時ナデ・if <逆行の艦隊> プロローグ・その3 同日 20:00 火星:地上シャトルターミナル郊外 対空陣地 乾いた風、乾いた砂、乾いた大地。 テラフォーミングで人類が住めるような環境になったとはいえ、 火星の大地は未だに豊かとは言いがたい状況だ。 コロニー内ならともかく、少しでも郊外に出ればこうした荒涼とした大地が広がっている。 人が住んでいない場所なら”飾る”必要もないということらしい。 火星はほんの少しの居住可能地域と大半の砂漠、一般にイメージされる砂のそれではなく、 小さな礫 (小石)が敷きつめられた礫砂漠が大半を占めている。 はっきり言ってお世辞にも過ごしやすい環境とは言い難い。 そして、そこに陣地を形成しなければならなかった彼らにとっても、それはまことにありがたくないことだった。 単純に暑い、乾く、と言うのもあるが、それ以上に上空から陣地が丸見えなのだ。 ブッシュなどがあれば隠せるものを、仕方なく穴を掘って半ば埋没させ、 その上にカモフラージュネットをかけたりして偽装していた。 これでぱっと見は分からないだろうし、赤外線、紫外線といったものを遮断する工夫もされているが 100%完璧なものなど存在しない。 まったく未知の敵に対してどれほど有効かは実戦で確認するしかなかった。 偽装が上手く機能すれば良し、そうでなければ ―― 『警戒を怠るな。 対空戦闘用意!』 野戦無線機から矢継ぎ早に指示が飛ぶ。 ナツメ・シンゴ少尉はその声に我に返った。 悪い想像が頭をよぎっていくのを振り払う。 「各員対空戦闘用意! 探索、射撃レーダー共に起動。 対空監視を密にしろ!」 彼にとってはこれが初の実戦であった。 士官学校を真ん中から少し上くらいの成績で卒業し、軍に入隊した。 士官学校に入った理由は、若者らしい冒険心の発露といったところで、 特に愛国心に燃えて、だとか、正義を守るため、と言う大義名分はない。 地球の地域紛争も一段落し、月との関係も概ね良好。 火星もまだそれほど発言権があるわけでもなく、 彼にとっての軍隊生活は地球のサラリーマンと大して変わりはなかった。 平時の軍と言うものは巨大な官僚機構そのものと言ってよく、 実際に戦闘を行う軍人は実は全体のいいとこ3割程度のもので あとは後方支援等のデスクワークが主な仕事である。 彼の所属する教導団火星方面部隊という組織もその例に洩れず、外敵からの侵攻でも受けない限りは 彼のような士官学校出立ての、いわゆる古参兵たちから見れば”ひよっこ”が小隊の指揮を執ることもない筈だった。 が、実際にはその”まさかの事態”が起きてしまった。 彼にとっての不幸、そして皆にとっての不幸。 それでも、投げ出すわけにはいかない、逃げ出すわけにもいかない。 なぜなら、ここは軍隊で、彼は軍人だった。 ナツメ・シンゴ少尉はここに来てようやくそれを自覚していた。 「対空レーダーに感! 方位12,07,34 数 ―― 60!」 「速度は?」 「巡航で約630km/h。 射程まであと4分」 「オペレーター、中隊指揮本部にも伝えておけ」 「了解」 小隊先任軍曹が口をはさむが、ナツメ少尉は何も言わない。 この古参兵に比べれば、自分は圧倒的に経験不足であることを自覚しているからだ。 「小隊長殿、ここは最大射程ギリギリからアウトレンジすべきですぜ」 「エステとの連携は取れないが、仕方ないだろうな」 先任軍曹の言葉に同意を示し、同時に慌しく作戦を練る。 まず第一に目的。 最優先はシャトルターミナルの防衛。 次に敵の殲滅と自分の部隊の防衛と友軍への支援。 地対空ミサイルの最大射程でアウトレンジを狙うのは、シャトルターミナルの防衛と言う 作戦目的を考えるなら妥当なところだ。 引き付ければその分命中精度の向上も期待できるし、エステバリス隊との連携も取れるから迎撃には良い。 ただし、敵の射程にも入ることを考えるなら、こちらもある程度は損害覚悟と言う事になる。 その”ある程度の損害”の中にシャトルターミナルが入るかもしれないから、これは却下。 万が一にも打ち上げ用のマスドライバが破損したら脱出すらままならなくなってしまう。 