『機動戦艦ナデシコ』
Another Dimension Story
「さよなら、いつかまた逢う日まで」
―第三話―
――時は少しばかり遡る。
ネルガル重工。老若男女、すべてを含めて知らない者はいないだろう。それほど有名な企業名だということだ。かつて表裏共のライバル企業だったクリムゾングループが2207年に事実上倒産、そして解体されてから、軍需産業をはじめとした、あらゆる産業の最先端を走り続け、そして今も走り続けている地球圏最大の複合企業体である。
そのネルガル重工本社のだだっ広い会長室で、一人の男がたった一つある机と椅子を前に優雅な姿勢で座しながら、陶磁器の華麗な模様が施された白いカップに注がれたコーヒーを口へと運んでいた。だが、その一見優雅な姿勢も、目の前に立っている女性の報告を耳にして、一瞬にして崩れ去った。
『テンカワ・アキト発見される』
そのにわかには信じられない報告が飛び込んできたとき、思わずそのネルガル重工の会長であり中年スケコマシことアカツキ・ナガレは、思わず口に含んでいたコーヒーをぶちまけた。その放たれた黒い液体は、見事に机の上に小さな湖を作る。机の上に、書類がなかったのが幸いだった。
「そ、それはほんとかい?・・・エリナ君?」
中年スケコマシは、すでに四十近い歳でありながらまだまだ三十前半で通じる容姿を持つ、口元のほくろが印象的なでワインレッドのスーツで全身を包む女性――エリナ・キンジョウ・ウォンに問い掛けた。彼女はアカツキが吹き出したコーヒーの水溜りを見て、軽く嘆息すると、再び視線を自分が仕える会長へと向ける。
「ええ、オキタ君から通信があったわ、映像つきでね・・・・まちがいなくテンカワ君よ」
「・・・・・そうか。で、状況は?」
「総司令直々の命令で地球に向かっている最中、・・・一応上層部には圧力をかけておいたわ」
ネルガル重工宇宙開発局局長の地位を持つ女性のパーフェクトな対応に中年スケコマシは満足げに頷いた。
「いやぁ〜、さすがはエリナ君だねぇ。部下が優秀だと助かるよ」
中年スケコマシは白い歯をきらりと光らせながら笑い声をあげた。それを見ながら、かつてはネルガルのトップに座るという野望を持っていた美人局長は今日二回目の嘆息をした。
「・・・・ったく、よくこれで会長が勤まるもんだわ」
「まあ、そう機嫌を悪くしないでくれ。・・・・で、テンカワ君用のエステバリス・ネオは?」
「・・・・クレソンフレームがようやく完成。・・・実戦はまだだけど、ちょうどいいでしょ」
「そうだねえ。・・・彼を行かせる表向きの理由にもなるしね」
中年スケコマシは目を横へとずらし、にやりとした人の悪い笑みを浮かべた。
「で、彼をどう説得する気?・・・彼がそう簡単に出向いてくれないことぐらい、あなたにだって分かってることでしょう?」
その上司である中年ロン髪スケコマシに美人局長は問い掛けた。彼女は一時、その彼――テンカワ・アキトと肉体関係だったこともあり、ある意味では、彼を一番理解していると言ってもいい存在だった。
「エリナ君、するどいねぇ〜」
そんな彼女の様子を見て、中年スケコマシは目にかかった長い――最近は白い筋が通り始めた――髪をかきあげると、にやりからニヒルなモノへと笑みを変貌させた。
「いささか、気が進まないがセレネ君を使わせてもらう」
「・・・・・それ以外ないでしょうね」
言葉と表情がまったく噛み合っていないちぐはぐな上司の様子を、女性局長は目線を微かに横にずらしながら見ていた。彼女が発した言葉の口調は、どこか悲しさを秘めたような響きで構成されていた。
「君も知ってのとおり、セレネ君のことを知れば、彼は彼女を守ろうとするだろうからね」
上司の言葉を聞いて、エリナはええ、と短く頷いた。彼女はできるなら、テンカワ・アキトにはもう戦わせたくなかった。聞けば、五感も元通りになったという。それに地球圏で指名手配されていた昔と違って、今、世間では『悲劇のヒーロー』と呼ばれ、『The prince of darkness』というタイトルの映画にもなり、誰もが知ってる英雄なのだ。このことを知れば、彼は恐らく世間から姿を消すだろう。だが、彼女はそれでもいいと思っていた。何故なら、例え目の前にいなくても、今までと違って、彼は私の在るこの『時間』に存在するのだから。
(私も、変わったわね)
彼女は思わず苦笑した。かつては、ネルガルのトップとなり、地球圏の経済を手中に収める、という野望を画策していた私が、少し頼りなさそうなコックだった彼と出会い、そして・・・・惹かれた。それは初恋だったのかもしれない。彼と今は亡きテンカワ・ユリカとの結婚式を見て、吹っ切った筈だった思いが心の奥底で密やかに爆発した。そして、ネルガルのシークレットサービス達に保護され、連れられた彼を見て、私はどこか喜んでいた。彼に一番近かった女性と、二番目に近かった女性を押しのけて私は彼を独占することができたから。でも、私と彼との間にあったものは『愛』などではなかった。そう、私は彼に一時の『安らぎ』を求めた。そして彼は私に『力』を求めた。復讐するだけの力を。
「エリナ君、君が望むなら、テンカワ君と一緒にいてもいいんだよ」
美人局長の考えを見抜いたかのように、中年スケコマシは普段の軽薄そうな笑みではなく、安心させるような笑みを浮かべ呟いた。
「いいのよ。私は彼にとっては、まったくの過去の存在――いえ、そうならなくてはダメなのよ。彼が
エリナは優しそうな笑みを浮かべてそう言った。
「彼はそうは望まないと思うよ。彼にとっては見れば、君は大事な人の一人だろうからね」
「いいのよ。私は十分彼を独占した。彼がもっとも忌み嫌う時をね。私にはそれで十分なのよ」
「そうか・・・じゃあ、もう何も言わないよ。でも、君の幸せと、テンカワ君の幸せが同じである可能性も十分あるんだからね」
それだけは、覚えておいてくれ、と中年スケコマシは言うと、ずれた話の方向を元へと戻す為に、閉じた口を再び開いた。
