機動戦艦ヤマトナデシコ

 第2話 「俺が全てを継いでやる」






 その夜、“影護アスマ”はふと目を覚ました。自分がどこにいるのか、一瞬わからなかった。体を覆っている布団を押しのけ体を起こすと、暗闇の中にまだ比較的新しい家具が見えてくる。まだ越してきて1週間ほどだから、それほど不思議ではないだろう。結婚して新居を構えれば当然ながら新品の家具も買い集める必要があるのだから。

 彼は何故自分がここにいるのかわからなかった。この家はすでに引き払ったはずだからだ。

 (確か地球に移住する時に。地球? 何故地球に移ったんだ。俺は――)

 わからない。走馬灯のように様々な光景が頭を過ぎったが、全てに覚えが無かった。蜥蜴戦争、火星の後継者、ナデシコ、テンカワ・アキト、テンカワ・ユリカ、アカツキ・ナガレ、キット、アルフォンス、そして、妻の死。

 見たくない光景が頭を過ぎったせいか、安否を確かめるべく首を右に向けた。視線の先には隣の布団で蓑虫のように丸まって寝ている妻の姿が見える。背中まで伸びている赤みがかった黒髪に整った顔立ち、布団に隠れて見えないが抜群のプロポーション。今は枕を抱きしめてだらしなく涎を垂らしながら熟睡している。余程楽しい夢を見ているのか、終始笑顔を崩さない。何時もの光景だ。

 「……」

 ともかく無事である。なら、先ほどの光景は一体なんだったのだろうか。まさか、予知夢の類ではないだろう。
 しかし、本当に気持ちよさそうに寝ている。あまりにも気持ちよさそうに眠っているのでついついちょっかいを出したくなるが、そこは我慢。下手に邪魔をするとそれこそ比喩でもなんでもなく痛い目を見る。何しろ生身では木連総合戦闘能力最強と称されているアスマとはいえ、どう転んでも女房と喧嘩して勝てる道理が無い。惚れた弱みというやつだ。

 「……」

 それでもつい手が伸びてしまう。人差し指で頬を突いてみる。ぷにぷにと柔らかくて弾力のある感触。妻は全く目を覚まさない。調子に乗って突き続ける。思わず苦笑する。何と無防備なのだろう、すっかり安心しきっている。俺が殺し屋だったらどうするつもりなのか。
 まあ多分大丈夫だろうと考えながら悪戯を続ける。彼がささやかな幸せを享受していると、突然彼女の手が伸びて悪戯をしていた彼の右手を掴み、そのまま口元に運んで噛み付いた。遠慮のかけらも無く。本当に寝ているのか疑わしいほど力強く。断言しても良い。これは甘噛みなどという生易しいものではない。明らかな攻撃だ。






 とても痛い。皮を貫き、肉にまで達した歯の感触も、あふれ出て来た血液の流れも全てが鮮明に感じられた。……感じたくもないのだが。






 「ーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 声にならない悲鳴が迸る。妻はまだ目を覚まさない。ムニャムニャと口をもごもごさせ、違和感を感じたのか薄っすらと目を開ける。そして、起き抜けにこう言った。

 「ばみばいてんぼ?(何泣いてるの?)」

 そこでようやく開放されたアスマは涙目で妻に言った。もっと他に言うことがあるだろうと。









 「だから、悪かったってば。寝ぼけてたんだからしかたないって」

 と、作りたての朝食を載せたお盆を運びながら、妻は謝った。

 「本当だろうな? あれは寝ぼけているという具合じゃなかった気がするんだが」

 と、包帯でぐるぐる巻きになった右手を胸に抱く。物を掴むくらいは出来るが、しばらく繊細な作業は無理そうだ。とりあえずとっとと病院に行った方がいいかもしれない。ズッキンズッキン痛む。流石に、骨には達してないと思うが、かなり痛い。

 「大体寝てる人にちょっかい出したアスマも悪いでしょ。全部が全部あたしの責任じゃない」

 と、食事をちゃぶ台に並べながら反論する。

 「確かにそうだが、何もここまでの報復を受けるようなことだとは思えないのだが?」

 「まあ食べ物の夢見てたから思わず噛み付いたのかもしれないけど。……夢でもアスマの料理はおいしかった」

 やっぱり食い物の夢だったか。まあ褒められているようだからこれ以上の追求は止めておくか。

 白米に味噌汁、漬物に魚の干物。極ありふれたメニューであるが、一口食べてアスマは眉を顰めた。もう一口食べて、疑惑が増した。

 「……こんなに不味かったか?」

 つい余計なことを言ってしまった。夢の内容が尾を引いていたのだろうか。それにしても不味い。何時もの3倍は不味く感じる。これは料理の腕ではなく食材の味が根本的に悪いという意味だったのだが、それ以前に失言だと気づくべきだった。
 対面に座っていた妻の目にじわっと涙が浮かぶ。

 「ひ、酷い……。怪我させて料理出来ないから、代わりに頑張ったのに、たいして良くない食材から少しでも美味いものを食べさせてあげようと苦心して……いくら自分の方が料理上手いからって……」

 おいおいと顔を覆って泣き出してしまう。どうにも演技臭い、100%嘘泣きだ。

 「……」

 アスマはバツが悪そうに黙り込んだ。だが、決して妻には近寄らない。何故なら近づいた瞬間に報復が確定するからだ。格闘技の腕前は素人よりもマシ程度と妻など彼の実力からすれば片手で捻れるのだが、それでも殴られれば痛いしそもそも攻撃を受け流しては意味が無い。おとなしく一撃もらった方がすっきり円満に収まるのだろうが、やっぱり痛いのは勘弁である。さてどうするか、と天を仰いだ時、異変が起こった。

 「ん?」

 見上げた天井に虹色の光が瞬く。はて、そのような照明を設置しただろうか。
 虹色の光が収まると、そこには大人の拳大の物体があった。裏なのだろうか、黒い面をこちらに向けている。
 アスマが冷静に把握出来たのはそこまでだった。何故ならその物体は人工重力に引かれて彼の顔面目掛けて落下してきたからだ。避ける間もなかった。唖然と妻が見守る前で、アスマは謎の物体の攻撃を受けて沈黙した。大きさの割りに、結構重たかった。






 『どうも始めまして。私はKNIGHT・INDUSTRY・TWO・THOUSAND。この装置、ハイパージャンパーに搭載されたAIの声です。折角の料理を愚弄した報復は下しておきました、ご安心を』

 自分の下で痙攣しているアスマを綺麗にシカトとして、キットは目の前の女性に挨拶をしたのであった。そして彼女も、嘘泣きをやめて唖然とその光景を眺めていた。





 幸いアスマはすぐに立ち直り、顔面に一撃入れてくれた装置をちゃぶ台に載せ、妻と並んで凝視した。黒いカブトムシ。そう形容するのがぴったりだった。今は、深緑色の目も沈黙していたが、妻に言わせると言葉を発したときは光ったらしい。

 『何時まで見てるつもりですか。別にとって食いはしませんよ』

 と、装置に搭載されたAI――愛称はキットとか言っていた――が言ってきた。確かに、目の部分が点滅している。

 「食えるもんなら食ってもらいたいな。お前は何の恨みがあって俺に攻撃を仕掛けてきたんだ? 返答次第じゃバラバラに分解するぞ」

 顔に真っ赤な痕を残したままのアスマがにらみつける。だが、言葉では過激なことを言っているが、彼はハイパージャンパーを壊そうとは考えていない。あくまで脅し文句と言う奴だ。その証拠に声に怒りは全く含まれておらず、至って冷静そのものである。

 『別に恨みはありません。今回のは偶然の事故です。ジャンプアウト先の座標が少しずれただけです。本当はちゃぶ台の真ん中に出てくるつもりだったのですが』

 とそれを知っているからこそキットは気安く返答した。

 「ほう。一応確認しておくが初対面だよな? 用件は何だ? 返答によっては本気で解体するぞ」

 『それについては今から簡単に説明します。その前に確認しますが、そちらの女性は貴方の奥さんですか?』

 「勿論。妻の北斗、よろしく」

 と、自ら紹介して握手代わりにハイパージャンパーの角を軽く掴む。かなり間抜けな光景だ。それに応えるように角を軽く動かして見せるあたりキットもなかなか芸が達者である。

 『では問題ないですね。少々信じがたいことですので心して聞いてください。一応物的証拠も用意出来ますが、それは話が終わった後にお見せします』

 と前置きしてからキットは語り始めた。

 こことは違う世界で実際に起こった争いの顛末を。時折、自身が記録していた映像や画像を交えて。



 キットの話は四半日にも及んだ。正直なところ、アスマも北斗も信じてもいいと思った。それだけキットの話は信憑性に富んでいた。勿論この段階では物的証拠など何も無いが、キットが時空跳躍によって現れた以上、時間を飛び越えたと言われても無視は出来ない。どちらにしろ物理法則というものを完璧にシカトしなければ瞬間移動など出来ないのだ。だったら、そんなの不可能だと頭から否定するのは馬鹿げていると考えたのだ。アスマにしろ北斗にしろ、変なところで融通が利く人間であった。無論、時空跳躍に関して言えばどっかの誰かさんのおかげで知識があったのだが。

 『貴方が未来で使っていた機体、アルフォンス――いえストレリチアは近くの廃棄コロニーの港に安置されています。それをどうするかは所有権を引き継いだ貴方が決めてください、アスマ』

 アスマはキットの話を全面的に信じては見たものの、釈然としないものを感じた。

 「なあキット。未来から来た俺はどうなったんだ? その、他の全員がジャンプを成功させているのに、何故俺だけが断片的な記憶だけしか受け継いでないんだ? 本当ならボソンジャンプの影響で上書きされるか融合するはずなんだろ」

 『多分、アスマがボソンジャンプを忌み嫌っていたことが災いしたのでしょう。それに彼はA級ジャンパー。その為ボソンジャンプに対するマイナスイメージがジャンプを不安定にさせ、断片的な記憶のみを残して消滅してしまったと考えられます。ジャンプは私を、正確にはハイパージャンパーの共鳴で正確に行われました。現に、地球ではアカツキさんがこの時代の体に上書きされる形で未来の精神が定着しています。だから、アスマのボソンジャンプに対する印象が、明暗を分けたんです』

 キットの声には残念そうな響きが滲んでいた。どんな形であれ、最良と信じて疑わなかったパートナーを失ったのだ。その心情は容易に察することが出来た。“彼”が人間に近い感情を持っているのであれば、なおさらだろう。

 『幸い私の、ハイパージャンパーの所有権は断片的な記憶と共に貴方に受け継がれました。ですから、私の今後は貴方が握っています。私の所有権を放棄しても、所持し続けても構いません』

 「受け継ぐも受け継がないも俺次第か……」

 アスマは腕を組んで考え込んだ。事情は全てわかった。未来の自分がボソンジャンプを毛嫌いした理由もわかる。

 「キット。とりあえず決めたことがある」

 『何ですか?』

 「俺が全てを継いでやる。未来の俺が残した、アルフォンスも、ハイパージャンパーも、キットも、記憶も。話が本当なら、歴史そのものを揺るがす大事件だからな。結末まで付き合ってみるのも悪くない」

 「同感ね。あたしとしても結構切実な問題だし、アスマがやるって言ってるのを無視は出来ないしね」

 自分の運命は自分で切り開く、彼女はそれを家族から教えられていた。その教えが無ければ彼女は今この場にこのような形でいなかっただろう。

 『ご馳走様。私もいつか恋の相手が欲しいところです』

 半ば冗談のようなことを口にしながら、キットはこの夫婦の参加表明に感謝と喜びを隠し切れなかった。また一緒にいられる。確かに本人ではない。この問答ですでにキットは悟っていた。しかしそれでも、似て非なるとはいえもう一度アスマとの関係を構築出来るという喜びは強い。それにこのアスマはアスマで、付き合ってみればおもしろそうだ。

 アスマは今の木連の状況を考える。地球への申し出を無視されてから反地球意識が非常に高くなっている。軍備の拡大も進み、何時開戦してもおかしくない。アスマにしてみれば大変馬鹿らしいことだが。まあ地球連合の対応には不快感を覚えているので連合に対しての反抗なら戦うのも止む無しだが、地球人の虐殺を推奨するような木連の風潮は昔から嫌っている。個人的に付き合いのある連中は軍属民間問わず彼と同様の考えを持つに至っているが、それでも全人口の何%だろうか。まあ、後はあいつの手腕に期待しよう。

 「なあキット。この開戦で、多くの地球人が死ぬんだよな?」

 『ええ。それどころか、開発途上の火星は事実上壊滅。生き残りの一部も救助に来たはずのナデシコに殺される形になり、さらに少なくなった生き残りは火星の後継者の礎となり、一言で済ませれば全滅です。全てがこの戦争のせいではありませんが、火星壊滅の原因とは言えます。この戦争が無く、地球と木連が和解していれば、少なくともあれ程大規模なテロは発生しなかったでしょう。草壁春樹も、独善者になりたくてあんなテロをやったのではないと、貴方が言っていたことです。木連に対する差別の酷さも引き金だったのではないかと』

 「ああ。春樹はそこまで身勝手じゃない。まあ、人の上に立つ身分だから強要することはあるが、それはあいつの欲ではなくあくまで民のため、俺はそうだと信じてるよ」

 アスマは苦笑しながら付け加えた。さて、そろそろ本題に入る必要がある。まずは確認だ。

 「キット、付き合え」

 『どこへ行くんですか?』

 「春樹に会いに行く。お前の言うことが正しいなら春樹は未来から来てるんだろう。お前の話が事実だと確定するし、何より本心を聞ける。もし駄目ならお前を使って脱出して、北斗と一緒に木連から逃げ出す。その為にも時空跳躍、ボソンジャンプだったな? それを確実に作動させるためにもお前の助けが必要だ」

 『わかりました。お供します。と言っても、自分では移動手段がボソンジャンプしかないので、ポケットにでも入れて下さい』

 アスマはキットの言葉に従ってハイパージャンパーをポケットに仕舞い込む。ちょっとかさばるが、ジャケットのポケットならまだ目立たない。なかなか便利な大きさだ。

 「じゃあ北斗、行ってくる。留守番頼むよ」

 「わかった。気をつけて。とりあえずお茶の用意して待ってるからね」

 そう言うと北斗とアスマは軽く口付けを交わした。






 『それにしても、こうもあっさりと信じてくれるとは思いませんでした』

 「否定する根拠を得られなかっただけだ。それに嘘だと否定するにはやはりお前の存在がネックだった。今の木連の技術力でお前を作ることは不可能だし、春樹の話ではまだ跳躍は実験段階で跳躍門を解さない独立した跳躍は不可能だということだ。にも拘らず独立した跳躍を行い、かつ人間と比べても遜色の無い人格を保有する人工知能なんて、木連でも夢物語だ」

 道中、アスマとキットは会話を続けていた。平日の午前中ということもあり、人通りは疎らだった。それに彼は何かと裏通りや屋根の上など、あまり人が通らないところを通る習慣があり、この会話を聞かれる心配は殆ど無かった。本人は単なるロードワームのつもりでやっていることなのだが。

 「突拍子も無い話だが確かに未来からも物とすれば説明が付かないわけではない。それにあのストレリチアというロボットの技術も、確かに8年も経てば十分に実用化出来そうなものだったからな。専門というわけじゃないが、これでも工学知識は持ち合わせているし、軍の関係施設にも出入りしているんでね。ついでにお前のアニメ好きという性格もなんとなくわかる。まあ、狂言だとしたらよく出来たことだと思う。もし嘘だとしたら、あの映像と画像をどうやって作ったのか、大いに興味があるがな」

 言いながらアスマは屋根から屋根へと跳躍した。何時もの散歩コースの一角だ。毎日のように繰り返すせいかこの辺りの屋根は皆補強が進んでいて並みの家屋よりも頑丈である。
 元々が強さを求めて北辰の家に居座るようになったアスマだ。北辰に頭を下げて徹底的に鍛えてもらっている。未だその技術で彼を越えることは出来ないでいるが、予定していた技術と能力は手に入れている。後はのんびりと鍛えていくつもりだ。一応娘である北斗も教育の一環として武術を習ってはいたのだが、娘の方はそういう方面での才能は欠如していたらしく、身体能力はともかく技術に関しては結局人並みにしか伸びなかった。技術は伸び悩んだが健康のためと称してトレーニングは欠かしていないので、身体能力だけなら同年代の女性を上回っているのだが、技術が無くて空回りしている節がある。もっとも、バーゲンセールのような大量の買い物を1人でしなければならない時には絶大な威力を発揮しているらしく、良く近所の奥様方を引かせている。

 『それにしてもかなりの身体能力ですね。未来の貴方ではここまで動けなかったですよ』

 「それは未来の俺が鈍っていたか、それとも初めからそこまで鍛えていなかったかのどちらかだろうな。
 ここがキットの居た世界から見て平行世界の過去なら、歴史の細かな流れや人一人の人生や出来事が前後しようが削除されようが追加されようが知ったことじゃないしな。もしかしたら、イレギュラーの影響かもしれない。キットや次元を超えた春樹達の介入で、世界そのものの流れが根底から揺らいだ可能性も否定出来ない。その場合、イレギュラーと関わり深い人間にも影響がある可能性は高い。俺の場合、春樹と跳躍に失敗した未来の俺の影響だろう。下手をすると、生身で勝っている分機動兵器の技量では劣っている可能性も高いぞ。――――――経験が無いから何とも言えないが」

 と言いつつまた屋根から屋根へ飛び移り、屋根が途切れたところでようやく地面に降り立った。改めてキットはアスマの体をスキャニングしてみるが、確かに常人に比べて遥かに鍛え上げられているのが窺える。それに身長が160台前半しかなかった向こうのアスマと違って、こっちのアスマは普通に180台に届くほどだ。身体つきもマッチョでこそないが筋肉質と言えるし、顔立ちも柔和だった向こうのアスマと違って眼光は鋭いしいわゆる男らしい顔立ちになっている。ファッションセンスは大差ないようだが、額に巻いている赤いバンダナが目を引いている。一見ありふれた代物のように見えるが、額に位置する部分に集積回路が収まっているのがわかる。解析した限りではおそらく脳波に影響を与える電子機器が収まっている。それを両側に付けているというのは、精神的なトラブルでもあるのだろうか。しかし、食事の時には付けていなかったし、付けたからと言って言動などに変化は出ていない。果たしてどのような目的で付けているのだろうか。

 疑問には思ったが口には出さないままでいた。キットが髪飾りを気にしているのに気づいたアスマだったが、そのまま歩を緩めずに行政府に向かって突き進む。実は詮索して欲しくない秘密に関わっているので、触れない方が良いのだ。

 とりわけ記載する必要も感じないのだがあえて記すなら、彼は草壁に会う為に必要な手順を殆ど素っ飛ばしている。アポも取らずに重要人物である草壁に会えるはずは無いのだが、1度たりとも実行したことがない。



 常識で考えるなら門前払い確定なのだが。



 結果からすればアスマはすんなりと入れてしまった。それどころか、草壁春樹ともすぐに対面出来た。というのも、来訪を告げた途端、当の本人がすぐにでも連れて来いと言ったからだ。そして、係の者も慣れたもので特に驚いた様子も無く案内するが形だけだ。何故ならアスマは週に3回はここに通うし、草壁もそれを拒まないからだ。殆ど顔パスに近い状態である(ちなみに北斗も似たようなものだ)。



 「よく来たなアスマ。今日は何の用だ」

 机に向かい、書類を捌く手を休めて問うた。
 一見何時もと変わらないように見えるがなるほど確かに雰囲気が違う。それに心なしか何時もより嬉しそうだ。よく顔を合わせるというのに何がそんなに嬉しいのか。普段なら首をかしげるところだが、キットに事情を聞いているので理解には苦しまなかった。――もしかしたら何か精神的に嫌な事があったのかもしれないが。アスマは挨拶も省略して不躾に言った。まあいつものことだ、今更礼儀など求めはしないだろうし、この方がらしくて良いとは草壁が言い出したことだ。

 「ちょっと尋ねたいことがあってな」

 「何だ、言ってみろ」

 草壁は机の上に腕を乗せて応じた。

 「どうして次元を超えてきた? 未来の俺に変わって問い質したいんだ。今後の方針を固めるためにも」

 はっきりと草壁の顔が強張った。勿論、付き合いの長い自分だからこそわかる程度の些細な変化だったが。

 「そうか、ついて来てしまったのか」

 苦々しい口調で草壁は言った。それはついて来たことを責めるのではなく、巻き込んでしまった自分に対する叱咤に近かった。

 「正確には断片的な記憶だけだ。詳細はキットに聞いた。未来の俺はあのジャンプで帰らぬ人になったみたいだな」

 そう言ってポケットからハイパージャンパーを取り出し、草壁に差し出す。

 「何なら所有権を返上しようか? これから必要だろう。欲した品でもないし、未来の俺ならともかく今の俺に春樹の邪魔をするつもりは無いからな」

 『お願いですから私の存在を忘れないで下さい。返還する前にネルガルかどこかで私の新しいハードを用意して下さい。私は貴方から離れたくありません』

 とキットが苦情を申し立てる。アスマは悪い悪いと口では謝りながら悪びれた様子も無くいなしている。草壁はキットの苦言に目を伏せ一度息を吐くと、窘めるようにアスマに言った。

 「アスマ、ハイパージャンパーは元々お前とテンカワ・アキト君の為にモデルチェンジをした品だ。そう簡単に手放されてはヤマサキに頭を下げた私の立場が無くなる」

 「俺と、テンカワ・アキトの為に?」

 そうだ、と草壁は姿勢を正した。

 「その制御装置は、本来より確実に、そして人間翻訳機を介さずともA級を除くジャンパーがボソンジャンプを容易に行うための制御装置だったのだ。それに今のような機動兵器の強化制御デバイスを兼用する改造を命じたのは私だ。逆に、そうでもしなければG計画の機体を完成させることが出来なかったのだ」

 「何故G計画の機体の完成にこだわったんだ。そんなことしなくても、ステルンクーゲルや積尸気、エステバリスUやアルストロメリアのデータだけあれば十分だろう、この時代なら、それだけでも余裕で世界をひっくり返せるぞ」

 アスマの言葉に草壁は首を横に振った。その表情はわかっていないと言っていた。

 「我々がこの時代―――この次元に来たのは身勝手な歴史の改変のためではなく人類救済、いや、人類存続のためだ」

 「どういうことだ?」

 アスマは草壁に改めて尋ねた。人類存続のためとは、穏やかではない。それどころかあまりにも話が大きい。

 「この次元はアキト君を初めとする異邦者の干渉でおかしな風に歪んでしまった。それは歴史の修正力でも何でもない。時空間の歪みと言っても差し支えは無いだろう。何故そのような事態を招いてしまったのかは全く見当も付かない。だが、そのせいで我々のような異邦者が必要となったのだ」

 アスマは話についていけず呆けていた。キットは口を挟まず草壁の言葉に耳を傾けていた。

 「難しい話を省けば、近い将来地球外生命体の侵攻が行われ、人類が絶滅の淵に立たされることしかわかっていない。そして、それを生き延びるには最低でも我々の時代の技術力を持ち込んで磨き、技術の前倒しでも起こさなければ乗り越えられないということだ。いや、時代の流れに任せていては間に合わず蹂躙されるのが確実だろう。その為にも、我らが希望であるG計画の完遂を果たさねばならん。無論、その為にはお前に頑張ってもらわなければならないのも事実だが」

 「その為に、次元を超えたと?」

 「勿論、そこに自分勝手な思惑があったことは認める。こうすることで自分の罪の意識を誤魔化したかったという気持ちもある。だが、多くの血を流して得た我等の研究成果は向こうではボソンジャンプに対する危機的意識の高まりや不必要なまでの警戒で有効活用されていない。それに、我等の行いで木連出身者と地球出身者の溝は深まってしまった」

 「……」

 それはアスマの中の断片的な記憶も教えてくれた。確かにあの一件でますます2つの国家の溝が深くなってしまった側面もあったのだ。地球側にしてみれば100年も前の因縁で全く関わりの無い自分たちまでもが辛い目にあう羽目になり、木連側からしてみれば公式に一切の謝罪も無かったという事実が許せなかった。争うべくして争ったのかもしれないが、どちらにせよ抗争に巻き込まれた側からすれば良い迷惑だ。

 「不幸中の幸いか、これからの戦争でそれらに対抗するための下準備は出来る。掛け値なしの本物の戦争だ。緊張感は嫌でも高まり、軍備の拡張も進む。おまけに連中は我々を正体不明の異星人としているのだ。その嘘が本当になる。嘘から出た真となるだけだ」

 草壁の読みはたぶん当たっているだろう。確かに平和な世の中にいきなり未知の文明が襲い掛かってくれば軍も民衆も混乱して敵に攻め込むチャンスを与えかねない。いくらパトロールを行っていても、存在が確認されていない地球外知的生命体から攻撃を受けるなどと、誰が予想するだろうか。そういう意味では潰しあわない程度に、疲弊しない程度に戦争を続けていれば常に臨戦状態で迎え撃つことが出来る。それに攻める側としてもその争いを好機と見て攻め入ってくるかもしれない。その時までに裏で地球とパイプを繋ぐ事が出来れば、その時は共通の敵が出来たということで休戦し共に迎え撃つことも可能だろう。そうすれば仲間意識から地球と木星の歩み寄りも確実なものとなるはず。そう上手く事が運ぶとは思えないが、高まりに高まった反地球の感情を晴らすためにも、ここは一度膿を出して置く方が得策ともいえなくは無い。そのために罪の無い人間が犠牲になるのも、止むを得ないとは言いたくないが。

 「だからアスマには北斗を連れて木連を脱出し、地球での被害を食い止めるべく奮戦してもらいたい。幸いナデシコには協力者であるテンカワ・ユリカ君がいる。彼女なら父親のコネを活用して遊撃部隊として地球上を動き回れるはずだ。それに便乗して世界を回り、この戦争の裏を知る者として自らを鍛え上げて欲しい。お前の能力なら鍛えれば一級の戦士になれるはずだ」

 「わかった。春樹の言う通りにしよう」

 アスマは快く承諾した。春樹の言うことに間違いなど無い。多少独善的なところはあるが、人の上に立つ者が他人の言うことを一々取り入れては逆に組織は崩れてしまう。組織の中で生きるには大なり小なり独善的な部分が必要だ。それに根は模範的な将官だと確信しているからこその判断だ。
 だが草壁はあまりにもすんなり承諾したアスマの態度が気に食わなかったようだ。

