3回目を語ろうか
――アオイ ジュン
「お待たせいたしました」
と言うプロスペクターさんの斜め後ろに立ちながら、僕はトビウメ内にある応接用の部屋に足を踏み入れた。軍艦なのに内張りは見事なまでに豪華に仕上がっているのは、旗艦だからなのだろうか?
その部屋の中央辺り。これもまた特注品だと思われるテーブルには、何故か大量のケーキが置いてある。
ああ、フタバ店のケーキか。
僕もユリカのために何回も買いに行ったもんな。
……それの結果はどうでも良いけどさ。
閑話休題。
テーブルを挟むようにユリカと、ユリカの父親であるミスマル提督が座っている。出されているケーキやらなんやらで雰囲気台無しだけど、なんだか真面目な話をしていたように思える。
あまり関係ないけど、僕から見て机を挟んで向こう側に座っているラピス君が、慣れない手つきでケーキを食べているのが目に映る。
僕はその時先に行ってていなかったけど、途中ですれ違ったアキトに頼まれて連れて来たそうだ。
「結論は出たかね?」
「はい」
ユリカに対しては猫撫で声のように威厳がまるでない声なんだけど、こと軍の仕事が入ると急に威厳のある声になる。僕にとっては目標であるミスマル提督の発言に、プロスペクターさんは一礼するように返事をする。
結論、出てない気がしないでもないんだけど。
「色々協議いたしまして」
「で?」
「ナデシコは、あくまで我が社の私有物であり、その行動に制限受ける必要なし……との事です」
メガネを怪しく光らせながらも、プロスペクターさんはミスマル提督にはっきりと言い放つ。
むしろ、プロスペクターさん?
僕の知識が正しければ、黒い液体やら紫色の粉末を使った時点で、それは協議したとは言えないんじゃないかなー……なんて思うのですが。
あまりにもハッキリとしたプロスペクターさんの言葉に、ミスマル提督はほぉっと唸ってから再び何かを言おうと口を開きかける。
しかし。
『提督、ミスマル提督! 海中のチューリップが活動を再開しました!』
「なんだと!?」
突如、焦ったような通信士の声が放送を通じてトビウメの船内に響き渡った。
その声に即座に椅子から立ち上がって反応するユリカとミスマル提督。ラピス君は何も動じないで、未だにケーキを食べている。
「あのチューリップがまだ生きていたとは」
そう呟きながらも早足でブリッジへと急ぐミスマル提督の後に続いて、僕も歩調を合わせて付いて行く。
流石にあの部屋とは違って、通路部分は地味に出来ている。通路部分まで真っ白に仕上がっているナデシコとは違う。
まあ、ナデシコは軍艦じゃないからね。
しかし、チューリップか。
木星トカゲの兵器をばら撒いてゆく機動母艦。戦艦を体当たりさせても撃破が困難である程強固であるディストーションフィールド。
僕にはその程度の知識しかないけど、それでもトビウメを含めた3隻の戦艦じゃあ落とすことは出来ないというのが分かる。
でも、ナデシコなら落とせる。
実証はないけど、あれ程の威力があればチューリップすら撃破は可能だ。
だからこそ、ナデシコは地球にいるべきなんだ。
ネルガルの人には悪いけど、ナデシコを火星に行かせる訳にはいかない。
だから……
しゅっと、エア式のドアが開いてからブリッジへとミスマル提督が足を踏み入れた。僕も他の人と一緒に後から入る。
チューリップはまだ浮上していないけど、サブモニターに映っているレーダーにはしっかりと反応している。よく見てみると、チューリップは徐々に浮上しているのが分かる。
位置は、ナデシコに近い。
メインモニターに映っているナデシコは、マスターキーを抜かれて稼動できない無防備な状態で海面に浮いている。
今攻撃を加えられたら、かなり危険だ。
「クロッカス、パンジー、共に浮上完了。ただ今より攻撃態勢に移行します!」
「うむ。同時にナデシコの発進準備」
通信士の人からの報告を聞いてから、ミスマル提督は仰々しく頷いてから命令を下す。プロスさんの言葉を、あまり気にしていないようだ。
ミスマル提督の様子を見てから、僕は再びメインモニターの方へと目を戻した。
ナデシコから青い機体が発進するのが、丁度良く見えた。
「ナデシコから機動兵器の発進を確認!」
「かまわん」
あのエステバリス……アキトのだろうか。今ナデシコにいるパイロットはヤマダとテンカワ兄妹しかいないし、ヤマダは骨折が治ってない。あの時の戦闘に乗ったエステバリスの色がパーソナルカラーって訳でもないけど、頭の色はピンクであるところから見てアキトだと思われる。
武器も何も持っていない――ライフルハンガーが動かないから当たり前なんだろうけど――エステバリスは、真っ直ぐにこちらへと向かってくる。
何か用事だろうか?
それとも、何らかの方法でチューリップに気がついたのか?
「さぁユリカ! キーを渡しなさ……あれぇ!?」
と、ユリカへと話しかけたミスマル提督が、いきなり素っ頓狂な声を上げた。その声に僕は思わずミスマル提督を見上げる。
「ユ……ユリカはどこだ!?」
「は?」
その言葉に僕は間の抜けた声を上げてしまった。
『ここですわ、お父様』
「な、ユリカぁ」
ぴっと、メインモニターにユリカが映る。今どこにいるかは全く分からないけど……何かの操縦席かな?
そう言えば、プロスさんもいない。
ラピス君もいない。
むしろ、僕だけ?
「チューリップ浮上!」
メインモニターの事など気にしていないかの如く仕事を続けている通信士の人が、とても素晴らしく思えた。
――テンカワ アキト
おい。
おいおい。
おいおいおいおい。
いつかは『あの時』の記憶と食い違いが出るとは思っていたけど、いきなり盛大に食い違うとは思ってなかったぞ。
クロッカスと……えーっと、パンジーだったか。あの護衛艦がチューリップに吸い込まれていない。確かにクロッカスがなければフクベ提督を危険な目に遭わせる事はないけど、火星から帰るときに誰が時間稼ぎするんだよ。
いや、クロッカスやパンジーにも人が乗ってるんだよな。
それを思えば、吸い込まれなくて良かったのかもしれない。あの護衛艦に乗っている人達にも家族はいるのだろうから。
だが。
それは納得するが。
代わりだと言わんばかりに、何でばらばらと無人兵器を吐き出すんだっての、あのチューリップは!!
