正体不明の宇宙船との遭遇を終えたナデシコCは、火星軌道を通過して一路地球へと向かっていた。
結局ユリカは不明物体――脱出カプセル――のそばで捕獲された。ブリッジに連行されたユリカはルリの雷の直撃を受けるはめになる。
素晴らしく冷ややかな目で理路整然と責め立てる激怒状態のルリの姿に、さすがのユリカもタジタジで、土下座を繰り返しながら謝罪する。
まるで米つきバッタみたい、と評したのはユキナだった。
異星人の女性の亡骸はユリカの要望で丁重に扱われることになり、最終的には一度火星に寄り道して、その大地に墓を建てて葬ることになった。
ユリカは異星人の亡骸がサンプルとして扱われることに強く反対し、ひとりの人間として、せめて土の上で安らかに眠れるように弔ってあげたいと強固に主張し、それにルリが折れたかたちだ。
その遺体はユートピアコロニー跡の高台に埋葬され、どこから来たのかもわからない異邦人は、火星の大地へと還っていった。
埋葬作業に駆り出された進は、その女性の容姿が雪にそっくりなことに驚き、広大な宇宙には地球人と同じような命が存在していることに宇宙の神秘を感じたという。
その後、ユリカは今度こそ医務室に連れられて監禁されることが決定された。
当然ユリカは「監禁ってなによぉ〜」と文句を口にするが、無言で鋭く睨むルリの迫力にあっさりと屈し、脂汗を浮かべながら首を縦に振ることになる。
そして監視役として古代進が傍らに鎮座することとなった。
ユリカに対していい印象がない、どころか恨みを抱いている進に任せるのはルリとしても気が引けたが、自分は離れられないし補佐役としてそばに置いておきたいハリとサブロウタも駄目。
結局、現在手が空いている戦闘部門の人間で、その感情ゆえに彼女に決して甘い顔をしないであろう進が適任であると判断されたのは、ある意味必然であったのかもしれない。
対する進も、病人に殴りかかろうとした後ろめたさもあって(渋々ながら)承諾し、進に対して後ろめたさのあるユリカは、大人しく医務室で休養することになったのである。
だが、この出来事があったからこそ以降の二人の関係があったとを思えば、最良の決断であったと言っても過言ではないのかもしれない。
「それ、おいしいんですか?」
昼食の時間。
ベッドの上で上半身を起こして食事を摂るユリカ。なのだが、その食事内容が珍妙に見えた進は、あまり口を利きたくないと思っていたにも関わらず、思わず訪ねてしまった。
ベッド用テーブルの上に置かれたスープ皿の中には、とろみのあるスープのようなものが注がれている。
見かけはオレンジ色に近くてニンジンスープのようにも見えるので、そこは気にならない。
だが湯気と共に漂ってくる匂いはひどく薬品臭く、隣で昼食として持ってこられたクラブサンドイッチを齧っている進までもが、自分が病人になった気分になるほどだった。
「全然。はっきり言ってまずいよ」
言いながらもあまり嫌そうな顔をせず、黙々と口に運ぶユリカを見てさらに追及したくなる。
「どうしてそんなもの食べてるんですか? もしかして、普通食が食べられないとか?」
少々不躾かと思ったが気になるので聞くことにする。本当に気になるのだ、目の前のスープもどきが。
「うん。食べると吐くし消化できないの。……最初気付かないで食べたらエライ目に遭ったしねぇ……」
と、遠い眼をしながら語るユリカに進は気持ちが数歩後退する。
食事中だと言うのに、その『エライ目』とやらを想像してしまったのだ。恐らくリバース……オェ。
「でも点滴だけじゃ栄養が不足しがちだし、せめて食べる形式くらい採ってたほうが精神衛生上いいんじゃないかなぁ、って気を使ってくれたみたい。一応味とか匂いも頑張ってくれてたんだけど、これが限界みたいで……最近地球も食糧事情が厳しいでしょ? だから薬に近いとは言っても、用意してもらえるだけ贅沢だから文句は言えないよ」
遠い眼をしたユリカの言う通り、地球の食糧事情は一気に悪くなった。
地球の環境はガミラスの手で激変してしまい、農作物がまともに育てられず、インフラも停止状態に近いため流通も行き届いてなくて、倉庫などに保管されていた無事な保存食を取り出して配るのにも、かなりの労力を要している始末だ。
そう、いま地球は死に絶えようとしているのだ。
医務室でユリカと進が食事をしている時、地球に向けて航行中のナデシコCの横を隕石が通過する。
最大巡航速度で航行するナデシコCよりもずっと速い速度で、直径が一〇〇メートルほどの球状の小天体が地球に向かって飛び去って行く。
「――遊星爆弾を確認しました。迎撃しますか?」
オペレーター席のハリがルリに伺いを立てるが、ルリは力なく頷いた。
「お願いハーリー君。ひとつやふたつ破壊したことで焼け石に水を通り越していまさらだけど……」
ルリの許可を得て、ハリはグラビティブラストを発射して小天体を破壊する。その顔には喜びもなく、むしろ諦めにも近い感情が張り付いている。
――そう、もう手遅れなのだ。
ナデシコCの帰投先、地球。
その姿はガミラスの遊星爆弾の影響で変貌を遂げていた。
かつて地球は青い星と呼ばれていた。しかしいまは――。
『白い星』と呼ばれている。
スノーボールアースと呼ばれるその姿は、かつて地球が経験したことがある姿だと学者は言っている。
いまの地球はすべてが凍り付いていた。
ガミラスの落とした遊星爆弾は、単なる質量弾ではなかったのだ。
地球の成層圏付近で自爆し、太陽光の反射率(アルベド)が非常に高い粉塵をばら撒いて太陽光を遮ったのである。
その遊星爆弾が幾発も落とされ、ついに地上に太陽光は届かなくなった。
さらに一部の遊星爆弾にはガミラスの物と思われる人口変圧装置が内蔵されていて、反重力フロートで大気中に浮かぶと気象を操作し、人口の嵐を巻き起こして地表を大混乱に陥れた。
その結果地表は猛烈な吹雪に見舞われ、見る見るうちに海は凍り、大地も森も、すべてが凍り付いていった。
世界全土が南極の極地のような、極寒の世界が到来した瞬間であった。
猛烈な吹雪によって地表の多くは雪に飲まれ、その重みで多くの家屋が押し潰され、道を塞がれ、飢えと寒さで数多くの犠牲者を出した。
またエネルギー問題も深刻になった。
発電施設の殆どがこの異常気象の前に正常に働かなくなり、電力を生み出せなくなってしまったのだ。
この状況を改善すべく、ガミラスの襲撃を生き延びた軍艦やタンカーのカーゴブロックなどを改造した急増の避難所が各所で設立され、人々はそこを新たな住居とした。
現存している耐核シェルターなどもすべて開放して避難を促したが、間に合ったのは総人口の一〇分の一程度で、残りはすべて死に絶えたとされている。
艦隊による軌道上からの艦砲射撃だとか、地上部隊による制圧などは行われなかったがその意図は明らかだ。
降伏もせず愚かにも歯向かい続ける地球人類を嬲り殺しにするつもりなのだ。
悪魔のような所業は多くの人々の心を抉り、その希望を奪い去っていった。
環境破壊による被害者も大きかったが、明日への希望を失ったことで自ら命を絶ったものも多い。
地球と人類は、間違いなく破滅の淵にいるのだ。
ユリカがあの時見た記憶にある、遊星爆弾による放射能汚染で赤茶けた、並行世界の地球と同様に――。
一切の救いを感じさせない、絶望の世界へと変じていたのだ。
新宇宙戦艦ヤマト&ナデシコ ディレクターズカット
第二話 最後の希望! 往復三三万六〇〇〇光年の旅へ挑め!
