外気は冷たく、朝早く鳥が鳴き声を上げている。 小佐野彌太郎は軽く伸びをした。深く息を吐き出し、軽く靄がかかった意識を覚醒させる。 片方の手に持っていた紙を、丁寧に道場の玄関に貼り付けた。 そこには、 『アキトへ、今日はたっての願いにより、宇宙軍へ出稽古に行ってくる。修行内容は自由にするといい』 流麗な筆字が、白紙の中央に据えられていた。 隙我 十一つ幕.「奔華」 アキトがポリポリと頭を掻いた。 事情が事情だ、宇宙軍に稽古の依頼でも来たのであろう、ならば仕方が無い。 「宇宙軍と言えば……ルリちゃんか」 ぽつりと呟いた。 アキトの三人の同居人の一人、星野瑠璃は宇宙軍に所属している、階級は中佐。異例の大出世である。 火星の後継者の一件で、ルリは昇格していた。 給料も良い、実質、ルリの稼ぎで大半が成り立っているのだ。 アキトと言えば、昼は訓練に打ち込み、夜に各種バイトをこなしていた。 ルリは世間的に言えば「最年少艦長」だ。が、アキトはそれをあまり快く思っていない。 端的に言えば、プロバガンダだ。 幼年者をどうのこうの言う声もあるが、それよりもまず、ルリの存在で宇宙軍は一際目立つ。 体の良い広告塔に過ぎない。それが、アキトには気に入らなかった。 仮にも家族だ。その家族が宣伝に利用されていると考えると、歯がゆい部分がある。 自分が「辞めろ」と言えばどうなのだろうか、辞めるのだろうか。 (辞めるんだろうな……) ルリは、アキトには対しては極めて従順だった。 まるで親が子供に言いつけるかの様に、だ。 その反面、時折ユリカには敵意を見せる事も、ある。 その二面性の理由は、アキトには解らなかった。そう言った事項に限り、アキトは酷く不感症なのだ。 アキトは、玄関前で突っ立ったまま、取り留めも無い事を考えていた自分に気付いた。 「仕事……頑張ってるんだろうな」 それに比べて自分は……。 アキトは目に見えて肩を落としながら、玄関に手を掛けた。 無心に棒を振るう。 一回。 二回。 三回。 四回。 棒を_____見田の背丈の1.5倍はあるかと思うぐらいの棒を_____見田乙は振るっていた。 速い、棒先は霞んで見えづらい、そのぐらい、速い。 一振りする度に、見田の呼気が広い____とてつもなく広い道場に響き渡った。 演舞の様に棒を振るいながら身体を捻り、回る。 綾乃は、その様子を静かに、道場の入り口の影から、見ていた。 綺麗。 初め、思わず口に出してしまった。 その通り、見田の動作は、見る者が見れば、さぞや美しく見えたのであろう。 見田の槍____棒は、棒の先端は、常に見田から一定の距離に保たれている。 それが円を描く様に、太極図を描く様に、回る。 動作は流麗、寸分の隙は無く。ただ無心に棒を振るっている。 そう。 無心なのだ。 意識せずに、見田はああいって棒を振るう。 槍舞「太極」。 御園槍術の、他の槍術とは違う点が、この槍舞にある。 文字通り、槍を用いて踊る舞の事を槍舞と呼ぶ。 御園槍術は、この槍舞を持って精神を沈静化し、時には活性化させ、来るべき闘いに備える。 綾乃に言わせれば、 「前時代的な精神論」と一蹴するが、根底から否定はしていない。 見田の動きに変調があった。 それを綾乃は目ざとく見つけ、眼を細め、見田の一挙一動に注意を始めた。 見田が宙に浮かんでいた。 高く、道場の天井に届くか、と言った程度にまで、見田は飛翔していた。 道場の天井は、三メートルはある。当然、人間の跳躍力では、三メートルの天井に届くか、と言う程までに飛べない。 棒を支点にしている。 棒の先端を掴んで、それに逆立ちする様に見田はいた。 御園の棒は、胡桃の木を利用している。固い、やろうと思えば人一人支えられる物だ。 が、実際にやる人間は居ない。いるとすれば、御園の師範レベルの人間だけ「かもしれない」。 