 「そんなにすぐ決めてしまって良いのか? 今言っていることは全部出鱈目で、本当は全人類を掌握しようとしているのかもしれないんだぞ?」

 試すような口調だった。
 アスマは大げさにため息を吐いて見せた。まったく、変なところで自虐的になっている節がある。本当に面倒な男だ。

 「それだったら心配していない。春樹が言うことで根本的に間違っていることは今まで一度も無かった。だったらそれを信じるまでだ」

 「どうしてそう言い切れる」

 「春樹は部下を駒としか見ていない独善者とは違う。それくらいは俺にもわかる。第一、春樹はこの木連という国を愛してる。確かに独りよがりなところもある、しかし人は誰しも独りよがりなところがある。その独りよがりが過ぎたからこそ未来の俺は決別を選んだんだろう。だが、自らの過ちや非道を理解し、それすらも背負って未来を創ろうとする男が、2度も同じ事をするはずが無いだろうが。俺に同じ事を言わせるなよ春樹。俺はお前に天の道を見た。もしお前が道を踏み外すとしたら、その時は俺がお前の道を正してやる。本当に俺を信じるのなら、春樹は自分の道を突き進め。それこそが、正しい選択だろうさ。

 それに、だ」

 アスマは意味ありげにハイパージャンパーを手に取り春樹の前で振って見せた。

 「俺のキットを懐柔することが、お前に出来るわけ無いだろう? オモイカネ級の人工知能はこいつの開発者にとって触ったことの無い言わば未知の技術。ハイパージャンパーに移植されたとはいえ、キットの基礎人格や記憶、趣味嗜好、その他諸々。一切崩壊させること無く嘘のすり込みが出来るのか? それに万が一にもキットが狂ってしまった場合ハイパージャンパー自体に以上が生じるかもしれないしな、怖くて何も出来やしないさ。 

 キットは確かに機械だ。だがそれ故に正確で真実のみを訴える。妙なところで人間じみているから嘘も言うだろうが、果たして相棒と言い自分の全てを託したこの俺を裏切ることになるとわかっていても、嘘を言うのかな?」

 アスマは自信たっぷりにそう言い切った。ほぼ初対面のキットをそこまで買えるその精神構造は理解しがたい。相手は人間ではなく機械、所詮人が作り出した擬似人格に過ぎない。そんな存在の言い分を真摯に受け止め自分なりに整理するなど、普通の人間には決して出来ない芸当だ。草壁は諦めた様に、それでいて嬉しそうに長く息を吐いた。

 「……その通りだな。お前の言う通りだ。私は私の道を進もう。アスマ、もし私ではなくお前が道を誤ったなら、その時は私が正そう。

 火星の襲撃は予定通り行う。介入を頼む。せめて無関係な民間人だけでも救ってくれ、それにあそこでお前は会わなくてはならない人物がいるからな」

 「わかったよ春樹。精々、虐殺紛いの侵攻だけは避けてくれよ。……命を奪う覚悟はある。だが、無駄な人死にを増やすつもりは無いぞ」

 「任せろ、と言いたい所だがこの時点での跳躍門を初めとする無人機は全て完全自動化されていて、現地での戦力比などを判断して戦力を投入する上、敵対勢力と思われるものは完全排除するようプログラムされている。何しろ、火星の土地を奪い返すというのも今回の作戦の一環だからな。無論、軍人と一般市民の区別も付かない。もし大型の熱源や大量の人間を確認すれば即座に殲滅行動を始めるだろう。残念ながらこれらのプログラムの書き換えはすぐには終わらないし、下手に書き換えると無人機がただのガラクタと化す恐れがあって作業が捗っていないのが現状だ。お前には、火星の市民を虐殺する前に可能な限り戦力を削いでもらわなくてはならない。素人のお前にはまず不可能どころか、死んで来いと言わんばかりの任務であることは重々承知だ。だが、ストレリチアの性能とお前がボソンジャンパーであることの生存率の高さにかけて、やってもらう。可能なら会戦までに訓練も積んで貰う。焼け石に水だと思うが、頑張ってもらいたい。それと、作戦はあくまで“可能な限り敵戦力の駆逐”だ。お前が死んでは意味が無い。よって、場合によっては遺憾ながら火星の住民を見殺ししてでもお前は生きろ。後はこちらの別動隊でやる」

 火星の住民を見殺しにしても、という言葉には異議を唱えたかったが、それを言えるほど自分が強くないことを彼はきちんと認めていた。生身で敵拠点に突入して可能な限り破壊して来いと言われたのなら機能の1/5くらいは奪ってみせるが、機動兵器でやれと言われたら無理と答えるほか無い。全くの未知の戦闘なのだ。この場合、自分の能力を過小評価していた方が生存率が高いだろう。本当なら冷静かつ客観的に分析して戦い方を決めるところだが、前例の無い戦いである以上、無理をすれば出来そうなことは始めから無理と決め付け、決して無謀な真似はせず堅実に自身の技術を養うほか無いだろう。
 どちらにせよ、素人操縦のハイパーフォーム1機で相手を全滅させることなど不可能だ。これがテンカワ・アキトのように経験を積んだパイロットなら別だが。

 “普通に戦うのであれば”ではあるが。

 勿論アスマはハイパーフォームの切り札の存在など知る由も無く、同時に知っていたとしても今の自分には使いこなせないことくらいはわかるだろう。とにかく物騒極まりない、何故機動兵器にそんなものを積み込んだのかと開発者を問いただしたくなるような装備だからだ。

 「……わかった。可能な限り助け、無理だと判断したら見捨てる。ストレリチアとキットの力を信じて力の及ぶ限り努力しよう」

 「うむ……。ネルガルのアカツキ会長にはすでに連絡を取り、ボソンジャンプ関連の技術提供で協力を要請した。まあ、彼も異邦者だったのは以外だったがな。あっさりと協力を約束してくれたのは意外以外の何物でもなかったが、向こうとしても要求を突っぱねるよりも協力した方が利益が大きいと思ったのだろうな。企業としては当然の判断だろう。それに人類滅亡が本当なら、買い手が無くなるのは売り手としても困るだろうし、何よりその防衛に自社の製品が使われているとなれば、良いアピールにも繋がる。
 それと、これを持っていけ。必ず役に立つ」

 そう言って草壁は無針注射器とそれに装填して使う薬剤の入った容器を4つばかり取り出して机の上に置いた。

 「何だこれは?」

 左手で容器の1つを摘み上げて蛍光灯に照らしてみる。光をあまり通さない濃度の高い液体のようだが、何やら煌いているのが窺える。何となく、液状の薬というよりは液体状金属という表現が似合いそうな物質だ。

 「ハイパージャンパー対応のナノマシンだ。それを注射すればハイパージャンパーの使用条件であるジャンパー体質に簡単かつ安全に肉体を変化させられる。副作用は一切無い。後はストレリチアのコックピットのシステムを使ってハイパージャンパーとコネクトすれば簡易A級ジャンパーの出来上がりだ。詳しい使い方はキットに聞いてくれ。我等の英知の結晶だ。大事に扱ってくれ。とりあえず北斗、それとヤマダ・ジロウの分と予備2つだ」

 「北斗に必要か? それと、ヤマダ・ジロウとは誰だ?」

 確かに、ヤマダ・ジロウことダイゴウジ・ガイはナデシコが始めて地球を発した時に死亡した乗組員だ。アスマが知らないのも当然である。というか、一部の除いては旧ナデシコの乗組員の間でも忘れ去られている存在である。悲しいことだが。

 「確かに北斗は戦力という面ではそれほど際立っていないが、感は良いしGファルコンのパイロットが務まるだけの体力はあるし、訓練さえ積めばパイロットとして十分やっていけるだけの素養はあると思う。確かに徒手空拳での戦闘技術は全く伸びなかったが、お前の影響で機械の扱いも慣れてしまえば人並み以上にこなせる。仮にパイロットとして駄目でも、これから先地球と木星どちらを拠点にするのかまだ不透明な上、火星に行くことがないとも言えない。ジャンパー体質にしておけば離れていても呼び寄せることが出来る。損はないと思うぞ。
 ヤマダ・ジロウに関しては私が説明するより本人に会うのが早いだろう。彼の存在が世界最後の日の回避に繋がるやもしれない。絶対に彼にそのナノマシンを打ってくれ。そうしなければ、選ばれし者も単なる役立たずと化してしまうからな」

 選ばれし者。今一ピンと来なかったが、アスマはとりあえず了承しておいた。それに、確かに女房おいて単身赴任というのも気が引ける。ここは好意に甘えておくとするか。あいつの性格からすると絶対に自分も戦うと言いだすだろうし。まあ、止める権利も無いと言えば無いのだから自己判断に委ねよう。

 「今日のところはこれで帰る。また後で火星の侵攻の日程を細かく教えてくれ」

 「わかった。それより、右手をどうした? さっきからポケットに入れっぱなしだが」

 草壁はずっとポケットに入れられたままのアスマの右手を気にしていた。大切な友であり、同時に息子のようにも思っているアスマの事だけに、草壁としても気になって仕方が無い。

 「ああ、これは……」

 アスマはバツが悪そうに顔を背けて言った。

 「夜中に北斗にちょっかい出しちまって、な。寝ぼけた北斗に、その……噛まれて、結構な怪我をしちまって……」

 無言で席を立った草壁がアスマの右腕を掴み、ポケットから手を引き出す。右手には丁寧に包帯が巻かれている。ぱっと見た限り、治療そのものはしっかりと行っているようだ。だが、この怪我では戦闘に支障が出る可能性大きい。

 「……この大事な時に、全く。出撃の時には鎮痛剤でも飲むことだな」

 呆れ顔で草壁はそう言った。そしてアスマは何も言い返せなかった。







 アスマはもう2人会っておきたい人物がいたので、その2人が居るであろう部屋に向かっていた。
 5分と掛からず目的の部屋に辿り着いた。建物の構造はほぼ暗記している。何度も出入りしている内に自然と覚えたのだ。草壁に頼んで自分が伺うことは予め伝えておいてもらったから、“多分”問題無いはずだ。

 「影護アスマ、入ります」

 扉をノックしてからそう告げた。うっかり右手でノックしてしまってちょっぴり痛い思いをしたのは中の人には内緒だ。

 「どうぞ」

 すぐに返事が返ってきた。アスマは扉を開けて部屋の中に入る。

 「ちょっと待ってて、この書類を終えたら手が空くから」

 と、部屋の主が言った。机に向かい、書類と睨めっこしているのは妙齢の女性だった。背中まで伸びた黒い髪に同色の瞳にすらりとした肢体。彼女の名は東舞歌。優人部隊の司令官にしてアスマと北斗、さらにはその妹である枝織や幼馴染の紫苑零夜にとって姉と言っても差し支えの無い世話好きお姉さんであった。同時に極めて悪戯好きという欠点を持っているが、その辺はすでに慣れたもので多少のことなら回避可能になっていた。

 「やあアスマ、久しぶりだね」

 と声を掛けてきたのは副官の草壁克也だった。舞歌の副官なのだが影が薄いのか目立たず、実は優人部隊でもその名を聞いてすぐに顔と役職が出てくる人間の方が少なかったり、発言しても綺麗に無視されることもしばしば。おまけに大人しい性格が災いしてその影の薄さに拍車を掛けている。本人にも悩みの種である。容姿もどこにでもいそうな特徴が無いのが特徴とでもいいたげな風貌だ。草壁春樹の息子であるが、父親の持つカリスマ性や線の太さは完全に失われている。良くも悪くも地味だ。木連に現れたアスマを最初に発見保護したのは草壁春樹その人であり、その息子である克也とは兄弟のような間柄でもある。その後北辰に引き取られた(というか自分から押しかけた)とはいえ、その関係に変化が起きる事は無かった。しかし、良くも悪くも灰汁の強い弟に比べられるとさらに影が薄くなるためアスマの方はあまり克也と一緒に居たがらなかったが(自分の悪評に兄が巻き込まれることを嫌った)。

 「やあ。克也兄さん、少しやつれたんじゃないか? やっぱり舞歌姉さんくらい偉い人の副官だと苦労が絶えないのか?」

 舞歌は木連軍でもかなり高い地位に就いていて、軍や政治両面でほぼトップについている草壁の片腕でもある。ボソンジャンパー(俗に言うB級ジャンパー)を集めた優人部隊の総司令官でもある。もっとも、現在ボソンジャンパーへの肉体改造はまだ不完全であり、十分な人数も確保出来ていない上、士官たちの完熟訓練も完了していないので、まだ形だけという状態である。

 「まあね。でも、これはこれで遣り甲斐がある仕事だよ」

 克也は疲れてはいるが元気な顔でそう答えた。

 「そうね。私も助かってるわ、克也君は中々優秀だし、気も回るし。得がたい副官よ。それはそうとアスマ、一体何の用なの。尋ねてくるなんて珍しいじゃない」

 ようやく仕事に区切りがついたのか、舞歌が会話に混じってきた。

 「いや別に。顔見たかっただけなんだけど」

 ついでに克也兄さんが舞歌さんに告白したかどうか、確かめに。

 後半部分は口に出さず心の中で続けた。
 彼、草壁克也は東舞歌に恋してやまない悩める青年なのだが、やはり大人しい性格が災いしてちっとも告白出来ず、ただ悪戯に時間が過ぎているのだ。
 ただし、舞歌の性格は極めて“アレ”なので見かけは良くとも性格を知った時点で男の方から離れていく。何しろ、彼女からすればそこらの男などただの玩具に過ぎないのだから。というのも彼の兄が優男の典型的な性格と容姿なのが影響しているのかもしれない。早い話がブラコンの気があるのだろう。本人も自覚していることなのだが。当の兄もそのことには気を病んでいるとかいないとか。最も、彼女は賢いし男女の関係にもかなり機敏だ(主に相手をからかう為に養ったのだが)。もしかしたら克也の気持ちにもとっくに気づいていて、ただ本人の口から告げられるのを待っているだけなのかもしれない。彼女が男性を下の名前で呼ぶのは親しい間柄の人物だけだということを鑑みると、案外満更でもないのかもしれない。ただの部下など苗字でしか呼ばないだろうし。……単に上官と同じ苗字で紛らわしいからそうしているだけなのかもしれないが。

 「まあ良いわ。それより克也君、のど渇いたからお茶淹れてくれない?」

 と舞歌が頼めば、

 「はい、わかりました」

 とすぐに応じる克也。すっかり小間使い根性が染み付いているというか、彼からすれば舞歌の役に立てるだけで嬉しいのだろう。そそくさと給湯室に向かった克也を見送った舞歌は、

 「草壁閣下から命じられたのね? 火星攻略作戦への参加を」

 「舞歌姉さんにまで話が行ってるとは思わなかったな。春樹、本気で戦うつもりなんだな」

 舞歌にまで話が行っている時点で、草壁の本気具合がわかる。アスマの中にある断片的な記憶によれば、東舞歌は火星の後継者に参加していない。それを考えるとこの舞歌はこの次元の人間ということになる。確かに信用は出来るが、それだけの理由で自分の身の上を話すのは並大抵の度胸ではない。草壁はそれだけ本気で自分達のみが見たという、未知の敵と戦うつもりだ。その為の下準備として、舞歌を本気で味方につけるつもりなのだ。

 「ええ。もっとも私も信じたわけじゃないんだけどね。でも、閣下の目は本気だったし嘘をついているようには見えなかった。それに嘘か真か、これから先わかることだし、もし嘘で地球を制圧するつもりならその時はその時よ」

 くすりと笑みを浮かべながら語る。

 「それで、出発は何時? 貴方軍にも入ってないし、いわゆる機動兵器扱ったこと無いでしょう。無重力化での戦闘とか空中戦大丈夫なの? 一介の料理人の分際で」

 「……残念ながら全くもって自信が無い。正直初陣で散るかもな」

 そう。アスマは軍に入っていない。幼い頃からの修練は北辰の元で行い、彼の元で限りなく実戦に近い試合も行った。宇宙遊泳の訓練もコロニー市民なら誰でも行うことだ。しかし、生身や脱出ポッドの類に限る。ジン兵器(こちらはまだ開発中だが)や戦艦などの運用となると軍人にならない限り到底学べない。軍隊に属さず、一般市民であるアスマがそのようなものの運用方法を知っているはずは無いのだ。元の世界のアスマは士官学校を経て軍属になったが、この世界のアスマはそういう争いの付きまとう世界から離れ、北辰夫妻の影響で始めた料理を極めるという名目で、料理人への道を進んでいた(の割には現在進行形で武術も鍛え、各種火器の扱いや簡単なトラップの扱いや解除についても教えを講ていたりするどころか、時折コネを使って優人部隊の演習に参加したりしている。これは単純に戦時下でもないのに軍属になるつもりがなかったことと、彼自身が地球との戦いを望んでいるわけではないからである)。一応、このコロニーでも名を知られた料理人としてそれなりに稼いでいたりもする。

 付き合いの長い舞歌がそれを知らないはずは無い。溜息を吐いて首を横に振る。仕方が無いと言っているようでもあり情けないと言っているようでもある。

 「まあ、キットとかいう人工知能を頼ることね。ハイパージャンパーという装置に住み着いてるんでしょ?」

 片腕とされるだけあって、ハイパージャンパーとキットのこともすでに話が通っているらしい。

 『任せてください。でも、非常時以外は手を貸しませんよ』

 と、今まで黙っていたキットが口をきいた。しかもさり気なく冷淡な言葉を投げかけている。

 「……」

 アスマは近いうちに激突する壁をどうやって乗り越えるか考えを巡らし、具体的な対策が浮かばず力なく首を振った。記憶によれば、ハイパーフォームの出力はまだ試作が始まったばかりのジン兵器クラス。流石に艦船には及ばないが、機動兵器としてはオーバースペックな動力を搭載していると見て間違いは無いだろう。それだけの出力を頭頂高6m程度の大きさに収めているのだ。企画にあったテツジンの1/5の大きさだ。攻撃力は互角、運動性能と機動力では遥かに凌ぐ(何故スペックを知っているかとこっそり見せてもらったから)。そんなじゃじゃ馬を自分のような素人が満足に動かせるのか。結果は火を見るより明らかだろう。

 「キット。ハイパーフォームなんだが――」

 『封印ならしませんよ。むしろ貴方の実力を考えると積極的に使用してもらいます』


 「何故だ?」

 『貴方の実力では戦闘に介入という行為そのものが自殺へのカウントダウンです。それを防ぐためにも圧倒的な戦闘能力を誇るハイパーフォームは不可欠です。抑止力として生み出したはずのハイパーフォームが貴方の命をこんな形で護る羽目になるとは、私も予想外です』

 「でも経験の一切無い人間が超高性能機を扱える保障は全く無いぞ? 使いこなせないくらいなら少しでも使いやすいほうが生存率が高いんじゃ……」

 『何を言ってるんです。ハイパーフォームの性能で技量の無さを誤魔化すんですよ。幸い現行の兵器と比較したら相当飛びぬけた性能です。それでいて操縦系統は単純ながら繊細で複雑な制御を行えるように徹底的にチューンされているんです。この場合、通常形態で戦闘することは考えないで下さい。貴方の命に関わります』

 「アサルトフォームの立場が無いな」

 ポツリと存在価値の薄れてしまったアサルトフォームに同情する。

 『ハイパーフォームは相当異質な存在と認知して下さい。一騎当千の戦闘能力を保有しますがそれだけ突出していると当然ながら現行機とは全く連携を取れません。ハイパーフォームのみでは対処しきれない数の敵が来た場合や、連携を第一に考える局面では、ハイパーフォームは無用の長物です。ディフェンスフォームやアサルトフォームは相転移エンジン搭載型小型機動兵器の先行試作機としての役割を持ちます。言うなれば、ハイパーフォームに比べればまだ連携を考えた性能と言えます。連携を求める場面ではディフェンス・アサルトフォーム、単独での戦闘能力を求める場面ではハイパーフォームと使い分けるのが吉と考えます。まあ、分離合体の活用が出来ればハイパーフォームのままでも戦えるのでしょうけど。
 だいたい実戦経験の無い貴方に性能面での不備がまだまだ残ってる通常形態で戦わせたら強くなる前に死にます。ハイパーフォームの性能を支えているのがハイパージャンパーとこの私だということを良く考えてください。もう通常形態では私の恩恵を受けられないのですよ?』

 実際キットの恩恵はかなり大きい。学習速度は人間を遥かに上回る彼がいたからこそ、ストレリチアは火星であそこまで頑張れたのだ。即興でハイパーフォームを使えたのもそういった事情がある。もしハイパーフォームがハイパージャンパーとキットという抜群の制御装置による制御を受けていなければ、そもそも満足に動けないのだ。あまりにハイスペックな制御装置を装備したからこその戦闘能力だ。

 「確かにそれが無難かも。実戦経験が無いくせに開戦に乱入して民間人への被害を減らそうだなんて。虫が良い話よね。ハイパーフォームでも厳しいんじゃない? パイロットがずぶの素人じゃ」

 『確かに厳しいといえば厳しいですが、彼はハイパージャンパーの使用に適正があります。大丈夫、将来的には十分な実力を得るでしょう。それまでに機体が破壊されないことを祈ります。正直私が知っているアスマとは比較出来ないので、後は出たとこ勝負です』

 酷い言われようであったが反論出来ないので黙って聞いているしかなかった。

 「まっ、アスマも実戦の中で成長するでしょう。それに期待するとして、こっちに持ち込んだっていう新型は今何所に?」

 「隣の廃棄コロニーの港だそうだ。すぐにでも取りに行って必要なら簡単な整備を行わないと、火星での乱入に支障をきたしそうだな」

 アスマは火星での戦闘以降一切の整備を行っていないだろうストレリチアのコンディションを気にしていた。確か、冷相当ダメージを受けていた気がするのだが。

 『整備はすでに行われています、草壁さんの計らいで。ですが弾薬の補給は流石に無理でした。草壁さんも機動兵器の本格的な生産はこれから行うつもりで、データ収集用に数機持ってきた以外は全部向こうに置き去りにしてしまったようです。ですから、ストレリチアに回せるだけの弾薬は用意出来ませんでした。今ストレリチアは予備弾装を使い切った状態です。機関砲、ミサイルは使用不可能。ビームマシンガンも変化の関係でエネルギーパックに充電される1個分だけです』

 「何所かで調達出来ないのか?」

 『残念ながら、ボソンジャンプによる変質が可能な対象はすでに決まっています。ストレリチアの関係部品以外を再構築することは出来ません。ですから、エネルギーパックを補充したければショットキャノンの予備弾装を用意しなければ。勿論、素材や大きさの規格も限定されます。何故かと言うとストレリチアをハイパーフォームにしたり、ハイパーフォームから元のストレリチアに戻る際、構成素材が異なったり元になった装備がデータに無いものだと、上手く変換出来ないからです。まだハイパージャンパーにそこまでの柔軟性が無いんです。弾薬くらいなら口径さえ合っていればどんなものでも構いませんが、そもそも機動兵器用の散弾砲自体あまり普及していませんから入手困難に違いはありません。不適合によるエラーを回避するには是が非でも純正品を使うのが好ましいというのが本音です。ジャンクパーツを使うにしても、可能な限り規格に近いものを使用しなければなりません。今の木連では純正品も、それに近い部品も手に入れるのは難しく、おいそれとは壊せません。戦闘はビームマシンガンとジェネレーター直結式のエネルギー火器で行うしかありません』

 それを聞いてアスマは頭を抱えた。ただでさえ戦闘経験の無い自分がジェネレーター直結式の大型火器を、小型で素早い虫型戦闘機に当てることが出来るのかどうか、甚だ怪しい。この手の武装は基本的に威力に優れる代わりに取り回しが悪いと相場が決まっているのだ。

 『幸いグラビティショットキャノン……失礼、重力散弾砲なら多少狙いが甘くても命中させることは出来ると思います。ですが、固定武装で狙い難いということに変わりはありません。
 ……厳しい戦いになります』

 全員で難しい顔して黙り込んだときだった。人数分のお茶と茶菓子を持って克也が戻ってきたのは。

 「どうしたんです? 難しい顔して黙り込んで」

 「何でもないわよ克也君。良いタイミングで戻ってきたわね」

 「はあ……」

 釈然としないものを感じながら、克也はお盆を机の上に置いた。









 行政府を後にしてからアスマは足取りも重く自宅への帰路についていた。

 「キツイ任務だな……素人がいきなり超兵器を扱うことになろうとは……」

 『確かに、ハイパーフォームはおろかアサルトフォームですら荷が重いかもしれませんね』

 と、キットが追い討ちをかける。

 『未来のアスマからの引継ぎに機動兵器戦の感覚、のようなものは無いのですか?』

 「実際に乗ってみないとわからないけど、そもそもアルフォンスに乗って戦闘している記憶が殆ど無いんだ。例外なのはハイパーフォーム誕生前後の一部始終だけだ。正直受け継いでいないと思うな」

 『難儀ですねえ』

 来る時の勢いはどこへ行ったのやら、トボトボと歩いている。すると突然、

 「お義兄ちゃーん!」

 と誰かに呼ばれた。今このコロニーで自分をそう呼ぶ人物は1人しかいない。というか、妹や弟の立場にいる人間が1人しかいないというのが正しい。

 「お義兄ちゃーん! 待ってよー!」

 振り向けば、全速力でこちらにかけて来る女の子が1人。見た目は妻北斗をそのまんまスケールダウンさせたような少女だ。年の頃は、12,3といったところか。学校帰りらしく、通学鞄をブンブン振り回しながら駆けてくる。その様子に嫌な予感を感じ取ったアスマは思わず叫んでいた。

 「枝織! 気をつけないと転ぶよ!」

 とアスマが注意しつつ早く合流した方が良さそうだと駆け出した途端、枝織と呼ばれた少女は段差に躓いて転んだ。スピードが凄かっただけに転んだ時の勢いも半端じゃない。しっかりと顔を護ったのは立派だが、土煙を上げて1m程滑った。

 「うえぇぇ〜〜ん! 痛いよぉぉぉ〜〜〜〜っ!」

 と早速泣き叫んでいる。すぐさま駆けつけたアスマはやれやれと首を横に振って少女を抱き起こした。

 「だから気をつけないと転ぶよって言ったじゃないか。あ〜あ、もう泥だらけじゃないか。血も出てるし」

 アスマはポケットからハンカチを取り出すと少女の腕についた泥を優しく丁寧に拭う。

 泥を拭うたびに少女が悲鳴を上げる。派手に擦り剥いている。血で腕が真っ赤に染まって、見るからに痛そうであるが、自業自得であるのでアスマは無情に傷口を拭う。もっとも、愛しくて止まない義理の妹であるから傍目から見るといっそシスコンと言いたくなるほど優しい手つきだったりする。

 「大丈夫大丈夫。すぐに手当てしてあげるから。ほら、乗った」

 少女に背を向ける形でしゃがみ込む。少女はぐすぐすと泣きじゃくりながら素直にアスマの首に手を回し、背に乗る。
 アスマは少女をおんぶし、通学鞄を手にとって再び自宅に向かう。少女はまだ泣き続けている。確かに、こんな傷を負えば自分でも我慢しきれないだろう。広範囲に擦り傷を負う痛みは、負った者にしかわからない。

