他流派との試合は、彌太郎にとって専らの事だった。始終誘いは絶えない、彌太郎の力は、知れ渡っている所なのだ。 時には、剣術や槍術、果ては棒術や十手術など、獲物を使う流派との試合も、盛んに行っていた。 そして、例外なくその全てに、勝利を収めてきた。素手一本で、その獲物ごと相手をうち砕くのだ。 その体は正に、鬼神。 今、彌太郎が立っている場所も、そうした他流派の道場だった。 風が吹き込まない床に、羨ましさを感じる。それを示す様に、周りには門下生が大勢座っている。 相手は直心無双流剣術、多少は名の知れた流派で、少なくとも、表向きは小佐野流より遙かに有名だった。 その師範が、突如彌太郎に、出稽古の申し出をしてきた。彌太郎は、それを呑んだ。 獲物持ちの相手ならば、自分の技が知れる心配も無い。それ故に、彌太郎は獲物持ちの流派との対決を好んだ。 アキトは連れてきていない。今頃道場で必死に拳を振るっている所だろう。二合耐えた、それはアキトの成長を示しているのだ。 だからより一層、自分を磨く事に精を出しているだろう。 隙臥 五つ幕.「斬道」 「それでは、よろしくお願いします」 直心流の師範、外谷健三郎が深々と頭を下げた。年の程は40を半ば過ぎようか、としている所だろう。 この世界では、それは非常に若い。この年でその名声を得られたのならば、高齢になるにつれ、更にその噂は高まっていくだろう。 それが、自分の子供の様な年齢の若者に頭を下げているのだ。門下生の中には、不満そうな顔つきをしている者もいる。 「こちらこそ、若輩者ですが」 それも仕方が無い事だ。とも思っている。こんな若造が、と思うのは無理もない事なのだろう。 だが、それを気に掛ける必要は無いのだ。自分には、先代の生きた年数だけ、刻み込まれているのだから。 彌太郎がゆっくりと構えた。健三郎も、ゆっくりと竹刀を構えた。道場が静まり返る。 耳が痛くなるほどの静寂、門下生の息を呑む音すら、響いてきた。 健三郎の眼力が、彌太郎を捉える。彌太郎はそれに抗おうとせず、静かに受け止める。健三郎に焦りの色が浮かび始める。 気で圧する事が出来ない相手は、恐らく初めてなのだろう。だから焦っているのだ、どうやら、向こうも先を取らせて後を返す流派らしい。 ならば、一日の長がある。と彌太郎は思っていた。およそ三代の小佐野流だが、常に裏では最強を誇ってきた。 それが奢りな訳では無い、それが自信となり、力と変わるのだ。 「リィヤアアアアアアア!」 健三郎が、たまらず叫んだ。自分が呑まれそうになったのが解ったからだろう。そこら辺は、流石達人と言わせる程はあった。 彌太郎が、ゆっくりと体を動かし始める。それに警戒を露わにする健三郎、剣先が揺れている。 いつでも打てるように構えているのか、しなやかな、流れるような剣運びだった。 彌太郎にも、汗が一つ流れてきた。 左足を前に出し、右足を引き構える。左手を頭より高く上げ、右手を腰に据える。 彌太郎は、細目で健三郎の目を見た。健三郎の瞳孔が動いたのが、解った。来る、そう思い、体に力を込めた。 「ッゼェイイイイイヤアアァアァア!」 「シリャァアアアアアアア!」 二人、同時に咆吼し、瞬間的に健三郎が身を躍らせた。真っ直ぐ早い、頭上から真っ直ぐに振り下ろす、一の太刀。 彌太郎が右足を素早く前に出した。早く、鋭い、一瞬で二間程あった間を詰めた。健三郎の表情が凍り付く。 振り下ろされる健三郎の右手を右手で押さえつつ、横に流した。彌太郎の右に、剣が振り下ろされた。 健三郎の首の後ろから、彌太郎の左手が回る。