何しろ、棒の直径は二センチと半分程度しかない。 均衡がとれない。転倒するのが常であろう。 しかし見田は浮いている。 棒を支えにして、浮いている。 綾乃は、呆然とそれを見ていた。見た物を、なかなか脳が認識してくれない。 あり得ないと、心のどこかで思っているからだ。 見田は、そのまま数秒間静止して、やがて優雅に床に降り立った。 ふぅと息を一つ吐いて、見田は棒を床に置き、自身も床の上に正座した。 「見ていないで、入ってきてください」 綾乃がビクリと体を震わせた。 気付かれていた。気配を出した気は無かった、それどころか、隠していたのだ。 溜息を吐いて、綾乃は木戸に手を掛けた。静かに木と木が擦れる音がして、戸が開く。 見田は入ってきた綾乃には目もくれず、ひたすらに瞑想に耽っていた。 おずおずと足を進める綾乃。 「御用は何でしょうか」 静かに、だが良く響く声で見田が言った。 目は開き、視線はいつの間にか綾乃に向けられていた。眼鏡はかけていない。 深い黒の眸が、綾乃を捉える。思わずはっと息を呑んで、綾乃が歩を止めた。 自分が自分で無くなる、そんな妄執に捕らわれていた。 深すぎる、目を合わせるには、見田の眸は深すぎるのだ。どこか達観して、自分とは違う、まったく違う空気の眼。 綾乃は気を取り直して、 「あ…あの〜」 恥ずかしそうに手と手を摺り合わせながら、遠慮がちに呟いた。 見田は微笑を溜め、「何ですか」と言わんばかりの表情を綾乃に投げかけた。 その顔だけを見ていれば、まるで子供の様にも見える。 目鼻立ちは整っている。クラスの男達に比べれば、見田は確実に上位に入るだろう。だから、クラスの女友達が五月蠅いのだ。 「あの男の人は誰なの」「恋人なの」「恋人なんでしょ」と怒濤の三段論法を受ける。 それもこれも、毎日歩いて送迎する見田が悪いのだ、と綾乃は思っている。 「え、え〜とですね〜」 胸元に両手を持っていき、手で手を揉んだ。 「はい」 見田が優しい口調で話しかける。 綾乃は、見田がこの様な話し方をするのは、母と自分だけな事を知っていた。 丁寧語で話しかけられるのは嫌だが、「極少数」と言う部分は、実は少し嬉しかったりもする。 「稽古……付き合って貰えますか?」 こんな普通の女の子らしく無い事を、見田に言うのはあまり好きではなかった。 「久留間の娘」と言う扱いは良い、だが「譜代槍術の後継」と思われるのは嫌だったし、普通に見て貰いたかった。 「恋人なの」と友達に言われた時も、そうだったら良いな、と言い返したくなる時もあった。 「勿論です」 即座に答えて、見田は立ち上がった。 立ち上がると、綾乃は見田より十センチは身長が離れているため、見田が見下ろす形となる。 この様に、見田はいつでも自分の鍛錬に付き合ってくれる。 それが、綾乃には心地よかった。 格闘をしている時が、素の自分を見田は見てくれる。それが良いのだ。 彌太郎は、朝早く、最寄りの駅へ向かうために歩いていた。 宇宙軍への到着予定時刻は正午。 まだ朝靄がかかるかどうか、といった時間帯の商店街を歩いていた。 それでも開店準備が速い魚屋などは、既にあくせくと動いていた。 「あ、先生。お早いですねー」 魚屋の気が良さそうな____体格も引き締まった初老の店主が陽気な声で彌太郎に話しかけた。 彌太郎は微笑し、魚屋へ近づいていった。 「おい秋穂ー!先生が来たぞー!」 秋穂、と呼んだのは、この主人の娘である事は、彌太郎は知っていた。 「あ、いいですよわざわざ。お忙しいでしょうに」 気遣う様に、彌太郎が袖から手を伸ばした。 彌太郎の衣装は着物である。普段着が着物なのだ。時代には遅れている、今時は初詣か成人式ぐらいでしか、お年寄りでも着ない。 だが、彌太郎には似合っていた。 どこぞの若旦那の様にも見える。 