したのは2人の男だった。
 ゴート・ホーリーとプロスペクター。
 ルリにとってそれは最初、極偶に訪れる非日常――自分の売買に関する事だと思っていた。
 新しい実験場所へと買われて行くのだとしか思わなかった。
 だが違っていた。
 プロスペクターはルリに、貴女が乗るのはわが社の開発した最新鋭の戦艦ですと告げた。
 戦艦。
 戦闘に用いられる、火力と防御力に優れた宇宙船。
 そんな場所で、どの様な実験に自分が使われるのか判らなかったが、兎も角納得はした。
 無表情に頷くルリ。
 そこへゴートが口を開く。
 それは要請、出来れば早くナデシコに乗り込んで欲しいとの。
 それにもルリは頷く。
 買われた身、購入者の意向には最大限に沿う事が正しい事なのだと、ルリはずっと前に聞いた事があったから。
 だからルリは言った。
 立ち上がって、何事も無い表情で。

「では行きましょう」

 レオタードの様な、IFSの接続状況を把握する観察服のままで。

「私物は無いのか?」

 ゴートの問い掛けに、ルリは黙って首を振る。
 左右に。
 私物など持って居なかった。
 強いてあげれば赤い飾りのついた髪留めだけだったのだから。
 そんなルリにゴートは1つ溜息をつくと、無表情のままに自分の上着を脱いでルリに被せていた。

「この季節とは言え、その格好では外を歩くのは余り進められん。ミスター、帰りに洋服屋に寄りたいのだが?」

 ゴートの確認にプロスペクターはにこやかに頷いていた。
 それがホシノ・ルリの、人としての始りであった。

 

 

2004 12/28 Ver4.01


<次回予告>

戦艦と云う場所は興味深い
想像していたよりも遥かに色々な人が居た
変な人、普通の人
大人な人、子供な人
私を人間として扱う人、可愛いと言った人
それが私の新しい場所
或いは居場所
だがこの場所は戦艦だった
戦艦の生まれる日、木星蜥蜴がやって来た

 

機動戦艦ナデシコ MOONLIGHT MILE
Va
Deep Impact

 

その日、大神は燃えた

 


<ケイ氏の独り言>

 どもお疲れ様です皆様。
 毎度毎度、ナデシコ分の不足した愚作を書いているケイ氏です。
 3回目にして既に英語題名のネタ切れに頭を悩ましているケイ氏です。
 このままだと、本文が完成したが題名が思いつかず、投稿できないと云う素敵な事が待ってそうな予感がヒシヒシとしているケイ氏です。
 どうしましょう?

 時事ネタ(?)を入れれば、長谷川版鉄人28号“皇帝の紋章”、そのラストの展開、燃えカコイイ! と叫べば結構誤魔化せる気のしているケイ氏です。
 心が無いかもしれない。思考力が無いかもしれない。
 だが魂がある、漢のロボット――鉄人28号。
 鳥肌ものの、ある意味で、デモンベインよりも直球な格好よさ。
 まっ、この台詞で騙されるのって私ぐらいかもしれませんが(熱核自爆

 それは兎も角、矢張りルリには、こゆう登場の方が萌えるなぁとか(;´Д`)ハァハァ言っているケイ氏です。
 最初からラブラブってのもアリですが矢張り無表情少女を調教、もとい教育するのが萌え萌えだと思うのですがどうよ?
 と云うか、自分にすらも頓着しない少女(;´Д`)ハァハァ
 尚、未来のルリ(ルリ司令と仮名)の登場は、もう少し先ですね。

 兎も角、次こそTV版第1話の所に突入します。
 これからが本編、頑張りますのでお見捨てなくm(_ _)m

 

>代理人さん
 イジメカコワルイ

 

 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

小学生にハァハァするとはどこまでも心の歪んだ奴!
天に代わって成敗してくれる!(爆)

と、GC2周目に突入した代理人です。こんばんわ。
ちなみに今回のエースはダイオージャ。
作品そのものも勿論大好きですが、能力的にはなによりもあの、
ミト王子は加速以外は幸運と愛だけ使っててくださいって精神コマンドが素敵。
シノブさんが支援メカのパイロットだったらもっと良かったんだけどw

それはともかく本編のほうですが、よーやく「ナデシコ」が動き始めますね。
ムネタケとフクベ、それにイツキが乗ってきたのも気になりますが、
エステの開発現場に日本軍から来る美人の技官というのも何やら含みありげな。
案外↓からすると高原とか仁村とかいう名前なのかもしれませんけどね(笑)。

>トーマス・B・ハイアームズ

そーか、この世界の「アレ」にはエステとかデルフィニュウムもあるんですな(笑)。
そのうちジンとかブラックサレナとかも・・・・?w

>イジメカコワルイ

いじめてません。ネタにしただけです(爆)。←いじめっこはみんなそう言うんだ