心の中で悪態をつきながら、近くに迫ってきたジョロを蹴り飛ばし、その先にいた無人兵器達へと叩きつける。団子になった所へワイヤードフィストで止めを刺しておく。
ワイヤーが巻き戻る前に、スラスターを一杯にしてエステの腰を強引に捻りながらイミディエットナイフを抜き取る。これが唯一の武器だと思うと、かなり情けないものがある。しかし、贅沢は言えないか。
機体を一気に上昇させて、後ろから迫っていたミサイルの群れをやり過ごす。
おお、無人兵器が落ちてゆく。
味方を破壊してもなんとも思わない無人兵器は、それでも構わずに機関銃やらミサイルやらを乱射してくる。流石に回避し続けるのは辛いが……ディストーションフィールドを張ると余計なエネルギー使うしな。
錐揉み回転をするように回避運動に専念しながら、俺は無人兵器の群れへと突っ込む。
今回はジョロがメインだな。バッタの方が少ない。
相手の比を見て、俺はトビウメの方へと再び進路を固定する。
こんな状況になれば、俺が選ぶ行動は2つ。
ユリカをさっさと連れ戻して、ナデシコを起動させる。
チューリップを牽制、及び撃破。
この2つだ。
だが、無理だとは言わないが、今のエステの装備ではチューリップを落とす事は困難だろうし、なにより手間がかかる。平たく言って面倒なのだ、チューリップの撃破は。
だから、ユリカを早急に連れ戻す方が先決だ。
問題があるとすれば、ナデシコの防衛だろうが……張り切ってるガイと、遅れてくるであろうナツキに任せよう。
……っと、言っている傍からナツキだ。
ナデシコから発進するナツキのエステがレーダーに表示された。この際先に来るはずであったガイはどうしたかなどと言う考えは切り捨てる事にした。
ランダムに動かしているエステを制御しながらも、ちらりとモニターへを目をやった。
そこには、白亜の戦艦から飛び出してくる純白の機体が見て取れた。
って、なんで陸戦フレームなんだよ!?
『むっ』
と、コミュニケ越しにナツキの短くとも困ったような声が聞こえた。
体験者は語ろう。陸戦フレームは一定以上の高さまでしかホバーリングできないんだ。
だから、海上戦闘で陸戦フレームを使うと。
どっぼぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっん!!
落ちるんだよ、海の中へ。
ああ……昔の俺を見ているみたいだ。
『飛ばんのだな』
「あたり 『だから、陸戦フレームじゃ飛べないっての!!』 ……だそうだ」
静かに驚いているナツキの言葉に、セイヤさんがコミュニケを使って割り込むように無理矢理答える。
そう言えば、ナツキはエステのことが全く分からないんだよな。フレーム換装システムの事も、まぁ知らなくて当然だよな。
『それは困ったな』
「だったら少しは困った顔をしろ……っての!!」
ギリギリのところでミサイルを避けながら、俺はウィンドウ越しに相変わらずの無表情で淡々と語るナツキへとツッコミを入れた。とりあえず、今回のナツキは戦力外だな。飛べないし、武器ないし。
武器ないの、俺も一緒だけどさ。
しかし、どうするか。
このままナデシコを離れてトビウメに向かう間、ガイが一人で防衛戦をするのだろうか。むしろガイはまだ出撃しないのか。
えいちくしょう。
ミサイルは全て回避できるが、無人兵器の群れの中央にいたら流石に機関銃までは全弾回避はできない。それを防ぐためにディストーションフィールドを張ってブースター系統をフルに使い続けていたら、あっと言う間にエネルギー切れだっての。こうしている間にも面白いくらいにエネルギーゲージが減少している。
このままの状態を維持してたら40秒も持たないな。
この状態じゃあ、何もできないまま海に転落決定だ。冗談じゃない。
ときたまモニターに白いエステが海面から上昇し、すぐに墜落しているのが見えたが、この際気にしないで置こう。ナツキも何やら唸っている様子だが、これも気にしない事にする。
前の俺もあんな事をしていたのかと思うと恥ずかしくて堪らない。
やはり、今のナツキには無茶をさせる訳にはいかない。
ここは一か八かでトビウメに急ぐか。
ナデシコの方は……完璧な賭けだな。
ディストーションフィールドを張らなければ、ブースター系統をフルに使ったとしても4分弱は持つはずだ。だが、4分弱は辛すぎる。迷ってる時間はなさそうだ。
そうと決まれば、この群れを強行突破するしかないだろう。
多少の被弾はしょうがあるまい。すまん整備班の皆、前の戦闘でボコボコにされたナツキのエステの修理もあるのに更に仕事を追加させてしまいそうだ。整備班のご飯、大盛りにしておくから。
では、一気に行く
どんっ!!
ガンッ! ガンッ!
か、って、うわおっ!
