時ナデ・if <逆行の艦隊> プロローグ・その4 同日 20:47 火星:地上シャトルターミナル <プロトタイプ・エステバリス> ジャック・オニール大佐機 地上での戦いはその佳境を迎えようとしていた。 無人兵器はその数を際限なく増やし、対する味方は補給も増援の当てもない。 絶望的状況の中、それでも彼らは戦い続けた。 ある者は鋼の四肢を操って、ある者は塹壕の中で、ある者は生き延びることで。 所々に被弾し、アクチュエーターが不調を訴えかけてくる機体を彼は騙し騙し操っていた。 『カール機被弾! 一時退却します』 『こちらマイヤー、補給のため一時帰還します』 部下たちの疲労も限界に近い。 通常、戦闘機動を行うのは10分が限界とされている。 生死を賭けた極限状態がパイロットの神経を著しく磨耗させてしまうからだ。 彼らのようなベテランでさえそれは変わらない。 「バリス、モトキの2人はフォローに入れ。 薄くなった部分が狙われるぞ」 『ヤー!』 『了解ッ!』 防衛用に配備されていたエステバリスは1個中隊27機。 それが今は19機にまで消耗していた。 3機が大破及び、中破で戦闘不能。 5機が撃墜されていた。 撃墜機の中でパイロットの脱出が確認されたのはわずか1機。 限界ギリギリまで戦闘を続け、その結果として脱出が遅れたためだった。 「せめてエアカバーだけでもかけられればッ!」 外周に配置された対空陣地からの連絡も完全に途絶。 航空支援の要請は却下された。 政府高官のシャトルの護衛が優先、それが回答だった。 中隊に配備されている空戦エステの内、残存機はわずかに6機。 バッタやジョロが100機を数える中ではシャトルの護衛で精一杯で、 とても地上部隊への支援など行えない。 単機での性能はエステバリスの方が遥かに上とは言え、 このままでは圧倒的物量の前にジリ貧になることは明らかだ。 『中隊長ッ! ここは撤退すべきです!』 副官のヒステリックな声が響く。 『このままでは ――!』 「アレク、シャトルの正面に回りこめ! ハンス、お前は右翼へ!」 副官の叫び ―― と言うか、既に悲鳴に近いそれを完全に無視して指示を続けた。 指揮官である彼が冷静さを欠けばこんなちゃちな戦線などすぐに崩壊してしまう。 副官の意見も判る。 個人としてならば、この状況なら心情的には十分理解しえる。 だが、退くわけにはいかない。 彼らも軍人としての矜持があるからだ。 こちらは80人。 対するシャトルは100人。 こちらが全滅しても差し引き20人。 自分たちの犠牲でその20人分を多く救えるならそうすべきだ。 もちろん自分たちも生き残る努力は惜しまないが。 義務と献身。 それこそが軍人と殺人者とを分けるのだと。 少なくともオニール大佐はそう考える軍人であった。 ○ ● ○ ● ○ ● 火星:地上シャトルターミナル <732便>コクピット 握った掌はただ熱い。 口内が乾いてヒリヒリする。 泣きたい気分なのに怒りがこみ上げてくる。 感情のコントロールを手放すのは久しぶりだった。 呼吸の音がうるさい。 心臓すら止めてその光景に見入ってしまいそうな感覚。 「大丈夫か?」 「………はい」 アンネニール・ハードウィック副機長はロイ・アンダーソン機長の言葉にかろうじてそれだけを絞り出した。 「先に言っておくぞ、ミスは許さねえからな」 「分かってます。 私もプロですから」 正直なところを言うならこれ以上正視したくない光景ではあった。 爆炎がいくつも生まれ、その度に破壊が空間を揺るがし、時には人命を奪っていく。 映像と言うフィルターを通しても感じられる濃厚な死の臭い。 また一機、爆炎の中に消えていった。 人型のシルエットが炎上し、四肢は砕かれ、そのまま地面に激突する。 