時ナデ・if <逆行の艦隊> 第10話 だけど、あなたと「歌う詩」・その4 格納庫はまさしく修羅場の様相を呈している。 現在ナデシコに残されている機動兵器は5機。 これではほとんど防空で手一杯になってしまう。 しかも、うち3機は弾薬の補給の為に一時帰還していた。 「わりいが時間がねえ。 フレームごと換装する」 「ああ、頼む」 疲労を隠せない声でリョーコは答えた。 パイロットスーツのままで手渡された清涼飲料で喉を潤す。 わずかな時間でも体を休めたかった。 できればこのままベットに倒れこんでしまいたい誘惑に駆られるが、 外で戦っている戦友のことを思い出し、首を振った。 顔を上げると、空戦フレームから赤いパーソナルカラーのアサルトピットが外され、 クレーンでその隣の重機動フレームに換装されるところだった。 どうしても弾薬の補給と再度の整備には時間がかかる。 フレーム換装が使えるエステは非常手段として出撃している間に別のフレームを用意しておき、 帰還と同時にアサルトピットを移し変えて再出撃と言うことができた。 しかし、これは本当に非常時の手段であって。 整備班はもとより、パイロットにかける負担が半端でない。 エステの活動時間が母艦からエネルギー供給を受けられれば半永久的とは言え、 生身のパイロットは10分の戦闘で心身ともに消耗しつくしてしまう。 だが ―― 「艦長たちがあれだけやってくれたんだ、オレがここでへばれるかよ」 気合を入れるように自分の頬を叩くと、飲み終わったコップをゴミ箱へ放り込む。 彼女もまた、性格はともかく『腕は一流』のナデシコのクルーであった。 「あの赤いのの相手はアキトにまかせりゃいい。 オレたちの敵は残りだ」 「残りモノだけに、福があるといいね」 「イズミ〜、シリアスモードでギャク飛ばさないでよ」 これは同じく補給中のイズミとヒカル。 「エステモドキが敵なんて、洒落にもならないけどね」 「……ああ、まったくな」 憂鬱ながら、同意する。 ただ、彼女たちは知らない。 本当に洒落にならないのはここからだった。 ○ ● ○ ● ○ ● レーダー上で2つの輝点が高速で動き回っている。 ある時は離れ、ある時は交差する軌道をとりながら。 「スバル機、アマノ機、マキ機、出撃しました。 エステモドキ、さらに5機。 制空戦に突入します」 「……うーん、何だろう」 違和感がある。 ルリの報告も半ば聞き流していた。 戦況は膠着状態だった。 アキトの参戦も北斗の零式52型によって抑えられている。 逆を言えば、北斗の参戦を抑えているとも言えたが、2機は完全に互角だった。 元々、ブラックサレナは一対多数の強襲用の機体であって、一対一の決戦には向いていない。 機動力と防御力はあるが、逆に決定打に欠ける。 一方で敵機はエステバリスの改造型らしく、運動性能ではサレナを凌駕していたが、防御力に難を抱えているようだった。 わざわざDFとは別に大型の盾を装備しているのがその証拠だろう。 「……艦長? 艦長!」 こちらの制空隊と敵機との比は数の上では6対6と互角。 性能にそれほど差がないと仮定した場合……これは前回の時は木連が終戦まで小型人型兵器を 投入してこなかった事による仮定だが、そう外れてはいないだろう。 そう仮定した場合、残るのは腕の差。 真紅の機動兵器は桁外れだが、それと同等のパイロットがそう居るとは思えない。 事実、現時点ではほとんど互角に戦闘を展開していた。 機体性能も腕も互角と見ていいだろう。 問題は、こちらのパイロットの疲労。 ヤマダはなぜかまったく疲れが見えていないが、イツキはそろそろ一時帰艦させるべきだ。 しかし、そうなった場合、穴を埋めるべきパイロットが居ない。 ロイとアンネニール、そしてテツヤは未だにアルバの方に居る。 アルバは全速でこちらへ向かっているが、速いと言ってもサレナや機動兵器と比べるのは酷だ。 無理を承知でヤマダとイツキにはもうしばらく持ち堪えてもらうしかない。 ただ、2人がどの程度『使える』のかはユリカには未知数だった。 一緒に戦ったのが(逆行前の事も入れると)他の3人と比べれば極端に少ないのだから無理もないが。 「艦長! ……もう、ユリカさん!」 「はぇ!?」 目の前にアップでルリの顔があった。 思わず間の抜けた叫びを上げてしまう。 「イツキさんが弾薬を使い切りました。 一時帰投させて補給を」 「うん、ディストーションフィールド5秒解除。 タイミングはルリちゃんに任せます。 