宇宙戦艦ヤマトナデシコ
第1話 「俺はおまえを信じたい」
火星 極冠遺跡上空。
無数の機動兵器が、ただ1機の機動兵器に、過剰としかいえない量の弾薬を撃ちこんでいる。
しかし黒と白に彩られた機体は、背中の巨大な追加ユニットのバーニアの出力に物言わせ、強引にそれらの攻撃をかわしていく。
「くそっ……。弄り殺しにする気かよ」
この機体のパイロットは腹立たしげに呟いた。
身長は168cm位、肩まで伸ばしたぼさぼさの漆黒の髪、それと同色の吸い込まれそうな鋭い目、逞しくもやさしくも見える抽象的な顔と一見してわかる鍛えられた肉体。一般世間では美形と言われるような男である。
パイロットスーツの下で汗が滲む。このままでは遠からず撃墜されてしまう。
彼のパイロットとしての腕は良くて2流、唯一反射神経だけは1流と称されているが、現状を凌げている理由はそんなものではない。一言で済ませれば機体が良いからだ。非常に高性能でありながら操縦性が良好で非常にマイルドな造りになっている。かのエステバリス・カスタムと比較すればその操作性は一目瞭然で、断然こちらの方が扱い易い。そうでなければ1時間前に彼は夜空の星になっていただろう。
『アスマ、もう弾切れ寸前です。これ以上の戦闘は継続は――』
「そんな事、言われなくてもわかってる。ナデシコへの退路をとっとと見つけ出せ。それ以外に解決策はない」
アスマと呼ばれた青年はコックピットのスピーカーから発せられた非常に柔らかで男性的な電子合成された声音に出来るだけ冷静に聞こえるよう対応した。同時に的確に指示を出す。彼は声の主に絶大の信頼と信用を置いていた。それは単純に付き合いが長いからからこそ出来る事だった。そうでなければ、機械の過信など出来はしない。
『アスマ。包囲網がまた狭まりました。回避行動は早めにお願いします』
「わかった。回避行動を早める」
アスマは、この機体に搭載されたAI――キットに対してそう答えた。このAIこそが先程の声の正体であり、彼が最も信頼する相棒であった。
彼は会話しながらこの攻撃の嵐を凌いでいたが、限界が近かった。
機体はここまでの戦いでだいぶダメージを負っていた。コックピット内は警告灯の赤い光がちらほらと目立つようになり、警告音が騒がしいコーラスを奏で始めている。
使用可能な武器は右手に持った散弾砲=ショットキャノンのみで、逃げるスペースもだいぶ無くなってきている。追加ユニットの両翼にビーム砲が装備されているのだが、砲身が破損して撃てないでいた。
「くそっ。補給に戻る隙もない」
アスマはモニターの隅に映りこんでいる、かつては純白の船体を持っていた戦艦――傷だらけのナデシコBに視線を移しながら愚痴った。あちらも酷い混戦模様でとても近づけない。というより、近づくには回りの敵がしつこ過ぎる。とても隙を見て脱出など出来そうに無い。エステバリス隊も撃墜こそ免れているが、損傷が酷くナデシコを庇うので精一杯だ。今は、少しばかり突出したアスマが孤立している状況となっている。それに気づかぬ仲間達ではないだろうが、流石に余裕が無いようだ。
回避行動はもう限界だ。サイズは通常のアルストロメリアよりも肥大化している以上、避けられない事実だ。ショットキャノンも弾切れ寸前。あと2発だ。このままではいずれ撃墜されかねない。止むを得ない。奥の手を使う。
「キット! 電磁チャフ散布開始!」
『はい!』
キットは素早く腰のカプセルを切り離して起爆させ、電磁チャフと呼ばれる妨害工作を開始する。同時に残りの弾を撃ち尽くしてけん制し、逃げに入る。電磁チャフは従来のチャフに電磁波によるかく乱を混ぜた妨害装置の一種で、効果範囲は狭いが、その分強力なジャミングを期待出来る奥の手だ。反面、味方の情報もかく乱してしまうし、強力過ぎて自分のセンサーまでおかしくなってしまうと言う欠陥品でもある。しかし背に腹は変えられない。アスマは電磁チャフで混乱している敵を推力に物言わせ振り切り、何とかナデシコに帰還した。帰還してすぐ機体をベッドに固定させ、最低限の補給を受ける。もちろん戦線を離脱することを仲間に知らせることは忘れてはいけない。通信機を手早く操作してメッセージを送ると、アスマは自己診断装置を起動して処理の状況を確認する準備を整える。
追加ユニットのビーム砲の砲身を交換する。ショットキャノンを新品に持ち替え、失っていた左腕の展開式シールドと予備弾倉も補充する。
「アスマ君! 大丈夫なんだろうな!?」
親友であり現戦友のアカツキ・ナガレが再出撃したアスマに呼びかけてくる。彼には本当に世話になっている、仕事もくれたしこうして戦うための準備さえも彼の好意が無ければありえなかった。無論、元が頭に付くとは言っても大企業の会長だった男だ。そこにビジネスマンとしての思惑が無かったとは思えないが。
「ああ。何とかまだ戦える」
アスマは返事をしながらショットキャノンを撃って敵を牽制する。距離が離れすぎると散弾砲という特性上遠距離からではディストーションフィールドを貫けないが、有効射程内なら機動兵器クラスのディストーションフィールドなら容易く撃ち抜くだけの威力がある。戦艦クラスになると至近距離から撃っても貫通出来ずに弾かれるだけに終わるが、些細なことだ。元々対艦攻撃を意識した武装ではない。
手短なバッタや積尸気に向かってショットキャノンを撃ち込む。散弾砲だけに命中率は高いし貫通力は十分に持たせてある。高機動戦闘では案外役に立つ。元々命中率を高めるための散弾だし、至近距離では狭い範囲に大量の子弾が命中するこの武器は、運用さえ間違えなければ相当強い武器だ。武器としてのデザインと命中率の高さを気に入っているからこそ使用しているのだが、今回は少々選択を間違えた気がしないでもなかった。
アスマは何とかエステバリス隊と合流して敵部隊を押さえに掛かった。だが、如何せん敵の数が多すぎる。母艦であるナデシコは完全に足止めを喰らっていて、敵の本拠地である極冠遺跡にまで辿りつけていない。それどころか、直線距離で20kmはある。戦闘が無ければ5分と掛からず走破出来るはずだが、あまりに激しい攻撃にナデシコは近づくことすらままならない。
状況は、芳しくなかった。そして、勝利もまた、遠かった。せめて僚艦がいればと無いもの強請りをしたくなったが、今回の出撃は自分たちが勝手に決めたこと、贅沢は言えない。しかし、状況を打開する決め手を欠いていることは、絶望的と言えた。
事の発端は3ヶ月前に遡る。この時はまだ、誰もこのような事態を予想していなかったに違いない。
海岸沿いの道路を、一台の黒いスポーツカーが走っている。
優雅な曲線を描くボディ、鋭く伸びたフロントノーズの上で左右になびく赤い電飾――スキャナーの光が左右に報復運動を繰り返している。そして静かで力強い動力音。一見すれば非常に滑らかでシンプルなデザインのスポーツカーでしかない。
しかし内装は表向きの印象とは180度異なるものだった。メータは全てLEDをふんだんに使用したデジタル・タイプ。ハンドルも一般的な円盤型ではなくまるで戦闘機の翼を髣髴させるデザインで、ダッシュボードに至ってはモニターまで装備されている(カーナビであってカーナビでならず)。外見がシンプルな分内装に手をかけた若者の改造車と言えなくも無いが、明らかに力の居れどころを間違えている気もするというのは、友人の言葉だ。もっとも、友人はこの車の本当の性能など全く知りもしない一般人に過ぎないので、その評価は正しいとは言えなかった。
運転している青年はテンカワ・アスマその人。愛用している赤いTシャツに紺色の薄手で動きやすいズボンに黒い革ジャン着込んでいる。彼はシンプルなデザインの服装を好むので、装飾品は唯一両手の薬指につけた指輪だけだ。今は日も高いからか、黒のサングラスなどかけている。
「………」
そのアスマは、W字型のガルウィングハンドルをトントンと指で叩きながら、拗ねた様な表情で前方の空間を睨んでいる。先程本当に理不尽な現実というものを味わって、機嫌が悪いのだ。
そんな彼の態度を見かねたのか、ダッシュボードからやや若い男のものと思われる柔らかい電子合成された声が流れてきた。
『いつまで不貞腐れているんです。いい加減諦めたらどうですか?』
「諦めろねえ。そうだよな。苦労して苦労して、理不尽な要求も呑んで働き続けたこの2ヶ月! 日曜、祝日も半分は返上して働いて、やっと取れた休暇も理不尽な要求で全部パア! これで冷静だったら俺は人間じゃないと思うね」
『……それはそうですが、それが社会人というものです。貴方は十分理解しているはずでしょう?』
「だからこうして仕事に向かってるんだろうが。少なくとも雇ってくれた恩もある。首切られるまではしっかりと働くよ」
こうやって会話をしていると、たまに通信などで誰かと話していると誤解されるがそうではない。この声はこの車に搭載されたコンピュータの声である。
キットと呼ばれるオモイカネ級の小型AIである。正式名称は「KNIGHT INDUSTRES TWO THOUSAND」。頭文字を繋げて「K.I.T.T.」と略され、愛称として「キット」と呼ばれている。
彼は、ネルガルのイネス・フレサンジュ博士とアスマの元同僚であるタカギ・ユリナが、ネルガルの粋を集めて作った小型オモイカネ級AIの試験機で、従来のAIよりも遥かに優れた柔軟な思考と、成長の仕方によっては人格すらも持つオモイカネをより身近な存在に出来ないかという理由で製作されたのだ。
戦艦の制御装置が主任務であったオモイカネとは異なり、人とのコミュニケーションを主軸にこの車、ナイト2200の制御装置を兼任している。当初はアスマに忠実な僕として生まれたが、折角人格を持っているのに下僕は無いだろうと言う意見が生じたのでその制約を外し、キット自身の意思でアスマについて行くという判断を下し、現在に至る。そこに当初のプログラムによる刷り込みが無いとは言えないが、キットはキットなりに彼との生活を気に入っていたということだろう。
結果のみで言えば実験は成功なのだが、やはり小型化に成功したところでまだまだ完成とは言えず、キットの稼動データを集めながら市販化を目指している真っ最中だ。
キットはこれで結構出来た性格で、基本的には丁寧で紳士的なのだが、感情を学ぶ勉強の課程で見たアニメにどっぷりはまってしまい、マニア、オタクとなってしまっているのが欠点と言える欠点である。アニメが絡むとたまに自分を見失うこともあるので最近は自重している節があるが、それでも最新の映像メディアが発売されると可能ならばレンタルで、出来なければアスマに頼み込んで購入してもらってそのデータを取り込み、専用に増設してもらったハードディスクに保存する日々を送っている。金銭的に決して豊かとは言えないアスマであるが、大切な相棒であり家族でもあるキットの頼みを無碍には出来ず、金を都合するために泣く泣く食費を削ったり自分の娯楽を我慢している。キットもそれを承知してはいるのだが、やはり羽目を外す事が無いとは言えないので甘えているのだろう。せめてもの慰めは、アスマもアニメを見ることをそれなりに楽しめると言う一点に尽きる。
キットはオモイカネの様に自分のイメージ映像を持たず、ハンドルの上部に付けられた、LEDボイスインジケータが「顔」といっても過言ではない。喋っている時は、LEDが3つのライン上で上下に赤く伸びる。声の大きさや感情の具合によって伸び方が違うという芸の細かさも持ち合わせているため、結構表情豊かと取れる。最近では声を発しなくても“開いた口が塞がらない”を再現するためにゲージを全て一杯に伸ばしてアスマの目を楽しませてくれたりもしている。時折小言をぼそっと吐く時はわざわざインジケータ表現を抑えたり消したりするのだから、なかなかやるなと最近は感心していた。
「まったく。アカツキの奴。今度はどんなトラブルを起こしやがったんだ?」
アスマは雇い主であり良き友――というよりは悪友――であるアカツキ・ナガレのにやけた面を思い浮かべながら、今度は一体どんなトラブルが発生したのかと思考を巡らせる。
休暇を潰してまで呼び寄せるとなれば、ネルガルそのものに大打撃を与えるようなトラブルの可能性があるし、もしくは木連絡みの事件か、または、テンカワ・ユリカ絡みの事件だろうか。どちらにせよ向こうについて話せばわかることだ。通信で話さなかったのは、どこかに傍受されるのを嫌ってだろう。つまり、S級レベルの事件ということだろう。
どちらにしろ事態は芳しくないと言うことだ。アスマはキットを搭載した愛車、ナイト2200のアクセルを踏み込み加速させた。
ナイト2200とは、大昔の海外ドラマで活躍した、ドリームカー・ナイト2000を真似て作ったもので、過去の車を復刻するという車メーカーの行いの中、一時凄まじい人気を誇っていたポンティアックトランザムを改造したものだ。製作者にウリバタケ・セイヤとエリナ・キンジョウ・ウォンの妹、レイナ・キンジョウ・ウォンを迎えた豪華スタッフによって製作された。キットの名の由来でもある。
性能はもとより、外見も可能な限り似せた力作である。この車の製作が決定したため、キットというコードがこのオモイカネ級に与えられたのだ(キットの正式名称はそのまま使用しているが、正式名称は伏せられており、愛称を正式名称として扱っている)。現在は途中参加という形で開発スタッフに合流したタカギ・ユリナと、本社勤めのレイナの手によって性能維持を行っている。ウリバタケは家族サービスの合間を縫って時折新機能の追加などに力を貸してくれている。特に長男がナイト2200に特に御執心なので、アスマもたまに助手席に乗せてドライブを楽しむこともあるくらいだ。その時ちょっと暴走して海上を走行してみたり、ターボブースト(加速またはジャンプを行うための機能)の飛距離最長記録に挑戦などと言って必要とされるべき状況でもないのにシステムを使用して車を損壊、給料から修理代の一部を差っ引かれるという珍事を起こしてしまったことも記憶に新しい。
