「あなたがたに望まれる限り、私は――必ず地球と人類を救います。あなたたちが共に戦ってくれさえすれば」

 声の主がそう宣言したのを、テンカワ・ユリカは夢の中で聞いた。
 彼女が見た夢はとても怖く、絶望に満ちた未来だった。それは侵略者によって滅亡の危機に瀕した地球。
 突然現れた異星人の侵略者は強大だった。まったく太刀打ちできない人類。目の前に迫った終わり。もはや人類の手では決して覆すことのできない破滅。
 そんな悪夢を見るユリカに『彼女』は語りかけたのだ。
 『彼女』は人間ではない。だがとても暖かくて優しく、戦うために生み出された存在とは思えないほど澄み切った『心』を持っていた。
 ユリカは垣間見る。『彼女』の『記憶』を。
 赤茶け乾ききった地球から旅立つ『彼女』とその仲間たち。『彼女』は鉄くずの中から生まれた。覆しようのない敗北が『彼女』を生んだのだ。
 想像を絶する苦難の末、『彼女』と仲間たちは破滅に瀕した地球を救ってみせた。
 そのあとも、数度に及ぶ危機――白色彗星の恐怖、暗黒星団帝国による侵略、太陽の核融合異常増進による太陽系の危機――そして、遥か昔に分かたれた地球人類の末裔ディンギル帝国と、それに誘導された水惑星――アクエリアスの脅威。そのすべてを、『彼女』と仲間たちは退け地球を守り続けた。
 『彼女』の『記憶』の詳細を把握することは、ユリカにはできなかった。
 だが『彼女』と仲間たちは幾度も絶望をひっくり返し、たしかな希望を運んだという『歴史』と、それを支えた『信念』は理解した。
 それは、悪夢を見たユリカにとっても希望であった。そして悟った。あの夢は未来の現実だったのだと。
 近い未来、人類は侵略者によって滅ぶ運命にあったが、その未来が変貌しようとしている。
 ユリカと『彼女』――そして志を共にする過去の、そして未来の仲間たちが成すのだ。
 『彼女』は来る。ユリカを目印として別の宇宙からやってくる。
 別の宇宙であっても、愛する地球と人類の未来を護り抜くためだけに。
 彼女はやってくる。その胸に刻み込まれた『愛』のために。



 時に、西暦二二〇一年、夏。

 旧木連のタカ派、草壁春樹を中心として結成されたクーデター軍、火星の後継者の蜂起を鎮圧することに成功したナデシコCは、ボソンジャンプを駆使して地球への帰途についていた。

「月軌道に到達。以後は通常航行で地球に向かう予定です」

 オペレーターのマキビ・ハリの報告に、ナデシコC艦長ホシノ・ルリが頷く。

「わかりました、クルーの皆さんは交代で休憩に入ってください。――私も少し休みます。ハーリー君、しばらく艦を任せますね」

「は、はい艦長! 僕に任せてください」

 敬愛するルリに頼まれて、ハリは目を輝かせ、力強く応じた。
 ようやく救出が成った彼女の家族の片割れ――テンカワ・ユリカの見舞いに行きたいルリの気持ちを汲むことに躊躇はない。
 ――あの極冠遺跡最下層で救助されたユリカに安堵する姿を見せられては、断れるはずがない。
 それに――少しは成長しているつもりだった。少しの留守くらい守れないようでは、男が廃る。

 そんなハリの様子に頬を緩ませると、「では頼みます」と声をかけて艦長席から腰を上げる。
 火星の後継者の戦いを経て、可愛い弟分はまた少し成長したようで嬉しくなった。

「ルリルリ、あんまり無茶させちゃ駄目よ?」

「ユリカによろしく言っておいてね」

 などなどと、ミナトやアオイ・ジュンといったかつての仲間達に声をかけられ、丁寧に応じつつも気持ちは急いた。
 ユリカはルリたちに救出され、演算ユニットから解放された直後に意識を取り戻し、かつてのようなボケすら見せた。が、まもなく意識を失って深い眠りについてしまった。
 無理もない、体にどれほどの負担がかかったのか、どのような仕打ちを受けたのかわかったものではないのだから。
 彼女はイネス指揮のもと医務室へと搬送され、ナデシコCの設備でできる範囲の精密検査を受けることとなった。
 邪魔をしてはいけない、艦長としてひと段落するまではと自分を律したルリは、帰還の途に就いてからも堪えに堪え、ようやく会いに行ってもよさそうな状況になったと思ったら――もう我慢できなかった。
 ……気が付けば速足で医務室に移動していた。少し乱れた息を整え、身嗜み用のコンパクトを覗いて軽く前髪を整えると深呼吸。医務室のドアを潜り、ベッドに横たわるユリカの姿を視界に収める。
 その隣には容態を調べているイネス・フレサンジュの姿もあった。
 ――その表情は、決して明るいものではなかった。
 浮かれていた気持ちに水を差されながら、ルリは問うた。

「イネスさん……。ユリカさんは、ユリカさんは大丈夫なんですよね?」

 ルリは胸が締め付けられるような気分だった。
 ベッドの上に横たわるユリカの体はシーツで覆われていて見えないが、穏やかな呼吸に合わせて胸元は上下しているし、顔色も悪くは見えない。
 ……しかし薄っすらと、薄っすらとだが、その顔にはボソンジャンプの時に生じるナノマシンのパターンが光を放っていた。
 ルリの顔色がさらに悪くなる。明らかに、異常だった。

「ああ、ルリちゃん。そうね、いまのところは、ね。多少光っちゃってるけどたぶん大丈夫よ、問題ないわ」

 ルリの問いかけに答えるイネス。取って付けたような笑顔が真実を雄弁に物語っていた。
 その程度の演技で騙されると――いや、イネスも動揺を抑えきれないのだろう。それでもルリの気持ちを考えたからこそ、少しでも安心させられればと、演技しようとして失敗したのだとわかる。
 だがそんな気遣いに応じられるほど冷静ではいられなかった。

「いまのところは? たぶん?――お願いですイネスさん、正直に答えてください。――どこがどう悪いんですか?」

 医務室に向かうまでの浮ついた気分はすっかり宇宙の彼方に飛んで行ってしまった。
 ――やはり彼女はなんらかの重篤な障害を抱えてしまったのだろう。
 ――アキトのように。

「……ごめんなさい。本当はいま話すべきじゃないと思ったんだけどね……」

 沈痛な面持ちのイネスは告げる。残酷な事実を。

「ナデシコの設備では万全とは言えないところはあるけど、病院で再検査しても結果は同じだと思う。――彼女は長くないわ。万全の態勢で治療を続けたとしても、もって五年。少しでも無理をすれば、一年持たないかもしれない……」

 ――ルリは足元が粉々に崩れ去ったような錯覚に陥った。両足がわなわなと震えだし、歯がガチガチと耳障りな音を立てる。
 思考がぐるぐると渦まいて、視界が揺れる。

(ユリカさんが、長くない? どうして、どうして、折角会えたのに、もう一度やり直せるかもしれないのに?)

