「柔よく剛を制す、とは言った物だが」 そこまで口に出して、彌太郎は言葉を切った。 両手を組み、深く溜息をつきながら項垂れる。 彌太郎の足下には、人が一人、道場の畳の上で、倒れている。 流れるように長い銀髪。大きな金色の双眸。可憐、と言う言葉を人の形にするとこうなる、と言える少女が、畳の上に身を横たえていた。 ホシノ・ルリ宇宙軍中佐。その人であった。 今は腰を押さえて悶えている。 経緯は、こうだ。単純明快かつ、面白可笑しくもない。一行で説明を終える自信がある。 回し蹴りをしてそのまま転んだ。 しかも振り切って転んだ訳ではない。どうして転んだかも、彌太郎は理解出来なかった。 この少女にだけ、重力とは別の引力が働いているのではないか、と一瞬思った物だ。 「今日は、止めるか?」 「……ま、まだやりま、す」 額に手を当てて、彌太郎は再び溜息を吐いた。 ここまでやる気と実力がチグハグな人間は、初めて見た。 才能が無い訳では無い。 女性特有の身体の柔軟性。 この少女に於いては、その柔軟性が人より数倍も優れている。自分でも寝技を掛けられる自信が無い。 ルリがよろめきながら立ち上がった。 腰に手を当てながら、再び彌太郎へと視線を合わせた。
隙我 十三つ幕.「指標」 「いいか、拳を突き出す時は、力の緩急を付けるんだ。何も構えている時に力を入れる訳じゃない。抜いて、入れる。それが緩急だ」 ジャブの要領で拳を数度突き出しながら、彌太郎が言った。ルリはそれを神妙な顔つきで聞いている。 話の合間に小さく頷きながら、食い入るように彌太郎の拳を見つめている。 彌太郎が宇宙軍へ毎週数回通う様になってから、もう一ヶ月が過ぎた。 彌太郎とルリの周りには、柔道、合気道、空手など多種多様な地稽古を繰り返している宇宙軍の人で一杯だった。 その総括として彌太郎が呼ばれた訳だが、ほとんどルリの専属コーチになっていた。 時折隙を見て、木連の腕が立ちそうな人が彌太郎に話しかけるが、ルリの眼圧によって圧殺されている。 「……じゃあ、やってみろ」 「はい」 いつもながら返事は簡潔で短い。 こうですか、と言わんばかりに彌太郎の方を向いてから、拳を突き出す。 が、どうだろうか。 擬音を付ければ『ヘニョヘニョ』。当たったとしても『ポフッ』と音が出るくらいが関の山だろう。 彌太郎は目をつぶって、頭の後ろを掻いた。 「止め」 「はい」 彌太郎が言うと、さっと挙動を停止する。 そこいらは流石軍属、と思わせる瞬達ぶりだった。 力の緩急が云々、と言うより前に、この少女には込める力すら無いか。と彌太郎は嘆息した。 「ちょっと見ろ」 一言そう言うと、彌太郎の拳が動いた。 拳の先が見えない。眼前を通過した、とだけルリは解った。 一間置いて、風が来た。前髪がふわりと上がる。 ルリは呆然と彌太郎を見つめた。 「今のが力をあまり必要としないやり方だ。いや、違うな。一瞬しか必要ない。その一瞬が威力を決めるんだ」 「どうやれば」 やはりやる気だけは誰にも負けていない。その点は、彌太郎でも羨ましかった。 ともあれ、直ぐにでも飲み込めるだけの技量はある。だがそれに身体能力が付いてこないだけなのだ。 「簡単だ。さっきの拳は突き出す、だった。今のは振る、だ」 胸元から繰り出すように、腕をしならせる。 風を切る音がこの喧噪の中でも、何故かルリの耳には届いていた。 「つまり、鞭の様に腕を使えば良い訳ですね」 「そうだ」 「解りました」 「打つ前に力を込めて、後は抜くように腕を、こうだ」 眼前に拳を持ってきて、振り下ろすように、打つ。 「はい」 解った、とばかりに今度は大きく頷き、無心に拳を振るいだした。 先程の力の抜けきった拳なんかよりは数段マシになっている。いくらか続ければ、使い物にはなるだろう。 集中力も驚異的だ。 もう彌太郎など、ルリの眼中には無い。 大した物だ、彌太郎はルリを見つめながら、思った。 「じゃあ俺は別の人も見てくる、続けていろよ」 言わなくても良い事を、とりあえず口にする。 返事はない。来ない事は解っているが、一応言っておく。 一心に拳を振るうルリを後に、彌太郎は道場の周りを歩き始めた。