「ごちそうさまでした」
ユリカは皿の上にスプーンを置くと、両手を合わせてそう言った。
決して満たされる食事ではないだろうに。
だがいまの地球の状況を見れば、このような食事を用意してもらえるのは、彼女が言うように優遇されているに違いないのだ。感謝こそすれど文句など言えようはずがない。
とはいえ、
「はあ……普通のご飯が食べたいよ……」
と小声で愚痴っていたのを聞き逃せなかった。
さきほどは文句は言えないと口にしていたが、やはり辛いのだろう。
進は聞こえないふりをしながら、自分が食べているクラブサンドイッチを見る。
これもいまのご時世では貴重品となった生野菜を使用している。一度凍り付いて解凍したものなので、風味もなにもあったものではなかったが。
食糧事情で不幸中の幸いだったのは、氷漬けになったことで食糧の多くは傷んでいないことであったと言えよう。
いまは防衛艦隊に回せないような型遅れの機動兵器などを駆使して、氷に閉ざされた倉庫などから食料をなんとか回収して凌ぐことができている。
とは言え、すべての食糧が無事というわけでもない。建物の倒壊などで押し潰されてしまっているからだ。
寒冷化で食料を生産するプラントが停止しているいまは、合成食品であっても確保が難しい状況が続いている。
このままでは、遠からず食糧難で更なる犠牲者が生まれ、最後には――。
「どうしたの古代君? 食べないともったいないよ?」
と、進の手に握られたサンドイッチに目を向ける。――お願いですからその羨望の視線を止めて下さい。不要な罪悪感を感じてしまいます。
「え? ああ食べますよちゃんと。そりゃもちろん、もったいないですし」
そう言って進は半分ほど残っていたサンドイッチを口に押し込む。
正直彼女の状況を知ってしまえば、その眼前でちゃんとした料理を食べるのは居心地が悪い。
――なぜこんな思いをしなければならないのだ。いや、事情はどうであれ上官に殴り掛かった懲罰と思えばこれほど楽なものはない――と思い込もう。
押し込んだサンドイッチを、これまた届けられたパックの薄いコーヒーで流し込む。味も香りも大して期待できない代物だが、これすら貴重品なのだ。
「――ねえ古代君」
進が口の中のものを飲み込んだのを見計らって、ユリカは話を切り出した。さきほどまでと違って真剣な顔だ。
「お兄さんのこと。本当にごめんなさい。謝って済む問題じゃないけど、謝らせて」
そう言われて進は胸が騒めくのを覚えた。意図的に避けてきた話題だ。
進は胸の内でまた感情が沸き立つのを感じたが、場所が場所で、相手が相手なのでなんとか抑え込む。
「いえ。本当の意味で兄を殺したのはガミラスです。大佐の行動がなければ、俺はこうして生きていられなかった。敵を討つことができるだけマシです……その、殴ろうとしてすみませんでした。命を危険に晒してまで俺達を助けてくれたのに」
内心の葛藤を抑え込んで務めて冷静に対応する。それくらいは大人でありたいという強がりでもあるし、罪悪感を覚えたのは本当のことだから、謝っておきたいのである。
「ううん。助けられなかったのは事実だから。殴りたかったら殴っていいよ。一発くらいなら問題無いと思うし、気の済むようにして欲しいの」
「嫌ですよそんなの! 万が一の事があったら、艦長はどうするんですか!?」
ユリカの問題発言に、医務室だと言うのについ声を荒げてしまった。
言ってから我に返って周りを見渡すと、会話の内容自体を聞かれていたためか皆苦笑して見逃してくれた。
ナデシコCの乗組員は気のいい人たちが多くて助かる。でもニヤニヤ陰で笑わないで欲しい。そういうのじゃないから。
対するユリカは進の叱責に目を丸くして驚いたようだ。
「うん、そうだね。ルリちゃんをこれ以上心配させるのは良くないよね――ありがとう古代君。ルリちゃんのこと心配してくれて」
「べ、別に許すとかそういうんじゃないんですから、その言い方は、その、なんだぁ、不適切だと思います」
微笑みと共に感謝の言葉を言われた進は、照れ隠しの為に悪態をつくが、どうにもテンプレートなツンデレっぽい対応になってしまった。その様子にユリカはくすりと笑う。
とても親しみやすく、年上が年下を見守る暖かい視線に、進は亡くなった両親のことを思い出した。
トカゲ戦争の頃、まだ進が一二の時に、両親は無人兵器の攻撃の余波に巻き込まれて死んだ。
たまたま軍の学校に通う兄を訪ねて、その帰りのバスを時間に合わせて停留所で待っていた両親が偶然巻き込まれたのだ。
進はトラブルで予定のバスに乗り遅れたため助かったが、それは救いとは程遠かった。
結局、進はそのことが原因で軍人への道を走ることになった。もしかしたら唯一残った肉親と同じ道に進むことで、自己保全を図ったのかもしれない。
生来心優しく喧嘩も嫌いだった進が、憎しみから真逆の道に向かって走り始めた瞬間だった。
幸か不幸か、進が戦場に出る前に戦争は終結した。そしてその正体が過去に地球から追い出された同胞であり、非は地球側にあったことも知らされて、進困惑を隠せなかった。
感情は中々納得してくれなかったが、なんとか復讐心を抑え込み、自分のような悲しい人を生まないようにと、世界を脅かす脅威から市民を護りたいと、軍人の道を突き進む道を選んで今日に至る。
しかし、結果として進はまた家族を失った。気持ちだけは先走るが、戦うための力が足りない。
いまの地球の力では……ガミラスに勝てないのだ。
急に沈み込んだ進の様子に心配になったのだろう、ユリカに話しかけられて進はようやく自分が思い出に浸ってしまっていたことを自覚した。
なんでもないと誤魔化そうとするが、亡き両親を思い出したことで薄っすらと涙を浮かべてしまっていたのを見られたようだ。
観念した進は亡き両親のことと、自分が軍人になった理由、そして軍人として果たすべきだと思っていることをユリカに話す。
ユリカはなにも言わずに黙って最後まで聞いた。
「そっか。戦争で家族を……」
すべてを聞いたユリカは進をちょいちょいと手招きする。
何事かと顔を近づければ、いきなり抱きしめられた。
大人の女性、しかも病気で衰えた体とは言え、まだ若い女性の胸元に顔を埋める形になった進は、一瞬思考が吹っ飛んだ。
「なっ!?」
突然の事態にパニックに陥り離れようとするが、筋力が落ちているはずのユリカの腕を外せない。
「辛かったね。悲しかったね……お兄さんのこと、本当にごめんなさい。償いと言ったら変だけど、これからは私がお姉さんにでもお母さんにでもなってあげるから。辛かったらいつでも頼ってくれていいよ……これでも私、子持ちの主婦だから」
そう言って頭を撫でられる。恥ずかしくて顔から火が出そうだ。彼女としては善意のつもりなんだろうが正直ありがた迷惑だ。
背中に邪な視線を感じて居心地が悪くなった進は、なんとかユリカを振り払って「トイレに行きます」と顔を真っ赤にして立ち去る。
――本来の役目であるユリカの監視のことなどすっぽ抜けてしまった。
ユリカはどうして進が逃げたのかをイマイチ理解できないながらも、ここは大人しく休もうとベッドの潜って目を閉じる。
もうまもなくヤマトが目覚める。
彼女が目覚めれば、この状況を一気に覆す事ができるはずだ。
それまでは少しでも心と体を休めて備えよう。前人未到の長旅のために――。
(それにしても古代君可愛かったなぁ。お兄さんのこともあるし、私が優しく癒してあげないと。うん、ルリちゃんだって引き取った時には結構大きかったんだし、古代君をそう言う風に扱ってもまったく問題無いよね!)