突如として何処からともなく飛んできたミサイルとライフル弾に、思わず驚いてしまう。
その攻撃は俺を狙って撃たれたものではなく、ジョロやバッタを狙って撃たれたものだった。ミサイルやライフル弾に命中してバラバラと砕けていく無人兵器を確認してから、俺は発射場所の方向を振り向く。
「はーっはっはっはっは!! これぞ必殺ぅ、ゲキガン・ミサーィィルっ!!」
向くまでもなかったな。
向いた先には、ナデシコのブレードで器用に立ちながら、やけにノリノリな茶色のボディのごついエステ。いつの間にか重機動フレームに乗っているガイだな、間違いようがなく。
突然の遠距離射撃要員の登場に、バッタ達も一斉にガイの方へとカメラを向けた。
チャンスだよな、これ。
「さぁアキト! ナデシコの守りは俺に任せて、さっさと艦長を連れ戻して来ぉぉい!!」
「言われんでも行くってば」
答えるが早いか、言葉と同時にミサイルとキャノン砲を乱射し始めたガイにナデシコの守りを預けて、俺は一気に無人兵器の群れを突破した。
――プロスペクター
「それからお父様、もう一つお話しがあるんです」
『……』
先程までにやけていた顔は何処へやら、私の隣に座っていらっしゃる艦長は急に顔を引き締めるとウィンドウに向かって話しかけました。そのウィンドウの先には、あまりの驚きようにそのまま憤死してしまわれそうなミスマル提督。
原因は、考えるまでもなく先程の会話ですね。
中身がどうとはプライバシー上言えませんが、まあ、あれですね。嫁に行く娘を持った父親の悲しい性……というやつでしょうか。
契約上ナデシコとしても問題はあるのですが……アキトさんの場合だと、あの契約事項は削除されてますからなぁ。これは困りましたな。
「お父様、お父様? 聞いていらっしゃいますか?」
聞いてませんな。
話しかけられているミスマル提督は、すでに後ろへ倒れそうな感じですし。
と、口にしてツッコム事なく、私は握っていた操縦桿をゆっくりと引き上げます。
そう、操縦桿です。
多少型は古いですが、ネルガル製のヘリコプターと言うアンティーク品の操縦席に座っているのです、私と艦長は。
契約通りにネルガルはネルガルの思惑でナデシコを運用すると決めたのですから、いつまでも軍艦に駐留する気はないのですよ。そうなればトンズラするに決まっているでしょう、はい。
「そちらにラピスという子を連れて行きましたのは覚えてますか?」
『……あ、ああ』
「私が帰ってくるまで、その子の面倒をお願いしたいんですの」
ようやく復活しかけたミスマル提督に、艦長はわざとらしくシナを作りながら顔の前で両手を合わせて拝み倒します。
それは良いのですが。
いやぁ、大量ですなぁ、木星トカゲが。
あれだけの物量戦法、地球側が行うとしたら如何程のお金が必要なのか気になるところですな、全く。
そうじゃありませんな。
今の問題は、私達はナデシコに辿り着けるかどうかなのですよ、このヘリ一機だけで。私はしがない会計士でして、プロ級のアクロバティックな操縦はできません。むしろヘリでアクロバティックな動きは無理でしょう。
どうしましょうねぇ……。
と、向こうから凄まじい回避率でバッタやジョロの攻撃を捌きながら、こちらに飛んでくるエステバリス。
アキトさんかナツキさんですな。
いやはや、素晴らしいタイミングです。
『おいユリカッ! 迎えに来たぞっ!!』
――テンカワ ナツキ
どうしたものか。
出力機関を細かく制御しながら海中で漂っているエステバリスの操縦席にて、我は天を仰いだ。微小機械を使った制御のため操縦装置から手を離せないが、できるのならば頭を押さえたかった。
どうやら、“陸戦ふれえむ”と呼ばれる機体では空を飛べないようであった。その代わり、兄者が乗っていた青い機体である“空戦ふれえむ”とやらは空を飛べるようだ。ダイゴウジが操縦している茶色の“重機動ふれえむ”とやらは見るからに重装甲・高火力である。
機体の色は違えど、兄者の“空戦ふれえむ”と呼ばれるエステバリスの頭は、先の戦闘で使用していたエステバリスと同じ頭部である。
ふむ。もしかすると“ふれえむ”とやらは追加装備や交換装備の事であろうか。
それはどうでも良い。今重要なのは、我はこれからどうするかだ。
ゆらゆらと波を打ちながら見える海上では、ダイゴウジが重火器を乱射しておる。兄者の姿は見えないが、どうやら艦長を連れ戻しに行ったのだろう。
しかし、見るからに苦戦しているようだ。
兄者も燃料を気にしているようであったし、ダイゴウジも多勢に無勢で無人兵器に押され気味である。
――夜天光さえあれば――
一瞬だが、頭の中にそのような腑抜けた考えが過ぎる。その考えを振り払うように我は頭を軽く振る。
戯けた事を。無い物強請りをしても無意味であろう。
今、周囲にある全ての物を使え。
今、己にできる事を確実にせよ。
過去に引き戻されたから、我は暗殺術など忘却の彼方に追いやりはしたものの、この教えまで捨てた覚えはない。
考えるのだ。今、我は何をすれば良い……否、我は何ができる。
率いて言えば、このエステバリスは何ができる。
考えると同時に、我は兄者にさらっと説明されたエステバリスの装置を操作し始める。
武装だ。
まずはこの機体の武装を調べねば。
ぴっ
我が考えると同時に、目の前に様々な投影画像が浮かび上がる。
忘れておった。このエステバリスは微小機械を介した思考制御であったな。
――この機体の武装を表示せよ。
例にそう考えてみる。
ぴっ
予想通り、甲高い電子音をたてながら一つの投影画像が表示され、先程まで浮かび上がっていた様々な投影画像が消滅した。
その投影画像には十数列の文字が書かれていた。
「吸着機雷、閃光弾、散布爆雷、わいあと……わいやーど、ふぃすと?」
何だそれは?
わいやーどふぃすと。とりあえず実行だな。何々、腕に直結した武装か。
ふむと唸りながら、エステバリスの正拳突きの状態を取らせる。腕に直結した何かなのだから、この体勢ならば予想外の動きが入っても問題なかろう。
では、実行。
ぼしゅっ!!
それと同時に、エステバリスの右腕が肘から先が外れ、海水をかき分けながら勢い良く飛んでゆく。突き出していた腕は左なのだがな。
……ああ、思い出した。
我が最後に夜天光にて黒百合と対峙した際、兄者が不意打ちとして使用していた物だな。
『おいおいおいっ!! 何してんだよオメェ!!』
「む」
『海の中で接続部分を露出させんじゃねぇっ! 錆びるじゃねえか!!』
突如として通信を開いたウリバタケが怒鳴り込んで来おった。
そうであった。金属を海水に浸ければ糸も簡単に錆びるな。
しかし、武装が分からぬのだから我とて予想外であったのだ。
否待て、どうせならばこの者に聞いた方が早くはないか?