ネルガル本社まではまだ時間がある。今のうちに世間一般の情報を改めておいた方が良さそうだ。
アスマはキットに電子メディアでのニュースの提示を求めた。現在では電子メディアの普及が進んでいることもあり、新聞などの紙を使った情報メディアとインターネットを使った電子メディアの両方から情報を得る事が出来る。どちらの内容も一長一短な面があり、アスマは両方に目を通すのを習慣としている。紙面のニュースは、今朝読んできた。
「じゃあ、しばらく運転を任せるな」
『了解』
アスマはモニター脇にある横一列に並んだ三つのスイッチに中から、「オートクルーズ(自動操縦)」を選んで押す。ボイスインジケータ下部の表示が「マニュアルクルーズ」から切り替わり、キットの制御による「オートクルーズ」に移行した。自動操縦は一般的にはあまり普及していないが、トラックなどの長距離移動を行う自動車には大抵取り付けられている装置で、道路と車体に設置されたセンサーと衛星情報を元に定められたルートを自動で走る機能だ。緊急時には人間の手で動かす必要があるが、大抵の事故は回避出来るだけの安全性も持ち合わせている。ただ、自家用車では運転を楽しめない、メリットが少なく整備の手間や装置の繊細さが原因の破損率の高さからあまり普及していない。
アスマはニュースから何かそれらしい情報は拾えないかと目を走らせたが、ネルガルが本格的に動きそうな出来事は見当たらない。となると、裏か。
アスマは知り合いの情報屋に通信で尋ねてみたが、それらしい情報はまったく掴めなかった。2,3人の情報屋にもあたってみたが、やはり収穫は無い。それぞれの情報屋の口座に情報料と気持ちを少し振り込んでから運転を手動に戻し、ネルガル本社への道を直走った。
ネルガル本社はビル斜めにした立方体を2つ重ねたような独創的なデザインの、青くて奇抜な建物だ。アスマはネルガル本社ビルの前でナイト2200から降りた。
「じゃあキット。適当な所で待っていてくれ」
『はいアスマ』
アスマはナイト2200から降りて、ビルへと入っていく。キットも自動操縦に切り替えたナイト2200で走り去っていく。本社ビルの駐車場に向かっているのだ。
そしてアスマが玄関をくぐった所で、巨漢の男、ゴート・ホーリーに出っくわした。
「会長がお待ちだ。会長室に行くぞ」
「わかった。出迎えさせて悪いね」
「気にするな。これも仕事の一環だ」
無愛想に返事をすると、ゴートは会長室に向かうためエレベーターホールに足を向けた。アスマもゴートに従い、エレベーターホールへ歩き出した。
会長室に辿り着くと、深刻な面持ちで会長秘書のエリナ・キンジョウ・ウォン、会計のプロスペクター、そしてネルガル会長アカツキ・ナガレが待っていた。
「待っていたよアスマ君。せっかくの休暇を取り消して悪いけど、緊急事態だ。つい先程、草壁春樹が脱獄した」
「なに、春樹がか!?」
草壁春樹。かつて、木連を事実上牛耳り、地球との抗争を最後まで望み、クーデターによって表舞台から去り、挙句テロリストとなって世界征服を企んだ男だ。厳密には違うのだが、一般にはそういうことになっている。
(春樹が脱獄。あの人のことだ。また懲りずに古代文明の独占を考えてるのか。
……昔は、あんな人じゃなかったのに)
そこまで考えた時、アスマの脳裏に浮かんだのは、幼い自分とまだ軍人になりたてで、満面の笑みを浮かべながら遊んでくれた、数少ない理解者の姿だった。アスマは草壁のことを、実の兄のように思っていた。だから、あの暴挙は本当に悲しかったのだ。草壁春樹が、単なる悪党に落ちてしまったような気がして。
アスマはまた押し寄せてきた悲しみを振り払うかのように頭を振り、話を続けた。
「アカツキ。春樹が脱獄したという事は、火星の後継者がまた動き出すと見てまず間違いないだろう。あの人の影響力は強い。今なおその思想を受け継いだテロリストは多い。早めに手を打たないと大変なことになるぞ」
アスマはアカツキの目をまっすぐに見ながら自分の意見を口にする。それに関してはアカツキも同じ考えだった。
「僕もそう見ている。そうなれば今一番危険なのは翻訳機として利用された経験のあるユリカ君だ。君には彼女の護衛を頼みたい。今すぐ彼女の家に向かってくれ」
「わかった。俺も、自分の姉をむざむざ見殺しには出来ないからな。償いのためにも、俺自身のためにもな」
アスマは爪が食い込むほど己の拳を握り締めた。過ちは一度犯せば十分だ。もう二度と、姉を苦しめたくは無い。ましてや自分がその苦痛に関わってしまっていたのだから。もう二度と、繰り返してはいけないのだ。
そこで、今まで黙っていたエリナが口をだした。
「アスマ君、実はキット搭載を前提として、新型機動兵器の試作機を改修中なの」
その言葉を聞き、アスマは目を丸くする。一体それと護衛に何の関係があるのだろうか。
「キット搭載を前提? どういう事なのか説明してもらえないか。というか、護衛とどう関係があるのかも」
エリナは頷くとすぐに口を開いた。
「火星の後継者が動くとすれば、間違いなく大規模のテロ活動があるはずよ。機動兵器が出てくる可能性も否定出来ない以上、対抗手段は必要よ。その為には、まず武装の強化が必要だからよ。制御装置として考えれば、キットほど優秀な物は無いわ。車に積めるくらいですもの、エステバリス・サイズの機体にも積めるから、その分制御に難があっても強力な機体を造れるでしょう? 人とのコミュニケーションを主軸にしているからそれほど高度な自動制御は出来ないかもしれないけど、パイロットの癖を理解した機体制御を行うと言うのなら、やはり彼が最適よ」
「確かに、制御装置が優秀なら多少じゃじゃ馬でも問題は無いな。でも、俺も現役じゃないぞ? 蜥蜴戦争時は後方支援のメカマンだったし、火星の後継者の乱の時は裏方だったし。最後のテツジンに乗ったのだって、テストパイロットの時以来だから、ざっと8年前だし」
指折り数えてアスマは答えた。自分よりも遥かに使えるパイロットは多いと思うのだが、どうしてか未だに納得出来ない。
「でも、当時の成績を見る限り悪くは無い腕前だったわ。この手の戦闘は経験無くても、貴方は生身でかなりの修羅場を潜ってるから、ある意味戦場慣れしてるしね。それに、キットと阿吽の呼吸で行動出来るのは、世界広しと言えど貴方だけよ?」
「そんなもんか?」
そう言われては悪い気はしないが、それでも訓練という言葉には若干引き気味だ。どうしても、良い印象が無い。今でもたまに、“あの時”の猛特訓を夢に見るくらい、トラウマがある。
「それはともかく、俺1人で戦うのは幾らなんでも無茶だぞ。手数が足りないしまだ素人の域を出ないし、何より作戦行動を取るなら母艦が必要だ。手配の方は?」
これの質問にはプロスペクターが答えた。
「母艦は現存する唯一のナデシコ級戦艦、“ナデシコB”を改修して使用する予定です。他の乗組員は、前回の戦いに参加してくれた元乗組員を当たってみたところ、ほとんどの方が参加してくれるとの事です。皆さんに馴染みのあるエステバリスも現在行なえる最新の装備や部品を使用しての強化を図ります。それでも不十分だとは思いますが、何せ時間が不足していて、どこまで対応出来るのか、全くの未知数です」
「そうか。ナデシコの人達が参加してくれるのか。助かるな。でも、あの人達は苦手だな。どうしてもさ」
苦い笑みを浮かべてアスマは自分の心境を語った。能力的にはありがたいし、性格的な面でも肩肘張らなくていいぶん楽なのだが、どうしても過去の一件絡みで心象が良くない。
「そうですね。特に貴方はアキトさんとユリカさん絡みで第一印象が最悪でしたからなあ。しかし、貴方は行動で見事謝罪して見せた。皆さん、アスマさんのことを認めてくださっていましたよ。それに、貴方には実績があります。キットと一緒に解決した難事件の数々。ナデシコの関係者にはすべて包み隠さずに伝えておりまして。
ですから、今回の人為編成で貴方の乗船に文句を言った方は殆どいませんでした」
それを聞いてアスマは少しは気が楽になった。少なくとも、無視だけはされずに済みそうだ。
「アカツキ。俺はすぐにでも姉さんの所に行くよ。ついでにユリナも拾っておく。あいつも多分狙われる可能性がある。俺と同じ裏切り者だし、何よりあいつは頭が切れる。潰しておけば向こうも何かと有利になると判断するかもしれない」
「わかった。気を付けたまえ。何処で何をされるかわからないぞ」
そう言うアカツキに、アスマは笑みを浮かべ、
「なに、キットがついてるよ」
「アスマ。すぐに応援を送る。先行して待機していてくれ」
ゴートの言葉を背に受け、アスマは会長室を後にした。
ドアが完全に閉まった後で、アカツキは深い吐息を漏らした。
「そうは言うけど、キットだって無敵じゃないんだぞ……。頼むから、死なないでくれよ……!」
それは上司としてではなく、アカツキ・ナガレ個人としての願いだった。
「そうね。死なないで欲しいわね。きっとアキト君も悲しむと思うから」
ポツリと漏れたエリナの言葉に、誰もが頷いたのだった。
本社ビルから出たアスマは、キットに連絡を入れる。
「キット、すぐに来てくれ」
『30秒でいきます』
キットから返事があった後、きっかり30秒後にナイト2200が正面玄関前に停車する。
『どうぞ』
自動で運転席側のドアが開き、アスマは何も言わずに乗り込む。
「姉さんの家への最短ルートを検索してくれ。ついでに、ユリナの家に寄る時間があるかどうかも」
『わかりました。話は聞かせてもらいました。すぐにでも行動に移せます』
「流石だな相棒。監視レベルをMAXに。スキャナーの感度も最大だ」
『了解。設定します』
アスマはすぐにエンジンを始動させると、すぐに発進する。
キットがモニターに表示したルートに従って、まずはユリナの自宅へ向かう。距離的に近いし、通り道だ。
キットの指示に従って道路を進んでいくと、通行止めの看板と迂回路を示した立て札が立てられている。どうやら工事中のようだが、キットのナビにそんな情報は無い。衛星情報と交通情報を元に作成されたナビゲートだ。こんなことはあり得ない。そもそも、工事なら必ずもっと前から、いや、それ以前に現代ではまず必ずナビに表示される。正規の工事ならば。
アスマは罠の気配を感じ取りながら、大人しく指示に従った。ここで迂回路を選択すると5分ほどのロスになる。それが命取りになる可能性は高い。幸い指示された迂回路はそれほどタイムロスを生まない。ならば、キットの――ナイト2200の性能に物言わせて突っ切るのみ!
アスマが迂回路に入ってすぐ、道路脇から黒塗りの車がナイト2200に併走してきた。同時に、今し方入ってきた道路が塞がれる。
『アスマ!』
「わかってる!」
(やっぱり罠か……古典的な手段を講じやがって!)
アスマは、そう考えながらアクセルを踏みこむ。アクセル両脇に取り付けられた黄緑色のLEDレベルゲージが跳ね上がり、デジタル・スピードメーターが凄まじい勢いで回転を始める。
猛然と加速するナイト2200に、車の窓から乗り出した男達が、銃を撃ってくる。
だが、完全防弾のボディは、弾丸を跳ね返す。その直後、キットのレーダーに反応が出る。前方に障害物を検知したのだ。
『前方にトラック! 道路を塞いでいます。コンテナには、コンクリートを満載しています。正面衝突したらこっちもただではすみません』
「思った通りだ! キット、ターボブーストで飛び越すぞ」
『下り坂で危険です!』
というのも、会話の流れからでもわかるようにターボブーストはジャンプ機能である。そして下り坂でジャンプした場合、フロントがあまり上を向かず、下手をすると地面にフロントから突っ込む可能性がある。以前、やはり急を要して下り坂でターボブーストを使用したことがあるが、その時は道の先にあった田んぼにフロントノーズから突っ込んだ経験があった。だが、道路は一本道、両脇には壁があって避けられない。相手は道幅一杯に停まっているのだ。飛び越す以外に道は無い。
「ゴチャゴチャぬかすな。突っ込んでぶち抜けるんなら話は別だがな!」
言うが早いかアスマは、ダッシュボード脇に設置されている、ターボブーストと書かれたスイッチを押す。タービンが唸りを上げ、急速に車体が持ち上がる。
次の瞬間! アスマとキットは、トラックを大きく飛び越え、大きくバウンドしながらも、反対側の道路に無事に着地した。
「ふぅ〜〜、危なかった。キット、お前に感謝しなきゃな。ターボとレーダー機能がなければ、今頃天国だ」
『和んでいる場合ではありません。私達が襲われたとなれば、ユリナとユリカさんが襲われないわけがありません!』
「わかってるよ。急ぐぞキット! スーパー追跡モードでぶっ飛ばす!」
『待ってました!』
ダッシュボード脇のカバーがスライドして、SPM、EBS、と書かれたスイッチが現れた。アスマは、SPM(スーパー追跡モード)のスイッチを押した。
ナイト2200のボディが変形していく。
フロントノーズが前方に伸びて上下に分かれ、ウィンカーの後ろからは小型のカナードウィングが飛び出し、ドアの前後とサイドウィンドウの後ろのボディからは、ダクト状のスラスターが飛び出し、テールランプがリアウィングスポイラーの基部ごと持ち上がり、リアウィングスポイラーが上に伸びる。
この姿こそがナイト2200のスーパー追跡モードである。
物凄い勢いで加速を始めるナイト2200。
毎秒10マイル(約16キロ)の勢いで加速していく。
速度は一気に200マイル(約360キロ)を越えた。
「あい変わらず凄い加速だな。族になった気分だ」
『アスマ、この格好は気に入ってます。心象が悪くなる発言は控えてください』
「俺だって気に入ってるよ。でもそういう感じがしただけさ」
『まあ、いいですけどね。でも、発言には気をつけてくださいよ。何時しっぺ返しが来るかわかりませんから』
「はいはい」
爆音を上げながら疾走するナイト2200。走っている車をジェット噴射や巧みなハンドル操作で次々と避けていく
(俺達が行くまで、無事でいてくれ!)