羨ましいぐらいに広い道場だった。 宇宙軍の総本部の中にあるだけあって、清潔感もあった。自分の道場にはあるすきま風など、当然ない。 宇宙軍は貧乏、と言うのが専らの噂だったが、内装などから見れば、とてもそうとは思えない。 木連には精神論的な風潮があった為、この様な総合格闘技道場紛いの物を作らざるを得なかったのだろう。 広い、とは言わないまでも、綺麗な道場への憧憬はある。 先代、父もいつもすきま風と雨漏りに悩まされていた。門下生は取らないが、手合わせを求める来訪者は多い。 それ故に、なんとか良い環境での鍛錬を望んでいたが、矛盾した道場経営をしている以上、如何ともし難い問題だった。 「おお、彌太郎先生」 突然、威勢の良い声が、彌太郎の背後から響き、足を止めた。 振り向く。 恰幅の良い、角刈りの頭をした男が立っていた。 実際の年齢はまだ30か半ば、そこら辺なのだろうが、いかつい顔が、中年の味を早くも醸し出していた。 「秋山さん、どうも」 秋山源八郎、その人だった。 この秋山と言う人物も、大概の木連将校の例に漏れず、木連式柔術なる物を会得している。 手合わせをした事は、まだ無い。 数度挨拶こそ交わしているが、ルリの特訓に忙殺されていた。 秋山とて宇宙軍の頂点近くに君臨している役職の持ち主。おいそれと道場へ行く暇がなかったのだろう。 柔道着を着ている。精悍な体つきが、即座に解った。 「今は……お暇のようですな」 ルリの方に目をやって、秋山は嬉しそうに言った。 自分と手合わせがしたいのだろう、と彌太郎は感じていた。見れば解る、好戦的な匂いがするのだ。この秋山と言う男からは。 「やりますか」 何、とは言わず、彌太郎が言った。 無論、手合わせだ。 「おお、よろしいのですか」 秋山が感嘆の声を上げる。 周囲の声を掛けて、場所を空けさせた。秋山が声を掛けると、即座に手合わせするには申し分ない程の場所が開いた。 たちまち見物人がたかり、人間の柵が出来上がった。 「手加減は、しませんよ」 「何、げに名高き小佐野彌太郎師範と一戦交えることが出来る、ともなればやれ手加減ともいっていられまい」 「世辞を」 「まさか、本気です」 それで会話をうち切った。 互いに三歩以上離れ、柔軟体操を始めた。 首をならし、手首と足首を入念に回す秋山。 対して何もせずに、秋山を凝視する彌太郎。 体操が終わったか、秋山が深く息を吐いて構えの様な物を取った。 秋山と彌太郎では、あまり身長さは無い。が、体重差は傍目にもあった。 彌太郎の身体はそれほど太くない。対して、秋山の身体はどっしりとしている。 体重差がある、と言う事は大きい。まず打撃の威力に始まり、内臓へのダメージまで関わってくる。 彌太郎が名の通った拳法家とは言え、秋山も木連式柔術の有段者。 普段から秋山にしごかれているのだろう。大勢の判断は、秋山の勝利。 彌太郎が、静かに構えを取った。
秋山は、息を呑んだ。 鋭い、刀の様な物が喉元に突きつけられている様な感じに、秋山は襲われていた。 血が冷たくなっている。 これが、止心一投小佐野流当代の、殺気。 ゴクリと、秋山が喉を鳴らした。 自分は木連式柔術を学んでいる、が、掴み技に持っていくのは愚策であろうと、直感していた。 ならば、足。 これが自分の最も強靱と思っている箇所である。投げれなくとも、この足で人体を破壊する事が可能だった。 彌太郎は静かに構え、秋山を凝視している。 誘っている。秋山の額から嫌な汗が滲み出てきた。 気合い負けしている、自分が、この秋山源八郎が。唸るような声が、自然と口から漏れていた。 「せぇえええい!」 彌太郎の眼力に負けじ、とばかりに秋山が咆哮した。 野次馬が縮み上がるのが肌で感じ取れた。 