「彼女の体はね、演算ユニットの物と思われる未知のナノマシンに浸食されているの。いまは活動を休止しているけど、どういった弾みで活性化するか見当もつかない――いえ、ひとつだけはっきりとわかっているのは、彼女がボソンジャンプを使うたびに確実に活性化して体を蝕んでいくということよ。それどころか演算ユニットと彼女は完全にリンクを切れていない。それが原因でナノマシンの活動を完全に停止させることができないどころか、ジャンプに関わるたびに確実に体を侵食されていくことにもなる。……いまの医学じゃ除去すらままならないわ……」

 今度こそ、ルリはその場に座り込んでしまった。
 ――嗚呼、なんということだろうか。
 夫であるテンカワ・アキトが、あれだけの苦難の果てに救い出した妻は、すでに手遅れだったのだ。
 ……結局火星の後継者に捕らわれた時点で、この夫婦の未来は決まっていたと言うのだろうか。

「――せめて、せめて遺跡の解析がもっと進めば、あれを作った異星人にでも接触できれば、あるいは。――もちろん私たちも全力を尽くすわ、それでも、確実に救える保障がないけれど、一切妥協しないことだけは約束する」

「――浸食が進んだ場合、どうなるんですか?」

 弱々しい声で尋ねる。
 きっと顔もひどいことになっているのだろう、イネスの顔が痛々しいものを見るものになっていた。

「確実に言えるのは全身の細胞異常ね。遺伝子情報が破壊されたら、体のあちこちにガンが発生する。ガンを治療しようにも、全身に発生したらいまの医学でも追い付かないし、原因であるナノマシン自体を除去・抑制できない以上完治はないわ。――それに神経組織にも負荷が掛かり続けることになるから、アキト君のような感覚異常が生じる可能性も高いし、下手をすると脳に損傷が発生してガンで死ぬよりも先に――植物人間になる可能性も……」

 残酷な事実を告げざるを得ないイネスに、ルリはもう言葉も出なかった。
 最愛の家族が、一度は亡くしたはずの家族が帰ってきたと思ったのに。
 また、失うのか。それも――こんな、こんな理不尽極まりない形で!
 ……ルリの中で火星の後継者に対する、理不尽な世界に対するの憎しみと怒りが渦巻く。
 自分の力をすべて使えば、いまは護送中であろう草壁ら火星の後継者の連中を殺すことはできる。
 直接砲撃を叩きこんでもいい、システムを乗っ取って生命維持システムを止めてやってもいい。懲罰など知ったことではない。
 ――ユリカが生きられない世界に、アキトが料理をできない世界に……私たち家族が幸せになれない世界になんの価値がある。
 暗い感情が胸の中で渦巻く。
 ルリはアキトが修羅の道を進んだ気持ちがはっきりとわかった。
 これはあの時味わった絶望とよく似ている。いや、はっきりとした悪意のもとにもたらされた悲劇だと知ったいま、より闇をまとっていると言えた。
 そこでふと、アキトの補佐をしていたであろう少女のことが――言葉が頭を過った。

「……ナノマシンが、ナノマシンが原因なら――私がリンクして制御することはできないんですか?」

 ルリにとってはそれは妙案にも思えた。
 ナノマシンを介して他者にリンクできることは、かつての記憶麻雀の一件、そして生体部品にされたユリカ自身が証明している。
 ならばそれを逆手に取り、そういった技能に特化しているルリの実力をもって遺跡由来の未知のナノマシンとやらを掌握して、その活動を抑え込める可能性は皆無ではないはずだ。

「活動の内容そのものがよくわかっていないのよ? 下手にアクセスすればあなた自身も障害を患う危険がある――彼女がそれを望むと思って?」

 イネスの言葉に耳を貸す気はない。私がやらなければユリカは――!

「だとしてもほかに選択肢がなければ――」

「――必要ないよ、ルリちゃん」

 冷静で、悲観も弱々しさもない、場違いなほどに普通の声。
 だがルリの行動を押しとどめる強さを持った、ユリカの声だった。

「ユリカさん!? 起きていらしたんですか?」

「うん。ついさっきだけどね。……ルリちゃん、気持ちはうれしいけど、そんなことしたって無駄だよ。いくらルリちゃんでもこれには勝てない。オモイカネの力を借りても」

 ユリカはゆっくりと上体を起こしてルリと向き合う。ナノパターンの輝きは消え失せ、平常を取り戻したその姿。
 ――真実を知ったルリが切望し、必ずの奪還を誓った、愛しき家族の姿だった。
 だが彼女の体の内では悪魔がその毒牙を研いでいるのだ。猶予はない。

「……やってみなければわかりません。試す価値はあります。だから試させて――」

 身を乗り出すように訴えたルリを、ユリカは強く拒絶した。

「そんな方法じゃ通用しないよ。無理をすれば、確実にルリちゃんが壊されちゃう。――私は『家族』を犠牲にしてまで生き延びるつもりはないよ」

「しかし!」

 さらに食い下がるルリの言葉を遮るように、ユリカは右手を突き出した。

「それにね、ルリちゃんにはやらないといけないことがある。だから自分を大切にしないとダメ」

「え?」

「いま、『彼女』が来たの」

「なにを言って――」

 ユリカの言葉の意味を確かめる間もなくコミュニケが着信音を発し、ブリッジにいるハリの慌てふためいた様子を映し出す。

「か、艦長! 外の映像を見てください! と、とんでもないことが起こってます!!」

 ハリは一方的に告げると外部カメラが映し出した映像を医務室にデカデカと映し出す。その驚愕の映像に、ルリもイネスも驚愕に顔を引きつらせる。
 唯一ユリカだけがその映像を真摯な眼差しで見つめていた。一瞬たりとも見逃すまいという意思が、その瞳から読み取れた。

「こ、これは一体……!」

 ルリとイネスの言葉が被る。
 フライウインドウに映し出された映像は宇宙の神秘、または超常の現象としか言えない、とても美しくあり、同時に酷く恐ろしいものだった。

 地球と月のおおよそ中間の地点で、なにもない虚空が割れ、膨大な量の水が溢れだしたのだ。まるで瀑布のような勢いで渦巻き、これが真空の宇宙でなければ轟音を響かせているであろう神秘の映像。
 カメラ越しで見ることが憚れるような、驚異の現象であった。