 「まったく、今度から気をつけるんだぞ。帰ったら綺麗に消毒して、それからアイスでも食べようか? この間春樹からおいしいアイス貰ったんだ。それに北斗が最近凝ってる豆大福も食べようか、だからもう泣いてちゃ駄目だ。幸せが向こうに行ってしまうからな」

 少女は泣きながらも頷く。アスマはその返事に満足したのかにっこりと笑って軽い足取りで自宅の門を潜った。先程までの憂鬱はこの際宇宙の彼方に投げ捨てる。今は義妹が一番大事だ。

 「ただいま」

 元気良く、帰りを待っていた妻に帰宅を告げた。









 「枝織! ってどうしたのその怪我は!?」

 おかえりと玄関まで夫を迎えに行くと、そこには血まみれの腕を夫の首に回して泣きじゃくっている妹の姿があり、北斗は驚いた。

 「さっきそこで転んだんだ。酷く擦り剥いてる、救急箱用意してくれない?」

 「わかった。居間で待ってて」

 言うなり踵を返して救急箱を取りに寝室に戻る。途中何かに躓いたのか派手な物音がしたが、あえて触れまいと彼は心に決めた。そう言えば、姉も案外そそっかしいか。



 「ほら、これでもう大丈夫」

 そう言って包帯を巻いた枝織の腕をポンと叩く。

 「――!」

 枝織は声にならない悲鳴を上げて姉を睨みつける。

 「人の注意をちゃんと聞かないお前が悪い」

 「う〜〜〜」

 と唸っているが、手は早速目の前に置かれた豆大福に伸びている。

 彼女の名は影護枝織。5つ年の離れた妹だ。“女であっても男のように強く逞しく育ってほしい”という願いから男の名前を付けられた北斗と異なり、性別らしい名前をつけられた。実は男の子が欲しかった北辰の悪足掻きの結果が北斗の名前だったのだが、それは北辰とさな子しか知らない(ついでに初の夫婦喧嘩へと発展したようだが幸いなことにすぐに沈静化した)。先程の願いも後付の理由である。そして2人目も女の子が生まれてしまったため、今度はちゃんと性別にあった名前をつけようとさな子の主張により名付けられている。

 「しかし枝織は本当に元気ね。見てるこっちが疲れる」

 「お姉ちゃんが大人しいだけだよ! お義兄ちゃんといちゃついてる時とかスポーツの時は元気満々のくせに!」

 口の減らない奴。と思いながら豆大福を頬張っている枝織の顔を見つめる。こうしてみると本当に自分に似ている。双子で無いくせにここまで似るものなのかと感心してしまうほど顔の造形はそっくりだ。しかし表情の豊かさでは間違いなく自分を上回るだろう。先程まで泣き喚いていたくせに今は笑顔で大福を頬張っている。本当にコロコロコロコロ良く表情が変わる。

 「ねえお姉ちゃん。お義兄ちゃん苛めた?」

 「――何?」

 「だってさっきお義兄ちゃん元気なかったんだもん。トボトボ歩いちゃってさ、あんまりにも珍しいから珍獣かと思っちゃったよ」

 「で、元気付けてやろうとして走って転んで痛い思いしたのか?」

 「うっ……」

 枝織は図星を指されてうろたえた。でもしっかりと大福は口に運んでいる。

 「あいつもあいつなりに壁にぶち当たったんだよ。大丈夫、心配しなくてもじき元気になるよ」

 そう言って自分も大福を口にする。

 (うん。上手く出来た)

 自分でも納得のいく出来だ。これなら茶請けにも出来るだろう。

 「お姉ちゃんまた料理の腕上げたね。これならお義兄ちゃん大満足なんじゃない?」

 「当たり前だ。不味いなんて言ったらその時は……」

 姉の発言に一筋の汗が頬を流れ落ちる。枝織に出来ることはただ1つ。大好きな義兄が間違っても、それはもう口を滑らせたとしても姉の料理を不味いなどと言わないことを祈るだけだ。実は今朝未来の記憶の影響で不味いと言ってしまい、危うく折檻されるところだったということは、当然枝織が知るはずも無い。

 「で? 一体何をそんなにはしゃいでたんだ? お前が人励ますにしても、自分が有頂天になれるようなことがあったんだろ?」

 「えへへへへ。実はね――」

 と、ゴソゴソと鞄の中をかき回す。









 アスマはトイレの中でキットと話していた。

 「キット。アルフォンスの操縦マニュアルは無いのか? 出来れば目を通しておきたいんだけど」

 本当ならこんな場所ではなく居間で話したいところなのだが、枝織がいてはそういうわけにもいかず、こんなところに隠れての内緒話となった。

 『ありますが、一度ストレリチアのコックピットに取りに戻らないとなりません。ついでにGコントローラーも回収しておきます。付いたままだと何時誤動作するかわかりませんので。では、夜8時頃もう一度来ますので、寝室でお待ち下さい』

 言うなりキット――ハイパージャンパーは虹色の光を発して消失した。

 「やれやれ。とんでもないことに巻き込まれたよな、絶対」

 今更引き返せるわけもなく、結局やるしかないのだ。

 「大丈夫だ。俺が望みさえすれば、運命は絶えず俺に味方するって、な」

 アスマはそう自分に言い聞かせ、トイレを出た。



 アスマが居間に戻ったのは、丁度枝織が鞄から何かを取り出すところだった。

 「じゃんじゃじゃ〜ん! 何と枝織ちゃんは今回の期末試験で全教科90点以上を達成したので〜す!!」

 と、解答用紙の束を頭上に掲げてみせる。

 「おお! 凄いじゃないか枝織! あたしなんてどうがんばっても平均点取るのがやっとだったのに」

 と妹の快挙に感激しながら解答用紙を受け取る。確かにどの解答用紙に書かれた点数も、90点の大台を越している。

 「凄いじゃないか枝織。何時の間にこんなに勉強したんだ?」

 と北斗の横から解答用紙を覗き込んだアスマが感激を露にしながら尋ねた。これだからブラコンと周りから言われるのである。

 「えへへ。零夜お姉ちゃんに見てもらったんだ! 零夜お姉ちゃん勉強お教えるの上手だね。学校の先生よりも覚えやすかったよ」

 と喜びを全身で表現しながら枝織がはしゃぐ。

 「そうか。零ちゃん、先生の卵だもんな。良い予行練習になったんじゃないかな」

 幼馴染の紫苑零夜は子供の頃から学校の先生になりたいと勉強を重ねていた。一緒に通っていた小学校で担任だった先生の行いに心打たれたというのが理由だそうだ。確かに、あの先生は良く出来た先生だったな、と今のアスマは思っている。子供に優しく時に厳しく。教育者という聖職に相応しい人物だった。今は定年退職して近所の子供たちに勉強を教えていると聞く。変わり者であり非国民呼ばわりされていたアスマの言うことを受け止めてくれた数少ない大人であり、同時に自分と同じく今の木連のあり方に疑問を抱いていたある意味良心的と言える教師だった。

 「そうだね。あたしの時は全っ然効果無かったのに」

 昔からアスマと零夜は勉強が出来たが、彼女は理解力が低いのか、かなり時間をかけて教えない限り結果を出してくれなかった。大器晩成型といえば聞こえがいいが、学校の授業というのは結構ハイペースで行われる時があり、それについていけない彼女は自宅で勉強することになるのだが、その時間すら満足に確保出来ないことがよくあり、結局試験の結果は悲惨なものとなり母と父の無言の圧力にさらされることもしばしばだったので、将来の夢のため、親友のためと零夜が立ち上がったのだ。そして、当然というかアスマも親友に任せきりに出来るわけもなく(北斗に勉強を教えるのがどれほど重労働か身をもって知っていたため)、援軍として参加し、時折手製の菓子を振舞ったりしていたのである。時折自分の店に食事を取りに来る以外では会う機会が最近減っているが、向こうも勉強で忙しいのだし仕方あるまい。

 「それはただ単にお前の理解力が低いからだ。一度覚えたら早々忘れないくせに覚えるのにはやたらと時間がかかる。はっきり言って実技を伴わない教科は壊滅的な成績だったな。やる気はあれど結果が伴わず、本当に根気強く教えなきゃいけなかったもんな。零ちゃんも良い修行になったと言っていたぞ。忍耐力を鍛えられたそうだ」

 そこまで言った時、妻の裏拳が顔面に飛来したが彼は慌てず騒がずぺしりとその一撃を叩き落とし、軌道を乱された拳が机の角に命中した。実力に天と地ほどの差がある以上、よほどの不意打ちかアスマの方が手加減しない限り北斗の攻撃が彼を捉えることは殆ど無い。結局、北斗の手が痛んだだけでこの騒動は終わった。





 結局枝織は夕飯も食べていった。迎えついでに北辰・さな子夫妻を呼んで一家で食事と相成った。

 「ふむ。また腕を上げたな。だが、慢心することなく精進しろ」

 北辰はアスマの料理を口に運び、率直な感想を言った。

 「お義父さんに誉めて頂けるとは、嬉しい限りです」

 アスマも北辰の感想を素直に受け止め、照れたように笑った。右手の痛みを我慢して作った価値がある。少々手元が狂ってしまったのが残念だが。
 実は、アスマに料理を教えたのは北辰だったりする。彼は案外舌が鋭く、おまけに刃物の扱いにも長け、物事の本質を見定める能力もあったためかなりの料理上手だった。ちなみにその技の冴えを知っているのは極親しい人間だけである。というか、彼と妻さな子の馴れ初めもたまたまプライベートで北辰が通った料理教室(昔から興味があったらしい)にさな子が勤めていたという至って平凡な出会いであった。

 「ほんと、このお味噌汁美味しいわ。粗悪な素材でよくここまで」

 さな子もしきりに感心しながら箸を進めている。ちなみにこの面子の中で最も料理が上手いのはさな子だったりする。こちらは娘の教育に余念がなく、アスマの直接指導には参加していない。

 「やっぱりお姉ちゃんよりも美味しいね! さっすがお義兄ちゃん、お姉ちゃんも見習わなくちゃ!」

 「悪かったな、どうせあたしゃは料理もまともに出来ないよ」

 久しぶりに食べる義兄の料理にはしゃいでいる妹を不機嫌そうに睨みながら干物の頭から齧る。朝の一件も堪えていて、何時もならそれはもう美味しい食事がどうにも苦く感じる。実際のところ彼女の腕前は上々なのだが、やはり本職として修練を重ねている夫には敵わない。それでも比較されて気分が悪くなるのは避けられそうにない。

 「枝織、あまり姉のことを悪く言うものではない」

 と、はしゃぐ枝織を窘める。

 「は〜い!」

 枝織はあまり反省したそぶりを見せずに返事をする。北辰はそんな愛娘の態度に嘆息を漏らし、妻に視線を送る。

 「まあまあ、後でちゃんと言い聞かせましょう。折角の食事が不味くなってしまいますよ」

 と夫を抑える。確かに、この場で説教などでも始まろうものなら、間違いなく帰宅は午前様になるだろう。妻だけにしっかりと夫の性格を弁えている。北辰は基本的に何も言わずに威圧がメインであり、たまに口を開くとクドクドと長ったらしい説教が開始される。ちなみに最高記録は北斗が枝織を泣かせた時の3時間だ。人にして人の道を外れた外道とは仕事中の本人の談だが、家庭では至って普通な(というより親馬鹿な)夫であり父親であるのが関係者の笑いを誘うこともしばしばだ。

 その後も楽しく食卓を囲み、料理は全て影護一家の胃袋の中に消えていった。






 「やっぱり枝織がいると食事が賑やかだね」

 「だな。我が妹ながらたいしたムードメイカーだ」

 2人揃って北辰達を見送った後、玄関に佇んだまま言葉を交わしていた。

 「さて、そろそろ寝室に戻るか。キットが戻ってくるはずだし」

 アスマは北斗を伴って寝室に向かった。そこにはすでにキットが戻っていた。ハイパージャンパーの真下には六法全書と見間違わんばかりの分厚いマニュアルが鎮座していた。その隣には、機動兵器の操縦桿と思しき物体が転がっている。Gコントローラー。ストレリチアの機動装置にして安全装置。言うなればストレリチアのパイロットの証である。何でもセキュリティーのための装備らしいが、機体に置きっぱなしでパイロットの手元に無いどころか金庫にすらしまわれていない現状では物騒なことこの上ない。

 「思ったよりも分厚いな。1000ページはあるんじゃないか?」

 『これがマニュアルです。と言っても、ストレリチアのアサルト・ディフェンスフォームのだけですが。ハイパーフォームのデータを出力するにはどうしてもストレリチアに出向く必要がありますので、まず最初にこちらを熟読した上でストレリチアに出向きましょう。幸いアスマがナノマシンを受け取ってきてくれたので、北斗も一緒に行けます。後は向こうでハイパージャンパーの使用権を取得させれば北斗もハイパージャンパーを使用することが出来ます』

 「いちいち面倒臭いな。しかし、そこまで厳重にセキュリティをかけるとは、ヤマサキも相当その装置に知識を詰め込んだんだな」

 『そうですね。しかしこれは装置の悪用を防ぐ意味もあります。所有権や使用権の取得には専用の装置を使った登録が必要ですが、解除はハイパージャンパー搭載のAIまたは所有者の権限で簡単に行えますから。ですが、利点としてジャンパーであればA級・B級関係なく任意のボソンジャンプが行えること、機械によって制御されているため安定したジャンプが可能という利点がありますし、イレギュラーが生じた場合は強制的にボソンジャンプを阻止するように安全装置も組み込まれています。
 言い忘れていましたがアスマの登録は私が行っておきました。幸い私がこのハイパージャンパーに逃げ込んだ時、専用の装置に接続されていましたので、過去のジャンプログから貴方のデータを読み込んで登録しました。ですから貴方は私に愛想尽かされない限り所有者のままです。安心して下さい」

 「ありがとうキット。正直ハイパージャンパーの所有権とかはどうでも良いが、お前と一緒にいられるのは嬉しいよ」

 『そう言って貰えると、私も嬉しいです』

 アスマはGコントローラーとハイパージャンパーを退けると分厚いマニュアルを開いて黙読を始めた。

 『アスマ、貴方はIFSを持っていないのでストレリチアの制御は相当難しくなっています。多分、経験を抜きにしても満足に動かせない可能性が高いと思われます』

 「あいえふえす、とは何だ?」

 『イメージ・フィードバック・システムの略で、専用のナノマシンを体内に注射して補助脳を形成し、それを介して制御装置に人間のイメージを送ってレバーやスイッチを使わず機械を動かす装置です。火星では一般的に普及していて、車や土木機械などに使用されていますが、地球では人体改造と見られ、一般的に忌み嫌われています。ですから後にクリムゾングループが開発したIFSを使用しないEOS型の機動兵器が軍の主力になったわけです。
 ですが、IFSはナノマシンの注射を必要とする代わりに柔軟な操縦が可能になり、パイロットの個性が強く反映されます。幸いストレリチアはIFSとEOSの組み合わせ造られた複合操縦システムを採用しています。勿論、IFSを併用した方がより操縦性が高まりますが』

 キットの言葉を聞いて、アスマは将来的にIFS処置を自らに施すかどうか真剣に考えていた。だが、確かにそのようなものを体に入れるのは抵抗がある。

 ちなみにこの操縦方式は、名称こそ同じだがIFS主体のネルガルがクリムゾンに広げられた差を埋めるために独自の研究で開発した操縦方式で、連合軍からの要請で開発したものだ。ストレリチアはIFSを持ちながら扱いに不慣れで木連の機動兵器と同じEOSの方が経験値の高いアスマが搭乗することが決定していたので試験的に採用したのだ。

 「ともかく手動で何所までやれるかを確かめてからだな」

 アスマはかなりのペースでマニュアルを捲っていく。一見適当に眺めているように見えるがこれでもちゃんと内容を把握している。速読とまではいかないが読むペースは速いし理解力も高い。

 北斗はそんな彼の邪魔をしないように静かに布団を敷いていく。こうなると自分は邪魔にしかならない。1つのことに集中している人間の邪魔をすることほど愚かな事は無いだろう。

 結局アスマは一晩中マニュアルを読み耽っていた。北斗は文句も言わずに付き合って朝を迎えた。マニュアルを読んでいるのに明かりを消すわけにはいかないし、自分だけ眠るのも気が引けたので、一緒に起きて甲斐甲斐しく茶を入れてあげたりしていた。ついでに注射器で自分の体にナノマシンを打ち込んだ。最初は異物が体に入って隅々まで進入してくる苦痛に呻いていたが、1時間ほどで落ち着いた。キットに言わせれば、これでボソンジャンプに耐えられるようになったというのだから驚きである。ちなみにこの間夫は妻の醜態から目を背け、黙って背中を摩ってやったり頭を撫でてやっていた。

 「随分とお手軽ね。てっきり何時間にも及ぶ手術が必要かと思った」

 『これもス――いえ、古代火星文明の解析が進んだからです』

 何やら言いかけたが、何事もなかったかのように言い直していた。機械にあるまじき言い回しである。

 「んで、あたしは一体何をしたら良いの? ストレリチアは1人乗りでしょ?」

 『ええ。ですがGファルコンにもコックピットがあるので、そちらに搭乗して頂ければいざという時有人でGファルコンを操作出来ます。それに操縦系統を分けられるのでパイロットにかかる負担の低減に繋がりますから、有益と言えますね。Gファルコンのマニュアルは巻末にあります。切り離してどうぞ』

 「アスマ、頂戴な」

 「わかったよ」

 アスマはすぐにマニュアルの巻末を切り離して北斗に渡した。ページを捲った途端に北斗がうげっと奇声を発した。おそらく理解の範疇を軽く超えた内容に直面したからだろう。というか、結局戦場に身を投じるつもりか。そう思いながらも、追求することはなかった。



 この夫婦にしては極めて珍しい事にそろってマニュアルに目を通してうんうん唸る事になった。元より恐ろしく優秀で(周りからは)欠点が無いと思われがちなアスマと、成績こそ平凡だが頭の回転が悪いわけではない北斗が揃って唸るような出来事など殆ど無いからだ。2人は時折わからないことやストレリチアと想定外の機能であるハイパーフォーム誕生の経緯をキットに尋ね、その知識を吸収しながら夜を明かした。









 「キット、そろそろアルフォンスのところへ行こうか。実際に動かしてみたい」

 『わかりました。ではハイパージャンパーを手に』

 アスマは言われた通りハイパージャンパーを手に取ると、傍らの北斗を抱き寄せた。さり気なく腰に手を回しているあたりこの男の性格が出ている気がする。

 「ハイパークロックアップ」

 教えて貰ったキーワードを音声で入力してハイパージャンパーの背中の部分にある大きな円形のスイッチ、スラップスイッチを押す。

 『ハイパークロックアップ!』

 ハイパージャンパーから電子音声が発せられ、殆ど一瞬のうちに2人はその場から掻き消えた。



 『ハイパークロックオーバー!』

 電子音声と共に2人は廃棄コロニーの港に出現した。

 「……本当に一瞬とはな」

 ボソンジャンプ初体験のアスマがそんな感想を漏らす。

 「……確かに、これを制御することが出来れば宇宙開発に役立つことは間違いないね」

 北斗も感心したように頷いている。
 2人揃って辺りを見渡すと、確かに廃棄コロニーの港口だった。色々と物が散らばっているし、明かりは完全に落ちている。

 「幸い、空気はまだあるみたいだな」

 『ええ。この港だけは空気が残っていたのでここに待機させました。それにただの宇宙服でストレリチアのコックピットに座るのは窮屈で仕方ありませんからね。パイロットスーツを手に入れるまでは我慢して下さい』

 アスマは北斗を抱いたまま床を蹴ってアルフォンスに向かって跳躍する。基本的にコロニーの港は無重力なのでこういう作業は楽だ。

 ストレリチアはディフェンスフォームの姿で片膝を付いた姿勢で佇んでいた。床にワイヤーを打ち込んでいるらしく、ふわりと浮き上がることはない。アスマはストレリチアのコックピットハッチにしがみ付くと、北斗を離した。北斗は別にGファルコンのコックピットに取り付く。背中に合体している後部部分の赤いノーズ部分がGファルコンのコックピットだ。

 「開閉スイッチは……。ここか」

 アスマは装甲の一部を開いて開閉レバーを捻る。空気が漏れる音と共に胸部の装甲がGファルコンの機首部分と一緒に前方にスライドしてシートが上がってくる。後ろでも北斗が開閉スイッチを操作してノーズ部分の装甲を上げている。北斗の体がシートに収まったのを確認すると自分もシートに腰を下ろす。シートの下の部分にある抓みを捻るとシートが降下する。シートベルトをしていなかったので危うく取り残されてしまいそうになったが何とかシートにしがみ付いて無事コックピットに収まる。

 「これが地球製の計器か」

 しげしげとコックピットを観察する。少し前に草壁の好意で見せて貰った木連製のコックピット(カタログ)に比べると随分と機能的で先進的な印象を受ける。その分居住性が悪いのは仕方のないことだろう。音声入力に頼っていないせいかスイッチやレバーやたらとが多いが、キットに言わせればIFSを全面採用している機種はもう少しスイッチやレバーが少ないらしい。やはり、EOSをメインにしているストレリチアはその分扱いに訓練が必要らしい。

 『Gコントローラーを右手のコネクターに挿してください。それで主電源が入ります』

 アスマは言われた通りGコントローラーを慣れない手つきでコネクターに接続する。するとGコントローラー側面が発光し、コックピットの機器に明かりが灯る。エンジンこそ稼動状態ではないがストレリチアが息を吹き返したことだけは手に取るようにわかった。
 マニュアルに書いてあった手順を思い出しながら合体しているGファルコンとの回線を接続する。

 「アスマ、こっちは何とか電源を入れることが出来たよ。でも、こっから先はマニュアルと睨めっこ決定。……うう、動かして覚えたいけど動かし方すらわかんないよぅ〜」

 彼女はマニュアル片手にたどたどしい手つきでスイッチやレバーを操作していた。機械の扱いが得意で時折家電の修理や“改造”を行ったりしている夫に感化されたのか、それとも必要な事だったのかは定かではないが、整備や改造は出来ないが扱いに関しては人並み以上の能力を発揮するようになり、実際に触れて扱えば比較的短時間の内にその扱いを会得する程にまでなっている。反面、実践を伴わないと扱い方を理解出来ないか、理解に時間がかかるという両極端さを身に付けてしまったのが残念と夫が嘆いていたが。その代わり一度覚えればなかなか忘れないのだが、流石に一晩睨めっこしただけでは最低限の操作も覚束ないようだ。

 「俺は何とか動かせそうだ。マニュアルの内容は大体覚えたからな」

 ちなみに彼は記憶力はすこぶるよろしい。ただし、重ねて言うが彼はこういった機械を扱ったことは無く、飛行はおろか宇宙空間での操縦すら未経験だ。もっとも、コロニー内を飛行する航空機など初めからありはしないのだから大気圏内での飛行に関して言えば軍人でも満足に出来ないだろう。特にこの時代はまだ火星の占拠すら完了していないのだから。

 『草壁さんからこのコロニー内での訓練の許可は頂いています。隣のコロニーに影響が出ない程度ならぶっ壊しても構わないそうです。気軽にどうぞ』

 「それはまた、準備のよろしいことだ」

 アスマは苦笑しながらGファルコンのエンジンを稼動状態に持っていく。合体していれば操縦系統は共用され、ストレリチアに優先権が与えられるのだからわけない作業だが、初心者と言うこともありアスマは緊張していた。体に余計な力が入っていて操縦桿1つ動かすにも苦労しそうなほど気を張っていた。

 『どうします? ハイパーフォームいってみますか?』

 「って、まだ通常形態も動かしてないんだけどな……」

 『だから、何度も言っていますが通常形態では私のサポートが受けられないのですよ。それにハイパーフォームの方が頑丈に出来ています。多少乱暴に扱っても壊れはしません』

 「なるほど。キットの恩恵が全く無いのはド素人の俺には辛いな。じゃあ早速やらせてもらうとするか。

 ………………順序がてんで出鱈目だけどな」

 常識で考えれば普通は高性能機ではなく誰にでも扱えるように設計されている一般的な量産機を使うのが常識と言えば常識だ。勿論ストレリチアそのものがコスト度外視の高性能機であることには違いないのだが、ストレリチアはキットというオモイカネ級コンピュータを搭載することでその操縦性を改善し、かつアスマが扱いやすいと言ったEOSをメインに補助的にIFSを採用した複合型の操縦系統を採用している。それだけに、キットというAIのサポートを受けることが難しくなったため、通常のアサルトフォームの方が操縦が難しくなっているのだ。本来ならばGコントローラーに接続するだけで恩恵を受けられるはずなのだが、ハイパージャンパーは本来の拡張ツールとは規格が異なる為、コネクターに接続は出来ても制御装置としては使用出来ないでいるのだ。火星の後継者独自のデバイスであるためだろう。そういった意味での最適化を兼ねてハイパーキャストオフが必要なのだ。

 アスマは握ったままだったハイパージャンパーをGコントローラーの右側に接続する。これだけの作業でも、右手は結構痛むがそこは我慢。でないと死ぬほど痛い目を見ることになるからだ。

 「ハイパーキャストオフ」

 ハイパージャンパーのホーンを押し倒してハイパーキャストオフを実行する。別に音声認識システムを解さなくても操作だけで十分なのだが、腐っても(比喩にあらず)木連男児、やっぱり口にしたいのだろう。

 『ハイパーキャストオフ! チェンジ! ハイパーレギーネ!』

 ボソンジャンプ特有の虹色の輝きと共にストレリチアのシルエットが変貌する。その姿は火星の戦いの時と何ら変わりは無かった。ボロボロだった装甲が張り替えたかのようにピカピカに輝いている。

 『ハイパークロックアップでコロニー内に入りましょう。イメージトレーニングにもなりますし、ハイパーフォームでのハイパークロックアップは発動までに時間が掛かりますし、そのタイムラグを覚えていただかないといざという時大変ですからね』

 「わかった」

 アスマはジャンプに必要なイメージを浮かべる。イメージすれば目標地点に跳躍出来るとはいえ、いざやってみろと言われるとなかなかに難しい。特にそのイメージがあやふやなものであるとなおさらだ。正確かつ短時間のうちにイメージを浮かべる訓練をしなければ、実用性が悪いだろう。その点で言えばハイパージャンパーの補佐は非常にありがたい。使用者のイメージを正確に受け取りかつ不鮮明な部分を自身の処理能力で可能な限り鮮明にしてくれるからだ。とりわけ緊急ジャンプは行き先を設定しておけばステップスイッチの操作だけでボソンジャンプが可能になる。