アスマの祈りを乗せ、ナイト2200は道路を疾走する。途中、何度か通行人を轢きそうになったが、奇跡的にも誰も怪我をすることは無かった。ナイト2200の優秀な衝突回避装置の賜物だ。
その頃タカギ・ユリナは自宅周辺の異変を感じ取っていた。何時もならもっと活気付いているはずなのに、活気が乏しい。何処と無く張り詰めた空気が流れている。窓から外を除けば、僅かに怪しい人影が見える。火星の後継者の構成員名簿で見た覚えがある。絶対に敵だ。
「おいでなすった、ってわけか。まだアスマ達来てないのに、分が悪いなあ」
一応護身術として木連式の武術は収めているが、最近は鍛錬もしていないし、元々頭脳労働派だ。本職に数で来られたら持たないだろう。だが、助けが来るまで粘らなければならない。
「万が一のために用意しておいた護身具、試すことになるとはね」
言いながらベットの下から引き出しを引っ張り出す。中には一般的な護身具が数点入っていた。ただし、全部の品に改造を加えてある。
電磁警棒ことスタンスティックや、カートリッジ式の高電圧端子銃、効果を底上げしたスタングレネード、軽量薄型のボディアーマーだ。
これらと自身の技術を合わせれば、アスマが来るまでは十分持ちこたえられるはずだ。
ユリナは動き易い服装に着替えてから、それらの装備を身につけた。それから窓から遠ざかり、壁を背に出来る製図室閉じこもった。無線も完備しているし、外に面していないから直接襲撃だけはされない。出口は正面のドア1つ。正面を机や椅子で作った簡易バリケードで塞ぐ。
「さあ、何時でも来なさい!」
唇をぺロリと舐めて、高電圧端子銃を構える。玄関やリビングの方で、物音がする。進入されたのは間違いない。
足音はどんどん近づいてくる。脇においてあったパソコンのメールソフトが勝手に起動して、キットからのメッセージを表示する。あと5分ほどで到着するとのことだ。
「長い5分になりそうね」
そして、製図室のドアが割れた。
『ユリナの家まで2キロです』
「よし! 緊急ブレーキだ!」
『了解』
アスマは、EBS(緊急ブレーキシステム)のスイッチを押す。天井とリアタイヤ後部のボディから、エアブレーキ用のスポイラーが開く。そのまま100mほど滑走して止まる。道路には盛大にスリップ跡を残し、甲高いスキール音と白煙を上げている。
アスマはSPMとEBSを解除して走り出す。たちまち元の姿に戻るナイト2200。
「相変わらずドキツイ停車だ。ムチ打ちになってもおかしくないよ」
そんな事を呟きながら、ハンドルを切り、ユリナの家の通りに出る。実際には慣性相殺装置が働いているので例え崖から転落しても搭乗者に致命的なダメージを与えることはない。もっとも、システムが生きているのならば、だが。
アスマは、ナイト2200を横滑りさせながら停車させ、運転席から飛び出した。
「キット。すぐに動けるようにしておけ」
『はい!』
アスマはすぐにユリナの家に飛び込み、同時に懐からコルトパイソン357マグナムを引き抜いた。地球に着てからデザインに惚れ込んで購入した骨董品だ。無論、かなり改造してあるので外見を除けば現行の銃器と比べてもまったく見劣りしない。
ユリナが何処にいるかはキットから聞いている。後はそこに向かって全力で走るのみ。幸い一階にあり、玄関から距離があったわけではないのですぐに目的の部屋に辿りついた。
向こうも待ち構えていたらしく、手にしたサブマシンガンを撃ってくるが、アスマは素早く身を隠す。
「見てろよ」
アスマはすぐさま飛び上がると壁にナイフを突き立てて姿勢を整え、銃弾の通過していない上側から半身を出して357マグナム弾を男に撃ち込む。防弾着ではない頭に銃弾を浴びた男がもんどりうって倒れると、アスマはすぐさま床の上に降りて駆け出す。耳に嵌めたインカムからキットの声が発せられ、男たちの正確な位置と動きを教えてくれる。情報さえ手に入ればこちらのもの、アスマは冷静かつ迅速に男たちを無力化していく。結局4人倒した時点で攻撃は終わった。女1人と舐めていたのだろう、油断した2人がユリナの手によって倒されていた。流石違法改造品と感心する間を惜しんで、彼女の傍に駆け寄った。
「アスマ、ギリギリセーフよ……」
「悪い、遅くなったな」
アスマはすぐに物陰に隠れていたユリナを抱き起こす。撃たれたのだろう、右の太股からおびただしい量の血が流れていたし、あちこち擦り傷だらけだ。だが、アスマが来た段階で止血を行ったのだろう、今は出血も殆ど止まっている。
「急ぐぞ。姉さんを助けに行かないと」
『アスマ! ミスマル邸の非常警報を感知! 急がないと手遅れです!』
「わかった! ユリナ行くぞ!」
「うん!」
SPMを使い、ボディを変形させたナイト2200が、爆音を上げながら、一路ミスマル邸へ向かっていた。元々ミスマル邸からはそう離れていない。SPMのナイト2200なら間に合う可能性はある。
「キット、もっと飛ばせ! 急げ!」
スピードメータ―も250マイル(約400キロ)を越える。
そんな中、ユリナは器用に傷の手当てをしながらアスマに確認を取る。
「草壁中将が脱獄したってホント?」
「ああ、ホント。まったく、あの人は本当にしぶといというか諦めが悪いと言うか、いい加減目を覚まして欲しいところだよ、友人としてはね」
ふと3年前の記憶が甦る。それは、アスマにとって、ユリナにとって、思い出したくない過去であり、同時に決して忘れてはならない現実だった。
3年前。当時は木連出身者に対する差別が最も酷く、就職先もかなり限定されていたご時世だった。アスマは予てより憧れていた地球での就職を求めたが、企業と言う企業に嫌われ、結局就職が叶わなかった。退役した際に貰った退職金も底を突き掛け、途方に暮れていた時彼は誘われたのだ。行方不明になっていた草壁春樹に。兄のように慕い、同時に良き理解者であったアスマは草壁の語ったボソンジャンプの管理による新たなる秩序に興味を覚え、火星の後継者に参加したのだ。地球では木星出身というだけで嫌われたということもあり、それに対する報復をしたいと、心のそこで考えていたのかもしれない。
だが、それは同時に自分で自分を許せなくなる現実の到来を意味していたことを、当時のアスマはまだ知らなかった。
火星の後継者に参加したアスマは、ボソンジャンプの実験機器の整備担当者になっていた。軍では整備班に所属していた経験を買われたのだ。勿論、アスマのことを良く知る草壁が、蜂起の際各施設を襲撃するパイロットから意図的に外したのだ。士官学校在籍中の事故以来、彼が戦いに参加したがらないのを知っていたからだ。
だが、研究所の廊下を歩くアスマの表情は硬かった。この施設で何をしているのかを目の当たりにしたからだ。
「やぁ、影護君じゃないか」
ヤマサキ・ヨシオが、アスマに話し掛けた。当時、アスマの性はまだ“影護”だった。
「おはようございます、主任」
形だけの返事を返す。アスマはこの男が嫌いだった。目的のためには手段を選ばず、人命すら尊重しない人間失格のこの男が大嫌いだった。人1人死んだだけで、一体どれだけの人間が悲しむのか、まったく考えず、訴えたところで気にも留めないこの男が。
「機嫌悪いねぇ。そうだ、新しい実験体が届いたんだ。一緒に見に行かないかい? 今度のは絶対に興味をそそられるよ」
絶対にあり得ない。
そう確信しながらもアスマは渡された名簿に目を通した。この実験で犠牲になる人の名前、心に刻んでおこうと思ったのだ。どうせ地獄に落ちる身。なら、そこで苦しめるようしっかりと自分の罪を心に焼き付けておこうと考えているのだ。
名簿にざっと目を通してみると、その中にテンカワ・アキトとその妻テンカワ・ユリカの名前があった。ご丁寧なことに、ユリカの方には旧姓も記入してあった。
(テンカワ・アキトにミスマル・ユリカ。確か、最近結婚したんだったな、あのラーメン屋さん)
吐き気がした。幸せの絶頂にいる人間を地獄のどん底に叩き落すような真似に。そして、そんなことを容認している草壁春樹に。しかし、どこかいい気味だと思っている自分がいた。そう、連中は女房を見殺しにした地球の連中だ。だが、その女房を失って失意のどん底にあった自分にラーメンをご馳走してくれたのは彼らだ。その恩を考えると、彼と彼女だけは目溢ししてほしかった。
ヤマサキはそんなアスマの様子に気づかず、嬉々としてこれからの予定を語っていた。この男には、他人の心境を読めるような感性は備わっていないのだろう、と考えた。
正直見たくは無かったが、見ておこうと思った。英雄と称される人間の末路を。そして、どうやって“生き延びらせるか”を考えるためにも、絶対に知る必要があった。何をされたのかを。
「さて、さっそく始めようか」
ヤマサキは嬉々として、本当に嬉しそうにアキトの体に薬剤を注射していく。アスマはその薬の名前までは知らなかったが、打たれたアキトの様子を見ればどんなものか想像はつく。劇薬だ。注射一本で悶え苦しむような。
苦しむ夫の姿を見せられて泣き喚くユリカの姿と声には、心を引き裂かれるかと思った。
それでも、現実から目を逸らしたくなかった。逸らしたが最後、自分が自分で無くなりそうだったから。
それからというもの、アスマはこの実験の歩みを遅くするために全力を注いでいた。わざと実験機材の整備を遅らせて実験そのものを遅延させたり、薬品の管理を怠って使用出来なくしたり、怪しまれない程度に妨害を行った。だが、それでも大勢死んだ。自分が殺した。正確には殺しに加担した。それが間近である分、蜥蜴戦争の最中よりも罪悪感を感じた。
タカギ・ユリナと出会ったのはそんな生活を続けている時だった。
彼女も人道的な立場から、この実験に批判的な態度を取り続けていた。だから、アスマは彼女とは気があった。それに、彼女の容姿が死に別れた妻に似ていたのも、彼女に対する好意の要因だったのかもしれない。
腰まで伸ばした艶やかな黒髪、鳶色の大きめな目、ほっそりとしながらも女性らしい曲線を描く肢体。そのどれもが、妻を連想させた。といっても、妻の髪は燃えるような赤髪だったし、つり目だったし、ユリナと違って物腰は男らしかったが、それ以外は似ていた。特に我の強そうなところは。
アスマは彼女と協力して、この実験の進行を可能な限り遅らせた。そして、この研究所の存在を少しづつリークした。こうすれば、必ずこの組織の行動を良しとしない組織が襲撃しに来るはず。そうすれば、まだ生きている火星の人達を連れて脱出のチャンスがあるはずだ。
2人は辛抱強く影ながら妨害工作を続けた。もしもバレてしまったら命は無い。そして全てが水泡へと帰すことになる。作業は慎重を極めた。
アスマが義父と再会したのは、ほんの偶然だった。
「久しいなアスマ。元気そうで何よりだ」
「そういう北辰さんこそ、相変わらずですね」
時代錯誤な笠を被り、左目に義眼をつけた男。北辰。アキト達火星生まれの人間、すなわちA級ジャンパー誘拐の実行犯にしてアスマの義理の父だ。
「いい加減足を洗ったらどうですか? 北斗や枝織ちゃんやさな子さんも喜びませんよ、絶対。もうすぐ、お孫さんも生まれると言うのに」
「……わかっている。だが、所詮血塗られた運命。今さら逃れようとは思わん。外道には外道に相応しい最後がある。我は、それを待つのみ」
北辰はアスマから視線を逸らしてそう言った。アスマはその言葉を聞いて、彼がもう後戻り出来ない所まで足を踏み入れてしまったことを悟った。地球と木連の関係の悪さが、彼を後戻り出来ないところまで押しやってしまったのだろう。
「アスマ。お前が何をしているか、我は知っているぞ」
「……やっぱり、隠し通せるとは思わなかったけど、悔しいな」
ばれていた。細心の注意は払った。だが、この男の目は誤魔化せなかった。最悪だ。全盛期の自分ならまだしも、実戦から離れて久しい自分では、到底敵わないだろう。
「お前は、我が娘最愛の男だ。我には、お前は殺せん。この事は我の胸の内にしまっておこう。だが忘れるな。今お前がしていることは、春樹に対する裏切りであると言うことをな」
北辰はそれだけ言うとアスマの脇を抜けて去っていった。
「アスマ。このままの道を行くなら、何時か合見える時が来るかも知れん。その時は、我を止めて見せろ」
背を向けたまま一方的に告げると、北辰は今度こそ歩き去っていった。
それから数日後。ネルガルのシークレットサービス部隊の襲撃があった。アスマが最初にしたことは生き残りのA級ジャンパーを開放し、襲撃者に引き渡すことだった。と言っても、テンカワ・アキトを残して、自力で動けないA級ジャンパーは全員北辰の手によって殺されてしまっていた。動けるA級ジャンパーは、カプセルに詰められ連れて行かれてしまった。その中には、ミスマル・ユリカの姿もあった。
アスマは唯一の生き残りであるアキトを背負い、ユリナを伴ってネルガルに投降した。アキトを背負っていなければ、射殺されていたかもしれない。そのアキトにしても、アスマが最初に駆けつけたからこそ生き残ったに過ぎない。アスマとの接触を避けた北辰が見逃したに過ぎないからだ。
その後、アスマはネルガルシークレットサービスに参加し、火星の後継者関連の施設襲撃に参加した。昔北辰の手解きを受けた(というか文字通り殺すつもりで鍛え上げた。北辰曰く「娘婿に相応しい男に鍛えてやる」らしい)彼の実力は、十分に通用したからだ。そして、実戦を踏むたびに、勘を取り戻すためのトレーニングを行う度に、彼は徐々に本来の実力を取り戻していった。
ユリナはアキトの治療に参加し、持ち出すことに成功した彼のカルテを元に治療を行ったが、結局のところ完治させることは不可能だった。他の感覚はともかく、味覚だけは壊滅的な被害を被り、2度と料理人としての感覚は取り戻せないことがわかっただけだった。結局復讐を心に決めたアキトのトレーニングメニューをイネスと共に組み、アスマや月臣やゴート指導の元彼を鍛えることになった。北辰の手解きを受けただけあって、アスマは北辰との戦い方を知っていた。それを学んだからこそ、アキトは生身機動兵器問わず北辰を相手に生き残ることが出来、最終的な勝利を掴んだのだ。
そして現在。
『ミスマル邸にボソン反応! 一足違いで逃げられました……』
「くそっ!!」
アスマは、EBSを作動させ、正門の前でナイト2200を止まらせる。ボソンジャンプなんて真似まで出来たのかと、自分の計算の甘さを痛感しながら、言うべきことだけはわかっていた。
「キット、アカツキに連絡を!」
『わかりました』
そう言い残し、アスマはミスマル邸へと入って行く。怪我を負ったユリナはナイト2200に留守番だ。彼女を連れて行けば、いざと言うとき足手まといになる。
