『機動戦艦ナデシコ』
Another Dimension Story
「さよなら、いつかまた逢う日まで」
―第五話Bパート―
その男はアキトにゆっくりと近づくと、彼の前を通り、手に持った花束を『御統』の墓石の前に置いた。
「あなたも、テンカワ・ユリカさんのお参りですか?」
楕円形の銀縁メガネを掛けて、黒髪、黒いジャケット、黒のスラックス、というまさしく黒一色の男は、アキトの方へと笑顔で振り返った。
「・・・・ああ」
アキトはその男を凝視しつつ答える。人当たりの良さそうな青年だったが、アキトは何故か彼を見て緊張感を感じていた。それは、かつての戦いの時に感じていた強敵と対峙している時に感じるものと似ていた。
「そう、警戒しないで下さい。――テンカワ・アキトさん?」
黒一色の男はアキトのあからさまな態度を前に、苦笑をしながら言った。
アキトはその男の言葉に、顔に浮かんでいる警戒色をさらに強め、バックステップして距離をとった。
「お前、何故、俺を知ってる?」
アキトはその男を睨みつけて問う。アカツキが言うには、まだ自分が地球に帰還していることは極秘らしい。
アキトはその時のアカツキの言葉を脳裏にめぐらした。
『――テンカワ君、君が帰還していることはまだ世間には知られていない。まあ、いろいろとあって知らせられないというのが現状なんだけど。それで、もし、知り合い以外に声をかけて来るがいたら気を付けるんだよ。少なくともそいつは味方じゃない』
「答えろ! 貴様、何者だ」
多少の怒気を含ませてアキトは再び問う。
だが、男はそんなことは何処吹く風と言わんばかりの表情で言った。
「単なるあなたの一ファンですよ。正確には、あなたを主人公とした小説の読者、ですかね?」
アキトにはその男のいっている意味が良く分からなかった。
(俺を主人公とした小説? その読者だと?)
男はにこりと笑うと、ポケットから一冊の文庫本を取り出した。その本のタイトルは――。
「『The prince of darkness』、テンカワ・アキトが妻を取り戻すまでを描いた小説です」
「そんなものが・・・」
あるのか、とアキトが呆然と消え去りそうなかすれ声で呟いた。アキトは何故か、あの戦いの日々が汚されたような、そんな気がした。
「できれば、あなたと敵対する前にサインを貰って、ついでに一緒に写真も撮りたかったんですが・・・。どうやらそうも行かないようです」
男は苦笑しながら肩をすくめた。
「ソーマーッ!」
アキトは前に立つ男の肩越しに、一人の男が駆けて来るのが見えた。その男は叫びながら、片手に拳銃を持っている。
「――そう、自己紹介が遅れましたね、僕の名前はソーマ。・・・ブルートヴァイン、『フルヒト』が一人、ソーマといいます」
背後から迫る男の叫び声をバックに、ソーマはにこりと微笑んだ。
「動くなソーマッ!」
ソーマの背後で一人の男が両手に握り締めた拳銃を構えて叫ぶ。その銃口はソーマへと向けられていた。
「お前、カイトか・・・?」
アキトは拳銃を構え、目の前のソーマを睨みつけている男を見て呟く。
「アキトさん、話は後です!」
拳銃を構えている男――カイトは、ソーマから目を離さずに叫ぶように言う。
アキトは再び、ソーマへと視線を向けた。カイトに背を向けている彼は、拳銃を突きつけられているにも関わらず、余裕の表情を浮かべていた。
「せっかく、テンカワ・アキトさんとの邂逅を楽しんでいたのに・・・。タイミングの悪い男だな・・・」
ソーマは眉をしかめて、少し不機嫌な表情を浮かべた。そこには、銃を突きつけられているという恐怖心はまったくない。
「悪くて結構。お前らのジャマをするのが僕の仕事なんでね」
カイトは口元を微かに歪めて言う。
「まあ、いい。テンカワ・アキトさんにも会えたことだし・・・」
ソーマは独り言のように呟く。
「逃げられると思っているのか!」
そのソーマの言葉に、カイトが声高に叫ぶ。
「君こそ、僕を捕らえられるとでも思っているのか?」
カイトの言葉にソーマが振り返って答えた。
「それに・・・、この状況で銃を撃ったりしたら、僕の身体を貫通してちょうど射線軸上にいるテンカワ・アキトさんに当るぞ」
「ぐっ!」
カイトはソーマを睨みつけながら苦い表情で歯軋りをした。
「弾丸は貫通するより、体内で止まるほうが人体へのダメージが大きいのは知っているだろう?」
ソーマは唇を歪めて笑うとさらに続ける。
「まあ、足を狙うという手段があるが、僕の能力を知っている君は銃口を下げるという愚かな行為はしないだろう?」
ソーマはそこまで言って、軽くため息をついた。そして再び、話し始める。
「安心しろ。僕がここに来たのはテンカワ・アキトさんに会えると思ったからだ。・・・彼はA級ジャンパーだから確保する、などということが目的ではない」
ソーマから放たれた言葉にアキトが反応する。
「俺の確保だと・・・?」
アキトの確認するような呟きに、ソーマは背を向けたまま首を左右に振った。
「だからそれは違います。僕がここに来た目的はたった一つ。僕があなたのファンだから、ですよ」
ソーマは背後にいるアキトに言うように、軽く顔を後ろに向けていた。言い終えた彼は、再び、前を見る。
「・・・興味がある、と言ってもいいかな」
ソーマの独り言のような囁きに、カイトは苛立たしげに眉を寄せる。
「だが、お前が日本にいるのはセレネちゃんの確保が目的だろう」
「ああ、否定はしない」
カイトの言葉にソーマは頷いた。
「といっても、それは昨日までの任務だったが。それより・・・、君もこれから忙しくなるぞ。ネルガルの会長にも情報は行ってる筈だし・・・」
ソーマはカイトに向けてそう言うと、再びアキトの方に振り返る。
「・・・ではテンカワ・アキトさん。あなたに会えて嬉しかったです。また会いましょう」
ソーマはそう言うと、前傾姿勢をとった。そして風を切るような音と同時に、彼の姿は、瞬間移動したかのように消え去った。
「ボソンジャンプ? ・・・いや違う」