 「よしいくぞ。ハイパークロックアップ!」

 『ハイパークロックアップ!』

 ボソンジャンプを始めるため、ストレリチアは両手両足背中のエネルギーラジエータプレートを展開してジャンプフィールドを展開する。そして、展開終了と同時に跳躍した。

 ストレリチアは予定地点に寸分の狂いもなく出現した

 『ハイパークロックオーバー!』

 出現と同時に電子音声が鳴り響き、展開していたプレートが収納される。

 「成功か?」

 『ええ。大成功です。流石はハイパージャンパーですね、精度も含めて従来のボソンジャンプ。体感した通り、始動から発動までのタイムラグは2秒。これはハイパーモードへの移行の時間でもありますそれを頭に入れて使わないと足元をすくわれるかもしれませんよ』

 「そうだな。予めハイパーモードになってはいられないのか?」

 『ハイパーリミットアップを実行していれば可能です。逆にハイパークロックアップからハイパーリミットアップの即時使用に繋げることも可能です』

 アスマはキットの言葉を受けて早速スラップスイッチを叩いた。

 「ハイパーリミットアップ」

 『ハイパーリミットアップ!』

 ストレリチアが再びプレートを展開してハイパーモードへと移行する。

 「ハイパークロックアップ」

 3度ステップスイッチを叩く。

 『ハイパークロックアップ!』

 ストレリチアは全くタイムラグ無しに消失した。そしてまた目標地点に寸分の狂いもなく出現した。

 「確かにハイパーリミットアップ中だとタイムラグが無いな」

 アスマはストレリチアを上昇させようとした。だがアスマの意図した通りには動かなかった。軽く浮遊させる程度のつもりだったのに、ストレリチアはいきなり大きく飛び上がった。アスマは慌てて姿勢を制御しようと操縦桿を操るが、またもや過敏な反応を見せたストレリチアは急降下してコロニーの大地に激突して大きな土煙を上げる。コロニーの大地を抉り空き家となった民家をなぎ払っていく。そして大地に突っ伏して動きを止めた。どう贔屓目に見ても中の人間が無事とは思えない光景だ。衝撃緩和機構が優れているストレリチアと言えど全く想定されていない衝撃だ。事実、アスマと北斗は墜落(というか自爆)の衝撃で意識を完全に失っていた。脚から落ちたのは不幸中の幸いだ。もし頭からとか胸から落ちていたら冗談抜きで(アスマは)即死だっただろう。その代わり、両足のフレームは盛大に歪んで間接もショックアブソーバーも油圧パイプも何もかもが甚大な被害を被ったが。

 しかしながら、1分経たないうちに意識を取り戻したのだから頑丈そのものである(そういう程度の話ではないかもしれないが)。ただしアスマの場合、墜落の衝撃で右手の傷が開いたことも大きいが。

 「〜〜〜っ! アスマ、あたしを殺す気!!」

 意識を取り戻した北斗がまず最初にしたことは夫への苦情だった。

 「悪い。ハイパーリミットアップしてたこと忘れてたんだよ」

 「忘れてたで済むか! 普通だったらミンチになってるところなんだぞ!」

 彼女が激怒するのも当然である。これだけの巨体を瞬時に加速させる推力で大地に激突したのだ。普通の機体ならとっくにスクラップである。いや、さしものハイパーフォームも先述の通り脚が壊滅的被害を受けている。多分、構成素材がネオチタニウム合金であり、ハイパーフォームとなったことで物理的強度が向上していて、かつ高度がそれほど高くなく、十分な加速がつかなかった(それでも足を全損させるだけの加速はあったが)という幸運がなければ間違いなくぺちゃんこだっただろう。

 「多少乱暴に扱っても壊れないんじゃなかったのか?」

 アスマがそうキットに言うと、

 『これを“多少”というのなら、私は貴方の感覚を疑います。そもそも! 操縦に慣れていないのにシステムの稼動状況を確認しないとは何事です!』

 「それを指導するのがお前の役割だろ?」



 売り言葉に買い言葉。結局口論はそのまま1時間にも及び、ストレリチアの損傷もかなりのものであった事から草壁に助けを求め、彼の息の掛かった技師の元で応急修理を行う羽目になったのだった。






 「あのさあ、1つ聞いて良い? 僕が独自に設計を続けていたG計画機も、多分彼女が開発を続けていたG計画機も相当頑丈に造ってあった筈だよ。それがどうしたら訓練でここまで破損するのかな?」

 ヤマサキ・ヨシオは何時もと同じ不気味なぐらいにこやかな笑みを浮かべているが、心なしかこめかみが引きつっている気がする。ストレリチアは脚がいかれているので自立は不可能。今はクレーンで吊るされている。ちなみに今はハイパーフォームでは無く通常形態だ。だがボソンジャンプによる変化を受けたはずの脚は、外側から見ても酷く痛んでいるのがわかる。フレームの歪みの影響で装甲が剥がれている部分もあり、足首や膝関節は向いてはいけない角度に曲がっている。装甲の隙間や間接からは大量のオイルが漏れている。どう解釈しても正常な状態には見れない。

 「……ハイパーリミットアップ状態でコロニーの地面に激突した」

 アスマの言葉を聞いてヤマサキの表情が強張る。多分、減速も無く全力でコロニーに変則的なドロップキックをかましたのだろう。ハイパーキックの様な攻撃手段を持つストレリチアであっても、フィールドによって蹴った対象の崩壊を促進しなければ衝撃で脚が壊れてもおかしくは無い。まして、相手は全長20kmにも及ぶ超巨大な建造物だ。質量もそれ相応にある。おまけにコロニーの外壁は分厚い。気密維持のみならず宇宙を高速で移動する宇宙塵の衝突など様々な出来事に対処するためには相応の強度や構造が必要になるのは必然。その厚さは約100m。これを突破出来る装備は限られている。戦艦が装備しているグラビティブラスト、相転移砲(貫通というよりは“消滅”させるという表現になるが)と、戦艦の攻撃力を持ってようやくどうにかなるという代物だ。“基本的に”機動兵器程度の攻撃で突破することは不可能である。おまけに今回は攻撃として蹴ったわけではなく、ただ何の対処も出来ず全力で脚から墜落しただけだ。壊れて当然である。

 「何でそんな事態になったのかな? キット君は全くアスマ君の操縦を補佐しなかったの?」

 『データ収集に徹していましたし、ハイパーリミットアップは私も初体験だったので対処しきれませんでした。すみません、お手数おかけして』

 キットも申し訳なさそうに謝罪する。本当なら自身の体の1つでもあるストレリチアを今だ信用しきれていないヤマサキに預けるのは嫌なのだが(ウリバタケとは違った意味で解体されそうで)、激突の衝撃で破損した脚部の補修は大規模な工場が無ければ出来ない。何しろ脱落した装甲の調達、破損した油圧シリンダーの交換に断線した回路の交換、機体全体のダメージチェックにその他諸々。上げればキリが無いほどだ。いや、そもそもハイパーフォームの状態で直せる保障が無い以上、最悪切り離して終了と言うことも考えられる。
 火星では状況が恵まれていたこともあり、ナデシコBに搭載していた予備パーツを強引に引き寄せてハイパーキャストオフに使用した(要は破損した部品を一旦全部新品に取り替えてから変化させた)が、今回は予備パーツが無い。当然ボソンジャンプを利用して修理することは出来ない。

 ボソンジャンプを利用して構成素材の組み換えや形状や内部構造の組み換えを行っているのだから出来るだろうと思われがちだが、実際には若干異なる。ボソンジャンプとは、一旦ジャンプする対象をボース粒子に還元して遺跡にから目的地までに掛かる時間分時間を遡らせ、そこから目的地まで送られて再構成するという手順を踏んでいることは関係者なら周知の事実と言える。ハイパーキャストオフはこの分解・再構成という手順の際、跳躍した物体の構成情報を意図的にすり替えることで異なる物体に再構成する機能のことだ。
 そのため絶対条件としてすり替える情報の差異が少ないこと、元の物体と変化させる物体の質量が全く同じであることが条件である。ストレリチアの場合、ハイパーフォームで追加される装備の大半は追加装甲を分解再構成して使用しているため、アサルトフォームからではハイパーフォームにはなれない。ハイパージャンパーの未成熟さと質量保存の法則に乗っ取った欠点だ。

 繰り返し記すが、火星での変化は近くに純正品の予備パーツが1機分以上あり、かつ遺跡演算ユニットが間近にあり接続が容易であったこと、(影ながらであるが)ユリカの補佐によって変化の際それらの部品を破損した部品と全て取り替え変化させたからこそ可能だった荒業なのだ。
 そして、今回の墜落で破損した部品は当然ながら入力されているデータとの差異が極めて大きくなっている。今回間接が曲がったままなのは、歪んだときに部品が完全に砕けてしまって元の部品がわからなくなり、再構築が出来なくなった影響で消滅したからだ。

 まだまだ実験的かつ相当強引な手段を使っているだけに、結構条件付けがうるさいのだ、ハイパーキャストオフは。結果的に利便性が低いと言わざるを得ないが、利点が無くも無いためまだまだ実験段階だ。

 「まったく。ただでさえネルガルの最新鋭機、おまけに今の木連にはこれに類似する機動兵器は殆ど無いのに、それを修理してくれっていうのは、本当に無理難題なんだよ?
 まあ、出来る限り何とかして見せるけどね。その代わり、僕の要求も聞いてもらうよ。こっちだってボランティアじゃないんだし」

 「……まあ仕方がないか。で、何やればいいんだ?」

 渋々とアスマは了承する。何を言われるかわからないが、愛機の安否には変えられない。直接会うのは今日が初めてだが、評判は耳にしている。人を人とも思わない真の外道とも、科学者として純粋培養された人間とも言われている。アスマは間違いなく科学者としてはヤマサキ・ヨシオを評価していた。ハイパージャンパーという装置の完成度を見ればその開発に従事した、否主導した人間の優秀さが見て取れる。そう、アスマはすでにヤマサキという科学者に極めて高い評価を下していた。――人間としては落第点だし、万が一にも命に関わるような事をしたらその場でぶっ殺すと心に固く誓っていたが。

 「何、新しい強化服の被験者になって欲しいんだよ。君も多分知っているし、キット君のボディー、ハイパージャンパーの原型になった作品の装備をそのまま採用したんだ。
 いやー、再現には気を使ったよ。可能な限り原作の設定通りに仕上げたからね。人間を改造して強化するのも良いけど、こういう装備で強化するのもなかなか楽しいね。何より人体改造とは全く違う技術が発見出来るし」

 そう言いながらヤマサキが差し出したのはベルトだった。金属のような光沢を持つ、無骨なデザインのベルトだった。バックルの部分が楕円形で、何かをセット出来るように造られている。そしてヤマサキは空いている手でカブトムシ型のツールを差し出している。ハイパージャンパーとは異なる、ある意味ではカブトムシに非常に近いデザインだ。メタリックレッドで彩られ、胴体中央に黒い半透明のカバーがあり、銀の縁取りが施されている。角の裏側はやや赤みの強い金で彩られている。脚に該当するパーツは銀色で長方形だ。左足には前から1,2,3の数字が印されている。アスマはそれを見て唐突に正体がわかった。これは平行世界のアスマの記憶だが、間違いない、あれだ。

 「カブトゼクター……。そうか、ハイパージャンパーはハイパーゼクターが元だったのか。どうせなら外見と名前戻したらどうだ? ハイパーゼクターに。そっちの方が名前の語呂も良いし何よりハイパーカブトのデザインが狂っちまうし」

 「君が良いって言うなら戻すよ。実はもう部品は用意してあるんだ。ボディを取り替えればいいだけだから5分もあれば終わるから、待っててよ」

 そう言うとヤマサキは傍らに鎮座していたハイパージャンパーを手にとって作業台の上に陣取った。アスマの見守る前でハイパージャンパーは手際よく解体されていく。そして作業台の引き出しからハイパーゼクター用のボディーを取り出す。実に用意がいい。キットまでもが解体されないか不安だったが、余計な素振りを見せたらキットが苦情を言うだろうし、何時でもボコれる用意はしてある。そっと握り締めた拳がその証拠だ。ついでに見ていると強調するために1つ質問をしておこう。

 「もしかして最初から想定してたのか、こういう事態を?」

 「勿論! やるからには徹底的に、ね。カブトゼクターを作った時点でハイパーゼクター換装パーツは作ってたんだよ。ああ勿論携行武装のパーフェクトゼクターもそれ専用のザビー、ドレイク、サソードゼクターは組み立て済みだから安心してよ。そこのケースの中にあるよ」

 そういって脇に置かれたケースを指差す。銀色のジュラルミンケースだ。開けてみると、カブトムシを模した一振りの剣と、蜂、蜻蛉、蠍を模したゼクターが収められている。剣はカブトムシの角を延長したような刀身を持ち、中央の黒いフレーム部分がカブトムシの角を模しており、その周りに金色の刀身がある。刀身の根元は胴体を模している。羽の部分が鍔となり、頭の鍵爪のような角はドレイクゼクターのマウントになっている。さらに赤、黄、青、紫のフルスロットルと呼ばれるスイッチがあり、それぞれの色がゼクターに対応した機能を発動する。赤ならカブト、黄ならザビー、青ならドレイク、紫ならサソードに対応している。パーフェクトゼクターの形態に応じてそれぞれ様々な攻撃能力を添付する。最大で10種類もの攻撃を繰り出すことが出来るが、内4つは劇中未使用であり、その攻撃内容がわからないものもあるし、一種類のみ、絶対に再現が出来ないだろう攻撃もある。

 「ああそうそう。どうしても再現が出来ない攻撃や劇中未使用かつその他媒体でも使用されたことが無くて技の内容がわからないものは僕なりの解釈で再現してるから、予め了承しておいてね」

 ヤマサキはハイパージャンパーの換装を行いながら簡単な解説を始めた。

 「基本的にマスクドライダーシステムのエネルギーはボソンジャンプを利用しての供給を行っているんだ。まあ、マキシマムオーバーパワーの常用版だね。カブト関係のエネルギーはストレリチアから供給するように設定してあるから。

 それと変身システムは君達が使っているパイロットスーツ同様ナノマシンで構成されているんだ。まあ、強度と内臓システムの関係で性能は格段に上だけどね。変身の時にエネルギーを過剰供給してナノマシンを活性化、急激に分裂増殖させてスーツや装甲を構成するんだ。内蔵するシステムも同様だよ。だから使用の度に常に新品のスーツと装甲を使用しているのと同じだよ。だからベルトとゼクターが破損しない限り異常は発生しない。ベルトとゼクターは可能な限り強固な造りにしてあるけど、限度はあるから気をつけてね。まあ、慣れない機動兵器と違って生身だし、君が最も得意とするタイプの装備を使っての戦闘になるから心配はしてないけどね」

 ヤマサキは改造を終えたハイパージャンパー――否、本来の姿に戻されたハイパーゼクターをアスマの手に握らせる。

 「これらのゼクターは皆君だけのものだ。拘りに拘ったから、ゼクターの選定基準を満たせなくなったら資格を剥奪されるかもしれないけど、基本的に皆主と定めたものには従順だよ。あ、そうそう。皆キット君ほどハッキリしたものじゃないけど自我を持っている。だから、君がゼクターと心を通わせれば通わせるほど君は強くなる。その辺僕は期待してるんだよ。君ほど機械と相性が良い人間はそうざらにはいないからね」

 ヤマサキは嬉々として語り、アスマはそれを聞きながら手にしたハイパーゼクターとカブトゼクターを見つめる。どちらも同じ昆虫をモチーフにした機械。片方には長年の相棒(だというが実感はまるで無い)が宿り、片方は初対面である。だが、初対面であってもこれから長く付き合うことになると言うのなら、まず最初にしておくことがある。それは、

 「これからよろしく頼むぞ。……相棒たち」

 挨拶である。共に戦う仲間に対する最低限の礼儀だ。
 カブトゼクターを初めとする新参のゼクターも、揃って起動音を発し返礼する。



 これが、後に最強の歩兵と呼ばれる仮面ライダー達の一番手、カブト誕生の瞬間である。……正確には後日の作戦時にだが。



 「さて、早速試験に移らせて貰うか。で? 暴れられる場所と相手はいるんだろうな?」

 そう尋ねるとヤマサキはアスマの目の前にプラント内部を移した地図を開いた。

 「そのプラント内部で暴走事故があってね。特に食料と武器弾薬のラインが酷くてね。食料の配給がストップとまではいかなくてもこのままだと確実に食糧不足になる。武器弾薬の方も対人用の虫型戦闘機が勝手に動き始めててね。まだ外部に被害を出してないけどこのままだと時間の問題でね。草壁閣下としては早急に手を打ちたいらしい。でもって丁度良い所に君が現れてくれたから、早速事態の収拾に協力してくれとさ」

 「プラントの暴走だと? 暢気に言う内容じゃないぞ、幾らなんでも……」

 木連にとってプラントは文字通り生命線。食料から兵器まで。様々なものを生産してくれる。そこが暴走などしたら木連は明日の生活すら危うくなる。

 「工作隊を派遣したいんだけど、中では対人用の虫型機動兵器が暴れてるわけだし、中央コントロールルームまで辿り着けないんだ。何しろあれを破壊するのは結構な手間だし、弾薬が持たないんだよね。かといって大人数だと身動きが取れないし、かといって少人数だと弾がますます持たなくなる。だけど、マスクドライダーシステムならその心配が無い。防御力も攻撃力も機動性も運動性も虫型機動兵器よりも優れてるしね。エネルギーさえ確保出来れば弾薬の心配も無い。理想的な装備だよ。ただ、量産は効かないし装着者も限定されるけど」

 アスマはヤマサキの言葉を聞きながらベルトを身に着けていた。ベルトはアスマの腰周りに合わせてサイズを自動調節する。

 「確かにエネルギーはストレリチアから供給されるなら、エネルギーの心配は要らないし、俺なら負傷の心配さえなければ単独でも無人機ごときに遅れはとらないからな」

 たいした自信と思われるが彼は根拠の無いことは基本的に言わない。確かに素手で倒すのは骨が折れる、というか流石に無謀を通り越して無理だが、強度の高いナイフ一本あれば2機くらいなら十分倒せる。弱点は頭に入っているし油断さえしなければ弱点にナイフを突き立てるだけで勝負は決まる。2機というのはナイフの強度の限界と集中力の問題だ。相手は自分を容易に殺せるだけの武器を持ち、的確で行動に無駄が無い。その隙を突いて確実にナイフを突き立てるのは容易ならざる技能だ。ちなみに2機とは自己記録だが、実は最近親友兼ライバルの男に更新されてしまって少し落ち込んでいた所だ。憂さ晴らしも兼ねて徹底的にやってくるとするか。

 「勿論君の技量があってこそのカブトだろうけどね。ともかくテストも兼ねて工作部隊の護衛を頼むよ。効果がわからないと本格的な量産は出ないからさ」

 「ああ。そうだな」

 確かに実用データの無いものを予測だけで量産したところで誰も買わないし、使わないだろう。まあ木連全体の気質からすれば使いそうな予感がするが。それはそれとして、俄然興味がわいてきたアスマはヤマサキに問うた。

 「ヤマサキ。マスクドライダーシステムはカブト以外無いのか?」

 「ガタックが完成済みで、劇場版ライダーを今組み立て中だよ。試作品扱いだけど、ダークカブトもあるし、パーフェクトゼクターとは無関係の他のライダーも製作中。急ピッチで組み立てても君たちの出発に間に合わないかも。正直な話、ストレリチアの修理っていう予定外のハプニングが尾を引いてるよ。それに、カブトもかなり苦心した作品だからね」

 「……まあ、やらなきゃならない作業は多そうだが」

 「そうそう。特に資格者が必ずしもインナー装備とは限らないでしょ? だから衣服だとか装飾品、それに携行している電子機器の扱いなんかもう悩みすぎて頭禿げるかと思ったくらいだよ。その分完成度は上がっているはずだから、期待してくれて良いよ」

 「まあ、あるにこしたことは無いか。とりあえず、カブトは任せてくれ、大事にするし、不満があったら改良を申し立てるからよろしくな」

 「ん、任せてよ。使用者に合わせて調整するのも製作者の役目だろうし、君と一緒に成長していくマスクドライダーシステムの在りようを傍で見ていけるなんて、科学者冥利に尽きるよ。それに、僕は協力してくれる人には優しいんだよ」

 便利な道具ぐらいにしか思っていないだろう。と心の中で突っ込みを入れつつも、アスマはカブトゼクターを初めとするカブトのアイテムの完成度の高さとやるからには徹底的というヤマサキの言葉に心惹かれていた。だからだろうか、思わずこんな言葉が口から飛び出していた。彼にしてはかなり珍しいことである。

 「……しかし、思っていたよりも付き合いやすいなあんた。正直ここまでやれる奴だとは思わなかったよ。流石だよ。実に素晴らしい」

 「おっ。わかってくれる? 閣下にも(デザイン的意味で)渋られたし部下にも嫌な顔されたけどごり押しした甲斐が合ったよ。やっぱりさ、こういうのはしっかりとやるからこそ価値があるんだよね」

 「ああ。中途半端にやるのは醜いだけだ。徹底してこその美と結果がある。その点お前は大変優秀だ。人間性の欠如という欠点を補って有り余る科学者魂と技術者魂だ。ある意味では尊敬に値する」

 アスマの言葉にヤマサキは感激したように身を震わせている。ちなみにヤマサキもアスマの噂は聞いている。初対面で他人を褒める事などまずないと言われるほど自尊心が高く、ついでに他人の力量を経験の割には正確に見抜くことでも知られている(故に苦言が多い)。その男に手放しで褒められるとは!

 「わかってくれる!? そうなんだよ、徹底してやるからこそ結果が付いて来るんだよ! どうやら君とは上手くやっていけそうだよ。……まあ、君達の言う所、人道的な行いから外れなければね」

 「わかってくれて助かるよ。利害関係が一致している限り、上手くやれそうだな、俺たち」

 言葉だけ受け取ればあまり好意的ではないが、口調に悪意の類は一切混じっておらず、ただ率直な感想というふうに受け取れた。というかこの2人、案外似たもの同士なのかもしれない。

 「そうだね。まあ、今は僕も人間の体を使って実験するようなことは無いからね。ボソンジャンプの研究もハイパーゼクターの完成で一段落したし。後はハイパーゼクターの量産化計画を成功させるのが目下の課題だし。その先行型の稼動データは随時貰うよ。そのデータを参考に色々と仕様の変更をしなければならないからね。何しろ作ったはいいけどハイパーゼクターの性能に関してはまだ未知数なところも多いからね」

 確かに、ある程度予定していた機能とはいえ、ハイパーキャストオフは従来の常識を覆す凄まじいシステムであるといえる。何しろすでに完成している機械を全くと言っていいほど別のものに組み替えてしまうのだから、使い方次第では相当な発展が見込める機能だ。

 「特にアスマ君に提供したハイパーゼクターの1号機はキットというオモイカネ級コンピュータをそっくりそのまま移植し、かつ現在もなお成長中だ。これって凄く重要だよ。ハイパーゼクターは縮小版とはいえオモイカネ級を、本当なら自分の3倍以上の装置の大きさが必要なAIを掌サイズに収め、さらにはボソンジャンプの演算まで行い、かつハイパーフォームの構成データっていう膨大極まりない容量を収めてなお有り余る容量を持っていることになるからね。造った僕もビックリの凄い発明だよ!!」

 ヤマサキは自分の発明の出来に酔いしれる様に身を捩っている。アスマはそちらには目もくれず(ただ単にマスクドライダーシステムに意識が行っていただけなのだが)、ライダーベルトを身に付け、腰周りを調整し、ついでにパーフェクトゼクターの手応えを確かめるように右手で振って、1回目で取り落とした。またしても右手の怪我を考えずに扱った為に傷口が開いたのだ。おまけに見かけによらず重量がある。これを生身で振り回すのは結構大変そうだ。
 手を離れたパーフェクトゼクターはそのまま地面に突き刺さり、初手から手荒に扱われたことを不服と思ったのか、抗議の“音”を上げ、アスマはそれに謝罪しながら右手を抱える始末。

 「わざとじゃない、わざとじゃないんだパーフェクトゼクター! 頼むからへそ曲げないでくれ……」

 包帯を血で赤く染めて謝罪するアスマの左手にパーフェクトゼクターは自ら飛び込んだ。切っ先に設けられた銃口“ハイパーキャノン”からエネルギーを発射して推力を得たのだ。器用である。が、なかなかに律儀な性格だ。報復を忘れていない。彼の右手は血で真っ赤に染まっている。すなわち急所だ。そこに自ら勢い良く飛び込むということの意味は、恐らく誰にでもわかるだろう。

 「ねえヤマサキさん、あたしには無いの、マスクドライダーシステム?」

 北斗が強請るようにヤマサキに問いかけてくる。珍しく素直に評価を受けている(何時もは悪評が先走るため)ことに機嫌を良くしたのか、ヤマサキは何時に無く饒舌に語り続ける。ついでに非常に愛らしい表情と身振りで話しかけてくる美少女に男として気を良くしないわけが無い。彼だって男だ。生物学的には。

 「君に? だって君はそれほど突出した能力を持ってないじゃないか。格闘技の能力は全部並かそれ以下で、座学成績も並だし。まあ体力と運動神経はずば抜けて高いみたいだけど。僕が元いた世界の君は文句無しに最強だったんだけど……」

 「それでも、あたしはアスマの力になりたい。好きな人の為になることをするのは、いけないことなの? ――人殺しの覚悟くらい、もうついてる」

 と、北斗に詰め寄られてヤマサキも困惑を隠せない。本音を言えば実力の基準に達していない彼女を採用することは本末転倒ともいえなくは無いのだが、理解者の妻、そして見込みゼロというわけではないことと、それ相応のシステムが完成していたことが後押しとなった。それに珍しく自分から立候補しているモルモットなわけだし(彼はこの時点では間違いなくそうとしか考えてはいなかった)。

 「わかったよ。じゃあ、どうしようかな? カブトの相棒と言ったらガタックしかないけど、使いこなせるかな?」

 「ガタック?」

 北斗は目をキラキラと輝かせてさらにヤマサキに接近する。ヤマサキはどぎまぎしながらも滑らかに語り始めた。

 「戦いの神と称されるクワガタをモチーフにしたマスクドライダーだよ。カブトとは色彩が真逆で、イメージカラーは青、カメラ部分は赤で、胸部プロテクターの縁取りや角の部分に金を配してるのが特徴かな。胸部と肩の追加パーツと頭以外は全部カブトと同じ。というか、基本はカブトで、他のライダーがそれぞれのモチーフに合わせて造形を変えているというのが正しい見方かな。
 ガタックは太陽をイメージしたカブトとは逆に月をイメージしている節があるんだ。色彩や戦いの神、という下りにもね。だからカブトとは紛れもなく対極に位置し、同時に限りなく近い存在であるとも言える」

