新聞に目をやった。見出しに大きく、こうある。 「天才空手少女、全国大会優勝」 名前は御園綾乃、高校生らしいが、大人が混じる空手大会の女子部門で、見事優勝を納めていた。 男はそれに確認すると、新聞を閉じ、すぐ脇にあったゴミ箱へねじ込んだ。 ベンチに寄りかかり、空を見上げた。まだ日は高く、明るい。息を大きく、吸って吐いた。 ヒガ・ロクモンは内心楽しみだった。何が楽しみか、と聞かれれば、その強さにだ。相手が女であろうと、男であろうと関係はない。 強ければ、それでいいのだ。 ベンチから立ち上がり、ロクモンは公園を離れた。 歩いていると、恰幅のいい男が、前から歩いてくる。このまま行けば、お互いにぶつかるだろう。 普通ならば、どちらかが譲る。しかし、目の前が退く様な男には、到底見えなかった。ヤクザの様な出で立ちをしているのだ。 ロクモンは歩を止めない、それどころか、相手の男の目を見据えている。男もそれに気付いたか、歩を遅め、威圧してきた。 しかし、ロクモンは退かない。そのまま進み、ついに二人は肩と肩でぶつかりあった。 ロクモンはにやりと笑い、そのまま通り過ぎようとしていた。その肩を、男が掴む。 「ワレ、詫びの一つも入れねぇのか」 ロクモンの胸元を掴み、持ち上げた。ロクモンはまだ笑い顔のままだった。 それが癪に触ったのだろうか、男はより一層不機嫌そうに、顔を歪めた。眉が痙攣してるのを見て、更にロクモンが笑顔になった。 更に力を込め、ロクモンを持ち上げた。途端、ロクモンの笑顔が消え、冷たい視線に取って代わった。 男は、背筋に氷柱を叩き込まれた様な感覚に囚われていた。寒気と怖気が震う。 「駄目だ」 ロクモンが無機質な声で、男に話しかけた。 男は、それに対して、何も返す事が出来ない。周りには、幾人かの野次馬が出来ていた。 日はまだ高い、正午を少し回った程度だろう。非道く、目立つ。 「お前、強くないだろ」 観衆すら、今は黙っている。 「てめっ!」 男が捻り上げる様に、ロクモンの首を締め上げた。野次馬から悲鳴が漏れてきた。 しかし、それはボキリと言う何とも小気味良い音で、全てかき消えてしまった。 「ヒグアアアアアア!」 男はロクモンから手を放し、地面に倒れ伏し、転げ回った。手首を押さえている。手首を押さえながら、狂ったように転げ回っているのだ。 ロクモンは男を見下ろしながら、その頭部に蹴りを一撃、見舞った。男の首が不自然に揺れる。 野次馬から、一声も無い。ただ見つめているだけであった。ロクモンが野次馬の方向へと、歩き出した。 その顔には、先程消えた笑顔が、またあった。野次馬から悲鳴が上がり、ロクモンを避ける様に、割れた。 ロクモンがそこを飄々と、通り過ぎていく。やがて、角を曲がり、ロクモンの姿は消えた。 隙臥 六つ幕.「我悪」 外谷健三郎が、片腕を折られたと聞いたのは、道場を後にし、アキトの稽古を見ている最中の事だった。 滅多になる事が無い電話が、けたたましい声を上げた。 電話を取れば、悲痛な声で、夫の悲報を伝える外谷御門だった。腕を折られた、となれば、格闘家にとっては命取りにすらなる。 後遺症を少しでも残せば、それは既に振るう事を許さない腕になっている筈なのだ。 軽い怒りを覚えた。しかし、道場破りに負けた、となれば、その責任は健三郎にあるのだ。 自分がどうこう言う事では無い。そう割り切った。 ヤガミ・ナオ、道場破りはそう名乗ったらしい。 「時代錯誤ですかね、今時道場破りなんて」 「そうでもないさ、そう言う人種も居る。