刹那の間をおいて爆発。 おそらくパイロットは即死だろう。 炎に焼かれて苦しむよりは、むしろそうであって欲しいとさえ彼女は思った。 過酷すぎる状況は彼女の精神にも確実に暗い翳を落としていた。 仕事をしていればまだ気が紛れたかもしれない。 逃避行為だとは分かっていたが、そうでもしなければ精神の平衡を保つ事さえ難しく感じた。 それだと言うのに彼女に出来るのは、そして現在許されているのはただ待つことのみ。 それは例え1秒であったとしても長い時間。 ―― 煉獄 不意にそんな言葉が浮かんだ。 それはまさしく外界の光景を表現するのに最適と言えた。 一面の炎、砕かれる鋼の四肢、燃えていく命、散っていく希望。 悲劇だった。 そして喜劇だった。 魅入られたように炎を見つめる彼女の口元に微かな笑みが浮かんでいたのを誰も気付かなかった。 彼女自身でさえも。 ○ ● ○ ● ○ ● 火星:地上シャトルターミナル <プロトタイプ・エステバリス> ジャック・オニール大佐機 鈍い振動が機体から伝わってきた。 既に警告を示すウインドウは数え切れないほどだ。 原因はすぐに分かった。 限界以上に酷使された右腕が二の腕に相当する部分から脱落していた。 これで機体の重量バランスが完全に狂ってしまい、着地時に彼のエステは体勢を崩して膝を着いた。 機体のコンディションが万全ならオートバランサーが働いて自動的に体勢を保てるはずが、 どうやらソフトウェアの方にも思わぬ負荷が掛かっていたようだ。 (むしろ、よくもった方か。 ネルガルの仕事に感謝だな) なんといっても彼の使用している機体はまだ試作段階であり、 制式化に向けてテスト中だったのだから、実戦でこれほどまで動けた方が奇跡と言ってもいいくらいだ。 『敵部隊、第5波接近中。 あと3分で交戦圏に入ります』 部下からの報告に自分でもレーダを確認する。 が、ディスプレイに反応は無い。 「くそっ、レーダーまで死んだか」 実際は先ほどの戦闘でバッタの放ったミサイルの爆風で頭部を半分破壊されているのが原因だった。 カメラもメインは完全に沈黙。 サブカメラで何とか視界を確保している状態だ。 まさしく満身創痍。 普通に歩行するのでさえ困難な機体で彼は戦い続けていた。 そこに希望はなく、かといって絶望しているわけでもない。 それは義務だった。 未来を知る1人として、また、職務に忠実たらんとする軍人としての。 『レーダーに艦影! 駆逐艦クラスが接近中です!!』 (……たかがシャトル一機に駆逐艦までか) 込み上げた罵声を何とか収めるとオニール大佐は通信を開いた。 「シャトルの準備は?」 『たった今、完了した。 あとはあんたらを回収して飛び立つだけだ』 「……そうか」 予定では発射のギリギリまで粘り、その後に機体を放棄してシャトルに乗り込む予定だった。 だが、敵はここにきて駆逐艦まで繰り出してきた。 戦艦に比べれば火力は劣るとは言え、非武装のシャトルなど問題にならない。 エステバリスでは対抗しようにも火力が足りない。 しかも厄介な事に駆逐艦は駿足性能がうりのひとつだ。 時間がなかった。 生き残った部下全員の意識が集中しているのがわかった。 彼らの視線の先には発射を控えたシャトルがある。 それに乗り込めれば、助かる可能性は高い。 オニール大佐にもそれは判っていた。 十分に判っている。 それでも……敵の無人兵器は残っていた。 それがシャトルの成否を分ける。 生存の成否を……。 彼の沈黙は2秒ほどのものだったが、永遠にも等しいものがあった。 さまざまな思いと、中隊以下、親しい人々の顔が浮かぶ。 そして次は恐怖。 根源的な恐怖だった。 それはどちらの恐怖だったのだろう、それは。 