「アクエリアス」

 ユリカが不自然なほど静かに告げた。
 アクエリアス、その言葉の意味を問いかけるにはルリもイネスも、そしてコミュニケ越しに聞いていたハリを始めとするブリッジの面々も余裕が無かった。

 目の前に唐突に広がった瀑布は次第に落ち着きを取り戻し、静かに称えた巨大な海と化した。その水面が落ち着きを取り戻したかに思えた次の瞬間、水面を割って何者かの建造物の様な物が姿を現す。
 ――その姿は重々しいブルーグレーと防錆塗料の赤に塗り分けられた、まるで洋上を往く船のような、アンティークな物体。
 舳先と球状艦首、甲板の上には砲身の歪んだ巨大な三連装砲塔が二つ確認できる。
 その物体――恐らく宇宙戦艦の艦首は、天を衝くかのように宇宙を仰ぐと、その身を震わせながら徐々に徐々に、再び水中に没していく。
 まるで、役目を終えた船が、最後にその姿を見せようと力を振り絞ったかのようにも、それともまだまだ健在であるとその威容を見せつけているかのようにも見えた。

「……ルリちゃん、よ〜く見ておくのよ。あれが私たちの最後にして最大の希望――これから人類を襲う厄災を退ける唯一の力――宇宙戦艦ヤマトだよ」

 ささやくようにその物体の名を口にするユリカ。その声色には畏怖と敬意、そして羨望が含まれていた。

「宇宙戦艦――ヤマト?」

 ユリカの言葉を繰り返すルリに、ユリカはこくりと頷いて答えた。

「そう、宇宙戦艦ヤマト。遥かなる宇宙から私たちのためだけにやってきた存在。そしてヤマトが対する私たちにとっての厄災の名は――大ガミラス帝国」

 ユリカの言葉が終わると同時に、その言葉が真実であると告げる別の報告がブリッジから届いた。

 そう、彼らは突然現れたのだ。
 まるで内輪揉めで慌てふためく人類をあざ笑うかのように、侵略の絶好の機会であるといわんばかりに。
 その日、世界は震撼した。
 その世界の片隅で、『彼女』は大胆なようでひっそりとこの世界に顕現し、息を吹き返さんとしていた。
 その名は――宇宙戦艦ヤマト。人類最後の希望と呼ばれる船であった。



 新宇宙戦艦ヤマト&ナデシコ ディレクターズカット 愛の戦士たち

 第一話 人類SOS! 甦れ、希望の艦!



 地球人類が謎の星間国家、ガミラスに侵略戦争を仕掛けられて一一ヵ月の時が流れていた。
 時に西暦二二〇二年。場所は冥王星近海。そこには地球の残存戦力をまとめ上げた『最後の防衛艦隊』の姿があった。
 総数はわずかに三〇隻。万全の状態で出撃した艦艇は半数にも満たず、なにかしらの損傷を抱えている艦も多い。
 彼らは今日この宙域にて、最後になるやもしれない反抗作戦に挑むべく、静かに冥王星を目指して航行を続けていた。






 圧倒的な科学力を有するガミラスの前に、地球は壊滅的な被害を被っていた。
 当初こそ互角に戦えるかと思われた地球艦隊ではあったが、ガミラスの艦艇は強力で、地球側の艦艇では太刀打ちできなかったのだ。
 地球側では減衰させるのがやっとな旋回砲塔式の高収束グラビティブラスト。
 地球側のグラビティブラストを容易に防ぐ強固なディストーションフィールド。
 相転移エンジンを遥かに上回る高出力機関である波動エンジンと、それが生み出す推力による圧倒的な機動力。
 フィールドに頼らなくても強固で、グラビティブラストにすら耐性を持つ装甲。
 それに加え地球よりも艦隊運用の統率が取れていると、付け入る隙を見出せなかった。

 ――そう、過去の木星との戦いでその威力を示し普遍化した相転移炉式宇宙艦艇も、グラビティブラストも、ディストーションフィールドも、彼らの技術力の前では一世代も二世代も前の玩具に過ぎなかったことを、否応なく思い知らされる結果となったのである。

 航空戦力同士の戦いでは、人型機動兵器の運動性能によって辛うじて一方的にやられるという事態は避けられたが、それでも火力不足で機動力の差は大きく、形勢を逆転するには至らなかった。
 想像を絶する苦境を前に、ついには条約で禁止されていたボソン砲や相転移砲、はては火星の後継者との戦いで実績を残したナデシコCとホシノ・ルリによるシステム掌握も試みられたが、結果は芳しくなかった。
 ボソン砲はなにかしらの対策があったのか、敵艦内にボソンジャンプさせようとしても座標が狂って狙った場所に送り込めなかったため、役に立たなかった。
 相転移砲にすらなにかしらの対策を用意できたらしく、発射の兆候を捉えられると無力化されてしまうため効果が薄く、不意を突いて発射に成功したときのみその圧倒的な破壊力を披露するに留まった。しかしそれゆえ決定打としては心許なかった。
 そして最後の手段であったシステム掌握も、通信システムの大本が違うためか、それとも管制システム自体の基本構造の差異ゆえか、十分な効果を上げる前にナデシコC本体に攻撃を加えられて封じられるなど、地球側の対策は悉く通用しなかったのである。

 その結果、まず見せしめといわんばかりに木星が滅ぼされた。
 次は火星、そして各スペースコロニーと凄まじい勢いで人類はその居住圏を奪われていった。
 もはや戦争の体すら成していない、一方的で情け容赦のない殺戮。
 火星の後継者の事件直後で煽られていた地球と木星の対立はおろか、宇宙軍と統合軍の権力争いも投げ出して対応を始めた頃には――もう遅かった。
 間もなく地球への直接攻撃を許し、地球は徹底的に追い込まれていく道をひた走ることになったのだ。

 それでも地球は無条件降伏を受け入れなかった。
 ガミラス側の要求が「奴隷か、さもなくば殲滅か、好きな方を選べ」と高圧的であり、到底受け入れがたい内容であったからだ。
 受けれたが最後、人類は彼らの侵略の先兵になるか、さもなくば資源採掘を目的とした労働船に乗せられ、死ぬまで働かされるか、ふたつにひとつ。
 そして母なる星――地球は彼らに奪われてしまう。とても受け入れられない要求であった。
 無論追い込まれるにつれ「全滅してしまうよりは……」という意見も幾度か浮上した。
 しかし水面下である計画を進行していた者たちが、それを留めていた。