それと同時に対空ミサイルで敵機を牽制」 素早く指示を出すと、再び思考に没頭する。 何か、違和感があった。 それが何かがはっきりしない。 しかし、喉に刺さった小骨のようにちくちくと気になるのだ。 嫌な気分だ。 何かが出掛かっているのに、その正体は知れない。 そして、それはとても恐ろしいもののような気がする。 それはほとんど勘に近いものだった。 だが、ユリカ自身はその直感を信じていた。 愛犬の……家族同然だったカイトが事故にあった時もこんな嫌な感じがした。 アキトとの新婚旅行の前夜にもふと不安に駆られたりもした。 そして、遺跡から切り離されて後、アキトを見つけたときも。 意を決する。 「メグちゃん、アルバに通信を」 「つまりは、『何かあるかもしれない』ってこと?」 アルバの艦橋でユリカの話を聞き終わったムネタケはそう要約してみせた。 「はい」 「根拠は?」 「私の勘です」 キッパリと言い切る。 ここまでくるといっそ潔い。 そんな場違いな感想を抱いた。 「莫迦な! そんな理由で貴重な戦力を ――― 」 「機兵長、使える機は?」 言いかけた参謀を遮って問う。 返事は間髪入れずにきた。 <長距離偵察ならシルフがまだあります。 ただ、パイロットがいません> 「それぐらいは出してもらうわよ。 ナデシコのパイロットが3人、こっちにまだ居るでしょ?」 それは同時にユリカにも向けられた言葉だった。 ユリカもそれに頷いて同意を示す。 「シルフを用意してちょうだい。 長距離広域索敵用の装備でね」 <イエス・サー> 格納庫からの通信が切れる。 それを確認すると、即座に上空で戦闘中のパイロットに繋げた。 ユリカの勘が正しければ、作戦は一刻を争う。 もちろん、外れている可能性もある。 最悪の場合は、現状でも乏しい防空力を、 さらに2名のパイロットを索敵につけることで喪失し、 無人兵器にタコ殴りなどと言う事態にも陥りかねない。 しかし、一方でムネタケは『索敵』の……言い換えれば『敵を見つけ、知ること』の重要性を理解していた。 士官学校の参謀コースでは散々これを教えられてきたし、実際に索敵を疎かにしたために大敗北を喫した事例なども見せられた。 それに、自身の経験からも言えることだった。 『保身』という戦いも、『敵』と『味方』を区別するところからはじまる。 「……まったく、なにが役に立つか分からないものね」 自嘲気味に呟く。 しかし、再び喧騒を取り戻した艦橋でその呟きを聞くものはいない。 ただ、これが分岐点となった。 この戦いの、ひいては今後の世界さえ左右してしまうほどの、 あらゆる意味での分岐点、その最初の一つに。 ○ ● ○ ● ○ ● 漆黒の装甲の表面を光が疾駆する。 高周波によって微細な振動を与えられた刃による一閃だ。 サレナの装甲が分子結合を破壊されて瞬断される。 ――― だが、浅い。 「おおッ!!」 振り切ったスキを逃さず肩から零式に突進。 盾で防ぐが、衝撃そのものまでは殺しきれずに零式が弾かれた。 そこへすかさず追撃でハンドカノンの最初を浴びせる。 しかし、北斗も着たい各所のスラスターを噴射して紙一重で回避。 結果だけ見ればほぼノーダメージだ。 「くそっ、埒があかない」 かつての愛機にもどかしさを覚える。 サレナはどこまでいっても所詮は強化装甲を施したエステバリス。 しかも対北辰・六人衆用に特化された機体。 一対多の戦闘を考慮された結果、連射の効く新型のハンドカノンと、 多数を相手にするが故に想定される多方向からの攻撃を捌くための機動力。 そして多少のダメージでも戦闘力を維持できる重装甲ではあるが、 逆に北斗のように一対一の真っ向勝負を挑んでくる相手は苦手だ。 むしろ、DFSを装備したノーマルエステのほうがまだ良かったかもしれない。 もっとも、DFSの概念すらない現状ではどうしようもないが。 だが、同時に違和感がある。 相手が北斗なら、もっと苛烈な攻撃があってもいいはずだ。 サレナと零式の機動力はほぼ互角。 機体剛性がエステより若干強化された程度ではあまり無茶な機動はできないだろうが、 運動性能は軽量の零式のほうが有利。 格闘戦性能に至っては比べるのもばからしい。 ――― では、なぜ? 苛立っているのはこちらも同じことだった。 今の衝突で左腕のアクチュエーターが何機か故障したらしい。 盾は銃弾は弾けても衝撃までは殺せない。 そして、関節のショックアブソーバーでも相殺し切れなかった衝撃は そのまま機体へのダメージとして蓄積する。 