『機動戦艦ナデシコ』
Another Dimension Story

「さよなら、いつかまた逢う日まで」

―第四話―


 



――ネルガル本社。
その会長室に、今、三人の人間がいた。つんつんとした茶色い髪で黒いジーンズ、黒のシャツという黒で統一したカジュアルな服装の青年と、ネルガル宇宙開発局局長であり、艶のあるワインレッドのスーツで身を固めた女性、そして白髪混じりのロン毛で、ブラウン色のスーツで全身をかためているネルガル会長である。

「・・・いやぁ〜、久しぶりだね。テンカワ君?」

大関スケコマシでかつて名を馳せていた(現在は中年スケコマシという不名誉な字がある)ネルガル会長ことアカツキ・ナガレは、二十年ぶりの友人の再会を笑顔で迎えた。

「ああ、俺にとっては一週間にも満たないがな」

「だけど、僕にとっては二十年ぶりさ・・・・。はっはっはっは・・・・」

長い髪をかきあげながら、天を仰いで声高に吼える中年スケコマシだったが、やがてその声を沈めた。
後ろにいたエリナも、部屋に入室した二十年ぶりの帰還者であるアキトを見たときには、懐かしさと恋しさが入り混じった瞳と表情を面にあらわしていたが、すでにそれは奥へとしまい込み、ネルガル宇宙開発局局長としての表情を浮かべている。

「会長・・・」

エリナの先を促すような視線と言葉に含まれたニュアンスに、アカツキはそうそう、と話題を変えて、笑顔のままで口を開く。

「ゾロアスターに出向してほしいんだ。新型機のテストパイロットとしてね」

「はっ?」

アキトはバイザー越しではなく、裸眼で見る老けたアカツキの笑顔から放たれた予想外の言葉に、気の抜けた返事をしてしまった。

「実はね、エステバリス・ネオっていう新型機があるんだけどね。その強化タイプのパイロットをキミにやってほしいんだ」

ニコニコ、と擬音すら発せるような笑顔を浮かべながら、机の上でブリッジを形成している両手に顎を乗せながらアカツキは言った。

「・・・なに言ってるんだ、俺はすでに死んだことになっているんだろう? それに、俺はもう戦う気はない」

最初は睨んでいたアキトだったが、言い終えるとアカツキから視線をそらした。
それを見たアカツキは軽くためいきをつくと、しかたないなぁ、といった表情で口を開く。

「・・・戦うとは限らないさ、ただ単にデータが欲しいだけ。あるもののためにね。それにエステバリス・ネオ自体のトライアルはすでに別部隊で行われているんだよ」

「なら、なおさら必要ないだろう。・・・それより、聞きたいことがある」

アキトはそらしていた視線を再びアカツキへと向けると、声の口調を若干低くした。

「・・・キミからの質問は後。まずは僕の話を聞いてもらおう」

アキトの睨むような視線と声質をひらりとかわしながらも、アカツキはニコニコと機嫌良さそうに笑みを湛え続けている。

「む・・・」

「キミがゾロアスターにテストパイロットで行くというのはあくまで建前。・・・キミには向こうであることをやってもらいたい」

「・・・あること?」

「決まってるじゃないか。王子様がやる事といえばただ一つ。お姫さまを守る事さ」

アカツキは顎を両手で組んだブリッジから離して、そのまま椅子の背もたれに寄りかかると、片目を瞑ってにやりと笑った。

「普通、そういうのはナイトの役目じゃないか?」

アキトが言う。アカツキは、それもそうだね、と笑った。

「キミも驚いたんじゃないかい? あまりにも似すぎている姿に・・・。そう、ミスマル・ユリカにそっくりの容姿を持つ少女。最後のクラスAマシンチャイルド、ラストフェアリー」

「あの子か」

アキトは蒼銀の髪をさらさらとなびかせる少女の姿を思い浮かべた。その姿はあまりにも、彼が唯一愛した――いや、今も愛しているといってもいいだろう、女性に似すぎている。

「――セレネ・ヒュペリオン。彼女は、あまりにも貴重な存在だ」

アカツキの声には“威厳”、という彼がこの二十年間で身に付けたものが込められていた。



◇◆◇◆◇




時刻はすでに12時を回っている。
タクマはタクシーの窓から外を眺めていた。流れる風景。まだ目で捕らえられる速度である。外を歩くほとんどの人々が夏服への転換を始めている。それを見て、日差しはどんどん激しさを増していくんだろうな、とタクマは思った。
やはり冬のほうがいい、と常日頃からタクマは思っている。冬のつめたい鋭い刃のような空気が、思考力などを研ぎ澄ましてくれる、そんな感覚を覚えるからだ。
やがて道はさらに広くなり、周囲には高層ビルが立ち並ぶエリアに入った。このあたりになってくると歩道を占拠するのは大半がスーツ姿である。
そして、しばらくすると目的の場所についた。タクマは料金を払い、タクシーから降りると目の前のABF社のビルを見上げた。円柱型のビルである。壁面はすべてダークブルーのガラスで覆われ、それに太陽の光が当たり輝いている。

(いつ見ても、でかいビルだ)

タクマはそう思いながら視線を降ろし、ビルの入り口に向かって歩き出した。白いブロックで舗装された道を歩いていく。幅はおよそ20メートルぐらいだろうか。道の両端には等間隔で木が立ち並んでいる。
多くのスーツ姿の男性とすれ違う。かくいうタクマも薄いグレーのスーツ(実は、彼が持っている唯一のもの)で上下を固めていた。
ビルの入り口は二重の分厚いガラス製の自動ドアで構成されていた。一つ目の自動ドアをくぐると、左右に屈強な風貌の警備員が二人立っておりタクマをじろりと睨みつける。タクマは立ち止まり社員証を見せて、二つ目のドアをくぐり抜けた。