 楽しそうに語るヤマサキに北斗は、

 「じゃああたしにぴったりだね。あたしはアスマのパートナーだもの」

 と言うと、ヤマサキはからかう様に言った。本人としては正直に伝えているだけなのだが、見方を変えれば馬鹿にしているようにしか見えないのはそのヘラヘラと笑っているような顔の造りのせいだろうか。

 「だけど、半人前以下の君じゃ、逆にカブトの足手まといになりかねないよ。もっと頑張らないとね」

 「ぶうっ。言われなくてもわかってますぅ!」

 ぷぅっと頬を膨らませる北斗に心臓の鼓動を高鳴らせながらも(性的な意味と後ろからのプレッシャー双方の相乗効果によって)ヤマサキはベルトを渡した。カブトのものと同型だが、バックルの部分がやや暗色で、インジケーター部分が赤く彩られ、変身解除用のスイッチが青く塗られている(カブトはバックルの色彩が明るく、インジケーターが緑、変身解除用のスイッチが赤)。

 「とりあえず、基本はカブトと同じだけど、こっちは携行武装が特に用意されていない。マスクドフォームでは両肩に装備されたガタックバルカンが主兵装で、マスクドフォームでないと使えない。キャストオフしてライダーフォームになると中からダブルカリバーっていうクワガタのハサミを模した剣が2振り出現する。こっちはライダーフォーム専用ね。

 必殺技は勿論ライダーキック。他にもダブルカリバーを結合して使うライダーカッティングっていう技もある。どちらの技も併用可能だから使い方次第では物凄く頼れると思うよ。

 カブト同様ハイパーゼクターを使用してハイパーフォームになれるけど、現状対応しているのがアスマ君のハイパーゼクターだけだから、同時には使えないけどね。

 あっ、そうそう。アスマ君にも言っておくけど、基本的にハイパーフォームはかなり負担が大きいから、あまり乱用しない方がいいよ。どちらも通常のフォームと違ってハイパーゼクターでかなり機能を増幅してるからどうしても負担が大きいんだ。気をつけてね」

 と、ヤマサキが長ったらしい説明を終える。

 「わかった。気をつけるよ」

 とアスマは頷くが、北斗は難しい顔をして黙り込み、ねじ切らんばかりに首を捻っている。ギャグ漫画なら耳辺りから煙が噴出しているシーンだろう。夫の影響や教育もあって機械類の扱いにはかなり慣れているのだが、物覚えの悪さというか、口頭で聞いただけではまず理解せず、実際に自分で触って扱って覚えるタイプなのでヤマサキが“口で”解説した程度では全く理解出来ないのだ(アスマは普通に理解出来る)。

 「……ヤマサキ、北斗には実践込みで説明を頼む」

 「……ああ、彼女はすぐには無理みたいだね」

 納得と言わんばかりに大きく頷いてポンと掌を拳で叩いたヤマサキは快く了承して北斗の目の前に改めてジュラルミンケースから取り出した青いクワガタムシ――ガタックゼクターを取り出して手渡す。北斗は不機嫌そうにカチカチとハサミを鳴らすガタックゼクターを怖がりもせずむんずと掴み取り、眼前に掲げてひっくり返したり傾けてみたりしてその造形を楽しんでいる。暴れるガタックゼクターを容易く抑え、とうとう諦めさせてしまったところを見ると、案外才能があるのかもしれない。そしてヤマサキは嬉々としてホワイトボードとマジックと専用の黒板消し、さらには分厚い操作マニュアルを取り出して説明会を始めた。北斗も頬を引き攣らせながら指差された椅子に座ってヤマサキの説明会を粛々と受け始める。

 アスマはそんな2人を一瞥してから晩飯のメニューを考え始めた。

 (確かまだ味噌が残っていたはずだ、未来の俺から貰った知識の中に“ほうとう”とかいう料理があったな。試しに作ってみるか。使用する食材と調理方法は……)

 と、ヒートアップするヤマサキの説明会と、それに苦しむ妻の姿を完全に頭の中から追い出して意識のシャッターを下ろし、断片的に存在するもう一人の自分の情報の引き出しに掛かっていた。ふむ、何となくコツが掴めてきたが、やはり相当断片化している。情報の処理にはまだ時間がかかりそうだ。




 追記しておくと、その日の夕食は試作にしては上々の出来で、慣れない講義で疲労しきった妻のケアに夫であるアスマが苦労したことは言うまでも無いだろう。ついでに御呼ばれしたヤマサキも滅多に食べれないまともで美味い食事に舌鼓を打ち、かなり短時間でこの夫婦と打ち解けた。時折話しかけてくるキットも意外なほどに知識豊かでヤマサキとの会話も弾み、過去のことは別としてかなり打ち解けて有意義な会話を交わすことが出来た。そして北辰に頼んで用意して貰ったバンダナの製作者がヤマサキだと知り、アスマはそれに関しても丁寧に礼をすると、最近手に入れた比較的高価な酒を振る舞った。ヤマサキも断る理由がなかったので上物の酒に酔い、一層賑やかな夜を過ごした。この出会いと一連の出来事がヤマサキ・ヨシオの人生そのものを変えてしまう事になるとは、神ならざる当事者には知る術も無かった。










 そして、仕事の日は来た。なお、今回北斗はお留守番である。技術以前に場慣れしていない北斗をこのような場所に仕事で連れてくること自体間違いなのだ。ガタックを使いこなせていないことも要因だということも付け加えておこう。彼女は今休日で家に居た北辰に付き添ってもらってライダーシステムの完熟訓練に勤しんでいる。

 「では影護さん、お願いします」

 「ああ。先導は任せてくれ。安全を確認したら前進の合図をする。それまでは怪我しないよう気をつけてくれ」

 「はい!」

 アスマは首だけ振り向かせて工作部隊の面々を見遣る。マスクドライダーシステムの試運転を兼ねているが、一応の祖国のためだけに戦う最後の機会だから、何が何でも成功させなければ。後は木連も地球も関係なく、ただ力に翻弄されるしかない全ての人々のために戦うことになる。

 「いくぞ、カブトゼクター」

 アスマは眼前に右手を翳す。ボソンの輝きが前方で現れ、そこから出現したカブトゼクターがアスマの右手にすっぽりと収まる。まだ怪我が完治しておらず、鈍痛の続くなか、カブトゼクターの手触りを感じる。ヤマサキの弁では、変身すればスーツの補助が働くので武器の保持は大丈夫だそうだが、それでも気を使う必要はあるだろう。

 「変身!」

 アスマはそう短く叫んでカブトゼクターの頭を左に向けてベルトのバックルに右側から装着する。

 『ヘンシン!』

 カブトゼクターから電子音声が発せられ、ベルトから凄まじい速度で増殖するナノマシンがプロテクターやスーツを構成しながら全身に行き渡る。そこに現れたのは銀を主体に赤をあしらった装甲服に身を包んだ者。カブトがいた。
 太腿や脛や足首や膝やには銀色のプロテクターが装備され、胴体は分厚い装甲、頭は青いゴーグルのような形のセンサーと額のV字アンテナが装備されたヘルメット、腕のプロテクターは半分に割った輪のようなプロテクターがその下にある腕の外側を守る細長いプロテクターと一体になって装甲を増していた。その装甲の下には黒いサインスーツと呼ばれるスーツで覆われており、これだけでも大抵の刃物は防ぎ、50口径の銃弾すらも受け止め、その衝撃を吸収してしまうほどの防御力を持つ。これを破って装着者を負傷させる武器は、人間が生身で扱えるサイズではマスクドライダーシステムのみである。

 これこそがマスクドライダーカブトの第一形態、マスクドフォームである。

 その姿を見て、工作隊の面々が羨望の篭ったため息を漏らす。何しろ木連男児である。こういうヒーロー然とした装備には憧れがある。それゆえに、カブトの指示に背くことは無いだろう。何故なら、カブトはこの場に居る全員にとって英雄の様なものだからだ。つまり皆ヒーロー願望が強いのである。
 アスマ自体が木連では賛否が極端に分かれる性格をしていることもあり、実力は認めていても嫌っているという連中はかなりいる(とはいっても嫉妬からくるライバル視が殆どだと彼の親友は評した)。しかしながらその根底にある正義感だけは紛れもない真実であり、かつて学校のクラスメイトであり虐めの主犯格だった生徒を命がけで救助した辺りから認識を改められた。アスマからすれば困っている人間に等しく手を差し伸べるのはすでに心に決めたことであり、同時に現場にいた異性――北斗の気を引きたいという欲求から助けたに過ぎないのだが、その価値観と木連の正義と対立しかねない発言から悪者呼ばわりされていたアスマのその行動は辺りに衝撃を受け、物事は善悪は決して1枚板ではないことを図らずも知らしめる結果となり、同年代において地球を絶対悪と呼ぶ者が減少するに至っている。と言っても彼の普段の性格や言動を知らない人間からすれば単なる美談にしか見えないので彼の近隣に限定されているのだが。
 余談だが、万事優秀で頭一つ飛び出した才能を披露するアスマは良く嫉妬されるが、周りにも優秀な連中が多く相手の土俵では敗北を喫する回数が多いためか、敵わない存在から努力のしようでは十分に追い抜くことが出来ると判断され、超えたいがために自分を磨く連中が著しく増加し、同年代の軍入隊者のレベルが例年を大きく上回るというハプニングがあった。何かと軍関係者と接する機会が多かったからこその偶然の産物である。
 余談ながら、彼の価値観を決定付ける要因となったのは自分が木星ではく地球圏の生まれだと知らされていたからという一点にある。よって、比較対象こそ知らないものの本質的に地球人と木星人で大差ないじゃないかという結論に行き着き、今の価値観を醸成したのである。

 「行くぞ。作戦開始だ」

 それは工作隊に向けた言葉でもあり、同時に自分に向けた言葉でもあった。カブトは右手に専用の携行武装カブトクナイガンを持って歩き始めた。これはやはりカブトムシを模した銃剣の一種で、グリップ部分にバヨネットアックスと呼ばれる斧が装備されており、銃身を兼ねるグリップを持つことで接近戦用の斧となる。また、銃のグリップ部分を排除する(銃身を握って引き抜く)ことで中からクナイカッターと呼ばれる鋭い刃が現れる。バヨネットアックス以上に鋭く切断力に富んだその刃は高熱を発して対象を両断する他、少なからず衝撃を発することで打撃力を向上させる(バヨネットアックスも同じ)。これはパーフェクトゼクター等の斬撃用の装備に共通した機能であり、非常に強力な刃物である。その原理はヒートカッターに近い。特にパーフェクトゼクターはそのものが超必殺技と呼ばれる強力な打撃を繰り出すために必要不可欠なツールであるため非常に強固に作られている。反面、エネルギー消費量が激しく制御デバイスも特殊であるため専用フォームでなければ使用出来ず、生身では使用出来ないほど重量があるだけでなく技を使用する上での反動が大きい。



 カブトは慎重に、かつ大胆に歩を進めた。自分が目立つことで後ろの工作隊から目を背けさせるのも策のひとつだ。それに、余程の火力を敵が保有しない限り、マスクドライダーシステムで護られた自分に害することは出来ないだろう。

 通路を曲がる度、カブトは身を隠しながら先の様子を伺い、姿を現すと同時にクナイガンを向ける。



 異常は無い。

 そう判断して付いてくる工作隊に合図を送ろうと思ったときだった。

 目の前で影が動いたのは。

 マスクドライダーシステムのセンサーが無ければ気づかないだろう。そう感じてしまうほど相手の気配は弱かった。動体センサーを使ったとしても、これほどゆったりとした動きでは見逃してしまうかもしれない。

 「なるほど。ヤマサキの仕事も大したものだ。並みの装備では見抜けないな」

 カブトはしきりに感心しつつ、工作隊に待ての合図を送り、クナイガンを前方に向けたまま歩き始める。5歩も歩く前に、目の前の影は飛びかかってきた。あまりの敏捷さに、そして予想もしていなかった相手の姿に戸惑い、カブトは全く対応出来ないまま組み伏せられた。

 「ちっ」

 相手の“爪”が装甲に突き立てられ、表面が削り取られる。が、この程度の攻撃で決壊するほどマスクドアーマーは柔ではない。
 カブトは至近距離でクナイガンを発射。小振りの荷電粒子ビームが発射され、相手の体を焼く。同時にくぐもった悲鳴が聞こえた。カブトの上に圧し掛かっていた物体は即座に飛びのき、距離を置いてこちらを睨みつけてくる。

 「生物だと……?」

 ゆっくりと身を起こしたカブトは、前方でこちらの動きを伺っている。生物を見た。それは間違っても虫型機会ではなかった。人型の、蜘蛛を連想させるような外見をした未知の生命体だ。

 「馬鹿なっ……嘘からでた真だとでもいうのか」

 それは、劇中でライダーたちが戦った地球外生命体――ワームの成虫体と酷似していた。

 「一体どういうことだ。何故ワームが存在する。まさか、ライダーシステムの試験のために仕組まれた余興だとでも言うのか?」

 カブトが戸惑っていると、敵生体は目にも留まらぬスピードでカブトに迫り、その体を宙に打ち上げていた。天井に背中が叩きつけられ思わず呻く。

 「くっ!」

 落下する間もカブトは反撃しようとクナイガンを向けるが、すでに銃口の先には何もいない。そして前後から時間差で攻撃を受ける。カブトの体が空中で踊り、成す術なく床に叩きつけられる。

 「クロックアップ(時間流を操作して素早く動く能力。いわゆる加速装置)? いや、それにしては遅い。目で捉えるくらいなら出来た。なら、今のは機動兵器でいうリミットアップということか? ……ヤマサキ。何を隠しているのか知らないが、後で問い詰めさせてもらうぞ」

 カブトは即座に身を起こすとカブトゼクターの角をわずかに前方に起こす。すると、僅かに胴体と頭、そして肩と輪のような腕の装甲が浮き上がる。分割して浮き上がった装甲の下にマスクドフォームのそれとは異なる装甲が覗いている。

 「キャストオフ!」

 鋭く叫んでカブトゼクターの角を完全に右側へ倒す。

 『キャスト、オフ!』

 カブトゼクターから電子音声が発せられ、浮き上がった装甲が瞬時に分解され弾け飛ぶ。弾け飛んだ装甲はしばらくそのままの形で飛翔した後、砂のように崩れ去り、その下から赤い曲線的な装甲が現れる。同時に、分解された胸のマスクドアーマーの中から現れたカブトムシの角が顎のローテートに接続され。そこを基点として起き上がり頭部の定位置に収まる。ゴーグルのようなセンサー――コンポパウンドアイを中央で割る形で角が装備されると、角の中央――丁度額にあたる部分――のOシグナルというセンサーとコンパウンドアイが瞬間的に点灯する。そして――

 『チェンジ、ビートル!』

 とカブトゼクターが電子音声を発する。この姿こそがライダーの真の姿。ライダーフォームと呼ばれる形態である。マスクドフォームと比較して力と防御力は犠牲になるが、その分機動力と運動性能に富み、必殺技やクロックアップ(加速とボソンジャンプ機能)が使用可能になるため、戦闘能力はマスクドフォームと比較してかなり向上した姿である。

 「クロックアップ!」

 『クロック、アップ!』

 カブトはすぐに右のスラップスイッチを叩き、クロックアップを発動させる。このスイッチはクロックアップ(ボソンジャンプ・バージョン)のスイッチも兼用していて、装着者の思考で機能の発動を決定している。

 カブトは人間の限界を超えて加速した世界にいた。ライダーシステムのクロックアップは機動兵器のリミットアップとは少々異なる機能だ。機動兵器の場合、各部に設けられたリミッターを制御して総合性能を一時的に引き上げるシステムだが、ライダーシステムの場合はナノマシンを解してリンクした神経の情報伝達速度をシステムによって加速し、それに対応出来るようにサインスーツを利用して四肢を初めとする全身の反応速度の向上を図り、一時的に行動速度を速める働きをする。そのため腕力などの純然たる力は向上しないが、動作の加速による打撃力の向上、単位時間当たりの動作数の増加などの効果を発揮する。よってそれの働きは戦闘能力の向上というよりは単に素早い敵に対抗するための加速装置というべきシステムである。マスクドフォームで使用出来ないのは重装甲がアダとなりそれらの加速された動きに振り回されてまともに動けなくなるからである。それに、クロックアップ時における機動補佐を行うのはライダーフォーム時のプロテクターの役割であり、そこから攻撃には転用出来ない微弱なエネルギーを放出してクロックアップ時における機動力の向上と宇宙空間での活動を補佐しているのだ。言うなればプロテクターそのものが推進装置を兼用しているのだ。



 ワーム(仮称)に対抗するスピードを得たカブトは即座に反撃に出た。ワームの攻撃を尽く捌き、確実に攻撃を加えていく。人の知覚の限界を超えた速度でワームとカブトがぶつかりあう。そして、クロックアップの限界が訪れた。

 『クロック、オーバー!』

 加速された感覚が通常のものに戻る。そして、ダメージを受けた影響か、ワームも先ほどまでのスピードはなくなっている。どうやら、向こうにもある程度制限があるらしい。まああれだけのスピードともなれば消耗する体力も相当なものだが、そうでなくても体にかかる負担も無視出来るものではないはずだ。

 「悪いが遊んでいる時間は無い。これで終わらせてもらう」

 カブトゼクターの足に設けられたフルスロットルと呼ばれるスイッチにカブトの右手が伸びる。親指で1から順に3まで押す。

 『1! 2! 3!』

 そしてカブトゼクターのカバーを押し込みゼクターホーンを操作。マスクドフォームの状態に戻す。

 「ライダー……キック!」

 再びホーンを操作。ホーンを右側に倒すと同時にカバーが展開。チャージされたエネルギーが一気に解放される。

 『ライダーキック!』

 電子音声と共に開放されたエネルギーが頭部のカブトホーンを解して右足に送り込まれる。

 「クロックアップ!」

 叫んで右腰のスラップスイッチを叩く。

 『クロック、アップ!』

 電子音声と共にクロックアップ(ボソンジャンプ機能)が発動し、虹の光と共にカブトが空間から消失。一拍置いてワームの眼前に出現する。

 『クロック、オーバー!』

 「はあっ!」

 短く鋭い叫びと共にカブトがワームめがけて上段回し蹴りを放つ。白く輝く鋭い蹴りは、とっさに腕を交差させて防ごうとしたワームをいとも容易く蹴り砕く。衝撃換算で19t。いかに強固な外骨格をもつワームと言えど耐えられようも無い攻撃だった。カブトゼクターがチャージアップしたエネルギーを衝撃エネルギーに変換してキックの破壊力を大きく高める機能だ。そのため威力は装着者の体術によって威力を大きく上下する。そのため手加減も可能である非常に利便性が高い機能でもある。

 カブトは粉砕されたワームの死骸を見下ろして暫し呆然としていた。

 「こいつは一体何だ? ―――キット、頼む」

 カブトが掲げた左手にハイパーゼクターが出現し、その手に収まる。

 『すみません。このままでは解析出来ないのでハイパーフォームになって下さい。マスクドライダーシステムを介して解析します』

 「わかった。ハイパーキャストオフ」

 ベルトの左腰にハイパーゼクターを装着し、ゼクターホーンを倒す。

 『ハイパーキャストオフ! チェンジ、ハイパービートル!』

 電子音声と共に開始されたハイパーキャストオフによって、カブトの姿が変貌する。頭のカブトホーンが巨大化し、頭部の赤が銀に、目が青からエメラルドグリーンに変化、上腕と太腿のプロテクターも赤く変色し、下腕や足のプロテクターが虫の足を連想させる先端が2つに割れた細長いものに変化する。肩にも新しい装甲が被さる形となり、胴体の装甲も大きく変化し、正面にカブトホーンに似たYの字の装甲が出現し、その中央縦に等間隔で3つ、目と同じエメラルドグリーンに輝くボソンフラッシュと呼ばれる発光部が出現し、背中もカブトムシの羽を連想させる形状に変化している。これらの新しいプロテクターをカブテクター呼び、通常のプロテクターの倍近い強度と耐衝撃性を誇っている。当然、サインスーツも強化されているため、パワーアシスト機能や防御力も向上している。各種センサーもハイパーゼクターの機能を使えるため大幅は強化を遂げている。俗にハイパーカブトと呼ばれる姿である。

 『解析を始めます。しばらく視覚情報などが混乱するかもしれませんが我慢して下さい』

 キットはハイパーカブトのセンサーをフル活用して死骸の解析を始める。同時に装着者であるアスマに送られる情報が変化した。ナノマシンによって直接送り込まれている情報にノイズが混じるようになった。そのノイズのせいで送られてくる映像が電波障害を受けたテレビのように乱れ、音も聞こえ辛くなり、触覚も不確かなものになった。

 (情報の混乱とはこういうことか。まあ、マスクドライダーシステムが本来想定していない作業だから、仕方ないと言えば仕方が無いか)

 アスマは静かに待った。どちらにせよこの感覚の乱れは一時的なものだ。ならば、そう気にする必要は無い。

 『解析終了しました』

 「で、結果は?」

 『今までに発見されたことの無い体組織です。表皮も地球上のあらゆる生物よりも頑丈で、下手をすれば銃弾だって弾き返すだけの硬さと、表皮としての柔軟性を併せ持つ非常に珍しいものです。おそらくライダーの使用する粒子ビーム兵器であっても用意には破壊出来ないでしょう。そうですね、ライダーのサインスーツに限りなく近い構造です。筋肉や骨格も人間とは比較するだけ馬鹿らしいですね。単純な筋力で人間の数十倍、骨格の頑強さもスケールダウンした機動兵器と同程度の強度を持ちます。生身で戦えば間違いなく秒殺です。多分、一流の格闘家であっても。極々普通の成人男性なら瞬殺です。対抗手段はありません。重武装しても、クロックアップと同等の速度で行動出来る彼らの前では無力でしょう。

 対抗出来るのは現状ではマスクドライダーシステムのみです』

 何とも有難くない結果だった。冗談抜きで嘘が現実になった瞬間だと思った。対抗出来るのはライダーのみ。だが、自分ともう一人のライダー(予定)である北斗ももうすぐ木連を離れる。そうなったら、木連は誰が護るというのだ。ワームが一匹だけとはとても思えない。もし繁殖していてそれなりの数がすでに揃っていたとしたら、対抗手段は残されていない。

 「マスクドライダーシステムは……まだカブトとガタックだけか。ヤマサキの事だ、これから残りのライダーを造るだろう。だが、それが完成する前にヤマサキが殺害されたら、ライダーは……俺達だけになる」

 アスマは母国の将来を考え背筋を振るわせた。

 『とすれば、出発までの間にこの生物、ワームを狩るしかないですね。ワームとはいえ生命には変わりません。それを大量に殺さねばならぬという現実は残酷極まりません。ですが、やらなければ木連の人々が死んでいくことになります。それに、もしこのワームが、人間に擬態する能力を持っているとしたら、被害はさらに拡大する可能性も――』

 どうしても言葉が濁る。対抗手段が非常に限られているこの状況下であっては、やむを得ないとするしかない。だが、それで本当に納得出来るのかと言われれば話は別だ。

 「……覚悟はある。このワームもどきが人に擬態出来るか否かはこの際関係ない。だが、人を害するなら、人を護る戦士であるライダーは、ワームを倒さねばならない。ワームに情けをかけることで人が犠牲になることだけは避けなければならない。ならば俺は、ワームに対しては非情になる。キット、今この場で確認可能なワーム全てを倒すぞ。それがライダーたる俺の使命だ」

 アスマは勤めて冷静に言い切った。別に命を奪うのはこれが初めてではない。人殺しの経験もあるし、それ以上に生きていくためには命を奪っていかなければならない。料理人でもあるアスマにはそれがよくわかっていた。そして、本当の意味での“敵”に情けをかける必要はない。俺から奪うつもりなら、実力を持って阻止する。妻を愛して、自分の世界を広げた時から誓っている。必要とあれば、躊躇うことなく人を殺せる。本当に必要ならば。今、ワームをそうしたように。

 キットもまた、アスマの言葉に改めて自分達が背負わせてしまった責任の重さを感じていた。そう、ワームなんて向こうの世界にはいなかった。イレギュラーが紛れ込んでしまったことでこの世界が本来ありえない形に歪んでしまった結果だというのなら、それを負わせてしまったのはイレギュラーたる自分達である。それに、草壁や自分はアキト達とは違い、世界の歪みをさらに酷くすることを承知の上でやってきたのだ。その結果、本来背負うはずの無い命の重さを彼に背負わせることになってしまった。だから、キットにはこう言う他無かった。

 『……わかりました。貴方の判断を尊重します。私は、貴方の補佐役です。何時でも頼って下さい』

 「ああ。わかってるよ………………相棒」



 ハイパーフォームとなったカブトはゆっくりと身を起こし、後方で待機している工作隊に前進の合図を送った。
 程なく現れた工作隊はワームの死骸に驚いていたが、すぐに自らの役目を思い出して歩を進めた。ハイパーカブトもまた、深くは語らず全員に細心の注意を促すとパーフェクトゼクターを呼び出して戦闘態勢整えた。

 『前方258m先にワームと思しき生命反応』

 アスマの頭に直接キットの警告が響く。

 「遊ばずに一気にかたをつける」

 アスマはそう言うとパーフェクトゼクターの赤いフルスロットルを押した。

 『カブトパワー!』

 パーフェクトゼクターから電子音声が発せられ、淡く輝いていた刀身が輝きを増した。

 「ハイパークロックアップ!」

 『ハイパークロックアップ!』

 ハイパーカブトがハイパーゼクターのスラップスイッチを叩き、ハイパークロックアップを発動させる。Y字型の胸部プロテクターが中央から縦に割れ、中から金色のボソンプレートを露出する。肩の赤い装甲が跳ね上がり、中の円形のスラスターの様なボソンプレートを露にし、脚と腕の昆虫の足のようなプロテクターが足首と手首を基点に展開し、中から扇状のボソンプレートを展開する(物理的には腕にめり込まなければ収納出来そうに無い形と大きさだが、展開時のみプレートを生成することで問題を解決している)。最後に背中が甲虫類の羽のように広がり、背中のボソンプレートを展開すると同時に甲虫類の羽を連想させる虹色の翼を広げる。俗にハイパークロックアップモードと呼ばれる姿である。この金色のボソンプレートはCCや遺跡と同じ組成を持ち、ジャンプフィールドを発生させるだけではなく、そこからボソンジャンプを利用して集めたエネルギーを噴出して推進力として活用することも出来る。そのためハイパーカブトは全ライダー中最速を誇るライダーとなっている。当然、この推力を打撃に転嫁することも出来るため、攻撃力も最高と言える。クロックアップと同じ原理ながら、システムの面で優れているため、性能も桁違いである。反面、このボソンプレートは防御力という点においてのみ通常のプロテクターに大きく劣り、下手に攻撃を喰らうと即戦闘不能にされる恐れもある諸刃の剣である(故に通常形態では強化されたカブテクター内部に収納されている)。逆に、その不利を速度で補うというのがハイパーカブトの戦い方でもあるのだ。



