時ナデ・if <逆行の艦隊> 第2話 変化の『歴史』・その2 2196年4月10日 英国・ダブリン 新設・第1機動艦隊司令部 実験機動艦隊と第1艦隊の残存兵力が統合され、新たに第1機動艦隊として再編成されてから数ヶ月が経過していた。 新たに司令部として割り振られたこの時代がかった赤煉瓦の建物は、古き時代を彷彿とさせるその外観を裏切り、 中は最新のセキュリティーと機材が所狭しと並んでいる。 艦隊は未だに再建途中であるため、司令部は昼夜を問わず慌しく、活気と喧騒が溢れている。 そしてそれは実験機動艦隊から引き続き参謀長に任命されたササキ・タクナ大佐も例外ではなかった。 膨大な書類の山。 結局、人類は文字を記すのに紙以上の物を発明できなかった。 もちろん、より大容量の記憶メディアはいくらでもあるが、重要書類の大半はこうして紙で記録を残すのが普通だ。 そして、それが溜まると今の状況になる。 視界を覆い尽くす白。 「『新型エンジンの変換効率とエネルギーバイパス経路における一考察』? こんなのは技術部に送れ」 「いえ、それが……例の艦長が読まれるそうで」 ササキ・タクナ大佐は部下の言葉を飲み込むのに少し時間がかかった。 記憶のフォルダをキーワード検索。 該当1、発見。 「あー、あー? あのお嬢さんか?」 「……はい」 「……わかった。 テスタロッサ大佐の方に送っておけ」 「今はAGIの新型のテストのために日本へ行っていますが?」 「なら電子データの方で送ればいいだろ」 副官のコニー・ハーネット中尉もいささか困惑気味のようだ。 無理もない話だが。 自分だってその件に関して完全に納得したわけではない。 ササキ大佐はなおも困惑している副官にそれを押し付けると、次の書類に取り掛かった。 軍人と言っても、実際に戦っているのは実はそれほど多くない。 多くても1割程度のものだ。 残りの大半は後方支援であり、こうした書類仕事なのだ。 「……大佐」 「どうした?」 副官の言葉に答えながらも視線は書類の上を走らせ、ペンを持った右手も止めることはない。 「私は疑問です。 そこまでしなければ勝てない戦争に意味はあるのでしょうか?」 「……テスタロッサ大佐のことか?」 「はい。 それも含めて、です」 ササキ大佐の言うところの“あのお嬢さん”こと、テレサ・テスタロッサ大佐は若干16歳の少女である。 新艦隊の旗艦として一週間後に就役予定の改リクニス級電子作戦艦の艦長として彼の直接の上官である ファルアス・クロフォード中将がどこからか連れてきたのだ。 最初にそれを聞かされた時、彼は苦虫を3、4匹噛み潰したような表情で、 『冗談なら笑えませんが、本気だとしたら笑うことすら忘れそうです』と言ったものだ。 いくらエレクトロニクスの急速な発達により、艦長と言う役職が形骸化して久しいとは言え、 旗艦の艦長に16歳の少女を使うなど正気の沙汰とは思えなかった。 しかし、上官は大真面目だった。 なおも食い下がる彼にこう言った。 『君は私にこう言わせたいのか、これは決定だ、と』 普通の士官ならここで引き下がったに違いない。 だが、彼も伊達に曲者と言われるクロフォード中将の副官を務めてきたわけではない。 最後には取っ組み合いの大喧嘩に発達した。 ハーネット中尉もその場に居合わせたのだが、艦隊司令官と参謀長が子供のような喧嘩を繰り広げたあと、 最後は肩を組んで2人で酒を飲みに行ってしまうという、なんとも理解しがたい現場に居合わせる結果となった。 それを思い出し、ペンを走らせる手を止めてササキ大佐は内心で溜息をついた。 しかし、軍人はそんなことは考えない。 自分に与えられた任務に疑問など持たない。 それは政治家の仕事だ。 なぜなら自分たちは道具なのだから。 道具の使い方を考えるのは他の人間に任せておけばいい。 軍隊とは国家が容認した唯一の暴力機構である。 どんな奇麗事を並べてもその本質は変わらない。 だからこそ、軍が独自の考えを持つことは許されない。 文民統制の形式を採るのはそのためだ。 「中尉、そのことを私以外の人間に話したか?」 「……いいえ、大佐」 「なら私も忘れる。 軽々しくそんなことを口にするな」 「……申し訳ありません、サー」 「職務に戻るんだ、中尉」 副官が頷くのを確認して再び視線を膨大な書類の山に戻す。 士気が落ちている。 それが率直な感想だった。 何しろ開戦から負け続きなのだから、これで士気が高かったらそれこそどうかしているのだが、 それでも無視できるような問題ではない。 参謀長である彼にとっては頭痛の種だ。 誰でも自分の存在意義に疑問を持つ。 職業軍人などになればそれは更に顕著だ。 それはわかっている。 わかってはいるが ――― 「コニー・ハーネット中尉」 「―― は?」 