「・・・ふぅ」

タクマはロビーの温度調整の行き届いた空気にさらされて、一息ついた。
ロビーは五階分くりぬいたような吹き抜けの円筒状の空間で形成されている。左右に広がる灰色の壁には二階フロアから五階フロアまでの計四つの通路が曲線を描いて架けられている。そこを忙しそうにスーツをきた人々が忙しなく歩いていた。
中心には透明のトンネルが支柱のように立てられており、中に収められている四台の卵型のブロックの内、二台が上へと昇っていった。それが上のフロアとここを繋げるエレベータである。タクマはエレベータまで歩いていった。
エレベータの前に立ったタクマは横にある上へと向かうボタンを押す。すぐに軽い振動音と共に扉が開いた。タクマはそれに乗ると、『45』というパネルを押した。扉が閉まり、軽い振動と共にタクマの体に軽い重力が圧し掛かり、背後のガラス越しのロビーの風景が次第に眼下へと沈んでいった。
このビルは全117階で構成されており、全長はおよそ900メートル。建築技術の進んだこの時代では珍しくない。40階以上が兵器開発部門や航空開発部門などの施設で構成されている。つまりは研究所も兼ねているのだ。
目的の階についたタクマは、滑るような、だが優雅とはいえない足取りで、兵器開発局第二課の開発ブロックを目指す。40階以上になると、すれ違う人の大半が研究員である。とはいっても白衣姿ではない、同様にスーツ姿もいない。大半がラフな格好である。
白い壁面、そして床には茶色の絨毯が敷かれた通路をタクマは歩く。曲がり角の度に観葉植物が慰みのためか置かれていた。
しばしの間歩いて行くと、真中に一本のラインが入った重圧感のある銀色の扉の前にタクマは立ち止まる。張られている白いプレートには『兵器開発局第二課 第一研究施設』とあった。横の壁には、網膜スキャニング、指紋スキャニング、かつDNAスキャニングの三つのセキュリティシステムがあった。
タクマはそれに近づくと、目を当て、手をあてる。そして最後に手の甲に軽い痛みを覚えた。DNAスキャンである。この三つをクリアしてやっと、社員番号、パスワードを入力することができるのだ。

「・・・・・・っと」

三つのスキャニングシステムの上の金属のプレートが左右に割れて、そこに1〜9までの数字のキーボードと、A〜Zまでのキーボードが現れた。タクマは右手で軽くタッチしながら社員番号とパスワードを入力する。すると、重圧感たっぷりの音がした後、銀色の壁が左右に割れて動き出した。
タクマは中にはいる。すると、数秒も経たない内に背後の扉が閉まった。
少し歩くと道は左右に分かれている。目の前の壁はガラス張りで、そこから見下ろすと、多くの研究員――白衣を着ている者と着ていない者が同等の比率だった――が宙に浮くウィンドウに向かっているのが見て取れた。
タクマは視線をそらして右へと向かう。途中すれ違った研究員がタクマの顔を見て、声をかけてきた。

「よ、カザミ。・・・ずいぶん早い御帰りだな」

「ああ。ちょっと、ね。・・・ところで、ラシェル部長は?」

「研究室にいるよ」

「サンキュー」

お互い手を上げて別れるとタクマは先に進んだ。
いくつかの分かれ道を通過した後、ひとつの扉の前で立ち止まる。周りの壁と同色の扉で、かけられている白い長方形のプレートには『兵器開発局第二課 バルテルミ研究室』とあった。タクマは中へと入る。
部屋は一人暮らしのマンションほどの大きさで、長方形の横に正方形がくっついているような二部屋構成だった(隔てるドアなどはないが)。アナログの丸い時計が壁に掛けられ、それ以外に壁には何もなかった。真中に置かれているひょうたん型のテーブルには何も置かれておらず、部屋の隅の棚の上にコーヒーメーカがぽつんと置かれていた。隣にあるのは二つのカップである。一つはタクマのものだった。
タクマは部屋の奥へと進んだ。

「ラシェル部長」

タクマはコンソールの前でウィンドウを開いたまま、椅子の背もたれを大きく活用しながら本を読んでいる女性に声をかけた。本のタイトルは『兵器の未来』とある。今時、紙の本でしかも横書きモノはめずらしい。古い本だろう、とタクマは思った。

「・・・ああ、カザミ君か」

ラシェルはフランス人である。小さな丸メガネの奥にスカイブルーの瞳を持ち、金髪のさらさらとした髪が伸びて、顎のあたりでカールしていた。それなりに整えれば美人の部類に入るのだが(とタクマは思っている)、自分の外見には無頓着で、化粧っ気もなくいつも同じような服装をしていた。今日の服装は、灰色のワイシャツ、そして膝まで覆い隠す黒のタイトスカートである。

「コーヒー飲みますか?」

タクマは持っていたアタッシュケースをテーブルに置くと、コーヒーメーカまで歩み寄る。ちょうどニ杯分ぐらいが残っていた。

「ああ、いいね。・・・それとめずらしいね、キミがスーツ姿なんて」

本を持ったままラシェルが言う。すでに背もたれから離れ、しおりの代わりに指を挟みながら右手で本を持っている。

「そうでしょうね。これが俺の持っている唯一のものですから」

タクマは笑って言いながら、カップ二つにコーヒーを注ぐ。二人ともブラック派であった。

「私は大学の卒業式以来、着ていないな。・・・ありがとう」

残った片手でカップを受け取りながらラシェルが呟いた。そして、受け取ったコーヒーを飲む。

「その本、面白いですか?」

コーヒーカップを片手にタクマはラシェルの後方の壁に寄りかかる。ちょうど、椅子に座っているラシェルを見下ろすような姿勢である。

「いや、面白くはない。・・・そう思いながら読んでいる」

そう言って再びラシェルはコーヒーを飲む。そして、本を完全に閉じて、足元に積み上げられた本の山にその一冊を加えた。

「・・・じゃあ、データ見せてもらおうか」

「はい」

タクマはコーヒー片手にテーブルに歩み寄って、置いてあるアタッシュケースから、一枚のディスクを取り出した。

「なんか、社長直々に呼ばれているんですよ・・・」

そう言いながら苦笑にも似た笑顔で、タクマはディスクをラシェルへと渡す。

「ああ、私も呼ばれているよ。カザミ君と一緒に来てくれってね」

ラシェルは笑みを浮かべながら、タクマから受け取ったディスクをコンソールに差し込む。そして、幾つもの直方体が浮かぶスクリーンセーバが取り除かれ画面にデータが映りだす。
YIMAシリーズの一体一体のCGモデルが順番に映り、その横にはグラフなどの数値が記されていた。
少し考え込むようにラシェルは左手を顎に当てながら、画面を凝視していた。そして、ゆっくりと言葉を放つ。