「ところでブルートヴァインは?」
「不明ね。・・・・うちのシークレットサービスが探りいれてるけど、尻尾どころか痕跡すらつかめないわ。でも、動き出しているということは確かね」
「じゃあ、フルヒトが出て来るのも時間の問題か・・・・」
「そうね、今は宇宙にいてゾロアスターに保護されているから安心だけど、
美人局長はそう言いきると、上司の反応を待った。
「しかたない、休暇中のカイト君には悪いが、出張ってもらおうか」
「いいじゃない、彼もテンカワ君には会いたいと思っているはずよ」
「・・・・ナデシコクルーにも連絡しておこうか、・・・・喜ぶんじゃないか、みんな」
「いえ、怒るんじゃないかしら?・・・・「一体何していたんだ!!」ってね」
美人局長はそう言って笑顔を浮かべた。彼女の脳裏に映ったものは、姿を消していたかつての仲間との再会に、憎まれ口を叩きながら喜ぶ、ナデシコクルーの姿だった。
――たとえ、再会をテンカワ・アキトが望まないとしても。
◇◆◇◆◇
その部屋の基本色はグレーが中心だった。中央に置かれているのは丸い安っぽい木製テーブル。そして、その横にはソファが壁に沿うようにL字型に置かれていた。上には白い傘をかぶった電気が自分の役割を果たそうと輝いている。だが、これも安物だ。
その丸いテーブルをはさみ、一組の男女がセットとなっている椅子で腰掛け、互いに向かい合いながら、ポーカーを興じていた。手に持つ五枚のカードを顔半分を覆うブラインドとして使用し、その上半分から覗く双眸をただひたすらに相手に向け、向こうの『役』を読み取ろうと、互いの目が剣呑にぎらついていた。
男の方はダークブラウンの髪を、目にかからない程度で切りそろえている。その精悍とした顔立ちは、意志の強さを示しているようだった。それに向かうように座っている女性は、一点の曇りもない黒髪を肩口まで伸ばし、気の強そうなまなざしを相手に突き刺している。
「二枚チェンジ」
男が笑ってカードを二枚をチェンジする。
「私は三枚」
女もそれに倣うように三枚のカードを捨て、積み上げられている束から三枚取る。女は手の内の五枚のカードを見て、にやりと笑った。それに応酬するかのように男もにやりと笑う。
「・・・ストレートフラッシュ!・・・俺の勝ちだな」
男はテーブルに五枚のカードを叩きつけるようにオープンした。A〜5までのハートで揃えられたものであった。
「甘いわ。私は・・・Aのフォーカードよ」
女は開いた扇子のように持っていた五枚のカードをひらりとめくり、その役を相手へと見せる。ハート、ダイヤ、クラブ、スペードと四種類のマークで描かれたAとクラブの2がそこにはあった。
悔しそうに見ていた男だったが、やがて不審そうに相手の『役』を見つめると、呟いた。
「ちょっと待て・・・・。なんで、ハートのAが2枚あるんだ・・・?」
その呟きに女は微かな冷や汗を流す。男は不意に女の右腕をつかんだ。手に持つ扇が五枚のカードとなってテーブルに舞い降り、そして、本来あるはずのない場所――裾の中から数枚のカードが零れ落ちた。
「・・・・あ、あららら」
女はその零れ落ちていくカードを目で追いながら、誤魔化すような表情を作った。さきほどまで双眸に湛えていたぎらついた輝きは、すでに悠久の彼方へと消え去っていた。
カードがテーブルに広がるのを見終えて、男はゆっくりと顔を上げた。そして、その視線は女の横へと泳いでいく目を追うように、横へとずれていく。
「ほほう」
男は笑みを浮かべながら呟く。
女はそれを見て、テーブルの下で、自分の足元まで伸びる男の足を掴み、そのつま先に何故か備え付けられている小さな鏡を奪い取った。女性の手に握られている鏡を見て、男の顔が引き攣る。
「あれ〜?・・・・ヴァールハイトさんともあろうお人が、なんでこんなところに鏡をつけていらっしゃるのかしら?」
「・・・・・そう言うシェリルさんこそ、その裾からこぼれたカードはなんだい?」
笑顔で見つめ合う二人。それはやがて、笑顔から般若の形相へと変化した。
「このズル男がっ!」
「イカサマ女が何をいう!」
テーブルに両手を叩きつけ、腰掛けていた椅子を後ろへと吹き飛ばし、立ち上がる二人。そして、互いに拳を握りしめながら、睨みつけ歯噛みをしている。
その横で、ソファの上で寝そべりながら文庫を読んでいた一人の男が、ため息をついた。そして彼はそのままの姿勢で口を開いた。
「・・・うるさくて、読書に集中できないな」
メガネをかけたその男の双眸は、気分を著しく阻害されたような不機嫌そうな輝きで占領されていた。
「ちっ!」
ヴァールハイトは舌打ちをすると、後ろへと吹き飛ばした椅子を元の位置に戻し座る。それに倣うようにシェリルも椅子を元に戻して座った。その時、一瞬だけ視線が交差し、にらみ合ったが、すぐにそれぞれクロスした視線を外し、苛立たしげに互いに頬杖をついた。メガネの男はその様子を見て、読書を再開した。
それらの光景を、ちょうどメガネの男が寝そべる逆側の位置で見ていた、オレンジ色でショートカットの女性はクスクスと囁き声で笑う。女性の囁きがその部屋を音を支配していたが、それも静寂へと変化した。
そして、それから数分が経った時、ただ一つある部屋の扉が開いた。その扉から一人の男が悠然な雰囲気を全身から放ちながら、部屋へと歩いてくる。
髪は雪のように真っ白であり、切れ長の蒼い瞳は冷たさと力強さを感じさせていた。年齢はその顔から察するに、恐らく三十代ぐらいだろうか。右頬に刃で斬られたような一筋の傷が、決して目を逸らすことができないような存在感を放っていた。黒のパンツに、白のシャツで身を包み、その上には黒のサマーコートをマントのように羽織っている。
「シュエ!」
オレンジの髪を持つ女性が嬉しそうに、扉の前に立つ男を見つめた。だが、男はそれに答えることなく口を開いた。
「ソーマ、日本へ行ってくれ」