「いやいや、普段から先生はウチをご贔屓にしてくださいますし」 店主はそう世辞っぽい事を言っているが、実際は彌太郎の人柄に惚れ込んでいる、昔気質の人間なのだ。 まあ寄り道もいいか、と思い、彌太郎はしばしの談笑に耽る事に決めた。 魚屋の奧からは、何かしらが崩れ落ちる音、慌てる声が聞こえてきた。 それを聞いた店主が、 「あちゃあ、またやりやがったな。あのドジ娘……我が娘ながら情けないです」 彌太郎に人懐っこい笑みを向け、店主も奧へ消えた。 店主の怒声も響き渡ってきた。 彌太郎はしゃがみ込み、透明なガラス張りのケースを見つめた。 隙間も空いているが、様々な魚が身を横たえている。 曇りが掛かったガラスを手で撫でた、きゅーと音が鳴り、ケースの中身がはっきりと見えた。 都会から一度離れると、ここまで環境が違うものなのだ。 ホログラムやら、ボソンジャンプやらはこの様な田舎ではまったく関係がない。 文化とは均一では無い。 文化とは踏襲を含めるものである、それがこの地方の気風だった。 独自の文化なのだろうか、ここが遅れているだけではないのか、そう思う時もある。 未だにアナログで魚は捕られ、アナログな硬貨や札で支払う。 デジタルが生活の豊潤をもたらすか、と言えば一慨に「イエス」と答えるのは暗愚であろう。 思考に耽っていた彌太郎の頭上で、また騒がしい物音が聞こえてきた。 「あ、あれ?いない、おとうさーん、居ないよー!もう行っちゃったかなー!」 彌太郎は地面にしゃがみ込んだまま、頭上を見上げた。 女性が一人、カウンターから顔を出して喚いている。 そんな筈はねー、もっと良く探せー、と奥の方から声が聞こえてきた。 「でもでも、やっぱり居ないよー!」 右、左と顔を振るが、真下に居る彌太郎が視界に入る事は無い。 彌太郎は呆然とそれを眺めている。 まさか……気付かないのか!? 真下に居れば、気配ぐらいは感じるはずだ。ましてや視線も向けている。 ふぅと息を吐いて、彌太郎はゆっくりと立ち上がった。 勿論、顔を出している女性の顎に当たらない様に、ゆっくりと注意して。 女性、巾来秋穂にとって、彌太郎の出現は唐突に見えたであろう。 いきなり目の前に、それこそ「ぬっ」と言う擬音がピッタリな程、急に彌太郎が現れた様に、見えた。実際はもっと遅い。 「きゃっ!」 それに驚き、思わず身を数歩、秋穂が後退していく。 店舗の中には、様々な発砲スチロールの箱などが転がっている。 結果_______。 けたたましい音を立てて秋穂の身体が彌太郎の視界から消えた。 思わず彌太郎はカウンターに身を乗り出し、 「大丈夫か!」 と叫んでいた。 慌てて店主、巾来秋造が駆けつけた。 頭をさすりながら、眼をチカチカさせている秋穂が起きあがった。 「いたたたた……」 再びカウンターに立つ、それを見届け、秋造は何故かにやつき顔で店の奧へと消えていった。 やがて意識がはっきりとしたか、秋穂と彌太郎の目があった。 「お早う御座います」 彌太郎の先制攻撃。 静かに、かつ貫禄がある動作で頭を垂れた。 「あ、お、お、お、お早う御座います。天気は良い今日ですね!」 今日は良い天気ですね。 恐らく秋穂はそう言いたかったのであろう。 彌太郎はそこら辺はもう解っているので、頷いた。 秋穂はこの商店街でも有名な、巾来鮮魚の看板娘でもある。同時に商店街随一のドジとしても知られている。 端正な顔立ち、活発そうな印象を受ける。長い黒髪を根本でまとめポニーにしている。 緑のパーカーに白いラバーのエプロン。 女性に関して彌太郎は事疎いが、秋穂が美人な事は解った。 それから十分程度であろうか。 彌太郎と秋穂は何でもない会話をした。 彌太郎は何でもない会話が好きだった。そう言った話をするのも意外と得意だった。 秋穂は仕込みの手伝いをする為、彼女の母親の元へ行った。