俺とて変わりない、他流派の道場へ出向き、そこで戦うのだから」 「師範は招待されて、行くんでしょう。突然行って、それでいきなり戦いと挑むのとは」 「違わないだろ」 「……そうですかねぇ」 「いいから黙って続けてろ。手を止めるな」 「はい」 アキトが、素振りを再開した。右手、左手、右足、左足と順に繰り出す。 風を切る気持ちの良い音が道場に響く、アキトの汗も光って見える程だ。切れが良い、まるで空間ごと殴りつけている様にも見える。 彌太郎は、それをじっと見つめていた。視線を感じつつも、やりにくそうでは無いアキト。無我夢中で拳を振るう。 彌太郎は動かず、道場の壁に、身を委ねていた。 「来ると、思うか?」 アキトの動きが止まった。 「何が、ですか」 「件の道場破りだ。来ると、思うか?お前は」 「……解りません。解りませんが、もしかしたら、とは思っています」 「そうか」 「来たら、どうするんですか…って。そりゃ決まってますよね」 彌太郎が頷いた。 倒す、それしか、道は無いのだ。剣術家の腕まで奪っていく様な男なら、油断をするべきでは無いのだろう。 「お前、やってみるか?」 「は?」 「道場破り、来たらお前が戦ってみるか?」 「俺……ですか」 考えてみれば、彌太郎はアキトが戦っている様を、見たことがない。客観的に見たことがないのだ。 そこから、新しい事が解るかも知れない。と思っていた。だから、ふと思った事を、口に出してみたのだ。 「試してみよう、とは思わないのか。ここに来てから、自分がどう変わったか」 「俺が勝ちたいのは、自分なんです。他人を負かしても、意味はありません」 「他人に勝つことすら出来ない自分が、己自身に勝てる、とでも思っているのか」 「それは…」 「負かすのでは無い、勝つのだ。それがお前の糧となれば、と思ったが、愚かだったか」 アキトは黙って、下を俯いた。 こうやって少しでも責められると、アキトは落ち込む癖があった。それはそれで、アキト自身の持ち味なのだ。 しかし、負の思考は、何も良い影響は及ぼさない。悪いとは言わないが、良くはなかった。 「今日はここまでにしよう、明日、来るやも知れぬ。それに備えるがいい」 「じゃあ、師範」 「来たら、の話だ。仮定に過ぎん、さあ、今日は終わりだ」 「はい、有り難う御座いました」 そう言って、アキトは素早く身支度を整えた。 道場の入り口に立ち一礼すると、直ぐ様姿を消した。帰る場所があるのだろう、薄々だが、彌太郎はそんな事を思っていた。 あれは人一人殺せない男だ、と確信したのは、ついこの間だった。何とはなしに、そう思っただけなのだが。 拳を振り上げた。アキトを見ていたら、久しぶりに一人で体を動かしたくなってきた。 良くも悪くも、これが影響と言う物なのだろう。それが人付き合い、と言う物なのだ。久しく断ってきたが、やはりいい物だった。 宙空を拳で切り裂く、それが心地よい響きとなり、体全体に染み渡っていく。これが、病みつきになる。 拳を突き出す。汗が、飛び散った。 真夜中、突然目が覚めた。いつもならば、疲れで翌日の昼近くまでは眠る筈なのだが、今日に限って目が覚めた。 ヤガミ・ナオは首を数度回し、骨をならした。 横たわるのを止め、ベンチに座る。息を吐き、呼吸を整えた。少し、寒さに震える。 両腕をこすり、暖めるが、足しにはなりもしなかった。 「くそっ」 文句を言うように、一人呟いた。公園の時計を見る、午前三時、丑三つ時である。 寒さを覚えてしまった今は、この場所で眠るのは、多少酷だった。 どこか別の場所を探そうと、立ち上がった瞬間、別の音が聞こえた。