書類を届けるためだろう。 ファイルを片手に部屋を出ようとした副官に声をかけた。 「君の言葉は正しい。 存在の自己否定になるかもしれないが、軍人は戦争などするもんじゃない。 税金泥棒と謗られる程度がちょうどいいんだよ」 そこで言葉を切って、彼女が十分に意味を飲み込むまで待つ。 それを確認して彼は更に続けた。 「個人的な意見を言わせてもらえば、そんな考えも嫌いではないな」 「……ありがとうございます、大佐」 敬礼をして退室していくのを確認すると、再び書類の山に戻る。 そう、戦争などするものではない。 しかし、現に戦争は始まって、しかも終わる気配はない。 ならば、自分たちは戦争を遂行しなくてはならない。 この悪夢のような戦争を。 そのための労力を惜しむつもりはない。 たとえ後の歴史で悪辣漢と言われることになろうとも。 しかし、そうは思っていても割り切れないものはある。 テレサ・テスタロッサ大佐の件に関してもそうだ。 マシンチャイルドだかなんだか知らないが、いくら有能で優秀な人材といっても、 子供を戦場に送り出すなど、まともな軍隊のすることではない。 いや、それとも正気など、この戦争が始まった時に吹き飛んでしまったのかもしれない。 暗澹とした気分で天井を仰いだ。 灰色に薄汚れた天井、その向こうの空は、果たしてどんな色をしているのか。 ○ ● ○ ● ○ ● 2196年4月18日 日本・ネルガル本社ビル 第1会議室 会議はのっけから荒れ模様だった。 世界でも屈指の巨大企業であるネルガルも、その内情は決して一枚岩ではない。 大雑把に言って会長派と社長派、さらにその中にも軍に積極的に協力し、影響力を強めておこうとする軍閥派と、 軍から離れ、代わりにクリムゾンや明日香インダストリー、AGIなどの他のライバル的な民間企業とも 協力していこうという協調派とがあった。 ここに更に地球、月、火星など各支部の思惑が絡んでくると、もう何が何だか分からなくなってしまうほど混沌としていた。 そしてこの会議もそんな内情を如実に反映したものとなっていた。 「なぜだ!? DFは我が社の独占技術ではなったのか?」 「正確には、そう思われていただけ。 そういうことだろう」 憮然とした表情で役員の1人は手元の資料を投げ出した。 今日の緊急会議の議題は軍の次期主力機動兵器の件について。 先に行われた評価試験において、ネルガルのAV−00<プロトタイプ・エステバリス>は ライバル会社の1つであるAGIのYTM−12<スノーランド>を下し、制式採用となった。 これにより、向こう5年間はネルガルが軍の機動兵器の発注を独占できるはず、だった。 そう、『だった』。 あくまで過去形で語らなければならないのは、火星からの撤退時に起こった戦闘が原因だった。 ファルアス・クロフォード少将(当時、現在は中将)が指揮を執り、今ではイーハ撤退戦と呼ばれるその戦いで 最も活躍したのは、それまで宇宙戦の女王として君臨していた戦艦ではなく、エステやスノーランドと比べれば 性能の劣る旧式のデルフィニュウムだった。 もちろん最終的に敵艦を沈めたのは戦艦の強力な主砲だったが、敵のDFを中和するのに使われたのはAGIの試験兵器、 デルフィニュウム自体も明日香インダストリー製。 それではエステは? 端的に言ってデルフィニュウムの護衛に使われただけだった。 もちろん、防御力に難のあるデルフィニュウムが護衛もなしに対艦攻撃を行おうとすれば、 それは恐ろしい事態が引き起こされたはずだ。 実際、統合作戦司令部で行われたシミュレーションでは護衛なしでは攻撃隊の3割が敵機動兵器に撃墜されるという結果が出た。 対空砲火で更に1割の被害。 全体で4割の損害といえば壊滅の判定を下されるところだ。 そう言う意味ではエステの存在は重要だったが、それは冷静に純軍事的な判断をした場合。 長く続いた平和で官僚化の進む軍組織の中でそこまで理解できている人間が何人いるのか。 上層部は現場(この場合は戦場)を知らないエリート官僚たちがメインだ。 彼らの目にはこう映ることだろう。 ネルガルの新型は旧式のデルフィニュウムにも劣るのか、と。 さすがにこれは極論だが、イメージというのは恐ろしい。 それに、イーハ撤退戦は兵器としてのエステにとっては最悪に近い状況で行われた。 まず、エステバリスは現在ネルガルが建造中のナデシコ級との運用が大前提である。 相転移エンジンの大出力によってナデシコはエネルギーゲインにかなりの余裕が見込まれている。 DFやグラビティブラストに回してもなお余剰があるそれをエネルギーウェーブに変換し、艦外に放出。 エステはそのエネルギーウェーブを受け、エネルギーに変換することで、従来にはない高出力を得る。 