『人類にはまだ、ヤマトがある』

 その言葉の意味を正確に知るものは少ない。
 ヤマト。その言葉の意味は実にさまざまだ。
 アジアの国の一つである日本国の異名、それに由来し企業の社名として使われたり、土地の名前を指す旧国名でもある。
 そして、いまではすっかりと忘れ去れたもうひとつの意味。
 ……それは戦艦大和。
 第二次世界大戦において旧大日本帝国海軍が建造・運用した、旧世代の洋上戦艦としては現在でも最大最強を誇るとされる、大戦艦である。
 大艦巨砲主義の極致とでも言うべき三連装四六センチ砲を三基備え、同時にその直撃に耐えられる堅牢な装甲をもっていたとされる、最強と謡われた超弩級戦艦。

 ――だがその艦は碌な活躍もできず没した。
 時代の流れはすでに航空戦力に流れていて、その自慢の大砲の威力を披露する機会には終ぞ見舞われなかった。
 彼女を沈めた航空戦力の台頭を招いたのが守るべき祖国であったことは、大和にとっての不幸であったのかもしれない。
 かくして大和は深き海底に没した。
 一〇〇機以上の爆撃機の波状攻撃に曝され、多くの兵士たちの亡骸を抱えて、北緯三〇度四三分、東経一二八度四分の、坊野岬沖の水深三四五メートルの地点で永遠の眠りについたのだ――。

 誰もがその艦が、人類の希望だとは露ほども思わなかった。
 旧世紀の、それも現在では原型すらまともに残っていない鉄屑。それが大和だ。誰も期待しないのは当然と言えよう。
 だからこそほとんどのものは、ヤマトという暗号で呼ばれる兵器が水面下で建造されているのだと考え、大和のことなど連想すらしていなかった。
 ――だから彼らは知らなかった。大和は生きていることに。
 たしかにこの世界の大和は朽ち果てた。だが大和はヤマトとなって再起した世界が存在しているのだ。
 同様の歴史を辿りながらも原形を留めたまま沈み、遥か未来で宇宙戦艦として蘇り幾度となく地球の危機を救った、伝説の宇宙戦艦ヤマトが。
 あのアクエリアス大氷塊のなかで、静かに目ざめの時を待ち構えていることを。

 彼らはまだ、知らないのだ。






 そして現在。
 冥王星近海を航行中の艦隊旗艦ナデシコCのブリッジの中で、ミスマル・ユリカは瞑目していた。
 秘密裏の計画とはいえ、ヤマト再建計画の立案者であり責任者でもある彼女がこの場にいるのには理由があった。

 追い込まれながらも諦めずに続けた必死の調査の結果、ガミラスの太陽系進行の拠点となっているのは準惑星として太陽系の輪から外された星――冥王星であることが判明した。
 人類がガミラスの侵略を退けるためには、ここを陥落させる以外に道はない。
 しかし遥か遠方にある冥王星に艦隊を運搬するのは難しかった。
 改良が進んだ相転移エンジンの巡航速度と航続距離であっても、惑星間――それもかつては太陽系の最果ての星と呼ばれた冥王星までを短時間で航行するには至らない。
 当然ボソンジャンプに頼るという選択肢も挙げられたが、ガミラスの太陽系侵攻でターミナルコロニーを含むチューリップは壊滅してしまい、冥王星までのルートも開かれてはいない状況ともなれば、A級ジャンパーによるナビゲートしか手段がない。

 ……だが肝心のジャンパーのほとんどは、火星の後継者に狩られてしまった。主義主張や手段はともかく、人類の未来と発展を謳い文句としていた彼らの行動によって、人類は窮地に追い込まれてしまったのである。

 冥王星基地の存在が明らかになった時点で生存が確認されていたA級ジャンパーはミスマル・ユリカ、イネス・フレサンジュの二名。――そして存在が秘匿されたままのテンカワ・アキトであった。
 しかし公には死亡扱いのままの匿われているテンカワ・アキトに声がかかるはずもなく、イネス・フレサンジュは秘密裏の研究に従事しているとされ、ミスマル・ユリカは人体実験の後遺症で入院中となれば、もはやお手上げの状態にあったと言えよう。

 ――だがユリカは先月唐突に軍に復帰して、この作戦を立案し自らナビゲーターとしてに立候補したのだ。
 生死に係わるほどの大病を患ったとされている彼女なので内部でも物議を醸しだした。
 貴重なA級ジャンパーにして、宇宙軍総司令の娘。そして火星の後継者事件の被害者にして確認される唯一の生存者。
 立場的に容易に切り捨て使い捨てるにはさまざまな問題があったのだが、彼女自身が決断を促したのだ。
 躊躇している余裕など、すでにないのだと。

 復帰するなりユリカは冥王星基地に対する奇襲作戦を立案した。
 ボソンジャンプで冥王星宙域付近まで跳躍し、残りの行程はステルスによる無音航行で接近。接近次第相転移砲を使用して大打撃を与える。
 言葉に出したり文字に書き出してしまえばその程度の内容であった。 
 この単純ながら成功率が限りなく低い作戦に従事すべく、残存戦力を寄せ集めた『最後の地球艦隊』が編成され、生きて戻れぬ覚悟すら決めて、地球を発ったのだ。

 この艦隊にはガミラスの猛攻で故郷を失った木星人の兵も多く参加していた。
 地球に逃げ延びた同胞のため、「一緒に敵を取ろう」と手を掴んでくれた地球の友人のために。
 皮肉なことに、ガミラスという強大な脅威を前に人類はひとつになった。いや、ひとつにならざるをえなかった。
 そうしなければならないほど地球追い込まれてしまったのだから。



 目を瞑りながら、ユリカは頭の中で現状をあの時垣間見た『記憶』と比較する。

(私があの時見た地球とは状況がまるで違ってる。あっちは七年近くも耐えられたはずなのに、こっちでは一年にも満たない短時間で追い詰められた。……この違い、やっぱりあのときスターシアに教えて貰った、あれの影響なのかな?)

 ユリカの脳裏に浮かぶのは、赤茶けて水と緑を失った死にかけた星。
 ユリカたちの地球とは異なる形で破滅に瀕した地球。
 それを救ったのがあの宇宙戦艦ヤマトと、救いの手を差し伸べてくれた愛の星――イスカンダルと女王スターシア。
 多少の差はあれど、自分たちも同じ状況に追いやられている。
 ユリカの心中は穏やかとは言い難かった。どうしても常に不安が付いて回り、自分自身に対する不信も顔を覗かせていた。

(イスカンダルへの渡りは付けた。ヤマトももう一息で飛び立てるようになるはず。……はたして本当に、私はヤマトで地球を救えるのかな? 私は――沖田艦長や古代君のようにやれるのかな?)

