徐々に後方へと遠ざかるベテルギウスの姿を後方展望室から見送りながら、雪は両手を胸の前で組んで祈りを捧げていた。
(どうか、艦長の容態が安定しますように……)
ベテルギウスは過去に『オリオンの願い星』と称されていたと聞く。さきほどまでは随分と苦しめられた灼熱地獄だったが、いまはその言い伝えに縋りたい。
「ねえヤマト。あなたにも意思があるのなら、あなたを蘇らせるために力を尽くした、艦長を護ってあげて。ねえ、お願いよ」
ヤマトはなにも答えてくれない。さきほど聞こえた声の正体がヤマトの意思だということは、ユリカの口から語られた。
それが事実なのかどうかを確かめる術を、雪は持ち合わせていない。ユリカに問い質すこともいまはできない。
ガミラスの罠に見事はめられ、ベテルギウスへの接近から離脱までの間、彼女は強いストレスにさらされ続けた。無理もない、赤色超巨星への接近は高熱によるダメージ以外にも薄氷の上を歩かされるような緊張に常に苛まされるし、モード・ゲキガンフレアによる恒星フレアの突破も、強いストレスのもとだった。
それでも彼女は不可思議な現象に対して困惑と恐怖を隠せないクルーを落ち着かせるべく最後まで艦長として振るまっていた。
「あれは……ヤマトの意思そのものよ。イスカンダルの支援物資の中に、向こうで開発された精神感応システム――フラッシュシステムが含まれていたみたいね……。ヤマトはそれを介して私たちの意思を拾って力を高めて、システムが搭載されている波動エンジンの制御に関与したみたい……まさか、ここまでの、こと、が――――」
そこで彼女は限界を迎えたらしく、倒れてしまった。すぐにイネスによって応急処置が施されると同時に医療室に運び込まれ、本格的な手当てを受けている。
「本当に、イスカンダルまでたどり着けるのかしら――」
ヤマトが、ではない。ユリカが、だった。雪はユリカの体調の悪化を肌に感じて恐怖に駆られて自分で自分の体を抱きしめる。
――大丈夫、彼女は必ず、辿り着けます――
雪はそんなヤマトの声を聞いた気がした。いつの間にか浮かんでいた涙をゴシゴシと右手で拭い去って、医療室に戻る。
――彼女は絶対にイスカンダルに連れていく。死なせたりはしない。
強い思いを抱きながら、彼女は歩き始めた。
新宇宙戦艦ヤマト&ナデシコ ディレクターズカット
第十三話 銀河の試練! オクトパス原始星団を超えろ!
「では、ユリカの容態は安定したんですね?」
ジュンの確認にイネスは疲れ切った表情で頷いた。
「ええ、いまのところ深刻な事態には至っていないわ。幸運なことにナノマシンの浸食の進行は加速していない、緊張と高熱で体力を消耗しただけ、要するにただの過労よ。ゆったりと休ませて栄養を取らせれば問題ないわ。……というわけだから二、三日は副長が指揮を執ってもらえるかしら? そうすれば艦長を休ませられるのだけども」
「そういうことなら任せてください。先生は艦長や、今回の無茶で倒れたクルーたちの看病に専念してください」
ジュンがそう言うとイネスは「任せて」と軽く手を振りながら応え、通信を切った。彼女も疲れている様子だったので、折を見て休んでほしい――と考えたところで通信を切る前に「少し休んでください」と言うべきだったと思い当たった。しまった、タイミングを逃した。
「艦長が倒れるのも無理はない。宇宙服を着てもサウナ状態だったんだ。それに加えて超巨星のすぐそばを突っ切る無茶な指揮――心労も大きかったろうに」
反射的に声のほうに首を巡らせると、ゴートが心配そうに艦長席を仰いでいた。
ガタイのいい彼ですら暗に「辛かった」と言っているくらいなのだから、病人のユリカが倒れるのは当然だと改めて思い知らされた。
もちろんジュンだってもうクタクタで、叶うことならすぐにでもシャワーで汗を流してベッドにもぐりこみたい気分だった。
「副長、艦長の様子を見てきてもいいかしら?」
「――そうですね。お願いしますエリナさん――テンカワは?」
ジュンはアキトの動向についても尋ねてみた。いまのヤマトにとって、ダブルエックスは生命線である。モード・ゲキガンフレアの使用でエネルギーがほぼカラになっているのもそうだが、相転移エンジンも波動エンジンも出力がまったく上がらずヤマトは出力が稼働ギリギリの最低値にまで低下している状態にあった。
幸い追撃の類はないようであるが、戦闘能力を喪失し逃げるに逃げられないヤマトを護るには、サテライトキャノンの力が必要だった。
つまりアキトにはいつでも機体に搭乗できる状態であってほしいのが指揮官としての考えなのだが、妻が倒れたという状況でパイロット室に待機し続けろと命令するのは、友人として気が引ける。
「彼ならもう医務室に行っています。ヤマトが回復するまでは待機してるって主張してたらしいんですけど、周りに説得されてお見舞いに行くことになったとかで」
「そうですか」、とジュンは納得して脱力して副長席にもたれる。
現在ヤマトはクルー総出で各部署の点検作業に従事していた。特に装甲外板、食料や医薬品、そしてクルーの放射線被爆の検査など、やることは山積みの状態だ。
しかしベテルギウスからまだ十分に離れたとは言い難い現状では船外作業は危険であるので延期されている。あれほどのサイズの赤色超巨星ともなれば、それこそ地球と冥王星ほどの距離が開いていてもなお、相当な熱エネルギーが作用するのだ。
――本当は点検後のほうが望ましいのだが、小ワープで離れてからのほうが安全だろう。
そう判断したジュンは改めて医療科に問い合わせ、小ワープを実行してもクルーへの健康面の影響が少ないかどうかを問い、大丈夫だろうという答えを得てからすぐに小ワープを実行し、ベテルギウスから十分に距離を取って安全を確保、それからヤマトの全面的な検査を命じることにした。――あとはエンジンの回復を待つしかない。
それから少しして届いた炊事科と医療科の報告によれば、食料や水、医薬品への被害は最小限に食い止められたようで、いまから調整作業に入るようだ。