そのまま襟を掴み、巻いて締める、健三郎の胴が空いた。 そこへ、吸い込まれる様に右手が、健三郎の胴を打つ。水月、健三郎が乾いた咳をして、力が抜けた。 水を打った様に、門下生からざわめきが漏れる。健三郎はぐったりと床の上に降ろされた。 門下生が近づいてくる。それを腕一本、前に出して制する彌太郎。 健三郎を床の上に座らせ、上体を起こした形にする。彌太郎は背後から左膝を着き、右膝を背骨の辺りに当てた。 両手を健三郎肩からの両脇下に差し込み、両手の指先に力を込め、引き上げる様に後方へ引いた。 すると、健三郎が咳き込んだ。目が開かれる。門下生からも、安堵の息が漏れた。 「いや、やられました。お若いのに、大した物です」 道場の奥へと誘われ、彌太郎は今、卓の正面に正座している。正面には健三郎が座っていた。 嬉しそうに笑う健三郎。 「いえ、これも父のおかげでしょう。父が居なくては、私はここまで強くはなれませんでした」 健三郎の妻が、茶を二人分運んできた。意外に若く見える。 健三郎の妻ならば、既に40は行ってる筈だが、そうは見えず、30か、はたまた20後半にすら見える。 茶を置き、素早く居間を後にした。 「しかし、父上を失ってからは、自ら修行なさったと聞く」 「既に地盤は、父が作り上げていましたから」 「成る程、父上とは相対した事は無かった。父上は、強かったのかな?」 「それは、もう。私など、足元にも及びませぬ」 「それは恐ろしい」 健三郎がかっかっかと笑った。 「父は、あまり獲物持ちとは戦いたがっていませんでした。しかし、私は好きなのです」 「そうかそうか、所で先程の技は、何と言うのかね」 「巻締、と言います。本来ならば、あの一撃で死に至らしめる事すら、可能です」 「ほう、しかし私は気絶しただけだった。手加減したのかね」 「仮死でした。その点で、私が手抜かりをしたとは、思っていません」 茶を一口啜り、健三郎がまた笑った。 まるで子供の様だ、と思ったが、嫌いでは無かった。否、嫌いになれなかっただけなのだろう。 「私は殺されたのか」 「はい」 今度は彌太郎が笑った。あまりにも焦った体で聞いてくる物だから、思わず笑ってしまった。 それから、他愛の無い話をして、彌太郎は道場を去った。気持ちの良い人物だった、恐らく、これからも親交があるに違いなかった。 なにより、久しぶりに冷や汗をかかされた。それが何よりの事だった。 次は、アキトも連れてきてやろうと思った。そして、戦わせてみよう、とも思った。
健三郎は一人物思いに耽っていた。 先程の勝負を思い出すと、未だに身震いがする。確かに、自分は殺されたのだ。仮死とは言え、死に違いはない。 強かった、噂以上だった。昔から「剛の道に小佐野在り」と謳われていたが、先代の小佐野利作は他流派との対戦を、頑なに拒んでいた。 しかし、利作無き後の息子、彌太郎は違っていた。積極的に他流派との試合に臨み、ことごとくそれをうち負かしていると言う。 ならば自分も、と思い招致してみれば、そこには、一人の格闘家が居た。 驕り高ぶる事無く、冷静に、なおかつ強力に自分の前に立った。そして、負けた。 気合いで押しに押して、相手が我慢出来なくなった所を倒すのが、直心無双流の剣術だった。それが、根底から負けたのだ。 打ちひしがれそうになったが、何故かそれは消えた。格が違いすぎたのだ、そう思わされた。 年齢と実力は比例する物ではない、と思い知った。若くとも、強い者はいるのだ。 健三郎は静かに立ち上がろうとした、が。気配を感じ、直ぐさま立ち上がった。 「今日の来客は、もう終わっているが、何用か」 「道場破り、かな?」 