少し恒星進化論について触れよう。
恒星とは星間ガスが濃く集まり続けた結果、自身の重力による自己収縮による熱と圧力で核融合を開始して燃えがった天体である。
その主成分であり核融合によって最初に反応を起こす水素は、徐々にヘリウムへと変換されていく。
太陽質量の約〇・四六倍程度の赤色矮星では温度が低いためヘリウムの核融合が発生せず、水素を燃やし尽くしたあとは外層部が宇宙空間に放出されていき、残った中心核が余熱と重力による圧力で光と熱を発する『白色矮星』になるとされる。
太陽質量の〇・四六倍から約八倍までの恒星では、それ以降も反応が起こるが核融合で窒素が作られる段階でそれ以上反応が進まなくなり、赤色巨星を経て白色矮星になるとされる。
中性子星の場合は八倍から一〇倍の質量を持った恒星の晩年の姿とされている。
それ以下質量しか持たない恒星からさらに核融合反応が進み、炭素・酸素からなる中心核で核融合反応が起こり、酸素やネオン、マグネシウムからなる核が作られる段階になると、中心核では電子の縮退圧が重力と拮抗するようになり、中心核の周囲の球殻状の部分で炭素の核融合が進むという構造になる(玉ねぎの様な層になると考えられている)。
それによって生じる核反応物質によって中心核の質量が増えていくが、中心核を構成する原子内では陽子が電子捕獲により中性子に変わった方が熱力学的に安定となるに及ぶ。
これによって中心核は中性子が過剰に埋め尽くされるようになり、一方で電子捕獲によって減った電子の縮退圧が弱まるため、重力を支えられなくなって星全体が急激な縮退を始める。
中心核の縮退は密度が十分大きくなって、中性子の縮退圧と重力が拮抗すると急停止するため、これより上の層は中心核によってはげしく跳ね返されて発生した衝撃波で一気に吹き飛ばされる現象――『超新星爆発』を起こし、残された中性子からなる高密度の核が残る。これが中性子星だ。
太陽質量の一〇倍以上の大質量星の場合は、もともと密度が大きくないため中心核が途中で縮退することなく反応が進み、最終的に鉄の中心核が作られる段階まで核融合が行われる。
鉄原子は原子核の結合エネルギーが最も大きいためこれ以上の核融合が起こらず、熱源を失った鉄の中心核は重力収縮しながら断熱圧縮で温度を上げていく。
その温度が約一〇〇億度に達すると鉄が光子を吸収し、ヘリウムと中性子に分解する『鉄の光分解』という吸熱反応が起きて急激に圧力を失い、これによって支えを失った星全体が重力崩壊で潰れて超新星爆発を起こす。
爆発後に残るのは爆縮された芯のみで、残った芯の質量が太陽の二〜三倍程度なら中性子星になるとされるが、それ以上ならば重力崩壊が止まることなくブラックホールになるとされている。
これらの現象は地球上で行われた観測結果やシミュレーションによるもので、より正確な条件はもちろん、実際に恒星の辿る詳細な進化についてはわかっていない部分も多い。
ただひとつ言えることがあるとすれば――。
桁外れの重力とエネルギーを放出する恒星に近づくことはもちろん危険であるが、晩年と言うべき中性子星とブラックホールも、それと同等かそれ以上に危険な天体であり、星々の海を渡るというのであれば最大限の注意を払って回避するのが望ましいということだろう。
いまヤマトは、その宇宙の脅威、ブラックホールに接近する危険を冒して最短コースを進もうとしていた。
それが蛮勇ゆえの愚行か、勇敢さに基づいた英断であるかを決めるのは――行動の結果であろう。
新宇宙戦艦ヤマト&ナデシコ ディレクターズカット
第十六話 超新星! ヤマト、緊急ワープせよ!
「以上が、これからヤマトが接近しようとしているブラックホールに関わる恒星進化論よ。で、本題の――」
大介がブラックホールに接近する航路を選択したと聞くや否や、イネスは医務室から喜び勇んで飛び出し、『占拠した』中央作戦室の中央に陣取って説明を始めていた。
航海班としては、イネスの説明を聞くまでもなくヤマトが自ら危険な航路を選んだことを重々理解している。
本当ならこんな航路を取らずに迂回すべきところだ。
だが、ヤマトは航路日程に後れを出している。
そして、仮にイスカンダルに遅れて到達したとしてもユリカが持たなければ意味を成さないという認識が根付いている以上、危険であっても遅れを取り戻すために最短コースを通るしかなかったのだ。
「ブラックホールについてはこれから説明するわね。それじゃみんな大好きいつもの番組で行くわよ!」
嬉々として説明継続を雄弁に訴えるイネスを止められる人間は――ヤマトにはいなかった。
彼女はブラックホールについて、それはもう自分が知りうるかぎりをつらつらと語っていく――つもりだったようだが艦内の空気を鑑みて欲しい、という進の意見を採用していつもの手法に切り替えたらしい。
それでも余計な手間と時間を使っている感が否めない、とはだれの言葉であったか。
使われていなかったモニターが灯り、ウィンドウがあちこちに開いて流れ出す軽快な音楽!