 ヤマトは何度も地球を救った。その実績にウソ偽りはなく、ユリカも疑いはしていない。
 だがヤマトの実力は、戦艦としてのスペックのみならず、クルーの連帯感と技量あってこそのものだということは理解している。
 ――はたして、ユリカたちはかつてのヤマトクルーに――古代たちに迫れるのかどうか。沖田艦長の教えを正しく受け継ぐことができるかどうか。不安は尽きない。

(それに、ヤマトの活躍に関してはある程度記憶を垣間見たとは言っても、完全じゃないから敵さんの出方を予測して作戦を立てるってのも無理。――先入観でものを見なくて済むってのはむしろいいことなのかもしれないけれど、なまじ記憶を見ちゃったのは悪手だったかなぁ〜。見たくて見たわけじゃないけどさ)

 ユリカは断片的であってもヤマトの記憶を垣間見たことで、それを活かして対処できないかどうかを考えたことが幾度かあった。
 だが曖昧かつ断片的な記憶ではそれも叶わなかったうえ、ヤマトが知る記憶は宇宙戦艦として新生が成った発進以降のもの。それ以前の地球侵攻の記憶はなかった。
 それに――記憶にあったガミラスは、グラビティブラストもディストーションフィールドも持っていなかったし、スターシアから聞かされたガミラスとイスカンダルの成り立ちも含めれば、ヤマトの記憶を頼りに備えられるのはせいぜい今後も異星人の侵略の可能性があるということを進言できる程度。
 仮に新たな侵略者がヤマトの記憶と一致する国家であったとしても、その技術力や成り立ちを図るには役に立たないだろうと、ガミラスによって証明もされてしまった。
 創作で見かけるタイムトラベルものや物語の世界に飛び込んでしまうような作品にみられる優位性を、ユリカは得ることができなかった。少しだけ、残念だと思う。

(でも、やるしかない。私には責任があるんだ……ヤマトを蘇らせる、一緒に戦うと宣言した責任が。それに、スターシアの好意を無駄にはできない)

 知らず知らず拳を握り締める。
 ヤマトは間もなく蘇る。ヤマトと共に戦って、滅亡寸前まで追いやられてしまった地球を救う。
 すべては愛のため。譲ることのできない、愛のため。
 そのために自分は、ここまで抗い続けてきたのだ。



「ユリカさん、体調は大丈夫ですか?」

 艦長席に座ったルリが心配気に声をかける。目を瞑ったまま静かにしていたから、具合でも悪くなったのかと気になったのだ。

「うん。まだ大丈夫。心配しなくても私って結構頑丈だから大丈夫だよ。ほら、このとおり元気元気!」

 そんなルリにユリカは至って普通に、まったく問題ないと言わんばかりに両手で力こぶを作るポーズまで取って見せた。

「なんだったら空も飛んでみせるよ!」

 両手を揃えて「シュワッチ!」とポーズをとる。

「飛ばなくて結構です。どこぞの光の国の超人の真似事も必要ありません」

 ルリはピシャリとユリカの冗談を叩き潰す。くすりとも笑わない真顔で叩き潰されたユリカは、

「少しくらいノッテくれたっていいのに……」

 と両手の人差し指を顔の前で「ちょんちょん」と合わせてイジケた。ルリは相変わらず、手厳しい。

 ……どうやら体調は特に悪くないようだ。ルリは少しだけほっとした。
 ユリカは艦長席の右下にあるオペレーター席のひとつに座っている。連合軍の軍服に身を包み、以前の彼女と一見変わらない様子で任務に挑んでいる。
 ――つい六週間前まで病院の集中治療室にいたとは思えないほど、堂々とした佇まいだ。
 だがルリはユリカの様子が気になってしかたがなかった。
 最近の彼女は明るく振舞おうと無理をしているように感じてならない。一見なんの問題もなく普段どおりに振舞っているのだが、その瞳の奥には隠し切れない焦りと不安が浮かび、時折暗い表情を見せることもあった。
 だがそれも無理らしからぬと、彼女を知るものは心を痛める。
 ルリのように旧ナデシコから関わりのある、またその容態を知っているハリやサブロウタなどの面々はしきりにその体調を心配し、無理をさせまいとしていた。

 ジャンプナビゲーター兼戦術アドバイザーという役職こそ当てられているが、実際ユリカがナデシコCで、艦隊で請け負う役割などボソンジャンプ以外にない。彼女の仕事は作戦の立案とナビゲーターで完結している。
 いや、ルリがそれ以上の負荷をかけないようにと指揮権を与えることを拒み、それが受け入れられたにすぎない。
 意外と素直に応じたユリカに思うところがないわけでもないが、ルリはとりあえず従ってくれたことに安堵した。

 もう彼女の時間は残り少ない。
 ヤマト再建計画――ユリカが考える真に最後の反抗作戦のために、彼女はボソンジャンプを乱用した。それが彼女の命の灯を吹き消さんとしているのだ。