などと、進にとってはありがた迷惑な思考を巡らせながら、ユリカは睡魔に誘われて眠りにつく。
対する進は方便だったはずのトイレを本当に済ませてから戻り、すやすやと寝息を立てているユリカにがっくりと肩を落としたあと、監視任務を続行すべく椅子に腰かける。
「はあ……俺、これからこの人に振り回されそうな予感がする」
結論から言えば、不安的中だった。よくも悪くも。
苦々しい気分で遊星爆弾を粉砕したあとのブリッジでは、異邦人の女性が持っていた正体不明のカプセルの解析作業が行われていた。
摩訶不思議なデザインのカプセルであったが、解析を進めるにつれてそれが通信カプセルであることが判明した。
少々苦労はしたが、ルリとハリというIFS強化体質のオペレーターと、オモイカネと言う地球で最も優れたコンピューターがそろったナデシコCで解析できないほどではない。
と言うより、最初からプロテクトの類はかかっておらず、単にデータを読み取るための方式の構築に少々苦労したに過ぎない。
懸念していたウイルスの類も検出されていないので、データを呼び出してみることにした。
地球帰還までまだ日数が掛る。ならばここでやっておいたほうが時間の節約になるというものだ。
解析さえ終えてしまえば長距離通信を利用してイネスあたりに取りに来てもらい、地球に届けてもらえるだろう。
詳細な内容は防諜を考えると伝えられないが、ユリカの体調が心配とでも偽れば、イネスを呼ぶこと自体はさほど難しくない。主治医だし。
「スクリーンに出します」
ハリはごくりと唾を飲み込み、再生スイッチを入れる。
『――私は、イスカンダルのスターシア』
メッセージの出だしはこうだった。画面に映し出されたのは床まで届きそうな長い金髪をもつ、絶世の美女だった。――火星で埋葬した、あの異邦人の女性そっくりの。
青い軽やかなドレスを身に纏った、地球人とほとんど違わない容姿も然ることながら、驚くべきことに地球の言語、しかも日本語を話しているではないか。
『私の妹サーシアが、無事地球に辿り着き、このメッセージがあなたがたの手に渡ったのなら、イスカンダルへ来るのです。――このメッセージを疑っている余裕はないはずです。ガミラスによる環境破壊で、地球の生物が滅びるまで、あとわずかに一年。しかし、私どもの手には惑星環境復元装置、コスモリバースシステムがあります。残念ながら、もう私の力でこれを地球に届けることはできません。銀河系を隔てること一六万八〇〇〇光年。私は、あなたがたがイスカンダルへ来ることを信じています。そのための船を、あなたがたはすでに手にしているはず。――旅立つのです。遠き、イスカンダルに向かって。生き残るために。――私は、イスカンダルのスターシア』
メッセージはそこで終わっていた。そして続けて表示されたデータは銀河系やイスカンダルを有するであろう大マゼラン雲までの宙域データ、そして……。
「艦長、これって!?」
ハリの驚きの声にルリも目を見張る。そう、そこに映し出されていたのは待望のデータだったのだ。
「これは、もしかして波動エンジンの完全なデータ!?」
ヤマトの再建をあと一歩のところで邪魔していた波動エンジン。その完全版のデータだった。
ユリカから聞かされた限りでは、ヤマトに搭載されている波動エンジンは、厳密にはその世界の地球で大幅な改良を受けたモデルであるが、本体はもちろんヤマトのデータベースも破損していたため、コア部分の完全な再現ができないでいるのだという。
それを補うばかりか、さらなる改良を可能とするデータの数々。
詳細を知らないルリですら圧倒されずにはいられなかった。
それに、その波動エンジンの生み出す莫大なエネルギーを一挙に吐き出す究極の破壊兵器、波動砲に関する資料すらも添付されているではないか。
そうか、そうだったんだ。これがユリカの言っていた希望の片割れ……!
あの宇宙戦艦ヤマトを復活させるための最後のピースにして、地球を破滅から救い出すウルトラC! 本当に実在していたんだ。ユリカは正しかったのだ!