アキトが独語する。その割には移動の際に出現するボース粒子の出現も無かった。
「神行法
カイトが銃をしまいながら言いつつ、アキトの隣へと歩み寄った。
アキトは顔をカイトの方へと向ける。
「カイト・・・。生きていた――んだな」
アキトの死んだと思っていた友人との邂逅に、かすれるような声を出した。
その声と言葉に、カイトはどこか苦笑じみたものを浮かべ頷いた。
「ええ。でも、それはお互い様じゃないですか?」
カイトはアキトへ向けてそう言い終えると、優しく微笑む。
「ああ、そう――だな」
アキトは今にも消されそうな淡い笑みを浮かべる。声もそれに伴うように力無いものだった。そして、彼はカイトから視線を外し、『御統』の墓石の方へと向き直った。
風が流れる音をバックミュージックとしながら、二人の間にしばしの時間が流れる。
アキトにとっては、死んだと思っていた友との再会。
それは、カイトにとっても同じことなのだろう。
そして、墓石を見つめていたアキトが、一瞬だけ目を瞑り、呟き声でためらいがちに口を開いた。
「・・・なあ、カイト」
「なんですか?」
カイトは斜め一歩下がった位置で、アキトの背を見ていた。
「俺がいなかった間・・・、何があったんだ?」
アキトはそう言って振り返った。
「――いろいろあったんです」
カイトは昔を懐かしむような、どこか達観したような顔をした。
「教えてくれないか?」
アキトはカイトの両目を見据える。
「分かりました。・・・でもここでは話せませんね、車まで戻りましょう。帰り道がてらに話しますよ」
カイトはそう言って、アキトに背を向けて歩き出した。
アキトもそれに続く。とそこで、何かに気づいたようなアキトは墓石へ振り返る。
「・・・また、な」
アキトはそう呟くと、再び歩き始めた。
◇◆◇◆◇
山間の中腹に作られた自然公園。時期が時期ならば人も集まるのだが、今の季節、多くの人の記憶からここの存在は幕がかけられその存在を忘れられていた(とはいえ、季節によってはアンダーラインが引かれるほどに重要な場所ともなる)。
ヨコスカシティでもはずれに位置するその場所は、今の所がらんとしている。およそ30台は収容できるだろう駐車場には、片手で数えられるほどの数しか入庫しておらず、その役割をほとんど果たしていなかった。
その駐車場に一台の車が入ってくる。ブルー色のスポーツカータイプのそれは、他の車を避け、石垣に面した端に駐車した。
その車のドライバーであるヨシノはキーを回してエンジンを切ると、そのままキーを抜かずにハンドルに両手を掛けた。そして、軽くため息をついた。
「まったく・・・、いくら安全だっていっても」
こんなところに呼び出すな、と心の中で文句を言うヨシノである。盗聴・監視、などの可能性は決してゼロにはならないですが、ここは例外です、というのは相手の談だ。
(逆に、怪しまれそうなものだけどね・・・)
艦長であるオキタに許可をもらい上陸したのは午前中のことだ。その時は上がっている最中だった太陽は、天頂を越え、少しではあるが徐々に下がり始めていた。
(ミズキの様子も、とりあえずは変わった様子はない・・・)
ヨシノは先ほど見舞った、同僚であり親友の女性の顔を思い浮かべた。
そして、それに引っ張られるように彼女の記憶ファイルから、一人の男が浮上してきた。
(テンカワ・アキト、彼は恐らくゾロアスターに乗艦する・・・)
ヨシノは確信している。セレネ・ヒュペリオンという『最後のA級マシンチャイルド
――護る、ということを自分の存在理由に位置付けて。
テンカワ・アキト、という存在は実に脆い、とヨシノは考えていた。彼は本来、闘争を好むような人物ではない。それは、『蜥蜴戦争』の記録でも推察できる。そして、本人を見てその考えは正しいと思えた。
”テンカワ・アキトは愛する妻『テンカワ・ユリカ』を救うために、力を得て、激しい戦いの末に妻を取り戻した。しかし、彼は妻の下へ帰らなかった。何故ならその手は血で染まっていたから――・・・その後、彼の行方を知る者はいない”というのが現在出版されている『The prince of darkness』という小説の大まかな内容である。
ほとんどの人が知っており、映画化もされ、ベストセラーにもなったノンフィクションノベルである。元々は、テンカワ・アキトの『ターミナルコロニー連続破壊のテロリスト』という罪を晴らす為に――というより正当化するために、ナデシコクルーが2207年に統合軍の一部と火星の後継者の癒着を明るみに出すために行った作戦、その名も『オペレーション・バクロ(別名暴露大作戦:命名はテンカワ・ユリカだという噂だ)』で明かされた内容を小説として出版したものだという。
そしてその作戦で、火星の後継者という集団は完全にその力を失い、芋づる式に、先の集団とのつながりを持っていたクリムゾン・グループは事実上の崩壊を迎えた。
その後、彼の名前、『テンカワ・アキト』は、その戦いの後、『悲劇のヒーロー』として世間を騒がせた、もちろん『同情』と『悲哀』という二つが主なものだったが(その他には、英雄願望を持つ若者達が『憧憬』というものを抱いた)・・・。
しかし、少数ではあるが例外もいる。
”テンカワ・アキトによるターミナルコロニーの襲撃”で死亡した人の遺族達は納得はしていない。
(そう、ミズキもその一人・・・)
反テンカワ・アキト派とも言われる集団は、未だその彼に強い憎しみを抱いているのだ。
(忘れるほうが無理よね・・・)
つまりはこういうことだ――『家族を殺した男が世間で”英雄”扱いされていたら、あなたは許すことができるか?』と。
2207年までは、反テンカワ・アキト派などはなかった。遺族は納得していたのだ、テンカワ・アキトが『悪』というカテゴリーに分類され、すでに死んでいる、ということで。
だが、その一派が現れたのは、テンカワ・アキトという『名前
彼らは許せないのだ、家族を殺しておきながら英雄扱いされている彼――テンカワ・アキトが。
――というよりも、その名声が。
何故、殺人者が英雄扱いされる!?