それだけは避けなくてはならなかった。 「接近中の敵部隊を以下<ボギーα>、<ボギーβ>と呼称。 我々は先行する<ボギーα>に対し、先制攻撃を行う!」 「イエッサー!」 「射撃システム諸元入力完了。 目標<ボギーα>」 「<ボギーα>速度変化なし、コース変化なし。 射程まであと1分」 オペレーターたちからの逐次の報告を聞きながら自分の内心での緊張が否応無しに高まっていくのを自覚した。 「―― <ボギーα>、射程に入りました」 「対空ミサイル、撃ち方はじめ!」 地中に埋没されたVLSからガス圧で垂直に打ち上げられたそれらはトリムを水平に戻すと同時に ロッケトモーターに点火、マッハ3まで加速した段階でラムジェット推進に切り替え、最終的にはマッハ5まで加速する。 恐るべき破壊力を秘めた火矢はレーダー波によって誘導され一直線に標的に向かって飛翔していった。 「……弾着まであと1分」 オペレーターの渇いた声がやけに耳に残った。 ○ ● ○ ● ○ ● 火星:地上シャトルターミナル郊外 <プロトタイプ・エステバリス> ジャック・オニール大佐機 『……3、2、1、弾着ナウッ!』 その言葉とほぼ同時に蒼穹に長距離地対空ミサイルの弾着を示すいくつもの花が咲いた。 この距離では音の伝播には若干の時間がかかるため、爆炎が何よりも先にその破壊力を見せ付けてきた。 『……<ボギーα>、全機撃墜しました』 爆煙が晴れた後、レーダから敵機を示す輝点は消えていた。 おおぉ! と歓声が上がる。 それも無理のないことだった。 何しろ宇宙軍はまったく歯が立たずにわずか5分で敗退しているのだから。 その敵に対し自分たちは一矢報いてやったという気持ちなのだ。 「気を抜くな。 第2陣が来るぞ!」 部下に檄を飛ばす。 むろん、本当に気を抜いているとは思ってはいないが、 少しでも不安要素は取り除くべきだった。 『<ボギーβ>は低空飛行に切り替えた模様。 対空陣地を避け、回り込むコ−スを取っています』 対空ミサイルとVLSの組み合わせはその性質上、低空の敵を迎撃するのには向かない。 低空進入をかけてくる敵を迎撃するのは対空機関砲やエステバリス等の機動兵器の役目になる。 ( 無人兵器とは言え、それくらいの頭は回るか ) 「【サラーム】から【親鳥】、【雛】の巣立ちは順調か?」 簡単な符牒を使って呼びかける。 【サラーム】は彼のエステバリス、【親鳥】はターミナル、【雛】はシャトルを表す。 『もう少しだから【親御さん】によろしく伝えてくれ。 要領が悪いのがいるから15日までかかりそうだ』 「了解。 それまで【お客】は待たせよう」 ちなみに意味はこうなる >「護衛部隊よりターミナル、シャトルの打ち上げは後どれくらいか?」 >『もう少しで完了する。 母艦へ待機するように連絡を入れてくれ。 故障が見つかって完了まで15分遅れる』 >「了解。 それまで敵を寄せ付けないようにする」 敵に傍受されたとしても少しでも解析を遅らせるための措置だ。 無人兵器にそんな機能がついているかは謎だが。 オニール大佐はウインドウに表示されたデータに視線を走らせると素早く決断した。 「<リュカオン>、<ジャッカル>は側面に展開。 残りは続け、敵を撹乱する!」 IFSが彼の意思を感じ取り輝きを増す。 ジェネレーターの出力が一気に上昇。 弾かれたように機体が加速した。 彼のエステバリスはダッシュで素早く敵機の背面を取ると3点射モードのラピッドライフルを撃ち込む。 バッタのフィールドはたかが知れていた。 レーザーのような光学兵器ならともかく、高初速のライフル弾にあがらうほどの力はなく、あっけなく貫通を許した。 「まず、一機!」 撃破の確認もそこそこに機体をひねる。 一瞬前まで機体のあった場所を曵光弾が過ぎていくのを横目に眼前に迫ったバッタにエステの拳を叩き込んだ。 ディストーションフィールドと運動エネルギーの相乗効果でブリキのオモチャのようにバッタの装甲がひしゃげ、 黒煙を上げて活動を停止する。 《ミサイル警報!》 エステのAIが警告を発する。 