「このデータがあれば、ヤマトは蘇る! 地球を救う最後の希望が!」
ルリが興奮冷めやらぬ様子でウィンドウに視線を釘付けにしている。
その図面は少しずつ移り変わり、最後にはなんらかの化学式を大きく映し出していた。
「これは?」
食い入るようにウィンドウを見ていたユキナも、最後に現れた化学式に首を捻る。なにを意味しているのかわからないからだ。
「俺は専門外だけど、これ薬品かなにかじゃないか? どう見ても波動エンジンとは無関係っぽいぞ?」
サブロウタも首を捻る。
「このデータ、医務室に送信してください。専門家に見てもらった方がいいでしょう」
その後、医務室にて送られてきた化学式の内容が解析され、非常に高度な医薬品と医療用のナノマシンであったことが判明した。
それを使えば今現在大怪我や病気で苦しんでいる人々はおろか、ユリカの時間をわずかではあるが引き延ばし、その夫でありルリの家族でもあるテンカワ・アキトの五感の回復も期待できることが判明したのは、まもなくのことであった。
なお、そのことを医務室にいるユリカに伝えようとしたら、肝心の彼女が爆睡していたために、ルリはそわそわとユリカが目覚めるまでの八時間ばかりを落ち着かず過ごすはめになったという。
――幸せそうにグーすか眠るユリカの寝姿に、ちょっぴりイラっと来たのは言うまでもないだろう。
「アキト君、ちょっといいかしら?」
テンカワ・アキトは唐突に部屋を訪ねてきたエリナ・キンジョウ・ウォンにそう声を掛けられて、憂鬱そうに首を部屋の入口に向けた。
「なんだエリナ。今日の輸送はもう終わったはずだぞ」
アキトはあまり感情を感じさせない声で応対した。
彼は現在ネルガルの月施設の一角に匿われている。アキトがここに滞在しているのは、ネルガルが匿っているのもそうだが、アカツキ・ナガレ会長からの厳命によって体の治療と並行しながら、アクエリアス秘密ドックへの物資運搬や人員の輸送にボソンジャンパーとして協力させられているからである。
ガミラスの攻撃で月の居住区はとうに壊滅しているし、ネルガルの月面施設もガミラスの攻撃に晒されてはいるのだが、ガミラスは偵察以外では地球近海には出現しないため、月面とアクエリアス大氷塊は息を潜めながらではあったがその機能を維持し、最後の反抗作戦のための準備を進めているのだ。
――ただ、アキトにとっては特別関心を引くことではなかった。
ユリカたちに迷惑が及ぶ可能性があることや、アカツキたちネルガルの上層部が、宇宙軍と密約を交わして自分への追及をうやむやにしていることを知らされたこともあり、尽力してくれただろうアカツキや義父の気持ちを無駄にできないと考えたからこそ大人しく引きこもり、ネルガルの企てにも協力しているが、それは義理の域を出ないものでしかない。
本音を言えば、もう他人とは関わりたくないと思っていた。こんな薄汚れた大罪人、見捨ててくれればいいのにとさえ思っている。
……いや、本音のほうではそうではないといい加減気付いている。
自分は――許されたがっているのだ。あんな悲劇に見舞われたのだ、たしかに罪は犯したしそれを償わなければならないとは思うが、奪われた幸せを取り戻したいという欲求を完全に消し去ることはできないでいる。それを自覚しているからこそ、自分の浅ましさが許せなくもあるのだ。。
それに――もしも平穏な生活に戻れたとして、どう生きていくというのだ。
こんな壊れた体では、ユリカに、ルリちゃんに迷惑をかけるだけだ。だったらいっそ、死んでしまったほうがマシでは――。
そう考えたことは数知れないが、アカツキたちへの義理――という言葉で逃げ続け、ただただ無為な時間を過ごしていた。
いや、無為というのは正確ではないかもしれない。
自由な外出は当然禁止されていたが、代わりにここ三か月ほどの間はアクエリアスドックへの物資輸送のほかに、開発中の新型機動兵器のテストパイロットを、師匠と呼ぶべき月臣元一朗と共に任されていたからだ。
コックピットの仕様が根本から変わったためなかなか慣れないでいたが、最近はようやく馴染んできて、思い通りに動かすことができるようになっている。
新型というだけあって、たしかに既存のどの機動兵器よりも優れた性能だと素直に称賛……していただろう。その機体の開発主任がウリバタケ・セイヤで、『あの』Xエステバリスの発展型と聞かされていなければ。
厳密には月面フレーム――つまり相転移エンジン搭載フレームのデータも組み合わせた、双方の発展型に相当するらしいが、先述のインパクトが強すぎた。
いまのところは特別問題を起こしてはいないのだが――もしかしたらエリナの要件もあれ絡みなのだろうか。
「ナデシコCから連絡があってね。いまイネスが取りに行ったけど、あなたの体の治療に使えそうな薬や医療用ナノマシンのデータが、異星人からもたらされたんだって」
「なんだとっ!?」
思わず興奮してしまう。きっといまは、顔中にナノマシンのパターンが発光していることだろう。
――火星の後継者の人体実験の後遺症、その身に刻み込まれた狂気の産物が。
「それを使えば、あなたの体に過剰投与されたナノマシンの除去や、壊れた五感の再建も可能で、推測ではほかの問題も克服できるわよ。異星人さまさまのご都合主義ってやつね」
エリナの言葉が脳に染みるにつれ、アキトは言いようのない感覚に襲われる。
人体実験の後遺症でその機能の大半を失った五感が戻る。
それ以外にも体に来ているガタが治るのなら、不安の種だった病気などのリスクも大きく減ることになる。
つまり、日常生活において迷惑をかけることはなくなる。
そこまで考えると不意に浮かんでくる顔があった。
(ユリカ……)
想うのは、置いてきてしまった妻のこと。
復讐に身を焦がし、火星の後継者も無関係な人間も関係なく、多くの血を浴びてきた自分。
それは――彼女が大好きだったテンカワ・アキトではない。もう、彼女の王子様ではない。だから一緒にいられない。いてはいけない。
(ユリカ……俺はもう、以前の俺じゃなくなった。おまえだって嫌だろう?)
脳裏に浮かぶユリカは、アキトが大好きな満面の笑みを浮かべるだけでなにも答えてはくれない。
(それに俺は、エリナを……抱いてしまった。……そのことを知ったら、ほかの女に手を出したなどと知ったら、それこそ悲しませて、拒絶されるんじゃ)
そんな考えが堂々と巡り続けた一一ヵ月だ。
アキトのもとにはユリカの所在を含めたあらゆる情報が入ってきていない。
唯一知っているのは、ナデシコCが地球へ連れ帰り、病院に運び込まれたということだけ。そのあとどうしているのかは聞いていない。
聞くのが怖かったから自分からは聞けなかったし、周りの人間も話さなかったのでアキトは目をそらし続けていた。
ガミラスの侵略のことは嫌でも耳に入るし、放っておけば地球が滅ぶ――ユリカもルリも死ぬとわかっていても、ガミラスと戦おうという気概は浮かんでこなかった。
それほどまでにアキトの心は消耗していたし、自分ひとりが参加したところで事態が好転するはずもないと理解していた。
アキトは――絶望を覆すヒーローなどではない。