特に、“わいやーどふぃすと”の下にある“いみでぃえっとないふ”とやらの兵器。
「説教は後で聞こう。時に“いみでぃえっとないふ”とやらは如何なる兵器なのだ?」
『あ、イミディエットナイフ? そりゃお前、特殊なナイフだよ』
「な……ないふ?」
『そいつならトカゲ野郎の装甲だって、すっぱすっぱと切断できるぜ』
すっぱすっぱ。
切断。
つまり斬る物なのだな、“ないふ”とやらは。
小太刀か?
ふむ、とりあえず左腕を繋がっている紐を使い巻き戻してから取り出してみれば分かるな。どうやら脚部、太股部分に直結している兵器であるな。
左腕は……まだ巻き戻っておらんな。
とりあえず右から取り出してみるか。
実行。
ばっ がしゅ
生身の人間で例えると奇妙奇怪な事この上ないのだが、突如として太股が割れ、その裂け口から“いみでぃえっとないふ”が飛び出してきた。取りこぼす事なく我は“いみでぃえっとないふ”を右手で受け止め、それを握る。
握ると同時に、“いみでぃえっとないふ”から刃が飛び出す。
予想通りの小太刀であるな。これがナイフか。
『あ゛あ゛あ゛あ゛っ! 火薬がっ!! アクチュエーターがっ!!』
丁度巻き戻って来た左腕を連結させていると、未だに通信を開いていたウリバタケが再び叫び声をあげた。
ええい、喧しい。
火薬がどうした?
「どうした、そのように慌て……くっ」
ナイフとやらを握り締め、我は嘆息混じりにウリバタケへと問おうとしたが、即座にそれを切り上げた。
反射的に推進装置を全開にし、海中にて横跳びで避けるようにエステバリスを動かす。水の中であると抵抗が強く、機体の動きが鈍い事この上ない。
暫し遅れ、我が元いた位置を何かが高速で通り過ぎた。
触手、だな。
明らかに触手。
通過した何かは、次元跳躍門の自衛手段として装備されている触手だ。
見た目は悪趣味な事この上ないのだが、それなりに破壊力があり厄介な代物だ。威力を考えれば、エステバリスの時空歪曲場すらも貫通できるのではなかろうか。
ふむ。もしかしなくとも、我がいる場所は察知されておるのだろうな。
続いて海上を目指し浮上する。
やはり足元近くを触手が通過した。
おお、狙われておるな。
などと感心している場合ではない。
三度目に襲い掛かる触手を上体を捻るようにして紙一重でかわし、逆手に握りなおしたナイフをエステバリスに掠りもせずに通り過ぎる触手へと突き刺す。
ドッ!
弾かれると思いきや、意外にもナイフは触手へと突き刺さる。
思いの他切れ味が良い……ぬぅ!!
感心す間もなく、高速で移動しておる触手へと突き立てしナイフに引き攣られる状態で、エステバリスが触手の動きに引っ張られる。客観的に申せば、我が触手へと取り付いたと言うのが正しいのだが。
しかし、水の中であるというのに凄まじき速度であるな。水の圧力でエステバリスの腕がもげてしまいそうだ。
水の流れに押されながらも、左太股からナイフを引き抜き空いている左手で逆手に握る。それから触手を抱き締めるように腕を広げ、更にナイフを突き立てる。
突き立てたナイフを両手でしかと握らせ、どうにか姿勢を安定させる事に成功させた。
しかし、このままという訳にもいくまいて。
まずはこの触手をどうにかせねば。
触手を。
……触手?
むしろ触手をどうにかするよりも、次元跳躍門をどうにかせねば無意味ではないか?
いや、次元跳躍門よりも無人兵器か。
現に、次元跳躍門より吐き出される無人兵器の量に、ダイゴウジは苦戦しているではないか。なによりも、兄者が燃料を気にしておるのは無人兵器の攻撃を防ぐためであろう。
しかし、この機体では無人兵器を相手にするのは難しい。
ごぅごぅと音を響かせ、目標である我を見失い海中を縦横無尽に駆け巡る触手に取り付きながら、我は操縦席に深く腰を押し付けじっくりと考え込んだ。
無人兵器をどうにかせねばならぬ。
だが、相手をするのは無理がある。
ならば如何する。
無人兵器は今なお次元跳躍門から吐き出されておる。
次元跳躍門。
そして、その次元跳躍門から伸びる触手。
その触手に、我は張り付いているのだな。
……うむ。ナデシコはいつ起動するか分からぬ今、多少なりとも無茶をするに越した事はない。
あの次元跳躍門を、黙らせる事にしよう。
――ホシノ ルリ
で、こんどはブリッジからです。
流石に今更ブリッジって何とか聞く人はいないでしょう。
ただ今のブリッジは未だにマスターキーが引っこ抜かれてる状態ですから、予備電源だけで稼動しています。照明装置もストップしているので、ブリッジに直接差し込んでいる光だけで薄暗い事この上ありません。
更に最悪なのが、相転移エンジンが稼動していない為にディストーションフィールドを張れないところでしょうか。
ブリッジのすぐ上、艦橋上部分を支えにしてヤマダさんがバッタ達相手に銃撃戦を繰り広げています。もっとも、バッタ達が撃ってくる前に撃ち落してますから一方的な展開にも思えます。
腕が一流と言うのも嘘ではないようです。
『おらっおらっおらっおらぁっ! ちっ、弾切れかよ。カートリッヂ・チェェェェェンジ!! ファイヤァァァァァっ!!』
とても五月蝿いですが。
ですか、ヤマダさんがいなければ今頃ナデシコはボコボコにされて撃沈されている事でしょう。
トビウメ他護衛艦二隻にもバッタ達は攻撃しているので、戦力はかなり分断されていますが、やはりヤマダさんの存在は大きいですね。
左で非常用通信システムを手動で立ち上げているメグミさん。右で微速移動でもできないかと必死にエネルギー配分を考えているミナトさん。ここからじゃ見えませんけど、上でFCSを無理矢理立ち上げているゴートさん。そして護りの要であるヤマダさん。
フクベ提督どこですかって?