その言葉を聞いて、寝そべっていた男は読んでいた本を閉じると、体を起こした。
「・・・・・・・分かった」
ソーマと呼ばれた男は、その短い命令に聞き返すこともなく、短い口調で返した。
「・・・・・ゾロアスターが地球に向かっている」
シュエは、天井に完備されているエアコンの風で、雪色の髪を微かに揺らしながら呟くような声で言った。それを聞いて、テーブルの上で頬杖をしていたヴァールハイトは、頬杖をやめ、椅子に寄りかかった。ギッ、と椅子が軋む微かな音を背後で聞きながら、ヴァールハイトの双眸は鋭い輝きで満たされた。
「ラストフェアリーの確保か?」
「・・・ひとまずは様子見だ。・・・情報が足りないからな」
「情報がたりない?・・・ズーフアクツィオーンの奴らではダメなのか?」
「・・・情報自体がまったく入ってきていないらしい」
シュエはそう言って、壁にへと歩み寄り、そのまま背を預けた。そして腕を組み、視線を横へと走らせた。
「完璧な情報規制が敷かれてるというわけね」
シェリルはテーブルに置かれたカードを手にとり、慣れた手つきで切りながら、笑みを浮かべつつそう言った。その声には、この状況をどこか楽しんでいる、というようなが念が込められていた。
「・・・11年前のプラント事件の時は決壊したダムの如く情報が駄々漏れだったくせにな」
ヴァールハイトは椅子をギッ、ギッ、と軋ませながらニヤリと笑う。
「それは昔の事。今じゃ、我らのズーフもおいそれと破れる壁じゃないってことね」
オレンジカラーの女性がそう答えると、ヴァールハイトは軽く嘆息した。
「まったく、アオイ・ジュン中将の盾はどんな矛も貫けない、って感じか?・・・フォルン?」
「あの人が
オレンジの色の髪を微かに揺り動かしながら、フォルンはヴァールハイトの顔を見た。
「・・・ったく
ヴァールハイトはフォルンの視線を受けて、おどけたように肩を落とした。彼が視線を向けていたオレンジの色の髪を持つ女性は微笑み、彼の隣にいた――彼曰く黒髪のペテン師――女性は呆れたような表情を浮かべた。
「ところで・・・」
今まで、会話に参加していなかったソーマが読んでいた本を閉じて、寝そべっていた体も起こし、壁に立っている雪色の髪をなびかせている男に問い掛けた。
「クヴァリテーツはもう使えるのか?」
それは確認するような言い方であった。別に使えなくても構わない、といった感じである。
シュエは、首を左右に軽く振って、否定の意を表した。
「そうか、ならばいい」
「・・・後、数週間で修復は終わるらしい。・・・お前のも、ヴァールハイトのもだ」
シュエは先ほどの行動に付け足すように言葉を紡いだ。その言葉に、ソーマよりヴァールハイトの方が大きく反応した。
「やったぜ!」
それを見て、黒髪の女性ペテン師は聞こえない程度の声で囁く。
「・・・ガキっぽ」
彼女はまだ10代で通る容姿のヴァールハイトに悔しさを覚えているのかもしれない。何故なら、どう贔屓目に見ても、彼女――シェリルの容姿は20代半ばといった感じだからである。それに加え、実際は、彼女の方が実は10代後半で、ヴァールハイトの方が実は20代半ばどころか30代の一歩手前といった事実が、彼女のただでさえ少ない許容量のプールに、さらなる悔しさという名の液体を注いでいるのだろう。それこそ溢れんばかりに。
「・・・なんか言ったか?」
「別に」
実年齢と見た目の年齢が大きく離れた男性の睨みを、彼とは逆のベクトルで見た目と実年齢のギャップを持つ黒髪の女性のペテン師は彼から視線をずらすことでかろやかにかわす。
「・・・シュエ、じゃあ僕はもう日本へ向かったほうがいいのか?」
ソーマは右手に本を持ち、左手で黒縁メガネを上げながらそう言いながら、立ち上がった。彼のだぼついた長袖黒色Tシャツが少し揺らぐ。
「ああ。頼む」
シュエの短いが、よく通る声が、質素で小さな部屋に響いた。
◇◆◇◆◇
医務室ではヨシノがパイプ椅子に座りながら、ベッドに上半身を立たせて俯くアキトを見つめていた。その視線は何故か、物悲しさを感じさせた。
『ヨシノ大尉』
だが、そんな彼女の前に、突然コミュニケを通したウィンドウが開かれた。ヨシノは一瞬、はっとしたかと思うと、すぐに我を取り戻しそれに答える。
「はい」
反射的にそう答えていると、俯いていたアキトが何時の間にやら顔を上げていた。しかし、その顔に浮かぶのは紛れも無い苦渋に満ちた物だったが。
『初めまして、テンカワ・アキト君。私がこの船の艦長をしているオキタだ』
ウィンドウがアキトの方へとスライドし、そこに映し出されているオキタはそう言った。そして、そのオキタが言った言葉に疑問が生じたのか、アキトが答えるより先にヨシノがポツリと呟く。
「・・・・・艦長、テンカワさんのことを・・・」
知っているんですか?、と心の中で付け加えるヨシノ。初対面の挨拶をされたアキトは答える気力が無いのか、すでに聞く気にもなれないのかただ黙っていた。
『ああ、彼のことは良く知ってるよ。ま、全部聞いただけだがな。・・・・・ナデシコクルーに』
最初はヨシノに対して話していたようだったが、最後の言葉を言うと同時にアキトをまるで貫くような視線で見つめる。
「・・・・・・・」
その言葉に微かに反応したが、まだ口を動かす気にはなれないのか、アキトは今までと同じように黙っていた。
『・・・・・・・・テンカワ・アキト。俺は貴様があまり好きではない。はっきり言ってな』
「ちょ、ちょっと・・・艦長?」
いきなりの艦長の暴言にヨシノは驚いた。なぜならオキタはよほどのことが無い限り、他人に対して傷つけるような言葉を言わないからだ。
「・・・・・・・・」
その暴言にも黙って――まるで聞こえていないかのように、沈黙を続けるアキトだったが、オキタの次の言葉で、その心に掛けられた凍てついた錠も内側から破られる事になった。