とても名残惜しそうに、それこそ捨てられた子犬の様な眼で彌太郎を見ながら。 秋造が再びカウンターに立った。 「秋穂さんも、元気そうで何よりです」 「いやいや、娘があそこまではしゃぐのは先生が来た時だけなんですわ」 「そうなんですか」 「へっへっへ、何せアイツは先生に、これ、ですからな。へっへっへ」 店主、秋造が右手の小指をぴっと立てて彌太郎の眼前に出した。 彌太郎が小首をかしげる、 「はて?これ、とは」 本当に不思議そうに聞くと、秋造はまた、へっへっへ、と笑った。 鼻から息を出し、そう言えば、と思い立った。 「秋造さん」 「はい、何でしょう」 「今、一番美味しいと思う魚を一尾、下さい」 いきなりですね。と良いながらも、「美味しい」と言う言葉が出た時点で魚を捜す準備をしていたのを、彌太郎は見逃さなかった。 「今日一番はこれですかね」 直ぐに秋造は、魚を一尾、彌太郎によく見える様に掲げた。 鯖、青い魚体にいくつかの黒い模様な物が見える。 「鯖、ですか」 「寒鯖です、脂も乗ってますし、身も丁度良い具合に引き締まっています」 彌太郎は顎を手に当て、一瞬逡巡した後。 「じゃあ、下さい。一尾」 「あいよ、毎度あり!」 手際よく紙袋に包み出す。 「今日はお出かけなんではないんですか?先生」 「はい、出稽古なんですが、これが時の人でして。何かしらお土産は必要でしょうし」 「成る程……してその人は何て人で?」 「驚きますよ……宇宙軍中佐、星野瑠璃とその部下に、です」 秋造の眼が「くわっ!」と見開かれたのは、見逃しようがなかった。 中佐に対して鯖は失礼だったか。と今更ながら思っていた。 上は白い道着、下は黒い袴を履いて、彌太郎は鍛錬の監督をしていた。 パイロットの人間は、やはり体術の心得はある様だった。特に木連の者達は秀でて強い。 他の者は、やはり動作がぎこちなかった。 そんな中でも、一際目立つ存在があった。 ちなみに、その存在____人物は今、自分の目の前にいる。 強い意志が灯った金色の双眸。 揺れるように長い白銀の長髪。 この世の者とは思えない、一瞬彌太郎はそう思ってしまった程だ。 かの高名な電子の妖精、星野瑠璃。実際に見るのはこれが初めてだった。 「……よろしくお願いします」 言って、ルリはペコリと頭を下げた。それを追う様に長い髪が波を打つ。 この娘が_____自分に直接教えを請うて来たときは、不覚にも一瞬気絶しそうになった。 まさかこんなにも幼いとは、思っても見なかった。 彌太郎はポリポリと頭を掻いた。 爛々と光るルリの眼からは、やる気が迸っている様に見えた。そのやる気を殺すのも、少し勿体ない気もする。 ……さて、どうしたものか。 彌太郎は再び頭を掻いた。 _______________________________________ えるおーぶいいー。 らう゛。 ラヴ。 今回のテーマです。嘘です。 路線変更、暫く血なまぐさいのは無しにしようかな、と。 ルリ出ました。 アキトだけではもう限界です。無理です。不可です。 綾乃のライバルキャラがまたオリキャラではどうも……なのでルリ登場。 まあ、あれです。 格闘物なので。 痛い目も会います。 ファンの方はご了承を。刺さないでね。 彌太郎ラヴ娘秋穂登場。これで彌太郎の生涯も安泰だ! と、もの凄く眠いので、変な胡車児でした。 では、又。 『竜の胆』 ポリエスチレン・テクニカルズ外伝『竜の胆』 http://polytech.loops.jp/ktop.html
代理人の感想
ライバル・・・・・・・・・・
まさかルリを格闘家にするつもりですか(爆)?
まぁ、肉体改造でも施さない限りノーマルなルリが格闘家になれるとは思いませんが(笑)。
追伸
そうか・・・・今のアキトってヒモ状態なんですね(核爆)。