屋敷に入ったアスマが見た物は、人の気配の無い室内だった。コルトパイソンを片手に室内をくまなく探したが、人っ子1人見当たらない。お手伝いさんの姿も、コウイチロウの姿も、ユリカの姿も見えない。あるのは護衛と思しき人間の遺体だけだ。結局1階には人影はなく、アスマは2階へと上がった。二階に上がったところで、微かに血の臭いがした。アスマは慎重に歩を進め、1つ1つ部屋を覗いていく。誰もいない。アスマはさらに部屋を調べ続ける。そして、とうとうユリカの部屋に辿りついた。わずかに開いたドアの隙間をから室内を覗く。血の臭いがはっきりとしてきた。アスマは思い切りドアを開いてコルトパイソンを室内に向ける。
敵はいない。だがアスマの視界に倒れ伏した人影が飛び込んできた。
それは父、ミスマル・コウイチロウの姿だ。
「父さん!」
アスマは我を忘れて飛び出した。
「父さん! 父さんしっかり!」
コウイチロウは、僅かに呻いて意識を取り戻した。額から血を流しているが、幸い命に別状は無いようだ。
「ゆ、ユリカが攫われた。一刻も早く助けないと」
アスマは知っていたとはいえ、改めて当事者の口からそのことを聞いて動揺していた。まさか護衛に着いた直後にこの有様とは。だが、内心の動揺を表に出さず、勤めて冷静に告げた。
「わかってるよ父さん! だけど、まず父さんを病院に運ぶのが先だ。連中はボソンジャンプで逃走した。追跡は不可能だ。
……残念だけど、今回は俺達の敗北だ。反撃に備えるためにも、ここは言う事を聞いてもらうよ」
「……わかった。アスマ、頼むぞ」
コウイチロウはアスマに支えられて立ち上がると、息子の顔を見つめてそう言った。
「ああ。姉さんは必ず救い出す。それが、弟の俺の務めだ」
アカツキはユリカ誘拐事件の後、この戦いに参加してくれる元乗組員に非常召集をかけた。もう、一刻の猶予も無かった。
アスマは気落ちしていた。命に別状は無かったが、コウイチロウは入院して、姉も連れ去られてしまった。身内の不幸が纏めて襲い掛かってきたのだ、冷静に振舞っていても内心相当ショックだった。アスマは少しでも気を紛らわせるため改修工事を受けているナデシコBのところへ向かった。
ネルガル・ヒラツカドックにて改修を受けているナデシコBであったが、元が実験艦ということもあり、作業は予想以上に難航していた。何しろ武装はグラビティブラストのみという体たらく。最低でも対空装備を追加しなくては話にならない。エステバリスだけで全てをまかなえるほど、現実は甘くない。
ナデシコBは現在外装を外され、電装品の交換やバージョンアップ、以前より厚い装甲への換装、武装の追加などが行なわれている。
アスマに授与される予定の新型機はネルガル月支社において急ピッチで組み立て中だ。その煽りを受けてキットまでもが自分から離れた場所にいる。当然責任者としての地位に縛られているユリナとて例外ではない。アスマは今、寂しさを覚えていた。
旧ナデシコの整備班とヒラツカドックのスタッフ総動員で作業に当たっている。ナデシコのみならず、各パイロットのエステバリスも調整が必要なのだ。人手は幾らあっても足りない。
「セイヤさん。後どれくらいで終わりそうですか?」
アスマは、ナデシコBの改装の総責任者である、ウリバタケに聞いた。
「ああ、あと10日って所だな。なにしろ弄らなきゃならない所が多いんでな。旧整備班の連中とここの技術スタッフを合わせても手が足りないくらいだ。だが、絶対に10日で終わらせて見せるぜ! これは技術者としても誇りもあるからな」
「………そうですか」
アスマの表情は冴えない。
急がねばならないのに、作業は難航している。敵の行動がこちらの予想を遥かに上回るスピードだった。完全に後手に回ってしまった。
「姉さん……」
姉の身を案じ、アスマはドックの天井を仰いだ。
アスマとユリカ、そしてアキトとの血の繋がりが判明したのはアスマが投降してからすぐのことだった。遺伝子情報の登録の際、火星に在住していたサイトウ・アスマという人間の固体情報と合致したからだ。その人物は事故で他界したことになっていた。そして、そのサイトウ・アスマという人物について知っている人間がネルガルにいた。そう、プロスペクターとイネス・フレサンジュだ。彼らの弁によると、当時火星のオリンポス山研究施設において優秀な成果を収めていたサイトウ・レイカ博士が、自らの子を欲したが、当時彼女が恋心を寄せていたのはすでに既婚していたテンカワ・アキトの父親だった。それに、自身は以前卵巣に病気をかかえ、摘出手術を受けたため、子を産めない体になっていた。
だが、彼女は諦め切れなかった。そこで研究所内で新種の性病が発見されたと誤報を流し、テンカワ博士の精を手に入れ、火星の人工授精センターに預託していたある女性の卵を手に入れた。それがミスマル・ユリカの母の卵子だったのだ。彼女は自らの健康を理由に人工授精センターに自らの乱を預託していたのだ。
かくしてレイカ博士は人工授精で子を作った。友人に頼んで代理出産もしてもらった。それがアスマなのだ。そして、当時友達付き合いのあったイネスはその事情の全てを知り、そして研究所内での不審な動きを調べたプロスペクターも、時間が掛かったがその事実にたどり着いたのだ。
そしてその事実はすぐにアスマに伝えられ、間接的ながら自分の兄と姉というべき人物の生体実験に協力していたという現実に直面することになった。
その事実はアキトにも勿論伝えられた。アキトもアキトなりにショックを受けたが、すぐに受け入れた。弟と呼べる人物が自分達の運命を弄んだ連中に組していたことは許せなかったが、彼がいなければ自分はここにいなかったということも、同時に理解していた。彼が真っ先に自分の所に来てくれなければ、北辰に殺されていたはずだからだ。それに、北辰に対して有効な対策を練るには、彼の協力が必要不可欠だ。それに、嬉しいことに根っこの部分では連中と違ってまともな様だ。
散々考え込んだ末、アスマとユリナの2人に限っては許してやることにした。直接は関わってこなかったし、むしろ連中の悪行の遅延を行っていたとあっては、流石に殺せなかった。あの生き地獄から生還出来、かつ復讐を行うだけの治療と特訓が出来るのも、何だかんだで2人のおかげだから、なおさらだ。
アスマも最初は抵抗があったが、アキトの方から兄と呼んでも良いと言われたので兄と呼んだ。そして、故郷を裏切った自分を死んだものとし、アキト了承の元テンカワの姓を名乗り、新たな人生を歩むことにしたのだ。テンカワはアスマにとって自分の罪の象徴でもある。だからこそ、自分自身への戒めとしてテンカワを名乗るのだ。
アキトも口で何だかんだ言っても、心の底では家族を求めているのだ。ラピス・ラズリを利用しながらもやさしく接していたのも、アスマに兄と呼ばせるのも、多分そのせいだろう。
結局アキトは果たすべき事を果たした後ユリカと共に生きることを誓い、その旨をユリカに自分の口から伝えた後、上層部の命令でテロリストを追跡することになったナデシコCと共に行方不明となってしまった。
その為、アキトがユリカと誓った再会の約束は未だ果たされていない。
アスマは今なお行方の知れる兄を想った。本当なら、ユリカを助けに行くのは彼の役目なのに。ユリカを助けたいという気持ちはアスマとて変わらない。だが、自分の女房を置いて一体何処をほっつき歩いているのかと責めたい気持ちも同居していた。
「たくっ。自分の女房くらい自分で面倒見やがれってんだ」
「まったくだな。だが何処にいるのかわからないんじゃ首根っこ引っ張ってくるわけにもいかんしな」
アスマのぼやきに同意しながらウリバタケはチェックリストに印をつける。
「まあ、俺達は俺達の出来ることをするしかねえからな。あいつだって、来れるもんなら来てる筈だろう。事実それを誓っていったんだからな。きっと、来れない理由があるんだろう」
「俺だってそう思いますよ」
アスマは目の前でミサイル発射管を取り付けられているナデシコBを見上げる。白亜の装甲は殆ど引っぺがされ、内部構造を露出している。ディストーションブレード内にミサイル発射管が、胴体部分の両脇やブリッジ部分の端に対空機銃砲が追加されている。クレーンで吊り下げられた砲台が次々とナデシコに取り付けられている。
「これで十分だといいんだが」
「ええ。でも1隻じゃ出来ることはたかが知れてますね。新型が完成しても、状況は最悪に近いままだろうし。せめて頭を潰せるだけの戦力を確保出来れば」
仮にナデシコBが完成し、新型機動兵器が完成したところで所詮1隻と1機。敵の規模は全くわからないが、それでも十分な戦力とは言い切れない。コウイチロウ亡き今、連合軍もガタガタで戦力を整えるのには時間がかかるだろうし、統合軍共々相手が動き出してから出なければ動けない。それを考えると、ナデシコB1隻でどこまで足止めが出来るかが鍵になる。
「新型は月で最終調整を始めている。思ったよりも早く建造出来たからな。お前は早いところ新型を授与して戻って来い。今の俺達には戦力が少しでも多い方がいいからな。CCはもうアカツキから貰ってるだろう?」
「んなもん投げ返してやりましたよ。俺はボソンジャンプだけは絶対に使いたくないんです。シャトルの手配はしてありますから、俺はそれで月に向かいます」
アスマはそういうと踵を返してドックを後にした。その後姿を見送りながらウリバタケはポツリと呟いた。
「ボソンジャンプか。過ぎた技術は人を不幸にする。結構的を得てるのかもしれないな」
何時の時代もそうだ。強力な爆弾が開発されればその犠牲になる者もいる。核が良い例だ。膨大なエネルギーを確保するために使われれば心強い技術も、兵器に転用されたがばかりに何十万という人間が犠牲になった。
ボソンジャンプも同じだ。単なる移動手段として使えば便利なこの技術も、一度兵器に転用すれば多くの命を奪い去るだろう。いや、その独占を狙った連中のせいですでに火星出身の人間が大勢生き地獄を味わう羽目になったのだ。ましてそれに加担し、血の繋がった兄と姉を苦しめたとあっては、彼のようにボソンジャンプを忌み嫌うのも当然なのだろう。
「だがよアスマ。何時かきっと、ボソンジャンプと向き合わなきゃならない日が来ると思うぜ。絶対によ」
その頃草壁は、自分を収容所から連れ出した南雲と共に木星近海の廃棄コロニーに潜伏していた。
「そうか。テンカワ・ユリカと演算ユニットの確保に成功したか」
「はい。幸い怪我を負わせることもなく連れ出すことに成功しました。ただ、抵抗が激しかった為、ミスマル・コウイチロウ氏を負傷させてしまったとのことです。また、演算ユニットの奪取での被害は最小に抑えました。内部からの手引きがあったからこその被害ですが」
「そうか……」
出来れば誰も傷つけずに済ませたかったのだが、仕方ない。何事にも犠牲は付き物だ。いや、この考えこそ捨てねばならないのか。でなければ、また同じことの繰り返しになる。そしてこの考えこそが、アスマと決別する原因となってしまったのだ。
(私に何が出来る。私の正義を捻じ曲げたところで、アスマと再び同じ方向を見ることは出来ないだろう。私は、どう償えば良いのだ? どうすれば、この過ちを償えるのだ?)
草壁はコロニーの集光部分から漆黒の宇宙を眺め、今までの自分の行いを振り返る。軍部での働き、白鳥九十九の死を利用した民衆の扇動、火星の後継者の設立と蜂起。全て木連の為を思って、そして人類の未来を案じて行ってきたことだ。だが、それが独り善がりの考えだったのだろうか。自分の掲げる正義など、実際には正義などではなく、単なる悪行だったとでも言うのだろうか。
今回の脱獄も南雲達が勝手に行ったことだ。自分の掲げた正義や目標はこれほど人の心に根付いているというのに、最も傍らにいて欲しかった人物はすでにいない。そして、そのことが草壁自身の正義を根底からひっくり返したのだ。最も自分のことを理解してくれた人が、自分を見限った。それが草壁にとって最も痛手だった。そして同時に、自分の行いの間違いを立証してしまった。自分の心境を理解しながらも、共に歩めないと感じたからこそ、離れていったのだろう。
草壁には、正直わからなかった。どうすれば償えるのかも、どうすればあの犠牲を活かせるのかを。自分達は失敗した。それはイコール火星の人々の犠牲が全くの無駄になると言うことだ。それだけは避けなければならない。心を鬼として、地獄に落ちても良いと思ってあの実験を許可したのだ。
あの犠牲を、無駄には出来ない。それだけは確かだ。何故なら、あの時も、そして今も、自分は今なおあの時掲げた自身の正義を信じている。その正義のために生まれた犠牲なのだ。決して無駄には出来ない。
「やあ、久しぶりですね草壁閣下」
のほほんとした雰囲気と共にやってきたのはヤマサキ・ヨシオだった。
「ヤマサキか。久しぶりだな」
草壁はあまり嬉しそうではなかった。特に交流があったわけではないし、草壁としてもヤマサキの思考は理解出来ないし、あの人体実験には正直吐き気を覚えていたのだ。それも全ては正義の為と言って誤魔化してきたもの。今更歓迎は出来ない。
「まあまあそんな顔しないで下さいよ。面白い情報を持ってきたんですから」
「面白い情報?」
「ええ。実は遺跡演算ユニットこそ手元にありませんが、それにアクセス出来る装置を組み立てたんですよ。それで過去のボソンジャンプのログを観覧することに成功したんですが、面白いログを見つけたんですよ」
「もったいぶらないで早く言え」
「実は、2年半前のナデシコCとテンカワ・アキトの母艦のボソンジャンプ事故のログがあったんですが、何とジャンパー体質だった6人もの人間が平行世界の過去にボソンジャンプしたんですよ。しかも、その日付は丁度蜥蜴戦争開戦の日なんです。しかも当時の肉体に記憶や人格といった情報のみをボソンジャンプで上書きする形で。事故とはいえ、彼らは歴史をやり直すチャンスを得た、史上初の人間と言えるんですよ。いやあ〜。やっぱり古代火星人の技術は奥が深いですよ。それにね、ログを元に調べてみたらその世界では今後こんなことが起こるんですよ―――」
草壁はつまらなそうに山崎の話を聞き流していた。だが同時にアキト達を羨ましくも思った。どの様な形であれ、人生にリセットをかけてやり直すようなものだ。自分の行いに後悔を覚えた草壁には、事故であれ故意であれ羨ましいことこの上なかった。最初は聞き流していただけだった。その世界で起こるとされる出来事を聞くまでは。
(馬鹿な! それが事実なら、人類は、その世界の人類は絶滅するということか!?