『貴様のせいで、ホシノ大佐は全クルーと共に死に、そして確か――ユーチャリスとか言ったか?、それに乗っていたラピス・ラズリという少女まで死んだという話ではないか』
「・・・・・くっ」
その苦渋から憤怒の顔に変わっていくアキトを見なくても、ヨシノには今、確かに、彼が怒っているのだ言う事が感じられた。それは声のニュアンスからだった。さきほど話していた声とはまったく逆のべクトル――つまり『怒』を多分に含んだものだったからである。
(まずいわね、彼、本気で怒ってきてる。・・・・・でも、艦長が言ってたユーチャリスって、公式発表されてないはず、ブラックサレナと同じように。それにラピス・ラズリって少女のことも)
ヨシノはそんな怒りのアキトを、冷静に見つめながらもそんなことを思っていた。彼女は、軍医で大尉という位置にありながら、軍の中ではかなりの影響力を持つ人物である。そのおかげで、連合軍最高機密(SSSクラスともいう)の一つである“コロニー破壊事件”に関しての情報を詳しく知っている。その為、彼がテンカワ・アキトであるということ。そしてユーチャリスやブラックサレナ、ラピス・ラズリなどのことを知っているのだ。
(・・・・・・・一介の佐官クラスが知ってるべき情報じゃない、それに、今は私も聞いているって言うのに)
そう思ってはっ、とする。
(まさか・・・・艦長。私のことも気づいて――)
そんな思いがヨシノを支配していく中で、アキトのナイフのようなするどい視線はウィンドウに映るオキタに注がれていた。
『ふんっ。・・・・お前を必要としている人がいるというのに、それすら捨て去り――いや死なせたというべきか。何が『悲劇のヒーロー』だ』
「・・・・・!!」
オキタの言葉にアキトの双眸が、怒りと共に見開かれる。
『・・・・ヨシノ大尉』
そんなアキトを一瞥した後、オキタが映りこんでいるウィンドウはヨシノへとスライドした。
「はい」
『テンカワ・アキトを連れてブリッジまで来てくれ。じゃ、頼んだぞ』
そう言ってオキタの映りこんでいたウィンドウが消える。そしてヨシノは、アキトを見つめた。
「テンカワさん・・・・・・」
「その通りだよな、言われた通りだ。俺は大事な妹や、娘も同然の少女を殺してしまったんだ・・・・・最低な男だ」
怒りを通り越して、自嘲気味に俯きながら呟いていくアキト。それをヨシノは哀れみを込めて見つめていた。
「・・・・・・私からは何もいえない。すべてが、同情として受け止められてしまうから。慰めもできないわ」
「・・・・・俺もそんなことは望んでいない。同情?慰め?そんなモノ、俺はいらない」
そのアキトの言葉には強い何かが込められていた。
「服を着て・・・・ブリッジに行きましょう。まさか、行かないなんて言わないわよね」
そう言ってヨシノは立ち上がる。
「だだこねるつもりは無いさ。・・・・・・・・・もうどうでもいいんだ、すべてが」
アキトはそう言ってワラった。それはとても儚く、そして自分自身の存在そのものを否定しているような、囀るようなモノだった。
◇◆◇◆◇
「艦長・・・・・」
そう言ってオキタを見上げていたのは、セレネだった。先ほどの医務室との対話を聞いていたのだ。
「なんだ、中尉」
オキタは視線を下げて、答えた。
「あんな言い方ないと思います。テンカワさん、傷ついたと思いますよ」
セレネは少しばかり睨みつけるように言った。しかし、オキタはそんな彼女の眼光を真っ向から受け止め、そして視線を外し、呟く。
「・・・・・・確かに、少し言い過ぎたかも知れんな」
そんなオキタの様子を見て、セレネはくるりと振り返り、自分の席であるオペレーターシートに戻った。その後姿を見ながら、オキタは自分を諌めるように、顔を手で覆い隠した。
(いけないな。・・・どうも気分が落ち着かない。彼がユリカさんの夫だったと考えると)
オキタはいつも通りの姿勢で前のモニターを見据えながらも、心ここに在らず、といった感じで考え込む。
(実際に会うまではなんともなかったのに・・・くそっ、嫉妬しているのか俺は・・・!)
オキタは微かに口元を動かし、苛立ちを表に表したかのように、ぎりっ、歯噛むと、顔を覆い隠していた手のヴェールを払いのけた。
◇◆◇◆◇
<・・・・します、パイロット各員は至急ブリッジまで集まって下さい。繰り返します、パイ・・・・・>
部屋のライトも点けずに、ただその身をベッドの上で休ませていたミズキは、その艦内放送を聞き、気だるそうにベッドから起き上がった。
「・・・呼び出し、か。行かないと・・・・・」
静寂に包まれた自室に、微かに響く呟き声で、ミズキはゆっくりとした歩調で部屋を後にした。その後姿が、写真立ての半分闇に染まったガラスに映りこんでいた。
ブリッジに行くまでの途中で、ミズキはゲラルドと会った。彼もパイロットなので、行く先は同じである。
「大尉、髪が・・・・・」
すたすたと歩いているミズキを横目に、ゲラルドが言う。その視線は、ミズキの長い赤茶けた髪に注がれていた。
「え?何?・・・・・あっ、髪」
ゲラルドの視線の先を手で触ってみると、どうやら髪の毛がはねている様だった。・・・・・何もせずにそのままベッドで横になったのが原因らしい。しかし、ミズキはどうでもいいや、と髪の毛から手を離した。
ゲラルドの方も大して気にも留めていないミズキを見て、何も言う事はないと沈黙した。彼自身、あまり自ら喋らない性格なので、さっきのミズキに対することも彼にしてみれば非常に稀な行為と言える。
「・・・・そういえば、呼び出しって何かしら?、ゲラルドは何か聞いてる?」
正面を見据え、歩きながらミズキは言った。
「いえ、特に」
淡々と答えるゲラルド。その言葉に、ミズキはゲラルドに感じられないような微かなため息をついた。
「・・・・・はぁ」
・・・・・・・・それから歩きつづけて2〜3分ほど経ったのだろうか、ミズキとゲラルドはブリッジに続く扉の前に着き、そして入室した。
◇◆◇◆◇
