時ナデ・if <逆行の艦隊> 第1話 『戦場』に踊るモノ・その4 2195年 12月19日 地球連合宇宙軍泊地 小惑星型コロニー <アルテミス> 月と火星、そして地球の中間宙域には、往来する船舶への補給を目的としたコロニーが多く存在する。 この<アルテミス>は宇宙開発の黎明期には数多く存在した小惑星を改造したコロニーの1つだ。 中心部に直径100kmほどの小惑星とそこから伸びたパイプにより、更に直径60kmほどの 小惑星が不恰好に組み合わさっている。 ギリシャ神話の月の女神<アルテミス>の名を冠するにしてはいささか優雅さに欠ける外観と言えた。 現在、<アルテミス>には火星から逃れてきた人々を乗せた輸送艦と、第1艦隊及び実験機動艦隊の残存艦隊が停泊している。 月、地球への帰還を前に避難民の受け入れ先の選定と、戦闘で傷ついた人と艦の修理及び物資の補給が目的である。 そうは言ってもこの<アルテミス>は“泊地”であって“基地”ではないので本格的な修理は 月や宇宙要塞<ルナU>と言った、より大きな拠点のドックで行わなくてはならない。 そう言った事情から、このコロニーに停泊しているのは比較的損傷の少なかった艦に限られている。 中破以上の損害を受けた艦は月にまで牽引されていったか、自沈したかだ。 そして、辛うじて生き残ったものが補給を受けるために列を成しているのが伺える。 「……まるで葬儀の列だな」 <アルテミス>内の休憩所でコーヒーを飲んでいたファルアス・クロフォード少将は思わずそう漏らした。 不謹慎ではあるかもしれないが、それは的を射た表現と言えた。 実際、民間の入植者で火星から無事脱出できたのは全体の7割強。 撤退戦でさらに損害を出し、今現在は7割にまで落ち込んでいる。 ただ、軍を擁護するなら緒戦での大敗北によって多大な損害を出しながらも、 第1艦隊、そして彼の麾下の実験機動艦隊の兵たちは愚直なまでの信念と義務感でもってその任務に臨んだ。 これこそまさに人々が、かくあれかしと望む軍人の姿であった。 しかし、それだけに損害も多かった。 報告によると、第1艦隊の喪失艦は300隻を越えた。 特に戦艦は残った方を数えた方が早いくらいだ。 残った艦も中破以下の損害を何らかの形で受けている。 ただ、それ以上に多くの熟練兵を喪失したのも大きな痛手だ。 艦はまた造ればいいが、人間に関してはそうもいかない。 失われた命は戻らない。 何も人道的な立場で考えているわけではない。 純軍事的に見ても、人的資源の消耗は問題だ。 戦艦の建造自体は技術の発達もあって、1年、早ければ10ヶ月で完了するが、 それに乗せる人間の育成は3年は掛かる。 熟練した士官の働きは時に新兵器にも勝ると言えるから、これは深刻だ。 既に第1艦隊は艦隊として機能していないと言ってもいい。 旗艦を喪失しながらも艦隊司令部が生き残ったため、指揮系統が機能していたのが唯一、不幸中の幸いと言えた。 余程の無能でもない限り指揮官は居た方が良いに決まっている。 そして、一部の参謀連中を除けば、第1艦隊の司令官たちは決して無能ではない。 ただ、ファルアスはその“一部の参謀連中”すら抑えられないのなら無能と同義と考えてはいたが。 そこまで考えてふと、自嘲する。 自分も何が違うと言うのか。 自分の指揮下で死んでいった兵も相当数に上る。 結局の所、自分がしていることは平時では犯罪として裁かれるべきことなのだ。 『司令、ビスカリアの補給が完了しました』 「わかった、すぐ戻る。 10分待て」 『了解。 出港準備を済ませてお待ちします』 艦長からの通信に短く答えると、皮肉な笑みを黒い液体に写したまま、一息にそれを飲み干す。 砂糖もミルクも加えていないそれは、ただ、苦かった。 ○ ● ○ ● ○ ● 同所 輸送艦<スリーピング・キャメル> 正直な所、ここはあまり居心地が良いとは言えなかった。 豪華客船の1等船室並などという無茶な贅沢は言わないが、 せめてベットを二つ置ける程度のスペースは確保して欲しい。 これでは貨物室より少しはマシな程度だ。 