「三! 二! 一!……どっか〜ん! なぜなにナデシコ〜!」
もはや恒例である。
違う点があるとすれば、ウサギユリカの代理としてゴールデン・ハムスター雪が登場していることと、ルリお姉さんの代わりにオカメインコラピスが登場していることくらいだ。
ついでに今回はトナカイ真田がボイコットしたため、泣く泣く進お兄さんが出演していた。
なので、ハムスター雪は念願叶ったなぜなにナデシコ出演に(しかもマスコットキャラ!)、愛しの進と同じステージに立ったと気力充填一二〇パーセントという、異例のハイテンションで臨んでいた。
視聴者のみなさま方はいつものメンツが生贄のみであることに不安を抱いていたが、代理のキャスティングはだれもが納得するものであったと評されていた。
ミス一番星コンテスト二位のわれらが麗しき生活班長と、機関班を中心にその勢力を伸ばしつつある桃色の妖精ことラピス・ラズリ機関長。
このキャスティングに異論のある視聴者など、いようはずがなかったのである。
特に機関室で汗水垂らして油まみれになりながら機関部の調整を行っていた彼女の部下たちは、愛くるしくデフォルメされたノーマルオカメインコの着ぐるみを着た上司の晴れ姿に狂喜乱舞した。
それは痛々しいほどに落ち込んでいた彼女が浮上したことのよろこびも含まれている。
モニターに張り付いて騒ぐ部下――とちゃっかり参加している太助の姿に、額に手を当てながら嘆息している山崎も、アイドル扱い云々は別として、その復調をよろこぶ気持ちは痛いほどわかったから、今回はおとがめなしという判断で静観することにしていたという。
ともかく、キャスティングを大幅に変更して開催された記念すべき第四回放送のタイトルは「なぜなにナデシコ ヤマト出張篇その四〜ブラックホールってなに?〜」となっている。
キャスティングの変更でセリフ回しなどに差異はあるが、おおむねいつものノリで進行していく番組。
番組内では「シュヴァルツシルト半径」だの「膠着円盤が」だの「重力の特異点が」だのと難解な言葉がつらつらと流れるように登場し、理解の及ばない視聴者の脳みそを沸騰させていく。
さしもの才女ハムスター雪も、完全に専門外な宇宙物理学となるとチンプンカンプンのようで、わりと素の困惑から合いの手を入れているのが見て取れたとか。
同じくマスコット枠のオカメインコラピスも似たり寄ったり――と当初は見られていた。
だが彼女の真骨頂はユリカに勝るとも劣らない、『天然枠』であることにあった。
天然妖精ラピス・ラズリ。彼女がこの番組における最大の狂言回しである。
最初は「寝込んでるルリ姉さんの代わりになるなら……」と消極的な理由でイネスの呼びかけに応じたのだが、自分の知らない知識を学べる環境に置かれたことや、エリナが用意していた(用意させていた)着ぐるみを着せられて、思いのほかあっさりと気持ちが切り替わってしまったためか……。
空前絶後の大・暴・走!! となってしまったのである。
素のリアクションで台本を無視した合いの手や質問を連発。悪乗りしたイネスもそれに応じてリアルタイムで脚本を変更してはカンペを出して、セットや演出担当のウリバタケやヒカルに(出演拒否の報復で裏方強制参加の)真田が大忙しで駆けずり回り、番組司会担当の進お兄さんと同じくマスコット担当の雪までも振り回すに至った。
……その振る舞いは、自身も一杯一杯なハムスター雪ではとても抑えられず、進お兄さんはリアルタイムで変更される台本をカンペで確認しながら、自分でもちゃんとわからない複雑な用語やらをカンペ横目に棒読みにならないよう必死に読み上げ、司会担当という己の役目を果たさんと全身全霊を注ぐことを強要する始末であった。
そんな周りの努力も視界に入らず、変わらず大暴走を続けるオカメインコラピスによって、古代進はいままで経験したどんな苦難よりも激しく荒く、その精神力をゴリゴリと削り取られていった。
後に彼はこのときの気持ちをこう語っていた。
「ラピスちゃんはかわいい妹分です。が、二度と彼女と一緒になぜなにナデシコはやりたくありません。ええ、絶対です!」
そんな(スタッフの涙ぐましい努力によって成り立った)番組の内容を(無慈悲に)要約するのであれば以下のとおりとなる。
ブラックホール。
その呼び方が定着するまでは崩壊した星を意味する『collapsar(コラプサー)』などとも呼ばれていたという。
その特性上直接的な観測を行うことは困難であり、ほかの天体との相互作用を介して間接的に観測が行われ、X線源の精密な観測と質量推定によっていくつか候補となる天体が発見されてはいるが、直接的な観測が成されたのは二〇一九年四月とされている。
観測が困難を極めた理由の一つが、ブラックホールには光すらも脱出できないとされる非常に強い重力によって歪められた時空、事象の水平線とも称される空間で周囲を覆われているからだ。
この半径をシュヴァルツシルト半径、この半径を持つ球面を事象の水平線(シュヴァルツシルト面)と呼ぶ。
ブラックホールは単に元の星の構成物質がこの半径よりも小さく圧縮されてしまった状態の天体でしかなく、事象の水平線とはいうものの、その位置になにかしらの指標があるわけではない。
そのためブラックホールに向かって落下すると、知らず知らずのうちにこの半径を超えてその中に落ちていくことになるわけなのだが……。
恐ろしいのは、時間の流れは重力の強さによって無制限に引き延ばされてしまうという現象にあった。
それゆえに、事象の水平線を超えてしまうととても不可思議な現象が垣間見えると言われている。
落ちた物体を離れた位置から見ると、やがて水平線の位置で永久に停止したように見え、落ち込んだ物体からは宇宙の時間が無制限に加速されたように見えると言われているのだ。
この常識の一切が通用しない空間の中心には、重力が無限大になる重力の特異点があるとされている。その特異点も回転していないブラックホールでは一点に、回転しているカー・ブラックホールではリング状に発生すると言われているが、直接の観測は当然ながらなされていない。
また、ブラックホールには熱的な放射である『ホーキング輻射』と呼ばれる現象も提唱されている。
誤解を恐れず小難しい説明をすべて省略してしまえば、ブラックホールが質量を失う際の放射のことと言ってしまってもよいのかもしれない。
この説も最終的には『ブラックホールに落ち込んだ物質の情報は失われず、ブラックホールの蒸発に伴ってなんらかの形でホーキング放射に反映され、外部に出てくる』という形に落ち着いたとされている。
こういった小難しく専門知識なしでは到底理解ができないような難解極まりない説明が、三人の役者を使ってある程度砕かれた形でとはいえ延々と続き、さらにはわれわれが住まう太陽系を擁する銀河系も『中心に太陽質量の一〇の五乗倍から一〇の一〇乗倍の質量を持った超大質量ブラックホールが存在し、それによって形成されている』という脱線話も踏まえて続いた。
そうやって放送時間が一時間を超えるころになってようやくエンドマークが出現。
終わった終わったと、みなが席を離れようとしたところで後半パート「なぜなにナデシコ ヤマト出張篇その五〜ブラックホールを使った超長距離ワープ〜」の放送予告。
まさかの二本立てに視聴者は喜ぶよりもさきに困惑の色を濃くする。
その(出演者の汗と涙の結晶の)番組内容を(またしても無慈悲に)要約すると以下のとおりになった。
散々危険であると連呼したブラックホールを利用した航路を選ぶ最大の理由は、ブラックホールの重力エネルギーを利用しての超長距離ワープを敢行することにあった。
番組内でその理屈を長々と語っていたが、詳細には触れず内容を要約すると、ブラックホールに意図的に接近して天体の重力を利用して加速する航法である『フライバイ』を敢行。それによって得られるブラックホールの重力エネルギーを利用し、ワープエネルギーを強引に高めて、現在のシステムでは実現できない超長距離ワープを実現する、というものだ。
ヤマトのワープはタキオン粒子の波動――空間歪曲作用を利用して一種のワームホールを形成するものではあるが、入り口と出口になる開口部はともかく、航路そのものは宇宙が四次元的に見れば『曲がっている』ことを活用している。