何故、失われた我々の家族の命が“しかたない。ターミナルコロニーにいたのが運が悪かった”ですまされる!?
何故、”どーせ火星の後継者関連だろ? 死んで当然!”で納得する!?
ナデシコクルーが行った行為は、“テンカワ・アキトのターミナルコロニー襲撃の正当化”と引き換えに、少数ではあるが、その遺族達に、彼に対する深い憎悪をもたらしたのだ。
もし、彼が世間で『英雄』扱いで騒がれていることを知ったら、どう思うだろう、とヨシノは考える。
彼は、ミズキに殴りかかられてもされるがままになっていた。
あれが彼の本質だ。もし、反テンカワ・アキト、という一派のことを知ったら――。
(あっけなく死を選ぶ、いや、選んだでしょうね・・・、セレネのことを知らなかったら)
テンカワ・アキトとテンカワ・ユリカの二つの遺伝子から作られたA級マシンチャイルド。それがセレネだ。
彼女は、今は亡きテンカワ・ユリカの忘れ形見。そして二人の遺伝子を持つ娘。いうなれば、テンカワ・アキトの娘でもある。
ホシノ・ルリ、ラピス・ラズリといった同じマシンチャイルドである彼女達の姿も、少なからず影響しているだろう。彼が家族として接してきた少女達だ。
テンカワ・アキトに残る彼女等の存在、思いが、楔となって、彼をこの世界につなぎ止めている。
(テンカワ・アキトは、これからも生きていくでしょう。セレネを護るために――)
しかし、それは自分が選んだことではない。あくまでも、与えられたもの。
彼の内面はいまだに闇色が大半を占めているだろう。簡単に死を選ばないとはいえ、それを願う思いが、まだどこかに存在するはずだ。
――生を望み、セレネの守護者
――死を望み、闇色の王子様
その二つが引っ張り合っている――正に張り詰めたロープのように。そして、その状態を内包しているのが今のテンカワ・アキトなのだ。
そしてそれは、実に――。
「切れやすい・・・」
ヨシノは呟く。その視線は、フロントガラス越しに澄み渡る青い空へと向いていた。
青い空。
白い雲。
照る太陽。
時間は流れ、過ぎていく。
彼がこの時代に流れてきたのは何の為なのだろう。
彼をこの時代に導いたのは誰の意志なのだろう。
それは、彼の願い?
それとも・・・。
「テンカワ・ユリカの願い?」
ふと、彼の妻の姿が脳裏を描く。記録映像でしか見たことがない。
そんな時、ヨシノの側のドアガラスがコンコン、と叩かれる。彼女は首を向ける。
そこにはラフな格好の――いかにも大学生といったファッションの青年が立っていた。人の良さそうな顔を、笑顔に変えて振りまいている。
ヨシノは、その笑顔を受け取る意志を一欠けらも見せずに、スイッチを押して目の前の男と自分を隔てるドアガラスを下げると、彼に向けて言い放つ。
「・・・待ち合わせの時刻よりも、早く来て待ってるのが礼儀じゃないの?」
◇◆◇◆◇
ハイウェイを走る車。その窓越しから流れる風景を助手席に座るアキトは眺めていた。遠くには高層ビル群が見える。いくら長い時間が経過してもこういうものは変わらない。といってもそれは、技術的な進歩に比べ、人間の内面的の進歩がないからである。
聞かされた数々の事実。それらの情報はアキトの思考に、ある種の方向性を与えていた。
(悲劇のヒーロー・・・、か)
『The prince of darkness』の主人公である『テンカワ・アキト』は、”自分
(結局は、俺も・・・、単なるピエロか)
アキトの脳裏に一人の老人の姿が思い浮かぶ。
作られた英雄。
祭り上げられた英雄。
その名をフクベ・ジンと言った。
アキトはかつて彼に問うた。”お前が火星にチューリップを落としたのか?”と。
アキトは彼に言った。”お前が、火星のみんなを殺したんだ”と。
殴りかかるアキトを彼――フクベ・ジンは抵抗しなかった。されるがままになっていたのだ。
(そうだ、抵抗などできるわけがない)
アキトは心の中で呟く。他人から英雄と呼ばれようとも、世界が英雄と認めようとも、己自身は自らが行った行為を罪と思っているのだ。そして罪は裁かれなくてはならない。ゆえにフクベ・ジンは探していたのだ、自分を裁く断罪人とその死に場所を。自分の背負った罪を無くす為に。それが、自分自身を楽にするために発生したエゴだとしてもである。
そして、それはアキトも同じであった。
(トーア・ミズキといったか・・・)
アキトの脳裏に一人に女性が浮かんで消えた。憎悪は新たな憎悪を呼ぶ、というが、それは正に真理だろう。永遠に続く負の連鎖。初めは、その連鎖を断ち切るチャンスは誰にでも与えられている。
(だが俺にはできなかった)
連鎖を断ち切るか、連鎖に加わるか、という二つの選択を、アキトは憤怒と憎悪という意志を持って後者を選んだ。そして、彼が得たものは何も無く、むしろ失ったモノのほうが大きかった。
その一つが、ユリカ、ルリ、ラピス、彼女らがいない今の世界。それは彼にとって生きていく意味が無いと言う事と同義であった。
『死ぬ』ということの何たる甘美な安らぎか、とアキトは思う。自分の中の『誰か』が望んでいるのだ、『死にたい』と。
ふと、そこでアキトの心にかつての自分の言葉が浮かぶ。
”あいつは生きるべきだった”
かつて、窮地のナデシコを地球へ送るために、火星に一人残ったフクベ・ジンに言いたかった言葉である。
生きているからこそできることがある。
生きていなければできないことがある。
生きているからこそ償えるのか。
生きていなければ償えないのか。
(俺は、どうすればいい・・・)
かつての自分の言葉と、それに連なる多くの思いがアキトの心の中を攪拌させる。
護ると決めた自分。
憎悪を受ける自分。
光と闇。
生と死。
アキトの中で対極に位置する思いがぶつかり合う。
迷いが生まれる。
動作が遅くなる。
感覚が鈍くなる。
その結果、アキトはカイトから掛けられた声になかなか気づかなかった。