だがそれも運命というなら仕方の無いことか。だが、そこにはテンカワ・アキトがいる。彼は私の過ちの犠牲者、見捨てるのは心苦しいが……。
そうか! これなら償える。私の過ちを繰り返させず、かつA級ジャンパー達の犠牲を無にせずに済む。そして何より私自身の正義を再び掲げることが出来る。そして今度は、正しい道に進めることが出来るかもしれん)
草壁は急ぎ足でユリカを閉じ込めている部屋に向かった。
「閣下? 一体何処へ行かれるのですか?」
「何。ちょっとした交渉だ。世界を救うためのな」
月に上がったアスマは研究施設においてキットとの対面を済ませていた。新型機動兵器の最終調整に伴い、先に月に上がっていたのだ。
「キット。調子はどうだ?」
『好調です。このボディ、悪くありませんよ』
キットは自分が今組み込まれている機体の感想を言う。
「そうか。随分大きいな」
アスマは新型を見上げてそう言った。確かに大きい。
形状はアルストロメリアの仕様違いにしか見えないが、胸部と背中に大型の追加ユニット=Gファルコンが装備されている。戦闘機にもなる追加ユニットは、機首と胴体の部分が分割し、前後から挟み込むようにして合体する。これで胸部に若干の固定武装と追加装甲が見込め、後部には巨大な推進器と強力な固定武装を装備出来る。機首の部分にはバルカンが、胴体の両翼にはビーム砲が、コンテナユニットにはミサイルランチャーが装備されている。胴体部分は箱のような造りで、中央が抜けているためカタカナのロの様に見える。これは機体を上下に挟んで長距離移動用の形態に変化させるための処置である。
ビーム砲もミサイルも従来品とは桁違いの性能を誇る新型だ。おまけにこのGファルコンには相転移エンジンが内蔵され、出力不足の問題を解決している。
また、装甲にも特別素材を混ぜることで驚異的な強度と軽量さを両立したネオ・チタニウム合金が採用されている。これによって従来と同じ厚さの装甲でありながら、対艦ミサイルの直撃に容易に持ち堪えるほどの強度を得る事が出来る。それに、ネオチタニウム合金は物理的強度のみならず対エネルギー攻撃防御も破格のレベルになる。グラビティブラストの直撃にだって短時間なら耐え、ビーム攻撃ならばさらに倍近い時間を耐えることが出来る。
『まあ外見のことはさておき、操縦系は貴方が使い易いと言っていたスティックタイプのIFS補助のマニュアルです。右の操縦桿は着脱式のGコントローラーで、セキュリティを兼ねていますので無くさないように。前の棚に置いてあります』
言われて前方の棚を見ると、確かに操縦桿が置かれている。手にとって観察してみると、右手側にコネクターがついていた。何らかの拡張品でも付けられるのだろう。
「後どれくらいで動かせる? 早いとこ訓練にはいりたいんだけど」
『2時間ほどお待ち下さい。ニュートラルにセッティングしてから貴方に合わせて調整していきます。まだ連中が動いていないので、月面でトライアルを行います。月面での戦闘経験は?』
「残念だけど無い。ただ、シミュレータでの経験ならあるけど、訓練時間は1時間にも満たないぞ。まあ、地上戦と空間戦闘ならシミュレーションを重ねてるけどな」
『では完熟訓練も組み込みましょう。これから1週間。みっちりと特訓です。せっかく旧ナデシコのパイロットの皆さんも協力してくれるんですから』
「ああ。早く実戦に耐えられるようにならないと」
アスマは長らく機動兵器の実戦から遠ざかっていただけに緊張を隠せなかった。あの時とは全くフォーマットが違うし、何より製品そのものが木連とは規格が違う。果たして上手く動かせるか、結構不安だった。
「北斗。我侭言って悪いが、俺に少しばかりの助力をくれ」
(馬鹿野郎。そんなのお前の力で何とかしろ。お前は俺と対等に戦った唯一の男だろうが)
ふと、そんな罵声が聞こえた気がした。死んでも言うことに容赦が無いな。アスマはそう思った。
「へえ。これが新型かあ。随分とデカイな。で、名前は何ていうんだ?」
統合軍のライオンズシックルという部隊長として今だ現役のスバル・リョーコが新型を見上げて尋ねた。
「ストレリチア。未来だそうだ。でも、俺はアルフォンスって呼んでる。昔飼ってた犬に付けたかった名前なんだ」
言いながらアスマはストレリチアと名づけられた新型機動兵器を見上げた。
従来のエステバリスやアルストロメリアとも違う、まったく新しい機体はまだ未完成に近かった。
キットによると、まだ相転移エンジンの出力を有効に使えていないらしい。そのせいで性能にだいぶ制約があるとのことだ。それに、まだ間に合わせの部品も多数あり、特に頭部パーツも試作段階のものを回してるとかで、正式採用版とは顔が違うらしい。
しかも後で聞いた話だが、この機体は火星の後継者で開発が進められていた全く新しい機動兵器、通称G計画の素案を基にしていると言う。ゲキガンガープロジェクトで考案された機動兵器は特徴として単独行動可能でかつ大火力と高機動、さらには高い耐久力を求められた夢物語の機体だ。実際にはあまりにハードルが高いスペックと乗り手がいないことから開発は半ば投げ出され、試作機が2,3造られただけで終わった。そして、そのG計画の開発チームの頭だったのがユリナであった。
つまり、この新型にその開発途上で得られたノウハウをフィードバックするのはある意味当然だった。この機体も、開発責任者はユリナなのだ。というか、造らせろと訴えたらしいのだが。
まだ未完成の域を出ないが、それでもステルンクーゲルよりも出力、機動性、耐久力では上回るらしい。機体のサイズと重量バランスのせいで運動性能に不備が生じてしまっているが、実用レベルはキープしていると言うのだから開発スタッフは相当無理をしたはずだ。
「とりあえず、ヒカルとイズミは合流にもう少しかかるって言うから、俺が訓練に付き合ってやるよ。徹底的にしごいてやるからな」
「お、お手柔らかに」
アスマは剣呑な色を湛えたリョーコに思わず身を引く。
それからすぐにストレリチアはテストトライアルを始めた。固定装備は別として、手には何の装備も持っていない。まだ手持ち火器である散弾砲と専用シールドが組みあがっていないのだ。
「それじゃ、まず軽く歩いてみるか」
『ええ。私もこういったものの制御は不慣れですからね』
アスマは操縦桿やフットペダルを操作してストレリチアを歩かせた。はずだったが、月の引力が軽くて機体が跳ね上がってしまった。
「おおっと。流石に重力が軽いな」
自分の体のようにはいかないものだ。アスマは慌てず騒がずストレリチアを静かに着地させた。操縦経験こそ浅いが、流石にこういう場面で慌てるような初心者ではない。生身とはいえ、相当な場数を踏んでいるのだ。それでも操縦経験の浅さから、着地の時によろめいてしまったが、キットの補佐もあり何とか立ち直った。操縦の不慣れさもあるだろうが、やはり背中が異常に重たくてバランスが取り難いのだろうか。
アスマは気を取り直してストレリチアを飛行させた。空中に飛べば後は宙間戦闘と殆ど変わらない。アスマはとりあえずストレリチアの最高速度を試す意味でバーニアを全力で吹かす。
単純なスピードなら高機動ユニットを装備したブラックサレナに匹敵するほどだ。ただし、慣性相殺機構が発展していることもあり、体感Gはエステバリス・カスタムの最高スピードと変わらない。だが、スピードはブラックサレナに匹敵するのだ、操縦は相応に難しい。
アスマは加速したはいいが、その速度ゆえに上手く制御出来ず、ふらふらと蛇行している。時折月面にぶつかりそうになりながら姿勢制御を繰り返して機体を安定させようと努力する。何しろ、かなりの重量配分が後ろに寄っているのだ。熟練したパイロットでも簡単には使いこなせないだろう。
「っと。結構難しいな」
言いながらもストレリチアは徐々に姿勢を安定させていく。そして、30分も過ぎたあたりでは、見違えるほど動きが良くなっていた。
「おっ! 慣れてきたぞ。感覚も掴めたし、そろそろ本格的に動いてみるか」
アスマはキットの補佐を受けながらではあるが、すでに姿勢を乱すことなくストレリチアを操っていた。旋回も急旋回も敵弾を想定した回避運動も堅実にこなしていく。
「上手いな。本当に初心者か?」
リョーコはストレリチアの姿を見て正直な感想を漏らした。
「え、ええ。シミュレーションの時間もまだ6時間ほどよ。それも、極一般的なエステバリスとステルンクーゲルを半分ずつ。とてもじゃないけどあそこまでの機動は不可能のはずよ」
隣で状況をモニターしていたエリナも呆然としてる。本当に8年ものブランクがあるんだろうか。
「アスマって実は機械に対する適正が異様に高いんです。特に順応性と操縦センスは桁外れに高くて、ナイト2200ですらたった一日で全部の機能の操作をマスターしたし、キットともすぐに仲良くなったし。
とにかく、機械の扱いには天賦の才があるんです。後は本格的な実戦を経験すればあっという間に一人前のパイロットの仲間入りですよ。実際、優人部隊での機動兵器運用は技量はともかく完熟訓練は最短日数で済ませてましたし」
と、かつての同僚であるユリナが言った。
「便利だな。ブランクがあるとは思えないほどだぜ」
内心舌を巻くリョーコ。素質があるとはいえ、ブランクの長さは相当のはずなのに。まったくそれを感じさせないとは。なるほど、北辰とか言う外道が見込むのもわかるというものだ。
「ただ、機械の扱いだけですけどね。それ以外は人並みに訓練が必要だし。今回はキットも制御に参加しているわけだから」
そう言われてもこの業界でこの手の才能は恵まれているとしか言いようが無い。何時の時代もベテランと呼ばれた人間が時代の流れに取り残されて去っていくというのに。この男なら、どれ程変わろうとすぐに対応出来るのだろう。正直、羨ましかった。
「じゃあ、俺が一丁もんでやるか。期待させてもらうぜ」
リョーコはゾクゾクするような感覚に襲われながら愛機の元へ向かう。
これほどブランクが長いというのにまったくそれを感じさせないあの機動。リョーコは気分が高揚していた。訓練用装備でも、楽しめそうな予感がしていた。
アスマが一通りの動作を終えたところで休憩を挟むと言われたので、ストレイチアは一旦格納庫に戻って再調整を行っていた。リョーコは暫しの待機を強いられたが、待てば待つほど気分はますます高揚してくる。久しぶりに強敵と戦えるかもしれないという現実が、戦士としてのリョーコを刺激してやまない。
再調整は10分ほどで終わった。プログラム修正はキットが担当し、操縦桿やペダルの重さなどは開発スタッフが調整してくれた。幸いアスマ自身の適正が異常に高かったので、調整そのものはそれほど徹底して行う必要は無かったのが幸いだ。どちらにせよ、一回乗ったくらいで完璧な調整など出来はしない。次はリョーコとの模擬戦闘の後で再調整だ。
「手加減はしねえぞ! せっかくだ、徹底的に叩かせてもらうぜ!」
和解したとはいえ元は火星の後継者のメンバー。良い機会だ。もやもやした感情を晴らすためにもここは全力でやりあう。勝っても負けても納得出来るように、徹底的にだ。
「……俺、ブランク相当長いんだけど」
まあ、気持ちはわかるからよしとするか。アスマはそう考えてあえてそれ以上言わなかった。でも、徹底的に叩かれるのは流石に良い気分がしないのだが。
お互いに訓練用のペイント弾を装填したライフルを片手に向き合っている。固定装備の豊富なストレリチアはビーム砲とバルカンとミサイルがあるが、今回は根こそぎダミーである。
仮定の話は置いておいて、アスマとしては初めてデットウェイトを抱えての戦闘となる。先程は何も持たなかったから機体のバランスは取れていたが、今回は右手にライフルを持っている。その分重心は右にずれ、末端重量が増えた分いざという時の行動にバラつきが生じることになる。
生死をかけた戦いにおいてはわずかなミスが命取りになる以上、ここで機体バランスが違うときの機動を身に着けなくては。それに、高速で動き回る敵機に攻撃を命中させる術もだ。
結局模擬戦はリョーコの圧勝だった。スランプを感じさせない卓越した操縦テクニックも、実戦で鍛えられたリョーコの前では張子の虎だった。彼女はアスマの行動の隙をついてはペイント弾を撃ち込み、ストレリチアを見事ピンクに染め上げてしまった。
だが、リョーコも全くの無傷とはいかなかった。掠める程度であったが、アスマは彼女のエステバリスに攻撃を命中させていたのだ。彼の成長速度は恐ろしいものだった。活動限界までは例えコクピットに被弾しても続けるという内容だからこそのものだろうが、彼は徐々にリョーコの動きを捉え、確実な射撃を繰り出すようになってきたのだ。しかも、こちらの隙を誘うためのフェイントも巧みで、そしてこちらの動きの隙を一寸の狂いも無く正確に狙い撃ちしてきた。リョーコが実戦の荒波を乗り越えてきた歴戦の強者でなければ、撃墜されていたかもしれないと思わせるほどだ。
模擬戦闘を終え、エステバリスから降りたリョーコはすっかりピンク一色に染まってしまったストレリチアを見上げて思った。
まだまだ未熟だが、パイロットの方は鍛えれば相当強くなる。だが、機体の方はまだまだ試作機の域を出ていないと感じる。確かに、新技術を用いた強力無比な武装は捨て難いし、改良を重ねられ全くの別物とすら呼べるほどの小型高出力化が進んだ重力波推進器、圧倒的な強度を誇りディストーションフィールド無しでも十分過ぎるほどの耐久力を誇るネオチタニウム合金製の装甲、さらには最新鋭のセンサー類を満載した機動兵器の常識を根底から覆すような性能を誇っている。だが、詰め込み過ぎて節操の無い印象もまた受けた。特に動力と武装回りにはまだまだ改善の余地が残っている。発射の間隔が長いし、エネルギーを食い過ぎて相転移エンジン搭載のわりにすぐにガス欠になる。これでは実戦でどこまで続くかわかったものではない。
「しかし、こいつは中々のもんだな」
リョーコは今回の模擬戦の結果に満足していた。これならかなり時間を短縮出来る。短縮した分だけ、ユリカの救助も早まるというものだ。
「徹底的に鍛えてやるぜ」
壮絶な笑みを浮かべながら彼女はコックピットから這い出てきたアスマに詰め寄る。そして、地獄の特訓を始めた。しばらくの間、アスマの悲鳴は絶えなかったという。
何とかナデシコBの改修終了までには合流したヒカルとイズミとのコンビネーションもこなせるほどに持っていくことが出来たのは単純に彼の学習能力が優れていたからだろう。それに、実戦に近ければ近いほど飲み込みが早いのは、数多くの修羅場を潜ってきたからだろう。どちらにせよ、準備は整った。ストレリチアも、整備と並行して改良型のバッテリーやコンデンサを使用して稼働時間の延長と、専用ケーブルの設置による緊急的なエネルギー回復措置を設けたことで、実戦に耐えうる性能は身につけることに成功してた。が、依然付け焼刃の印象は拭えなかった。
ナデシコBは実戦に舞い戻ることとなったが、その能力を存分に発揮するためのオペレーターまでは手が回らず、結果的に処理能力は大幅に低下していた。その分搭載コンピュータも高性能なものを積まなければならないのだが、何しろ時間が不足気味なのでオモイカネのコピー品しか用意出来なかった。そもそもオモイカネの性能を存分に発揮させるためのオペレーターなので、現状は芳しくなかった。かつてナデシコCの出撃に協力してくれた殆どのクルーが乗船してくれたが、果たしてそれでどこまでやれるのか。なまじ強化IFS体質の人間に頼った設計ゆえの弱点である。