ので、時空をも歪めるブラックホールのエネルギーが作用する空間でワープを敢行すれば、ブラックホールによって捻じ曲げられた四次元的な湾曲をも活用することができて、ワープ距離を延伸することができると判断されたのだ。
しかし距離の延伸にともなって突入に必要なエネルギーも増大している。しかしそれはフライバイで得られる加速――重力エネルギーで補えると判断され、『理論上は』いまのヤマトでは実現できない超ワープを実現可能と計算が導き出されたのだ。
本当に実現できれば、ヤマトは遅れた日程を大きく短縮できる。この苦境を覆す一手としては最上と言えよう。
ただ――フライバイに失敗すれば、事象の水平線を超えてブラックホールに引き込まれる。……いや、それ以前に潮汐力でヤマトがバラバラになるのがさきだろう。
アイデアを受けてこの航路を選んだ大介も緊張と不安で胃がキリキリと痛んでいた。
本来なら、本来ならこんな危険を冒すことなく安全に運行していくのが責任者の常。
なのだが、遅れに遅れたヤマトの航海予定を取り戻し、一刻も早くユリカをイスカンダルに運ぶためには避けられないリスクと受け入れなければならなかった。
こんな無茶をしなくても、ヤマトはイスカンダルに到着して地球に帰還するギリギリの日程はある。
しかし、最短コースを進むとしたらヤマトは大マゼラン手前のタランチュラ星雲の一角を通過しなければならない。
スターバースト宙域と呼ばれる活動の活発なその場所を通過するリスクは極めて高く、迂回すればかなりの日数を消費してしまう。
ガミラスの妨害による航海の遅れが今後もないとは言い切れない以上、一日でも遅れを取り戻せるのなら取り戻しておきたいのが実情だ。
それに最新情報によればユリカの余命は――あと三ヵ月あるか、ないか。
それも今後病状が悪化するようなストレスやら負傷がなければという前提で、今後ガミラスの妨害で負傷したりストレスを受けたら……。
ユリカの命を確実に繋ぐためにも……時間が欲しい。
自分たちに、地球に――最後の希望を与えてくれたユリカは絶対に助けると、クルー全員が誓いを立てている。
それが血反吐を吐きながらこの航海の準備を整えてくれた、彼女に対する恩返しなのだと。
だから……ヤマトは行かねばならない。
無茶なワープによる負荷で、本末転倒の事態を招く危険性もある。
その危険性を理解してもなお、ヤマトは突き進むしかないのだ。
ヤマトに与えられた時間は――常に限られている。
その後ヤマトはワープで利用予定のブラックホールに接近した。
緊急ワープ地点から約一四〇〇光年ほど離れている、本当なら接近するはずのなかった天体。
銀河間空間にあったであろう赤色超巨星の成れの果てと思われる天体だ。
一体どのような経緯でこの天体がこのような空間に存在してしまったのかは様として知れないが、いまはのんきに探究していられない。
気は急いていたが、安定翼のスタビライザー機能でクルーへの負荷が軽減されているとしても、ユリカを始めとする病人・怪我人のことを考えると連続してワープを敢行するわけにはいかない。
インターバルも兼ねて徹底したワープ航路の計算、そのために必要なブラックホールの観測を実施。
ヤマトはワープアウトから二四時間後にフライバイ・ワープを敢行すると決定し、その準備にいそしんでいた。
「お疲れ、古代。おまえ、よく頑張ったよ」
疲労困憊で戦闘指揮席に突っ伏している進を見て、操舵席を立った大介が肩を叩いて労う。
「………………」
実質ルリの代わりの説明役だったのだが、天然少女ラピスのせいでエライ目に遭った進に同情は尽きない。
とは言えそんなことを本人に面と向かって言えるわけもなく、「またやりましょうね」とキラキラと輝く眼で言われては――進が反論できようはずがない。
がんばれ、お兄ちゃん。
――ああ、進の可愛い妹は、桃色の悪魔(無自覚)なのでしょうか。
大介はふとそんな言葉が脳裏に浮かんだ。その桃色の悪魔は現在、通信席に座るエリナ相手に喜々として感想を語っている。
――う〜む。これは本当に文句が言えない。
「お疲れさま、古代君。はい、ヤマト農園産フレッシュトマトジュースよ」
こちらも思わぬ番組構成に疲労困憊ながらも、甲斐甲斐しく進にジュースを運ぶ雪。妙に表情が艶々しいのは愛しの進と共演し、苦難を共に出来た連帯感ゆえか。
そんな雪の姿を見て、大介の胸に諦めの感情が広がる。
(失恋――だな。雪の奴は古代しか見ていない。それに、最近の古代を見てると……)
正直悔しい気持ちはある。
同期だったはずなのに、進はユリカに見初められてメキメキと実力を伸ばし、いまやユリカの代わりにヤマトを先導する指導者としての頭角も現しつつある。
自分と進のなにが違ったのか、どうしてユリカは自分ではなく進を選んだのか、男のプライドが傷つく。
しかし、聡明な大介はすぐにその理由に行き着いた。
進は自分と違って人を惹きつけて従わせるカリスマのようなものを持っている、と。
たしかに学業成績は大差はなかった。だが、周りに人が集まりやすかったのはどちらかと言えば彼のほうだった気がする。
それによくも悪くも理屈っぽくて合理性を重視する自分には、ユリカや今回の進のような一見合理的に見えない、博打のような手段で道を切り開くような選択は、なかなか思いつけないし実行する気にもなれない。
ユリカは進のそんな資質を見抜いて、自分の後継者に選んでいたのだろう。
そして、雪もそんな進に心惹かれて――
(いや待てよ。それもあるだろうが、艦長はやたらと古代と雪を引き合わせてなかったか?)
思い返してみれば、いろいろと二人の仲が進展しやすいようにと、お膳立てをしていたような気がする。
――そこまで面倒を見る必要があるのだろうかと疑問に感じるが、まあユリカも相当変わった人柄だから考えるだけ無駄だろう。
変人の考えは理解できない。
というか早くも嫁選びですか。意外と――いや、あの親にしてこの子ありな親バカ気質と考えれば、いやでも納得させられる。
ともかく、先を行かれたあげく雪まで(実質)ゲットした進には、嫉妬もあるが納得している自分もいるのだ。
進の言葉がなければ今回のワープに踏み切れたのかどうかもわからず、ずるずると後れを引きずって最悪の事態を招いていたかもしれないと考えると――やはり、指導者としては彼のほうが向いているだろう。
それに大介は『任された』のだ。
先を行く進でも手が出せない――大介の専門分野。その知識と技術を彼は欲しているのだ。
ヤマトの航海班長としてやり遂げなければならない。大介が舵を握らなければ、ヤマトはイスカンダルにはたどり着けない。
大介は嫉妬をその心の内に抱きながらも、航海長としてのプライドを奮い起こし、ヤマトの操縦桿を握り直した。
「そう、ブラックホールのフライバイを利用して……」
「そうです。それでヤマトは超長距離ワープを敢行します。どの程度跳べるのかは未知数ですが、うまくいけば一万光年以上の距離を跳べます。そうすれば、遅れた航海予定を何日分か取り戻せるはずです。超長距離ワープが人体にどんな影響を与えるのか未知数なので、ルリさんもしっかりと体を固定して備えてくださいね」
そうコミュニケでハリから教えられたルリは、枕に頭を埋めて深く息を吐く。
――まだ……動けそうにない。
ハリたちの(めっちゃ恥ずかしかった)見舞いから六時間。最低でも五日は休養を取るように言い付けられてまだ一日と半日。当然だ。
フライバイワープとなれば精密な計算が必要になるはずなのに、チーフオペレーターとしてその大仕事に携われず、他人任せにしなければならないというのは、心が痛む。
「雪さん……みんな、頼みます」
いまのルリには祈ることしかできない。
だが、雪を含めた部下はみんな凄腕揃いだ。本質的な能力やオモイカネとの交感能力は及ばなくても、いま人類が用意できる最高の実力者が揃っている。それに――
「ハーリー君、頑張ってね……」
雪よりもオモイカネとの交感能力が高いハリが力を合わせれば、なんとかなるはずだ。ガミラスとの戦いが始まってから急激に成長を続けているハリなら――。
(あ、あと古代さん、なぜなにナデシコご苦労さまでした)