艦長席に生えていたキノコを卸売業者に持って行っている最中でしょう。
ブリッジにいる皆さんは、マスターキーがない状態でも結構頑張ってます。ナツキさんかテンカワさんの言葉が効いたんでしょうか。
ですがそんな中、私はコンソールに肘をつきながらサブウィンドウに映し出されている外の風景をぼけっと見ているだけです。かなり暇です。
だって、オモイカネが寝ている限り、やる作業が全くありませんし。
なんだか取り残されてる感じです。
……あ、向こうからテンカワさんのエステバリスが来ます。マニピュレーターに艦長が乗っていると思われるヘリを抱えています。
機動力に物を言わせてバッタ達の攻撃をひょいひょい避けてるのは良いのですが、ヘリに乗っている艦長は大丈夫でしょうかね?
艦長の事を考えているのかいないのか、それでも全速力でテンカワさんがナデシコに向かって来ます。
『整備班の皆ぁー! 着艦するから離れろぉぉー!』
ヤマダさん然りテンカワさん然り、なんで大声で叫びたがるのでしょうかね?
通信をオープンにしてカタパルト上でマニュアル操作をしていた整備班の人達に、テンカワさんが大声で呼びかけます。
その通信が終わるのが先か、テンカワさんのエステバリスが不時着でもするかの勢いでカタパルトから滑り込んで逆走していきます。どうやらエネルギーがギリギリで底を尽きたようですね。
コミュニケ越しに金属が擦り合わさる音が響きます。カタパルト内を映しているウィンドウには死角になってその様子は見えませんが、近くにいる整備班の人達は慌てて逃げている事でしょう。
それこそ、アリの子をこれでもかと散らすように。
……ふっ。
いえ、それはともかく。
『――っく〜、エネルギー切れかよ。 おーい、そこの人ー!』
ようやく滑り終わったエステバリスの中で、テンカワさんは頭を振ってから近くにいると思われる整備班の人に話しかけます。それと同時にコックピットハッチを開けているもようです。
一方、その話しかけられた整備班の人は……かなり若いですね。
『ぼ、僕ですか!?』
『うん、そう。そのヘリにユリ……じゃない、艦長とプロスさんが乗ってるから、ブリッジまで連れてってくれ』
『は、はぁ……』
『後バッテリーを一つ』
『あ、は、はい!』
戸惑っているその人にぽんぽんと頼み事をしてから、テンカワさんはエステバリスのアサルトピットから飛び降りて綺麗に着地します。
これがハンガーインしているエステバリスから飛び降りるのなら格好良いんですが、うつ伏せに近い状態のエステバリスではいまいち様になってません。
着地してから、テンカワさんと呼び止められた整備班の人はエステバリスに抱き抱えられているヘリのドアを開いて
『すごい状態だな』
『ミキサーの中身ですね』
う、わー。是非覗いてみたいです。
と、丁度その時、チューリップの方に変化が見られました。
変化といっても、戦艦クラスの兵器を吐き出したとか、バッタ達を吐き出す量が増えたとか、そんなネガティブな事じゃありません。
どちらかと言えば、ポジティブでしょうか。
チューリップの真下にエステバリスを発見するのは。
ズームできるでしょうか? ――あ、できますね。
サブウィンドウに映し出されたチューリップ下部。そこに白いエステバリスがいます。ホワイトカラーはナツキさんが乗っていたエステバリスですね。
現在ナツキさんはブンブンと振り回されているチューリップの触手にしがみ付いている状態です。しがみ付いている状態なのですが、両手に握ったナイフで機体を固定させながら、触手をロッククライミングの要領でじわじわとチューリップ本体へと辿って行っています。
根気がありますね。感心します。
ですが、軽量級のエステバリスで何をする気なんでしょう?
――
ガスンと音を立てながら、白のエステバリスがイミディエットナイフで自分が取り付いている触手を突き刺す。その反対側の手に持ったナイフを引き抜き、先に刺した箇所よりも上へと刺す。
それを繰り返しながら、白のエステバリスは地道にチューリップに向かってよじ登って行く。
そのエステバリスを操縦しているナツキは、機嫌が良いのか悪いのか判断のつかない微妙な笑みを浮かべていた。
「よしっ、テンカワアキト、出ますっ」
ナデシコのカタパルトから、アキトのエステバリスが発進するのが見えた。手にはウリバタケ達が手動でライフルハンガーから取り出してきたラピッドライフルを持っている。
外に飛び出してから即座に無人兵器へと銃口を向け、アキトは迷わずに引き金を引いた。
連続して炸裂する火薬の音。
はじき出されたライフル弾がバッタやジョロにめり込み、そして爆発四散する。撃ち漏らしを許さない、完全無比の命中率だ。
『おお、アキトっ。ようやく来たか!』
「来たけど……お前、足大丈夫か?」
艦橋上に陣取りミサイルやらキャノン砲を乱射しているジロウ
ガイが、アキトの登場に安心したかのような声を上げた。
実際、気合や根性で補ってはいたものの、アキトの心配通り骨折している足のせいで集中力が根こそぎ削られている状態で迎撃していたのだ。極端に言って集中力をIFSで介して操縦しているエステバリスライダーには、集中し難いというのは致命的である。
しかし、そこでアキトにバトンタッチして休めばいいものを、骨折している程度では弱音を吐こうとしないガイは
『ふっ、ヒーローたる者怪我程度で挫けやしないのさ』
と言い返して、残弾の尽きたキャノン砲の弾倉を入れ替えて再び交戦モードに入っている。重機動戦フレームの後ろには、使い終わった弾倉が大量に転がっている。
強情な奴だとアキトは苦笑いをしてから、ナデシコのブレードの上に着地してライフルを構える。そして一息にトリガーを絞る。
弾倉を大量に持ってきているガイとは違い予備弾倉を持っていないアキトは、極力無駄弾を使わないように気をつけながら次々と無人兵器を沈めていく。
ガイも一流に分類されるパイロットなのだが、そのガイを上回る撃墜スピード。
かなり押され気味であったナデシコの防衛が、アキトの参加にて一気に押し返してきた。
そんな無人兵器の爆発パレードとは蚊帳の外、ナツキは黙々とチューリップに上り詰めていく。
『てな訳でお待たせしましたぁ』
「お、ようやくか」
アキトがナデシコ防衛に回ってから二分弱、ユリカ復活。
とは言ったものの、足元が未だにふらついていて頼りない。そんなユリカに肩を貸して立たせているのは、整備班に所属している中では最年少である青年だ。
名を、ヤツギ シュウ。
……まあ、彼の名前はどうでも良いのだが。