当の彌太郎は眉一つ動かさず、相も変わらず秋山を凝視していた。 舌打ちをして、気を持ち直す。 無駄な気合いを使ってしまった、秋山は軽く苛立ちながら拳を握りしめた。 負ける。 そんな言葉が秋山の脳裏を一瞬掠めた。 馬鹿な。 と誰にも聞こえない様に呟く。 こんなにも弱気になったのも、久しかった。負ける、と自分では無い本能が言っている。 これ以上の睨み合いは、いたづらに、しかも一方的に精神力を浪費しかしない。 ならば。 早計しかんじて勝利と転ず、焦精せずして天を戴かん。 心の中でそう叫んで、自分を奮い立たせる。 踏み出して、蹴りを繰り出せば届く距離。ならば、一瞬が勝負を決める。 畳を蹴る。 前蹴り。 早い。 「しあっ!」 呼気。 彌太郎が動く。 止まった。 観客も静まりかえっている。 何が、今、現在、どうなって、こうなったかを必死に理解しようとしているのだろう。 ともかく、場違いな程の静寂が、辺り一帯を包んでいた。 秋山源八郎は、右の前蹴りを放った。恐ろしく早く、鋭い。 秋山の動きは早く、彌太郎も反応しきれていない。 かの様に、見えた。 彌太郎は動いていた。 あたかも周りの人間にはゆっくりと動いている様に、それは見えた。 秋山の前蹴り、その足先が威力の頂点に達する前に、彌太郎の足が出た。 誰もが目を疑った。 彌太郎の動きは、秋山が動くよりも、遅かった。 が、今、彌太郎の左足の先は、秋山源八郎の前蹴り、その右足の、膝に乗っていた。 それにより秋山の蹴りの威力は殺され、静止している。力を込めるよりも先に、力の行く先を殺された。 秋山も信じがたい、と言った眼で自分の足を見て、それから彌太郎を見た。 否、彌太郎を見るよりも前に、彌太郎の右拳を見た。と言った方が正しい。 秋山が来ていた柔道着、その左の奧襟を彌太郎が取った。 膝に当たっていた左足を、素早く秋山の右足に絡ませて、身体を前に倒した。 秋山が下になりながら、地面に落ちていく。が、秋山の腕も、大したものだった。 彌太郎の左襟と右襟を咄嗟に掴み、交差に締める。 が、彌太郎は顔色一つ変えずに、奧襟を掴んでいた腕を逆襟に持っていき、秋山の顎の下に差し込んだ。 秋山は顔を青くして、その腕を外そうとするが、それよりも早く地面に叩きつけられた。 地面と彌太郎の腕が秋山の首を挟み、断頭台と同じ様な役割を果たした。 柱斬り。それがこの技の名前だった。柱、首を切り落とす事から由来している。 本来なら気管を潰す為、気絶するが、彌太郎の左手が微妙に床に着いており、それが地面と秋山との間隔を空けていた。 気絶、とまでは行かないが、秋山は激しく咳き込んでいた。 彌太郎はゆっくりと立ち上がり、居住まいを正した。 周りから次第に歓声が広がっていった。それこそ、波一つなかった湖面に、石が投げ込まれたように。
ルリは、その様子を、大きい目を更に大きくして、見ていた。 人だかりが出来た時から、ルリは野次馬に紛れ込んでいた。流石に集中の阻害となっていたからだ。 嘘のような、強さ。 それが、秋山と彌太郎の立ち会いを見て、初めに浮かんできた言葉だった。 まるで物語のヒーローの様な、絶対無比の強さ。それが彌太郎から感じられた。 師事こそしているものの、彌太郎の実際に闘う姿は、今初めて見た。 想像以上、いや、想像など無意味な物だった。 遅く動いた彌太郎が、何故早く動いた秋山の動きを制する事が出来たか。 単純だった。 彌太郎の足が、秋山源八郎のソレより、圧倒的に早かっただけなのだ。 ただ、早すぎて、秋山源八郎を見ていた人間には、気付くことすら出来なかっただろう。 集中して彌太郎を見ていたルリでさえも、彌太郎が前に出て、足を出した所までしか視認出来なかった。 いつ、秋山の膝に足を乗せたかは、解らない。 天井を見上げ、嘆息した。 これは、勝てない。 テンカワアキトに、小佐野彌太郎を破れる道理は、一片として見つけられない。 