睨み合いが続いている。
木目張りの床板からは、季節相応の冷たい風が入り込んでくる。
このおよそ古くなった道場なりの「味」だと、彌太郎は割り切ることにした。改築しようにもいかんせん資金などありもしない。
摺り足で一歩分、相手に近づいた。

「キイィィエエアァァァァ!」

気合いを発し、跳躍した。相手は油断したかのように、反応が鈍い。
恐ろしいぐらいの早さで、駆ける。その体はまるで風のように走り抜けた。
相手の拳が突き出される、間違いなく走り抜ける彌太郎の水月を狙い、突き出される。
素早く前身を止め、その場で右足を一歩、引いた。拳が先程まで彌太郎の居た空間を貫く。
その拳を、彌太郎は両手で素早く掴んだ。
右足、左足と右に転身させ、相手の手を返す。相手の片足が浮く、それを引き倒す。
道場の床板にしたたかに体を叩きつけ、相手が苦悶の表情を浮かべた。倒れた体に片膝を乗せ、手首関節を固めた。
片手で間接を固めたまま、もう片手で、相手の体の各所を殴りつける。いや、触れたと言った方が適切だろう。
その動作は激しい程、早い。相手は呆然としている。
彌太郎の顔が笑顔になった。

「負けました」

苦悶の表情を今だ浮かべている相手は、苦しげに声を上げた。

「甲手返、流石は師範、見事なお手前で」

先程まで彌太郎と相まみえていた男は、今は彌太郎の目の前で正座している。彌太郎も向かい合うように正座をしている。
道場の真ん中に両者鎮座している。道場から入る隙間風こそ多いが、今の二人にはさほど気にならないようだった。

「その上、兎鳥、両毛、霞、人中、下昆、松風、肢中、村雨、水月、月影、稲妻、明星、釣鐘を突いた。解るな、この意味が」

彌太郎が静かに語った。相手の男も静かに彌太郎の言葉に頷いた。
彌太郎は目を閉じている。相手の男も緊張した風貌で、息を呑んだ。やがて、彌太郎がゆっくりと目を開いた。

「即死だな」

にっこりと笑いながら、そう言った。相手の男は、呆気に取られたような表情を思わずしてしまった。
瞬間、彌太郎の体が、相手の男の視界から消えた。
左手で相手の逆襟を掴み、そのまま背後へ、座ったまま後ろに引き倒された形となる。
そこへ、彌太郎の右拳が迫る。思わず相手の男は目を瞑ったが、衝撃は来ない。そっと目を開く。
彌太郎の拳、今は中指を突き出し、鉄菱の形をなっているそれが、口と鼻の間に触れていた。

「また、人中」

彌太郎が、先程と同じようににっこりとしながら、笑った。
相手の男は、引き倒されたまま、恥ずかしげに笑った。彌太郎は、そんな男の人なつっこい笑みが、気に入っていた。

「お恥ずかしい限りで」

「油断は禁物だぞ、アキト」

彌太郎は立ち上がり、アキトに手を差し伸べた。アキトはそれを掴もうとするが、一瞬逡巡する。
彌太郎はそれを見て、さも可笑しい様に笑い声を上げた。

「投げん、さあ、掴まれ」

アキトはまた恥ずかしそうに頭を掻きながら、彌太郎の手を取った。





隙臥  一つ幕.「小佐野彌太郎」



止心一投小佐野流、その師範である小佐野彌太郎は、困惑していた。
数日前から、ある青年が自分の道場を訪ねてきた。名を、テンカワアキトと名乗った。それを聞き、多少の驚きはあった。
それでも多少であった所が、やはり彌太郎の肝の据わった所だろう。
なにせ、包み隠さず、青年は名乗ったのだ。あの悪名高い、大量虐殺犯テンカワアキト、正にその人物だったのだ。
本人も、それを隠そうとする気配は見れなかった。むしろ、さらけ出す様にも見えた。
彌太郎は、とりあえず手合わせをした。筋は良い、それに訓練もされているようだった、木連の拳、彌太郎は即座にそう感じた。

彌太郎は、相手の拳を見る。正確に言えば、相手の拳が自分の体に吸い込まれる瞬間を、彌太郎は見て感じる。
無心で振るわれる拳にこそ、人の本質が見える。だが、アキトの拳をその腹部に受けた時、彌太郎ははて、と感じた。
噂にされる様な魔の感じは、一切受けなかった。どちらかと言えば、表、包容力や優しさすら感じられる拳だった。
次の瞬間、彌太郎の手が、アキトの肢中と村雨、喉とその少し横にそれた部位を捉えていた。
殺すか、一瞬そう思ったが、直前で手元をそらし、顎を突き上げるように殴った。
アキトの眼球が震えたのが目に取れた。全身から力が消え、アキトは床に横たわった。
それからアキトから、師範、と呼ばれ、毎日のように鍛錬に付き合っている。
困惑しているのが、そこなのだ、テンカワアキト、と言う人物の見極めに艱難している、それが困惑の元なのだ。





「何度も言うが、俺は弟子は取らん」

道場の奥、彌太郎の自室となっている和室で、卓袱台を囲んでいるアキトと彌太郎。
彌太郎はハッキリとした口調で、アキトに言い放った。茶をすすり、息を吐く彌太郎、暖房具が無い部屋で、冬の息は白い。