ブレードの上で固定砲台の代わりをしていたアキトがライフルの残弾量を確認すると、残りが少ない事がリアルに分かる。ガイの方もガイの方で持ってきた予備弾倉が切れ掛かっているようである。
それでも無人兵器は容赦なく群がってくる。それはもう、うじゃうじゃと。
『どうでも良いから、早く主砲を回しやがれー!』
かなり限界が近づいているガイがコミュニケを通して艦長に叫ぶ。
だったら休めよ、と、ルリが思ってはいたが口には出さない。さっきまで目を回して気を失っていた人に対して酷い言い草、と、その艦長を支えているシュウは思ったが口には出さない。ちなみに、プロスペクターは未だにヘリの中で泡を吹いている。
よろよろと覚束ない足取りではあったが、艦長席に辿り付いたユリカは首から下げていたゼンマイ巻きのような形をしたマスターキーを差込口へと差し込む。
ぴっぴっぴっと音がして、ナデシコの動力機関部が再起動する。
それと同時にオモイカネの機能も復活した。
ブリッジ内に
“良好”
“回復”
“安全”
“SAFATY ROCK OFF”
“たいへんよくできました”
などと再起動を喜んでいる様々なウィンドウが飛び交った。
即座にオモイカネの天敵であるルリが黙らせたが。
『システム正常。エステバリスへの重力波ビーム放射確認』
『よっしゃ、来た来た来たぁ!』
「こっちもエネルギー受信確認」
ナデシコの復活により、エステバリスにとっては生命の供給源でもある重力波ビームを受信側であるアンテナに受けて、エステバリスのエネルギーが回復してゆく。実際はバッテリーが回復しているわけではないのだが、この際は気にしない。
重力波ビームの受信を確認してから、アキトはブースターを使ってナデシコのブレードから浮き上がる。
『うー、吐きそぉ』
『ここでは吐くなよ』
「……グラビティブラストは使わないのか?」
顔色が未だに良くならないユリカの言葉に、ゴートがぼそりと呟いた。そんなユリカに向かって、アキトが間の抜けたような声をかけた。
前回のようにチューリップに入って内側からグラビティーブラストを使用するという命令を即座に出すかと思ってブレードから退いたのだが、その予想は外れてしまっている。原因はアキトにあるのだが。
アキトの言葉にようやく気がついたかのように、ユリカが顔を上げた。
『あ、そっか。じゃあグラビティーブラストをチューリップに向けて……』
『ちょっと待って下さい。チューリップ側面にナツキさんのエステバリスがいます』
『へ……あ、本当だ』
冷静に横槍を入れるルリの言葉に、ユリカはメインウィンドウに表示されているチューリップの様子を眺めてから気がついた。
チューリップの側面外殻をナイフを使いながらよじ登っているエステバリスに。
触手からようやくチューリップ本体まで辿り着いたそのエステバリスは、ホワイトにカラーリングされている。
一瞬だけ、全員が沈黙した。
無言のまま、アキトがコミニュケウィンドウをナツキに対して開く。
ピッと言う電子音が鳴ってから、アサルトピットにいるロングコートを羽織っている少女、ナツキの様子が映った。やはり機嫌が良いのか悪いのか判断がつかない微妙な表情をしている。
「……お前、何、やってんだ?」
『ああ、兄者か』
呆れた風に言うアキトとは目を合わさず、ただモニターを見詰めながらエステバリスを動かしているナツキ。
頂上付近に近づいて、白いエステバリスはナイフをしっかりと固定させながら足をチューリップの外殻へと置く。それから足元を確認するようにゆっくりと立ち上がる。その立ち上がる様子は、まるでボールの上に立つ曲芸師のようであった。
背を伸ばし完全に立ち上がってから、ナツキはふぅと一息入れてからウィンドウ越しにアキトの方を向いた。
『見ての通りだが』
「分からん分からん」
わざわざエステバリスで腰に両手を当てるポーズを取りながら言うナツキに、アキトは首を振りながら答えた。
だが、そんなアキトの反応にもナツキは「そうか」と一言だけ冷静に返してから、唐突にエステバリスの腰を落としてバク宙をするように跳躍をした。
その一瞬後、先程までいたエステバリスの位置を正確に薙ぎ払うように触手が通過した。ブオォッと空気ごと切り払う凄まじい音を立てながら。
さらにサイドスラスターを使って機体を強引に横に捻り追撃に来た触手も紙一重でかわし、すれ違いざまにナイフを使って切り込みを入れると同時に空中で縦方向へ体を反転させて姿勢を安定させる。
そして着地すると同時に足の裏のキャタピラを使ってローラーダッシュで即座に横へと移動する。その動きによって三度襲い掛かってきた触手すらも回避する。
『さて、我はこれから次元跳躍門を沈める』
「いや、ナデシコ再起動したんだけど」
『……重力波砲を使用してからだと、時空歪曲場を展開できぬぞ』
ひらりひらりと舞でも踊るかのようにして触手を避けながら、ナツキは淡々と語る。それこそ、触手を回避する事など朝飯前と言わんばかりに。
最後にポツリと漏らしたナツキの言葉に、ようやく合点がいったかのようにアキトは手を打った。
ちなみに、次元跳躍門はチューリップの事で、重力波砲はグラビティーブラスト、時空歪曲場はディストーションフィールドの事である。大気圏中では相転移エンジンの出力が上昇しないので、グラビティーブラストを使用してしまうとディストーションフィールドの出力が削れらてしまい、最悪の場合は展開すらできなくなってしまう。
要するに、チューリップに対してグラビティーブラストは使わない方が良いと言っているのだ。
白いエステバリスがひらりと触手をかわす。それでも、めげる事を知らないチューリップは触手で外殻にいる異物を排除しようとする。
しかし、なかなか攻撃の当たらない白いエステバリス。当然ながらその行為は、チューリップにとって白いエステバリスの排除優先レベルを上げるだけである。
それがナツキの狙いであるのだが。
自棄を起こしたのかどうなのだかは分からないが、ついにはチューリップの触手はちょこまかと動く白いエステバリスの頭を叩き潰すかのように触手を振り上げた。
再度言おう。
白いエステバリスの頭を叩き潰すかのように、だ。
当然ながら、ナツキの乗っているエステバリスの足元は、チューリップの外殻。
見切っていたかのように、白いエステバリスはローラーダッシュにて真横にスライドして触手を回避する。スライドしながら体を回転させ、ナイフを真横に薙ぎ払うようにして触手の向きを少しだけ変えておいた。
どぐっ!!