回復の可能性が示されたのは嬉しい。だが治ったところでなにをすればいいのかが、わからない。
いまさら帰れない。もう見捨てたと取られても間違いじゃない行動をとってしまった。いや本当は帰りたい。でもそんなことが許されるとは思えない。俺は大罪人だ……。
アキトの思考がグルグルと混乱し始める。
それを知ってか知らずか、エリナは話を続けた。
「で、どうするの? ウチとしては被験者が欲しいところだから、さっそく治療に入りたいと思うんだけど」
「いまさら治ったところで、どうしろと言うんだ。地球はまもなく滅ぶ。無意味だろ……」
地球は滅亡寸前なのだ。どんな行動もすべて無意味に終わる。
アキトにはそう決めつけてしまっている。いや、そう言い訳して自分の気持ちを誤魔化そうとしていた。
それを察したエリナは努めて冷静にアキトに告げることにした。
「――――地球は必ず救われるわ。異星人の、いえ、イスカンダルの使者がもたらしたデータはヤマトを完成させるためのメカニズムと、救いの手段を提供する用意があるというメッセージ。そして彼女らの星までの宇宙地図なのよ。……ヤマトが完成すれば、少なくとも地球は回復する手段を持ち帰れる。ガミラスを退けられるかはわからないけど、それすらやってのけるかもしれないわ。あの艦なら……」
ヤマト。
その名前はアキトもよく知っている。自分が協力している輸送作業はすべてヤマトの復活に係わっているのだから当たり前だ。
そしてテストパイロットを務めている新型も、ヤマト艦載を目的として最適化した機体なのだと聞かされている。
……しかし、だからどうしたというのだ。
「楽観的だな……戦艦一隻であの軍勢がどうにかなるものか。あらゆる面でこちらを優に凌ぐ力を持っていて、その本拠すらわかっていないんだぞ。それをどうやって覆す……!」
アキトは苛立ち気にエリナを否定する。八つ当たりなのは、わかっていた。
たかが戦艦一隻になにができる。せいぜい限られた人間を載せた地球脱出に使えるかどうかだ。
「……戦艦一隻で木星との戦争を終わらせるきっかけを作った、あのナデシコの、それも立役者の片割れとは思えない口振りね」
八つ当たりをされてもエリナは真摯だった。
アキトを憐れむでも非難するでもなく、淡々と事実を突きつける。その態度にアキトはなおさら苛立った。
――ナデシコ。その名前はいまもなおアキトの胸中に輝く存在。辛いことも多かったが、ユリカと再会し、自分らしさを見つけ出した思い出の場所。
そして、妻ともども火星の後継者の連中に蹂躙されてしまった、在りし日の象徴。
「ナデシコはあいつの、ユリカの艦だ――俺には関係ない。どちらにせよ戦艦一隻に過度な期待を寄せるなんて夢の見過ぎだ。――ヤマトだかトマトだか知らないが、悪あがきするにしても、地球脱出船として運用したほうがまだマ――」
「そう、ならそのテンカワ・ユリカも報われないわね。あんなに頑張ってるのに、肝心の旦那様がこれじゃあね……!」
それまでポーカーフェイスを崩さなかったエリナが、ヤマトを愚弄した言葉を耳にした瞬間顔を歪め、怒りを含んだ声でアキトを非難した。
「……ユリカが、なんだって?」
「教えないわよ! 無意味なんでしょ? ともかくあなたはいままでどおりネルガルに従ってもらいます! 以上!!」
アキトの返事も待たずにエリナは部屋から出て行って姿を消してしまう。
エリナを引き留めようと伸ばした右手はむなしく宙を彷徨い、その剣幕に追いかけることを躊躇してしまった。
「ユリカ……」
妻はいったい、なにをしているのだろうか。
力なくベッドの上に腰を下ろして俯く。
アキトの中で、ユリカの現状を知りたいという欲求が渦巻く。だが、改めてエリナを追いかけて尋ねる勇気を、持ち合わせてなどいなかった。
怖かった。怖かったのだ。
ユリカに対面して万が一にも拒絶されたら。肝心な時に助けてやれなかったことをどう謝罪すればいい。逃げ出したことも。
「俺はいったい――どうすればいいんだ……?」
アキトは自分を信じることも、ユリカを信じることもできず、頭を抱えて蹲る。
彼はまだ、自分の進むべき道筋を見つけられないでいた。
アキトの部屋をあとにしたエリナは足音も荒く廊下を進む。
全身から怒りを発散させながら。
もしも人通りのある廊下であったら、誰もが恐れて道を開け、震えあがって声をかけることすらしないだろう。
「まったく……! あの朴念仁がっ!」
エリナの怒りは収まらない。
アキトが火星の後継者から救出されてから一時はその世話を勤め、彼を慰めるためにその身を捧げたこともある。
いまでもエリナはアキトへの想いを胸に秘めているが、だからと言ってそれを告げようとは露とも思っていない。
結局のところ、あの男はミスマル・ユリカ以外眼中にないのだ。……自分を抱いている時ですら。
男女の関係を持ってしまったエリナに対してはそれなりの優しさを見せることがあるが、それでもどこか距離を感じるもので一線を踏み越えてこない。
関係を持った当初こそ数回にわたって肌を重ねたが、荒れていた時期を過ぎてからはどこか距離を置いているのがわかる。
結局、行為の責任を感じているだけで、エリナを女として愛してくれるわけではないのだと、思い知らされただけだ。
そしていま、彼が愛するミスマル・ユリカは自分のすべてを賭してこの世界を救おうとあがいている。すべては夫たるテンカワ・アキトを含めた人類の未来のため。
文字どおり血反吐を吐きながら、体を壊しながら、残されたわずかな命をゴリゴリと削り落としながら。ただ未来を信じて。
たとえ世界を救えても自分が助からない可能性のほうが高いに、彼女は果敢に立ち向かっている。
アキトは好きだ、でも愛のために自分のすべてを捧げる覚悟のユリカには勝てない。それ以前に自分では彼を本当の意味で救うことすらできなかったのだ。
……だが彼女なら、彼が愛してやまない天性の明るさを持つ彼女ならきっと、アキトを救う事ができる。そのためにも彼女を護らなければならないのだ。
思い返されるのは約一一ヵ月前。アクエリアスドック内でヤマトの再建計画が本格的にスタートした直後のこと。
すでにガミラスの脅威が周知のものとなり、世界中が恐怖に駆られ始めていたところだった。
「ミスマル・ユリカ! あなた、安静にしてなさいと何度言ったらわかるのよっ!」
エリナはアクエリアス内に移送された元木星の自動造船ドックの中で、蹲って激しく咳込んでいるユリカに怒鳴りつける。
元々性格的に相性が悪く、衝突することの多いふたりではあったが、今回は当然と言えよう。なにしろ怒られている人物のほうが、客観的に見て問題だったからだ。
「で、でも……っ、私が、やらないと……」
息も絶え絶えと言った様子のユリカに肩を貸してやりながら、エリナはさらに叱る。
「ジャンプだけならドクターでもどうにかなるでしょ!? あんな無茶をして、そんなに死に急ぎたいわけ!?」
エリナが怒るのももっともだ。
止める間もなく行動を開始したユリカは、アクエリアスの海に没してバラバラになったヤマトのすべてをボソンジャンプで一度引き上げた。