「う・・・ん、やっぱり極端に少ないね。・・・あ、理由はもう聞いたからいいよ。・・・これはもう一度出向だね、実戦データが少なすぎる」

「はい、それは分かってます。・・・ちょっと見て欲しい物がありまして・・・」

タクマは横から手を伸ばし、コンソールを左手で弾き出す。すると、画面に映し出されていたYIMAシリーズの画面が消え、戦闘で保護した黒い機動兵器のCGモデルが現れた。
結局、セレネからの収穫は無きに等しかった。しかし、礼はしなくてはいけないだろう、とタクマは内心苦笑する。

「これ、知ってます?」

「・・・・ブラックサレナタイプ2。・・・相転移エンジン搭載型追加装甲の試作型。あのテンカワ・アキトが最後に乗っていた機体。ま、世間じゃあんまり知られていないけど」

「詳しいですね」

名称は知っていたが(というかセレネの情報によりそれしか知らない)『タイプ2』ということは知らなかった。

「まあね。YIMAの小型相転移エンジン開発の時にネルガルの会長に聞いたことがある」

「・・・」

「20年前にランダムジャンプでナデシコCと、テンカワ・アキトが乗っていた・・・えーと・・・、何とかっていう船と共に行方不明になった機体だよ。当時ではかなりの画期的かつ高コストなものだったらしいけど」

そこまで言って、ラシェルはコーヒーを飲み終えた。そして立ち上がる。そして、本をコンソールの上に置いてタクマへと向きなおった。

「じゃ、社長に会いに行こうか」



◇◆◇◆◇




アキトは今、墓地にいた。
空は真っ青に冴え渡り、サングラス越しに見える太陽の日差しが、アキトの身に降り注ぐ。光を全身で感じる事など、昔のことを考えれば彼にとって奇跡に等しかった。
ここに来ると、あの時のことを思い出す。アキトは、妖精の名を冠する一人の少女と、その元保護者ともいえる一人の女性を思い出していた。
ホシノ・ルリ、ハルカ・ミナト。
そして、一人の男。・・・・その名を北辰。
今となっては時間の彼方の出来事。
とはいえ、自分にとってはまだ二週間も経っていない。
だが周りはすでに二十年の時が経過していた。
すべては、自分の業が招いた事なのか。
アキトの中の『何か』が、さらなる激しさを湛えて渦巻いていた。
かつて自分と、妻であるミスマル・ユリカを引き裂き、そして汚した火星の後継者。
奴等に抱いていた復讐心は、今は姿を変え、自分へと向けられているのだろうか。
『憎しみ』というかたちで。
アキトは石畳の道を歩いていく。左右には墓標が道にそって並べられている。その一つで、彼は立ち止まった。
――『御統』。
墓標にはその名が刻まれていた。

「・・・・・・ユリカ」

アキトはかけていたサングラスを外して胸ポケットにしまい、双眸を閉じると、黙って両手を合わせ腰を落とした。そして、さきほど会長室での会話を思い出していた。



「――で、聞きたいことというのは何なんだい?」

アカツキが笑みを湛えながら尋ねた。

「決まっているだろう。俺の知らない二十年間のことだ。・・・教えてくれ、ユリカは、ユリカはどうなったんだ」

アキトは荒れ狂う濁流のような数多くの感情が入り混じった思いを、胸の奥底にしまいながら、言葉を放つ。
アカツキは笑顔を水面下へと降下させ、少し困ったような顔で口を開く。

「それを聞いてどうするんだい? あの時、キミは彼女の隣に落ち着く事を拒んだ。そんなキミが、何故彼女のことを知ろうとするんだい?」

「・・・それは――」

「それは――? なんだい?」

口篭もったアキトにアカツキはあくまで表情を変えずに問う。そのアカツキの言葉に、アキトは口が封じられたような錯覚を覚えた。

「結局、キミは単に怖かったんだろう? 彼女に、愛する人に、恐怖に満ちた目で見られるのが」

ゆっくりと紡がれたアカツキの言葉に、アキトは胸のうちを抉られたような痛みを覚えた。
その痛みは決して治まるものではなく、アキトの心を蝕んでいく。その痛みの発生源も、同じ自らの心だということにも気づかずに。
アキトは何かから逃れるように視線を下へとずらしながら、ためらいがちに口を開いた。

「・・・・・・そうだ、俺は怖かったんだ。何も知らず、ただ眠っていたユリカに、変わってしまった俺を見られることが、ただ怖かった」

俯いたかつての戦友であり、友人でもあった過去からの帰還者を見据えながら、アカツキはため息をつく。

「臆病だね。彼女のことを信じず、すべて自分だけで結論を導いてしまったわけだ。・・・彼女の前に姿を見せない、という答えを」

アカツキの表情が苦笑じみたものへと変わる。

「まあ、キミらしい答えともいえるか。いいよ、教えよう。ミスマル・ユリカ、彼女は11年前の戦闘で戦死したよ」

「・・・え?」

平然に言うアカツキの言葉を聞いて、アキトは呆然として言葉を放った。

「11年前に木星プラントでいざこざがあってね。・・・結局遺体は発見できなかった」

アカツキの言葉はアキトには届いていなかった。

(・・・・・死んだ?)

アキトの全身に脱力感にも似た鈍い衝撃が走る。それは視界に漆黒のヴェールをかぶせる。すべてが闇に染まり、立っていることすら辛くなる。
生きていると思っていた。しかし、ユリカの前に現れるつもりはなかった、だが一目、ほんの一瞬でいい、その姿を見たかった。
そんなアキトを見ていたアカツキは、背もたれに背を預けて、椅子を回転させ視線を横へとずらした。

「・・・墓は前と同じところだよ、行って来るといい」



アキトは合わせていた手を離し、立ち上がった。そして、横に振り返り歩き出そうとする。視線の先には軍服姿のオキタが立っていた。
オキタは花を両手で抱えながら近づいてくる。そして、立ち尽くしているアキトの脇を通り過ぎ、墓標のまえで止まり、持っている花を墓の前に置いた。そして、オキタは腰を落とし両手を合わせる。
アキトといえば、オキタのちょうど斜め後ろで彼の背中を眺めていた。

(ユリカの知り合いなのか?)