中に入ると、すでに他の三人のパイロット――カズマ、ユーゴ、ティタニアが到着していた。その三人は一瞬だけ、入り口に立つミズキとゲラルドを見たが、再びその視線は、一つ上の艦長シートの所にいるオキタへと戻された。
「遅れてすいません」
ミズキは頭を下げつつも、視界に入った――本来ならばいないはずの人物、ヨシノの姿を見つけ、疑問に思った。更には、横に黒い服を着た見知らぬ青年が立っている。茶色っぽい髪がつんつんと刎ねている。彼を見たとき、ミズキの心の奥底で『何か』が動き出した。
「構わんよ、別に遅れたわけでもないしな、じゃ、ヨシノ大尉。彼のことを」
オキタは一瞬だけミズキと同じように頭を下げていたゲラルドを一瞥すると、その双眸をヨシノへと持っていく。その視線を受け止めたヨシノはこくんと頷いた。
「・・・・・はい、みんなも知ってるでしょうか。あの14年前の事件を」
ヨシノは皆を見回しながらゆっくりと言う。皆といっても、ブリッジにいるのは、パイロット五人と、オペレーターであるセレネだけであるが(艦長は後ろの一つ上のシートで座しているからである)。
「14年前の?・・・・・ああ、あの2207年の火星の後継者と呼ばれる集団の三回目の反乱ですね。士官学校で習いましたよ」
ユーゴの言葉にヨシノは頷く。
「そう。あれで、火星の後継者と呼ばれる集団が何を行ってきたか、明らかになったわけですが・・・・・」
「それが何か?」
ユーゴの問いに、ヨシノはキッと睨みつけることで返す。
「話は最後まで聞くように。・・・・そして、その中で明らかになったことの一つにターミナルコロニー連続破壊事件の真実というものがありました」
ヨシノはそこまで言うと、一瞬だけミズキを見た。・・・・・・・俯いていた。その表情までは知ることは出来なかった。
「テンカワ・アキトが行ってイタと言われていたコトですネ。・・・・・それも昔のコト。今、世間じゃ彼のコト『悲劇のヒーロー』って呼んでマセン?」
ティタニアが口を挟む。・・・・誰もその時は気づかなかっただろう、その『テンカワ・アキト』という単語を耳にしたミズキが、微かに肩を震わしたことを。
「・・・・・・この彼が――」
ヨシノが隣の青年を見て、口を開き、“それ”は起こった。
◇◆◇◆◇
医務室のベッドの上で一人の女性が眠っている。赤茶けたセミロングの髪と少しつり上がったような双眸を持っている女性だ。とはいっても、その双眸は閉じられているが。
(・・・・とりあえずは落ち着いたわね)
ヨシノは眠っている女性――ミズキをベッドの横で眺めながら心の中で呟いた。
そのヨシノの隣に立ち、同じようにミズキを見ているカズマ。その表情は、キリッとしたもので、彼が戦闘中以外に見せるのは滅多にない表情である。
「・・・・・カズマクン」
ヨシノの瞳は悲哀に満ちており、それは、誰の目にもそう感じ取れるほど、表に出ていたものだった。そして、放たれた声も、瞳の色に呼応するかのように、沈んだものだった。
「なんだ」
対するカズマもいつものような陽気なリズムで構成されている声ではなく、といっても隣に立つ女性のような沈んだものではないが、だが、どこか冷めたようなそんなものだった。
「やっぱり、こうなったわね・・・・分かっていたことだけど・・・こうなることは分かっていたんだから、無理にでも会わせなければ良かったわ」
「こいつは――ミズキは、テンカワ・アキトを捜しだすためだけに軍に入ったようなものだからな・・・」
カズマはそこまで言って、口を閉ざした。それに答えるように、ヨシノは口を開こうとしたが、何も放たれることのないまま、同じように閉ざした。
そして、数秒――いや数分だろうか。彼らには、そう感じられた。そして、部屋中に飛び散った静寂を拭い去ったのは、それを作り上げたカズマであった。
「で、地球に着いたら、どうするんだ?・・・また病院送りか?」
「ええ、そうなるわね。最近は落ち着いていたけど・・・。それにこの艦の設備じゃ、地球ほどのメンタルケアはできないのよ」
と、ヨシノが呟くと、カズマは茶色の髪に手ぐしをいれるように、わしゃわしゃと掻き乱した。それは、沸き立つ苛立ちを誤魔化すような仕草だった。
「・・・・
「恐らくは治療を施して、再びここに戻らせるつもりよ。彼らはミズキに眠っている能力だけが目当てだからね・・・。それが一番目醒めさせやすいのが
「反吐がでるな。・・・ミズキ自身は何も知らないというのに」
カズマは毒づいた。
「まったくね」
ヨシノは一時、眠っているミズキから視線を上げて、カズマの言葉に頷きながら、脳裏に浮かび上がった映像に対して嫌悪感を覚えたのか、その眉目秀麗な顔をしかめた。
◇◆◇◆◇
ゲラルド、ユーゴ、ティタニアの三人は、それぞれの自室に向かっていた。その後ろに、テンカワ・アキトが続いている。その四人の間に張り巡らされた沈黙という鋼線は、恐らくどんな切れ味のいい刃でも切断することは叶わなかっただろう。それほどまでに、先ほど起こったことは彼ら――特に普段の彼女を知る三人には衝撃的だったのである。
その三人に同行する形で、地球に着くまでの間過ごす士官部屋に案内されたアキトは、三人に消え去るような声で礼を言うと、扉が閉まる音を聞きながら、暗い部屋のライトをつけることもせずに、そのままベッドへと倒れこんだ。
そして、うつ伏せから仰向けになり、アキトは視線を天井へと送りながら、微かに赤く染まった右頬に手を当てて、痛みが存在することを実感しつつ、先ほどのことをゆっくりと脳裏に思い描いた。
――十五分前。
「・・・・・・この彼がそのテンカワ・アキトよ」
そう紹介ともとれる言い方に、アキトは一言も喋らずにただ立っていた。その紹介をしたヨシノはさりげなく視線を、ミズキへと送っている。ブリッジにいるほぼ全員の双眸がアキトに向いていた。だが、黒ずくめの青年を興味という光で満ちた瞳で見ていた彼らのそれは、次の瞬間、ある女性の行動を見たことによって瞳に宿る光は驚愕というものへ転化したのであった。