「・・・ト・・ん、・・・キトさ・・、アキトさん?」
その声に引っ張り上げられたアキトはハッとなって横に振り返る。そこにはハンドルを握って前を見据えるカイトがいた。微かにハンドルを左右に振り、直進を保っていた。
「どうしたんです? ぼーっとしちゃって・・・」
そう言いながらカイトは笑う。
アキトはそれを一瞬だけ視界にいれると、すぐに前を向いた。フロントガラスを越しに見えるのは、前を走る一台の白い乗用車だった。
「その・・・、アキトさん」
カイトはためらいがちに言葉を放った。
「『悲劇のヒーロー』とされている事は気にいらないことだと思います」
「別に・・・、気にしてない」
カイトの申し訳なさそうな声に、アキトは無感情の声で返す。
「僕たちもここまで大きくなるとは思っていなかったんです。みんな、ユリカさんに『テンカワ』という名字を名乗らせてあげたかった、それだけだったんです」
「そんなことで、か・・・?」
「そんなことなんかじゃないですよ・・・」
カイトの言葉は穏やかなものだったが、その口調は厳しいものだった。
「そう――だな、・・・すまない」
アキトはすぐにその言葉に含まれる真意を読み取って、自分の吐いた言葉の軽率さを恥じて、素直に謝罪した。そうだ、そんなことではない、彼女の――ユリカの思いは。それは自分が一番よく知っているはずじゃなかったのか。
「いえ、いいんです」
カイトは穏やかに首を振った。そして、再び口を開く。
「ユリカさんは悩んでいました、何故テンカワと名乗れないのか、と。自分は妻なのに、と」
アキトとユリカは式さえ挙げていたものの、入籍は未だだったのだ。入籍を入れる前に、火星の後継者によって起こされたシャトル事故で二人とも攫われたためである。そしてナデシコクルーによって、『遺跡』から救い出され、ようやく退院するころのユリカに入ったのは一つの凶報であった。それは――。
「俺とルリちゃんが行方不明、という報せか?」
「そうです」
アキトの言葉に、カイトは頷く。
その頃のユリカはみんなには明るく振舞っていたものの、夜に一人になるとアキトとルリの写真を眺めては寂しさのあまり泣いていたという。アキトはその言葉に耳を塞ぎたくなった。しかし、それは受け止めねばならないことだった。
そして、ユーチャリスとナデシコBの全クルーが死亡扱いとなり、捜索活動が打ち切られても、ユリカは帰ってくる日を、いつかまた逢う日を信じて待ちつづけていたと言う。
そんなある日、ユリカは思った。何故自分は妻なのに『テンカワ・ユリカ』ではないのか、と。すぐに『テンカワ・ユリカ』と名乗ろうとしたのだが――。
「そう簡単には行きませんでした。火星の後継者の残党と、それに結託していた一部の統合軍が、明らかにされていなかった罪をアキトさんにかぶせたのです」
「俺に?」
「はい。A級ジャンパー拉致事件、ボソンジャンプ研究所襲撃及び研究員殺害。それらの事件の実行者及び主謀者としてです」
その時、世界はテンカワ・アキトを憎むべきテロリストとして扱っていた。特に、その被害者達の遺族の憎悪は凄まじく、ユリカが『テンカワ』と名乗れるような状況ではなかったのだ。
ミスマル・コウイチロウやアカツキ・ナガレ、などの世論への大きな影響力を持つ彼らが、”テンカワ・アキトの仕業となっているそれらの罪は、すべて火星の後継者が行った行為であり、彼はむしろ被害者である”、という反論をしたのだが、そのテンカワ・アキト本人がいないこと(当時は死亡扱いだった)、捏造された資料などによって、相手にされなかった。
「そして、2207年。再び、火星の後継者が動き出したんです」
「主謀者は?」
「フジワラ・アヤネ。彼女を中心に大勢の若い将校達が引き起こしたんです」
「聞いた事ないな・・・」
「ええ、ナグモさんも知らないようでしたから・・・。でも、その三度目の『火星の後継者』はかつてほどの力はありませんでした。クリムゾン・グループ、統合軍、彼らの協力があってどうにか組織を維持していたぐらいです」
「なるほど、血気ばかり盛んなガキの集まり、というわけか」
「そうです。でも結果として僕達にとっては好都合でした」
その頃、極東方面軍にナデシコCの強化型である『ナデシコCプラス』を旗艦とし、ミスマル(2207年当時の姓)・ユリカを指揮官とした通称『ナデシコ部隊』が結成された時であった。そのクルー達は、多少人数が足りていないものの、かつてのおなじみのメンバーである。
彼らは今回の火星の後継者の蜂起をチャンスだと考えた。ネルガルはクリムゾン・グループの崩壊させるチャンスだと。そしてユリカ達、ナデシコクルーはテンカワ・アキトの罪を晴らし、そしてユリカの個人的な願望として『テンカワ』の名字を名乗ることの二つである。
「世論がこちら――、つまりアキトさんへの同情心へと傾けば良かったんです」
「その為に本にしたのか、あの戦いを――」
――あの絶望と悲哀と鮮血と憎悪と復讐で彩られた日々を、とアキトはどうにか出掛かっていた言葉を押し込める。
カイトは小さくか細い声で、はい、と返事をした。
「でもそれが、ここまで大きくなるとは思いもよりませんでした」
「そうか・・・」
空ろな声で返事をしながら、アキトはやっとそこで思い到った。何故、『The prince of darkness』という小説になり、世間によく知られることとなったことで、あの戦いの日々が汚されたような思いがしたのか、ということを。
(俺は――、俺『達』は『何か』に成りたくて戦っていたわけではない)
アキトはただ妻を取り戻したいが為に戦っていたのだ。絶望と悲しみと苦しみを乗り越えてまで。
そして、かつての仇敵である北辰もそうだろう。彼は、彼なりの使命感と大義を持って、外道と呼ばれてまで火星の後継者の為にと、その力と命を奮っていたのだ。