ただ、居住ブロックの艦首側から繋がっている農園や合成食糧用製造室には無視できない被害があったようだ。……生鮮食料の六分の一ていどが駄目になってしまって、食料の合成に使う培養たんぱく質やプランクトンなども、全体の二二パーセントが使えなくなったのだという。
ただでさえ余裕のないヤマトの食糧事情がさらに厳しくなったのは、手痛い被害だ。
しかし不幸中の幸いとして備蓄分の保存食糧は被害を受けていない。また培養たんぱく質とプランクトンも死滅してしまったものは破棄せざるをえないが、培養装置そのものは無傷であるので、時間はかかるが回復は可能だという。
もともとヤマトには『人が生活していれば自然と出す』ものも含めて、有機物を再利用するシステムが備わっている。それらも駆使すれば回復速度の補強もできるだろう。詳細を知るとちょっぴり気分が悪くなるのだが……。
乗組員の被爆チェックも少しづつだが進行している。だが入念に施された放射線対策のおかげで、あの状況でも艦内への放射線の透過はほとんどなかったらしく、念のため検査は行われているがそれほど深刻な問題ではないと断言されていた。
「どこか、植物の自生している惑星が近くにないものかな……」
かなり贅沢な悩みだと思うが、もしもそんな惑星がヤマトの航路上に存在していたら、食用に使える植物の採取ができるかもしれない。
だが地球からの観測では発見される星の大半は恒星であり、惑星系を持つ恒星を発見しても、観測方法の関係で見つかる星の大半は褐色矮星。もしくは大質量の木星型惑星に海王星型惑星。地球型の惑星――すなわち水や生命が存在している星は現在でも発見されていない。メッセージを送ってきたイスカンダルが初めてと言えるだろう。
いまヤマトが求めている惑星があるとすれば、恒星のハビタブルゾーンと呼ばれる生命の誕生するのに適した環境と考えられる領域内の惑星に限定される。
地球からの観測ではいくつかそれらしい星が発見はされているが、当然詳細を知りえたわけではない。仮にその領域内にあったとしても食用に適した植物がある保証はなく、ヤマトには航路予定を変更してまでそれらを探しに行く余裕はない。
つまり偶然立ち寄った恒星系にあれば幸運と考えられるほど、難しい注文なのだ。ジュンはないものねだりにしかならない補給計画を立てるわけにもいかず、副長席にもたれて悶々とするしかなかった。
「艦長の不在といい、食糧問題といい、ヤマトをベテルギウスで燃やし尽くすというガミラスの策は不発に終わったが、それでも無視できない被害を受けた。――やはり油断ならんな」
「そうですね……。艦長、大丈夫かな……。しばらくはガミラスの攻撃がないことを祈りたいですね」
真田とハリの会話が漏れ聞こえてくる。
たしかにしばらくはガミラスに出てきてほしくない。
ユリカの体調もそうだがヤマトの整備のことを考えると最低でも一週間以上は――いやそもそもガミラスの妨害がないに越したことはないのだ。ヤマトの目的は戦うことではなくイスカンダルに行ってコスモリバースシステムを受領して地球を救うことなのだ。
ガミラスとの戦いは――最悪地球を回復させてからも続くだろうが、優先順位に変わりはない。
(ユリカ――。持ちこたえてくれよ、イスカンダルまで)
その頃機関室では、機関士たちが汗水垂らし油汚れに塗れながらエンジンの点検作業にいそしんでいた。
さきほどの異常動作の原因の究明もそうだが、異常動作の反動でどんな損害を被ったのかもしっかりと確認しなければならない。
幸いというか、エネルギーをほぼ使い切っている状態なのでいまは相転移エンジン共々停止状態にある。おかげで隅々まで点検することができるのでありがたいが、もし解体を要する修理作業が必要な被害を受けていたら、ベテルギウスの影響圏を抜けるまでに何日かかることになるやら――。
そんな状態なので普段はエンジン本体の整備作業には参加せず、機関制御席や制御室のコンソールからプログラムチェックを担当するのが常だったラピスも、今回ばかりは本体の整備作業を手伝っていた。
髪を纏め、整備用ハッチを全開にして内部の制御装置をつぶさに点検してチェックシートに記載する作業を続ける。
「……おかしい。……安全装置が全部外れた暴走状態だったはずなのに、制御パネルの大半が損耗していないなんて……」
ラピスは太助を助手に制御パネルを見て回っているのだが、予想に反して八割以上のパネルが損耗らしい損耗をしていないのだ。全体を見渡しても波動砲に関係するエネルギー収束・増幅系にダメージがある程度。だがそちらも致命的なダメージは被っていないので、部品交換ですぐに回復復旧できる程度の損害だった。
……プロキシマ・ケンタウリ第一惑星で改修して耐久力と信頼性は向上したが、あの高温下、しかも波動砲の関連システムに加えて本来想定されていないシステム起動中のエネルギーの生成と変換という異常動作をしたにも関わらず、ここまで損傷がないというのは不自然極まりない。
まるで――自己再生でもしたみたいだった。
「たしかにおかしいですね……あんな動作をしたら、制御システムの大半が壊れてもおかしくないのに……」
隣でPDAと睨めっこしながら太助が首を捻り、別の場所で点検作業中の山崎に声を掛けた。
「山崎さぁ〜ん! そっちはどうなってますか〜!」
駆動部の損耗やら安全弁の動作を確認していた山崎が、太助に負けない大声で叫び返す。
「こっちも目立った異常なしだ! エネルギーを使いきって回復が遅れているが、補助エンジンからの再チャージが完了次第、通常運転可能だ! 点検作業の終了と合わせて、二時間後には回せそうだぞ!」
山崎の返事にラピスは太助は顔を向き合わせて唸った。
「波動砲とは無関係の補助エンジンが無事なのは当然としても……」
「エネルギーを使い果たしただけで、エンジンが無傷に近いって、どういうことなんでしょうかね?」
ますますわからない。
そう言えば、前にユリカと食事を一緒した時に「ヤマトには命があってね。それのせいなのか、ほんとうなら物理的に耐えきれないような負荷がかかってもときおり根性で持ちこたえちゃうことがあるんだよ」とか言っていた気がする。
「本当にユリカが言っていたとおり、ヤマトが根性で耐えたってことになるのでしょうか?」