道場の入り口に肘をかけ、男が一人立っていた。 にやにやと笑いながら、こちらを見つめている。強い、健三郎は目の前の男の技量を、直ぐに感じ取った。 「名を名乗らんか、この無礼者」 「ヤガミ・ナオ、流派は無い。外谷健三郎、若くして剣聖と呼ばれる男との、手合わせを所望している」 「私と戦おうと、そう言っているのか」 「そうだ」 道場の壁にかけてあった、木刀を取る。 先程の様な竹刀では無い。この者、ヤガミ・ナオにはこれが妥当だ、と思い、木刀を手に取った。 「いいね、もうやる気あるんだ。こっちとしても好都合だ」 いいながら、身に纏った黒いジャンパーを脱いで、床の上に捨てた。 黒いシャツを着ている。「over myself」と小さくプリントされているのが、目に付いた。 「手加減はせぬぞ、道場破りと名乗ったからには、骨の一本は覚悟してもらおうか」 「上等、骨一本だけじゃなくて、命ごともらってくつもりで来てくれよ」 「ほざくな、小童!」 「ルールは無しだ!行くぜ!」 「こぉい!」 ナオが床を蹴った。健三郎が剣を中段に構え、迎え撃つ。 ナオが迫り来る、健三郎が剣を振り下ろす、それはもの凄く早く、風ごと切り裂いていた。 ナオが素早く止まり、バックステップでそれを避ける。挙動の切り替えの早さに、健三郎が舌を巻く。 再び地を蹴り、健三郎に肉薄する。掌底にして手を突き出す、健三郎の胴体に吸い込まれ、健三郎がたじろぐ。 しかし、放れ際、抜き胴の要領で、ナオの右脇腹を打つ。ナオの顔が苦悶に歪んだ。健三郎とて、怪我は大きい。 今度は、健三郎の方から突進していく。剣を突きの形で走り抜け、ナオに近づく。ナオはすんでの所でそれをかわす。 避けなければ、顔面を粉砕されていただろう。ナオの顔に、冷や汗が垂れた。 そのまま木刀を水平にし、真横に薙いだ。ナオは地面にしゃがみ込んで、それをかわす。 圧制、このままならば勝てる、そう確信した健三郎は、剣戟を更に早めた。ナオの体を少しずつ掠めていく。 ナオの体に力が入った。右、直感し、顔を左に逸らした。そこを、ナオの拳が通過する。 剣を返し、柄でナオの胴を打った。ナオが空気を吐き出し、体を曲げる。体を押し出し、ナオの体をはじき飛ばす。 更に歩を早め、ナオに近づき、上段に剣を構えた。後は振り下ろすだけで、ナオは倒されるだろう。 地面で荒く息を付くナオ、そこへ、健三郎の剣が唸りをあげた。ナオの体、殊の外素早く動き、横に転がった。 しかし、右肩は打った。その証拠にナオは右肩を押さえている。折れてはいないが、痛打にはなった。 ナオが立ち上がり、健三郎を睨み付けた。まだ、光は消えていない。 この状況でも、まだ諦めていないらしい。 「獣め」 吐き捨てる様に、健三郎は呟いていた。 ナオは何も言わない、右肩を押さえ、苦しそうに呼吸している。 止めの一撃を加える為、健三郎が前に出た。剣を水平に持ち、それを一歩前にでて、振り抜いた。 瞬間、背後に気配を感じた。妻か、この物音を聞きつけ、妻の御門が出てきてしまったに違いがなかった。 一瞬健三郎に生まれた心の隙を、ナオは見逃さなかった。妻の御門の小さな悲鳴が聞こえた、それが更に健三郎を焦らせた。 真横に振り抜こうとしていた剣、しかしそれは、ナオを捉える事は、二度と無かった。 眼前に何かが迫り、当たる。足、そう理解したのは、道場の床に背中を叩きつけられてからだった。 剣を放していた。 ナオの左足が顔を押さえ、右足が健三郎の胴を押さえていた。 飛び込み腕ひしぎ十字固め、正しくそれだった。右手が軋みを上げる、悲鳴にならない悲鳴を、健三郎が上げる。 