「・・・・・テンカワ・・・・・ア・・・キ・・・・・ト、だと・・・・・」
その声は、普段の彼女とは明らかに異するものだった。実際に、違う人の声、とも取れるような低く、加えて小さな囁き。だがその小さなものは確かにブリッジに響き渡った。その声を聴覚で認識したヨシノは、その声を放った親友の顔を見ながら、悲しみに彩られた表情を隠すことはできなかった。
そして、その声を放った本人であるミズキは、言い終えて、ゆっくりと足を踏み出し、そして――走り出した。
「・・・・まずいっ!」
カズマがそう叫びながらミズキの元へと走り出す。それに続くように、隣にいたユーゴも慌てた様子で駆け出した。
「お前がぁああ!!!」
それは憎しみで構成されている言葉と発音だった。その言葉を込めて、ミズキはアキトの右頬に拳を振り抜いた。それを避ける事しなかったアキトは、頬に鋭い痛みを感じながら、その場でよろめいた。更に拳を振り上げて殴りかかろうとするミズキであったが、それは放たれることはなかった。一人の男に、身を押さえつけられたからだった。だが、体内で吹き荒れている嵐はさらに激しさを増していく。
「やめろっ!!ミズキっ!!!」
「離せっ!!コイツがっ!!この男がぁあああ」
嵐はさらにその威力を高めていく。その余波は彼女の表情にはっきりと現れていた。ミズキは怒りと悲しみが入り混じった顔を表に浮かべ、瞳を微かに濡らしていた。
「この男は私の両親と妹を殺したんだっ!!!」
ミズキは双眸に怒りという光と、悲しみという光を湛えながら、アキトを捉え、叫びつづける。カズマはミズキを後ろから抱くように押さえたまま、彼にしてみれば珍しく真剣な眼差しでその言葉を聞いていた。
「邪魔だっ!!離せっ!!・・・殺してやるっ!!!!絶対に殺してやるっ!!!!」
叫んだミズキは右手を後ろへと振り回すと、それは彼女を押さえているカズマの顔に当たった。彼女の拳骨がカズマの横顔にめり込み、そこを中心に熱い痛みが沸き起こる。だが、カズマは押さえつける力を弱めることなく、あやすようにミズキの体を抱きしめた。
「ミズキ・・・落ち着け、な?・・・」
だが、その言葉も、体内で嵐が勢いを増しているミズキの耳には届かず、何の解決の糸口にもならなかった。
(・・・・・悪いな、ミズキ)
カズマは心の中でそう呟いて、ミズキの首に手刀を叩き込んだ。そして、ミズキは糸の切れた人形のように、その場で意識を失った。
結局、そのままミズキはヨシノとカズマに医務室に連れて行かれ、アキトは艦長であるオキタに部屋を割り当てられ、現在に至るのである。
――そして再び、アキトの部屋。
「――トーア・ミズキ大尉、か」
アキトは一人呟く。彼女が自分にぶつけたあの思いは、かつて自分が持っていたものと同じものだ。怒り、悲しみ、憎悪、執念、そして亡き人への思い。アキトには彼女の気持ちが手にとるように分かった。何故なら、アキト自身がその思いに突き動かされ、多くの戦いを経験してきたからだ。しかし、結局、すべてに終わりを告げた時、残ったのはむなしさと血で穢れた己自身だけであった。だが、アキトは後悔はしていない。しかし、思うのだ。あの時、あの日、もし『復讐』という名の契約書にサインをしなかったら、俺はどうなっていたのだろうか、と。
「・・・・そんなことはあり得ないか」
そう、答えは決まっている。もし、あのまま残りの人生を失われた五感とともに歩んでいたら、俺はすぐにでも自殺していただろう、とアキトは思う。愛する人を取り返すこともせずに、目指したコックへの道も閉ざされ、何が残るというのだ?・・・何も残りはしない。もし何かが残っていたとしたら、自分で自分を殺したい、と思うほどの自己嫌悪と、守りたい人を守れる力もなく、ただ悔しさの涙を流していた弱い自分への絶望感だけだっただろう。
「・・・俺が復讐する側から、される側に回るなんてな」
アキトは自嘲気味の笑みを浮かべていた。だが、それも見ようによってはすべてを受け入れるような享受の表情にもとることが出来た。そう、テンカワ・アキトという男は、真っ向からぶつかって来る憎悪にも似た思いを、受け止められるほど、強い男ではなかった。・・・・そう、むしろそのような思いに対しては、弱いといって良かったのである。
◇◆◇◆◇
タクマはあの黒ずくめの救助者が割り当てられたという士官室の前に来ていた。周りに一人の見張りもいないというのが変ではあるが、それはこの艦の乗員が少ないことを如実に現していた。つまりは回す人員がいないのである。その為に、頑強な隔離室があるのだが。だが、あの艦長はそれを使わず、問題の救助者に見張りもつけずに、かつ士官室を割り当てたという事は、別に何の害もないのだろう、とタクマは自分なりの結論をだしていた。
「留守か・・・?」
扉をノックしても部屋の主はでてこない。部屋の中から、音もしない。どこかへ行っているのだろうか、とタクマは思い、残念になりながらもその扉を後にした。実際、部屋の主であるテンカワ・アキトは部屋の中にいたのだが、ベッドに身を預けて、考えに耽っていたこともあり、気づかなかったのである。だが、もし気づいてたとしても、彼は居留守を使っていただろう。今、彼は誰とも話をしたくなかったのだ。
そんなことは露知らず、タクマは士官室が立ち並ぶ通路を歩いていた。ABF社に送る実働データも送り終わり、次の実戦を終えるまでは、特にやることもないのだ。本来ならば、今ごろ木星宙域に出没する海賊鎮圧の任務に就き、それでもたらされたであろう実働データを必死にまとめていたであろうが、結局とんぼ帰りということもあって、実戦を一回しかしていないということもあってデータ自体が少ないのだ。
(それにしても・・・、よく上が納得したもんだ)