「それって凄く非現実的ですけど、あんな体験したあとだと信じる気になれますよね」
太助がなんとも言えないという表情でラピスに同意する。
「ヤマト……二六〇年の眠りから覚めた戦艦大和。そんな変わった来歴のせいなの? それとも――」
「ただ言えることは、そんな非常識な艦が僕たちの味方だってことですね……ありがたいことに」
心からの言葉に、ラピスも大きく頷いた。
さすがはユリカが必死に目覚めさせた最後の希望。その名に恥じぬすさまじい艦だった。
ブラックボックスをはじめ、ヤマトにはまだまだ秘密が隠されていることを痛感した出来事であったが、それでもラピスはヤマトに対して疑いを抱くことはなかった。
ユリカが期待をかけたこともそうだが、ラピスだってヤマトの再建には全身全霊をかけたのだ。ヤマトは秘密こそ抱えているが現在までラピスたちを裏切ったことはない。
ならばいままでどおりにするだけだ。
人類にはヤマトしかないのだから。
ルリは電算室で今回の件で解放されたブラックボックス――フラッシュシステムに関する解析作業に携わっていた。
本当はすぐにでも医療室のユリカを見舞いたいのだが、仕事を放り出していくのは部下に示しがつかない。
できるだけ早く終わらせたい――と思っていたら、
「――たしかにユリカさんの仰るとおりでした。このフラッシュシステムは人の精神波を利用したマシンインターフェイスの一種です。本来はヤマトのような戦艦ではなく、人型機動兵器に使われることを想定したものだそうです。――開示されたマニュアルに記されていました。イスカンダルの通信カプセルは、そのフラッシュシステムのコアモジュールも兼ねていたようです。――おそろしい技術ですよ、まさかナノマシン構造材を活用して、これほど複雑なシステムをあのサイズまで小型化し、かつ記憶装置としても活用させるなんて……」
拍子抜けだと表情に現れるのは止められなかった。まさかマニュアルどころか設計図すら添付されていたとは。
報告を受けるジュンと真田も苦笑していた。拍子抜けしているのは彼らも同じなのだろう。
「開示された情報はこっちでも閲覧できるのかな?」
「すぐに転送します。真田さんの席でいいですか?」
「頼むよ。――それから、お見舞い行って来ていいよ」
ジュンの言葉につい表情が明るくなり、はっと周りの目が気になって咳払い。「それではお言葉に甘えて」と部下に仕事を引き継いで逃げ出すようにエレベーターに乗り込む。
直前に「艦長の様子、あとで教えてください」と声をかけられたので、ルリはひとつ頷いてエレベーターのドアを閉じる。
目的地は五層構造の居住区のうち、医療室のある最下層区画。
ヤマトのエレベーターは戦闘中などの高速移動も考慮して移動速度が速いこともあって、あっという間に目的の階層に到着。耳馴染みのいい到着音を聞きながら、開いたエレベータのドアを潜る。
と、眼の前にリョーコとヒカルとイズミといった、ナデシコ時代からの仲間であるパイロット三人が立っていた。どうやらエレベーター待ちをしていたようだが……。
「おう、ルリじゃねえか。例のブラックボックスの解析終わったのか?」
さっそくリョーコがそう問うてきた。別に秘密にするべきことでもないのでルリはすぐに答える。
「終わりました。と言うよりも、起動と同時に詳細が明かされた、と言ったほうが適切だと思います。残された別のブラックボックスはうんともすんとも言いませんし、私がしたことと言えば、開示された情報を副長に届けたくらいですね」
答えには満足したようだが、三人はそろって難しい顔。ややあって、ヒカルが口を開いた。
「ルリルリはさ、あのヤマトの声ってのどう思う? 艦長はとっくに知ってたみたいだったけど、本当だとしたらものすごくオカルトと言うか、ファンタジーみたいだと思わない? 漫画とかアニメだとロボットが意思を持ったとかってたまにある展開だけど、現実にそういったのに直面すると、少し困惑するよ、ねえ?」
そういった方面に理解のあるであろうヒカルでも戸惑いを隠せないらしい。たぶんそれが普通の反応――いやかなり冷静なほうだと思う。
「俺はかなり面食らったぜ。まさかヤマトがオカルトな戦艦だとは思わなかったしな。――いや、沈没した大和を改造したっていうんなら、その、なんだ――戦没者の霊が出るってのなら理解できるんだけど」
リョーコは理解が追い付いていないように思えた。それでも取り乱したり気味悪がったりしている様子を見せないあたり、彼女も肝が据わっている。
「……この艦は私たちが知らない歴史を歩んできた。そういう意味ではなにがあってもおかしくないとも言えると思うし、ヤマト自身の意思からは悪意をまったく感じなかった。それにいままで目立ったリアクションがなかったことを考慮すると、相当イレギュラーな事態がない限りは扱う私たち自身の裁量にすべてを委ねるって姿勢をとってるみたいだし、過度に気にして歩調を乱すのだけは、避けたいところね」
いきなりイズミがそんなことを言い出したので、ルリだけでなくリョーコとヒカルも揃って彼女の顔をガン見する。
「――なに?」
「いや……おまえがそんなこと言い出すとは思わなかった」
リョーコが少し気味悪げに告げると、イズミは簡潔な回答で応える。
「率直な感想を言ったまでよ」
「まあ、正論かもなぁ。……にしても、ユリカの奴どこでヤマトの意思ってのを知ったんだ? ブラックボックスなはずのフラッシュシステムってのも知ってたみたいだし」
リョーコの疑問にルリは自分なりの考えを語って聞かせた。
ヤマトの出現時にユリカがガミラスの到来についても示唆していたことや、いまにして思えばその時点ですでにヤマトの意思の存在を知っていた素振りであったこと。
ヤマト再建の際無茶なボソンジャンプを繰り返していたことや、スターシアと既知としか取れない失言があったことからその時に接点を持ったらしいことが推測できること。
そのすべてを。
「……となると、ユリカはヤマトの出現時にその意志に触れたって言うのか?……ファンタジー過ぎて付いていけねぇや。……なあルリ。もしかしてそのときにユリカがヤマトに影響されたのは間違いないとしてだ。洗脳された、って可能性はないよ、な?」