心の中で大任を果たした進を労う。おかげでラピスを伴うと番組が混沌と化すことがわかった。
生贄、ご苦労さまです。
とりあえず、今回の放送に出演せずに済んで本当によかったよかった。
今後、ラピスが出演するのであればお姉さん役は絶〜対! 断るとしよう。
ヤマトは粛々と眼前のブラックホールの解析を続けていた。
太陽質量の三〇〇倍を超えるブラックホール。銀河間空間にありながら、太陽質量を超えたブラックホールだ。
ブラックホールの周りには水素で出来た降着円盤が形成されている。おそらくこのブラックホールがマゼラニックストリームの近くにあるため、それを引き込んだのだろう。
確証は得られないが、ブラックホールの質量が恒星質量を上回っているのもそれが原因だろうか。
膠着円盤はブラックホールに近づくにつれ回転が速くなり、徐々に赤く変じていっているのが伺える。
これは落ち込んだ物体の放つ光が重力による赤方偏移を受けているためだ。
その膠着円盤も、ある一点で停止しているように見える。
それこそが――
「あそこが、事象の水平線だ。あれを超えてしまうと一巻の終わりとなる。もっとも、潮汐力の影響や重力による時間の流れの遅滞を考慮すると、あのラインよりも手前を航行しなければ、ヤマトと言えどバラバラに分解されてしまうだろう」
真田が険しい表情で大介に忠告する。人類全体にとってブラックホールに接近すること自体が初めてのことなので、艦内の空気は大分ピリピリしてきている。
とはいえ、
「わかってますよ、真田さん。にしても、古代が開催したなぜなにナデシコは無駄じゃなかったってことですね。緊張感はあるが思った以上に艦内の空気が軽い。道化も必要ってことですかね?」
隣の席の大介が悪い笑みを浮かべて語る。笑みの理由は察すべし。
「そりゃよかったよ……」
放送終了から三時間ほど経って、いくらか回復した進は波動砲用の測距儀を使ってブラックホールの光学観測をしながら、気のない返事をする。
フライバイ・ワープの成功率を高めるためには、クルーの緊張を適度に取ったほうがいいと思ったからがんばったのだ。がんばったのだが……。
(お母さん……ラピスちゃんは天然な小悪魔になっちゃったよ)
心の中でユリカに報告する。彼女が相手では、ユリカの体力は絶対に持たないだろう。
自分が犠牲者で本当によかった。心から思う。彼女に悪気はない、悪気はないのに――天然なのだ。
だから面と向かって文句も言えない。
ああ、お兄ちゃんは辛いよ……守もこんな気持ちを抱いていたのだろうか。
「僕、古代さんを尊敬します。恥を忍んで自ら晒し者になってまで、みんなのためになぜなにナデシコを開催できるなんて――さすがは艦長の息子ですね!」
場を盛り上げようと進を持ち上げるハリにも悪気はないのだが、進の疲労がそれで取れるわけもなく、なんとも微妙な気分であった。
「あ、島さん、ブラックホールの解析データが集まって来たみたいです。第二艦橋に降りて航路計算をしましょう」
「ん、そうだな。じゃあ古代、俺たちは第二艦橋に居る。第一艦橋は任せたぞ」
「ああ、しっかり頼むぜ島。最終的にはお前の腕が頼りだからな、当てにしてるぞ」
進の言葉に大介の顔も緩んだ。
「任せろ、俺はヤマトの航海長だからな!」
そう、ここから先は……大介の見せ場だ。
運命の瞬間がやってきた。
ヤマトはいよいよフライバイワープによる超長距離ワープを実行するためブラックホールへの接近を開始したのである。
安定翼を開いた姿でブラックホールに接近、高速で流れる水素気流の中に突入するため、すべての窓には防御シャッターを下ろして安全を確保し、エネルギーを少しでも節約してワープにつぎ込むため、照明を落とされた艦内は非常灯で赤く照らされていた。
自然と緊張感が高まる。
雪は第三艦橋の電算室でリアルタイムに航路計算の修正作業を担っていた。額を流れる汗を拭う暇すらなくキーを叩き、全天球モニターとコンソールに浮かべたウィンドウを流れる大量のデータを視線で追い、ほかのオペレーターと協力して情報処理を続けた。
ルリが抜けた穴は大きく、普段に比べると情報処理能力は明らかに落ちていた。当然だろう、彼女の能力は抜きんでていた。それこそだれも追いつけないほどに。
オモイカネも心なしか元気がない。だがそれでもやるしかないと、雪は必死に膨大なデータと格闘を続ける。
ECIからのデータを受け取ったハリも、それを参照しつつワープシステムの調整作業を繰り返していた。
ワープインの座標や空間歪曲システムの稼働タイミング、ワープインに必要なエネルギーの必要量の計算を最新のデータに基づいて細かく修正、普段のワープとは異なる情報処理にハリも必死だった。
ラピスはブラックホールの重力波干渉によって出力が微妙に低下している波動相転移エンジンの制御に全力を注いでいた。
エンジンの稼働には空間歪曲の原理が使われている箇所があるため、そこが影響を受けている様子。
機関室の山崎らと協力してワープエンジンへの供給量を確保しつつ、推力を絶やさないようにするのは大変な苦労を求められた。
舵を握る大介も、指定された航路に沿ってヤマトを操縦するのに必死だった。
雪たちオペレーター、ハリ、ラピスといった面々がどれだけがんばっても、大介がそのデータどおりに操縦できなければすべてが水泡と化す。
ヤマトの自動操縦システムではとうていこのデータどおりの航路を進むことはできない。ヤマトの自動制御システムは最低限のものしか積まれていない。
――ここから先は、大介の技量にすべてが掛かっていた。
ヤマトは慎重にブラックホールの周囲を回る膠着円盤に突入した。外周部は相対的に流れが緩やかだが、それでもヤマトをもみくちゃにして吹き飛ばしてしまうほどの激しさで水素気流が流れている。
大介は予定されたワープ方向にヤマトが向かうよう、この気流の中正確にヤマトを操縦しなければならない。
仮にフライバイワープが成功したとしても、ヤマトの進路がずれてしまってはロスタイムを埋めるどころかかえって増やしてしまうのは明白。
膠着円盤に突入する方向も、十分な加速が得られる距離も計算されているが、目標座標までの操舵は大介の腕次第。それが大きく逸脱してしまえば計算どおりには跳べない。
大介は緊張で額に浮かんだ汗を流れるままに、瞬きも我慢して計器を睨む。
全神経を集中して操縦桿を操って、ヤマトを進めた。
ヤマトは水素気流の奔流の中をふらふらしながら全速力で突き進む。
全身のスラスターと安定翼や尾翼の各部も動かして姿勢制御を行い、暴力的な気流に立ち向かう。
高速で流れる水素気流。ちょっとでも艦の姿勢が乱れようものなら制御不能になって弾き飛ばされるかそれとも艦体をへし折られるか、危険な綱渡りが続いた。
限界まで緊張が張り詰めた時間が続く。実際には十数分程度の短い時間だったはずだが、ヤマトのクルーにとっては数時間にも感じられる時間であった。
「波動相転移エンジン、出力一〇〇パーセントを維持! ワープエンジンも正常稼働中!」
ラピスが激しい振動に耐えながら報告。エンジンは、みなの願いに応えるかのように順調に稼働している。
「座標設定完了! 時間曲線同調二〇秒前! タキオンフィールド展開確認」
航法補佐席のハリも振動音に負けない大声で口頭報告を続けている。
「空間歪曲装置作動開始! ワープ一〇秒前!」
大介がワープスイッチレバーに手を伸ばしてカウントダウンを開始。泣いても笑ってもこれが最初で最後のチャンスだ。
ヤマトはブラックホールの重力と膠着円盤の回転を利用して、メインノズルの推力だけでは時間のかかる亜光速までの加速を瞬時に行った。
「五……四……三……二……一……ワァープッ!!」
大介はありったけの願いを込めてワープスイッチを押し込む。
ヤマトは――これ以上は望めないほど、最良のタイミングでワープインした。
ヤマトの艦体がいつもどおりの青白い閃光――タキオンフィールドで包まれながら、時間と空間を跳び越える。
普段ならワープ航路の安全のためにと回避する天体の重力場――それもブラックホールを利用したイレギュラーなワープにヤマトの艦体がビリビリと震える。
安全ベルトが千切れて座席から放り出されてしまうと錯覚してしまうほど、激しい衝撃がクルーを襲う。
(お母さん、耐えてください!)