とタクマは歩きながら考え込む。実際問題として、今回の海賊鎮圧任務によってABF社のYIMAシリーズの性能を軍に売り込むのが本来の社の意向だったはずである(タクマはすでにあきらめているが)。その為に苦労して、『ヘルゼーアー』という異名で名高いオキタ・ジュウゾウが率いる多くの功績を上げてきたゾロアスターに、YIMAシリーズのトライアルを行ってもらうことになったわけである。だが、実際にYIMAシリーズが使われたのは一回だけだ。そう、黒い機動兵器の救出作業である。
いくら総司令の命令とはいえ、実戦をほとんどせず地球に帰るとなっては、民間企業のABF社とはいえ上層部が納得するわけがない。しかし、実際にこうして地球に帰るとなっても、ABF社からは特に何の連絡もなく(言われたら言われたで困るが)、地球に着いたら本社へと戻ってくれ、という本来ならばトライアルを兼ねた鎮圧任務終了時にもらえる筈のメールが送られてきてたりする。つまりは、上層部も納得しているのだ。実に不可思議である。社長はともかくとして、あの金の亡者どもが新たな金のなる樹として送り出したYIMAシリーズが、ろくな実も宿さないまま収穫の時期を迎えようとしているのである。それを上層部がよく、軍の地球に帰還、という意向をおとなしく受け入れたものだ、とタクマは考えていたのだ。
実際トライアル自体は続くとはいえ、他の社がトライアルを終えたというのに、まだ終わってませ〜ん、などはいえないだろう。上層部もそれは分かっているはずだ。
(とはいえ・・・、一社員の俺が考えてもしょうがないか)
タクマはひとまずの思考を打ち切り、あてもなく通路をさまよっていた。だが、このままこうしていても何も始まらない。そこで、タクマは食堂でも行こうかと思い、足を進めた。
食堂――別名『味皇の店』と称されているここは、ナデシコB二番艦『ラディアンス』、ナデシコCの艦長を務めた事もあるオキタの意向から、民間の優秀なコックを総料理長に据えている。表向きは、おいしい料理のほうがクルーの士気が高まる、といっているが、内心は軍のまずい料理などは食べたくないのだろう。それについてはタクマも同意見だった。
店の総料理長は御年72歳になるムラタ・ゲンジロウ、地球でも名高い味皇グループの会長であったが、それは弟にまかせ、どういうわけか一介の食堂――しかも軍艦の総料理長などに成ってしまった。しかも本人は隠居、と言っている翁だ。
「味皇様・・・中華丼一つ」
タクマは席はカウンターを選び、そこに座った。ちょうど前には味皇が、わかったぞい、とタクマに答えて、調理に取り掛かっている調理場が見える。味皇はたくましい白髪の髪に、豪快に生えた白い口ひげ、そして何故かいつも紋付袴(ムラタ印)を着用し、そしてその上からエプロンを身に付けている。
調理場から香ばしい芳香が漂ってくる。その香りは、彼の嗅覚を刺激し、やがて彼の内臓をも刺激した。それほど、旨そうな香りが漂っているのだ。
「・・・・中華丼お待たせじゃ!!」
ごとん、とタクマの前に中華丼が置かれた。芳香に気を委ねている間に、いつのまにか出来上がっていたらしい。その丼からは湯気が立ち上り、華麗に彩られたそれは、漂う芳香と見た目と相まって、正に芸術作品といっても過言ではない、とタクマには思えた。
タクマはごくりと唾を飲み、そして、いただきま〜す、と口に運んだ。
「う・・・・うめーっ!!」
タクマは叫びつつ、中華丼を口へとかきこんでいく。神速の速さで、丼の中身がタクマの口内へと消え去っていく。その速さはとどまる事を知らず、それどころか、速くなる一方だった。
やがてその丼がタクマの口元から離れ、カウンターへどん、と置かれた。そして、恍惚の表情で虚空を見上げる。
「ふーっ・・・・・・・・至福だ」
旨い料理を食べる事は至福の喜びである。タクマはそれをここ『味皇の店』で実感したのであった。ここの料理を食べるのはもう数十回に及ぶ。はっきりいって、今まで食べたものの中で、ここの料理が一番美味しいだろう、とタクマは思っていた。
「そこまで言ってくれるとうれしいのォ!」
そう言う味皇は笑顔で腕を組んでいた。
「そういえば味皇様、聞きました?・・・地球に向かってるんですよ、この艦。じきにサード・ウズメに着きますからね。明日にはもう地に足つけて眠れますよ」
そう言ってタクマは丼を調理場へと返した。その丼を受け取りながら、紋付袴の老人は豪快な笑みを作る。
「艦長に聞いたぞい。先ほど――といっても結構前じゃがな。直々に訪れて中華定食頼んだついでに言いよったわ」
「なんだ知っていたんですか・・・」
「ちょうどよかったわ・・・実は調味料が少々足りなくての。途中の星間コロニーで拝借してもよかったんじゃが、必ずあるとは限らんからの」
「ああ、『オーシャニック』で、ですか?・・・・まあ、あそこは結構いろんな企業が店、構えてますからね。味皇グループもあるんですよね、確か?」
「そうじゃ、でもワシの欲しい物はないかもしれんからの、そういう意味では地球に戻れてよかったわ」
味皇は横に向いて、思い出すように目を瞑って上を見上げた。
「・・・ところで、足りない調味料ってなんなんです?」
「
「なんですか・・・・それ?」
「万能中華スープの素じゃっ!和、洋、中、あらゆる料理の味付けに使えるスグレものじゃよ。とてもメジャーなものじゃぞ?」
知らんのか?、とくるりと振り返って味皇はタクマを見る。
(・・・・知らんわ)
タクマはそんなことを思いながらも、一応の笑みを表に浮かべておいた。
◇◆◇◆◇
それは炎で包まれた記憶。
それは悲しみで彩られた記憶。
それは憎しみで形作られた記憶。
・・・・・目の前に広がるのは、崩れた壁、倒れる一組の血塗れの男女。そして、腕の中にいるのは、時が停止した赤毛の少女。
『ミズキ!ミオ!・・・早く逃げるんだ!!』
それは父の最期の言葉。
『・・・・早く行きなさい、父さんと母さんもすぐに追いつくから』
それは母の最期の言葉。
『お姉ちゃん・・・・・イタ・・・・イ・・・・・よ』