認められたくて戦っていたわけではない。
英雄と呼ばれたくて戦っていたわけではない。
そこにあったのは単なる戦い。
二つの異なる思いがぶつかり合う、ただの戦いだった。
それを人は都合の良いように脚色し、そこに漂う純粋なる思いを汚したのだ。
(そうだよ、これじゃあ――)
北辰も浮かばれない、とアキトは思う。彼への憎悪と、今は亡き妻ユリカを思う慕情が、アキトを戦い抜かせてきた。そして人を殺すという重圧にも耐えられた。
それが今は、人は上辺だけの戦いに目を向け、自分を英雄扱いし、そこいた筈の多くの人の純粋なる思いを亡き物とする。
それは許されることなのか。
事実を捻じ曲げ、真実を捏造し、虚構に満ちた華麗なストーリーを披露する。
少なくとも、アキトは嫌だった。そのことにはっきりとした嫌悪感を感じていた事は確かだった。
「そして世間は”テンカワ・アキト”の代わりに、”火星の後継者とその協力者”を悪というカテゴリーにはめ込んだんです」
カイトは言った。
「・・・そうか」
アキトは短く返事をした。
捏造された真実に隠された己の罪。
虚構で華麗に色づけされた己の姿。
幸いなのは、自分の顔写真が世間で発表されていないことぐらいだろうか。
アキトは窓の外を見た。太陽が傾いているが、まだ空は青く、漂う雲は白い。
地球の姿は変わらずとも、時が進み、自分が置かれている状況は変わっていく。
かつてのテロリストは英雄となって帰還した。
テンカワ・アキト。
捏造された真実は新たな憎悪を生みだした。
トーア・ミズキ。
語られたそれらのことは、アキトの心の浮かばせることは無かった。
◇◆◇◆◇
「・・・止めた方がいいですって」
ヨシノは横の助手席に座る男を睨みつけた
だが男は表情を変えることなく、そのヨシノの視線を真っ向から受け止めて、頷いた。
「そうです。M.D.N.A.D.委員会のメンバーは軍上層部、大手企業などに入り込んでいるんです。まだ何の影響も無い為に相手にすらされていませんが、これ以上は――」
「危険すぎるというの?」
「その通りです。これ以上、あの方の娘のあなたを危険な目にあわせることはできません」
「心配してくれているのはありがたいけど・・・、ここまで来た以上中途半端は嫌ね」
ヨシノはそう言いながら、顔を前へと動かした。
「このまま続けると貴女の父親にさえ影響を及ぼすと分かっていてもですか?」
「戸籍上は何のつながりも無いのに?」
「そんなことが奴等にとってなんの隠れ蓑にならないことぐらい分かっているでしょう? それに、あなただって――」
「分かってる。父に迷惑は掛けたくないわ」
「では、調査は中止にしましょう」
「ええ、あなたの方は中止していいわ。・・・だから、私一人でやる」
「何を言ってるんです!? そんなの無理に決まっているでしょう!」
男は眉を寄せて怒るような顔をしながら、口調を荒立たせる。
「やってみなければ分からない」
「分かります! 訓練も受けていない、銃もろくに扱えない、そんなあなたができるわけ無いでしょう!」
「でも――」
ヨシノは焦燥の顔を露にして俯いた。
「何を焦っているんです? いつものあなたらしくない・・・」
「ミズキが、心配なのよ・・・」
ヨシノから発せられた声は、とてもか細いものだった。
「テンカワ・アキトと逢ったことで、ですか? そのことで彼女の能力が覚醒へと向かうかもしれないと・・・」
「よく知ってるわね・・・」
ヨシノは俯いた顔を上げて、男の方へと向けた。
「私の所属がどこか知ってるでしょう」
その言葉を聞いて、ヨシノはそうね、と頷く。
「・・・心配なのよ。いつ彼女が向こうへと戻されるのかと思うと・・・」
「12年近く破れなかったプロテクトが、テンカワ・アキトという存在によって解除されると・・・、そう思っているんですか?」
「そうよ。調査によれば、彼女に掛けられている三つのプロテクトは強い感情によって破壊される可能性があるらしいじゃない・・・」
「それはあくまで可能性ですよ。解除の方法を知っていた唯一の人物が死んでいる今となっては、覚醒はあり得ないんじゃないですか?」
「でも、その可能性はゼロじゃないわ。まさかということもありうる」
「そのまさかを防ぐために、あなたはトーア・ミズキと同じゾロアスターに配属を希望したんでしょう?」
「そうだけど・・・」
ヨシノは悲しげな表情で言いよどみ、自らの腿に視線を落とす。
「確かに、油断はできませんし、彼女――トーア・ミズキの動向には注意したほうが良いでしょう。でも、当のM.D.N.A.D.委員会にしたって、彼女をシュタルケンブルク士官学校に入学させてから、ほとんど接触はないじゃないですか」
男は、ヨシノの表情を見据えつつ、言った。
「でも、今はテンカワ・アキトというファクターがあるのよ?」
男の言葉に、ヨシノは顔を上げて振り向いた。
「厳しいことを言うようですが・・・、今のあなたにできることがありますか? できるのは静観、それしかないでしょう」
その言葉に、ヨシノは辛そうに顔をしかめて、口を噤んだ。確かに、今の彼女にできることは何も無い。
「悔しいのは分かります。黙って状況を静観することほど、辛い物はないですからね。しかし、今は自重するべきです」
男はそんなヨシノを見据えて、冷静な口調で言う。
「・・・そうね。少し・・・、冷静さを欠いていたかもしれないわ」
数秒、目を瞑って、ヨシノはそう言った。今のところ何も手が出せないのならば、次の機会にすぐに手が打てるように冷静になって、十分な準備を整えるべきだろう。
「すべてを諦めろといっているわけではありません。とりあえず、今は、今のところは、状況が変化するのを待つべきです」
「分かったわ。・・・あなたの言うとおりにする」
「ノエシマ少佐にもそう伝えてください。あなたからの言葉なら聞くでしょう」
「了解」
「良かった、そう言ってくれるなら、今日の本題を話せます」