左腕の反応がわずかに遅れていた。 「……不本意だな」 北斗は自己診断プログラムを走らせながらいらただしげに呟いた。 その間も敵機と周囲への警戒は怠っていない。 頭部の7.7mm機銃で牽制しつつ、間合いを保つ。 搭乗者の腕は互角で、機動力も同様。 遠距離の撃ち合は防御力と火力で劣る零式は圧倒的不利だ。 基本戦術としては接近戦しての格闘戦を挑むに限る。 そしてそれは北斗が最も得意とする間合い……のはずだった。 しかし、未だに敵機に対して致命打を与えられないでいる。 それはひとえにアキトの腕と勘の賜物だった。 それにアキトは北斗との闘いを『経験』しているのだから、手の内も辛うじて読める。 腕は互角、しかしながらその辺の経験の差があった。 それともう一つ、北斗が苛立っている理由がある。 と言うよりこちらが主な原因なのだが、それは『時間』だった。 視界の隅で刻一刻とカウントダウンが刻まれていく。 残り時間は約5分。 それが北斗に……ひいてはこの作戦に課せられたタイムリミットだ。 厳密に言えば北斗は軍人ではない。 故に正規の訓練を受けているわけではない。 良くも悪くも生粋の戦士だった。 それ故にこういった作戦には向かない面があるもの確かだ。 舞歌もそれは承知してはいたが、正規の訓練を受けた人間でも生半可な腕では 返り討ちにあうだけと判断して北斗に任せた。 と言うか、それ以外に選択肢はなかった。 現状でそれは最善の手だ。 北斗は狙い通りアキトのサレナを完全に押さえ込んでいた。 しかし、それでもミスはあった。 アキトとの戦闘に集中するあまり上空を通過するシルフを見過ごしたことだ。 これが2つ目の分岐点となる。 ○ ● ○ ● ○ ● 一方のナデシコ側にも錯誤はあった。 ユリカの判断は(その正誤はともかく)根拠に欠けるもので、 索敵は極めてアバウトな方法で行われた。 すなわち、適当に飛べ。 とは言っても索敵パターンはあらかじめ決められているので、 その中から広域哨戒用のパターンを選択しただけだが。 このパターンでは単独で飛ぶ場合の哨戒ラインは母艦を中心に8の字をクロスさせたような軌道、 具体的には上から見たなら四葉のクローバーのような形をとる。 さらにシルフ本体は追加増槽と無人偵察ポッドを装備する。 武装は自衛用に機首固定兵装の20mmバルカン砲と短距離AAM(空対空ミサイル)を2発のみ。 もし敵機に出くわした場合は全力で逃走するしかない。 そう、シルフ自体はほとんど攻撃手段を持たない事になる。 もしユリカが自身の感じていた違和感の正体を明確に理解していれば、 多少の無理をしてでも武装を増やすようにしたであろう。 加えて言うなら、索敵にしろ具体的な指示されずに行っても効果は低い。 ただ漠然と『脅威となりそうなもの』を探せと言われても困る。 「対地・対空レーダーともに感なし。 センサーの熱源探知も、空間センサやエネルギーセンサーにも反応はなしです」 後部座席で臨時の電子戦要員を勤めるアンネニールが報告する。 「了解。 ここにも偵察ポッドを放出するぞ」 無人偵察ポッドはそれ自体がグライダーのような構造をしており、 母機から切り離された後は所定のプログラムに従って円を描くような軌道で飛行し、得た情報を母機へ送る。 ロイとアンネニールの乗るシルフはこういった無人偵察機を8機搭載していた。 現状ではそれを適当な感覚で放出して哨戒ラインを形成している。 これはごく一般的な手段で、それなりに有効だから使われている手だった。 しかし、問題は人のほうにあった。 この2人が不真面目だったと言うことはない。 むしろ臨時としては十分な働きをしたと言える。 だが、『何かあるかも』と思って探すのと、『あるはずだ』と思って探すのでは大きな差だ。 今回は相手が悪かった。 ソレは偵察機にとっては宿敵とも言うべき相手だったのだ。 ○ ● ○ ● ○ ● 物音一つ立てないと言わんばかりの徹底ぶりだった。 呼吸さえ止めてしまったかのような静寂の時間が流れる。 「敵偵察機、遠ざかります」 翡翠の報告に舞歌は額に滲んだ汗を拭った。 偵察機はこちらに気付かなかったのか、 それとも気付いたが気付かないふりをしたのかはまだ分からないから気は抜けない。 しかし、この状況では気付かれなかったと考えて良いだろう。 もし気付かれていれば、間違いなくナデシコから攻撃が来る。 その兆候が見られないと言うことは、とりあえずやり過ごしたと見るべきか。 「冷や汗ものですね。 冷房いらずですよー」 「まったくね。 