 ハイパーカブトはパーフェクトゼクターを大きく振りかぶって駆け出した。クロックアップとは比べ物にならない加速の中、一瞬でワームに接近する。
 こちらの動きに気づいたワームも例の超加速状態に移ったようだが、ハイパークロックアップの方が格段に速い。結局ワームは成す術も無くパーフェクトゼクターの必殺技の1つ、“ハイパーブレイド”によって切り裂かれた。パーフェクトゼクターから生じた赤色の刃は本来の刀身の3倍ほどの長さまで伸び、強固なワームの体を容易く切り裂く。刀身に沿う形で拡大延長された小型のビームソードだ。パーフェクトゼクターは小型の粒子ビーム兵器であり、刀身の表面に粒子ビームを運動させたまま定着させるための誘導作用を持ち、その制御方式を変えることで切断から粉砕までを使い分けることが出来る。

 『ハイパークロックオーバー!』

 電子音声と共にハイパークロックアップを終了したハイパーカブトは通常状態に戻っていた。今し方切り捨てたワームの死体を一瞥すると、何事も無かったかの様に周囲に気を配っていた。しかし、仮面に隠された素顔は僅かではあるが沈んでいた。

 (もう後戻りは出来ない。これから俺は、俺の都合だけで命を殺める。そうだ、これを忘れてはいけない)

 アスマは確かに北辰に戦いの全てを叩き込まれた。だが、それは暗殺者としてでもなければ軍人としてでもない。戦士として鍛え上げた。強くなりたいと北辰に申し出たからだ。だが、自分と同じ道を歩んで欲しくなかった北辰はあえて裏に生きる者の宿命に背いて可愛い子供達を鍛えた。武術の基本を徹底的に叩き込み、正攻法も搦め手も、時には卑怯と呼ばれても仕方の無い戦いからも全部教えた。そして、戦う時には決して情に流されず、常に冷静かつ時には冷酷に戦うことも教えた。戦いの場において、特に命のやり取りをするような局面において情に流されて自らを危険な状況に追い込んでしまうことを避けるための処置だ。
 だが、あくまで戦いの最中に表に出さないようにしているだけだ。どうしても戦いを終えた後は感傷に浸ってしまうときもある。北辰ならば任務の最中に感情を表に出すことは無いだろう。だが、アスマはまだそこまで割り切れなかった。経験も浅いし何より元々情に流されやすい面もある。それでも、意識を強引に任務に切り替え、工作隊の前進を促す。

 昨日今日で戦場に送り出された素人としては上出来と言えるだろうが、それでも素人には違いない。どうしても、情に流される場面がある。

 『アスマ、やはり辛いですか?』

 「まあな。だが、今は作戦中だ。続けるぞ」

 アスマは一言で会話を打ち切ると工作隊の面々を引き連れて先へと急いだ。中央制御室までの間、ハイパーカブトは3体のワームと数機の対人用虫型戦闘機を倒した。ハイパークロックアップを駆使してほぼ瞬殺だった。しかし、その行為がアスマの体にかける負担は非常に大きかった。中央制御室に辿り着いた時にはハイパーカブトは殆ど交戦らしい交戦をしていないにも関わらず消耗しきっていた。ハイパーカブトの身体がぐらりとよろめく。

 「大丈夫ですか? 今貴方に倒れられたら――」

 「大丈夫だ。でもハイパークロックアップは使えないな。今までみたいに瞬殺とはいかないが、大丈夫だろう」

 あの超加速状態になる前に倒せれば、と言う言葉を飲み込んだ。いくらハイパーカブトでも、クロックアップに匹敵するあの速度にはついていけない。パーフェクトゼクターを駆使しても、攻撃を当てられるかどうかは自信が無かった。まだ機能を把握していないのが少々痛かった。

 工作隊はすぐにコンピュータに取り付き、制御を始めた。作業は然程かからずに終わるだろう。これで食糧問題と対人用虫型戦闘機の暴走も解決するだろう。



 『アスマ。ワームがこちらに接近しています。1匹です』

 「よし。ここは任せたぞ」

 ハイパーカブトはすぐさま中央制御室を出て、ワームと向かい合う。センサーがワームを捕らえた時には300mは離れていたはずなのに、今は部屋を出たばかりのハイパーカブトの正面にいる。

 「ほう、やる気満々だな」

 パーフェクトゼクターをガンモードに切り替え、その銃口をワームに向ける。それは右手に発光体を持った、まるで蛍を連想させるワームであった。

 「キラキラ光ってて綺麗なものだな。だが、邪魔をするならば倒すまでだ」

 ハイパーカブトは容赦なくパーフェクトゼクターの引き金を引く。切っ先の銃口から発射された粒子ビームはカブトクナイガンよりも強力だ。直撃すればワームと言えど軽傷ではすまない。
 だがワームはその一撃を苦も無く回避すると、例の高速移動を始めた。あっという間に懐に飛び込まれ、強烈なボディブローを打ち込まれる。堪えられず弾き飛ばされたハイパーカブトが壁に叩きつけられ、突き抜けて壁の向こう側にあった部屋に転がり込む。

 「ちっ。だがまだ甘い」

 ハイパーカブトの強化された視覚機能はこの高速移動を辛うじて捕らえていた。体は完全に反応出来ないが、マスクドフォームやライダーフォームに比べればマシである。速やかに体勢を立て直して攻撃姿勢を整える。

 そしてアスマの意に応え、ドレイクゼクターがボソンの輝きと共に出現し、パーフェクトゼクターと合体する。ハイパーカブトは水色のフルスロットルを押し込み、ドレイクパワーを発動させる。そして、全く見当違いとしか言えない方向に向かって引き金を引く。

 『ハイパー、シューティング!』

 電子音声と共に赤色のバスケットボールほどの粒子ビームが銃口から飛び出し、瞬時に掻き消えた。そして、高速移動していたワームの進路上に出現する。ワームは慌てて避けようとするが、なまじ素早いだけに方向転換は困難である。結局回避行動もままならず自分から光弾に突っ込む形となった。赤色の粒子ビームの破壊力は凄まじく光弾に突っ込んだワームが容易く吹き飛ばされた。焼け爛れて無様に床に転がるワームだが、まだ生きている。ハイパーカブトは容赦無く追い打ちのハイパーキャノンを叩き込む。今度こそ間違いなく、ワームは死亡した。

 ハイパーシューティングはいわば高速で動く物体に対する命中率を優先したハイパーキャノン(カブトパワー・ガンモードの必殺技)である。威力はハイパーキャノンと遜色ないが、追加機能としてハイパーカブトのセンサーとドレイクゼクターの照準器と合わせた情報で相手の動きを先読み、その進路上に粒子ビームをボソンジャンプで送り込んで対象を破壊する。そのため予測行動と実際の行動がずれた場合は命中しないが、速く動けば動くほどその力の方向を変えることは困難になる。目と鼻の先に攻撃を“置かれたら”避けようが無い。パーフェクトゼクター側からの指示で咄嗟に使用したのだが、なかなか使える機能のようだ。

 ハイパーカブトは粉砕焼却(荷電粒子ビームの直撃を受けると、微細粒子激突による運動エネルギーによる破砕のみならず運動エネルギーが変換された熱エネルギーと共に粒子が持つ電荷がプラズマを誘発して対象を焼くという現象が同時に対象を攻撃するためこのような現象が起こる)したワームの傍らに跪き、転がっていた肉片を拾うと工作隊が持っていた小瓶に詰めた。この肉片をヤマサキに渡して解析してもらおうと思ったのだ。ナイト2200があればその場で化学分析が出来るのだが、生憎あれは向こうに置き去りになっている。多分、キットとアスマという主失い、ネルガルの倉庫の肥やしとなっているか、もしくは開発メンバーの中心であるユリナが引き取ったことだろう。

 ハイパーカブトはワームを倒して一息ついていた。ヤマサキの言っていた通り、ハイパーフォームでの負担はかなり大きい。立ち上がろうとしてふらつき、パーフェクトゼクターを杖代わりにようやく立ち上がり、周辺に異常が無いことを確認する。

 「キット、ワームは?」

 『今のところ反応ありません。一度ハイパーフォームを解除して周辺を見てきます』

 そう言うとハイパーゼクターは虹色の光と共に消失し、同時にハイパーフォームが解除され、まるで表面が崩れ落ちるかのようにプロテクターが崩れて中からライダーフォームのプロテクターが姿を現す。ハイパーフォームのような強化変身ツールを使用した場合、その強化ツールを外したりすると必ず変化前の姿に戻る。これは強化変身ツール無くしてその形態を維持出来ないからである。当然、ハイパーフォームの機能を利用して使用しているパーフェクトゼクターもこの姿では満足に扱うことは出来ない。

 カブトはパーフェクトゼクターを宙に放り、その姿が掻き消えたことを確認すると腰――右のスラップスイッチの後ろのホルスターに吊られているカブトクナイガンを手に取る。まだ油断は出来ない。ここはまだ敵陣の真っ只中なのだ。



 工作隊は着々と作業を続け、作業も山場というところで敵は来た。対人用のバッタが次々と押し寄せてきたのだ。
 カブトは素早くクナイガンを向けて次々とバッタ達に粒子ビームを浴びせ続けるが、数が多く一向に減らない様に見える。センサーでは確実に数が減っていることを伝えているが、焼け石に水という有様である。

 『お待たせしました』

 謝罪と共に現れたハイパーゼクター(キット)は、すぐにカブトの左腰に取り付きカブトの操作を待たずに勝手にハイパーキャストオフを実行する。

 『チェンジ、ハイパービートル!』


 カブトがハイパーフォームへと変化し、改めてパーフェクトゼクターを呼び寄せガンモードで構えたところで、通信が飛び込んできた。

 「影護さん、大変です」

 「どうした?」

 「先程交戦した敵生体と思しき反応が、第二倉庫内にあります」

 「第二倉庫? あそこは非常用食料が備蓄されていたな」

 「はい。もしかすると、その食料を餌に繁殖を行っているのかもしれません」

 思いがけない報告にハイパーカブトは暫し悩んでから決断した。

 「俺が倉庫ごと連中を倒す。上にはあとで謝っておいてくれ」

 「え? ち、ちょっと影護さん。無茶ですよ。……って言うか報告書こっち持ちですか!?」

 「他に方法が無い。出口まで護衛するから早く済ませろ。報告書についてはまさしくその通りだ」

 狼狽する工作員の苦言を聞き流し、ハイパーカブトはパーフェクトゼクターのビームを次々とバッタ達に浴びせる。だがなかなか減らないバッタの数に業を煮やし、カブトはサソードゼクターを呼び寄せてパーフェクトゼクターと合体させる。そして紫色のフルスロットルスイッチを押し込み必殺技を発動させる。

 『サソードパワー! ハイパー、ウェーブ!』

 パーフェクトゼクターの銃口から広範囲に及ぶビームの渦がバッタたちを飲み込み、まとめて半数を撃破する。間髪いれずにもう一度ハイパーウェーブで残ったバッタたちを一気に全滅した。

 「はじめからこうすれば早かったな」

 余計な労力を使ったとばかりに肩を落とすハイパーカブト。

 『使い慣れない装備です。適切な運用が行えないのも無理は無いです。気を落とさずに』

 とキットが励ます。

 ハイパーカブトはそのまま工作隊を出口まで護衛した後、第二倉庫まで一人で赴いた。疲労は癒えていないが、外側から一撃で撃滅するのなら特に問題は無い。



 「ここだな」

 『ええ。報告通りワームと思しき生体反応が検出されました。監視カメラが破壊されているので、内部の状況がわかりません』

 「ずさんな管理だな。担当者は何をしている。こっちの方こそ始末書もんだぞ」

 『問い詰めるのは後回しです。とっとと吹き飛ばしてしまいましょう』

 キットはアスマに行動を促す。こうしてお喋りしている間にも、いつ連中が表に出てくるのか全くわからない。そうなる前に倒さなければ、市民に被害が出てからでは遅いのだ。

 「派手に行くぞ。ハイパークロックアップ」

 『ハイパークロックアップ!』

 ハイパーゼクターのスイッチを叩き、ハイパークロックアップを発動させる。しかし、ハイパーカブトは一向に加速や跳躍の様子を見せない。全身のボソンプレートから虹色の光を放ったままの姿で佇む。背中から一際大きな光を放ち、それはハイパーカブトの形も相まって光の中を飛び立とうと身構えているカブトムシを連想させる。ハイパーカブトはおもむろに右手のパーフェクトゼクターをガンモードにする。パーフェクトゼクターには、ザビー・ドレイク・サソードゼクターが合体している。

 『マキシマム……ライダー、パワー!』

 ハイパーゼクターのホーンを倒して、エネルギーの過剰供給を開始する。このエネルギーをライダーキックの強化に使用すればハイパーライダーキックになり、パーフェクトゼクターに使用することで、

 『カブト・ザビー・ドレイク・サソードパワー! オールゼクター、コンバイン!』

 パーフェクトモードと呼ばれる状態に移行する。パーフェクトゼクターにはザビー、ドレイク、サソードゼクターが全て合体した状態になっている。この状態では通常のエネルギー供給システムでは追いつかないほどエネルギーを消耗する代わりに人間サイズとは思えないほどの破壊力を得ることが出来る。その為にはハイパークロックアップを使用してボソンプレートを展開し、より強固で安定したジャンプフィールドを展開する必要がある。今回は必要が無いので加速を行っていないが、勿論加速した状態でも使用は可能だ。エネルギー供給の配分こそハイパーゼクターの仕事だが、エネルギーの放出量の調整や圧縮はパーフェクトゼクターとそれに合体したゼクターの役割である。

 ハイパーカブトはパーフェクトゼクターの銃口を第二倉庫に向けて構える。銃口からは徐々に光が溢れ出し、溢れんばかりのエネルギーがパーフェクトゼクターの中を暴れまわっていることが容易に想像出来るほどだ。そして、ハイパーカブトはトリガーを引き絞った。

 『マキシマム! ハイパー、サイクロン!』

 パーフェクトゼクターの銃口から機動兵器クラスのビームの本流がそれを覆うかのような竜巻状のビームと共に吐き出される。反動でハイパーカブトが大きく後退する。反動に備えて背中と腕のボソンプレートからエネルギーを噴出して推進力を得ていたにも拘らず、2mは後退した。真紅に染まったそのエネルギーは直立したエステバリスをも飲み込むほどに大きく、倉庫の分厚い壁をいとも容易く貫き、大量の荷電粒子とそれが引き起こすプラズマが内部に吹き荒れ、ハイパーカブトが射線をずらすのに従った倉庫そのものをあっという間に消滅させてしまった。エネルギーの本流が収まるのと同時に腕と背中のボソンプレートも噴射を停止する。

 『ハイパークロックオーバー!』

 電子音声と共にハイパーモードが終了してハイパーカブトはプレートを収納した通常モードに戻る。ハイパークロックアップは通常のクロックアップと異なり、起動から加速・ジャンプするまでの時間を任意で設定出来る。これだけ聞くとたいした事無いように聞こえるが、フェイントに使えるという利点がある。それに事前に起動しておけば突発の事態に対処しやすい。防御力を引き換えにするだけの価値はある。

 『敵生体の消滅を確認しました。もっとも、倉庫も全壊ですから、物理的被害は相当なものですが。放出されたエネルギーは倉庫の後方50m地点で減衰無力化しました。市街地その他建造物への被害なし。ただし、射程圏内の地面は幅・深さ6m程抉れています』

 「被害は甚大だな。ヤマサキの奴、もう少し調整の幅を広げてくれればいいものを」

 倉庫は文字通り消滅。射程圏内の物体は跡形も無く消失している。その断面はマグマでも通ったかのように真っ赤に灼熱していて生身では歩くことも出来ないだろう。ある意味原作再現とも言えなくないが、少々過剰出力である。この様子だと、もう1つの必殺技、マキシマムハイパータイフーンも似たようなものだろう。その気になればハイパーカブトの姿で戦艦の一隻くらい沈められそうだ。……この時は冗談半分だったのだが、後に本当に戦艦を――というか要塞1つ沈める切り札の1つになろうとは予想もしていなかった。

 『内部からなら可能ですが、時空歪曲場が無い場合に限定されますね。特に地球側はナデシコの技師が趣味で造った歪曲場でブロックを囲んで被害の拡大を抑えるディストーションブロックという技術が開発されますので、それがあると精々1ブロック吹き飛ばすのがやっとだと思います』

 アスマの思考を拾ったのか、キットがそう回答を告げる。

 『パーフェクトゼクターに限らずライダーの使用する武装の基本は荷電粒子ビーム兵器です。パーフェクトゼクターを代表として解説すると、刀身には粒子ビームを誘導して表面に留めるための加工とシステムの組み込みが施されています。ですから、接触した物体を荷電粒子の流れによってウォーターカッターのようにして切断します。ただし、荷電粒子を用いているため同じ削り切るだけでなくプラズマによる焼却も平行する事になります、ですから破壊力だけで言えば相当なものになります。ですが水中など粒子ビーム兵器が弱体化しやすい環境では威力が大きく低下しますのでご注意を。それに、可燃性の気体の充満した空間などではそもそも使えません。もっとも、気体が燃焼しても問題ない状況なら話は別ですが。

 ただし、通常使用や必殺技なら許容範囲内ですが、超必殺技はパーフェクトゼクターにかかる負担が極めて大きく一度の使用で過負荷を起こしてしまいます。ですから基本的に一発限りの切り札として考えてください。ゼクター各種にはナノマシン技術を応用した自己修復機能が採用されていますが、それでも再使用には3時間以上間を置く必要があります。これは装置の冷却だけでなく、過負荷により焼けてしまう粒子ビーム関連の装置の修復などに費やす時間も含まれています。一度しか使えないため事実上マキシマムハイパータイフーンと2択なので間違った選択は命取りです。また、一度超必殺技を使用すればメンテナンスが完了するまでパーフェクトゼクターそのものが使用出来なくなってしまうのでご注意を』

 キットはマキシマムハイパーサイクロンについてそう補足した。スーツ越しだからわかり辛いが、確かにパーフェクトゼクターはかなりの熱を持っている。銃口の部分は完全に焼けてしまっているし、合体しているゼクターも過負荷の影響かわずかな隙間から白煙を噴いている。確かに連続使用出来そうな状況ではない。

 「そうか。じゃあパーフェクトゼクターにはしばらく休んでもらうか。どちらにせよ、任務はこれで―――」

 完了だ、と続けようとした時異変が起こった。突然ハイパーゼクターが暴走を始めたのだ。目が出鱈目に点滅を初め、紫電を放ちながら振動を始める。

 「キット! どうした!」

 予想だにしない事態にアスマは軽いパニックに陥る。ボソンジャンプの事故など洒落にならない。何処に跳ばされるかわからないうえ、時間を跳躍してしまったら帰ってこれるかも全くわからなくなる。

 『わかりません! 制御が―――」

 アスマの意に反して左手がハイパーゼクターのスラップスイッチを押す。ハイパーゼクター側からカブトの制御されて運動を強要された。これでは肉体側がどんなに抵抗しても贖えない。スーツによるパワーアシストがそのままアスマの体を操っているのだから当然と言える。

 『ハイパークロックアップ!』

 困惑したままのアスマとキットを連れて、ハイパーゼクターは時間と空間を跳び越えた。後に残されたのはボソンの輝きとマキシマムハイパーサイクロンによって生じた被害だけだった。








 タカギ・ユリナは、主を無くしたナイト2200の“だったもの”にそっと指を這わせた。

 「ごめんね。私だけじゃ貴方を維持出来ないの……」

 悲しげに車体から取り外されて無残な姿を晒しているスキャナーを優しく撫でる。

 ナイト2200はある意味アスマ専用とでも言うべきスーパーカーである。ユリカの護衛のみならず多発する凶悪犯罪に対抗するために警察から依頼された特殊車両のテストロッドとして製作が決定したという経緯がある。外見や機能などは昔のドラマから拝借しているが、その性能の再現から得たノウハウは警察車両に取り入れられ、事件の検挙率の向上、事件の負傷者の応急処置などの適切化、ネットワークの効率化などが進み、車両の値段こそ跳ね上がったが、警察としての機能は強化されることとなった。しかし、テストロットとしての役目を終えたはずのナイト2200は、その後も民間からの協力と称して警察機関に関わり、アスマとキットのコンビの力もあり、関わった事件の大半は見事に解決している。

 だが、それはナイト2200の性能のみだけではなく扱う人間とその人間と息の合った制御コンピュータがあったからこその成果と言える。だからこそ、その両方が欠けてしまいただ高性能なだけの車両本体が残ったことに、警察組織が危機感を覚えたのは当然と言えた。

 「アスマもキットもいなくなって、もう扱える人がいないどころ、単なる危険分子になっちゃった……」

 そう、その後改良が続いた結果扱いが難しくなりもはや並の人間が使えるものではなくなっていた。新たな主を教育する意思はネルガルには無かった。警察もまた彼らだからこそ信頼していたため、扱う人間によっては最悪の犯罪道具になりかねないナイト2200を他の人間に渡すことを嫌がっていた。

 結局、両者合意の下ナイト2200は解体され、二度と再生出来ないよう重要な部品は予備を含めた全てが破棄された。開発主任だったユリナの元にスキャナーとボイスインジケータなど、ある意味キットを印象付けていた部品が残るのみである。

 「アスマ、キット。一体どこ行っちゃったのよ?……」

 ユリナは悲しげに、同時に愛しげにボイスインジケータを撫でる。

 彼らが消えてからすでに半年が過ぎている。何処にもそれらしいボソンアウト反応は出ていない。彼らの生存は絶望的となり、エリナがアカツキの残した言葉に従いネルガルの会長となり、ヒサゴプランの再構築の主導権を握り、かつて破壊されたコロニーの再建などに勤しんでいる。

 ユリナも変わらずネルガルで新技術や新製品の開発に携わっているが、やはり彼らが行方不明となってから生気を欠いているうえ、愛着のあるナイト2200が健在であるにも拘らず廃棄処分しなければならなかったことが、相当堪えてた。それはもう我が子のように可愛がり、無茶な扱いばっかりするアスマを折檻することも日常茶飯事であった。その日々が、今となっては懐かしくてたまらない。

 休日にも関わらず、家に篭ったままナイト2200の残骸と戯れているだけである。



 そうして何時も時間が過ぎていく。何時までもこうして残骸を愛でているわけにはいかないと自らに言い聞かせ、ユリナはのろのろとベッドから身を起こす。寝巻きから着替えるべく上着を脱いだところで異変が起こった。ベッドの横にボソンアウト特有の虹色の輝きが生まれたのだ。呆然とその光景を見つめていると空中に実体化した人影が床に落ちて転がる。

 『ハイパークロックオーバー!』

 意味のわからない電子音声が人影から発せられ、硬質な物体とフローリングの接触する音が寝室に響き、困惑した様子で人影が片膝をついた姿勢で身を起こす。その人影は異形だった。まるでカブトムシを思わせる角を生やしたマスクで顔を覆い、全身スーツに覆われ、主要箇所をプロテクターで覆った出で立ちだ。おまけに節足動物がいろいろとくっ付いた剣のような銃のような武器を右手に携えている。フローリングが傷ついてしまったことはまだ許せた。しかし、今の自分はパジャマを脱いだばかり、当然寝巻きの下にシャツやブラジャーは付けていない。つまり今現在上半身裸という状況にある。同性以外には見せたことの無い結構自慢のナイスバディを、侵入者にさらしているのだ。

 「きゃあああああああっ!!」

 絹を裂くような悲鳴を上げたのも当然と言えた。









 「すみません、いきなり目の前にゴキブリが落ちてきたもので……」

 悲鳴を聞きつけて駆けつけた隣人にそう説明しながらユリナは頭を下げた。
 隣人は気持ちはわかると同情し、同時にもう少し静かに驚いてくれと言って去っていった。

 「ほう。俺はゴキブリか。随分な言い様だな」

 ユリナの背後で呆れたようにアスマが言った。両方が赤く腫れ上がっているのは当然ユリナの報復によるものだ。自分が絶対的に悪い状況であったので、アスマはすぐさまライダーシステムを解除して素顔を晒し、自分とわかって驚愕するユリナの「それはそれ、これはこれ」との言い分を受けて大人しく叩かれたのだ。思ったよりも腰が入った良い一撃だった。まともに食らったから流石に意識を手放しそうになった。

 「虫型の強化服着てるんだから虫に例えるのは間違いじゃないでしょう。普段の服も黒尽くめなんだし」

 彼女は眉を吊り上げ皮肉を込めてそう言い返す。今の今まで連絡を寄越さなかった上に自分の裸を見るとは許し難い。返答次第ではさらなる報復活動に及ぶだろうということは、流石に理解出来た。アスマとしてはもう正直に話す以外に術が無かった。

 「こっちとしても不可抗力だ。女性の寝室に無許可で侵入するほど落ちぶれちゃいない。が、裸を見てしまったことは謝罪する。本当に済まなかった。
 ――それはともかく、お前は俺のことを知っているのか?」

 その言葉を聞いてユリナの顔が憤慨から驚愕へと変わる。

 「――私のこと、忘れたの?」

 「忘れたも何も、初対面だ」

 「―――嘘、記憶喪失?」

 この3年、ずっと組んできたチームの一員である自分のことがわからないとは。記憶喪失でもない限り説明がつかない。

 「やっぱり火星でのボソンジャンプ事故が原因なの? キットは、アルフォンスはどうしたの!?」

 思わず声を荒らげてしまう。アスマがこの調子ではキットやアルフォンスがどうなっているか全く予想がつかない。

 「両方とも健在だ。キットなら目の前にいる。よく見てみろ」

 そう言ってハイパーゼクターをユリナの眼前で揺らしてみせる。

 『ユリナ、また会えるとは思っていませんでした』

 キットが照れ臭そうに言う。ユリナは眼前で目(と思われる)を輝かせている銀色のカブトムシ型ツールを凝視し、驚きの声を上げた。

 「き、キット!?」

 『はい。その、火星の戦いで一度破壊されてしまいまして、この高性能ボソンジャンプ制御装置、ハイパーゼクターに移植されたおかげで生き残ることが出来ました』

 「は、破壊……い、移植……」

 ユリナはショッキングな現実を告げられてノックアウト寸前だった。そりゃあもうナイト2200同様、否それ以上に可愛がっていたキットの訃報(としか彼女は思えない)を立て続けに告げられては平静ではいられない。