ここまではいい。
問題は、その残骸を木星の使用されていない自動造船ドックにあまさず運び、アクエリアスの氷塊の中心をくり抜いて、そこにドックを送り込み、さらに内部を行き来するための小型のチューリップをどこからか見つけてきて、月のネルガルの使用されていない無人のドックとアクエリアス内のドックに設置したのだ。
この間、わずかに五日。
誰も止める暇などなかった。立て続けに行われた驚異的なボソンジャンプの応用は、イネスすら顔を真っ青にするほどのものであったという。
いずれも現在の技術では実現不可能な神業の連発だったのだから無理もない。
ジャンプにはそれなりの間があったが、その間誰もユリカの姿を捉えることができず、事前に持ち出していたであろう、わずかばかりの携帯食料と水だけで食い繋ぎ、火星に安置したはずの演算ユニットすら強奪してジャンプしたのだ。
たしかに演算ユニットさえ手中に収めればボソンジャンプフィールドの問題は改善されるが、この件でネルガルと宇宙軍は事態の隠蔽にえらい苦労をさせられた。
驚くべき行動力と手腕だが、その代償は決して小さくはない。
……その反動は確実に、その体を蝕んでいたのだ。
結局彼女を捕まえることに成功したのは、アクエリアス・ドックの中に物資と人員を運ぶと自分から姿を現した時だった。
エリナは本来アクエリアスのドックに来る予定などなかったのだが、捕獲しようと接近したところでジャンプに巻き込まれた。むろん、集められた技術者連中もだ。
誰もジャンパー処理などされていないにも関わらず、この娘は躊躇なく跳んだ。
当然誰もが死んだかと思ったが、全員が無事だった。
なにをしたのかは漠然とだが理解できた。この娘はボソンジャンプの演算ユニットが地球人を『生物』と認識できないという難点に補正を掛けたのだ。
つまり、人間翻訳機としての機能を人として活動しながらあっさりと実行したのだ。尋常ではない。
だが無茶なジャンプの連続にユリカはとうとう限界を迎えてその場で倒れ、エリナはようやく確保することに成功した次第である。
捕獲したユリカの呼吸は荒く、不規則だ。
ユリカが最後にジャンプしてからすでに五分が経過している。なのに一向にナノマシンの輝きは収まらならい。
明らかによくない兆候を見れば、エリナでなくても怒るだろう。
「あなたの体は普通じゃないの! これ以上の無茶は絶対に駄目! 大人しくベッドで寝てなさいっ!」
「だ、だめ……ま、まだコスモナイトが……!」
顔面蒼白で弱り切っているのがはっきりと見て取れるユリカだが、まだ仕事が終わっていないと休むことを拒絶する。
「だから駄目よ! ホントに死にたいわけ!? たかが戦艦一隻のためになんでそこまでするのよ!」
エリナの怒りも収まらない。ユリカに肩を貸しながら強引に医務室にまで運ぶ。
ユリカをぶち込むのなら大病院の集中治療室が適任ではあるのだが、そのためにはドックから出なければならない。
つまり出入り用に用意されていたチューリップ(ディストーションフィールド付き連絡艇も用意済み)を通るしかないのだが、それすらも彼女の体を蝕む要因だ。
仕方なくエリナは、容態が落ち着くまではここで休ませ、向こう側で待機させたイネスたちに引き渡す用意を整えるつもりだった。
そのあとは薬で意識を奪ってでも病院のベッドに縛り付けて治療させる。
そうしなければこの娘は長く生きられない。
エリナは仮設医務室にユリカを運び込むと、医者にベルトを使って拘束し、逃げ出せないようにしろと指示を出し、ドック内に引き返してヤマト再建計画に関する打ち合わせを始めた。
その場には、新入りながら素晴らしい才能と高いセンス、常識に捕らわれない発想力で実現する、ネルガル期待のニューフェイス、真田志郎も参加していた。
彼の視点から見ても、並行宇宙の戦艦であると紹介されたヤマトに使用されている技術は素晴らしいものだそうで、たしかにこの技術を吸収できれば、現在までに判明しているガミラスの艦艇に打ち勝つことができるだろうとのことだ。
同時に彼は、
「構造が非常にわかりやすいんです。まるで自分自身が手掛けたかのような、そんな錯覚すら覚えるほどに」
と、ユリカが予め用意してくれていた端末を操作して呼び出した、ヤマト艦内に残されていた設計図や各種データを参照しながら、そう言い切った。
エリナは短時間での再建が可能なのかどうか、はたしてそれで信頼性が損なわれないのかどうかが心配だったので、そこも尋ねてみたが、
「なんとも言えません。しかし、なんとかなりそうな気がします。まだあまり手を付けていませんが、不思議と作業が捗るんです。まるで……まるでそう、直して貰いたがっているような。そんな気がするのです」
真田自身も不思議そうな顔であった。
技術者ではないエリナからすればその言葉を信じてしかないので、「任せる」と一言だけ告げた。
実際、早速ヤマトにとりついた技師たちは驚くべき速度で艦内を移動し、あちこちから情報を取得して再建プランの修正を粛々と行っている。
――優秀なメンツを揃えはしたが、ここまで優秀だっただろうか。
そんなこんなで話を纏めてからユリカの様子を確認しに行くと、幾分落ち着いた様子で、だが拘束されて恨みがましい目をした彼女に文句を言われた。
「拘束を外して下さい。私が行かないと駄目なんです」
「バカも休み休み言いなさい。これからドクターに引き渡して集中治療室行きよ」
取り合うつもりはない。このまま病院に放り込んで拘束する。そうしなければこの娘は死ぬ。
彼女の要求は聞いては――。
「それとも、動けないのをいいことにあんなことやそんなことを……」
「しないわよ!」
いきなり変なことを言い出したユリカについノリツッコミする。この突拍子のない発言はいつまで経っても治らないのだろうか。
そのあと、しばらく重たい空気が流れる。
ユリカはなにか言いたげな顔で口を開こうとしては躊躇するという、ある意味では彼女らしくない態度を取り続けたが、やがて意を決したのかエリナに話しかける。
「――エリナさん、少しふたりきりで話せませんか?」
ユリカはなにか諦めたような表情で訴える。
エリナはその様子に感じたものがあり、医師らを追い出して部屋を施錠、密室状態にする。
よほど騒がなければ音漏れはないだろうし、まだ盗聴器の類もないだろう。
「エリナさん、アカツキさんから聞いたんですけど、アキトの世話をしてくれてたそうですね?――もしかしなくても、抱かれたんですか?」
いきなりの爆弾発言にエリナは盛大に噴いて咳き込むはめになった。
いつの間にアカツキに接触していたというのだ。そんな話は聞いていない。
「やっぱりかぁ……別に責めてるんじゃないんです。アキトもこのことでは責めません――肝心な時にそばにいられなかった私が悪いんですし、それに……私もほかの男に好き放題されちゃったのと同じだし、奇麗な体ってわけじゃ、ないもの……」
その時のユリカの表情は正直見るに堪えなかった。
色々な感情が織り交ざっているが、色濃く浮き出ているのは後悔や無念といった、暗い感情。