シャトルを預かる人々の信頼を裏切る事。 それとも自分と部下たちの命。 ……どちらか? 一瞬の沈黙の後、彼は怒鳴った。 「シャトル、発射しろ! 効力射が来るギリギリまで支援する!」 オニール大佐はあらん限りの精神力を振り絞って怒鳴った。 「―― 守り抜くぞ!」 『イエッサー!』 呪縛が解けたように部下たちがいっそう機敏に動き始める。 その間にも敵の攻撃は続いていた。 駆逐艦からのレーザーが掠めていく。 砲撃が3回続いた後、それまでとはまったく違う飛翔音が聞こえた。 複数の大型ミサイルが接近する忌むべき音が。 『必ず――また会おう!』 その通信と同時にシャトルは遥かな蒼穹へと打ち上げられていった。 「……また、会おう」 小さく呟く。 後悔があったのかもしれない。 ただ、それだけではなかったはずだ。 あの日、"かつて"の2195年。 無人兵器の攻撃に故郷と家族を一度に失った。 妻と5歳になったばかりの息子。 年老いた両親。 親友と呼べた男たち。 尊敬できる上官。 慕ってくれた部下。 その全てが消えてしまった。 文字通り、跡形もなく。 撤退戦、閃光、爆風 今でも忘れられない光景だ。 落ちてきたチューリップにシェルターごと押しつぶされ、全てが終わっていた。 その場所にあったはずの光景も、あの場所にいたはずの人々も。 焼きついて離れない光景。 最後に彼がいたのはシェルターの中だった。 バッタ、扉、爆風、動かない人々、 ―― もう、動けない人々 最後に記憶しているのは蒼い光。 暗くなる視界の中で感じた最後の光。 気が付くとユートピアコロニーの士官候補生に戻っていた。 そして自分と同じように未来から"戻ってきた"人々と会った。 それは運命と言えたのかもしれない。 だからこそ、彼は託す事ができたのだ、未来を。 今度こそ、救ってみせると。 あの青年はどうしただろうか? 勇敢だった。 ある意味、軍人だった自分たち以上に。 幼い子供に渡していたミカン。 優しげな眼差し。 息子が成長していたらああなっていたかもしれない。 出来るなら今回こそは無事に脱出していて欲しいと思う。 そして今度こそは幸せな人生を。 名も知らぬ彼、そして今シャトルで飛び立って行った人々。 できる事ならもう一度会って話をしたかった。 そして礼を言いたかった。 それは、叶わないと判っていても。 ○ ● ○ ● ○ ● シャトルターミナル上空 <732便>コクピット 1秒もなかった。 シャトルが飛び立つとほぼ同時。 たて続けに4発の大型ミサイルがターミナル周辺で炸裂した。 弾頭に込められた炸薬が次々と爆発し、 幅約300mに渡って弾片と爆風を猛然と叩き付ける。 アンネニールは何も感じなかった。 ただ、呆然と無感動にウィンドウに映ったそれを見ていた。 あるいはその光景すら見ていなかったかもしれない。 内心は恐ろしく静かで、そんな自分が怖いとすら感じた。 「こちら<732便>、回収を――」 横でアンダーソン機長が何か話しているのも完全に聞き流していた。 それでも自分の仕事は淡々と、それこそ本当に機械的にこなせていたのは経験と訓練の賜物だろう。 そして、宇宙から赤と青の入り混じった火星を見たとき、ようやく自分は失ったのだと実感した。 たぶん、自分で思っているより多くのものを。 彼女が泣くことを思い出したのは、収容された輸送艦の一室での事だった。 静かな嗚咽は、日が変わるまで止むことはなかった。 その日、火星は陥落した。 だが、それは忌まわしき戦争の、まだ始まりにすぎなかったのだ。 <続く> あとがき:
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