男はほっと胸をなでおろし、微笑んだ。
「本題? さっきの調査を中止にするっていう話じゃないの?」
ヨシノは意外そうな顔をした。
「それは潜入していたエージェントの存在がバレたからですよ」
「そのエージェントは?」
「どうにか生きています。私の元・同僚ですからね。今は病院のベッドで寝ていますよ」
「そう」
ヨシノは安心したように呟く。
「殺す必要すらない、それが今の私たちの状況です。つまり、相手にすらなっていない」
「でも、いつかは――」
「そのおかげで、今まで情報を得ることができていました。相手に強く意識されるということが、良いこととは限りませんよ。特に、私の仕事上ね」
「油断してくれるほど、仕事もしやすいってわけね」
「その通りです」
男は口元を歪めて、ヨシノに笑って見せる。
「で、その情報ですが・・・。『アヴェスタ』って知っていますか?」
「アヴェスタ・・? 聞いたことはあるわ」
「それは話が早い。トーア・ミズキのことを調べていくと必ずといって良いほどその名に当ります」
「え? まさかアヴェスタって、あの?」
「そうです。現在のサード・ヒサゴプランのボソンジャンプ・ネットワークの基幹を作り上げたといわれるアヴェスタ・ビザリア博士のことですよ」
ヨシノの訝しげな表情に、男は頷いて言った。
「電脳世界の王
「顔、性別、年齢、出身地、すべて不明。彼のことは、オータ・シチオウ博士が唯一知っていたとされてますが、彼は――」
「――12年前の爆発事故で死んでいる、それにアヴェスタ博士もそこで死亡したというのが通説だったと思うけど・・・」
「そうなんです。でも、驚きました、あのアヴェスタ博士の名前が出てくるなんて・・・」
「アヴェスタ・・・、か。つまり、M.D.N.A.D.委員会と関係があるってことよね。・・・ってことはオータ・シチオウ博士も?」
ヨシノが眉間に皺を作って腕を組む。
男はヨシノを見ながら頷いた。
「そうですね。・・・となると、B.N.S.研はM.D.N.A.D.のものだった、ということになるんでしょうか?」
「あの噂・・・」
ヨシノが眉を寄せたまま、何かを思い出すかのようにゆっくりと呟く。
「そう言えば、12年前のB.N.S.研の爆発は事故ではなく、故意に引き起こされたものである、っていう情報が一時期流れなかった?」
ヨシノは隣の男に振り向く。
「ええ、ありました。・・・でも、すぐに情報自体が消え去りましたね・・・」
「そうね・・・。私も10歳だったし、良く覚えてはいないけれど・・・」
「故意と仮定すると、一体何処が・・・って、やはりブルートヴァインですか?」
「でしょうね。M.D.N.A.D.と敵対している組織といったら、そこしか思い浮かばないわ」
「でも、確証はないですね」
「・・・そうね」
男の呟きに、ヨシノは視線を外して、心ここにあらず、といった風に答える。
「ヨシノさん? 大丈夫ですか?」
一瞬、ぼーっとしていたヨシノに、男は声を掛けた。
ヨシノは、少し遅れて微笑む。
「――え、ええ、大丈夫。・・・少し、考え込んでいただけよ・・・」
「なら、いいんですが」
男は少し心配げに気遣うように、小さい声で言った。
「それにしても、アヴェスタといえば――」
「――はい。アヴェスタの情報は今も昔も、どこの時代を探しても無いでしょうね。あるのは、ただ存在していたことだけを象徴する物だけ」
ヨシノの言葉に男は頷いて、その後の言葉を補完した。
「ボソンジャンプ・ネットワークとそれを守護するパーフェクト・ガードシステム『アルページュ』ね」
「そうです。ボソンジャンプ・ネットワークへのハッキングを無力化する鉄壁のプログラムですよ。ソフト自体は13年前の物なのに、未だに不敗を誇っていますからね」
「電子の妖精なら、破れるかしら?」
「それはどうでしょう? やってみなければ分かりませんね」
男は軽く肩をすくめた。
「まあ、いいわ。ともかくアヴェスタ博士がミズキに深く関わっていると・・・。そういう事ね?」
「ええ、どのような類で彼女に関わっているのか・・・。そこまでは分かりませんが」
「なるほどね。軍のデータベースでアヴェスタのことを調べてみる」
「ええ、私の権限ではB級が精一杯ですから。・・・でも、気を付けて下さいよ。あなたのパス、本来は私と同じなんですから」
「ええ。分かってる。それと、その・・・、父さんに心配してくれてありがとう、と伝えておいて」
「自分で伝えるべきだと思いますが。・・・分かりました。伝えておきます」
ヨシノの照れくさそうな言葉に、男は頷いた。
「済まないわね」
「いいえ、良いですよ」
そう言って別れの笑顔を見せた男は、ドアを開けて車外へと降りた。ドアを閉める音が車内に響く。そして、ゆっくりと遠ざかっていく男の後ろ姿が、フロントガラス越しに見えた。彼は一度も振り返ることなく歩き去った。
男が見えなくなって、ヨシノは一度、ため息をついた。
「アヴェスタ、か」
誰もが知っている名前。だが、その風貌は誰も知らない、と言われている。
テンカワ・アキトとのように顔写真などが公にされていない、というわけではなくその存在がデータベースには含まれていないのだ。
ただ、アヴェスタという存在は、多大な功績を残し、この世界から消えた。
「ミズキとどういうつながりがあるの・・・?」
浮かぶ疑問。
二人の人物、アヴェスタとミズキ。
今のヨシノの心を満たす物は、まだ自分は何もわかっていない、ということ確信めいた思いだけだった。
◇◆◇◆◇
すでに太陽は夕日という俗称へと、その名称を変化させていた。それに呼応するように、空も紅く染まっている。木々が等間隔で並べられている道路脇の歩行者用の道には、家への帰路に着いている多くの人が交差していた。
「もうちょっとで着きますよ」
運転に従事する隣のカイトが言った。