なかなかの、鈍い音。
そんな鈍い音をたてながら、チューリップの触手が、チューリップに刺さった。
正しく、己の首を己でへし折る。
当たり所が悪かったと言うか刺さり所が悪かったと言うか、触手が突き刺さった事により吐き出され続けていた無人兵器の増援がピタリと止まった。ボソンジャンプのシステムが損傷した模様だ。
無人兵器を吐き出せなくなったチューリップは、その時点で沈んだといっても過言ではない。
それでも、白いエステバリスを排除してやろうと触手の十数本が一気に振り上がった。
それが何を意味するか、アキトやガイは元より、その光景を呆然と様子を眺めていたナデシコのブリッジクルー、トビウメと護衛艦二隻のクルー達にも分かった。
『己の手で滅ぶがよい、心無き人形よ』
良く通る澄んだ声でナツキはぽつりと一言だけ残すと、ブースター・スラスター・ローラーダッシュ、陸戦フレームのエステバリスに備わっているありとあらゆる推進装置を使ってチューリップの上を疾走し、海へと飛んだ。
いや、落ちた。
なぜならば、その瞬間にエステバリスのエネルギーが切れたからだ。もっとも、エネルギーが切れなくても陸戦フレームは飛べないが。
それとほぼ同時に、白いエステバリスがいなくなったチューリップの外殻に、十数本の触手が突き刺さった。
少しだけ遅れて、水柱が上がった。
一機の機動兵器が、ナイフ一本でチューリップを撃沈した。
――テンカワ アキト
ユリカの一声でナデシコの主砲であるグラビティーブラストが撃ち出され、無人兵器群を一掃。そして海の中で大の字で倒れていたホワイトカラーのエステを回収してから、ナデシコは宇宙を目指して飛び立つ事になった。
上手く纏めてくれたのかどうだかは知らないが、トビウメ達は追跡してくる気配がない。
護衛艦がチューリップに吸い込まれなかったり、無人兵器がわらわらと湧いてきたり、色々とアクシデントはあったもののナデシコが無事で良かった良かった。
うん、ジュンもいないし。
……哀れな奴だな。
ガシュンとナツキのエステを抱えながらエステバリスハンガーへと辿り着いた。てか、ラピスを拾った時もナツキのエステを抱えてた気がしてならない。
白のエステをハンガーの近くにあるキャリアに置いてから、俺もエステをハンガーに固定してもらう。
カシュンカシュンと音を立てながら、ゆっくりとアサルトピットのハッチが開く。戦闘が終わったばかりだから、整備班の皆がエステの点検で大忙しだ。
「おおっテンカワ。無事だったか」
「ああ、セ……ウリバタケさん」
スパナをくるくると器用に回しながらリフトに乗っていたセイヤさんが声をかけてきた。
「しっかし、あんだけ暴れて傷がないなんて、とんでもない腕だな」
「エステの性能が良かったんですよ」
「あったりめぇよ、俺が整備してんだからな」
俺の切り返しにセイヤさんは胸を叩きながら鼻高々に答える。そんなセイヤさんに俺は苦笑しながらもアサルトピットから降りて格納庫への床に直接着地する。ハンガーに固定しきる前で、エステが前屈みの状態であったから楽にできる。
実際、ガイもやっているし。
骨折しているのに。
奇声を上げながら転げ回っているガイを無視して、俺は丁度アサルトピットのハッチを開いた白いエステの方へと目を向けた。
アサルトピットから降りようとしたナツキに、見覚えのある青年が声をかけていた。その青年は青いツナギを着ていて、手には良く分からない機材を抱えている。一目で整備班の人間だと分かるような格好だ。
その整備班の人と少しだけ言葉を交わしてから、ナツキは一足でひらりとリフトの上に飛び乗る。話をしていた整備班の人は何故か照れたように苦笑いをしながらナツキに何かを渡してからバトンタッチでエステのアサルトピットへと滑り込んでマニュアルモードで起動させる。
その場から飛び降りるという横着をせず、ナツキはリフトを使ってゆっくりと格納庫へと足を着いた。
「大活躍だったな」
他の物には脇目も振らずに真っ直ぐ俺の方へと歩いてきたナツキに対して、俺は片手を上げてそう言った。ナツキは「そうでもない」と簡単に答えてから、雪谷食堂を出る時からずっと羽織っているロングコートを無造作に脱いぐ。
それから片手で少しだけ乱れていた髪をかき上げてから、持っていたヘアピンで無造作に髪を留めた。片手だけなのに器用な奴だ。
「あれ、ヘアピンなんて持ってたか?」
「へあぴん?」
「えーっと、その髪留めの事」
「ああ、先程あのヤツギシュウという者が渡してくれた」
俺の疑問に、ナツキは振り返ってホワイトエステをハンガーに固定するためにアサルトピットに乗っている あの若い整備班の人を指差した。
そっか、ヤツギさんか。
覚えておこう。
ちらりと俺の方を振り返り、俺がヤツギさんを見たのを確認するように見てからナツキは再び俺の方へと体を向けた。それから反対側も同じヘアピンで髪を留める。
「時にあに」
「ときにアキト!」
髪を留めながら何か俺に言おうとしたナツキに割り込むかのように、いつの間にか復活して松葉杖をついているガイが話しかけてきた。
話を中断されてナツキはムスッとするかと思ったが、やはり相変わらず無表情で一歩だけ俺と距離を置いた。
「いや〜、お前良い動きするよなぁ。今度シミュレーターで勝負してみないか?」
「先に足の骨を治してもらえよ」
「ふっ、主人公たる者この程度なら根性で治るのさ」
治らないって。
その言葉が喉元まで出かかって来たが、どうせ泥沼になるだろうと飲み込んだ。
「とりあえず医務室で着骨剤でも打ってもらえってば」
もたれかかるように肩を組んでくるガイの顔を掴んで、俺は引き剥がすようにして押しのける。
「おいおいおいっ、まだこれ貼ってねぇって」
顔を掴まれながらも、ガイは胸元からビニールで綴じられている物を取り出して俺に見せてきた。
予想通りと言うかなんと言うか、それはゲキガンシール。要するにゲキガンガーが描かれているシールだ。
ガイ、お前、いつも懐に入れてるのか?