「……」
ルリもいまになって気になっていたことだった。
ヤマト再建に入れ込むユリカの姿は異常にも思えたのは記憶に新しい。それまで接点のなかった大和――ヤマトにああも入れ込むような人ではなかったとも思う。怪しいと言えば怪しい。
しかし――。
「たしかにヤマトへの入れ込みようは異常とも思えました。でも、洗脳されたというにはユリカさんの動機と言いますか、日々の行動や言動にあまりにも変化がないので、その線は薄いと思います」
「ああ……」
妙に力が籠ってしまったルリの言葉にリョーコも納得してくれたようだ。
たしかに入れ込みはすごかったが彼女の人柄に変化は見られないし、いまだにアキト、アキトと騒いでいる。
たぶん問題ないだろう。うん。
きっとヤマトの意思とやらと妙に馬が合ったというオチだろう。言葉にしたらすっきりした。
「それはそれとして、リョーコさんたちはユリカさんのお見舞いの帰りですか?」
「ああ。アキトの奴も放り込んで来た。ダブルエックスのことを考えるとアキトは外したくなかったけど、ユリカには一番の特効薬だしな。……ユリカには無事イスカンダルに辿り着いて貰って、ちゃんと治療受けさせてやらないといけないからな。――もう見捨てたくねえんだよ」
強い口調で言い切るリョーコにルリも頷く。それはルリにとって、地球の未来と同じくらい大事な案件なのだから。
「お気遣いありがとうございます、リョーコさん。ユリカさんの具合はどうでした?」
「意識は戻ったけど、辛そうだったな。ルリも顔見せに行くんだろ? 励まして来てやれよ」
リョーコにそう送り出されたルリは、照れた表情を浮かべながら医療室に足を運ぶ。
医療室は居住区の艦首側にあるので、艦の中央より後ろにある主幹エレベーターから約六〇メートルの距離があった。
かつての医務室はエレベーターから比較的近い位置にあったそうなのだが、まとまったスペースを確保するのが難しくなった艦内構造の改変のあおりで追いやられたのだとか……。
代り映えのしない景色の廊下をトボトボとあるけば、いつの間にか目当ての左舷医療室に辿り着いた。ルリは入り口の前で軽く深呼吸をしてからドアを潜る。
「あら、ルリさん。艦長のお見舞いですか?」
医療室に入るなり雪が声をかけてきた。どうやら医療科の手伝いに来ていたらしい。いまも医薬品の乗ったトレーを手に持っている。
本当に多芸で忙しい人だと感心する。彼女にできないことってあるのだろうか。
「そうです。ユリカさんは?」
雪は『苦笑』を浮かべて一番奥のベッドを指さす。カーテンで仕切られているようだが、人影が動いているのがなんとなくわかる。
雪の様子に察したものがあるルリは真顔で雪に軽く会釈をしてから、ユリカのベッドに近づいていく。
「失礼します」と声をかけてからカーテンを潜ると、顔色悪くベッドに横たわるユリカと、ベッドの左側で椅子に座って手を握ってやってるアキトの姿があった。
「わあ、お見舞いに来てくれたんだ」
……思ったよりも元気そうだ。アキトの表情も暗くない。いや、これは呆れ顔か。
「ルリちゃん――ルリちゃんからも叱ってやってくれない?」
「は?」
藪から棒にいったいなんなのだろうか。
「ユリカの奴、目を覚ますなり「休まないといけないんなら、一緒にゲームでもしよう」って言って聞かないんだ」
ルリは自分の視線が鋭く冷ややかなものになったことを自覚した。
「だって、退屈なんだもん。潤いが欲しいよぉ〜」
「ゲームしたら休めないでしょう。大人しく寝てなさい」
ルリは冷たく突き放すように叱った。毎度毎度どうしてこうマイペースを崩さないのだろうか彼女は。
「アキトが目の前でプレイしてくれるだけでいいんだけどな〜。私見て楽しむから」
「……ここ、病室だぞ」
「うるうるうる……」
「……わかった、やるよやりますよ……」
あ、折れた。
ユリカ相手にアキトが勝てるわけがないか。
しかし、それくらいの元気があるのなら答えてもらいたいこともある。答えて貰えないだろうが。
「ユリカさん」
「ん?」
「ヤマトの意思について詳しく教えてください。それと、フラッシュシステムのことをどうして知っていたのかもです」
ルリの問いかけにユリカは困った表情を浮かべてから、やはり困ったような口調で答える。
「説明しようがないよ。ヤマトの意思って言ったってそのままの意味だし、フラッシュシステムもイスカンダルとのやり取りで知っただけで、なんで提供してくれたのかよくわかってないもん」
「……」
明らかに嘘だ。彼女は真実を語っていない。ルリはなんとなく察した。
この期に及んでどうして真実を語ってくれないのかと視線で非難していると、ユリカは縮こまって「うぅ、ルリちゃんが怖い」とシーツを口元まで引き上げている。
「だいたい私最初から言ってたじゃない、ヤマトは生きてるって。私たちの救いを求める声を聴いて助けに来てくれたんだよぉって。ルリちゃん信じてくれなかったけど」
「普通信じませんよ、そんなオカルト」
「それで嘘つき呼ばわりされても困るんだけどなぁ……ただひとつだけ言えることはある。ヤマトはあくまで人の手で制御される戦艦ってスタイルを通してるってこと。今回のはイレギュラー中のイレギュラー。でもまあ、普段からダメージを受けるごとに根性を発揮していくから、受ける被害が軽減されたり反動のあるシステムを使ってもダメージが小さかったりするんだけどね」
ユリカの言葉にルリはいままでのヤマトの被害報告を思い出せるだけ思い出し、その前後の状況やかかった負荷、受けた攻撃の破壊係数などを頭の中でざっと照らし合わせてみた。
…………なるほど、たしかに思い当たる節はいくつかある。
「正直まだ信じきれませんが……ヤマトを疑ったところで無意味だということはわかりました。とりあえず、私のほうからも噂を流して理解を求めてみます。だから、お・と・な・し・く・休んで体力を回復してください」
強い口調で念押されてユリカは沈黙した。そして怯えた視線でアキトに助けを求めている。失礼な!