アキトがそんなことを思っていると、不意にオキタが口を開いた。

「彼女は、ユリカさんは、最後までテンカワ・アキト、お前を愛していて、そしていつか帰ってくると信じていたよ」

「・・・」

「彼女の最後に遺した言葉、それをお前に伝える為に、俺は今日ここにきた」

オキタはそこまで言うと立ち上がり、アキトへと振り向いた。

「ユリカさんの娘――セレネを守ってやって欲しい。お前にしかできないことだ」

「・・・ユリカの娘?」

力強い風貌のオキタの顔を真っ直ぐに見据え、アキトは微かな声で囁いた。
どういうことだ?、という言葉はアキトの頭の中だけで反響し、口から外部へと放たれることはなかった。

「セレネは、セレネ・ヒュペリオンは、ユリカさんとお前の遺伝子から生まれた娘なんだ、火星の後継者によって・・・」

アキトの頭の中を数多くの単語が荒れ狂う。・・・ユリカと俺の遺伝子? 娘? 火星の後継者?
その奔流はさらにアキトの心中を掻き乱していた。

「セレネ自身は何も知らないんだ。彼女が持っているその能力――遺跡を自由にコントロールできる力を・・・」



◇◆◇◆◇




ABF社の本社はイギリスの中北部に位置する工業都市にある。だがそれ以上の規模を持っているのがここ、トウキョウシティにあるABF社日本支部である。
その大きさゆえに世間では日本支部を本社と勘違いしている人も多く存在する。とはいえ、実際、社員数、面積、施設、あらゆる面で本社を凌駕しており、そのために、ABF社社員も日本支部を便宜上『本社』と言う事もある。
その日本支部は、人型機動兵器の開発、武器の開発、防御機構の開発・・・などなど、基本的に「Y計画」がらみのものが多い。実際、YIMAが作られたのもこの日本支部であり、その開発チームの大半がいまだここに勤務している。
そして、その「Y計画」開発チームの一員であるカザミ・タクマと、その上司であり、同じく開発チームの一員ラシェル・ド・バルテルミは、一人の女性が映し出されるモニターの前で直立不動の姿勢をとっていた。

『・・・と、そこで今度はラシェルさんも合わせて出向してほしいわけよ』

ブラウンの瞳を持ち、同系色の髪を軽く後ろで束ね、残る前髪を二房左右に分けるようなヘアースタイルの女性――ABF社社長ヴァレリア・ブラッドフォードは、左手で頬杖を突き、右手でペンをくるくる回転させながら言った。

「・・・はぁ、それは構いませんが。・・・LEランチャーの開発はどうします?」

『ああ、あれはとりあえず凍結しちゃっていいや』

ヴァレリアはペンを回転させながら笑っている。

「・・・でも、ラシェル部長が来る必要があるんですか? 俺一人で十分だと思いますけど」

タクマがラシェルをちらりと見て、言った。それを聞いて、画面のヴァレリアはペン回しを止めてペンを握ると、チッチッチ、と声に合わせペンを揺らす。

『甘いねぇ・・・、カザミくんは。・・・いいかい、今回の出向は前回とは意味合いが違うのだよ。ネルガルの中年ロン毛と話をしたんだけどね、どうやら向こうさんエステバリス・ネオの新型フレームの実戦テストを行うらしいんだわ、ゾロアスターで』

そこまで言ってヴァレリアは両目を細くしてタクマを睨み、ぐぐっと身を乗り出した。画面に彼女の顔が大きく映りこむ。

『それより、何? 今の言葉? カザミくんはラシェルさんと一緒に仕事したくないっつーわけ?』

タクマは両手を上げて身を引きつつ、引き攣った顔を面へと浮かび上がらせる。

「そ、そういうわけじゃありません。俺はただ・・・って、それってYIMAシリーズと同時ってことですか!? ・・・社長! ABF(うち)とネルガルの機体テスト、同時にやることにオーケイ出したんですか!?」

引き攣った顔を、信じられない、という顔に変化させて、タクマは口調を強くした。

『まあ、そう怖い顔しなさんなっての。ネルガルとABF(うち)は技術提携したり、後、小型相転移エンジンのことやなんやらで結構世話になりっぱなしだからね。少しはお願いを聞いておかないとね、向こうに悪いだろ?』