同室の住人に気付かれぬよう、アンネニール・ハードウィックはこっそりと溜息をついた。 「アニー、溜息1つにつき、幸せも1つ逃げていくそうだ。 若者がそんなのでどうするんだ?」 だが、彼女のささやかな努力は無駄に終わったらしい。 2段ベットの上側からロイ・アンダーソンが声をかけてくる。 年寄り臭い言い回しだが、ロイは彼女より2歳年上の23歳。 世間から見れば十分若者の範疇に入るはずだが、妙に疲れたような雰囲気がある。 「これからどうなるんでしょうね」 「……さあな。 でも、“どうなるか”じゃなく“どうするか”が重要だろ」 「先輩は……先輩には明確なビジョンがあるんですか?」 「無いな」 返答はこれ以上ないくらい簡潔だ。 「でもな、結局は自分で見つけるしかないんだよ。 『誰かに手を引かれて歩く道、それは人の道であって自分の道ではない』ってな」 「誰の言葉です?」 「オレの言葉。 いま考えた」 少し呆れて黙る。 そんな彼女を意に介さずロイはしゃべり続けた。 「でも、まあ、オレたち凡人にできることなんてたかが知れてるんだ。 出来ることをやるしかないんだろ。 たとえ、その結果が納得いかなくても、そのせいで悩んでも。 立ち止まれないんだよ。 時間は待ってくれないしな」 いつになく饒舌なロイに、ふと彼女は気付いた。 「ひょっとして、慰めてくれてます?」 「……………」 不意の沈黙は、すなわち肯定。 彼女はロイの表情を想像して思わず笑った。 「私なら大丈夫ですから。 それに、先輩も言ったじゃないですか。 『また会おう』って、言ったじゃないですか」 「……そうだな」 ロイの返答には何か複雑な感情が込められていたようだが、 それが何なのか、彼女には判断できなかった。 だからこそ、こう続けた。 「だから、私は迎えに行こうと思うんです。 たとえ何年かかっても。 きっと迎えに行こうと思うんです」 それはずっと考えていた事だった。 あの日、火星を脱出してから、ずっと。 徒労かも知れない。 無駄かもしれない。 彼らが生きている可能性は低い。 あの状況を考えれば当然だ。 それでも ―――― 「そう約束したから」 ○ ● ○ ● ○ ● 同所 機動母艦<神鷹> イツキがその場所で彼を発見したのは偶然に近かった。 大半の乗組員はコロニーへ繰り出している。 例外は艦長や副長、そして一部の整備班くらいのものだと思っていたのだが。 「どうしたんです、ヤマダさん?」 格納庫の隅でコーヒーを啜っているヤマダ・ジロウに声をかける。 「ああ、あんたか」 彼にしては素っ気ない反応だった。 いつもならイツキが本名で呼ぶ度に魂の名前“ダイゴウジ・ガイ”の方に訂正してくると言うのに。 「隣、いいですか?」 「ああ、空いてるからな。 好きにしてくれ」 これも素っ気ない返事。 もっとも、この男にそれ以上は望めないかもしれないが。 「コロニーに行かないんですか?」 「行った所で何も見るものなんてないだろ?」 「……そうですね」 確かにこんな軍港では大して見るものもないだろう。 ネルガルの<サツキミドリ>などはともかく。 「でも、ここよりは良いんじゃないですか?」 空母は言ってしまえば、移動力を持った箱だ。 その格納庫には多数の機動兵器が収められているが、パイロットであるヤマダやイツキからしてみれば 珍しくもなんともない光景だ。 それよりは<アルテミス>内を散策した方が暇を潰せると思うのだが。 「そう言うあんたも、行かないのか?」 「私は居残り組です」 補給のためにコロニーに立ち寄っているとは言え、艦隊は未だに警戒態勢を解いていない。 いや、補給中だからこそ解けずにいると言った方が正しい。 補給中の艦隊はまったく無防備になってしまうからだ。 もちろん警戒のための部隊を交代で配備はしているが。 空母の機動兵器はそんな状況では貴重な戦力である。 そのため、いくつかの班に分けて交代で休憩を取っている。 イツキはその万が一のための待機班なのだ。 「……そうか」 「はい、そうなんです」 そこで会話が途切れる。 もともと共通の話題など多くはないし、そんなに話したことがあるわけでもない。 