進は全身に力を込めて衝撃に耐えながら、ユリカの身を案じていた。
ユリカはヤマトがフライバイを開始した瞬間、ぼんやりとだが意識を取り戻していた。
視界も音もないのは変わらない。体の感覚もイマイチ微妙で自分の状況がよくわからないが、この様子だと医療室で入院させられているのだろう。
避けられない出来事だったとはいえ、まだ銀河系を出て間がないというのにこの体たらく。
――みなもさぞ、心配しているだろう。
生真面目な大介あたりは、自分がヤマトを次元断層に落としてしまったからと気に病んでいそうだ。
鈍った体を強烈な衝撃が襲うのを感じる。ベルトでベッドに固定されているとは思うが、それでも投げ出されそうな衝撃。
(ああ、これは大質量天体を利用したフライバイワープか。私のファイルにそれについて記載してたっけ。イネスさんやエリナがわざわざ進言するとは考えにくいし、進……見たんだね)
ユリカはなんとなく、進が自分が残したファイルを見たのだと察した。
――そうなると、いままで隠してきたすべての事情も知らされたのだろう。
だがフライバイワープを決行したとするのなら、進はすべてを受け入れ先に進む決意をしたと考えて、相違ないと思う。
予定よりもだいぶ早い展開だな、と思った。
バラン星を通過するくらいまでは頑張るつもりだったのに。
――ユリカ、私の声が聞こえますか? 古代は決断しましたよ。あなたの跡を継ぐことを――
ヤマトの声が聞こえる。音ではなく、直接脳裏に響く、クリアな音声。
ユリカも声を出さず頭の中で言葉を紡ぐ。それでヤマトに伝わるはずだ。フラッシュシステムが、二人の心を繋いでくれる。
(ヤマト……報告してくれてありがとう。それと、いつもも本当にご苦労さま。何度も無茶させてごめんね)
――いえ、それが私の使命ですから。それと、ごめんなさい。私の独断で彼にファイルを渡してしまいました――
(いいよ。そのおかげで先に進めるみたいだから)
どちらにせよ、この状態では艦長としての責務を果たし続けることはできない。
もちろんまだまだ頑張るつもりだ。次元断層で遭遇した指揮官は進だけでは――いやユリカだけでも正直手に余る。
全員が一丸となって立ち向かわなければ太刀打ちできない。まだユリカにリタイアは許されないのだ。
――あなたたちけが人や病人は、私がなんとしても護り抜きます。フラッシュシステムの助けを借りてフィールドを調整すれば、負荷を軽減するくらいならできるはず。むずかしいでしょうが、一日でも早く指揮を執れるようになってください。まだ私たちには、あなたの力が必要です――
(うん。わかってるよ、ヤマト――私も、まだリタイアするには早いからね)
ヤマトは激しい閃光と共にワープアウトする。
いつもなら溶けるように消えていく艦を覆う青白い閃光が、まるで氷のようにはがれ落ちて周囲に散らばり、宇宙空間へと消えていく。
閃光の剥がれ落ちたヤマトは、次元断層での戦闘の傷が癒えきらぬ姿のまま宇宙空間に投げ出され、くるくると縦に回転しながら宇宙を漂い、やがで自ら姿勢制御スラスターを噴射して姿勢を安定させた。
「……っうぅ――ワープに成功したのか?」
戦闘指揮席でふらつく頭を振りながら進が身を起こす。コンソールパネルを操作して窓を覆っていた防御シャッターを開放。シャッターが開放されると、ヤマトの正面に星々の煌めきが広がっていた。
進は艦内通話のスイッチを入れて第三艦橋の雪を呼び出した。
「雪、起きてるか?」
「あいたたた……いま起きたわ、古代君。ヤマトの現在地の調査を始めるわね」
みなまで言わなくても雪はオペレーターの責務を果たしてくれる様子だ。早く所在地がわかればいいのだが。
「――成功、したのか?」
操舵席の大介も呻きながら体を起こした。
「ワープは成功したようだな。あとは、どの程度の距離を跳べたかだが……期待してもよさそうな気配だな」
いつの間にか起き上がっていた真田が、艦内管理席でヤマトのコンディションをチェックしながら話しかけてくる。
真田にしては、少々楽観的とも言える発言だ。それだけ期待しているのか、それとも苦労に見合った成果が欲しいという気持ちの表れか。
「う〜む。自己診断システムによると、艦体にかなりの負荷が掛かったようだな。主砲は脱落せずに済んだようだが、傷が開いたようだ。この様子ではあと五日は使えんぞ。それに、艦尾左に装甲板の亀裂、長距離用コスモレーダーにも障害が発生している。よし、詳細を確認しだい、修理作業を開始しよう」
「いててて、修理作業は頼みますよ、真田さん」
こちらも意識を取り戻したジュンが状況確認を始めた。
「古代君、結果が出たわ」
第三艦橋の雪から待ち望んだ一報が届く。
「コスモレーダーを始めとする観測機器に損傷があって、正確さが不十分ではあるのだけれど、ヤマトはイスカンダルへの予定航路上にワープアウトしたとみられるわ。地球からの距離は約四万八〇〇〇光年……ブラックホールから約二万光年をワープした計算になるわよ!」
雪の声にも喜びが滲む。
ブラックホールのフライバイを利用したワープは、一回のワープとしては前代未聞の約二万光年もの長距離を跳躍した、文句のつけようがない大成功に終わったのである。
ヤマトの艦内に歓声が響き渡った。
多少の損害は被ってしまったが、それに見合った成果としか言えないだろう。それに――。
「こちら医療室、イネス・フレサンジュよ。艦長を始め、入院中の患者は全員無事、バイタルに乱れはないわ」
「これから本格的に診察するけど、まず報告」とイネスの言葉に全員が安堵。
最も心配されていたユリカがなんともないのなら、無茶をした甲斐があったというものだ。
これで、次元断層に落ちて遅れたぶんだけは取り戻すことができた。
「みんな喜べ! 今回のワープで、乗員保護のために使っているタキオンフィールドの更なる調整が可能になるデータを得られた。それだけじゃない、超長距離ワープを実行するために必要な空間歪曲のデータもだ! このデータを組み合わせれば、ワープの安定度の向上と、劇的とまではいかんだろうが跳躍距離の延伸が望めそうだぞ! 特に安定度の向上はクルーへの負担軽減も図れるから、うまくいけばワープのインターバルの短縮も図れるかもしれん! 距離こそかつてのヤマトには及ばないまでも、連続ワープの復活を見込めるぞ!……無茶をするのも、たまにはいいものだな!」
真田の報告に、悪化の一途を辿っていた艦内の空気がさらに明るくなった。