そんな中、白鳥ユキナはオペレーター席に座り、電子マニュアルと格闘していた。彼女は今回オペレーター要員である。いざと言うときしくじらない様、しっかりと頭と体に操作を覚えさせないといけない。
「えーと。これが……これで。あれがあれで……わけわかんないよ〜」
前回はそれほどすることも無かったし、大抵のことはルリとマキビ・ハリことハーリーがやってくれた。だが、今は自分で何とかしないといけない。ユキナは慣れぬ頭脳労働に疲労のピークを迎えていた。
ふと、鼻腔を香ばしい香りが擽る。顔を上げると、にこやかな笑みを浮かべたミナトが目の前にカップを突き出していた。
「はい。あんまり根を詰めると倒れちゃうぞ」
そう言ってコーヒーの入ったカップをユキナに手渡す。
「ありがとうミナトさん」
礼を述べてからカップを受け取り、一口啜る。ミルクの甘みとコーヒーの苦味が口一杯に広がる。ちゃんと自分の好みに合わせてくれている。ミナトらしい配慮だと思った。
「でも、あたしががんばらないといけないのは間違いないから、今のうちに覚えちゃうよ。大丈夫! あたしお兄ちゃんの妹だもん!」
空元気を振り絞ってユキナは笑った。ミナトも彼女の心情を察してか、それ以上何も言わなかった。
「じゃあ私も応援するから、頑張れユキナ」
ミナトは微笑みながらユキナの肩に手を当てた。
月臣元一朗は艦内をくまなく歩き回っていた。艦内での白兵戦を想定して、艦内の物の配置や構成を体に覚えさせるためだ。最近の戦闘は機動兵器を使用した物や、艦隊戦が主だが、それでも白兵戦は想定する必要がある。ディストーションフィールドで守られているとはいえ、それを無効化する技術は幾らでもある。それに敵がボソンジャンプをある程度扱える状態にあるなら、艦内への侵入は容易い。ナデシコBも搭載している艦載機も相当高性能な兵器だが、操るのは人。それを制すれば無力化は容易だ。それに、ナデシコの乗組員は殆どが民間人で、白兵戦の訓練を受けていないものが殆どだ。万が一白兵戦になっては、勝ち目は零だ。
「よう元一朗。艦内の把握か?」
今この艦に乗っている者で彼を呼び捨てにする人物は2人しかいない。その内の1人であるユキナはブリッジなので、この場にいるのは消去法でテンカワ・アスマだ。
「アスマか。まあそんなところだ。備えあれば憂いなしというらしいからな。白兵戦が出来るものも相当に少ない。俺やお前くらいは備えておく必要があるだろう。お前はあの北斗殿と対等に戦える唯一無二の存在だ。言うまでも無いだろうが、備えて置けよ」
「ああ。女房の名を汚さない程度には、な」
木連で最強の名を欲しいままにした妻の名は、すでに伝説の域に達している。何しろ僅か14歳という年齢で暗部最強である父北辰対等に戦うことが出来るほどの腕前に成長していたのだ。そして、唯一その妻に匹敵するだけの実力を持っていたのが、当時の影護アスマだった。
彼女ほどではないが、彼も才能に恵まれていたし、何より、直感という点では妻・北斗さえも凌いでいた。それに徒手空拳を得意とする北斗と違い、アスマは武器(特に銃器)を使った戦いを得意としていた。自分の体とは全く違うそれらの装備を彼は的確かつ誰にも真似出来ないような堅実さで使いこなしていた。直接対決すると間合いの関係から北斗に勝つことは出来なかったが(それこそ夫婦喧嘩では連戦連敗である)、それはあくまで試合の話だ。制約の殆ど無い純然たる戦いならアスマにも十分に勝機があった。何しろ試合では素手の相手に銃器が使えないし、そもそもそんな間合いでは如何に慣れ親しんだ武器もその能力を最大限に活かせず、格闘戦のスキルは平凡だったアスマが勝てるはず無いのだ(逆に銃器を使用した戦いで北斗がアスマに勝てた試しは無いのだが)。それに何より、最愛の女性を思い切り殴れというのが無茶な話だ。もっとも、北斗は何の遠慮も無くボコボコにしてくれたのだが。まあ、好戦的な彼女なりの屈折した愛情表現だったのだと思う。というか、思いたい。
月臣はその後2、3警備のことでアスマと話してから再び艦内探索に赴いた。
「女房の名を汚さない程度に……か。……俺の腕なんぞ、とっくに錆付いてるんだがな」
すでにあの時の腕前は無い。一線から遠ざかり、常に傍観者ないし直接戦闘とは関わらないところで過ごしてきた自分に、あの実力を維持しろというのは無理な話だ。火星の後継者との戦いの一件で多少鍛えなおしたが、それでも全盛期には程遠く、以前の実力なら不可能ではなかった単独で10人からの戦闘員を打ち倒すことも出来なくなり、射撃の精度もだいぶ落ちた。もし落ちていなければ、リョーコには悪いと思うが最初の模擬戦で倒していた。そう断言出来る。
「姉さんを助けるには、あの頃の実力の7割は取り戻さないとキツイ。でも、取り戻せるか? 北斗も北辰さんもいない状況で?」
多分無理だと思った。死の縁に立つようなギリギリの戦闘でもしない限り、あの感覚は取り戻せない。
「出来る限りやるしかない。そうしないと、後で後悔することになる」
アスマはトレーニングルームに足を向ける。早く鍛えなおさなければならなかった。
それから暫くして、ネルガルはようやく火星の後継者の尻尾を掴んだ。宇宙軍や連合軍の動きはコウイチロウの働きで抑えられている。ナデシコ単独で攻撃するには今しかない。
本当なら軍の協力を仰いで攻撃するのが正しい判断なのだろうが、軍はまだ再蜂起していない火星の後継者には目もくれていないし、そもそもただ集まって襲撃の計画を練っているだけでは逮捕も何もあったものではない。それに、集った=蜂起とは限らないし、ネルガルシークレットサービスが全力を尽くしてようやく手掛かりが掴めた程度なのだ。草壁脱獄の件で調査を続けているとはいえ、確証が掴めていない軍を当てには出来なかった。結局病気が発病した後でないと治療薬とならない軍は及びでないのだ。存在は確かに予防薬になる。だが、病気を全て退けることも、発病する前に摘み取ることは出来ないのが軍という組織だった。
ナデシコBは、改装後のテスト航海という名目で火星の後継者の本拠地、火星の極冠遺跡に向かって長い航海を始めた。
改良を重ねられたナデシコBの性能を持ってしても火星までは片道2週間と4日。ボソンジャンプの演算ユニットが敵の手にある以上、ボソンジャンプによる襲撃は読まれる可能性がある。何より、A級ジャンパーであるアスマはパイロットを兼ねるため、ボソンジャンプを実行した際疲労してパイロットとして使い物にならなくなる可能性が懸念されたし、イネスはイネスで再びも遺跡に取り込まれてしまった推測されるユリカの治療や受け入れの準備で月を離れられない。それに、以前のようにハッキングで全てを抑えられるならまだしも、艦隊戦が想定されるような場所に唯一の希望であるイネスを連れて行くことは流石に出来なかったのである。
全員が通常航海で行くことに異議は無かった。どちらにしろ、アキトとユリカを苦しめる原因となったボソンジャンプに頼りたくなかったということもある。
パイロットや戦闘に直接関わる人間は、鍛錬に余念が無かった。シミュレーションや実機を使った模擬戦闘なども入念に行い、それぞれ腕を磨いた。
とりわけ頑張っていたのはアスマだった。長い年月のうちに忘れ去ってしまった戦闘技能を磨き直す為寝る間を惜しんで訓練に明け暮れた。キットにも無理を言って自分が覚えている最強の敵である北辰のデータを使用して、装備もトラップも何でもありの戦いを行い、何とか10分は生き延びれるまでには実力を取り戻していた。全盛期なら、相打ちにまでは持ち込めるだけの実力があったのだが。やはり実戦から遠ざかり過ぎていた。それも、同程度の技量を持つ本当の強敵との戦いから。それほどいるとは思えないが、各種武器を取り扱う感も鈍っていたし、何より危機察知能力が思いの他低下していた。
流石に2ヶ月程度では鍛え直すには時間が足りなかった。最後の3日ばかりは決戦に備えて体を休めていた。
出向してまもなく見つかった密航者であるアカツキの姿を見たときは、誰もが驚いたものだ。彼はネルガルの全てをエリナに託し、アカツキ・ナガレ個人として今回の決戦に臨むのだという。持ち込まれたアルストロメリアも、よく数えてみれば1機多かった。予備機の名目で自分の機体を持ち込むあたり、流石一企業の元会長である。そして彼もまた、アスマのメニューに自らも参加して鍛えなおしていた。動機はともあれ、彼は真剣だった。
そして、決戦の火蓋は唐突に切って落とされた。
ナデシコが火星の軌道上に達するのとほとんど同時に草壁春樹からの宣戦布告が言い渡され、同時に大量の無人兵器が沸いてきたのだ。
不意打ちに近い形で攻撃を受けたナデシコではあったが、すぐに迎撃の態勢を整えた。とりわけエステバリス隊の活躍は著しく、たった5機で何十倍もの数の無人機を相手取ってなお対等以上に戦っているのだ。
戦闘の主軸を形成したのはストレリチアだった。ナデシコの艦載機の中で飛びぬけた性能を保有するからではなく、火力と攻撃範囲、機動力の高さから自然とそうなったのだ。機体の性格上囲まれてしまうと弱いのでエステバリスが絶えず支援し、年季の差を存分に活かした指示でストレリチアに最適と思われる行動をさせ、相対的に火力と機動力で劣るエステバリスが穴を埋めると言う戦法だ。
また、対艦攻撃をまともに行えるのが火力自慢のストレリチアだけだったということも遠因であった。少なからず参加している敵艦船に対する決定打はストレリチアの大出力ビーム砲とナデシコBのグラビティブラストのみだ。しかしナデシコBのグラビティブラストは連射が利かない上に味方を巻き込みやすい。結局攻撃範囲が限定されて機動力のあるストレリチアを主軸にしないと満足に対艦攻撃が出来なかっただけなのだ。
戦いは続き、何とか極冠遺跡に直接降下出来る位置に達したナデシコBは、一度エステバリス隊を収容し、大気圏に突入した。戦力では絶対に敵わない。だったら、直接乗り込んで取り押さえる以外に術は無い。
大気圏に突入したナデシコBは妨害に遭いながらも無事に火星に降り立ったが、降下地点はかなりずれ込んだ。目標まで50km。空が疎らに隠されるほど敵がいる状況では、走破するのは生易しいことではない。それでもナデシコの面々は死力を尽くして前進した。
アスマは被弾の衝撃で煽られた機体を建て直し、反撃にショットキャノンを放った。散弾の直撃は数瞬の拮抗の後にフィールドをぶち抜き積尸気を1機、宙に散らした。
「これで30機目!」
意味もなく撃墜数を叫んで機体を翻す。スラスターを全開にして次の標的に向かって飛翔する。追加装備の恩赦でストレリチア機動力は凄まじいが、運動性は相当悪い重量バランスと機体そのもののバランスが悪いのだから仕方がない。だから運動性能では自身の上を行く積尸気やステルンクーゲルを襲撃するには、パイロットの判断力と操縦技術に委ねられる所が大きい。技量が伴っていないアスマの場合、キットが献身的に処理してくれる情報を元に最良とされる判断を下してあがなう他無かった。幸い機動力はこちらが勝る、スピードを活かしてエステバリスの支援を受けやすい位置取りを取り続ければ、一方的に蹂躙されることは無いはず。
『3時方向からミサイル。回避行動を』
「了解」
アスマは軽い舌打ちと共に回避行動を取る。これで目の前の積尸気を追走することは難しくなった。だがミサイルを無視したらしたで機体に要らぬダメージを与えることになる。如何にネオチタニウム合金でも、限度は存在する。もし対艦ミサイルの直撃でも受けようものなら、確実に破壊されてしまう。フィールドだって相当な負荷を被る。発生器を破壊されてしまってはいざという時どうしようもなくなってしまう。
頭部の機関砲を連射しながらミサイルを避けていく。それでも避けきれないミサイルがストレリチアに襲い掛かり、やむを得ずフィールドを展開してそれらを受けきる。フィールドがミサイルの直撃で揺らぎ、不安定になる。
『フィールド発生器に重度の損傷。これ以上展開出来ません!』
キットの言葉通り、フィールドは数回瞬いて消失した。これで頼れるのは装甲の頑丈さのみとなった。
「流石にまずい! リョーコさん、支援を!」
「すぐに行く! 耐えろ!!」
すぐさま応答があり、リョーコのエステバリス・カスタムが飛来する。アスマはストレリチアを交代させつつエステバリスと合流し、共に弾幕を展開する。
アスマは迫りくる敵機に向かってショットキャノンを見舞う。まだオートマチック機構は死んでいない。もしポンプアクションを使わなければならなくなったら、Gファルコン装備を排除しなければ腕が使えない。
散弾の雨に晒されて敵編隊は堪らず下がりだす。その隙に撃ち切ったショットキャノンに新しいマガジンを詰め込み、間髪いれずに発射した。出し惜しみをしている余裕はまったくない。とにかく敵を1機でも多く落とす。それ以外に何も出来ない。
眼前の積尸気達が一斉に対艦ミサイルを発射した。数が多すぎる上に退路を巧妙に絶たれている。このままでは直撃を避けられない。
苦し紛れにショットキャノンの撃ち落しにかかるが、範囲はともかく散弾がどういう風に散らばるのかまったく読めないこの装備でミサイルを迎撃するのは少しばかり難儀だ。隣のエステバリスも、ライフルの弾切れを起こしたらしくマガジンの交換作業を行っていた。
『装甲をパージ! 急いで!』
キットの言葉を受けてアスマはエステバリスを庇う様に前にでてから右操縦桿脇のレバーを押し倒す。
『キャストオフ!』
キットとは異なる低い男性の電子音声が発せられ、ストレリチアの装甲が弾け飛ぶ。全身に施された“追加装甲”が排除されたのだ。
『チェンジ、レギーネ!』
電子音声が装甲の排除を告げ、頭部の角飾りがぱっと展開する。そこにいたのはテスト・トライアルの際、リョーコにピンク一色に染められたストレリチアだった。頭部に4つ又のブレードアンテナが追加された以外は、あの時のままの姿だ。
あの後追加された新システム、追加装甲システムである。ブラックサレナの物を発展させたそれは、戦闘中に装甲を切り離しても戦闘能力に影響を与えないよう再設計され、装甲が追加パーツとしての側面を持っていたブラックサレナとは異なり、装甲はあくまで装甲として扱われた形でのシステムである。それ故に装着しているとデッドウェイトが増えることになってしまうわけなのだが、このシステムは容易に装甲を着脱出来るようになっているだけでなく、装甲パーツが広範囲に飛散するようになっている。故に、装甲そのものを質量兵器として相手にぶつけることでカウンターを狙うことも出来るのだ。
そして、今回はその飛散による攻撃を防御として使用し、ミサイルの弾幕を潜り抜ける術としたのだ。飛散した装甲に行く手を遮られたミサイルはたちまち迷走し、ぶつかり合って自滅の道を辿っていった。
アスマがキャストオフを渋っていたのにはちゃんとした理由がある。まず第一に、この混戦状態では機動力よりもまず防御力が命だ。確かに追加装甲を纏ったディフェンスフォームは重たく鈍いが、通常のアサルトフォームよりは頑丈だ。対してアサルトフォームはストレリチア本来の実力を存分に発揮出来る形態だが、耐久力は当然ディフェンスフォームに劣り、打たれ弱くなる。変わりに、ディフェンスフォームでは使用出来ない特殊機能が使えるようになるのだが、果たして今役に立つのか、相当微妙なところである。
しかし、飛散した装甲で攻撃を防いだのはほんの束の間のことだ。すぐに第2波がやってくる。
「キット、使うぞ!」
『いつでもどうぞ』
アスマはGコントローラー上部の赤いスイッチを押し込んだ。
『リミットアップ!』