 「まあそうらしい。問題なく稼動しているしいたって元気そうだから問題はないだろう。それよりも、ここはキットが生まれた世界ということで間違いは無いんだな」

 アスマはユリナの様子を全く意に介さず情報収集に努める。同情はするが過ぎてしまったことを何時までも思い悩んでくよくよするのはアスマのスタンスではない。どう否定しようと目の前にあることが事実であり現実である。逃避などしている暇があるのならとりあえず情報を寄越してからにしろというのが彼の本音である。少なくともいきなり見知らぬ場所に放り出されて彼なりに困惑し、焦っているのだ。


 「ま、間違いないわ。たぶん、そのハイパーゼクターとかいう機械のログにこの世界の空間座標みたいなデータが残ってたんじゃないかしら? ボソンジャンプの制御装置なんでしょ? それがこの世界から飛び出したときのジャンプデータをログとして残しているのなら、それを辿る形で戻ることは出来なくもないし。ボソンジャンプの制御自体がまだ未解明な部分が多いことを考えると、それくらいしか推測出来ないんだけど」

 「それだけわかれば上等だ。今度は逆のことをすれば帰れる、ということだ」

 ユリナの推測から情報を整理したアスマがそう結論付ける。ユリナもそれはあながち間違いとは思わなかった。

 「でもどうやってログを探すつもり? それに、暴走にしてはいやに正確に現れた気がしないでもないんだけど」

 「ハイパーゼクターがこの世界で俺に何かをさせたいのかもしれない。ハイパーゼクターにも意思らしきものがあり、それがボソンジャンプという形で現れただけかもしれない。
 そして、ジャンプアウト後の状況から1つ推測できる事がある」

 アスマは一旦そこで言葉を区切り、ユリナに目で問うた。わかるか、と。

 「何よ」

 混乱のせいか頭がいまいち回らないユリナはアスマに話の続きを促す。アスマはユリナの心情を酌んだのか特に何も言わず推測を述べる。

 「お前を俺達の世界に連れて来い、もしくはキットのボディの1つ、ナイト2200を持って来いということかもしれない。もしくは両方だ。お前の家の、眼前にジャンプアウトしたということはハイパーゼクターがお前が俺のすべきことに関与している可能性が高い。そして、ストレリチア――すなわちG計画の流れを汲む機体を設計開発に関わった人物でキットと俺との関わりが深いのはお前だけだ。つまり、信頼出来る仲間を増やさせる目的で跳躍した可能性が高い」

 「……よくもまあこれっぽちの情報でそこまで結論付けられるわねえ」

 呆れたようにいうユリナにアスマは、

 「ハイパーゼクターに意思があると、俺は今回の一件で確信した。それを考えると暴走というよりは連行というのが今回のジャンプに対して正しい言葉だろう。それにナイト2200だけが目的ならそちらに直に飛ばすほうが早い」

 と言った。相変わらず機械に関しては理解が深いというか尊重している言い草だが、その言葉の後半に対して、

 「それは無理よ」

 と彼女は言った。知らないのは無理ないが、よくよく考えればコイツが行方不明なぞにならなければナイト2200は解体を免れていたのだ。そう考えると沸々と怒りがこみ上げてきて、声に棘が混じる。

 「解体されたの。貴方がいなくなって、万が一にも悪用されたら困る、っていう警察の言い分に従って。部品の殆どは破棄されて、現存しているのは私がお情けで所有させてもらっているスキャナーとボイスインジケータの残骸だけよ」

 そう言ってユリナはベッドの上に放り出されたままの部品を指差す。確かにこれだけ見れば惨めな残骸に過ぎず、哀愁を漂わせる姿と言えなくも無い。

 「それはどうかな。あのネルガル重工がはいそうですかと素直に従うものかよ」

 アスマはおもむろに立ち上がり、ぐっと背中を反らしてから言った。

 「ネルガルに行くぞ。本社ビルだ。トップに会いに行く」









 行動は早かった。ユリナが言い返す間もなく強引に案内させられた。地理がわからないからとはアスマの言い分だが、それにしては足取りは軽く、殆ど道にも迷わなかった。本人が意識していなくても、消滅した自分が残した情報が少なからず影響を与えているのだろう。
 だが、アスマは表面的な態度と異なりかなり深刻に事態を考えていた。これで自分たちは間違いなく“イレギュラー”と化した。なのに、何故こうもすんなりと事態が進行するのだ。歴史の修正力というものが実在するというのなら、その力に呑まれて消滅なり行動の阻害なりがあってもおかしくないと言うのに。草壁春樹ら“イレギュラー”が出現した時から密かに考えていたことだった。もしも歴史というものが大きい視点から見れば固定されたものだと言うのなら、人間が何をしても無駄と言うことになる。しかし、草壁も言っていたように第三者の干渉により歴史が変化すると言うのなら、歴史の修正力というのは一体どういうことなのだろうか。いや、そもそも歴史とは一体何なのだ。予め定まっているものだというのだろうか。確かに世の中には星の誕生から終末なでの歴史が記載された“アカシックレコード”なる概念が存在するが、実在を確かめられたわけではないし、そもそも何時誰が定めたものだと言うのか。そして、それは本当に不変なのか。確かめなければ。例え不完全なデータであっても構わない。自分なりの結論を導き出すためには何かしら情報が必要だ。とすれば、頼れるのはボソンジャンプの制御装置であり遺跡演算ユニットに――時間と空間の概念を持たないあの装置に直接アクセス可能なハイパーゼクターとそれに移植されたキット以外に無い。アスマは小声でキットに指示を出した。

 「キット、この時間の流れを追え。現在過去未来、俺達の出現で何かおかしなことが起こっていないか、確かめるんだ。俺たちはこの世界の住人ではない。検証目的の大雑把な情報のみならハイパーゼクター――いや演算ユニットも教えてくれるかもしれない」

 『了解、出来るだけやってみます』

 キットも小声で返答し、ユリナに聞こえないように注意を払う。もっとも彼女は彼女でアスマ登場に連なる一連の出来事への不満や厄介ごとに巻き込まれたことに対する怒りなどで、理不尽な運命をのろうのに忙しかったらしく、こちらへの注意が疎かになっていたので気づかれずにすんだ。



 徒歩と公共機関を乗り継いで1時間ほどかけて目的地に到着した。事前にユリナがエリナに連絡を取っていたから良いものの、普通なら門前払いである。もっとも、この男ならキットの情報を元に忍び込むくらいやってのけそうな気がしたが(セキュリティ情報は知っている上にマスクドライダーシステムなどという最強のパワードスーツを保有しているのだ)。後で気になって尋ねたところ、彼は平然と答えたという。「障害は実力で取り除く」と。ユリナは自分の知っているアスマとの違いに大いに嘆き、同時に結構過激派なこのアスマに対する恐れを抱かずにはいられなかった。下手をすれば、彼の牙が自分にも襲い掛からないとは、断言出来なかったからである。






 「まさか、また顔を見ることが出来るとは思わなかったわ」

 エリナが憮然とした表情で言った。だが、それも表面だけのことで内心ではそれなりに喜んでいた。何しろ想いを寄せていたアキトの弟であり、ネルガルに対してもそれなりの黒字を残してくれた人物だ(主に特殊車両の開発と産業スパイの排斥である)。特に市民層への影響力は強く、彼とキットの活躍が無ければネルガルに対するマイナスイメージをこんなに早く弱めることは出来なかっただろう。

 「俺に言わせれば初対面だがな。――ああ、一応報告しておくと、アカツキ・ナガレも俺の生まれた世界に漂着して元気でやってるらしい。これで心配事は片付いたか?」

 「ええ。これで貴方達の安否を気にする必要はなくなったわね。報告ありがとう。これで安心して眠れるわ、ナデシコの皆もね」

 「そうか、実に喜ばしいことだ」

 あくまで冷静に、一切の敬意を抜きにした口調と表情で話を合わせるアスマの態度にユリナは内心冷や汗が止まらなかった。相手は大企業の会長である。少しくらい敬意ってものを払えないのか、と。

 「にしても不躾な態度ね。礼儀を習わなかったのかしら?」

 とあからさまな皮肉を言うエリナの言葉を受け、アスマは少し驚いた態度を見せた。

 「おや、旧知の間柄と言うので砕けてみたんだが、気分を害したのなら謝る」

 と言い返した。これだから知人・友人に「面の皮が厚い」と言われるのだが、本人は気にも留めていない。

 「全く。確かに普段は砕けていたけど、貴方さっき初対面って言ってなかったかしら?」

 エリナは苦笑しながらそう言った。確かに肩肘張るよりもやり易くて良いのだが、一応社会的地位を鑑みてくれても良いのではないだろうか。これでもこの椅子に座るのには、大分苦労を重ねたのだ。まあ、最後は相手から譲られた感が強いのは否めないが、それでも任されたなりに勤めていこうと考えるのは悪いことではない。

 「すまないな。大企業のお偉いさんと話したことが無くてな。それに、周りの偉人は全てフレンドリーなんで、つい癖が出た」

 当のエリナが気にしていないのなら自分が気に病んでも仕方が無いだろうが、もう少しどうにかならないのか。ユリナはこの会合をセッティングしただけあって、給料査定どころか首が皮一枚で繋がっている感覚に捕らわれて、冷や汗を増加させていた。

 「では改めていこう。――ネルガル重工会長エリナ・キンジョウ・ウォン、折り入ってお願いしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」

 畏まった態度切り出したアスマに首を傾げながらエリナは問うた。

 「何よ、言ってくれないと判断出来ないわよ」

 「彼女を……ネルガル重工技術開発部、元ナイト・インダストリー、ナイト2200整備主任タカギ・ユリナ嬢の身柄を引き渡して頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 コーヒーを口に運んでいたエリナは思わず噴き出しかけた。一体この男は何を考えているのか。彼女は我が社の貴重な戦力であり、容易に手放せる存在ではない。ましてやこっちは雇い主であって保護者でもなければ親族とも無関係だ。にも拘らず“一企業の会長に身柄を求める”とは、どういう神経をしているのだろうか。

 「…………一体何が起きたらそんな言葉が出てくるのよ」

 口端を引きつらせ、呆れたというよりは呆気にとられた表情で問い返す。返答次第では精神科医に送りつけて精密検査でもして貰おうと真剣に考えた。

 「彼女の知識と技術力を欲しています。我が方は優秀な人材が1人でも欲しいのです。来るべき決戦に備えて。特にストレリチアの量産機と言うのには大変興味が惹かれます」

 その言葉を聞いてエリナの目がすっと細められた。

 「誰から聞いたの?」

 問いはそれだけだったが、アスマにはそれが何を尋ねているのかすぐにわかった。キットからの入れ知恵である。



 元々ストレリチアは決してワンオフの高性能機ではない。正式には“相転移エンジン搭載型人型機動兵器の先行試作機”である。
 連合宇宙軍のミスマル・コウイチロウ総司令の要望で開発が進められている相転移エンジンを搭載した量産機の先行試作機を改造したものがストレリチアの本当の姿である。相転移エンジン搭載型のエステバリスは月面フレームがあるが、あれは承知の様にエステバリスとは名ばかりの大型機で、近接戦闘不可能で機動性も犠牲にし、単体で稼動出来ることと当時搭載機がほとんどなかったレールガンを搭載していたこと以外取り分け特徴のない機体であったうえ、月面や無重力空間の低重力下での運用しか想定していないため少数量産に留まった不遇のフレームである。

 そして、アルストロメリアやステルンクーゲルといった機体も将来的には搭載を予定していたが、現行技術ではとても6m前後の機動兵器に内蔵出来る大きさの相転移エンジンを開発出来なかった。そこで、ネルガルが考えた――正確にはキットのアニメ観賞に付き合っていたユリナのアイデアだが――のが相転移エンジンを独立した機動ユニットにして本体と独立させることであった。そうすることでエステバリスのような小型機であっても内部スペースを有効に活用した機能を盛り込みつつ相転移エンジンを搭載し、かつそれに伴う大出力火器の使用が可能になるというメリットが生まれた。月面フレームと違い相転移エンジン・ユニットが武装兼推進ユニットを兼ねているためデッドウェイトになる時には切り離して近接戦闘に対応させることも可能であり、結果コウイチロウもGOサインを出して開発が進められることになった。

 そして本体となる新型アルストロメリアと相転移エンジン内臓の支援戦闘機Gファルコン(構想の元となった名称をそのまま拝借した)が完成し、テストでも良好な結果を出したため量産に耐えうるコストとスペックを維持した開発計画が目下進行中なのである。先行試作量産機であるストレリチアはその後改造されて現在の姿となり、同時にハイパーゼクター(当時のハイパージャンパー)の力によってハイパーフォームへと進化することになった。



 「勿論キットから教わりました。当方はタカギ・ユリナの身柄とストレリチア量産型に使用される予定の技術をこちらに提供していただきたい。代わりに当方はヤマサキ・ヨシオ博士の最高傑作、ボソンジャンプ制御装置にして唯一遺跡演算ユニットへの直通回線を保有するハイパーゼクターに関連する技術の全てを提供いたしましょう」

 『良いんですか、勝手なことをして?』

 今まで沈黙を守っていたキットが堪らず口を挟む。仮にも火星の後継者の最高機密だ。容易に知らせて良いものではない。

 「ハイパーゼクターは俺が個人的に所有しているものだ。これは先日ヤマサキに確認を取った。だからハイパーゼクターをどう扱おうと木連の管轄外だ。全ては俺の裁量に委ねられている。だから問題ない」

 キットが相手なので丁寧(に装った)口調を戻してアスマ言い切った。嘘ではないのだがそれでも最高機密を簡単に手放す神経は流石のキットでも理解しかねる様子。エリナはアスマの発言にしばし黙考し、

 「良いわ。その条件で身柄とデータを引き渡しましょう。ボソンジャンプ関連の技術なら悪い取引ではなさそうね。それに、あのキットを完全に納めてかつ今もなお記憶データを収め続けるその容量、興味があるわ」

 と快諾した。大企業の会長とは思えない羽振りの良さである。

 「よし。そうと決まれば話は早い。早速ハイパーゼクターのデータ出力を始めよう」

 とこちらも勝手に話を進めている。完璧にユリナの事をシカトしている。

 「私の意見を聞いては……ああそう、無視なのね」

 恐る恐るといった様子で声をかけようとするユリナだが、すでに交渉は成立しそれに関して話を進めている2人は全く意に介さない。本当に身勝手な上司と元・同僚に対してそれこそ人でも殺せそうな視線を向けて見るが、やはり気にも留めてもらえなかった。

 『ユリナ、また一緒にいられて嬉しいです』

 とキットだけが自分に意識を向けてくれるが、どこかずれている。というより彼もユリナの意見を完全無視で連行することに賛成なのだろう。
 求められている内が華というが、少しくらいは自分の意見を尊重してもらいたいところである。

 「私の人生って、結局他人に流されて終わるの?……」

 疲れたように口から紡がれた言葉は、誰の耳にも入らず溶けて消えた。









 その後アスマとエリナの話し合いは進み、最寄の研究所でハイパーゼクターのデータを出力し、内部構造を知りたがった研究者のためにスキャン画像を撮影した。流石に分解だけは避けた。ブラックボックスの多いハイパーゼクターを容易に解体すべきではないというアスマの弁は研究者も同意していた。ハイパーゼクターの内臓データの中には自己修復のためか構造データがかなり正確に記されていただけでなく、ライダーシステムやストレリチア・ハイパーフォームのデータすらも含まれていたためネルガルとしても相当な利益だった。

 そしてエリナに連れられてアスマとユリナはウリバタケの元を訪れた。

 道中アスマはエリナに理由を尋ねたが、エリナは「行けばわかる」とだけしか答えなかった。アスマも特に逆らわなかったし、ユリナは自分の意思を完全に無視して進められた交渉に未だ文句を垂れている。極めて当然な反応だろう。

 3人を乗せた車はウリバタケの自宅兼用作業場の前で止まった。エリナが率先してチャイムを鳴らすと、程無くウリバタケ・セイヤが姿を現した。

 「よう、待ってたぞ。こっちだこっち」

 と挨拶もそこそこに作業場のシャッターを上げた。中にはシートを被せられた大きな物体が鎮座していた。形から見て、車のようだ。

 「まさか……!」

 ユリナが慌てて駆け寄ろうとするが、エリナに制止される。

 「待ちなさい。急いては駄目よ。物事はどっしり構えて受け止めなきゃ」

 以前からでは想像も出来ない言葉でユリナを押し止める。

 「手間かけさせて悪いな。アスマ、こいつが俺に出来るせめてもの手向けだ。有効に活用してくれ」

 ウリバタケはアスマを目にしても特に大げさな反応を見せることなくシートに手をかけると。一気に剥ぎ取った。
 シートの下から現れたのは黒い滑らかな曲線を持つボディの車。フロントノーズ部分に埋め込まれた赤いスキャナーパーツ。細部に違いは見受けられるが紛れも無く、ナイト2200だ。

 「ネルガルが解体処分する際にエリナさんの手回しで俺が部品を全部引き取って組み直してたんだ。まあ、そっくりそのままじゃ万が一見つかった時に言い訳し難いから細部を弄ってオリジナルのナイト2000に戻してある。名前もまあナイト2000にしておいてくれや。1人でこいつを組むのはまあ骨が折れたがな。結構楽しかったよ」

 語りながらナイト2000のボンネットをポンポンと叩き、嬉しそうな笑みを浮かべる。ウリバタケにしても自身が手掛けた作品を壊れたわけでもないのに処分するのには反対だったらしく、結構乗り気で組み上げた。こうして改めて見て見ると見事な出来栄えだ。一度解体されてしまったとは思えないその仕上がりに、アスマはこの男の機械への愛情と言うものを感じずにはいられなかった。

 「ウリバタケさん、ありがとうございます」

 だからこそアスマは心から礼を言い、深々と頭を下げた。

 『まさか、またこの体に戻れる日が来るとは思いませんでした』

 キットも驚いたように言葉を発する。

 「話は聞いてたからな、ハイパーゼクターを接続出来るようにメイン回路にコネクターを追加しておいた。ダッシュボードの下にボックスがある。その中だ」

 アスマはナイト2000の輪郭をなぞる様に指を這わせ、運転席のドアを開ける。一度解体処分されたとは思えない滑らかな動作だった。
 運転席に身を沈めると一度も乗ったことのないはずなのに懐かしさがこみ上げてくる。これは、やはり消滅した自分の記憶の影響なのだろうか。
 ウリバタケの言葉に従ってダッシュボード下のボックスを開き、中にハイパーゼクターを接続する。

 『やっぱりこのボディが一番しっくり来ますね。長いことこの体でしたからね』

 ハンドル上のボイスインジケータが上下に伸びるように発光し、嬉しそうなキットの声が車内に響く。

 「何で、どうして――」

 ユリナの呆然した声に答えたのはエリナだった。

 「ナイト2200の解体には同意したけど、もし帰って来た時に車が無いと色々不便だろうと思ってね。それで、ウリバタケさんに密かに部品を横流しして組み上げてもらったのよ。予備パーツも含めて一台分確保するのがやっとだったけど、何とかなったわ」

 エリナは悪戯が成功した子供のように笑っている。彼女としてもネルガルの傑作と言えるナイト2200――否、ナイト2000を簡単に潰してしまうのが憚れたのだろう。

 「それじゃあエリナ、俺達はこのまま行くよ。色々と迷惑かけたな。……ありがとう」

 「いいのよ。これでネルガル重工としては恩を返したと見て良いのよね?」

 握手を求めたアスマの手を握り、エリナは名残惜しそうに離す。アスマは大きく頷きエリナの言葉を肯定する。他の自分がやったこととは言え、感謝されるのは心地が良い。それにこの世界のアスマの功績を鑑みれば、ナイト2000は報酬として非常に適切なものであると考える。

 「元気でね。それと、今度こそ奥さんと幸せな家庭を築いてね。……これは、アキト君にも伝えておいて」

 「わかったよ。エリナ、アキトとユリカのことは俺に任せろ。必ず支える。例え名は違っていても、あの2人は俺の家族だ。何があっても見捨てはしない」

 アスマは力強く答えると、ユリナを促してナイト2000の車内に納まった。

 「全く。結局人の意見なんて完全に無視なんだから」

 「この場合お前の意見は関係ない。大体本気で逆らわなかったくせに何時までもグダグダ言っているんじゃない。うるさいから少し黙ってろ」

 「酷〜い! 仮にも元パートナーに対する言葉! それ!」

 傷ついた表情で文句を声高らかにぶつけて来るユリナに対して、

 「俺の知ったことじゃない。何度も言わせるな、俺からすれば初対面だ。それに、子供の成長を見守るのが母親の務めだろう?」

 と冷静に切り返す。

 「うっ……痛いところを」

 ユリナが本気で反対しなかったのはキットとストレリチアという自分が手塩にかけて育てた子供達の行く末を見守りたいという考えがあったからに他ならない。こっちでもストレリチアの運用データを基にした量産機が開発中だが、あまり乗っていないかったのも事実。だが、向こうにはキットとストレリチアがいる。試験機であるストレリチアではこれから先の戦いも不安だろうし何より部品の確保が難しく補給が滞ること間違いない。それなら補給が容易でかつ信頼性の高くなる正式量産機を開発してそれをハイパーフォームにすればいい。ハイパーゼクターのデータ出力の時、ハイパーフォームの可能性を逸早く見抜いたのはユリナだった。

 彼女に言わせれば、変化する機体が必要条件(変化前のデータがハイパーゼクターに入力されている。質量が足りている。相転移エンジンを装備している)さえ満たしていればどんな機体でも変化は可能というのだ。

 ならば、ハイパーフォームを想定していないストレリチアで強引に戦い続けるよりも、始めからハイパーフォームを想定したユニット配置をしている機体を変化させる方が遥かに信頼性が高くなりかつ耐久力が向上する。いや、生産ラインが確立しているのならむしろハイパーフォームの状態で機体を製造することが出来れば、信頼性の面では比較出来ないほど向上が見込めるだろう。

 そして、それを開発するにはハイパーフォームの基となった完成型G兵器のデータを作った学者の協力が不可欠である。元々ユリナが設計していたデータとヤマサキを始め火星の後継者のメンバーが設計したデータの合作がハイパーフォームである以上、どちらが欠けても完成は無い。

 「それより私はこのまま向こうに行って大丈夫なわけ? 嫌よ、皆より年も年取ったままなんて」

 「キットが何とかしてくれる」

 『ええ、ログをそのまま利用しますから、向こうに貴方の肉体があるのならそこに精神――いわば肉体以外の個人情報を上書きする形になりますから問題ありません。アスマの場合は向こうの肉体がここにあるわけですから問題ありません。ですが、それが自分自身を殺すことであることは理解して下さい。だから――』

 「簡単に死ぬなって言うんでしょ? わかってるわよ、そんなこと」

 ユリナは憮然とした表情でそう答えると、窓の外で見送ってくれるウリバタケとエリナに対してさよならと手を振った。2人は笑顔でそれに答え、静かに言った。「いってらっしゃい」と。

 「キット、頼む」

 アスマは静かに指示を出した。

 『ハイパークロックアップ!』

 キットの返事はそれだった。そして、彼らは自分達がいるべき、そして求められている世界へと旅立っていった。同時に、アスマはキットからもたらされた情報と、自分の推測から1つの答えを導き出すことに成功した。









 アスマ行方不明の報を聞いた北斗は草壁の元にいた。彼だけではなく事情を知る舞歌とヤマサキ、ついでに連れてこられて事情を聞かされた克也の姿もあった。

 「キットがついているのだ、ボソンジャンプで死ぬことは無いだろうが、ハイパーゼクターが暴走するとはな……」

 苦々しく言葉を吐く草壁の心情はこの場にいる全員に当てはまった。特に最高傑作と豪語していたヤマサキは気が気でなかった。

 「ハイパーゼクターの、キットとは異なる制御AIもアスマ君のことを主と認めています。彼が危険にさらされる様な跳躍は行わないと思いますが、かと言ってどのような目的で行動したのかまではわかりません。一応ユリカさんにも連絡を取ってハイパーゼクターの2号機で行方を追ってもらっていますが、基本的に独立したデバイスですし何より空間を跳び越えられてしまったとしたら追跡の手段は演算ユニットの直接解析しかありません。どちらにせよしばらくは身動き出来ませんよ」

 ヤマサキは珍しく焦っていた。こんな感覚は初めてだ。このヤマサキ・ヨシオが人1人――いや2人居なくなった程度でここまでうろたえる事になるとは思いもしなかった。すぐ近くで沈痛な面持ちで舞歌に縋っている北斗の姿の痛々しさ、とても見ていられなかった。親しい人間を失う喪失感と言うものを味わうのは初めてだった。親しい人間、と考えてヤマサキは愕然とした。人道的だとか、友情とか愛情とか言う常識や執着を馬鹿らしいとか、無駄なものと言い切っていた自分が行方不明になった人間を案じているだと。ヤマサキは愕然としながら当たり前のようにそれを受け止めた。

 そうか、自分にも人間らしいところが残っていたのだな、と。ヤマサキにとって初めてのこの感覚は決して不愉快ではなかった。何故かこの焦燥感さえも心地良く感じる。自分にもここまで心配出来る“友人”が出来たということが、単純に嬉しかった。同時に、もっとこの喜びを得たいと、友人が欲しいと願っている自分が居る。
 ヤマサキは自分の過去を振り返って、少しだけ心が痛んだ。嗚呼、今までモルモットにしてきた人間達も、半分くらいは至って平凡な人生を送っていた、出会い方さえ違っていたのなら友達になれた者もたくさん居たはずだ。それを奪ってきたのは間違いなく自分だ。

 やってしまったことはもう正せない。それが人生というものだ。だったら、今度はもう少し考えてみよう。道徳やら感傷やらを持ち出してしまえばきっと今まで通りの実験なんて出来なくなる。だけど、それはそれで面白いかもしれない。今までは実験目的が目的だけに人を“壊してきた”。だから、今度は“直して”みよう。例えばあのテンカワ・アキトみたいな重症な人間も健常者に戻せるくらい凄い方法を考え出してみせる。
 それだけじゃない、仮に今まで通りの実験をするにしても、今度は被験者が死なない様に今まで以上に注意してやってみよう。制約は多い。だから自由に実験は出来ない。だけど、その制約の中で求めるものを創り出すというのも、ストレスが溜まるかもしれないがそれはそれで面白いかもしれない。思うようにいかなくても良いじゃないか。きっとそれが人生ってもんだろう。だから、彼が帰ってきたらイの一番にそう宣言してみよう。

 今度はまっとうな科学者として、歴史に名の刻む成果を上げてみせると。

 「……アスマ。キット。――無事だと良いけど」

 自らの体を抱きしめて、指が白くなり二の腕に食い込むほどに握り締めている手を、舞歌が優しく開いて柔らかく抱きしめて慰める。克也も草壁の隣で現在までに判明している状況を必死に集めていた。北辰が独自の情報網を使って駆けずり回ってくれているのだ。