「心配しなくてもしばらくはそばにいるって」
ユリカの顔がぱっと明るくなった。ルリはユリカに子犬のような尻尾と耳が映えて、舌を出しながらすり寄るさまを幻視した。いや実際すり寄ってるのだけども……。
とても幸せそうだった。胸やけがする。
「ごちそうさまでした……」
「そう言うルリちゃんもハーリー君とはどうなの? そろそろ意識も――」
思わぬ切り返しにルリは無言で逃亡した。
そのことでからかわれるのはノーサンキュー。
三十六計逃げるに如かず。
ルリは振り返ることなく足早に医療室から逃走したのであった。
アキトは振り返ることなく逃走したルリを見送ったあと、ユリカと顔を見合わせて安堵する。
筆談で相談していたフラッシュシステムその他もろもろに関して、誤魔化せたようだ。
あのシステムを積んだ理由について詮索されると、色々と隠し事を追及されかねない。
――この時点であのシステムが、それもヤマト自身の判断で起動するのは想定外もいいところだ。
おまけに痕跡を残さなかったとはいえ、もうひとつのブラックボックスをも起動してしまっていたのだから心臓に悪い。ばれなくてよかった……というか、あんな使い方もできるのか……。
ついでにユリカの髪の色が急速に抜けていることも誤魔化せたようだ。体調の悪化を如実に示すバロメーターのようなものだから、今後は気を付けて誤魔化さないと――。
その後アキトとユリカはルリに対する誤魔化しも兼ねてイチャイチャしまくった。『隣のベッドに体調を崩したクルーが寝ているにも拘らず』イチャイチャラブラブの空気を出しまくって、寝ているクルーが悶えていたことには終ぞ気付かなかった。
自重とはなんだったのだろうか。
で、医療室から逃げ出したルリは、偶然廊下を歩いていたハリに遭遇した。
対面するなり赤面してしまう。ユリカのせいだ! あんな話題を出された直後で件の張本人と顔を合わせるなんて、気恥ずかしいに決まっているじゃないか!
「……その、ハーリー君……」
「はい、なんでしょうか?」
……気負いを感じられないハリの態度に妙に意識してしまっている自分が恥ずかしくなった。狼狽して特に深い考えもなく声を掛けてしまった自分の迂闊さを呪う。
なにかないか、話題がないか!
ルリは必死に頭を回転さ、実時間にして約〇.五秒の間を置いてなんとかひねり出した珍しくもなんともない話題を口にした。
「ハーリー君、お疲れさまでした。このあと特に用事がないのなら一緒に食事でもどうですか?」
「もちろん構いませんよ。艦長のお見舞いとも思ったんですけど、アキトさんが来てるんなら邪魔になるだけでしょうし……」
「……その判断は間違いじゃありませんよ、マジで」
ルリは照れも吹き飛んで真顔になってしまった。
結局ユリカがユリカであり続ける限り、あれは治らないのだろうと思う。
……いや、もしかしたら子供でもできて母親としての自覚が――変わるわけないか。実際ルリやラピス、ついでに進が関わっても大して変わらないのだし。
そのあとは他愛もない雑談を交えながらハリと一緒に軽く食事を済ませ、ベテルギウス突破でヤマト全体コンピューターにダメージが出ていないかをチェックするべく、第三艦橋に戻ったルリ。
部下たちにユリカが大丈夫そうであると伝えると、自分の席に座ってコンソールに両手を置く。
「さて、お仕事しますか」
サブロウタはパイロット待機室前の廊下でハリと落ち合い、ユリカが倒れたあとのルリの様子について尋ねていた。もちろん場合によってはいろいろとフォローを考えなければならないからである。
「……ふむふむ。じゃあルリさんは特に問題ないってことでオーケーだな? ふぅ〜。艦長も大丈夫そうで安心したぜ」
ハリの報告にサブロウタはほっと胸を撫で下ろす。どうやら今回は大事に至っていないようだ。
しかし――。
(艦長の容体がよくなることはありえない。つまりこれから先もこの問題は付いて回る……いやもっと悪くなるのは確定……。まずいよなぁ、こいつは。ヤマトの威力を見たガミラスがこれから先も妨害を繰り返すつもりなら、もっと悪辣な手段をとってくるだろうし。――こうなってくると頼みの綱は……)
サブロウタは静かにこちらを見詰めているハリと視線を合わせた。ルリがハリに甘えている場面は何度も見た。ならば彼女のことは、本格的にこいつに任せるときが来たのかもしれないと思った。
――まだ少しだけ頼りないのが、玉に瑕だが。
ベテルギウスの近海を小ワープで離れたヤマトは整備作業を進めていた。
目立った損傷は左カタパルト損失と左尾翼半壊だけで済んでいる。
フィールドに守られた艦の被害は底部スタビライザーや第三艦橋は表面が軽く溶けた程度と、想像以上に軽微であった。
これも艦長の言うところの『ヤマトの根性』であるかどうかは定かではなかったが、都合のいい結果を得られたという事実は心強いものである。
点検作業を終えたヤマトはインターバルを置いてから約一〇〇〇光年の長距離ワープを成功させることができた。
調整が進んだタキオンフィールドの保護はその威力を存分に発揮し、クルーへの健康被害も確認されなかったので、さらなる長距離ワープのテストも実施されることになった。
その距離約二〇〇〇光年。再建当初は銀河間空間に出てから、そして航行中の改良を考慮しない最大跳躍距離に、勢いに乗ったヤマトは挑もうとしていたのである。
――テストは無事成功を収めた。それは常に時間に追われているクルーたちにとって非常に心強い知らせと言えた。
――それからは日程の遅れを取り戻すべく一日一回、現時点での最長距離である約二〇〇〇光年のワープを連続して敢行した。
その間ヤマトもクルーもトラブルらしいトラブルをひとつも起こすことがなく、ガミラスの妨害も受けなかったことで順調そのものといった航海となる。
修理完了から一二日も経てば、地球から約二五〇〇〇光年の距離を走破して、あと一息で銀河系を抜け出せるところまで達していたくらい順調だった。
このときまでは。
「ワープ終了!――ん? おいハーリー、ワープアウト座標が計算と違わないか? これは――強制ワープアウトだぞ」
操舵席の計器を見るまでもない、ヤマトは本来飛び越える予定だった暗黒ガスの塊――暗黒星雲の中にワープアウトしている。
なにか予期せぬトラブルがあったとしか考えられない。
「こちらでも確認しました。これは……島さん! 大質量の天体に引かれてワープ航路が歪曲した形跡があります! 外部からの探査では発見できなかった天体があるようです!」