 あの超常現象としか言いようのないアクエリアス出現後、止めるも聞かずあの氷塊に没したヤマトなる戦艦の残骸をボソンジャンプで強引に引き上げ、木星からかっぱらってきたという造船ドックの一角に収めた。
 それだけで終わりかと思いきや、ボソンジャンプを使って今度はドックごと氷塊の中に戻し、事前に用意させていたチューリップで内部へのゲートを確保すると、土星の衛星タイタンに出陣。
 ガミラスの目を掻い潜ってエンジンの構造材として必要だという未知の鉱石――コスモナイトの鉱脈を見つけ出し、やはりジャンプで採掘して持ち帰ってきた。
 ほかにも必要な鉱物資源を得るためにジャンプしまくったと聞いている。
 このときの行動力は本当に凄まじいもので、誰も邪魔する余裕がなかった。むしろガミラスの出現で混乱の極みにあるのを利用して好き勝手したと言っても過言ではない。
 さらにヤマトのデーターベースを持ち出してそこに収められている未知の技術の開示することにも成功し、既存の艦艇の強化を短時間で実現、抜根的な解決には至らずともなんとか踏み止ませることにも成功させている。
 まさに八面六臂の大活躍。いままでとは桁の違う凄まじいボソンジャンプの活用方法は、間近に見たネルガルのほうが情報隠蔽に走らざるをえないほどのものだったと聞く。
 そのあとはユリカの要望とアイデアを、イネスらネルガルが誇る天才頭脳の持ち主たちがヤマト伝来の技術を用いて形にしたのが、大きな改修もなく既存の機動兵器を強化する支援メカ、Gファルコンだ(正式名はGalaxy Falcon。「銀河の隼」の意)。
 エステバリス用に用意されていた高機動ユニットの発展型に相当し、これに対応するように改造したエステバリスに合体させることで、ようやくガミラスに対抗しうる機動兵器運用が可能となった。
 ……だが最後の希望とユリカが期待を寄せる肝心要の宇宙戦艦ヤマトは本命である波動エンジン――ガミラスと同等のエンジンは未だに復元が完了していないため、いまだに再起の目途が立っていなかった。
 データが足りない。
 たったそれだけの理由で、その心臓となり莫大なエネルギーを生み出す波動エンジンの復旧は進んでいない。それ以外の部分はほとんど完成しているらしいのだが、エンジンが動かなければただの鉄くずだ。
 情報ソースが時間を見つけては会いに行っていたユリカなのだから、間違いはないだろう。
 彼女はルリにヤマトに乗って欲しいとは一言も口にしていなかったが、ネルガル経由で彼女の意志とは無関係にルリにも乗艦を求める声が届いている。
 ――だがルリは、ヤマトにさほど期待を寄せていないこともあって、乗り気ではなかった。
 ナデシコに対する愛着もそうだが、ユリカの命を擦り減らす要因になっているヤマトにいい感情を持てなかったのだ。
 ヤマト再建――そのために彼女の余命はついに六か月を宣告された。
 体は急速に衰え始め、歩行するにも難儀するようになって杖を必要とするようになったのは序の口だ。
 長時間の運動はもってのほか。筋力の低下も著しく、片足で立っていることができなくなったので着替えなどにも苦労の連続、入浴もひとりでは転倒の恐れがあって許可できないと言われた。
 筋力の低下は全身に及んでいるため体の線は細くなり、以前のユリカの象徴とでも言うべき健康的な魅力はすでに失われた。
 ときおり激しい頭痛や体のどこかしらの激痛に見舞われるらしく、床やベッドの上でのた打ち回ることも増え、ときには丸一日意識が戻らないこともある。
 髪から艶は失われ、油っ気のないぼさぼさ髪に変貌している。普段は誤魔化すために髪用の油を付けているくらいだ。
 とても妙齢の女性の髪とは思えない無残なありさまで、抜け毛も増えた。
 追い打ちをかけるかのように消化器官の衰えから、液体に近い流動食のようなものでなければ受け付けなくなり、不足しがちな栄養などを補うためのそれは、味など到底期待できるものではない。
 これでアキトのように味覚が壊れているのならともかく、彼女の味覚はまだ健在なのだ。
 食事という楽しみを奪われたに等しいその心境は……察して余りある。
 消化器官が衰え始めてからは栄養の吸収率が下がったためか、高カロリー食で辛うじて維持してきた体重も減少し始めている。
 幸いなのは、少しやせた程度で体形が留まっていることだろうか。
 とどめと言わんばかりに彼女の女性としての機能までも完全に失われ、二度と子供を産めなくなった。ナノマシンを除去しようとも、体の機能そのものが破壊されてしまってはどうにもできない。
 ――彼女が望んでいたであろう輝かしい未来は、永遠に閉ざされてしまった。その事実が告げられたとき、ルリも同席していた。

 だからそのときの、一切の感情が削ぎ落されたようなユリカの顔が、忘れられない。

 もう勘弁してくれ、私たち家族がいったいなにをしたというのだ!
 ルリは幾度となく心の中で叫んだ。
 一度は様子を見に来たハリに抱き着いて泣き叫んでしまったこともある。あの子には迷惑だと思ったが、あのときは誰かに泣きつきたくて泣きつきたくて仕方なかったのだ。
 ここまで追い込まれても彼女は、必要と判断すれば命を削るボソンジャンプを躊躇なく使用する。
 ――ジャンプをするたびに彼女はなにかが壊れていく。じりじりと、じりじりと、真綿で首を絞めるが如く追い詰められていく。
 ルリを始めとする彼女を知るほとんどの人間が限界が近づいていることをひしひしと感じ、自重を呼びかけるも受け入れられないという状況に心労を溜めている。
 今回のジャンプだって、直後にはナノパターンの激しい明滅がなかなか止まらず、自室に引き込んでいったくらいだ。
 こっそりとモニターしていたルリはそこで苦しみもだえるユリカの姿を見ることになり、思わず絶叫しそうになった。それほど激しい苦しみ方であった。
 ――ルリは以前からヤマト再建に奔走するユリカの行動に苦言を述べ、おとなしくしているようにと何度となく頼み込んだが、ユリカは決して首を縦に振らなかった。

「大丈夫。まだ希望は潰えてないから。希望を形にするためにも、私が頑張らないといけないんだ」

 心配をかけまいとしているのか、それとも痩せ我慢をしているのか。自分に向けられる優しい笑顔が心を抉る。
 正直理解に苦しんだ。――いまさら戦艦一隻復元したところで、なにが変わるというのだ。
 なぜユリカはあのヤマトにそこまで入れ込む。いったいヤマトのなにが彼女をそこまで魅了し、駆り立てるのか。
 ルリにはユリカの考えがまったく理解できなかった。
 あのヤマトには、この状況を覆すなにかが――ユリカが命を削るだけの価値があるというのだろうか。理解できない。
 ルリはヤマトが憎らしかった。自分からユリカを奪おうとしているように感じられて。

 ……せめてアキトが近くにいれば自重したかもしれないと思うと、ルリは苛立ちを覚えずにはいられない。
 ……アキトはいまだに姿を見せない。
 ネルガルが匿っていることは見当がつく。軍に協力できないのは、下手なことをしてテロリストだと知れてしまえば、彼の今後が危うくなるとの危惧だろうから別に構わない。
 だが彼が姿を見せてくれさえすれば、A級ジャンパーとしての力を貸してさえくれれば、ユリカがここまでの無茶をしなくて済んだのではないかと思わずにはいられない。
 それでもユリカはヤマトに執着したかもしれないが、そのジャンプをアキトが肩代わりするだけでも違っただろうに。

 ――本当にかつてのアキトは死んでしまったのだろうか。
 目的を達したら彼女のことなど、自分たちのことなど、もはやどうでもいいのだろうか。
 いま自分たちはこんなにも苦しんでいるのに。
 たとえ滅びるとしても、そばにいてさえくれれば受け入れられるのに。