むしろ、どこにそれを貼るんだ?
「ふっふっふっ、これが何か気になるかぁ?」
「ゲキガンシールだろ?」
「なっ、まさかお前もゲキガンガーを知っているのか!?」
俺の手を逃れ、淡白に返されたガイはオーバーリアクションで驚いた。
あ、そっか。
こいつ、今回は食堂でゲキガンガーを流してないんだったな。
「火星に住んでた時にさ、再放送で見てたんだ」
「そうかそうか。アキト、お前もゲキガンブラザーだったのか」
何だそれは。
しかも微妙に語呂が良いぞ。
「お、ちなみにゲキガンシールは撃墜数のカウント用だ」
「撃墜数のカウントって……設定しておけば機械が自動的にしてくれなかったけ?」
「甘いな。このシールは俺のゲキガンガーに直接張るのさ」
戦闘中に剥がれやしないかと思ったが、ガイにとってはそんな事は関係ないらしい。
幸せな奴だ。
言うだけ言うと、ガイは鼻歌混じりに自分の乗っていたエステの方へと去っていった。無論、ゲキガンガーのオープニングの鼻歌だ。
……なんと言うか、ガイらしいな、全く。
呆れたような微笑ましいような、そんな風に感じてしまう。
「時に兄者」
ガイがエステの方へと向かい、それを見届けてからナツキが再び声をかけてきた。俺はナツキの方へ目を向けてから「ん」と簡単に返事をする。
「これからどうするのだ?」
「これからか……とりあえずジュンの奴に戻ってきてもらわないと困るよな」
俺はナツキの言葉に考え込みながら答える。
確かに存在感が薄かったジュンだけど、それでも通常時・戦闘時・非常時と如何なる時でも縁の下の力持ちとして働いていた。どう考えてもユリカ一人じゃ辛い事が多いだろうし、細かいサポートができるジュンの存在は意外と大きい。
となると、デルフィニウム部隊の隊長として来るジュンを説得しないとな。
……そう言えば、あの時俺、なんて説得したっけ? なんだか勢いに任せて説得したけど、今の俺だと勢いに任せて説得したら失敗しそうでならない。
それは考えておく必要があるな、うん。
そして説得できたとすると……
一瞬だけ、頭の中で思いだしたくない光景が流れた。
それはそう。
ガイの、死。
理不尽に、味方だった奴に殺された、ガイ。
そうだ。
ガイを助けなければ。
「ガイを、助けないと」
「ガイ? ダイゴウジがどうかしたのか?」
下唇を押さえながら声を潜めて呟いた。その言葉を聞き漏らさなかったナツキが珍しく不思議そうな顔をしながら俺に聞き返してきた。
「ああ、次の戦闘でデルフィニウム部隊と戦闘するんだよ。ジュンが指揮してる、な」
「副艦長が、か」
「その戦闘が終わった後の事なんだけどな」
周りに聞こえないように、ナツキの耳元で囁くようにそこまで言ってから、俺は一回言葉を切った。
ゆっくりと目を閉じる。
今でもなお鮮明に蘇る記憶。
あの、理不尽な死に方をしてしまったガイの姿を。
それを思い出してから、俺は目を開けて、ナツキに続きの言葉を囁いた。
「ナデシコへ帰還中に、ムネタケの乗った戦闘機に背後からミサイル打ち込まれて、撃墜されたんだ」
――つづく――
あとがき
だいぶ間隔が開きました。こんにちは、クロガネです。
いまいち盛り込めるネタがなかった話も書き終わって一安心。話にひねりが加わらないなぁと思っていると、とあるT氏から
「質が駄目なら量を書けば?」
と言われたので前話よりも(多少)量を増やしてみました。書いている途中でしっくりと来なかったので没にした量もかなりあります。
てか、本編より没の量が多いですけどね。
次の話からは入れたいシーンとかもありますし、そろそろエンジン入るかもしれません。今まで不真面目だったのかと言われても困りますけど。
それでは、次の話に続きます。
代理人の感想
うわ、面白いなー。
ホクシンもいいですが、ルリがいい味出しすぎです。マシンチャイルドー外伝怖いよホシノさん。
いえルリはマサルさんではなくめそですが。
展開も息をつかせない見事なものですが、ヒキも凄い。
途中、ワイヤードフィストの件でおやと引っかかったのですが、
(劇場版のテンカワSplにはワイヤードフィストが装備されていません)
まさかこう言う伏線だったとはねぇ・・・・。
見習わねば、うん。
それはさておきラピスはこれで退場でしょうか?
正直ルリとの絡みが消えるには惜しすぎます。(笑)
つーかこう言う本当にただの感想以外に突っ込むところもなければどうこう言える事も無いですなー(爆)。
そんな訳で次回を期待しています。