ハリがコスモレーダーとワープの衝突回避システムのログをチェック、データを転送してくれた。
安全装置による強制ワープアウトとなれば、大質量天体が航路上かその付近にあったというのが最も考えやすい原因だろう。今回は航路の歪曲も確認されているというのだからほぼ間違いはない。
「やはり、暗黒星雲を突っ切るワープはもっと慎重になるべきでしたね……」
ハリに言われずとも自責の念を感じる。ここ最近は現状で望める最長距離のワープを連発して日程を短縮することに入れ込み過ぎた。
レーダーによる探査はもちろんのこと、光学機器による探査もし辛い暗黒星雲なのだ。もっと入念にデータ収集するか、多少のロスを出してでも迂回すべきだったか。
「いまさら言ってもしかたないさ……艦長、一旦停泊して――」
航路探査をやり直しましょう、と続くはずだった言葉は、突然ヤマトを襲った振動で遮られた。
慌てて手動制御に切り替えて艦の姿勢を制御、安定を取り戻すべく舵を切る。
「島さん、面舵四〇、上下角プラス九度方向に転進してください!――ヤマトは宇宙気流に巻き込まれたんです!」
その名前はヤマトのデータベースで見たことがある。
宇宙気流。
字面のとおり、宇宙空間を高速で流れるガスなどの星間物質の流れだ。
星間物質の密度が高い宙域や、恒星やブラックホールなどの天体から猛烈な勢いで放出されるジェットなど見られる現象だ。
気流の速度もさることながら、ものによっては数光年――数百光年にもわたって尾を引く巨大な流れ。場合によってはその先がブラックホールに繋がっていることすらあるという。
「ルリちゃん、ハーリー君。気流の先の解析は?」
「少し待ってください――気流の先に強い重力場を確認。核融合反応こそ確認できませんが、暗黒星雲の隙間からとても強い光を確認――これは、原始星だと推測されます!」
ルリの報告を聞いて大介は小さく舌打ちをした。
「原始星――星として固まり始めている恒星の初期も初期の姿……そんなものの近くにワープアウトしたのか……まだ固まってないとはいっても将来の恒星候補。それだけの質量があるんなら、ワープ航路が湾曲しても無理ないか……」
ジュンが独り言ちるを聞きながら、大介はやっとの思いでヤマトを気流から脱させた。
「しかし、この気流の流れはかなり複雑だ……まさか、連星系?」
ようやく手を休めることができた大介が疑問の声を上げれば、
「周辺に同じような重力場を八つ確認しました!――なんてことだ。この原始星は相互に水と原始雲放射線帯で相互に結び付いています! この気流は原始星に落ち込むガスの流れと時点で生じる流れが複雑に絡み合ったものです!」
「……それって、とんでもなく面倒な宙域に出ちゃったってことだよね……しまった、イスカンダルからじゃ銀河の、それも暗黒星雲の中の原子星団なんて見つけられなかったんだ」
苦々し気なユリカの言葉に艦長席を振り向けば、やはり深刻な表情をしたユリカの姿を認めてしまう。
――どうやら一筋縄では脱出できない場所に落ち込んでしまったようだ。
ユリカは艦長席で腕を組みながら打開策を思案する。
事前提供された地図に胡坐をかいてしまったと自制すべきだろう。
スターシアから聞いたイスカンダルの現状を思い出せば、完璧な地図を用意できないことくらいわかっていたのに。
とにかく行動しなければ。クルーにも理解を求めて団結を維持しなければ、越えられる壁も超えられなくなってしまう。
そう考えたユリカがとった行動。それは――。
使われていなかったモニターに灯が灯り、ウィンドウがあちこちに開き、軽快な音楽が流れだす。この時点で艦内が沸き上がった。
「三! 二! 一! どっか〜ん! なぜなにナデシコ〜〜!!」
もはや恒例と化したなぜなにナデシコの開幕であった。
「おーいみんな、あつまれぇ〜。なぜなにナデシコの時間だよ〜!」
「あつまれ〜」
いつものウサギユリカの隣にはすでに達観した表情のルリお姉さん、その傍らにはアシスタント担当として駆り出されたトナカイ真田の姿があった。
彼らの背景には『なぜなにナデシコ ヤマト出張篇その三〜原子星団ってなに? ヤマトはこれからどうなるの?〜』と書かれている。
二度と出演すまいと断固拒否の姿勢を貫きたかった真田であったが、ユリカには潤んだ瞳でせがまれ、ルリからは「ひとりだけ逃げようなんて……」と刺すような冷たい視線が向けられるに至って、諦めた。
結果、大人しく台本に従って道化を演じている次第である。
――しかし、ただで転ぶつもりは毛頭なかった。
「また放送する機会があると考えて用意していました……! 艦長の衣装には、イネス先生の手を借りてパワーアシストを組み込んでおきました! これで不自由な動作からは解放されることでしょう!」
やけくそ気味に放たれた真田の言葉どおり、ウサギユリカは(要らぬ)ぱわ〜あっぷを遂げていた。
アクチュエーターや強化骨格を目立たぬように、そして装着者の違和感にならないように組み込み、さらにIFS制御で全身のそれを制御することにより、ウサギユリカは杖を突いたヨタヨタしい動作から解放され、健康だった頃と遜色ない軽やかな動作を手に入れていた。
もちろん真田はこんな茶番のためだけにこんな装備を考案したわけではない。日に日に弱っていくユリカが日常生活で苦労しないようにするためのテストとして、余裕のある衣装を使ったに過ぎない。
――あまり理解されていない気がするが。
「う、ウサギ艦長が軽やかに動いているだとぉっ!?」
そんな大声を耳にして、生真面目で頑固気質な山崎はこめかみを痙攣させながら腕を組み、機関制御室の窓からエンジンルームを睨んでいた。
正直ワイワイガヤガヤと番組に夢中な部下の姿に怒鳴って叱責したい気持ちが湧き上がってくるが、艦長たちが体を張って艦の空気をよくしようと努力しているのを無駄にできない。
それに番組の内容そのものは非常に大事なものであるので見るなとも言えない。
――せめてもの救いは隣の徳川太助はごくごく普通に番組を見ていることだろうか。
もちろん太助は隣から漂ってくる不穏な空気の影響で騒ぐことができなかっただけである。
背筋を冷たい汗が流れるのを感じながら、表面上は平静を装って番組を見る。
(これで内容が頭に入ってなかったらなかったで、どやされるんだろうしなぁ……!)