バッタの背が開き、そこから網のようにマイクロミサイルが飛び出した。 「味方がいようとお構いなしか!?」 先ほど拳で沈黙させたものと、さらにワイヤードフィストで手近な2機をまとめて掴むとミサイルの網へ放り投げた。 ドゴォ! バッタがミサイルに接触し破片を撒き散らせながら派手に誘爆する。 生身の人間なら爆風と破片だけでも十分危険だが、エステのディストーションフィールドはそれらを完全に防御した。 「良い機体だッ!」 再び3点射でジョロをまとめて2機撃ち落す。 最新型のIFSを搭載した機体は手足の延長のように動く。 そのためIFSさえあれば子供でも動かすことはできるが、それはあくまで”動かすことだけ”であり、 戦えるようになるまでにはそれなりに熟練を要する。 そして熟練したパイロットが扱った場合、IFSはその能力を遺憾なく発揮し、 人型ゆえの汎用性、機械動作のパワーと運動性能をもった優れた機動兵器を生み出す。 彼のエステはさながら獰猛な獣のように猛然と敵を駆逐していった。 ○ ● ○ ● ○ ● 火星:地上シャトルターミナル <732便>コクピット 薄暗く、狭い。 これは大昔、それこそ人類が宇宙に進出し始めたころから続くコクピットの伝統だ。 ( きっとはじめに設計したやつは閉所恐怖症の人間の事なんて考えなかったに違いない。 それとも薄暗がりが好きなねくら野郎かどっちかだ ) 732便機長のロイ・アンダーソンはそう決め付けた。 少なくとも否定する根拠はないはずだ。 積極的に肯定する根拠もないが気にしてはいけない。 「……暇だ」 緊張感の欠片もない声で彼は呟いた。 「何言ってるんですか! 異星人の侵略受けて無事に脱出できるかどうかの瀬戸際なんですよ!?」 彼の独り言を聞きとがめた副機長が騒ぎ立てるが、まったく気にした素振りも見せない。 「だって暇だろ? すぐに飛び立てそうもないし。 整備の連中任せだ」 「そうですけど、もう少し緊張感というか――」 「オレたちまで焦ってどうすんだ。 乗客を不安にさせる気か?」 「……ほとんど身内じゃないですか」 「なおさら身内には恥ずかしいとこ見せられないぜ」 732便はこのターミナルに残された最後のシャトルであり、 従業員の脱出用に確保されていたものだった。 このターミナルのスタッフは優秀だが普段の数倍のシャトルを送り出すのはさすがに骨だった。 ここまで無事故、無故障でやってこれた方が奇跡に近い。 「オレたちが飛び立つまで頑張ってもらうさ」 「…………」 ウインドウには外の様子が映し出されていた。 大量のバッタ、ジョロ、まさに雲霞の如くというやつだ。 それを前にして軍の護衛は獅子奮迅の活躍を見せていた。 新型という事を差し引いても熟練したパイロットである事が伺える。 「……お前さんが心配しても仕方ないだろ」 「……そうですけど」 副機長がその映像に釘付けになっているのに気付いてたしなめる。 むしろこっちが心配される方だとわかっているのだろうか? 「あ、それともあれか? 気になる男でもいたか?」 「ふっ、ふざけないでください!」 真っ赤になって否定しても説得力は皆無なのだが。 「アニー、君の趣味には口を出さないが、年上好きも大概にな」 「だから違いますッ!」 だから、真っ赤になって否定しても説得力は皆無である。 そもそも彼女 ―― アンネニール・ハードウィックの年上好き、もっと平たく言えばオジサン趣味は有名だった。 そして彼女が数日前に防衛方針の打ち合わせのためにターミナルを訪れた軍の大佐に一目惚れしていることも。 ( ……確かオニールとか呼ばれてたな ) うろ覚えではあるが、確か年齢は33歳。 軍で教官をやっているといったような事を話していた。 ちなみに”アニー”ことアンネニール・ハードウィック副機長は21歳。 何と言うか、微妙なところではあった。 彼の指に結婚指輪がなかったのが幸いか。 ( でもな、やっこさんたち、ここを守って死ぬつもりだぜ ) 口には出さず暗澹たる気持ちで呟く。 彼の予想は半分は正解だった。 