それにアキトは短く返事をすると、視線を横の窓から前へと移した。多くのビルが窓ガラスに、夕日を反射させている。その合間を縫うように張り巡らされた道路を、今、この車は走っているのだ。
「17時43分ですか・・・。ちょうどいいですね」
カイトがタコメーターの横に付けられているデジタル時計を見て、独り言のように呟く。
「なんか、あるのか?」
アキトが顔をカイトに向けて尋ねた。
「え? 聞いてないんですか? 帰還パーティーですよ、アキトさんの」
カイトが前を見据えて、握り締めたハンドルを微かに動かしながら、意外そうな口調と顔で言った。
「聞いてないぞ、どういうことだ?」
アキトが眉を寄せて、睨みつけるようにカイトに聞く。微かな怒気を含んだ口調だった。
「アカツキさんから聞いていないんですか?」
カイトがそう言って、少し考え込んだ仕草をすると、すぐに納得がいったような表情へと変化した。
「ああ、アキトさん、今日無断で出掛けちゃいましたからね。連絡が届いていなかったんですね」
一人納得するカイトを横に、アキトは再び、顔を窓の外へとむけた。
「俺は、出たくない」
アキトが小さい声で呟く。
「ダメです。主役はアキトさんなんですから、主役がいなくちゃ話にならないでしょう? それに、みんな会いたがってますよ」
カイトがアキトの言葉を、すぐさま否定した。
「俺は会いたくない」
「それ、本気で言っているんですか?」
アキトの無感情な言葉に、カイトは信号が赤に変わり、車を止めたのを機にそちらへと顔を向けた。睨みつけるような視線だった。
「・・・本気だ」
「はぁ・・・。まったく」
ため息をつきながら、カイトは信号が青に変わったのを見て、車を発進させた。
「何故、会いたくないんです?」
やれやれ、といった疲れた表情のカイトは前を向いたまま尋ねる。
「・・・今さら、どういう顔で会えば良いのか――、分からないんだ」
アキトが視線を外へと向けたまま、かすれそうな小声で呟いた。
「俺はランダムジャンプで、二十年間いなくなってた。・・・それに、俺はそのジャンプに巻き込んだんだぞ、ルリちゃんを! ラピスを!」
アキトは語尾を荒くする。そこには、自分自身への怒りと、いなくなってしまった者への悲しみが込められていた。
「あれは事故ですよ。分かっているでしょう? ジャンプ準備中に外部からの衝撃で発生してしまったものです」
カイトはアキトを落ち着かせるためなのか、ゆっくりと穏やかな口調で言う。
「それでも、俺は――」
そんなカイトの言葉が功を奏したのか、アキトは大分落ち着いた口調となっていた。
「そうやって、あなたは悲しみを抱え込むんですね」
「・・・・・・」
「ルリちゃんはいなくなり、ラピスちゃんもいなくなってしまいました。それは悲しいことでしょう。でも、そうやってすべて一人で抱えてしまうと、その内、心が壊れてしまいますよ」
前を向いて、運転をしながらカイトは言った。
「あれは事故だった、で納得しろとはいいません。自分の心に渦巻く問題の解決方法は、自分にしか見つけられないからです。・・・でも、アキトさん。少しは、他の人を頼っても良いんじゃないですか?」
「そんな奴、どこにも――」
「僕は、アキトさんが困っているのを見たら、手を差し伸べたいと思いますし、助けを求めていたら助けたいと思っています。それは他のみんなも同じ筈です」
アキトの言葉を最後まで言わせずに、カイトは言う。
「それを人は、偽善とか、エゴだとかって呼ぶのかもしれません。でも・・・、そう言われても。僕は、近くの人が――大事な人が苦しんでいたら助けてあげたい、と思っているんです」
カイトはそこで笑顔になる。運転していたために、横からだったが、アキトはそれをはっきりと目にする事ができた。
「カイト・・・、ありがとう」
そんなカイトの言葉に、アキトは俯いて小さい声で礼を言った。多少なりとも、心に残るわだかまりが減ったような気がしたからだ。
「いいえ、どういたしまして」
カイトはそう言ってハンドルを右に切った。
それに伴い、左方向への小さな加速度が生じ、アキトの体が軽く外側に押し付けられた。そして、視線を前へと向けると、グレイ色のガラスで覆われて、それに沈みゆく夕日を映しているネルガル本社ビルがそびえ立っているのが見えた。
◇◆◇◆◇
アキトはカイトに連れられて、ネルガル本社ビル内を歩いていた。先ほどまでの通路で、何人かのネルガル社員とすれ違ったが、誰もアキトのことなどは気にも止めない。しかし、その方がアキトにとっては良かった。
床に張られたこげ茶色のカーペットには足音が染み込み、その音が見事に消されている。そして横の壁は白く、天井に設置された蛍光灯が煌々と照っている。それは、設置された四角い窓から覗く、夜の暗さを遮断していた。
「なあ、カイト・・・」
歩きながらアキトは前を向いたまま、横のカイトに尋ねる。
「何ですか?」
カイトは顔を軽く横に向けて、聞き返した。
「何て言えばいいんだ、みんなに・・・」
暗さすら感じさせうる沈んだ口調で、アキトは言った。
「一言で、いいと思いますよ」
「一言?」
「そう、一言」
「どんなことだ?」
「みんなに会えば、自然に出てきますよ」
笑いながらカイトは立ち止まった。
それを見て、アキトも立ち止まる。
「さあ、着きましたよ」
そう言うカイトの横には、金属の取っ手のついた観音開きのクリーム色の扉があった。
「さ、開けてください」
カイトはアキトを促して、扉の前へと立たせた。
アキトは取っ手に手を掛ける。その扉の中から微かな、だが、大勢の人達の、そして、聞き覚えのある懐かしい声が漏れ出てきた。
「もう、集まっているのか?」
「ええ」
アキトの問いに、笑顔のままのカイトは頷く。
視線をカイトから扉へと送り、目を瞑り、一呼吸置く。そして、取っ手に掛けた手に力を込めた。
(よし!)