「アンタは強い、俺より、ずっとなぁ。だがよぉ……油断は、良くない、ぜ!」 骨が軋む音が数秒続き、やがて、骨が折れる音が体内に響いた。 「ィィィイイイイイイアアアアアアア!」 叫声が口を突く。健三郎は床の上を悶えながら暴れている。ナオは立ち上がり、体に付いた埃を払った。 御門が慌てて、健三郎の元へ近づく。そして、ナオを睨み付けた。 「おっと、そんな目で見るなよ。アンタの旦那は俺と間違いなく戦って、そんで俺が勝ったんだからよ。恨みっこなしだぜ」 ナオが、健三郎と御門に背を向けた。 歩きながら、床のジャンパーを拾い上げ、そのまま颯爽と消えていった。 ナオは、夕陽が当たる道を歩きながら、痛む体を押さえていた。 「くそっ、連日こうボコにされたら、たまらねぇや」 でも、充実感があった。しかし、今日は敗北感もあった、外谷健三郎、確かに強かった。あのまま行けば、確実に肋骨を粉砕され負けていた。 一瞬の油断があったからこそ、勝てたのだ。運だった。しかしそれも、実力の内だ。 訪れたチャンスを確実にものにする。それもまた実力なのだ、とナオは思っていた。だから、やはり今日も自分の勝ちだ、と笑った。 「次は……誰だっと」 ナオは手元の紙片に目を落とした。 この近所にいる、強者と呼ばれる者を一斉に書き記した。いわばリストだった。 最初に倒した道場の師範から、あらかた聞き出した。それを上から順に、倒していったのだ。 まだ、負けはない。 「お、もうすぐ終わりだな。この街も」 残りが二人である事を確認すると、ナオは笑顔を浮かべた。 「止心一投小佐野流、師範、小佐野彌太郎……か。聞いた事ねぇな」 次の獲物の住所を確認し、ナオはリストを乱暴にズボンのポケットにねじ込んだ。 痛みは忘れていた。明日、次の獲物を倒す事、今から楽しみにしていた。 「ま、どうでもいいか」 そう言って、ナオは公園のベンチに全身を横たわらせた。 目を閉じる、まだ冬で寒いが、そんな事もどうでも良かった。まだ夕方で寝るには早いが、早く明日になって欲しかった。 一日一人、これは自分の中で決めた、絶対戒律の様な物で、ずっと守ってきた。 欲張って一日二人も相手にすれば、負ける事だって当然ある。そうでなくたって、強い奴らばかりなのだから。 明日は小佐野彌太郎。 明後日は見田乙。 それで自分は次の街へ行くのだから。 それが楽しみで仕方ない。次の強い奴へ、それを全部倒して、自分が最強だと、それを知らしめる為に。 ナオは眠りに付いた。今日の怪我は昨日に増して、大きい。 明日、決戦は来る。 _________________________________________ な、名前すら出てないし!アキト。 ナデシコ小説じゃないですね。完璧に。 アキトより目立ってるし、ナオ。もう三倍くらい目立ってますね。 目立つ順番で、ナオ>彌太郎>アキトと最下位なんですよね。私の中では。 ま、まぁこれから目立っていく筈だ! 暫くは出番無いけど!うん!まあいいや! 外谷、そとや、と読みます。 見田乙、みたきのと、と読みます。 ルビ振るのは少し格好悪いので、止めておきます。失敬。 「ナオ無頼伝」って感じですね。 ん〜それでも主人公はアキトのつもりなので、よろしく! 胡車児でした。では、又。 「ポリエスチレン・テクニカルズ」 http://polytech.loops.jp
代理人の感想
いや、ホンの一、二行だけ名前が出てきましたが・・・・・・
作者にすら忘れ去られるとは、哀れなり主人公(爆)。
・・・・・・ホントに主人公なんでしょうか(更爆)?