 全員がアスマの帰還を待ち望んでいた。計画に必要不可欠な人材であることも勿論だが、ここにいる人間は全て、それぞれの理由でアスマと仲の良い者だらけだ。自然と空気が重く張り詰めていく。



 そして、何の成果も出ないまま2時間が経過した。異変はすぐに知覚された。たまたまヤマサキが持っていたボース粒子の検出機器が反応を始めたのだ。丁度対面の壁の向こう側だ。誰もが壁を注視する中それは突然訪れた。

 轟音と共にナイト2000が壁を突き破って草壁の執務室に飛び込んでくる。B級映画張りの派手な登場の仕方であった。

 その場にいた全員が壁の破片と埃から身を守るべく縮こまった姿勢で唖然と自分達を見つめているのを感じながら、アスマは運転席から降りた。助手席にいたはずのユリナの姿はすでに無い。後は彼女の自宅を訪ねればジャンプの成否がわかるだろう。まずは言うべきことがある。

 「すまない。心配かけた」

 アスマはそう言ってその場にいた全員に向かって頭を下げた。



 その後は大変だった。突然の帰還に驚いた草壁らに小突き回された挙句、妻の北斗には泣き付かれて宥めるのに一苦労だった。だが、心配をかけてしまったのは事実なので、アスマは優しく頭を撫でてやったり優しい言葉をかけたりして精一杯宥めた。傍から見れば“バカップル”以外の何ものでもない光景であり、彼女いない暦更新中の克也はざめざめと涙を流して嫉妬していた。

 ようやく落ち着いた北斗を抱きしめながらアスマは草壁に事の次第を報告し、ユリナに連絡を取り本人と確認次第この場に連れてくるように頼んだ。草壁は快諾し、すぐさま北辰に連絡を取りユリナの確認と連行を頼んだ。

 彼女は無事にこの世界に到着し、北辰に連れられてヤマサキのラボを訪れた。草壁の執務室はナイト2000の突撃で崩壊してしまったため、臨時の作戦本部として選ばれたのである。ナイト2000の移動はボソンジャンプで行うか否かで議論が発生したが、これ以上被害を広げて修繕費を増すよりはマシという判断でボソンジャンプによる移動が選択され、研究所の一角に置かれることになった。

 「春樹、俺は今回の一件で考えを改めたよ」

 アスマの一言に草壁は不安そうな顔をした。アスマが戦線離脱を決意したと勘違いしたのだ。

 「春樹はイレギュラーの介入で人類滅亡へのカウントダウンが始まった、そう言ったな」

 「ああ。そうだ」

 「ハイパーゼクターの一件は、それを考え直させてくれたよ。きっとこの世界は放っておいても破滅への道を進んでいたはずだ。アキト達がこの世界に流れ着いたのは偶然であり、そこから分岐したこの世界に春樹達が来たのは寧ろ“必然”なんだ。後は俺達の行動次第で人類の存続が決まる。そこから先のことは流石に知ろうとはしなかったが、間違いない。イレギュラーの影響でこの世界の苦難が始まるのではない」

 「どういうことだ? わかりやすく頼む」

 草壁は真剣な眼差しで先を促した。アスマは頷いて続きを話す。

 「ハイパーゼクターとキットのおかげでわかったんだが、ボソンジャンプで過去や未来に干渉した場合、その存在――即ち逆行者や帰還者とでも言うべき存在が存在するという世界に分岐するということだ。わかりやすく言うと、イレギュラーがその世界に現れた瞬間、そのイレギュラーを内包した歴史が生まれ、それに伴って世界が分岐し、イレギュラーではなくなるということだ。詳しい理屈は俺にもわからないが、言うなれば“未来から来たという俺達存在する”世界にに干渉して変えてしまった場合、“未来から来たと言っている俺達が存在する”っていうやつだ」

 「何故だ。お前が戻った先でやったことと言えばハイパーゼクターの情報と交換にユリナ君とナイト2000を得たくらいだろう? 何故それでわかる」

 「始めから疑問に思っていた。何故イレギュラーが1つや2つ紛れたくらいで人類が滅亡するという未来になってしまうのか。それが人類同士の抗争の果ての結果ならイレギュラーが人類同士の抗争を促したりその気が無くても結果的に助長してしまったと言うことで決着が付く。そこに疑問は生まれなかった。だが、今回の滅びの原因は“異星人の侵略”だろ? 地球人のイレギュラーが紛れ込んだくらいで何故異星人が攻めてくる。こちら側からコンタクトを取った結果、何か相手の不評を買ったり、もしくは地球を侵略対象として価値あるものだと判断して攻めてくるというのなら、だいぶ苦しいがまだ納得出来なくも無い。

 しかし今回紛れ込んだイレギュラーは個人的な幸せの追求には興味があっても宇宙旅行やら異星人とのコンタクトには興味の無い連中ばかり。こんな連中が紛れ込んだくらいでどうして世界が滅ぶのか、理解に苦しんださ」

 「それで結局のところ、初めからこの世界は滅ぶ運命にあったって言う結論に達したわけ?」

 黙って聞いていたヤマサキが始めて口を挟んできた。彼としても興味深い話題には違いないし、自分が直接的には人の生死に関わらないため気が楽だった。早々に挫折を経験しなくて済んだのは吉だった上、異星人の侵攻に伴う戦いの激化を鑑みれば、丁度思いついたばかりの医療の発展という題材は適切だったと言わざるを得ず、少し自分の頭の回転の良さに自画自賛していたところだった。出来る事なら早いところ実用化して賞賛の声を浴びたくてうずうずしているのだが。

 「ああ。そこで考えたのがパラレルワールドの存在だ。もしも歴史が固定だと言うのならそもそもパラレルワールドの定義が根底から崩れる。パラレルワールドは平行世界の名の通り、今いるこの世界とは少し異なるだけの似て非なる世界と言うのが一般的な定義であり、認識だ。
 そして、このパラレルワールドに良く使われる言葉として歴史というものがある。そもそも歴史というのは人間が自分達の築き上げてきた文明などを年号と言うもので記した日記みたいなものだ。だとすれば、人間側の行動によってそれが左右されるのはわかるんだが、正直な話人1人や数人でこの歴史が大きく動くかと言うと、相当影響力が強い人間で無いと無理だ。が、アキトという人間はそもそも自分が人並みに幸せなら文句無く、ホシノ・ルリという少女も過去のトラウマからアキトの幸せを優先している節がある。とすれば、木連との和平を自分達の歴史よりも良い条件で、双方共に納得したものにするために暗躍するというのならやりかねないが、やっぱり人間の歴史に少しだけ干渉するに留まる。これで異星人問題にまで発展するとは到底思えない。

 だから俺は異星人襲来というのはこの世界の視点で見れば、おそらくテンカワ・アキトらが出現した辺りですでに定まっていたことであり、ネガティブな思考に捕らわれていた春樹の誤解と被害妄想という結論に至った。
 実際異星人の侵略が始まるのが大体5年以内、だが仮にも広大な宇宙空間を舞台とした抗争となれば、補給線や前線基地の存在の有用性は論じるまでもないはず、本格的に攻めるつもりなら仮説ではなく本腰を入れた前線基地の1つくらい造るだろうしこちら側の下調べだって必ずする。
 だから、俺達は正しいと思えることを全力でやれば良いと思う。定まった未来と言うのがあったとしても、幾多にも分岐する可能性があると言うことはパラレルワールドという存在が肯定してくれた。ならば、明るい未来に分岐させるために努力することは無駄じゃないし必要なことだ。
 やろう春樹。この決意が俺達の戦争の始まりになる。」

 アスマの言葉は正しく聞こえた。確かにパラレルワールドと言う存在が確認されている現状では(奇しくも自分達がここにいることや周りの状況の変化の自覚、さらには明らかにパラレルワールドから持ち込まれた物品の数々が証明している)、人間の行動次第で歴史が変わり、様々に分岐していくという考えを否定する根拠は無い。仮にそれが希望的観測だとして、努力を怠れば結局破滅が待つことになる。ならば、もう戦うしかいない。運命と言う敵と。

 草壁はゆっくりと目を閉じて思考する。そして、数分が経っただろうか。ゆっくりと目を開けてはっきりと決意を込めた声で言った。

 「確かにアスマの言う通りだ。我々の行い次第で未来は変わる。過去の因縁大いに結構。しかし、今我々が住んでいるのはこの世界だ。過去居た世界とは縁を切った以上、我々が成すべき事はただ1つ。如何なる理由をこじつけてでも全力を持ってこの世界を救い、人類に新たなる繁栄をもたらす事だ。そのためには、異星人との和解も視野に入れて活動していく必要がある。

 詳細については人員がそろってから改めて議題するとしてもだ。諸君! 我々の戦争の開幕をここに宣言する! 真実を知るものとして一層の努力を持ってこの戦いに勝利する!! 以上だ!」

 草壁の激に、全員が頷いた。もう後戻りは出来ない。自分達が選んだ道、険しくて何度躓いてでも、進みきってみせる。その先にある、幸せを求めるために。









 それからは忙しかった。間近に迫った火星進行までの間に少しでも技術をモノに統べくアスマと北斗はストレリチアを使ったシミュレーションを繰り返していた。壊れた脚部の修理が完了していない以上実機を動かすことは出来ないのでそれ以外に訓練方法が無いのだ。幸いにもユリナの参戦でストレリチアの修理自体は間に合うとのことだが、それでもぎりぎりだという。最低でもアスマはユートピアコロニーに墜落するであろうチューリップの破壊、もしくは軌道変更が任務であるし、連合軍放置で構わないが、絶対に火星の民間人への被害は抑えなくてはならない。後続となる制圧部隊の人選も苦労した。地球人に偏見を持たない人間が増えていたことがここに来て良い流れとなったのは幸いとしか言いようがない。アスマと付き合いが深いほどに、地球人への偏見が薄く、同時に軍人として優秀な技術を持つ者が多い(後者は主に彼と張りあうためだが)。そういう意味では期待出来る援軍がいるだけ心強い。
 しかしそれでも初陣とは思えない過酷な任務である。プレッシャーも相応で、並大抵のことでは顔色を無くさない彼も、流石に真剣そのものといった眼差しで訓練をこなしていく。努力している姿を他人に見られるのは恥と考え、いつも隠れて努力を重ねてきた彼も今回ばかりは恥も外聞も無く訓練に打ち込んでいた。同時に、マスクドライダーシステムの扱いも少なからず習熟させなければならない。狭いシェルター内ではマスクドライダーシステムで戦う他無いからだ。ストレリチアは閉所や施設内での戦闘をあまり考慮していない造りなので、どうしても戦えない空間が存在する。マスクドライダーシステムはそれを補うには丁度良い装備だった。
 普段ゼクターが収められている異空間は、ボソンジャンプが出来るのならどの世界にいても常に密接に繋がっているため、仮に次元跳躍したとしても問題無く呼び出し収納が出来るとはキットの弁である。向こうの世界で変身解除した後いつの間にか消えていたにも拘らず、この世界で何の問題も無く使えるのはそのためだとか。時間の流れは資格者に合わせられているらしい。









 全ての準備が整うまでの間、アスマはヤマサキにボソンジャンプの今後について話してみた。意外なことに彼の部下を含めた研究員も話に加わって4時間ばかりぶっ続けで議論を展開してみたが、やはり進展らしい進展は見られなかった。
 最低限A級ジャンパーと時間移動(次元移動)、戦争利用の阻害という命題をどうするのか、意見を聞きたかったのだが、ヤマサキも即答は出来なかった。やはり一番確実なのは過去にユリカを組み込んだように何らかの制御装置を演算装置に組み込んでボソンジャンプを人畜無害な存在にし(遺伝子調整やディストーションフィールド無しでも実行可能)、かつボソンジャンプを阻害する装置の開発と普及を目指すというというアイデアである。しかし当のヤマサキがこのアイデアの実行に乗り気ではなかったので部下達もゴリ押しが出来ず、データのあるユリカを組み込むと言い切った者はアスマがそれはそれは懇切丁寧な“説得”を実行して黙らせ、かつ計画全体の流れを歪めかねないためお流れになった。しかし、やはり生贄を立てる以外に良いアイデアが無いのが現状であり、火星の後継者の潜伏期間を含めた実験によって得られたデータとそれまでに試された実験内容を鑑みると、やはりこれ以上のアイデアが無いのだ。アスマの傍らで話に参加していたキットが何か言いたそうにしていたが、結局口に出すことはなく、アスマもキットの思考を読むことは出来なかったので、何を考えているのかはわからずじまいだった。
 思えばこの瞬間に、彼は自分の運命を定めていたのだろうと、当時の関係者は語っている。

 開戦の日。工場区から出撃しようとしている2人の元を、草壁と北辰とヤマサキが訪れていた。

 「アスマ、実は提案があるのだが……」

 草壁は言った。名前を変えないかと。

 「名前を変えてどうする。大した意味は無いぞ」

 冷静に改名のメリットの無さを指摘し、その真意を確かめようとするアスマ。草壁は言った。

 「これは決意表明のようなものだ。それに、地球圏の情報がこちらに入って来ないわけではないし、こちらで言うところの偽名を兼ねている。必要だと思うがな?」

 「……わかった。有り難く頂戴するよ」

 「そうか……。ならばお前は、今この瞬間から、天道光輝を名乗れ」

 「天道、光輝?」

 口の中で新しい名前を転がしてみる。語呂は悪くない。そして、カブトたる自分にこの名が送られる以上、その意味は――。

 「そうだ。天の道を往き、光の如く輝く、太陽のような男となれ」

 草壁がアスマの予想通りの言葉を口にした。

 天の道を往き、光の如く輝く男。天道光輝。

 それが自分の新しい名前。テンカワ・アスマでも、サイトウ・アスマでもない、自分の新しい名前。

 「天道光輝。光を支配せし、太陽の神。――カブトである俺に相応しい名前だな。だが、流石に総司ではなかったんだな?」

 「まあ、そう言うことだ。名前に関してはヤマサキが考えたんだがな」

 草壁の隣でヤマサキが何時も通りの笑顔でアスマに手を振っている。

 「………いいだろう。今この瞬間から、俺の名前は天道光輝。天の道を往き、光の如く輝く男だ」

 アスマ――光輝はそう言って草壁とヤマサキに握手を求め、硬く手と手を取り合った。

 「北斗、お前もアスマに合わせて名前を変えてみたらどうだ? 実は、さな子が子供に名付ける予定だった名が、1つ残っている」

 「どんなの?」

 北斗が困惑した顔で北辰を促す。

 「菫、だ。本当なら枝織にその名前を付ける予定だったのだが、まあ知っての通り我が我を通した結果男児に付ける予定だった名をお前に付けてしまったからな。繰り上がりで枝織に名を譲ったのだ」

 「ちょっと待って。それってもしかして……というかもしかしなくても――」

 北斗の眉が眉間に寄る。さな子、枝織、菫。この順番はもしや。

 「その通り。さ行だ。さな子が母親だから、長女には“し”が頭に付く名前の枝織を、次女には“す”が頭に付く菫を。当然“せ”と“そ”が付く名前も子が出来たら考える予定だった。確か候補に聖羅と空が上がっていたな」

 がくっと肩を落とす北斗。アスマの光輝に比べて、この落差は何だ。昔名付けられる予定だった名前を貰ったところで全然嬉しくない。というか、次女に付けられる予定だった名前を与えられるのはどこか物悲しい。北斗はこの時かなり真剣な殺意を北辰に抱いていた。
 恐れを知らぬ外道(と言われるほど容赦が無い暗部)である北辰も、可愛い愛娘に本気で恨まれてしまっては立つ瀬が無い。というか本気で悲しい。親しい人間なら誰しもが(部下さえも)知る北辰の弱点である。そう、親馬鹿だ。親馬鹿全開の彼に絡まれて生き地獄を味わった部下は決して少なくない。任務中には全く出てこないのが唯一の救いである。

 「……気持ちを入れ替える意味では丁度良いではないか。うむ、それが良い」

 冷や汗たらたらで半分怯えの入った口調で北辰が言うと、北斗は腕を組んで真剣に考え込んだ。

 「そうだな、それ良いかも。これでようやくからかわれずに済むか。でも、今更改名となると別の意味でからかわれそうで微妙かも」

 「そう言うな。元々は我の我侭の結果だ。ここらで償っておかねば、な」

 北辰はがしがしと娘の頭を乱暴に撫で回す。こうして娘の頭を撫でるのは、一体何年ぶりだろうか。アスマと交際を始めてからは自分に甘えることも少なくなっていったから、仕方の無いことかもしれない。まあ、娘婿に相応しい最高の能力を持った男に鍛え上げたつもりだから、文句は無い。…………………憂さ晴らしを兼ねていなかったかと問われれば否と答えられるが。




 父親の少し変わった愛情を実感しながら影護北斗は天道菫になった。



 「俺は天の道を往き、光の如く輝く男。天道光輝。俺は太陽の如く輝き、人々を照らす存在となる」



 決意を胸に秘め、光輝と菫は火星へと跳ぶ。自分達の運命を切り開き、未来をこの手に掴む為に。










 欧州のとある地域。ここでアスマたちも知らないある出来事が起こっていた。



 「あまり遠くに言っては駄目よ。危ないのよ」

 「はあ〜い!」

 見方によっては銀色にも見えるブロンドの少女が山道を駆けていく。家族でハイキングを楽しんでいるのだろう。子供である彼女のテンションは鰻上り、母親の制止も聞かずどんどん上へと、奥へと駆けていく。そして、やはり彼女は迷子になってしまった。途中珍しい動物を見かけ、それを追っている内に逸れてしまったのだ。子供でも追跡出来る程度の斜面だったことが災いした。少女はどんどん追いかけていき、湿った落ち葉に足を滑らせ斜面を転がり落ちてしまった。

 がつんっ!

 少女は剥き出しの岩に頭をぶつけてしまった。鋭く尖った岩の肌は容易く少女の頭を砕き、その命を奪った。だが少女は意識がなくなる直前、何者かが自分を見下ろしているのが見えた。緑色の人型。まるで特撮に登場する怪人みたいな生物。認識出来たのはそこまでだった。少女の意識は暗く深い闇に呑まれ、永久に帰ってこない。



 ――はずだった。



 気が付くと、少女は斜面の上に寝転んでいた。上半身を起こして後頭部に手を当ててみる。どこも痛くないし傷も無い。確かに岩に頭をぶつけたはず。あの感触は間違いなく残っているのに、怪我は無い。少女は不思議に思いながら立ち上がるべく地面に手を付いた。

 べちょり。

 右手が水で湿った地面にわずかに埋まる。何気なく目をやると、その水は真っ赤に染まっていた。そして、普通の水よりも手にまとわり付いて気持ちが悪い。その隣には、先ほど自分が頭をぶつけたはずの岩があった。岩肌が一部、真っ赤に染まっている。バケツでぶちまけたみたいに真っ赤な水が岩肌を濡らしている。

 少女はわけがわからなくなった。そして、必死に記憶を辿る。そして異変に気づいた。得体の知れない生物を追いかけている自分の視点と、自分に追いかけられて逃げ惑う“誰かの視点”が同時に脳裏を駆け巡る。そして、足を滑らせて転がり落ちる自分の視点とそれを呆然と見つめ、はっとして追いかける“誰かの視点”。あと少しと手を伸ばすが間に合わず少女は岩肌に頭を打ち付けてしまう。その伸ばした腕は、人間と同じような形をした、緑色でまるで怪物のような形容しがたい手だった。そして、物言わぬ肉塊に成り果てた自分を見下ろす視点。そこに紛れ込んだ下半身もまた、怪物のような形容しがたい形をしていた。そして、そっと手を伸ばし、虹色の光を全身から発し、消滅。意識はそこで終わり、記憶は目が覚めた瞬間へと繋がった。

 少女は唐突に理解した。今自分は一度死に、得体の知れない生物とひとつになり蘇生したということを。まだ7つの身の上でありながら、自分に起こった異変を正確に把握し、理解した。

 今自分は、人間でありながら人間ではない存在であると。

 少女は恐怖で身を強張らせながらも斜面を登る。両手両足を使ってゆっくりと、確実に登っていく。不思議と楽だった。普通の人間であったころよりも感覚が研ぎ澄まされているというのだろうか。転がり落ちるほどの斜面であるにも拘らず、少女はバランスを取るのに然程苦労せず、手がかりや足がかりを見落とすことも無く難なく制覇した。

 「アリサ! どこに居るの!?」

 母親が呼ぶ声が聞こえる。逸れた自分を探しているのだろう。少女は右手を持ち上げて見つめる。斜面を登った時、山特有の湿った土に塗れ、血は目立たなっている。水の流れる音にしたがって歩を進めると、小さな小川にであった。驚くほど冷静に少女は小川で手を荒い、血に濡れた手を綺麗にする。背中に付いた木の葉を払い落とし、何気ない顔で両親と双子の姉の元へ、家族の元へ帰っていく。

 「お母様! あたしはここだよ!」

 少女は語らなかった。自分に何が起こったのかを。同時に理解した。人として生きていくことは可能だと。もうひとつの自分の姿を捨て、人間のアリサ・ファー・ハーテッドとして生きていくと誓ったのである。そしてそれが、自分を救ってくれた生物の願いであることも、今の彼女にはわかっていた。そして何時の日か、この生活に終わりが来ることを実感しつつ。

少女は軍人になりたいという夢を諦めた。戦いに身を置くことで、怪物の血が目覚めることを恐れたからだ。そんな彼女が最強の称号を持った機動兵器――ガンダムのパイロットとして、宇宙戦艦ヤマトと機動戦艦ナデシコらと共に戦場を駆け巡ることになろうとは、今はまだ、誰も知らない。







 今から10年程前の、日常の一コマである。














 次回予告

 火星で無人艦隊との交戦に突入した光輝達だったが、機動兵器での戦いに不慣れな彼らは徐々に追い詰められていく。
 そんな時、漆黒の機動兵器が乱入した。機動兵器の名はブラックサレナ。搭乗者の名前はテンカワ・アキト。

 再会を果たし、火星の人々への被害を抑えることに辛うじて成功した光輝らは、火星で沈没したナデシコCとユーチャリス、そして国籍不明の宇宙戦艦を回収した。



 その名はヤマト。宇宙戦艦ヤマト。

 かつて異世界の地球を救うため、自らを犠牲に人類を救った英雄艦。そしてその第一艦橋の艦長席に、その男――沖田十三は居た。

 そしてボソンジャンプの完全制御を実行すべく、彼らが選んだ手段とは一体何か。そしてそれは、光輝にとって悲しい別れを意味していた。

 次回、機動戦艦ヤマトナデシコ

 「ヤマトのことを頼みます」

 にご期待下さい。






 あとがき

 皆さん覚えていますか? KITTです。

 前回から半年近く時間が空いてしまいました(汗)。正直読んでくれている人は少ないと思いますがこれからもよろしくお願いします。

 1話のあとがきにも書きましたが、もはや改定という改変に近い物語の変化ですね。2話の段階で正直別物。

 新しい名前から判る通り、主人公であるアスマは今回仮面ライダーカブトの主人公、天道総司を混ぜた新しいキャラクターとして構成しなおしています。正直前回の前半では変なところでキャラを軽くし過ぎて後々シリアスし難かったうえ、余計な特殊能力の除去に話を使い過ぎたので最初から生身は最強、でも機動兵器では経験が無いので雑魚(機体の優位性はあり)という立ち位置に変化しています。で、前回はパーフェクトゼクターのみの予定だったマスクドライダーシステムを本格的に導入しました。それに伴い新要素としてワームが参戦しました。改定に伴い電王は削除されました、ご了承ください。
 私は仮面ライダーの中ではカブトが最も物語的にもライダーのデザイン・機能でも好きなので採用したのですが、ちょっと物足りなさを感じたので(北斗=菫用の装備が不足した)電王に出張してもらいました(改定後ライダーの選抜をやり直したため消えました(笑)。その煽りを受けて北斗は最強の座から転落し、前にも増して女の子になりました(笑)。代理人様、これも北ちゃんの一角になってしまうのでしょうか?(素朴な疑問)



 原作でもあったハイパーゼクターの暴走は今回このような形で使用しました。やっぱり一度はやっておきたかったのと、キットとは別にハイパーゼクターの意思が存在することを示しておきたかったのがあります。で、パーフェクトゼクターも最強形態であるパーフェクトモードには本編中で語られた通り制限があり、頻繁に使うことの出来ない機能となりました。個人的にはパーフェクトゼクターって劇中で使われたサイズだと普通に格好よく見えるのですが(玩具は駄目駄目。よって延長改造済み(爆)、センスがずれているのでしょうか? パーフェクトモードも剣としてではなく銃器としてみれば結構良いセンスしていると思うのですが。単体だと文句無しに両形態格好良いですし。



 長いと言われたにも拘らずまた今回も説明文長々と。まだ導入部分なので勘弁して下さい。ハイパーキャストオフも制限をしっかりと示しておかないと便利過ぎる機能になっちゃうんで。すでに便利過ぎるという言葉は聞かない方針で(笑)。ついでにちょっとおかしくないか? という突っ込みも無しの方向で。くどく説明しましたが、要約すると“決まった部品以外使えない。形が変わり過ぎていても変化出来ません”と言うことです。



 にしてもオリジナルキャラクターながら、たった1話で死亡する主人公も珍しいと思ったり思わなかったり。

 あと補足しておきますが、今回アキト達が迷い込み、草壁らが突入したパラレルワールドは人物の年齢や対人関係なのが「原作」とも「時ナデ」とも「再び」とも違います。よってこれから先登場する人物でも原作とは年齢設定が違ったり容姿や名前が違うこともありますので、予めご了承下さい。なお、新主人公である天道光輝(影護アスマ)もアキトらが元いた世界のアスマとは性格その他が違う全くの別人であるということもご理解下さい。事実上の主役交代です。



 そして次回、真の主役メカがいよいよ登場です。









 ぶっ壊れてますけど(笑)。

 

 加筆修正後のあとがき

 当時は固まりきっていなかったオリジナルキャラクターのイメージが固まったので、それに合わせて台詞や描写の変更及び追加を行い、同時に気づいた分だけ誤字脱字とおかしな文脈の修正を行いました。2010.6.6日追記。修正漏れが結構あったので修正(汗)。設定ど忘れしたので見返したらゴロゴロと……。一部長ったらしい解説も短くしました。まだ漏れがありそうなのが怖いところです。





感想代理人プロフィール

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代理人の感想

うーむ、どこから突っ込めばいいやら(爆)。

カブトは殆ど見ていないんでろくに突っ込めないというのもありますけど。

 

>北斗

いやもう、どう考えても「北ちゃん」だし、まるっきり別人でしょう。

そもそも「北斗」じゃないわけですしね、すでに。