彼女を知る誰しもが、似合わないと断言する類の感情だった。
「そ、そういう言い方は卑怯だと思うわ。そばにいられなかったのも好き放題されたのも、あなたのせいってわけじゃないでしょう? 全部あのテロリストどもの仕業じゃない」
これは本音だ。むしろ一緒に助け出せなかったことを、エリナ自身悔いている。
たしかに馬が合わず対立も頻繁にしたが、だからといってユリカを嫌っているのかといわれると案外そうでもない。
エリナもナデシコでの影響は受けているのだ。そしてその中心となったのがこのユリカと、アキトだ。
友人だと言えるほど深い仲ではないが、かつて共に戦った仲間として、あのような理不尽な仕打ちから救ってやりたいと思ったのは嘘偽りない本音だ。
ヒサゴプランに対する嫌がらせや、貴重なA級ジャンパーを確保すべきという意見すら、ネルガルが没落し始めていたあの時期では重役会議を通るものではなく、結局会長の意向で行われた万全とは言えない救出作戦。アキトが救えただけでもマシと言えるくらいだった。
それに加えて、ユリカを奪われたアキトのあの落ち込みよう。
恋敵ではあるが、アキトを思えばこそ彼女をずさんに扱うわけにはいかない。彼のあの血反吐を吐く戦いを、無駄にはさせられない。
エリナもひとりの女としてユリカが受けた屈辱には心底同情しているし、火星の後継者の連中が憎くい。
その身を、心を徹底的に利用され尊厳を踏みにじられたのだ。心中察して有り余る。
「ともかく、アキトを支えてくれてありがとうございます。アキトが人の心を捨てずに済んだのは、エリナさんの功績が大きいと思います――だからかな、不思議とそれ自体は悲しくないんです。私は、妻として夫を支えられなかったから、支えてくれたエリナさんには感謝の言葉しかない。本当にありがとう。――だからエリナさん、もしも私が生き残れなかったら、アキトを頼めますか?」
あの時のやり取りは、いま思い出しても胸が痛くなる。
彼女は決して絶望もしていなければやけっぱちになっているわけでもなかった。
文字どおり、最後の希望を命懸けで繋いでいただけだったのだ。
ユリカはエリナとイネスとアカツキにだけと断ってすべてを語った。すでにユリカはひとりでは今後活動できないことを悟り、エリナとイネスとアカツキを巻き込むことで行動する腹積もりだったのだ。
……そう、正真正銘最後の反抗作戦に備えて。
彼女はヤマトと共にイスカンダルに向かう。
だが、その旅路の苦難は予測がつかない。
イスカンダルに着くまで命が持つかどうか……着いたとしてもそこから先、命を繋げるかどうかは予測がつかない。
「だから、アキトは絶対にヤマトに乗せないでください。私のことも全部黙っててくださいね。いまの私を見たら、きっとアキトは苦しんじゃう。自分のせいだと勘違いしちゃう――アキトはとても、きっといまでも優しくて、優しくて、過度に自分を責めちゃう人だから……だから、もうアキトは戦うべきじゃない。戦場から離れて体を治して、もう一度幸せを掴めるように、気持ちを切り替えなきゃいけないの」
エリナはユリカの独白を黙って聞いていた。
「――本音を言えば、私はアキトと一緒にいたい、台無しにされた新婚生活を再開したいって思ってます。でも、いまは無理なんです。私が欲しいのは、アキトと一緒にイチャイチャラブラブに暮らすだけの世界じゃない、アキトと一緒にラーメン屋をして、みんなで楽しく暮らせる世界なんですよ。――世界が滅んだらラーメン屋どころじゃない。食べてくれる人がいなかったら、ラーメン屋なんて……アキトの夢は今度こそ叶わない」
悲痛な声だった。それは彼女がなによりも望んで、いまは叶わない夢。
「だから私は戦わないといけないんです。正直勝算がそこまであるわけじゃないし、地球は救えても、私は助からない可能性のほうが高い――それでも、私はアキトの幸せのためならどんな絶望もひっくり返す! アキトがもう一度幸せを掴めるようにするためにも、もう一度ラーメン屋ができるようにするためにも、絶対に地球を救います! それが、アキトに助けてもらった恩返しで、妻としてしてあげられる、唯一のことだと思うから」
そこまで聞いた時点で、エリナは彼女の意思を曲げることができないと、悟った。悟らざるをえなかった。
「エリナさん。私が駄目だった時は、アキトのフォローをお願いします。私のこと、忘れさせちゃっていいです。なにをしてもいいから、アキトの心から私って存在を抹消して。……もちろん生き残れるように最善は尽くすつもりです。私だって幸せになりたいから。でも、私が生き残れる確率は、たぶん万にひとつ……だから、万が一の時はアキトを、アキトを助けて! 護ってあげて欲しいの! 復讐を始めてからもアキトを見続けてくれて、アキトのことを愛してくれてるエリナさんにしか頼めないの! だから、だからアキトを……お願い……」
最後は泣きながら懇願するユリカの手を、エリナは無言で握り締め、彼女の願いを受け入れた。
――結局ジャンプのたびに十分に休むことを確約させたあと、いくぶん回復した彼女の拘束を解き、送り出した。
彼女が、波動エンジンのコンデンサーやエネルギー伝導管など構成素材として必須であり、また使い方次第では装甲などの強化にも使えるというコスモナイト鉱石を、土星の衛星タイタンの鉱脈からボソンジャンプを利用して採掘してきたのは、それからまもなくのことだった……。
エリナはユリカの要望どおりイネスにもすべてを伝え、事前に話を聞いていたらしいアカツキもそのまま共犯者となった。
そして四人で相談したうえで、並行世界でヤマト工作班長としてヤマトの整備と改良に携わった経験のある真田志郎をヤマト再建計画の主任に据えることになった。
能力的に不足はないし、「この世界でもそのご都合主義っぷりを発揮してください」という願いも籠っている。
その後、ふたつの天才頭脳と復元したヤマトの万能工作機械の性能を駆使し、脅威的な速度でヤマトの再建と、対ガミラス決戦兵器としての性質を持たせた新型機動兵器、さらに既存兵器にも転用できる強化パーツを兼ねた宇宙戦闘機、Gファルコンのプランが形になった。
そのプランの中にはユリカが意見を出したり、それとなく提供した画期的とも言える図面や技術も散見されたが、その出所に付いて詳細を知り得るのは共犯者のみである。
なお、ヤマト再建計画にナデシコが誇る元整備班長ウリバタケ・セイヤにも参加を願うという意見はあったのだが、「再建段階で余計なギミックを付けられるのは勘弁」というユリカの(ある意味ではもっともな)指摘で見事に流れた。
とにかく前科が多いのだ。頼まれてもいない余計なギミックを取り付けてひんしゅくをかった例は枚挙がない。
が、人手不足の極みにある現状では完全に無視もできないので、新型機動兵器に関しては協力を求めることになり、その過程でXエステバリスをモデルにその完成系を目指した機体としてのプランが正式に認められ、最終的な形が完成した。
その機能の大半は彼のアイデアと要望によるものだが、一部は真田も協力して互いにしのぎを削ったのだとか。