「はあ・・・」

笑うヴァレリアを見ながらタクマは少し頭痛を感じながらも、とりあえずの返答をしていた。

『それで、だ。・・・ラシェルさんに、そのエステバリス・ネオの新型フレームの調査をしてもらいたいんだ』

「ネルガルに許可貰って、ですか?」

ラシェルが問う。

『そこのところは微妙なんだけどね・・・。向こうが送り込んでくる社員があの天才『ウリバタケ・キョウカ』なんだよ』

「ウリバタケ・キョウカって・・・ま、まさか」

その名を聞いて、タクマの声が震える。その表情も次第に引き攣り始めた。

『そ、君の大学の後輩。・・・ラシェルさんにとっても後輩だったよね?』

震えているタクマを横に、ヴァレリアはラシェルに視線を向けた。

「ええ、とても優秀な学生でしたね。・・・てっきり大学の研究室に残っていると思っていましたが」

ラシェルが微笑んで言った。そしてタクマの方へと振り向く。するとタクマの顔が健康な肌色から真っ青に、という化学変化を起こしていた。

「カザミ君も覚えているだろう? 彼女のこと・・・」

「・・・忘れたいですよ、俺としては」

「君とはよく話をしていたじゃないか」

ラシェルが笑みを湛えたまま言った。それにタクマは振り返る事もせずがっくりと肩を落とし、少し沈んだ形で、しかも疲れた顔を表面に露出させながら答える。

「・・・確かに、優秀さは認めますよ。俺以上の技術者だってことも、です。でも――」

そこまで言ってタクマがラシェルに向き直った。

「卒業研究で機動兵器作る学生がどこにいますっ!?」

タクマは叫んだ。

「別にいいじゃないか、あれで彼女は開発者としての能力が認められたんだ。私だって資金・時間・場所の三つさえあれば作っていたさ」

「でも、兵器じゃないでしょう!? しかも彼女は、その機動兵器の実戦テストに協力してくれ、って俺を連れまわしたんですよ!?」

「仲が良いじゃないか」

ラシェルは微笑んだ。

「拉致を「仲が良い」の一言で片付けないで下さいっ! こっちの予定も無視して連れまわされた俺の身にもなってくださいよ・・・」

タクマは右手で額を覆うとため息をついた。

『ははは、なかなか貴重な体験だったじゃないか。うん、向こう(ゾロアスター)でも仲良くやってくれ』

「社長・・・」

タクマがすがるような眼でヴァレリアを見た。

『悪いけど、君に拒否権はないからね。あと、辞職も許さないから、ね?』

小首を傾げてにこりと微笑んでヴァレリアは、とても可愛く見えたのだが、タクマにとってそれは悪魔の微笑み以外のなんでもなかった。

『いや〜、役員達もネルガルのことについてうるさかったんだけどね、どうにかなって良かったよ』

ヴァレリアはとても愉快そうに白い歯を見せながら笑う。とても巷で騒がれる美人社長の姿とは思えない、とタクマは思った。

「どうやって役員達を説得したんです?」

タクマが訊いた。

『・・・まあ、エステバリス・ネオの事とか。・・・後、YIMAシリーズの強化案に必要な比較対照データの為、とかで説得したよ』

「・・・エステバリス・ネオはともかく、YIMAシリーズ強化案でよく納得させましたね。・・・あれは結局、破棄されたのに」

『第一案はね。・・・でも第二案は進行中だよ、といってもまだ始まったばかりだけどね』

「へぇ、第二案なんてものがあったんですか? 俺は知りませんでしたよ」

『当初はYIMAにつける筈だったものさ。それを元に開発するってわけ』

「具体的にはどんなものなんです?」

『・・・まあ、もうちょっと待ってくだされい、御両人。・・・じきにお主達にも参加してもらうことになるであろう』

フッフッフ、とヴァレリアはにやりと笑った。
聞いていたタクマは相変わらずのずれた社長だ、とため息をつきながら思った。



◇◆◇◆◇



アキトが去った後の会長室。ガラスからさし込む夕日が、広い部屋をうっすらともみじ色に染めている。
その夕暮れの日差しを背に浴びながらアカツキはネルガルシークレットサービス専用の特別回線を通じて、とある人物とウィンドウ越しに話をしていた。

「・・・というワケなんだ。・・・ブルートヴァインが動き出すとなると、ねぇ」

『――別にいいですよ。休暇もいいんですけどね、僕の方は暇で暇で・・・。こういう時、無趣味だと困りますね』

ウィンドウに映りこんでいるのは少し頼りなさそうな温和な青年であった。黒い髪を横へと流し、見る人が見ればハンサムといえる顔立ちである。そして彼の背後には、腕を組みながら少し苛立たしげに足踏みをする、サングラスをかけた藍色の髪をポニーテールにした女性がいた。

「・・・奥さんの方はいいのかい? ・・・どうやら、苛ついてるみたいだけど」

アカツキは声を潜めて言った。

『今回の休暇楽しみにしていたみたいですからね。でも大丈夫ですよ。まあ、アカツキさんが今度の僕たちのボーナスに色つけてくれたら、の話ですけどね』

ウィンドウ越しで青年は苦笑した。
アカツキはそれを聞いて盛大に肩をすくめる。

「オーケイ、オーケイ、・・・ネルガルシークレットサービスのダブルエースにヘソを曲げられるわけにはいかないからね。ちゃんと言っておくよ」

『なら、ラビオの機嫌もすぐに直りますよ。・・・それにしてもテンカワさんが、生きていたとは・・・』

「確かにね。・・・それで、みんな集めてテンカワ君の帰還祝いを明日あたりやろうと思うんだ」

『いいですね、それ。もちろん参加させてもらいますよ』

「キミは彼に死んだと思われているからね、きっと驚くだろうな」

『ははは・・・。あの時もみんなに驚かれましたからね、特にリョーコさんには殴られそうになりましたから』

「そりゃねぇ、・・・自分の教え子と一緒に死んだと思われていたキミが、実は生きていて、しかもその子と結婚までしていた、となればねぇ」

『ははは、隠すつもりはなかったんですが』

画面の青年は頭に手を当てて、なでるように掻きながら苦笑じみた表情をした。

「じゃあとりあえず、明日の朝いちでこっちに顔だしてくれる? CCは持ってるよね?」

『はい、持ってますよ。・・・そうですね、8時までにはそっちに行きますよ。ところで、僕たちのスーパーアルストロメリアの修理はもう済んでいるんですか?』

「・・・いやまだだ。それにキミの行くところはゾロアスターじゃないよ」

『なんだ、そうなんですか・・・。久しぶりにオキタ君に会えると思ったんですけどね』

「・・・キミにはブルートヴァインの動向を探ってもらいたいんだ」

アカツキから放たれた言葉に、青年は笑顔のまま固まった。そして、一時の沈黙が彼等の間を支配する。
それを断ち切ったのは青年であった。

『・・・・それ、マジで言っているんですか?』

「もちろん」

『カンベンしてくださいよ。前回はあやうくフルヒトに殺されかけたんですよ?』

画面の青年は深々とため息をついた。

「でもキミは撃退したじゃないか、しかも二人相手に」

『あれは運良く機動兵器戦に持ち込めたからですよ。・・・今思ってもぞっとしますからね。仮に、白兵戦だったら一対一でも殺られてましたよ』

「・・・そんなに嫌かい?」

『・・・僕に拒否権が有るわけないでしょう? やりますよ。・・・でも、あまり奥まで探りを入れるのは無理ですよ。前回のことで奴らも警戒を強めているでしょうしね』

「ああ、それは分かってる。・・・彼等の行動を阻止しろとはいわない。ただその行動予定を知りたいだけなんだ」

『まあ、それなら多分大丈夫でしょうけど、・・・あくまで多分ですからね!』

念を押すように青年は語尾を強くする。アカツキは両手を上げて笑みを湛えた。

「オッケー、オッケー。そう言ってくれると助かるよ」

『で、ある程度は奴等の動向は掴めているんでしょ?』

「いや、まったくないんだよ」

笑顔でアカツキはきっぱりと言い切った。それを聞いて青年は顔が引き攣る。

『もしかして、一から調べ上げろっていうんじゃありませんよね?』

「もしかしなくても、そうだよ」

画面に映っている青年は口をパクパクと動かす。どうやら絶句しているようであった。

『・・・あのですね、アカツキさん』

青年は、やれやれという風に右手で頭を抑えながら困ったような顔をする。そして叫ぶように声を発した。

『奴等の動向を糸口もなしに掴め! っていうんですか!? 無理に決まっているでしょう! そんなこと』

「大丈夫、大丈夫、今、セレネ君は日本にいる。なら当然、ブルートヴァインが動き出すだろ? そこを君にちょちょーっと・・・」

『・・・ちょちょーっと、なんですか?』

「後つけるなり、なんなりしてもらって・・・」

『そんな探偵みたいなことが奴等――フルヒトに通用すると思いますか? 100メートルもしたところで撒かれるのがオチですよ。最悪そのまま殺されかねない』

「・・・う〜ん、それもそうか」

とアカツキは腕を組んだ。事実、アカツキはシークレットサービスに、ブルートヴァインの中でフルヒトと呼ばれる五人組の中の一人の追跡を命じたことがあるのだが、10人中7人が途中で撒かれ、残りはそのまま戻らなかった。唯一、情報を携えて戻ったのが、今、通信している相手の青年だけである。