先ほどと同じ電子音声がシステムの起動を告げる。
瞬間、ストレリチアは爆発的に加速して攻撃を振り切り、ほとんど体当たりと見間違うほどの勢いで敵軍の中に突っ込んだ。ビーム砲を撃ちながらの突撃は無人機ですら怯ませた。
リミットアップとは、一時的に各部リミッターの上限値を跳ね上げるシステムだ。決して解除はしない。あくまでも抑えられた範囲の中での上限値向上だ。だが、普段意図的に抑えている数値だけに、少しでも引き上げてやれば結構性能は変化するものだ。
例えばエンジンで考えてみれば、普段必要ないからこそあえて回転数を制御している場合がある。だが、破損を考えず限界寸前までのチューニングを行えば、回転数は上がる。
リミットアップはそういう理屈だ。プログラム制御によって“確実に安全”だと判断されている状態から“破損の危険はあるがまだ大丈夫”というレベルにまで危険指数を下げた状態なのだ。
だからこそ、リミッター解除に比べて爆発力を出せないが、反面予想外の損傷を受ける可能性のあるリミッター解除に比べて比較的安定しているという利点がある。
アスマはその機能を使用して瞬間的に機体の速度を底上げして、相手をかく乱したのだ。
機体を反転させながら背中のビームキャノンをエネルギーが許す限り連射する。一撃で機動兵器を数機纏めて撃破出来るだけの出力を持った大砲だ。無人機も直撃を避けるべく回避行動に入るが、その隙を狙ってエステバリス隊とアルストロメリアが怒涛の攻撃を開始する。持てる火力を最大限に使用して大量の敵機を瞬く間に撃墜していく。流石は歴戦の勇士、自分とは格が違う、と素直に思った。ストレリチアの射撃の半分は外れていて牽制程度にしかなっていないのだが、彼らの射撃は恐ろしく正確で、近接戦闘での思い切りもよかった。アスマは戦場にいながらただただ感心するばかりだった。
「よくやったぞアスマ! よし、何とか体勢を立て直せた」
月臣が通信で労いの言葉を寄越すのと同時に時間切れになった。
『リミットオーバー』
アスマはすぐに機体の状況に目を通す。出力がだいぶ低下している、一応エステバリスとアルストロメリアの制空権内だが、油断は出来ない。キットの報告を聞いた瞬間血の気が引いた。対艦ミサイルが接近している。
すぐさま回避行動を行いつつ支援要請を発するが間に合わない。否、防ぎきれなかった。対艦ミサイル1発、ストレリチアの至近距離で爆発した。近接信管が作動したのだろう。幸いコックピットは吹き飛ばなかったが、胸部のGファルコンパーツが吹き飛んでコンピューターが致命的なダメージを受けてしまった。胸部にGファルコンの機首が合体していなければ間違いなくコックピットも破壊されていただろう。
操縦系統はズタズタに引き裂かれ、もう機体は動かない。
アスマは着弾の衝撃で一瞬意識を失っていた。墜落の衝撃で意識を取り戻し、着弾と墜落のダブルパンチでふらつく頭を強引に覚醒させ、状況を把握しようと視線を巡らせる。
しかし、ありとあらゆる電装品は沈黙し、何の反応も返さない。操縦桿を動かそうがスイッチを叩こうがうんともすんとも言わない。破損したコックピットの内壁で傷を負ったのか、額から生暖かい液体が滴る。ズキリと鈍い痛みが額から感じられ、ただでさえ朦朧としている頭がさらに回転しなくなる。
「キット。損害を報告してくれ」
頼れる相棒であるキットに救いを求めたのは当然のことだった。何時もならすぐに返答するなり負傷を気遣ってくれるのだが、何の反応も返ってこない。
「キット? 黙ってないで何とか言えよ。キット? キット!」
返事は返ってこない。
アスマは慌ててシートベルトを外しにかかる。慌てている上にふらついているからうまく外せずもたついてしまったが、それでも10秒かからず抜け出し、シートの後ろにあるキットの本体を検める。取り外し・点検用のハッチを開けた先にあったのは、見るも無残な姿となったキットの姿だった。激しい衝撃とショートに見舞われたのだろう。キットの本体である長さ40cm、縦20cm、厚さ20cmの長方形状のボックスは無残にひび割れ、煙を吹いていた。専門的な知識が無くてもわかる。キットはは修復不可能なまでに破壊されたのだ。
無残に破壊されたキットの有様を見て、アスマの顔からさっと血の気が引いた。震える指でそっとキットの表面をなぞる。ひび割れでこぼこした凹凸の感触と、先ほどまで動いていた電子機器特有の熱がまだ残っている。アスマは以前、それをキットの体温と称したことがあった。定期メンテナンス中の軽いジョークでもあり、キットを生物と同様に扱っていたからこその表現であり、キットもそれをいたく気に入っていた。その熱も徐々に冷めていく。それがより明確にキットの死を表しているように思えた。人も死ねば体温は下がり、やがて冷たくなる。機械だってそうだ。使用すれば熱を持つ。電気エネルギーが回路を奔り抜ける時に素材の抵抗によってエネルギーを熱としてロスするからだ。その熱が消える。抵抗が全く無くなってしまったか、電気エネルギーの供給が停止してしまったかのどちらかだ。そして今回は、後者だ。
「キット……。そんな……嘘だ……」
アスマは現実を直視出来なかった。地球に来て、ネルガルへの協力の中で巡り合った最良のパートナー。妻を失って以来ずっと得ることの出来なかった最良の友。それを失ってしまった。そのことが、どうしても信じられなかった。
無人兵器たちは大破したストレリチア完璧に無視してナデシコへの攻撃を強めていた。今までストレリチアに集中していた敵がまとめてナデシコに向かっているのだ。戦力バランスを崩されたナデシコが撃沈するのも時間の問題かと思えた。
だが、奇跡はその瞬間のために用意されていたのだ。機能を停止したストレリチアのコックピットの中に虹色の輝きが乱舞する。アスマにとって最も忌まわしい輝き、ボソンの輝きだ。
輝きと共に現れたのはカブトムシを模した制御ツールだった。つや消しの黒と黄金色に輝くツートンカラーのボディと、どこまでも透き通ったように錯覚させる深緑色の瞳を持った、一目見れば印象に残る独特のデザインを持った装置だった。
『死ぬかと思いました。しかし、何とか生き延びれました』
その装置から発せられた電子音声は聞きなれたものであった。そして、今一番聞きたかった声でもある。
「キット!!」
歓喜の声を上げるアスマ。奇跡を信じた一瞬だった。今まで自分を裏切ることの方が多かった運命に感謝した。ここにきて彼は、大切な存在を失わずに済んだのだから。
『この装置が無ければ私は確実に消滅していましたね。このハイパージャンパーが無ければ』
「ハイパー……ジャンパー?」
今は自分の手の上にあるカブトムシ型の制御装置に改めて視線を巡らせる。
『この装置は火星の後継者が今まで集めたボソンジャンプの研究データの集合体と言っても過言ではありません。ありとあらゆるデータを検証し、そしてボソンジャンプの完全制御を成す為に生み出された、人類が手にすることの出来る最高のボソンジャンプ制御装置です』
「研究データの、全て……?」
それはすなわちあの忌々しい人体実験のデータすらも組み込まれていると言うことなのか。そう聞いた瞬間、キットが中にいるというのにこの装置を投げ捨てたくなった。
もうボソンジャンプには関わりたくない。こんなものがあるから、アキトとユリカはあんな目に遭ったのだ。こんなものがあるから、草壁はあのような極悪非道な行いに手を染めることになったのだ。すべて、ボソンジャンプが存在するから。
アスマの中でドス黒い感情が渦巻く。アスマがストレリチアにボソンジャンプ・ユニットを搭載させなかったのも、全てはボソンジャンプへの憎しみが原因だ。
それなのに、キットの命を救ったのがよりにもよってボソンジャンプの制御装置。こればかりは、素直に喜べそうに無い。
『詳しい説明は後回しです。Gコントローラーの右側にコネクターがありますよね? そこにハイパージャンパーを接続して下さい。そして角を倒すんです。そうすれば、アルフォンスを復活させることが出来ます』
「―――それってボソンジャンプを使ってか?」
意識せずとも声が冷たくなる。間違っても生還したばかりの相棒に向ける声ではない。
『貴方がボソンジャンプを忌み嫌っていることは知っています。ですが、今使わなければナデシコは沈み、草壁の企みが成功してしまうかもしれません。貴方はそれを許せるのですか? 草壁の暴走を食い止めるためにここまで来たのではなかったのですか?』
アスマはキットの言葉にしばし悩んだ。
キットの言う通りなのだ。ここで躊躇えば仲間の命を失いまた大切な人の暴走を繰り返させることになってしまう。それだけは、絶対に阻止しなければならない。
「……仕方ない。今回だけだ」
アスマは観念してハイパージャンパーをキットの指示通り取り付け操作する。
『ハイパーキャストオフ!』
ハイパージャンパーから電子音声が発せられ、その機能が働き始める。
ストレリチアの全身が虹色に輝いた瞬間消え失せる。と思ったら全く同じ場所にタイムラグ無しに再び具現化する。しかし、力無く横たわっていた姿ではなく、力強く大地に脚を付け、大きな変貌を遂げた全身から溢れんばかりの闘志と力を漲らせながらその場に現れた。
『チェンジ、ハイパーレギーネ!』
ハイパージャンパーから電子音声が発せられ、ストレリチアは変貌を終えた。
その姿はさながらアニメに搭乗するロボット、“ガンダム”と呼ばれるロボットに良く似ていた。
2重になった4つ又のブレードアンテナとその中央と頭頂部の鶏冠状の部分に輝くカメラにそれと同色の深緑色のデュアルカメラアイ、大きく横に伸びた頬のダクト部分、エステバリスのそれとは比較にならない大きな肩に逞しい腕、ネルガルのどの機体にも装備されていないスカートアーマー、横側のスカートアーマーには剣のグリップ部分のようなパーツがあり、後ろ側には形状の違う同様の部品が横に飛び出している。下腕部と脛の外側にはやや離れた形で追加装甲が設けられている。特に脛に装備されているものには大型の手榴弾が装備されていた。左手には大型の盾を持ち、右手には銃口が2つある長身のライフルを持っている。
何より特徴的なのは背中から生えた2門の大型のエネルギー砲だ。見るからに威圧感を覚える印象的な存在だ。その脇には翼状の放熱板が装備されている。
背中のGファルコンにも変化は生じていた。基本的な形状こそあまり変わらないが、細部にわたるラインは変化し、塗装も変化していた。それにレール砲に変わってまるでシールドを切って貼った様な部品が取り付けられている。その端にはブースターが装備されていて、機動性向上に一役買っていそうだ。
エステバリスやアルストロメリアとは似ても似つかない趣味的で、そして恐ろしく重装備の機体だった。白を基本に黒をあしらった印象的な機体だ。Gファルコンは黒を基本的に赤を配したデザインになっている。
「これが……アルフォンスの新しい姿?」
モニターに表示されたダメージグラフで生まれ変わったストレリチアの姿を確認していた。
『そうです。そして、ある意味真の姿とも言えます。何故なら技術の関係で構想通りにならなかった部分を私なりに実現させたものです』
「何だと? お前が設計したのか?」
『ええ。本来の構想と実現するために書かれた草案は知っていたので、ハイパージャンパーに備わっていたデータと合わせて再設計したものです。外見は私の趣味ですが、機能面は現存のどの機動兵器よりも優れた強力無比な機体に生まれ変わったのです。
もっとも、ハイパージャンパーの演算能力が無ければ機能の半分は死にますし、そもそもハイパージャンパー無しではこの形態になれませんが』
「この形態で固定されないのか?」
『ええ。強力過ぎるのでセーフティーとしてハイパージャンパーがGコントローラーに接続されていない状態、接続していてもGコントローラーが本体から離れていた場合でもアサルトフォームに戻るように設定してあります』
「……つまりこの形態を使いたければボソンジャンプを、ハイパージャンパーを使えということか」
『そうです。悪いですが、貴方がボソンジャンプを毛嫌いしている以上、これ以上のセキュリティは考えられなかったもので。つまり、ボソンジャンプを嫌っている貴方が真のストレリチア、装置の名からとってハイパーフォームを使用するとしたら、余程の事が無い限りありえないと判断させてもらいました。
もちろん、貴方に何らかの心変わりがあってボソンジャンプの使用に抵抗を感じなくなっても大丈夫なように二重三重にセキュリティは施してありますが』
キットの物言いにアスマは半ば諦めを感じていた。どうやらこれから戦いの中、ハイパーフォームとやらを必要とする際には忌々しいことだがこの装置を頼らなければならないらしい。
「不本意だが仕方が無い。とにかく今はこれ以上ボソンジャンプは使わない。それでいいなキット?」
『了解しました。ボソンジャンプ発動には音声入力が必要となるので、それを知らなければハイパーキャストオフとハイパーリミットアップとマキシマムオーバーパワーの機能しか使えません。どれもボソンジャンプとの関わりが皆無ではありませんが、幾分マシでしょう?』
「ああ、少しはな」
アスマはそれだけ言うとハイパーフォームへと進化したストレリチアを空高く舞い上がらせた。バランスの悪さも運動性の低さも相変わらずだが、速い。とにかく機動性だけは桁外れだ。ハイパーストレリチアは圧倒的な機動力で無人機の編隊に追いつき、追い越し、振り向きざまに右手のライフル――ビームマシンガンを放った。連続で吐き出されるビームの弾丸はディストーションフィールドを数発で貫通し中の機体に達した。高エネルギーの雨に晒されたステルンクーゲルはあえなく爆発した。ディストーションフィールドの技術でビーム兵器はその地位を落としたが、フィールドさえなければその威力はなおトップクラス。それを何の対策も無しに浴びてはどうしようもなかった。
アスマは着弾を確認するとすぐに機体を翻して敵編隊の真上に回りこんでGファルコン両翼に装備されたグラビティショットキャノンを発射する。戦艦の主砲ほどの威力は無いが、対艦攻撃用としては以前のビームキャノンすら遥かに凌ぐ大砲は、機動兵器が食らえばひとたまりも無かった。苦も無くディストーションフィールドを食い破り、積尸気を粉微塵に打ち砕く。ネオチタニウム合金なら耐えられるが、何の変哲も無い装甲板が耐えられる攻撃ではない。
「たいした破壊力だよ。……俺の腕でも何とか出来そうだ!」
アスマはハイパーストレリチアの破壊力に驚きながらも怒涛の勢いで反撃を始める。Gファルコンにはグラビティショットキャノン以外にも小型ながらレール砲と強力な赤外線誘導ミサイルが搭載されている。アスマはそれらの武装を駆使して敵を排除して進路を確保する。
胸部に合体しているGファルコンの機首部のバルカンでミサイルを迎撃し、ビームマシンガンで反撃する。避けきれなかったミサイルを左手の盾――ディバイダーで防ぐ。ディバイダーの表面ディストーションフィールドが薄くコーティングされ、ミサイルを防ぎきる。爆煙の中で傷ついたディバイダーのシールド部分が2つに割れて開き、中から合わせて19発――3連装6門と大口径1門のビーム砲が覗く。そしてそこから7発の強力なビームが発射され、その斜線上にいた5機の積尸気を完全に粉砕する。機動兵器搭載の――しかも携行型ビーム兵器とは思えほど強力だった。