心の掛け声と同時に、アキトは扉を開いた。
扉が開かれる音と同時に、一瞬、歓声が止まったが、すぐにそれは湧き起こり、溢れだした。
そこには大勢の懐かしい人達がいた。その視線が、入り口に立つアキトへと集まる。
「ああ! 来たよ、やっと!」
「遅いぞ! テンカワにカイト」
そんな数々の言葉を発しながら、アキトの前へと人々が集まった。皆、それぞれ笑顔を浮かべている。
「・・・・」
アキトは言葉も出せずに、ただ立ち尽くしていた。
「よく帰ったな、テンカワ」
「お帰り、アキト君」
「お帰りなさい、アキト君」
皆が口を揃えて、優しく微笑みながら、彼を出迎えた。
”お帰り”と言ってくれた。
それを聞いてアキトは――。
「・・・・・」
声も出せず、俯いた。
後ろから”お帰りなさい”というカイトの優しげな声が聞こえた。
再び、ゆっくりと顔を上げて”みんな”の方を見る。
その光景は何故か、次第に滲んでくる。
原因となっているのは、瞳に微かに浮かぶ涙だろうか。
今、この心に湧き上がる感情は、嬉しさと懐かしさ、というものなのだろう、と、アキトは思った。
そしてアキトの心に浮かぶ一つの言葉。
その言葉を言う時、彼は、確かに――。
「・・・た、ただいま」
――笑顔を浮かべていた。
◇◆◇◆◇
手にとる必要の無いもの。
見る必要の無いもの。
それらは、存在する価値が無いと同義。ゆえに、闇で包まれたこの空間には存在し得なかった。
ここで存在が許容されるのは、洗練された純粋なる意志と洗練された高尚たる思考のみ。
有限の意志を幾重にも繋ぎ合い、無限の連鎖を生み出す。
微少の思考が幾重にも絡み合い、巨大な秩序を織り成す。
それらはこの世界を形造るアルゴリズム。
ここは有限と無限、微少な複雑と巨大な単純によって形成された闇。
『彼の者』が作った空間だった。
その闇の中に佇む一人の男。僅かな光が、ローブらしきものを着た彼の形を、闇から浮かび上がらせていた。
そして彼の前には、三人の男と一人の女。計四人の人間が立っている。
ローブの男はサファイアブルーの瞳を、端に立つ男の顔へと向けた。
「すべては予定通りに進んでいます」
視線を受けた男は答えた。
それに続くように隣の男も口を開く。
「10日後にはゲイボルグの蜂起も始まり、再び戦いが起こります」
「過去からの介入者
唯一の女性が言った。
「だが、大した妨げにはならないだろう」
女性の言葉に答えるように、その隣に立つ男が言った。
「とはいえ、油断はできない」
一人の男が言った。
「イレギュラーはゾロアスターに送られる。どのみち戦いには巻き込まれるのだ。・・・それに彼ならば、役立つことはあることすれ、計画の妨げにはならないだろう」
「むしろ・・・、覚醒のきっかけになり得る、ということか」
「そうだ」
「11年前のプラント事件では失敗した覚醒。しかし、今度は成功させなければならない」
「そう、すでに計画は最終段階へと移行しつつある、後は彼女だけだ」
「あの男さえ、トーア・ソウイチさえいなければ計画はすでに実行されていた」
「嫉妬したのだ、彼は」
ここで初めてローブの男は呟いた。目を瞑り何かを思い出すように。
(この世界で最も神に近い存在に――)
The 5th chapter...end.
To be continued
<はみだしメカ設定>
正式名称:
YIMAseries−code04
呼称:
ミスラ(Mithra)
動力機関:
ABF社製第五世代型小型相転移エンジン『月下美人』×1
ABF社製“雷鳥699DbisW”×3
アビオニクス:
ボイス応答タイプ総合支援AIコンピュータ『昂練電子東晋社製 龍欄LUN098“Ariel”』×5(その存在は関係者を除いて極秘となっている)
兵装:
肩部ブレイカーキャノン×2
レーザーソード×3(格納されている予備を含む)
アームグレネードランチャー×2
スタン・バスターブレード(電撃放出器内蔵型実剣)×1
スーパーブレイカーライフル(実戦試作型)×1(追加オプション)
HRシールド(対機動兵器用八連ブレイカーランチャー内蔵型シールド)×1(追加オプション)
パーソナルカラー:
ダークパープル
DATA:
YIMAシリーズのなかでも最も後期に開発がスタートした機体。YIMA、サオシュヤントの進化系ともいえる機体で、『汎用機動兵器』という開発コンセプトを引き継いだものでもある。
設計上ではYIMAシリーズの中で最も優れた機体性能を持ち、宇宙/大気圏内においても他の機体を凌駕する性能を持つ。
新開発のスタビライザーと姿勢制御バーニアや、新型のアクティブスラスターユニット、大気圏内用ロケットユニット及び大気圏内用小型可変ウィング、などの新技術が多く盛り込まれており、高スペックを持った実験機ともいえる。
固定兵装は少ないものの、追加オプションとして開発された新兵器を装備する事によって、攻撃力は飛躍的に増大する。
そして、今までのYIMAシリーズに搭載されていた防御機構をすべて装備していることにより、攻・守ともに高いレベルでバランスがとれているが、YIMAシリーズで最もハイコストゆえに量産には向かない。
YIMAシリーズ中で、すべてにおいて最高の能力を持っているといっても過言ではない。しかし、専用の機体制御アビオニクスの開発が間に合わなかった為、従来のものと同じアリエルを使用している。そのために、機体の操作性がシビアなものとなっている為、パイロットとしてノエシマ・カズマ少佐が選ばれた。
開発時のコードネームは『サオシュヤントmk-U』。
メインパイロットはノエシマ・カズマ少佐。
代理人の感想
おひさしぶりー。
いやー、忘れた頃にやって来ても、嬉しいものは嬉しいわけでして。
これを機に再度調子に乗ってくれたら更に嬉しいですねぇ。
さて、なんか神に近いだのなんだのエヴァっぽくなってきましたが、
ミズキの中には何が隠されているんでしょうね。
つーか、ミズキのあの記憶障害はひょっとして封印とやらの一つが解けた、
あるいは解ける前兆と言うことなんでしょうか?
パーティの詳しい描写は次回に期待するとして(あれで終り? NO!NO!NO!)、
しかしやはり今回のキモはアキトくんの自らの虚像に対する感傷ですね。
ここで割り切れないのがやっぱりアキトくんだと思います。
んでは、次を期待してさらば。