必死だった。
番組の内容はヤマトを捉えこんでしまった原始星団――特に眼前にある八つの原始星とそれが生み出す渦の形などから『オクトパス原始星団』と名付けられたこの宙域に因んだ雑学である。
この宙域を構成している原始星とは、ジュンが語ったとおり恒星の誕生初期の状態ことだ。巨大なガスの塊が自己の重力で収縮を始め、可視光で観測できるようになる『おうし座T型星』になる直前までの状態を指しているという。
暗黒星雲は星間雲と呼ばれる天体の一種だ。
星間雲とは銀河に見られるガス・プラズマ・塵の集まりの総称で、なにもない空間に比べて分子などの密度の高い領域である(または星間物質の密度が周囲よりも高い領域)。
暗黒星雲の場合は光を放たず、背後にある恒星の光も通さず黒く見えることからそう呼ばれている。オリオン座の馬頭星雲が有名だ。
こういった密度の高い空間において、近くの超新星爆発の衝撃波などを受けたりすると雲の中で分子の濃淡が生まれる。濃くなった部分は重力が強くなることから周囲の物質を引き付けて濃度が濃くなっていき、重力が強くなって――を繰り返して雪だるま式に濃くなっていくと、最終的に原始星が誕生するとされる。
原始星は周囲の物質が超音速で落下していくため衝撃波面が形成されている。その面で落下物質の運動エネルギーが一気に熱に変わるため、主系列星よりも非常に明るく輝くのだが、このときはまだ周囲を暗黒星雲で覆われているため外部から可視光で観測することはできない。
だが自己の重力で収縮が続き、重力エネルギーの開放で中心核の温度が上昇していくと恒星風により周囲の暗黒星雲を吹き飛ばす。
こうして可視光で観測できるようになった『おうし座T型星=Tタウリ型星』の段階を経て、最終的に中心核で水素の核融合反応が開始すると主系列星になる。
恒星系の形成は『おうし座T型星』の段階で星の周囲を回転している濃いガスの円盤の中で行われる。
原始星に取り込まれなかった塵がぶつかり合って微惑星になり、それが集まって原始惑星が形成されていくとシミュレートされているが、現在の地球でも詳細を観測しきれていないため仮設・憶測である部分もまた多い。
ただひとつ言えることがあるとすれば、星として固まり切る前のその天体の規模は、周囲を取り巻く構造を含めて計測すれば極めて膨大であるということだ。
ヤマトの眼前にはその原始星が八つも連なり、巨大な壁として立ちふさがっている。しかも厄介なことちょうど原始星の自転軸と連星系の公転軸に対して平行に突っ込んでしまっているため、原始星の周りを廻っているガスの流れすらも壁になってしまっていた。
さらに暗黒星雲自体が普通の宇宙空間に比べて密度が高いため、タキオン粒子を使った超光速・広域レーダーであるコスモレーダーも障害物過多で観測範囲を著しく減退させていて、ヤマトは眼前の状況を探るのが精一杯となり、脱出路を探し出すことにすら難儀していた。もちろんワープ航路の観測すら満足にできないので、適当にワープして離脱するという安易な選択も封じられていた。
こういった危険性を有する暗黒星雲だからこそ、ワープで一息に跳び越えたかったのだが、その濃密さゆえか、外宇宙航行の経験値の不足ゆえか、不幸な見落としがあったようだ。
もっとも、イスカンダル製ワープシステムの緊急回避システムが優れていなければ原始星の中に飛び出して一瞬で破壊しつくされていたであろうことを思えば、幸運と言えるのだが。
そんないまのヤマトにできることと言えば、ワープ前の外側からの観測データを基に全体の天体の動きを予測しつつセンサーの感度が許す限り眼前の原始星団を観測して、活路を見出すことだけである。
……それができなければ、ヤマトは朽ち果てるまでこの宙域に釘づけにされるだけとなるであろう。
最終手段の波動砲を使用した強制ワープゲートの構築にしても、連星系が生み出す複雑で広域に及んだ重力場に加え、宙域の全貌が見えないことから自重することになった。
もし強行したとしてもそれこそ最悪の事態を招くだけであろう。
通常航行での離脱もまた現実的とは言えなかった。ヤマトを飲み込んだ暗黒星雲は大きさが四〇〇光年にも達しているため、ワープなしで離脱することは実質不可能。
ヤマトのワープ記録を見る限りではヤマトが停止した位置はちょうど暗黒星雲を突き抜ける寸前らしいことが伺え、この距離なら通常航行でも抜け出せる位置だった。が、そのためには眼前のオクトパス原始星団を突破する必要がある。
だが眼前の星団は巨大で危険となれば迂闊に突っ込むことはできない。そんなことをすればヤマトはあっという間にヤマトは宇宙の藻屑と消えるだろう。
傍から見ればものの見事に詰んだような有様だが、ヤマトが誇る天才頭脳とオモイカネは、わずかな可能性を見出すことに成功していた。
「と言うで、ヤマトはしばらく現宙域に留まりあの八個の原始星が生み出す嵐の中心点――海峡と呼べそうな場所の探査を続けることにしました。このオクトパス原始星団は水と原始雲放射線帯で相互に結び付いていて、それが猛烈な力で渦巻いている危険な宙域だけど、相互に作用しあっているのならどこかで力と力がぶつかり合って相殺した場所とか、もしかしたら台風の目よろしく穏やかな場所があるかもしれないんだよ」