その結果、別用途で開発されていた新兵器が機動兵器用に手直しされて搭載可能になったのだ。それは間違いなく彼の手腕によるものである。
しかし予想されるその兵器の威力の高さゆえ、必要とされているのをわかっていながらも、苦々しい顔をしていたのが印象に残った。
ユリカはエリナに説き伏せられたこともあり、可能な限りの休息と治療を受けることは受け入れたが、イネスと協力しながらも壊れかけの体を騙してジャンプを繰り返し、作業に必要な鉱物資源の運搬などを繰り返した。
いや、繰り返さざるをえなかった。
再建計画に必要な、地球では手に入らない鉱物資源の採掘場所自体はヤマトのデータベースから判明していたが、土星の衛星への一気に到達するような超長距離ボソンジャンプを軽々実行し、あまつさえボソンジャンプで埋蔵された鉱物資源を、それも不純物を極力除外した状態でジャンプさせる神業を行使できたのは、演算ユニットと繋がったままの彼女しかいなかったのだ。
ヤマト再建計画が恐ろしくハイペースで進んだ理由の一端がこれだ。
本来必要な採掘作業や精錬作業の過程を一部でも省略して資材を提供されれば、作業時間は大幅に短縮できる。
単なる移送だけならイネスも協力できたが、この神業の模倣だけは無理だった。
なにより彼女はジャンパーとしての能力を行使するよりも先に、科学者としてその頭脳をフル回転させて、ヤマトの再建とガミラスに対抗できる新型機動兵器開発に協力するほうが優先された。
だから、ユリカが頑張るしかなかったのだ。
結局、その無理が祟って彼女はまともな治療ができないほど体を壊し、寿命を大きく縮めてしまった。なかば予定調和とはいえ心痛まずにはいられないほどに、彼女は壊れてしまった。
だがそれほどの無茶を繰り返しながらもナノマシンの活動を極限まで抑え込んで、それでいて演算ユニットへのリンクを最大限に活かしたジャンプを実行できたのは、彼女の精神力の強さあってのもの。
それを支えた感情こそが――愛。
彼女はその感情だけを支えに、死神の誘いを幾度となく跳ね除けて生き残ってきた。
すべては最愛の夫が生きる世界のため。
すべては愛する家族が幸せに生きられる世界のため。
彼女は文字どおり命すら捨て去る覚悟をもって困難に立ち向かう道を選び、そして今日というこの日まで、最後の希望を繋ぎ止めることに成功したのだ。
エリナはふつふつと頭が煮えるのを抑えられないまま、通信室に飛び込んで地球にいるアカツキに連絡を入れた。
ナデシコCが回収した通信カプセルのことやその内容、そしてアキトには一方的に従うように命令して治療するつもりだと、鼻息も荒く伝える。
本当ならあそこでユリカの名前を出すこと自体が約束に反しているのだが、さすがのエリナも我慢の限界に来ていた。
アキトの気持ちもわかるから尊重してきたし、ユリカの気持ちもわかるから尊重してきたが、現在進行形で壮絶な戦いを繰り広げている彼女の姿を思い出すと、アキトの発言の無神経さがことさら癇に障ったのだ。
「ははは! その調子じゃテンカワ君はまだぐずってるのかい?」
「ええそのとおりですとも!……まったく、このままじゃルリちゃんもかわいそうよ。相当追い詰められてるって聞いてますから」
エリナはアキトにこそ伝えていないが、ルリを含めてアキトに縁のある人の近況情報は可能な限り集めていた。個人的に心配だと言うのもあるが、アキトが再起した時、必要になると思ったからだ。
「困ったもんだねぇ彼も。いや、ユリカ君もか。結局似た者同士ってところかな? 意地っ張りで周りの心配そっちのけでやりたい放題。お似合いってやつかな?」
アカツキの軽い物言いにエリナは頭にさらに血が上るのを感じた。ただし相手は彼ではなく、
「ええ本当に迷惑ですわ! 夫婦そろって散々人を振り回してくれて!」
悔しいやら心配やらで頭が沸き立つのを抑えられない。
共犯者となって以降、エリナとユリカは急速に距離を縮め、友人と言って差し支えのない関係にまで至っていたが、その関係に至ったからこそなおさらユリカの無茶が心を抉る。
きっとナデシコに乗る前の、野心のためなら他人を平然と蹴り落とせる自分だったらこうはならなかったはずだ。
結局エリナもナデシコに毒された人間。
だが後悔はしていない。だから自分がすべきと信じたことをする。
「会長。私もヤマトに乗艦しても構いませんか?」
これしかない。エリナはそう確信した。
地球に残ったところでできることはない。しかしヤマトに乗れば彼女のバックアップを務めることができる。口では強がっていても、無理を重ねていることは明らかなのだ。
彼女が最後まで折れないようにするためには、どうしても補佐がいる。
追いつめられているルリだけでは不安だし、ヤマト出現以降接点の多い自分が行かなくてはお話にならない。
……ユリカはきっと怒るだろう。彼女は自分が地球に残り、アキトを支えることを望んでいる。
だがこれだけは引けない。
いまはひとりでも多く、彼女を理解して支えられる人間が必要なのだ。
「言うと思った。構わないよ。君とドクターとゴートくんはヤマトに乗艦して、彼女のサポートを務めてあげて」
アカツキは快諾してくれた。口ぶりからするに向こうから頼むつもりだったのだろう。
それからまもなく、ナデシコCに通信カプセルを引き取りに行ったイネス・フレサンジュが戻ってきた。
相も変わらず無茶をしたユリカを叱ってきたとは、本人の弁である。たぶん本当のことだろうと、エリナは思った。
ナデシコCが回収した通信カプセルのメッセージは、すぐに地球連合政府にも届けられた。
その内容を鵜呑みにする政治家や軍人は少なかったが、メッセージの内容どおり、疑っている余裕はなかった。
最新のデータによれば、地球人類が生存限界を迎えるまでの時間は一年ほどしかない。
頑張ればもう少しだけ伸ばせるかもしれないが、どちらにしても迷っている時間はなかった。
そしてこのタイミングでネルガルと宇宙軍が匂わせるだけに留めていた、宇宙戦艦ヤマトの存在が連合政府内で公のものとなった。
民間への発表はまだ先であったが、並行宇宙で幾度となく地球を救ってきた奇跡の艦。
現行の地球の技術ではないのにたしかに地球の技術で造られたことが確認できるヤマト。
そのデータバンクに存在する、歯抜けもあるが輝かしいと言って遜色ない戦歴のデータは、たしかに連合政府の人間を勇気付けた。
そして先の冥王星攻略作戦において、艦隊の被害を最小に抑えたのがミスマル・ユリカの手腕によるものであると明かされると、本人の要望も瞬く間に受理された。
連合政府、統合軍、宇宙軍。その意見はおそらく初めて完全に一致したのである。
「われわれの最後の希望を、宇宙戦艦ヤマトに託す。宇宙戦艦ヤマトを惑星イスカンダルに派遣し、コスモリバースシステム受領の任に付かせる!」
ナデシコCを始めとする最後の防衛艦隊が地球に帰還して一ヵ月余りが経過したあと、民間に対してとうとうイスカンダルのメッセージと最後の希望、コスモリバースシステムと宇宙戦艦ヤマトの存在が公表された。
真に人類最後の反抗作戦が、まもなく決行されようとしていると。