砂利を踏む音、直ぐ目の前で、聞こえたのだった。 顔を上げ、足音の主を見る。 優男、それが第一印象だった。細身で、少し大きい目、ぱっと見ても、どこにも凶暴性は見いだせない。 だが、ナオの警戒心は、ほぼ最大にまで、高まっていた。 「ああ、やっぱり、強そうだ」 感心するかの様な口調で、男が話し始めた。声も外見同様に少し高く、やはり優男の印象を強める。 ナオは唇を噛んだ。違う、違うと心の中で何度も繰り返し叫んだ。騙されるな、騙されたらやられる。 頭が警鐘をならすが、やはり印象がそれを阻害する。 男が笑った。穏やかに笑った。それが更に、猜疑心を加速させた。 「てめぇ、誰だ」 「比嘉六紋、覚えなくても、別にいいよ。こっちも君のことは知らないんだから」 「俺に何の用だ。俺は男色の気は無いぞ、それなら都会へ行け」 「ははは、非道いなぁ。僕は君と戦いたいだけだよ」 「……なんだと?」 「君なんでしょ?この所、近所の道場、片っ端から道場破りしてるの。なら、僕とも戦ってよ」 「ふざけやがって、お前みたいな優男が、俺に勝てるとでも……」 言いながら、ナオははっとした。決めつけていた自分に気付く、それが危険な事にも、気付く。 油断はいけない。何時何時も気を配り、常に本気で挑まなければ、命取りになる。この様な野試合だったら、殊更だった。 大体、何で目の前の男は、自分が道場破りの真似事をしている事をしっているのか。それが気がかりだった。 この男は、危険だ。即座にナオは感じ取った。 ロクモンが、少しづつ近づいてくる。ナオも構えを取る。 「おい」 ナオが話しかけると、ロクモンは動きを止めた。 「その背中についてる獲物は、使わないのか?」 ロクモンが、ニッコリと笑った。 「気付いてたんだ」 「なめるな、阿呆」 「じゃあ遠慮なく、使わせて貰うよ」 ロクモンが両手を背中に回した。そして素早く前に引き出す。 空気が鳴っている、ロクモンは両手で何かを回している用にも見えた。やがてそれを止め、それは両手にぴったりと付いていた。 「……トンファ、また、味な武器を」 ロクモンが又、にこりと笑った。それが、非道く凄惨な物に見えた。 自分と同じ、ナオはロクモンに対し、そう思っていた。自分を悪だと知っている、だから、こんな笑い方も出来るのだ。 我悪と知る。それが如何に激しい物か、ナオは知っていた。 ベンチに置いてあった、自分の荷物に手を伸ばす。荷物は少ない、数えるほどの品しか入っていない。 その中でも、一際目立つ物を、ナオは取り出した。 短く、太めの棒。俗に短杖とも呼ばれる、捕縛用の武器の一つである。殺傷性は殊の外少ない。それを右手に納め、構えを直す。 「へぇ、獲物、使うんだ」 返答はしない。顔の前に棒を持ち、威圧あるかのような視線で、ロクモンを射抜く。 それに動ずる事無く、ロクモンは一歩、足を踏み出した。二人の間で、まるで壁が貼られたかのように、重い空気が流れる。 ロクモンは夕方、この公園を通りかかり、ナオを見かけた。純粋に、それだけだった。 近所の道場が、道場破りに遭ったのも知っていた。ナオを見かけ、ピンと来た。この人か、と。 鍛え上げられた肉体、そして、自分と同じ「匂い」を出しているその空気。 戦ってみたい、久しぶりに、自分からそう思えた。あの新聞に出ていた少女、住所を調べた所、意外に近所だった。 まずそちらと戦おうと思っていたが、気が変わった。どうしても戦いたい、目の前で豪快に寝息を立てている男と、本気で。 それにはまだ、人目が多すぎた。つまらない事で、戦いを止められるのは、ロクモンが一番嫌う事だった。 