声をかけたのは気まぐれと暇つぶし以上の意味はなかったのだが、 いきなり会話が途切れるとそれはそれで気まずい。 何でこんな事で焦っているのかと思いながらも必死に話題を探す。 「そうだ。 ヤマダさんは何でパイロットになろうと思ったんです?」 特に深い考えがあって言ったわけではない。 それくらいしか共通の話題が浮かばなかったからだ。 「俺は ―― 正義の味方って奴になりたかったんだ」 「はぁ、“正義の味方”ですか」 あまりにも子供っぽい理由に思えた。 小学生の作文でもあるまいし。 いや、いまどき小学生でもそんなことは書かないかもしれない。 そんな気持ちが表情に出ていたらしい。 ヤマダは苦笑じみたものを浮かべた。 「信じればなれると思ってたんだよ。 正義のロボットに乗って、『悪と戦う無敵のヒーロー!』 ―― ってな」 「なれましたか? その、“正義のヒーロー”に」 イツキも苦笑を返しながら訊く。 「―― なれなかったさ」 その答えには微かに苦いものが混じっていた。 イツキはそこで初めて気付いた。 彼の握った拳が微かに震えていることに。 「……ヤマダさん?」 「あの人たちは帰ってこなかった」 出かかった言葉が霧散してしまった。 ヤマダの言う『あの人たち』が分かったからだ。 臨時とは言え、チームを組んだ人たち。 隊長のカンザキ大尉以下、6名未帰還。 他の空母に回収されたという情報もない。 「正義の味方なら、きっと仲間のピンチには颯爽と現れて、 ずばっと解決しちまうんだろな」 彼女とて思うところがないわけではない。 それなら、あの時引き止めていればよかったのだろうか? いや、それが不可能だったことも分かっている。 「カッコ悪いぜ、まったくよ」 それは誰に向けられた言葉だったのか。 イツキはこの時初めてヤマダ・ジロウの本質を見た気がした。 彼もまた、自分の事に悩む1人の人間だった。 だから ―――― 「それなら、今度は守り抜いてください。 地球の平和とか、そんな大それた物じゃなくていいじゃないですか。 もっと身近な ―― ええっと、私なんか」 ああ、まったく自分は何を言っているのか。 これじゃあ、まるで愛の告白でもしているような。 とは言えいったん口にしてしまった事を慌てて否定しても遅い。 その方が余計に不自然だ。 「えー、その、今のはそう言う意味じゃなくて ――」 『カザマ准尉、交代の時間です』 こういうのも天の助けと言うのだろうか? ウインドウが開き、女性士官が交代時間を告げる。 しかし、タイミングが悪い。 支援を効果的に利用するにはタイミングの同期も重要なのだ。 「……わかりました」 不機嫌そうに返事をするイツキに、その女性士官は多少引きつった愛想笑いを浮かべて通信を切った。 他の人間がこの場にいれば無言で立ち去るか、イツキに鏡を見せるかしたかもしれない。 それほど彼女の表情は凄まじかった。 「で、どうすんだ。 もう暇なら<アルテミス>に行って来てもいいんじゃねえか?」 そんなイツキの様子を不審がる事もなく、ヤマダは言う。 確かにこれで殺風景な格納庫に留まる理由はなくなった。 なくなったのだが ―― 、 「どうせ見るものなんてありませんから」 結局、出港までの1時間をこの格納庫で過ごす事になった。 幸いと言うか、ここの方がもっと見るものはないだろ、と突っ込む無謀な人間はいなかった。 ○ ● ○ ● ○ ● 後の歴史に第1次火星会戦として記録される愚行と、 戦闘宙域の名前からイーハ撤退戦と呼ばれることになる惨劇はこうしてその幕を閉じた。 代償と言うにはあまりに多くの血を呑み込んで。 ただ、この戦いが後の歴史に与えた影響は本人たちが思う以上に大きかった。 それが判るのは更に数ヵ月後、機動戦艦<ナデシコ>が就役してからのことである。 “漆黒の戦神”テンカワ・アキトが2度目の逆行によってこの世界に現れるのはこの2ヵ月後。 年が明けた2196年2月12日深夜。 歴史は確実にその流れを変えていった。 その行き着く先を、まだ、誰も知らない。
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