『・・・セレネちゃんがいれば絶対フルヒトが出て来る、というのが今までの通例ですからね。・・・まあ早いとこ宇宙に上げてもらってくださいよ。そうしないと、いつ連れ去られるか気が気でしょうがないんで・・・』

「僕もそう思っているところだよ」

今まで、三回ほどブルートヴァインによるセレネ誘拐未遂事件が起こっている。今のところ未遂で済んでいるが、それも多くの犠牲を払ってのことだ。だが、宇宙での――つまりゾロアスターにいる期間内ではそのようなことは起こっていない。

(だがねぇ、それもいつまで持つか・・・)

宇宙にいる間は手をだしてこない、とはいってもブルートヴァインにそう確約されたわけでもない。なら当然、宇宙においても護衛を付けるべきだろう。フルヒト個人の戦闘力は凄まじいものがある。機動兵器戦ならなんとかなりそうな人物は少々いるが、生身での戦闘でなんとかなりそうな人物はそうはいない。しかも、ネルガル関係者というフィルターを通すとなおさらだ。そしてアカツキの中でそれに符合する人物が二人いる、いや、いた、というべきか。ツキオミ・ゲンイチロウとテンカワ・アキトである。

(ツキオミの方は死んじゃったしね)

テンカワ・アキトの木連式武術の師匠ともいえるツキオミはすでに死んでいる。2210年のプラント事件の最中に、だ。ミスマル・ユリカのようにナデシコCプラスの艦橋で、コミュニケ越しにナデシコクルーに看取られて死んだわけではなかった。誰にも看取られず、壁に寄り添ったままその人生を終えたという。最後は、すべてをやり終えた、という安らかな表情だったと聞いている。

『アカツキさん?』

「・・・? なんだい?」

思考の海に沈んでいたアカツキは青年の声で、海上へと浮上した。

『そろそろいいですか? ラビオがキレそうなんで・・・』

青年は声を潜めて苦笑する。

「ああ、いいよ」

同じように苦笑を浮かべて、アカツキは右手をひらひらと宙で動かした。

『じゃあ、明日の朝、そっちに向かいます』

では、といってそのウィンドウは閉じた。アカツキもそれを見終えた後、椅子の背もたれに思い切り体重をかけて、両手を組んで背筋を伸ばす。

「後は、テンカワ君か。・・・キミはどんな選択をするのかな」

すでに夕日はその姿を隠し始めていた。



◇◆◇◆◇




高級そうなレストランだった。天井には豪華なシャンデリアが架けられて、それが光を放ち、幾度となく自らのガラスで反射させながら見事なプリズムを作り上げている。
しかし、そんなものを見ている人間など誰一人としていなかった。それぞれのパートナーの見事に決まった姿を御互いに見つめ合いながらも、大半の人数が笑顔を浮かべて、豪華な食事を楽しんでいた。
極少数、笑顔を浮かべていない人間がいる。それはまだパートナーがいなかったりなどの理由からだったが、パートナーの異性がいても、笑顔を浮かべていない組は存在した。そしてソーマはその中に含まれていた。

「・・・・これは確かな情報か?」

ソーマは手に持った資料に俯きながら、その向かいに座る女性を上目遣いで見た。
御互いの服装は店の雰囲気に合いそうなものだったが、話してる内容はまったくの場違いであった。とはいえ、機密保持のために、このような場所を選んだのはソーマである。

「ええ。間違いありません、動き出しています」

料理はまだ運ばれていない。ただ、ワイングラスが二つ置かれ、中には少し黒みがかった赤い液体が注がれていた。

「・・・オーシャニックが狙われていると?」

「・・・軍のほうもこの情報をキャッチしているはずです。・・・それにオーシャニックだけではありません、月のリュンカーシティもです」

「・・・このことはすでに?」

ソーマが訊くと、女性は頷いた。

「はい、このことをあなたに伝えるために私が派遣されたのです。・・・それと、これは明らかに『流された』情報です」

「漏洩ではなく・・・わざと」

「・・・情報の発信元が今もって不明です。軍の情報部が探り出したと思われていましたが、それも違うようです」

「・・・軍に対する脅迫だと?」

「はい、うちの上層部の方も、同意見が多数です。目的は恐らく――」

「・・・11年前の復讐」

ソーマは女性から放たれるであろう言葉を予測していた為、何か考え込むような仕草で顔を横へとずらし、その女性の言葉の後を補完した。
それを聞いて、女性も頷く。その顔には何の感情も浮かべていなかった。