アスマは背後から体当たりを仕掛けてきたバッタを見ると、右手のビームマシンガンを上空に放り投げ、リヤスカートアーマーのグリップを――大型ビームソードを引き抜く。 大型ビームソードをバッタに向かって振り下ろし真っ二つにする。すぐに大型ビームソードをホルダーに戻すと自由落下してきたビームマシンガンを空中で捕まえその場を離脱する。
ハイパーフォームの名に相応しい圧倒的な戦闘能力を見せ付けていた。しかし、勢いだけでは恐らくハイパーフォームでも敗北するだろう。敵が困惑してくれているのは最初だけ。ハイパーフォームは短所を補うのではなく長所を伸ばす形での強化に過ぎないから、包囲されてしまったら何も出来なくなってしまう。急いで他の機体と合流しなければ。
アカツキたちも同時に反撃を開始した。
ストレリチアを欠いたエステバリス隊は数の上での不利が協調されてしまう形となり、防戦に追い込まれつつあったが、そこはエースパイロットがそろった集団、そう、反撃の時を待ち構えていたのだ。いかに高性能でバリエーションに富んだ戦術を行使してこようと、所詮は無人兵器。その反応速度と対応の速さは昔とは比較にすら出来ないがそれでも行動の幾つかにはパターン化された部分がある。彼らはそれを必死に探していたのだ。そして、見つけたのだ。行動パターンの穴を。
アスマに並ぶほど期間、実戦から遠ざかっていたアカツキも、この2ヶ月間徹底的に鍛え直しただけあってかなり感を取り戻していた。搭乗機もアルストロメリアを改造したものに乗り、自らにB級ジャンパー処理を施してこの戦いに望んでいた。機体そのものはストレリチアの余剰パーツを組み込んで強化しただけのことはあり、その性能は全般的に高かった。特に、頻繁に使用出来ないがボソンジャンプは非常に有効な反撃材料だった。ストレリチアではパイロットの猛反発に遭い搭載を見送られたボソンジャンプ・システムの有無が決定的だった。
突発的に消えては現れ、消えるかと思えば消えずにそのまま攻撃を仕掛けるなど、かなり変幻自在に動き回っていた。無人機たちは確かに地球製の兵器との交戦を想定した調整を受けていたが、ボソンジャンプを自在に操る機動兵器との交戦はあまり重要視されていなかった。何故ならジン・タイプが証明したように、機械制御のボソンジャンプはパターン化が著しく、見切られると非常に弱いという欠点があったからだ。それ故に戦略レベルならともかく、戦術レベルではあまり役に立たないという結論に至り、現行の無人兵器の戦術プログラムにはボソンジャンプ対策は最低限しか施されていないのだ。
だからこそ、アカツキは今の今までボソンジャンプを温存していたのだ。
アルストロメリアのボソンジャンプには回数制限がある。何故なら一時装甲に“CC”を組み込むという性質上、ボソンジャンプを行えば当然装甲に組み込まれたCCは消費される、つまり、ボソンジャンプを行えば行うほどCCは減り最終的にはボソンジャンプそのものが行えなくなるという至って単純な引き算である(さらにはCCを組み込まれた一次装甲への影響も懸念されていた)。アルストロメリアのボソンジャンプの使用回数は約10回。すでに6回使用している。残りは多くて4回程度だが、ここまで大盤振る舞いして見せ付けてやったのだ、敵はボソンジャンプを警戒して今まで通りの攻勢を保てなくなってきている。それで十分。活路は開けた。
ナデシコは一気に反撃を始めた。
無人機達も負けじと押し返す。
だが数で勝れど単純な戦闘能力ならナデシコ側に軍配があがるだけに、各個撃破に持ち込まれると脆い。それにチューリップなどの跳躍門で無制限に送り込まれていたかつてに比べ、多いとはいえ増援らしい増援も無く、“ボソンジャンプを使用してこない”無人機を蹴散らすことは苦しくはあれど不可能ではなかった。
特にこちらにはハイパーフォームとなったストレリチアがいる。長所であった火力と機動力、さらには攻撃範囲を強化された上位互換であるハイパーストレリチアは、弱点である近接戦闘をエステバリス隊に任せると同時に技量と経験で勝る彼・彼女らの指示を受けて敵の陣形を崩しにかかる。
艦船クラスの火力を得たハイパーストレリチアが火力と攻撃範囲に任せて突っ込めば、包囲しようと無人機が群がる。それを待っていたと言わんばかりのエステバリス隊が的確な支援で足止めし、体勢を立て直したハイパーストレリチアの攻撃でさらに崩しにかかる。ハイパーストレリチアの性質をいち早く掴んだ月臣が戦術を即座に組み立てて全パイロットに伝えて陣形を組みなおす。敵はまだハイパーストレリチアの性能を把握しきれずにいるため本来の性能以上の脅威と感じて最優先で破壊にかかってきている。付け入るはそこだ。ハイパーストレリチアを餌にしてエステバリスとアルストロメリアで釣り上げる。もうそれ以外に勝つ手段はない。後はパイロットの能力が伴わないために被弾が目立つストレリチアが最後まで持つかどうか、賭けるしかない。
それから一時間。
激闘の末ついにナデシコは無人艦隊を打ち破った。満身創痍でろくに戦力も残っていない状態だが、それでもナデシコBは沈まなかった。ハイパーストレリチアとてかなり消耗していた。装甲は被弾による陥没や傷が多数刻まれ、エネルギーも弾薬もそこを尽きている。グラビティショットキャノンの砲身も異常加熱で強制冷却中で使い物にならない。何よりパイロットの消耗が激し過ぎて機体が満足な状態であっても満足に戦えないだろう。
「こ、これで……全部か……?」
ぜえぜえと苦しげに喘ぎながらリョーコが言った。火星の大地にはガラクタとなった兵器の残骸が所狭しと転がっている。自分の機体も両腕を失い、推進器も片肺の状態で浮いているのが奇跡という有様だった。他の機体も似たようなもので、機体の破損状態を問わず戦闘不能の状態だった。
「アスマ君、アルフォンスは戦えそうかい?」
「む、無茶言うな……。もう何も残ってないぞ……」
アカツキの問いにアスマはそう答えた。もう限界だ。体力も気力も底を付いた。
「い、いくら相転移エンジン搭載型とは言っても……ぱ、パイロットは人間だぞ……」
『お疲れ様です。よく生き残れたものと、運の良さを喜ばずにはいられません』
「確かにな。運がよかったよ……」
そうとしか言えない。ハイパーフォームすら偶然の産物である以上他に何を言えというのだろうか。
そういった意味では、ハイパーフォームとなったストレリチアこそ初めて相転移エンジンを有効に活用している小型人型戦闘機ということになる。逆に言えば、それ以前はあっても無くても大差無い程度の機能しか与えられていなかったということなのだが。
「でもまあ、よく破壊されてから現れるまでの短期間でこんなもん設計したな、おい」
『ハイパージャンパーと融合した時点で私の処理能力は桁が違います。現実世界が10秒程度の時間であっても、その何万倍もの速度で情報処理が可能です。それに、基礎はすでに完成されていましたから』
「……何だと?」
『火星の後継者でもG計画の機体の再設計は進んでいたんです。企画書にあった3機全て。私はハイパージャンパーに納められていた1号機――すなわちストレリチアの原型機のシミュレートデータとユリナが独自に設計していた完成型のデータを掛け合わせ、私の“趣味”を融合して完成したのがハイパーストレリチアです。言うなれば、基礎があったわけですから、それらの良い所取りして再設計すれば良かったんですから、ハイパージャンパーの処理能力をフル活用すれば簡単です。後は実際に造って性能を見て、不備を改善していけば本当の意味での完成です。まだ使用していない幾つかの機能を使った時どのような問題が発生するか、それは使って見なければわからないことです』
アスマはキットのセリフの後ろ半分は聞いていなかった。
そもそも何故キットがハイパージャンパーに取り込まれているのだ。何故そのハイパージャンパーに完成型の1号機のデータが入っているのだ。そして何故、最高機密に属するであろうハイパージャンパーをこうも簡単にこちらに渡したのだ。
このハイパージャンパーが無ければハイパーストレリチアは誕生せず、確実とは言えないが、少なくともハイパーストレリチアがいないだけ楽にナデシコを沈められたはず。それなのに、何故。
「春樹! 俺の声が聞こえるか!!」
アスマは全チャンネルに合わせた通信機に向かって叫んだ。
「春樹! 何故過ちを繰り返そうとする! 何故そこまでボソンジャンプに固執する! もう終わりするんだ春樹!」
「アスマ」
草壁春樹が、アスマの呼びかけに応えた。
「成さねばならぬ事だからだ。世界のためにもな」
「春樹、俺はお前を信じたい。だから正直に言ってくれ。何故これが世界のためなんだ? 確かに大きな視点で見れば世界のためになるかもしれない、だが、小さな視点での幸せを無視していてはやがて世界の幸せすらも崩れていくことになるのかもしれないんだぞ?」
「……」
草壁は何も答えない。沈黙を護っていた。どれほどそうしていただろうか、痺れを切らしたアスマが口を開こうとした時、
「ナデシコの皆さん、聞こえますか?」
アスマの思考は、いや、ナデシコクルーの思考はその声に中断した。
「私の為にここまで頑張ってくれた事は本当に感謝しています。でも、私は彼らに協力することに決めたんです。ですから、ここは退いて下さい」
ユリカの声だった。しかも、映像付の言葉だ。
疲労と重なったこともあり、ナデシコの面々はその場から一歩も動けなくなった。
助けに来たはずなのに、その救出対象から帰れと言われたのだ。しかも、よりにもよって犯罪者と手を組む。ありえないと、全員が押し黙り何も言えなかった。
「アキト達を助けるにはこれしかないんです。ですから、私は草壁さんと一緒に平行世界の過去へと向かいます。皆さんには、この世界の事後処理をお願いします」
全員が唖然としている中、アスマはようやく重い口を開いた。
「何だよそれ。姉さん! 兄さんたちを助けるって一体どういうことだよ!? それに平行世界の過去に行くって、その世界をひっくり返すつもりかよ!」
アスマの絶叫に近い言葉に、ユリカは静かに首を振った。
「違うのアスマ。アキト達がいる世界は、アキト達の介入で本来起こりえるはずの無い事態を迎えつつあるの。蜥蜴戦争が終了する直前あるいは直後に、人類に絶滅か生存かを迫るような局面に遭遇する歴史が、遺跡から垣間見れたの。それを修正出来るのは、ううん、その事態を乗り切るには、異物をさらに投入して力業で対抗するしかないの。その為には、火星の後継者で得たボソンジャンプのノウハウや現代科学の粋が必要不可欠なの」
「そんなこと“はいそうですか”で認められるか! 世界を歪みをさらなる歪みで強引に修正しようだなんて、許されるはずが――」
「でもそうしなければその世界の人類は5年以内に絶滅してこの世からいなくなってしまうの!」
アスマの言葉はユリカの言葉に遮られた。
「もうお喋りしてる時間も終わりだよ。これ以上のロスは致命傷になりかねないから。キット、そのハイパージャンパーをよろしく。後のことは任せたよ。アスマをよろしくね」
ユリカはそれだけ言うと、胸元にカブトムシ型の制御ツール――ハイパージャンパーを掲げた。
「ハイパークロックアップ……」
ユリカのキーワードに応え、ハイパージャンパーがその本領を発揮する。
『ハイパークロックアップ!』
すると、極冠遺跡全体が眩い光に包まれる。
「行かせるか!!」
アスマが残り少ないエネルギーを振り絞って遺跡に突撃を開始した。傷ついた体を鞭打ってストレリチアが加速する。
「アスマ君! 1人じゃ危険だ!」
辛うじて追走出来たのはアカツキだけだった。
その2人すら飲み込んで、ボソンジャンプは決行され、そして、その場にはナデシコのみが残されたのであった。
その後の調査で、火星の後継者の構成員全員がその場から消え失せ、残されたのはボソンジャンプに関する詳細なデータのみであった。そこにはこのデータを今後の宇宙開発に役立てて欲しいと、ユリカからのメッセージが記されていた。
結局火星の後継者は表舞台に出ることなく消滅し、傷ついたナデシコと消えたアスマとアカツキの葬式だけが、あの戦いが現実であったことを告げていた。
その後、アカツキの遺書に従って新たな会長となったエリナの手で火星の後継者のデータは活用され、20年後にはボソンジャンプを利用した交通機関であるヒサゴプランが太陽系全域に拡大し、太陽系の開発が始まった。
それらの物資を狙った海賊が誕生したことを除けば戦争らしい戦争も勃発せず、至って穏やかな時が流れ続けていた。
この世界での物語は一応おしまいである。
そして部隊は、平行世界の2195年。蜥蜴戦争時代に移る。
次回予告
初めて人為的に行われた次元跳躍は成功を収めた。それぞれの思惑を胸に、異邦者達は動き出す。
それぞれの目的を果たすために。
そして、巻き込まれる形となったアスマとアカツキはどうなったのか。
次回、機動戦艦ヤマトナデシコ
「俺が全てを継いでやる」
にご期待下さい。
あとがき
新装開店「時を越えた理想」こと「機動戦艦ヤマトナデシコ」の第1話、如何でしたでしょうか?
改定前の面影全然残っていないんですよ、特に後半。おまけに改定前の究極の機体であるストレリチア・ハイパーフォームものっけから登場しています(ちなみにその時は第9話で初登場)。
今回の改訂はプロローグのあとがきにも書いてある通り設定を膨らませ過ぎたことが要因なので、それらを纏めていく事が目的だったのですが、ごめんなさい、物語が根底から変わっちゃいました。今回ナデシコ側からはアスマとアカツキしか逆行(?)しません。キットは早々に壊れてハイパージャンパーと共存しちゃいましたし、アスマは改定前と人が違うし、アカツキ参戦しちゃうし(出番無いけど)。
今回は後半の戦闘シーンを大幅カットです。ぶっちゃけ書いても書かなくてもどうでも良かったので。書くべきことは「ストレリチア大破」「キットの破損と再生」「ハイパーフォーム誕生」「アカツキB級ジャンパー化」だけだったんで。
それと、今回から主人公機の名称が少し変わっています昔は「ストレイチア」で、今回は「ストレリチア」です。「イ」が「リ」に変わっていますが、これが正式みたいです。最初に調べた資料では前者だったのですが、その後後者が正しいらしいと知り、改定ついでに改名しました。それと、ハイパーキャストオフを前面に押し出すので最初はアルストロメリアからガンダムへと進化するために装備を初めとする設定がだいぶ変わっています。圧縮図書に残っている改定前の最初の機体、「プレイア」と比べてみるとその違いがわかると思います。
様々な変更に伴い今後の展開も全くの別物へとなりますのであらかじめご了承下さい。ただし、エステバリスなどカスタムタイプの設定や、キャラクターの配置などは前回と殆ど同じです。ただ、最初から前回で言うパワーアップ版が登場しているくらいで。また、前回では登場したばかりのヤマトもだいぶ立ち位置が違い、前回では登場する前に終わってしまった真の姿の登場も早まります。
それと原作「時の流れに」との差別化を図るためアキトの劇場版後の動向や、DFSなどの一部名称は変更されています。今回一言だけ出てきたディストーションソードはDFSに該当する装備ですので、あらかじめご了承下さい。ただし、オリジナルキャラクターの名前や容姿はそのままの場合が多いのでご安心下さい。一部違いがありますが。
前回とはまるで違う新たなる物語、お楽しみいただけたら幸いです。
あとがきその2
一部描写の変更を行いました。話の本筋には殆ど影響ありません
代理人の感想
うーん、悪くはないけどちょーっと説明が長すぎるかな(苦笑)。
こう言うのを好む人もいるんで一概には言えないんですけど。