「なら何で、毎日俺に付き合ってくれているんですか、師範は」

「しつこさに負けた」

アキトが苦笑する。それを見て、むっとする彌太郎。茶請けの煎餅をわざとらしくかじりつく。
外を映す窓に、彌太郎は目をやった。雪が降っている、先程までは降っていなかったが、今は深々と降り注いでいた。
時節と言えば、既に師走を過ぎようとし、世間は新たな年の迎えに、あくせくとしている。
降っていても可笑しくはない。

「雪ですね」

アキトが嬉しそうに声を上げた。

「雪だな」

「師範は嫌いですか、雪は。俺は好きです、何というか、何でしょうね。自分でもよく解りません」

「嫌いではないが、好きでも無い。何より食えない、腹の足しになれば、好きにもなろう」

「なら、弟子を取れば良いと思うのですが」

「それは、好かん」

「何故ですか、俺にはそれが一番解りません。師範ほどの腕前を、どうして広めようとしないのですか」

お前が一番解らないから、俺は困っている。彌太郎はそう叫びたかったが、こらえた。

「それには立派な理由がある、もっともお前に話す事でも無いがな」

「俺は、その理由が知りたいです。俺は師範の技、師範の力を学びたい」

「お前は、十分強い。俺が教えるまでも無かろうに、俺こそお前に問いたい。何故その上、力を求めるのだ」

「俺は弱い、だから師範に負けるのです」

「何に勝ちたいのだ、何に勝利を収める為に、技を学ばんとする」

「自分に、自分自身に」

彌太郎は、逡巡する様に目を閉じた。アキトの言葉を探っている。
自分に勝つ、それは彌太郎自身も、幾度と無く自分に言い聞かせてきた言葉である。
だが、アキトの克己心は、もっと深い所から来ている。何とは無くだが、彌太郎はそう感じていた。
それはやはり、あの一連の事件、コロニー撃墜に関わっているのだろうか。
懺悔、その言葉が何より先に思い浮かんだ。

「懺悔のつもりならば、叩く門が、違うのではないか」

ハッとした表情で、アキトは彌太郎と目を合わせた。澄んでいる目と言うのは表現上聞いたことはあるが、本物を見るのは、初めてだった。
それがこのテンカワアキトの奥深さ、と言う物を更に引き立てているのだろうか。
自分以上に、人間としての深みを持っている。彌太郎にはそう感じられた。

「やはりお気づきでしたか、俺の事」

「それは愚問では無いか、アキト。実の名を出していたのは、少なからず俺を試すつもりだったのか」

「師範が何事も無いように、俺の相手をしてくださる物ですから、つい」

「そこまで俺も鈍くはない、気付いていたぞ、テンカワアキト。お前がここに顔を出した時から」

「なら」

「良い機会だ、ハッキリと言おう。テンカワアキト、俺はお前を見極めかねている。お前が解らない」

彌太郎は、淡々とした口調で、続けた。アキトも神妙な態度で、それに聞き入る。

「お前がかの大量虐殺犯であろうが、俺にはどうでも良い事だった。所詮は機械を通しての力、人間の力ならば、負けはしない、だがお前は、思
いの外強かった、そして、虐殺犯、と言われるほどの殺気も無かった。どこか気の抜けた様な、そんな感じだった。悪党の空気では無い、だから
余計に迷うのだ。俺は解らない者とは、極力接したくはない。だが、お前の口から自己を語られたところで、俺に理解できるとは、到底思えん」

長い語りを終え、彌太郎は茶を啜った。未だに湯気を立てている薄緑の液体が、彌太郎の喉を潤す。
湯呑みを卓袱台の上に置き、彌太郎が目を閉じた。

「それ故に、俺は拳を通して、お前を知る事にした」

「俺は」

「喋るな、お前に装飾されたお前など、俺は知りたくも無い。俺が知りたいのは、テンカワアキトだ」

「なら、俺はどうすれば良いのですか、師範」

「お前を、仮の弟子としよう」

アキトの表情が歓喜に彩られたのを、彌太郎は薄目で見ていた。
湯呑みを握り、また口元に仰いだ。

「思う存分、その両の拳にて、俺に語れ。それがお前の修行となろう。勝つがいい、自分に。見つけるがいい、望む物を」

低く、和室だが、その声は不気味を響いた。
アキトが頷く、その瞳に、色が濃い。間違いなく、希望のその色に。









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こんにちは、こんばんわ、胡車児です。
連載です、格闘物です。オリキャラです。ナデシコには見えません、でもナデシコです。
アキトしかナデシコキャラしか出てないからそう思うのです、立派なナデシコ二次創作です。

劇場版アフター、拙作「ファイルタイプ・テンカワ」アフター、の筈。

ムラムラと戦闘、むしろ組み手が書きたかったので、思わず書き始めていました。
正味二時間と少し、無心の作ですので、私、と言う物が出ているかと。
何というか、勢いオンリーの作品です。よろしく。


駄目な点、良い点、ご感想の程、よろしくお願いします。


題名「隙臥」の由来は、勿論ゲキガンガー、ですです。
隙に潜む、そう言った意味合いで、死角と言う事です。

それでは、又。


「ポリエスチレン・テクニカルズ」
http://polytech.loops.jp


 

代理人の感想

いきなり「ナデシコキャラはアキト以外出さない」との大宣言!

いやお見事(笑)。

前作の雰囲気が結構好きだったのでこのまま突っ走って欲しいところです。

 

 

 

・・・・ところで「弟子」がいないのに「師範」とはこれ如何に(爆)。