「恐らくは。・・・こちらはすでに行動を開始しています。あの時のように、木星プラントが奪われるようなことがあっては――」

「こっちにも復讐の刃が向けられかねない。・・・そういうことか?」

「はい」

一時の沈黙が二人の間の空間を支配した。ジャズミュージックが流れ、他のテーブルにいる人々の囁きが音楽に乗って漂っていた。

「はっきりとした復讐者の正体は掴めているのか?」

ソーマがワインに手にし、持ち上げながら言った。

「11年前の復讐となると、ゲイボルグの残党だと思われますが・・・。確証はありません」

「・・・確かゾロアスターが木星付近に行くはずだったな? もしかすると、これ関係の調査が本来の目的だったかもしれないな」

少しの間を置いてソーマが言った。右手にはまだワイングラスが握られているままである。

「はい。・・・11年前の戦場となったプラントは、現在統合軍第七及び第八艦隊が護衛にあたっているとはいえ、油断はできません」

「とはいえ、今は『ニヌルタ』に代わる物はない」

「はい、恐らく軍もそう考えているはずです。宇宙軍としてはオーシャニック及びリュンカーシティの警備体制を強化するだけに留まるでしょう」

「しかし、その情報をあえて流したってことには何か理由があるはずだ」

そこまで言ってソーマはワインに口をつけた。ワイン独特の芳香が鼻腔をくすぐり、口内を微かな渋みを持った味が刺激する。

「はい。・・・とはいえ確証がない今、私たちも簡単に動くわけには参りません」

「・・・・それで、僕にその調査をしろと? ・・・ラストフェアリーはどうする?」

「そのことについては、また連絡がくる筈です」

女性が無表情で言葉を続ける。

「それにあなた以外のメンバーはすでにズーフと共に行動を開始しています」

「・・・外部関係の情報はズーフがやるんじゃなかったのか?」

「この件に関しての調査を開始して、ズーフのメンバーが五人殺されています」

「・・・僕たちはその護衛か」

「正確には情報の護衛です」

女性の双眸は鋭く、冷たい光を放っている。ソーマはそれを見てから、再び視線を書類へと移した。
そして一時の沈黙。周囲から楽しげな声と先ほどと違う曲が流れてくる。
女性がワインを手にとって、唇を湿らせると、口を開いた。

「それと、もう一つ。これはまだ未確認なのですが・・・」

その情報を知った時、ソーマの心は限りない喜びに満ちた。



◇◆◇◆◇




『・・・私、もう駄目みたい』

最後の時。

『・・・結局、あの日からアキトには逢えなかったな』

悪夢。守れなかった。

『ねぇ、オキタくん。セレネをお願い・・・、そしてアキトが帰ってきたなら・・・』

嫌だ。そんな言葉、聞きたくない。

『私たちの娘のセレネを守って、と伝えて――』

爆発。消えた笑顔。すべてが白い閃光になって――。

「――ユリカさん!?」

オキタは掛けられていた布団を撥ね退けて上半身を起こした。ベッドが軋む音がし、額には汗が浮かぶ。息も微かではあるが荒かった。

「夢、か」

オキタは囁く。そして、横においてあるデジタル時計の表示を見ると、深夜3時半を示していた。

「・・・見なくなったと思ったんだが」

右手で顔を隠すように覆う。
脳裏に描かれたのは過去の記憶。すべてが絶望に染まり、憎しみが溢れたときの記憶であった。
オキタは数秒そのままの姿勢でいると、右手を下ろしベッドから降りた。そしてライトを点ける。
明るくなった部屋のなかで、机の上に置かれた一枚の写真立てを取ると、オキタは少し笑みを浮かべた。
その写真には大勢の人が映っており、そして中心に白い連合軍の制服を着て苦笑している若い頃のオキタと、同じ制服を着て満面の笑みでブイサインをしているミスマル・ユリカの姿があった。後ろには若き日のナデシコクルーも映っていた。端にはマジックで『艦長訓練シミュレーション終了記念、ナデシコCブリッジにて』と書かれている。

「彼にはちゃんと伝えましたよ。ユリカさん」



◇◆◇◆◇




アキトがアカツキにあてがわれた部屋に戻ってすでに長い時間が経過している。夕日が姿を消し、代わりに月が昇って、それすらも傾きかけていた。

「ユリカ・・・」

アキトは椅子にもたれるように座りながら、かすれた声で呟く。
オキタが教えた遺言。

『――セレネを守って』

遺跡を自由にコントロールできる能力を持った少女。
俺とユリカの遺伝子から生まれたマシンチャイルド。

「ラピス、ルリちゃん・・・」

同じマシンチャイルド。
自分が殺してしまった娘達。
未来を奪ってしまった大事な娘達。

「俺に、そんな資格があるのか?」

答えはでない。
でも、俺自身はどう思っている?

「・・・・・・今度は守りたい」

――本当に? 

何時の間にか目の前にユリカがいた。微笑を湛えて俺を見ている。
ああ、これは夢だ。俺の願望が作った幻覚だ。でも、それでも、いい。

――それがあなたの『思い』なの?

こんどは、復讐じゃなく、守護に、この血に染まった力を使いたい。

――何故、守りたいの?

君の遺言、そして、俺が唯一お前のためにできることだと思うから。

――『あなた』は彼女を守りたいと思っているの?

・・・・・・。

――あなたは重ねているだけじゃないの? 私と彼女を・・・。

分からない。

――あなたは逃げているだけじゃないの? 私という過去から。

そうかもしれない。

――あなたは生きていたいの?

昔はそうだった、明日を夢見て・・・。でも、今は――。

――でも、あなたは選んだんじゃないの?

俺は守ることができるのか?

――それはあなたが決めることよ。

俺は守りたい。

――なら、守ってあげて。

俺は、本当は、君を、君のことを――。

最後にユリカは微笑んで、俺を抱きしめて、そして――。



◇◆◇◆◇




「・・・夢だったのか」

椅子に座ったまま、カーテンの隙間からこぼれる朝日を浴びて、アキトは目を覚ました。

「・・・涙、か」

目尻に溜まった水滴が頬をつたう。・・・久しぶりの感覚だ、とアキトは思った。
カーテンの隙間からこぼれるゆらゆらと揺れている光の筋を浴びながら、アキトは手で双眸を覆い隠した。そして、そのまま椅子の背にもたれかかる。

「俺の『思い』、か。ユリカ・・・」

彼の呟きを聞く者は、いない。



◇◆◇◆◇




白い病室に一人の女性が眠っている。
窓に付けられている薄いブルー色のブラインドを細かくくぐった朝日の光が、窓辺に置かれているガラスの花瓶の中にプリズムを形成していた。それは水の煌きとガラスの輝きが作った芸術品のようである。
そして微かな吐息を立てて眠る女性の名はトーア・ミズキといった。
病室には彼女一人しかおらず、ベッドも一つしかない。横に置いてある医療器具のバイタルサインも一定で、部屋の中に電子音のリズムを奏でている。
ふと、扉が開く音がした。そこから一人の女性が入ってくる。ヨシノであった。白のパンツとノースリーブのシャツという、めずらしく私服姿である。
彼女はそのまま眠るミズキの横に立つと、優しく微笑んだ。

「・・・よく、眠ってるわね」

ベッドの下にあるパイプ椅子を取り出し、ヨシノは座った。

(このまま、眠り続けた方がいいのかもしれない・・・)

ヨシノは思った。だが、とすぐにその考えを否定した。・・・できれば、彼女には生きていってほしい、と思う。これは友人として、士官学校からの親友としての思いだった。
ミズキとヨシノの付き合いはすでに10年近くになる。
あれは今でも瞳に焼き付いている、とヨシノはミズキの寝顔を見ながら思う。
『特例』として士官学校に入学したミズキ。
まるで『子供』のようだったミズキ。
次第に感情を取り戻していくミズキ。
ただ、奴等に近づく為に利用しようとした私を命懸けで救ってくれたミズキ。
そして、彼女は『人』に戻った。『奴等』から奪われていたものを取り戻したのだ。だが、彼女は、ヨシノはミズキをその囲いから救う事はできなかった。

(MDNAD委員会・・・! ミズキを彼女のようにはさせない!!)