ナオが起きる気配は無いし、他人が起こせるものでも無い。ロクモンは舌なめずりをし、夜を待った。 自分と同じ匂い、自分を悪と知る。その匂いがする男。きっと強い、ロクモンの笑いは止まらなかった。 そして今、自分の目の前で棒を構えている。自分の勘に狂いが無いのを確信し、心の中では大いに笑っていた。 それを押し殺し、ナオに意識を集中する。最も、ロクモン自身はナオの名は知らないのだが。 ロクモンから、仕掛けた。だっと地面を蹴って、ナオとの間を詰める。両腕に沿うように付いているトンファを振るう。 右、左と薙ぐ様に振る。ナオの棒が、それを丁寧に止めていく。 ロクモンが顔を横に強引に曲げた。先程まで顔があった場所を、ナオの短杖が通過する。頬を軽く当てていき、血が流れた。 ロクモンは背後に飛び退き、間を広げた。指で血を拭い、血が付いた指を眺める。 放心した様な表情になるロクモン。ナオはそれを怪訝な顔つきで見ているが、棒を握る手を緩めはしない。 指を自分の口内に入れ、血を吸う。 「……うん」 満足そうに頷くロクモン。 「決めた、決めたよ」 更に強く頷くロクモン、その姿に、背筋に冷たい物を感じるナオ。 「僕は……君を壊す」 恍惚と、トンファをさすりながら、ロクモンが呟いた。 _____________________________________ どうも、胡車児です。 いきなり新キャラ、比嘉六紋です。 変態さんです、ちょっとネジが外れています。 トンファ使いってのはどうですかね。実際に全然使われる事が無い武器だと思うんですよ。 ナオの短杖VSロクモンのトンファ、描写が難しくて手間取りますね。 何か使って欲しい武器を上げていただけると、非常に助かるんです。 剣は剣でも、色々と種類ありますしね。西洋剣はちょっといただけませんが……。 こう意外性のある武器というか……そんな武器ありませんかね。 思ってみたんですが、このまま話を続ければ、キャラ師の称号は確実ですよね! やった!じゃなくて、出せば出すほどナデシコから離れていく事を承知しておかないと。 それにしても相も変わらず台詞がアキトより多いナオ、困ってないけど困りましたな。 いや、本当にいつまで続くか解りませんが、よろしくお願いします。 では、又。次回で。 ポリエスチレン・テクニカルズ外伝『竜の胆』 http://polytech.loops.jp/ktop.html
代理人の感想
トンファ・・・ですか。
アメリカの警察や自警団ではそこそこ普及してると言う話ですが、
日本では実際に使ったと言う話は余り聞きませんし、フィクションで出てくるのも余りありませんねぇ。
やっぱり見栄えが悪い・・・・もとい地味だからでしょうか(爆)。
(ブルース・リーがヌンチャク構えるのとトンファ構えるのとどっちが格好いいか、と言われると・・・ねえ(笑)?)
>意外性のある武器
う〜む・・・。
格闘・白兵に限定するならメジャーな所では三節棍とかナイフコンバット、和風に鎖鎌(鎖分銅)とか十手術とか。
後は小太刀、仕込杖(仕込み槍)、鞭、鉄爪、鉄鞭(剣に似た打撃武器)、蝶剣(小振りの剣。二刀で用いる)、
圏(円形の刃物。握って良し投げて良し)、峨眉刺(畳針に握りこむための指輪を着けたような武器)、
飛爪(爪型の刃物に紐を付けた物)、あるいは七節棍(横山光輝『闇の土鬼』を参照の事(笑))くらいかな?
さすがに狼牙棒とか蛇矛ってのも何ですし、これら以外で小型の武器って大概暗殺用のだし(爆)。
小型で見栄えがする武器ってのも結構ないものですねぇ。