 ユリカは救出されてからと言うもの、ルリの前でアキトのことを自分から切り出したことが一度もない。こちらが振ってものってこない。
 それどころか旧姓のミスマルで名乗るばかりで、まるでアキトの事を忘れようとしているような気配すら感じられる。
 それとも、先がない自分のことなどさっさと忘れて、他の幸せを見つけろと言う暗示だとでもいうのだろうか。
 ルリはネルガルに散々掛け合ってアキトを求めた。
 彼女には時間がない、会うように説得して欲しいと。
 ユリカにもアキトは必ず帰ってくるはずだから、信じてあげてほしいと訴えた。
 前者はまともな回答など返ってくるはずもなく、後者にしても優しく微笑むだけで首を縦に振ることもしない。
 ルリは精神的に追い込まれていた。
 抜け出せそうにない絶望の闇に捕らわれそうになったことは、一度や二度ではない。

 その都度支えてくれたのがサブロウタやハリといった新しい仲間たち。ミナトやユキナといったかつての仲間たちだ。
 その存在にルリは幾分心を救われた。
 特にルリを独りにしまいと躍起になっているハリの姿には、申し訳なさと共に不思議な温かみを感じるほどだった。
 そしてルリは、ユリカに無理を強いる原因を作っているガミラスに存分に当たった。
 それは憎しみと言うほどドロドロしているわけではない。強いているのなら子供が駄々をこねるかんしゃくに近い代物だった。
 ――しかしガミラスは強い。ナデシコCの全力でも足元に手が届くかどうかという状況に、ストレスは溜まる一方だ。
 最近は肌荒れも酷いし目の下にはクマができつつある。
 それでも指揮官として懸命に自分を奮い立たせて立ち向かっているが、いつ足元が崩れてもおかしくないな、と自分でも感じているほど状況は悪い。
 それでも、抗わないわけにはいかない。
 人類に明日がなければ、ユリカの延命すら望めないのだ。

「作戦開始まであと五分です。各員各所、準備を済ませてください」

 ルリは全艦に指示を出す。
 消耗激しい軍部は人材不足の極みにあり、それが祟ってルリは臨時の艦隊指揮官を兼任することになった。それに合わせて戦時階級として大佐に昇進させられたが、そんなものはどうでもいい。
 艦隊司令に関してはユリカが自分から立候補したのをコウイチロウと二人掛かりで説得して引かせたから、その代わりを務めているに過ぎない。
 建前上は復帰したての人間に艦隊を任せられないというものだったが、少しでもユリカに負担をかけたくないという一念からだった。
 それを察してか、ユリカは素直に従ったのでルリはその場は安堵したものである。
 ともかく、艦隊旗艦でもあるナデシコCはこの作戦の要だ。掌握はできなくてもセンサー類のかく乱ができることはここ数回の戦闘で判明している。
 当初は降伏勧告などの通信もあったが、現在では侵入される危険を考慮してか、勧告もなく殲滅戦に移行されるケースがほとんど。
 そうでなくても徐々に対策が進んでいるのか、手応えがなくなっていく。だが、ルリにはこれ以外に対抗手段がないのだ。

「っ!? 艦長、冥王星に動きがあります」

 ハリからの報告を受けてルリは気持ちを切り替える。

「詳細を」

「冥王星より艦隊出現。総数は六〇、駆逐艦が五〇に空母が九、それと未確認の大型艦が一隻。スクリーンに出します」

 ブリッジ前方に投影されたウィンドウには、ガミラスの艦艇が隊列を組むさまが映っている。
 まるでヒレを広げた魚のようなシルエットに目玉のような艦首の装飾、緑を基調にした有機的なデザインをした、ガミラスの駆逐艦と思われる比較的小型の艦艇を中心に、ヒトデを連想させる快速の十字型の空母の姿も見える。
 そしてその隊列の一番奥、中央には地球艦艇に近いとも言える紡錘・葉巻型の艦体を白と緑のツートンカラーで塗りわけた、多数の主砲を装備した見慣れぬ艦艇がある。
 いままで地球が遭遇したどの艦艇よりも重武装で洗練されたデザインは、初めて見るルリですらプレッシャーを感じるほどの迫力を醸し出している。
 ガミラスの主戦力であろう駆逐艦型よりも大きくて、ナデシコCにも匹敵するサイズ。あれが――敵の旗艦だろうか。
 それにしても、ステルスを駆使して近づいたはずだったが……。探知されていたのか、それともこちらの行動などお見通しだったというのだろうか。予定よりも会敵が速い。
 ルリは肘掛けのIFSボールを強く握り締めて悔しさを露にする。
 地球艦隊の力では、奇襲以外で勝ち目が薄いと言うのに。

「あの新しいやつはたぶん敵艦隊の旗艦、それも戦艦タイプだね……やっぱり出てきたかぁ。ここで私たちを完膚なきまでに潰して今度こそ戦意を折るつもりだよ。駆逐艦で接近してかく乱、空母の機動部隊で追い打ち、トドメに必要なら後方の戦艦の長射程砲かぁ」

 ウィンドウに表示されたガミラス艦隊の威容を見つめながら、ユリカが状況を分析し始める。

「乱戦に弱い地球艦艇の弱点をもろに突いてきてるなぁ。こっちは決め手になるのが相転移砲しかないし、グラビティブラストはかなり接近して当てないとほとんど通用しないし、どっちも取り回しは悪い固定砲だから当てること自体が一苦労。――新型ミサイルと宇宙魚雷だけじゃ、強力な回転砲塔を有するガミラスとの接近戦で勝つのは難しい。最低射程の問題もそうだけど、迎撃されて無力化されることも少なくないから、決定打にはならないんだよなぁ」

 ユリカの言葉どおり、地球艦隊が大敗を喫しているのはそういう理由があった。

「艦隊戦では圧倒できるけど、航空戦だと主導権を地球に取られかねないって判断して、地球側の航空戦力の対艦攻撃力の低くさを考慮した艦隊戦力で撃滅、ってところかな? 元々ガミラスの大艦巨砲主義的な艦隊運用は地球の比じゃないくらい強力だし、十八番の戦術で完膚なきまでに叩き潰してやるぞ、って意気込みが伝わってくる……。ルリちゃん、冥王星にも注意を払って。もしかしたら長距離ミサイルとかで攻撃されるかもしれないから……。木星を滅ぼしたあの大型の惑星間ミサイル、発射地点は冥王星基地だろうし、ガミラスは遠慮してくれないよ。私たちを潰せば、あとは傍観しているだけで地球が滅ぶことを、知ってるだろうから」