なぜなら ―― ○ ● ○ ● ○ ● 火星:地上シャトルターミナル郊外 対空陣地 そこには希望も絶望もなかった。 戦場を支配するのはただ、確固たる意志なのだ。 「<ドール2>、ミサイル撃ち切りました!」 「敵機、陣地内に進入! 第3歩兵小隊が白兵戦を展開しています」 それこそなすべき事は無数にあった。 敵は文字通り無数に湧いてくる。 こちらのミサイルは有限である以上、いつかは対抗しきれなくなる事は目に見えていた。 心の深部に眠る本能的な恐怖を呼び覚ますような振動と爆音が響いてくる。 彼の居る壕にも大量の土砂が流れ込んできた。 (嫌だ……早く終わってくれ!) 壕の底に身を伏せながら、ナツメ・シンゴ少尉は喚きたくなるのを必死に堪えていた。 既に彼の小隊が置かれた状況は中隊本部に伝えてあったし、 この状況では攻撃を続行しつつ、敵のミサイル攻撃に耐えるしかなかった。 彼ほど仕事熱心でない、それ故、生きるすべには長ける古参兵たちはミサイルの飛翔音を耳にした途端に 新兵たちを怒鳴りつけ、壕の底にへばり付くように身を伏せていた。 「<ドール6>、<フェイズ11>沈黙!」 ミサイルの炸裂音に負けないようにオペレーターが怒鳴り声を上げて報告する。 既に半分の対空ユニットが弾薬を使い切るか、敵の攻撃で破壊されるかしていた。 大気を伝播されてくる衝撃波と、大地から伝わる振動。 無数に降りかかってくる土砂に包まれながら彼は耐え続けた。 不意に近くで壕内に何かが投げ込まれるような音がした。 ナツメ少尉は背筋を凍らせてそちらを見て ―― 安堵した。 陣地前縁の哨兵壕に配置していた古兵だった。 「前縁の壕はもう駄目です! 支援を要求するか、転進するか ――」 その後の言葉は爆音でよく聞き取れなかったが、意味は通じた。 彼は首のもげ掛けた人形のようにカクカクと頷いて、いつの間にか数センチも積もっていた土砂を払いのけ、 壕から頭を出そうとする。 爆発音。 古兵が彼の腕を掴んで壕の底に引き摺り倒した。 爆風。 降り注ぐ土砂。 「小隊長殿、あんた死にたいんですか!」 古兵が怒鳴る。 ナツメ少尉は小さなあごを震わせ、感謝の意を伝える。 いつの間にか小隊先任軍曹が近付いてきていて、 よくやったと言うように古兵の肩を叩いた。 時として彼の命令を無視するかのような行動をとる彼ら古兵たちではあるが、 ナツメ少尉があくまで士官学校出の仕官であると言うことの意味を十分理解していた。 士官学校で教えるのは戦術戦略であって”戦争のやり方”ではないのだ。 「とにかく、ここを引き上げるか ――」 先任軍曹が言いかけたその瞬間、 彼の視界は真っ白に染まっていた。 爆音、悲鳴、何かが崩れる音。 衝撃に壁に叩きつけられた。 それから数分間、意識を失っていたらしい。 激しく咳き込みながら、煙と妙な臭いのする掩体壕の中で立ち上がろうとする。 肩にのしかかっていた”何か”を無意識のうちに押しのけ、周囲を見回す。 掩体壕は半壊していた。 ミサイルの直撃を受けたのかもしれない。 あちこちに外部へと通じる隙間ができている。 彼は精神に強い衝撃を受けたもの特有の緊張感のない動作で周辺を見回す。 そして今度はこの壕内で生きているのが自分だけである事、先ほど押しのけたモノが先任軍曹の腕であることを知った。 そして精神の平衡を取り戻せないまま不意に上げた視線が、 赤い、血のように紅い、カメラアイを捉えた。 静かな駆動音。 不気味な紅い光。 それでも何とか逃げようとして ―― 右足首から下がないことに気付いた。 「……あの靴、気に入ってたのにな」 それが最後の言葉になった。 そして数分後、今度こそ周囲に生物の反応は無くなった。 <続く>
あとがき: |
代理人の感想
延々と続く戦場の描写と戦争の中の人間模様。
これを楽しむ人もいるでしょうし、うんざりする人もいるでしょう。
ただ、殆どの戦争物の作品(映画や漫画、あるいは仮想戦記含む)は
こう言う「戦争という極限状態における人間模様」を楽しむ要素を含んでいると思います。
結局の所、どんなジャンルのどんな作品であれ「物語」は人間ドラマには違いないんですよね。