ヨシノは右手を握り締める。
それは決意、もう二度と悲しい思いをしたくないという強い思い。
そして、開いた手で、ヨシノは優しくミズキの額を撫でた。



◇◆◇◆◇




私は膝を抱えて座っている。

「ナゼ、泣イテイルノ?」

背後から少女の声がした。・・・泣いている、私が?

「アナタガ泣イテイルト、ミンナモ泣イテシマウ。ダカラ泣カナイデ」

なら、私だけ放っておいて。向こうに行って、私を一人にしておいて。

「ソレハダメ。ダッテ、ワタシタチ、アナタヲ守ルタメニイルンダモノ」

一人の少女が分かれ、三人の少女になった。すべて同じ体、同じ声、同じ顔、同じ眼差し。

「モットモ原始的デ、モットモ気高ク、モットモ強イ『アナタ』カラ、“アナタ”ヲマモルノガワタシタチノ使命」

「ソウ、ワタシタチハアナタノ存在ヲマモッテイク。ソレガワタシタチノ使命」

「イヤナモノハスベテ隠シテシマウ。ソレモワタシタチノ使命」

・・・・私の思い出を返して。かえしてよ。

「アナタガ要ラナイッテイッタノニ?」

「アナタガヒテイシタ過去ナノニ?」

「アナタガケシタ思イ出ナノニ?」

だって、『あの時』いなくなったから。私を捨てて、『あの人』はいなくなっちゃったんだもん。・・・私が唯一『あの場所』で信じられた人。・・・・・・あの人? あの場所?

「シロイヒト、デモ・・・」

「ヤサシカッタヒト、デモ・・・」

「アナタヲミテクレタヒト、デモ・・・」

今はいない。どこにもいない。私を捨てて、どこかへいってしまったから。みんな、みんな、いなくなっちゃう。

「ワタシタチハドコニモイカナイ」

「ワタシタチハズットココニイル」

「ワタシタチハイツマデモアナタノソバニ」

姿を変える。メタモルフォーゼ。その姿は――。



◇◆◇◆◇




誰もいなくなった病室。
光が差し込む病室で眠る一人の女性。トーア・ミズキ。

「・・・おとうさん、・・・おかあさん、・・・・・・みお」

彼女はかすれた声で呟きながら、涙を流していた。





The 4th chapter...end.

To be continued










<作者の独話>

今回は悩みました。ユリカの遺言に。まあ、すでに亡くなっているということは決めてあったのですが、遺した言葉をどんなものにしようかな、と。
結局はまあ、最後にセレネを気遣う母親としての言葉(自分的にはしてみたつもりです(汗)他の方にどう読み取られるかが問題なんですが(滝汗))風にしてみたのですが。
ちなみに、今回で分かった思いますが、オキタ・ジュウゾウはDC版ゲーム主人公です。まあ、気づいていた方もおられるとは思いますが。
といってもルリ、サブロウタ、ハーリーがいないDC版ゲームのお話なんですがね。
その話も、設定と話の流れはあるんです。結構面白いかなぁとか思ったんで、ナデシコB三人組がいないDC版ゲームのSSって。別名、オキタ・ジュウゾウ三部作の一作目(笑)。
もう一人の方は、次回ということで・・・まあ、バレバレだと思いますが。
ちなみに、ウリバタケ・キョウカの名は、『時の流れに』からお借りしています。

<はみだしメカ設定その三>


正式名称:
YIMAseries−code03
呼称:
ガヤマート(Gayamart)
動力機関:
ABF社製第五世代型小型相転移エンジン『月下美人』×1
ABF社製サイクルジェネレーター“ブリッツシュネル参式”×1
アビオニクス:
ボイス応答タイプ総合支援AIコンピュータ『昂練電子東晋社製 龍欄LUN098“Ariel”』×4(その存在は関係者を除いて極秘となっている)
兵装:
肩部連射式キャノン×2
腕部三連ロケットランチャー×2
アーム内蔵式ブレイカーライフル×1
レーザーナイフ×3(格納されている予備含む)
LBLR2×1(追加オプション)
パーソナルカラー:
ダークイエロー
DATA:
YIMAシリーズにおいての機動性に重点をおいて開発された機体。装甲などを薄くする代わりに、『アフリマン』に用いられたディフレクトコーティングの他、ステルスコーティング、ミサイルジャマーなどの防御機構に特化している。
だが、防御に重点を置いた為、固定兵装が少なくなってしまった。加え、当初予定されていた兵装では、ガヤマートの特性である機動性を欠く結果となってしまい、その兵装を一からやり直すことになる。
そのため、本来固定兵装であったLBLR2(正式名称は『Long Barrel Linear Rail Rifle』)をオプションパーツとして開発し直し、それによって解決を図られた。
背中のトリプルアクティブスラスターや、全身に付けられたアポジモーターによって宇宙での機動性を得ている。大気圏内での飛行能力を有しそれなりの機動力も持つが、本来は宇宙戦闘用に特化した機体である。
メインパイロットはティタニア・ハーシェル少尉。



代理人の感想

やっぱりお亡くなりになっていましたか、ユリカは。

合掌。



さて、生きている連中の方ですが・・・なんとラビオさんが出てきましたか(苦笑)。

カイトがいて彼女が出てくると言うことはあれがあーだったりこーだったりするわけで。(多分)

・・・・・・ん〜、でもCC云々という台詞が出てくると言うことは彼ら(orどちらか)はA級ジャンパーな訳ですよね。

そうするとB3Y設定とは微妙に違うのかな?

(B3Yでラビオが出てくるルートにおいては彼らは二人ともB級ジャンパー(多分)です)



後、ネルガルサイド(宇宙軍・ABF)とソーマたちブルートヴァインの他に第三勢力も存在するらしいのが気になりますね。

海賊化してるような火星の後継者関連とは考えにくいですしね。

さて。