 ユリカにしては珍しく感じるほど、真面目で緊張感漂う声で警戒を促す。
 この場においては権限などないに等しいユリカだが、その目に狂いは感じさせない。シミュレーション全戦全勝の天才の実力は、まったく衰えていないようだった。
 予定外の事態に多少慌てたが、ルリも行き着いた答えは同じだったのですぐに落ち着きを取り戻した。
 敬愛するユリカと同じ結論に至れるほど自分も成長したのだと考えると、ルリは少しだけ誇らしく思える。これで結果さえ伴えれば文句はないのだが……。
 いや、いまは考えないでおこう。目の前の敵に意識を集中しなくては勝てる戦も勝てなくなる。
 奇襲が崩れたとしたら、次に取る手段は手垢がついたようなかく乱からの相転移砲しかない。

「敵のセンサーをかく乱して相転移砲で露払いをします。エステバリス隊は発進準備を。相転移砲の発射と同時に発進してください」

 指示しながら腹に力を入れるルリ。

「ハーリー君、索敵・情報解析を任せます」

「任せてください」

 ハリが力強く応じる。そこに、かつて艦の全てを任されて狼狽えていた姿はない。ガミラスとの戦争の中で、彼は確かな成長を遂げているのだ。

「古代さん、相転移砲を始めとする火器管制、任せます」

「了解!」

 新乗組員の古代進が緊張の滲んだ声で応じる。

「島さん、艦の操舵を一任します」

「了解……!」

 こちらも新乗組員の島大介がやはり緊張の滲んだ声で応じる。

「ユキナさん、各艦にもナデシコの相転移砲に合わせて行動を開始するよう通達してください」

「了解」

 と白鳥ユキナの声が元気のある声で応じた。
 ガミラスとの戦闘が激化する中で、切り札として投入されたナデシコCはいくらかの改装が施され、艦首重力ブレードの根本にミサイルランチャーが、エンジンの出力強化で禁断の相転移砲までもが追加装備されている。
 重力波通信の有効距離も延伸され、ガミラス艦に侵入したときのデータなどを参照に通信システムに改修を受け、いままでよりも長い距離からかく乱が狙えるようになった。
 さすがに完全掌握するにはデータが不足しているため、気休め程度のかく乱が精一杯だが、ないよりはずっとマシだった。
 これらの改装の影響とルリが全力でかく乱に回らなければならないことから、ハリへの負担増大を懸念され、艦の管制システムも変更を余儀なくされた。
 ブリッジ自体を小規模ながら改装し、あのヤマトを参考に管制席が増設された。
 火器管制を担当するスタッフとして古代進、艦の操舵担当として島大介が新たなブリッジメンバーとして乗艦している。共にまだ一八歳になったばかりの新人。
 学校を繰り上げで卒業してすぐにナデシコCに配属となり、この戦いが初陣となるのだが初陣が実質悪あがきに近い決戦であることは気の毒に思う。
 ――気になるのは、特に進と大介の人事にユリカが口を挟んできたことだろうか。
 この二名は「この役職が適切だと思う」と強引に意見を通した姿には、含みを感じずにはいられなかったが、実際適正にも叶っているのでそのまま採用となった。――なにかしら接点があったのか、それとも件のヤマト絡みだろうか。
 さらに通信士として、呼んでもいなかった白鳥ユキナも乗艦している。保護者のハルカ・ミナトには止められたが、持ち前の行動力で振り切って強引にナデシコCへの乗船を求めたのだ。
 彼女なりになにかしたかったのだろうとルリは勝手に解釈するに留めて、敢えて深い理由は聞いていない。彼女もなにも言ってこないので詮索はしないのが礼儀というものだろう。

 決戦の火蓋を切って落とそうとしているナデシコCの隣では、かつての仲間であるアオイ・ジュンの乗る戦艦アマリリスが、防衛のために陣取っている。
 かつてルリを「電子の妖精」と褒め称えていたアララギ率いる艦隊は、先の戦いでナデシコCを庇って壊滅した。
 おかげでナデシコCは逃げ延びることができたが、ルリたちの心に重い影を残すだけで事態はなんら好転しなかったのだ。
 ――今度こそは。
 ジュンのアマリリスに、彼らのあとを追わせるわけにはいかない。なんとしても成功させなければ……!

 ルリは決意を固めてガミラス艦に向け、かく乱のための欺まん情報を強制的に送り込んだ。
 ――効果はすぐに見られた。
 地球側よりも射程が長いはずなのにガミラス艦は砲撃をしてこない。さらに隊列にもわずかだが乱れが見える。
 ルリは額に浮かぶ汗を拭うことも忘れて全力で妨害に努める。
 ナデシコCの、オモイカネの処理能力の大半がこのかく乱作業に使われる。強化された相転移エンジンをもってしても、システム掌握機能と相転移砲を同時に使えば一時的にエネルギーが枯渇してシステムのかく乱は停止、ナデシコC自体も再チャージにかなりの時間を要することになる。
 ここで打撃を与えられなければ一巻の終わりだった。

 初めての実戦で緊張で震えながら、進と大介は割り振られた作業を進めていた。
 進はハリの補助のもと、相転移砲の準備を整える。

「敵艦隊に向けて回頭完了!」

「相転移エンジン、トライ・パワー・トゥ・マキシマム!」

 ナデシコCがガミラス艦隊の中央に艦首を向け、相転移エンジンの出力を最大にまで上げる。
 強化された相転移エンジンが唸りを上げ、莫大なエネルギーを生成して必殺の一撃を放たんと身を震わせる。
 相転移砲のシステムを追加された左右の重力ブレードの先端がわずかに前進してから、外側に向かってスライドする。
 露出した発射口にエネルギーが集中していく。――あとは引き金を引くだけだ。
 センサー類がかく乱されているいまなら間違いなく決まるはず。相転移砲の加害範囲なら相当な打撃を与えられる、上手くいけば一網打尽も可能だ。
 引き金を握る進にも緊張が走る。
 普段から血気盛んで直情的な古代進ではあったが、緊張から額に珠の汗が浮かぶ。
 この一撃だけは外せない、戦果を上げなければならならない。
 なぜならこの戦場には進の大切な――。

「落ち着けよ古代。慌てると仕損じるぞ」

 額に汗を滲ませながらも冷静な態度を崩さない大介が声に声を掛けられて、進ははっとする。
 絵にかいたような優等生タイプの島大介は、訓練生時代からの同期であり親友だった。
 自分もいっぱいいっぱいであろうに、こんな時でも進のフォローを忘れない彼の姿勢に、ただただ頭が下がる思いだ。

「わかってるさ。この一撃で全てが決まるんだ」

 親友の言葉に幾分冷静になった進は、改めて相転移砲の照準を調整する。
 確実な照準。これ以上時間を与えたら妨害される。
 焦りでまた震えそうになる右手を左手で押さえつけながら、進は相転移砲の引き金を引いた。

「相転移砲、発射!!」

第一話 人類SOS! 甦れ、希望の艦! Bパート