超長距離ワープの成功に不可欠なのは、やはり航路を構成するために必要な空間歪曲場の構築にある。
その点ヤマトは、最もウェイトの大きい出力はまったく問題ないのだが、技術力とノウハウの不足でワープエンジンの機能を自沈前と同程度にまで回復できなかったことが足を引っ張っていた。データの破損や技術不足が原因だ。
だがそれを補填するに足るデータが得られれば、システムの再調整を行うことで大幅に増強された出力を活用し、ワープ距離の延伸を図ることは決して不可能ではない。
この規模のワープを繰り返すことは現状不可能とはいえ、ワープの跳躍距離を伸ばせて、間隔を少しでも縮めることもできるなら、日程の遅れを取り戻せるかもしれない。
そうなれば――。
それは今後の航海に希望が持てる知らせと言って、不足はないだろう。
「ヤマト――おまえが、お母さんたちを護ってくれたんだな」
進は漠然と、そう感じていた。
それからヤマトは補修作業を行いながら航行を続けていた。
念のために行われたクルーの簡易的な健康診断でも、不調を訴えたクルーは見つからず、病人・けが人の経過も問題なしと、人的な被害は一切見受けられなかった。
反面ヤマトは無茶相応の損害を被っていた。
装甲板の亀裂、主砲の修理のやり直し、コスモレーダーを始めとする観測機器の破損と、外部の被害は大きい。
しかし大事に至るほど深刻なものではなく、スペックを遥かに超える二万光年の大ワープを敢行したにしては軽症と言えた。
工作班はさっそく破損個所の補修作業にあちこちを飛び回っている。こころなしか、その足取りは軽いものだったように見える。
特にこれまでの失態を続けていた(と本人たちは思っている)航海班は歓喜に震え、さっそく勢いそのままに次のワープ計画を立案しはじめた。
また、進本人が吹聴したわけではないのだが、第二艦橋でのやりとりが雪に知られ、ついでに航海班――特に大介の手腕ともどもその発案が褒め称えられた結果、艦内で一躍有名になってしまった。
もともとユリカ絡みで艦内でその名を知らない者がいない(太陽系さよならパーティーでウリバタケが過剰に煽ったこともあって)進なので、これでまた注目されてしまった形である。
当人は困惑を隠せないようであったが、むしろ好都合かと開き直って胸を張っていた。
これからヤマトを引っ張っていかなければならない進にとって、成果を上げたと判断されるのは人望獲得に繋がるのでありがたい流れだ。
進はユリカがまだ艦長として戦い続けるはずだろうと予想していた。その根拠はあの次元断層で戦った指揮官の手強さ。
数で勝るとは言え、あのユリカが手玉に取られた相手にまだまだ未熟な進が勝てる道理はない。となれば打開策はたったひとつ。
ユリカと進を中心に、この寄せ集めのようでプロフェッショナルな集まりのヤマトクルーの意識をひとつに纏めて対抗する。それ以外はない。
本音としてはユリカを休ませて進がヤマトを導くのが理想ではあるが、そこまでの実力があると思い上がれるほど進は自分を知らない訳ではない。
自分の無力さはもう十分に味わった。
だが無力さを嘆くばかりではなく行動することで道を開けると――ユリカとアキトから教わった。あとはガムシャラにこれを続けるしかない。
「よし! 予定航路に復帰したと言っても安心していられないぞ! 少し休憩をしたら航路探査を開始して、改めてイスカンダルに向けて出発だ!――それでいいですよね、副長?」
勢い勇んで第一艦橋のクルーを鼓舞したところで、戦闘班長に過ぎないいまの自分の立場を思い出してジュンに――現在の最高指揮官に伺いを立てる。
いかんいかん、つい張りきりすぎてしまった。まだ、ユリカから『艦長代理』を拝命されたわけではないのだから自重しなくては。
「――ああ、うん。古代君の言うとおりだ。航海班は航路探査と今後の航海日程の再調整案を、あとで提出してくれ。工作班はヤマトの損傷のチェックと補修作業を。ほかの部署の責任者もそれぞれ被害報告と稼働状況を纏めて提出するように。次のワープは航路探査終了とヤマトの補修が一段落してからにする。八時間後に中央作戦室でミーティングをするから、それまで各自一時間の休憩を必ず取ること。以上!」
もう進がユリカの代わりに艦長代理として指揮を執ったほうがいいんじゃないだろうか。ジュンはそんな思いに駆られながら、現時点での最高責任者として指示を出した。
なんだかなぁ……。
ああ。僕って結局情けないというか決まらないなぁ……)
ちょっぴり悲しくなった。しかし、
(――副長権限で指揮を任せるってのもありかもしれないなぁ)
別に責任放棄するつもりではないが、音頭を取るなら進のほうが自分よりもヤマトという艦に適しているように感じている。
自分の力をヤマトで活かしきろうと思ったら、積極性のある指揮官をフォローする補佐役が最も適切であると自負している。
とすれば表向きの指揮は進に任せてしまって、自分は裏方に徹するというのも決して悪い手段ではない(ますます頼りないと言われるだろうが……背に腹は代えられない)。
……レクリエーションのシミュレーション対決で、進はそれまで全勝のユリカ相手に引き分けている(たぶん意図された結果だろう)。
戦いそのものは終始ユリカが優勢だっただけに、相当インパクトが強い。
実際進の手腕は大したものだった。ジュンの目から見ても十分合格ラインと言える。
ユリカが倒れてからのヤマトを主導しているのも彼であるし、変な増長の類も一切見られず思慮深さも増してきているし……真剣に検討する価値、あるかもしれないな。
ジュンはそう考えた。
進にも休憩の順番が回ってきた。休憩が被った大介と一緒に食事を摂るべく、足早に食堂に突撃する
今後の方針を決めるための話し合いも大事だが、まずは腹ごしらえ。緊張に晒され続けてどっと疲れたから、腹も減る。すごく減るのだ。
「ふぅ〜、腹減ったぜ」
「まったくだ。さっさと食って休んで、そのあとは第二艦橋で仕事だ」
進は大介と仲よく自動配膳機に並んで、自分の番が来るとスイッチを押して食事の乗ったプレートを呼び出し、手に取ってがっかり。
「――また同じメニューか。最近続いてるな」
「それだけ食糧事情が厳しくなってるんだな……航路上に植物や水の得られる惑星でもあればいいんだが……」
プレートの上に乗った食事のメニューは、ここ最近続いている食パン二枚、ソースなしのスパゲッティ、豆入りカレースープ(スパッゲティソース兼用)、植物性プランクトンを固めた緑の物体、そしてドリンクはオレンジジュース。