こっちは気付かれたら勝ち目はないわ」 琥珀の言葉に同意を示す。 舞歌の言うように駆逐艦<朝霧>にとってはこのステルス性こそが命だった。 ステルスと言っても、朝霧のステルス機能は大まかに分けて3つ。 主となっているのはパッシブステルスとアクティブステルス、この2つだ。 そして、その補助としてビジュアルステルスが存在する。 パッシブステルスは受動的の名の通り、相手からアクションに対して行うもの。 レーダーの基本原理はレーダー波を発信し、その反射波から対象の位置を割り出すというもので、 逆を言えば反射波が帰ってこなければ、そこには何も無いと判断される。 朝霧の奇妙に押し潰されたような艦影に絶妙に計算された艦舷の傾斜は照射されたレーダー波をあらぬ方向に反射させることで 反射波を発信源に返さず、よって反射波を観測できない発信源ではこちらの存在を特定できなくさせる効果がある。 さらに、船体はレーダー波を良く吸収するステルス塗料で漆黒に塗られていた。(もっとも、こちらはほとんど気休めに近いが) さらにレーダー以外にも各種センサーを誤魔化す仕掛けも施されている。 熱源センサーは赤外線を拾うものなので、船体の構造材や装甲は極力赤外線を遮蔽するような材質と構造をしているし、 大気との摩擦熱を感知されぬように冷却システムまで備えている徹底ぶり。 空間センサーにかからないようにディストーションフィールドも展開していないし、 エネルギセンサーを欺くために相転移エンジンすら船体へ完全に内臓する方式で、 相転移させたエネルギー準位の低い真空を船外に排出する際には一度外部から取り込んだ真空と混合して排出している。 これによって周囲とのエネルギー差を少なく出来るのだ。 それともう一方のアクティブステルスだが、これも能動的の言葉が示す通りだ。 レーダーの原理は先にある通りだが、反射波をなくす方法はもう1つある。 レーダー波も『波』の一種である以上、当然のことながら波動の特徴は一通り備えている。 すなわち、干渉と回折。 対レーダーのアクティブステルスで重要なのは、この『干渉』。 波を2つ重ね合わせると、振幅・周波数・位相差の違いによって強めあったり、逆に弱めあったりする。 この性質を利用し、レーダー波に対してまったく同じ振幅、同じ周波数で位相を180°(半波長)ずらした波をぶつける。 すると、2つの波は互いに打ち消しあって消えてしまうのだ。 実際は相互に移動しながら発信している関係でドップラー効果の影響も考慮せねばならず、 これほど単純ではないが原理はこれだ。 木連でもようやく実用にこぎつけた最新鋭の技術だった。 そしてビジュアルステルスだが、これはある意味、一番単純。 ようするに迷彩の一種で、船体表面の電磁迷彩塗料にかける電圧を部分的に変化させる事で周囲の景色と同化し、 視覚的な『見えにくさ』を演出するものだ。 それこそ大昔からある木の枝をまとったりするのと同じようなことをハイテクで行うだけにすぎないが、 使い古されると言うのはそれが有効である事の証左でもある。 もちろんこれらには欠点もある。 ビジュアルステルスと言っても、完全な透明化というわけにはいかず、 あくまでカメレオンのように『見えにくくする』程度のものだ。 今は上空からの敵機に備えて上部甲板を大地の色に合わせているが、これは真横から見れば逆に目立つことこの上ない。 他のものもレーダーに『映らない』のではなく、『映りにくい』だけだったり、 反応しても誤差として処理される範疇に留めるだけで、精度を上げればしっかりと反応する。 それにこういった装置は高価と言うのが常であるし、現に朝霧は通常の戦艦と比較しても4倍という建造費がかかっている。 ステルス構造はそもそもそれだけでスペースを制限するものだし、 おまけに各種装置を搭載するスペースを確保するために極限まで居住性を犠牲にしている。 これで4倍以上の働きをすれば良いのだろうが、朝霧は『駆逐艦』。 駆逐艦に活躍の場がないとは言わないが、それなら通常の『戦艦』を4隻建造する方が遥かに対費用効果は良い。 あくまで技術の試験用としての1隻のみを経済担当の西沢が許可したのも頷けるというものだ。 兎にも角にも、朝霧は哨戒網を潜り抜けた。 これが最後の分岐点である。 そして、事態は最終幕へと収斂していく。 <続く>
圧縮教授のSS的愛情
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