「じゃあお姉さん、ボクたちはそんな海峡を見つけ出してから通り抜けたほうが、迂回するよりは早く突破できるんだね?」
「そうだよ、ウサギさん。もしかしたら三週間くらい足止めされてしまうかもしれないかもしれないけど、テレビの前のみんなも変に焦ったりしないで、気持ちを大きくして待っててね。じゃ、また次回の放送までさようなら」
その台詞はオクトパス原始星団に捕らわれたヤマトの、長い長い闘いの日々の開幕であった。
ヤマトがオクトパス原始星団に捕らわれて一週間が経過した。
電算室を要する第三艦橋と航行艦橋である第二艦橋では、航海班とオペレーターが日々協力してオクトパス原始星団の探査・解析作業を続けていた。
しかし、原始星やヤマトを覆う濃密な星間物質と強烈な放射線に阻まれているせいで、探査は困難を極めていた。
誰も責めるようなことはしなかったのだが、航海班の面々は目に見えて意気消沈しており第二艦橋は常に重苦しい空気に包まれていた。
特に責任者の大介と補佐役のハリの落ち込みはすさまじく、痛ましかった。
仕事柄第二環境に訪れる機会の増えたルリはそんなハリ(と大介)を見てられなくなり、いままで支えて貰った恩を返さんとそれはもう優しく大らかに接した。
今日も今日とて励ましついでに一息ついてもらうためにも、艦内の空気を気にした雪と一緒にコーヒーを差し入れに行ったのだが……。
「んっ!?」
やれやれ、と疲れた表情で雪が淹れたコーヒーに口を付ける大介。……恋した女性が(仕事の一環でしかないとはいえ)手ずから淹れてくれたことに内心喜びながら一口飲んだ……そして速攻で顔を顰める羽目になった。
「――なんだこのコーヒーは……! 控えめに言っても不味い……!」
自分の一言に雪の笑顔が凍り付いたのは自覚したが、それでも言わずにはいられなかった。これじゃあ士気が下がってしまう。
「――ははは、そのぅ……美味しいですよ……」
苦い顔でお世辞を言うハリのほうがおそらく応対としては正しい――とは言えないが無難だったと思う。といってもハリの場合は凍った雪の笑顔が怖かったからだと、後に述懐していたが。
そして案の定というか、ハリの言葉に素早く食い付いた雪が「あらそう! ならもう一杯いかが?」とそれはもう嬉しそうに告げるのだが、流石に世辞でも二杯目は嫌だったらしく、「もう結構です」と断っていた。
「ハーリー君、それが正しい選択です。……時には相手を傷つけると知りながらもはっきり言わないと、アキトさんみたいな目に会いますよ」
ルリは勇気を振り絞っておかわりを断ったハリをフォローしていた。
……そういえば進から聞いたことがある。かつてアキトはユリカが差し入れた『夜食(本人曰く『劇薬』)』を食べるようにせがまれ、悶絶したことがあるのだと。
しかもその時はあのメグミ・レイナードも『栄養ドリンク(本人曰く『殺人ジュース』)』を立て続けに飲まされさらなる地獄を見たとかなんとか。
――さらに聞いた話では、結局ユリカのメシマズは改善されていないので、今後の家庭において、しっかり仕込まないといろいろ大変かもしれないと頭を悩ませているらしい。 そうやって思考を脱線させていたら雪が口角をピクピクさせていた。もう笑顔を取り繕う余裕もないらしい。
……その顔を見て一口飲んでから手を付けていなかったコーヒーを気合で飲み干し、空になったカップをカートの上に置いた。
全員がそんな感じで実にギスギスした空気でカップを返却すると、雪は怒りのオーラを纏いながらワゴンを押して、第二艦橋をあとにした。
そんな雪の様子に第二艦橋の空気も和らぎ笑いが起こったので、彼女には悪いが助かった。――と思ったのだこのときは。
しかしリベンジを誓う雪は毎日のようにやってきては『一向に上達しないコーヒー』を飲まされ続ける羽目になったのは誤算であった。
それからもヤマトはたびたび宇宙気流の流れに翻弄されることになった。気流の流れは星系という視点で見ればある程度一定していても、ヤマトという小さな小さな存在にとっては決して一定とは言えない規模で変動を繰り返している。
高速で激突するガスと微天体によって、ヤマトのディストーションフィールド発生器にも大きな負担を強いていて、工作班と戦闘班はひっきりなしに発生器のコンディションを確認し、破損が見られる場合はすぐに部品を交換したり、発生器をローテーションさせて使用することでパンクを防ぐなどの対応を求められ、思いのほか慌ただしい日々を送ることになっていた。
そうやって気流の流れの変化に翻弄され、安全を確保するために動かされたことでヤマトは自身の所在を徐々に見失っていき、海峡の探査活動にも支障をきたすようになっていった。
ガミラスの罠よりもよほど過酷で容赦のない、大自然の猛威。それがヤマトの眼前に立ちはだかっていたのである。