自分の想い人は、この様な人物に全力で師事しているのか。それは、変わる筈だった。 ホシノルリの想い人、テンカワアキトは、変わった。この数ヶ月で、確実に。 あのアマミズキでの戦闘後、ナノマシン除去の治療を終え、晴れて一般社会に復帰した物の、アキトの表情は暗かった。 それも当然の話だった。今更振り返りもする必要が無い程、この事については考えた。 引け目と負い目。両方は心を占拠しているのだろう。あの、心優しい青年は。 それが、突然「格闘技をやる」と言い出してからは、確実に変わっていった。 他人と交流を持つ様になった。 テンカワアキト、と言う事を知られるのを恐れるあまりに、完全に外界との接触を絶っていたアキトが、急に、だ。 これは格闘技云々、に関連しているに違いない、とルリは思っていた。 ユリカは手放しに喜んでいた。 密かに調べた。 それがアキトに対する間違った方法であったとしても、ルリは心配で仕方がなかったのだ。 現に、クリムゾンは未だにアキトとユリカの捜索を進めているのだ。 当面は隣に住む青年、少年か、どちらかは解らないが、男・サイメイがその全てを撃退・殺害している事はネルガルから報告を受けていた。 かといっても、今は一人たりとも頭から信じる訳にはいかなかった。 サイメイに内偵をさせたが、不審な点は見つからなかったそうだった。報酬として牛丼100杯分をおごらされ、むしろ損をした。 ならば、自分の目でも、確かめてやろう。そう思い立ち、小佐野彌太郎の宇宙軍誘致を頼み込んだ。 結果、これだ。 クリムゾンにこれほど優秀な人材がいるとは、到底思えなかった。 と、言うよりは絶対的に外界との接触が希薄なのだ。その点は、まあどうでも良かった。 問題は、『アキトがアキトである事』を知っているかどうか、だった。 アマカワアキヒト、ではなくテンカワアキトであるかどうかを知っている、と言う事であった。 見物客に揉み潰されている彌太郎を背中にし、ルリは静かに道場を去った。 廊下は、少し寒い。 もし、 もし、彌太郎がテンカワアキトである、と知っているのならば。 「然るべき、処置……」 うなされるように、ルリは呟いた。 あの人の今を守る為に、どんな汚い手でも使う事を、決意していた。 そうでなくては、諦めた意味が無い。 もし、自分が居なくなろうと、あの人にはユリカさんがいる。そう思ってルリは決心した。 サイメイ・リョウ。裏の世界で随一、と呼ばれる暗殺者、工作員をアカツキの勅命で指揮下に於いていた。 それが、自分がとるべき処置なのだ。 _________________________________________________ 実はイスラム教徒であったが為に小説の執筆を禁止されていた。 こんにちは。胡車児です。 嘘です。(イスラム) カレー大好きです。(それはインド) 三国志[とマキシモが家に置いてあったが為に、の間違いでした。 なんかまともな小説を書いたのが久しぶりな気がします。 前回のが意味不明瞭過ぎたのが要因ですな。ニンニン。 小説を書く気が無い時はやっぱりゲームに限りますな! それ以外にもありますよ、小説書く気が無いときの対処法が。 まず気晴らしに携帯いじる。 たのしい。 十六和音綺麗。 二曲しかないDDR空しい。 iモード代が凄くなっていた。 どどどどうしよう。 そう言えば、ジブリの森美術館に未だに行っていない事に気付く。 お金がないのに悩む。 バイト捜す。 無い。 やる事が無くなる。 小説を書く。 たのしい。 堂々巡り。 ほいだら又。 ポリエスチレン・テクニカルズ外伝『竜の胆』 http://polytech.loops.jp/ktop.html
代理人の感想
おお。
彌太郎vs源八郎!
展開こそ一方的でしたが中々に見ごたえがありました。
そういえば源八郎が生身で戦ってるシーンなんてひょっとしたらナデシコSS初かも(笑)。
格闘シーンでは結構映えそうな人材ではあるんですけどね。