それは腕の中で眠る少女の最後の言葉。
『おとうさん、おかあさん、・・・・・ミ、オ・・・?』
すべてが無くなった。
すべては消え去った。
すべてを壊された。
そして、私は憎んだ。
私の大事なものを奪った人――テンカワ・アキトを。
◇◆◇◆◇
「・・・・・ターミナルコロニー『サード・ウズメ』に到達。これより、入ります」
セレネは目の前の両手のIFSを輝かせながら、目の前のモニターを見つめていた。モニターには、チューリップと呼ばれる転移ゲートが周りに白い円盤らしきもの何枚も重なるように取り付けられている姿が映りだされていた。それは口を開き、中にゆらめく異空間を描きながらアフラ・マズダの侵入を待っている。
「各員に通達。総員対ジャンプ用意。・・・・・エンジンはディストーションフィールドの出力を最優先。・・・・ジャンプアウトはサード・コトシロに設定」
オキタはセレネと同じように目の前のモニターに映るものを見ながら、ブリッジにいる人員――セレネのみなのだが――に向かって命令を下した。その命令が下ったと同時に、セレネの両手の甲が輝きを増した。
「了解、ジャンプアウト地点、サード・コトシロに設定完了。・・・・・イェユーカ、通達お願い」
セレネの囁きに答えるように、セレネの前には『OK』の文字が表示された。そして、艦内に女性にも似た声が響き渡る
<全乗組員へ、これよりアフラ・マズダはジャンプします。総員対ジャンプ用意をして下さい・・・>
そして、モニターにはターミナルコロニー『サード・ウズメ』が近づいていた。
<ディスト―ションフィールド出力最大>
スピーカーを通しての先ほどの声がブリッジ内のみに木霊する。その声は、アフラ・マズダ搭載の自律型AI『イェユーカ』のものである。モニターにはすでに異空間のみが映し出されている。すでに、ジャンプ開始まで10秒を切っているはずだ。
「・・・・・ジャンプまで、・・・5、4、3、2、1、じゃんぷ」
セレネの声で、モニターに表示されていた異空間が一瞬にして真っ白の純白へと変貌した。と思うと、次の瞬間には、暗闇の虚空が映し出されていた。それは宇宙空間である、つまりはジャンプを終えたのだ。
前には月が見え、そして、その先に人類共通の故郷でもある地球が見える。
「ふう・・・・行ったり、来たり、大変だな・・・・」
オキタが地球を見ながら苦笑して呟き、セレネも声には出さないものの、それを聞いて、同じような苦笑を浮かべた。
――こうしてテンカワ・アキトは、他人から見れば約20年ぶりに、地球へと帰ってきたのである。
The 3rd chapter...end.
To be continued
<作者の独話>
20年後というわけで、年とったナデシコクルーが出てくるわけですが・・・・、はっきりいってちょっとつらいっすね。
エリナさんなんか、年齢もう40超えてるし・・・・。でもさらに辛いのが、今後登場予定の某説明好きな女性なんですよね。だって50超えてるんすよ!?
改造好きなメカニックおじさんとかスカウト担当のちょび髭おじさんなんかの男性陣はまだいいとしても、女性陣の年くった描写が難しい。つーか、想像しがたい!!
なので、エリナさんなんかは、まだ若々しい、という描写にしたのです(きっぱり)。
それにしても、週に2〜3時間しかパソコンに触れられない、ってのは私的につらいです。・・・書けないし、ネットもできないし。
ではKOUYAでした。
それとミスター味っ○、知ってます?
<はみだしメカ設定その三>
正式名称:
YIMAseries−code02
呼称:
アフリマン(Afriman)
動力機関:
ABF社製第五世代型小型相転移エンジン『月下美人』×1
ABF社製サイクルジェネレーター“ブリッツシュネル参式”×2
アビオニクス:
ボイス応答タイプ総合支援AIコンピュータ『昂練電子東晋社製 龍欄LUN098“Ariel”』×4(その存在は関係者を除いて極秘となっている)
兵装:
大型リニアレールガン×2
ハーディネス・ソード×3(予備含む)
ショートレンジホーミングミサイルランチャー[スネイクランサー]×2×2基
汎用ミサイルランチャー[マドファ]×6×2基
ショルダー六連装バルカンファランクス×2
対艦用ハイパーレールキャノン×1
パーソナルカラー:
ダークレッド
DATA:
YIMAシリーズの中で、重装甲・重装備を誇る機体。長距離戦に優れており、その射程はYIMAシリーズ最長を誇る。
宇宙での戦闘も可能だが、地上での戦闘を視野に作られた機体である。そして武装には光学兵器が使用されず、多くが実弾兵器で構成されていることも特徴の一つである。
飛行機能はなく、空中攻撃はできない。一時は、外部に飛行ユニットを装着することよってそれを解消しよう、というものが提案され、実行に移されたが、この機体の重量を扱える飛行ユニットの開発は困難を極め、そしてようやく完成されたものも短い時間しか飛行できない、という結果に終わり、その案は破棄された。
外見とは裏腹に機動性も高く、そしてミサイルジャマーなどの防御機構に加え、光学系兵器に有効なミラーディフレクトコーティングなどの新技術が導入されている。
メインパイロットはゲラルド・カイパー中尉。
代理人の感想
ユーチャリス及びナデシコBは沈没扱い・・・・そう言えばミナトさんやユキナも乗ってたんでしょうか?
まぁ、ウリバタケがいると言う事はナデCに乗っていた旧クルーがそのままBに行った訳でもない、
と言う推論が成り立ちますからあらかた無事だとは思いますが。
>説明好きな女性
ん〜、上品な小母さんっぽくなってるか、あるいはミズ・サッチャーみたいになってるかも(爆)。
まぁ、ギャグっぽい作品なら怪しげなクスリで若さを保ってても問題ないんですが、
この作品にはそぐわないっぽいですしねぇ(苦笑)。
>村田源次郎
・・・・まさかホウメイさんの師匠とか(爆)?