ベテルギウス突破後の打撃に加え、オクトパス原始星団で停泊していた間に食糧事情がかなり切迫してしまったヤマト食堂。どうしてもメニューのバリエーションが減ってしまう。
あのときはクルーの精神衛生を考慮して、食事を少々豪華にしていたのだが、その反動がここにきて顕著になったということだ。
特に小麦粉はそろそろ厳しくなってきているので、今後の主食は豆になりそうだと、平田から聞かされている。
「そうだなぁ……とは言え、植物があっても食えるかどうかは調べてみないことにはわからんし、目途が立たない問題だなぁ」
進にとっても頭の痛い問題だ。
ユリカの代わりに艦の指揮を執るというのなら、自然とこういった部分にも気を配っていかなければならない。
ここは――雪にでもご指導を仰ぐか。それを口実に一緒の時間を持ちたいという下心も頭をのぞかせる。
これくらいは……ユリカもやっていたのだから問題ないだろう。うん。
「しかし古代……最近はずいぶん雪と仲がいいんじゃないか?」
大介の発言にぎくりとする。ちょっとよからぬことを考えていたところで、まさかこんな指摘が……。
「そ、そうか?」
「はたから見てると成立間近のカップルだよ。まったく――雪も苦労するなぁ、こんな鈍感が相手じゃな」
「……」
おっしゃるとおりでございます。正直まったく自覚がありませんでした。
「そんなんじゃあ、雪に愛想尽かされちまうぞ。艦長の代わりをがんばるのは結構だが、艦長の子供を自称するなら恋愛だってしっかりしないとな」
(……島、随分染まったな……)
以前の大介だったらこのような物言いはしなかったと思うのだが。それに、
「おまえ――」
「あいにく、勝てない勝負をするほど俺は無謀じゃないさ。俺に申し訳ないとか思ってるなら、なおさらしっかりしろよ」
大介はそこまで言うと、話に夢中になって放置されていた食事をがつがつと口に運び始めた。
これ以上は楽しい話題でもないので進も倣って食事をかきこむ。
親友の気遣いが、心に染みた一幕だった。
食事を終えて大介と別れた進は、パイロット待機室にいるアキトに接触するついでに、コスモタイガー隊の稼働状況を直接確認していくことにした。
進も一応パイロットを兼任しているのだが、今後出撃できる機会はそう多くないだろうと思う。コスモゼロは――予備機扱いでいいか。
「――ってところで、いまんところコスモタイガー隊に問題はねえ。この間の次元断層の戦いじゃ、大型爆弾槽も使えなかったから冥王星以降地道に貯めてきた分を含めて、倉庫の限界数まで回復してる。ただ、先日の戦闘で携行火器を大盤振る舞いで使い捨てちまった。そっちの数は心許ないが、まだまだ火器は残ってる。任されてくれ」
リョーコの言葉は頼もしかった。
実際、カイパーベルトでのアップグレードを経てアルストロメリアの戦力は格段に強化されている。プロキシマ・ケンタウリでの戦いでは新型機の編隊相手に一歩も譲らぬ激戦を繰り広げ、サテライトキャノンによる先制攻撃があったことを差し引いても会心の勝利を収めている。
次元断層での戦いでレールカノンやラピッドライフルを中心とした携行火器に、外装式のミサイルをかなり使ってしまったが、それ以外の武装の損耗は比較的少ない。オプションのロケット砲とミサイルポッドはまだ十分な数が残っている。一戦くらいなら、問題ないだろう。
「あとはエアマスターとレオパルドが完成さえしてくれれば、もうちょっと楽になりそうなんだけどな」
「ああ、たしかに」
エアマスターとレオパルドはまだ完成には至っていない。いまも格納庫の一角、専用に割り振られたスペースでフレーム姿をさらしている。人の形にはなっているが、まだまだ完成には遠い。
「ウリバタケが言うには、初期のアイデアでまとめるにはエアマスターは火力、レオパルドは制圧力が物足りないんだとよ。ガミラスあたりからいい部品でも鹵獲できればぁ、とかボヤいてやがった」
んな無茶な。
進は頭を抱えたくなった。そんな都合よく部品、それも機動兵器に使えそうなものが手に入るとは到底思えない。
多少性能が物足りなくてもいいからとにかく完成させてくれよ。
進はリョーコに別れを告げてさっそくウリバタケに文句をつけに行ったが、
「そう言われてもよ、こいつらにはGXの代わりにダブルエックスの護衛を任せてえって考えてるんだ。そうしてみると、どうにもスペックがなぁ」
「ほどほどにしてくださいよ……」
しかしウリバタケの意見にも見るべきところはある。
ダブルエックス最大の武器であるサテライトキャノンで三度も煮え湯を飲まされているガミラスが、本格的な対策を考えないとは考えにくい。
――いい加減対策が確立しつつあると考えるべきだろう。
エックスへの搭載が失敗したいま、ダブルエックスの重要性はさらに増している。それを確実に護衛するためにより適した護衛が欲しいというのはわからなくない。
「だろ? たしかに現状のプランで完成させてもアルストロメリアよりは強力だが、もう一声、もう一声ほしいんだ。エアマスターにはもっと恒常的に発揮できる大火力が、レオパルドは主兵装の取り回し改善と火器増設による圧倒的な制圧力が。でないとなんつーか、中途半端に終わっちまいそうでな……」
「うーむ……」
たしかにこの初期プランだとウリバタケの言うとおりになりそうな予感がする。
実際のところ、両者の物足りない点はGファルコンとの合体でフォローできる範囲ではある。だが物足りないものは物足りないと言われてしまえばそんな気もしてきてしまう、絶妙なライン。
進はしばらく腕を組んで悩みに悩んでからポツリと告げた。
「……多少は妥協、してくださいよ」
「おう。できるだけ、な」
本当かよ。
進は疑いの目を向けそうになるのを必死にこらえ、ウリバタケのもとを去った。
そして『私用』としてアキトを連れ出す。どうしても、彼に言いたいことがあったからだ。
対するアキトも内密の話があるに違いないと考え、真剣な表情であとに続き、後部展望室へと誘われていった。
さあ、内容ないったいなんだ。ユリカのファイルのことか、それともダブルエックスの運用に関してか、それともそれとも――。
アキトはどんな話が飛び出してくるのか、いまかいまかと待ち構えて――。
「アキトさん! 次になぜなにナデシコやるときはあなたにも生贄になってもらいますよ! 俺だけじゃラピスちゃんが参加したときに抑えきれません!」
「そっちの話かよ!?」