だからこそ内燃機関をオミットでき、軽量化と高出力化の二律背反をクリアーできたのだが、 同時に、エネルギーウェーブの効果範囲から離れると動けなくなってしまうという欠点を抱え込むことになった。 侵攻能力が皆無に等しいわけだが、これは大して問題ないと考えられた。 なぜなら、現在の機動兵器の役割は艦隊の近接防御だからだ。 構造的な問題で戦艦は前に向かってしか砲を撃てない。 巡洋艦以下の艦はそうでもないが、こちらは砲そのものの威力も低い。 したがって、お互いに砲が向けられないほどの乱戦になった時にこそ空母の機動兵器が真価を発揮するのだ。 しかし、異才と呼ばれるクロフォード中将は“機動部隊による敵艦隊のアウトレンジ”という 従来の運用法を根こそぎひっくり返すような戦術でもって敵艦隊を撃破した。 元々侵攻能力は皆無に等しく、対艦攻撃用の装備もないエステでは“陸に上げられた河童”である。 根本的な設計思想と運用思想がまったく食い違っている。 例えるなら炊飯ジャーでパンを焼こうとするようなもので、“そもそも、そう言う風には造っていない”のだ。 彼らにとって予想外だったことはまだある。 ナデシコと共同で運用するはずのエステが、なぜナデシコ就役前に実戦投入されているのか、という疑問と絡むのだが、 ネルガルとしてはナデシコとエステをセットで売り込むつもりだった。 『強力無比なグラビティブラストという矛、新型バリアーのディストーションフィールドと言う盾。 更には真空から魔法のようにエネルギーを生み出す相転移エンジン! 艦載機のエステバリスは、ナデシコとセットなら活動時間はほぼ無限。 今ならこのセットが驚きのこのお値段! さあ、どうです!?』 とまあ、こんな具合である。 あくまでメインはナデシコ。 エステはせいぜい高枝バサミに付いてくる便利なアタッチメントのような扱い。 それがエステを単独で売り込まざるをえなくなったのは、例の次期主力機動兵器選定の話が持ち上がったからだ。 出所は不明だが、恐らくそれを言い出したのはクロフォード中将だろうと思われている。 彼はAGIと個人的なパイプがあると言う可能性が指摘されていた。 真実かどうかはわからないが、ネルガルSSが調べた限りではそれなりに確度は高いとのこと。 逆を言うなら、世界屈指の情報収集能力を持つネルガルSSでもそれくらいしかわからなかったとも言えるが。 ともかく、ナデシコが就役していないこの時期に次期主力機動兵器選定の話が持ち上がってきたので、彼らは焦った。 開発部はナデシコとの併用がなければ80%しかその性能を発揮できないと言ったが、 それでも半ば強引に先行量産型エステを出した。 しかし、それは細かい部分では未完成もいいところだった。(何しろ陸戦と空戦、0G戦フレームしか完成していなかった) 実際、エステがスノーランドに対して明確に勝っていたのは、汎用性と整備性程度のものだ。 運動性能はエステ、機動性能はスノーランド。 火力はレールガンやマシンキャノンを装備するスノーランドの方が上で、 エステは重機動フレーム(一般では砲戦フレームと呼ばれるそれ)が完成していなかったため、 その点では大きく水を開けられることになった。 決め手となるはずのDFもスノーランドは装備していた。 それでもエステが採用されたのは、いわゆる“袖の下”と政治工作の賜物だ。 しかし、そうして手に入れた正式採用の座も早々に危うくなってきた。 AGIはイーハ撤退戦の戦訓を元に改修されたスノーランドのマイナーチェンジバージョンを売り込んだのだ。 そして新設された第1機動艦隊ではそれを採用するとしている。 理由はいくつかあるが、それは今は関係ないので割愛する。 「とにかく、早急に対策を練る必要がある!」 「ナデシコの就役は早められんのか!」 「DFは機密情報ではなかったのか!?」 「その点に関しては情報部の責任では?」 「何だと! 開発部の中にスパイがいるんじゃないのか!?」 根拠のない憶測と責任転嫁で一向に会議は進む様子はない。 誰もが焦っていた。 従って、誰もその可能性に気付かなかった。 元々グラビティブラストもディストーションフィールドも、相転移エンジンも“開発”ではなく“発見”した物なのだ。 何も、発見者は1人とは限らない。 結局、その日の会議は不毛な罵りあいに終始することとなった。 ネルガル会長のアカツキ・ナガレはこの様子を後で秘書から聞くと、「サボって正解だったろ?」と言って残業をさせられたという。 これもまた、あまり関係のない話ではある。 <続く>
圧縮教授のSS的愛情
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