予想の斜め上を行く話にアキトは全力でツッコミを入れざるをえなかった。
……その後、必死の説得でアキトの了承を取り付けた進はようやく落ち着きを取り戻し、そこからはユリカらが抱えていた秘密に関する問答を繰り返し、これからは進も『共犯者』として航海に挑むことを宣言し、納得してもらう。
アキトはもとよりそのつもりだったようで、進がなぜなにナデシコの話題を出したことのほうに困惑気味だったようだが、アレを今後一人で捌けというのは酷にもほどがある。死活問題だった。
アキトと別れてからは各武装の制御室や弾薬庫を見て回った。
それが一段落した頃にはワープアウトから八時間が経過、中央作戦室でのミーティングの時間になっていた。
「これがヤマトの周辺の宇宙地図になります。観測によって作成した地図と、イスカンダルから送られてきた地図を合わせて、表示します」
ハリが中央作戦室床の高解像度モニターと立体映像投影装置を併用して、ヤマト周囲約二〇〇〇光年の観測結果と提供された地図を表示した。
銀河間空間にいるだけあって、星の数は銀河の中に比べると非常にまばらで空間が開けているのが見て取れる。
しかし――。
「ふむ、約四五〇光年先に赤色超巨星――約一〇〇〇光年程先に恒星系が一つあるな……。イスカンダルへの予定航路から少し逸れるが、もしかしたら資源を得られるかかもしれない」
宇宙図を見た真田が、右手で顎を撫でながら呟く。
眼前の赤色超巨星は惑星を有していない(すでに飲み込んでしまったのかもしれないが)ので、特別探査する価値はなさそうだ。
件の恒星系も提供された地図に記載はされているが、その環境の詳細については特に記載がない。
おそらく観測はできていても、イスカンダルが直接調査したわけではないのだろう。
だがデータによれば、バビタブルゾーンの中に含まれる惑星がある様子。それはつまり、水と植物を得られる可能性があるということを示唆する重大な情報だ。
「たしかにイスカンダルの航路からは少し外れていますが、この程度なら遅れは最小限で済みます。それにベテルギウスとオクトパス原始星団――トラブルの連続でヤマトの食糧事情もかなり厳しくなっています。だよな、雪?」
「そうね。農園で採れる野菜にも限りがあるし、水もちょっと心許ないわ。どこかの惑星から採取できれば改善できるけど、そうでなければ今後はもう少し締めないといけなくなるわね」
大介の指摘に雪も頷いていた。
航海にトラブルは付き物だとは言われるが、補給の目途が付かない単独での長期航海がこれほどのものだとは。さすがの真田も専門外の分野に驚きの連続である。
かつての大航海時代などは、過ぎ去って久しい歴史上の出来事に過ぎず、宇宙に進出して開拓を始めたのは比較的近い事柄だが、やはり過去の出来事。
しかし、ヤマトが行くの未知の宇宙。理解が進んでいる太陽系とはわけが違う。
夢物語に近かった恒星間の移動が現実のものとなり、さらには銀河間の往来を目的としていた途方もない航海。
地球の科学技術とノウハウを考えれば、無謀極まる挑戦。
そこにガミラスという侵略者の妨害まで加わってしまえば、地球で立てた航海プランがあっさり瓦解してしまっても無理らしからぬといったところだろうか……。
「……真田さん、ワープシステムの改良はどうなってますか?」
「まだ終わっていない。機関部を含めたそれなりに規模の大きい改装だからな。とは言え、この場で作業が終わるまで停泊するわけにもいかん。しかしこの恒星系で資源が、特に食料が入手できるのなら、寄り道をする価値はあるだろう。しかし問題は航路選択だ。最短航路を選択した場合、赤色超巨星付近で一度ワープアウトしてから再度ワープする危険な航路になってしまう。それを避けると、位置の問題で数日タイムロスが出てしまう。考え物だな」
真田の返事に進も頷いている。ふむ。また、一皮剥けたらしい。……よろこばしいことだ。
「島、補給目的でこの恒星系に寄った場合のロスタイムは、どの程度になる?」
「そうだな……幸いバビタブルゾーン内の惑星は一つしかない。調査はその星だけに絞ってもいいだろうし、目的は鉱物資源よりも水と食料。有用な資源があった場合の採取に関しては、雪に聞いたほうが早いだろうが、それほどのロスにはならないと思うぞ」
「そうね、実際に資源があった場合、水と食用に使える資源の調査と採取だけなら、二日もあれば足りると思うわ。もちろん、食品への加工も含めてね」
大介の見解に雪も生活班長として賛同を示している。
そうだろう、アルストロメリアを始めとする人型機動兵器は、この手の作業が得意だ。
旧ヤマトから継承している作業機械も、数こそ減っているが継承している。これと人型を組み合わせた収集作業の速度は従来の比ではない。
「なら、この恒星系には行くべきだな。貴重な恒星系をみすみす見逃してしまっては、今後いつ補給の目途が立つか見当もつかない。食料になりそうな資源もそうだが、ヤマトの維持に必要な鉱物資源もあるかもしれないんだ。フライバイワープで取り戻した時間を使ってしまうかもしれないが、それに見合った価値はあると思う――先立つものは必要だ」
今回のミーティングで実質司会を担当している進がそう言うと、第一艦橋のクルーを始め、各班各科の責任者が頷いた。
そんな中にあってラピスは内心「それって副長のジュンさんがやるべきことじゃ?」と思っていた。
だが、ほかのクルーは気にも留めていない様子。
ジュンも気にしている素振りを見せないのが気になるが、もしかして、ジュンにはジュンなりの考えがあるのだろうか。
疑問に思ったが、この場で口に出すのは止めておこうと思った。
「それでいいですか、副長?」
「いいと思うよ。実際ヤマトの台所事情は厳しいわけだしね。古代君の言うとおり、先立つ物がなくちゃ、今後の航海の不安が募るばかりだ。ここはワープシステムの改良を当てにして、寄り道をしよう。ただ、時間のロスは最小限に抑えたい。この赤色超巨星を通過するルートを選択しよう」
主導権を進に譲ったとはいえ、一応最高責任者であるジュンが了承したことでヤマトの航海プランが決定した。
「ただし、戦闘配備を維持したままワープしよう。こちらの進路変更が読まれているかどうかはわからないけど、ヤマトが物資を求めて星に立ち寄ることはガミラスも想定しているはずだ。もしかしたら、この赤色超巨星を利用した罠の類があるかもしれないからね」
「了解!」
全員で頷いた。さて、また大変なことになりそうだ。